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2021年 第2回SDGs誰一人取り残さない小論文コンテスト 「入賞」作品全文

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【 入賞作品(17点)全文 】
(あいうえお順)

【入賞】明石十三(仮名) 琉球大学 学生
誰ひとり取り残さない医師を目指す
 この日も沖縄は暑かった。決して刺すような日差しが照りつける日ではなかったが、梅雨模様の沖縄はえらくじめじめしていた。ちょうど朝の回診を終えた頃だっただろうか。蝉の音に覆い被さるように一台の救急車のサイレンが私の鼓膜を揺らしたのだった。担当の救急医の後を追って小走りで患者の下に向かった。そこには青白い顔の中年男性が横たわっていた。おじいさんと言うには若いが、今思うと年齢の割には老けていた気がする。白髪が混じりで、無造作に髭が生えており、身なりは綺麗とはいえなかった。医師が男性の耳元で声をかけると、うっすら開いた目がわずかに動き、私にはかすかに頷いたように見えた。どうやら重篤な状態ではないようだ。そんな中、無駄のない動きで迅速な処置を行う医師や看護師の後ろで私がしていたことは、だだ見ることだけだった。

 私はこの病院で実習中の医学生である。実習といっても何の免許もないたかが学生のやれることはほとんどなく、基本は見学と患者さんとのコミニュケーションがやることの大半を占める。病院実習の経験が少なかった私にとって 、この日は忘れられない1日となった。
 複数の医療スタッフの話や電子カルテの情報からこの患者のことが少しずつ明らかになってきた。病院に到った主な要因は熱中症で、貧血や軽度の腎不全も呈していた。私が衝撃を受けたのは疾患ではなく、その患者を取り巻く生活環境や背景だ。この患者は新型コロナウイルスの影響で職を失い、近頃は職を探していたようだ。家族はなく、アパートで一人暮らしをしていて、貯金を切り崩しながらなんとか生活していた。エアコンを付けずに寝たところ朝になって体の異常に気づき、電話で近くの友人に相談した。その後、駆けつけた友人が救急車を呼んだらしい。友人が駆けつけたときにはかなり意識が混濁していたそうだ。
 病院には毎日色んな患者が訪れる。重症の人もいればそうでもない人もいる。しかし、共通している点もある。それは、医療資源にアクセスでき得る人々であるということだ。この患者はどうであろうか。たまたま起きた時に意識があって、たまたま電話した友人が救急車を呼んでくれたから命に関わることはなかったが、もし救急車を呼んでもらえなかったら、二度と目を覚ますことはなかったかもしれない。確かにこの患者は難病を患っているわけでもないし、身体的な障害があるわけでもない。しかし、毎週家族の付き添われて杖をつきながら外来を訪れる患者や、闘病中の病棟患者とは大きく違うところがあるように感じた。その感情はうまく言葉にできないし、無理に言葉にしようとすると本質を見失ってしまうかもしれない。ただ事実として言えることは、この患者が社会的に取り残された存在であったということだ。
 緊急事態宣言や度重なる自粛要請で、感染リスクの減少だけでなく社会的な孤立をも生み出した。この日私が感じたこと、それは医療従事者は医療機関に掛かれる人は救えるが、そうでない人には何もできず、そのような社会的に取り残された住民は思った以上に多く存在するということだ。したがって、この日から私は誰ひとり取り残さない医師を目指すことに決めた。従来の病院勤務の臨床医では到底不可能なそんな医師に。調べてみると日本ではあまり多くないが、世界的には家庭医というものが私の目指している医師像に近いらしい。家庭医とは地域をまるごと診る医師のことで、家庭医というアプローチならば社会から取り残された地域住民をも救うことができるかもしれない。しかし、ただ家庭医になるだけでは誰ひとり取り残さない街を作るのには不十分で、医療だけでなくさらに『街づくり』の要素が必要だと考える。なぜなら、地域包括ケアを行うには医師だけでなく様々な職種の方が手を組んでいく必要があり、制度作りや既存の制度の変更を行わなくてはならないからだ。それはもはや『街づくり』ではないだろうか。したがって私が目指すものは、誰ひとり取り残されない街作りであり、その手段として家庭医になろうと考えている。
 最後に私が現在、力を入れていることについて紹介する。私は家庭医療の考え方をもっと多くの人に知ってもらうために、日本プライマリ・ケア学会の学生部会という組織で家庭医療や総合診療の勉強会の企画運営を行う活動をしている。また、既に街づくりや家庭医療を行っている先生方のお話を聞いたり、自分が作りたい街像について相談したりして、自分が作りたい世界を言語化できるように努めている。このような活動を通して、いつか誰ひとり取り残されない街がいたるところにできれば、あなたの街はあなたにとってとても住み良い場所になっているだろう。

【入賞】安藤結香子 横浜国立大学 1年生
子どもに安全で心理的にも抑圧されることない環境を

 小さいころから自分は恵まれた生活を送っているという自覚がある。家に帰れば親がいて、待って入れば自分の分の食事が出て気が付いたら部屋がきれいになっていて、自分の時間を自分の好きなように使える環境に育った。小中高と私立の学校に通わせてもらって、自分のやりたい習い事を習わせてもらって、夏休みには海外に短期留学をさせてもらった。大学受験の時も予備校に通うお金をたくさん出してもらって、浪人したくないと私が言えば何校も大学に出願してもらった。私はいつも自分の進路を選ぶとき、色々な選択肢の中から自分が一番やりたいことを選んできた。私にはそれが普通で、当たり前だった。私と同い年の子は同じような生活をしていると思っていた。
 必ずしもそうではないと気が付いたのは中学3年生の時だった。その時仲良くなった友人と私は違っていた。私が当たり前だと思って受け取っている生活とは当たり前のものではないのだと気が付いた。その友人の父親は友人に対してとても威圧的だった。毎日怒鳴られたり、彼女を傷つけるようなことを言ったりするという。父親が浪費するせいで家にお金がないから冷房を付けられないと言っていたこともあった。彼女は良い大学に進学するように圧をかけられていたのに、予備校の授業料は出してもらえず友人が自分で払っていた。共通テストの受験料も払わないと言われていた。私が当たり前のように与えられていた環境は少しも当たり前ではなかった。
 別に彼女が恵まれていないわけではないと思う。私立の中高に通っていたし私と同じような金銭感覚だったから、世間でいう一般的な貧困には当てはまらないと思う。では彼女は貧しくないと言えるのだろうか。親が子供を搾取している典型的な例ではないだろうか。
 このような状況の子どものことは気付かれないままにされていることが多いのではないだろうか。親が子どものことを自分の好きなようにしていい存在だと思って搾取してしまうことは、どのような生活環境でも起こりうる。貧困状態の家庭のように家庭自体に目立つ問題があれば、その問題に行政なり民間の団体なりが介入した際に気付くかもしれない。しかし私の友人のように傍目から見れば、それなりに豊かな暮らしをしていれば問題がない家庭のように思われて気が付かれないまま大人になっていく。また、もし気が付かれても肝心の親自身が、しつけだから、親と子の問題だからと外部の介入を拒否したら何もできない。
 では、搾取されている子どもたちに、我慢しろと周りと同じ生活を送りたいなら自分自身で努力しろというべきなのだろうか。この状況をそのままにしておいて「誰ひとり残されない社会」を名乗っていいのだろうか。
 今の日本では今置かれている環境は自分の努力不足である、とされることが多い。しかし、大人によって左右され自己決定権も持たない子どもに努力しろということをいうのは大人としての責任を果たそうとしないただの怠慢だとしか思えない。私は、子どもはきちんと保護されるべき存在だと思っている。大人は自分の努力で変えられるものが多いが、子どもは大人による影響が大きくて自分ではどうにもできないことが多い。確かに大人でも知識がない、まともに教育を受けてない、というような問題のために生活に苦しむことが多い。しかし、その根幹にあるものも子どものころにきちんと守られず教育を受けさせてもらえなかったからだ。結局のところ子どもの頃が将来に与える影響が大きいのだと私は考えている。子どもを守り豊かな環境で育てる社会こそ「誰ひとり残されない社会」ではないだろうか。
 だからこそ、私は子どもが親や大人に搾取されることなく安全な状態で心理的にも抑圧されることなくのびのび育てるような環境を作れるようにしたい。まだ、私自身子どもで、社会のことも何もわかっていないから夢物語のように聞こえるかもしれない。私自身もどこかで私が作りたい世界を作るなんて無理かもしれないと思っている部分もある。でも、やってみなければわからない。自分に世界を変える力があると思ってないし、何ができるかなんてわからないけれど、それでもやるしかないと思っている。これが「誰ひとり残されない社会」を作るために私のやるべきことだと思っているから。

【入賞】五十嵐碧 横浜市立笹野台小学校5年生
一人ひとりのものさしの違いの尊重

 最近、色々な所で、SDGsが注目されています。小学校でも総合の時間に、世界のひんこん問題について話し合いをしたり、セロハンテープ会社のニチバンの方に環境にやさしいセロハンテープについて、解説をしてもらいました。学校やテレビなどで、SDGsという言葉を何回も聞いているので、なんとなくSDGsを理解しているような気もします。ですが、SDGsの原則とされる「誰一人取り残さない」について、あらためて考えてみると、本当にそれがどういうことなのか、疑問に思えてきました。
 人によって感じ方は違うと思いますが、「誰一人取り残さない」を例えると、私は青チームと赤チームを合体させて、紫チームにしてしまうようなイメージがあります。例えば、友達と遊ぶ時、私がしたいこと、友達がしたいことは、それぞれちがいます。私は大人数で遊ぶのがあまり得意ではありません。友達はよく遊びにさそってくれるのですが、けっきょく誰かと誰かがけんかをしたり、したい遊びができなかったりするので、一緒に遊ぶのを少しためらってしまいます。
 学校では「みんなが仲良くなれるように」と、クラス全員で遊ばなければならない日があります。もしかしたら、一人ぼっちでいる子がいないようにするためなのかもしれません。ですが私は、休み時間はゆっくり一人で本を読みたいのです。けれど、私の思いを伝えるチャンスもなく、けっきょく心の中がモヤモヤしたまま遊ぶことになります。みんなと同じことをすることも大事だけれど、一人一人がちがう好きなことをすることで、ほかの人の好きなことやこせいを知ることができると思います。そして一人一人の考えや、気持ちを伝えあうことも私は大切だと思います。
 もう一つ気になることがあります。それは、取り残されている、取り残されていないの基準点です。基準点は、人それぞれ違うと思います。
 私のように教室の中で一人で遊ぶのが好きな人もいれば、校庭で友達と一緒に遊ぶのが好きな人もいます。そして中には私のように一人で遊んでいる人を、取り残されていると感じる人もいるかもしれません。私の場合、好きで一人でいるので、取り残されているような感じはしません。むしろ、リラックスできて楽しみな時間です。一人一人にそれぞれのベストポジションがあり、楽しさ、いごごちの良さもちがいます。誰も、人の幸せを決まったものさしではかることはできません。そして自分だけのものさしで、人にベストポジションをおしつけることはしてはいけないと思います。それに、ほかの人のことを自分の同じものさしではかってばかりいると、自分のものさしの基準も、ベストポジションも、何が何だか分からなくなってしまうような気がします。
 「誰一人取り残さない」という考えは、見方によっては良くも悪くもなると感じます。大切なのは、そこがその人にとってのベストポジションであるかどうかではないでしょうか。人によっては時として、取り残されているように見えてしまうかもしれません。けれど、その人がどう思っているかが本当に大事なことです。自分だけのものさしで人をはからず、一人一人が、それぞれのものさしを大切にしていけたらと思います。

【入賞】金田陽莉 福山暁の星女子高等学校 3年生
「悩みを抱えている人の居場所を作りたい」という夢

みんなこの社会から“自分だけ”が取り残されることがないように、ぎゅっと力を込めながら毎日を必死に生きている。その中には沢山の悩みやストレス、苦しみがある。では今の社会で、私達はどこにその悩みを、その苦しみをぶつけたらいいのだろうか。現代に限らず人の本心や中身は心が読めでもしない限り、基本的にそう簡単にはわからない。でも最近は特にSNSの普及などで自分を偽ったり、うわべだけを飾って見せたり、その人の本当の姿を見るのが難しくなってきたように感じる。それがSNSの楽な良い部分でもあるが、それによって中身を見ようとする人も減ってきたのではないだろうか。少しSNSで悩みを打ち明ければ“メンヘラ”と言われ非難されてしまうくらいだ。親身になって悩みを聞いてくれる人もいるけれど多くの人は病みツイートなどをよくは思わないだろう。実際に私もただ可愛いなと思ってフォローしていた人がもしそのようなことを呟いていたらあ、こういう人だったんだ、、と避けてしまうかもしれない。でも、もしそれがただの病みツイートではなく誰かに助けて欲しくて勇気を出してしたその人のSOSだったら、、知らない人だったとしても私はそうやって無視したことを確実に後悔する。そうはいってもそのようなつぶやきがたくさん流れてくる今、それを判断するのは難しいし、もしできても自分から助けの手を差し伸べる人も少ないと思う。冒頭にも言ったように、みんなそれぞれの苦しい悩みやストレスを抱えている。だから、みんながみんな他人を助ける余裕があるわけでもない。ひとりひとり、ストレスの感じやすさも生きる環境も違うのにちょっと弱ってしまっただけで、歩みを止めてしまっただけで、この社会のスピードについていけてないと感じ、自分が“取り残されている”ように感じる人も少なくないはずだ。この社会の変化は目まぐるしく、一度取り残されたら一気に社会から振り落とされてしまう。実際に、多くの人がSDGsのような遠い未来の目標を見る余裕もなく明日の自分に頑張れ、というくらいのパワーしか残されていないのではないかと私は考える。だから、誰かが“取り残される”根本にはストレスが溜まりやすく吐き出しにくい社会があると思う。全員がそうだとは言わないが私自身がこの表面だけの社会に息苦しさを感じ、問題の大きさを強く感じている。
 私は多分HSPだ。ハイリーセンシティブパーソンと呼ばれるこれはあくまで病気ではなく生まれ持った性格的特性として「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」と定義されている。だからこそ病院で直す必要もないし、日常生活に大きな支障もない。そもそも本当にHSPなのかすらはっきりとはわからない。私の場合は心理学に興味があり、たまたまHSPの本に触れたときに自分に当てはまることが多く、今までの自分の悩みの元はここにあるんじゃないかと思ったのがきっかけだった。私は昔から自分に自信がなく、それを隠すために強く見せようとしていたこと、周りの環境の変化の影響などで、たまにふっと疲れてしまうことがあった。でも私よりももっと苦しい悩みを抱える人がたくさんいることも知っていたし、悩みに優劣なんてないといわれても私の今の生活環境でつらい、苦しいと弱さを見せるのは周りの人も暗くしてしまって私だけ周りの空気から置いていかれるのではないかとずっと怖くて誰にも相談できなかった。もうだめだ、と勇気を出してある先生に相談した時、私は悩みを話さなきゃという状況に居心地の悪さを感じ、相談したことを後悔した。そしてよりどん底に取り残された気がしていた。そんな時、私はフィリピンにボランティアに行く機会があり、子どもの家という場所で子どもたちのためにワーク活動をした。そこでの生活は日本とは比べ物にならないくらい不便だったけれどそれと同時におそらく人生で一番幸せな時間だった。なぜならそこには私が必要とされ、「居ていい空間」があったからだった。この経験から私は大きな夢を見つけた。「周りの誰にも言えない悩みを抱えている人の居場所を作りたい」という夢だ。相談を聞くのはもちろん、ただお話をしたり、ただそこにいるだけでもいい。いつ誰が来ても笑顔で迎え入れることができるコミュニティを作りたい。これは決して綺麗事ではなくて私自身がその空間が欲しいと、作りたいと思い、そしてたくさんの人にとって必要だと心から思ったのだ。
 誰かに相談するという行為は自分の弱さを見せることでとても勇気がいることだと思う。勇気を出してでも相談したいと思う相手や場所がないなら、その人はこの社会からぽつんとひとり取り残されたような気持ちになってしまう。本当はみんなが受け入れられるべきなのに、みんな必要とされるべきなのに、今の社会ではそれを知ることができる場所も機会もなくて、自らの居場所を自らの手で遠ざけている。“居場所”は当たり前にそこにあるものだけど自分の力で作ることもできる。そしてその居場所は自分がこの社会で“取り残されていない”と教えてくれる。居場所は決して相談所や病院ではない。治療してもらうのではなくて、他の人の力をもらって自分で元気になれる、人生にわくわくを与えてくれるものだと思う。私には世界全員をを笑顔にするほどの力はないけれど、いつか目の前の人が少し元気になってくれるような毎日の小さな幸せを提供できる居場所を作り、「ここがあなたがいていい場所だよ」と伝えたい。

【入賞】川西満葉 高校3年生
マイノリティのなかのマイノリティ

 「多様性」とても便利な言葉だ。「多様性を認めよう」こんな言葉を掲げれば誰もが多様性を「認める側」のマジョリティになれる。今の日本は、マジョリティが認めるマイノリティだけを認める社会だ。それは本当の「多様性を認める社会」なのだろうか。
 私はマイノリティだ。父子家庭で、一時保護されていた関係で児童相談所や児童養護施設にいた。女で父子家庭の私は、片親といわれるマイノリティ(取り残される人々)のなかでもマイノリティだ。つまり多数派には想定されていない少数派なのだ。学校では母親がいる前提での話をされるし、学校の進路説明会では友達の母親しか来ないから、父に「来ないで。」と伝える。男の給料は高いという理由で父子家庭への経済的支援は少ない。そんな私は大学へ行けるかも分からない。

 この私の体験だけで「日本」を語るなんておかしいかもしれない。でもこれが日本の現実だ。「多様性」ばかりに目を向けすぎて、マイノリティの中のマイノリティに目を向けなかったばかりに生まれた「社会に気づかれない少数派」だ。
 少数派はよくいろいろな名前を付けられカテゴライズされる。例えば「LGBTQ」と呼ばれる人々。性にはグラデーションがあるはずなのに、勝手にカテゴライズされる。もちろんこの言葉ができたことで自分の性自認に安心できた人もいるし、社会の性的マイノリティに対する認知が上がったことは言うまでもないだろう。でもそれにさえカテゴライズされない人たちは社会に認知してもらえない。赤だけをマイノリティと認める社会では、少しでもオレンジや黄色っぽい色は認めてもらえない。なんて都合のいい「多様性」なのだろうか。

 私はSDGsの「誰ひとり取り残さない」を達成するために提言したい。それは「自分を大切にするようにすべての人を大切にする」「マイノリティの中のマイノリティがいることを心に留める」の2つだ。
1つ目の「自分を大切にするようにすべての人を大切にする」これは「多様性を認めてあげる側」にならないということだ。「認めてあげる」これは多数派の怠慢だ。私たちは様々な場面で多数派になることがある。例えば、日本に住んでいれば「日本人」という面。両親がいるということ。しかし「多い」「少ない」というものは相対的なものであり、「少ない」があるから「多い」があるということ、「多数派は様々な少数派の上に成り立っている」ということを忘れてはならない。
 2つ目の「マイノリティの中のマイノリティがいることを心に留める」これはとても難しい。それは、この社会は「想像できるマイノリティ」にしか焦点を当てていないからだ。だから知ってほしい。この社会には、想定されていないばかりに取り残されている少数派がいるということを。

 こんなに「いい感じ」のことを言ってきた私だが、私も父子家庭になるまでは片親家庭の子どもの気持ちは分からなかった。もちろん両親がいたからってすべての家庭が幸せということではない。でも片親家庭特有の苦しみ、辛さまでは想像することはできなかった。友達に片親家庭であることを感づかれないように「父」と言わず「親」ということ。「母親」の話を振られた時には必死に話を作ること。そんな自分が嫌いだということ。体験して初めて知った。この時代、片親の家庭は増えてきている。それでも依然として私は少数派だ。

私は自分の原体験から「日本の相対的貧困に苦しむ子ども」を救うために子ども食堂と子どもをつなぐアプリの開発に取り組んでいる。現在の子ども食堂の運営は「子どもと食堂運営者」の信頼関係に依存しているところが多い。だからHPが更新されていない、連絡を取る方法が電話のみなど新規で利用したい人にとってはとても敷居が高い。私自身も一人暮らしをしていた時期に、人の暖かさに触れたくて子ども食堂を利用しようと色々調べたが前述のようにHPの更新が止まっていたりなどして本当に活動しているのかが分からず、怖くて利用できなかった。だから「子ども食堂」と「子ども」をつなぐアプリを開発し、「楽しくご飯が食べられる子ども」を1人でも増やしたい。この挑戦の中で私が譲れないこと。それは「すべての子どもをとにかく笑顔にすること」だ。自分が少数派の中の少数派であることに気づき感じたこの違和感を忘れないように。

 最後に「正欲」の冒頭部分を引用して終わる。
「多様性、という言葉が生んだものの一つに、おめでたさ、があると感じています。自分と違う存在を認めよう。(中略)清々しいほどのおめでたさでキラキラしている言葉です。これらは結局、マイノリティの中のマジョリティにしか当てはまらない言葉であり、話者が想像しうる “自分と違う”にしか向けられていない言葉です。想像を絶するほど理解しがたい、直視できないほど嫌悪感を抱き距離を置きたいと感じるものには、しっかり蓋をする。そんな人たちがよく使う言葉たちです。」

【入賞】木村ダウダ一真 聖学院中学1年
私たちの夢

we have a dreams
僕は見た目からいじめられることがあった。
なぜなら黒いからだ。
みんなとは肌の色が違うということを言われて初めて気がついた。
一度も疑問に思ったことがなかった。
人よりも日焼けしているだけだと思っていたからだ。
僕はそのことをだれにも伝えることができず、毎日苦しかった。
そのころ父の生まれ育った西アフリカにあるギニア共和国に行った。
日本で育った僕はギニアに着いたときタイムスリップをしたように感じた。
なぜなら電気や水がない生活や土でできた家がたくさんあったからだ。
朝から働きながら、兄弟の世話をしていた。
子どもたちは家族を助けるために遠く離れた場所まで水を汲みに行かなくてはいけない。
靴も履いていない、洋服も汚れていて破けていた。
僕はその時何かしたいと心では思ったがどうすれば助けることができるかわからなかった。
ギニアにいた2か月間みんなと一緒にサッカーをして遊んだり、ご飯を食べたり、テレビを見たり、日本では何気ない日々がギニアに来て特別な日になっていた。
僕はみんなの笑顔が嬉しかった。
言葉は通じなくても心は通じているとわかったからだ。

日本に戻って僕はギニアの人たちが毎日大変な生活をしているのに負けてはいられないと思った。そして2017年SDGsを知り僕にも何かできることがあると知った。
地域のごみ拾いやボランティア活動に参加するようになった。
出会い、つながり、未来へWe Aer Partners !をモットーに地域の中で学んで伝えるボランティアだ。
僕たちは、たくさんの人にSDGsを楽しく身近に感じてほしいと活動している。
自分の経験から人権や差別について考えるようになった。
誰一人取り残さないとは、誰もが夢をもてること、誰もが自由に発言できること、誰もが助ける助けられる立場であることだと僕は思う。

I have a dream とキング牧師が言ってから75年がたった今、キング牧師の夢はかなったのだろうか?命のビザ発行から80が過ぎた。
自分の立場や自分の危険を覚悟しながら、たくさんの人の命を助けることだけではなく、その人たちの未来も変えることができた杉原千畝さん。
今があるのは過去にたくさんの問題を解決してきた人たちが未来のために頑張ってきたからだ。今の世界はどうだろう?
人種差別や地球温暖化など数えきれない、たくさんの問題がある。
肌の色で白人、黒人と区別するのはおかしいと思う。
お金のためなら何でもして良いのだろか?
小さな虫や動物も同じで地球に住む大切な仲間である。
肌の色や国、性別や年齢など関係なく地球市民として暮らしていける未来を作っていきたい。僕はギニアに行ってから考えが変わった。
人と違うことは、いけないことではなく個性だということ。
人との違いを見つけるのではなく人の良いとこを見つけることができればきっと仲良くなれると思う。そして、もっとたくさんの人にギニアの良いところを知ってもらいたいと思う。

SDGsは人と人の未来をつなぐギアになっていて、みんなで力を合わせることで前に進んでいける。
そしてたくさんの人で一緒に動かすことで大きな力になりゴールまで進むことができる。
SNSが普及して誰もが自由に発言ができ、つながることができる時代になった。
一人の意見、思いに共感し解決できる問題もある。
だが指ひとつで相手を攻撃することもできる時代
僕たちは今何ができるのか 
誰もがオンリーワンでナンバーワンの世界に
we have a dreams

【入賞】木村美夕 東京女子大学 3年生
ジェンダーレスファッション

私はアパレルでアルバイトをしている。ボーイッシュな服装を好む私は普段から女の子らしいお洋服を着る機会が少なく、よく男性ものを着ている。そんな私はありがたいことに女性のお客様から「あなたのそのお洋服素敵ね、どこにあるのかしら」と声をかけていただいた。私は嬉しくなり上機嫌でお客様を私が着ている服が置いてあるメンズの売り場にご案内した。するとお客様が「え、これは女性もの?」と聞いてきたので、私は「いえ、男性ものです。ですがSサイズであればこのようにぴったり着用していただけますよ。」と答えた。するとその後衝撃的な一言が返ってきた。「女の子なのに男性ものを着ているの?男性ものなら遠慮しておきます。」
 私は一瞬頭が真っ白になった。「かしこまりました。申し訳ございません。」そう返すことで精一杯だった。その場はそれで終わったが数日間はどうしても納得がいかなかった。なぜ女性が男性ものを着てはいけないのか。一度でも素敵だと思った服をそんな理由で着ないのか。もったいない。それとも私が間違っているのか。色々な感情が自分の中でひしめき合った。今はジェンダーレスファッションが流行してきてそういった意見は少し耳にするくらい。「古いな~」と他人事のように思っていたが、自分を対象に言われるとかなり傷つくものだ。私はひどく落ち込んだ。そして悔しさのあまりジェンダーレスに関して世の中でどのくらい認知度があるのか調べてみたところ最近多くの学校で導入されているジェンダーレス制服に対する認知度は親世代が7割以上、子供世代が6割弱となっている。私は勝手に親世代の方がジェンダーレス制服に対して認知度が低いと考えていたため想定外の結果だった。
 私は大学で多文化共生や「多様性を認める」ということに関して学ぶ学科に所属していることから、それなりに理解があると思っていた。しかし今この文章を書きながらあることに気がついた。自分と違う考え方を持っている人に自分の考え方が理解されずモヤモヤしていた私。そして何も知らずに親世代はジェンダーレスに関して認知度が低いと思い込んでいた私。これは私自身全く「多様性を認める」ということができずに自らの意見を押し付けているだけではないか。無知が故に取り残されているのではないか。
 私は自分の頭の中にめまぐるしく湧いてくる考えや感情に戸惑った。なにが正解なのか、考えてみても一向に答えは出なかった。しかし答えが出るはずもない。自分の考えを理解して欲しいという感情、思い込み、モヤモヤ。どれも事実でありそれが多様性であるのだから。
 では世の中はどうだろう。私1人の頭の中ですらこんなにも多様な考え方や感情があるのだから世の中には更に多様な考え方や感情が存在し、ましてやその全てが異なることも当たり前だ。その中で私の様に「自分が間違っているのか」と感じたり「なぜ理解してもらえないのか」とモヤモヤしたり、「自分は取り残されているのか」と不安に思ったり、なにが正解かわからず悩む人も少なからずいるだろう。
 そんな人達に私はこの先情報を発信する立場に立ち、それこそが多様性であると伝えたい。異なる考え方があって当たり前、自分の考えを変える必要はないということをなにかしらの形で多くの人の目につく様に発信していきたい。
 しかし中には反社会的な考え方を持っている人達もいる。そう言った人達にも自らの考え方がありそれも多様性だ。しかし非人道的なことをしているのも事実。とても難しい問題である。ではどうするのが良いか。私は一方的に意見を述べて相手を変えようとするのではなく話し合い続けることが大切なのではないかと思う。とにかく長い時間をかけて持続的に話し合うことで変わることが多くあるだろう。そしてその様子を私は発信者の立場から1人でも多くの人の目に止まる様に発信し続ける。
 この様に異なる考え方を持つもの同士が対話し、発信するという方法は現代の情報社会において「誰ひとり取り残さない」ためには最善の策なのではないかと考える。そしてこう言ったSDGsを発信する側としてのスタートラインに立つためには自らの発言に責任が持つことができる人間にならなければならない。そのために私は残りの大学生活はもちろんのこと社会人になってからも学ぶ姿勢を忘れずに日々勉強し続ける人間になると決めた。

【入賞】小島久枝 Global Shapers Community Yokohama Hub(2021年横浜市立大学卒)
「家族」は本当に素晴らしいのか

「誰のおかげで生活できてると思ってるんだ」まだアルバイトもろくにできない中学生の私に父が言った言葉である。
 私は「家族は素晴らしいものだ」という概念が大嫌いだ。血が繋がっているだけで1番近い人間関係となり、一緒に住む中で傷つくことがあってもそれを耐えていかないといけない。

 こんなことを言うと私は社会から取り残されてしまいそうになると感じるが、それでも伝えたい。

 一般的に、社会において結婚し家族を持つことはおめでたいものとされる。だからこそ結婚式を行ったり皆がご祝儀を渡し、SNSでの投稿に「いいね」をする。ただそれは本当におめでたいものなのだろうか?産まれてから苦労する子どもも一定数いる中で私は快く首を縦に振ることができない。

 中学生の頃、父親が壁に穴を開けた。アルコールの過剰摂取によるものだった。誰の言うことも聞かず、母、弟、私に支離滅裂な暴言を吐き続けた。アルコール依存症の始まりだった。暴力こそ振るわないものの、私はどんどん自分を肯定することができなくなっていったし周りから褒められることに時には罪悪感を覚えた。幸い私の周りには似たような状況を抱えた同級生がおり、一緒に愚痴をこぼしながら乗り切った。

 ただ子どもが大人になっても、親との関係で悩まされることは往々にしてある。例えば、親から自分の預金を全額引き出されてしまっても警察は「家族内の問題だから」と言って調査をしてくれない。たとえ親が委任状を偽造して銀行に行っても証拠がない限り子どもにお金が返ってくることがない。また法律では、親族相盗例というものがあり、親族間で起こったことであれば窃盗罪及び横領罪で処罰されることはない。警察も法律も家族のことに関しては無干渉なのだ。それは家族内でそんなことが起こらないまたは起こっても家族だから話し合いで解決することができると思っているからなのだろうか。家族はそんなに「素晴らしい」ものなのだろうか?

 家族のことに関しては、SDGsの17の目標の中に当てはまるような項目があるわけではない。しかし私は「平和と公平を全ての人に」という持続可能な開発目標に関連があると考える。

 警察庁によれば,日本で起きている殺人事件(未遂を含む)のうち,2010年は52.3%で,2019年は54.3%が親族間によって起こっている。それでも、幼少期から共に過ごさなければいけない家族との関係やそれによって生じる問題を他者が干渉できないような社会というのはあまりにも持続可能な社会ではないかと思う。

 最後に、あなたが例え家族に恵まれていても、一度考えてみてほしい。家族は身近な「他者」なだけである。今後家族の関係について特別な法律を設けることなどしないでほしいし、家族で仲良くすることが「当たり前だ」などと強要されることのない社会になってほしいと心から願う。

【入賞】佐々木 優子 上智大学院博士前期課程1年
自分を責めないことが、支えあう社会をつくること

 “No one left behind (誰も取り残さない)”。持続可能な開発目標SDGsがこの理念とともに発表された時、私は深く感動し、この理念が達成されたらどれほど素晴らしい社会になるだろうと胸が躍りました。私自身自分の性格が嫌で世の中で取り残されてもいいとひねくれていた時期がありました。しかし、そんな私にも周りの人は優しく次のように声をかけてくれました。「人は支え合うものだから頼っていいんだよ。そのかわりあなたも他の人を助けてあげてね。」この約束を守るため、私を取り残さずに支えてくれた人たちに恩返しをするため、“誰も取り残さない世界”の実現のために全力を尽くそう。こう決意した私は大学生活をSDGsに関する学習と啓発に捧げました。“SDGs”と名の付く授業やセミナーには飛びつくように参加し、様々な問題について周りの学生と学び、意見を交換しあいました。解決困難な課題に対して無力感を感じることも多々ありましたが、仲間と懸命に学び合い、意見を交わし続けることで、こうした問題で苦しんでいる人を助けるために何か少しでもできることを見つけていこう、と闘志を燃やし活動を続けてきました。
 そんな活動家の私でしたが、コロナ禍で転機となる経験をしました。突然頭が働かなくなって会話や文字を読むことが困難になり、その日以来体調不良が続いて活動に参加できなくなりました。そして実家で親の看護を受けて心療内科への通院を始めました。突如病人となったその時、私は「誰も取り残さないために行動する人」から「取り残されないために支援が必要な人」に変わってしまったな、と自分が生きることで精一杯な日々で劣等感と罪悪感に苛まれました。「早く以前のように元気に動けるようになるためにはどうしたらいいのか。」というのが私の切実な悩みで、たくさんの方に相談に載って頂きました。その中で印象に残ったアドバイスは、「病を抱える自分を責めるのではなく、上手く病と付き合う生き方を考えること。」また、「自分を大事にしないと他人のことも大事にできないよ。」といったことでした。そこで気づいたことは、病によって変わってしまった自分を責めているということは、「取り残されないために支援が必要な人」のことに対して自分は優越感を持っていたということです。私は病を患ったためにできることが減り、精神的に不安定な時に周りの人に嫌な思いをさせてしまうようになってしまいました。しかし同時に病気で得たこともたくさんあります。苦しい時に支えの手を差し伸べてくれる人の有難さが身に染みて分かったこと、病気で苦しむ人に思いを馳せられるようになったこと。だから私は病気になって弱くなったのではありません。病と付き合いながら、必死に自分にできることに挑戦して生きています。私が今まで「取り残されないために支援が必要な人」と捉えてきた人たちも、困難な中で必死に生きている、強い方々だと思います。私はこの病の経験で、SDGsに取り組む原点となった大切な人の言葉、「人は支え合うものだから頼っていいんだよ。」をもう一度思い出し、誰も取り残さない世界の実現のためには、支援者と被支援者を区別するのではなく、皆がそれぞれの長所を生かして支え合う活動が必要だと学びました。
 精神疾患を持つ方から「周りに理解されず苦しい」という声をよく伺います。精神疾患について全く理解していない人は、不調で休んでいる人が怠けていると思ったり、症状が見えないために悩みを無視してしまうことがあるのかと思います。とはいえ、精神疾患の症状は多様で、経験した私でも精神疾患を持つ他の方の気持ちを理解することは難しいです。そのため私が思うことは、「私の病気の症状のことを理解しなくてもよいので、ありのままの私を受け入れてくれたら嬉しい。」ということです。例えば落ち込んで動けなくなってしまったとき、かわいそうとはと思われたくありません。同情するあまりその大切な人も辛い気持ちになってしまったら私は悲しいです。その代わり、例えば「好きなだけ泣いていいんだよ。」など自分を肯定する言葉をかけてもらえると安心することができます。精神疾患になって感じることは人それぞれなので違う意見の方もいると思いますが、私の思いを聞いて、目の前の人のありのままを温かく受け入れようとしてくれる人が増えたら、精神的に苦しむ人が取り残されない社会に近づくと私は期待します。
 ここまで自分の経験から精神疾患患者の立場で考えることを書かせて頂きましたが、誰一人取り残さない社会の建設というのは、それ以外の様々な障害や困難を抱える人も一緒にそれぞれの長所を生かして協力して行うものだと思います。弱みを労わるのではなく、苦しみを知っているからこそできることに励まし合って取り組んでいく。それが誰一人取り残さない社会の建設者の一人としての私の志です。

【入賞】座間耀永 青山学院中等部 3年生
「機会」があれば可能性が広がる

「機会を作る」

 私は、ひどく取り残されたという気持ちになったことがある。昨年、私は、大きな手術を受けなければならなかった。様々なサイトを検索するうちに、手術の失敗例も見てしまい、恐怖におびえた。術前の貯血(輸血準備のために自分の血を予め何度か抜いて貯めておく)で、気を失い、手術への恐怖は倍増。ICUに入る日数、術後のリハビリ計画。一体、何日学校を休むことになるんだろう。新学期、クラス替えはどうなるんだろう。このまま元の生活ができなかったらどうなるんだろう。長期欠席して、授業についていけなくなったらどうしよう。毎日が不安との闘いだった。しかし、院内感染が発生し、私は早期に退院となった。そのお陰で、家からオンラインで授業に参加できるようになった。この時の嬉しさはひとしおだった。取り残されていた気持ちから一気に解放され、心が軽くなった。オンライン授業という「機会」が私を救ってくれたのだ。

 だからこそ思う。この「機会を作る」ということが、取り残された人たちを救う道なのでは?と。

 私は小さい時からヨットを習っている。毎年、秋に交流レガッタがあるのだが、障害をもっているメンバーが集まっているヨットチームが一番強いのだ。小児麻痺で車椅子でお父さんとレースに出る子、ダウン症のチーム。彼らは本気で勝ちに来る。負けると全身で泣く。彼らは私たちと対等どころか、むしろ私たちをしのいでいる。障害があることで取り残されているというニュースを見ることもあるが、少なくとも彼らはヨットという「機会」があることで、取り残されてなんかいない。イキイキしているし、かっこいい。ヨットチームが彼らに「機会を作る」ことをしたからこそ、の結果である。

 別の「機会を作る」での成功例も目の当たりにしたことがある。私は、東日本大震災で被災した方々に教育クーポンを渡す団体の支援をしていた。きっかけは、日本に於いて、子供の7人に1人が貧困で教育機会を失っているというショッキングな記事にであったからだ。支援の関係で仙台に行った時、クーポン対象者のスピーチに打ちのめされた。彼らは社会的には、取り残された貧困の人たちと言われてクーポンを受給したのかもしれないが、その姿は誇りに満ちていた。教育クーポンのお陰で、大学に進んだ人や福祉の道に進んだ人、多くの夢を語っている姿に私は感動をした。ここでも、クーポンという「機会」により、彼らは取り残されなかったと思う。

 つまり、適切な「機会を作る」ということが、取り残された人を救うことなのではないだろうか。さて、では、どうやって?

 自分でできることを考えてみた。自分はどんな「機会を作る」ことができるのか?先日、私は、生理の貧困という記事をみたことがきっかけで、スピーチを作った。そのスピーチが入賞し、you tubeで配信されることになった。もしそれを見てもらえば、生理の貧困について考える人や、行動してくれる人が増える。こうやって作文を書くことで、読む人がいれば、同意してくれた人と一緒に行動できる。私はちっぽけな中学生だが、文やスピーチで表現をしていくことはできる。共感してくれた人を巻き込むことができる。小さな行動を積み重ねて、「機会作る」という行動を継続していくことができる。そして、共感する仲間を増やしていくことができる。取り残された人達を取り残さない「機会を作る」。これに向けて私はこれからも行動をしていく。

【入賞】重松楓 横浜市立中沢小学校 6年生
「なくそう、いじめで取り残される人を」

「なくそう、いじめで取り残される人を」

私は小学校4年生の時にいじめにあいました。はじめは相手の子が転校生だったし、私だけと遊びたいのかと思って相手の子の意見をなるべく聞いてあげるようにしていました。でも私にも都合があるし遊びたいお友達も他にたくさんいたので何度か断ると相手の子の態度が変わっていきました。学校で仲の良いお友達とおしゃべりしていると相手の子が私たちの間に入って来て仲良しを連れて行ってコソコソ話を始めます。すると戻って来た仲良しの子の様子が必ず変な感じになりました。私の事を話していたのか?と聞いてもごまかしたり、あわてたりしました。それだけじゃなく、周りのお友達から私が言ってもいないことや、やってもいないことをやったのか?と聞かれることが多くなりました。だから私がやってないよと言うと周りの子は首をかしげて「おかしいな、、そうだって聞いたのに」という答えがいつも返ってきました。一番怖かったのは、昨日までふつうに仲良く遊んでいた仲良しが急に私と話さなくなったり無視したりすることでした。私の知らない所で何かがよくない方向に進んでいっている感じがして学校に行くのが嫌になりました。お母さんにも話して学校に相談してもらいました。いろいろな先生が注意をしてくれたけど、注意されても全く直りませんでした。クラスの中でいじめられると相手の子だけじゃなくて関係のない子たちもいっしょになっていじめます。だから私はクラスから1人だけ取り残された気分になりました。お母さんが学校に相談しても直らなくて半年以上だったので先生や相手のお父さんとお母さんと話し合いをしたのに副校長先生は全部相手のお父さんとお母さんの味方をしたそうです。私はその話を聞いてとても悲しくなりました。先生たちはいじめだから相手の子に注意していたのに副校長先生は違うんだなと思いました。いじめられる生徒よりもいじめる生徒の方が大事なんだなと思ったし、副校長先生はいじめられてつらい思いを一度もしたことがないんだなと思いました。相手の子もそうだけど、いじめをしている子の顔はいつも楽しそうです。ニヤニヤしながらいじめます。いじめられるのはとても辛いことなのに、いじめる事は楽しいんだと分かりました。だからいじめはなくならないと思いました。先生は周りの子に話を聞いたりしてくれたけれど中にはうそをついて相手の子に合わせた子もいました。きっと自分がいじめられるのがいやなんだと思います。だから私の言っている事とそこでちがいが出てしまって先生は何もしてくれない時もありました。
 私は自分がつらい思いをしたので私と同じような思いをする人を減らしたいです。いじめにあっている子を見つけたら相手の子を注意したり先生に見たまんまを正直に話したり、いじめられた子に寄りそって話を聞いてあげたりするだけでもいじめの数は減らせると思います。そしてまだ将来何になるか迷っているけれど、もし私が先生になったなら大人の知恵を使っていじめた子の本当の事をちゃんと話すようにさせたり、毎日の中でいじめは絶対にしてはいけないことで、私のクラスでいじめは許しませんという感じでクラスをまとめます。私のように夜ねるときに明日が来なければいいなと思いながらねる子を一人でも多く救いたいです。クラスや学校でいじめられてひとり楽しさから取り残される子をなくしたいです。

【入賞】杉本結香 大阪医科薬科大学 5年生
可哀そうと思うことによる偏見

「私、普通じゃないのかもしれない」
 そう強く感じたのは、18歳のときだ。大切な試験の最中、一瞬意識が飛んだのだ。
 思い起こせば、珍しいことではなかった。十分に睡眠を摂っても、午後の数学の授業でどうしても起きていられない。ふいに、眠気の波がぐわっと押し寄せてくる。来た、と思ったらもう間に合わない。波に飲まれて、あっという間に意識を預けてしまう。はっとして手元のノートを見ると、ぐちゃぐちゃの文字が散らばっている。またか、と落胆する。毎日この繰り返し。何度、友達に頼んでノートを見せてもらっただろう。「いつもごめんね」とヘラヘラ笑って謝った。その度に、まるで世界から取り残されているようだった。惨めだった。
 眠気のせいで勉強についていけないこと、乱れた文字を消しゴムで消す虚しさ、友達にノートを借りる申し訳なさ…全部苦しかった。でも、1番の苦しみは、周りにこの辛さを理解してもらえなかったことだ。家族、先生に相談しても、「居眠りする高校生はたくさんいるし、大袈裟に考え過ぎだよ」「勉強中に寝るなんて、気が緩んでるんじゃない?」といった答えばかり。友人には相談できなかった。同じことを言われるかもしれないと怖くなったからだ。次第に、私は「誰も理解してくれない」と諦めるようになった。
 19歳のとき、初めてボランティア活動をした。この経験が、私の意識を変えるきっかけになった。
 私の参加したボランティアは、東京進行性筋萎縮症協会(とうきんきょう)の宿泊研修旅行のお手伝いだ。とうきんきょうには、主に筋ジストロフィーの方々が所属しており、会員は皆、車椅子で生活している。彼らは毎年夏期に数日間の旅行を実施している。私はそれに付き添い、食事、入浴、排泄、寝返り等の介助をした。会員の中には、同年代の女の子がいた。彼女の脚は今にも折れそうなほど細く、私は思わずぎょっとした。彼女は私に、「私は歩いたことがないから、足の裏がすべすべなんだ。触ってみる?」と言った。恐る恐る触れ、滑らかな手触りに驚く私を見て、彼女は微笑んだ。つられて私も笑い、なぜか泣きたくなった。
 ボランティアを終えて、その理由が分かった。私も、彼女達を「可哀想だ」と決めつけていたことに気づいたからだ。「自力で歩くことも、身の回りのこともできないなんて可哀想だ」と思っていた。彼女の脚を見て動揺したとき、触れるのに躊躇ったとき、その滑らかさに驚いたとき、彼女が笑っていたのを思い出す。彼女は私の身勝手な気持ちを察して、笑い飛ばしてくれたのかもしれない。「私は、貴方が思ってるよりずっと幸せに過ごしているよ」と言われた気がした。もちろん、彼女達には想像を絶する大変さや苦しさがあるだろう。しかし、一緒に過ごし、言葉を交わしたとき、悲観的な様子は一切感じなかった。私だって決めつけられる辛さは嫌というほど味わったはずなのに、知らず知らずのうちに相手を傷つけていたのかもしれない。そんな自分が情けなくなった。
 それからは、普段当たり前だと思っていたことについても、深く考えるように心がけるようになった。すると、私の周りにはたくさんの偏見や思い込みが溢れていることを実感した。
 私は病院で治療を受け、薬を飲むことで、不自由ない生活を送れている。今では、大学で精神と睡眠の研究に取り組んでいる。睡眠の制御機構は、まだまだ分からないことだらけだ。しかし、「取り残された」経験をした私だからこそ、その辛さを力に変えたい。「誰一人取り残されない」社会を実現するなんて、気が遠くなりそうだ。でも、目の前のことから、精一杯やり切ろうと思う。

【入賞】林花音 神奈川県立多摩高等学校 第3学年
国籍でレッテルを張らないで

 私の曾祖父は、台湾人だ。だから私にも、台湾の血が流れている。「台湾人」と聞いて、日本人はどのような印象を持つだろうか。親日家など日本人にとって良い印象を持つ人もいれば、中国の人は気性が荒いとか、自己主張が強いとか悪い印象を持つ人もいるだろう。
 例えば、アジアのチームが参加して行われるサッカーの大会で、AFCチャンピオンズリーグという大会がある。その大会には、日本のプロサッカーチームからも毎年3、4チームが参加する。その大会中の試合でしばしば話題になるのが、中国や韓国の代表チームと日本の代表チームが対戦した時の、中国人や韓国人選手によるラフプレーやそれによる乱闘だ。そのような問題が起こるたびに、負けていたらラフプレーをする、すぐに乱闘になる、これだから中国(韓国)人は……というような内容の呟きがSNS上に溢れ返る。たとえ当該選手が謝罪をしたとしても、どうせ本当は申し訳ないと思っていないだろうとか、反省する気がないとかいう呟きが広がる。試合を観ていて同じ思いを持つ一方で、どこかで悲しさを感じてそっとスマホを置いた。ラフプレーをしたことは事実かもしれないが、このように、会ったこともなければ話したこともないであろう人を、国籍や人種で判断して悪く言う人がいる。だから私は、自分の曾祖父が台湾人であることは言わなかった。台湾の血が流れていると聞いて、相手は何を感じるだろうか。自分は気にしないけれど、相手は気にするかもしれない。そのことで相手と距離ができてしまったらと思うと、とてもそのリスクを冒す気にはなれなかった。
 日本人からそのような印象を持たれる韓国のチームから、私の応援しているサッカーチームに韓国人選手のキーパーが加入した。最初はすごく怖そうだと思った。でも私は、その選手がラフプレーをしたのは観たことがなく、また相手選手に掴みかかるのも観たことがない。不満があれば、時には味方選手を介しながら、必死に審判とコミュニケーションを取る。「頑張ってください」と声をかけたら、笑顔で「ありがとうございます」と日本語で返してくれる。日本人のチームメイトやチームのサポーター達から慕われる姿を見て、私の韓国のサッカー選手に対する印象は、180度変わった。韓国人と日本人というのは国籍上の区別があるだけで、心優しく常に冷静な韓国人選手もいるし、熱くなりやすい日本人選手もいる。
 国籍がどこにあろうと、どこの国の血が入っていようと、性格は人それぞれなのだ。現に私と弟は全く同じ先祖を持っているわけだが、私は負けず嫌いで周りを気にするタイプ、弟はマイペースで周りのことよりも自分の意見や考えを貫くタイプ。人との待ち合わせで、集合時間より5分も10分も早く行っておこう思う私と、ぴったり集合時間に集まる弟。結局考え方は人それぞれであり、「国民性」というのは確かに存在するのかもしれないが、それがその人の全てを表すわけではない。背が高い人もいれば低い人もいて、それを良いと思う人もいれば悪いと思う人もいるように、国籍や人種で人の善し悪しは一概に決められないと思う。
 だから私は、国籍や人種による先入観で人の印象を持つのではなく、実際に関わって、コミュニケーションを取る中で感じたことや気付いたことを大切にしたい。私のように他国の先祖を持っていることを隠したいと思う人にとっては、そのことに対して意見を伴わない小さな区別でも、大きな差別に感じられることがあるはずだ。そう感じさせないためにも、○○人だからという考え方は必要ないし、私たち1人1人が多様な社会を受け入れる必要がある。私は曾祖父に会ったことがなく、どのような人物だったかは分からない。けれども、曾祖父が台湾人であるということはこれまで、私にとって喜ばしいことだとは思えなかった。だから、家族以外の誰にもそのことは言わなかった。きっと私も、「台湾人」という考え方にとらわれていたのだと思う。しかしそれはひとつの個性であって、曾祖父が台湾人であるから苦労したということは一度もなく、またそのことで誰かに否定されたということもない。私は今、曾祖父のこともとても大切に思っている。

【入賞】森山ひかる 東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校 2年生
取り残さないためには第三者が必要

 誰ひとり取り残さない。この言葉は、多くの人に希望を与える言葉だと思う。
 ただ、現実的に見てみると、流行語大賞にノミネートされそうな、企業広告のキャッチフレーズになっている面も否めない。
 誰も、ひとりも取り残されないためにはどうしたらいいか。ましてやSDGsは、世界を対象にしている。私なりに考えてみた。
 こういう時は、小さな社会で考えるのがコツだと思う。自分のこれまでを振り返った。
 私が中学生だった時、イスラム教の先輩がいた。運動部に所属をしていたが、断食の時は体力的に練習もできないし、遠征に行って裏方をすることもない、ということを担任の先生と顧問に伝えていた。
 先生たちは食事やお祈りの事も含めて、非常に協力的だったので驚いた。
 どうしてそう思うか。それは、ここが日本であるからだ。日本にいる以上、日本の慣習に従うべきもの、という頭があった。宗教は各家庭の中と、せいぜい宗教色を強く出した学校で行われるもので、公の学校に持ち込むべきものではないと思うからだ。これを言い出すと、修学旅行で京都や奈良の寺院はだめです、とか、給食でこの料理はだめです、とか注文が多くなる。
 次に、部活動の公式試合は、みながこの日のために一生懸命練習を重ねてきている。断食だから行けない、という感覚がわからない。
 この小さなケースだけでも気持ちがばらばらなのだ。認めてほしい人、合わせてほしい人、新しい文化が融合できるように調整しようとしている人、さまざまである。
 その後この問題はどうなったかというと、各教室で先生たちがこれからの街はどうなっていくか、という話をしてくれた。その中で、今後さらに増えてくる外国人と未来については印象に残っている。その人が、日本にいて学んだことが、後々自国の問題解決のたねとなる国がある。一方、犯罪等の心配事も増える。いろいろな面があるが、自分の国に帰って、日本で学んだことを生かし、その国の発展に役立つことと、日本にいて少子高齢化で働き手が減少する中、この国で働き、この国の経済発展のために一役買ってくれる人、そういう人を育てる地盤を作ることが、これから大事だ。それは難しいときもあるが、まずは相手を認めて、自分の当たり前を押しつけないことだ、という話をしてくれた。
 私はこの話がストンと入った。というのも、ちょうどその前日くらいに、公民館であったことが原因となっている。私達のような子供がいるところで煙草を吸う高齢者がいた。煙そうな顔をしたら
「文句があるならお前たちが帰れ」
と言われた。みんなで使うはずの公民館で、なぜ私達が煙草高齢者のために帰らなければならないのか、非常に腹が立った。私はこの煙草高齢者のように、今、なってしまっている。
 誰ひとり取り残さないSDGsの行動をするにあたり、私は以下の三つがポイントとなると思う。
 一つ、当事者でない、協力者でもない、第三者が入ること。この役割はある時は保健室の先生のようだったり、通訳の人だったり職業や立場は様々だが、その問題に直接かかわらないが、だからこそ長く携わることになるだろうという人が必要だ。
 災害ボランティアも、表向きの報道ではわからないが、小さな衝突がある。この時、どちらの味方でもない人に話を聞いてもらえることは、心の維持には必要だ。人が集まれば微調整が必要になる。この微調整役の人がいるかいないかで、この先どうなっていくかの鍵となる。
 二つ目に全体像を知っている人がいること。一つ目の第三者の人が一番いいのかもしれない。地域で言えば郵便配達員や宅急便の配達の人。隣の人も詐欺師に見える昨今、なかなか心を開かない人が多いのは仕方がない。しかし、ちらっと見える中の様子やにおい、ベランダ様子、玄関前の様子でおかしい、ということに気が付く人がいるはずだ。どこにどのような人がいるか、あるか。全体を把握していなければ、取り残さないようにする人も見えてこない。
 最後に、話の面白い人がいること。これも第三者の人があてはまるとなお良い。相手の心を開き、ただ忖度なく話を聞いてくれ、また話をしてくれる人。例えば、貧困の人たちは貧困であることに関わらないでほしいと思っていたとする。そこに貧困を脱出しましょう、と強引に誘っても反発を招くだけだ。直接関わらない第三者だからこそ、心も開きやすいし、言いたいことも言いやすい。このような「スーパー第三者」がいる活動は、関わる人の関係を微調整し、本当の願いを吸い上げる、SDGs目標達成の実現に欠かせない人だと思う。

【入賞】山本百恵(仮名) 専門学校 1年生
テーマ:お金が理由で夢をあきらめた友人

児童養護施設で暮していたと聞いて、皆さんはどんなイメージを思い描きますか?
 かわいそう?さみしい?では、児童養護施設で現在暮している子供たちはどう思いますか?自分たちのことを。かわいそう?それとも全く別のこと?きっと人それぞれだと思います。
 私は「かわいそうな私」、「特別な私」、「不幸せな私」そう思って生きてきました。
児童養護施設で暮している子供たちはそれぞれ違った理由があって生活しています。
 みんなが絶対同じ、ということはありません。これはあくまで私の話、私の考えです。そして最後に、これは私の願いです。
 私は今生きている人生のほとんどの時間を児童養護施設で過ごしてきました。家族と暮らすことができなくて「かわいそうな私」は、「人とは違う体験をしている特別な私」だと思っていました。何をするにも、「かわいそう」と「特別」はセットでした。周りの人の目も、もちろん私自身も。
 私は私の失敗をいつも施設のせいにしました。施設で暮しているから、ルールに縛られているから。そう考えていました。そんな「かわいそうな私」を「普通の私」に変えたのは高校に入学してからのことでした。
 高校に入学すると今までとは比べ物にならないくらいたくさんお金がかかりました。制服や教材費だけでもとても高い値段だったのに、部活動でもたくさんのお金がかかりました。高校生になった私に、施設の先生は教えてくれました。「気にしなくていいとは言っても、当たり前に高校に行けて、当たり前に部活ができるのはほんとに幸せなことだからね。制服だって、全部新品でほんとに幸せなことだね。」その時私はハッとしました。何もかもうまくいかないのは施設で生活しているせいだと考えていたけれどいつもだれか本当は、施設で生活していたからどうにかなっていたと考えるのが正しいと気付かされました。思えば幼いころから目に見える人から見えない人まで、多くの方々に支援をしていただきました。事実、金銭的な問題から夢を諦めてしまう子供も多くいます。しかし、多くの方々や、たくさんの団体の方々が支えてくださり、児童養護施設から大学や専門学校への進学ができる人も増えました。その幸せを当たり前だと思い込み、自分はかわいそうだと思い込んでいた私はとても愚かだったと思います。
 そして月日は流れ、高校3年生の進路を決める時期になりました。私は専門学校への進学を決め着々と準備を進めていました。そんな時、1人の友達が浮かない顔をしていました。その友達はぽつりぽつりと自分の話をしてくれました。国公立大学で学びたい。でも親からはお金を出してもらえない。と。
それでも大学に合格するために必死で勉強をしていました。周りの人に何を言われても絶対にあきらめませんでした。塾のお金さえも自分のお小遣いで払っていました。そんな彼を心から尊敬していました。
 その日は給付型の奨学金の合否が出る日でした。彼は封を開けてとても悲しそうな顔をしました。結果は不採用でした。
 私は採用をいただくことができました。親の収入も、自分の収入も、貯金も存在しないからです。事実、私にはお金がありませんでした。では、彼にはお金があったのでしょうか。答えはいいえです。私は少し話をしてからすぐに、書類を机の中にしまいました。
 確かに私には進学をするためのお金も一人暮らしをするお金もありませんでした。けれどもそれは彼にとっても同じことでした。私はとても恥ずかしいような悔しいような気持になりました。正直、このお金を自分が手にしてもいいのかどうかも迷ったくらいでした。私はその時決意しました。そのお金をいただくからには人の倍以上努力することを。
 しかし、私の中ではいつまでたっても彼のことが頭から離れませんでした。あんなに頑張っていた彼がなぜそこまで苦労しないといけないのか、自分の中で納得できずにいました。それは今も変わりません。
 最後になりましたが、私には願いがあります。今、私と同じように施設で生活している皆さん。自分は不幸でかわいそうだと思っていませんか?でも世界やもしかしたらすぐ近くのお友達は今の生活や、もしかしたら今日の夜眠る場所さえもないくらい困っているかもしれません。自分がかわいそうだと思うことはやめましょう。大人になって社会に出たとき、今の自分の環境を言い訳することはできません。どんな環境に置かれていても、乗り越えられる力をみんな持っています。そしてどうか、周りをよく見てください。手を差し伸べてほしい人はたくさんいます。今までたくさん支援していただいた分、今度は私たちが手を差し伸べる番ではないでしょうか。
 大人の皆さん、手を差し伸べてほしい子供や、困っているのは施設にいる子供たちだけではありません。どうかすべての夢をかなえたい子供たち全員に平等に支援がいきわたりますように。

【入賞】横内爽 鹿児島県立開陽高等学校 3年
取り残されてきた経験があるからわかること

「誰ひとり取り残さない」というSDGsの基本理念は、これからの社会を作るうえで理想論だと言われても、私は絶対に必要な理念だ思います。私自身、母子家庭で育ち、中学時代は約二年間不登校だったので、「社会や福祉から取り残される」という感覚を味わった経験が多々あります。母子家庭や不登校であること自体が辛かったことはありませんが、母子家庭や不登校であることに起因する問題(家庭不和や貧富・教育の格差など)に苦しむことが多かったです。また、それらの問題を解決しようと努力することに対して周囲の人から「それぐらいのことは我慢するべきだ」と非難され、問題解決への道を塞がれることも辛かったです。
 私が初めて「社会に取り残される」感覚を覚えたのは、ニュースで見た「子どもシェルター」が自分の住む県にあるのか調べていたときのことでした。私の住む県はおろか、近隣の県にもないと知ったとき、静かに傷ついたことを覚えています。都会では当たり前に享受できる福祉サービスが、田舎では提供されていない。「福祉の手」が私には差し伸べられていないという事実を、当時の私は「助けてほしい」という気持ちさえも否定されたように感じ、とても悲しく、恨めしく思いました。
 今となっては、「子どもシェルター」が近くになければ、他の福祉サービス(民間・地域の相談窓口など)の利用を検討すればよいと分かりますが、当時の私には「正しい知識」も「自分に必要な正しい知識を得るための力」もありませんでした。自分が傷つけられていることは理解できても、自分の心と体を守る術がわからず、どうすることもできない状況は、とても無力で惨めでした。過去のこのような経験からも、私はSDGsの「誰ひとり取り残さない」という理念が、社会に広く深く浸透することを切望します。
 ここで改めて考えたいのは、「誰ひとり取り残さない」ためには結局のところ何が必要なのでしょうか。世界中の人が思いやりと優しさを持って生きていけば、「誰ひとり取り残さない」素晴らしい社会ができあがるのでしょうか。
 私は「誰ひとり取り残さない」社会を実現するのための足がかりとして、人権教育を充実させることが何より大切だと考えます。
 「より良い社会をつくろう」とした時、大抵の場合、今現在の社会で社会的に弱い立場になってしまう人を「どう支援するか」といった議論が頻繁に行われます。しかし、私は「どう支援するか」という議論は、根本的には意味が無いと思っています。
 もちろん今ある問題に対して対応策を議論することは大切なのですが、それ以上に、その問題の解決策を議論することの方が大切だと思うからです。
 私は現代社会で起こっている様々な問題は全て社会の人権意識の低さに起因するものだと思っています。戦争やジェノサイドといった大きな問題だけではなく、いじめや日常での性差別といった身近な問題も、全て原因は人権という概念の無理解が原因だと思います。また、様々な問題に対する支援が順当に進まないことも、支援を受けるべき状況下の人が正しく、自分の身に起こっている人権侵害を「人権侵害である」と認識できていないことに理由があるのではないかと私は考えています。支援を提供する人、支援を受ける人それぞれに正しい人権感覚が備わっていなければ、どんなに素晴らしい支援を考えついたとしても意味を成しません。
 社会全体の人権意識を「人権教育」によって高めることで、全ての問題が発生しなくなったり、全ての問題がたちまち解決するとは思いませんが、「誰ひとり取り残さない」社会に確実に近づくことができると思います。自分や他人の人権を正しく尊重するためには、人権についての「理解」がなければ何も始まりません。私は、幼い頃から日常的に人権という概念に触れる機会を増やすことが大切だと思います。

 

【入賞】吉田弥生 学習院女子高等科 3年生
犯罪再犯者への支援

私がSDGsの基本理念の視点から社会に提言したいことは「再犯者への支援による、誰一人取り残さない社会の実現」とそれによる「地方創生」だ。
 私は、法律への関心から時々裁判の傍聴を行っている。刑事裁判を傍聴すると、犯罪を通じて社会の問題が見えてくる。傍聴を重ねるにつれて再犯者の多さに気が付いた。法務省から発行されている「令和2年版犯罪白書」を読むと、年を追うことに犯罪者数全体が減っているにも関わらず、犯罪者数に占める再犯者率は年々上昇し、令和元年は48.8%と、実にその半分を占める。
 当初私は「何度も犯罪を犯すなんて。」と数値だけを見て、犯罪者側に問題意識を持っていた。しかしながらさらに詳しく調べると、再犯者率48.8%という数字には、貧困、医療福祉、家庭問題などの問題が複雑に絡まりあって現れた社会のひずみの結果だと分かった。刑事事件の中で最も再犯者率が高いのが窃盗であり、その割合は53.3%と突出している。さらに年齢別にみると65歳以上の高齢者が多くを占めること、そのほとんどが無職であることがわかる。
 「彼らは、取り残された人たちなのです。」
これは更生保護施設の方の言葉だ。日本では、一度失敗をするとやり直すことが難しい。いったん「犯罪者」としてのラベルを貼られると、定職につけない、家を借りられない、携帯が契約できない、クレジットカードが作れない、など多くの不利益を被る。セイフティネットであるはずの生活保護も、住所不定者には申請困難だ。そして仕事も住むところもない出所者は放浪し、生きるためにまた窃盗を犯し、刑務所に戻るという負のスパイラルに陥る。窃盗から累犯窃盗へ。各段に罪は重くなり、ますます社会復帰は遠のく。住むところも仕事も家族もいない刑務所の外でつらい思いをするのであれば、いっそ3食付いて屋根のある刑務所に戻りたい、刑務所に入ることを目的として罪を犯す者が出てくる。
 私は再犯防止には、司法と医療福祉、そして就業が三位一体となって支援することが大切だと考える。司法について、私は再犯防止に関わる多くの弁護士、保護司、協力雇用主に話を伺い、犯罪の一定割合は障碍や痴ほうによって悪意なく起きた結果であることに気が付いた。実際に刑務所に収監されていた方の話によると受刑者の40%は何らかの障害、痴ほう、窃盗症などを患っていると感じたという。本来福祉につながれるべき人々が、その真逆の刑務所にいるというのが現状だ。彼らは自身の犯した罪やその状況について、年齢や障害によりうまく言葉で説明できない、反省の態度を示せない、そして保護監督者がいないという理由で司法に理解されず、福祉施設ではなく刑務所に収監される。司法に携わる者が医療福祉の知識を持つことで適切な支援が行える。
 そして最後が仕事だ。私は出所者の就業方法として「農福連携等推進ビジョン」に注目している。これは刑務所出所者だけでなく、障害者等が農業分野で活躍することを通じ、自信や生きがいを持って社会参画を実現していく、農業と福祉を連携させた取組だ。これにより各地で福祉的な視点から農業が営まれているが、私はさらにそれを農産物収穫で終えるのではなく、その加工と販売にまで広げ、地域創生の一助としたい。刑務所の多くは地方にあり、保守的な地域においては「迷惑施設」だ。刑務所のある地域には、おそらく刑務所受け入れがたいとする人々もいる。こちらには丁寧な説明、そして自治体の積極的なサポートがかかせない。ある自治体は出所者を農業につなげるにあたり、刑務所にいる間から定期的に地域の人との交流を促し、出所後の就業基盤を築いていたという。出所者を地域農業と連携させ、その成果物を全国販売することにより、地域復興の足掛かりとする。PFI刑務所を誘致した自治体担当者は「刑務所は絶対になくならない、撤退もしない最後の地域振興策」だという。再犯者率が50%に迫る日本において、罪を犯した人を社会に受け入れ労働人口、消費人口を増やすことは、国にとって成長戦略だ。仕事を得、地域での活動基盤を得た者は再犯に至る可能性が低い。
 私は将来司法の道に進み、まずは福祉の知識を持って犯罪者の再犯防止活動に取り組みたい。そして農福連携をさらに推進し、刑務所の置かれている地域の振興に貢献する。1つ1つの更生の道は長い。しかしその1つでも成功ケースとなって、小さな積み重ねにより社会を変えていきたいと思う。犯罪者も含め、誰一人取り残されない社会、を目指して。

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