野毛坂グローカルでは、2026年2月下旬にタイへのスタディツアーを実施しました。
1)一般学生向けコース
2)医療、福祉関係学生コース
2つのコースがあり、1)一般学生向けコースが約1週間、2)がそれに続いて2日間の日程で実施します。
医療、福祉関係学生コースは医療系や福祉系の学生を主対象にしますが、関心がある人はそれ以外の学部でも参加可能です。
特徴として、政策レベルから地域の現場まで、幅広い視点で学ぶ——そんな体験ができるタイスタディツアー。国際機関、NGO、企業、自治体などを訪問し、社会課題に直面するリアルな現場に触れながら、国際協力やインクルーシブ社会のあり方について深く考えます。仲間と議論を重ね、自らの視野を広げる時間は、人生観さえ変える濃密な学びの時間になることを期待します。
世界と自分の未来を真剣に考えたいあなたに、ぜひ体験してほしいツアーです。
特徴:
・政策レベルからコミュニティまで学びます
・政府機関、メディア、企業など、幅広い分野を学べます
・少人数でリアルな現地課題を学べます
・国際協力経験が深いスタッフが同行します
・比較的安価に参加いただけます
#毎日朝夕に学習会、振り返り会、レポートがあるハードなツアーです。
自由時間はほとんどありませんので。観光旅行をする人はツアーの前後に行ってください。
#なぜタイなのか?
タイは、途上国といわれる国の中でもとてもユニークな国です。バンコクの最先端の都市開発やイノベーション・ハイテク産業への取り組み、いわゆる「先進国」に近い側面を持ちながら、一方で農村部や地域によっては「途上国」と呼ばれるような課題も色濃く残っています。このため、一度の訪問で両方の現実を比較しながら体験できる貴重な機会を得ることができます。
また、タイは急速な経済成長を遂げた一方で、高齢化の進展、環境問題、経済格差といった「成熟社会が直面する課題」にも直面しています。これらは日本を含む多くの国が抱えるテーマでもあり、タイでの学びは、これからの世界をどう考えるかに直結します。
多様な現場を自分の目で見て、直接話を聞き、ディスカッションすることによって、机上だけでは得られない「生きた知識」を体験してもらいたいと考えています。
実施報告:
募集コース・日程:
1)一般学生向けコース:2026年2月22日(日)から3月1日(日)まで
2)医療、福祉関係学生コース:上記に加え、3月4日(水)まで
※2月22日(日)夕方に現地集合となります。
(不安な方は参加者同士一緒の便で来タイをおすすめします)
※3月1日(日)、3月4日(水)それぞれ夜行便で帰国可能です。
※医療、福祉関係学生コースは医学部、看護学部やリハビリテーションなど医療系や福祉系の学生を主対象にしますが、関心がある人はそれ以外の学部でも参加可能です。
午前:中間報告会
午後:TEQ Company Limitted(医療機器会社)
参加者
岩井樹也 大阪大学 外国語学部(タイ語学科) 1年
齊藤心 創価大学 法学部 3年
鳥澤侑生 東京大学 修士課程(教育学) 1年
鈴木真菜 慶応大学 文学部 4年
高橋伽凛 明治学院大学 法学部1年
安達美佳 学習院大学 国際社会科学部 4年
木口和奏 学習院大学 国際社会科学部 3年
村上眞菜 岡山大学 薬学部 4年
松藤彩乃 国際教養大学 国際教養学部 3年
渡邊穂 国立看護大学校 看護学部 2年
小泉幹人 早稲田大学 国際教養学部 2年
荒池 歩 チュラロンコン大学 修士課程 2年
小山水咲 福祉(児童虐待予防)系ソーシャルビジネス企業勤務
なお、スタディツアーとは別にタイ出張に同行して補助業務を行う短期インターンシップも若干名募集しています。関心のある方はこちらを御覧ください。
◆自治体ネットワークによるコミュニティベース統合型高齢者ケアプロジェクト(SMART&STRONGプロジェクト)
https://smart-strong-project.org/
◆ミャンマーやカンボジアからタイへの移民労働者の子どもの就学促進プロジェクト
https://nogezaka-glocal.com/efa/
数名(最高8名)を予定
宿泊費:1泊平均4000円程度
タイ国内交通費(自己負担分):1日1000円程度
食費:1日1000円程度
旅行保険:3000円程度
その他個人的経費
(野毛坂グローカルは企画運営費、同行スタッフの経費、タイ国内交通費などを負担)
原則として下記のとおりです。
(合致しない方は相談ください)
(25歳以上の場合や社会人の場合は別途費用負担協力をお願いすることがあります。相談ください)
上記「原則」にあてはまらない人も相談ください。
#語学力などは問いません。
#観光旅行ではありません。朝や夜間もふり返り会などがあります。
(各自の観光などはスタディツアーの前後でお願いします)
主催者メッセージ:
参加報告書より
安達美佳 学習院大学 国際社会科学部4年
今回のスタディツアーに参加する約2年前に、私はバンコクに約1年間留学していました。また、今回のスタディツアーは私にとって大学生活最後の海外経験でもあり、その締めくくりとして参加することを決めました。留学中はチュラロンコン大学で学びながら、農村地域を訪問したり、国際機関を見学する機会もありました。タイでの生活や人々との関わりを通して、私はこの国に強い魅力を感じるようになり、帰国後も年に1度はタイを訪れるなど、継続的に関わりを持ってきました。そうした経験の中で、将来は日本とタイ、さらには世界をつなぐ架け橋のような役割を担えたらという漠然とした思いを抱くようになりました。しかし当時の経験を振り返ると、それらは主に「見て学ぶ」ことにとどまっていたと感じています。事前に十分な情報を調べたり、現地で聞いた話を深く考えたり、自分の考えを言語化して議論する機会は多くありませんでした。そのため、印象的な経験は多くあったものの、それらを問いとして持ち続けたり、自分の理解を更新したりするところまでは至っていなかったという思いが残っていました。今回のスタディツアーでは、同じタイという場所を訪れていても、単に現場を見るだけではなく、事前に調べ、現地で話を聞き、その内容をもとに考え、さらに振り返るという過程を経験することになりました。この違いは、タイに魅力を感じ続けてきた私にとって、これまでの経験を見直す機会となり、非常に大きな意味を持っていたと感じています。 1日目に訪問したJICAタイ事務所では、2年前の留学時に訪問した際とは全く異なる受け取り方をしている自分に気が付きました。前回は就職活動前で進路を模索する立場であり、組織のキャリアや働き方に強い関心を向けていました。しかし今回は大学卒業後の進路が決まっている状態で訪問したため、個人のキャリアよりも、タイにおけるJICAの活動の意義や、プロジェクトがどのように国づくりに関わっているのかという側面に意識が向いていました。同じ組織の説明を聞いていても、自分の立場が変わるだけで焦点の当て方が変わることに気が付き、物事の理解が常に自分の状況や関心に影響されていることを実感しました。また、日系企業関係者や研究者、国際機関で活動する方々の話を聞く中で、登壇者の多くがタイというフィールドを自ら選び、長い時間をかけて活動している姿勢に強く心を動かされました。しかし、この感動もまた「今の自分」の立場から生まれた解釈である可能性があります。限られた時間の講義や講演を通して、その人のキャリアや国際協力の実態を理解したと考えることはできないからです。私は常に自分の価値観や経験を通して話を受け取っており、そのことを自覚しないまま「理解した」と思い込んでしまう危うさがあると感じました。 2日目に訪問したイスラムコミュニティでは、ムスリムの子供がバンコク都立小学校に通う選択肢が広がっている現状を知ることができました。一方で、性教育の扱いについて特別な配慮がなされているという話を聞いたとき、私は一瞬疑問を抱きました。しかしその違和感は、日本の教育観や自分の価値観を基準にしたものだといえます。宗教的背景や行政との調整、コミュニティ内部での合意形成など、見えていない要素が多くあるにもかかわらず、私は短時間で判断を下しかけていました。この経験を通して、異文化理解とは他者を評価することではなく、自分の前提が揺さぶられる経験なのではないかと感じました。 スラム訪問は、特にその揺さぶりが大きかった経験です。現地ではゴミの回収や分別の作業が行われており、また長年同じ場所に住み続けている住民がいることを知りました。そこで私は「なぜ引っ越さないのか」という疑問を抱きましたが、その問い自体が私の価値観を前提にしていることに気が付きました。住環境の改善を優先するのが当然であるという発想は、コミュニティのつながりや職住近接といった生活の合理性を十分に想像できていない可能性が高いからです。短時間の訪問だけで当事者の生活を理解したとは言えず、私の解釈が実際の状況と異なっているとも感じました。スラム訪問は、貧困の現実を見せるためというよりも、自分の中にある「当然」や「正しさ」を問い直す経験だったのではないかと思います。 民間企業の訪問でも、自分の認知の偏りを感じました。医療機器小売企業であるTEQでは、知識不足を理由にほとんど問いを立てることができませんでした。しかし後から考えると、医療制度との関係や価格設定、流通構造など、問いを立てる視点は存在していたはずだと気が付きました。つまり私は、関心の低い分野に対して無意識に距離を置いていたのです。一方、読売新聞バンコク支局では多くの質問が浮かびましたが、その多くは報道の社会的役割よりも、駐在という働き方や個人のキャリアに関するものでした。この経験から、自分の問いが常に中立的であるわけではなく、関心や価値観によって方向づけられていることを実感しました。 その翌日に訪問したARCH2というJICA協力プロジェクト、ACAI、WHOといった組織では、民間企業とは異なる視点が必要であると感じました。特にARCH2というJICA協力プロジェクトの紹介で「技術協力が死語になりつつある」という話を聞いたとき、私はこれまで「日本の技術を海外に移転すること」が国際協力の中心だと考えていたことに気が付きました。しかし実際には制度構築や国際会議の開催など、より広い意味での協力が行われているという説明を受けました。ただし、この変化がどのような視点から語られているのか、また受け入れ国側からはどのように評価されているのかという点については十分に理解できていません。WHOでも同様に、世界基準を各国に適用するCountry workについて説明を受けましたが、それが実際に機能しているかをどのように判断するのかという疑問が残りました。 地域のコミュニティビジネスや活動の訪問では、私のイメージとの違いが印象的でした。訪問先の養蜂コミュニティや婦人会の活動は、単なる慈善活動ではなく、観光や販売を含むビジネスとして成立していました。私はコミュニティ活動を「地域の助け合い」に近いものとして想像していたため、その規模や組織性だけでなく、事業成立によって多くの利益を上げていることに驚きました。同時に、地域活動が継続していくためには、理念だけでなく経済的な持続性も重要であるという視点に気が付きました。一方で、活動が成功し利益を生むようになったとき、当初の理念がどのように変化するのかという疑問も生まれました。ただし、この疑問は短時間の訪問から生まれた仮説にすぎず、実際の運営の背景を十分に理解しているわけではないと思います。 最後にお話を聞いたFRY識字教室の訪問では、感情的に最も強い印象を受けました。識字教育を必要とする子どもや外国人労働者の存在、そして限られた資金の中で教育を続ける現場を見て、「誰かの強い意志や努力によって成り立っている活動」があることを実感しました。同時に、自分ができることは何なのかという問いが生まれました。しかし、この感情も一度の訪問による印象であり、活動の全体像を理解しているとは言えません。だからこそ、この経験を単なる感動で終わらせず、今後も考え続ける必要があると感じています。 今回のスタディツアーを振り返る中で、私が特に意識するようになったのは、「事実」と「解釈」を区別することの難しさです。現地で見た出来事や聞いた話は事実として存在するが、それをどのように理解するかは自分の価値観や経験に強く影響されます。私はしばしば事実を見た直後に、自分の価値観を通した解釈を重ねてしまっていました。もちろん解釈すること自体は避けられないですが、その解釈がどこまで事実に基づいているのか、別の見方があり得ないのかを考え続けることが重要であると感じました。 今回の経験を通して得た最大の学びは、現地で何を見たか以上に、「自分がどのように見ているのか」に気づくことでした。人は断片的な情報から全体を理解したように感じてしまうと思います。しかし、その理解は常に不完全であり、自分の認知の歪みに影響されている可能性があります。だからこそ、簡単に結論を出すのではなく、問いを持ち続ける姿勢が重要なのではないかと感じました。今回のスタディツアーは、答えを得る経験というよりも、自分の見方を問い直す経験でした。最後に、このスタディツアーを企画し、多くの訪問先との調整を行い、このような学びの機会を提供してくださった関係者の皆様に感謝を申し上げたいです。短期間ではありましたが、政策レベルの組織から地域の現場まで幅広い視点に触れることができた経験は、今後物事を考えていく上で大きな意味を持つと感じています。今回得た問いや違和感を一度きりの経験として終わらせるのではなく、これからも考え続けていきます。
小泉幹人 早稲田大学 国際教養学部 2年
今回のスタディツアーの学びの成果を整理することは非常に難しい。参加する前はタイの政策レベルからコミュニティまでを実際に見ることで、日本が持つ課題への具体的な改善策や自分の将来の方向性についても見えてくるのではないか、ということを期待していた。しかしスタディツアーを終えた今、多種多様な立場からの、異なる意見、どちらも正しいうえで相反している意見を聞き続けるにあたって、自分の頭は非常に混乱しているし、答えなんてないのだということだけが確かに突きつけられている感覚がある。そうした中でも、自分にとってある程度ツアーの全体を通して考え続けた視点、ツアーを終えてみて感じる自分の感覚があるので、それらに基づいてこの報告書を進めたいと思う。 1点目は、学習者としての特権性である。今回のスタディツアーで様々な場所を訪問するにあたって、学習者としての特権性を意識する機会が多かった。入院している患者さんがいる病院を訪問してその間近でお話を聞いたり、人々が生活をしている環境に飛び込む形でお話を伺ったりと、もし自分が相手の立場であれば不快だと感じるのではないだろうか、と思う機会は少なくなかった。私たちは学生としての立場をもとに、普段であれば簡単には立ち入ることのできない場所や状況にアクセスさせてもらった。その意味でも、今回のツアーは非常に大きな特権の上に成り立っているものでもあったのだと感じた。こうした特権を自覚することは、単に申し訳なさや居心地の悪さを感じることにとどまるべきものではなく、(もちろんそうした思いを持つこと、忘れないことで学ぶ際の自らの行動について考え、その場の身のふるまいに気を付けることは重要であるうえで)その後の自分の行動や姿勢にも関わらせていくべき観点なのだと私は思う。自分が見聞きしたことは、そこに暮らす人々の日常や現実の一部であり、それらの経験を単なる知識として終えるのではなく、そこで得た視点や問いを引き受け続けること、そして可能であればその場の人たちの協力で成り立っている学びの機会を、自分の将来の行動や社会への関わりの中で、社会に対して何らかの形で還元していくことが求められるのではないだろうか。それが特権性を持つ私たちにとって重要なことなのではないだろうか、とツアーを終えた今は感じている。 2点目は、批判的思考についてである。このツアーの中では繰り返しこの批判的思考についてのお話があった。例えば人の話を聞く、ということ一つとっても自分たちが見学して聞いている話はあくまでその立場と文脈から語られていることでしかないし、見ている場面も現実の一部でしかない、といったことである。しかし語りは完全な現実を教えてくれなくとも、完全な客観性を備えていなくとも、無意味というわけではない。語りはその人の現実の解釈の仕方についてを教えてくれるからである。私たちは現実の全体を知ることはできなくても、語られたことを通して、その人が、その立場が、何を重視し、どう社会について理解し、どう解釈したうえで行動しているか、ということを知ることができる。また最も重要なのは、そこに語る人がいる、ということである。たとえ一側面であったとしても、そこには語る人がいて、その立場がある。「誰ひとり取り残さない」ということを考えるにあたって、語られている内容如何にしてそこに人がいるというのは紛れもない事実であり、だからこそ無視することはできない。語られていることをそのまま受け取るのではなく、また客観性のない一部だからとして切り捨てることもない、その人の立場や状況、前提を照らし合わせ、その語りはどこから来ているのか、ということを考えながら聞く、ということが情報の取り入れ方、思考の態度において批判的なのだと気づくことができた。 3点目は、社会の主体性と制度の関係についてである。今回のスタディツアーを通して様々な事例を見る中で、社会を動かしているものは何なのか、という問いについて考える機会が多かった。もともと自分は、社会を動かしより良くしていく主体とは、まずその地域に暮らす人々であると考えていた。身近な問題を自分事として捉え、行動する人々や地域の積み重ねと集合が、結果として社会を形作っていくのではないかという考えである。実際に今回のツアーの中でも、コミュニティビジネスや地域の環境活動、あるいはサメットタイ町のボランティアの活動などを通して、金銭やサービスといった形だけではなく、それに加えた人と人との関係性こそが、連鎖的で持続的な相互の関係を生み、人々が自分たちの生活や関係性の中から課題を見出し、それに対して主体的に向き合っている姿を見ることができた。そこでは制度や政策からの出発点ではなく、人々の関係性やコミュニティの力が社会を支えているように感じられた。しかし同時に、ツアーの中では主体性だけでは社会課題を支えきれない場面も見た。FRYの活動では、「誰ひとり取り残さない」という理念を実現しようとする中で、制度的な支えが十分ではない状況の中、個人の強い使命感や自己犠牲によって活動が成り立っている場面も見られた。そこには深い尊敬を感じる一方で、本来社会全体で支えるべき役割が、限られた個人に依存してしまっているのではないかという疑問、一方限られたリソースの中で、どうしても制度では掬いきれない狭間があるという現実も感じた。またパタヤ市立病院では、ホームレスの人や支払い能力のない外国人の治療をめぐり、「誰ひとり取り残さない」という理念と、医療制度や財政の現実との間に強い剥離が存在していた。理念としては望ましいものであっても、それを制度としてどこまで社会が引き受けることができるのかという問題は常に存在するのだと感じた。制度がなければ支援は持続せず、主体性がなければ制度は形だけのものになってしまう。社会はこの両者の間の緊張関係の中で成り立っており、人々が主体として関わりながら、それを制度としてどのように支えていくのかという問いに向き合う必要性が常に存在しているのではないだろうか。 一週間を通して、自身の限られた視野や知識によって考えの及ばないこと、自分の考えすら浮かばないことが多くあり、またどれだけ学んだとしても終わりはなく、正解もないということが分かった。また自分自身の学びの姿勢としてもバイアスや価値観によって限りがあるのだなと自覚させられた。このスタディツアーを振り返ると、自分が得たものは明確な答えや解決策ではなく、むしろ問いそのものだったように思う。様々な立場から語られる意見や実践は、それぞれに一定の正しさを持ちながらも、ときに互いに矛盾し、結論を導くことはできなかった。しかし、その複雑さに向き合うことこそが学びの出発点なのではないかとも感じている。また、自分に目を向けてみると、私たちが社会について理解しようとする際には、自分自身のバイアスや情報の取捨選択を引き受ける必要があるのだと感じる。私たちは必ず自分の経験や知識、価値観の範囲の中で物事を理解している。そのため、完全に客観的な立場から社会を見ることはできない。しかしだからこそ、自分がどのような立場から世界を見ているのかを自覚し、どの情報を選び、どのように解釈しているのかという自分自身の判断を引き受けることが重要なのではないだろうか。社会について考えるということは、完全な答えを見つけることではなく、できる限り完全な答えを求めようとする姿勢を備えた上で、限界があるということを抱えたまま問い続け、そのうえで自分の立場に責任を持って決断する、ということなのだと思う。だからこそ他者と協働する必要があり、これから先も、今回の経験で得た問いを持ち続けながら、自分自身がどのような立場から社会を見ているのかを問い直し理解を更新しつつ、社会とどのように関わっていくのかを考え続けていきたいと思う。最後にはなりますが、このスタディツアーに関わってくださったすべての皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。
齊藤心 創価大学 法学部 3年
本スタディーツアーで国際機関からコミュニティまで多様な場所を訪問させていただき、沢山の気付きと学びを得させていただきました。最終報告として、学んだこと、考えたこと、今後の決意を共有させていただきます。 まず、スタディーツアー中の私のキーワードの1つは、事前ミーティングやツアー中でも繰り返しお話が合った「批判的思考力(クリティカルシンキング)」でした。具体的に指し示すのは「物事を多面的に理解すること」であり、その中には、訪問先で伺った内容は必ずしもその人の考えではなく立場や状況に影響されること、見聞きした事実は一つの側面に過ぎないと認識することも含まれます。このような批判的思考をスタディーツアーで意識するために行ったことは、見聞きしたことから感じたことを整理するだけでなく、もう一段深い問いを立てて考えることです。実際に、訪問後に行う参加者の方々との振り返りや毎夜の日報作成が鍛錬の場となったと考えます。訪問で感じたことや疑問を頭で整理し、言語化して人に伝えるまでの過程に難しさを抱くとともに、参加者の方の振り返りや日報に触発を受け、無意識の前提や相反する事象に揺さぶられる経験がありました。以下では、私が内容を構造的に捉えるために一段深い問いを立てる中で、感じたことを2点共有させていただきます。 1点目に、社会開発人間安全保障省高齢者局とチャチュンサオ県サメットタイ町生涯学習コミュニティセンターに訪問をさせていただいた際の気付きです。まず、高齢者局の政策担当者の皆様よりタイにおける高齢者政策についてご説明をいただいた際、高齢者のための雇用マッチングやリハビリテーションセンターの開設など、日本と似た政策があると漠然と感じました。しかし、振り返りの際に、一段掘り下げた質問を自身に問いかけると、制度的な構造は似ていても、背景となっている文脈が異なるという気付きに至りました。例として、なぜ高齢者が就業を望むのか、就業を望むにあたってどのような障壁があるのか等には、日本とタイで高齢者への経済的支援など異なる文脈があると考えます。この文脈に関する相違点は、高齢者政策の実施者である地方自治体を訪問した際により強く感じました。具体的に、「高齢者の活動には自治体からの送迎サービスがある」、「身体的介護は家族と訪問スタッフが行う」など、私の中で「介護サービスとは」と日本の事例を踏まえて無意識に前提としていたものが多くあることに気が付きました。また、奥井さんよりいただいた「介護離職は本当にマイナスなことなのか」「送迎は何のために行っているのか」という質問も、自身を揺さぶるものでした。この経験から、無意識にある前提を考え直す問いを立てて考えることが、その事象に本当の意味で向き合うための鍵となると推測しました。 2点目に、近隣国より移住してきた子ども及び勤労青年に対する識字教室での気づきです。お話を伺ったところ、タイに滞在する子どもは誰でも義務教育を受ける権利が法律として保障されているそうです。一方で、初等教育に入るためにタイ語を学ぶ必要がある子どもや、ミャンマー等をルーツとした勤労青年など、制度にはないけれども言語教育を必要とする方々が存在することも教えていただきました。そして、実際に教室に伺った際、休日にタイ語を学びに訪れる勤労青年の思いに応えるため、財政的困難に直面しながらも、スタッフの皆様のひたむきな献身によって活動が継続されていることを学びました。自分たちの取り組みが制度の狭間で取り残されている人たちのためであるという使命感から活動されている方々の姿を見て、率直に深い尊敬の意を感じました。同時に、団体が自己犠牲のもとに担っている現状に疑問を感じ、行政、NPO、勤労青年を取り巻く環境(雇用先会社や地域のコミュニティ)等の社会が一体となってアプローチしていく方途はないかと考えました。 私が考えたもう一つの点は、社会を良くする人はどのような人であるかということです。ツアーの事前課題として取り組んだ際は、「社会の全体像を捉えながら、熱量や姿勢を通して他者にも行動を促すことのできる人」と回答しましたが、この1週間で多様な形があることに気付かせていただいたと考えます。国際機関からコミュニティ活動までエリア的な範囲は様々でしたが、訪問する先々でお会いする方々は、自身のため、地域のため、社会のために個々の力を発揮しておられました。このことから、社会を良くしていく人の要件は、必ずしも公的な資格に限定されるのではなく、熱い思いや人とのつながり、向学心が要素となるのではないかと気が付きました。但し、持続的に活動するための資金の捻出など、経済的な側面が欠かせないことも同時に学びました。また、コミュニティビジネスを訪れた際には、より多くの人を巻き込んでいくために、活動をしたいという人がどのような工夫をしたら一緒に活動できるようになるかを考えることの重要性も強く感じました。 最後に、今回のスタディーツアーを通して新たな気付きや問いを得られたのは、支えてくださる多くの方の労力と真心あってのものであることを強く感じています。1週間で国際機関から地域コミュニティまで幅広い分野を学ぶことができるようコーディネートしてくださった野毛坂グローカルさんをはじめ、行く先々で貴重なお時間を割いて温かく歓迎し説明をしてくださった方々、意見を交わす中で新たな視点をくださった参加者の皆様など数えきれません。また、私たちの「見学・観察」という行為自体が、ある種の加害性を孕んでいたことを痛感しています。外部からの観察者が自身のことを対象者として見ている非対称性に、不快感を感じられたり、傷ついた思いをした方がいらっしゃったと思います。そのため、加害性を認識しつつ学ばせていただいた私には、単なる「新たな見聞の習得」に終わらせない責任があると考えます。具体的には、自身が当事者になり得ない課題に対しても、その背景にある構造的課題に関心を寄せ、問い続け、社会へと還元していくということだと言えます。他者の課題を構造的に捉えようとする姿勢において、多様な現場を訪問させていただいた本スタディーツアーは、自身の心を揺さぶるような経験であり、これからも問い続けるための出発点であると位置づけています。スタディーツアー内で見聞きしたことは物事の一側面ですが、膨大な内容や問いを消化できたとは未だ言い難いです。寧ろ、知らないことに溢れていること、前提を疑う中で生まれた問い、立場の違いによって相反する意見や答えを容易に見いだせない事象等、考え続けていく事柄に多く出会いました。だからこそ、今回の見聞した内容や感じた葛藤などの一つ一つをありのままに記録して残すことが自身に今できることだと考えます。そして、大学生として学問に励む現在、そして社会の構成員として働く際も、実際に出会う事象に対して無意識の前提を疑い、他者の思いに関心を寄せる自身でありたいです。そのために、本ツアーで得た問い続ける姿勢を持ちながら、自身の専門領域である公共政策から社会へと還元できるよう、まずは大学での学びに全力を尽くす決意です。本スタディーツアーにて関わっていただいた皆様に、心より感謝申し上げます。
木口和奏 学習院大学 国際社会科学部 3年
今回のスタディツアーを終えて、頭の中が整理できていないような、でも確かな熱量だけが残っている不思議な感覚でいます。正直に言えば、参加する前に期待していたこととは全く違う、いい意味での裏切りの連続でした。 当初、私は国際協力についてもっと学びたい、タイの政策から草の根の活動までを見て自分の意見を深めたい、そんなことを考えていました。しかし、ツアーで実際に現地の方の話を聞き、現場に触れるうちに、自分が無意識のうちに「自分や日本は助ける側、タイは助けられる側」という固定観念を持っていたことに気づかされました。そして、見聞きしたことに対してすぐに自分の答えを出そうとする姿勢も、それが正しいわけではないことに気づきました。 毎日、参加者同士で振り返りをする中で気づいたのは、客観的、当事者、政府、民間、コミュニティ…と視点を変えるほど、ひとつの事象にもこれだけ違う意見があるのか、ということです。政策からコミュニティまで訪問し、かつ参加者と意見を共有する中で、どんどん自分の考えがわからなくなっていきました。全員が納得できる正解なんて社会には存在しないのかもしれません。日系の新聞社を訪問した際、「情報の偏りを防ぐためにニュートラルな視点で語れる専門家を探す」という話をお聞きしました。このとき、「ニュートラルとは何だろう?」と、ふと疑問に思いました。たとえ記者が中立のつもりでも、受け取る側によって見え方は変わる。完全に偏りのない情報なんて存在しないのだとしたら、一部の情報だけで分かった気になって発信したり納得したりすることの危うさを、自分の中に刻んでおく必要があると感じました。このように、考えがより複雑になったことは、以前より多角的に物事を見ようとしている証拠であり、答えを急がず「問い」を持ち続けられるようになった自分自身の成長なのだと捉えています。 訪問先の中で特に忘れられないのが、スラムでの体験です。教材やメディアで見聞きしていた情報とは全く違う、匂いや雰囲気、住民の方々の表情を五感で感じ取りました。正直、足を踏み入れたときは怖さの方が大きくて、現実を受け入れられない自分がいました。しかし、住民の方々が語る兄弟のような結束や、その場所に抱く愛着に触れたとき、自分が勝手に「スラム=問題、減らすべきもの」というレッテルを貼っていたことに気づかされました。私たちが「支援」と呼ぶ行為が、実は彼らの安らぎや人との繋がりを奪っている可能性だってある。支援の形に正解はないし、そもそも自分たちが支援する立場にあると捉えていることや、正解を求めようとすること自体が傲慢なのだと思います。国際問題といわれることを「解決すべきこと」と疑いなく捉える危険性を、肌で感じた瞬間でした。現場から学ぶことは、単に知識を得ることではなく、自分の認識の偏りに気づかされる学び合いの体験なのだと痛感しました。 キャリアについての考え方も大きく変わりました。タイで働く方々の話をお聞きし、「キャリアは川下りと山登りの連続」という言葉が深く刺さりました。まずは川を下るための船(チャンス)を見つけ、そこで山登りをして頂上(目標)を目指す。キャリアはその繰り返しです。今から将来を絞り込みすぎず、もっと偶発的なチャンスに身を任せてみることが、後々の自分のキャリアや興味につながるのだと確信しました。また、女性の環境活動の現場で、活動を通じた収入が「目的」ではなく「手段」として健康や生活の質の向上につながっているのを知って、お金を稼ぐことに対する柔軟な捉え方を学びました。退職後もやりがいを得ながら活き活きと年を重ねる姿、そしてコミュニティ活動をより活発にしようとする熱意の素敵さを感じるとともに、人生の歩み方の多様性に希望を感じました。 最後に、一番心を動かされたのは「誰ひとり取り残さない」という問いへの向き合い方です。何をやっても誰かを取り残してしまう可能性はある。でも、だからといって何もしないことが一番避けるべきこと。最終日に現地のNPOの方がおっしゃっていた「自己犠牲までは求めないけど、社会に関心を持って、できることをやってみてほしい」という言葉が、今の私を勇気づけてくれています。支援の大きさに正解はないのだから、その時々で自分にできることを行動に移したい。そして、現場や周りの支援から学びながら自分の行動を変えていけばいい。そう思えるようになりました。 タイという場所、そこで出会った人々のホスピタリティ。すべてが本当に温かくて、すぐにまた戻りたいと思える場所になりました。ハードなスケジュールで自分の考えも分からなくなるほど悩みましたが、これほど有意義であっという間な時間は初めてでした。このツアーでの気づきを、自分の言葉で周りの人に伝えていきたいですし、間違いなくこれからの私の活動の励みになります。主催してくださった野毛坂グローカル、参加者の皆さん、本当にありがとうございました。
小山水咲 福祉(児童虐待予防)系ソーシャルビジネス企業勤務
◆ツアーを通して タイ在住の日本の方からの視点やキャリアを通してタイを知る→バンコクで見る聞く感じる→もう一回違う角度で知る(企業やメディア目線)→アセアン・世界横断視点で知る→タイの地方を見る聞く感じる→場所やコミュニティを変えて見る聞く感じる→ラップアップ「タイと日本の架け橋」とは・・こんな感じで人・場所・目線を毎日変えて「タイ」という国を、そして自分を、他者を、問い続け考え続ける1週間だった。 期間中はさまざまな問いが出た。事象ごとに細かく「なぜ〇〇はこうなんだろう」「持続性とは」といったことはもちろん、「ケアは面倒なものなのか」「そのルールは何を守ってるか」「一見不条理に見える状況がなくなると困る人はいるか」といった、自分か各個人が当たり前のように思っている「常識」「認知」も再考する時間となった。さらに、何かを見たり聞いたりするたび「なぜあなたがそこに関わるのか」「あなたは誰なのか」といったことも問われている気がした。 今回あらゆるところに行き、たくさんの方にお話しを伺ったが、特に最終日にタイのNGO主催のミャンマー人向け識字教室を見た時に、それまで感じたことのないなんとも言えない気持ちになった。政策や現場あらゆる点から見るという今回のツアーのテーマがあったが、まさに生きるための教育、生きるための活動といった現場がそこにあった。主催の方への敬意や、生活するための言語という場のエネルギーや年月の積み重ね、そしてそこにふらっと入ることへのためらいなどももちろんあったと思うのだが、それ以上のまだ言語化できていない感情が残っている。 もちろん今回の訪問は短時間かつ1つの場面であり、この感情自体も、私自身の価値観や認知から生まれている可能性がある。でも自分は次の日には帰国して自分の「日常生活」に戻り、この1週間日本で仕事をして、家族と生活をしていた。世界は繋がっているはずなのに、なんというか切り取られた体験や消費にならないようにどうしていくのか、もちろん自分に何かすぐやろう・できるというのもエゴだが、考える日々を送っている。 ◆タイという国 改めて魅力的かつ多面的な国であると感じた。今まで外国人として旅行でしか行ったことがないため、その範囲で行けるところしか行ったことがなかった。言語や文化を好んで継続的に触れてきたが、今回この短い期間だけでも、都市と地方自治体、多民族共生、宗教や国をまたぐこと、ASEANの中での立ち位置など、様々な面に触れ、まだまだ全く消化ができていない。そしてそこに日本人としてどう関わるかもまだ決めきれていない。でも関わっていきたいと思っている。 ◆自身について 「子供を連れてきたらどうですか。子供は広い意味のdisabilityの最たるものです」初めて奥井さんとオンラインで話した時に、この言葉をかけられ、このツアーの学びがもう始まっていると感じた。 学部時代「結局教育が大事なのでは」とざっくり選んだ教育学と、最後に文化人類学に出会いつつ、研究テーマが決められずコロナもあり就職をしたこと、仕事も生活も楽しいが、特に産後は生活と仕事で24時間がとにかく進んでいたこと、そんな中で、数年前から読んでいたメルマガで見つけた思いがけないチャンスと仕事も家族も休みが取れる状況が突然きた。 結局今回は自分の時間・学びの時間を過ごすことを最優先にしたため、迷った末子供は連れて行かなかったけれど、当初「身軽でいれる自分」みたいなものを内面化していた部分もあったと今では思う。今回は本当に自分の思うように学んで見て感じて話すことができた贅沢な時間・自分のために使う時間であった。改めてその楽しさと、私にとっては一市民としての生活も自分の学びもセットだと今回感じたので、今後は気軽に連れ出すことも、余白を大事にすることも繰り返していきたい。 個人に焦点をあてると、かねてから自分に対して少し懐疑的に思っていた自分が「世のため人のため」と思っている考えはどこから来るか、例えば宗教か?といったことも改めて考えた。そして周りのメンバーや行く先々で様々な方のお話しを聞いたり、自分のことを話したりしながら、この10年くらいの学生時代の思い出と社会人生活の日々を思った。荒いながらも積み重ねを感じると共に、「専門性かジェネラリストか」という何となく抱えていたモヤモヤに対しても、専門性も追い求めるが、ジェネラリストでいいじゃないとも少し思えた。めちゃくちゃ基本だが、人として関わる上での笑顔や言語を使ってみることの重要性も感じた。不必要な自信のなさが減り、まだまだだが継続的に積み重ねようという健全な気持ちにもなった。 ◆今後の興味・残された課題 「誰1人取り残さない」という言葉は近年よく聞くようになったが、自分の教育課程ではまだそこまで強調されていなかったからか、実はあまり深く考えたことがなかった。また、「社会的弱者」という概念についてもまだまだ深く考えていないということに改めて気づいた。今目の前で取り組んでいる「子供」「子供を取り巻く大人」について、社会の中の「ケア」「家族」のあり方、「福祉」や「人間らしさ」と「IT」や「仕組み化」の掛け合わせについては、改めて国内に閉じないテーマであると思う。今回改めて「タイ」「アセアン」への興味や「学び合い」という観点を知ったことにより、ますます今後深めていきたいテーマとなった。 「ツイントラック」この言葉も何度も出てきた。当事者と政策どちらからのアプローチも必要ということについて、今回少しだけ触れてみて、まだどう考えて実行に落としたら良いのか全く分からないがその重要性や概念を知った。そして政策や仕組みがあって、現場や生活があって、現場や現実をうめる架け橋のような人がいる、そのことを少しでも知れたことが学びだった。まだテーマを絞りきれていないが、少し時間をかけてまず子供が小学校に上がるまでに、修士を取ろうと思っている。 ◆最後に 変かもしれないが初日から各メンバーに何ともなく名前の由来を聞いてた。気づいたら全然関係ない文脈で自分の名前の由来を教えてくれる人が出てきたし、何人かに私の子供の由来まで聞かれていたし、ついでに最後から2日目の夜に奥井さんからお嬢さんの名前の由来の話しまで出てきた時は驚いた。そんなことを話したくなるような時間、そんなツアーなんだと思う。 奥井さんがあらゆる方や場所のアレンジからフィードバックまで、おそろしく労力(過去の積み重ね含め)をかけていただいたありがたさと重みを感じている。(もちろん学生と一緒なことでの発見や知らないことを聞ける機会になることもあると思うが、それを差し引いてもすごく大きいものをいただいた)。 そして、タイで時間を割いて話してくださった多くの方々、話していなくても生活に少し足を踏み入れさせてくださった多くの方がいらっしゃった。すぐに何かができるわけではないがこのことの重みもすごく感じている。 また、同じ時間を共にしたメンバーは、その人生の一部を見せてくれたり、色々なものの見方を教えてくれて、本当に楽しくて魅力的な人たちだった。自分のこともみなさんのこともタイのことも知ってるし、でもほんの一部しか知らないし、これからまだまだ変わることも知っている。でもあの場で過ごした時間は本当に貴重な人生の一部となったと感じている。 また会ってたくさん話しましょう。 全てのみなさまへ、本当にありがとうございました。

