野毛坂グローカルでは、2025年9月上旬にタイへのスタディツアーを行います。

 
政策レベルから地域の現場まで、幅広い視点で学ぶ——そんな体験ができるタイスタディツアー。国際機関、NGO、企業、自治体などを訪問し、社会課題に直面するリアルな現場に触れながら、国際協力やインクルーシブ社会のあり方について深く考えます。仲間と議論を重ね、自らの視野を広げる一週間は、人生観さえ変える濃密な学びの時間に。世界と自分の未来を真剣に考えたいあなたに、ぜひ体験してほしいツアーです。

特徴:
・政策レベルからコミュニティまで学びます

・政府機関、メディア、企業など、幅広い分野を学べます
・少人数でリアルな現地課題を学べます
・国際協力経験が深いスタッフが同行します
・比較的安価に参加いただけます

#なぜタイなのか?
タイは、途上国といわれる国の中でもとてもユニークな国です。バンコクの最先端の都市開発やイノベーション・ハイテク産業への取り組み、いわゆる「先進国」に近い側面を持ちながら、一方で農村部や地域によっては「途上国」と呼ばれるような課題も色濃く残っています。このため、一度の訪問で両方の現実を比較しながら体験できる貴重な機会を得ることができます。
また、タイは急速な経済成長を遂げた一方で、高齢化の進展、環境問題、経済格差といった「成熟社会が直面する課題」にも直面しています。これらは日本を含む多くの国が抱えるテーマでもあり、タイでの学びは、これからの世界をどう考えるかに直結します。
多様な現場を自分の目で見て、直接話を聞き、ディスカッションすることによって、机上だけでは得られない「生きた知識」を体験してもらいたいと考えています。


募集コース・日程:
今回は9月上旬に実施予定:
グループ1:一般の学生 9月1日から7日を予定
グループ2:医療・保健・福祉分野の学生 9月1日から10日を予定
(グループ1に加えて3日間)

ツアー内容
グループ1
(一般学生対象)
下記を訪問し、タイの社会経済状況のお話を伺ったり、見学を行なったうえで、様々な側面から考えます。

・国連機関、タイの中央政府機関、日本の政府機関(国際協力機構(JICA)など)
・地方自治体やNGOなど現場で活動を行う機関
・スラムや外国ルーツの人々が住む地域コミュニティや地域活動
・メディアや民間企業

グループ2医療・保健・福祉分野の学生対象)
私立病院、公立病院、ヘルスセンター、訪問診療、訪問介護など

 

なお、スタディツアーとは別にタイ出張に同行して補助業務を行う短期インターンシップも若干名募集しています。関心のある方はこちらを御覧ください。
 

 

 

※スタディツアーでは野毛坂グローカルが実施する次のプロジェクトも訪問します。

◆自治体ネットワークによるコミュニティベース統合型高齢者ケアプロジェクト(SMART&STRONGプロジェクト)
https://smart-strong-project.org/

◆ミャンマーやカンボジアからタイへの移民労働者の子どもの就学促進プロジェクト
https://nogezaka-glocal.com/efa/

 

申し込み方法:
下記より仮申し込みください(ZOOM面談・説明のうえで参加の可否を決定します)
https://forms.gle/zSiwcABR4aSdXNWm6
 
参考:野毛坂グローカルの実施するスタディツアーについて
 
参加自己負担費用(概算):
航空賃(東京ーバンコク往復)6万円程度(航空会社や日程などによって異なる)
宿泊費:1泊4000円程度
タイ国内交通費(自己負担分):1日1000円程度
食費:1日1000円程度
旅行保険:3000円程度
その他個人的経費
(野毛坂グローカルは企画運営費、同行スタッフの経費、タイ国内交通費などを負担)
 
参加条件:
原則として:
・全行程参加できる人
・お名前、学校、顔写真などを公開しても構わない人
・報告書を作成いただける人
・報告会、発表会への参加をいただける人
・未成年の場合は保護者の了承がいただける方
・24歳以下の学生
(25歳以上の場合や社会人の場合は別途費用負担協力をお願いすることがあります。相談ください)
・自身で責任を持って行動できる人
上記「原則」にあてはまらない人も相談ください。
#基本的には現地(バンコク)集合、解散となります。
#語学力などは問いません。
#車椅子利用の方など配慮が必要な方も相談ください。
#観光旅行ではありません。朝や夜間もふり返り会などがあります。
(各自の観光などはスタディツアーの前後でお願いします)
 

訪問先例(過去に訪問した機関:すべてを訪問するわけではありません):
◆国連機関/中央省庁/援助機関
・国連開発計画(UNDP)/ 国際労働機関(ILO)/ 国際協力機構(JICA) /日本貿易振興機構(JETRO)/ タイ政府社会開発人間安全保障省障害者局/高齢者局 / 保健省/アジア太平洋障害者センター(APCD)
◆国際協力プロジェクト
スマート&ストロングプロジェクト
(自治体ネットワークによる統合型高齢者ケアプロジェクト)
https://smart-strong-project.org/
ミャンマーやカンボジアからタイへの移民労働者の子どもの就学促進プロジェクト
https://nogezaka-glocal.com/efa/
◆メディア
NHK/共同通信/NNAアジア/日経新聞/朝日新聞
◆企業
丸紅 / パーソナルコンサルタンツ/横浜銀行
◆自治体
チョンブリ県パタヤ市/ロブリ県カオプラガム市 /パトムタニ県ブンイトー市/ラヨン県タップマー市
◆NGO 
JILAF/LPN/MDF/FRY
◆コミュニティ
保健・福祉に取り組むコミュニティ/スラム/外国人の住むコミュニティ/山岳民族のコミュニティ
◆保健・福祉
各種病院、保健センター、福祉センター、地域の居場所
◆その他
マングローブ林 ラーニングセンター/無農薬野菜/エイズ患者のホスピスなど

  

 

過去の参加者報告より(肩書は参加時)

内海元太 都留文科大学3年 
今、人生が変わる学びをしている。今回のタイスタディツアー中に何度もそう思った。「政策レベルからコミュニティまで体験できる」とホームページに記載されていたが、まさにその通りであった。日本ではお伺いすることのできない機関や団体に訪問させていただいて広い視点での学びを実践できた。その中でも、このスタディツアーで私の人生が変わるほどの得られたものを3点紹介したい。  1つ目は、国際協力への覚悟である。私は過去2回の海外ボランティアの経験から将来国際協力に携わりたいと考えている。貧困地域の子供たちへのボランティアに参加をして、日本との違いに衝撃を受け、この子達が幸せになれる世界にしたいと思ったことがきっかけである。このような経験から、現場で活躍できる国際協力に携わりたいと考えていた。いや正しくはそれしか知らなかった。私は国際協力を目指していたにもかかわらず、国際協力に対して無知であった。無意識に避けていた自分がいた。情けないが怖かったのである。自分は今までなんとなく公務員にでもなれればいいかと考えていた。それがひょんなことから参加した海外ボランティアにより、生まれて初めて心からやりたい仕事に出会えた。それに伴い東南アジア経済学の勉強にも興味が湧いた。国際協力に関連した勉強は楽しく、どうしても叶えたいと思えるようになった。しかし、簡単になれる職業ではないことぐらい知っていた。大した語学力も学歴もない自分がなれるのだろうか。不安であった。自分の初めてできた国際協力の夢が壊れるのが怖くて潜在的に逃げていた。とても情けないがこれが渡航前の私のリアルな思いであった。  だが、この旅は私を大きく変えた。初日に私が働きたいと考えていたJICAでの仕事内容と働きたい理由を述べた際に、考えが甘いとはっきり言ってくださった。この言葉から国際協力と真剣に向きあおうと思った。今回の旅の自分のテーマを「自分の目指す国際協力とは何か」に決めた。実際に国連、JICA、NHK、丸紅など様々な視点から国際協力を学ぶことができた。その中でも、JICAの川合さんが仰っていた日本に誇りを持ち、日本代表としての国際協力に魅力を感じた。自国だけの利益を追求するのではなく、世界の問題に取り組む考えは共感した。現場で活躍する以外にも多種多様な国際協力の形を知ることができた。現実的な話である雇用形態やこれまでの経歴も同時に知り改めて夢を叶えるハードルの高さも知れた。しかし、もうネガティブな感情はない。むしろ、どうやって世界を変えよう!と熱い思いがみなぎっている。 2つ目は、クリティカルシンキングである。私たちは今回の旅の中で何度もミーティングをした。朝、夜、訪問後絶えず議論を繰り返した。その中で成長したと感じることがあった。それがクリティカルシンキング(批判的思考)である。ミャンマー人学校を経営しているミンミンさんの涙が出るほどの自己犠牲やカオプラガム市の革新的な高齢者支援には大きく感心した。しかし、感心して思考を止めてはいけない。その自己犠牲の活動に持続可能性はどれほどあるのか、市民の賛同を十分に得られた政策なのか疑問点は存在する。一見正しいと見えることにも一歩足を止めて考えなければならない。  私は去年の夏にカンボジアへ貧困地域の小学校に校舎を建てるボランティアに参加した。子供たちは喜んでくれていたし、きっといいことをしたんだと思っていた。しかし、この旅を終えて改めて考え直した。あの校舎は今どうなっているのか。校舎の維持は誰がしているのか。維持が負担にはなっていないだろうか。隣の町はどうなのだろうか。小学校でよかったのか。そもそもあの小学校に校舎は必要だったのだろうか。当時、自分のボランティアが正しいと思い込んでいた時には、思いつかなかったことばかりである。カンボジアのボランティアを主催された方と今度会う機会がある。この新しく生まれた疑問と主催の方の思いを共感と冷静の思考で伺い、新たな学びに繋げたい。 3つ目は、尊敬できる仲間である。今回の旅のメンバー全員を心の底から尊敬している。それぞれの興味分野に対して行動を起こしていて、自分の目標を堂々と語っていた。訪問先では質問が絶えなかった。それぞれが助け合い、かつ切磋琢磨し学び合っていた。同年代の尊敬できる人たちと学び合うことは何よりも自分を成長させてくれると感じた。それと同時に負けなくない、この仲間にすごいと思わせたいと感じた。勝手にライバルのように思っている。こんなにも将来が気になるメンバーと出会えたのは初めてである。将来、国際協力を目指しているメンバーもそうでないメンバーもいる。しかし、将来何かの機会で出会うことがあるかもしれない。その時にはまたお互いを助け合い、高め合えるような大人になっていたいと強く思う。 最後にILO川崎さんの大学時代にやらずに後悔したことをみなさんに共有したい。それは「夢や目標を人に伝えること」である。自分の内に秘めているだけでは、誰も助けてくれない。自分の考え、夢を言語化することの重要性を強調していた。ここで私の夢を皆さんにお伝えしたい。私の夢は、「当たり前が当たり前じゃない暮らしを、可能性、選択肢の少ない世界を変えたい」である。そのために、日本代表としての国際協力に携わりたい。これが現在の私の夢である。そして私の夢はまだ始まったばかりだ。今回の旅を通して世界の課題は複雑に繋がっていて永遠に答えはないのだと思った。私の夢も同じだ。だからこそ、私は今後も自分の夢を、世界の課題を考えることを止めずに学び続けようと思う。

  

 

中村美遥 京都大学4年
このスタディツアーは、これまで自分が深く考えてきた社会課題や国際協力について、多くの気づきを与えてくれた。本ツアーに参加する前、私はタイ社会がどういった社会課題を抱えているのか、また国際協力という視点から日本はどういった活動を求められているのかについて学びたいと考えていた。実際に参加を終えた今、それらが完全にクリアになったとは言えない。その代わり、課題はとても複雑で、その解決策にも明確な唯一解はないという現実を教えていただき、これから自分が国際協力に関わっていく上での大切な気づきを多くもらったと感じている。本ツアー全体を振り返って特に考えたことは以下の3点である。 1点目は、SDGsの理念でもある「誰一人取り残さない(No one will be left behind.)」の意味についてである。本ツアーに参加前、私はこの言葉について、障害者や移民、LGBTQ+といった様々なカテゴリーでマイノリティとされる方々が包摂された社会を目指しているのだという理解をしており、同時に、現実的な目標とするには曖昧でハードルが高く、綺麗事のように聞こえてしまっている節もあった。しかし、本ツアーを終えた今、このスローガンは、具体的な社会の目標を示すという意味に加えて、人を集団ではなく「個」として捉える姿勢の大切さを示しているのかもしれないと考えている。本ツアーでは移民の子ども、障害者、高齢者など幅広い側面からタイにおけるインクルーシブな社会の実現に向けた先進的な取り組みを見学させていただいた。成功事例を見せていただいたこともあり、見学をする中で私は当初、「こういったプロジェクトがなされているこの地区はインクルーシブな社会が実現されているのだろう」と楽観的な感想を抱いた。しかし、詳しく活動されている方のお話を伺ったり、他の参加者との議論をする中で、その取り組みから取りこぼされた個人の存在に気付かされた。「移民」などのように集団を分類することは、大枠で社会を捉えて施策を打つ中では効率や効果の点で良い場合も多いが、同時にそれだけでは見逃してしまう人々がいる。社会について考える時、大きな主語で捉えすぎず、「個」をできるだけ見逃さないようにしたいと考えさせられた。 また、本ツアーを通して、社会の状況を理解する上で、政策と現場の両方の視点を持つことの重要性をとても感じた。本ツアーでは、タイの社会について政策レベルから地域コミュニティまで、幅広い視点からのお話を伺う機会があった。その中で特に1日目、社会開発人間安全保障省障害局の方から、タイの障害者の権利を守るために様々な制度作り、サービス提供を行っていることを伺い、素直にタイは高齢者インクルージョンに対してとても進んだ国なのだという感想を持った。しかし5日目、パタヤ レデンプトリスト障害者技術専門学校という障害者へ無償の教育を行っている学校でお話を伺う中で、現実と理想の乖離が大きいことを教えていただいた。この学校はインクルーシブな社会実現に向けた素晴らしい理念を持ちながらも、まずは障害者が社会で経済的自立をできるようにといった目の前のステップを重要視しており、就労機会の確保のために障害者だけを集めたコールセンターなどの就労場所の創出をされているなど、一見するとインクルーシブとは逆行したような取組も行っていらっしゃった。障害者インクルーシブにおいて先進事例とされるこの学校においても、多くの妥協をせざるを得ないという状況を目の当たりにし、政策はあくまで理想を示したり大枠を決めるものであって、現実とは大きな乖離があったり、その大枠から外れてしまう人もいるという側面を知り、政策的な視点ばかりでは現実を見落としてしまう可能性があることを学んだ。外部者として他国の社会について知ろうとするときは特に、どうしても政策サイドに視点が寄ってしまうと感じるが、幅広い視点を持つ努力を忘れないでいたいと学ばせていただいた。 3点目は、国際協力のあり方についてである。本ツアーで国際協力のプロジェクトの現場を見せていただく中で、当事者ではない外部の者として社会課題に対して活動をするにおいて、本当に当事者たちがその活動を望んでいる(その活動で幸せになる)のか、持続的に長期間続けていけることなのかという点がとても重要かつ、意外と難しいことなのだと感じさせられた。本ツアーでは、野毛坂グローカルがタイで行っているプロジェクトを2つ見学させていただいたが、その中で大切にされていたことの一つに「当事者主体」というものがあった。特に国際協力という活動の枠組みにおいては、無意識的に自分や自国の価値観で相手を判断し、相手に対して勝手な理想を押し付けてしまったりする可能性があること、そしてそれによって、結果として意図しない形で相手にネガティブな影響を及ぼす可能性があるということを教えていただき、大変考えさせられた。実際自分も、このツアーでタイの社会について勉強させていただく中で、つい日本と比べて不十分に見える部分に注目してしまうことが何度かあった。しかし、そもそもタイが日本と同じような社会を目指していると決めつけてしまったり、自分起点で物事を考えてしまっている姿勢は、活動がたとえ善意に基づいたものであっても、かえってその社会の当事者にネガティブな影響をもたらす可能性があることを学ばせていただいた。 このスタディツアーで過ごした1週間、これまでの自分が知らなかった世界をたくさん見せていただき、社会のことや自分自身のキャリアについて、多くの大切な学びのチャンスをいただいた。このツアーでお会いした全ての方への感謝を心に留めて、学びをこれからに活かしていきたいと強く思う。

  

 

松山峻大 滋賀医科大学医学部4年
今回のスタディーツアーでは、まずバンコク市内の名門チュラロンコン大学の寮に泊まることになっていた。観光街のすぐ近くであり、駅から降りた私たちは豪華な巨大モールの中を3つも通り抜け、さらに高級ホテル内も通って寮に向かった。途中、モールやホテルはチュラロンコン大学の傘下にあるとの説明があり、巨万の富を得ていることは想像に難くなかった。さらに、この観光街は西欧やアジア各国からの観光客と思しき人々であふれかえり、まるで渋谷のスクランブル交差点さながらの風景だった。途中近くのカフェを利用したこともあったが、1食40バーツ(約180円)で済ませることができる物価のなか、観光客を対象としたカフェではコーヒー1杯で70バーツ(約315円)ほどだった(それでも世界でまれに見る物価安のように思うが)。当然、このようなモールやカフェで働くスタッフは英語を話すことができる。チュラロンコン大学の寮でも、学生は英語を話せる。しかし、一歩観光街を離れれば、あるいは寮のスタッフは、英語を話せない人も多い。これだけでも社会格差を感じるが、今回のスタディーツアーでは非正規のゴミ分別場の集落を訪問する機会があった。強いゴミのにおいが立ちこめる一帯に家々が並び、通り抜けていくと肌感覚でテニスコート4面分はありそうな広場に大量のゴミが山積していて、人々があちらこちらで分別を行っていた。このような集落にも当然、村長がいる(公式に選任などあるかは分からないが)。ここで不思議な感覚を覚えるのは、タイ全体で見れば「低流階級」である人がいて、さらにその人をトップとしたコミュニティーが存在することである。では、この村長の下にはどんな人々がいるのだろうか。その一例としてお会いしたのは、ミャンマー人の家族である。30-40代と思われるお母さん、12歳の娘、1歳の娘の家に近所のおばさんと近所の子ども(いずれもミャンマー人)が遊びに来ていた。ここで衝撃を覚えたことは、12歳の娘が「私タイ語話せません」と言ったことである(これはタイ語だったが)。聞くと、この家族はもう10年近くタイに住んでいるとのことで、この娘も物心ついたときからタイに住んでいるのである。それでもタイ語が話せないということは、タイのコミュニティーと分断された生活を送っているということではないか。また、タイは全ての子ども(移民や不法滞在も含め)に公立学校への入学を許可している。しかし、この娘はこのような学校には通っていないということである。学校について聞いてみると、「NGOが近くまできて、授業してくれる」とのことだった。一瞬安堵するが、よくよく考えれば支援に依存した状態であり、いつ授業が受けられなくなるかも分からない。また、卒業資格を得られなければ進学もできず、就職も難しくなる。そんな娘の夢は、医師になること。夢の実現に必要なサポートは全然足りていない。そして、娘が「私タイ語話せません」と言ったことに対してさらに唖然としてしまうのは、タイ人である村長が、「学校に通って、もっとタイ語が上手くなればコミュニティー内にタイ人の友達ができるでしょう」と言ったことだ。逆ではないか、と思った。そして、10年近くこのコミュニティー内に住んでいるのにいまだにタイ語が話せないこと、タイ人の友人がいないこと、この背景に構造的問題があることが看過されていることにやるせなさを覚えた。 2015年に発表されたSDGsの目標は、「誰一人取り残さない」ことである。しかし、現実には取り残されている人がいる。今回のスタディーツアーでは、誰一人取り残さないためにタイ政府が尽力しているプロジェクトについて省庁で聞き、病院や家庭訪問に同行させてもらい、そして取り残されている事例についても目の当たりにすることができた。本音と建て前が存在する社会保障制度や国際協力において、自分の人生をかけて取り組まなければいけない課題は何処にあるのか、これからも考え続ける

   

 

田幡凪子 湘南医療大学 保健医療学科看護学部 2年
差別や格差はこんなところにもあるのか。そう思わずにはいられない光景が目の前にあった。
私は2023年9月3日から14日まで、野毛坂グローカルが主催する、タイのスタディーツアーに参加した。タイにおける、高齢者・障害者・移民・難民について、タイ政府の担当者から直接話を聞いたり、現場の実態を見聞きする機会を得た。
ツアーに参加する前、私が差別に対してもっていた認識は、例えば差別される障害者たちと、差別する健常者の間に横たわるものだった。しかし、現場はそうシンプルなものではなかった。
さまざまな場所を訪問した中で、私がまず差別を感じたのは、レデンプトリスト障害者技術専門学校だ。ここでは、障害者を教育し、技術を身につけさせ、職を得られるようにしている。ひいては、障害者の経済的自立だけでなく、精神的自立を促し、障害者のエンパワーメントを目的としている施設である。実際この学校の卒業生は就職率がとても高く、企業が障害者を1%雇用しなくてはいけないという、法律を上手く利用していた。が、ここで私が目の当たりにしたのは、差別される側の中にも、障害の種類や度合いにより、差別や格差があったという事実だった。この施設では18歳以上になったダウン症の人に去勢手術を行うよう決められていた。これは、法律で定められている訳ではなく、これまでの慣習に基づくものである。最も障害者を支え、彼らを差別せず、否定しないよう努めるべき組織の中で、彼らの存在を否定するような決まりがあることに、とても大きな衝撃を受けた。
その現状は、旧優生保護法の下日本で行われてきたことと同じである。新型出生前診断や優性思想の在り方を、生命倫理学的に捉えることに興味がある私にとって、あまりにもひどい差別として映った。
次に挙げたいのは、タイのカンボジア人コミュニティである。タイに出稼ぎに来るカンボジア人が住んでいる地域だったが、出稼ぎに来ているという情況からも、彼らが貧困層であるということが推測できるだろう。
私たちは3家庭を訪問し、それぞれがどんな暮らしをしているのか、どんな問題を抱えているのかを尋ね考えた。私はその中でも、最後に訪問した3きょうだいが、その格差の被害に直面していると感じた。そのきょうだいは18歳の兄と、2人の妹の3人で暮らしていた。彼らの話を聞いて、驚くべきことが判明した。彼らは3人とも血の繋がりが無いというのだ。長男は、母が病気になり、両親がカンボジアに帰国。長女は、母が他の男と逃げ、今は両親ともいない。次女に関しては、出自不明という現状だった。
3人の中である程度教育を受け、タイ在留資格があるのは唯一長兄だけだった。彼は毎日の洗車の仕事で血の繋がりのない「妹」たちを養っていた。在留資格があり、カンボジアに帰る資格も待つ彼が、なぜ両親とともにカンボジアに帰らず、タイで2人の妹を養っているのか質問してみた。彼は迷わず「家族だから」と答えた。貧困の中、血の繋がりのない彼らが、長男のタイに残るという決断により「家族」という形を保って生活しているのは、私にはとても想像が及ばないことだった。私はこの現状にショックを受けたのと同時に、カンボジア人コミュニティとひとくくりに言っても、学校に行けている子、行けていない子、行き方すら知らない子、とさまざまな格差があることにも衝撃を受けた。
また、コミュニティ内では助け合って生活しているのだろうと勝手に思い込んでいたが、この格差の中では相互扶助が希薄であるということにやるせなさを覚えた。コミュニティには以前、NGOが入って子どもたちが学校に通えるよう支援していたが、ノウハウの蓄積までには至らなかった。助け合いの文化も根付かず、NGO撤退後は前述の姉妹のように学校に行けない子どもたちも出てきている。
他にも、ミャンマー人コミュニティを有するスラム、バンコクのオンヌットでもそこに住むタイ人とミャンマー人との間には、住居や仕事の種類などで厳然とした格差があったのをみた。

今回のツアーでは、ブンイトー市やラヨン県で地域の高齢者ケアプロジェクトと環境プロジェクトなど、コミュニティの特性をうまく活用したさまざまな好例を見ることができた。一つは、デジタル技術を活用したスマートシティだ。コミュニティ内のボランティアがつくり上げた情報網を活用した助け合いも目を引いた。互いの顔が見える関係にある人が、政策側に現状を伝えられる環境だからこその強みだろう。コミュニティの力が弱く、近所付き合いが薄れている日本が学ぶべき、素敵な取り組みだと感じた。
子どもや障害者など手を差し伸べられるべき存在が、コミュニティという閉鎖空間の中で差別され、格差のただ中にいることが、とても悲しいと感じた。コミュニティに第三者が入り、前述のような好例を導入できれば、格差の是正につながるかもしれない。

 

 

奥井真菜緒 早稲田大学1年  
今回スタディツアーに参加することを決めた理由は、タイは私が生まれた国であり、自身の故郷について文化面だけでなく政治状況や制度、タイが現在抱える問題とそれに対してどのように対処しているかについて学び、吸収したいと考えたためである。また、タイの様々な機関を訪問しタイの人々と交流することでタイの実情に迫るまたとない機会だと思ったためだ。 アジア太平洋障害者センター(APCD)に訪れた際に、障害をもつ人々との関わり方は大まかに分離(特別)・結合・包摂の三つがあるが、現在は分離という方法だけが重視されがちであるという話を伺った。私が通っていた小学校でも、特別支援学級という名前で分離が実施されていたことを思い出し、障害者が不自然なほどに身近にいないことが普通になっていたことに気づくことができた。小・中学校の教育の目標のひとつは多様な人々が生きる社会でどのように人間関係を築くかを学ぶことであり、そのような場に障害者だけがいないことは多様性が著しく欠けている状態だと思った。また、障害という言葉は日常生活に著しく制限する社会的障壁そのものを指すものであるということばは、私の中での障害との向き合い方に大きな影響を与えた。 JICAやラーニングセンター、プラウェートのスラム街など様々な機関・地域でタイにおけるミャンマー人の状況について話を伺い、タイにとってミャンマー人移民は貴重な労働力であり歓迎する一面もある一方、ミャンマー政府と良好な関係を維持するという点でタイへ移り住もうとするミャンマー人を受け入れがたいという一面もあることを知った。こうした背景があり実際に、スタディツアー中であった9月5日にスラータニー県のラーニングセンターにタイ政府から閉鎖命令が出ており、タイにおけるミャンマー人を取り巻く環境は極めて複雑なことを実感した。 タイでは国籍に関わらず誰でも中等教育まで受けることができるという制度があり、制度面のみをみれば外国人の子供の教育体制が充実しているように見えるが、実際は教育で用いられるタイ語を使うことが出来ないために、教育を受けることが出来なかったりドロップアウトする人が多く、タイの教育機関に入る前にタイ語を勉強する場としてラーニングセンターを運営していることを伺った。制度の理念自体はとても素晴らしいが、制度をおおまかに制定するだけでは支援にそのまま結びつかないこともあり、発生した問題を都度意識していかなければならないと感じた。 タマサート大学でLGBTIQNA+について議論した際、タマサート大学のスライドでのLGBTIQNA+で最も大事な理念は「+」の部分である、という言葉に感銘を受けた。「+」とはLGBTIQNAに含まれない人々を指しており、名称がつけられていない人もこの記号によって含まれている。人々は性的指向という点以外でも皆多様であり、ひとりひとりグラデーションを持っており、全ての人をあまさず分類することは難しい。すべての人を包括するという意味で、この「+」はなによりも重要な概念であると感じた。 移動途中に立ち寄った仏教寺院のような外装の教会が大変興味深かった。外装の大部分は仏教寺院特有のものでありながら一部に十字架や聖母マリアの絵画が描かれており、内部は一般的な教会のようであった。少数派であるキリスト教徒が、タイで多数派である仏教徒に受け入れてもらえるよう仏教寺院を模して作ったものであると伺った。外装は仏教寺院によく似ているが内装は教会そのものであるという部分から特に、タイにおけるキリスト教の立ち位置を視覚的に明確に表していると感じた。また、タイの街や文化からインドのヒンドゥー教と中国の影響を強く感じた。今やバンコク周辺のタイ人はほぼ中華系タイ人であることもあり、タイにおいて中国の影響はかなり大きいと感じた。 PNKG recovery centerに訪問した際に、タイでは家族や地域のコミュニティの結束が強く、日本では自立が求められやすいという国民性が、リハビリテーションの方針に強く影響を及ぼすことがあるというお話が興味深かった。タイではコミュニティの結束が強く人助けの精神が深く根付いているうえに、リハビリテーションが普及していないためオーバーケアが起こりやすいという話を伺い、タイの人々の人助けの精神がかえってマイナスに作用してしまうケースがあることを知った。リハビリテーションはただ身体の機能を向上させるためのものではなく、人が人らしく生きるためになにをしたいのか、そのためにはどんな身体の機能を向上させなければならないのかを考える活動であるという言葉は印象に残った。 今回のスタディツアーを通して、タイが抱える社会問題や状況を、多くの機関に訪問し議論を交わしたことで様々な視点から考えることが出来たと思う。私自身が知識不足であったこともあり、スタディツアーの前半では知識を余すことなく吸収することを目標に参加していたが、後半では前半に得た知識をもとに考察することができ、たった数日間の経験であったが自分自身の成長を実感することができた。複数の機関で一つの同じテーマのお話を伺うことがあったが、説明の微妙な差異から様々な立場からの視点を学ぶことができ、とても有意義だった。また、タイについてだけでなく、今まで熟慮したことのなかった障害者やLGBTQ+についても自身の誤認識に気づき、考えを改め深める場になった。今回様々な社会問題について考え、悩んだ経験は、これから社会問題について考え解決に向けて具体的な行動を起こすためのはじめの一歩になったように思う

  

 

宮内正枝  創価大学1年
私は今回のタイスタディーツアーに参加させていただき、一生忘れられない貴重な経験をすることができました。私にとっては初の海外であり、勇気のいる挑戦でしたが、飛び込んでみて良かったと思っています。奥井さんはじめ、訪問を受け入れてくださった全ての皆様、学び合ってくださったメンバーの皆さん本当にありがとうございました。 新しい視点や気づきはもちろん、自身の中にあった思い込みを知ったり、関心を深めることができました。それは、全ての生命の尊厳が守られる平和な世界をつくるにはどうしたらよいのか、自分には何ができるのか考えるきっかけになりました。 今回、私は課題解決に取り組む人々や生活に困難がある人々に直接会いに行くことでしか得られないことを学びました。例えばスラム一つとっても、今までは教科書やニュースからしか情報を得ることができませんでした。しかし、それは発信者の意図のもとに切り取られた情報であり、また、どこか遠い国で起きていることとして捉えてしまいがちです。 実際に訪れてみると、そこは想像よりもはるかに厳しい場所でした。道や家の周りには大量のゴミ、家の作りも壊れてしまいそうで見ているだけで不安になるようでしたが、それは私が暮らす安全な環境と比べているから感じることでした。そこで暮らす人々の表情を見ると、彼ら彼女らにとってはこの環境下で生活することが当たり前なのだと受け入れるしかありませんでした。そこにはミャンマーからの移民も多くいて、男性は隣のゴミ集積場で分別をして働いていました。移民はスラムの外には簡単に出られず、子どもたちは学校に通えていません。最近はあるNPO団体が読み書きや算数を教えにきているそうですが、それもいつ終わるかも分からないと聞き、教育の機会や質が保障されないとはこういうことかと思い知らされました。移民に対する差別、生活することで精一杯な家計の状況、国家の方針や近隣住民からの理解、教育を受ける権利の捉え方、、それぞれの立場によって意見は異なり、見えている世界も異なるのだと知りました。 この現状に対して私は、政治、人権、教育、福祉と専門分野を持つ人々が協力して、それぞれの使命と共通の目標達成のために動くことはできないものかと考えています。スラムに住む人々の問題解決とは、ただ支援者が一方的に労働や教育の機会を与えれば良いことではありません。スラムの人のために動くことが自分たちのためにもなる、社会をよくすることになると納得できなければ力を合わせることは難しいでしょう。まずは、各組織がスラムの人々のために働く理由、その必要性を明確にした上で、共通の理想を持たなければなりません。例えば、国家、行政は人権保護に取り組むことで国際社会からの信頼を得ることができます。また、周辺住民にとっては他文化を持つ人々との共生によって、差異を越えて理解し合うことや他者を尊重することを体験し、互いの心が広く豊かになっていくことでしょう。これはただの理想郷にすぎないかもしれません。しかし、小さなコミュニティだからこそ人同士の距離が近く、心の距離も近くいられる、一人ひとりを思いやって生きる社会をつくることができます。こうした国民の中で互いの理解が進むことは、必ず国家を動かす力になり、政治的な関係改善にも貢献できます。私は、そのような人々の心が信頼と愛で結ばれる社会をつくりたいです。移民に限らず、障がい者や高齢者、多様なジェンダーも、自然と受け入れていく心を持つ人が増えることで、インクルージョンは実現されるのではないでしょうか。さらに、それは人々が生命は全て平等であり尊い存在なのだと自覚することに繋がっていきます。 このことから、私は社会課題解決や平和創造といっても主役は民衆であると思います。国連や国や大企業など大きな影響力を持つものについていくだけでは、きっと世界は変わりません。自分や身近な人が何に苦しんでいるのか、どうしたらそれぞれの力が発揮されていくのか考えること、今の勉強や仕事が誰のためになっていて、見えない誰かの犠牲の上に成り立っていないか考え直すこと、そして今の自分と世界との繋がりを知り、創りたい未来のために何か行動を起こそうとする、そういう世界市民のリーダーを増やしていくことが重要です。世界市民のリーダーは主婦であっても、会社員であっても、学生や会社員でも、誰でもなれるものです。今回多くの場所を訪問して気づきましたが、あの人のために、世界のためにという意識を持って日々過ごしている方々は生き生きとして輝いています。 私はこれから勉強をする中で、今回のスタディーツアーでお会いした方々のお顔を時折思い浮かべ、今も困難に立ち向かいながら生きている人がいることを忘れないようにします。また、彼らは決して助ける対象ではなく、共に生きる、学ばせていただく相手であることを心にとめて、社会課題と向き合っていきたいと思います。最後に、将来力ある人材になるために、今は何かの分野で専門家になることを目指し、徹して学び抜いていきます。

 

 

島田紗恵子 法政大学4年(タマサート大学交換留学中)
本スタディツアーの7日間は、間違いなく人生においてもかなり充実した一週間であった。この報告書を書くために1週間分の報告書やメモを振り返ったが、学んだことや見たこと、考えたこと、疑問に感じたことは日によって異なるうえに多岐にわたり、複雑であった。悔しいが理解や自己納得の範疇を超えていて、正直にまだ完全には消化しきれていなく、まだまだ共に学んだ仲間とディスカッションをしたい気持ちで山々である。しかしこの心に残る問いが、今後、異なる分野の学びの中でも再度現れて、たびたび考えさせられるのだと思う。 したがって本報告書は、各機関や分野、課題について私の雑感を述べるのではなく、1週間全体を見通して考えた所感に留めたい。 1週間学びを続ける中で、「社会課題に対する地域のエンパワーメント」が、自分の中での共通したトピックであった。障害者、高齢者、移民、子供といった様々な社会的弱者とみられる人たちが直面する課題が存在し、それに対して政策レベル、現場レベルで対処しようとする人々と会話をし、目で見て、ディスカッションをすることで学ぶことができた。様々な施設を練り歩き、お話を聞くなかで、やはり外部者の私としてはその地域に関する知識不足、実情の把握不足から混乱することが多く、結局は表面的、構造的にしか学べないことを無意識に感じていた。第三者としての無力さをどうしようもなく感じるなか、野毛坂グローカルの車内での補足説明の中で、「月並みな表現にはなるが、結局は地域のやる気というものが核となる」の一言が心に深く残った。サラッと述べられていたし、至極当然のようには聞こえるかもしれないが、この地域のやる気というのは、スタディツアー参加前と比べて参加後では具体的にイメージできるようになった。課題に対して地域がコミットメントする、簡単にいえばやる気があるかどうかとは抽象的に見えるが、実は解決のための重要なポイントであると改めて認識した。一丸となって課題にコミットメントする思いがなければ、地域内で分裂するか、プロジェクトが続かないか、さらにはNPOやNGOの外部支援者にただ翻弄されて振出しに戻る可能性がある。一方で、地域のやる気次第では、主体的に活動することで、様々な制約や条件を乗り越えながら柔軟な考えが生まれ、その柔軟なアイデアは政策の枠を超え、実社会にフィットするものであり、インクルーシブ社会に到達できると考える。 印象的なのは、移民の子供たちに対する支援への反対意見である。大学での学びでは、開発VS地元住民など構図としてしか知らない現象が今目の前で起きた。彼らの主張はプロジェクトとは反するものであるが、地元住民の切実な願いであり、それらを蔑ろにして強引に事を進めては、将来的に必ず頓挫するか、反対する気持ちは増す一方である。つまり、プロジェクトが発起された以上は、反対意見、賛成意見含めてまず地域の中である程度の合意形成が必要だと思う。実際に、一部の地元住民は移民の子供支援には否定的だが、教師など現場の人々はもはや是非ではなく、どのように彼らを助け、包括していくかを課題としていた。既に地域という体のなかで考えに齟齬が生まれている点に疑問を感じる。特にこの移民の子供達支援プロジェクトは、第三者の支援が入っている。つまり外部者にも地域の思い、実情を強力に伝えるような一枚岩の協調関係と、自立への思いが必要なのではないかと考えさせられた。またスラム街の近くに建てられた学習センターに対する、NGOやNPO同士の衝突の話も印象的であった。NPO、NGOの間で課題に対してどのような考え、対処手段が最適か、どう連携するかは地域のために足並みをそろえているわけではない。どのように彼らと連携し利用するかは地域の意思次第であり、それによって、地域の課題が改善することもあれば、悪化することもある。これも同様に、強力な地域の主体性と自立に対するやる気が求められる。 反対に成功例として、JICA草の根技術協力である自治体ネットワークによるコミュニティベース高齢者ケアプロジェクト(SMART&STORNGプロジェクト)の一環である地域医療センターとラヨン県で実施されていた養蜂のコミュニティビジネスを考える。後者と比べて前者は規模が大きい、後者はあまり利益追求を考えていないなど違いはあるが、どちらも地域が一丸となり、意欲的に取り組んだ結果生まれた地域包括型であり自立して采井されているユニークなプロジェクト例だ。どちらも第三者である大学やNGO、自治体などが介入しているが、主体的に、自立的に(経済的にも意思決定においても)しているように見える。地域の課題に対するコミットメントは程度に差があるが、それがプロジェクト、ひいては持続性にも影響が出るだろう。それらの多種多様な地域をつなぎ、交流し、学び合うSMART&STRONGプロジェクトの重要性と有用性の真髄をやっと理解することができた。地域コミットメントが必要である現場と、すでに充実したコミットメントをしている現場の二箇所を見て比べることで、地域のやる気が何をもたらすのか、具体的にイメージすることができた。  1週間、ツアーの仲間とともに多角的な意見を交わし、自分が学んだ事柄や経験だけでなく、その思考プロセスも参加前と参加後では大きく成長したと思う。日本にいただけでは出会えないような人たちと、課題について、人生について、キャリアについて、些細なことから意見交換ができた。今後も本ツアーでの経験は、人生においてもかけがえのない貴重な経験となった。 もちろん簡単なツアーではなく、社会に向き合い、自分に向き合う非常に濃い一週間であった。自分がこのツアーから何を学び、どう生かすことができるのか、現時点で明確にわかることはないほど、あまりにも多くの経験と考え事を持ち帰ることとなった。もしかしたら10年後、20年後にこの時の経験の意味を発見するかもしれない。 1週間で多くの人と出会い、刺激を受ける毎日でした。無知の学生をお忙しい中温かく出迎えてくれた訪問先のすべての方々、どの方も私たちの質問に対し丁寧に答えてくださったことを心から感謝申し上げます。この時の経験をただの記憶として形骸化させずに学び続けること、そして積極的にアクションを起こすことが、私たち、ひいては若者の役目だと思います。改めまして、ありがとうございました。

  

 

草野詩織 早稲田大学4年
今回のスタディツアーでは、社会的弱者のエンパワメントがキーワードのひとつでした。エンパワメントとは、当事者のコミュニティが主体となり障壁をなくしていくという考え方です。 例えば、今回訪問したアジア太平洋障害者センター(APCD)では障害者の方がスタッフとして働いておられ、ラヨン県タップマー市のコミュニティビジネスは、高齢者夫婦が定年退職の時間を使い自らはじめられた養蜂が地域の高齢者へ広まったものでした。障害者・高齢者・移民などの社会的弱者にあたる方々が主体となると、コミットする可能性が社会的弱者ではない人よりも高く、エンパワメントが成功する割合が高いそうです。実際に施設を訪問してみても、例えばパタヤ レデンプトリスト障害者技術専門学校では車椅子の生徒さん同士が助け合いながら移動をしていました。パトムタニ県プンイトー市のスマートストロング事業における高齢者センターでは若々しくパワフルな高齢者の方々に出会い、社会的弱者の方々が活発に活動されている様子が感じられました。 一方、スタディツアー期間中のディスカッションで何度か参加者の学生から意見が出されたのですが、どのような場合でもコミュニティに入ることのできない人は存在します。障害者の方の間でも、それぞれの障害や思想によって理想とする社会は異なるうえ、現実的には障害の重度に関わらず全ての人に教育を提供するにはまだまだ多くの壁があるのです。高齢者センターにも地域の全ての高齢者が訪れているわけではないですし、地域で差別を受けている移民コミュニティの中にも風俗サービスを提供する移民コミュニティ内で立場の弱い女性がいるといいます。コミュニティとして一括りにされる集団の意見は必ずしも一致しません。当たり前かもしれませんが、見えにくく醜さすらある部分は初めて会う日本の学生があっさり教えていただけるものではありませんでした。 スタディツアーの間毎日行っていた振り返りで私は、結婚や移住によりコミュニティのメンバーになることこそコミュニティ支援の最たるものではないかと記述したことがあります。机上の空論に近い極論のつもりで書いたのですが、スタディツアーを終えてみて案外的を得ていたかもしれないと思いました。今回様々な団体・コミュニティを訪問させていただき強く感じたことは、外部からの支援の構造的限界です。構造的限界とは、主語の限界と持続の限界です。 主語の限界とは、外部の支援者は基本的に「我々」として発言することができないということです。外部者があるコミュニティの課題を述べるとき、多くの人は「彼らの課題は」と話し始めるでしょう。外部者がコミュニティの課題を探るとき、まずは村長などの幹部にあたる人から話を聞くことが多いそうです。村長が村の総意として「我々」の意見を述べても、全ての村人が村長と全く同じ考えであるはずがありません。しかし、村についてほとんど知らない外部者は村長の発言を村の全てとして受け取ってしまう危険性があります。つまり、外部者は客観的な視点からしかコミュニティをみることができないため、幹部や有力な発言権のある「彼ら」の意見を唯一の真実であるかのように感じてしまうのです。 持続の限界とは、外部の支援が永久に続くことは難しいということです。まずは意志の継続という観点で考えたいと思います。外部者がコミュニティに対して働きかける場合、いくら強い想いをもっていたとしても生涯をかけることは簡単ではありません。コミュニティに所属する内部者であれば、世代を超えて意志を継いでいくことも可能かもしれません。しかし外部者の場合、子や孫はコミュニティとは関係がないので、自分と同じような想いを持ってコミュニティに携わる可能性は低いでしょう。組織の後輩に引き継ぐにも、後輩には後輩の想いがあるかもしれません。外部者は、想いを次の代に継承することがとても難しくなるのではないでしょうか。 想いがある外部者であっても、支援内容が持続的でないと持続の限界はさらに早まります。スタディツアー中、次のようなお話を伺いました。移民が多く住むスラム地域で、親たちが資金を出し合い小学校の予備学校を設立しました。予備学校が軌道に乗ってきたころ、その地域にあるNGO団体が無償で通える小学校の予備学校を設立しました。すると、親達は授業料のかかる地域設立学校よりも無償のNGO設立学校に子供を通わせるようになりました。しかし、地域設立学校は将来もしNGOの支援する運営費が不足すると継続が難しくなることもありえます。NGO団体は一般的に彼らが設立した学校を永久に継続するつもりはないと思います。つまり、この地域の移民の子供への教育の生殺与奪の権はNGO団体に握られているのです。 タイ王国でエンパワメントについて学び感じたことは、主体の内部者移行が想像よりもずっと急を要するということです。障害者や高齢者、移民のような社会において少数派の人が声をあげられなくなったとき、彼らは本当の意味で社会的弱者になってしまうのではないでしょうか。スタディツアー初日に野毛坂グローカルが、「目指す理想は同じでもそれを実現するプロセスの違いで揉めることがある」と仰られました。外部の人間たちが勝手に揉めて勝手に決めたプロセスよりも、自分たちで話し合い納得して決めたプロセスで理想の社会を目指すことで、それぞれの地域に最もあった形が見つかるはずです。翻って私も、自分が所属している地域社会について考えさせられる機会が多くありました。自分は意見を言わずに文句ばかり言っていないか。少数派の意見を無視していないか。すべての人の暮らしやすさを、マジョリティの目線だけで目指しても理想は一生達成できないでしょう。これからの社会を担う世代として、だれもが声をあげられる、そして受け入れられる社会を目指していきたいと強く意識しました。 最後になりますが、訪問させていただきました皆さまを始めとする、スタディツアーに関わってくださった皆さまには大変お世話になりました。このような機会をいただきましたこと、心より感謝申し上げます。

  

 

峯本麻由 徳島大学医学博士課程1年
今回私は、唯一の社会人かつ、医師というバックグラウンドを持ちながらこのスタディツアーに参加させていただいた。今後の自分のキャリアとして、国際保健に携わりたいと思っていた私は、「社会人になってからは年に一度は海外に行く」と決めており、これまでにも医療ボランティアや熱帯医学を学ぶための感染症病院訪問などでミャンマーやカンボジア、フィリピンなどを訪れていた。2024年には米国の公衆衛生大学院を卒業し、帰国後臨床医として日本国内の病院で勤務する一方、国際協力のより現場に近い場所で「リアル」に触れたいと思っていた。そんな矢先に、野毛坂グローカルのスタディツアーの参加者募集のお知らせを募集締め切りギリギリにたまたま見かけ、晴れてツアーに参加することとなった。 2月の極寒の中日本を出発したが、ドンムアン空港に降り立った瞬間、太陽が燦々と輝く乾季のタイの光景が現れた。ツアーでは毎日何箇所も訪問し、沢山の人々に会い、怒涛のように時間が過ぎていったが、その中でも私が特に強く印象に残ったのは、SMART&STRONGプロジェクトという、野毛坂グローカルが携わっている自治体ネットワークによるコミュニティベース統合型高齢者ケアプロジェクトのためにパトムタニ県ブンイトー市を訪問したことである。ブンイトー市では、市立病院とデイケアセンター、高齢者活動センターなどが一体となって相互に協力関係を築きながら高齢者の健康を守っていくさまざまな取り組みを紹介していただいた。驚いたのは、このSMART&STRONGプロジェクトではどのように高齢者をサポートするかの具体案は提示せず、プロジェクトに参加する39の自治体が自分たちでどのような施策をしていくかを決定し、それを紹介しあい学び合ってているという点である。つまり、ブンイトー市の事例は一つの例にすぎないのだ。通常、何かのプロジェクトを推進しようとするには、一つのコミュニティでの成功事例を作り、それをモデルケースとして横展開していくケースが多いが、各々のコミュニティに個々の特性があるため、一つの事例をコピーして応用できるのか、以前から疑問に思っていた。その点でこの施策は大変理にかなっており、またこれが上手く機能するように各々の自治区同士が意見交換をできるよう、プロジェクト内では様々な工夫が散りばめられており、「このような方法があるのか」と驚いた。無論、このプロジェクトの説明はホームページにも紹介されているのだが、実際に自分の足を運んで現地のスタッフや、実際に施設を利用するタイの人々に触れ合うことで初めて納得のいく答えが得られたように思う。 また、今回のツアーをさらに意義深いものにしてくれたのは、このツアーのために集結した他の参加者たちである。私は社会人大学院生として参加したため、他の参加者は私より一回りも若い学部生であった(というよりも実際は、私が一回り年を取った参加者だったのだが)。日本では臨床医として勤務しているため、院内ではほぼ医療従事者としか関わることがない私にとって、教育や環境、政治など、様々なバックグラウンドの知識を持つ参加者と議論を重ねられる時間はまたとない経験であり、自分にはない柔軟かつまっすぐな意見にも多くを気付かされた。同時に、他の参加者より少し歳を重ねた世代として、また医師として、自分の感じたことを積極的に発表することこそが、私が彼らに少しでも役に立てることなのかもしれないとも思い、このツアーに参加するだけでなく、自分のアイデンティティを見出した気がした。 そして、このツアーがこれだけ学びあるものになっているのは他でもない、主催者であるである野毛坂グローカルさんの力が大きいと感じた。行く先行く先で、お会いする現地の人々のコメントに対して、国際協力で長年タイに携わってきた目線から丁寧な解説が必ずと言っていいほど付け加えられ、そこからさらに他の参加者たちと深掘っていく、そんな毎日を過ごした。今回の、1週間という限られた時間のなかで、初めてタイを訪問する私たちができる限り「リアル」を感じられるようさまざまな配慮をしてくださっていた。補完的な解説やコメント、投げかける疑問によって「今自分たちが触れているものはどういう意味を持っているのだろう」「自分の理解は本当に正しいのか」と、飲み込む前に一度立ち止まって考えてみる、そんな思考回路が育ったように思う。そしてその思考回路は、常識や文化が全く異なるもの同士が関わる国際協力においては必要不可欠なのではないかと感じている。 1週間の旅を経て、私は再び日本の病院の中で日々患者さんと向き合った日々を送っている。しかし、自分の勤務する病院の外でも、世界中に医療を必要としている人がいる。日本に帰った後も、そういった人々に思いを馳せることが多くなった今、私は次なる目標に向かって進むことを決めた。きっかけや前進するエネルギー、沢山の機会を与えてくれた、今回のツアーに関わってくださった全ての方々に御礼申し上げます。

  

 

藤原梨乃 早稲田大学法学部3年 
私は、今回のスタディツアーを通じて、タイだけに留まらず、世界と、特に現在急速に発展している東南アジア諸国と日本の間に、これまでの継承ではない新しい「助け合い方」を自分たちが創っていかなければいけないことを強く自覚した。そして、自分たちが、そのような助け合い方をつくっていく主体であるという自覚がこれまでの私のように、私たち20代の若者には足りていないことにとても危機感を抱いた。①新しい助け合い方を、②私たちがつくっていくという二つの視点から、この結論にいたるまでの経緯を述べたい。  スタディーツアーでは、前半に国連、障害局、タイアジア太平洋障害者センター、NHKアジア総局、民間企業、後半にNGO、JICA、自治体を訪問した。法整備支援という仕事に個人的な興味があり、その点法整備に携わるUNDPの佐藤弁護士のお話はとても興味深いと同時に、自分の根底にある「途上国支援」という概念は大きく変わることとなった。私は法整備支援に携わることを目的にこれまで法学部で学んできた一方で、法整備がカンボジアを代表する多くの国で進んできた話を耳にして、これから自分が法整備に対してできることがあるのか疑問に思うこともあった。他国の法整備に携わるのに、日本の法を学ぶことが本当に必要なのか、法整備を行う主体は日本である必要があるとすれば、日本の法律は進んでいるのかという疑問をぶつけることができた。お話の中で、「進んでいる・遅れているという考えはとても危険で、日本の法整備の背景や体系を踏まえ、日本が法整備に携わる可能性があるというだけで、日本が進んでいるから支援をしているという訳では必ずしもない」上に、「確かに多くの国で法整備は進んできていて、これからは新しい法整備支援のあり方を考えていかなければならない」とおっしゃっていたことがとても印象的だった。  似たような新しさは、NHKや民間企業でも実感した。日本の学校の教育では、東南アジアには途上国が多く、インフラが未整備で、教育や福祉制度も不十分だと教えられるが、急成長するタイではそのイメージは全く実態に沿っていない。その例として、タイでは少子高齢化が進んでいることが挙げられ、その対策については、同じ問題に直面する日本と共に考える取り組みがされているそうだ。このように共通課題を抱える日本とタイの関係においては、共助が重要であり、法整備同様に新しい関わり方を考える必要があると感じた。私企業では、タイの雇用事情については、タイ人が日本に稼ぎに来るという印象が強かったが、タイでの給料が上がった今ではタイ企業で働く日本人が急速に増えているという話があり、これまで習ってきたイメージは通用しないということを実感した。  さらに、今回見てきた中で、日本ではあまり一般的ではないが、必要な視点や、制度を目の当たりにし、一層両国間の共助の余地があると感じた。その一つとして、アジア太平洋障害者センターで伺った障害者の話が挙げられる。障害者の障害は、その身体にあるのではなく、社会にあるという考え方は私には斬新なものに思われた。表面的に「障がい者は害ではないから、害という文字を使うのはおかしい」という考え方が日本では広く広まっているが、その考えが世界での主流を無視した浅い考えである可能性は考えてこなかった。  もう一つの例として、法政策の弱点という視点について、タイのカオプラガム市の取り組みを例に挙げたい。この市では高齢者一人一人に住民カルテが作られ、認知症の人はリストバンドで管理されているそうだ。市が住宅改修に入ったある高齢女性は、自宅が洪水で崩壊しても自宅を離れたくないという希望したそうだが、女性を施設に避難させるのではなく、自宅の改修という方法を市が選択しており、一人一人に対してその人に必要な支援を行っていることがよくわかった。日本では、ある基準を設けて安全のため危険な場所から市民を遠ざける選択が取られがちなように感じる。リストバンドについても、社会で認知症の人を見守るには最適解であるはずだが、プライバシーの侵害の観点から日本では制度化されにくいために、実施が進んでいない。法を固めてしまうと、国や市が定めた基準で汲み取ることができない指標は無視されてしまう。こうした法整備の穴を、カオプラガム市の取り組みを通じて実感した。  最初に挙げたもう一つの点、「自分が」周りを変える主体となるという意識の重要性も今回のスタディツアーで得た重要な視点の一つである。様々な立場の人の話を聞く中で、行動の動き始めは、やはり市民の何かを変えたい、という意識から始まっているという共通点を見つけることができた。特に、自身がミャンマーからの移民でミャンマー人学校を運営している方がタイにいるミャンマー人のために自分ができることを考え行動している姿はとても印象に残った。また、カオプラガム市では、市民が自分が携わっている実感を感じることで、ますますよりよい市をつくりたいとエンパワーされる好循環が生まれていた。同じように今自分が生きているコミュニティも、そして広い目で見れば世界も、変えることができるのは自分たち一人一人しかいないということを改めて実感するきっかけとなった。その点、日本では、自分を含め自分たちが世界に関わっているという意識がとても低いことを痛感した。自治体が政策をうつ際に、意見収集が大事、とよく言うが、意見収集という感覚自体が奇妙かもしれない。当たり前に聞き慣れた言葉だが、なぜ意見を言う側と、収集する側に分かれているのか、初めて疑問を抱いた。  最後に、タイや、同じように過去のやり方が通用しない東南アジアの他の国との助け合うことができる可能性を、私の周りではそもそも知らない人が多いが、それはなぜなのか、NHKでの話を通じて考えた。ニュースでその国の「今」を見ない限り、国の印象は習った通りのままである。考えてみれば、日本の歴史やテレビニュースはどちらかというと欧米中心で、東南アジアが登場することは割合で見れば極めて少ないと思う。実際にNHKは東南アジア全体を1〜2人で取材しているそうで、日本人が関心を持つのは欧米や東アジアが中心で、関心に基づくトピックを取り上げるとさらに関心が薄れてしまう。そのような悪循環が存在していることに問題意識を感じた。まずは自分自身が、世界の国の「今」と、自分自身のコミュニティの実態を知って、新しいボーダレスな助け合い方を考える主体にならなければいけないと感じた。

 

 


石丸友那 筑波大学人間学群3年 
私は筑波大学人間学群障害科学類に所属し、障害や障害に関わる教育・心理・福祉・医療などの多領域から総合的に学んでいます。国際的な視野を持って学びを深めたいと思い、2024年4月に実施された野毛坂グローカル主催のタイへのスタディーツアーに参加しました。 ツアーでは、障害、貧困、コミュニティなど、ミクロからマクロまでの幅広い視点から、現場から政策レベルに至るまで学習しました。ここでは、特に印象に残った訪問先として、社会開発人間安全保障省障害者局、アジア太平洋障害者センター(APCD)、エイズ患者ホスピス、そしてロブリ県カオプラガム市での活動について触れたいと思います。 社会開発人間安全保障省障害者局では、「エンパワメント」というキーワードが強く印象に残りました。エンパワメントの重要性と、それを効果的に活動に結びつける必要性を学びました。 アジア太平洋障害者センター(APCD)では、「『障害』とは、社会に障壁があること」であるという考え方を再確認しました。障害を個人の機能の問題ではなく、社会や環境のあり方が原因であると捉えることが、すべての人が生きやすい社会を構築する上で重要であることを学びました。 エイズ患者ホスピスでは、「居場所」の大切さを強く感じました。過去には治療薬がなかったことや、薬が簡単に手に入らなかったため、毎日多くの人が亡くなったという事実を知りました。また、「自分の地域にいると差別を受けるからここへ来た」と語っていた入居者の言葉が心に残りました。共感し合える場所、人と関わり合える場所、そして安らぎと安心感を与えてくれる「居場所」の重要性を痛感しました。 カオプラガム市では、学生やボランティアと協力し、高齢者のいるすべての家庭の生活環境を把握し、支援が必要な人を発見して地域の人々と協力し、個々のニーズに応じた支援を提供する取り組みを行っていました。たとえば、寝たきりの男性を発見し、ボランティアと共同で支援やリハビリテーションを提供している事例や、地域社会全体で認知症の方を支援する取り組みなどです。これらの取り組みから日本も学び、日本に適した支援や政策を模索していくことが重要だと感じました。

  

 

片桐碧海 東京医科歯科大学博士課程2年
このスタディーツアーを通じて、訪問先での学びに加え、異なる視点や専門性を持つ参加者からも良い刺激を受け、交流や意見交換を通じて人として成長できたと感じています。 ツアー全体を通して有意義な時間を過ごすことができ、訪問先の方々や仲間たちなど、タイスタディーツアーに関わったすべての人に感謝しています。 私は、今後大学院進学を考えていますが、これからも学び続け、すべての人が共に生きる社会づくりに少しでも貢献したいと考えています。 今回のスタディーツアーでは、まずバンコク市内の名門チュラロンコン大学の寮に泊まることになっていた。観光街のすぐ近くであり、駅から降りた私たちは豪華な巨大モールの中を3つも通り抜け、さらに高級ホテル内も通って寮に向かった。途中、モールやホテルはチュラロンコン大学の傘下にあるとの説明があり、巨万の富を得ていることは想像に難くなかった。さらに、この観光街は西欧やアジア各国からの観光客と思しき人々であふれかえり、まるで渋谷のスクランブル交差点さながらの風景だった。途中近くのカフェを利用したこともあったが、1食40バーツ(約180円)で済ませることができる物価のなか、観光客を対象としたカフェではコーヒー1杯で70バーツ(約315円)ほどだった(それでも世界でまれに見る物価安のように思うが)。当然、このようなモールやカフェで働くスタッフは英語を話すことができる。チュラロンコン大学の寮でも、学生は英語を話せる。しかし、一歩観光街を離れれば、あるいは寮のスタッフは、英語を話せない人も多い。これだけでも社会格差を感じるが、今回のスタディーツアーでは非正規のゴミ分別場の集落を訪問する機会があった。強いゴミのにおいが立ちこめる一帯に家々が並び、通り抜けていくと肌感覚でテニスコート4面分はありそうな広場に大量のゴミが山積していて、人々があちらこちらで分別を行っていた。このような集落にも当然、村長がいる(公式に選任などあるかは分からないが)。ここで不思議な感覚を覚えるのは、タイ全体で見れば「低流階級」である人がいて、さらにその人をトップとしたコミュニティーが存在することである。では、この村長の下にはどんな人々がいるのだろうか。その一例としてお会いしたのは、ミャンマー人の家族である。30-40代と思われるお母さん、12歳の娘、1歳の娘の家に近所のおばさんと近所の子ども(いずれもミャンマー人)が遊びに来ていた。ここで衝撃を覚えたことは、12歳の娘が「私タイ語話せません」と言ったことである(これはタイ語だったが)。聞くと、この家族はもう10年近くタイに住んでいるとのことで、この娘も物心ついたときからタイに住んでいるのである。それでもタイ語が話せないということは、タイのコミュニティーと分断された生活を送っているということではないか。また、タイは全ての子ども(移民や不法滞在も含め)に公立学校への入学を許可している。しかし、この娘はこのような学校には通っていないということである。学校について聞いてみると、「NGOが近くまできて、授業してくれる」とのことだった。一瞬安堵するが、よくよく考えれば支援に依存した状態であり、いつ授業が受けられなくなるかも分からない。また、卒業資格を得られなければ進学もできず、就職も難しくなる。そんな娘の夢は、医師になること。夢の実現に必要なサポートは全然足りていない。そして、娘が「私タイ語話せません」と言ったことに対してさらに唖然としてしまうのは、タイ人である村長が、「学校に通って、もっとタイ語が上手くなればコミュニティー内にタイ人の友達ができるでしょう」と言ったことだ。逆ではないか、と思った。そして、10年近くこのコミュニティー内に住んでいるのにいまだにタイ語が話せないこと、タイ人の友人がいないこと、この背景に構造的問題があることが看過されていることにやるせなさを覚えた。 2015年に発表されたSDGsの目標は、「誰一人取り残さない」ことである。しかし、現実には取り残されている人がいる。今回のスタディーツアーでは、誰一人取り残さないためにタイ政府が尽力しているプロジェクトについて省庁で聞き、病院や家庭訪問に同行させてもらい、そして取り残されている事例についても目の当たりにすることができた。本音と建て前が存在する社会保障制度や国際協力において、自分の人生をかけて取り組まなければいけない課題は何処にあるのか、これからも考え続ける。