2025年2月9日から16日まで、タイへのスタディツアーを行います。
「政策から現場まで」として、タイ政府や国連機関からコミュニティの現場まで訪問し学びます。
医療保健福祉や環境、多文化共生など社会課題に関心のある学生の参加をお待ちしています。

特徴:
・政策レベルからコミュニティまで学びます
・政府機関、メディア、企業など、幅広い分野を学べます
・少人数でリアルな現地課題を学べます
・国際協力経験が深いスタッフが同行します
・比較的安価に参加いただけます

※今回は野毛坂グローカルが実施する次の2つのプロジェクトも訪問し、セミナー/ワークショップの現場も体験いただきます。

◆自治体ネットワークによるコミュニティベース統合型高齢者ケアプロジェクト(SMART&STRONGプロジェクト)
https://smart-strong-project.org/

◆ミャンマーやカンボジアからタイへの移民労働者の子どもの就学促進プロジェクト
https://nogezaka-glocal.com/efa/

 
参考:野毛坂グローカルの実施するスタディツアーについて
   https://nogezaka-glocal.com/study/

  
参加自己負担費用(概算):
航空賃(東京ーバンコク往復)65000円程度(航空会社や日程などによって異なる)
宿泊費:1泊4000円程度
タイ国内交通費(自己負担分):1日1000円程度
食費:1日1000円程度
旅行保険:3000円程度
その他個人的経費
(野毛坂グローカルは、企画運営費、同行スタッフの経費人件費、タイ国内交通費を負担)
 
参加条件:
・(原則として)お名前、学校、顔写真などを公開可の人
・報告書を作成いただける人
・報告会、発表会への参加をいただける人
・未成年の場合は保護者の了承がいただける方
・原則24歳以下の学生
(25歳以上の場合、社会人の場合は別途費用負担協力をお願いすることがあります)
・自身で責任を持って行動できる人
・語学力などは問いません
#車椅子利用の方なども相談ください
#観光旅行ではありません。朝や夜間もふり返り会などがあるかなりハードな旅行です
#「交流目的」ではありませんので、現地での学生との交流などを希望する方はむかないと思います。
 
 日時:2025年2月9日から16日(原則 現地集合、現地解散)

スケジュール(案):
2月 9日(日) 各自バンコク集合

2月10日(月)
 ・ オリエンテーション
 ・国連機関・国際機関(UNDP/UNESCAPなど未定)
     ・タイ政府中央省庁
 ・日本政府系機関(大使館/国際協力機構(JICAなど))

2月11日(火)
 ・SMART&STRONG (ブンイトー市)
   市立病院、デイケアセンター、高齢者活動センター
神奈川県立保健福祉大学の先生によるセミナー運営補助/聴講
2月12日(水)
 ・バンコク プラウェート地区ゴミ集積地スラム
・メディア/日経企業など
2月13日(木)
ラヨン県に移動
   ・高齢者施設/NGO/カンボジア人コミュニティなど
2月14日(金)
 ・ミャンマーやカンボジアからタイへの移民労働者の子どもの就学促進プロジェクト
セミナー/ワーウショップ 運営補助/聴講
バンコクにもどる
2月15日(土) 
 ・タイの学生とのワークショプ
 ・夜:アンパワ水上マーケット、ホタル見学
2月16日(日) 
 ・移民労働者向け識字教室(FRY)
 ・マングローブ植林地見学
 ・振り返り会
 解散
 
仮申込:正式申込みではないので、気軽に申し込みください

注:「スタディツアー」との名前がついていますが、旅行会社などが企画する「ツアー」ではありません。野毛坂グローカルに同行して現地を訪問するものです。参加者各自の責任のうえでの個人旅行となり、野毛坂グローカルは旅行の実施やトラブルに関する責任を負いません。

(野毛坂グローカルの道義的な責任はありますので、万が一の事故やトラブル時もできるかぎりのサポートを実施)

 


参加者報告例:所属や学年は参加当時

内海元太 都留文科大学3年

今、人生が変わる学びをしている。今回のタイスタディツアー中に何度もそう思った。「政策レベルからコミュニティまで体験できる」とホームページに記載されていたが、まさにその通りであった。日本ではお伺いすることのできない機関や団体に訪問させていただいて広い視点での学びを実践できた。その中でも、このスタディツアーで私の人生が変わるほどの得られたものを3点紹介したい。  1つ目は、国際協力への覚悟である。私は過去2回の海外ボランティアの経験から将来国際協力に携わりたいと考えている。貧困地域の子供たちへのボランティアに参加をして、日本との違いに衝撃を受け、この子達が幸せになれる世界にしたいと思ったことがきっかけである。このような経験から、現場で活躍できる国際協力に携わりたいと考えていた。いや正しくはそれしか知らなかった。私は国際協力を目指していたにもかかわらず、国際協力に対して無知であった。無意識に避けていた自分がいた。情けないが怖かったのである。自分は今までなんとなく公務員にでもなれればいいかと考えていた。それがひょんなことから参加した海外ボランティアにより、生まれて初めて心からやりたい仕事に出会えた。それに伴い東南アジア経済学の勉強にも興味が湧いた。国際協力に関連した勉強は楽しく、どうしても叶えたいと思えるようになった。しかし、簡単になれる職業ではないことぐらい知っていた。大した語学力も学歴もない自分がなれるのだろうか。不安であった。自分の初めてできた国際協力の夢が壊れるのが怖くて潜在的に逃げていた。とても情けないがこれが渡航前の私のリアルな思いであった。  だが、この旅は私を大きく変えた。初日に私が働きたいと考えていたJICAでの仕事内容と働きたい理由を述べた際に、奥井さんは考えが甘いとはっきり言ってくださった。この言葉から国際協力と真剣に向きあおうと思った。今回の旅の自分のテーマを「自分の目指す国際協力とは何か」に決めた。実際に国連、JICA、NHK、丸紅など様々な視点から国際協力を学ぶことができた。その中でも、JICAの川合さんが仰っていた日本に誇りを持ち、日本代表としての国際協力に魅力を感じた。自国だけの利益を追求するのではなく、世界の問題に取り組む考えは共感した。現場で活躍する以外にも多種多様な国際協力の形を知ることができた。現実的な話である雇用形態やこれまでの経歴も同時に知り改めて夢を叶えるハードルの高さも知れた。しかし、もうネガティブな感情はない。むしろ、どうやって世界を変えよう!と熱い思いがみなぎっている。 2つ目は、クリティカルシンキングである。私たちは今回の旅の中で何度もミーティングをした。朝、夜、訪問後絶えず議論を繰り返した。その中で成長したと感じることがあった。それがクリティカルシンキング(批判的思考)である。ミャンマー人学校を経営しているミンミンさんの涙が出るほどの自己犠牲やカオプラガム市の革新的な高齢者支援には大きく感心した。しかし、感心して思考を止めてはいけない。その自己犠牲の活動に持続可能性はどれほどあるのか、市民の賛同を十分に得られた政策なのか疑問点は存在する。一見正しいと見えることにも一歩足を止めて考えなければならない。  私は去年の夏にカンボジアへ貧困地域の小学校に校舎を建てるボランティアに参加した。子供たちは喜んでくれていたし、きっといいことをしたんだと思っていた。しかし、この旅を終えて改めて考え直した。あの校舎は今どうなっているのか。校舎の維持は誰がしているのか。維持が負担にはなっていないだろうか。隣の町はどうなのだろうか。小学校でよかったのか。そもそもあの小学校に校舎は必要だったのだろうか。当時、自分のボランティアが正しいと思い込んでいた時には、思いつかなかったことばかりである。カンボジアのボランティアを主催された方と今度会う機会がある。この新しく生まれた疑問と主催の方の思いを共感と冷静の思考で伺い、新たな学びに繋げたい。 3つ目は、尊敬できる仲間である。今回の旅のメンバー全員を心の底から尊敬している。それぞれの興味分野に対して行動を起こしていて、自分の目標を堂々と語っていた。訪問先では質問が絶えなかった。それぞれが助け合い、かつ切磋琢磨し学び合っていた。同年代の尊敬できる人たちと学び合うことは何よりも自分を成長させてくれると感じた。それと同時に負けなくない、この仲間にすごいと思わせたいと感じた。勝手にライバルのように思っている。こんなにも将来が気になるメンバーと出会えたのは初めてである。将来、国際協力を目指しているメンバーもそうでないメンバーもいる。しかし、将来何かの機会で出会うことがあるかもしれない。その時にはまたお互いを助け合い、高め合えるような大人になっていたいと強く思う。 最後にILO川崎さんの大学時代にやらずに後悔したことをみなさんに共有したい。それは「夢や目標を人に伝えること」である。自分の内に秘めているだけでは、誰も助けてくれない。自分の考え、夢を言語化することの重要性を強調していた。ここで私の夢を皆さんにお伝えしたい。私の夢は、「当たり前が当たり前じゃない暮らしを、可能性、選択肢の少ない世界を変えたい」である。そのために、日本代表としての国際協力に携わりたい。これが現在の私の夢である。そして私の夢はまだ始まったばかりだ。今回の旅を通して世界の課題は複雑に繋がっていて永遠に答えはないのだと思った。私の夢も同じだ。だからこそ、私は今後も自分の夢を、世界の課題を考えることを止めずに学び続けようと思う。

藤原梨乃 早稲田大学法学部3年 

私は、今回のスタディツアーを通じて、タイだけに留まらず、世界と、特に現在急速に発展している東南アジア諸国と日本の間に、これまでの継承ではない新しい「助け合い方」を自分たちが創っていかなければいけないことを強く自覚した。そして、自分たちが、そのような助け合い方をつくっていく主体であるという自覚がこれまでの私のように、私たち20代の若者には足りていないことにとても危機感を抱いた。①新しい助け合い方を、②私たちがつくっていくという二つの視点から、この結論にいたるまでの経緯を述べたい。  スタディーツアーでは、前半に国連、障害局、タイアジア太平洋障害者センター、NHKアジア総局、民間企業、後半にNGO、JICA、自治体を訪問した。法整備支援という仕事に個人的な興味があり、その点法整備に携わるUNDPの佐藤弁護士のお話はとても興味深いと同時に、自分の根底にある「途上国支援」という概念は大きく変わることとなった。私は法整備支援に携わることを目的にこれまで法学部で学んできた一方で、法整備がカンボジアを代表する多くの国で進んできた話を耳にして、これから自分が法整備に対してできることがあるのか疑問に思うこともあった。他国の法整備に携わるのに、日本の法を学ぶことが本当に必要なのか、法整備を行う主体は日本である必要があるとすれば、日本の法律は進んでいるのかという疑問をぶつけることができた。お話の中で、「進んでいる・遅れているという考えはとても危険で、日本の法整備の背景や体系を踏まえ、日本が法整備に携わる可能性があるというだけで、日本が進んでいるから支援をしているという訳では必ずしもない」上に、「確かに多くの国で法整備は進んできていて、これからは新しい法整備支援のあり方を考えていかなければならない」とおっしゃっていたことがとても印象的だった。  似たような新しさは、NHKや民間企業でも実感した。日本の学校の教育では、東南アジアには途上国が多く、インフラが未整備で、教育や福祉制度も不十分だと教えられるが、急成長するタイではそのイメージは全く実態に沿っていない。その例として、タイでは少子高齢化が進んでいることが挙げられ、その対策については、同じ問題に直面する日本と共に考える取り組みがされているそうだ。このように共通課題を抱える日本とタイの関係においては、共助が重要であり、法整備同様に新しい関わり方を考える必要があると感じた。私企業では、タイの雇用事情については、タイ人が日本に稼ぎに来るという印象が強かったが、タイでの給料が上がった今ではタイ企業で働く日本人が急速に増えているという話があり、これまで習ってきたイメージは通用しないということを実感した。  さらに、今回見てきた中で、日本ではあまり一般的ではないが、必要な視点や、制度を目の当たりにし、一層両国間の共助の余地があると感じた。その一つとして、アジア太平洋障害者センターで伺った障害者の話が挙げられる。障害者の障害は、その身体にあるのではなく、社会にあるという考え方は私には斬新なものに思われた。表面的に「障がい者は害ではないから、害という文字を使うのはおかしい」という考え方が日本では広く広まっているが、その考えが世界での主流を無視した浅い考えである可能性は考えてこなかった。  もう一つの例として、法政策の弱点という視点について、タイのカオプラガム市の取り組みを例に挙げたい。この市では高齢者一人一人に住民カルテが作られ、認知症の人はリストバンドで管理されているそうだ。市が住宅改修に入ったある高齢女性は、自宅が洪水で崩壊しても自宅を離れたくないという希望したそうだが、女性を施設に避難させるのではなく、自宅の改修という方法を市が選択しており、一人一人に対してその人に必要な支援を行っていることがよくわかった。日本では、ある基準を設けて安全のため危険な場所から市民を遠ざける選択が取られがちなように感じる。リストバンドについても、社会で認知症の人を見守るには最適解であるはずだが、プライバシーの侵害の観点から日本では制度化されにくいために、実施が進んでいない。法を固めてしまうと、国や市が定めた基準で汲み取ることができない指標は無視されてしまう。こうした法整備の穴を、カオプラガム市の取り組みを通じて実感した。  最初に挙げたもう一つの点、「自分が」周りを変える主体となるという意識の重要性も今回のスタディツアーで得た重要な視点の一つである。様々な立場の人の話を聞く中で、行動の動き始めは、やはり市民の何かを変えたい、という意識から始まっているという共通点を見つけることができた。特に、自身がミャンマーからの移民でミャンマー人学校を運営している方がタイにいるミャンマー人のために自分ができることを考え行動している姿はとても印象に残った。また、カオプラガム市では、市民が自分が携わっている実感を感じることで、ますますよりよい市をつくりたいとエンパワーされる好循環が生まれていた。同じように今自分が生きているコミュニティも、そして広い目で見れば世界も、変えることができるのは自分たち一人一人しかいないということを改めて実感するきっかけとなった。その点、日本では、自分を含め自分たちが世界に関わっているという意識がとても低いことを痛感した。自治体が政策をうつ際に、意見収集が大事、とよく言うが、意見収集という感覚自体が奇妙かもしれない。当たり前に聞き慣れた言葉だが、なぜ意見を言う側と、収集する側に分かれているのか、初めて疑問を抱いた。  最後に、タイや、同じように過去のやり方が通用しない東南アジアの他の国との助け合うことができる可能性を、私の周りではそもそも知らない人が多いが、それはなぜなのか、NHKでの話を通じて考えた。ニュースでその国の「今」を見ない限り、国の印象は習った通りのままである。考えてみれば、日本の歴史やテレビニュースはどちらかというと欧米中心で、東南アジアが登場することは割合で見れば極めて少ないと思う。実際にNHKは東南アジア全体を1〜2人で取材しているそうで、日本人が関心を持つのは欧米や東アジアが中心で、関心に基づくトピックを取り上げるとさらに関心が薄れてしまう。そのような悪循環が存在していることに問題意識を感じた。まずは自分自身が、世界の国の「今」と、自分自身のコミュニティの実態を知って、新しいボーダレスな助け合い方を考える主体にならなければいけないと感じた。

 
宮内正枝  創価大学1年
私は今回のタイスタディーツアーに参加させていただき、一生忘れられない貴重な経験をすることができました。私にとっては初の海外であり、勇気のいる挑戦でしたが、飛び込んでみて良かったと思っています。奥井さんはじめ、訪問を受け入れてくださった全ての皆様、学び合ってくださったメンバーの皆さん本当にありがとうございました。 新しい視点や気づきはもちろん、自身の中にあった思い込みを知ったり、関心を深めることができました。それは、全ての生命の尊厳が守られる平和な世界をつくるにはどうしたらよいのか、自分には何ができるのか考えるきっかけになりました。 今回、私は課題解決に取り組む人々や生活に困難がある人々に直接会いに行くことでしか得られないことを学びました。例えばスラム一つとっても、今までは教科書やニュースからしか情報を得ることができませんでした。しかし、それは発信者の意図のもとに切り取られた情報であり、また、どこか遠い国で起きていることとして捉えてしまいがちです。 実際に訪れてみると、そこは想像よりもはるかに厳しい場所でした。道や家の周りには大量のゴミ、家の作りも壊れてしまいそうで見ているだけで不安になるようでしたが、それは私が暮らす安全な環境と比べているから感じることでした。そこで暮らす人々の表情を見ると、彼ら彼女らにとってはこの環境下で生活することが当たり前なのだと受け入れるしかありませんでした。そこにはミャンマーからの移民も多くいて、男性は隣のゴミ集積場で分別をして働いていました。移民はスラムの外には簡単に出られず、子どもたちは学校に通えていません。最近はあるNPO団体が読み書きや算数を教えにきているそうですが、それもいつ終わるかも分からないと聞き、教育の機会や質が保障されないとはこういうことかと思い知らされました。移民に対する差別、生活することで精一杯な家計の状況、国家の方針や近隣住民からの理解、教育を受ける権利の捉え方、、それぞれの立場によって意見は異なり、見えている世界も異なるのだと知りました。 この現状に対して私は、政治、人権、教育、福祉と専門分野を持つ人々が協力して、それぞれの使命と共通の目標達成のために動くことはできないものかと考えています。スラムに住む人々の問題解決とは、ただ支援者が一方的に労働や教育の機会を与えれば良いことではありません。スラムの人のために動くことが自分たちのためにもなる、社会をよくすることになると納得できなければ力を合わせることは難しいでしょう。まずは、各組織がスラムの人々のために働く理由、その必要性を明確にした上で、共通の理想を持たなければなりません。例えば、国家、行政は人権保護に取り組むことで国際社会からの信頼を得ることができます。また、周辺住民にとっては他文化を持つ人々との共生によって、差異を越えて理解し合うことや他者を尊重することを体験し、互いの心が広く豊かになっていくことでしょう。これはただの理想郷にすぎないかもしれません。しかし、小さなコミュニティだからこそ人同士の距離が近く、心の距離も近くいられる、一人ひとりを思いやって生きる社会をつくることができます。こうした国民の中で互いの理解が進むことは、必ず国家を動かす力になり、政治的な関係改善にも貢献できます。私は、そのような人々の心が信頼と愛で結ばれる社会をつくりたいです。移民に限らず、障がい者や高齢者、多様なジェンダーも、自然と受け入れていく心を持つ人が増えることで、インクルージョンは実現されるのではないでしょうか。さらに、それは人々が生命は全て平等であり尊い存在なのだと自覚することに繋がっていきます。 このことから、私は社会課題解決や平和創造といっても主役は民衆であると思います。国連や国や大企業など大きな影響力を持つものについていくだけでは、きっと世界は変わりません。自分や身近な人が何に苦しんでいるのか、どうしたらそれぞれの力が発揮されていくのか考えること、今の勉強や仕事が誰のためになっていて、見えない誰かの犠牲の上に成り立っていないか考え直すこと、そして今の自分と世界との繋がりを知り、創りたい未来のために何か行動を起こそうとする、そういう世界市民のリーダーを増やしていくことが重要です。世界市民のリーダーは主婦であっても、会社員であっても、学生や会社員でも、誰でもなれるものです。今回多くの場所を訪問して気づきましたが、あの人のために、世界のためにという意識を持って日々過ごしている方々は生き生きとして輝いています。 私はこれから勉強をする中で、今回のスタディーツアーでお会いした方々のお顔を時折思い浮かべ、今も困難に立ち向かいながら生きている人がいることを忘れないようにします。また、彼らは決して助ける対象ではなく、共に生きる、学ばせていただく相手であることを心にとめて、社会課題と向き合っていきたいと思います。最後に、将来力ある人材になるために、今は何かの分野で専門家になることを目指し、徹して学び抜いていきます。
 
松山峻大 滋賀医科大学医学部4年
「医師は困っている人を助ける素晴らしい職業だ」 タイのスラムで出会った少女の言葉に、私は一瞬時が止まったかのように、心を強くつかまれた。 「困っている人は、いったい誰を指すのか」 それはもちろん、病気で困っている人かもしれないし、病気なのに治療を受けられない人かもしれない。 訪問診療に同行させていただいた際に、最初に訪れたご家庭の女性が、6年前に腰部にけがをしてから、その影響によって寝たきりで歩くことすらままならない状態でいた。そして、その6年間、金銭的なハードルから、自分が医療を受けられることを知らずに、適切な治療を受けていないままであった。医師の先生をはじめ、私たちの姿を見ても、その女性の方は気丈にふるまっていた。しかしながら、今後、適切な医療が受けられることを知ると、強く涙を流された。日本から同行していた医師の先生と、「まだ若い患者さんだし、これから治療を受ければ、きっと元気になりますね」と話した。 将来医師になって、病院にやってきた患者さんが助けを求めていれば、私は何とか治療をすることができるかもしれない。だが、病院の外ではどうだろうか。病気で困っていても、金銭的に病院に行くことが難しいことや、保険の制度上でも厳しいことがある。この女性の患者さんだってそうだ。いくら助ける力があっても、医師は治療を行うことができていなかった。 次のご家庭に行く時間になって、皆さんが移動の準備をしている時に、私は思わずベッドの横に膝をつき、その女性の手をしっかりと握った。言葉は伝わらないが、「大丈夫、きっと治ります」ということを伝えたかった。その女性も、息子さんも涙を流しながら手を握り返してくれた。言葉は分からなかったが、「来てくれてありがとう」という思いはしっかりと感じ取れた。 この訪問診療の数日前、今回のスタディツアーを主催してくださった奥井さんから「木を植えても、その後手入れしてあげないと、育たない」という話をいただいていた。 あの時、私が女性の手を握ったことは、その後この土地に残って医療に従事するわけではない私が行っては良くなかったのかもしれない。日本に帰ってきた今でも、ふとした時にそう思う。だが、今の私が、医師になる前の私が、目の前の患者さんにできることを考えて、行動に移した。 お店が並び、車が走って栄えているように見える街でも、一つ道を挟めば、スラムで出会った少女や訪問診療で訪れた女性のように、病気になっても治療を受けられないかもしれない人たちが多く存在している。 「広い意味での医療には、社会もコミュニティも福祉も経済もある」 このスタディツアーに参加する後押しとなったのは、主催者の奥井さんからのこの言葉であった。医学部の授業は、医学の知識についての授業がほとんどである。教育改革が進み、一般教養や医学概論の授業があったとしても、結局は医学に関する授業がほとんどで、レポートで「多職種と連携することが大事」なんて模範解答ばかり書いて、結局本当の現状を知らずに医療現場に出ることになる。このままの自分で良いのかという不安と、実際の世界はどうなっているのか知りたいという気持ちで、参加へ踏み切った。 今回、本当に色んな立場の方々にお会いさせていただいた。訪問診療から、病院見学、そして、保健省や国連など、ミクロな視点からマクロな視点で、広い意味での「医療」の一端を実際に目でみて、聞いて、感じて、知ることができた。健康に生きるには、医療だけでなく、医療・福祉の制度に加えて、食生活や住居など、多くのものが密接に関わっている。これらを学べた経験は、これから私が医師としてここに介入できることの可能性を感じさせ、「自分はもっと強くなれる」という強い気持ちを抱く契機となった。 また、参加した学生のバックグラウンドも多種多様で、毎日の議論も刺激的だった。ジェンダー、身体的なハンディキャップ、いじめ。それぞれが抱える事情は異なり、皆の目的は違うが、その胸に抱く目標は同じだったと思う。 私は将来、医師として医療現場に従事する。「目の前の患者さんに加えて、これから病気で困る患者さんも救いたい」という志があっても、日々の業務にかまけて、その思いが薄らぐこともあるだろう。それでも、私は日々精進し続けたい。諦めずに進み続ければ、今回出会った仲間たちのように、目標を共にする人たちに出会う。そして、その積み重ねが、大きなことを成し遂げていくと、私は信じている。
神谷綾音  早稲田大学3年 
今回のタイスタディツアーに参加して、私の世界観がまた一つ広がったように感じている。スタディツアーは内容がとても濃く、実際は1週間だったが、1か月間もタイにいた気がしている。 私は大学での専門は生命科学だが、新しいことを学んだり、体験したりすることが好きで、自分の専門とは異なる分野について学ぶことに面白さを感じている。今回のスタディツアーに応募するにあたって、海外の経験があまりないということや、私自身聴覚障害があるということもあり、正直不安なことは沢山あった。しかし、「参加しなければ、絶対に後悔する」と思い、締め切りギリギリに思い切って応募をした。あの時、その決断をした自分を褒めてあげたい。参加をして大正解だった。 スタディツアーでは、一日に3か所以上のNGOやコミュニティなど様々な機関に訪問することが多く、また訪問後はグループのみんなでディスカッション(振り返り)を行った。スタディツアーに参加した人たちは、それぞれ異なる分野を専攻しており、ディスカッションでは自分とは異なる視点からの感想や考えを知ることができ、また最後の方には奥井さんからのフィードバックを受けることができてとても良い学びになった。また、毎日朝や夜に一人ずつ「一人語り」の時間というものもあった。自分がどういう人なのか、今までどう生きてきたのか、将来についてなどを約30分話すものだ。この一人語りで、みんなのことをよく知るきっかけにもなったし、みんなこれまで様々な悩み、辛いこと、葛藤があってそれでもそれらを乗り越えてここにいるということを実感した。 APCDや社会開発人間安全保障省、JICAタイ事務所では、インクルーシブ教育の在り方やその意義について考えさせられると共に、タイでは障害当事者をエンパワーメントしていくことに重点を置いていていると感じた。特にIDカードやその仕組みに関しては、日本が見習うべき面もあると感じた。しかし、その一方で取り残されている障害者もいるという実態を知り、当事者のニーズは当然異なるため、個人個人にあったニーズに合わせた合理的配慮を受けられるような社会をお互いに目指していく必要があると感じた。 タイも日本と同様に少子高齢化が進んでいる状況の中で、その問題に対してタイがどのように取り組んでいるのかというのは個人的に気になっていた。ブンイトー市のデイケアセンターや高齢者活動センター、カオプラガム市の自治体に訪問し、高齢者の方々が生き生きとリハビリを受けている姿や周りの人と笑顔で会話をしている姿を見て、本来私がイメージするデイケアセンターとはかけ離れていると感じた。またその一方で、若い世代の人材育成、高齢者体験グッズの効果と限界、情報格差などいくつかの課題点があることにも気づいた。 ミャンマーラーニングセンターやプラウェートにあるスラム、タイ日本大使館、FRYなどにも訪問し、移民・難民問題をひしひしと身近に感じたのと同時に、ミャンマーとタイとの関係性や人権問題、労働や教育などの在り方など複雑な背景があり、解決することの難しさを改めて知った。 今回はスタディツアーでは、タイにおける障害者や高齢者、難民に対する支援について学ぶ機会が多かったが、どの支援についても「持続可能な支援」が今後の社会問題の解決の鍵に繋がると感じた。それを達成するためには一つの視点や分野のみではなく、複数の視点や分野を融合して包括的に取り組んでいくことが大切になってくるということ、そして何よりも当事者の意見が反映されているということが大切だと強く感じた。先入観を捨てて、当事者の本音に耳を傾け、社会全体で何ができるのか考えていく姿勢を作っていくことが今後の社会のためになるのではないかと考えた。 まとめると、このスタディツアーで私は、現地を訪れて、そこで働いている方や生活をしている方の話を聞き、メディアを通しては感じられない雰囲気やその背景、人の表情の変化、匂いを直接感じることができた。現場に行き、直接自分の目で見たり、体験をしたりするからこそ知ることができることや感じることのできることが沢山あると強く感じた。また、一つの物事に対して一つの視点だけでなく、様々な視点から考えるということの大切さを感じた。同行したみんながいたからこそ得られた視点や知識が山ほどあった。 日本に帰国してから、自分はこれほど狭い世界の中にいたのだ、まさに「井の中の蛙」だということを改めて自覚している。今は以前よりも科学技術が発展し、その恩恵でテレビや新聞、インターネットなど様々なツールから世界中の情報を簡単に得ることができてしまう。しかし、その文字や画面越しには当然人々がいて、その人々の暮らしがあるということを決して忘れてはならない。 私は井の外の世界をもっと知りたい。自分の中の世界観を少しでも広げていくために何ができるのか、この社会に対してどうアクションを起こすことができるのか考えていきたい。そして、私は、今回のタイスタディツアーに参加したことで、新たな夢ができた。その夢を実現させるのには時間がかかってしまうかもしれない。でも、今回私に新たな価値観を与えてくださった方々への恩返しになると信じて、日々努力していきたい。
 
奥井真菜緒 早稲田大学1年  
今回スタディツアーに参加することを決めた理由は、タイは私が生まれた国であり、自身の故郷について文化面だけでなく政治状況や制度、タイが現在抱える問題とそれに対してどのように対処しているかについて学び、吸収したいと考えたためである。また、タイの様々な機関を訪問しタイの人々と交流することでタイの実情に迫るまたとない機会だと思ったためだ。 アジア太平洋障害者センター(APCD)に訪れた際に、障害をもつ人々との関わり方は大まかに分離(特別)・結合・包摂の三つがあるが、現在は分離という方法だけが重視されがちであるという話を伺った。私が通っていた小学校でも、特別支援学級という名前で分離が実施されていたことを思い出し、障害者が不自然なほどに身近にいないことが普通になっていたことに気づくことができた。小・中学校の教育の目標のひとつは多様な人々が生きる社会でどのように人間関係を築くかを学ぶことであり、そのような場に障害者だけがいないことは多様性が著しく欠けている状態だと思った。また、障害という言葉は日常生活に著しく制限する社会的障壁そのものを指すものであるということばは、私の中での障害との向き合い方に大きな影響を与えた。 JICAやラーニングセンター、プラウェートのスラム街など様々な機関・地域でタイにおけるミャンマー人の状況について話を伺い、タイにとってミャンマー人移民は貴重な労働力であり歓迎する一面もある一方、ミャンマー政府と良好な関係を維持するという点でタイへ移り住もうとするミャンマー人を受け入れがたいという一面もあることを知った。こうした背景があり実際に、スタディツアー中であった9月5日にスラータニー県のラーニングセンターにタイ政府から閉鎖命令が出ており、タイにおけるミャンマー人を取り巻く環境は極めて複雑なことを実感した。 タイでは国籍に関わらず誰でも中等教育まで受けることができるという制度があり、制度面のみをみれば外国人の子供の教育体制が充実しているように見えるが、実際は教育で用いられるタイ語を使うことが出来ないために、教育を受けることが出来なかったりドロップアウトする人が多く、タイの教育機関に入る前にタイ語を勉強する場としてラーニングセンターを運営していることを伺った。制度の理念自体はとても素晴らしいが、制度をおおまかに制定するだけでは支援にそのまま結びつかないこともあり、発生した問題を都度意識していかなければならないと感じた。 タマサート大学でLGBTIQNA+について議論した際、タマサート大学のスライドでのLGBTIQNA+で最も大事な理念は「+」の部分である、という言葉に感銘を受けた。「+」とはLGBTIQNAに含まれない人々を指しており、名称がつけられていない人もこの記号によって含まれている。人々は性的指向という点以外でも皆多様であり、ひとりひとりグラデーションを持っており、全ての人をあまさず分類することは難しい。すべての人を包括するという意味で、この「+」はなによりも重要な概念であると感じた。 移動途中に立ち寄った仏教寺院のような外装の教会が大変興味深かった。外装の大部分は仏教寺院特有のものでありながら一部に十字架や聖母マリアの絵画が描かれており、内部は一般的な教会のようであった。少数派であるキリスト教徒が、タイで多数派である仏教徒に受け入れてもらえるよう仏教寺院を模して作ったものであると伺った。外装は仏教寺院によく似ているが内装は教会そのものであるという部分から特に、タイにおけるキリスト教の立ち位置を視覚的に明確に表していると感じた。また、タイの街や文化からインドのヒンドゥー教と中国の影響を強く感じた。今やバンコク周辺のタイ人はほぼ中華系タイ人であることもあり、タイにおいて中国の影響はかなり大きいと感じた。 PNKG recovery centerに訪問した際に、タイでは家族や地域のコミュニティの結束が強く、日本では自立が求められやすいという国民性が、リハビリテーションの方針に強く影響を及ぼすことがあるというお話が興味深かった。タイではコミュニティの結束が強く人助けの精神が深く根付いているうえに、リハビリテーションが普及していないためオーバーケアが起こりやすいという話を伺い、タイの人々の人助けの精神がかえってマイナスに作用してしまうケースがあることを知った。リハビリテーションはただ身体の機能を向上させるためのものではなく、人が人らしく生きるためになにをしたいのか、そのためにはどんな身体の機能を向上させなければならないのかを考える活動であるという言葉は印象に残った。 今回のスタディツアーを通して、タイが抱える社会問題や状況を、多くの機関に訪問し議論を交わしたことで様々な視点から考えることが出来たと思う。私自身が知識不足であったこともあり、スタディツアーの前半では知識を余すことなく吸収することを目標に参加していたが、後半では前半に得た知識をもとに考察することができ、たった数日間の経験であったが自分自身の成長を実感することができた。複数の機関で一つの同じテーマのお話を伺うことがあったが、説明の微妙な差異から様々な立場からの視点を学ぶことができ、とても有意義だった。また、タイについてだけでなく、今まで熟慮したことのなかった障害者やLGBTQ+についても自身の誤認識に気づき、考えを改め深める場になった。今回様々な社会問題について考え、悩んだ経験は、これから社会問題について考え解決に向けて具体的な行動を起こすためのはじめの一歩になったように思う。