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優秀賞 作品 第3回 SDGs「誰ひとり取り残さない」小論文コンテスト

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優秀賞 作品 第3回 SDGs「誰ひとり取り残さない」小論文コンテスト

・木村留奈      京都薬科大学1年 優しさに救われない人に手を     

「ごめん」

父の話題になって、母子家庭であることを伝えると十中八九こう言われる。相手が同年代なら、場は静まる。やっと誰かが別の話題を振ると、みんなわざとらしく明るく振る舞う。相手が年上なら、お母さん頑張っていらっしゃるんだろうねなどと労われたり、気遣われたりする。きっとそれらは優しさなのだろう。でも、腫れ物のように扱われる私は、その優しさに触れる度、自分が社会に取り残されたマイノリティであることを痛感させられる。みんながくれる優しさでは、私は救われてこなかった。

 今時、片親家庭なんて珍しいものではないはずだ。それでも、社会はそこに対しての対応力が全くないと言っても過言ではない。それは私も含めた話だ。私も、同じ境遇にある人に母子家庭、または父子家庭だと言われた時、謝ってしまったことがある。なぜ、ごめんと言うのか、自分でも分からない。きっと、何を言っていいか分からないからだ。もっと気の利いたことが言えたのにと後で悔やむこともある。しかし、場をつなぐためだけに放ってしまった儚い一言は戻ってくることはなく、相手の心にちくりと刺さって、私が感じるのと同じような孤独感や息苦しさを相手に感じさせてしまったかもしれない。

 では、何と言えばいいのか。普通でいいのだろう。兄弟の有無を聞く気軽さで接していいはずだ。しかしそれが難しい。そんなことは分かっているのだ。正しく優しくあろうとすればするほど、普通を意識してしまう。普通を意識した途端、それは普通ではなくなっている。きっと社会は変わらない。優しさの流行は変わるだろうが本質はいつも同じだ。今は、ジェンダー問題や環境問題がブームだというだけだ。おそらく、私だけではないのだろう。親しい人との会話から、社交辞令、常套句に至るまで、私達は知らず知らずのうちに誰かを置き去りにするのだろう。優しさからかけた言葉に、違和感を感じるのだろう。私達は、常に誰かに取り残され、同時に誰かを取り残している。どんなに優しくあっても、これを失くすのは不可能だ。優しくあろうとすればするほど、空回りしてしまうものかもしれない。しかしそれでも、優しさが諸刃の剣であることを理解して発言するのと、せずに言うのとでは天と地ほどの差が生まれる。

 私達は理解せねばならない。取り残される孤独を。そして、同時に心に留めておかねばならない。あるところでは例え一人だとしても、またあるところでは、共感し、自分と同じだと思える誰かがいることを。私達は取り残し、残されるほどに、多くの人と繋がっているということを。そして、時に誰かに取り残され、時に誰かを取り残す私達一人ひとりは、同時に、取り残された誰かに、手を差し伸べられる人でいなければならない。

・荒巻優華      筑紫女学園大学2年      「人間」の本質 

私は、一人間として生きていきたいだけなのだが、人は「大学生は○○だ」、「普通は○○だ」と規定したがる。一体、どうして人はあらゆる他者をある一定の型に嵌め込もうとするのか。未知なる存在が恐ろしいのか。それとも、1人の人間として捉えるだけの眼を持っていないのであろうか。

 例えば、私の恋愛対象は、異性でも同性でもなく、「1人の人間」であるが、これを「LGBTQ +」等という便利な言葉で片付けて貰いたくはない。それは、規定によって、固定観念や先入観が生まれ、まっさらな状態で「人間自身」を見ることが出来なくなってしまうからである。(まだ誰にも公表してはいないが、人はこれを聞いて何と言うであろうか。恐らく、「変わり者」の一言で片付けられるであろう。若しくは、この種の話は、同級生のスタンスとして、「勝手にすれば」という無関心が多く見られる。これは、大学入学後の自己紹介の際の太平洋戦争に関わる話をした際と同様だ。)また、先生も授業の際の例えとして、流行のグループを挙げることがあり、「大学生なら分かるでしょう」という態度を取ってくる。あれもやめて頂きたい。学生だからといって流行を追う人間ばかりではない。このような例は枚挙に暇がなく、世間における、活字離れだ、政治への意識が低いdq、今流行りの○○だ、全てに当てはまりやしない。一体、「学生」、「若者」とは何を指すのだ。改めて申し上げよう。都合の良い人間像を作り上げるのは辞めろ。また、思考の異なる人間を「変わり者」呼ばわりしたり、狭い枠に閉じ込めるのはよしてくれ。その括りが人を苦しめ、当事者の居場所を喪失させる。

そもそも、どこかに当てはまっても、当てはまらなくても良いではないか。定義なんかいらない。1人1人が1人の人間として生きている。それではいけないのか。全ての垣根を壊して人間としてその人の偉業を讃え、愛することが出来る社会を!学歴も地位も性別も障害の有無も上下関係も…要素はその人を判断する条件にはなり得ない。ただ、世の中はどうしてその人が人間として懸命に生きる姿勢を讃えることができないのか。経歴を見て、「この人は○○だ。」と判断する人よ。あなたに判断する権利はない。関わった相手さえも本質を理解し得ないのに赤の他人であるあなたには理解出来まい。(私が履歴書を書きたくない理由もそこにある。)ただ、このまま人間が条件付きの愛や尊敬をしか持ち得ないのならば、この世における問題は何一つとして解決することはないであろう。(特に「○○を知っていて当たり前だ」「常識だ!」と吠え猛っている教授(教師)等は一刻も早くその職を退いてくれる事を望む。当たり前も常識も存在しない!)

・吉田桜 学習院女子中等科2年 社会福祉から、支援対象者を取り残さない社会
「なんでこんなにわかりづらいの!」

 ここ最近の母の口癖である。きっかけは祖母の入院だった。1年前、祖母が脳梗塞で倒れ、それをきっかけに高齢だった祖母は今も入院生活を続けている。祖父母は高齢者のみの単独世帯で、子どもや孫たちは遠方で暮らしている。よって祖母の入院や介護手続きは祖父が対応せざるを得ないのだが、パソコンやスマホを持たない祖父は情報を調べることができず、連日市役所・福祉事務所・病院をはしごし、それでも進まない手続きに、ついに疲れてさじを投げた。結果としてそれを引き継いだのが、母だ。突然降ってわいた介護手続きに母も翻弄され、日々耳にするのが冒頭の台詞だ。

 母の苦言の根拠を列挙すると、下記のとおりである。

・紙ものの原本申請が多すぎる。

・祖父母の家は遠方であるにも関わらず、手続きには直接提出、もしくは窓口まで話に行かないといけない。

・「福祉」とひとまとめに表現しても、手続き申請先が異なる。どんなサービスが受けられるのかも探さないとわからない。

・社会状況と行政や法律の定める規則にギャップが大きく、規則が障害となって現実的支援が受けられない。

 祖父母のおかれた状況は、現在の日本社会では決して特殊なものではない。内閣府発表令和3年版高齢社会白書によると、65歳以上の同居者がいる世帯は全世帯の49.4%であり、その中で高齢者夫婦のみの世帯は47.8%と半分近くを占める。この場合、夫婦片方に介護が必要となった場合、負担はもう片方が負う結果となり、祖父のように行政機関を右往左往する。この先もしも祖母が死亡したら、更に行政手続きは複雑なものになるだろう。「死後の手続き」というマニュアル本が売れているのも納得できる。

現在の日本社会では、行政支援が必要となる高齢になればなるほど、支援を受けるための手続きは身体的・能力的に困難となる。高齢者でなくても、母のように行政手続きは複雑でわかりにくい。本当に支援が必要とされる人々が、その煩雑さの為に支援を諦め、社会から取り残される状況に陥る。

 そこで私は考えた。介護とその周辺支援に関する、ワンストップサービスに対応できるスマートフォンのアプリを開発したい。このサービスを考え付いたきっかけは家族旅行計画だ。フライト予約アプリで手配すると、自動的にホテル手配を提案される。その次はレンタカー、現地レストラン予約など、フライト手配をきっかけに、アプリ側からサービスをプッシュ式で提案してくれる。こちらはただ配信を待って、そのサービスを利用するかどうか考えればいい。旅行のアプリにヒントを得て、介護支援についても、アプリで要介護者情報と自治体を入力すると、自動でその自治体の手続、介護用品、デイケア、保険手続、介護者への支援等プッシュ式に配信される仕組みを作りたい。

 この仕組みは介護をきっかけとして、社会課題を切り口に、出産、福祉なども同じようなサービスを展開したい。日本の福祉制度はその制度を知って申請しなければ、恩恵が受けられない不便さを感じる。支援が必要な人が、制度を知らない故に取り残されてしまいがちだ。介護に限らず福祉事業は、本当に必要な人に適切な支援を届けなければならない。アプリ開発により、支援が必要な人や家族が、「困っています」とに登録するだけで、誰でもどこにいても行政側からアプローチし、簡単に手続きが取れる仕組みづくりをすることで、福祉サービスの利用促進につなげたい。

・狭間智絵  明治大学情報コミュニケーション学部3年 「差別をしていない」あなたへ

中学生のとき、保健の授業で、LGBTQという言葉が出てきました。また、彼らを理解し支援する人々をAllyと呼ぶことを知りました。私は、自分はAllyになれるなと思いました。なぜなら、セクシャルマイノリティに対して差別的感情を抱いたことがなかったからです。

皆さんも、こう思っていませんか?「好きに性別は関係ない」「それぞれは自由に生きていい」「私は同性婚に反対しない」数年前の私もこのように思っていました。この考えはきっと立派です。誰かを排除しようとしない意識は本当に素晴らしいことです。

そして、数年後、私のその考えは打ち砕かれました。私は、LGBTQに対して理解があると思っていましたが、それは間違いでした。いや、一概に間違いではなかったのかもしれませんが、所詮は私の理解などまがい物だったのです。

 高校3年生のとき、私は同級生の女の子を好きになりました。それまで自分は異性愛者であると信じて疑ってこなかった私は、気持ちがぐちゃぐちゃになったのを覚えています。その子とずっと仲良くなりたくて、友人としてにしては不自然なほどにその子のことを考えていました。この気持ちが、まるで恋愛のようだと思った時、驚くほどしっくりきた私は、気が付いたその日はなんだかスッキリとした気持ちになりました。でも、だんだんと、薄暗い何かが私にのしかかるようになりました。当たり前のように繰り広げられる恋バナ、「彼氏」「結婚」というワード。私が普通に使ってきた言葉たちを聞くたびに、しんどい思いが強まりました。「この中で、誰が一番早くに結婚しそうかな?」いつもしていた話に、作り笑顔でついていくようになりました。「異性を惹きつける男受けメイク」楽しく観ていたYouTubeを、楽しく観ることができなくなりました。皆言います、LGBTQは受け入れられるべきだって。でも、実際の世の中は、私たちを取り残します。当たり前のように、存在をなかったことにします。そしてそれは私もです。差別感情は絶対に持っていないなどと思っていた私ですが、本当は沢山の罪を犯してきました。「〇ちゃんって彼氏いるの?」と、当たり前のように投げかけることは、同性愛者や両性愛者の存在を無視していました。「初恋はいつ?」この質問は、アセクシャルの人のことを想像できていませんでした。何気なく、当たり前のように使う言葉、起こす行動一つひとつが、いったいどれほどの人を傷つけ取り残してきたのだろう。だんだんと私は、自分が取り残されることより、これまでたくさんの人を取り残し傷つけてきた自分の言動を後悔し、過去の自分を恨み、苦しむようになりました。自分は、きっと善人であるなどと考えてきてしまったことが、恥ずかしくてたまらなくなりました。昔を思い返すたび、しんどくて、自分を許せなくて、生きることがつらくなりました。言葉を出すことが、怖くて怖くてたまらなくなりました。この文章も、誰かを取り残していないか、本当は怖くてたまりません。

 私が過去に、無意識とは言え人を取り残してきた事実は、残念ながら消すことができません。しかしそれでも、気が付くことができて良かったと、今では思っています。なにか言葉を紡ぐたび、想像するようになりました。「この言葉は、だれかを無視していないかな?」誰一人取り残さず、すべての人に配慮した言動をすることは、ハッキリ言って不可能であると思います。人の特性や考え、価値観は限りないものだからです。でも、それでも、「もしかしたら無意識に誰かを取り残しているかもしれない」。この意識を忘れずにいるだけで、きっと取り残してしまう人々を減らせると私は信じています。知らずに気が付かずに間違えてしまうこと、これは仕方がないです。しかしだからこそ、自分は大丈夫、差別していない、そう思う人こそ、一歩立ち止まって、振り返ってみませんか。「もしかしたら」の意識を持つことで、誰かにとってはもちろん、自分自身にとっても生きやすい世の中を、一緒に作っていきましょう。

・西田里奈      特別養護老人ホーム 福寿園       誰もが自分らしく生きられますように

先日、ある英語試験の面接委員を担当した。マニュアルに沿って受検者へMr.○○、Ms.○○と呼びかけ、試験を続けるうちに、ふと思った。わたしは何をもって、目の前の受検者を男性か女性か判断しているのだろう、と。髪の短さ?スカートを穿いているか?名前が男の人らしいか、女の人らしいか?

わたしの思い込みによって、本来の性別と正しくない呼びかけをしてしまってはいけない、と途中から受検者の回答用紙の性別欄を確認するようにした。これなら確実だ、と始めは思ったものの、次に、なぜ性別を申告してもらう必要があるのか、と疑問を感じた。もし、生まれてきた時の性別と、成長して感じている今の性自認が違う場合、受検者はどちらの性別に丸をつけるか、悩んだんじゃないだろうか。わたしにMr.だのMs.だのと呼びかけられることで、傷つけられたんじゃないだろうか。わたしとの面接はわずか10分だが、みんなの人生は続いていく。これから何度も性別に丸をつける機会があることが予測される。

過去にわたしの女性の友人が、自分はバイセクシュアルだ、と教えてくれた。驚きもあったが、わたしは本音で「人が出会える人数って限りがあるよ。両方の性別の人を好きになれるなんて、お得じゃない。素敵ね」と言った。彼女は、目を丸くして「考えたことなかった」ところころ笑った。彼女は今後どちらの性別の人と交際し、結婚するか、子どもを持てるか、と悩んでいた。わたしの発言はお気楽だったかもしれないが、彼女は「ありがとう」と少し泣いた。

カミングアウトは、「自分はこういう人間です」と周囲に示す、意義あることだ。でも、カミングアウトしてもしなくてもいいくらい、LGBTQが広く世の中に認知されることを望む。だって、わたし(女性)は「わたしの性自認は女性です」とも「わたしの性的指向は男性です」とも、人に言ったことはない。少数派が必ずしもカミングアウトする必要はないし、もし周囲に受け入れられずとも傷つけられないでほしい。この世でひとりだけの自分自身を大切にしてほしい。好きになったらいけない人なんていない。好きなものを着て、好きな髪の長さで、スカートもズボンも好きなように穿いて、自由に人を好きになってほしい。

わたしには子どもがふたりいる。もし将来息子が「この人と結婚したい」と男の人を紹介してくれたとしたら「うちの子を選んでくれてありがとう」と言いたい。娘が「男の人になりたい」と言ったとしたら、わたしにどういうふうに接してほしいか、わたしに何をしてほしいか、教えてほしいし、一緒に考えたい。子どもの人生を応援することが、わたしの喜び。それは全世界の親御さんと共通の願いのはず。親は子どもの幸福以外望んでいない。

偏見をなくし、社会を変えていくには時間がかかるだろうが、きっと実現できる。誰もが尊ばれる社会にしていくために、できることから始めよう。わたしは早速、図書館でLGBTQに関する書籍を借りた。今月末には、LGBTQにまつわる講演会に行く予定だ。知識を増やし、理解を深めよう。自分のしていることに意味があるかは分からない。でもいつか自分のしていることが、誰かの意味になるかもしれない。

・田中未空 法政大学2年 日本における外国人労働者の人権保護

私は、中学3年生からの4年間を父親の海外転勤に伴ってカナダのトロントで過ごし、昨年日本に帰国した。久しぶりに日本に戻ってきて感じたことは、以前に比べてコンビニやスーパー、飲食店等で働く外国人が格段に増えたということだ。そこで私は日本における外国人の労働実態を調べてみた。厚生労働省の外国人雇用状況の届出によると、令和2年10月時点で約172万人の外国人が日本で働いており、驚くべきことに過去10年間で110万人も増加している。一方、日本は、少子高齢化に伴い生産性人口が年々減少しており、総務省統計局の労働力調査によると、令和2年12月時点で約6860万人となっており、こちらは過去10年で約900万人減少している。生産性人口は、今後も一貫して減り続けていく見込みであり、このような状況において日本にとって外国人労働者は益々欠かせない存在になっていくと思われる。

 しかしながら、調べていくうちに外国人労働者に対する深刻な人権侵害が発生していることに気がついた。一例として、外国人の技能実習制度を悪用した人権侵害が挙げられる。技能実習制度とは、発展途上国の外国人が一定期間に限り日本で技能を取得し、自国へ技術移転を図るためを目的として1993年に導入された制度である。中国やベトナムなどから毎年数多くの技能実習生が日本に来日し、2020年2月の時点ではおよそ37万人が働いており、それ自体はお互いの国にとって素晴らしい制度である。しかし、実態は外国人労働者が本来の趣旨である技能を取得する以前に、単純労働のみに従事させられているケースが散見され、企業が労働者を低賃金で雇うための制度になってしまっている。さらに問題なのは、単純労働・低賃金もさることながら過酷な労働実態だ。現状の労働実態は、外国人技能実習生の人権を侵害している可能性が極めて高いと思われる。

 いくつか事例をあげると、2018年11月、国会で中国人の技能実習生が労働環境の改善について訴えた。その内容は悲惨でパワハラやいじめを受け、深夜まで残業をさせられた上に残業代が300円しか支払われなかったとのことだった。その後、この中国人は未払残業代の支払を求めて水戸地裁に訴えたが、同地裁は約200万円を雇い主である農家へ支払うよう要求する判決を下した。また、昨年、前橋市内の農業法人で実習生として働くスリランカ国籍の女性が、日常的に上司から暴言や暴力、長時間労働の被害にあった事実を彼女の属していた会社の労働組合が明らかにした。

 さらに、法務省によると、2010年から2018年の間に174人の技能実習生が死亡しており、そのうちの118人が20代であることがわかった。死因は、最も多いのが病死、その次に実習以外の事故、そして実習での事故が続いており、若年層ほど過酷な労働環境で働かされていると思われる。なお、2018年以降は、プライベート保護を理由として、死因は公表されていない。

 これらは氷山の一角であり、厚生労働省の技能実習生の実習実施者に対する監督指導、送検状況を調べたところ、約7割の企業や会社に労働基準関係法令違反が認められており、その数は過去5年連続で増加しており5千件超にのぼっている。主な違反事例は、長時間労働が最も多く、次に職場の安全基準違反であった。

 私は、こうした法令違反は厳しく取り締まり、違反した企業には厳しく対応していくことが急務だと考える。また、法務省も出来る範囲で死因を公表するべきだと思う。私と同世代の若者が、この日本で不当に扱われ人権侵害を受けている事実にとても残念な思いでいっぱいだ。トロントは、世界で移民の割合が2番目に多い都市で、様々な人種、国籍、文化が共存しており「人種のモザイク」といわれており、私自身も外国人ということを特段意識することも差別を受けたことも無くとても暮らしやすかった。日本においても同様に人種、国籍で差別することは無くし、お互いの人権を尊重して共生していければ素晴らしいことだと思う。世界には様々な人種、国籍、文化が存在しているという当たり前ではあるがともすると日本にいると忘れてしまう事実を皆が気づき、全ての人々の人権を尊重するべきであるということを私たちが再認識する機会になることを願っている。そして文化的背景、国籍、人種などの肩書きに縛られず、誰もが尊重され働きやすく生きやすい社会を一人一人が構築するためにはどうすれば良いのかを考えることが未来への貢献であると考える。

・峯岸泰 希成城学園中学校1年  誰でもスマイルにするために。   

人は、みんな違う。国籍も違えば、性別も違う。年齢も違えば、住んでる場所も違う。

けれど、何故それだけで差別をするのだろうか。国籍が違うから何?女子だから何? 区別と差別は違う。

例えば、男子トイレと女子トイレ。これは、区別である。

しかし、女の子だからスポーツをしちゃだめ。とか、男の子だからお絵描きしちゃダメとか。

「それ、本当にその子のためなの?」と、伝えたい。

あまり「障害」という言葉も差別的表現な気がして使いたくないが、区別のためにあえて使う。

障害がある。それって、悪いこと? それって、頑張ったところで変えられる事?

と、問いかけたい。どうして、障害者がダメとかになるのだろうか。

これは個人的な意見だが、障害がある人の方が普通の人より何百倍も努力している。そして、何百倍も良い人たちだと思う。

そのような障害がある人を貶すって事は、あり得ない事だと思う。

何故、誰でも笑顔な世界を作ろうとしない? 何故、みんなが過ごしにくい社会を作ろうとする? それが僕は分からない。

ではここからは、本当にあったお話から記していきたい。

彼女は、とある人とお付き合いをしていた。

どちらが言い出したのかは分からないが、二人は婚約をした。 しかし状況は一転した。

彼女に、悪性リンパ腫という難病が発見された。

それと同時に彼は、彼女の元から離れていった。

彼女は、式を挙げるはずだった月に天国へ旅立った。

僕は、この彼女とコンタクトを取っていた。

最後の方は意識が朦朧とし始めて、誰が何を言っていたのか分からなくなっていた状況だ。

余命宣告もされて、最終的には人工呼吸器をつけた。

ここで論点となるのは、二つある。

一つ目は、彼は病気の彼女と必死に向き合ったのか。ということである。この答えは、調べるにも調べられない。だから、哲学として扱う。

この場合、2通りの考えが生まれる。一つ目は、必死に向き合った場合だ。必死に向き合って、自分一人じゃ介護しきれないという考えだろう。

二つ目は、彼女の魅力を見失った場合だ。もう面倒くさいから、別れよう。そう言う場合だ。

一つ目と思いたいところだが、「お前がんでもうすぐ死ぬんだろ?それなのにそんなお前と結婚するなんて有り得ないだろ?お前うざいから早くいなくなれば?」と言われたそうだ。

非常に心を痛めるものである。しかし彼女は、ショックながらしょうがないと解釈した。

個人的な意見になってしまうかもしれないが、一が理由ならまだわかる。しかし、ニというのは婚約者を見捨てるという人として最低な行為だと思う。それに関しては、断固として批判したい。

人々は、みな平等。それは、不可能だ。誰が悪いと言うわけでもなく、病気になる。

僕がこの事例を通して伝えたかったのは、「いざという時に大切な人に寄り添えるか。」と言う話である。

結論をまとめる。誰でも笑顔・過ごしやすい街を作るのには、人々の意識を変えなければならない。

同じ人間であり、世の中の皆が仲間であるということだ。

でないと、何十年何百年何千年経ったとしても、差別という言葉は消えないだろう。

人々の少しの意識で、この世界は変わる。それを明確に伝えたい。

・西濱優衣香    ピアノ教室(音楽教室)主宰        音楽には境界がない~人の可能性は無限大 

「音楽には境界がない」

私は2年前、バリアフリー協会主宰、障がい者の芸術コンテスト全国大会「第17回ゴールドコンサート」で審査員特別賞を受賞した。(作曲とピアノを担当)このコンクールは

「障がい者が頑張りました。感動をありがとう」と言うものではなく、完全に芸術勝負のコンテストである。音楽的クオリティは大変高く冒頭の言葉は、その時感じた感想だ。

障がいがあるなしに関わらず、素晴らしい音楽は素敵なのだ。これは私が生涯に渡り目指す音楽である。

なぜなら障害のある方が音楽の世界で置かれている状況は大変厳しいからだ。この社会では音楽を初めて学ぶ段階でハンディを背負わされてしまう現実がある。

「障害がある」と伝えただけでピアノ教室(音楽教室)では門前払いにされてしまうことが多い。仮に受け入れてもらえたとしても障害の特性を考慮にいれてもらえない指導をされ、その結果「出来ない子、上達しない子」と言うレッテルを張られてしまいがちなのだ。しかも「教えるが発表会には出ないで欲しい」こんな心無い対応をされることもある。

私には発達障害があるが、私自身子どもの頃に習っていた教室では、とても辛い経験をしている。

「他の子はちゃんと出来る」

「ここまで出来ない子に出会った事がない」

「こんな不器用な子は初めてだ」

私に発達障害(ADHDを伴うASD)の診断が下ったのは大人になってからだ。だからこの時は「どうして自分だけがみんなと違うのか」理由が分からずピアノ講師からの鋭い言葉は

「みんなと同じ事ができない駄目な人間」

と自信を失っていった。

こういった経験が縁で、私は今年の春(2022年春)音楽大学卒業後、障がい・不登校等困り感のある方を積極的に受け入れるピアノ教室を設立した。

受け入れ先がないならば同じような思いをしてきた私が作ればいいと思ったのだ

ところで私が困り感のある方に向き合う時には「障がいのある〇〇さん」「不登校の△△さん」という見方をしない。目の前の生徒さんをよく観察して「このアプローチは分かりにくいかな?違う方法で伝えてみよう」「この楽器を使うといつも喜んでくれる」等、一人一人の様子を何より重視している。私の生徒さんへの接し方は、障がいがあるなしで何ら変わることはない。

もちろん特性に応じ工夫するが、それぞれの方に接する上での姿勢は同じということだ。

しかし世間では障がいのある人が、音楽を奏でていると

「(障害を)乗り越え音楽活動されているんですね」「どのように乗り越えられましたか」等「乗り越えた」

という表現を使われ方をする事が多々ある。私自身何回この言葉を言われたか分からない。

果たして「乗り越えた」んだろうか。

少し話は変わるが音楽という字は「音を楽しむ」と書くが、私がレッスンの中で何より大切にしている事は「楽しい」と感じてもらうこと。楽しいと好きになれる、好きだと頑張れ、それが得意になっていく。これは障がいがあるなしに関わらず、共通事項。

「乗り越えた」わけではなく好きと言う姿が音楽を奏でているのだ。決しての他人の感動のためではなく奏でる旋律が人の心を打つのだ。

また、私のピアノ教室では、いい意味で「社会の当たり前」を疑いたいし無くしたいと考えている。例えば「レッスン室に入ってきたら、誰もが当たり前に話が出来る」「努力したら、みんなが楽譜が読めるようになる」と言うもの。

 声を出すことが出来ないと(伝えられないから)教えられないと言われ、楽譜が読めないと努力が足りない、音楽に向いてないとピアノを続ける事を諦めさせようとする傾向がある。

 当たり前とは何だろう。この社会で当たり前は多数派を意味する。

障がいや特性上、これまで音楽の世界からはじき出された人たちに、私は音の世界を楽しんでもらいたい。私がレッスンの内容を工夫をすることで、こういった方たちが、音楽を奏でる事が出来るよう諦めずに向き合い続けたいのだ。人の可能性は無限大だ。私が今まで出会う事が出来なかった多くの素晴らしい音(旋律)が生み出されていくのが楽しみだ。

 さらに障がい音楽を知っていただく事も大切だと考える。私はこれからも素敵な旋律を作り続け、ゴールドコンサートに再び出、本気で音楽を奏でる姿を沢山の人に見てもらいたい。

・西坂瑠華      立命館慶祥高等学校 1年 人生笑って生きる。それが1番大切だから。

私は「誰一人取り残されない」という言葉に疑問を持った。誰もが誰かにとって必要不可欠な存在であることは間違えないと思う。この世に生まれるべきじゃなかった人も差別を受けるべき人も誰一人いないと思う。実際に私の話を挙げてみたいと思う。今年の夏から私は高校留学で1年間、親元を離れて生活している。出発前は思春期であり、反抗期だったので母との喧嘩が当たり前だった。コロナの影響で成田空港からしか、飛行機が飛んでいなかったので、親とは地元の空港でお別れになった。出発の直前に届いた母からの言葉が懸命に心に残っている。その言葉は「あなたを送り出した私は、抜け殻のようです。」この言葉を聞いた瞬間、思わず涙が溢れた。色んなことで親を悩ませたり、責任を感じさせたことがあったと思う。でも、父と母にとって私は大切な存在であり、私にとって父と母は言葉では表せられないほど特別な存在である。それは、あなたも同じ。お母さんが自分の命をかけて産んでくれて、お父さんと沢山相談して育ててくれていると思う。

私は「人間は絶対に一人では生きていけないと思う」とよく口にしている。世の中、一人で生きている人は誰一人いないと思う。食べる、飲む、歩くなど当たり前のように感じてしまう行動にも誰かの努力や苦労があると思う。今回は「食べる」に注目してみたいと思う。多くの食べ物は、誰かが毎日大切に育て、収穫、出荷され、お店に誰かが並べ、誰かが買い、誰かが何かを作る。毎日当たり前のように何かを食べている私達だが当たり前ではなく、本当に恵まれていることであり、色んな人に感謝するべきで大切にするべきだと思う。

私がみんなに伝えたいことは3つある。1つ目は、友人関係を大切にすること。私は小さい頃から色んな価値観を持った人たちや違う文化、言語の人たちとコミュニケーションをとるのが楽しいと思う。「自分」という存在は世の中に一つしかないので人によって考え方も受け取り方も違うのは当たり前だと思う。私は本当に沢山の友達や先生方、周りの人たちに支えられている。留学準備も中学受験も何度も何度も心が折れそうになったけれど、互いに励まし合い、切磋琢磨し、納得のいく結果となった。時にはぶつかってもいいから自分が生きやすい環境を自分で作っていくことが大切だと思う。2つ目は、自分に自信を持つこと。どんなに小さなことでも良いので人には負けない、負けたくないと思える何かをつくることが大切だと思う。私は勉強ができるわけでないし、何かがとびぬけてできるわけでもない。でも、健康であることはだれにも負けないと思う。小学校、中学校ともに皆勤で高校も継続したいと思い、体調管理をしている。本当にどんなことでも良いから自分が好きなこと、得意なことを見つけることが大切だと思う。それを周りの人が認めることも大切だと思う。3つ目は、私が常に意識していることである。それは、どんな時でも笑顔でいること。辛い時には思いっきり泣いたりするのも良いと思う。また、誰かが笑顔でいると周りの雰囲気もよくなり、自然に周りの人とコミュニケーションが取れるようになっていくと思う。私はよく「毎日笑って過ごしていて幸せそうだよね」といろんな人から言われるし、みんなで笑うことが何よりも大好きだ。笑顔で過ごすことは全世界、世界中の誰もが共通してできることだと思う。一度きりしかない人生、どれだけ友達や大切な人と笑って楽しく過ごすかが大切だと思う。まだ自分の将来の夢が確実には決まっていないが自分も私の周りの人たちも笑顔でこれ以上の人生はないと一人一人が言えるような人生を送れるようにするのが私の目標であり、現実にできる自信がある。人生、長いようで短くて、同じ年、日付、時間、分、秒はないので大切に過ごしていくべきだと思う。

・森垣りえ  疎外感   

取り残されるとは感覚すなわち疎外感です。

人に囲まれ笑顔で生きたいと誰もが思いながら、人から舐められないようにと自分の価値を周りに認めて貰いたい

「舐められる」に関しては様々な捉え方があります

「いじられる」と言う意味で、いじられる方が愛されている場合もあるからです。

更に「先入観」を人は人へ与えます

評価が低いとあからさまに態度に出し、私が上だと主張してくる人も居ます。

私は障害者です。

障害者側の意見の1つとして参考にして頂けたら嬉しく思い応募させて頂きました。障害者の私は取り残されていると感じていません。

何故なら、その感覚すら感じ方が今分からないからです。「分からない」とはとても深い意味で怖さを与えます、何度聞いても分からない、忘れてしまう、酷い時は話ている相手の言葉がシャボン玉のようにパンっと消えて、話し終える頃に頭は真っ白で、同時進行で言葉が消えるのです。

平等な姿勢、対応、伝え方、そして笑顔で接している空間であるかどうか。

私にだけ笑ってくれない気がする、私にだけ冷たく感じる、

その本人に何かした訳でもないのに態度が突然変わる、私はそういった経験が多いです。

人前で馬鹿にされ、笑われると言う事もありました。そこに愛を感じるなら私は笑顔です。

感じないから怒ります。冗談混じえながら、愛のない空間は、もう耐えられない、

孤立を全て取り残されたにとらず、自ら人と距離を置いて、自分をリラックスさせる時間だと考えている方もいらっしゃると思いますので、一まとめに感じず受け取って頂きたいです。

私もその内の1人で、今は人と、距離を置きたい時期であり、自ら選び人を避けています。

友達とは何なのか、分からなくなったからです、うわべの付き合いが出来る程器用でもなくなり、病状が悪化した頃から友達に相談する事も減り、連絡を久しぶりに取っても何も感じないのです。この世から、信じれるモノ、事、が減りました。モノは本当の愛情であり事は相手から与えられる出来事です。

人の気持ちに対応出来ない時がある、誰にでもあります。

むしろ自分の気持ちを優先に考えて生きている方の方が多いと思います。

私は、平等にお互いを想い合い、大切にし合えるのが友達だと感じるのですが、その感覚が病状悪化により更に狭まり、周りが皆んな敵に見えるようになったのです。

疎外感を与えられたからではない、

でも、人こそが1番心を隠せる動物だと感じています。

うわべ、八方美人、同じ土俵で見る事は出来ません。それは不器用だからではなく、

障害者の人程様々ですが人との関わりをとても大切にするからです。

大切にし過ぎたり、過剰に伝えてしまう、

それは障害者の生きづらさそのものです。

私はいじめられた経験があります、そこからではなく生まれつき障害があり生きながらに病気と気付かず、酷いいじめを経験し、病状が悪化しました。

疎外感を記憶が無くなってしまうまで味わい続けたので、周りの変化する態度に気付かず過ごしてしまう事すらありました、

取り残されるとは、心の何処かで自分の存在を忘れられたくない気持ちと、人との距離が離れてしまう恐怖が疎外感に繋がるので、

感じてしまう感情だと思えます。

私は離れても、また会えた時、いつものように距離無く過ごせる友達を必要としているので取り残されるに左右されなくなっています。

誰1人取り残されない為には、難しい事なのかも知れませんが、平等に愛を届ける事ではないでしょうか。

私は障害者も一般の方も子供もお年寄りも同じ目線で接します

接し方態度伝え方、そして何より笑顔で愛が届くのではないでしょうか。

読んで頂きありがとうございました。

・渡邉美愛      愛知県立旭丘高等学校3年 未来の子どもたちの笑顔と心を守るため   

私の従姉妹は四年間不登校を続けています。きっかけは、転校先のいじめが原因でした。転校する前までの従姉妹は別人でした。明るくて元気で素直でクラスの人気者でした。運動神経も抜群でした。しかし、転校してから久しぶりに従姉妹に会った時、従姉妹だとわからないくらい変貌していました。前髪は顎まで伸びていて顔は見えないし、話さないし、時々見える目は虚ろで光を失っていました。話そうとしても会話にならず、沈黙のまま時間だけが流れていきました。何度か会ううちに少し話せるようになったので、学校は楽しいところだよ。家にいて一日中テレビを見ていても楽しくないよ…いろんな人と関わって笑ったり泣いたり怒ったり喧嘩したり仲直りしたりいろんな経験をして人間的に成長できる場所だよ。学校は怖いところではないから一度学校へ行ってみたらいいよ。と伝えました。その後、従姉妹は学校へ行くことになって、親身に話を聞いてくれる素晴らしいスクールカウンセラーに出会って泣きながら今までのことを相談することができました。私は全く知らなかったのですが従姉妹は義理父から虐待を受けていました。傷跡もなかったし怪我をしている様子はなかったけれど顔を隠していたのはそれが原因だったのかもしれないとあとになってから気づきました。私達が、楽しく毎日学校に通って勉強したり友達と遊んでいる間も一日中家にいて、一人ぼっちでテレビを見ている子達が日本にはまだまだたくさんいます。みんなで給食を食べたりみんなで遊んだり楽しく笑っている時間に、一人ぼっちで誰にも相談することもできず泣いている子達がいます。従姉妹の状況を聞いて初めて不登校をしている人の苦しみの一端を知りました。児童相談所とかではなく、もっと気軽に子供が一人でもかけ込めるような居心地の良い逃げ場みたいなものが公的施設なあればいいのに…と思うようになりました。一般家庭のような一軒家でスクールカウンセラーの資格を持った先生が常駐して温かいごはんやお茶菓子を提供しあつでも相談を受けられるようなそんな場所が小中学校の学区に一つでもあれば未成年者の自殺の数もぐんと少なくなると思います。心を開いて腹を割って話せる人がたった一人でもこの世にいれば命を断つ人もいなくなると思います。私の将来の夢は、教師ですが、もし、そのような子どもたちの心を救う公的な施設が将来できればボランティアで毎週土日参加したいと思っています。決して簡単なことではありませんが、声を挙げ続ければ救える命はたくさんあります。私は、まだ子供ですが勉強をし続けて力を蓄えて必ず子どもたちの笑顔と未来を守る教師になります。自分の心に対して宣戦布告します。諦めるな。未来の子どもたちの笑顔と心を守るため自分のできる限界を超えて努力し続けます。

・岡松優月      京都先端科学大学付属中学校1年生 いつもの腹痛を、ポジティブに。 

生活が嫌だって思ったこともないし、金銭的にも問題ない。家族は温かく、友達ともそれなりに充実している。ただ、一つだけ願うことがある。それは、腹痛だ。私は小さい頃からずっとお腹が弱い。これは世界中に何人もいるはずだ。だからこそより社会的には重視されていない。大きな病気でもなく、周りから見ても大変そうだとは思われないからだ。でもそれは大きな間違いだと思う。「お腹が痛い」簡単な言葉だ。言葉にすると、痛みは伝わらない。大半の人はこの言葉を聞くと、「トイレに行ったら?」という。でも、トイレに行って治るようなものと治らないものがある。そんな時、どんな言葉をかけてもらいたいか、、。私は考えた。お腹が痛くなった時、共感して欲しい。「分かるよ!痛いよね。もし、ほんとに我慢できなくなったら保健室行ってきたら、先生に言っておくよ?」などと、安心する言葉が欲しい。私はあまり表に感情を出したり、発言したりするのは苦手な方だ。いわゆる陰キャと言われるものだ。だからこそ、授業中に立ち歩き先生のところに行くまででも一苦労だ。そうすると授業には集中できなくなり、ずっと時計の針とにらみっこし続けることになる。それがトラウマになりその時間になると、また痛くならないかソワソワしてしまう。だから、私はもう諦めた。こればっかりはどうしようもない。そっちの方が気が楽だからだ。でも、知っておいて欲しい、どれだけ辛いのか、いつこの痛みが治まるか分からない。トイレの中で下を向きながら泣いてしまう。休んだ時は、ズル休みと思われてしまう。そんな考え方はやめて欲しい。もっと、相手のことを知っていくべきだ。もっと理解する時間が必要。だから、私はもっとコミニュケーションをとることがたいせつだ。私は将来、貧困に苦しむ子供たちのところに行き、一緒にたくさんお話がしたい。ただ、話すだけでいい。その人の好きな物嫌いなもの。弱いところ。強いところ。ありのままで会話がしたい。でも、それでも勇気がいることだと思う。だから、私は、自分がいかに少しでも楽になれるのか、そして、できるだけ迷惑のかからない方法を考えていきたいと思っている。

この世界はもっと、話し合い、分かり合う大切だ。この私の腹痛を通して、戦争や貧困問題。そして、差別など。これはもっと話して理解するそれだけで変わることだと思う。この、痛みもいつかの誰かに勇気を与えられることを願う。

・諸星結香      鎌倉女学院高等学校1年  労働問題を抱える人を取り残さない

私は社会科の授業で見たビデオに、ショックを受けた。 工場のあちこちで大きな樽のような機械が、狂ったように鈍い音を立てながら動物の皮を加工する。小さな窓から薄暗い光が差し込み、工場の空気は汚染されている。作業員たちの顔は青ざめ、疲れた様子で工場内を急いでいる。煙突からは煙が立ち昇り、化学薬品で着色され泡立った水が川に流れ込んでいる。このビデオは、バングラデシュの工場についてのドキュメンタリー番組で、環境への影響と労働問題についてのものだ。バングラデシュにはたくさんの衣料品工場・衣料品加工工場があり、多くの人が働いている。 人々は生計を立て、家族を養うためにこれらの工場に頼っているが、このことが労働者の健康に害を及ぼしている。

 私がビデオで見た工場は、約15,000人が働く皮革のなめし工場だった。 工場内では大量の有害物質が使用されているため、衛生状態が非常に悪い。 工場の近くの川には、工場で使われた大量の汚染水が流れ込んでいる。 多くの市民がその川で洗濯をしたり、魚を捕ったりしている。 汚染された川の魚を食べた人が、体調を崩すことも少なくない。 最悪の場合、死に至ることもある。 そんな不衛生な環境で働いている人たちがいることを目の当たりにした。 私はなぜそのような環境で人々は働くのか、と感じた。

 多くの工場が、安価でおしゃれな衣服、つまりファストファッションを私たちに供給している。 これは、刻々と変化する最新のトレンドに基づいた、低価格で低品質から中品質のファッションのことだ。 リーズナブルな価格で流行を手軽に楽しむことができる。 しかし私たちは、安価な衣料品がバングラデシュをはじめとする発展途上国の環境や工場の労働環境に与える本当の代償を理解する必要がある。

 バングラデシュ政府は、環境問題や衣料品工場の不健康な労働環境について認識している。2013年、バングラデシュの首都ダッカで縫製工場が入る商業施設「ラナ・プラザ」が崩落した。死傷者約3600人を出したこの悲劇からもうすぐ10年が経過する。 国内では二度とこの悲劇を引き起こさないように、様々な取り組みをしようと考えている。しかし、経済的な圧力が状況を変えることを難しくしている。 バングラデシュは財政があまり豊かではないと言われている。他国から資金援助を受けてはいるものの、安価な工場生産品の輸出に頼っているのが現状だ。 また、私たち先進国の人々は、ファストファッションのコストと利便性に慣れてしまっている。 このようなファストファッションの需要と供給のサイクルは、危険な環境問題や労働条件を永続させるだけである。

 社会科の授業で衝撃的な映像や情報を目の当たりにし、私は何かしなければならないと思った。 まず、安いTシャツを買うにもコストがかかるということを消費者側は理解しなければならない。 消費国がファストファッションへの需要を増やせば、問題はさらに深刻化する。 だからフェアトレードが必要だ。 15歳の私にできることは、ファストファッションではなく、スローファッションを意識すること。 洋服を買いすぎないことも可能だと思う。 Tシャツが小さくなったら妹に譲り、母からもらえばいい。 洋服を買うときは、ファストファッションのお店をできるだけ避け、どこで作られたものなのかを調べればいい。友達や家族と話したり、SNSで情報を共有すればいい。このような行動をする人が増えれば、フェアトレードや平等な国際関係、そしてより良い世界を築くための一歩になる。私はそう信じている。

・小林深智      甲府第一高等学校1年生  大切なこと     

町内にある大型ショッピングモールに家族で出かけたときのことです。僕と歳の変わらない少年たちが、勢いよく走ってきて、妹にぶつかり、そのまま逃げていきました。彼らの後を警備員の人たちが追いかけていきます。なんと少年たちは万引きをしてにげていたのです。その後、その少年たちの1人が転びました。すると、逃げていた仲間たちはその転んだ少年を見捨てずに、迷わず少年のところに行きました。そしてその後、警備員の人たちに連れて行かれました

 僕はその現場にいて、万引きをして逃げる人を目撃したという僕はその現場にいて、万引きをして逃げる人に妹がぶつかると言う怖さを感じると同時に、転んだ少年の元に戻ったと言う他の少年たちの行動に驚きました。怖さを感じると同時に、転んだ少年の元に戻ったと言う他の少年たちの行動に驚きました。 万引きと言うやってはいけないことを知っていながら、転んだ仲間を見捨てなかったことが印象的でした。というのも、犯罪や非行に走る人たちには、思いやりや優しさと言うものがなく、ゆがんだ心の持ち主だと思っていたからです。

 仲間を助けようとした人たちが、なぜ、万引きなどと言う犯罪を犯してしまうのだろう。優しさや思いやりを持っているはずなのに、僕は、疑問でいっぱいになりました。そんなことを考えながら家族と歩いていると、その答えを思わぬところから見つけることができました。それは、その後の会話の中で妹が言った何気ない「ありがとう」ということばでした。

僕はこれを聞いたとき、「ああ、そういうことか」と納得がいきました。「ありがとう」・・・つまり感謝の気持ちを伝え、受け取る相手の存在です。「ありがとう」と言う言葉に限りません。「学校、がんばっているね。」「暑いから気をつけな。」「これはいいことだね。」「それはいけないことだよ。」と言う声をかけてくれる人たちの存在です。振り返ってみれば僕はたくさんの人に声をかけてもらって善悪の判断を身に付けてきたように思います。「おはよう。」と近所の人に声をかけてもらって「おはようございます。」と挨拶を返すこと。「急な飛び出はだめだよ。」と言われて飛び出さないように注意すること。そんな会話や声かけの積み重ねで僕たちの善悪の判断は作られてきたように思います。そして、大切な事はたくさんの人と関わり、つながり、いろいろな考えを深め広げていくことです。また、その上で善悪の判断ができるようになっていくのです。 人とのつながりがないと、当たり前の善悪の判断ができなくなってしまうような気がします。特に家族や身近にいる大切な人との会話の中で感謝の気持ちや愛情を使える言葉を交わし合うことがその人の判断力を磨いていくのだと思います。

僕が目撃した万引きをしてしまった少年たちの身近にもきっと声をかけてくれる人の存在があったはずです。「これをしたらあの人が悲しむ」と思わせてくれる存在がいるはずなのです。でも、もしかしたら、そんな周りの人の存在が薄れていたのかもしれません。僕は、少年たちがもう一度身近な人の存在を思い出し、「身近な人を悲しませてはいけない」と考えてくれたら良かったと思います。そして、この善悪を判断する力をつけてくれる人には身近な人は家族はもちろんですが、地域の人たちも当てはまると思います。

 僕の母が小さい頃は地域の人たちに挨拶をするのが普通でした。しかし、今は知らない人には挨拶しないことが普通になりつつあります。そして、この考えが広がり始めた2005年頃、犯罪件数が急激に増えたそうです。地域の人たちとのコミュニケーションが減ったことが犯罪の増加につながったのだと僕は思います。そこで、地域の人たちとの会話をすると言うことが再び根付けば犯罪防止にもつながっていくと思うのです。昨年度僕たちの中学校には地域の保護司の皆さんがいらしてお話をしてくださいました。その中で印象的だったのは、飛行少年たちと話すときには、まず何気ない日常会話だと言うことです。初めから罪を責めることはしないのだそうです。まずは日常会話をすることで心が開かれ、犯罪を犯した人でも、自分自身を見つめることができるようになるのだそうです。だとしたら、僕たちは日常会話こそ犯罪を防ぐ大きな力になると言うことを早く気づくべきだと思います。「おはよう。元気?」から始まる日常の会話こそ、若者の犯罪や非行を防ぎ、取り残される人を減らす大切な1歩になるのだと思います。

これからは生活の中で人を応援し、前向きになれるような言葉をかけられるようにしていきたいと思います。  

・小藥空 早稲田大学 2年生    世界に取り残されないために     

“How to get to the Asakusa station?”

青い目をした外国人が発した言葉が「自分に」向けられているのだと気がつくまで、私はぼんやりしていました。

“bro”

―え、私?

何を言っていたのか聞き取れていなかった私は頭の中をこねくり回して、拙いながらも「パドゥーン?」と聞き返しました。

“HOW TO GET TO THE ASAKUSA STATION?”

おそらく、私にもわかるように、今度はゆっくりはっきりと尋ねてきました。

―よし、わかった。この人は浅草駅に行きたいみたいだ。えっと、浅草への行き方はこの道をまっすぐ行って、二つ先の交差点を左に曲がって・・ あれ?これって英語で何て言えばいいんだろう   しばしの硬直の後、私はただ一言

“I cannot describe how to go there so please follow me”

と言って、外国人を浅草駅まで誘導しました。これは私の実体験です。これを聞いてあなたはどう感じたでしょうか。

「すごい!英語喋れるじゃん!」と思った方もいるでしょう。

「その程度も喋れないの?」と思った人ももちろんいるでしょう。

当事者としての感覚は圧倒的に後者でした。思ったことを言葉にできないもどかしさはもちろん、誘導する以外の説明方法がなかったばかりに友人との約束にも遅れてしまいました。

―私は英語ができないのだ。

あの時の悔しさは今でも忘れることができません。

 読者の皆さんは、このように英語が喋れないことで、悔しい思いをしたことがありますか。または機会を喪失したことがありますか。私は多くの日本人が「ある」と答えると推測します。というのも、私は日本人の英語に対する苦手意識の高さは異常だと時折感じるからです。その原因は大きく分けて二つ考えられます。

 第一に「英語」という言語自体があまりに日本語と異なっていることです。私たちは普段日本語を流暢に話しますが、日本語に関する文法の問題を道ゆく人に出題しても実はあまり答えられません。誰も助詞・助動詞に気を配って会話をしていないからです。このことからわかる通り、言語において「感覚」というものは非常に重要な要素であると言えます。しかし、どうでしょう。英語は明白に日本語とは異なります。そのため日本語の「感覚」は英語でほとんど活かすことができません。これが、日本人が英語を苦手とする理由の一つであると考えます。

 第二にそもそも日本において英語を話す機会自体が圧倒的に少ないことです。日本は良い意味でも悪い意味でも「日本」で完結しています。人口も程よく多く、経済圏として十分な規模があり、対外進出に野心的でなくても国内で殆どの問題が解決できてしまうため、英語を使う必要がないのです。これは日本の致命底な弱点であり、例えばお隣の韓国は国内のマーケットが小さいことを背景に海外進出の風潮が強く、現在では半導体事業をはじめとする様々な分野でグローバルリーダーとして活躍しています。今の日本の状況は残念ながら現状に胡座をかいていた結果であると言わざるを得ません。

 私はこのままでは「日本は世界に取り残されてしまう」と思いました。私のような、未来を担っていく大学生がこの有様では、日本はどうして発展できるのでしょうか。日本が取り残されるということは、日本人が取り残されるということに他なりません。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私は外国人の道案内でその片鱗を感じました。

 では、私が、私たちが世界に取り残されないためには何をすれば良いのでしょうか。

 一つは専門性を持つことだと思います。たとえ言語の障壁があったとしても世界から必要とされる専門性。私は「伝統」にそのヒントがあるのではないかと思いました。例えば畳や障子、日本刀のような伝統工芸品は、日本の誇る世界で評価される技術です。自国の文化を見つめ直し、発展・継承していくことが専門性の獲得・保持と直結しているのではないかと考えます。

 もう一つは、やはり英語を習得することでしょう。私が英語を喋れなかった理由の一つに、明かな経験不足が挙げられます。しかし周りを見渡せば、みんな英語を流暢に喋ることはできないのだから、何を臆する必要があるのでしょうか。私たちはもっと積極的に英語でコミュニケーションをすれば良いのです。たくさん失敗して、たくさん学び、そうして「感覚」を養ってゆけば良いじゃないかと思うのです。

 私は大学で英語会に入りました。理由は英語を話せるようになりたいからです。もちろん、英語学習は一筋縄ではいきません。私はやはり流暢に話すことはできませんが、それでも着実に「感覚」を養っている実感があります。世界に取り残されないために、私は自分にできることから始めてみたのです。

 世界に取り残されないために、私たちの世代は今、「頑張る」必要があります。それは簡単なことでも楽なことでもありません。しかし、私はこの危機感こそエネルギーの根源ではないかと思うのです。

・菅野幸大      専門学校日本デザイナー芸術学院1年      性別違和を持つ人に希望を

私は自分の身体が嫌いです。なんで男子の学生服を着なければならないのか、髪を短くしていることが普通なのか、どうして自分の声は低いのかなど、中高生の頃からそういった悩みを抱えています。どうして自分の身体は男のものなのか、ということをいつも考えてきました。その悩みは死にたいと考えるほどに自分の中で大きいもので、QOLにも関わってくるものだと思います。今は髪を伸ばしたり、メイクや自分の好きな可愛い服を着たりなど、自分を表現することで自己肯定感を高められるように生活をしています。

 トランスジェンダー、性同一性障害といったような私のように生まれ持ったからだの性とこころの性に相違がある人たちがいます。そして、そういった人の中にはからだの性をこころの性に合わせることができる性別適合手術を望む人がいます。法律上、戸籍の性別を変更するには性別適合手術を受ける必要があるからです。しかし、私はその手術を受けることが難しい人が多いと考えています。それは数百万円かかるという経済的な理由や、国内で手術を受けられる病院が限られているということなどが理由として挙げられるからです。海外のタイに行けば高い技術の手術を受けられたり、国内で保険が適用されるようになったというように性別適合手術をしやすい環境づくりは進んでいますが、まだ手術が難しいと考える人もいるでしょう。特に私は海外となると環境の違いが怖いと感じています。また、性別適合手術をして戸籍の性別を変更できるようになるまで一年はかかります。手術には性同一性障害の診断、ホルモン治療、そして性別適合手術という段階を踏む必要があるのです。そのため、性別を変更することが仕事などに影響を与える可能性があるという課題もあります。

 私は自分がMtFトランスジェンダーだと認識しており、医師の診断も受けたいと考えています。そして私も性別適合手術を受けたいと思っています。今の身体が嫌いで、ちゃんと女性として生きていきたいのです。ただ、先に挙げたように性別適合手術には多くの費用がかかります。そして周囲の理解が必要です。それらは無視できない壁になるでしょう。私のように性別を変更したいと思う人が世の中にはいます。多くの人にそのことを知ってもらい、性別適合手術に否定的な人にも性別を変更する人のことを受け入れてくれるようになってほしいと思います。そして、自分の性に悩む人に少しでも希望を持ってほしいです。

・小林真紀子 滋賀県立大学(事務職員)I will help U ~誰もが援助者たる社会づくりについて~

SDGsの基本理念である「誰ひとり取り残さない」という言葉は、社会的弱点を抱えるひとや地域・社会に対して〈思いやり〉にあふれる姿勢のようであるが、私は少し違和感や窮屈さをおぼえるときがある。そう感じるようになったきっかけの一つは「ヘルプマーク」の存在とその実態を知った経験である。

私は現在、一大学の事務職員と勤務しているが、以前、地方役場の障害福祉課に勤務していたことがある。障害福祉課で勤務するまで私は、障害がある人を身近に感じる機会が少なかった。そのため、課の窓口や訪問先で出会うお客さん(障害者)やその支援者とのかかわりは学びが多く新鮮そのものであった。その存在は知っていながらも、ヘルプマークも実物をみたのは障害福祉課に勤務してからであり、はじめは援助すべき人を周知に知らせる〈便利なもの〉だと認識していた。しかし、窓口で無料配布しているにもかかわらず、思うように在庫数が減らないことに疑問を感じていた。障害者手帳を交付する際に添えるように渡しても「私はいらない」と断られることも多かった。そんな時、お客さんの一人がその実態を教えてくれた。

「便利なもんや思うやろ?けど、(障害を)隠したい人もいはるでな。それに『私、障がい者です!』って大っぴらに言うてるようで。それを周囲がどう思うか…。世の中、親切に『助けたろ』と思ってくれる人だけちゃうからね。それを考えるとつけたない人も多いんちゃうかな」

実際にそのお客さんやその人の知り合いには、ヘルプマークをつけていたことで陰口や素っ気ない態度をとられた経験があること人もいるという。また逆に、必要以上に気を遣わせてしまうことで、申し訳なさや居心地の悪さを感じたこともあったという。被援助者を助けられる〈便利なもの〉が、視点を変換すれば〈排他の標的にしかねないもの〉であると反省させられた。

とはいえ、障害のなかには内部疾患や精神疾患等、一見では障害と分かりにくい・分からないものもある。そのため実際に街中で本当に手助けすべき時に、ヘルプマークをはじめ非可視化されていない対象をどのように見つけ出すかを想定した場合、私では考えが行き詰ってしまった。そんな折、地方新聞を通じてあるプロジェクトの存在を知った。それが「チームエンパワーメント」が手がける「I will help U」ロゴマークの活動である。

チームエンパワーメントは、音楽団体「エンパワーメントレコーズ」の主宰で作業療法士の田中孝史さんが代表を務める活動団体である。この団体は医療福祉関係者だけが〈支え手〉になるのではなく、地域社会全体に〈支え手〉がふえることを目標に、音楽活動(フェス)やイベントを企画し、さまざまな人たちの〈交流の場づくり〉に取り組まれている。

そのなかで「I will help U」ロゴマークの活動は、そのマークを〈支え手〉側がつけることで、助けてほしい人が気軽に声をかけられるというシステムの構築である。まさにヘルプマークの逆バージョンであり、このマークが広がることでより多くの人が社会の〈支え手〉として機能することが期待できる。ただ田中さんは、このマークはあくまできっかけに過ぎず、いずれはマークがなくても〈支え合える地域社会づくり〉を目指されている。この活動はゴール17「パートナーシップで目標を達成しよう」を主軸とし、ゴール3「すべての人に健康と福祉を」およびゴール11「住み続けられるまちづくりを」を実現しようとしている。なによりも「誰一人取り残さない・取り残させない」という先進者からのトップダウン視点ではなく、援助者と被援助者の目線が同じ-誰もが援助者で、誰もが被援助者である―姿勢であり、これを意識の根幹におくことこそが持続的可能な地域社会づくりを〈持続させる〉原動力たるものではないかと考察する。

・キッカワ タツシ      やっぱ愛だっての
誰ひとり取り残さない。耳触りの良い言葉だと思う。しかし、何が誰を取り残さないのだろう。社会が?社会、と名を打つと、抽象度の高い、人格の消去された、理念的な社会システムのことを思い浮かべてしまう。しかし、社会も、結局は人間の集まりだ。理念的な社会システムからいくら暮らしの息遣いがそぎ落とされようが、理念的な社会システムにいくら非人格的な論理性が付与されようが、結局、社会システムというのは人間が生み出すものだ。だから、私たちひとりひとりが取り残さないようにしなければならない。しかし、私たちとは何者で、誰を、どういった点で、取り残さないのだろうか?

 取り残されてきた人々として様々な人々が挙げられてきた。障がい者、性的少数者、外国人、エトセトラ。しかし、障がい者の中にも、様々な障がいを持たれた方がいて、性的少数者と分けても、性というのはそもそも可変性があるし、外国人にしても、近代国家は枠組みとしてまだ新しい。それに、その反対として自身を規定し、彼らを取り残している所の、大多数の人々の中だって、色々な人々がいるし、その人々も歳を経るごとに変わっていのであって、つまり、私たちも、取り残された人々としてくくられた誰かも、安易にひとまとまりにできない多様性や可変性があり、境界の引き方には問題がいつも付き纏う。

 それに、多数派としての私たちは「取り残す」側、つまり、何かアクションをする主体として想定されており、取り残されている側の視線やアクションが、しばしば議論から封殺されがちだ。結局、当事者たちの語りではなくて、多数派としての私たちの語りばかりが巷に溢れて、実体からの乖離が進むだけでなく、当事者たちの問題を解決する向きもなしに、自尊心や優越感を満足させるツールと化している。当事者と一度も関わりのない多数派の人々が得意げに当事者やその課題感を流ちょうに語る様子は見ていられない。語りによって実現しているのは矮小な自分の肯定だけなのだから。

 日本のムーブメントでもっと悪いのは、単に横に習えで、色々の場面で、「誰ひとり取り残さない」宣言をした挙句、足元では活動した痕跡さえ全く確認できない場合が、稀ではないことだ。足元での実践に踏み切らず、周りからは遅れまい、下手を打つまいするだけで、自信がないままで、うずくまっている所も悪い。こうして、本当の自信がつかず、目上の人にはペコペコし、承認をなるべく求め、横の人が抜け駆けしようものなら、足を引っ張り、自分だけが隠れて、抜け駆けする道を探し、下の者には自分の言う通りさせて、小さな世界で、王様気取りをする、そんな日本社会が取り残される。

 どのような点で、については、私自身の「取り残され感」を語り、深めてみる。私は無害化・定型化を経た表層的で反復的なコミュニケーションがとても苦手だ。感覚的には、三人以上になると特に顕著になる。一対一の場面でも、それは大いに活用され、大いに歓迎されもする。つまり、互いに互いのことが恐ろしいのだ。相手がどのような言動をするのか不確実な時や、自分がどのような言動をとればいいのか不確実な時、人々はどうしようもない不安や気まずさを感じることになる。だが、それがあれば、互いを脅威に感じることなく、信頼を上手く作り上げていける。つまり、信頼の土台になっているのだ。

 私も分からなくはない。だから、それを活用する場合がある。人々がコミュニケーションをするのはひとえに社会生活を営んでいるからで、社会生活が進化の途上において生存の戦略として上手く使えたからに他ならない。だが、便益を超えて、私たちには誰かと繋がりたい気持ちがあるように思う。それは、自意識の抱えた万年病である孤独のためだ。私は孤独なのだ。つまり、自意識が人一倍強い。だから、孤独のために、人々が多用しているそれの中で、「取り残され感」を抱くのだ。何度となく一人の方がマシだ、と感じ、自分の中に引き篭もってきた。その結果として、私は今、社会不適合者だ。

 それでも、私は心の全体と全体で関わるのを渇望してきた。そして、私が無意識のうちに発明した黄金パターンは、仲良くなれそうな相手の問題を共有し、それを一緒に解決していくことだった。つまり、交友関係にカウンセリングを持ち込み、相手の心が全体性を回復する瞬間に立ち会うことだった。心の全体性を回復した相手は手に負えないほど存在が圧倒的になる。人間は誰しも手に負えない創発性を持っている。私は提案する。自分自身と隣人と一緒に心の問題を解決し、心の全体性を回復させよう。心の問題は互いに相似する者も多い。だから、取り組みを足元から広げよう。そして、愛に溢れた人生へ。

・若松優弦      青森県立田名部高等学校2年      彼らが辛いとき 

私は日本に住む普通の高校生で,差別を実際に目にすることはない。田舎に住んでいるからか,多様な肌の色などを目にすることもまれだ。しかし、一度世界に目を向ければ,差別が溢れている。アメリカでは黒人差別が目立つが,原住民も差別されてきた。イスラム教徒はテロと結び付けられ,そのイスラム教の中では女性の地位は低い。日本でも同和問題やハンセン病など,差別が行われてきた。どんな理由にしろ,人間の歴史は差別の歴史を内包していると言っていい。

 こうした歴史的問題の他にも、世界には多様な苦難がある。いじめ、虐待、飢餓、戦争、紛争などが挙げられる。日本では、大人が担うべき家事、育児、介護を担っているヤングケアラーが問題になっている。

 これらの問題に対して、NPOなどが解決に向けての活動を行い、政府も時には他国の手を借りつつも解決を目指している。

 こうした活動はテレビなどのメディアでも取り上げられており、平和な社会から取り残された人々に、少しずつ手が差し伸べられている。

 ところで、私は今こそ目を向けるべき人が他にもいると感じている。それは、「手を差し伸べている人々」と、「加害者側の人々」だ。

 まずは、「手を差し伸べている人々」だ。この視点で見るときに日本人が理解しやすいのは虐待の問題だろう。

 日本の虐待事案に対処する機関は、児童相談所が有名だ。地域の方からの通報を受け、または親からの相談により指導、必要ならば保護を行う。このとき、特に保護は十分な調査を行ってからなされる。ことを急くと判断ミスを産み、幸せな親子を引き離すことになりかねないからだ。実際にそうした事例があり、もっと慎重になるべきだったとの批判に晒された。しかし慎重に調査しているうちに、命が失われてしまった事例もある。こうした事例では、早急に対応できなかったのかという批判が見られる。

 虐待に対処するという行為には、危険が伴う。単に暴力的な人が虐待をしているというだけでなく、我が子を取られる、虐待が露見するといった恐怖から、極端な行為に及ぶ人は多い。そして小さなミス一つが、子どもの死に繋がる。そんな綱渡りな仕事を行ってくれている。また、労働時間と給与が見合っていないという声もある。

 そんな自らを切り詰める仕事の中で子どもの命を取りこぼしてしまったとき、私たちは彼らを責める。「金もらってるんだろ、仕事しろよ」と言ってしまう。彼らも追い詰められているというのに、だ。子どもたちの幸せのために、彼らの幸せが、心が、不幸の中に取り残されてしまうのだ。

 次に、「加害者側の人々」だ。この視点になぜ立つのか、という疑問は最もだ。「加害者である人々」が、罰を受けるのは正しい。ただ、「加害者側の人々」は違う。「加害者である人々」と同じ属性、例えば肌の色、宗教、国籍、血統を持つだけであり、「加害者である人々」そのものではないのだ。子どもたちは黒人を嫌っていないし、部落出身かどうかなんて気にしていないのだ。それなのに「おまえらは差別してきたんだ」と言い続けることは、逆差別にほかならず、新たな差別を生むことにも繋がりかねない。

 また、「加害者である人々」に過剰な罰を与えることも問題である。立場が逆転してしまうからだ。その逆転は繰り返され、余計に多くの人が傷つくことになる。

 大人たちはいがみあっていても、子どもたちは手を繋げるはずだ。我々にできることは、子どもたちにその手本を見せてやることである。

 差別を無くすことができるのは、差別・被差別意識を持つ者たちだけだ。子どもたちが肌の色を疑問に思うのも、服装の違いを不思議がるのも、ただ好奇心に従っているからに他ならないのだから。「そんなこと聞くんじゃありません」の言葉で片付けては、「へんなの」というイメージがついてしまう。

 私は、以上のことから、誰も取り残さない社会のためには、取り残された人だけ見ればいいと言うことではないと考える。

 手を差し伸べた人が辛いとき、手を差し伸べられるのは我々傍観者であり、助けられた人なのだ。差別を止めることができるのは、差別してきた人、そして差別された人なのだ。

・神林結菜      常総学院中学校2年      性の多様性について、思うこと。 

BLが好きだ。大好きだ。BLとは、『ボーイズラブ』の略称。その名の通り、よくある王道ラブコメの男性バージョンである。一般的にそういうのを好む人間を『腐っている』と称するのだが、私は気がついたら腐っていた。小学生の頃は別に隠したり言ったりもしなかった。

しかし、それを恥ずかしいと思い始めたのは中学生の頃だ。笑い物、揶揄いの対象の立ち位置に腐女子はいたからだ。最初はそれを当然と思っていた。だって、男性同士の恋愛を好むんだぞ?人によっては、嫌悪を催すだろう……。と、納得していた。

しかし、違和感を覚えたのは私が友達と共通の漫画の話をした時だ。その子とは好きなキャラの話をしていたのだが、その友達はある異性キャラを出し、『この二人は絶対付き合う!』と鼻息を荒くして熱弁したのだ。その時は微笑ましいな、楽しいなと感じていた。しかしその一瞬後、私は違和感を覚えた。『違和感を覚えない事』に、違和感を感じたのだ。

なんで、異性の恋愛話は『普通』で、同性の恋愛話は『笑い物』なんだろうか。その疑問に私は、答えが出せなかった。それ以来私は、BLから一歩離れるようになった。

マジョリティ側になるのが怖かっただけだ。自分の好きな物を、自分を笑われる事が怖かった。それが転じて、いじめられたり揶揄われたりするのが怖くて仕方が無かった。だから、好きな物から離れた。自分の好きな物は、自分だけが好きで居ればいい。そんな風に強がって、私はマイノリティ側に必死にしがみついた。

そんなつまらない日々を送っていたある日、学校で『SDGs』の授業を行った。話題に乗じて、SDGsに取り組んでいますという肩書でも欲しいのだろう。特に意欲的に取り組もうとした訳ではなかったのだが、私はそこで、楽そうだからという理由でジェンダーレスの取り組みについて学んだ。LGBTやバイセクシャルなど、性に対する多様性を認め、差別のない世界を作ろう!という取り組みを主にしているらしく、「男らしく」や「女らしく」を撤廃したいと考えているらしい。

この『性の多様性』というのは、BLにも深く関連する事ではないか?

そう確信した私はそれを詳しく学び、数日後に、あの漠然と感じた違和感に対しての自分なりの答えを導き出した。

〝『恋愛は異性同士で行う』という固定概念があるから、BLやGL(ガールズラブの略称である)に違和感や嫌悪感を示すのではないか〟。そんな結論だ。

そもそもの話、『BLやGLは変な物』『一般的には好かれる物じゃない』と感覚的に理解していたのだが、理論で考えてみて、何かそれらに変な点はあるのだろうか。憲法に違反するわけでも、モラル違反に該当する訳でもないのに。百歩譲って私たちのような『腐った人間』に対し偏見を抱くのは理解できるが、それらを能動的に行う事は、決して変な事でもなんでもない。だから、恋愛が普通であるのならばBLやGLも普通であるべきなのだ。

だがしかし。それを盾に実在の人物に対してBLやGLを当てはめるのもまた、モラル違反だと私は考えている。実名を出して「〇〇×〇〇が〜」などとするのは、良くない事なのではないか。検索避けを行う、発信しない、ファンアートと二次創作を区別するタグを付けるなど、出来ることは沢山あるはずだ。

そんな事を周囲の人間に力説したって笑われるだけだ。或いは、心のうちで嘲笑される。例えば母にそう力説すれば「へぇ、そんなに好きなんだ。へぇ」と哀れむように見つめられるだろうし、友だちにそう言えば「やっぱり腐ってるんじゃ〜ん」と揶揄われるだろう。

BL、GLの一般化はとても難しい事だと思う。どうしても、偏見や『マジョリティ側の意見』というのは拭えないだろう。それに、嫌悪感を抱く人に強制するのはそれこそ悪である。性の多様化であると同時に、恋愛観も多様なのだ。

「性多様化なんだから、文句言わずに受け入れろ!」なんて言ってしまえば、お前の『多様化』は何なんだ、性別の多様化は良くて恋愛観の多様化はどうでもいいのか?となる。第一、そんな上っ面だけの理解に意味などない。

なので、「好きになって」とまでは言わない。せめて、「そういう考え方もあるんだよ」という事は認めて欲しい。何も変な事など無い『恋愛』なのだから、BLやGLだからといって、差別的に思うのは辞めてほしい。

しかし、こんな風にパソコンで打ち込んでいるだけじゃ歴史も明日も何も変える事など出来ない。口だけの奴に、現状を打破する人間が居た例などない。BL、GLが「普通」の世界になるのはきっと、性の多様性が当たり前と化し、LGBTやバイセクシャルなど……それらが、当たり前――『マイノリティ』になった時代だ。

その時代はきっと、いつか来る。みなが望んでいるのだから、何時かは実現しうる。しかしそれはきっと、様々なひとの「積み重ね」によってのモノだ。幾らちいさな一歩でも、それがおおきく積み重なり、夢を叶えるに至る。

だから私は、声を大にして言おう。これが性の多様性に繋がるよう祈って。

それがいずれ、笑われなくなると信じて。

「私は、BLが好きなんだ」

・江川海人 横浜国立大学都市科学部3年  私を変える、隣人を変える。       

まず初めに、「誰ひとり取り残さない」とは一体どういうことなのか。

 私は、皆が不必要な拘束から解放されながらも、愛によって構成される社会的包摂の実現であると定義する。言い換えれば、人間としての充分な権利を行使しながら、思いやりを受け与えることができる社会の実現であると考える。

 しかしながら、それは夢物語すぎはしないか?

 世界を見れば、飢餓で苦しむ人間が溢れ、戦争や紛争で無慈悲に大量殺害が日常である地域も存在する。安全だ、素晴らしい国だと謳われる日本においても、貧困は深まり、自殺は絶えず、当たり前のように性差別、人種差別が繰り返されている。

 このような世界では、あらゆる側面で、「誰ひとり取り残さない」などという夢物語を実現できるようには見えない。競争の中で裏切り合い、無関心の中で傷つけ合っている。

 しかし、実現が非常に困難であっても、立ち向かうことはできる。改善することはできる。今日より明日を、今世紀より来世紀をより良くしようと、世界中の人類はたゆまぬ挑戦を重ねている。

 その中で「私」は何ができるのか。個人、つまり一人称でできることとは何なのか、私の考えを以下に述べたい。

 私を変える。

 世界は1秒で変えられる。世界とは個の集合である。世界が変わるためには個が変わらなければならない。同時に、個が変わった瞬間、世界は変わる。世界を変えることはいとも簡単なのである。

 例として、性差別に挑戦することを考える。そのために1番初めにできる1番簡単なことは、自分自身の言動を見直し、それを改善することである。自分自身に不合理な偏見はないか?自身の言動が周囲の人間もしくは自分自身を傷つけていないか?家族、友人、同僚など様々な人たちに対しての言動を省みて、明日からその言動を変える。とてもシンプルだ。

 確かに簡単にはいかないだろう。程度の問題も生まれてくるだろう。全てを完璧に達成することは決してできない。けれど、まず簡単にできることを一つだけでもやればいい。

 友人や家族が性差別的なからかいを受けている時に迎合して笑わない。属する集団の中で、性差別的な意思決定が行われそうな時、それに同意しない、もしくは否定する。大した労力はかからない。

 隣人を変える。

 よく聞くもので、「人(他者)は変えられない」というフレーズがある。しかし、本当にそうだろうか?私はそうは思わない。人は変わるし変えられる。

 このことは冷静に考えれば全員が同意するはずだ。10歳の時の自分、30歳の時の自分、同じ性格だと言えるひとはこの世に一人もいないだろう。脳の神経の変化を考えても科学的にも確からしい。併せて、その変化において、他者の影響を受けた/つまり他者に変えられた要素がないことなどあり得るのだろうか。人間は常に他者から影響を受けている。暮らす時も学ぶ時も働く時も、他者と接する。その他者から影響を受けないこと、そのようなことはありえない。

 また例を考えたい。夫婦別姓に関する法改正を私は絶対にするべきであると考えている。夫婦のどちらかが社会的な不利益を被る可能性が高いことはもちろん、個人のアイデンティティと深く結びついている名前に関して理不尽な制約があることは、個人の権利を侵害している。

 これに関する社会を変えるアクションとして、まずできる非常に簡単なことは「隣人を変えること」である。私はこの話題が出るたびに、友人や恋人に絶えず問題提起をしている。それで隣人の意見が変わる必要は決していない。けれど、確実に影響は与えている、変化を与えている。その瞬間に、隣人は確かに変わるのだ。

 この行為は砂のようにくだらないことだと思うかもしれない。けれど、そのインパクトは計り知れない。砂も集まれば山となる。そして人間が起こす社会変革について言えば、一粒の砂は突然、岩になることさえできる。物理法則を無視できるのだ。一つの気づきで、人間は大きく言動を変えるケースは多く存在する。だから、隣人をたったひとり変えること、これは社会変革を起こすための確かな道なのである。

 私を変える、隣人を変える。

 この姿勢を持って、無理なくできる範囲を少し超えてアクションを続ける。これで間違いなく世界は前に進む。「誰ひとり取り残さない」という理想に近づける。私はこの文章を書くことで、自分自身の思いを伝えるというアクションを起こした。つまり、私を変えた。これを読んだ誰かは、友人は、家族は、何か気づきを受け、アクションを変えるかもしれない。隣人は変えられる。

 世界は変えられる。私が変えられる。諦めてはならない。

・菊池隆聖      早稲田大学社会科学部2年 

イレギュラーな社会で生きる ー地域コミュニティの必要性ー     

誰ひとり取り残さないという理念は、誰もが賛同しうる考えだろう。性別で差別をする風潮や出生地で基本的な生活を守られない制度は、あってはならない。日本も、世界も、支援を必要とする人々が多く、国や企業、個人が協力・パートナーシップを組むことを加速させなければならない。では、一度社会に認められない行動をした、モラルやルールに反した人々も、誰ひとり取り残さないという平等的な支援に含まれるべきなのか。

 私は平等な支援をすべきと考える。一度の失敗であれば反省している可能性もある。しかし、被害者である人々が、加害者に対して、平等的支援を求めるだろうか。少し視点を変えてみる。父親の年収が高く、非常に裕福な生活を送る子どもがいる。しかし、その子どもの母親は亡くなり、父親は仕事で、孤独な生活を送っている。では、その子どもは本当に幸福なのか。一般的な家庭の幸せはない。少しひねった例えではあるが、誰ひとり残さないの「誰ひとり」という定義は難しい。一度失敗した人は社会にレッテルを貼られ、完全な社会に復帰するのは困難である。父親のみの子どもは、裕福な生活はある反面、幸福度は高くはない。

 一般人や普通の人といわれる定義は曖昧で、普通の社会(レギュラーな社会)など存在しない。性別や出生地、バックグラウンドが異なる人々がいて、多様性や個性として、誰もが自分らしくいる権利を持っている。そのような人々で構成されるグローバル社会は、イレギュラーな性質で構成された社会だ。違いがあることは当然で、誰もが理解と支援する/されるべき関係なのだ。ただし、最も取り残されがちな人も多く存在し、早急な対応をしなければならない。

 そんなイレギュラーな社会で、誰をも理解し支援しあうにはどうすればよいのか。まずは、意識改革を加速していくアイデアを提案する。意識変化は、生活や性格に影響し、困難だ。相手を理解するには、自分自身が培ってきた経験を色眼鏡のように理解するプロセスがある。時間がかかり、嫌味がなくとも理解が難しい風潮や文化はあるだろう。私は、そのような時間や経験は必要だと思う。自身が持つアイデンティティと照らし合わせて、丁寧に新たな価値観を作り上げるからだ。しかし、相手を理解するときには、集団としてではなく、個人で捉えるべきだと考える。同じ病気や障がい、バックグラウンドにみえて、それに関係する性格・気持ちや人間関係は異なる。障がい者や社会的弱者を一集団ではなく個人とみるまなざしを持つことが一歩になる。それは、レッテルを貼られた人も、裕福な子どもに対しても、同じまなざしを持って関わるべきだ。

 そして、この改革を進める鍵として、地域コミュニティによるまちづくりが挙げられる。まずは、支援を必要とする人を対象に、仲間意識や帰属意識を持てる機能を作ることだ。いわゆる信頼関係の構築だ。コミュニティの内容や活動は、各地域の特色や要望に合わせる。ただし、そのコミュニティではイレギュラーな社会で生きる個性として、参加することが前提条件だ。また、理解をする側として、習慣化・無意識に人を救える機能を作るべきだ。多文化共生や理解は、良い事だ。一方、自分の持つ文化やアイデンティティを簡単に相手に合わせることも困難で、複雑なジレンマである。そこで、互いに生活を変容できないのならば、逆転の発想で、変容せず共生できる仕組みを作ればいいと考えた。どのような問題であっても、興味関心は人それぞれあり、どこかでめんどくささを感じる。そのめんどくささは、人間の根本的な思考であり、止める方がストレスとなり、理解に苦しむだろう。まずは地域に根ざながらも異文化や異質と解釈されてしまった事柄を取り入れることから始める。例えば、イスラム教が多くいる街では、スーパーにハラール認証の食べ物を増やすだけでもよい。私自身もいつの間にか目にしていた景色が、無意識に社会課題を認識し、解決に貢献できる仕掛けづくりを行いたい。

 地域コミュニティとは、住人、通学や通勤などで関わり、切っても切れない存在である。そんな地域コミュニティは、日常性を特徴として持ち、うまく活かせば何らかの行動を習慣化させることができる。その習慣化された行動は、地域コミュニティで還元され、社会課題の解決に徐々に貢献していく。誰ひとり取り残さないという理想的な理念は、当事者意識を持ちにくい部分もある。しかし、ローカルベースで物事を考え、身近な関係から行動を始めれば、いずれ社会や事象と繋がり変化を生み出せるのが魅力的だ。

 イレギュラーが沢山ある社会では、すべての物事に目を向けるのは、身体が足りない。しかし、地域コミュニティは身近で困っている人を助けることで、遠い意識であった人々にも目を向けられるようになる。そのような積み重ねが、誰ひとり取り残さない、誰もが活躍できる社会を作り上げるのではないか。

・石﨑大祐      弘学館高校3年生 「障がい者」を英語で言うと?   

「普通に生きなさい。」私はその言葉を、小さい頃から何度も聞いた。私にとって普通なことも、拒否されることが多くあった。私はこんな日本から離れて、別の国などで将来暮らしていく計画を立てていた。しかし私は、その計画を実行するのをやめた。なぜなら、自分自身で日本を変えて他の人にとっても暮らしやすい国に変えたいと思ったからである。どのように変えていくかを、話していこうと思う。

 「そんなこと、小さなこと気にしないで。」私は小学生の頃から今に至るまで、ずっといじめを受けている。私が受けているいじめは、物理的ないじめではなく精神的ないじめである。いじめの相談するたびに、その言葉を言われる。二十四時間ホットラインに電話しても、繋がらない。私は、高校二年生のある日までずっと病んでいた。そのある日とは、日曜日のことだった。いつも勉強に使っているルーズリーフに、今受けているいじめの内容を物語風に、書いてみた。すると、小説っぽいものができた。そこから僕は、小説を今に至るまでずっと書くようになり、心も病まなくなった。今では「深亭嶌ゑ」というペンネームで、小説応募サイトで投稿をたくさんしている。

 「自分の小説で、人を助けよう。」そう思って色々書いてきたが、やはり難しかった。両親が歯科医師であり、文系職業に抵抗がとてもあった。それでも私は、「自分みたいな人を助けたい。」その一心で夢を探しながら、小説を書いていた。ある日、両親の仕事を見ることになった。本業歯科医師、副業株式会社取締役会長。その事実を知ったとき私の脳内に、電流が流れた。「歯科医師は儲けるし、医師と比べて時間がある。」私はその儲けたお金で、人を助ける計画を立てた。まず、歯学部歯学科のある大学に入学する。次に、大学在学中に「心理系・小学教員免許第二種・できたら弁護士」の資格を取ることを決めた。大学院では、臨床心理士コースの大学院へ行く。最後に、将来儲けたお金で、「NPO法人ぴーす」を作る。このような壮大な計画を立てた。そのことについて、詳しく説明しようと思う。 

 「おまえなんかに、無理だよ。」その計画を話したとき私は周りから、そんな言葉が飛び交っているが気にしなかった。この世の中は、助けてもらいたいときは、お金がとてもかかる。それを改善するのが、僕の計画である。歯科医師では十分に儲けるため、必要最低限の値段は取らないようにする。心・法律相談費用・特別塾授業料は、すべて無料。誰一人差別なく、相談できて授業を受けれる環境にする。小学生の頃から悩み相談できる環境を作ることによって、一人になりやすい人が減ると思う。中学・高校生なっても、臨床心理士として私がいるため心が打ち解けれると思う。それ以降は、私の歯科・メンタルクリニックで助ける。その人たちをずっと、一人にさせないことができる。一人になった人たちの「かけら=ピース」を集めて、その人の世界を「平和=ピース」にする。をコンセプトに、NPO法人ぴーすを作る。そこでは子どもが緊張しないで気軽に入れる、法律事務所を設置する予定である。

 「障がい者を英語で言うと?」このことを先生に聞くと、「能力がない人」という意味で使われる単語を言った。私の海外の友達に聞くと、「障がいと共に生きている人」という意味で使われる単語を言った。やはり日本は障がい者に限らず、LGBTなどの自分とは違う人を差別するような政策や言葉が、多く存在する。人によって普通は、違う。自分の普通を押し付けて、個性がなくなっている人が多いのが今の世界である。それゆえに、私のように意見をはっきりと言える人は中々いない。なぜなら、差別やいじめを受けるのがトラウマになっているからだと思う。そのような人のためにも私は立ち上がり、絶対にまず日本を変えて次に、世界も変えたいと強く思っている。大学生なったら、「樹懶だいすけ」という名前でそのような活動をSNSで活発化し、「深亭嶌ゑ」という名前で小説をもっと書いていこうと思う。

・坂本梓        美馬市立江原中学校      どうすればいいのだろうか       

誰一人とりのこさない、というのはできない。どんなに努力しても救いの手からこぼれ落ちてしまう人がいる。病気で亡くなる人がいる。戦争で亡くなる人もいる。事故でも自然災害でも。どうすればみんなを救うことが出来るのだろう。

 誰かのために生きていくというのは自分のために生きていくということになるのかな。そうなることも多いけれども、あなたのため、と思ってやったことがおせっかいになってしまったり怪我をさせてしまったりということだってあるのです。

 誰だって困っている人を助けたいと思う、というけれども、本当に苦しかったら自分自身だって助けられないのではないかな。

 私ができることはめんどうくさいことを言ってくる人の文句とか文句とか文句とかを、そうだね、そうだね、そうだね、と聞き続けることです。

 私はそうして苦しくなってしまう。これは誰一人とりのこさない、にはならないのではないかな。

 私の考え方は間違っているのかな。友達みたいに何でも大丈夫、何とかなる、うまくいく、って思っている方がいいのかな。

 誰だって自分が大事だと思う。気分でいらいらしたり、にこにこしたりしてしまう。機嫌悪い時に誰かの幸せなんて考えられない。

 誰であっても助けるというのは本当に難しい。平等といっても大人は本当に平等になんてしていない。

 誰もがしあわせになるというけれども、しあわせと思えるようなことがばらばらなのだからみんな違う希望をかなえることはできないのではないかな。

 私は冷たいのだろうか。良くない考え方をしているのだろうか。みんな仲良く、っていうのは本当に実現しないと思ってしまうのはいけないことなのだろうか。

 私は何もできない。力がない。とりのこされたほうの一人なのだろうか。それでも、毎日楽しく暮らすことができている。

 私は一体何をすればいいのだろうか。何が出来るのだろうか。やれることをして、それが自己満足でもいいのだろうか。

 誰かを救うことは自分も救うことになるのだろうか。とりのこさないでみんながしあわせになれる世界ってどういうものだろうか。

 誰かといった時の誰か、って一体どこのだれなのだろうか。誰かといっているばかりで名前がないから分からない。

 誰かではなくって、あなたをたすけたい。あなたのその悩みを解決したい。あなたをしあわせにしたい。それならできるのかもしれない。

 私はあなたを助けます。

 私はあなたのことを大切に思っています。

 私はあなたのことを見守っています。

 私は私も大事にします。

 私は私を変えます。

 私は私の未来をよくします。

 私は、力がないかもしれないけれども、それでもできることをします。

 私は、変なことを考えているけれども、助けようとは思っています。

 私は、私をとりのこさないことから始めます。そして、いつかあなたを、誰かを助けます。

 

・齋藤舞        会社員  「普通に」生きてきた、わたし   

私はいわゆる「普通の人」だ。五体満足で生まれ、大きな障がいもなく「普通に」進学し、「普通に」就職した。

そんな私が、唯一取り残されていると感じる瞬間は「将来の夢」を聞かれた時である。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会人になってまでその問いは私を追い詰める。幼稚園や小学校の頃は、なんの疑問もなく、ただ近所の小さな子と遊ぶのが好きで保育士になりたいとよく書いていた。ただ段々と現実が見えるようになってきて、自分は何になりたいのかを考えるようになった。向いていること、向いていないこと、得意なこと、苦手なこと、様々な面から考えるとがんじがらめになって、どんどん沼に沈んでいく感覚に陥る。自分が何者になりたいのか、何者になれるのか、自問自答しても全く答えは見えない。夢を持つことは小さい子供からお年寄りの方まで、誰だって出来るのになぜ私は夢がないのだろう。

高校三年生になり、いよいよ本格的に進路を考えなくてはならない。センター試験は近づいているのに、大学で何を学びたいのかすら定まらない。「私はね、将来は学校の先生になる!」と、真っ直ぐな目で夢を見ている友人がいた。羨ましかった。どうして私には将来の夢がないのだ。同じだけの年月を過ごしてきたはずで、同じように大人になるはずなのに。どこで夢を見つけたの?いつからなりたかったの?聞きたいことは沢山あるのに、一言も言葉にすることは出来なかった。周りの友人が次々に進路を決めていく中、私はいつも取り残されているような感覚だった。

大学生になっても続く問い。就職活動が本格的になってきて、生きてきた中で一番「将来の夢」を問い続けた。これまで過ごしてきた中で勿論、この人素敵だな、こういう職業楽しそうだなと思うことはあった。ただどれも「将来の夢」にはならなかったのだ。それもなぜなのか。答えが全く出ない。苦しい。夢がないということが、どうしてここまで私を苦しめるのか。現段階での答えは、世の中に取り残されているような気がするからだと感じる。電車の中の広告でも「夢は叶います!」、本やSNSでも「夢を諦めるのはまだ早い」「夢を追いかけている姿が素敵」というような言葉をよく目にする。夢を持っていることが大前提なのだ。夢を持っているからこそ人は生きていくのだと言われているような気分になって、私の目の前は真っ暗になった。

なんとなく「向いているかもしれないから」という理由で就職してしまった現在。私はまだ夢を探している。夢が見つかったら取り残されずに済むだろうか。それともまた別の世界に取り残されてしまうのだろうか。それは分からない、まだ私は”この世界”に取り残されているのだから。「普通に」生きてきたはずなのに、私はいつから取り残されてしまったのだろう。

・成田蒼        株式会社相合家具製作所  多様性による圧迫感     

最近、L G B T Q+の話題をよく見聞きするようになった。私がより意識するようになったのは、高校生の頃だ。おそらく今の私は、あえてL G B T Q+の中に分類しようとしたら、Q+。でも、「おそらく」でしかない。L G B T Q+のことを知るまで、私は性自認や恋愛対象について詳しく考えることはなかった。ちなみに戸籍上は女性だ。見た目はかなりボーイッシュで、メンズ服を着て、髪型はベリーショート。でもこれは、私が置かれた環境の延長戦から生まれた見た目だ。私は幼少期に肌トラブルがあり、頭皮の負担を軽減するために伸ばしていた髪型をベリーショートにした。服装も肌に負担をかけないようあまり装飾のないゆとりのある服を選び、それはメンズライクな服装が多かった。遺伝的に足のサイズが比較的大きく、レディースの靴や靴下には自分のサイズがないことが多いため、メンズのものを履いている。肌の問題が解決しても、メンズの服はレディースのものよりも私にとっては都合がよく、髪型も短い方が楽であるという理由で伸ばすことはしなかった。中学生になり制服でスカートを履くことになった時、慣れない服装で脚がスースーするし、似合わないのではないか、なんか恥ずかしいな、という感情は持ったが、拒絶するようなことはなかった。友人関係では男女問わず仲が良く、男友達とゲームの話をしたり、女友達と恋バナをして盛り上がる、そんな中学生だった。高校では制服がなく、ある程度のルールを守れば好きな服装でよかった。当時の私は髪が短いことから男の子に間違われることが多く、高校の同級生にまずは女子であることを認知してもらえた方が都合がいいと思ったことと、駅のトイレですれ違った人に訝しげな目で見られることが不都合だったので、主にスカートを着用して通学していた。でもそれは、周りの目を気にしたことによる選択であって、私が本当にしたい格好ではなかったと思う。私はこれまで、男の子にも女の子にも告白され、付き合ったことがある。相手からの好意を無下にはできないという考えのもと「付き合う」という選択をしたのだが、結局は相手のことを恋愛の対象として見ることができなかった私の問題で別れることになった。その頃、初めてL G B Tという言葉を知り、「もしかして自分はこれなのかもしれない」と、L G B Tに関連する情報を集めた。性自認について、恋愛対象について、愛情や友情について、世界にはそれらについての様々なカテゴリーがあることを知った。私はどこに当てはまるのだろうと考えたが、いまだに答えが出ていない。L G B T Q+と合わせて「多様性」という言葉をよく耳にするようになり、個々を表現しやすくなったように見える反面、「何かにカテゴライズしなければならない圧迫感」を感じる時がある。同じように感じる人が、どこかにいるのではないだろうか。セクシャリティの認識の広さが普及しつつあるからこそ、私は自分がどこに属するのかわからなくなってしまった。わからないことに戸惑って、焦っていた時期もあった。今でもこのことで不安になることがある。しかし、焦って答えを出す必要もないのではないかと思う。自分のことをカテゴライズできていない私は、取り残されている側なのか。私は、きっとカテゴライズしなければいけないという圧迫感を生み出す世界の方が、多様性からもっとも遠い存在になっていると考える。カテゴライズすることに縛られない、それが私の考える「誰一人取り残さない」世界の1つの考えであり、これから目指すべき世界の1つだと考えている。

・正本杏奈      玉川大学 2年   なぜ自分の悩みは、自分にだけ重大なのか?       

なぜ自分の悩みは自分にしか理解できないのか。私を含め、多くの人は他人にはなかなか理解してもらえない自分の悩みを抱えている。また、これは金銭面などの様々な事情を考えると、簡単には解決しない悩みであることが多いと感じる。この論文では、何が個人の抱える悩みをこれほど重大にしているのかを明確にし、その解決方法を見出す。

 滑舌が悪い人をいじっている光景をよく見かける。愛のあるいじりであれば問題ないが、ときに傷ついてしまうことがある。実際に、私は舌が短いことや歯並びが悪いことが原因で滑舌があまりよくない。そして、滑舌の悪さを「なんて言っているのか分からない」「聞き取れたらすごい」と嫌味のようにも感じられる表現をされたことが多々ある。私の場合、悪意を持って言っている訳ではないと理解しているため傷つかないが、全員がそうとは限らないのだ。そして、私は軽い吃音症だと認識していて、言葉を流暢に話すことが難しい。この2つの悩みは、発表時に特に気になり、ストレスとなる。なぜなら、明確に分かりやすく聴衆に発言しなければならず、途中で止まってしまったらどうしよう、聞き取れなかったらどうしようなどとプレッシャーが重くのしかかるからだ。しかし、このようなプレッシャーは自分が悩みについて考えすぎているだけであり、気にする必要などないのである。そして、仮にも悪口のような発言をしている人がいたら、その周りにいる人も助けようと手を差し伸べるべきだと考えた。そうすることで、誰も取り残されないからである。

 HSP(ハイリーセンシティブパーソン)とは、生まれ持って神経が細やかで感受性が強い性質がある人のことである。これは病気ではないため、日常生活において大きな支障はない。病院で治す必要がなく、もともとの性質であるからこそ、私は本当にHSPであるのかはっきりと確信できていない。私は幼い頃から、簡単な物事でも考え過ぎてしまうこと、不安や恐怖を感じやすく疲れてしまうこと、何かを伝えたい時に涙が溢れ出てきてうまく話せなくなってしまうことなどの悩みがあった。自分だけがこの悩みを抱えているのかが気になり、なんとなく検索したところでHSPという性質を見つけたのだ。HSPの弊害は自分自身に高度な要求をしたり、恐怖心や不安を感じて湯鬱になってしまったりすることで、結果ストレスを与えてしまうことにある。しかし、これは「楽観的な人」や「せっかちな人」と同様にデメリットばかりではないと感じた。例えば、感受性が豊かで気配りができること、責任感が強いことなど、HSPだからこその強みなのだ。私はHSPをひとつの個性であり利点であると捉えることで、コンプレックスを感じなくなった。自身の好きではない部分でも、見方を変えると好きな部分に変わるのだと考えた。

 自分の悩みは自分にしか理解できない。他人は自分が考えているほど相手の悩みを気にしていないからだ。歯並び、性質、体型・容姿などに対する社会が作り出したマジョリティとマイノリティの偏見が、個人が抱える悩みを重大にしていると考えられる。マジョリティ・マイノリティという考え方を無くすためには、人類の一人ひとりが考え方を見つめ直さなければならないのだ。みんな違ってみんな良いということを大事にして、それぞれの個性、多様性を認め合うべきだ。

・濱辺逞        富山市立奥田北小学校 5年      必要なのは、知ることと行動すること       「みんな持ってるのに、なんで買ってくれないの。」

スマートフォンかゲーム機が欲しいと母に頼んでだめだと言われたとき、僕は友人の輪に入れないのが悲しくて、つい母に対して大きな声でそう言ってしまいました。母も悲しそうな顔をしながら、ダメなものはダメと言いました。

 僕は小学五年生です。周りの友人は、放課後にゲーム機を持ち寄って遊びます。中には、タブレットを持ってきて動画を撮影し、YouTubeごっこをする人もいます。僕はそれを、眺めているだけです。辛い気持ちにもなります。母は僕の気持ちなんて分からないんだ、と思っていました。僕は一人、取り残された気分でした。

 しかしある時、母は一枚の写真を僕に見せてくれました。その写真には、パソコンや冷蔵庫、テレビなどの電気製品が、学校のグラウンドよりも広い場所を埋め尽くしてゴミの山をつくっている光景が写っていました。ゴミ処理場の写真かと思いましたが、それはアフリカ大陸にあるガーナという国の、アグボグブロシー地区の街の光景だと母が教えてくれました。街中にどうして電気製品のゴミがあるのか理解できなかった僕に、母は2枚目の写真を見せてくれました。それは、現地の住人であろう人がゴミ山のあちこちで電気製品を燃やしている写真でした。いよいよ意味が分からなかった僕に、母は「電子ゴミ」のことを教えてくれました。僕は、母のタブレットを借りて電子ゴミについて調べました。 

 現在、世界の電子ゴミの量は年間5000万トンを超え、年々その量は増加を続け、2030年には7000万トン以上になると言われています。そして驚くべきことは、それらの電子ゴミのほとんどは先進国から出ているものであるにも関わらず、僕が写真で見たように一部の発展途上国に電子ゴミが行き着いているのです。では現地の人たちが電子ゴミを燃やしているのはなぜかと言うと、電子ゴミのプラスチック部分などを燃やすことで、中から再利用できる貴金属を取り出せるからでした。しかし、その作業を続けることによって有毒な煙を吸い、肺の病気を引き起こしたり、癌のリスクを高めたり、さらに妊娠中の人は流産や産まれた子のし先天的身体欠陥の可能性も高まるそうです。もちろんそれらの有毒性物質は燃やした時に大気中や土壌に浸透して汚染をもたらすので、自然や生態系も壊してしまいます。

 どうしてこんな現状を、作り出してしまったのでしょう。そう考えた時に僕は、周りの友人がみんなゲームやスマホを一人一台ずつ持っていること、そして母に言われた「ダメなものはダメ」という言葉にたくさんの意味が詰まっていたことに気づき、ハッとしました。まだ使えるけど飽きたから新しいゲームを買う、まだ使えるけど新しいバージョンが出たからスマホを買い替える、一人一人の、その行動の繰り返しが作り出してしまっている現実を、みんな知らないままで良いわけはないと僕は思いました。

 国連が提唱したSDGs17の目標の中にある169のターゲットは、多くが2030年までの期限ですが、20項目だけ、2020年までのものがあります。その中の一つ、目標12「つくる責任つかう責任」の中のターゲットには「化学物質やすべての廃棄物の環境配慮を達成して、人や環境への悪影響を最小限に留める」とあります。2023年、まだこのターゲットは達成されていないと僕は思いますが、他の目標より早くに期限を設定したのは、それだけこの問題が重大だからだと思います。解決に向けて僕ができること、それは「つかう責任」を知ることです。電子ゴミの実態を知ることができたのは、母がタブレットを貸してくれたからです。そのように、もう産み出されている便利なものが世の中から無くなることは、考えられないと思います。タブレットを使って知ることができた、電子ゴミの実態というのはなんだか皮肉です。でも、知ることは行動を変えることだと思います。もう僕は、むやみにゲームやスマホを欲しがっていません。すると外で遊ぶ仲間もできました。例えいつか自分が電気製品を買う立場になった時も、本当に必要か、長く使うかを、考えてから買うと思います。そして長く使えるように努力すると思います。こうして僕の意識や行動を変えてくれたのも、タブレットの便利さがあってのことです。大切なのは、どう使うか。「つかう責任」を持つことだと、僕は思います。もう僕は、取り残されているとは感じません。大切なことが何かが、分かったから。

・石森一輝      市立札幌開成中等教育学校5年    孤独を考える授業       

私は、私だけが取り残されていると感じることがある。孤独だと感じることもある。その原因として考えられることの1つに、自分が同性愛者であることのコンプレックス意識が挙げられる。このコンプレックス意識に関して、同性婚が認められない現状や、社会生活を営む上で避けられない偏見や無意識の差別が存在する以上、避けられないものであると感じる。私は今回、若年層のLGBT当事者の多くが抱える精神的孤立、さらにそれに起因する自殺願望や精神疾患に着目して、「誰ひとり取り残さない」ために何が必要なのか考えた。そして、それを実現するために私が考えたアイディアを提案したい。

 若年層のLGBT当事者が精神的孤独を感じているということは、実際にデータによって示されている。2021年12月、内閣府が16歳から19歳の379人を対象に行なった「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査」では、回答者の3.4%が、「孤独であると感じることがしばしばある、常にある」という回答をしている。これに関連して、NPO法人ReBitは2022年9月に「LGBTQ子ども・若者調査2022」として、内閣府と同様の孤独感に関するアンケートを行い、12歳から19歳までのLGBT当事者540名が回答している。それによると、回答者のうち29.4%が「しばしばある、常にある」という回答をしており、内閣府の調査の8.6倍の数字となっていることが明らかになった。ここから、若年層のLGBT当事者は、非当事者よりも孤独感を感じやすいということが言える。

 また私は、そもそも孤独感というのは何かを知るために、斎藤孝(2022)『孤独を生きる』を読んだ。この本の中で、「『孤独』とはひとりきりの状態。『孤独感』とはひとりの気分。」と定義されており、「いま問題視されている『孤独』の多くが、『孤独』の状態そのものに悩んでいるいるのではなく、忍び寄る『孤独感』に心が苛まれている、と見ていい。」ということが述べられている。したがって、多くの若年層のLGBT当事者が持つ孤独感というのは、実際に一人きりなのではなく、何となくそんな気がするという感覚でしかないとわかる。ゆえに、孤独感への対処ができるようになれば、孤独感に苛まれることもなくなり、気持ちが解放されるのではないかと私は考えている。ここから、孤独感への対処方法がわかれば、多くの若年層のLGBT当事者が苦しめられている孤独感は減らすことができる。その対処の方法として私は、「孤独を考える授業」を提案する。

 この授業では、次の3つの目標を達成する。

  ①孤独を楽観視できるようになる

  ②他者貢献と自己受容をできるようになる

  ③孤独感を処理する方法を使えるようになる

①について説明する。そもそも孤独とは悪いことなのかを、他者と論じることが、孤独を恐れる気持ちを楽にする。例えば、孤独になるのが嫌だ、という気持ちは人間の生理的欲求であり、誰もが少なからず持っているということを認識するできるように導く。それだけで、孤独感を感じているのは自分だけではないという安心感やコミュニティへの帰属意識は高められるため、孤独を感じる機会も減らすことができる。さらに、受験勉強など、孤独に身を置くことで自分を成長させられる場面があることを認識するべきだ。このような授業によって、孤独に対する負のイメージは払拭できる。②では、自分がここにいて良い理由を得ることができる。人には必ず、できることとできないことがあり、それは人によって様々である。他者によって必要とされていることを知ることで、自分の居場所を見つけ、大げさに言えば生きる意味を知ることができる。その上で、日本人が持つ謙虚さの美徳を捨て、自分のできたことを見つめることが重要だ。③は、孤独感から身を守る術を身につけることを意味する。例えば、本を読むことを通して登場人物に孤独を背負ってもらったり、孤独を共有したりすることができる。また、何度も同じ曲を聴くことで孤独感を排除したり、身体を温めることで心の寂しさから逃避したりできることを知ることが大切だ。多くの術を身につけることで、自分の力で孤独感を対処できるようになれば、苦しめられる機会も減らすことができる。

 今回の提案は、SDGsの3番、5番に貢献する。3番において、身体的健康を中心にターゲットとされているが、それと同様に精神的健康を高めることに寄与し、5番において、性のあり方の違いによって苦しむことから逃れることに寄与する。また、孤独感に苦しめられるのは、若年層のLGBT当事者に限らない。多くの人が孤独に苦しんでいる中で、学校教育の一環として「孤独を考える授業」をすることによって、多くの学生を救うことができると信じている。私は、全ての孤独感に苛まれている人が生きやすい社会になるように、自分にできることを考えていきたい。

・奥望帆子      富山大学附属小学校 4年生      誰のためのSDGs?何のためのSDGs??  

学校で、SDGsについて勉強しました。最初は、17のそれぞれの目標は、どれも私にとって「当たり前」と感じる内容に思いました。たとえば、4番の質の高い教育や、14番の海の豊かさを守ろう!などは、日本の小学校は義務教育でだれでも学べるし、海を汚さないために、海岸の掃除活動にも参加したことがあります。最初に学んだときは、そんなに難しいことではなくて、かんたんなゴールなのだろうと思っていたし、この目標は、きっとアフリカなどのまだ発展していない国にむけられているものだとかんちがいしていました。

 ただ、調べていくうちに、まだ日本として取組みをしていかなければならないことがあることがわかりました。ホームページに書いてあったものを、あげてみると、目標5の「ジェンダー平等を実現しよう」や目標13の「気候変動に具体的な対策を」には、まだまだ足りない部分あり、重要課題に入っている目標ということです。具体的に、女性国会議員の数、再生可能エネルギーの割合や、二酸化炭素のはい出量について、努力しなければならない目標であるとのことでした。

 このように、日本では達成できている目標もある一方で、まだ改善しなければいけない課題目標もあります。まだ達成できていないSDGsの課題目標を達成するためにも、日本政府がどうにかすればいいではなく、一人ひとりができることから始めなければいけません。例えば、小さいことではありますが、プラスチックストローは使わない事や、マイバックを持ちあること、マイ水筒を持ち歩くこともSDGsの目標達成につながります。

SDGsで掲げられている目標を、自分には関係のない遠いことだと思わずに、自分なら何ができるだろうかと考えることが大切だと思います。また、SDGsについて知らない人がいれば教えてあげることも大事です。

 私の作文をきっかけにSDGsについて考えてくれる、行動してくれる方が1人でも増えていただければうれしいです。

 そして、日本だけでなく、外国のことを考えることも、SDGsだと思います。

私は、今年の総合の時間に「多文化共生」について勉強しました。富山県に住んでいる一番人数が多い外国人は、ベトナムの方だそうです。まず、私たちは、滑川市にあるホタルイカなどの海産物の缶詰をつくる工場で働くベトナムの方に、インタビューをしました。ベトナムの方に、

 「富山県で暮らしていて、よいところはありますか?」と尋ねたところ、

 「まちが、とてもきれいです」、「海がベトナムに似ていて、とてもきれいです」という答えが返ってきたときには、うれしかったです。

反対に、「富山県で暮らしていて困っていることはありますか?」ときいたところ

「ごみの出し方、分別の仕方がわかりません」「日本人の友達が欲しいけれども、どうやって見つけてよいかわかりません」という話もありました。

 私は、ベトナムの人に、もっと富山のよい暮らしを知ってもらうために、ベトナムの方と実際に交流して、話を聞いてみたいと思いました。実際にベトナムの人と交流するそのまえに、まずは、ベトナムの歴史やベトナムの文化について、調べました。ベトナムの自然は、海があり、そして、南北に長い地形なので、日本ととても似ていると思いました。南北で食べものや習慣もすこし違うそうです。海鮮とフルーツが美味しいとのことで、食べてみたいなと思いました。また、戦争を経験していることも、日本と似ています。ベトナムの人は、まじめで、友達思いの人が多いそうです。

 このように、ベトナムについて、色々勉強して、ベトナムのことを知ることが出来ました。そのほかにもテレビで、ベトナム人の技能実習生のことが取り上げられているのをみました。せっかく、日本に来ても仕事が思っていた内容と違うこともあるそうです。

 文化や習慣が違うので、外国の人と交流することは、簡単ではないこともあると思います。けれども、「笑顔(ほほえみ)」と「ありがとう」は世界共通だと思います。富山で暮らすベトナムの方の、「笑顔」と「ありがとう」が増えるように、私ができることは、まず、ベトナムのことをよく知って、理解して、そして、それと同じくらいに日本の良さも知ってもらうことだと感じました。お互いの良いところを知ったら、もっともっと、気持ちよく交流できると思うからです。これからも、富山で、日本で暮らす外国の方と交流して、いろんなことを勉強していきたいと思いました。

・穂原  志織    玉川大学 2年  自分本位をやめる       

私は中学生のころ同じクラスにあまり落ち着きのない男の子がいた。この男の子は授業中や、休み時間などほとんどの時間うるさかったり、立ち歩いていたりと落ち着きがなかった。当時の私や周りの友達は、その男の子が原因で授業に集中できなかったり、授業中にちょっかいを出されたりと大きく言うと授業妨害をよくされていた為、その男の子を嫌っていた。しかし、大学生になった今私が考えることは、その男の子のような子たちが子供の社会や共同生活の中から取り残されてしまっているのではないかと考えた。

 その男の子の特徴は、授業中にうるさい、立ち歩く、落ち着きがないようなこれらの特徴がある。私や周りの友達はみんなができることなのになぜこの男の子はできないのか、普通にできないのか、なぜ人に迷惑をかけるのかと自分達本位でその男の子のことを判断してしまっていた。このような考え方をしてしまっていた為、その男の子はクラスで浮いているような存在になってしまっていた。だが、自分がどんどん成長していくにつれ、多動症という病気があるのだと知った。多動症とはADHDという「注意欠如・多動症/注意欠如・多動性障害」ともいう発達障害の一つだ。この発達障害は不注意さや落ち着きの無さ、考えずに行動してしまうという特性がある。これはその男の子に当てはまっているのではないかとこの病気について調べた時に感じた。この多動症は目に見える病気ではなく、行動や言動に現れる病気であるため、自分はその男の子が多動症なのかもしれないという考えは一つも思わなかった。もし当時の私や周りの友達がその多動症という病気を意識していたとしたら、その男の子はクラスで浮くような存在になることは無く、その男の子自身過ごしやすかったのではないかと感じた。表面上だけの行動や現状だけでその人のことを判断するのではなく、内面を知ったうえで相手を判断するべきだと感じた。相手は悪気があってそのような行動をしているのではなく、もしかしたら病気であったのかもしれないと考えると、もっと自分本位ではなく、相手の気持ちや可能性、を考えた行動や発言をすればよかったと後悔した。

 目に見えない病気を持っている人、例えば多動症などの病気の人は相手にはわかりづらいことが多くある。また、その病気の知識を持っている人が少ない為に理解されないことも多くある。このような経験から、目に見えない病気を抱えた人が現代社会や集団の中から取り残されてしまっていると感じる。このような人達が取り残されない為に、相手のことを表面上で判断しない、自分本位の考え方をしないということを意識して行動すれば自然と今まで社会から取り残されてしまっていた人はいなくなるのではないかと考えた。したがって私は、自分一人でも目に見えない病気を抱えている人達を取り残さないよう心掛けた行動を意識して生活していきたいと思う。(1186文字)

・皆川果南      創価大学法学部3年      籠城する安寧   

目に見えるものが全てではない。音の鳴らない方にも問題が埋まっている。これが私の今回の主張の全てです。

「たすけて」

そう一言、発することが出来たらどれだけ良かったか。

「言葉にすることすら苦痛」

だから、そんな声は社会には届かない。

産業革命以降、中産階級が大幅に増加したことで凡庸であることが正義になり、他と違うことが悪になった。他の人と違う部分を持つことは侮蔑の対象になりかねない。皆、本当の自分を隠して、他と同じフリをする。そんな偽りの社会が出来上がり、そんな社会で平然と生きている。

今日、少なくとも障害者、LGBTQ+、貧困、外国人のようにマイノリティとされる人々を救うことが、人権を守ることが正しいことだ、そういう人々を守っていこうという概念は一般化されつつある。しかし、上辺だけで「かわいそう」と言うのは楽だ。そんな言葉をかけたところで何も状況はよくならない。

その点、SDGsという枠組みはかなり画期的である。ただ未解決の世界的な問題に焦点を当てるのではなく、それを見える化させ数値的に問題の解決状況を管理している。現状を前進させるためには不可欠な作業である。しかし、これが全てではない。数字が持つ恐ろしさは、客観的な情報であるが故に、その情報から抜けおちてしまった事実と向き合うことを停滞させることにある。例えば、目標4「すべての人々に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する」のターゲットの一つに、「子ども、障害、およびジェンダーに配慮した教育施設を構築・改良し、すべての人々に安全で非暴力的、包摂的、効果的な学習環境を提供できるようにする」とある。しかし、暴力を受けている子どもたちがそれを打ち明けることは決して簡単なことではないし、報復を恐れて黙秘や肯定をする可能性は十分にある。にもかかわらず、解決済みの問題として扱われてしまうのだ。

SDGsの目標が全て達成された世界が訪れたとしよう。

きっとそれは今の世界より何倍か素晴らしい世界だと思う。

でもそこには目に見えない、救われざる人が未だにいることを忘れてはいけない。

もう一つ重要なのは、その見えない苦しみを無理やり明かすことも重罪であると言うことだ。だからこそ、解決が難しい。言わないとわからないのは分かっている、でも言うこともできない、そんな矛盾をはらむ課題と私たちは向き合うことを求められている。

そんな私も人には言えない苦しみを持っている。

きっと、この苦しさを公に打ち明けることはなく、死んでいくのだろう。

今は、自分の城に籠るのが一番心地いい。

でも、いつかはその安心よりも苦しみのもたらす恐怖が勝つ日がやってくる。籠城作戦は持続可能ではない。わかってはいるが、そんな自分の城から出てくることができない。

そして、私と同じような城を持っている人は他にもきっといる。

「誰ひとり取り残さない。」

それは、「(助けてほしいと望み手を上げる人を)誰ひとり取り残さない」のか、

「(助けてほしいと手を上げる力のない人も含めて)誰ひとり取り残さない」のか。

後者であることを切に願う。

・青島知生      上智大学 4年  山頂の見えない山を、地道に登り続ける   

私は、「誰一人取り残さない社会の実現」を定義できない。近年、有色人種やLGBTQ、障がい者といった人々がマイノリティの例に挙げられている。しかし、彼らの抱える課題が解決した場合、誰一人取り残さない社会が実現したと言えるだろうか。確かに彼らが直面する障壁は早急に解決されなければならないが、それだけでは不十分である。というのも、視点ごとに、取り残される人は無数に存在するからだ。新卒時に社会のレールに乗れなかったいわゆる「就職氷河期世代」は、その一例である。ジェンダーや人種といった分野から労働市場へ視点を変えないと、彼らの存在に気づかない。その逆も然りで、経済や労働といった分野からジェンダーへ視点を変えないと、女性やLGBTQの抱える問題に気づかない。すなわち、私たちはある面では取り残されていなくても、ある面では取り残される可能性がある。「取り残される人」は各争点ごとに異なり、「社会に10%の人が取り残されているので、10%を救いましょう。10%を救ったので、誰一人取り残さない社会の実現達成です」とはならない。デジタル化で取り残されない若者は政治で取り残され、政治で取り残されない高齢者はデジタル化で取り残されるからだ。明確ですっきり理解できるものではなく、複雑でもやもやしているものが「誰一人取り残さない社会」の正体であり、私たちはその曖昧さを受け入れなければならない。

 複雑な理想に対して我々ができることは、あえてゴール設定をしないことだ。「ここが誰一人取り残さない社会のゴールです」と設定してその達成を目指すのではなく、常に「取り残される人」を探し、手を差し伸べることが重要である。台湾のコロナ対策に携わったオードリー・タン氏の手法が、参考になる(1)。台湾はマスク購入にキャッシュレス決済を組み込んだが、現金に慣れていた一部の高齢者は取り残されてしまった。そこでタン氏は、キャッシュレス決済の方法を停止した。そして、まず高齢者のために薬局で直接購入できる方法を導入し、次に、再びキャッシュレス決済で購入できるシステムを設計した。もしキャッシュレス決済を「誰一人取り残さない社会のゴール」としていたら、キャッシュレス決済を導入した瞬間にゴール到達となり、キャッシュレス決済に慣れていない高齢者が取り残されていたであろう。つまり、誰一人取り残さない社会のゴールをあえて明確に定義せずに、制度や政策から外れた人々を常に探すことで、確実に彼らの障壁を無くすことできる。この方法は、多様な生徒を扱う教育現場や、多様な利益集団と向き合う政治家にも応用可能である。生徒に対するスクールカウンセリングを目標達成と捉えず、不登校の生徒にはオンライン授業、いわゆる「ギフテッド」にはフリースクールといった場を提供するなど、常に取り残された生徒に手を差し伸べる必要がある。政治家も、一つの法案作りを多様性のゴールとせず、常に法案から漏れた社会的マイノリティに敏感でなければならない。

 「誰一人取り残さない社会の実現」が何なのか、という疑問に答えられない。しかし、答える必要もないし、明確に答えられたらそれは歪んでいる。今日「実現しました」と言うと、明日から新たな「取り残された人」に気づかないからだ。これは、誰一人取り残さない社会という言葉を使うな、という意味では無い。強調したいのは、誰一人取り残さない社会のゴール(=山頂)をあえて設定しないことが、取り残された人々を見逃さないことに繋がる、ということだ。取り残された人の特性に合ったコミュニケーションを行うことで、誰一人取り残さない社会に「近づく」感覚が必要である。山頂の見えない霧がかかった山登りの中で、地道に一歩一歩登るしかない。

  • https://president.jp/articles/-/39753(2022年12月16日参照)

・Danuzein Rafif        ブラウィジャヤ大学3年  学生の貧困をなくすために       

人間は集団で生活する生き物であり、社会的な生き物であると言えます。社会的な生き物である以上、人間は他の人間を必要とし、助け合いながら生きています。それでもなお、貧困は人間を苦しめています。なぜそうなるでしょうか。貧困そのものは、さまざまな要因が引き金となっています。そのひとつは、既存の問題に対処する際に、人間同士の関係が薄いことです。他にも、地域社会の生活水準が低いこと、雇用の機会が増えずに年々失業者が増えていることなども、貧困を引き起こす要因です。

 貧困は、必ずしも貧富の差や日常のニーズを満たすことができないこととは関係なく、知識の不足も考慮しなければならない要因の一つです。なぜなら、知識のために勉強する機会があっても、それを実行するモチベーションがない人がそこらじゅうにいるからです。人は、何かをする際に周囲からのサポートが得られず、それを実行するための友となる人がいないことで、モチベーションを失ってしまうことがあります。モチベーションの低下が続くと、人生の質の低下につながり、将来に大きな影響を与えることになります。では、貧困を撲滅するために、学生には何ができるのでしょうか。

 学生である自分の周りの貧困をなくすための行動は、学習意欲のない友人を助けることから始めることができます。人は、「自分はもうやる価値がない」と思ったり、活動を行う上でサポーターになってくれる友人がいないと、すぐにやる気を失ってしまいます。学生がやる気を失うという状況は、人生の仕組みを知り始めたからこそ、よくあることです。人は環境が整えば、影響を受け、やる気を出すことができます。だから、学生としては、話をする場、一緒に成長する場、上昇するために支え合う場、誰も一人にならないようにできる、共に学ぶ場が必要なのです。時には、勇気がなくてグループに入るのが恥ずかしい、自分はグループに入る資格がないと思っている人がいます。あえてグループに入らない傾向のある人を説得し、納得させるのは時間がかかります。しかし、彼らが勉強会に参加する可能性を決して排除してはいけません。

 だから、学生の貧困撲滅の第一歩は、仲間と知識を共有し、助け合うことです。一緒に学び、一緒に話をし、仲間として良い人生を送るための場所を提供する。貧困(知識)に苦しむ人を決して一人にしてはなりません。この人生を生きる仲間を支え、熱狂させ、発展させる場があればいいと思います。

・塩原小葵      新潟薬科大学4年 誰一人取り残さない社会とはどういうことか       

私は家から駅まで20分ほど歩き、電車に乗って大学まで通学している。家から駅までの道のりの途中でいつも、5、6羽の鳩の群れに出会う。独特の首から歩く歩き方に愛らしさを感じながら先を急ぐ。その鳩の群れの中に1匹、全身真っ白の個体が紛れ込んでいた。自然界では鷹や鳶などの天敵が常に獲物を探して目を光らせている。鳩は木々の中で目立たないようにして、天敵から身を守る必要がある。そのため羽はどどめ色と表現されるような色をしている。しかし羽が白色に生まれてきた鳩の場合、鳩の群れの中で一番目立つので天敵に見つかりやすく、自然界で生き抜くことは難しいかもしれない。一方街の鳩は、あちこちで白色の鳩が白色の鳩の雛を産むなど、群れの中でたくましく生きている。街には天敵がいないこともあって生き残りやすいのかもしれない。つまり、白色の鳩のように普通と違うことでさらされるかもしれない危険も、自然界や街といった環境によるのではないかと考えた。

これは私たち人間にも言えることではないか。例えば発達障害がある人が、発達障害に対して理解のない人が多い会社で働くとどうなるだろうか。また、異国の地で言葉が通じないような場所で生活を強いられた人々はどうなるか。

鳩には羽があり、自ら環境を探して飛び回ることができる。では、私たち人間は何があり、何ができるか。

自分の力で生きられない人を介助する人がそろう施設や、学校でなじめない子供たちが集まって独自のコミュニティを作り出すなど、鳩は言葉を使って相手とコミュニケーションをとることができないが、人間は口だけでなく、手や顔、文字など、様々な表現で相手とコミュニケーションをとることができる。このコミュニケーションをうまく使って、鳩のように自分にとって生きやすい環境を探すことができるだけでなく、鳩と違って環境を自ら作り出すことも可能である。

 日本では平成14年12月に「障害者基本計画」を推進して以降、様々な法整備が行われてきた。平成22年には、障害者基本法について、地域社会における生活を支える基本理念の見直しなども進められている。これは政府の功績だけではない。障害をもっているが故に、生きづらくなっている環境を変えるべくして声を上げた人々がいたからこその改革だと感じる。近年では多くの外国人労働者が日本に出稼ぎに来ている。文化や言葉の違いから、地域住民との衝突が起きている。宗教的な理由でタブーに引っかかり、食事に困難が生じている人も多い。誰一人取り残さない社会をつくるには様々な方向からの視点をもち、様々な壁に向き合いながら環境を整備する必要がある。私たちは分かり合えるだろうか。

・横山紗弥香    正智深谷高等学校 1学年 差別のない未来 

私は差別がある世の中を見逃したくない。世界には様々な差別がある。人種や民族が違えば異なる部分があって当たり前だ。肌の色や髪の色だって違う。だが、私達には共通点がある。それは皆同じ地球という星に生まれた人類であるということだ。この共通点は世界中の誰もが当てはまる。しかし、我々人類は異なった部分が多いためそこばかり気にするのである。そこから差別が生まれてくる。

 差別は世界的な問題の1つと言えるだろう。差別による事件も起きている。中でも私が最も衝撃を受けたのは2020年5月25日、アメリカ・ミネソタ州ポリスでジョージ・フロイドさんが白人警察官に首を押さえつけられて死亡した事件である。ショーヴィン被告は9分以上にわたって、フロイドさんの首の後ろに膝を置き、押し続けた。救急車が到着した時、フロイドさんの体に動きは見られなかった。その1時間後、死亡が確認された。当時、このニュースが報道されているのを見て何故人の命を奪うまでする必要があったのか疑問に思った。そして、このような警察の人種差別的な行動は決して許される事ではないと私は思った。

 2020年5月26日、死亡事件をきっかけにアメリカ・ミネソタ州ミネアポリスでジョージ・フロイド抗議運動が始まった。ホワイトハウス周辺で数百万人が人種差別や警察暴力に抗議して、行進した。「black lives matter」と書かれたプラカードを掲げた人達がいた。この表現は2013年~2014年に掛けて、アメリカ黒人に対する合言葉になった。この言葉には「白人と同じように黒人の命にも意味がある」という意味が込められている。

 なぜこのような黒人差別が起きているのか私は調べてみた。黒人差別はアフリカ系黒人の人を「奴隷」として取引していたことが発端だという。南北戦争後奴隷制度は廃止されたが、学校や社会などの領域で白人と黒人を分離することは合法とされ、黒人を二流市民として扱っていった。そこから黒人に差別するのは当たり前という環境が出来てしまったのだ。

 歴史的背景が今の黒人差別に反映していることが分かった。過去にあった出来事を変えることは出来ない。そして、差別を全て無くすことができる可能性は低いだろう。だが、これからの未来は私達で作りあげることができるのだ。過去と現在は時代も人々も違う。だから、人々の考え方も変わるべきだ。過去と現在を重ね合わせるのではなく今だけを見るべきだと私は思う。つまり、一人一人が変わらなければ黒人差別は無くならないのだ。当たり前と根付いた考えを変えることは容易なことではない。だが、今変わらなければいけないのだ。なぜなら、差別は理不尽であり誰も幸せにならないからである。この世に不幸は必要ないのだ。無意味で残酷な黒人差別によって、多くの人が苦しみ多くの命が奪われた。何の罪もない人を差別することは生きていることを否定する事と同じだ。私はこのような現状を少しでも無くしていきたい。

 私に出来ることを考えた。それは自分の意見を発することだ。私のように小論文を書くのも意見を発する一つの方法だと思う。自分の中で思っていても何も変わらない、誰にも伝わらないのだ。自分1人の意見や考えを発しても影響力は少ない。だが、同じ考え方や同じ意見を持っている人が集まれば影響力が倍以上になる。そうすることで人々の考え方が少しでも変わっていって欲しい。

 私は将来子供に関わる仕事に就きたいと考えている。皆違うのは当たり前、差別のない世界が当たり前と思える社会・子供達を増やしたい。その為には、どのような関わり方が大切なのかをこれからも学び続けていきたいと思う。

・緑川れい      星槎大学3年    私の所属は、「私」。       

「それって、特別扱いじゃないの?」と思ったことはないかい。SDGsが提唱されてからここ数年。LGBTQ+がここまで取り上げられるとは。当時「LGBTQ」と呼ばれていた、その言葉に私が出会ったのは高校二年生の時だった。自分で調べて、ネット上のあらゆる声、あらゆる記事を読みあさった。きっかけは簡単。私に同性の恋人ができたから。実際、同性に対して好意を抱いたのはそれが初めてではなかった。私の中では、至って普通の出来事だった。かわいい女の子も好きだし、かっこいい女の子も好きだし、かわいい男の子も好きだし、かっこいい男の子も好きだった。そもそも好意を抱く前に、男か女かだなんて、性別を考えたことがなかった。好きになった人がたまたま、戸籍上の男。好きになった人がたまたま、戸籍上の女。ただそれだけのことだった。私の中では普通のこと、普通の感情、普通の認識に、「LGBTQ」だなんて、たいそうな名前がついているのが当時は不思議で仕方なかったんだよね。当時の私には、まるで、マイノリティーが特別扱いされているかのようにしか見えなかった。当時まだまだ考え方が幼かった私は、「なんで特別扱いされなければならないのだろうか。特別扱いは、どちらかといえば立場が弱い側に向けられた、同情のようなものだろう。」と知識もなしにこんなことを思っていたのだけれど、今になってわかる。マイノリティーにスポットライトを当てなければいけないくらい、この国はマイノリティーへの理解が軽薄だということ。知識もなければ、経験もない、だからと言って「わからない」「理解できない」に留めておくマジョリティーの力が強すぎる。そんな状態だからこそ、マイノリティーは戦っていかなければいけない現状なんだなぁと。マイノリティーを代表して最前線で戦い続けてくれている人たちには、頭が上がらない。しかしここで勘違いして欲しくないと思うのは、その最前線の言葉を聞いたからと言って、マイノリティーを特別扱いはして欲しくないということ。LGBTQ+を代表してとまでは言いたくないけれど、あくまで私は、「あなたたちの普通と一緒だよ」ということを主張したい。お腹が空いたら、ご飯を食べるのが当たり前の人もいるけれど、お腹が空かないことが当たり前の人もいる。男の子を好きになることが当たり前の人もいれば、女の子を好きになることが当たり前の人もいるし、どちらとも好きになることが当たり前の人もいる。人に対して好意を抱かない人だって、当たり前に存在する。どうしてわざわざ名前をつけて、グループにまとめようとするのだろう。グループを作ったら、それはグループに属せない、「取り残される人」が出てくるのは当たり前じゃない?そんな堅苦しい、難しいことを考えずに、100人いれば、100個の当たり前が存在するんだなぁ、くらいに留めておいていいんじゃないかなぁ。私はそんな気がする。ここまで書いておいて、これは私の中の当たり前な考え方なので、きっと当てはまらない人の方が多いはず。その人にはきっとその人の当たり前、普通の考えがあるはず。私は、特別扱いされたくないし、グループ分けもされたくないな。なぜなら私は私で普通に生きているから。と思っている。

・服部日向子 東京未来大学こども心理学部(通信課程)2年  

取り残さないで。痛みを持つ患者からのお願い。 

私は、小学4年生の頃から、線維筋痛症を抱えながら生活している。幼少期からの虐待が原因で複雑性PTSDを発症したことが原因であると診断されている。現在、大学病院の痛みセンターに通院しているが、それまでとても長く苦しい日々だった。それは、痛みへの無理解と、精神疾患への無理解からである。わたしはこの間までずっと、複雑性PTSDからくる痛みという診断に納得できなかった。今まで様々な病院での対応が杜撰だったからだ。例えば、痛みに耐えきれずERを受診した時、「検査をしたけど何も異常がないから立てるでしょ?ほら立ってみて」と捲し立てるような口調で言われたり、脳神経内科では「痛みにばっかり意識を向けるから余計痛くなるんだわ」「PTSDなんだから」など心無い言葉をかけられ続けた。病院をたらい回しにされていくうちに身体科で対応できないからと精神科に紹介して頂き、2年半PTSDに対する心理療法を受けたが痛みが改善することはなかったため、集学的治療を行っている大学病院の痛みセンター(麻酔科)で治療を受けることになった。今まで身体的に異常がないことは様々な検査で分かっていたが痛みセンターの初診の時、私はまだ検査を求めていた。それは、今までの検査結果に納得できなかったからではない。その少し前に、SNSで知り合った方が、ずっと原因不明の痛みがベーチェット病からくるものだと分かった時、明らかに救急外来を受診した時の医師の対応が変わったと話していたからだ。私は、痛みに対して明らかな身体疾患(リウマチなど)があると、心無い言葉をかけられることはないのに、検査データに問題がないと同じ痛みなのに理解してもらえないことに違和感を覚える。ERを受診する時は、息をするのも、立つことも難しいほどの痛みなのに心無い言葉をかけられてしまうことが続き、病院に行くのを躊躇う時期もあった。でも、それは私だけではなく、検査データは正常値の慢性疼痛を持つSNSで繋がっている友人も経験したことがあると言っていた。

私は、検査データに異常がなくても、痛みと共に生きる人に、もっと寄り添ってほしい。切り捨てないでほしい。痛みへのフォローが十分されていれば、原因追究ではなく、痛みとどう上手く付き合うかにシフトして生活できる患者が増えていくと思うから。そして、原因不明でも、外見からは分かりづらくても、痛みに対する苦しみは、原因がわかっている人と変わらない。これを機に、原因の特定できない痛みに対する理解が広がることを心から願っています。

・高野春奈      宮城県名取高等学校2年  コロナによって介させられた日常 

世界中で猛威を振るい続けているのが新型コロナウイルスです。軽症で済む場合がほとんどですが、症状が重く肺炎を引き起こし、最悪の場合は死亡してししまう可能性がある感染症です。

 コロナウイルスによって色々なことが制限されてきましまた。学校行事も中止になったり、制限されたりすることが多々ありました。今ではマスクをするのが当たり前、お店の入口には必ずと言っていいほど消毒液が置いてあります。コロナ前と今では、沢山のことが変化してしまいました。この変化について来れなかったのが、「心」ではないでしょうか。このコロナ禍によって、うつ病などといった精神疾患の発症する人がコロナ前に比べて増加しています。コロナウイルスは身体的影響を与えるだけでなく、精神的にも影響を与えるのです。

 今年の夏、私はコロナウイルスに感染しました。ちょうど夏休みが始まる一週間前の出来事でした。家族の濃厚接触から始まり、私自身も感染してしまいました。その当時の隔離期間は、十日間で濃厚接触期間含め、約2週間ほど休むことになってしまいました。また、その当時は学校はそこまで感染が流行していなかったため、コロナ関係で休んでいるのが私くらいでした。周りからどう思われているのだろうかなどといった不安が私を煽りました。

 私はある部活に所属しています。その部活では休んだりする際は、SNSを駆使してグループに報告して誰が部活を休むのかが全員が把握できるようにする決まりがありました。しかし、色々な思いがかけ巡り顧問の先生、部長など一部の人にしか報告することが出来ませんでした。なぜなら、夏休み始まってすぐに大会が二つほど控えていました。私のせいで大会に出られなないのではないか、部員に迷惑をかけてしまうのではないかと思ってしまったからです。そのため、報告することができませんでした。

 色んな思いを抱えながら、隔離生活が始まりました。隔離生活は思っていたよりもしんどいものでした。誰とも会うことができず、外に出ることもできず、四六時中同じところにいなければいけませでした。そのため、当然悩んだりする時間が増えました。しかし、家族や友人がSNSを頻繁に利用して、連絡してくれたり電話してくれたりしました。そのおかげで、何とか隔離期間を乗り越えることが出来ました。

 コロナウイルスから復帰して、部活に行けるようになっても、大きな不安を抱えたままでした。みんなになんて言われるか、必要とされないのではないか、不安をかかえながら部活に向かいました。案の定、部員はいつも通りでした。ただ、久しぶりに動いてみんなに着いて行けなかったり、上手く自分から話すことができなかったりしたため、その日は上手くみんなの輪に入ることができませんでした。その時私はセンシティブな状況にあり、みんな顔や声にこそは出さないが、きっと心の中で何か思っているに違いないと決めつけました。些細なことで悩み、それから数日間部活に行くことができなくなりました。軽くうつ状態だったのかもしれません。しかし、そんな私を支えてくれたのが、家族と友人です。何かと理由をつけて部活を休む私に家族は、ゆっくりでいいんだよ、ただそれだけの言葉を掛けてくれました。その言葉を聞いて、スっと胸が軽くなりました。友人は心配して電話を掛けてきてくれました。家族には中々言えないことも、一方的に話し続ける私のことを長々と聞き入れてくれました。家族や友人のおかげで私の不安は消え再び部活にも行けるようになりました。

 私はそこまで深刻なほど、悩むことはなかったですが、中には私よりも遥かに悩み苦しんでいる人が多くいます。そんな人を「誰ひとり取り残さない」ために、ただ寄り添って話を聞いてもらえるだけで、その人は少しでも救われます。

もし、周りにコロナウイルスに感染してしまっている人がいるのであれば、その子が不安に思っているのではないかどうか、少しでも気にかけて上げて欲しいです。

 コロナウイルスの感染拡大によって、精神疾患を発症する人や、悪化する人が増え続けている中、そんな人にいち早く気づき相談に乗ってくれる人が1人でも多く増えて欲しいと思います。

・匿名      名取高校2年生  障害者が取り残されない社会を目指して   

「誰1人取り残さない」この言葉は皆はどんな印象を与えるだろうか。勿論、漠然としたことしかパッとすぐには思い浮かばないと思う。そこで私は誰1人取り残さないというテーマを考え、何が1番引っかかるか考えた結果、意思の疎通の難しさや就職することの難しさから障害者に視点を向けた。

障害といっても様々な種類がある。病気や事故などによって体の機能の一部に障害が生じている身体障害。知的機能の障害が発達期(おおむね18歳未満)にあらわれ、日常生活の中でさまざまな不自由が生じる知的障害。うつ病や統合失調症、認知症などの精神疾患によって、継続的に日常生活や社会生活に制限を受けなければいけない精神障害。他にも、自閉症やアスペルガー症候群、学習障がいなど、脳機能の発達がアンバランスなために、コミュニケーションに支障などがある発達障害などがある。私が特に注目したのは先天性障害だ。先天性障害は赤ちゃんが生まれた時から持っている病気の事を指すのだが、それは染色体や遺伝子が変化することや、母親の胎内にいた時の環境などが原因となるケースが多い。つまりこれは誰も悪くない。しかし障害のもつ子供が生まれると親戚や家族からは同情され、「自分の子が将来いじめられるのではないか、自分がしっかりサポートしなければならない、この子が障害を持って生まれたのは自分のせいなのではないだろうか。」など自分自身を責めてしまう親も少なくない。障害への色眼鏡を外されない限りこの考えをゼロにすることは不可能である。そして私は実際に身体障害を持つ人に話を聞いてみた。障害をもっていてなにか辛かったことはあるかという問いに対し彼女は、「小学生の時にクラスメイトが私の行動を真似してみんなでバカにしたように笑いあっていたのが辛かった。」と答えた。望んでその障害をもって生まれてきた訳では無いのにこうしたことが行われてしまうのは悲しい。どうしたらこのような事がなくなるのだろうか。私は次のように考えた。まず、幼い頃から障害に着いて学ぶことが大切なのでは無いかと考えた。成長してからこのような事を学ぶと元々の先入観があり内容が頭に入ってこず、障害者への見方は変わらずに結局学ぶだけになってしまう。しかし、感受性豊かで素直な幼い頃から自然な形で障害のことを伝え、これから一緒に生活していく素晴らしい仲間としての教養をしていけば社会には多様な人が数多く存在しているということを実感できるのではないか。次に、私が考えたのは障害を差別した人に罰するよりも理解を広げる仕組みを作るということだ。中には差別する人は取り締まったり罰則をつけたらいいのでは無いかと言う人もいる。しかし、それは逆効果であろう。そのような発想ではなく障害を持つ人やそれを支援する人を支えたり、差別解消に努めている人が報われるような条例などを作れば良いのではないだろうか。

以上から、障害者への差別をゼロにすることは難しい事だが一人一人が思いやりの心を持ち尊重することが差別を無くせる第1歩ではないだろうかと考える。

・岩本香花      梅光学院大学2年 「みんなちがってみんないい」   

「みんな違ってみんないい」。これは私の生まれ育った山口県の童話詩人「金子みすゞ」の詩の一部である。言語や宗教、お金、体や心の障害などによって子どもたちが教育を受けることができないというニュースを最近よく見るようになった。そんな時にどのようにしたら、みんな教育を受けることができるのかと考えた時に「みんな違ってみんないい」という詩を思い出した。

「戦争ってなくならんのかな?」という小学3年生の妹の一言がきっかけでウクライナ侵略に興味を持つようになった。2022年2月24日からロシア軍によるウクライナ侵略が開始した。今現在も続いている。ウクライナの住民たちは安全のために世界各国に避難をしている。その国の中に日本も入っている。ウクライナからの避難民の中には多くの子どももいる。今回はそんなウクライナの子どもたちについて、考えていく。

ウクライナから日本に避難してきた子どもたちは、日本で日本の教育を受けなければならない。ウクライナの子どもたちからしたら、生まれてから今までウクライナ語しか使ったことがないにも関わらず、急に日本語を使わなければいけない。まず初めにもっとも大きな壁である、言語にぶつかってしまう。日本で生活する以上、日本の学校に通わなければならない。ここでの問題は日本で勉強するには、日本語を使わなければならないということだ。

この壁を乗り越えるには、日本語を使えるように勉強しなければならないということだ。日本語と言っても、日本語は非常に複雑である。ひらがなやカタカナ・漢字・ローマ字・敬語など出そうと思えばまだまだ出てくる。私たちは生まれた時から日本語が日常にあったからすぐに使えるようになった。ウクライナ人も同様に生まれた時からウクライナ語が日常にあったから勉強せずにウクライナ語を使えるようになった。しかし、小学校では日本語で授業が進められる。ということは日本では基礎とされているひらがなや漢字を一から日本語を勉強しなければいけない。ウクライナにいれば勉強する必要のない勉強をプラスで勉強しなければいけないということである。非常に複雑な日本語を一から学ぶことは非常に大変である。50音のひらがなだけで日本で生きていくことは難しい。また外国人が最もつまずくと言われているのは敬語である。外国では使うことの無い敬語は日本人である私でもつまずいてしまにも関わらず、関わりがゼロのウクライナ人も私たち以上にできないはずである。勉強を始める前にこのような言語問題が発生する。日本の子どもとウクライナの子どもが同じ小学1年生で入学しようとしても、スタート地点は、大きく変わる。このことで一つ目の取り残し問題が発生する。SDGsでいうと、「10・人や国の平等をなくそう」に当てはまる。ウクライナの子どもだけでなく、外国から来た子どもが日本の子どもと一緒に教育を受けることができるようになる方法はないのか、将来教員を目指している私ができることはないかと思い、考えた。

 ウクライナ人は日常生活をするための最低限の日本語を使うことができる想定である。算数の授業をする時には、計算方法はやはり違ってくるだろう。だからこそ計算では、具体物を提示したり、日本の計算方法を勉強した後に、ウクライナの計算方法を勉強するなどの互いを知ることを取り入れたい。日本人もウクライナの計算方法をしることで、日本との計算方法の比較をすることができる。また、ウクライナの子どもも2つのことを勉強することで、ウクライナに帰った時にも生かすことができると考えた。

 2つ目は、総合活動を多く取り入れることである。総合活動や学活活動は多くが「遊び」「主体的」を取り入れている。例えば、一人一人の自己紹介をしたり、フルーツバスケットや椅子取りゲームなどの遊びプラスコミュニケーションを行うことで、活動を通して仲良くなることができる。総合活動ではグループ活動を行う。一つのことについてみんなで調べて共有するという同じことを一緒に協力して達成することでコミュニケーションをとったことになる。また、調べ学習の時にウクライナのことをクラス全員で調べて共有し合うことで、互いを知ることにもつながる。

これらのことで学習のスタート地点が全く同じになることはない。しかし、互いを支え合うことができる。今回私が考えたことはSDGsの「4・質の高い教育をみんなに」や「17・パートナーシップで目標を達成しよう」にも重なる部分はある。お金や言語、障害を理由に教育を受けることができない子どもが少しでも減るような教育現場を私は、つくっていきたい。そしてそれぞれの性格や個性を「みんな違ってみんないい」をいう考えでみんなが互いに高め合う学級・授業をつくっていくことができる教員になりたい。 

・阿部粋人      宮城県名取高等学校2年  近所の人との付き合い   

私は、自分と生活感が違うと感じた人と出会った際、周りに相談して、その人に何か困っていることがないかを聞くことが必要と考える。

私の家の近所の閑静な住宅街に、使用済みと思われる発泡スチロールや濁ったみずが入っているペットボトルなどが散乱してある家がある。そのお家にはひとり暮らしだと思われるおばあさんが住んでいる。おばあさんはいつも同じ服を着ていて、体もあまり洗えてなさそうに見えた。町内会ではたまにこのお家の話題がとんだりする時もある。

私がそのお家とそのおばあさんと出会ったのは、小学1年生の時である。ある朝登校中におばあさんから声を掛けられた。「僕は何年生?」「1年生です」       こんな会話をした。最初はこれからも何度か会えば楽しく話す近所のおばあさんだと思っていた。

しかしこのお家の前を通って登校すればするほど気づいてった。発泡スチロールなどが散乱してあるだけでなく、震災の影響もあったのか、ブロック塀が道に倒れそうになっていた。私はそのブロック塀が倒れてこないか、また自分に当たらないか心配で、その道を通ることを辞めようとした。でもとこの道を通らなくてはならなかった。この道は通学路であったからだ。通学路なのに危ないなぁ。そんなことを思っていた。ある日私のおじいちゃんと買い物に行く途中、ここのお家を通り、「このおばあちゃんはなにしたいんだろう。こんなにゴミを集めて」

私もそう思っていた。だけれども、おばあさんはしたくてやっているのかな?おばあさんはなんのために使用済みのものを集めて置いておくのか。肌は汚れているし、同じ服で生活している。お金がなく、水道代も払えないのではないのか。家族ではないから、気を使わなくても良いのだが、同じ町内で生活することにおいて考えれば、放っておくわけにはいかない。小学生は通学路を通らなくてはならない。そんなブロック塀で塞がれそうなところを通学路と言えるのか。そのおばあさんは使用したものを使いたいとは、思っていないのかもしれない。

私は、同じ町内に住んでいるということ、またおばあさんの生活に少しでも気を配り、町内で相談して、困っていることがないかを聞く必要があると考える。

・板垣美伶      名取高校2年    LGBTQ+に対する偏見や差別を無くすために 

LGBTQ+に対する偏見や差別によって苦しむ人を救うためには、LGBTQ+について知るだけでなく、価値観や考え方、気持ちを深く理解することが大切だと思います。

 なぜなら、人は知らないことや理解していないこと、自分とは違った価値観の人やものと出会った時、自分の想像だけで偏見を持ってしまう傾向があるからです。その悪い傾向を無くすためには、LGBTQ+がどんなものなのかを知り、LGBTQ+の人の価値観や考え方、気持ちを理解し視野を広く持つことが、LGBTQ+に対する偏見や差別問題を解決する近道だと思います。LGBTQ+の人の価値観や気持ちを理解することが出来ていれば、自分の想像に頼った理解が必要なくなり偏見がなくなります。

 たしかに、普段の会話などでも全く違う考え方や価値観を持っている人の考え方を全て理解するのが難しいように、LGBTQ+ではない人がLGBTQ+の人の考え方や気持ちを理解することは難しいことです。

価値観を押し付けるのは良くないのと同じで、「LGBTQ+の人の価値観をちゃんと理解しろというのは無理だ」と言う人も世の中にはいるでしょう。

その点では、知るだけでなく価値観や考え方、気持ちを理解することはとても難しいことです

また、考え方や気持ちまで理解出来なくても、LGBTQ+について知っているだけで、偏見や差別を無くすことは可能だという意見もあるでしょう。

 しかし、LGBTQ+というものがあることを知っているだけでは、逆に偏見や差別が生まれてしまうからです。例えば、男女関係なくスラックスやネクタイ、リボンが付けられるという取り組みがあります。その支援によって、スラックスを履いている女子生徒がいた時、LGBTQ+という存在を知っているだけでは「普通とは違う」「あの人はLGBTQ+なんだ」と他の生徒が捉えてしまい、差別に繋がってしまいます。そうすると、LGBTQ+について知っていることが逆に疎外感を抱かせてしまったという結果になりかねません。

それではLGBTQ+について知っている意味がありません。

このことからLGBTQ+について知っているだけでなく、価値観や考え方、気持ちを理解することが出来ていればLGBTQ+だからといって特別視し、差別的な捉え方をするのではなく、個性や価値観のひとつとして捉えてもらうことができ、知っていることが逆に疎外感を抱かせてしまうなどというような元も子もない結果になってしまうことはないと私は思います。

 以上のことから、LGBTQ+に対する偏見や差別によって苦しむ人を救うためには、LGBTQ+について知るだけではなく価値観や考え方、気持ちを深く理解することが必要だと思います。

・森真央        芸術を通して話せるコミュニティ作りへ   

私は、障害者です。統合失調症とPTSDという病と闘っています。もう、障害者と言っただけで、軽くラインを引いてしまう方もいるでしょう。けれど、そんな人たちに言いたいのです。私は、障害者になりたくてなったわけじゃないと。そもそも、障害者という一つラインを引いた先にいる存在に自分がなるとは、思ってもみませんでした。

 私は統合失調症であると分かる前、障害者なんて自分と全然違う世界に住む人たちだと思っていました。社会から、取り残されながら生きているなんて、その時は微塵も思いませんでした。

 ところが、統合失調症であると医師に告げられ、私は目の前が真っ暗になりました。そして焦りました。暗い夜道に突然引っ張り出され、置いてけぼりになったときの気持ちになりました。どうして私は、こうも悪い方向にばかり人生が傾いてしまうのか。いじめも、嫉妬による不登校も、性格的に合わない人との学校生活も、全部、ぜんぶ、乗り越えてきました。なのに、なんで。私は絶望を通り越して、何故か清々しい気持ちでいました。もうどうにでもなれ、と思っていました。障害者というワードは、こんなにも私の近くに住んでいたんだ、とも思いました。

 それから私は、大学受験で落ちたり、目が合わないという衝撃の事実に肩を落としたりと、忙しい毎日を送りました。希望した職の職業体験にほぼ意地で行ったり、昔のトラウマに配慮して小さな部屋でやってくれた卒業式にも行きました。

 でも、十八歳になって学校を卒業してからは力が抜け、何もやる気がなくなりました。新聞を読むことも、小説を書くことも、つらくなってしまいました。楽しく話ができていたはずの担任や友人の連絡先も消しました。私はある意味、一人ぼっちになってしまいました。

 私は今年になって、障害者同士のコミュニティの少なさに驚きました。元々喋るのは好きだったため、そこから少しでも社会復帰に繋げられないかと思ったのですが、地元を探すも事業所だらけの情報に頭がくらくらしてしまいました。また障害者の親や子供同士で話せるコミュニティはあっても、本人たちが話せる場所はネットにしかなかったのです。

 そして私は、話し相手が欲しいだけの自分に気づきました。それならば、健常者と話せるところはないのかと。調べましたが、交流の場はスポーツばかりで、話すのが主なところはありませんでした。私はスポーツが大の苦手で、考えながらスポーツをするのはもってのほかでした。私が得意なのは、文章を書くことや絵を描くことで、芸術で健常者と関われる機会は、私のところにはなかったのです。

 そこで私は社会に訴えかけたいのです。健常者と障害者が、芸術を通して交流できる場を、一緒に作ってほしい。障害者と言っても、重度の人たち、それから私のような軽度の人たちも含めた、芸術が好きな人たち皆です。芸術は、絵だけではなく、文芸や音楽も含みます。上手く言えない感情が、芸術で表せることもあると思うのです。それを見て、健常者と障害者がお互いに鑑賞し合う。上手く言葉にできなくても、いい。時間がかかってもいいから、相手にその言葉を伝えることこそが、私は大切だと思います。

 この交流できる場を作るには、私一人の力じゃ足りません。芸術を通して、何かを世間に、社会に、世界に伝えたいと思う人たちが必要です。まずは一つの地域から始めて、人数が集まったらそれを一つの県に、一つの地方に、日本全国に広げていけたら、と私は夢を思い描いています。そんなの夢にしか過ぎない、絶対に実現しない、死亡フラグ乙、そんな言葉は要りません。私の元に必要なのは、芸術を通して何かを伝えたい人たち、それだけです。

 私には、小説家になること、画家になること、それらにもう一つ夢が加わりました。健常者と障害者が芸術を通して話せるコミュニティの完成です。障害者が一歩を踏み出す一粒の勇気になれるよう、私は日々努力していきたいと思います。そしてコミュニティがもし完成したら願いたい、「障害者を取り残さない場所」になること、それから「本人たちが楽しいと言える場所」になることを。

・遠藤蓮奈      宮城県名取高等学校2年  男性差別も考えよう     

私は差別される男性を救うために男性も生活しやすい環境作りをするべきだと考えました。

なぜなら現代では女性差別が主に注目されていますが、さりげないところで男性も差別されていることがあるからです。例えば男性だけでのゲームセンターのプリクラ入店禁止や、デパートなどでの女性と比べた男性トイレの数、また女性専用車両はあるが男性専用車両は無いなど。私たちが当たり前と思っている事でも実は男性差別だったりすることがあると思ったからです。

もう1つの理由として男性差別によって精神的苦痛を負っている人がいるということです。最近では性同一性障害を持っていたり、自分の性別に不満を持っている方も少なくありません。あるSNS上で満員電車でぶつかってしまった女性に痴漢だと思われてしまい嫌な思いをしたり、させてしまう。これから電車に乗るのが苦痛だ。という投稿がありました。他のSNS上でも男性差別により精神的苦痛を負ったという投稿があります。

もちろん、ある1部の方々の行動で女性が苦痛を感じてしまったりしていることは確かですが、だからと言って「男性だけでは禁止」や、女性専用など男性を差別するようなことをしていい訳ではありません。男性でも節度を守って楽しく過ごしている方も沢山います。逆に女性が迷惑行為をし、男性が苦痛を受けてしまった例もあります。

ですから「男性だけではプリクラ入店禁止」をつくるより、「迷惑行為禁止」や迷惑行為をされない様な事前的なお店の対策をすればだれも嫌な思いをしないのではないのでしょうか。

最近では電車の男性専用車両を試み、イベントで数時間男性専用車両を行ったこともあったというニュースを見ました。実際に利用された男性方は早く取り入れて欲しいなどと良い印象でした。すぐに実現することは難しいですがこのように男性も過ごしやすい社会になるようなチャレンジを増やしていき、男性も女性も生活しやすい環境を増やして行けたらもっと明るい社会になり、SDGsが掲げている「誰1人取り残さない」に繋がると思いました。

このことから私は差別される男性を救うために男性も生活しやすい環境作りをすることが良いと思いました。

・永野夢結      宮城県名取高等学校2年  命を繋ぐ関わり 

私は生きることが辛い子供を救うために「サボり」を受け入れていく社会を作っていくべきだと思う。

サボりと聞いて人はどのようなことを想像するだろう、多くの人はいい印象を持たない。私も数年前まではサボりに対してマイナスイメージを持っていた。しかしそのイメージは正しいのだろうか?今日本の抱える問題の一つに年間3万人を超える自殺というのもがある。これは日本の完璧を求める精神、サボりを悪だと教え込んだ結果ではないだろうか。世界的にみれば経済的に恵まれ、衛生・医療環境が整った国であるにもかかわらず日本は世界的に見ても自殺率は高く、はっきり言って異常である。特に若者の自殺率は異常で、死因で一番のが自殺だと統計が出されている。私はこの問題に対して学校現場で取り上げられていないことに対して非常に疑問に思う。日本の宝は子供ではなく老人に代わってしまったのだろうか?私の通う学校でも悩んでいることはないかなどのアンケートが実施されているが、自分の悩んでいることが文字として表せるのなら自分で命を絶ったりしない。本当に必要なものは綺麗事を印刷した紙切れではなく、その人にとって安心できる場所を作ることではないだろうか?そして安心できる場所を作っていく過程で大事になってくる「親」に対して問いかけていくべきではないだろうか?私の周りには親ががサボりを悪だとし、休みたくても休めない、家にいるのが苦痛だという友人がいる。そもそも健康上問題が無いからと言って登校を拒否する子供に学校に行け!と強要することに非常に疑問を感じるが、この場合、心の体調不良について親が理解していくべきで、なぜ休みたいのか?そこに着目すべきだ。サボりと心の体調不良は全くの別物。この区別ができないのなら子供に対して失礼ではないだろうか?子供は親の所有物ではなく一人の人間で感情がある。そして親は一人の命を預かっているという自覚を持つべきだ。その理解があるだけで子供は安心感を覚えていくと考える。しかしその安心感は長い時間をかけていかなければならない、そこで焦ってしまってはその安心感は子供のものではなく、親のものでただの自己満足に終わってしまうであろう。それがこの問題の難しい所になってくる。学校でもスクールカウンセラーというものがあるが、そこに頼っている限りは根本的な解決には至らないのである。ある種サボりたいと言う子供の訴えは、心からのSOSなんだ。

以上のことから私は生きるのが辛い子供を救うためにサボりを受け入れていく社会を作っていくべきだと考える。

・木村万里      宮城県名取高等学校2年  「普通」ってなんだろう 

私は他とは違う、普通じゃない、取り残されていると感じることが多くあります。

 私は「これくらい出来て普通だから」「普通にわかるよね?」や「普通はこうだから」というような誰でも聞いたことがある「普通」という言葉がとても嫌いです。

 私は夜、長時間寝るより日中数時間でも寝た方が疲れがとれるとですが、家族には「夜寝る方が疲れ取れるのが””普通””でしょ」と言われ自分のことを否定されたように思ってしまいました。また、周りの人が「普通」に理解している所は私には難しく、頑張らないと理解できない所があります。周りの人が「普通」に出来てるのに私はなんで「普通」に出来ないのだろう。他の人は「普通」に生活出来てるのに私はできないのだろう。「普通」って何なんだろう。大人が求めてる、考えてる「普通」って何なんだろう。私は高校2年生になってからよく「普通」という言葉について考えます。普通とは、特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。だそうです。私はよく理解が出来ませんした。どこかに障がいのある人は「普通」ではないのでしょうか。私は「普通」だとおもいます。障がいもひとつの個性で特別なものだとおもいます。障がいのある人が、LGBTQ+、貧困、外国人。私は誰ひとりとして「普通」じゃないと思ったことはありません。みんな私にとっては「普通」なんです。そして私は私にとって「普通」です。

 よく聞く「普通」という言葉で私は周りから取り残されていると感じることがあります。周りは「普通」に出来ていることが私には「普通」に出来ないことが多かったのです。周りからの「普通」は私にとっては「普通」じゃありません。私以外にもこの何気ない「普通」という言葉が苦手や嫌いだと思う人は少なくないと思っています。人それぞれ「普通」と思うことは違うと思います。「普通」という言葉は時に人を傷つけてしまう言葉だと私は思います。世間的に「普通」なことは、誰かにとっては「普通」じゃないことだってあると思います。その中で私は人に「自分の””普通””」を押し付けてはいけないと思いました。相手にとって「普通」じゃないことかもしれないということをみんなが理解して、障がいのある人、貧困、LGBTQ+、外国人や「普通」という言葉が嫌いな人が嫌な思いをしないような「普通」という言葉の使い方をしていきたいと思いました。私自身が「普通」という言葉を好きになれるような、「普通」という言葉で取り残されると感じる人がいなくなるような社会になっていって欲しいです。

・中河原希海    宮城県名取高等学校2年  「誰一人取り残さない」とは何なのか?   

「誰一人取り残さない」というのになぜ「社会的弱者」と区別してしまうのだろうか。私はそこに違和感を感じた。少なからずLGBTQの人たちは”弱者”という言葉を使われてどう思うのだろうか。貧困層の人たちは”弱い者”と呼んでいいものなのか?私はとても違和感を感じています。

彼らは他のごく一般的な生活を送っているであろう人達に「社会的弱者」と呼ばれて扱われてしまうのはどこか世間の目を気にしてしまって余計生活が苦しくなり、自分自身の首を絞めてしまっているのではないのだろうか。「誰一人取り残さない」というのならまず私たちにできることは「社会的弱者」という扱いをやめることだと思う。

私たちがそのように扱っていては永遠にこの「誰一人取り残さない」というのはなくならないであろう。困難を与えてしまっているのはむしろ私たちの方ではないかと思っている。

現代文の授業で、「分かち合う社会」というのを学んだ。これは民族が食物を分配するというのを題にして話しているが、このことにも言えるのではないのだろうか。「理解」ということはそう簡単なことでは無い。なら「分かち合う」はどうだろうか。理解と分かち合うでは似てるようで少し違うと思う。この授業を学んで私は「共在のイデオロギー」という言葉を知った。「共在」というのは辞書に載ってないその著者が作った言葉だが、「共に在る」ということだと私は思っている。「イデオロギー」というのは、社会的立場に制約された考え方という意味合いがある。彼らだけが社会的立場に制約されている訳では無い。この世界に生きる全員が社会的立場に制約されて生きているはずなのに重ねるように制約していくのは「誰一人取り残さない」というのと矛盾が生じるのではないのだろうか。「誰一人取り残さない」というのならまず”社会的立場”を考え、「社会的弱者」と捉える、その言葉をなくしていくべきだと考えている。だから私は、弱者ではなく他の人と同じように「共在のイデオロギー」を意識し生活していくべきだと思っています。

・岸桃々華      宮城県名取高等学校2年  見えない暴力   

「誰ひとり取り残さない」とはどういうことなのだろうか。きっと世の中にはいろんな考え方の人がいるのだから簡単にひとくくりするのは難しいだろう。この小論文を書くにあたって入賞作品を見た時、身の回りで助けたいと思っている人を書いてる方が多かった。きっと皆が身の回りの人を助けることで積み重なり「誰ひとり取り残さない」という結果になるのではないだろうか。そこで私は言葉の暴力について書こうと思う。

親の存在についてどう思うだろうか。趣味が合う、気が合う、あまり話さない、うざいなど色々あるだろう。では友達の家庭問題について聞いた事はあるだろうか。なかなか踏み入りづらく親密な関係ではなければきっと軽くしか触れられないだろう。ニュースで親の虐待が取り上げられるのはほとんどが暴力のことだ。虐待というのは叩く蹴るなどの暴力だけなのだろうか。SNSが身近にある私たちにはきっと分かるだろう。言葉も暴力になるということを。私の友達は言葉の暴力を受けていた。今までそういう経験をしている人が身近にいなかった、いや聞いてなかっただけなのかもしれないが初めてで正直私に何ができるのか分からなかった。親の教育の仕方は色々あるだろう。だがその子の親の教育は一般的に見てもおかしな点が多かった。話を聞いてあげること、同情することしかできなかった。なぜならば、共感しても良いのだろうかという心の葛藤があったからだ。自分には経験もないし、初めて聞く内容の相談。それなのに自分が分かる。辛いよね。など知ったかのような共感をしても良いのか分からなかった。だが私の友達は聞いてくれてありがとう。少し気持ちが軽くなった。と言った。ほんとにそうなのだろうか。表情を見る限り出したいことを全て言えてないそんな顔をしていると思った。だから私は帰ってから言葉の暴力について色々調べ、次の日また話を聞いた。今までそのストレスをオーバードーズ、リストカットなどにあててきた。と教えてくれた。言いづらい内容だから今まで話せるような人は少なく聞いてくれる友達がいて良かった。と泣いて話した。私は良かったと思うのと同時にどうしてこんなに辛い思いをしているのに気づけなかったのか、何か助けることはできなかったのかと自分を悔やんだ。きっと自分は知らないだけで身の回りにももっとそういう経験をしている方がいるのだろう。SNS場では異なるが、言葉の暴力というのは形に残らないし目に見えないのだから、言った本人すら相手が傷ついてることに気づいてないことがある。だがそれを「知らなかった」この一言で終わらせても良いのだろうか。私はもっと自分の言動に責任を持ち言葉の暴力で辛い思いをする人がいない社会を作りたい。そうなれば「誰ひとり取り残さない」ということに近づくことができるのではないだろうか。

・横山芽        名取高校2年    取り残してしまった罪は消えない 

もしもあなたの身近の人が自殺行為をしてしまったら、あなたはどう思いますか?そして、あなたはどんな気持ちで過ごすのでしょうか。今から話すことは私の実体験であり、私の一生消えることのない辛い後悔です。救えなかった、守れなかった人。そして私はこう思うのです。「取り残してしまった罪は消えない。」と。

なぜ私がそう思うのか。それは、私の大切な従姉妹が自殺で亡くなったからです。大切で大切で、お姉ちゃんのような存在でした。いつも仲良しでした。ずっとだいすきでした。そんな彼女は今から2年前、20歳の頃に自ら命を絶ちました。自ら命を絶つ、?そんなことあってはなりません。絶対にあってはいけないと思うのです。しかし、それを救うことができなかった。守ることができなかった私が罪深いのです。そう感じます。

彼女がどんな理由でその結果に至ったのかは今もなお、分かりません。きっと一生分かることはありません。

でも、彼女が何で苦しんでいたのか、なぜその結果に至ってしまったのか、それを私は来る日も来る日も考えました。人は誰でも悩み、苦しみます。

誰でも逃げ出したい、どうにでもなれ、と思ってしまうことがあると思います。

現実、そう甘くはないし、嫌な状況であっても向かい合わなければならないことも。実際その方が多いかもしれません。そんな時、あなたならどうしますか?私なら、一人の信頼している友達に相談すると思います。一人で考えて解決するのは難しく、重く悩みを抱えて余計にストレスになってしまうからです。けれど、辛く苦しい思いをしていても、誰にも悩みを吐けなかったら、?相談できる友達、信頼している大人がいなければ?誰に助けを求めたらいいのでしょうか。私の従姉妹は誰にも相談できず、一人で全ての悩み、一人で大量の、溢れるほどの辛さを抱えていたと思います。一人で全てを抱えてしまっては、心が折れ、自分が自分じゃなくなると思います。悩みは人それぞれ感じ方、悩みの抱え方、悩みの重さが違うと思います。

しかし、誰でも、悩みを消化できない状況になってしまったら、圧迫されとてつもなく苦しいはずです。そんな人を助けられるならば、助けたいと思っているならば、何よりも早く行動しなければならないのです。大切な人が心の底から傷つき、心の底から悲しんでしまってからでは遅いのです。早くその小さなヒントに気づき、あなたが、私が、声をかけなければならないのです。こんなにも、絶対困っている人がいたら助ける。と言い張れるのに、私は彼女の異変にずっと気付かぬまま終わりました。

 例えば、帰りに私の家に寄ってから帰る日が長く続いていました。また、「車の運転下手だけどどっかドライブ行かない?」など、私に辛い思いを話そうとしていたのかもしれません。今思えばヒントは少なくとも一個はあったはずです。しかし、その小さなヒントを見逃す日が続いたせいで、自殺行為に至りました。彼女は私に取り残されたと感じていたかもしれません。助けてよ、この気持ち感じ取ってよって。身近の人が、こんなにも苦しんで、笑顔は作っていたと知ると本当に悔しいです。そして、ごめんね。気づいてあげられなくて。この思いしかありません。

その日から私は取り残してしまった罪は消えないと思いました。自分を責め、沢山泣きました。この思いが彼女に伝わっているような気もします。このように、身近にいても気づけないことが一番辛く、互いに一生深い傷を負うことになるのです。

 そして、自殺に至らないためには、身近にいる人はもちろん、クラスメイトや職場の人など一人一人関わりのあるもの同士が、互いに気遣いをすることが大切だと考えます。現実、本当に難しいことだと思います。気遣いといえば、声をかけ合う、相手の心情を考えるなどが思い当たると思います。とても小さなことのように感じますよね。

しかし、それができないのが現実です。相手のことを想い合っていますか?いつも自分中心に話を進めていませんか?今一度振り返ってほしいのです。自分では傷つけたり、悲しませようと思っていなくても、勝手に言動や行動に出てしまいがちです。私は今実際パニック障害を患っていますが、身をもって心の不安について何度も考えています。誰かの何気ない一言が尖った棘になり人の心を突くことがあります。そして、いつの間にかその人を死まで追い詰めているかもしれません。そのような事態を絶対に防ぎ、自殺行為で苦しむ人をなくしたいのです。

 もう一度聞きます。もしもあなたの身近の人が自殺行為をしてしまったらどう思いますか?「誰一人残さない」それは「取り残してしまった罪は消えない」と比例すると思います。あなたの助けを待っている人はいます。すぐそこにいると思います。その人を見捨てないであなたの優しさであなたの包み込める範囲で癒してください。絶対に誰も一人に取り残されたくはないのです。取り残してしまった罪は消えないのですから、その罪を犯さないように、今できる範囲で人を癒し、人に癒されるようになれなら、きっと私は彼女を失った辛さも少しは和らぎます。この世に失っていい命などない、自殺行為という絶対にあってはならない行為を私は、人と人との気遣いで変えていきたいと思うのです。

・星陽果莉      宮城県名取高等学校2年  アレルギーの差別をなくすために 

私は幼い頃、保育園に通っていて自分が省かれているなと感じたことが何度かあった。私は食物アレルギーが多くあり、他の子達とは違うメニューの食事を出されていた。食事をする際も、みんなと離れたところで食べていた記憶があり、そういう対応がみんなと違うのかなと少し悲しくなったことがある。私がここで伝えたいのは、保育園や幼稚園などに通っている幼い子どもたちを対象にして、アレルギーを持った子どもに対する対応を平等にし、いじめをする人といじめられる人を救いたいということだ。

    私が保育園に通っていた頃は、コロナウイルスなどはなく、机を円にしてみんなでいただきますをしていた。最初は、私もみんなの円と同じ場所で食べていたが、先生たちが急に「こっちに移動するね。」と言って私だけ離されてすごく悲しくなった。なぜ私だけ離れて食べなきゃればいけないのか分からなかった。  

    以前、私の肌に牛乳が触れたことでアナフィラキシーショックに近い状態になって、病院に行ったことがあった。だから、先生たちも食事の際に慎重な対応をとってくれていた。しかし、幼かった私にはたとえ先生から説明されたとしても、それを理解することは出来なかっただろう。先生達が考えていることは、幼い子どもたちには到底理解できないことの方が多い。

   私は、これを書くためにもっと食物アレルギーについて深く知ろうと思ってネットで調べてみた。そこには、食物アレルギー児がいじめを受けてるいるという記事をみつけた。わざとアレルギーの食べ物を目の前で振られたり、悪口を言われたりなど。そんなことが書かれていた。私も保育園に通っていた時、アトピー性皮膚炎をもった女の子がいた。みんなはその子を避けるように步ったり、無視したりしていた。私はただ見ているだけだった。今考えれば最低な事だ。

    私は将来、保育士になりたと思っている。私のようにアレルギーをもっている子たちは少なからずいる。そして、アレルギーがあるために取り残されていると感じる子や、いじめの標的になってしまう、そんな子どもたちを私自らが保育士となって、子どもたちを救っていきたいと思っている。具体的には、食事をする時にみんなも同じように間隔をあけて食べたり、アレルギーを話題にした紙芝居や絵本などで幼い子にもわかりやすいように伝えて、もっとアレルギーを身近に感じて欲しいと思っている。そして、いじめられる子やいじめをしてしまう子を減らしたい。私のこの考えが間違っていると思う人もいるかもしれない。子供にそんなこと伝えても、理解できない。話が難しすぎる。という人も中にはいるかもしれない。しかし、私はそんなことを言っていては何も変わらないと思う。幼すぎる、なんてことはない。その年齢にあった方法で教えれば、きっとわかるはずだ。幼い頃から教えることで頭にも入りやすいし、いじめが多いのは小学校から中学校の期間がいちばん多いと言われている。だから、教えるのは小学校に上がる前の段階が1番いいと思う。私は実際に保育士になってそれを実践し、いじめられる子やいじめてしまう人を救いたい。そして、アレルギーをもっている子どもをもつ親が、育児ストレスで悩まないように親のメンタルケアをするのも保育士の役目だと思う。私も食物アレルギーが結構あって、私が食べられるものを探してきてくれたりして親に沢山迷惑をかけてしまった。そのせいで、ストレスを感じていたのかもしれないと今になって思う。子どもだけを気にかけるのではなく、子の親に対してもサポートしていく必要があると思う。

   ここではアレルギーを対象に考えているが、アレルギー以外で取り残されている子もきっといるはずだ。まず、1つずつ小さなことから初めて最初は小さくてもだんだん大きくしてたくさんの子が仲間になっていけるようにしていきたいと思う。

・佐藤丞        宮城県名取高等学校2年  助けを求めているのは誰?       

少し前、リビングでニュースを聞いているとある言葉がアナウンサーの口から発せられた。「児童虐待」この言葉を聞く度にうちの家族は耳を傾ける。そして「酷い話だ」「なんて親だ。」なんて言葉をつぶやく。

私はこの「誰ひとり取り残さない」という題名を前にした時、1番先に浮かんできたのが児童虐待だった。なぜ無くならないのか、なぜ減らないのか、疑問に思えてきた。

児童虐待のニュースが流れる度に、

容疑者もとい、親は決まって「躾のつもりでやった。」「傷つけるつもりは無かった。」などと言う。

確かに親には自分の子供を教育する権利がある。だから別に躾をつける事は悪くは無いだろう。しかし手を出してしまえば話は別になると思う。

私は自分の子供を教育する権利はあっても、暴力をふるう権利は無いと思うからだ。なんて事を言っても虐待を止めることは出来ない。児童虐待というものは気づかなかったり、気づいたとしても解決に持ってきけない事が多いと思う。

子供にアザがついているのを見たり、子供から他の大人に虐待されていると話したりと虐待に気づける事はある。

でもそこから聞いた大人が警察に行ったり、相談所に連絡したりなどしない場合もある。「もしかしたら大袈裟に話しているだけかも。」「嘘かもしれない」「ただの説教かな」なんて考えてしまうのだ。

それに子供自身から話さない場合もあるだろう。「言ったら怒られる」「言ったらまた叩かれる」と考える事もあるかもしれない。

そんな子供の助けを求める声に我々、第三者が気づいてやる事が誰ひとり取り残さない事に繋がるのでは無いかと私は思った。

児童虐待が起こるのは親が暴力をふるうからだ、でもなぜ暴力をふるうのだろう。

そう思い考えてみると、

親が子供に暴力をふるうのにも何か要因があるはずだと考えた。

例えば、「親の育ちの問題」だとか「精神に病を患っている」などがあるかもしれない。児童虐待は親だけのせいではない気がする。調べてみると、やはり「親の育ちの問題」や「貧困」「育児疲れ」など心理・社会的な要因があるようだ。

このような問題が積りに積もって児童虐待に繋がる。実は助けを求めているのは子供だけではなく親もなのかもしれない。

また同じように親の抱える問題も他者に話す事がなければ気づかないような問題だろう。となれば1人で溜め込むこととなる。

誰ひとり取り残さないという言葉の通り、

私は心理的、社会的な問題を抱えている親も助けてこそ解決に至ると思った。

この事から児童虐待というものは気づきにくい所があり、子供だけでなく親にも助けが必要だという事が分かった。

親が全て悪いように見えるが、実は1人で悩み溜め込んだりしているかもしれない。

「誰ひとり取り残さない」この言葉は今回のように少し視点を変えてみる事も表しているようにも見える。誰も取り残さないようになればニュースで流れる事件の数も少しは減るのではないかと私は思った。

・山口夏穂      名取高校2年    いじめのつらさを知ってほしい   

「誰ひとり取り残さない」と言う言葉を聞いた時、私はすぐに思い浮かんだ言葉がある。それは「いじめ」だ。いじめは堂々とするものもあれば陰湿なものもある。

 私は小学校5年生の時、いじめを受けたことがある。新学期になり新しいクラスでワクワクしていたが、その気持ちは、ある日突然無くなってしまった。私は内気なところがあるため、5年生になっても特定の人としか話さず、クラスの活動にも消極的だった。クラスの中で所属できるグループが見つからず、休み時間は読書をするなど、一人でいることが多かった。一人でいることを可哀想だと言う声や視線が嫌だった。そんな時、グループの一人が話しかけてくれた。正直、とても嬉しかった。その後は、そのグループと一緒にいることが多くなった。だが、それは長くは続かなかった。突然そのグループからいじめのターゲットになってしまったのだ。いじめの原因の一つは、「睨まれた」と言うものだった。私は幼い頃から目が悪く、遠くの物を見る時は目を細めて見てしまっていた。眼鏡で矯正すれば良いと思うかもしれないが、私の場合、眼鏡をすると頭が痛くなってしまい、乱視もあったため、眼鏡の度数を合わせることも困難だった。それから、周りの目が怖くなり、話し声も自分のとこを言っているように感じてならなかった。

 そんなことがあった1年も終わり、また新学期が来た。いじめは5年生の終わりに差し掛かるほど無くなっていった。その裏ではクラスの友達が先生に相談してくれていたようだった。学校ではいじめアンケートというものがあるが、そこで書けるかどうかはわからない。後で何か言われるかもしれない、もっと酷くなるかもしれない、と思ってしまうからだ。でも、親や信頼できる先生が一人でもいるなら、あの友達のように、勇気を持って打ち明けることができると考える。そのためには先生と常にコミュニケーションをとり、信頼関係を築くとこが大切だ。生徒が先生にいじめがあると言って初めて気付くのでは遅いのである。私の場合、大事になる前に気づいてもらうことが出来たが、そうではない人もいる。

 いじめられる理由は人それぞれだ。私は自分の視力の悪さが原因で相手に嫌な思いをさせた事が発端だった。SDGsの16に含まれる、「いじめ」という問題を解決するために私は学び、その中でも、私と同じ目が原因で苦痛を感じてきた人や抱えている人を一人でも多く救うことを目指して、大学で目について専門的に学びたいと考えている。

・遠藤優介      神戸高専専攻科2年      女性活躍促進に向けた男性による社会変革 

1.はじめに

「6,828億円」

この数字は、女性の月経に伴う症状(以下、「生理」という。)による、日本社会における労働損失の総額を表している(1)。また、閉経前後5年に生じるとされる更年期症状により、「元気な時と比較して仕事のパフォーマンスが半分以下になる」と言う女性も約半数に上る(2)。これらは、経済発展に伴って国民一人ひとりの栄養状態が改善されたことによる長寿命化に起因している可能性がある。現代の女性は、生理が10代から始まり、更年期症状が60歳前後まで続く。日本社会はその変化に対応しきれず、女性の身体的特徴が現代病と化してしまっている。筆者は社会全体でこの「病」を認識し、女性が自身の夢の実現やキャリア形成に向けて思う存分に挑戦できる環境の整備が必要であると考えている。そこで、本稿では女性活躍の促進に向けて、男性による社会変革を提案する。

2.女性活躍の実情

2021年時点において、日本企業の取締役に占める女性の割合はたったの12.6%である(3)。また、男女の賃金格差についても、中央値で女性は男性に比べて22.1%も低い(4)。政府による女性活躍促進の効果もあり、近年はこれらの数値が改善傾向にあるが、依然としてその格差は大きい。筆者を含めた多くの男性は、女性活躍を前向きに捉えているはずだ。それにも関わらず、女性活躍が真の意味で実現しないのは、社会全体(女性含む)が無意識下で、女性活躍のためには「職場における女性の男性化」が必要であると思考しているためだと筆者は考える。つまり、社会全体が、女性の身体的特徴を考慮せず、職場において男性と同様の働き方を前提としているということだ。これは無意識であり、女性を傷つける意図はもちろん全くない。しかし、結果として女性が「我慢する」という形で社会に適合を目指す傾向は事実だ。そして、適合できない場合、自らの能力不足であるのかのように錯覚し、女性が夢や目標、仕事を諦めていく。実際に、生理や更年期症状が原因で、昇進を辞退したり、退職する女性も少なくない(5)。これは、実際には能力不足ではなく、男女差や個人差への社会的な配慮が不足していることが根本的な要因であると考える。真に女性活躍促進を目指すならば、男性側からもこうした点に着目し、社会に変革を起こすことが求められる。

3.女性活躍に向けた社会変革

生理や更年期症状などの女性の身体的特徴に関して、社会の認識をアップデートすることによって、現在の社会体制では埋もれている女性のポテンシャルを解放できる。女性の身体に合った働き方が確立されれば、一人ひとりが自分らしく輝くことができる社会に一歩近づける。また、女性の生産性向上や、少子高齢化が進む中でも労働力の増加が期待でき、企業の成長及び日本経済発展にも寄与する。

このような女性活躍促進に向けた社会変革には、男性側から積極的に、女性のサポートとなる制度の導入を職場や組織内に対して提案していくこと、そしてそれらを前向きに受け入れ、実行する姿勢が求められる。女性活躍のために必要なケアは、病院での治療や薬の服用だけではない。家庭・職場双方での負担軽減や、精神面のケアも非常に効果的である。

例えば、特に管理職に対する生理や更年期症状に関する勉強会の開催や、産婦人科への通院費用の補助、勤務体系や評価制度の見直し、休暇の取りやすさの改善など、提案内容は多岐に渡る。重要なのは、女性が女性であることで「我慢」しなくても良い環境を形成することだ。大半の女性は、異性に自らの生理や更年期症状について相談しづらいだろう。ゆえに制度を整え、「理解されている」「配慮されている」と感じられる環境を構築することが、精神面でのケアの点でも重要であると考える。女性のパートナーがいる男性は、その女性を日常的に労い、体調を気遣い、家事や育児の負担軽減に積極的に取り組むことが、何より大きなサポートとなるだろう。

このようなサポートが得られるという期待と確信が、女性自身の昇進や活躍の意欲となる。優秀な女性の活躍を望む企業は、数多く存在するだろう。こういった取り組みを是非男性が率先して行ってみてはどうだろうか。我々男性一人ひとりの勇気ある行動が、女性活躍促進に向けた社会変革への確かな発端となる。

4.おわりに

本稿では、女性活躍促進に向けて、男性からの社会や女性への振る舞いを論の中心としたが、筆者は社会的マジョリティから、障がい者、LGBTQIA+、外国籍の人々を含む、あらゆる社会的マイノリティへの寄り添いも等しく重要であると考えている。全てのマイノリティを「誰ひとり取り残さない」社会の実現に向けて、本稿での提案が多くの男性の心に響くことを期待している。

参考文献

(1)Tanaka E, et al., “Burden of menstrual symptoms in Japanese women: results from a survey-based study.” J Med Econ 2013;16(11):1255–66.

(2)日本医療政策機構, “働く女性の健康増進調査 2018”

https://hgpi.org/wp-content/uploads/1b0a5e05061baa3441756a25b2a4786c.pdf

(3)Women on Boards: Progress Report 2021

https://www.msci.com/www/women-on-boards-2020/women-on-boards-progress-report/02968585480

(4)Gender wage gap

https://data.oecd.org/earnwage/gender-wage-gap.htm

(5)働く女性の健康意識調査

https://www.otsuka.co.jp/woman_healthcare_project/report/working_woman_2021.html

・清野真帆      名取高等学校、2年      心の悩みを助けるために 

心の悩みを助けるために

SDGsの基本精神に「誰1人取り残さない」とある。しかし、そのようなことはほんとに可能なのだろうか。「誰1人取り残さない」という定義に答えはあるかどうかもわからない。しかし、取り残されている人がいるのが現実だ。この社会に生きている以上ストレスや悩みはつきものだ。ストレス社会とも呼ばれている今、心の悩みを持つ人たちの心の拠り所をつくり助けたいのだ。

 私が心の悩みを持つ人を助けたいと思ったきったけは、強迫症である可能性が高いと知った時からである。あるときから不潔さに恐怖を抱き、自分が汚いとまで思い、手を洗うことを止められなかったのである。周りから手の洗いすぎや気にしすぎと言われるまで「自分はこういう人間なんだ。」変わったことではないと思い、おかしいということに気づくことができなかった。他の人と自分は違うと思った時、取り残されてると感じたのだ。ある時、違うと思思いつつも調べてみた時、強迫症の記事を見て症状すべてに自分の行動や気持ちが当てはまった。自分と似たような症状を持っている人もたくさんいたのだ。その時私は強迫性だと思った。症状として強い不安や恐怖、こだわりがあり、やりすぎとわかっていても行動を止められるないのである。目に見えない菌などに怯え、まるで自分が自分に支配されているような感覚におちいってしまうこともあった。原因の1つにストレスがある。ストレスはこのように行動に現れてくることもある。しかし、明確な原因ははっきりしておらず、周りから気づかれにくく理解がされにくいのが現状である。病気ではないため重く思われないことが多いが、現実はそうではない。自分でもやりすぎとわかっていても体が勝手に動いてしまう。数字や色、ありもしないことを勝手に想像し悪い方向へと気持ちがいき、強い不安に襲われる。このような症状を持つ、当てはる人は少なくない。目に見えないからこそ気づかれにくい心の悩みを持っている人はたくさんいる。わたしは、人に話を聞いてもらえて、理解してくれるひとがいたからこそ少しは楽になった。また、同じような人がいることをしったことあで理解してくれる人、共感できる人もいて孤独ではないと思えるようになった。このように気づかれにくい、わかってもらえないような同じような症状や辛さ、悩みを持っている人が周りには言えない、言えてない、さらに自分では気づいてないなどさまざまである。

 私たちの周りにはいつもと変わらないように見えても心の中ではストレスや悩みを抱えている人や山ほどいるのだ。気づかないうちにストレスを抱え込んでしまう場合がある。周りの人の何気ない行動に気づくことがなにより大切だ。少し話をするだけでも心の拠り所になると思うのだ。それに自分のことは1番自分がわかってないことが多いのである。自分の気持ちにも目を向ける必要があるのだ。悩み、苦しみと大きい括りにしてもその内容は数知れずある。毎日がストレスだ。そう思っている人大半であろう。人それぞれストレスを感じることや場面は異なる。その事実を知り、一人一人が助け合う話し合うだけでも「誰1人取り残さない」ということが実現できるのではないか。

・佐藤彩花      宮城県名取高等学校2年  好きな暮らしを続けるために     

取り残された人たち(社会的弱者)を救うために何をするべきか。私は単身世帯高齢者を救うために地域ぐるみで見守る、ご近所づきあいをする、地域の支援サービスの存在を知ってもらうことが大切だと考えました。

なぜ、単身世帯高齢者について考えようと思ったのかというと、私の住んでいる岩沼市でも周囲に親族の住んでいない一人暮らしの老人が増えているからです。

そこで私は岩沼市の人口を調べてみました。岩沼市の総人口は43877人。その中で65歳以上の老人は11574人と、全体の約3割を占めていることが分かりました。さらに世帯層の資料を調べてみると、年々単身世帯高齢者の割合が増えていることも分かりました。

確かに、単身世帯高齢者の中には1人が好きで1人で住んでいる人もいるかもしれません。

しかし、その人がもし困った時にすぐ頼れる人が居ないと、例えば怪我をしていたのに対応が遅くなってしまい処置が間に合わなかったなどの事態が起きてしまうのではないでしょうか。地域で交流があれば、1人暮らしをしていても安心して生活することが出来ますし、1人暮らし同士が毎日挨拶をする軽い交流だけでも、お互いに生存確認をすることが出来るのではないでしょうか。ご近所づきあいが減ってきている今だからこそ、挨拶だけでもすることは大切だと私は思います。

しかし、地域ぐるみで1人暮らしをしている人を見守ることが周囲の負担になってしまうことも事実です。ご近所づきあいが年々減ってきていることもそのためだと考えることも出来ます。そもそも1人暮らしをせずに施設で暮らせばいいという意見も出てくると思います。

確かに、施設で暮らすことが出来れば仕事で世話をしてくれる人に24時間専門性の高いしっかりとした対応をしてもらえるため、周囲の負担が少なくなり親族がいれば見舞いに来てくれるため寂しさを感じることも少ないでしょう。

しかし、施設は外出できる時間が制限されていたり、親族が見舞いに来てくれない限り自分から会いに行くことは難しいため親族との繋がりが薄くなってしまうのではないかと考えます。むしろ本人の地元に住んでいたいという強い意志で一人暮らしをしている人も多いのではないでしょうか。そのような人に対応出来るように、周囲の人に地域ぐるみで見守ってもらう他に地域包括センター、民生委員やケアマネージャーなどの支援サービスを利用することで多くの人に助けてもらう方法があると考えました。この方法であれば、1人にかかる負担が少なくなるでしょう。

しかし、地域の支援サービスの存在を私は親戚が病院に紹介されるまで全く知りませんでした。存在を知らなかったために利用できずに苦しんでいる人もいるのではないかと私は考えます。なぜなら存在を知っているか知らないかで大きく変わると感じたからです。

以上の理由で私は単身世帯高齢者を救うために、地域ぐるみで見守る、ご近所づきあいをする、地域の支援サービスの存在を知って貰うべきだと考えました。

・小熊愛空      宮城県名取高等学校2年  子供たちを救えるように 

私は、体力の低下した子供たちを救うために、大人の理解を深めるということをしていきたい。

今日、多くの公園で「ボール遊び禁止」という看板を見かける。ボール遊びというと、サッカー、野球、ドッヂボールなどだ。それなら遊具で遊べばいいのではないか。という意見が多数ある。しかし、近年の公園は遊具が次々撤去されているのである。なぜなら公園の遊具で怪我をした事故や死亡した事故が多かった結果遊具の撤去が行われてしまったのだ。さらに、遊具の老朽化や親が見ていないところでさらに危険な目に合ってしまうかもしれないからだ。つい先日私が幼い頃遊んでいた公園も封鎖されていたのだ。公園自体も無くなってきているのに、遊具を撤去してしまうと、公園は今やただ広いだけの場所と化してしまったのだ。

では、公園で遊ばなくなった子供たちは代わりにどこで遊んでいるのか。それは家の中だ。しかし家の中で遊ぶとなるとボール遊びは難しいだろうし、他の外遊びを中でやることは容易いことでは無い。すると必然的に子供たちはゲームをしたり本を読んだりして過ごすのである。

外遊びやスポーツをやらないと体力が低下してしまう。近年子供の体力低下が問題になってきている。

子供たちは将来どうなってしまうのだろうか。

そこで、なぜボール遊びが禁止されてしまったのかについて振り返ると、老朽化や親の責任が大きくなるのと同時に、近所迷惑というものもある。遊んでいる子供の声が大きくて近所迷惑だという声や、ボールが外に飛び出して危険で迷惑という声がある。

ボールが飛び出して危険なら柵を作れば良いという意見もあると思うが、全ての公園に柵を設置するのは莫大な資金を要することになってしまう。しかし子供の声が迷惑というだけなら、大人たちが子供の遊びに理解をすれば良いのでは無いだろうか。

自分たちも昔はサッカーや野球をして公園で遊んだはずだ。大人たちはきっと子供のボール遊びについて理解を示してくれるだろう。

ここで大人が子供たちの遊びについて理解しなければ、子供たちはゲームや読書、絵を描くことによる視力低下や体を動かさないことによる体力低下に繋がってしまう。

だから大人は「子供は元気に遊ぶことが大切だ。」と割り切るべきである。

大人が子供の遊びを理解するというそれだけで、体力が低下した子供たちを救うことが出来ると思う。

よって、子供たちが今も将来も健康に過ごせるように、大人はボール遊びへのタブー化を少しでもやめてみたらよいのではないかと思う

・横山実優      宮城県名取高等学校2年  貧困を理由に学ぶことを諦めないで       

SDGsの中の一つ「質の高い教育をみんなに」この考えを知った時に私は強く関心をもった。同時にあの時の私と、この目標が重なった瞬間だった。

 当時中学三年生、高校受験まで一年を切った頃だった。それまで家族からは、60人中20位でも、「すごいじゃん!さすが!」と褒められるような、甘い環境の中で私は育ってきた。大して勉強しなくても褒められる。テスト勉強などしたことがなかった。そんな私が3年生になって受験の壁に直面した。

 私には行きたい高校があった。しかし、私の家族は4人兄妹の6人家族。決してお金に余裕は無かった。親に無理をいって、3年生でようやく初めての模試を受けた。自分の力を過信しすぎていた私は、結果が返ってきたあの日、味わったことの無い絶望感に陥った。周りの子達は「学習塾」「家庭教師」が当たり前の中、それまで私の勉強に対する考えがいかに甘かったか痛感した。

  3年生にもなって自分の勉強の仕方すら分からなかった私は、15年生きてきて間違いなく苦しい1年となった。周りに追いつこうと、親を説得し続け、ようやく3年生の夏に塾に通えるようになった。塾に通い始め、私の生活は180度変わった。朝から夜まで机に向かった。毎晩泣きながらペンを動かした。「今まで何をしていたんだろう」と何度考えたか。

   それから、結局第1希望の高校は諦めることになり、併願校も受けず、模試で「ここなら大丈夫だろう」程度の高校を1校だけ受けて私の受験生活は幕を閉じた。

  しかし、私はこの濃い1年を通して、「自分勉強法」を確立することが出来た。この1年は決して無駄ではなかったのだ。

  私は現在高校生になり、塾をやめ、アルバイトと両立しながら勉学に励んでいる。誰に何も言われなくても机に向かい、ペンを動かしている。このような生活をしているうちに気づいたことがある。「私は、受験ギリギリで焦ってどうにか塾に入れてもらって、今こうして高校に入れているけど、もっと貧困だったり、家庭環境から、勉強に意欲があるのに勉強に全力を注げずに苦しんでいる人達をどうにか出来ないかな。」 と。

  塾に通いたくても通えない子供達。なりたい夢ができたが勉強方法が分からない子供たち。貧困から欲しい教材が買えず苦しむ子どもたち。想像するだけで心が痛かった。こんなにやる気があるのに貧困や家庭環境を理由にその伸び代を止めていいわけが無いのだ。

  平成30年に文科省が開始した「地域未来塾」これは、中高生を対象に退職教員や大学生等の協力により実施する原則無料の学習支援だと言う。この学習室に、毎回30人ほどの生徒が参加しているそうだ。

  私が求めていたのはこれだった。貧困にも家庭環境にもとらわれず、のびのびと学べる場所が必要なのだ。

 そんな中でも具体的な私の考える「学び屋」は文科省のものとは少し違っていて、テーマを定めるとするならば、「子供たちだけの学習室」だ。実際、塾が高額なのは、講師の人件費が高いからというのが一番の原因なのである。その「人件費」を削減するべく、講師になるべく頼らず、子供たちで作り上げていくのである。

  更に、図書館や塾などのように「静かにしなければならない」「決められた時間決められた教科を学ばないといけない」といった制限も取り払い、なるべくストレスフリーに勉学に励むことができるのが利点である。

  もちろん、子どたちだけで教え合って解決しない難しい問題もあるし、子供たちが教え合って学力向上にはならないという意見もあるだろう。

  しかし、私の想像する学習室は、最後の1時間だけ、講師が来て分からない問題を教えてもらう「答え合わせ的な時間」を設けることでこの問題は解決出来る。

 そしてこの塾のミソである、「教え合い」は文科省により推進するアクティブラーニングに乗っ取って採り入れた学習形態である。アクティブラーニングは、自分自身でアウトプットする機会が増え、その過程の中で、「自分で得た情報を整理する」「不足している情報を自ら補う」などの手順が必要となる。これを繰り返すことで問題解決能力や発信力の向上が期待できる。

  私の今できることとして、自分勉強法をSNSにて発信するという活動をしている。勉強に対する意欲を引き出すキッカケに少しでもなれたらと思い、始めたものである。実際に、周りの友達に「〇〇のSNS見て、ちょっと焦り感じた」や、フォロワーの方から「いつも励まされています」など、私が与えたかった影響が結果に繋がり、また自分の頑張りも同時に認められている気がして毎回私のバネにもなっている。これこそがプラスの連鎖になっていくのだろう。

  ここからもっと自分の出来る貢献を形にしていきたい。質の高い教育をみんなに与えるられる日が来るまで。

・柴山心花      鹿島朝日高等学校1年    目に見えない障害を知ってもらう必要性   

「誰一人取り残されない」

 私はこのコンテストに参加する、と決めるまでSDGsのことについて深くは知らなかった。そのうちの一つがこの基本方針だ。この言葉を見た時、私は心に小さな棘のような痛みを感じた。「私含めて取り残されている人はたくさんいる。」私はそれを知っているからだ。

 私は自閉症スペクトラムだ。自閉症スペクトラムとは、集団行動が苦手、過集中の傾向がある、特定のことにこだわりが強い、言語の発達が遅いなどといった特徴のある発達障害で、私の場合は集団行動が苦手、過集中、感覚過敏の三つが主な症状だ。

 私は幼い頃から、この自閉症スペクトラムに苦しんできた。小学校低学年の頃は、クラスメイトと仲良くなろうと必死に頑張っても、嫌われたり、周りから浮いてしまうことに苦しめられた。しかし小学校中学年にもなると、私は「嫌われている」という事実を突きつけられるのが怖くなってしまい、集団行動を徹底的に避けるようになった。クラスメイトと仲良くすることを諦めて、学校ではほとんど話さなくなり、休み時間中は読書に入り浸った。それは中学生になっても高校生になっても変わることはなかった。さらにテスト前になると、過集中の結果、体調を崩したり、利き手である右手首を痛めたりもした。そして視覚過敏、聴覚過敏があったため、眩しい環境や騒がしい環境に行くと頭痛を引き起こしたり、嫌いな声、というものがあってどうしても関わることができない人がいたりする。

 様々な場面で日常生活に支障が出ているのにも関わらず、私が自閉症スペクトラム、だと分かったのは、高校一年の十一月末だ。きっかけは高校一年の九月に不登校や不眠症になったことで、精神科クリニックに通うようになったことだ。そのクリニックでの診察中、発達障害を疑われて検査を受けることになった。発達障害は二、三歳ごろから目立ち始めることが多く、一歳半検診や三歳児検診で指摘されて発覚する人も一定数いる。しかし私のように生活環境との軋轢を生んだ結果、精神面での不調へとつながり、二次障害を合併したことで、大きくなってからまたは大人になってから発達障害が発覚する例は少なくない。

 私は、自分が自閉症スペクトラムだと知り、受け入れてからは、少し人と接することが楽になった。自分の苦手なことを知ることができたから、そしてその苦手なことをカバーするためにどうすれば良いか考えられるようになったからだ。人と話す時は言い回しに気をつけたり、集中しすぎないように度々休憩するようにして、少しだけ人と話すことが楽になった気がする。

 私は自分が自閉症スペクトラムであることを周りに説明するようにしている。相手と話すにあたって不快な思いをさせないため、そして少しでも多くの人に発達障害のことを知ってもらうためだ。私は、社会から取り残されている人の中には、発達障害の人が多く存在している、と思っている。世間に浸透していない且つ目に見えない発達障害は、どうしても周りから受け入れられにくいからだ。私は「誰一人取り残されない」社会の実現に近づくには、発達障害のことをもっと世間に浸透させることが必要だと考えている。発達障害が世間に定着すれば、「こういうことが苦手な人もいる。」と、受け入れられる人も増えると思うからだ。この作文コンクールに参加する、と決めたのも、発達障害について少しでも多くの人に知ってもらいたい、と思ったからだ。私は今後とも発達障害を浸透させるため、動き続けていく。「取り残されている人」がいなくなるまで。発達障害が「個性」として受け入れいられるまで。

・福嶋柳之丞    北海道函館西高等学校2年 他の人とは違っていても 

「HSP」という言葉を知っているだろうか。最近は聞いたことのある人が多いかもしれない。日本語にすると「とても敏感な人」。深く考え込んでしまうことや、共感性が高く、相手の感情に影響されやすい、などの特徴がある。しかし、それは心の病ではなく、一つの性格なのである。

 私は中学一年のとき、教室の雰囲気になじめなくなった。いじめを受けていたわけではなく、特定の誰かが嫌だったわけでもない。しかし、教室に入りみんなと一緒に授業を受けることが苦しくなった。だから私は、クラスの人とは別の教室に通うようになった。他の人とは違う通い方をしている自分が嫌になったこともある。みんなと同じ教室で過ごすべきだ、と思うこともあった。ただ、その時の自分にとっては、その一歩を踏み出すのが難しかった。それでも、先生方や家族は私を応援してくれた。そして、中学三年の春、私はクラスの人と同じように授業を受けたり、行事にも参加できるようになった。クラスの人たちは、私を受け入れてくれた。

 そんな私が、「自分はHSPなのかもしれない」と思うようになったのは、ある本を読んでからだ。HSPの自己診断テストをやってみたときに、その項目の多くが自分に当てはまった。私は、環境の変化に対応するのが苦手で、細かいことまで深く考えすぎてしまうことがよくある。また、やらなければならないことが一度にたくさんあるときも、よく焦ってしまう。HSPの人たちはそのような悩みを抱えがちで、動揺したり、ストレスがたまってしまうことが多い。

 最初に述べたように、HSPは病気ではなく性格だ。だからこそ、そんな自分が嫌だと思う人がいるのではないだろうか。「自分は別に病気を持ってるわけではない。これは性格だ。だからこそ、悪いのは自分だ。」と、自分を責めてしまうことがあるのではないだろうか。実際、私もよくそう思う。でも、HSPは無理やり直す必要はない。熱心であるとか、親切だとか、それらと同じ性格の一つだからだ。深く考えすぎてしまうことだって性格によるものだ。だから、別に悪いことではないと思う。また、HSPには当然長所もある。例えば、相手の感情に影響されやすいというのは、言い換えると、相手の気持ちをよく理解できるということである。

 全人口の五人に一人はHSPだと言われている。意外と多い、と感じるかもしれない。だから、HSPは何も珍しいことではない。皆さんの周りにもきっといるはずだ。HSPのこのような性格を、「面倒くさい奴だ」と思う人もいるかもしれない。だからといって、HSPの人たちを取り残さないでほしい。すこしでもいいので、その人たちを受け入れてほしい。

 ところで、世の中の敏感な人全員がHSPというわけではない。なかには、HSPではないものの、その性格で悩みを持っている人だっているだろう。そのような人はどうなるのだろうか。「あなたはHSPではないのだから、その性格ではダメだ」なんてことになるのだろうか。私は、決してそうではないと思う。HSPではない、繊細で敏感な人が、その悩みを我慢しないといけないなんてことはないと思う。HSPであってもそうでなくても、辛いときは辛いのではないだろうか。私は、そのような人たちだって、取り残してはいけないと思っている。

 私はかつて、やはり他の人と同じように学校で生活できるようになりたいと思い、多くの人に支えられて、今は高校に通うことができている。ほんの少しではあるが、自分に自信を持てるようになった。私と同じような理由で悩んでいる人が、他にもいるかもしれない。私はそのような人たちに、「他の人と同じように学校で生活するべきだ」と言いたいのではない。私が伝えたいのは、もし他の人とは違っていても、何か、自分に自信の持てる生き方があるかもしれない、ということだ。学校のことに限らず、会社のことなどについて悩む人でも同じことだと思う。

 まだ高校生の私が言っても説得力なんてないが、他の人と同じように生活するのが難しい、という人でも、自分にあった生き方があるのではないだろうか。

・山﨑里桜      細田学園高等学校1年    性的マイノリティを取り残さない 

私はLGBTQ+について話そうと思う。LGBTQ+の当事者でない人からしたらどうしても分からないことがあるかもしれない。しかし、少しでも多くの人にLGBTQ+のことを知ってほしい。

まず、LGBTQ+とは性的マイノリティの総称である。Lはレズビアン(女性の同性愛者)、Gはゲイ(男性の同性愛者)、Bはバイセクシャル(両性愛者)、Tはトランスジェンダー(性同一性障害者を含む性別越境者)、Qはクエスチョニング(まだ自分自身のセクシャリティが分からない人)を意味する。ここまではなんとなく分かる人も多いだろう。では、「+」は何を指すのか。よくLGBTQ+ではなく、LGBTと表記されていることがあるが、私はこの表記は間違っていると思う。なぜなら、LGBTでは、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの4パターンしか含まれていないからだ。性的マイノリティはこの4パターンだけではない。アセクシャル(無性愛者)やXジェンダー(男女どちらにも当てはまらない人)など無数にある。どんな性的マイノリティの人も含む言い方をするのなら、LGBTQ+と表記するべきである。

日本はLGBTQ+への理解が少しずつ進んでいると思うが、まだまだLGBTQ+の人たちが不自由なく生活することは難しい。例えばカミングアウト。家族や友人、学校の人、職場の人など、普段から接する人に自分のセクシャリティをカミングアウトするのかしないのかという問題だ。カミングアウトして周りの人々に理解してもらって楽になったという人もいれば、面接でカミングアウトしたら断られたという人もいる。カミングアウトして人間関係を崩したくないという人もいる。する・しない、どちらが良いとか悪いとかの話ではない。セクシャリティに関わらず、何かをカミングアウトすることはとても勇気がいることだ。その勇気を無駄にさせない社会になってほしい。

もう一つ解決させたいことがある。同性婚問題だ。現在日本では同性婚は認められていない。私は同性婚が認められないことに納得いかない。同性婚のデメリットはない。よく、「少子化が進む」「伝統的な結婚制度が崩れる」「その二人の間の子供が可哀想」なんて言う人がいる。しかし、これらは全て同性愛者への偏見がある人の言い訳に過ぎない。同性婚制度ができたことが理由で同性カップルが増えることはないから少子化問題は変化しない。伝統的な結婚制度とは?はるか昔から同性愛者はいたはず。同性愛者の間の子供は不幸なのか?本当にデメリットがあるとするなら既に同性婚が認められている国で何かしらの問題が起きているはず。メリットを挙げさせてもらおう。同性婚が認められるということは、一般的な結婚と同じ扱いをされるということ。税金の配偶者控除を受けられたり、遺産相続・特別養子縁組・配偶者ビザ申請・緊急時の医療行為の同意など、様々なことが可能になる。同性婚が認められれば、パートナーシップ制度も不要となり、政府にもメリットがあるのになぜ頑なに認めないのだろう。

私は一つ気になることがある。皆はLGBTQ+の人たちのことをどう思っているのだろう。やはりまだちょっと嫌悪感があるという人もいるだろうし、認めてるけど自分たちとはかけ離れた人だと思ってる人もいるだろう。私は別に無理に認める必要はないと思う。ただ、差別をしたり傷つけるようなことをしたりすることは勿論良くない。どうしても認められないという人はLGBTQ+に関することに関わらなければいい。SNSなどで余計なことを言う必要はない。LGBTQ+の人たちが求めていることは、LGBTQ+という存在がいることを認知してもらうこと。そして、政府に同性婚を認めてもらうこと。世界には多種多様な人がいる。全く同じ人なんていない。だからこそ色々なセクシャリティがあっていいし、色々な考え方があっていい。LGBTQ+の人たちは、自分の好きなように恋愛したい、好きなファッションをしたい、自由でありたいと思っている。でも、性的マジョリティの人たちもそう思ってるはず。性的マイノリティーと性的マジョリティはかけ離れた存在ではない。性的マイノリティの割合は約10人に1人と言われている。この数値は左利きで尚且AB型の人の割合とほぼ同じだ。私のクラスは約40人いるからクラスに性的マイノリティが4人以上いてもおかしくない。そのくらい性的マイノリティは身近な存在である。

もう一度言う。世界には多種多様な人がいる。全く同じ人なんていない。だからこそマジョリティとマイノリティがいる。マイノリティを取り残してはいけない。このことを多くの人に、特に日本人に実感してもらいたい。

・小倉彩心      栃木県立宇都宮女子高校3年      幸せ   

『私は、生まれつき目が見えない。だけど、幸せなんです。』

 全盲の方にお会いした時にその方が言っていた言葉。

 なぜだろうか、耳にしてからもう随分と時が経つのに、全く褪せることがない。

 今でも街で白杖を手にしている方を見かけると思い起こす。きっと、それは『あの方と同じ』という私の脳内で線引きが勝手に行われているのだと思う。思って苦しくなる。

 一般に虐めをしている人は虐めを『いけないこと』だと分かっているケースがあると言う。ただ、それが虐めであるという自覚がないだけだ、と。人のこと悪く言うのも、誰かを省いて輪を形成するのも、自分の方が優位であるという快楽を伴う。だから、自分にとっての『いいこと』であり、『幸せ』であるのだ。

 私は、……私だって、障害がある方のことを一括りに障害者だ、と線引きをすることは悪いことだと知っている。それでも、無意識にそんな操作をすることがあるのは、なぜなのだろうか。どこかでそれは私にとっての『いいこと』で、『幸せ』になっているのだろうか。そう考えてまた苦しくなる。

 考えすぎだ、と、そう思われるかもしれない。でも、時折思うことがある。バリアフリーの対象は障がい者や高齢者、と線引きが存在する。だから、ユニバーサルデザインという呼称が生まれた。そもそも線引きが存在するから呼称を変えました、というのでは、結局線引きを認めたことになる。

 ただ、これはきっと一例に過ぎない。もっと細かく物事を咀嚼すれば矛盾は山ほどあるはずだ。

 前述の方の言葉はこう続いた。

 『私は別に、可哀想な存在ではないんです。自分の顔を視覚で感じたことはないけれど、触感で感じた限り、きっと整ってる方だと思うんですよね。目が見えたら、もしかしたら、自分の顔を嫌いになってたかもしれません。世の中には、そういう方って多いんでしょう。私にはそれはありませんから、見える人よりもきっと悩みは少ないと思ってます。まあ、見える方からしたら、私は幸せには見えないのかもしれないけれど。』

 矛盾の絶えない世界。特に身体に目立った障壁はない私。色々深く考えすぎなのだろうか。

 『私は幸せです』

 いつか、私にも胸を張ってそう言える日が来るのだろうか。

・大道そら      市立札幌清田高等学校 1年相対的貧困における教育格差への義務教育による対処

「世界には自分よりももっと苦しんでいる人がいるから」

日本にはそう考えて社会に助けを求められない人が多いように感じる。学校の授業やニュースでSDGsの課題として取り上げられているものの多くは、今日を生きられるかもわからないような極度の貧困に悩まされている発展途上国の人々や、十分な教育や医療を受けられず、幼い頃から家族のために働きにでている子どもたちの支援のように私は感じる。もちろん、彼らを支援することはSDGsの目標達成には必要なことであり、このような世界の現状を広く周知させることも重要な活動の一つだと思う。SDGsの取り組みでは今挙げたような環境にいる人々を「誰ひとり取り残さない」という基本理念を掲げている。では「取り残されている人」とはどんな人のことを言うのだろう。週に一回の学校の授業では目を向けきれない、支援を必要としている人が日本にも多くいるのではないだろうか。

 ここではSDGsの17の目標のうち、1つ目の「貧困をなくそう」の日本の現状について考えてみたい。

 「貧困」には、2つの種類があるとされている。一つは人間としての生存が困難な状態を表す「絶対的貧困」。これは、アフリカなどの発展途上国に多く見られる状態の貧困のことで、ほとんどの人が「貧困」と言われてイメージするものがこれだろう。これに対し、厚生労働省によって「その国や地域の水準の中で比較して、大多数よりも貧しい状態のこと」と説明されている「相対的貧困」は、日本で例えると、経済的な事情で習い事ができなかったり、90%を超えている高校進学を諦めたりしなければならない状態のことを言う。日本では子供の7人に1人、ひとり親の家庭の半数以上がこの相対的貧困である。コロナ禍の今、状況はより深刻化していることも考えられる。このような子供たちこそ「取り残されている人」であると私は考えている。

 では、そんな「取り残されている人」に私達は今、SDGsの取り組みとして何ができるだろう。また、自分が「取り残されている人」だとしたら何を求めるのだろう。

 「取り残されている人」の立場になって考えてみる。自分が貧困家庭の子供で、習い事に通いたくても通えない状態の小学生だとする。放課後に友達を公園に誘っても友達に「習い事があるから。」と断られてしまったら、ピアノなどの習い事に通っている友達と、それができない自分とを比べて劣等感や疎外感を感じると思う。

 子供に影響を与えるのは精神面だけではない。東大生で幼児教室に通っていた人の人数はそうでない人が幼児教室に通っていた人数の3倍であったことからも分かるように、習い事に通える子と通えない子の教育格差は小さくない。誰しも1度は英語を勉強しているときに「小さいときに英会話に通っていたらなあ」などと考えたことがあると思う。ひとり親の家庭は、奨学金などを利用すれば進学のチャンスがあるが、習い事に通うことに対して国が行っている補助金制度はない。幼い頃に経験していたことが進学や就職などの選択に大いに影響を与えるのにも関わらず、その機会が平等に与えられていないということは問題である。 

 では皆に平等に習い事の機会を与えるためにはどうすればよいのだろう。私の提案は、義務教育の学習の時間の中に「習い事」のコマをつくるということだ。義務教育では日本全国で統一したことを勉強するが、これでは将来につながる自分の強みを見つけることは難しい。ここで「習い事」の時間を設ける。この時間はみんなで同じことを学ぶのではなく、自分の学びたいことや興味のあることを自分で選び、その分野を専門とする先生に学ぶ事ができる。そうすれば、日本全国の子どもたちに自分の強みを見つけるきっかけを与えることができるのではないだろうか。

 また、その実現のために今私が行いたいことは、世間への「相対的貧困」の情報の発信である。私はこのコンテストに応募するまで、今の日本には貧困家庭の数は少ないというイメージを持っていた。しかし調べていくうちに、日本も決して貧困と無縁な国ではないことがわかった。私と同じようなイメージを持っている人がまだ日本には多くいると思う。そんな人たちに向けて、私は小論文コンテストに応募したり、SNSを活用するなどして「相対的貧困」や「取り残されている人」の情報を発信していきたい。

 相対的貧困は絶対的貧困に比べて周囲に気づかれにくかったり、政府に問題視されにくかったりする。しかし相対的貧困の人は「自分より苦しんでいる人がいるから」などと考え、声を上げにくい人が多いと思う。だからこそ、そんな「取り残されている人」の存在に私達が気づき声を上げることが必要だ。これを積み重ねることでSDGsの基本理念の「誰ひとり取り残さない」を実現することができると考えている。

・小野美海      奥尻高校3年    なりたい自分であること 

「だれ一人取り残さない」この言葉は多くの人にとって希望の言葉となっていると私は考える。

 「こんな自分でありたい」「こんな人になりたい」そんな理想の人物像を誰もが抱えているだろう。しかし、もし理想の自分とあるべき自分、周りから求められる自分が違う場合、人はどうすればよいのだろうか。

 「強い人になりたい」、「あの俳優の様になりたい」という理想像はみんな持っているだろう。それがもし、性別を超えた理想なら周りはどんな反応をするだろうか。

 男性の様にかっこよくなりたい女性、女性の様にメイクやおしゃれをしたい男性だって世の中にはいるはずだ。誰しも理想の自分やなりたい自分を心の中に持っている。そしてなりたい自分になる権利を持っている。しかし、それを邪魔するものがある。

 「一般論」というものだ。昔よりも多様性の考え方やマイノリティの人たちを受け入れる考え方が定着され始めている。しかし、それでもやはり女性らしさ、男性らしさが多くの場所で求められる。

 そんな中で自分らしくあることはそう簡単ではない。周りと違うことをするということ、それはどれほど勇気がいることなのだろうか。

 私はほんの少しだけ理解できるような気がした。それがいいことなのか、悪いことなのか正直なところまだわからない。私は女の子のように髪を伸ばし、色んなヘアアレンジやおしゃれをしたいと考える自分もいれば、男の子のように髪を短くし、「カッコいい」と思われたい自分もいる。どちらも本当の自分で、なりたい姿なのだ。前半の女の子らしい姿はいつでもしようと思えばできること。しかし、後半の姿はどうだろうか?周りには、周りが決めた「わたし」がいてそこから少しでも外れると「らしくない」と思われる。メイク一つにしても同じことがいえる。苦手だというのもあるができることなら私はしたくない。ありのままの姿でいたい。しかし現代では、女性はメイクするのが当たり前で、していかないのは非常識だと思われてしまう。

 似合わないものを身に着け、周りの目を気にして生きなくてはならないのなら、私は周りの目にとらわれずなりたい自分、ありたい自分になり、堂々と顔を上げて歩きたい。「これが私なのだ」と。

 そして私はいつからか、こう考えるようになっていた。多くの人が見ているのは、一人ひとりの個性なんかではないと。一般論・常識・女性か男性かでしかその人を見ていないように感じる。だから本当の自分を隠している人もいるのだと思う。

 日本では未だに、同性婚が認められていない。また、性同一性障害の人たちは、医療を受けられる施設が限定され、保険が適応されないでいる。そして、原則として障害年金の認定の対象とされていない、など医療環境が必ずしも整っているわけではない。法律の整備がまだされていないという問題点もある。これらの法律が変われば何かが大きく変わるのかと問われたらきっとそうではないだろう。しかし少なからず、希望は与えられる。救われる人は必ず出てくる。誰かに、何かに認められること、それは何をするのにもとても大事なこと。誰かに認められているというだけで心はずっと軽くなる。

 そのために私は一体何ができるのだろうか。私一人が動いたところで大きく変わることなんて何もない。しかし、理解する人が一人でもいれば、生きづらい人は減っていく。そのためにまず自分から変わっていくこと、本当の自分を出したいという人を認めていくこと、言える雰囲気を作っていくこと、そして女性だから、男性だからという固定概念を相手に押し付けないようにしていくことが大切であると考える。

 なりたい自分であること、それは難しいことだけど不可能なことではないと考える。少しずつでも、一歩ずつ確かに何かが変わっていくことができれば、本当の自分を出せる人が増えると私は考える。

・外川昂 宮城県名取高等学校2年 あなたはタトゥーの入った方と、温泉に浸かることができますか?もしもあなたが温泉に気持ちよく浸かっていた時、タトゥーの入った方が来たらどう思いますか?そしてどのような態度、行動をとりますか?「なんとも思わない」と思う方もいるでしょう。もしくは「嫌だな」「怖い」と思う方も一定数いるかと思います。私はサウナが好きでよく銭湯に行くのですが、その時、タトゥー入った人に話しかけられたことがあります。その人はとても気さくで優しい方でした。

よく見れば、小さいタトゥーの入った方などあなたの周りには多くいるかもしれません。もしタトゥーの入った方が周りにいる方は、その人を怖いと思いますか。

日本人には、タトゥー=ヤクザ・暴力団などの反社会勢力のイメージが強く、根強く結びついていると言われています。年代の高い方には若い方よりそう思っていると思うし、映画やドラマなどの鑑賞作品の影響で、全世代の方にそう思われていると思います。なので自然と避けてしまう。かくいう私も「怖い」「嫌だな」とは思いませんが、すごく気になって見てしまいます。

しかし、最近では、タトゥーはファッションの一部としての認知も若い方の間で広がり、以前よりも怖い印象は薄くなっていると思います。有名人がタトゥーを入れて、憧れる方も多くいます。アーティストはタトゥーを入れている人が多くいます。

年々とタトゥーの印象は柔らかくなってきています。しかし、メディアではそうはならないようです。テレビ番組や記者が多く集まる所では、タトゥーは隠されます。やはり、まだ悪い印象を持っている方は多数いますし、その方達に向けての配慮だと思います。私はその配慮が印象を柔らかくしないひとつの要因だと思っています。芸能人や有名人のタトゥーを隠さずにいることで、「この人もタトゥーを入れているんだ」「怖い人だけじゃないんだ」と思う方を増やさなければならないと思います。銭湯や温泉も同じで、タトゥーの入っている人の入浴も可能にするべきだと思います。銭湯や温泉の56%がタトゥーの入っている人の入浴を禁止しているようです。これは人権侵害にもあたると私は思います。生存権には、「すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とあります。入浴することは体を綺麗に保つための生活する上で必要最低限のことであると思います。このことから銭湯や温泉がタトゥーの入っている人の入浴を拒否することは人権侵害にあたると考えています。

グローバル化していく中で、日本の文化の一つである温泉を海外のタトゥーの入った人が入れないというのはとても残念なことであると思います。時代と共に変わり、適応していくことが大事であり、温泉や銭湯では入浴を許可し、メディアでは隠さず公開することで、国民のタトゥーに対する偏見を変えていくことが大事だと思います。

・佐々木美来    宮城県名取高等学校2年  精神障害者を救うために 

 日本の精神障害者の割合は5人に1人と言われています。皆さんは友達に「持病がある。」と言われたらどんなリアクションをとりますか?どんな言葉をかけますか?

    私には精神障害を持つ友人がいます。友人は精神病のため病人に見られない事が多く「ほんとに持病もちなの?」、「持病もちにはみえない」と言われる事が多いそうです。そして、世の中には精神障害者をからかったり、いじめをする人もいるというのが現状です。日本では、10人のうち2人はいじめにあった事があるという調査結果がでています。そして、障害者がいじめられたことがあるケースも数少なくありません。「少し人と違う」それだけの理由で彼らは社会の隅に追いやられているのです。そこで私は””私達””にできる「取り残された人たちを救うために何をするべきか。」について考えました。

     精神障害者を救うために私達ができることは沢山の人々との触れ合いの場を設けるのが良いと考えています。ありきたりな案ではありますが、私はこの案が1番だと思います。なぜなら、沢山の人と触れ合い人間慣れをして、少しでもメンタルを強くできるのではないのでしょうか。たしかに人間は個性の塊です。善人もいればもちろん、悪人もいるでしょう。それによって、良くなるどころか、傷つくこともあるかもしれません。しかし、人と触れ合い、沢山の個性を知ることによって、友人、恋人、いわゆる大切な存在ができるのではないでしょうか。大切な人ができればその人にとって、色々な場面で支えてくれる心のオアシスになると思います。

以上の理由で精神障害者を救うために私達ができることは沢山の人々との触れ合いの場を設けるのが良いと考えています。

    人間は儚く脆い生物です。しかし、時には残酷なことをふる生物でもあります。今の社会では精神障害者は不利な立場にあります。改善を望む人はごくわずかでしょう。なぜなら、気にとめてる人、知ろうとする人が少ないからです。そして、今の社会問題において障害者についての問題は後回しにされています。だからこそ、もっと沢山の人に障害者についてひろめないといけません。友人は"優しさでは解決できない"といいます。みんなと同じ接し方がされないからこそ障害者差別問題が起きるのです。

     この問題を解決するには私達が障害者を理解し、慣れていくのが得策だと思います。障害者に対し、偏見がない社会になることは時間がかかると思います。それでも、少しずつでもみんながこの問題に関心を持ち障害者差別問題がなくなる社会に近ずいてほしいです。

・長岡藍果      宮城県名取高等学校2年  障害者を救うために     

 私は社会的弱者という言葉を聞いて、すぐ理解できなかったので調べてみました。社会的弱者とは、高齢者、障害者、子供、女性といった、社会的に不利な立場にある人のことだと書いてありました。例えで挙げられていた障害者という人たちに私は注目しました 。 「障害者」と一言で言っても、障害は多種多様あります。障害者に限らないのですが、「あなたは障害者だから。あなたは障害者ではないから。」と発言するだけで、差別がうまれてしまいます。私は差別という言葉は好きではありません。なぜ同じ人間なのに、差別という分厚い壁を作ってしまうのか、私にはよく理解できません。障害者も健常者も関係なく、両者が深く考えずに、普通に生活できるようになれば平和になるし、障害者という社会的弱者以外の社会的弱者(高齢者、女性など)も同じく何も考えずに普通に生活できれば、社会的弱者という言葉はなくなり、とても良い世界になると考えます。そこで私は、障害者を救うために、1つある取り組みをすべきだと考えました。

 それは、理解者を増やす取り組みです。なぜ障害者を救えないのか、という理由として、普段あまり障害者との関わりが少ないから。健常者と障害者で差別を作ってしまうから。という2つの理由が、主に障害者を救えない理由だと考えます。理解者を増やす取り組みをするべきだというほかの案として、障害者と交流する機会を増やすべきだという考えがあります。確かに、直接会うことで、一人一人思うことや、感じることが生まれて、理解が深まり、障害者の印象が変わるという良さがあります。しかし、賛同してくれない人や、参加してくれない人が出てきてしまう、という問題点があります。障害者を救うために、理解者を増やす取り組みとは、障害者と交流することももちろん大切ですが、まず障害者のことについて知ってもらうことが大事だと考えます。

 ほとんどの人が使っているインターネットという機能を使って、障害者についていろいろなことを発信するという考えがあります。障害者のことについて、インターネットを通じて世界中の人々が知っていければ、障害者と交流して理解を深めたいという方々や、賛同してくれる人々が増えると考えます。障害者の理解を健常者が深めることで、健常者と障害者の差別がなくなり、障害者も健常者ものびのびと暮らすことができるという良さがあります。だから私は、障害者を救うために、理解者を増やす取り組みをするべきだと考えます。

・根本芽依      宮城県名取高等学校2学年 障害者を救うために     

もしもあなたが周りの人に障害を持っていると伝えられたらどんな思いをしますか?言われる前より優しく接しますか?それともいつもと変わらないように接しますか?障害を持っているというだけで差別をされてしまうことがあります。周りに障害を持ってる人がいないから分からないと思う人がいると思います。しかし、分からないのではなく、障害者は健常者との見た目が変わらず街ですれ違ったり、バスや電車の中でも一緒に乗ってたりすることがあるはずです。障害者もわたしたちと変わらずに生活をしています。生活をするために仕事をしてお金を稼がないといけません。しかし、障害を持っているからといって仕事をさせてもらえないことがあります。障害にも種類があり、身体に障害がある人、視覚に障害がある人、

知的に障害がある人などさまざま種類があります。仕事に影響がでないのに働かせてもらえないなんて悲しいですよね。最近は障害を持っていても働いてる人達が増えてきています。もし障害を持っている人が働くことができたら簡単な作業から始めだんだん仕事をし始めればいいと思います。職場のマニュアルがしっかりしてきて、働きやすい環境になったのではないかと思います。働かないと生活するために必要なものを買えなかったり食べ物を買うこともできなくなります。

また、働くことで身体を動かすことができたり、頭を使って脳を発達させることもできると思います。わたしたちは働きやすい環境を作ってあげることが大切だと思います。

 私は障害を持ってる人達が通う施設に職場体験で行ったことがあります。実際に初めて関わってみると、普通にお話をしてり、歌ったり、活発に動いている姿をみて、わたしたちがしている行動と変わらないことが分かりました。一緒にボランティア活動をしている時は重いダンボールを持ったりしていました。障害を持ってる人でもわたしたちと同じことができ、働くことができるのでもっと仕事をあたえてあげたいです。

障害を持っているから可哀想とか変わっているというイメージをなくし、わたしたちと変わらないという考えを広めていきたいです。そして、誰でも働くことができる環境を作るために、バリアフリーな施設を増やし、動きやすい環境にすればもっと働きやすくなるのではないかなと思いました。また障害者と関わる機会があればどうすれば働きやすくなるかどうすれば生活しやすくなるかいろいろ考えてみたいです。

・半澤歩結美    宮城県名取高等学校2年  ホームレスを救うために私たちができること。     

ホームレスを救うために、私たちができること。

わたしはテレビでニュースを見ていた時ホームレスの人たちがたくさんいることを知った。わたしは元々ホームレスは悪いことつまり犯罪に手を出した人のことを言うのだと思っていた。でもこの小論文を通じて改めてホームレスについて調べてみた。例えば病気や怪我、高齢者の理由で仕事を解雇され、ホームレスになったという人がいる。それでも仕事が解雇になったのと家を失ったことは別だ。貯金をしていれば家賃だって払えるはずだという厳しい辛辣な意見をいう人もいる。確かに、仕事が解雇になったならまた新しい仕事を探せばいいし、貯金をしていたならば仕事をしなくても家賃を払えると思う。しかし、仕事が解雇になってしまった喪失感と絶望感を感じる人もいる。そのような状況から家賃も払えず、家を失いホームレスになってしまう。ホームレスの人はずっとホームレスのままだと鬱になってしまったり孤独感に襲われることがあると聞いた。自分の家がないことや食量不足・服がボロボロなどたくさんの面で精神的に追いやられてしまう。このようなことを防ぐためにわたしはホームレスの人達専用の相談室を開いたらいいのではないかと考える。自分たちから困っていることを周りの人に言えない人が多い、つまり私たちから聞き出すことが良いと思う。その他にも孤独した状況から、前向きに生きていくために私たちにできる手助けは他にもあると思う。

ホームレスの人を助けるために現在では「炊き出し」という行動がある。炊き出しというのはホームレスや被災者、失業者などの、困窮した状況下にある人を対象として、生活を営む上での総合的な支援を無償提供する一連の行動のことだ。つまりお金が発生せずに食材の寄付や衣服の寄付をしている。さらに、初対面では相談しにくいという人にも炊き出しをきっかけに信頼関係を築いていくことも可能である。炊き出し以外にも現金での寄付や生活用品の配布もあるらしい。このような支援は路上生活を生き抜くため、また、新しい仕事を探すひとつのきっかけになると思う。しかし、このような支援は私たち高校生ができるの?と疑問を抱いているもいると思う。確かに衣服の寄付や現金の寄付は難しいと思うが、自分たちでおにぎりを握るなど簡単なことでもボランティアのひとつとして支援をしていることには違いない。そういうことのひとつひとつがホームレスの人たちを救うとわたしは思う。以上の理由でわたしはホームレスを救うために自分から少しでも手助けをすることが良いと考える。

・水戸雛乃      宮城県名取高等学校2年  母親になったことを後悔する女性を救うために     

私は母親になったことを後悔する女性を救うために、新たな社会的解釈をネットやテレビで広げていくべきだと考える。

 なぜなら、社会では母親になった後悔は認められていないからだ。言い換えれば、社会では母親になったことを後悔する女性は虐待やネグレクトをする危険な人物と捉えてしまう。しかし実際は母親は「母親である」という立場が荷が重いと感じていて、子どもを後悔しているのではない。だから、子どもに危害を与えることはないのである。また、母親になって後悔していると言えるのは状況の複雑さを認識しているからこそできることである。ここから、社会の認識が浅く、狭いとわかる。

 また、社会では母親になることで女性の完全な姿に近づくと言われている。しかし、女性の中には母親になったことで望むことができなくなり、不足した自分になったという女性もいる。つまり、社会では母親になることで不足から完全になると考えられている。一方で、女性の中には完全から不足になるという人もいるということだ。更に、家父長制社会である現在、母親になり女性らしくなるということに「劣等感」を感じる女性もいる。このように、女性が母親になることを良いとし、奨励する社会の悪循環や家父長制社会を変える必要があるのだ。  

  また、ネットやテレビを使い、新たな解釈を認識させることは実際に母親が話している映像を観ることで母親の気持ちがが伝わるという利点がある。他には情報社会である現在、多くの人に知ってもらうことができるという利点がある。確かに、母親になったことを後悔することがテレビやネットで流れていても関心がない人は興味を持たないだろう。しかし、ネットやテレビは新聞や本よりも多くの人の目に触れるし、コマーシャルなどの作り方の工夫次第で誰か一人でも興味を持ち、話題にすればそれが広がる可能性がある。広がらなかったとしても、現在より女性に対する肯定的な解釈を追加する人が増えるという点でネットやテレビを使う方法は価値があるといえる。

 最後に、未だに社会では女性や母親に対する解釈が不完全である。社会はもっと視野を広げる必要があると思う。以上の理由で母親になったことを後悔する女性を救うために新たな社会的解釈をネットやテレビで広げていくべきだ。      

・佐藤静紅      宮城県名取高等学校2年  ヤングケアラーの救い方 

私はヤングケアラーの子どもたを救うために、介護に困っている子どもの存在に気付き支援するべきだと思う。そもそもヤングケアラーとは家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、精神面のサポートなどを行っている十八歳未満の子どもをいう。それによって自分のために時間を使うことができず、睡眠時間や勉強をする時間、友達と遊ぶ時間が充分に取れなくなる。更にはそれが原因でストレスや孤独感を感じてしまう。また、自分の進学のことや就職のことを諦めなくてはいけなくなる。

 現在、日本には中学生の十七人に一人、高校生の二十四人に一人の割合でヤングケアラーが存在するという。これはヤングケアラーが一学級に一人から二人いるということになる。このような現状が社会問題になっている。

 では、この社会問題を解決していくためにはどうしたらよいのか。まずは家族などの介護で困っている子どもたちの存在に気付く必要がある。ヤングケアラーの子どもたちは家族の介護をしていることを自分から言いたがらなかったり、介護することが当たり前だと思い込んでいたりする子が多く見つけ出すのは困難である。実際に「相談しても意味がない」「他人には相談しづらい」「相談する必要がない」などと考える人が多いようだ。だから、身近にいる周りの人たちが見つけ出していかなくてはならない。そのために、日常の異変に気づくことが大切だ。一番気付きやすい場所は学校だ。例をあげると、課題等の提出物が期限内に出されなかったり、遅刻や早退、欠席が多かったり、授業中の居眠りが多いなど学校生活を正しく送れていないなどの異変だ。これらはヤングケアラーの子どもたちに見られた実際の例だ。一般的に見たら「だらしない」などの言葉で片付けてられてしまいそうだが、この社会問題がある以上はそこに隠された理由にも目を向ける必要があるだろう。また、静かに発せられるSOSに気づくことも大切だ。友達や先生との何気ない会話の中で自分の置かれている状況を密かに話している場合もある。そこに気付くことができればその子の支援につながるかもしれない。

 気付いたその後にできることは、カウンセリングを行なったり、コミュニティケーションをたくさん取り、自分の思いを吐き出せる場所を作ってあげること。話を聞いてもらうことで、自分の状況や気持ちを理解してくれてる人がいると思い「相談しても意味がない」などと思うことが少なくなるのではないか。また、学校を通して自治体や支援団体との連携を行い、手厚い支援を提供することも必要だ。ヤングケアラー支援の先進国とも言えるイギリスでは、支援団体によるヤングケアラー同士が集まって遠足に行く取り組みや、家庭訪問を行うなどの取り組みをしている。そのことにより、介護のことを忘れて友達と楽しみ、リフレッシュしたり、ヤングケアラーが抱える負担の深刻度を知ることができる。子どもたちの心身の健康にもつながるだろう。このように周りからの支援が大切なのだ。

 支援していくためには家庭内に大きく踏み込まなくてはならない。それを拒む家庭も多くある。確かに、他人の家庭事情に強引に踏み込むのは良くないという考えに至る場合もあるかもしれない。実際に、「家族の状況を周りに話すな」と言われている子がいるように、家族のことは家族内で解決する、他人の厄介になりたくないなどと思う人は少なくない。そう思うことは悪いことではな。むしろ当事者になった時に誰もが一度は頭をかすませる考えではないだろうか。しかし、そこで支援の手を差し伸べることを迷ったり、やめてしまっては誰にも利点はなく、子どもたちの負担が積み重なる一方だ。ずっと介護をしていた人が亡くなってしまった時に生きる理由を見失ってしまったり、自分だけ生きていることに負い目を感じて、自殺を考えたりする子がいるなど見えないところに存在する問題は尽きない。そんな事態を防ぐためにも、速やかな支援が必要不可欠だ。

 これらの内容からヤングケアラーの子どもたちを救うためには、学校や地域などの様々な視点から介護に困っている子どもたちの存在に気付き、様々な方面から要介護者、子どもの両方の負担を減らしていけるような安心できる支援をしていく必要があると考える。私もヤングケアラーの子に出会った時にはたくさん寄り添える人になりたい。何よりヤングケアラーになる子が減ることを願う。

・佐々木颯太    宮城県名取高等学校 2年 いじめの加害者を取り残さないために。   

私はどうしたらいじめを減らすことができるかといつも考える。そして自分なりに出した答えは、加害者側に着目する必要性だ。

いじめと聞くとみんなどうしても被害者に着目したがる。「可哀想だ」、「なぜそんなことされたのか」と。もちろん、被害者は辛い思いをして苦しい日々を送ってきたのだから当然だ。しかし加害者はどうだろうか?加害者側にも何か理由があったのではないか?よく「なにがあってもいじめた人が悪い!」と言う人がいる。だが私はそれだけで片付けてしまっては何も解決に繋がらないと思う。

実は日本ではいじめ対応として被害者に対してカウンセリングをしたり、心のケアが主にされているがアメリカでは逆だ。加害者に一種の精神障害的なものがあるとみてカウンセリングを行うのだ。また、文部科学省の研究データでは加害者側がストレスを感じやすい環境にいる時にいじめが起こりやすいとある。これらで分かるのはいじめが起こる時、加害者側の心に何か問題がある可能性が高いということだ。

例えば家庭環境。恵まれた家庭環境に生まれた私たちは何も疑問に思ったことは無いかもしれないが、幼い頃から恵まれた家庭環境でなかったり、親へのトラウマなどがあれば心は不安定になってしまう。そしてどこかにその気持ちをぶつけたいという感情が湧き、人に当たってしまう。この流れがいじめの原因の一つだ。これは家庭環境に限らず友人関係や勉強、部活動など要因は様々だ。

私はこれを周りに対する一種のヘルプアピールだと捉えている。まだ大人になりきれていない学生の中にはどうやって自分が苦しいという思いをアピールすればいいか分からない人もいるはずだ。そのような人が無意識、または意図的に「いじめ」を起こしてしまうのではないだろうか。

ゆえに一方的に被害者だけを尊重してしまえば加害者は一生社会から取り残されてしまうのである。私はどちらも救ってあげなければならないと思う。そうでなければ被害者、加害者どちらも心に傷を負ったまま社会に出てしまう。社会は安全か?いや、私はそうは思わない。きっと過酷で残酷だと思う。しかし実際周りをよく見ると自分を守ってくれる優しい大人はたくさんいる。私はそれに如何に早く気付くかが大切だと思う。被害者、加害者共に周りに助けを求められずにいじめが発生してしまう。私たち、そして大人たちがすべきなのはただ「いじめはだめだ」「被害者が可哀想」と叫び、同情することではない。いじめ問題はもはやどっちが悪いなどという簡単な問題ではないのだ。私たち、そして大人たちは子供たちの心を支え、守っていく必要がある。思いをぶつけられるべき存在は他人ではない、身近にいる大人たちなのだ。

・吉田蘭真      宮城県名取高等学校2年  難聴の人と対等で普通の生活をしていくために

この社会には、国籍・性別の違い・宗教・病気など様々な理由でこの社会には、国籍・性別の違い・宗教・病気など様々な理由で社会的不利な立場にいる社会的弱者がいる。

その取り残された人たち(社会的弱者)の中で私は、難聴の人たちを救うために、私たちが難聴のひとたちがどのような状況の中で生活しているのかを深く理解をするべきであると考える。

なぜなら、難聴のひとたちの多くはコミニュケーションを取り合うのが難しいからである。その理由の一つとして難聴の人は上手く言葉が喋れないというケースが多い。相手の言葉や自分の言葉すらどのようなものかわからないので言葉が相手と通じ合わないのである。

だからこのことを理解しながら対等に接する必要があることを理解しておくべきである。

またコミュニケーションを上手く取り合うために、正面からゆっくりと、はっきり、口元を見せてコミュニケーションを取り合うことも大切である。

そして、このようなことを理解していくための問題解決案として私は授業などで問題を取り上げて自分たちの知識を深めていくことで難聴のひとたちを助けることにつながっていくと考える。

また、難聴の人と会話するために手話を学ぶという考えかたもあるが、みんながみんなできるようになるというには少し難しい気がするので、やはり難聴の人に対する理解度が大切になってくることがわかる。

また他の問題として、難聴の人であるということは他人から見ても分からないということである。

相手と接しようとしても相手が難聴であると理解できなければ色々なところでコミュニケーションの齟齬が生じでしまう。

そのため、自分が難聴であることを示すことのできるトレンドマークのようなものをつけておくのも相手と理解し合いながら接し合える方法であると考える。

もし、避難所などに避難するようなことになったとして、難聴の人とすぐにわかるようなものをつけていれば、放送など聞き取れないことがあったとしても伝えてあげることができる。

そしてこのように自分から行動を起こし相手と意思疎通をしようとする姿勢が大切である。また、障害がある人も自分から相手に理解してもらえる努力をしていくことで、より相手を深く理解し合うことができ、相手を救う結果につながってくるのである。

以上の理由から、難聴のひとたちを救うためには、相手がどのような状況で生活しているのかを深く理解することが必要だ。

・佐藤知咲      宮城県名取高等学校2年  外国人が不自由なく日本で暮らすために   

日本には様々な目的で様々な年齢で様々な国籍を持った多くの外国人がいる。観光を目的に短期間日本を訪れに来る人もいれば仕事をするために長期間滞在する人もいる。もちろん日本を居住地として生活している人もいるだろう。その中でも在留外国人は実際日本で過ごす上で何に困りどのような支援を必要にしているのだろうか。今までに在留外国人が日本で暮らしていく上での過酷さを感じた実例を一つ挙げるとするならば1995年に起きた阪神・淡路大震災が挙げられる。阪神・淡路大震災は多くの犠牲と多くの被害を出した。その中でも高齢者、低所得者、外国人などが多く犠牲になったと報告されている。更に外国人の死亡率は日本人の死亡率と比較して高かったことも報告されている。大きな災害が発生し、テレビやラジオやスマホなどで災害に関する情報や避難情報がいくら発信されても日本語の理解が不十分である外国人はその情報を受け取ることが出来ない。そのため、非常事態にどのような行動を取らなければいけないのかが分からない。避難所では外国人を受け入れてはくれないと考えたり、日本語で出される情報が理解できなかったりするために多くの危険が残る自宅に戻った人々もいたという。このことから外国人は社会的弱者でもあり情報弱者でもあると考えられる。

  そんな日本で生活する外国人を救うためにも、自治体を上げてやさしい日本語を学ぶ教室や機会を設けるべきだ。あなたはやさしい日本語をそもそも知っているだろうか。やさしい日本語という考え方は阪神・淡路大震災から始まった。国内に住んでいる外国人の言語は多種多様であり日本語や英語などの主要外国語だけでは緊急の対応が不十分になってしまう。全ての外国人に対して母語で情報を伝えられることが理想的ではあるが現実的に考えると不可能である。このことから普段使われている言葉を外国人にも分かるように配慮された簡単な日本語である「やさしい日本語」が生まれた。やさしい日本語が出来たことで難しい表現や漢字が無くなり緊急時に多くの外国人に迅速に情報が行き渡るようになった。しかし、やさしい日本語を外国人はどのようにして学んでいくのだろうか。調べてみるとやさしい日本語教室が様々な地域で行われていることや、やさしい日本語を学べるサイトがインターネット上にあることが分かった。しかし、そもそもこのようなやさしい日本語を学べる教室やサイトがあるという情報を外国人は集めることが出来るのだろうか。日本語がまだ読めない人にとっては日本語で書かれている情報や支援を自力で受けることが出来ない。そのため自治体を上げて外国人をサポートしていく他ない。また、やさしい日本語は日本人にとって認知度が低いと感じた。私がやさしい日本語の存在を知ったのは私が外国に興味があったからである。地域に住む外国人や外国に対して興味がある人達以外にとって、やさしい日本語を知る機会は全くといって言いほどないのではないだろうか。外国人だけがやさしい日本語を勉強していても私たち日本人がやさしい日本語の存在を知っていなければ意思疎通することは出来ない。やさしい日本語は普段私たちが使っている言葉を簡単にした物だがどこからがやさしい日本語なのか、どうしたらやさしい日本語になるのか、日本人もやさしい日本語について知っていかなければならないことが多くあると思う。したがってやさしい日本語を学ぶ教室や機会を外国人向けにも日本人向けにも設けるべきである。

 確かに、なぜ日本人が在留外国人が生活しやすくなるように多くの配慮をしていかなければならないのかと思うだろう。現在、人類が地球で暮らし続けていくために国際的に取り組まれている目標である「SDGs」というものが世界にある。その中の一つに人や国の不平等をなくそうという目標がある。国籍が違うからという理由で満足に他の国で暮らせないのはこの目標に反するのではないだろうか。持続可能な社会を目指すためにも在留外国人が不自由なく暮らしていくためにも私達は国籍関係なく助け合っていくべきだ。

  以上の理由により、在留外国人が日本での生活を不自由なく送るためにも自治体を上げてやさしい日本語を学ぶ教室や機会を設けるべきである。

・須郷心桜      宮城県名取高等学校2年  障害者の”害”への偏見を無くすには       

障害者の””害””への偏見を無くすには

まず始めに私は、ふと疑問に思った事をそのままタイトルにしようと思いこのタイトルにした。

突然だが、タイトル名の理由はいくつかある。例えばTV放送時の字幕、雑誌や新聞の見出しなどだ。

日常生活を送っていれば他にも沢山思い当たる。特に見てて嫌だなぁーとかちょっと、どうかなと思ってしまうのはTVの字幕だ。

TVと言うのは私達が当たり前のように視聴できるからだ。だからでは無いが、多かれ少なかれTVからの影響力はあると思う。

その影響力は偉大で映像を見る人の価値観さえも変えてしまうほどだ。例えばたまにTVや雑誌等の特集紹介である。例を挙げるなら、「〜障害」や「〜障害者」と、””がい””を漢字表記で紹介されるのを見たり、聞いたりすると、視聴者、閲覧者側は結果としてその字の持つ本当の意味を分からずに、判断してしまう可能性があるのだ。

確かに一部のTV局では、わざと障””害””のまま放送を続けている

そうだ。害を使い続ける明確な理由は「障害は人ではなく社会にある」

障害者=社会にある障害に向き合っている人たち

と判断し、漢字の””害””を使用し続けている。

しかし放送側にその意図があったとしても見る側=視聴者側にその意図通りに反映されてない可能性も十分あると思う。

 以下は私自身が実体験した例である。

それは、昨年親戚一同で会食会を開いた時に起こった出来事だ。

私は、親戚にADHD(注意欠如多動性障害)を持つ叔父がいる。

彼の場合、多動症と診断されているのだ。多動症とは、じっとしている事ができず口や足等が動く症状のこと。

彼は、ADHD等の精神科の先生がいる病院で、処方された薬を飲み以前に比べて、落ち着いている。(何も言わなければ誰もADHD持ちだと気づかないほどにだ。)

その会食会の最中、料理を運んで来てくれた店員2人が彼の事を見て、「げ!ずっと喋ってるんだけど、あの人病気?それとも、ただ変わってる人?」と、

小言で話していたのを聞いて、私たちは、一瞬戸惑い気味になった。それはそうなる思う。今日初めて会った人に対してあの人変わってるとか、普通は言わない。

ここが仮に病院などの特別な場所なら、その人の違いに気づき、何か話すかもしれない。でも今いる場所は普通にあるレストランだ。だからなのか、会食会後、親戚の大人たちは先程の店員のことをあーだこーだ言い続けていた。

確かに、人には少なからず””偏見””と言うものを持っている。だからこそ、その店員2人は彼のことを「病気の人、変わってる人」と

捉えてしまった可能性があるだろう。

しかし、その考えや可能性があっても

本人たちに聞こえる声で言わないのが普通であって常識だ。

さらに、その言葉を言われた本人がどれだけ傷つけられるのか分からないで言ったのなら

人を思いやれない心を持ってる人だろう。

いつまでもその人たちを責めても何も生まれない。そこで大事なのが、なぜその考えに達してしまったのか。そこが1番重要だと考える。その一番の理由は周りの環境や友達など、身近な存在からの影響が加わっていると考える。その影響が偏ってしまい結果として私が体験してしまったことが起こった思う。

情報を発信する側、それを捉える側も””害””や””病気””の事に対して

偏りすぎないで寄り添う形が重視するべきだと考える。そして、””害””と言う漢字表記でも違和感を感じない世の中を目指してほしい。と言うのも、世の中で””害””が使われる言葉と言えば公害、害虫や害獣などがある。そうなると害=マイナスなイメージが生まれる。

元をたどればメディアから発信される情報が全て正しいと思ってしまうからだ。

じゃ、全て””がい””にすればいいのかと問われるとそうでは無い。そうしてしまうと「今起こっている障害者問題を解決!」

に繋がってしまうからだ。そうなると今度は、当事者たちが嫌な気持ちになるだろう。それでは意味が無い。

そうした中で社会全体が変わらなければ、今と同じ現状になってしまう恐れがあるからだ。多分、世の中全体が変化しない限り偏見や差別などを無くせないと思う。

もし私自身勝手に想像する夢が実現する なら以下の会話が生まれて欲しい。

「単純に考えて””害””でも””がい””でも同じだよ、だって1人の人間としては変わらないし」

と言い合える世の中であってほしい。また、単純=何も考えずにパッと思い浮かんだと言う意味になる。その頃には、今よりも

差別や偏見のない未来になっていてほしい。その頃には、人と人との繋がり方や

尊重性が重視されていると思いたい。そして社会全体が視野を広げていてほしいと考えている。

・久保田千尋    玉川大学3年    ホームレスの人々と選挙 

駅前の通路には選挙を直前にした演説が行われている横でビッグイシューを販売する男性。演説をしている政治家は目先の選挙で頭がいっぱいなのだろうか、困窮している人々がすぐ近くにいることに気付かない政治体制と社会に訴えたい。彼らに社会的平等と安定した暮らしを提供してほしい。それが私の願いだ。

私は大学の講義をきっかけにビッグイシューの活動を知り、ホームレスの人々に対する偏見が蔓延っている事実を改めて痛感することになる。「仕事をしないのは自分の責任だ」「大人だから自分のことは自分でやるべき」など多くの人々の声を聞いたからだ。

しかし私自身、ホームレスは危ない人間だから近づかないようにと親からも言われた記憶があるが納得できなかった。彼らのことを知らないままで、彼らを否定し、拒絶することを子どもながらに不平等であると感じていたからだ。しかし、親の教えを素直に受け止める子供は少なくない。つまり、家庭で幼いころから植え付けられた偏見は恐らく社会中に伝播しているかもしれない。

私がビッグイシューについて調べていく中で通じて出会った男性は駅前で平日は毎日12時間ほど雑誌を売るために立つことを決めているそうで、微力ながら力になりたいと思い雑誌を購入することを決めた。政治に対する関心が高く、若者に選挙に行ってほしいと語ってくれた。最後には、私はこれまで味わったことのないくらい丁寧で心のこもった「ありがとうございます」と90度のお辞儀に今までで一番丁寧なお礼を受けた。自分はこれほどまでに相手と向き合って、一人一人に感謝することが出来ているかを考えさせられた。

近年はコロナウイルスの流行によって失業者も生じているというニュースも耳にしている。以前より多くの人々がホームレスになるのではないかという気持ちと、将来に向けた経済的な不安を抱えているだろう。ホームレス状態に陥るのは本人の責任だけではなく、環境の影響も受けやすいことも理解できる。当たり前が一つ欠けた時の自分への生活への影響を考えると不便なことが想像できると思う。例えば、仕事が無ければ収入を得ることが出来ない。収入が無ければ住居を得ることが出来ない。住居が無ければ体を休めることが出来ない。体を休めることが出来なければ精力的に活動できない。このような連鎖はホームレスの人々の数あり、それを一括りにはできないし、差別の対象として社会から孤立させてはいけない。一人一人の身体状態や経済状況、食事などの生活状況を把握し、適切な段階で適切な支援によって社会復帰に向けた支援が行われるべきだと考える。無意識な差別や社会的な不平等を改善していくためには時間がかかるかもしれない。小さなことだが、選挙公約に目を通したうえで投票することや、それを友人に共有することから始めていきたい。

・高野美侑      宮城県名取高等学校 2年生       聞こえる私が聞こえないを理解するには   

「あの、すいません。なんておっしゃってるんですか。分かるように話してもらえますか。」そのような言葉を耳にしたのは私が高校1年生の時だった。

目の前にいたのは耳が聞こえない1人の男性。

彼は筆談をお願いしますと言うように手を動かし伝えていたが、上手く伝わらず相手は何をしているのだろうというように首を傾げていた。しばらくしてからようやく耳が聞こえないのだと理解できたのだろうが、下を向いたまま話をしていた。

相手にも悪気は一切なかったのだろう。だが、男性からすると、なぜすぐに理解してもらえなかったのだろうか、こちらを見て話をして欲しいという不安感が残っているというような表情に見えた。

この時の私には罪悪感が残っていた。ただ見ているだけで終わってしまった。何かできることはなかったのだろうか。

このことがあり、家に帰ってすぐに耳が聞こえる私が聞こえない人にできることを調べた。できることは、ゆっくり話すこと。自分から紙に文字を書いて伝えることだった。

これなら自分でもできる。そう思った。

でも、何か物足りなさを抱いた。できるのはこれだけなのか、と。

耳が聞こえない人達にとっての苦悩は、そういった障害があるだけで色々な場面で相手にしてもらえない、ということだ。

 そこで考えたのは、誰でも手話が使えるようになっていれば何か状況が変わっていたのではないかということだ。手話が使えるのとそうでないのには大きな差が生まれるに違いない。

 そこで考えたのは学校の授業の一環や、会社での講習の一環として手話を学ぶ機会を作ってもいいのではないかということだ。手話が使えれば、耳が聞こえない人達とも会話ができるようになり、何事もなく一緒に過ごすことができる。もちろん手話が使えなくても一緒に過ごすことはできる。しかし、耳が聞こえない人達全員がドラマなどで見るように唇の動きを読めたりする訳ではないため、会話についていくのが難しいと感じてしまう。

 「 手話なんて学びたい人だけが学んだ方が良いだろう 。」そう思う人も多くいると思う。確かに手話はいつ使うかなんて分からないし、学んだ所で役に立つのかも分からない。だが、こうは考えてはどうだろうか。もし自分の耳が急に聞こえなくなったら、と。

耳が聞こえない人は全員が生まれつきではない。大人になってから聞こえなくなった人も少なくはない。そうなってから手話を一から学ぶとなるとかなりの時間を要してしまうだろう。

 だからこそ、今のうちから学んでおくべきなのではないかと思う。

手話が使えれば学校で、会社で、耳が聞こえない人と一緒になっても何気ない日常を当たり前に過ごすことができる。自分にとっても相手にとっても少しばかりはいいなと思える日常を。

手話を学ぶ機会を作ってほしい、ということを今すぐにでも実現して欲しい。と思っているが、そう簡単にはいかないだろう。

 ゆえに、まずは手話に関する本を買ってみる。実際に手話教室に行って手話を使ってみる。自分ができることから少しずつやっていけば、いつかは手話を学び、使うというのが当たり前になるかもしれない。

自分から積極的に行動することで、未来が少しでも明るくなるように、常に常に心に刻んで過ごしたいと思う。

・水本園乃      同志社高等学校3年      デジタル難民を生まないために   

ここ数十年、私達を巡る状況は目まぐるしく変化し続けてきた。そしてそれに大きく寄与したのはIT技術である、しかし、高齢であるがためにその波に乗れない人、所謂「デジタル難民」も多くいるのが現状だ。

 最近では会社の業務や、行政手続き、支払い方法も電子化が進んでおり、ITを使いこなせないと困る場面が増えてきた。私の祖父母もスマートフォンの操作が分からなかったり、デジタル化された手続きが煩雑で理解できなかったりと、日々進化するITに対応しきれていないことが多い。一般に人は年を重ねていくごとに、新しいものを学習したり覚えたりするための、流動性知能が下がっていくとされている。だから、ここ数年の急速かつ大規模に行われてきたIT化に、流動性知能が低下した高齢者が逐一対応するのは難しいのだ。

 また、加齢が原因なだけに、この状況は誰にでも起こりうるというのも特徴だ。私は生まれながらにしてデジタルネイティブ であるZ世代であり、ITにそれ程の抵抗感はない。しかし、それはあくまでまだ私が若年層であり、時代の変化についていきやすい状態であるからであって、今後もそうであるかどうかは確証がない。現に、後輩の話を聞いたり、インターネットで小学生が投稿している動画などを見たりすると、私が生きてきた時代と若干のギャップを感じることがあり、中高年以上がIT化に感じるギャップや違和感の大きさは想像に難く無い。

 では電子化に対応しきれず、困難を抱える中高年層のために、何かできることはないのだろうか。

 ITとの不適応をなくす1番の近道は、ITの急速な発展を止め、社会とITとを切り離してしまうことだ。しかし、これは不可能である。ITは私達の生活に深く根ざし、様々な側面から支えているため、ITを失うことは社会を非効率にし、その発展を妨げることになるからだ。加えて、IT化は、これまで社会進出が妨げられてきた人々の社会参画にも役立っている。例えば高精度な音声認識アプリを使うことで、聴覚障害者がリアルタイムで口話での会話に参加できるようになったことや、リモートワークが進んだことで、発達障害などによりコミュニケーションに問題を抱える人々が仕事しやすくなったりしたことなどだ。だからこそ、社会からITを排除するのではなく共存していくことが重要になってくる。

 では、IT化に取り残される人々へは、どのような対処法があるだろうか。私は2つの対処法があると思う。

 1つ目は、IT化に上手く適応できない人々に対し、広い心をもつということだ。加齢とともに新技術に適応し辛くなることは、誰にでも起こりうることである。だからこそ、適応できている人が、そうでない人の気持ちを慮って優しく教えたり、代わりに操作したりするなど配慮が大切なのだ。そのために、日々余裕をもち、自分とは異なる人に優しくできるような社会、他者を認め助け合う社会にしていくことが求められるだろう。

 2つ目は、「優しいIT化」を進めることだ。急速に進められてきたこれまでのIT化は、効率性が重視され難解なものが多かったため、付いていけない人を生み出しやすい状況にあった。そこで私が提案するのは、必ずしも効率性のみを重視しないIT化だ。具体的に言えば、完全にデジタル化するのではなく、デジタルとアナログとの共存を認めることや、サポート体制を充実させることなどだ。これは、デジタルネイティブ世代とそうでない世代の過渡期である現在の社会において特に重要であると考えられる。例えば機能を絞り、極力簡略化した「らくらくスマートフォン」や、ガラパゴス携帯の見た目や使い方はそのままに、機能のみスマートフォンと同じにした「ガラホ」などはその一例であるだろう。もちろん、社会を発展させ、働き方を改革したり、グローバルスタンダードに追いつくためには、ITの更なる高度化と普及は急務である。しかし、前述したように、IT化は社会的に弱い立場に置かれていた人々を助けてきた側面がある上に、日本は世界で一番高齢化が進んでいる国であり、相対的にデジタルに慣れていない人口が多いと考えられる。だからこそ、そのような人々がITによって社会から隔絶されるようなことはあってはならないのだ。

 急速なIT化などによって変化していく社会において、一定数ついていけなくなる人々がいることは免れない。だからこそ、それに対応する力を社会がつけること、その余裕を人々がもつことが重要になってくるのでは無いだろうか。デジタルの力が社会を分断するのではなく、逆に融和できるように働きかけていきたいものだ。

・松本月華      北越高等学校3年 スポーツ界におけるジェンダーの問題について     

  現在、日本国内では性的多様性についての理解が深まりつつある。社会的な動きとして、同性婚とまではいかないが、パートナーシップ制度の採用が各地で進んでいる。また、学校などの教育機関においては、授業内でジェンダーに触れたり、当事者の方をお招きして講演会を行うところもある。社会全体としては性的多様性への理解者を増やすことが求められ、実行されているように感じる。

  これも大事な一歩である。しかし、ジェンダーに関する問題は決して理解だけでは終わらない。私はそれらの問題のひとつである、競技スポーツに注目すべきであると考えている。

  バスケットボール、サッカー、バレーボール、卓球…など競技スポーツは数多く存在する。その中で、ネット競技、ゴール競技、ラケット競技などに分類することができ、ルールもそれぞれ違う。しかし、スポーツに共通して存在するのが「男女の壁」である。それは性別だけでなく、体格やプレースタイル、求められる動作や技に大きく関わるものだ。

  私は卓球をしている。性別や身体は女性だが、プレースタイルが「男っぽい」と周りから言われる。私は自分の性別を決めたくない、決める必要がないと思っているが、振る舞いたい性は男性的なので、プレースタイルにも影響している。しかし、つい最近まで自分のプレースタイルに自信が持てなかった。そんな中、今年の9月に、とある大会で一人の女性と出会ったことで私の考え方が変わった。

  その女性はトランスジェンダーの子で、出生時の性別や身体は男性だが、性自認は女性だった。彼女は髪も少し長く、結んでいた。見た目や声だけでなく、卓球のプレースタイルも女性で、まるで伊藤美誠選手のような子だ。普通に練習している場面を見たら、なんの違和感も感じない、とても綺麗な女性である。しかし、スポーツには男女で出場できる部が区別されている。そのために、彼女はどんなに女性らしい容姿、プレーをしていても「男子の部」に出場しなければならず、卓球の強さ以外の部分でも目立ってしまう。だが、それは彼女が望んでいる事では無いと私は思う。彼女と話したとき、「本当は女子の部で女の子たちと試合がしたい」と言っていた。それを聞いて、私が「男子の部で男子と試合がしたい」と考えることは間違ったことでは無いと気づいた。

  彼女や私の願いは、スポーツでは最も難しく、そして最も重要な課題であると考える。プレースタイルは自分で決めることができるので、いくらでも理想に近づける。しかし、出場資格は性別で決められている。確かに、身体的構造の公平性などを考えると最適な判断材料かもしれない。だか、性別で区切ることによって苦しんでいる人がいるのも事実であり、それはオリンピックのような大きな舞台でも同じである。

  こうした問題を解決するため、スポーツにおいては規定を見直し、慎重に検討し直す必要があると私は考える。ひとつの案として、大会の種目に「共通の部」を設けることを提案する。身体的な点から、トランスジェンダーの人が性自認の性別の部への参加は難しいと考える。だが、「共通の部」という種目があることで、色んな人たちと試合することができ、自分らしくプレーすることができると思う。お互いを尊重し合いながら、互いを高め合えると考えた。

  上で挙げたものは、あくまでもひとつの例である。私はこの問題と向き合いたい。誰にでもスポーツをする権利があり、チャンピオンを目指す権利がある。それを「性別」による出場資格の区別ひとつで諦めたくない、諦めて欲しくない。競技スポーツは勝負をするだけではなく、ひとつの交流の場だ。もっと互いのプレースタイルや生き方を認め合いたい。私は競技スポーツの世界を変えたい。そして彼女のように自分の意志を貫き、自分らしく堂々とプレーする選手が増えることを願っている。

・竹谷優希      水城高校2年    ステレオタイプを押し付けないで 

私は、体の性別は女性で心の性別がない「xジェンター」と呼ばれる性別だ。私は中学生のときに今の性別に違和感を覚え、性別について調べたらこの世界には性別は「男」「女」以外にあることを知り、私がxジェンダーだということに気が付いた。小さな時から「女の子だから」という言葉を何回も聞いてきた。小学生の時はまだ自分の性別の違和感についてはあまり感じていなかったが、「女の子なのに大きい声だね」と言われたことがあった。その時に何故「女の子」だと大きな声を出すことがいけないのかという疑問が出てきた。その疑問を解決するために一度友達に聞いたことがあった。女の子らしくないとおかしいと返ってきた。

私は中2から中学を卒業するまでタイで過ごしてきた。タイではたくさんの性別の方々がいた。体の性別は男性だがスカートやハイヒールなどを身に着けている方々がいても「おかしい」ではなく日常として溶け込んでいた。私の性別の違和感がおかしいのではなく、一つの個性だと気づかされた。タイでの生活がなければ自分の性別に疑問を持ったまま、私がおかしいという考え方になっていただろう。

まだ誰にも知り合いには私がxジェンダーであることを言い出すことが同じ性別に疑問を感じている一人のクラスメイトにしか言えていない。その理由には、今でも「女の子なのだからおとなしくしていないとダメでしょう」言われ、カミングアウトしたときにまた「おかしい」と言われることがとても怖い。現在の日本の社会は、「性別」について考え方が変わりつつあるが、まだ性別への区別は基本的に「男」「女」だと思っている人が多い社会だ。二種類しか性別がないと考えている世界にははっきりと二つに分けられている。例えば制服や男女別の校則、性別記入欄などが存在する。この分けられていることが違和感を覚える人は決して少なくないといえないだろう。

今の性別は「男」と「女」の2種類しかないというステレオタイプで染まっている。このステレオタイプを押し付ける社会ではすべての人間が取り残されない社会とは言えない。これからはもっと真剣に考え方を見直していく必要がある。私のように性別などが多数の人と違うことをカミングアウトできなかったり、ステレオタイプを押し付けられたりつらい思いをしている人は、たくさんいるだろう。すべての人が生きやすい社会にしていくためにも一人一人が違うことを認め合うことが大切なのではないだろうか。

・吉池ほのか    長野医療衛生専門学校1年 人との違いとアイデンティティ   

私は色が見えずらい。

見えないわけではないが、他の人に比べて色の区別が難しい。世にいう色弱だ。

だから、私に見える色は他の人より少ないのだとずっと思っていた。

しかし、ある時このような話を聞いた。『多くの人は色の三元色を見える機能を100:100:100で持っている。しかし、ある色弱の人は一つの色が見える機能が60しかなかった。でも、機能の総量は変わらない。だから、他の二色が120ずつあったんだ。つまり、その人の世界の色は60:120:120でできていた。

その人は、他人のよりも見える色が少ないと思っていたが、見えていない色がある分、他の人には見えていない色が見えているんだ。その区別ができるんだ。』と。

また、学校の知的障害についての講義で先生がこう言った。『自閉症の人たちは私たちとは異なる独自の文化を持っているという話がある。障害を持つの人に対して自分と違うと思うことがあるかもしれないが、それは文化が違うのだから当たり前だ。』と。

私はこの二つの経験を通してこう考える。

『人と違う』とは『人と違う‘’ものを持っている”』ということなのだと。

自分は周りと違うと気づいた時、途端に疎外感を感じ、同化しなければと思う。そして弾かれないないために違う部分を隠すようになる。必死に自分はその他大勢に入っていると装い、そのうち自分さえも騙すようになる。人と違うことは取り残されるきっかけになるからだ。

マイノリティになれば、時には揶揄され、哀れみの目で見られてしまう。自分にとって悲しいことでないのにも関わらず、違うというだけで哀れみの目を向けられることがどんなに悲しいことなのか。

誰もが一度は経験したことがあるだろう。

人の持つ個性の総量は変わらない。

ある部分についての能力は持ち合わせていなくても、それぞれが違うものを‘’持っている”のだ。

それに気づいた時、

アイデンティティとして尊重するのか、

ハンディとして哀れみの目を向けるのか。

私はこれからも、様々な人と出会う。

その全員が違うものを‘’持っている”。

多くのには感じないものを感じることができ、

考えることができる。

これから出会う全ての人たちがそれをコンプレックスではなく、アイデンティティと思えるように。

取り残されるという不安からアイデンティティや文化を隠さなくていいように。

相手が持っているアイデンティティに気づき、それを尊敬できる人に私はなりたい。

それが誰1人取り残さないことにつながると信じて。

・比嘉ひが      株式会社アルネッツ      情報格差が生み出す社会からの精神障害者の取残し 

精神障害当事者の私は現在23歳。15歳のときに精神疾患を発症。

自分は過去に「社会から取り残されている」と考えていた張本人である。

最初の転機は高校進学。

クラスに馴染めなかった自分は学校を飛び出し自殺衝動にかられる毎日だった。

その度に先生方に探されて。その時は生きていて申し訳ないと思っていた。

高校の担任が、3年間同じだったのだが、1回も怒らない先生だった。

今思えば、それが自身を生きることにつなぎとめるための重要な要素であったと思う。

非常に感謝してもしきれない。

次の転機は引越し。

一人暮らしの家から今の家に引越す際、家が片付けられなく非常に困っていた所を、

横浜市障害者地域活動ホームの職員に電話し、「障害者自立アシスタント事業」で家を見てもらい、片付けを一緒にやって頂いた。

その後その職員は退職してしまったが、沢山の福祉事業所に繋げていただき、現在では、周囲の力を借りながらも自立生活を送ることができている。

これも非常に感謝している。

さて、この2つのいわば「転機」から伝えたいことは、

周囲に「当人を見守り支援してくださる」人がいることが、精神障害者においては非常に大切であるということだ。

また2点目の「転機」では、ヘルプの声を上げられるような情報を知ることと、臆せず自身の気持ちを伝えるということが大切だということだ。

よく、「支援につながらない」と言われるようなことが近年NHK等に特集される。

精神障害もそうだが、ヤングケアラーも個人的にはここに位置づけられると思う。

当人のプライド・支援を受けることによる劣等感・そもそも支援があることを知らない…

このような事で困窮している人が多くいるし、そもそも情報メディアではヤングケアラー等の現状を伝えるだけで、

それに対して何ができるか、どんな支援が、どこで行われているかという重要な情報を伝えない。

自分は、「制度」というものを調べるのが好きだったから、自分で自発的に調べるようにしているが、一般の人々は調べられないのが現状ではないだろうか。

このように情報格差が、現在の世の中の大きな格差、ひいては「社会からの取残し」につながっていると痛感する。

スマホで調べられる部分もあるが制度を少し知っていないとうまく自身に必要な情報が引き出せないようにも感じる。

最近「横浜精神障害者ピアスタッフ協会」という精神障害当事者の集まりに、横浜市がヒアリングにいらした際に同席したので、

その時の様子を紹介する。

「役所の人は話を聞いてくれるだけで何かしてくれるわけではない。情報が引き出せない。結局は自分で調べるしかない。」

「この制度については知らなかった。早く教えてほしかった。誰も教えてくれなかった。」

このような感じである。

これも同じような話で、現場の怠慢が「社会からの取残し」に実際につながっていることがわかる。

つまり私が、本テーマにおいて「社会からの取残し」が精神障害者においてないようにするために訴えたいことは、

1.情報メディアによる積極的な情報提供

2.公共機関、福祉機関の情報開示、視認性の向上

3.現場の意識向上

この3点である。

最近、よく「若者」の自殺のニュースが多く社会に流れているように思える。

実は自分はそのニュースを見るたびに、

なぜ「社会から取残されてしまい」このような選択をしてしまうのかと悲しくなり、時には他人の事なのに泣いてしまう。

一人でもこの精神的な苦痛、精神疾患、精神障害で「社会から取り残されてしまう」ことがないように願う。

当事者として、訴えたいことは以上だ。

・匿名   福岡教育大学1年 食を作るということ     

私は、お惣菜を売るお店でバイトをしている。

このお店の経営理念は、全ての家庭における“食”を支える料理を作り、食べた人を笑顔にすることで愛され続けるお店であることだ。このお店には、毎日たくさんの人がやってくる。仕事帰りに夕飯のおかずや明日のお弁当用のおかずを買いにくるお母さんお父さん、部活終わりに自分の食べたいものを探しにくる中高生、孫と一緒に買い物に来たおじいちゃんおばあちゃん。

私は、このお店が幅広い世代の地域の人に親しまれている素敵な場所だと感じている。

しかし、私はこの場所で社会に取り残された1つの現状も見ている。それは、売れ残った商品が残酷にも廃棄されることだ。私は、仕事だからそれをしなければいけない。小さい頃から食べることが大好きな私は、本当に心が痛む。どうして、愛情込めて作られた料理を捨てなければいけないのか。

食品ロスはしてはいけない。食べることで人は生きられる。だから、命をつないでくれる生き物に感謝の気持ちををもって、食べなければいけない。家庭や学校では、子どもたちにこのように教育するだろう。なのに、仕事帰りに大人達が日々弁当やお惣菜を買って帰るお店が、食を無駄にしている。これは間違っている。

作るならば責任もった行動をとるべきではないのだろうか。売れ残ったものを他のお店ではどのようにしているのか私は調べてみた。すると、フードシェアリングサービスや子ども食堂というものが出てきた。目前の利益ではなく、少しでもフードロスをしないことを大切にしている企業の取り組みはたくさんあることを改めて理解した。

世の中には、食べるものが充分にない子どもたちがたくさんいる。世界中の栄養不足や貧困に悩む子どもたちに、どうにかしてこの美味しいご飯を届けてあげられないだろうか。

私はこれまでSDGsを学ぶ時、教育に関するものばかりを学んできた。なぜなら、自分が教師になることを目指しているからだ。しかし、自分が初めて直面した問題は、生産・消費、食に関するものだった。バイトの中で、社会に取り残されている現状をみて問題意識を持つことができた自分に少し安心した。それと同時に興味関心を広げて、広い視野で周りをしっかりと見ることも大切だと思った。そうすることで、自分にできる解決策を導き出せると思う。私は今回の打開策として、自分の中で感じた問題にどうにもならないと目を背けるのではなく、しっかりと言葉にして人に伝える必要があると考えた。

・間部賢杜      八尾高校        SDGsによる立場の逆転の可能性  

SDGsは日本語では持続可能な開発と言われ、環境保護や経済成長、不平等の是正、健康的な生活などを目的とした17個の目標のことです。これによって世界中で様々な変化が起こっています。そこで取り残される可能性がある現在立場が弱い人々については様々な人が既に指摘をしているでしょうから敢えてその逆について考えてみたいと思います。

 過去の歴史から見ても、大小の規模を問わずパラダイムシフトがあるとき、そこから取り残される人々のいることが多々あります。日本では明治維新の際、武士という特権階級にいた人々は士族という新しい身分に置かれ、廃刀令や秩禄処分などで従来の地位が失われた結果、その多くは商売を始めるも殆どが失敗し「士族の商法」などという言葉が流行したり、日雇い人夫や乞食になったり、西南戦争などの士族反乱に参加したりしました。彼らは代表的な取り残された人々でしょう。また、海外に目を向けると、南アフリカ共和国では白人至上主義の撤廃によって、特権階級ではなくなった白人労働者たちにはプア・ホワイトと呼ばれるように生活に困窮するようになった者が多くいます。その中には現状への不満から白人至上主義を掲げる様になった人もいます。

 彼らの共通点は二点あります。一点目がもともと優遇されていた階級の人々が、平等主義からの立場の水平化によって相対的に従来の地位から転落したことです。士農工商の階層意識やアパルトヘイトなどの政策で保証されていた支配者層が以前まで自分達より明確に身分が下だった者と法律の名の下に対等となりました。そして二点目が彼らの多くが個性として専門的・技術的な職能を持ち合わせていなかったことです。更にグローバル化による環境の変化が、従来の閉鎖的な職域に国際性を要求する様になったのも画一的な元特権階級を苦境に立たせました。社会制度の遷移によって身分が均され、今まで地位によって職を得ていた人々がその特異性を失ってしまいました。

 しかし地位の低下によって貧困に喘ぐ人がいる一方で変化に適応した人もいます。例えば士族の中でも自らの受けた教育を活かし、教員や塾経営者に転身した者やその剣術で邏卒になった者は成功者と言えるでしょう。南アフリカの白人でも政財界で活躍する者がいます。昨今、日本はもちろん、世界でも富の二極化が取り上げられることが増えましたが、その富裕層は早くからIT産業などの基幹産業に目をつけ、時代の潮流に乗りました。時代について行く、或いはリードする人々は時代の流れをよく観察して見極め、素早く行動する人達です。そして取り残されるのは、時代の流れと自らの持つ個性を軽視し、立場に甘え自発的に行動することを怠ったキリギリス達です。

 SDGsで是正しようとしている主な格差は貧富の格差、医療・健康格差、教育格差、性格差、エネルギー格差などです。また目標10では「人や国の不平等をなくそう」と言っている様に、人種や民族、宗教などで差別・格差があってはいけません。そもそも生まれた所や性別、宗教などに優劣はありませんが、一部では差別がある事は事実です。この誤りが世界的に正されようとしています。それ自体は喜ばしいことですし、2030年の地球に希望を与えてくれます。

 その一方で、SDGsというパラダイムシフトが上の例の様に格差の上側にいた人を取り残すのであれば、取り残されるのは少数派や立場の弱かった人達ではなく、先進国に住む我々かもしれません。発展途上国が十分な科学力を身につけたとき、今まで技術力を売りにしていた先進国は一次産業の面でも二次産業の面でも固有性を失います。そうなれば資源の豊富な元発展途上国の方が競争力は高いであろうと容易に想像できます。

 現在肩身が狭い思いをしている方々の地位の向上はSDGsに盛り込まれています。だからと言ってその流れに身を任せるのではなく、自らの地位の向上のために行動しなければいけません。逆に彼らの地位の向上に伴い相対的に地位を落とす人々も、地位の低下が向上に逆転されずに平等で収束する様に、努力を怠ってはいけません。そしてそれらの個人の努力に加え、公的機関は度量が報われなかった人や努力義務を怠った人に対しても一定のセーフティネットを構築しなければ、目標は目標のまま終わってしまうでしょう。

・池田啓明      梅光学院大学2年 学級で一人ひとりと向き合いたい 

私は地元で小学校教員になる夢を持ち、実現する為に日々学修を重ねている。その中でいつも考えている課題がある。それは小学校1学級の人数が多すぎるという事だ。教員数に対する児童数は35~40人を標準とする旨が法律に定められている。この人数は諸外国に比べるとやや多い。加えて、OECDの示す資料では1学級あたり児童数はOECD加盟国で韓国に次ぐ2番目に多い人数となっている。また、教員一人あたりで計算した場合も4番目に多いとなっている。この資料は2004年の数である。しかし、子どもの人数が減少しても35~40人の学級が存在する現状では、数値は変わらないことは容易に想像できるだろう。

 まず、現実の問題として40人学級の現状ではいわゆる「落ちこぼれ」が発生しているという事が挙げられる。私は学業の傍ら、個別指導塾でのアルバイトをしている。その塾の最寄りにある小学校は一学級40人のクラスが一学年に複数ある大規模校だ。そこに通う私が担当している児童は成績が芳しくない。彼らに話を聞くと小学校の授業だけでは学習内容が理解出来ていないとわかった。更には「先生とあまり話せない」「わからないけど先生が忙しいから聞けない」などと悲痛な叫びを耳にする。これは教員一人が担当する人数が多すぎるため児童と向き合う時間が無いために起こっていることだ。人数を減らすとその分一人ひとりに向き合う時間を確保できる。

 ここで私が提案する考えは「更に学級あたりの児童数を減らす」という事だ。具体的には一学級の児童数を15~20人にする提案だ。但し、この提案は現状が悪いと一方的に批判するものではない。事実、日本はこの教育システムを利用して発展してきた。一方、その影で取り残されている人がいる現状もある。現状を解決する為にもこの提案はよりよいものになる。発展が落ち着き成熟社会と言われるからこそ底上げを図る為に対策を取る必要があるのだ。現在、文部科学省も対策を講じている。段階的な35人学級への移行を進めている政策だ。それでも1学級あたりの人数は多いことに変わりは無い。そこで、提案を実行することによって児童一人ひとりに向き合う時間が増える。その結果、学力の向上はもちろんのこと、児童の個性を伸ばし、「誰一人取り残さない」教育を行うことが可能になるのだ。先ほどのOECDのデータで例えると、スペインやスイス等が一学級あたりの平均児童数が先述の一学級15~20人となっている。諸外国のデータでかつ、先進国の集まりであるOECDのデータであれば日本との比較がしやすいだろう。確かにアフリカなどの開発途上国では1学級あたり50人などの国がある。しかし、それは教員養成システムが発達していなかったり、義務教育が定められていなかったりと様々な要因がある。しかし、日本は教員養成のシステムが大学と行政機関で完成しており、憲法で義務教育が定められている。それにもかかわらず、学級人数が多いために落ちこぼれや不登校などの問題が発生している。そのため、必要な解決策として更に学級あたりの児童数を減らす事を提案する。

 この解決策を思いついたきっかけは私の学問的な興味のある分野が関係している。私の学問的な興味がある分野は「へき地教育」だ。へき地教育とは山間部や離島での教育に関する研究分野だ。このようなへき地では少人数(一学級1~10人程度)の学級が編成されている。ここでは教員と児童との関係が濃密だ。私自身、へき地小規模校の出身でいつでも先生とコミュニケーションが取れていた。また、仲間と協力する経験から授業でわからない事も互いに教えあい、助け合っていた。そこから提案を思いついたのだ。加えて最近のへき地教育研究においても「課題先進地としての研究」というスタンスで研究が進んでいる。この課題先進地とは人口減少社会である日本で児童数の減少により生じた課題に対応しているという意味だ。これらの実践や研究結果を応用して誰一人取り残さない教育を目指したいと考えている。

 以上のことから一学級あたりの児童数を15~20人にすることを提案する。この提案が実現した場合、児童と教員が現在より向き合える環境になる。よって関わり合う時間が増え、学習面の落ちこぼれや学級内の問題の解決に繋がるのだ。日本で人が育つ際に必ず通る小学校で誰一人取り残さない教育が実践されれば基礎学力の向上に繋がる。基礎学力が向上すれば社会も更に発展するだろう。私の願いは彼らが大人になった時に学校で学んで良かったと言ってほしいというものだ。そのためにも少人数学級で児童とより多くの時間を向き合って人を育て上げたい。

・大塚うた      文化学園大学杉並高校 2年 バスケ部      歩いてみることに決めた 

誰かに取り残されている。自分だけ違う。そういうことはあまり思ったことが無かった。と言うかあまり意識をしていなかった。けれど、高校生になって今までの当たり前が1度だけ少し変わった。その「少し」が自分の中の歯車を止めてくるようなそんな違和感を感じさせた。それは恋愛だ。恋愛にも色々ある。女の子と女の子と、女の子と男の子、男の子と男の子、性別は関係なく様々で恋がしたくてするモノ、ただ好きで溢れているモノ、依存するモノきっともっともっと色んな種類があるのだと思う。私は今まで周りがどんな恋をしているのかどうかを全く考えていなかった。でも、気に止めていなかっただけでそんな物はずっとずっと身近で存在していた。それはとっても仲の良い友達も例外では無かった。私の友達Aはずっと友達Bが好きだ。それは中学生の時からで数年も想い続けている。知らなかった。しかもそれを聞いたのは友達Aからでは無い。友達Bからだ。それもショックだった。直接言われなかった、相談されなかった、ただ、それだけのことだ。でも自分の中でちょっとした違和感が残った。今まで3人で仲良くしてたのに、邪魔って思ったことあったかな?楽しくしてても本当はどう思ってたんだろうか、色々頭を巡った。聞かなきゃ良かった。そんなことはこれっぽっちも思わなかった。ただ、聞いてもどうすればいいのか分からなかった。どうするのが正解なのか、いつも通りが分からなかった。いつも通りにするのが良いんだとしても自分の中に溜まったもやもやをどう処分するのか、そして何より自分だけ友達の輪から外れているような、取り残されているようなそんな気がした。どうするのか分からなくても毎日学校は行く。毎日顔を合わせる。分からなくなっている暇は無かった。というかきっと考えなくて良い。誰が誰を好きでも良い。それが今回たまたま近くで起きていて今までの楽しい、素敵な思い出の宝物がちょっと取られないか、消えてしまわないか不安になってしまっただけだ。本当に、ただそれだけだったのだ。17年しか生きていない。だから分からないことも、不安になることも、取り残されているかも、と思うこともきっとこの先何回も何回も起きる。けれど、その度に色々考えたり、思ったりするからいつか出会う誰かが困っている時、悩んでいる時寄り添うことが出来る。取り残されているかもという風に感じる物事は人それぞれできっと誰しもが思う感情だから、その感情を汲み取ったり、寄り添うことが大事なのだ。地球は丸いけれど、その丸はどこにも角なんて無い。だからどこかの誰かが今の環境がキツくなって歩くのを辞めても新しい環境に出会えるし、走っても、歩いてもきっといつか新しい誰かに出会える。それがいい出会いでも嫌な出会いでも。そんな丸の地球に生きているから、居心地の良い環境に出会えるいつかの為に走ったり、歩いたり、立ち止まったり、道から外れてみたり、たまには反対に歩いてみたりしてみよう。そして振り返った時色んなことを思い出して楽しい気持ちになりたい。だから今日は歩いてみることに決めたのだ。

・栗原成        玉川大学4年    動物も取り残さない     

SDGsの「誰ひとり取り残さない」には、人間に限らず、動物も含まれているのではないだろうかと考える。近年、犬・猫はもちろん、それ以外の動物も飼う人が多くなってきている。その中で、動物の多頭飼育崩壊や殺処分、放流等の問題が大きくなっている。そのため、「動物が人間から取り残されない」というところに着目し、動物の視点に立って考えていこうと思う。

 動物の多頭飼育崩壊、殺処分、放流の現状は、テレビ番組で取り上げられているので多くの人々が分かっているだろう。人間が自分勝手な行動をするせいで、動物が傷つけられている。その事実を人間側が受け止め、SDGsの目標である12の「つくる責任、つかう責任」を改めて考えなければならない。その理由として、ペットショップは、売られている動物たちが売れなかったとき、最終的に殺処分という場合も少なくないからである。しかし現状では、ほぼ毎日殺処分が行われている。それは、動物からしてみれば、非常に理不尽な理由で人間に殺されていると言っても過言ではない。また、飼い始めてから少し経ったら捨てるなどの行為も動物から見れば、人間からの裏切り行為として受け取ることができる。これらのことは、「つくる責任、つかう責任」の中に含まれていると思われる。そして、殺処分だけではなく、多頭飼育崩壊にも言えることである。多頭飼育崩壊は、人間(飼い主)から動物が取り残されている状況である。大体の多頭飼育崩壊は、一匹だったのがいつの間にか増えてしまい、手に負えなくなり、保護団体に渡すという形が多い。飼い主として、動物に愛着があったからこそ起こりえることだろう。動物を飼う責任を人間側が軽視しているから問題になってしまっているのである。動物側は悪くない。つまり、わかりやすく「つくる・つかう」で分けるのなら、殺処分は「つくる責任」、多頭飼育崩壊は「つかう責任」が強いということである。そのゆえ、殺処分や多頭飼育崩壊の状況は良くならず、人間から取り残されたと動物は感じ、保護施設から抜け出せずにいるのではないだろうかと推測する。また、放流は、外来種が在来種を食べてしまうことから、大きな問題となってる。放流の問題を大々的に取り上げている某テレビ番組でも、人間の行いが悪いということ主張している。

 これらのことから、人間の身勝手さが明確になった。人間の人口が増えている中で、動物たちは人間のビジネス、娯楽などの私利私欲のために、理不尽に殺さているのである。人間が 動物を利用しようと考えすぎている。これでは、いくつもの動物保護団体があっても、現状はあまり変わらないが、殺処分数は年々減ってきている。しかし、今も命が消えている状況であるというのを理解しなければいけない。その理解を深めるために、預かりボランティアやその施設に出向いて現状を自身の目で見るなどの行動をし、動物の気持ちに寄り添えることができれば、より良い社会になるだろう。さらに、SDGsの15の目標「陸の豊かさを守ろう」で、生態系や動物の保護にもつながり、まさに一石二鳥だと考えられる。

・上阪里奈      玉川大学 2年 リベラルアーツ学部     

ファストファッションの人気から見える若者の貧困   私は「誰ひとり取り残さない」という基本精神について、日本における若者の衣服の購入状況から見えてくる貧困について焦点を当てて考える。現代においてトレンドを押さえたファストファッションブランドが若者の間で人気を博している。しかし、人気の裏側で、ファストファッション以外のブランドの服を購入するお金の余裕がないなどの理由があり、ファストファッションの服しか購入することができないという声をよく耳にする。また、ファストファッションにも様々なブランドが存在しており、その中でも最も安いブランドが若者に人気である。しかし、人気の反面で若者の貧困が問題となっており、取り残されている人が多いのではないかと考える。そして、とあるブランドの工場では長時間労働・低賃金で働かされているという報道が出るなど、過酷な労働環境であることに注目されている。作製する側と購入する側のどちらにも取り残されている人は多く存在し、この悪循環を解消しなければならないと考える。まず、なぜ日本では若者の貧困が顕著になっているのか。それは、非正規雇用者が増加しており、収入が安定しなかったり、奨学金の返済をしたりするなどの要因があるからだと考えられる。また、正規雇用だとしても精神的状況により働くことが難しくなってしまう場合があるからなのではないかと考えられると同時に、多くの女性は男性よりも収入が少ないという点や物価は上昇するのに収入は上がらないという社会が要因になっているのではないだろうか。他にも、家庭環境による教育格差が生まれ、そこから学歴・収入へと繋がり、所得格差が生まれてしまうという原因も挙げられる。このような様々な要因があることで、若者の貧困へ繋がり、十分に衣服を購入することができないという状況が見えてくる。ファストファッションだけを購入することは決して悪いことではない。流行を掴みやすかったり、インターネット販売の場合は注文を受けた分だけ服を作るブランドがあったりするなどのメリットも見受けられる。しかし、どうしてファストファッションが流行しているのかを若者の流行りだからという理由だけで終わらせてしまうのは良くないことであると考える。そして、誰ひとり取り残さないためには若者の貧困という重大な問題点に社会はより目を向けていく必要があり、貧困を解決するために保証を手厚くするなどの対策が必要になってくるのではないだろうか。

・松井建 玉川大学4年リベラルアーツ学部 リベラルアーツ学科        高齢者に冷たい社会

近年日本では超高齢化社会が問題になっている。多くの人がニュースやテレビなどで認識している問題だと思う。

だが一方で、若い自分でさえも高齢者に対する社会の視線や扱いに冷たさを感じることがある。ほんの一例に過ぎないが、私がアルバイトをしているスポーツジムでの出来事であった。スポーツジムは、運動不足を解消する役割を果たす一方で高齢者の憩いの場になったり、コミュニケーションの場としての役割を果たしている。そのような中、オンライン化の普及に伴い、ジムのレッスンの予約システムや退会手続きなどほとんどのシステムがweb上で行われることになった。多くの高齢者の人達は、使い方がわからず、又、ジム側からも具体的な利用説明等はなく、本来利用したいサービスを上手く利用できない状態になっていた。その際、高齢者から不満の声が続出したことがあった。

そもそもジムは高齢者にとってコミュニティ形成の場としても役割を担っているが、このような状況を見て、企業側は高齢者にとってのジムの重要性よりも、目先の利益を求めているという現状を目の当たりにした。多くの高齢者にとっては、「孤立」という問題に直面する可能性がある中でその孤立を助長しかねない出来事であった。これは私が生活している中で遭遇した一場面でしかない。

他にも近年高齢者による事故の増加によって、高齢者の免許返納の風潮が強くなっている。勿論、高齢者の運転によって起きてしまう事故の確率が上がることは明確である。一方で、運転が趣味の人だったり、仕事にしている人にとってはこの風潮が耐え難いものになりうる。このように社会の変化に追いつけない高齢者達にとってはどんどん生きづらい世の中になっていっている。

社会全体で見ると、他にも多くの問題が山積しているのが現状である。地縁、血縁、社縁などといった共同体機能が弱体化している風潮がある昨今では、コロナ禍によって一層顕在化するようになった。それに伴い、高齢者にとってはより社会的孤立が増すようになった。今後も未婚化などが進み、身寄りのない中高年や高齢者が増えていく社会が予想される。そのような社会になっていくことが予想出来る中で、支援機関に求められるのは社会全体が抜け目のないサポート体制を構築することである。具体的な例を挙げるとすると、生活支援や死後保証などの事務的サポート、雑談やスポーツなどが共にできる心理的サポートなどといったサポート体制を多様化させることが挙げられる。事務的サポートに関しては、オンライン化などが進み対応が難しい高齢者などに積極的にサービスが利用できるように支援をするなどといった工夫が必要である。他には特に、心理的サポートの側面に関しては、我々民間がどのように対処していくべきかということを考慮するべき事案である。先述した通り、私が遭遇した場面においては、企業側が高齢者の立場を考えず、利益を追い求め、高齢者にとってのジムの役割を果たしてはいなかった。勿論、企業側が利益を追い求めるのは、企業を存続するためには当たり前のことである。だが、数少ない社会全体のコミュニティの場としての役割を企業側は認識すべきであり、これは他の企業も言えることである。孤立を促進させるのではなく、サービスの多様化、オンライン化によって高齢者がどうなってしまうかということを考慮することが、取り残さない社会になるのではないだろうか。

そして、高齢者本人たちの能動的な行動も重要である。今後、行政や民間のサービスがより優しく、高齢者にとって充実したものになったとしても、高齢者が能動的でなければ意味がなくなってしまうからだ。単身者が今後増えるであろう未来においては年齢に関わらず孤独や孤立に無縁な人はいないことが予想される。手遅れになる前に「もし自分に何かあった時、頼れる人、サービス、コミュニティは何だろう」と確認しておくことが重要である。

高齢者に対して取り残さない社会を目指すとなると、行政のみや民間のみなどといった個々の機関が独立して対応するには限界がある。そのため、様々な機関の密接な連携が必要であり、政府にはこれらの機関に対して、充分な財政的な支援を期待していきたい。又、これらの機関のみならず、地域のコミュニティといった小さい枠組みからでも支援ができる。地域の公園でやっているゲートボールや、テニスなどのスポーツや習い事、公民館のイベントなど様々なコミュニティの場がある。これらのコミュニティの場をより充実化させ、拡大させることが高齢者にとっての生活をサポートする第一手になる可能性もある。

以上のことから、この高齢者の孤立問題が高齢者に対する地域や社会の在り方、企業の考え方を考え直してくれるきっかけになることを信じたい。

・野澤ゆりえ    玉川大学2年    同性を好きになることは普通のことではないのか

SDGs5の目標「ジェンダー平等を実現しよう」すべての人が性に関して差別されない=取り残されないを目標にした目標の一つです。あなたは異性を好きになることについてどう考えますか?普通ではないと考えるのでしょうか。人を好きになる普通の定義とは一体何なのでしょうか。

私の友達に男性同士で付き合っている人がいます。友達をA君と呼ぶことにします。A君の恋愛対象は女性でした。しかし、自分が一番つらいときにそばにいてくれた男性を好きなり、付き合い始めたそうです。その話を聞いた時私は驚きました。私は同性を恋愛対象に見たことはありません。失恋をしたときに誰よりも私を慰め、そばにいてくれた人は女性の友達です。その時の居心地の良さと温かさは好きな人といたときを超すものだと感じていました。しかし、私の普通は「男女で恋愛をする」です。この普通は社会において多数派だとも考えます。A君は私に話したとき、どんな反応をされるのか、もしかしたらこの気持ちに気持ち悪がられるのではないかと考えていたと後に話してくれました。私は、A君の話を聞かなければジェンダーの問題について考えることをしなかったと思います。私の、社会の、“普通”は、A君やバイと呼ばれる人の気持ちを否定し、気持ちに蓋をさせていたことに気づきました。しかし、好きの気持ちを否定されるかもしれないという考えは、A君の中にも「この気持ちは普通ではない」という生まれた時から社会にあるジェンダー差別が原因だと考えます。

学校では「同性愛」について深く教えてくれません。考える機会もありません。私も周りにA君がいなければこのように自分の意見を文章にすることはなかったと思います。日本では同性愛が認証されていません。ではA君は将来を考えた時に最悪「別れ」を決断せざる得ないときがきてしまうのでしょうか。好きな人といたい気持ちが周りとは違うことだけで離ればなれになってしまう社会で良いのでしょうか。義務教育内でジェンダーの普通を変える、授業を取り入れるべきです。

私は、A君の話を聞いた時、驚きとともに素敵だな、とも感じました。A君の勇気も素晴らしいと感じます。社会に強く残る“普通”を打破し、自分の気持ちに素直に告白してくれたA君が私にはとてもかっこよく見えました。だからこそ、今後も強く応援したいです。また、今後周りにジェンダーのことで悩みを打ち明けてくれる人がいたらそっと話を聞きたいです。認めて肯定できる人間になりたいです。ジェンダーに悩む人たちが周りとの違いに取り残されることのない未来になってほしいと願うばかりです。

・櫻井香菜恵    玉川大学3年    取り残されないために   

「誰一人取り残さない」の枠の中に、いつの間にか入り込んでいることに気づいたのは最近のことだ。

私は高校生の時、度々性被害にあっていた。主に痴漢だ。朝の通学時間に被害を受けることが多かったため、制服を着ることで痴漢を誘発させていたのだと考えたこともあったが、私服を着たときも痴漢にあった。多くはスーツを着た男性から、そして白杖を持った男性からも痴漢されたことがあった。盗撮をされたこともあった。高校の先生からは、「変態は神出鬼没。」と言われて、自分自身を守る術を自分で見つけなければならないと考えた反面、なぜこのような行為を当たり前のようにする人がいて、なぜ被害を受ける人が苦しまなければならないのだ、と当時から考えていた。

SDGs目標5の「ジェンダー平等を実現しよう」は、女性の社会進出や地位獲得の面では有効な目標だ。しかし、性犯罪を無くすことは実現不可能だ。このような目標があることで性犯罪の減少や性被害に対する意識の変化はみられるだろう。性の違いが存在する限り犯罪は無くならない。しかし、許される行動ではないし、誰かの勝手な欲望の犠牲になっていいはずがない。

そう強く思っても、実際に被害に合うと恐怖心と、勘違いではないか、逆恨みされないかといろいろな不安に煽られ、ほとんど泣き寝入りだ。誰かに訴えることもできず、加害者を野放しにしてしまい、私は無力だと痛感させられる。無念が残ったまま生活を送り、私は苦しみや悔しさ、異性に対する嫌悪感などからずっと取り残されたままだと感じる。今は私が被害を受けることは無くなったが、毎日どこかで被害を受けている人はいる。誰にも言えず心の傷を残して生活している人がいる。きっと彼らも取り残されているのだろうと思うともっと余計に無力だと感じる。

最近は電車内に防犯カメラの設置が見られるが、防犯カメラだけでは自分を守ることはできない。誰かが証人になってくれるかもしれないという期待も、あまり信用できない。私たちは自分自身を守る方法を考えなければならない。例えば、痴漢撃退アプリをインストールする。ドア付近で立ち止まらない。常に周りを警戒する。これらのように自分自身を守る方法を真剣に考えて生活する必要がある。そして、もし被害者になってしまった場合に、心のケアをしてもらう団体や制度を設ける必要がある。

更に、加害者側の立場になって考える必要もある。道徳的判断ができていない。小学校の教育の時点で、性教育の問題を取り扱っても良いのではないかと考える。私が小学生の時、性に関する問題が取り上げられたことは無い。日本は性についてタブー視しがちだ。小さい子どもに正しい性教育をせず、そのまま成長し、知識もなく大人になってしまう。加害者を増やさないために、正しい性教育は必要だ。

取り上げた内容は痴漢だったが、もっと凶悪な性被害も存在する。他人事だと考えて過ごしているといつの間にか被害者になってしまう。私たちは常に危機感を持って冷静な行動ができるように備える必要がある。いつまでも取り残されないために。

・草間大迪 関西大学大学院修士2年 「日本の中の外国」 地域から取り残された外国人居住者 

 少子高齢化が叫ばれ、日本の人口が減少する一方で、外国人居住者の数は増えている。

 外国人居住者の中には、伝統工芸を学び日本の文化継承に貢献する人、中山間地域にて農業を生業として生活を送る人、アーティスト・イン・レジデンスを通して地域活性を支える人たちがいる。彼らは日本での生活を通して地域に馴染み、活き活きと暮らしている。

 しかしながら、外国人のみでコミュニティを形成し、地域に馴染めず日本から孤立して暮らしている人たちも多く存在している。外国人アパートもこの一例である。そんな外国人の中には、長年日本で暮らしているにも関わらず日本語を全く話せない人や、日本での暮らしのルールに適応できないといった問題を抱えている人たちもいる。このような外国人コミュニティは、後から来た外国人をどんどん吸収・拡大し、やがて「日本の中の外国」を生み出す。

 この「日本の中の外国」は、外国人居住者と日本人双方に対して問題を生み出している。外国人に関しては、先ほども述べたように日本語や日本の文化、基本的な生活ルールへの理解を遠ざけてしまい、その地域から孤立してしまう。日本人にとっては、生活ルールを理解しきれていない外国人に対して「マナー違反」と思うようになり、マイナスのイメージがどんどん強くなる。結果的に、そのエリアが近づき難い場所として認識されてしまう。

 これらの問題は、「日本の中の外国」が拡大すればするほど加速する。悪循環なのである。国勢調査によると、コロナ渦による影響があるにも関わらず、外国人居住者が増えていることがわかる。このことから、今後も全国的に外国人居住者が増加し、外国人の孤立化は進むことが想像できる。

 様々な事情を抱えて日本へ来た外国人居住者もいるだろう。そんな彼らが日本から取り残されている現状を見過ごしていいのだろうか。同じまちに暮らす外国人居住者と日本人がもっとお互いのことを知り、同じまちの住人として暮らす未来があってもいいのではないだろうか。

 ゴミの捨て方をジェスチャーで教えることや、お互いの言語を教え合うこと、趣味を共有できる場を作るといった小さなことから、この問題に取り組んでいくべきだろう。

 今ここで小さなアクションを起こすことが、半世紀後の未来を大きく変えるかもしれない。外国人居住者が活き活きと暮らすためにも、地域から取り残されてはならないのである。

・持田明日美    玉川大学3年    ごみ問題の無知の「知」 

私には夢があります。それは、ごみ問題を解決することです。

私がごみ問題に興味を持ったきっかけは、年末の大掃除。高校の時に使った青チャートを捨てた時です。私の青チャートは全然使っていなかったのでピカピカでした。いつもは母がごみ集積所に持って行っていたので、私はその時初めて自分のいらなくなったものをゴミ集積所に行って捨てました。私はいつもいらなくなった服や本など全て、ごみ袋に入れて終わりでした。「ママが捨てろっていうから仕方なく捨てた」と親のせいにすることが出来ました。しかし、大学1年になった自分は、仕方ないから捨てると胸を張って言えるほど無知ではありませんでした。子ども食堂や学童などに寄付できることを知っていたし、メルカリなどのフリマアプリだって利用していました。「捨てる」以外の道を知っていたのです。

しかし、私は、捨てることを自分で選びました。理由はめんどうくさかったからです。手間がかかるからです。ごみ集積所に置いた青チャートは立派に輝いていて「まだ使えるよ!」と訴えてくるようで、その場を離れるのが心苦しかった。あの日、親の手ではなく自分の手で捨てたこと、他の選択肢を知りつつ、捨てることを選んだことで「物をごみとして捨てる」ということに罪悪感を強く感じました。その強い罪悪感や怒りから私はごみ問題について関心を持ちました。ごみ拾いボランティアに参加したり、授業や部活でごみ問題について学んだり、伝える機会もありました。

ごみ問題について学んでいる私は、ごみ問題について知らない人に対して「取り残している」という感覚になります。ビーチクリーンに参加した時、砂浜にある大きな草をビニール袋に入れ満足げに休憩している人が沢山いました。しかし、草は自然のものだから燃やしたら余計に二酸化炭素を排出するだけだし、肝心のマイクロプラスチックは全然拾えていませんでした。その人たちはごみ問題について知らないから私とは危機感も見えているものも違うのだなと思いました。

人間は生きていくために物を消費しごみを出していて、これはすべての人に共通することだから、ごみ問題はすべての人に責任があります。なのに、日本ではごみ問題を意識している人は「意識高い系」であったり、「時間やお金に余裕のある人」になっているような気がするのです。「自分とは違うよね。」ってそこで一線を引く。「自分には出来ないよ。」って言い訳をする。「ごみ拾いの人が拾ってくれるから」ってポイ捨てしたり、ポイ捨てを見逃す。みんなが当事者なのに、無知を言い訳に当事者になろうとしない。胸を張って「仕方がないよね」と言う。「社会が悪いよね。」と。私たちがごみ問題を知って、意識すれば、企業だって社会だって変えることが出来るのに!知るだけで行動も、言動も、姿勢も、物の見方も、価値の感じ方も変わるのに。素敵な持続可能な社会に出来るのに!自分たちの住んでいる環境だから、結局は自分に返ってくる。そして、ごみ問題について「無知」である人はどんどん取り残されていってしまう。

私は、ごみ問題について関心がない人に伝えたいです。ごみ問題は、「映えない」からって遠ざけないで、自分は無力だってあきらめないで欲しいと。知ることが大事だということを。知れば魅力的だということを。SNSでごみ問題について発信している人は活力に溢れてキラキラしてて素敵だし、お寿司が好きな人には海洋プラスチック問題を知って欲しいし、動物が好きな人には動物がごみを食べてしまう問題について知って欲しいし、ファッションが好きならファストファッションの問題、食べ物が好きならフードロスについてとか、自分の関わりやすいところからでもいいので知って欲しいです。知らなかった事実の連続で、びっくりするし、新しい知識は知れば知るほどわくわくします。

「無知」は取り残されてしまうけど、「無知の知」を大切にしていれば、自分が知らないことに一歩踏み出すことが出来る。だから、私も、無知の知を大事にしてこれからも「ごみ問題」について学んでいきたいと思います。

・五十嵐蒼司    玉川大学 2年  私たちができる小さなこと       

『誰ひとり取り残さない』の『誰』に該当する人は一体どのような人なのだろう。発展途上国に住む人々?先進国に生きる人々?はたまた、未来を担う新しい命?私は、どれも不正解で、正解なのではないかと考える。私の思う『誰』は、地球上に生きる人々と、これから誕生する命全てである。では、『何から』取り残さないのを目標にするのだろうか。おそらくその答えは、貧困や飢餓、汚染をはじめ成長の止まってしまった、人々が生きる意味を見出せない世界のことなのだろう。現在、日本をはじめ先進国の文明は大きな発展を遂げ、私たちが習う歴史の教科書の内容に比べればかなり過ごしやすい環境になったのではないだろうか。スイッチを押せば手元が明るくなり、時間に待っていれば巨大な鉄の塊が私たちを迎えに来るのだ。インターネットは今やポケットの中である。しかし、地球上すべての人々が同じような発展を遂げ、全員がスマートフォンを使えるほど裕福で1日3食満足に食べられているわけではないことを忘れてはならない。今回は「フェアトレード」というワードに焦点を当て、私の母校である麗澤高等学校のSDGs部が取り組んでいる企画を紹介する。活動の一つとして、東ティモールで生産されたコーヒー豆を公正な価格で買い取り、加工して売っているそうだ。現在発展途上国の一部である東ティモールでは、コーヒー豆の生産で生計を立てている人が多い。しかし、生産されている豆のほとんどは、公正な価格では取引がされていないのだ。そこで、その現状を打開するために、麗澤高校SDGs部が地元の焙煎店である「自家焙煎珈琲 茶珈香」にオファーし焙煎してもらい、文化祭や柏市の催しで販売するという仕組みだ。オンラインショップでの販売もしているそうだ。このように、意外と身近でSDGsに貢献している人たちはいるのだ。もちろん、私たちにもできることはたくさんある。UNIQLOで衣服をリサイクルしたり、スターバックスで進んでマグカップやグラスを使用するだけでもいいのだ。一人の力では未来には何も影響しないかもしれない。しかし、例えば10000人がマグカップを利用したらどうだろう。単純計算で10000万組の紙カップとプラスチックの蓋のごみが減るのだ。私たち一人一人にできることは、このように小さなことを日々意識して積み重ねていくことに他ならないと私は考えている。そうすることで次の世代にも積み重ねの精神が染みつき、SDGsのゴールが見えてくるのではないだろうか。

・小佐野翠      玉川大学2年    障がい者差別の解決に向けて     

私には脳性麻痺にかかっている兄がいる。兄は身体を思うように動かせず、車いすを使用している。また、言葉も思うように発せられず、健常者のように自由に話すことができない。そんな兄とともに家族として生活してきて起きた出来事を例に挙げ、障がい者差別に対する解決策を考えたい。

私はよく兄と一緒に散歩をしたり、買い物をしたりしていた。そのため、兄が周りから受ける視線なども感じ取れた。あまり兄のような人を見ることがないのかすれ違う人はよく兄を見てくるのだ。嫌なものを見る視線というよりは、珍しいものを見るような好奇の目線であった。幼い子供が私たちに向けて指をさし、母親に「あれは何?」と聞いているのも見た。あの時は私も小学生だったため、とてもショックだったのを覚えている。しかし、今になって考えてみると、あの時の幼い子供は障がい者について何も知らず、ただ純粋な好奇心だったのだろうと思った。また、すれ違う人も障がい者のことをよく知らないのだろうと感じた。私はこの解決策として、小学校や中学校の授業で、障がい者について学び理解を深める必要があると考える。また、授業といっても、たまに開かれる講師を呼んだ特別授業のようなものではなく、教科書に沿って行うような通常通りの授業で取り上げるべきだ。なぜなら、通常の授業で行うことで、単純になんの偏見もなく障がい者についての知識を蓄えられると考えたからだ。

また、私たちは以前、兄が障がい者であるという理由から同じマンションに住む住人に悪質なイタズラを受けたことがある。イタズラをした人は別の階に住む、話したこともない人だった。当時はどうしてそんなことをするのか理解することができなかったが、おそらく障がい者に対する偏見があったのだろうと推測する。このような人は、自分が障害を持ったらという想像が足りないと考える。健常者であっても、事故にあって車いすの生活になる、目が見えなくなるなど自身が障がい者になる可能性がある。それは、明日かもしれないし、数年後かもしれない。もしかしたら、障がい者になることはないかもしれない。しかし、自分が障がい者になったら、偏見を持たれる側になったらということを心の片隅に置きながら生活する必要があると思う。

現在も障がい者差別は存在しているが、みんなが障がい者に対して正しい理解をして、偏見がなくなれば、一人一人の価値観や考え方も変わっていく。そうすることで、何年もかかるだろうが、差別は次第になくなっていくと考える。

・井上雅        北海道医療大学1年      マイナスをゼロに       

マイナスをゼロにしたい。この言葉に出会ったのは高校3年生の時だ。きっかけは、LGBTを含む性的少数者の方々と交流したことである。当時の私はLGBTという言葉は聞いたことはあるが、正直自分には関係ないことで別世界だと考えていた。しかし、彼らの言葉に耳を傾けていくうちにその思考は大きく変化していった。

 数年前と比べ、現代社会では性的少数者やLGBTという言葉が深く浸透してきたのではないか。だが、彼らに対して配慮が足りないことは大きな問題である。そのひとつとして同性婚を認めていないことだ。全国各地にパートナーシップ制度は存在するものの、未だ法律化されていないことが現状である。世界に目を向けると2001年にオランダで同性婚が認められたことをきっかけに、ヨーロッパなどで同性婚を認める動きが拡大していった。また、2019年にはアジアで初めて台湾が同性婚を認め、主要7か国で同性婚を認めていないのは日本だけとなった。日本では、同性婚に対する訴訟が各地で行われている。2021年3月、札幌地裁は初めて同性婚を認めないのは違憲だと判決を下した。実際に、当事者の方々と話す機会があり、札幌地裁の判決は本当に大きな一歩であったと言葉を詰まらせながら話す姿は今でも忘れることができない。

 彼らと話をする中で、日常生活での苦悩や差別は想像をはるかに超えるものであった。住む町が、男女格差を無くそうと掲げたのにも関わらず学校の体育の授業や出席番号で男女が分けられていることが起こっていた。私たちにとっては当たり前の光景かもしれないが、彼らにとってはそれが当たり前ではない。今がマイナスの状態であって、男女格差がないことはプラスの状態ではなく、ゼロの状態である。それがノーマルである。この言葉は性的マイノリティに限らず、多くの場面で適応するものであると考える。例えば、障害者概念に対しても同じことが言える。大学の講義で障害者について学ぶ機会があった。講義を聞く中で、なぜ日本は障害児を支援学級に分離して教育を行うのだろうかと疑問に思った。障害があっても得意なことを伸ばし社会で働く人も多くいるこの時代に、子供の頃から障害に触れないのは多様性を認める機会を奪っているのではないか。障害のある者と障害のない者が、安心して同じ場で一緒に教育を受けるべきではないか。それが多様性を認め合うことであると私は考える。

 差別や区別は何を基準とするのか。本人が差別だと思えば差別であり区別だと思うのならば区別である。しかし、知らずうちに差別を行ってしまい他の誰かを傷つけてしまう前に彼らのような苦悩や思いを私たち自身が知るべきだ。私たちにはSNSなどを通して発信する力がある。誰も取り残さないために、すべての人がその人らしく生きていくために、若者である私たちが発信し未来へと伝えていくべきである。

・礒本智咲子    玉川大学2年    「誰ひとり取り残さない」       

「誰ひとり取り残さない」この言葉はSDGsの基本理念です。私はこの言葉にいくつかの疑問を持った。そもそも何から取り残さないのか、SDGsに「誰ひとり取り残さない」という基本理念は実現可能なのか、この2つの疑問が私の中にある。この2つの疑問について、考えていく。

 まず、そもそも何から取り残さないのかという疑問から考えていく。取り残されている、残されていないという基準がなければ問題を解決することや自分が取り残されているという自覚を持つことができない。しかし、その基準とはどこにあるのだろう。私はまず、自分のことについて考えてみた。私は、今までの学校生活や習い事からもしかしたら私は取り残されているのかもしれないと思った。私は、人付き合いというものが苦手だ。特に習い事に通っていた時は、周りは自分と住む場所も違う習い事をやっていなければ出会うことはなかったと思う人たちがたくさんいた。さらに、私はその子たちよりも習い事を始めるタイミングが遅かったということもあり、上手く溶け込むことができなかった。私は、習い事に行くことが嫌で仕方なかった。私は、この時同じ習い事に通うメンバーという集団から取り残されていたのだと思う。しかし、これはSDGsの活動で解決することができるのだろうか。周りの人とうまくなじめない、これはどの世界でも共通する問題なのではないかと思っている。このような問題はSDGsの活動で解決可能なのだろうか。私は、可能だと考える。その問題を抱えている本人に、解決しようとする意志があるのなら、その手助けはできる。例えば、同学年の子と話すことが苦手な子には、年が離れている人たちと交流することを勧めてみる。自分自身の努力次第で解決できる問題でも、努力の方法を教えたり、努力するための場所を整えたりとできることはあるのだと考える。私は、「取り残さない」範囲は世界的な大問題も個人で抱えている小さな問題も「取り残さない」範囲に含まれていると考える。

 次に、「誰ひとり取り残さない」という基本理念は実現可能なのかという疑問について考えていく。具体的に「誰ひとり取り残さない」という基本理念がかなった世界とはどういうものなのだろうか。私が想像した世界は、世界中の人たちに十分な食料が行き届き、満足な教育と医療を受けられ、自然と共存して生活しているという世界だ。しかし、この世界は本当に誰も取り残されていないのだろうか。例えば、いじめを受けていたり、シングルマザーやシングルファザーの家庭で、お金が足りなくやりたいことができなかったりと世界的に見れば、幸せと言える世界でも個人で抱えている問題があるかもしれない。このような個人の問題も解決して、「誰ひとり取り残さない」という世界を実現することができるのだろうか。私は実現することが難しいのではないかと考える。個人で抱えている問題は千差万別だ。それをすべて解決するのは、かなり難しい。中には、本人の努力次第で解決できる問題もある。しかし、「誰ひとり取り残さない」世界に近づくことはできる。目の前に並んでいる問題を一つずつ少しずつ解決していくことが重要なのだと考える。それは個人で抱えている問題も世界的な問題でも同じだ。時間はかかるが、それを積み重ねていけば「誰ひとり取り残さない」世界に近づくと考える。

 私は「誰ひとり取り残さない」という言葉から感じた疑問をこのように考えた。

・天野咲        大学2年生      女性として生きるということ     

SDGsの基本理念である「誰ひとり残さない」に関して、一番に思いつくことが、男女差別である。私は19年間女性として生きてきて、女性に生まれて良かったと思うことがあまりない。その代わり、女性として生きていて生きづらさを感じることが多くある。

 私は小学生の時、ショッピングモールで痴漢被害に遭った経験がある。当時小学生の私には「痴漢だ」とすぐに理解することができず、何も行動せずに終わってしまったが、非常に気分が悪くなり、恐怖を感じたことを覚えている。中学生になると、体型に変化が現れた。それは、周り子たちよりも目立っていたようで、同級生の男の子からとても卑猥な性的発言をされたことがある。その同級生の発言は、私を酷く傷つけ、今でも時々思い出し私を傷つける。私と同じような経験をした女性も多くいるのではないだろうか。

 また、私は将来についても不安に思うことがある。例えば、男女の賃金の差である。大学の授業で、多くの企業では初任給に男女の賃金の差が無くても、年齢が上がると共に男性は賃金が上がる幅が大きいことに対し女性は、あまり変わらないことが現状であることを知った。なぜなのか?原因は、男性は仕事女性は家事・育児といった性別分業があるからだ。女性はいずれ育児で仕事を辞めるから、出世できる人はほんの一部であるというのだ。つまり、社会は女性に期待していないということなのだ。これは、ジェンダーに基づく偏見であり、とても深刻な男女差別である。なぜ女が家事・育児をすることが当たり前であると考える男性が多いのか。こうした性別分業の考えは、男性が家庭の責任を免除される代わりに長時間仕事をさせられるという社会の基盤に原因があるという。このように、性的差別やジェンダーに基づく不平等は、今の日本には数多く存在すると思う。

 男女差別はどうしたら無くなるのか。授業では、男性が普通の人間であり、女性は普通ではない人間という序列があるため、このような恐怖や抑圧を男性はあまり感じていないということも学んだ。そして先ほども述べた通り、昇進できる女性は少なく、上の立場にいる人の多くが男性である。するとどうしても、日本を動かす立場にいる人々の男女不平等に対する問題意識は低いままになってしまう。もっと多くの人にこの問題を意識させるにはどうしたら良いのか。

 私は、過去も現在もそして将来も女性として生まれてきたことで悩みがある。そこで、今回のSDGsの目標5である「ジェンダー」によって、どうか女性に生まれた人が、今感じている抑圧や生きづらさを感じずに、「女に生まれて良かった。」と思えるような誰ひとり取り残されない世界になってほしいと強く思う。そして、私自身もせっかく女として生まれたのだから、ネガティブになるのではなく一度きりの女の人生を楽しまなくては、と思う。

・安孫子勇之介  玉川大学 3年  それほどでもない喪失   

中学生の頃、とあるドキュメンタリー番組を見た。その内容は今でもよく覚えている。社会問題を取り扱ったその番組は、ある子どもたちの生活を伝えるものだった。その子どもたちとはいわゆる「ヤングケアラー」と呼ばれる層のこと。過度な家族の世話を日常的に行っているのがヤングケアラーである。では、なぜそのドキュメンタリー番組が印象に残ったのか?それは私も軽度のヤングケアラーだからである。

 私の両親は決して裕福ではなく、共働きで私を私立の学校に通わせてくれていた。なにより、私の同年代家庭と比べると両親は若くなかった。まず父と母の間に10歳の年齢差があり、父と私の間には45、母と私の間には35の年齢差がある。体力の問題もあり、私が中学生になる頃には、私が家事を担当しなければ生活は難しくなっていた。

 そんな時に見たのが件のドキュメンタリー番組である。番組に出てきた子どもの一人は十代で、丁度自分と同じくらいだった。詳細は失念したが、片親だというその子は毎日のほとんどをバイトに費やさなければ生きていけないのだということだった。家は軽いゴミ屋敷と化しており、暮らすので精一杯というのが伝わってきた。その子はバイトや家事でほとんど眠れておらず、学校で眠ってしまうだけでなく行けない日も少なくないのだという。

 私はこの番組を見た時、衝撃を受けると共に恐怖を覚えた。決して他人事ではないと感じたからだ。当時、父は体を壊しておりいつ仕事を辞めてもおかしくない状況だった上に、母は無理のある勤務時間の結果精神をひどく疲弊させていた。家のことは自分がやるという自覚があったからこそ、そんな私にとってヤングケアラーの実態は恐怖以外の何物でもなかった。いつか自分もこうなるのではないか?そのいつかとは決して遠い未来ではないのではないか?そんな恐怖が私を襲った。

 結局、私は番組の子どもたちほど苦しい状態にはならなかった。バイトに追われることもなかったし、学業に支障がでることもなかった。今でも実家で両親と暮らしている。では私はこの家庭事情で何も失わなかったのだろうか?答えはNOと言わざるを得ない。確かに目に見えるほどの負担は少なかっただろう。しかし、多くの機会を失ったと思っている。例えば放課後に友達と遊ぶ時間。例えば何にも追われない自分だけの時間。今や仮定の物語と化してしまったそれらは、しかし確かにありえた可能性だったのだと思うと今でも口惜しい。私はいわゆる青春を誰にも見えない形で削って、今ここに立っているのだ。ヤングケアラーと括られるには軽微で、だが確かにある喪失。この孤独感は誰にも見つからず、ただ置き去りになっていくのだ。そしてこう感じているのは、感じることになるのは私だけでないと思うと、まるで手から取りこぼされる砂の気分である。

・匿名      大学2年    安住の地       

 自分の住んでいる場所は、本当に自分を尊重してくれる場所なのか、考えたことはあるだろうか。私の生まれは田舎で、今は東京で一人暮らをしている。上京した理由は、田舎の生活に嫌気がさしていたからだ。

 自分の住んでいた町は、実家から最寄り駅まで車で30分、小学校の全校生徒は46人、10年後には限界集落になると予想されている。そして、「男は外、女は家」など絵に描いたような田舎ならではの考えが蔓延っていた。小学生のとき、ほとんど面識の無い人から「体育の成績が良くないんだから外に出て遊ばないといけないよ。」と笑いながら言われた。親戚が勝手に私の通信簿を親戚や近所の人に見せていたからだ。中学生のとき、夕食の準備をしていたら祖父に「女は料理が出来ないと結婚出来ないからな」と言われた。授業でジェンダーについて習っていたので、今どき男だって料理はするし別に関係ないと反論したらこっぴどく怒鳴られた。高校生のとき、叔父は「姉なのだから弟の勉強の面倒くらい見ておけ」と私の部屋のドアを蹴りながら言った。こんなことは日常茶飯事だったし、母や友達に愚痴をこぼすことは多々あった。でも、最終的には「うちの地元考えが田舎すぎ」と、なんとなく笑い話で終わらせてしまっていた。自分から事態を改善するために行動しても怒られるだけだ。それなら、不快になっても何も言わない方が良いと考えるのは自然なことだった。

 祖父の言葉の暴力を受けることが多かったのは祖母だが、祖母の口癖は「あのひとは頭がおかしいから、もう何をいっても言うことなんか聞きやしない」だった。怒声が聞こえ、落ち着いたころに居間に行くと、祖母は何もありませんでしたよと言わんばかりに菓子と共に茶を飲みながら言っていた。自分自身に言い聞かせるみたいに。その言葉を聞き続け、私はここで過ごし続けるのは無理だと確信した。

 実際に東京に来てみると、その情報量の多さに戸惑う。地元とは流れている時間が異なるのではと錯覚するほどだ。一人暮らしのため家に相談相手はおらず、寂しくなることもある。それでも、かつての奇妙な仲間意識は存在しないことに確かに救われていた。情報量が多いなら選択肢も多いし、自分の足で日本のどこにだって行ける。適切な順序を踏めば、自分一人でもここまでできるという成功体験を繰り返すうち、いかにかつての自分が思考を止めていたか思い知った。上京しなければ、自分はあの地域に取り残されていたということにきっと気づかないままだった。

 今回「取り残される人」を考えたとき、真っ先に出てくるのは障がい者、LGBTQの人々、ウクライナの国民、もう少し身近な例を挙げるならコロナ禍で拡大する貧困層、いじめを受けている人など分かりやすく「普通」で無いと分類される人だ。今でこそ声を上げている人のおかげで彼らの存在は周知され、慈善活動や法改正など動きが出ている。声を上げることが出来ない人は、自分が不当な扱いをされているという自覚が無いままなのだと思う。上層部からの圧力や、貧困や地域の発展度による情報格差も理由としてあるだろうが、ここでは同調圧力は強い暴力性を孕んでいるということを理由として挙げたい。上京しなかったら、私は見知った土地、見知った顔、見知ったコミュニティの中で変わらない日々を過ごしていただろう。多少の嫌なことや不便なことがあっても、周りの人から異質だと思われることを恐れ、口を噤んでいただろう。でも、自分の置かれた状況に批判的にならなければ非常に過ごしやすい地域だったとも言える。自分のことは周囲の人間がよく理解してくれている。相談にはいくらでも乗ってくれるし、困った時はお互い様の精神で助け合う。地域が一緒というだけで仲間意識は構築される。本来おかしいと声を上げていいはずの事態も、これが「普通」なのだ、異論を唱える方がおかしいのだ、そうまるめ込まれて感覚は麻痺してしまう。そうして麻痺した人同士の会話の中では、どんな異常なことがあってもただの愚痴と化してしまい、問題が表に出てこない。

 だから、私は誰一人取り残さないためには、当事者に自分は取り残されているのだと自覚してもらうことが始まりだと考える。当事者に客観的な情報を手に入れてもらい、自身の「普通」が本当に自分にとって適切なものか考えてもらう。当事者の意見が固まったら、元居た環境以外に安心して過ごせる場所を作ることも大事だ。元の環境に戻らなくても新しい場所で自立して生きていけるということは、自尊心に繋がる。安心して過ごせる環境を自分一人で見つけるのは難しいが、そこにたどり着くまでの道の整備は他者にも出来るはずだ。今いる場所から一歩踏み出せるようなサポートがもっと広がり、誰もが安住の地を見つけられるようになってほしいと強く思う。

・南出有里      玉川大学2年    ハンデを持っている人は悪人か   

「誰ひとり取り残さない」という基本理念について、障害者や貧困、外国人といった人達に焦点を当てていることはよく耳にしたり目にしたりする。実際に、このような多くの人達が困っており助けを求めていることに変わりはない。そのため、その人達が抱えている問題を解決するために、私たちが取り組める行動は積極的に行うべきである。

しかし、自分の身近な人にも取り残されている人はいないかと改めて考えた時、日焼けをしてはいけない体質の同級生が中学生の頃にいたことを思い出した。彼女は自分の症状について私たちにも伝わるよう「日光アレルギー」と分かりやすく説明してくれたが、正しくは「光線過敏症」というものであると最近調べて初めて知った。彼女の口からそのことを聞くまで、私は彼女が患っている病気を知らず気付くこともなかった。このように、一見他の人と何も変わらないため困っていると認識されていることが少ない人はこの世界に多くいる。彼女は日光に当たらないよう夏でも長袖長ズボンを履いており、外で行う体育の授業の際には見学をしてレポートを書いていた。彼女自身は「体育が苦手だからむしろ嬉しい」と明るく話していたが、彼女の様に何かしらの理由があり体育に限らず皆と同じ事が出来ないという人は多くいる。

その為の解決策として、体育の授業や体育祭、球技大会など基本的に屋外で行う行事において屋内での活動を増やすことや、休み時間などの自由時間には一緒に室内でも遊ぶことが可能なトランプやボードゲームをするなど私たちに出来ることをするべきである。他の人が当たり前に出来ることが容易に出来ない事実に対して悲しいと感じている人が1人でも減るよう、その子ができることを探し一緒に取り組む。そのような工夫をすることで、友達に悲しい思いをさせず、その友達である私にとっても一緒に遊ぶということが楽しい思い出となるためお互いにとって良いことである。

また、障害や病気といった何かしらのハンデを持っている人は決して悪人ではない。むしろ、辛さを知っているため周りに優しくできる人だと私は感じているため、彼らが生きづらいと感じる社会ではあってならない上に、生きやすいと感じる社会であるべきだ。そのために、当事者ではない私たちにもできる気遣いや優しさを皆ひとりひとりが積極的に取り組むべきである。このようなことから、その子が「出来ないこと」ではなく「出来ること」を私たちが提案し、一緒に楽しむということが「誰ひとり取り残さない」というSDGsの基本理念を満たすことになると私は考える。

・石松優衣      玉川大学2年    身近な同性愛   

私たちの周りに「LGBT」がいることを意識している人はどれほどいるのだろうか。SDGsの基本理念は「誰ひとり取り残さない」であり、このようなテーマでLGBTの人たちが多く取り上げられているイメージがある。もちろん、同性婚や認められなかったり同性同士で付き合っていたり、本来の性別とは違った格好をしている人は今もなお、社会のグループからはみ出て奇異な目で見られることも多い。しかし、私は奇異な目で見ている人や、LGBTについてどこか他人事のように考えている人も取り残されているのではないか、と考える。

 近年では、テレビ番組や新聞記事などで同性愛について取り上げられていることが増えてきている。同性婚を法律で可能にするために動いている人たちや、海外で同性婚が認められるようになったことなど、様々なLGBTについての出来事が私たちのもとに伝わり、LGBTの認知度は高まり理解もされてきているだろう。しかし、実際に私たちの周りにLGBTの人たちはどれほどいるのだろうか。少なくとも私自身の周りには、同性愛者なのだと公言している友人はおらず、友人の周りにもそのような人たちはいない。実際に、周りにLGBTがいないと本当にLGBTを心の底から認め、「普通」のことだと思うことができるのかどうかは分からないと私は思う。どんなに同性愛者についてテレビで取り上げられていても、所詮は画面越しの遠くの「誰か」の出来事でしかないと感じる人が多いのではないだろうか。もし、同性の友人に「恋愛的な意味で好きだ」と言われた場合、最初に感じることは「男(女)同士なのに?」と考える人が多いはずだ。このような考えは、同性愛について描かれている漫画やドラマの影響も関係しているのではないかと思う。今では、同性愛をテーマとしたドラマなどが増えて人気もあるが、自身と同じ性別の人を好きになってしまった主人公が「同性なのに好きになってしまった」と葛藤する描写も多い。その葛藤が、作品の良さを引き出しLGBTにとって共感できる想いと同時に、やはり最初は自身が抱えている感情がおかしいものなのだと感じることもあるだろう。また、LGBTではない人にとっても、このような場面があると同性愛は特殊なものなのだと思う人もいるかもしれない。葛藤を抱えていることで、視聴者を魅了しているということは私も同じであり、そのような場面はどうしても引き込まれる。しかし、LGBTの偏見が本当に無くなればこのような悩みも抱えず、描写もされずに済むはずだ。また、とあるテレビ番組で、「このカップルが同性婚をする理由は何か」というテーマで放送されているが、そんなのは「愛し合っているから」という異性同士が結婚する理由と同じである。異性でも同性でも、付き合う理由も結婚する理由も変わらない。世間のLGBTを取り入れようとする風潮が逆に、LGBTを拒んでいるということも言えるのではないだろうか。

 もし、ドラマやテレビ番組などで同性愛について取り上げられてものがあり、異性と同性で違いを見出そうとしているのであればそれは間違いで、そこから感じた違和感を気のせいにしないことが私たちができる第一歩ではないかと考える。LGBTが自分とは全く関係なく、遠い「誰か」の出来事、フィクションの出来事だとは思わずに、私たちの身近に普通に存在しているものだと認識を広げたほうがよい。

・福山日和子    関東学院大学1年        時間が経ち、もう一度考えてみて私が感じたこと

私は高校生の時に二度、授業の一環としてSDGsについての発表をした。その時に選んだSDGsのテーマはどちらも16番目の平和と公正。そして、発表内容はそれぞれ人身取引とシリア内戦についてだったが、当時の私は解決するためには“寄付金を募ること”しかないと思っていた。その寄付金を募る方法や現地に届くまでに搾取されないようにする工夫などは練ったものの現実味がなく、とても実現できるものではないと感じていた。

 今年私は大学生になり、栄養学部に所属している。大学生になって約8か月たった今、栄養学部とはいえ講義では看護などの知識も幅広く扱うため疾患も多く学んできた。その中には貧困な地域特有の疾患もあったが、それを学んだところで日本にいる一学生の私には何もできないと感じてしまった。そんな時、講義内でフードバンク活動の話を聞いた。それは生活困窮者や一人暮らしの学生に向けて食料を渡すことを意味していた。この話を受け、私は過去に子ども食堂の調理スタッフとして参加しようとしていたこと、また様々な事情があり家で朝ごはんが食べられない小学生に向けて料理を作っている方々がいることを思い出した。どちらも挑戦したいと思いつつも家の近くにはなく、時間帯も合わないことから断念してしまっていた。ここで参加できないのは調理をする側の私だけではなく子ども達も同じで、私と同じく家から遠くて通えない子ども達も多くいると考えた。

 私は将来保育園管理栄養士になって特に食育に力を入れたいと思っている。食育にこだわる理由は自分が好き嫌いの多い子どもだったことなど他にもあるが、過去にSDGsについて発表し自分が何もできない悔しさを学んだからこそ今度は自分でもできることを、管理栄養士という立場を利用して実践したいと感じていることが大きかった。食育をする中で園児達と料理をする機会を設けたり、行事ごとにその行事にあった給食を提供したりするなど食べることが楽しみになるような工夫をしたいと考えているが、講義を受けてさらに保護者の方にも食育を一緒に受けてもらう必要性があると感じた。それは、私が幼い頃の記憶はずっと残り続けるものだと実際に感じているから。家族の手料理も例外ではなく記憶に残り続けるものであるからこそ保護者にも一緒に食育を受けてもらい、どんなに忙しくても、少しでもいいから子どもと過ごす時間を大切にしてほしいと思っている。

 私がもし栄養学生ではなく食育に興味を持っていなかったら、また過去に行ったSDGsの発表で自分の考えについて現実味がないことを実感していなかったら、このように深く考えることはなかったと思う。そのため、私は将来管理栄養士になったときにはこの立場を利用することでできる「誰ひとり取り残さない」を実現したい。

・野村結        吹田市立高野台中学校3年 取り残されていけないのは人間だけじゃない
『より良い世界をつくる』

そういった願いを込め、実現するために作られた17の目標、それがSDGs だ。

私の通う中学校でもSDGs の調べ学習やプレゼンなどの授業が増え、地域・街全体でも、レジ袋の有料化、ストローが紙製になったりと、SDGsの取り組みを取り入れるお店、企業が凄く増えた。

そのおかげか、多くの人がSDGs についての理解を深め、社会全体に広まり浸透しつつあると思う。まだまだSDGs を実現するには困難なことや、大変なことはあるとは思うがこのまま根強く続けていけば、この目標を実現させることも夢では無いと思う。

しかし、SDGs を仮に達成しても、それは本当の意味での達成になるのだろうか。SDGs 本来の願いである「より良い世界をつくりたい」そう思っているのは人間だけなのだろうか。私たちが忘れていけないのは、地球を運営しているのは人間だけではないということ。この地球には人間の数よりも多い何千もの種類の生き物が生存している。その生き物たちも、私たち人間と同様、「世界をよりよくしていきたい」と思っているはずだ。

しかし近年、絶滅危惧種に指定される生き物が異様に増えている。それは、この地球が生き物たちにとって住みにくいからだろう。また、犬の殺処分問題なども後をたたない。他にも、家畜問題などと、生き物界は常に危機と隣合わせの状態だ。そのほとんどの原因を私たち人間がつくってしまっている。私たちの勝手で生き物たちの生きる権限を奪い、自由を奪ってもいいのだろうか。そんな状況の地球は、生き物たちにとって「より良い世界」なのだろうか。

そんな一方で、保護犬・猫活動や、食べるお肉の量を減らしている人、動物に配慮した製品などが増えたりと自然界を安心できる場所に、生き物たちを守る活動などが盛んになってきつつある。

私も、お母さんの仕事柄大豆ミートを使った食べ物を食べる機会や、生き物に優しいことの象徴である認証マークがついている製品を使う機会がよくある。私は以前「自然・生き物に優しい」と書かれているとどこかで品質が劣っているのだろうという固定概念から、「あまり使いたくない」と思っていたので、同じようことを思う人の気持ちもよく分かる。しかし、実際に使用してみると、自然や生き物に配慮していてもしてないくても何ら変わりない。例えば、シャンプー・リンスであれば髪の毛は普通にサラサラになるし香りもよい、メイク道具であればメイクノリも悪くない。食品でも、動物性のものと植物性のものは大した変わりはなく、どちらも美味しい。このように、動物性のものを、植物性に置き換えてもあまり変化がないのであれば、私は植物性のものを選択したい。また、そのような選択をする人が1人でも2人でも少しずつ増えていって欲しいと思う。そして、生き物たちにとっても地球が安心できる場所になって欲しい。

なので私は地球に生存している全ての生き物で、SDGs を人間、生き物関係なく誰一人・匹・羽・頭を取り残さずに達成したい!

・小倉優希      玉川大学2年    「自分が取り残された瞬間を自分が受け止める」   

「自分が取り残された瞬間を自分が受け止める」

 今日も自分の周りにいる、隣の席のマスク上の笑った目元が印象的な男の子、女の子、インスタグラムで見た可愛いあの子、電車の中で眠っているおじいさん皆取り残された経験、また取り残されている現状を抱えながら生きているのだと思う。

私はこの、「誰ひとり取り残さない」という文字を見て、「誰一人取り残さない社会」とは「自分を受けとめてあげることが、相手と支え合う社会を作る」のではないかと考える。理由は、一番身近である自身の取り残された経験があったからだ。

 大学2年生になり、将来どんなキャリアを積みたいのか何をしたいのか雲のようなグレー色をした2年先、あと少しで親元から離れ自立して生きていかなければならないという焦り、漠然と分からない今を作ってしまった自分。最近の私は色々な事が重なり、自分だけが周りや社会から取り残された気持ちになっていた。冷静になって振り返れば、他人の生き方と自分の生き方を比較しては落ち込み、自分軸を見失い取り残された気持ちになっていたのだと思う。一番の味方である自分を自分で取り残してしまっていたのだと思う。私は、人が他人に優しくなれるのは余裕から生まれるものであり、自分を見失い悲観的状況になれば自分のことで精一杯になり、取り残されている人を支えることはできないと考える。このような状況になっているのは私だけではないはずだ。皆何かを抱えて生きている。

 近年、ソーシャルネットワーキングサービスと呼ばれるS N Sの発展や、メディア、携帯の普及率の向上により、他人の幸せと自分の幸せを比べて落ち込み、自分自身を取り残してしまう人が増えていると感じる。実際に、S N Sの利用頻度が高ければ高いほど自己肯定感が低く、孤独感を抱え、インターネット依存が強い人では、自尊心が低く、抑うつになりやすいという研究結果も出ている。S N Sをきっかけに容姿に自信が無くなったというデータもある。現代を生きている人は、S N Sは良い面しか載っけないと理解していても、普通に生きていて視界に入ってしまい心のどこかで他人と比べ落ちこんでしまう。私は、そんな瞬間も自分は自分と思い受け止めることで気持ちを軽くできると思う。

「取り残されない人」「取り残される人」の社会の分断をなくす社会にすることが大切だが、じゃあ今日から皆で協力して世の中の社会の分断を無くすということは、難しい。まずは、一人ひとりが、自分が日常生活で取り残されていないか振り返り自分の取り残された経験を思い出し自分軸を確立することで、他人の痛みも理解したい、取り残された人の気持ちや取り残さないようにしようという行動に繋がり「誰一人取り残さない社会」を作ることが出来ると強く思う。(1133文字)

・山西千仁 Grade10(高校一年)Jumeira Baccalaureate School        「取り残されている存在」

ほとんどの日本人が描いているドバイ(アラブ首長国連邦)のイメージというのは、「金持ちの国」や「石油の国」ではないだろうか。もちろん、そのイメージというのは大方当てはまっている。しかし、そのどちらかというと明るいイメージを表とするならば、ドバイにはあまり知られていない裏の顔というものも存在する。

 私は2年前にドバイに引っ越してきた。そこには、日本では考えられないぐらい、高層ビル群や、豪華なオブジェクトなどがたくさんあった。しかし、来た当時では考えもしなかったが、だんだんと時間が経つにつれ、一つの疑問が頭に浮かんできた。それは、「そんなたくさんの高層ビル群や、豪華なオブジェクトを誰が作ったのだろうか」、というものだ。もちろん、計画をして、お金を出資しているのは先進国から来た外国人やドバイに住んでいるお金持ちだ。だが、建物を建設しているのは彼ら/彼女らではない。

  少しずつ時間が経つにつれ、その疑問の答えの全貌が見えるようになってきた。その答えというのは、主にインドやパキスタンから来た人たちがワーカーとして建物を建設しているということだ。しかし、彼らは私たち日本人が想像する以上に、ドバイでは「取り残されている存在」になっているということも、時間が経つと同時に分かってきた。私は実際に何度も彼らに対する差別というものを目にしてきた。例えば、何かイベントがあり、もし混雑していると入場制限をして、彼らを入れないようにするというものだ。私たち日本人や欧米人は入れるというのにだ。さらに、ドバイでは昨年万博博覧会が開催された。そこでも、彼らが各パビリオンを建設していた。しかし、彼らは働きにあった妥当な給料は貰えないという事例も多々あり、又、30%以上の人が差別やいじめを受けたと報告している(*参照)。このように、彼らはドバイでは「取り残されている存在」になってしまっているのだ。

 多くの日本人が想像するドバイは「豪華な国」なのかもしれない。しかし、それを作る上でたくさんのワーカーが身を粉にして働いていることを決して忘れてはいけない。SDGsの

11番目、「住み続けられるまちづくりを」というのを実現するために、SDGsの1番目、「貧困をなくそう」、やSDGsの10番目、「人や国の不平等をなくそう」というものの実現を後回しにしているのが、ドバイの現状である。SDGsというものは、17のゴール全てを完遂することにこそ、次世代に希望を与えるという意味があると、私は思っている。

 それでは、この現状を打破するために私たちに何ができるのだろうか。ドバイはまだ主に2つのゴールが実現されていない。その主な理由が、このワーカーに対する差別だ。それを打破する初めの一歩として、起きているということを知ることが大切なのではないだろうか。私が日本にいた時には、ドバイで差別が起きているなど考えることもしなかった。しかし、実際に来てみると、差別が起きていることがわかった。事実を見て、知って、初めて理解したのだ。多くの人が事実を知ることができたら、それについて多様な意見が述べられることは間違いないと、私は思っている。多種多様な人が事実を知ることにより、初めてそれについて様々な形で議論されることになると思う。それは時に友達の間で、時に家族の間で、時に政府関係者の間で多方向な意見が交わされ、最終的には何か解決策を導き出せるのではないだろうか。

 「取り残されている存在」はドバイだけでなく、世界のあらゆる所に、そして日本にも存在している。彼ら/彼女らの多くが、取り残されているということを皆に知られていないことも多々ある。「誰一人取り残さない世界」というものを作るには、まず現状を把握し、「取り残されている存在」に気づくことが大切なのかもしれない。

*https://thewire.in/world/dubai-export-2020-migrant-workers-discrimiantion-forced-labour 

・上田万葉      UWC ISAK Japan 一年     食べたいピザを食べられる世界   

「このピザのソーセージはなんのお肉を使っていますか?」

「あー、そうですね…。すみません、確認してきます。」

このやりとりを何度繰り返したことだろう。シンガポール人とインド人の友達とピザ食べ放題のレストランに行ったときの出来事だ。店員さんがスライスしたさまざまなピザをランダムに席に運んできてくれるのだが、見た目とピザの名前だけでは、原材料がわからない。そのため、毎度店員さんに質問するのだが、店員さんもわからず、毎回キッチンに聞きに戻るということを繰り返していた。

「なぜ、原材料について、いちいち会話をしなければならないのか?」

このような疑問を抱く方もいらっしゃるかもしれない。理由は、彼らの宗教にある。シンガポール人の友達は、仏教を信仰しており、牛肉を食べない。また、インド人の友達はハラルで、肉は鶏肉しか食べない。無宗教の割合が多い日本では、あまり馴染みのない食習慣かもしれないが、世界には約20億人のイスラム教徒、約12億人の牛肉を主に食べないヒンドゥー教徒がいる。世界では食事制限のある宗教の信仰は当たり前のことであり、他にも多くの宗教で、さまざまな食事制限がある。

さて、ここでもう一度さっきの質問に戻ってみたいと思う。「なぜ、原材料について、いちいち会話をしなければならないのか?」その答えは、彼らの宗教による食事制限のせいなのか?このような不自然なやりとりは私たちの努力で、なくすことはできないのだろうか?

今度レストランに行った時に、メニューを注意深く見てほしい。どの種類のお肉を使っているのか。肉のエキスが含まれているかどうか。これらがどれだけ詳しく書いてあるかチェックしていただきたいと思う。「ビーフカレー」や「ポークソテー」など、ある程度料理の名前から肉の種類を判断できるものもあるが、ソーセージやスープのだしなどは、写真や名前からでは推測するのが難しい。シンガポール人の友達は、合い挽き肉のソーセージは食べられないが、ポークソーセージなら食べることができる。しかし、メニューにどちらのお肉かが書かれていないと注文することに抵抗を覚えてしまう。また、インド人のハラルの友達は、唯一食べられる鶏肉でも、イスラム教で決められた方法で屠殺されたものでなければ食べることはできない。そのような特殊な鶏肉には「ハラルマーク」という認証がつけられるのだが、日本ではまだ浸透しておらず、スーパーで見かけることも少ない。そのため、彼女は自分で肉を買って、肉料理を作って食べることはできない。また、日本語が読めないので、即席麺にどんな肉・肉のエキスが含まれているかがわからず、安易に買うこともできないのだ。そして、禁止されている食材に触れた、あるいは触れた調理器具で作られた食べ物も食べられない。だから、ミートピザを置いた皿にのせられたチーズピザは、彼女は食べることができなかった。

「食べる」とはヒトの生命維持に欠かせない行為であり、私たちの生活とは切っても切り離せない関係にある。それだけでなく、食事は人と人とをつなぐコミュニケーションのために、重要な役割を果たしている。この食事の大切さは、地球に生きているすべての人に当てはまり、関係ない人はいないだろう。すべての人にとって大切な「食」という面から、誰もが楽しめるインクルーシブを達成してこそ、誰一人取り残さない社会をつくるための一歩を踏み出すことができると思う。これは宗教による食事制限だけにとどまらない。世の中には、アレルギー、病気、ベジタリアンやヴィーガンといった個人の食のスタイルなど、さまざま理由により、特定の食材や普通の調理法では食べられないことがある。みんなが食空間を楽しめるフードバリアフリーの社会をつくるため、食事制限に対する正しい知識を得て、原材料に関する情報を提供し、料理にもさまざまな選択肢を用意することが欠かせない。「聞かなければならない」「食べられるものがない」という違和感や不自由さを感じることなく、当たり前のように、自分が食べたいピザを食べられる世の中になってほしいと思う。

 

・山本夢逢  岡山県立倉敷青陵高等学校3年      

知らないうちに枯れる心〜体験談から語るうつ病とこれからの教育〜       

私は高校受験で成功した。してしまった。勉強だけをする公立高校に。そのせいで私は情熱を失い、大切な時間をただ浪費することになってしまった。

師曰わく、「君はバーンアウト症候群だよ。」

最初聞いた時私は意味が分からなかった。まずそれを調べてみた。バーンアウト症候群、通称燃え尽き症候群。『それまでモチベーションを高く保っていた人が、突然やる気を失ってしまう症状。努力に見合った結果が出なかった場合や、逆に大きな目標を達成したことで打ち込めるものがなくなり、何もやる気が起きなくなってしまう。医学的には、うつ病の一種とされている。』(引用元:かせ心クリニック)どうやら私は情熱を失っていた。自分では分からなかった。ただ高校の勉強についていけないだけだと思っていた。しかし私の師匠は断定した。そこからどん底の私を引き上げてくれた。彼は私の担任の知り合いで、優れた映像作家である。私は放送部に所属していたので大会に向けてその力を借りながら全力で取り組んだ。もう少し取り組むのが遅ければ、何も張り合うことがないまま高校時代を過ごしていたかもしれない。そんなギリギリのところで師匠に連れられて大会のために作品を作り上げ、全国大会出場へと繋がった。

部活に本気で取り組むまでの私の虚無感はどう頑張っても表現できない。何をやっても「なんか違う」感じ。私に与えられた勉強するという選択肢以外で、何かできないものかと考えても答えは出ない。親や社会に決められたレールの上をただひたすらに歩かされている感じ。無気力で孤独。

令和元年に文部科学省が発表した「高等学校教育の現状について」によると、日本の高校生と、米国・中国・韓国で比較したところ、「自分には人並みに力がある」と言う問いに、日本の高校生は55.7%と最も低く、中国は90.5%と自分に自信を持っていた。逆に「自分はダメな人間だと思うことがある」と言う問いでは、72.5%と日本人が一番高かった。これは日本の高校生が今の教育で自信や積極性を失っていると推測できる。そして決定的だったのが、「私の参加により、変えてほしい社会現象が少し変えられるかもしれない。」と言う問いに対し、米中韓が60%を超えて肯定しているのに対し、日本は30.1%にとどまり、18.5%もの人が全くそうではないと回答した。私たちは知らぬ間に情熱を失っていたのだ。

SDGsに新たに追加された「誰一人取り残さない」という原則に私はひどく共感した。私は勉強ばかりしている友人や学校に取り残された。もちろん私の努力が足りなかったのかもしれない。しかし、それ以前に大学受験を終えた大学生でも問題になっているこの症候群。そこで私はどのような人がこれになるのかを調査するために地元の大手学習塾3社にアンケート調査をしてもらった。高校一年から三年までの普通科に通う生徒240人に自分の学力や学校への満足度、この症状に当てはまるかなどのアンケートに答えてもらった。結果は学校への満足度が高い人の方がこの症状が現れにくいことがわかった。学校への満足度が低い人の多くは校内での学力が低かったり、学業以外で大きな成績を残している人が多いとわかった。ある大学の研究によると、一般入試で受験した学生はそれ以外の入試方式で合格した生徒に比べて大学での成績があまり振るわないことがわかっている。これは典型的なこの症候群の現れで、多くの教授が頭を悩ませている。

情熱がない。これは日本の課題だる。戦前、富国強兵を歌い画一的な教育を行った結果、学生たちがこのようになったと思う。もちろん基礎学力は必要だし学歴や学力がいらないとは思わない。しかし、本当に大切なことは勉強することへの執着や情熱ではないだろうか。そのような強い気持ちがあることで勉強へ身が入るのではないか。大学入試で言うのであれば、スポーツ推薦やAO入試など、それぞれがやってきたことを評価し、やりたいことができる大学へ行くべきだと思う。私の友達を見ていると、共通テストで行く大学を先生に決められ、大してやりたくない学問を学びに行っている人を見る。このような環境からこの症候群となり、うつ病に繋がる。私は学生はもっと自由に学び、己の探究心に従うことで学力や能力を伸ばすことができると考える。学歴社会から取り残された私が思うに、自分のやりたいことに忠実に従うことが大事だ。実際私は高校時代に校内模試で脅威の偏差値23を記録した。逆にどうやったらそこまで低い数字を取れるのかと思うかもしれないが、この症候群の現れである。反対に部活動では素晴らしい成績を残し、そのおかげで総合型選抜を使い、難関大学2校に合格できた。友達からはこう言われる。「自分の好きなことを突き進んでて情熱に溢れているね。」「自由で縛られていない感じが羨ましい。同じ学校なのに全く違う生き方をしていて凄い。」彼らもこの学歴社会に取り残された学校に嫌悪感を抱いている。この学校はどうなのか。日本を担う生徒を育てると言われている進学校がこれでいいのだろうか。

学歴社会に取り残された公立高校は今後どうなべきなのか。それをしっかりと考え、伝えていきたい。

・丸山千尋      玉川大学2年    コロナウイルスの流行によって取り残されたと感じたこと   

私はコロナウイルスの流行によって取り残されたと感じたことがあります。コロナウイルスが流行り始めたのは、私が高校2年生の2月頃でした。私は当時、運動部に所属していました。感染防止対策のため、行動が規制され、学校は休校になり、もちろん部活動もできませんでした。そして、行動規制が緩和されたのは高校3年生になった頃でした。少しずつ学校に行けるようになり、部活動もできるようになっていきました。しかし、たくさんの人が集まってしまう大会は私が所属していた部活動に限らず、中止になりました。また、高校3年生には大学受験が待っているため、早めに部活動を引退します。受験勉強をしていた私は引退試合をできることなく、部活動を引退することになりました。そんな中で、ある朝の情報番組をつけたところ、ある部活にフォーカスを当てたプロジェクトのコーナーを放送しているのを目にしました。そのプロジェクトとはダンス部にフォーカスを当てたもので、有名な振付師がテーマの曲に合わせて振りを付けたものを見本に全国の学校のダンス部がそれぞれ踊った動画を番組で集め、絆を作るといったものでした。私はそれを目にしたとき、悲しくなりました。どうしてダンス部にだけフォーカスを当てるのだろう、そしてなぜそれをメディアで放送するのだろうと。ダンス部に限らず、大会がなくなって悔しい思いをした部活動は山ほどあります。今まで頑張ってきた練習してきた集大成を見せることができなかった人はたくさんいます。それなのに、ダンス部にだけそのような機会が設けられ、わざわざメディアで取り上げたことによって、私は、悔しい思いと共に取り残されたように感じました。このプロジェクトをやることよって救われる人がたくさんいると考えて、企画され、放送された思うが、その部外者については企画の時点で考えられたのか、プロジェクトの対象を1つの部活動の人間に限っていたが、そもそも対象をコロナウイルスによって青春を失ったすべての学生などに広げ、やることもダンスに限らず、学生時代に頑張ったことそれぞれにしてはダメだったのかといったことが疑問に思います。誰ひとり取り残さないためには視野を広げ、みんなが関わることができるようにテーマを狭くするのではなく、広めにテーマを組み、それぞれができる範囲でテーマに関われるようなことを提案する必要があると思います。取り残されていない側の余裕のある人が取り残されてしまう可能性がある人のことまで見て手を差し伸べてあげられる社会になればいいなと思います。

・森本ゆい 中学2年生  取り残されたっていいじゃない   

私の学年の仲間に、自分の感情をコントロール出来ず人や物に八つ当たりしてしまったり、静かにしないといけないと思う人が多い場面で声を出してしまったり、みんなが座っているなかむやみに動いてしまう人がいる。(その人をAさんと呼ぶことにする。)Aさんには付き添いの先生がついている。みんなとは別の教室で授業を受けていることが多い。

この秋に合唱コンクールがあった。各クラスが舞台に上がって合唱を披露し、順位を競うものである。私のクラスでは合唱コンクール本番日の何週間も前から、クラス一丸となって協力して歌の練習をしていた。本番の日、Aさんのクラスの順番になってAさんのクラスみんなが舞台に上がっていこうとした時にAさんは舞台にあがることを嫌がって、立ち止まってしまった。クラスのみんなも周りの先生も「一緒に歌おうよ。」と説得していたが、結局Aさんだけが舞台に上がることなく歌わぬままそのクラスの合唱は終ってしまった。その時に私は、Aさんは取り残されているな、なんだかかわいそうだと思ってしまった。

 でも、合唱コンクールの後の様子を見ているとクラスのみんなが暖かく声をかけていた。普段の生活を見ていても、周りの子たちはAさんとすれ違うときに手を振ったり、声をかけたり、暖かく接していた。Aさんはうれしそうだった。私は考えが変わった。

 『取り残されたっていいじゃない』と。ただし、それは周りの人たちが無視をしたり、いじわるをするのではなく、暖かく見守り、優しく接しているときに限られる。最も大切なことはAさん自身が一番居心地の良い環境にいることだと思う。取り残された環境も居心地の良い環境となれば取り残されたことにはならないはずだ。

 私だって人と話が合わなかったり、笑いのツボが変だったりする。だから私はみんなと話をしているところから一歩引いたところにいることが多い。楽しくないところにいたくもないし、いちいち話を合わせるのがめんどうくさいと思う。私はみんなと一緒がいいと思うことはないし、私のことを分かってくれる友達もいるから大丈夫だ。

 私は人それぞれが一番居心地の良い場所にいることが大切だと思うから、取り残されたっていいと思う。私はそれを取り残されているとか、かわいそうだとか思わなくていいと思う。ただし周りの人たちが暖かく接し、困っているときには手を差し伸べる必要がある。私も周りの人たちに暖かく接し、困っているときには手を差し伸べるようにしたい。みんながそうしていくことで、それぞれの居心地の良い環境にいることが出来るようになり、自分らしさを大切に出来るようになると思う。また、そういった居心地の良い環境を探したり、作ったりする手伝いをしないといけない。

 世界中のみんなが居心地の良い環境で生活出来ますように。

・山田雪乃      山陽女学園高等部3年    「女性」は強みになる   

私は、なぜ女性は女性だからといって活躍する場所が限られてしまうのだろうと思います。高校に入る以前は、男性が女性より大変で大きな仕事をして、たくさんお金を稼げて、とても頼りになるような存在だから、女性はそれについていくだけでもいいと思っていました。しかし、高校に入ってたくさんの経験をしていく中で、女性はもっと人前に出て活躍できるのではないかと思いました。

 高校から私は女子校に通っています。周りが全員女子ばかりで、女子同士のトラブルがあったらどうしようとか、のびのび学校生活を送れるのだろうかなど考えていましたが、実際は違いました。女子しかいないからこそ共学では体験できないことや経験できないことをのびのびとできました。また、高校で行う行事、クラブ活動は生徒主体で行ってきました。メンバーの一員、リーダーとして動く中で、協力をしあうことの大切さ、思考力、行動力を身に付けることもでき、大人に頼りすぎなくても、男子がいなくてもこんなにたくさんのことができるのだと思いました。

 私はある先生の言葉がずっと心で引っかかっています。「女性は、結婚した時、出産の時に仕事を辞めたり、長い期間休暇を取ったりする。会社の中でも、高い地位に就くのは男性ばかり。産休みたいに長い期間休むこともなかなか理解してもらえない。そして、給料の差も出てくる。」世の中では当たり前のことのように扱われていることだとも思いましたが、理不尽だとも思いました。高校でいろいろなことを知ることができたからこそ、男性が知らないところで女性は仕事をしているし、男性以上に活躍できる女性はたくさんいると思います。

 国会議員や会社のトップに立つ人、グループの代表人なる人は男性が大半です。たまたま能力があったり、顔が広かったりと有利な立場にいるのが男性だったから男性ばかりがトップにいるのかもしれません。もしくは、女性が遠慮をして前に出ようとしないからかもしれません。でも、もっと女性に目を向けるべきだと思います。女性に限らず、すべての人に目を向けてもらえるような社会ができてほしいと思います。限られた人が活躍したとしても、すべての人が幸せになれるのでしょうか。

 例えば、社長であったり課長であったり、高い役職に就けているだけで、満足している人がいます。そういった人たちが世の中を動かそうとしても、いろいろな人が納得してくれるようなことをしてくれないと思います。でも、才能がなくても努力をして、こうしたいああしたいといったように、常に野心を抱いて働いている人が高い地位につけば、会社内も周りからの評価も高くなるのではないでしょうか。

 私は、やりたいことを追い続けている人についていきたいし、私自身も、自信がないことがたくさんあるけど、社会に貢献できるリーダーになりたいです。女性のくせにとか、若いのに偉そうなといった意見のあるような日本であってほしくないです。また、今ジェンダーで苦しむ人もいます。性別にとらわれず、影響力のある人、発信力のある人、行動力のある人など、そんな人たちの活躍できる社会になってほしいと願っています。女子校に通ったからこそ、改めて女性の立場について考えられたし、女性を弱点にせず強みに変えられるような世の中を作りたいと思いました。

・小林紘大      立教大学 3年  最初で最小で最強の武器 

私は今取り残されている。とクリスマスイブの夜、一人でネパールについた私は思った。目的地はあったが、空港から200キロ程離れていたこと、携帯が使えなかったこと、言葉が分からないこと、によりなぜかついてくる野良犬と明るくなるまで彷徨った。

 「取り残されている」という言葉の定義は難しい。しかし、孤独を感じた瞬間に人は取り残されているのではないだろうか。健常者にしろ障害者にしろ、どのような多数派、少数派と呼ばれる人であっても孤独を感じることはある。もしその孤独が、他者の力により解決する可能性があるのに、解決していないのならその人は取り残されている。

 私が冒頭に、思った、と書いたのは今私は取り残されていると思わないからだ。それはたった1言、ハローという言葉から始まった。その1言で私は200キロ離れた地まで辿り着き、今は名前も言葉もわからない人々に囲まれている。携帯は使えないままだが私は今幸せだ。「誰一人取り残さない」というのはもしそこにたった1言、日本語でもいい、ハローという勇気さえあれば実現可能だと私は信じている。だからこそ、是非今一度挨拶の大切さを確認してみないか。

 もちろん、日本人も挨拶をする。学校へいけば、おはよう、やっほー、よう、など様々な挨拶が聞こえてくる。けれども、どれだけの人が挨拶を誰一人取り残さないための武器として使っているだろうか。私が高校生の頃は校門前で朝の挨拶運動というのがあった。その頃の私はというと、今となっては理由を解明することは不可能であるが、おはようを一回しか言っていない先生に対して、おはようは一回だろ!と怒鳴り散らかし教室へと駆け抜けていた。お前が1回にすべきなのだ。私はいつも遅刻していたので駆け抜けたのはあっているのだが。その節は大変申し訳なかったので、ここで出来れば謝りたい。ごめんなさい。あと、夜中に学校に忍び込んで警備会社を呼んだのも自分です。ごめんなさい。小さいことは置いておき、さて、ここでの問題は私が遅刻していないときの光景だ。ロボットのように挨拶する生徒、なんとなくうなずくだけの生徒、ありえないほどの大声で挨拶をし続け近所から苦情が来た生徒、私が間に合ったことに驚いて挨拶を忘れる先生、人それぞれだ。しかし、誰もが挨拶の意味などとうの昔に忘れているか、意識などしたことがないと言う人だろう。そして、私もそこに含まれていた。ただ、ここで1つ確かなことはやはり日本人も挨拶をする。そして、私の経験上だが、人はほぼ全員が挨拶をする。ただし、特別な意味を感じずに。

 挨拶の大切さを知らなくても、挨拶をしているのなら特に問題はないのかもしれない。しかしながら、知らない人に、初めて合う人に、という条件を付けるとどうだろうか。例えば、知らない外国人、知らない転校生、はたまた未確認の生命体でも良いのだが、どれだけの人が彼らに挨拶をするだろうか。未確認の生命体であるならば特にそうだが、わざわざ自分から挨拶をしにいくだろうか。もししないかもしれないと少しでも思ったのなら挨拶が「誰一人取り残さない」ための武器となり得ることを知った上でしてみてほしい。そして、する勇気を持ってみてほしい。もし彼らがあなたのコミュニティに一歩でも足を踏み入れたり、入りたそう外から眺めていたり、お互いに理解したいと1ミリでも思うのなら、まず挨拶をしてみてほしい。その瞬間に彼らの孤独は少しでも和らぐ。ともすれば、彼ら、取り残されていた人は、全く知らない土地で名前も言葉も分からない人に囲まれているのにも拘わらず、私は幸せだと言い切る日が来るかもしれない。そして、それはたった1言の挨拶から誰でも始められる。

 クリスマスイブの夜がクリスマスに変わった朝、私はハローと声をかけてくるぼったくりタクシードライバーに助けられた。お金は無事に騙し取られたが、よくある話なので計画通りだ。この瞬間だけは私はお金を騙し取られる外国人という多数派に属していたことだろう。ある意味、そこには安堵があった。やっと着いたのだなー。と。

 私の孤独は他者の力により解消された。そしてそこに必要なのはハローという言葉と騙し取られるお金のみであった。あとは夜をともに過ごしてくれる野良犬くらいか。挨拶は「誰一人取り残さない」ための最初で最小で最強の武器となり得る。SDGsを実現させる過程で、是非この武器を使ってみないか。相手の挨拶なんか待たなくていいし、待つべきではない。先手必勝だ。ただ、1言、ハロー、と言ってみないか。取り残されていた当事者が言うのだ、間違いない。

・松本亜依      九州大学1年    「違い」を知ると正解が平和に…?! 

「人と違う」とは、どのようなことなのだろうか。そもそも私たちは誰一人として同じ存在ではなく、それぞれ顔も性格も考え方も違う。しかし社会で生きていく中で、私たちはある一定の枠組みの中におさめられる。それはときに性別であったり、国籍であったり、思想であったりする。これは生きていく中で多少は必要なことなのかもしれないが、そのことにより生きづらさを感じる人々も多くいるのが現実だ。こうした枠組みで人々を”区別“する際に主な基準となってくるのは、それがマジョリティであるか否かということであろう。多数派の者たちを一括りにしたときに、その括りに属さない人々はマイノリティとして実質的に疎外されてしまう。多数派であるものの方が世間の「あたりまえ」とみなされ、それを指標にして社会が構築されているのである。

 こうしたマイノリティの人々に対しての取り組みというものは少しずつ行われてきている。例として、現在ほとんどの人がLGBTQについて聞いたことがあるだろう。こうした性についての認識も一昔前まではほとんど浸透しておらず、差別的な発言がメディアで当たり前のように流れていたこともあったという。では、現在少しずつ性の多様性についての認識が広まってきたとはいえ、それは十分であるといえるのだろうか。日本ではまだ同性愛者での婚姻が認められておらず、できることも一般的な男女のカップルに比べて制限されている。また、性に関する価値観というものも人それぞれで、広く知られていないだけでLGBTQ以外にも多様な性を持っている人がいる。そうした人がいたときに、その人が生きやすいと感じられる世の中になっているだろうか。また、自分が気づいていなうちにそうした人々を傷つけてしまってはいないだろうか。やはり一般論としての多数派の枠組みは多くの人々の中での共通認識となっており、自分でも無意識のうちにその認識に沿った発言になってしまっていることも少なくないだろうと思う。そうした時に、マイノリティの立場の人々は自分はほかの人とは違うということを再認識させられ、取り残されていると感じてしまうのではないだろうか。

 「知らない」ということは悪いことではない。私たちは何も知らないゼロの地点からスタートし、そこから成長していく環境の中でさまざまなことを学び、身につけてきたのである。そのため、知る機会が無ければなにも知らないままであるし、逆に言えば機会があればより多くの知見を広げることができるのである。世間に広まっている情報がすべてであるわけではない。むしろ自分が知らないことの方が多い世の中だ。また、考え方などはいくらでも違いが生まれるものであり、その多様性というものは限界を知らない。そのため、まずは知らなければなにも始まらない。

 そして大切なのは、知ったうえでどのように行動するかということだ。現在の状況として、やはりこれまでの固定観念や社会のあたりまえに縛られている人が多いように感じる。同調圧力という言葉があるように自分が少数派でいることに堪えられず、多数派でいることに安心感を覚える人もいるだろう。さらには、少数派を自分とは違う者とみなすことで自身の心の安寧をはかる人もいることだろうと思う。しかし、最初にも述べたようにそもそも私たちはそれぞれ違う存在であり同じである人など存在しない。そのため、おおまかな括りに分けられるとは言ってもそれはあくまでも“おおまかな”ものであって、社会のルールと同じように秩序を守るためのひとつの手段として用いられているだけなのである。

 個人的な意見としては、自分と違うものや考えに出会ったときにそのことについて完全に理解する必要はないと思っている。もちろん理解を示すにまで至ることができるならそれに越したことはないだろうが、それはかなり難しいことであるしすべてに理解を示すには自身の経験や知識が足りないこともあると思うからだ。そのため、わかることができずとも知っていることができればいいのではないだろうか。例えば自分の前にたくさんの人がいたとして、彼らが誰も自分の存在に気付かず先に行ってしまわれたら寂しいと感じるだろう。しかし、誰かがこちらを振り返って自分の存在に気づいてくれたなら、気持ちはとても軽くなる。そこから自分の状況についてわかってもらい導いてくれるとしたら非常に嬉しいことだが、たとえそれが無かったとしてもただこちらを振り返って見てくれている、その存在を知ってくれているというだけで救われる思いになるのではないか。

 振り返ってくれる人が始めは少なくても、周りの人がそれに気づいて一緒に振り返ってくれるかもしれない。そうすれば自ずと社会の変化も訪れるだろう。誰ひとり取り残されない社会をつくるために、こうしたつながりを少しずつでも進め、「知る」ことを広めていくことがとても大切なのではないかと考える。

・岡田烈 淑徳与野高校2年      すべての人に平等な医療を       

80歳を超えたおばあちゃんが一人暮らしをしていたとします。近くに大きな病院はありません。車で少し行ったところに小さな病院があります。しかし、おばあちゃんは車を運転することができません。しばらくして、おばあちゃんは孤独死してしまいました。

    もしおばあちゃんが東京に住んでいたら、この孤独死は防ぐことができたでしょうか。東京に住んでいれば、在宅介護サービスや見守りサービスを受けることができていたかもしれません。ならば東京に住めばいいのに、と思う人もいるでしょう。しかし、おばあちゃんがそれまで暮らしてきたその場所にはおばあちゃんの人生があります。ご主人との思い出があったかもしれません。そのような場所を離れなければ受けることのできない医療は平等な医療と言えるのでしょうか。平等な医療は、日本のどこに住んでいても皆同じように受けられるものであるべきです。

   実際、孤独死をする人は年々増え続けています。65歳以上の高齢者による孤独死数は2018年に3867人となっており、2003年からの15年間でおよそ2.6倍に増えています。この増加の原因は、僻地での医師不足と高齢化だと考えます。可住地面積100㎢当たりの医療施設従事医師数は、東京都で2928.5人、北海道で56.0人で、これは日本の厳しい地域医療の現状を表しています。

   これらのことを改善するために私は次の案を提案します。まず国や都道府県が、規模は小さくてもできるだけ多くの病院や診療所、またオンラインでの診療や薬の処方などをすることのできる施設を各地に設置します。そして、病院や診療所にはプライマリケア医や看護師、薬剤師を、オンラインの相談施設には薬剤師や職員を配属させます。病院や診療所の電子カルテは大きな病院と連携させることで、プライマリケア医が専門医とも患者の情報を共有できるので、専門医がいなくとも適切な医療を届けることができます。また、もともと地方にあった病院とも電子カルテを連携します。そして、車椅子やストレッチャーのまま乗ることができる介護タクシーなどの普及も進めて、足が悪い患者さんも診療を受けられるようにします。以上が私の提案です。

    私はプライマリケア医になって「誰ひとり残さず」日本国民全員が平等な医療を受けられる国へと日本が進んでゆく、その一歩一歩に貢献したいです。

・庄林夏希      同志社国際高等学校 3年 見えない壁     

社会には壁があると私は考えます。しかしその壁は決して、見えるわけではなく、ひたすら静かに存在しているものなのです。人は自分と違う部分を持った人との間に線を引き、見えない壁を築くのです。その壁を築く理由は、自分とは違う人と分かり合えないと決めつけているからなのか、その人たちのことを可哀想に思うからなのか、戸惑いを隠せないからなのか、はっきりとは分かりませんが、確かに存在しているのです。

  私がこのような考えに至ったきっかけはSilentというドラマを観て、耳の聞こえない人と聞こえる人との間に壁を感じたからです。耳が聞こえる、聞こえないといったことはそれほど関係ないはずであるのに、どこかで線引きしてしまっている自分がいるのに気付かされたのです。聞こえる耳を持っていても話を聞かない人もいれば、話せるのに伝えようとしない人もいるし、相手が外国人だと話せなくなってしまったり、相手が障害者だとわかるとフリーズして戸惑い、焦る人も多くいるのです。

  しかしながら本来、コミュニケーションというものはとてもシンプルなはずで、目と目を合わせるだけで、眼差しだけで何かを伝えられたり、指先や表情の変化だけでその人の考えていることだって分かってしまうのです。ただ「伝えたいという気持ち」と「伝えたい相手」さえあれば、聞こえる聞こえないに捉われることなく、私たちはいろんな方法で想いを紡ぎ合うことができるのではないでしょうか。

  これらのことは目の見えない視覚障がい者の方にも同じことが言えると思います。そもそも目が見える人だって正確にものを見ているわけではないし、みんながみんな同じものを見ているわけでもありません。結局はその人が見たいものしか見ていなかったり、意識してなかったりするのです。 目が見えるけど視野が狭く、一つの考え方に縛られている人もいれば、目が見えなくても世界全体を見渡せる人だっているのです。   

  現在、社会は日常生活を難なく送れる健常者を中心に回っていると感じます。そして障がいを持つ人たちは日常や学校生活、趣味や進学、そしてコミュニケーションなど、あらゆる場面において壁があるように感じてしまったり、コミュニケーションがとれないのは「障がいのせい」だとして、健常者と同じように自立した生活ができるような努力を求められ、多数派の健常者に合わせなければならないという世の中の風潮があります。「コミュニケーション方法がちがうから」「あなたは障がいを持っているから普通と違う」などと言ってそれらの人を社会から取り残し、生きにくさを感じるきっかけとなる壁を、社会や環境が築いてしまっているのです。

  もちろん、障がいを持つ人がそれをどう捉えて生きているのか、などを全て理解するというのは、健常者である私たちには不可能だと思います。しかしそんな私たちでも、日常生活のあらゆる場面、電車で、駅で、学校で、コンビニで、「こんなとき聞こえない人がいたらどうするのだろうか、目の見えない人がいたらどうするのだろうか」などと思いを馳せ、想像し、自分の生活と重ね合わせ、自分にできることは何だろうかと考えることで、他人事だったことを自分ごとにして、少しずつ壁のない、誰ひとり社会から取り残されることのない世界を築くことができるのではないだろうかと思います。

・池田康大      兵庫県立大学・環境人間学部・環境人間学科3年・学生団体Jyoto’s代表

「取り残された子どもたち」に出会って 

 あなたは、「取り残された子どもたち」と聞いてどのような人々を思い浮かべるだろうか。私たちは、そのような子どもたちを見逃してはいないだろうか。

 私は大学2年次からグローカルな問題に関心を持ち、外国にルーツを持つ子どもたちの学習補習教室で週1回、宿題やテスト勉強などを手伝うボランティアをしている。教室には幼稚園から高校生までの子どもが通っており、彼らのルーツはベトナム、フィリピン、中国、ネパールなど様々である。教室の中には、日本に来てまだ日が浅く、日本語能力が低いために公立中学校に行くことができない子どもや日本語での会話に自信がなく学校にうまく溶け込めない子ども、国籍を理由にいじめにあった経験のある子どもなどがいた。私は彼らと関わる中で、日本社会にうまく適応することができない子どもが多くいることを知り、この問題が進学率や就職率の低さにもつながっていると考えた。

 その一方で、私は彼らの素直さ・可愛さに魅了されてきた。教室に行くと顔見知りの生徒が「よっ」と手を挙げ、こちらに寄ってくる。「先生聞いて!」と1週間の学校での出来事を話し、「宿題が終わったら折り紙してもいい?」と屈託のない笑顔で話しかけてくる。こうした経験を通して、私は子どもたちが取り残されないための活動をしたいと強く思うようになった。

 その実践として、私は学習補習教室でボランティア活動を行う学生団体を立ち上げ、イベントの企画等の活動を始めた。その中で今年最も大きな計画は、「Let’s go 県大!」と称した大学見学のイベントであった。多くの子どもたちは、大学が地域にあることを知らないうえ、大学がどんな場所か想像ができない。そこで、私たちは、子どもたちがクイズに答えながら大学構内を回ったり、大教室に座って講義を受けたりする体験を考えた。また、教授の研究室等を見学した後、学内の食堂で「学食」を体験してもらうプログラムを組んだ。このイベントには、外国をルーツとする小学生から高校生までの17名が参加し、大学構内をワイワイと練り歩いた。

 たった4時間の試みであったが、子どものたちの中には、このイベントに参加して大学を身近に感じ、「大学に行きたい!」との思いを持った子どもがいて大成功に終わった。一方で、大学という場所について知るにとどまった子どももいた。しかし、それでよいのだと私は考える。私は、彼らに学力の高い高校・大学への進学や有名企業への就職を望んでいるわけではない。ルーツである国や考え方の違う彼らに私たちができること、するべきことは彼らの「将来の選択肢を広げること」であると私は思う。

 また、このイベントは一人の子どもの気持ちや状況を大きく変えるきっかけともなった。

参加者の中に、母親の再婚に伴って東南アジアのある国から来日後、学校に全くなじめずに孤立した女の子がいた。家族関係もうまくいかず、補習教室にも通わず、絶望感に打ちひしがれ、消えてなくなりたいという気持ちでいたようだ。その子どもが帰宅後、「私も大学に行きたい!」、「行ってよかった。自分で歩いてでも毎週学習補習教室に通いたい!」と母親に語ったのである。実は彼女の自宅から補習教室まで7キロもある。それにもかかわらず、教室に母親の送迎で通うようになった。その子どもは、イベントに参加し、「自分と同じような境遇の子どもがたくさんいる、自分は一人ではない」、「日本に自分を温かく受け入れてくれる場所があるのだ」という安心感を得て、大きな希望を持ったのである。    

 私は後日そのことを知り、目の前の子どもたちの背景を十分に想像できていなかったことを思い知らされた。自分は周りの人や社会から受け入れられているという安心感を得ることが、彼らにとっての希望に繋がるのであろう。確かにこれまでの活動を振り返ると、彼らが学習よりも私と話をしたい、一緒に遊びたいと訴えるのは、安心感や信頼感を得たいからかもしれない。様々な問題を抱える子どもたちは補習教室に居場所を求め、私たちボランティアをその入口として、安心感や将来に対する希望を少しずつ醸成しているのではないではないだろうか。そして、その安心感や希望は彼らの抱える生きづらさを少しずつほどき、彼らの生きやすさへと繋がる。

 この「生きづらさをほどいていく過程」こそが、SDGsの前文に記されている「誰一人取り残さない」社会を目指すことにつながるのだと私は思う。人々が抱えている「生きづらさ」は様々で、その生きづらさがほどけていくきっかけやタイミングも人それぞれである。それぞれが抱える課題をSDGsの17の課題のどれかにあてはめて考えるのではなく、まずはその人の抱える課題の背景を知ろうとすること、そして彼らの生きやすさのために共に努力することが重要である。私自身、子どもたちの安心できる場所を作る取り組みを続け、誰一人取り残さない社会作りに貢献したい。

・貝岐・好香    羽衣国際大学1年 全ての学生が自分に合った教育を選ぶ自由 

現代、「学校の在り方」が問われている。2021年度における小中学生の不登校数は24万4940人。誰がどう見たって放置してはいけない数字だ。単純に考えれば24万人以上の学生が、学校というシステムのせいで、義務であるはずの「教育」から切り離されてしまっている。彼らが抱える事情はそれぞれだ。だからこそ、すべての学生が自分に合った方法で教育を受けられるよう、小中高と全ての世代での「公立で全日制以外の選択肢」充足と町全体でのサポートに努めなければならないと考える。

 私は週1回登校の公立通信制高校出身である。中学では人間関係のトラブルから体調を崩すようになり、満足に学校に通うことができなかった。具合が悪ければ学校のルールですぐに帰され、家では見ても分からない教科書とのにらめっこ。私は勉強がしたいだけなのに、それすら許されていないのかと本当に毎日が苦しかった。中学3年生で進路に悩んでいた時、親の話から公立通信制高校の存在を知った。私立の通信制高校に比べて費用が安く、スクーリングなども家の近くで行うことができる。学習は家での自習がメインだが、中学で身に付けられなかった知識も重点的にカバーしてくれる。自分が自分のために勉強できる環境であると感じ、入学を決意した。

 入学後は自分なりに充実している日々を送ることができた。初めは自分の体調と相談しながらゆっくりと学習を進め、慣れれば社会と関わるためにアルバイトやコミュニケーションの場に行くようにもなった。周りの学生も中学に通えなかった人や高校進学後に通えなくなった人が多かったが、それぞれが自分のペースで取り組み、支えあえる環境であったと思う。私が今大学に通えているのは、絶対に「通信制課程」があったからだと感じている。

いじめやヤングケアラーの増加、病気、障がい、金銭的事情など、現代の若者が抱える問題は山のようにある。そんな中で高校だけでなく、小中学校にも定時制や通信制といった選択肢があれば、多くの若者が教育から切り離されずに済むのではないだろうか。

 ただ、私の通信制高校生活の中で感じたことが一つある。それは、「全日制に通うことが正義で、それ以外は悪」と考える人が社会にはまだまだいるということだ。

 中学生だったある日、私が通信制高校に進学すると何気なく同級生に言った。すると彼女は血相を変え、

「通信制なんて甘え。なまけるな。」

と言った。私にとって、それは衝撃的な言葉だった。彼女が通信制の何を甘えで怠けだと感じたのかは分からないが、まるで悪人のように扱われたことに驚き、傷ついた。進学後にも、通信制高校についてよく知らない街の人から、非行少年のように扱われたり、なまけていると言われたりすることもあった。彼らは皆、私たちを普通でないから、よく知らないからと「悪いもの」として扱う。だが、その考えこそ、頑張って一歩を踏み出したいと考える人の障壁になってはいないだろうか。

 もし社会がこの認識のままで定時制や通信制などの選択肢を増やしたとしても、それが安全で良い選択肢になるとは思わない。まずは社会の認識を改めることが、実質的な選択肢としての確立方法だと考える。そのための一例として、地域の広報誌に所属する学生のコラムを掲載したり、その学校がまちと関われるような行事を組んだりすることが挙げられるだろう。町としてもこれらの取り組みは、不登校児童を減らすという課題への良いアプローチ方法にもなり得るだろう。

 SDGsの目標4にも関係する「教育」。日本ではあまり重大視されていないように感じるが、実際にはまだまだ取り残されている人が多い。学生時代の教育は、今後の人生に大きく関わる重要な問題だ。誰一人として取り残してはならない。では果たして、誰もが取り残されない社会を作ることはそんなに難しいことだろうか。ただ国や地域が変わるのを待つだけでは、いつまで経っても進んでいかない。「私たち一人一人が誰かを想い、行動すること」。これが社会を良くする必要最低条件であると私は考える。

・大野夏凜      関西大学大学院1年生  Snatch of tea   

私には夢がある。カフェを経営することだ。

カフェの名前はもう決めてある。Snatch of tea、””お茶をちょこっと””という名前にしたい。私の大好きな映画””Snatch””より着想を得た。

穏やかな空間になればいいと思う。香り高いコーヒーと紅茶、美味しい焼き菓子を少し置いていて、主にシングルマザーの人や苦学生、お金に困っている学生たちを雇いたいと思っている。そういった人たちが、本業や学業とは別に、お金をしっかり稼げたらと思っている。日本は言わずもがな最低賃金が低いので、欧米諸国の平均までとはすぐに適わないかもしれないが、きちんとした金額をお支払いしたい。あるいはそもそも日本の労働制度が間違っていて、金銭面に困っている人達のアルバイト、副業というシステム自体が良くないのかもしれないが。

ゆくゆくは隣にスタジオを建設して、ヨガやダンスを教えたり、また託児所のようなものを設置してシングルマザーの人達が安心して子供たちを預けられる場所を提供したい。

昼間は映画を流したい。私は映画が大好きなので、私の選んだ映画をかけながら落ち着く空間を提供したい。

それが平日のお昼間なのか土日も含むのか、時間帯等は決定していないが、””ディオゲネスタイム””というものを設けたい。無論シャーロック・ホームズからの発想である。

ディオゲネスタイムでは、会話は禁止されていてパソコン作業や自学習のために利用してもらいたい。日本には様々な理由で学校や塾に行くのが難しい子達がいる。あるいは家で勉強することが困難な子供たちがいる。要因として、貧困、虐待、精神的トラウマ、虐めが挙げられる。そういった子供たちが静かで安全な場所で読書や勉強出来る場所を提供したい。

夜は一変して、イギリスのパブのようなバーにしてもいいかと考えている。オシャレなカクテルと簡単な食事を提供。値段は少し高めに設定する。昼間にディオゲネスタイムを設けたいと言った。その時間に来る子供たちの負担を極力抑えるために、子ども食堂のようなことが出来ればと思っている。すなわち、夜の稼ぎのうち何%かを昼間または夕方来店する子供たちの支援に回したい。

小学校の頃、父親に殴られるという友達がいた。両親が離婚して、家にいるのが大変だという友達も。どの子も大変良い子で私にとって素晴らしい友達でありクラスメイトだった。

幼い私は、周りの大人たちに相談したが、何の解決にもならなかった。

更に幼い頃、私は近所の川でカメに餌をやるのが楽しみだった。賞味期限の切れてしまったパンなどをあげていたのを覚えている。

ある日、あまりに川が汚いことに気づいた。また自然史博物館の読書コーナーで年間にたくさんの動物たちが人の出すゴミを誤って食べて死ぬことを知った。

母に話し、母の同僚の市役所の人に手紙を出したが川を綺麗にすることは難しいと返ってきた。

私が20いくつになっても尚、その手紙を大切に置いてくれていると母から聞いたが、幼い私がこれら2度の経験で知ったのは、嘆き悲しんでいても状況は変わらないということ。

救いたい人達がたくさんいる。私が悲しいニュースを聞いて嘆き悲しむとは比べ物にならないほど、深い悲しみで笑えない子供たちがこの世にはたくさんいる。

私は全ての人たちが安心してコーヒーを飲めるカフェを経営する。

・小林千夏      飲食店勤務 孤独な星の住人たち 

社会人一年目、ある夏の暑い日に会社を休んだ。家を出れば、太陽によって熱された道路や、微風に揺られる青々とした稲が見える。この夏を全て閉じ込めたような毎日を陽とするならば、太陽の光が届かない少し肌寒いような家の中で過ごす今日は陰になるのだろうか。

鬱陶しい蝉の声は段々と遠ざかり、目の前には昼間にも関わらず、無数の星や蝶がチラチラと暗闇の中に散りばめられていた。それらが存在している理由は、私が家の中で首を吊っているから。孤独に耐え切れず、歩むことの出来ない空気を踏みしめて宙に漂っている。

毎日の激務、完成されたチームの中に異物として浮遊していた私。仕事終わりは必ず泣いて帰っていた。高速道路を45分、車を走らせて日没後の薄暗い海を見に行ったり、自宅とは反対方向にあるスーパーの屋上で何時間も取り戻すことの出来ない時間を過ごした。

一日を重ねる度に涙の跡は消えていく。辛さも寂しさも感じなくなった。社会から取り残され、人の輪から除外され、こんなにも広い世界に、たったひとり、私の影だけが大きくなっていくのを、ただじっと見つめていた。

背中に生えた小さな羽根を大きく動かし、この世界から飛び立とうとした時、走馬灯は見えなかった。遠くが見えず、空と地上の区別もつかないその場所に寝転び目を閉じた。気がつけば、人工的に作られた灯りと白い天井が見える。ここは天国ではないとすぐに認識できる光景が広がっていた。遠くからは家族の泣き声と、医師の声が聞こえて、その時に私がしてしまったことの大きさを知った。毎日誰にも見つからない所で声を押し殺し、ひとりで泣いていた私は、その時初めて声を出して泣いた。精一杯の「助けてください」。

消え去ったはずの感情は、その姿を現し、とめどなく涙と一緒に溢れ、孤独が敷き詰められた心は光を求めて声をあげた。

大人になるということは、感情の抑止や暗闇を飼い慣らすことだと思っていた。そんな固定観念を変え、頑張らない自分を肯定するために、その日から自分との闘いが始まる。

当時の私には、たったひとつだけ自由に息を出来る世界があった。それは本の世界だった。私がいるこの場所も、環境も、人間関係も何も知らないのに、離れた場所に生きる孤独を知る人は、私を何度も救い、抱きしめてくれた。

私は自分のことを、「いつまでも救われない女の子」だと思っていた。涙は弱さの証明で、頑張ることは何にも負けない正義だと思っていた。

その認識をいとも簡単に覆した世界は、嘘偽ることなく私の中に確実に存在している。

私が言葉を綴るのには、理由がある。それは、私のように孤独な星に生きる、名も知らぬ誰かの居場所になりたいからだ。誰にも認めてもらえないなら、私が認めてあげたい。そのままで良いと伝えたい。当たり前に幸せになって、当たり前に生きてていいのだと確かめ合いたい。どうしようもない感情を私が言語化し、これを読む誰かに寄り添いたい。涙は弱さの証明ではない。孤独や弱さを知っている人は強い。隣の芝生は青く見えるだろうけど、隣に引けを取らないほどたくさんの花を植えよう。色んな花を咲かせて、辿り着いた場所で共に生きよう。誰も置いていかないし、誰もひとりぼっちになんかさせない。たったひとりで生きていこうなんて思わなくていい。後ろを振り返ってもいい。

後ろを向いて歩いても、前を向いて歩いても、それは同等価値の前進なのだと思う。

気が向いたら一緒に生きてみよう。私は、私の知らぬところで泣いている誰かと、同じ世界に生き、心臓を動かし、規則正しい呼吸をする生き物。私自身も、あなたも、誰ひとり取り残さない世界への第一歩を、今共に踏み出したい。

・平尾嵩志      名古屋大学6年  SDGsで取り残されるもの

誰1人取り残さない。この理念は日本の医療制度と親和性の高いものだと感じる。私が実習で見せていただいた医療の現場では、生活保護者や不法滞在者など様々な問題を抱える方も高度な医療サービスを享受できた事例があった。もちろん全ての方々が享受できるわけではないという批判はあるのだろうが、医療従事者の多くはこの理想の旗を掲げ、誇りに感じている方が多いように見えた。仕事のモチベーションとしても、掲げる旗は綺麗であればあるほど良いだろう。

 しかしその理念を支える現場からは、医療存続の危機を感じるという声も少なくなかった。少子高齢化で労働力が減少し国としても経済規模が縮小する反面、社会保障費が増大する傾向は避けられないだろう。未来がどうなるかは不明であるが、国全体で余裕がなくなっていく中で”誰1人取り残さない”ために税率の上昇などで確保した財源で、医療に限らず多種多様な支援を拡大する方向への力が働くのではないかと考えている。

 さて、SDGsの理念に適う支援事業が順調に広がるかと考えると、非常に険しい道のりになるのではないかと懸念している。現在でも見られることだが、一方ではSDGsという概念を通して発見される様々な弱者およびその支援者の振る舞いが正しいものとされ、他方ではそれを不当とする批判が盛り上がり、争いが過熱していくような現象が今後も増加し、その余波によって効果的に支援を行うことが難しくなってしまうのではないかと考えている。

 先日ドイツでは国家転覆が画策されていたとのニュースがあったが、彼ら含め難民反対を主張する勢力が欧州各地で勢力を伸ばしている背景には、7年前のケルンの大晦日やその後も散見される暴力事件への不満や不安が積もっているのではないだろうか(事件を難民と結びつける理由はないと主張したケルン市長は以前に難民反対派に襲撃されており、難民受け入れの賛成・反対ともに政治的動機が推測される襲撃事件が発生している)。

 そして、ドイツに限らず”弱者”とラベルされる者が関与した事件について、公的機関が及び腰になる事例は報告されており、”差別主義者”としてラベルされることを恐れていたとも言われている。このような風潮は、”弱者”であることを特権として利用していると感じる者たちの反感を招き、大多数の無関係の”弱者”の立場をより厳しいものにしてきた。

 また、自分の社会への貢献が見えづらい現代では、他者へ資する支援事業は一層有意義で高潔な行いに映るだろう。SNSの発達により支援事業が発信され身近に感じられるようになったことも相まって、私たちは”支援者”を応援することで自分自身を重ね、応援している者への賛美は自分のことのように喜び、攻撃は自分が否定されたかのように感じ傷つくきらいがある。元来、弱者が特権的地位を得ていると感じる者にとってはその”支援者”も格好の標的とされており、ひとたび”支援者”の行いになんらかの違反を認めるような事例が生じれば故意か否かに関わらずその者はバッシングの嵐にさらされる。その時私たちは”支援者”およびそこに重ねる私たち自身の振る舞いを正当化してはいないだろうか。その結果収拾がつかなくなり、その他の支援者や、”弱者”をも巻き込んだ騒動になってしまうことも考えられる。そして民主主義を標榜する私たちは更なる公平性と透明性を求めて支援事業をより複雑なものに改革していくようにも思う。事業の内容もより厳密に管理されることが求められれば、現場でより柔軟に必要な支援を行うことにも障るかもしれない(医療現場においては事故を防ぐためにいくつものチェックを行うことが求められるが、未だに確認の怠りが要因の事故が多いことは興味深い)。

 今ではSDGsは日本で人口に膾炙されているが、それは私たちの社会が抱える複雑な問題を単純化し、美しい理念に適う指針を示す錦の御旗足り得たためのように思う。そして、自身の生きる意味を求め逸る私たちは、時に他者をその特定の属性をもって弱者と分類してきたのではないだろうか。しかし、特定の属性に基づき支援を必要とする憐れむべき弱者としてラベルしてしまうと、その者の正邪を併せ持つ1人の人間としての人格を認めることはできないだろう。また、支援者を絶対的な聖人のようにラベルしてしまうことも、その者に途方もない理想と責任を押し付ける卑怯なことのように思う。私たちの集団が多様なように、私たちの人格も多様な面を持ち、矛盾を抱える存在であることを受け入れられれば、少しは生きやすくなるのではなかろうか。

 最後になるが、Googleでの”SDGs”の検索数を調べると、日本は2位のジンバブエの4倍で世界一SDGsに熱中している国であることが窺える。少し肩の力を抜いて、隣人を愛するところから始められればと思う。せっかちな私たちには分かりにくくて小難しいくらいがちょうど良いのだ。ゴールは同じだと信じている。

・廣瀬はる 学習院女子高等科2年        スマホを手放す時間の豊かさ     

SNSが急速に広まった今、現実社会の中に乳幼児が取り残されているのではないかと感じる。ある日、私はスマホを家に忘れたことがあった。帰りの電車の中は、とても手持ち無沙汰だった。そこで何気なく周りを見渡すと、そこにいたほぼ全員がスマホを覗き込んでいた。ただ一人、ベビーカーに乗った赤ちゃんだけがお母さんの方を見ていた。その赤ちゃんと目が合うと、赤ちゃんは私に可愛らしい笑顔を見せてくれた。私がいつも通りスマホを持っていたら、私もこの赤ちゃんに気づくことなく、SNSの世界で過ごしていただろう。このベビーカーに乗った赤ちゃんには、この世の中はどのように映っているのだろうか。

 私には9つ歳の離れた兄がいる。その兄が、公園で三輪車に乗っているビデオを見た時、その頃の様子が今とは大きく違うことに気がついた。誰一人スマホを持っていないのだ。多くの大人が子供たちを眺め、声をかけ、子供と一緒に公園での時間を楽しんでいた。2010年に10%だったスマホの世帯保有率は2020年には90%近くになっている。私は最近、五感をフルに使って成長する乳幼児の豊かな成長に、他者とのふれあいや関わりが欠かせないことを学んだ。ところが、SNSでのコミュニケーションが日常化し、仮想空間の中で過ごす時間が増えるに従い、赤ちゃんが周囲の大人から受ける関心と愛情が乏しくなっているのではないかと心配になった。

 そこで、禁煙場所があるように、公園にスマホ禁止コーナーを作るのはどうだろうか。その空間には、大人と子供が直に触れ合う豊かな時間が流れるだろう。親子にとって安心できる空間ができるはずだ。これがスマホを手放す時間の豊かさを認識するきっかけになれば、公園の外でもスマホを手放す機会が増えるかもしれない。SNSは確かに便利だ。しかし、小さな子供の前ではスマホを手放す時間を作るよう、私自身心がけていきたいと思う。

・村瀬侑水      創価大学1年    ファーストジェネレーションとして考えること     

大学に入学して間もなく、周りの学生が自分の数倍は優れていると感じました。みなは明確な将来の目標を持っていて、そのために何をすればいいかを考え、実際に行動に移していました。タイムマネジメントも上手く、知り合いも多いようでした。課題をこなすのも速く、課外活動にも積極的に参加しているように見えました。比べて自分は、何となく大学に入学したのはいいものの、特にやりたいこともなく、ただただ時間とお金を無駄にしているように感じました。そんな私が大学にいても意味がない、親にも申し訳ない、と。

これらの悩みはのちに、ちょっとした環境の差から来たものだとわかるのですが、入学直後の私にはそんなことに気づく余裕はありませんでした。

劣等感を抱えながらも半年間大学にしがみついて、何とか夏休みにたどり着いた頃のことです。お世話になっている先生から「ファーストジェネレーション(第一世代大学生)」という言葉を教えてもらいました。ファーストジェネレーションとは親きょうだいに四年制大学を卒業した人がいない大学生を表す言葉です。親が大学に行っていれば、大学とはどういうところか、何をどのように頑張ればいいのかなどを小さいころから家庭における話題として聞いているでしょう。大学でのリスクや危険、注意すべきこととなどといったアドバイスももらっているかもしれません。しかし、家族で初めて大学を卒業しようとしているファーストジェネレーションの学生には、入学前にリアルな大学の情報がほとんど

入ってきません。私もそうでした。

欧米で積み重ねられている研究によると、ファーストジェネレーションの抱える困難は多岐にわたります。例えば、大学で必要な批判的思考力などの学問的スキルが入学前に身についていない、大学の仕組みがよくわからず大学に馴染めない、メンタル面の不調を抱えやすいなどです。そういった困難の結果として大学やキャリアへの満足度が低くなることを示す研究結果もあります。そしてもっと恐ろしいことに、ほとんどのファーストジェネレーションの学生は、これらの困難は、環境のせいではなく自分自身が至らないせいで起こっていると考えています。自身の困難が構造的な要因によることであると気づいていないので、結果として自分を責めるのです。

私はファーストジェネレーションという言葉を知った時「自分は弱音を吐いてもいいのだ」と初めて思いました。「周りよりも厳しい環境で生きてきたのだから困難もあって当然なんだ」とわかって、救われた気がしました。その一方で、ファーストジェネレーションという言葉を知らずに苦しんでいた先輩の話も聞きました。そこではじめて、ただ概念を学び言葉を知っただけで、ここまで生きやすさや生きづらさが変わることに気づいたのです。この気づきは面白くもあり、怖くもあります。どうしたらこの困難を乗り越えられるのか。そんなことを考えていた時、ファーストジェネレーションについて教えてくださった先生に背中を押してもらい、大学の仲間とファーストジェネレーションをよりよくサポートするための学内プロジェクトを進めることになりました。現在は、ファーストジェネレーションという言葉の学内での認知度向上、来年度の新入生(つまり一つ下の後輩たち)が自分が感じたような困難を乗り越えるためのアドバイス集の作成、学生同士が相互に支えあえるコミュニティの構築の三つに取り組んでいます。

何かから取り残されるという危機感は、周りから求められる「あたりまえ」を自分が体現できない時に感じるのだと思います。特に日本では足並みをそろえることが求められがちなので、自分だけが「ずれている」ように感じるのはとても苦しいことです。しかしそれは、一度対象者をコミュニティに招き入れておきながら、疎外感を感じさせているのが問題なのです。個人が個人であることに対して問題意識を感じる必要はありません。例えば大学においては、個人のバックグラウンドに関係なく学びを深められる場所であるために、入学させた以上は多様な学生をサポートする体制を整えるべきです。自分が取り残されているのだとわかった時、人は助けを求めることができるのだと思います。自分が取り残

されていると気付くために、周りの取り残されている人達に気づくために、マイノリティグループに名前をつけて理解を広めていくことは重要です。

ファーストジェネレーションには名前があります。しかし大学という狭い世界のなかだけでも、名前のつかないマイノリティは他にもきっといます。彼らは知らずに取り残されている。隠れたマイノリティを見つけるにはどうしたらいいのか。私は、一度は取り残されていた人として、しかし縁あって力強く歩き出した人として、いろいろな人に声をかけていきます。あなたは取り残されていませんか?一緒に現状を変えていきませんか?

・中村海哉 Pebble Hills High School, Junior(3年生)     世界一残酷なこと:知れないこと

太平洋の暖かな風とカラフルな建物に彩られたメキシコの港町、エンセナーダを僕は旅行していた。そのとき僕はまだ14歳で、英語もたどたどしかった。

日本生まれ日本育ちの僕は、メキシコの人と話したことなんてあるはずもなくて、やっぱり感覚違うのかな?怖かったりするのかな?なんて少し心配だった。けれどレストランやバスで気さくに話しかけてくる人たちは、びっくりするほど明るくて、冗談好きで、親切だった。

「メキシコの人もちゃんとあったかい人間だなぁ」頭ではわかっていたけど、それを心で感じた。

バス停で家族と次のバスを待っていたとき、僕は真夏の暑さに耐えかねて1人で自販機へ飲み物を買いに行った。どれにしようかと迷っていると、突然、自分と同い年くらいの子供3人に囲まれた。

どうしよう!メキシコは決して日本みたいに治安の良い国ではない。もしかすると何かあるかも知れない。僕が自分の運命に怯えていると、1人の男の子が言った

「キャンディー ワンダラー」

よかった、なんだお菓子を売ってるだけか。しかし少し落ち着いて彼らを見ると彼らの異常さに気づいた。

まず靴を履いていない。服はボロボロ、足の爪には砂が入っていて、体は少し臭う。そして妙な太り方をしている。後で知ったが、それはファストフードしか食べれないほど貧しい子供特有の太り方らしい。少し遠くを見るとその子たちのお母さんらしき人とカリカリに痩せた犬がテントの中、汚れた布をかぶって座り込んでいる。

貧しさを経験せず、日本で普通に生きてきた僕には衝撃的だった。僕が学校に行って、家でご飯を食べている間、彼らは自販機の横に暮らし、お菓子を売り続けていた。

でもたとえどんなに服や靴が買えなくて、明日食べるものに困っていたとしても、救いの手はあるはずだ。調べれば政府や慈善団体からの援助を受けたり、難民申請だってできるかも知れない、それにお菓子を売るだけじゃないもっと効率の良いお金稼ぎだってあるはずだ。なのに『なぜこんな生活を強いられているんだろう?』これが僕には不思議でしょうがなかった。だから失礼を承知で彼らに尋ねた。

「Why do you do this? Are you poor?」

難しい英語じゃない、メキシコでも義務教育を受けていればわかる。しかし彼らは少し戸惑いながらこう返した。

「キャンディー ワンダラー」

その後も色々質問を変えてみた、でも彼らが知っている英語は、そのたった二言だけだった。

僕は方法を変え、スマホを取り出して翻訳アプリに質問を書いて見せた。画面に表示されるスペイン語の文を見せると、また困った顔をして僕にこう言った。

No se leer(読めない)

彼らは字も読めなかった。だから、次は音声入力機能を使って会話を試みた。これでようやく会話ができる。なんて思ったのは僕だけだったみたいだ。違うをボタンを押したり、マイクがオンになってないまま話したり、それはまるで、一度も携帯に触れたことのない人の挙動だった。

その簡単な操作を何回も失敗するごとに、3人は弱々しく慌てて、何度も自信のない表情を浮かべた。僕もだんだん申し訳ない気分になって、付け焼き刃のスペイン語でこう尋ねた。

「携帯持ってないの?」

すると彼らは大きく首を横に振ってnoと言った。

そっか…字も読めなくて、スマホも使ったことないのか。そう思った途端、胸がキリキリと痛くなって今まで感じたことのない嫌な気持ちが込み上げてきた。それはきっと彼らが置かれている状況の深刻さを、痛烈に理解させられたからだと思う。

貧しいことは、救われないってことじゃない。世界がインターネットで一つになったこの時代、スマホと自分の言葉を使えば、貧困から抜け出す方法を調べたり、誰かに助けを求めたり、何かしらのヒントがもらえるはずだ。事実、それを使って人生を変えた人が何人もいるだろう。

でも、この子たちはスマホの使い方を知らない。文字の打ち方も知らない。書かれている情報の読み方さえ知らない。つまりインターネットで調べ物をすることも、本を読むことも、自分の情報を発信することもできない。

そんな子たちが、どうやってお菓子を売る以外の選択を見つけられるだろうか?どうやって難民申請の書類を記入できるだろうか?どうやって英語しか喋れない観光客に助けを求められるだろうか?どうやってハンバーガーだけでは栄養失調になると知れるだろうか?

貧困でも、病気でも、家庭環境が悪くても、救いを知ることができるなら、そこにはまだ希望がある。でもその救いさえ『知ることができない』のなら、人生は絶望ばかりで、幸福な人生と、助けの手を伸ばす社会から完全に取り残されてしまう。

情報を得られない、それだけで彼らには人生を変えるチャンスも、努力に見合った幸せも与えられず、明日もここでキャンディーを売らなければいけない。知れない環境、これが世界に取り残された、最も残酷な環境だと思う。

せめて文字が読めますように、せめてインターネットで調べられますように。せめて救いの手が見えますように。

・佐藤琴音      福岡女学院大学 2年     20歳(ハタチ)  

私は女だ。私は大学生だ。私はハタチだ。私はわからない。それは、「友達」というものがなんなのか。別に、彼女達と喧嘩をしたわけでも、会っていない訳でもない。だけど、わからない。しんどい。なんにも考えたくない。したくない。受け入れたくない。こんなことを20歳で考えていることを、小学生の私は想像していただろうか。

 私は中学生、高校生と部活動に入っていた。どちらもチームプレーのスポーツだ。人間関係で上手くいかず、行きたくなかったし、心から辞めたいと考えたことがあった。私に原因があったかもしれないが、私にとって、あの期間は本当に辛かった。たぶん、一生忘れない。だが、あの時があるからこそ、私自身、成長できたと思うし、考え方も変わったと思う。特に、高校の頃の仲間は、私にとって、人生をかけて大切にしたい友達になっている。

つい最近、集まった。だが、′′変わった′′と感じた。というよりも、′′大人になった′′と言う方が正しいのだろう。高校を卒業して、お酒も飲めるようになり、環境もガラッと変わった。そりゃあ、見た目はもちろん、考え方も変わる。メンバーは同期だけで10人以上だった。私はまんべんなく全員と仲が良かったから、個々で会うことが他の人より多い。集まりがあった後日、1人の子と会った。するとその子は言った。「お酒に頼った。は年齢と時と場合を考えてほしかった。」と。たしかに少し、私はその時、そういう雰囲気を感じとった。大人数なだけあって、まとまるのも難しいし、好きだけど、特別に仲がいいという訳でない子もいるのは当たり前だ。私はどっちも好きだ。大好きだ。片方の言いたいこともわかるし、変わらないことだって、その子のいい部分でもある。相手がどう思っているか。私もどう思われているか。わからない。どうしたら正解なのか。好きなのに。

そうやって悩んでいるうちに、コロナの濃厚接触者になってしまった。お家時間を過ごすことになり、ずっと見たかったドラマを見た。そのドラマが答えを教えてくれた気がした。

私は私が大切にしたいと思っている人を大切にすればいい。相手が自分のことをどう思っているかじゃない。私は私が大好きだと思う人に、どんなに変わっても、どんな人であっても、ありがとうと、大好きを伝える。ただ、それだけだった。

ハタチ。それは、′′大人′′だけどまだまだ′′子供′′でいいのかな。

・水谷優来      United World College Red Cross Nordic (高校2年)       

(ご本人希望により作品非公開)

・加納夢菜      会社員  普通の基準をつくらない 

普通とは何だろう?普通という言葉は漠然としていて、具体的に説明するのは難しいものであるに、私たちはこの言葉に苦しめられている。普通に生まれたかった。そう思うことが何度もありました。私には食物アレルギーがあります。落花生、甲殻類、卵、そばなど、食物アレルギーといえばこれというようなものはほとんど食べることができません。幼い頃は今よりもっとひどく、お米も食べることができませんでした。なので、お米の代わりに粟や稗を食べていました。食物アレルギーだけではなく、全体的にアレルギー体質なので、喘息やアトピーの症状もありました。私自身も辛い思いをしましたが、両親はもっと大変だったと思います。ここまで育ててくれた両親にはとても感謝しています。ですが、どうして私は他の人とは違うのだろうと悩むこともたくさんありました。小学校に入学するくらいの頃から、自分は普通の人とは違うと気づき始め、少し引け目を感じながら生活していました。給食ではみんなと同じものが食べられず、お弁当を持参したり、牛乳を豆乳に変えてもらったりしました。修学旅行や部活の合宿の会食では別のテーブルが用意され、仲の良い友達と離れて食べることになりました。また、アトピー持ちのため、人よりも肌が荒れやすいのも悩みでした。素手で食器洗いをすることはできないですし、アルコール消毒でも肌荒れしてしまいます。思春期の頃は特に他の人とは違うことが嫌でした。今では、アレルギーに関していうと、表示をしている飲食店が増えてきていたり、低アレルゲンメニューが開発されたりしてきたこともあり、以前より悩むことが少なくなりました。ですが、システムや商品が開発されても周りの人の理解がないと結局は取り残された気持ちになってしまいます。アレルギーがあることを説明したときに「人生の半分損してるね」と言われたことが何度かあります。自分ではそんなことは思っていないのに、他人から言われるとそんな気がしてきてしまいます。そもそも、普通とは違う人が可哀想という考えがよくないと思います。1人1人違うところがあって当たり前なので、普通という基準をなくすべきだと思いました。そうすることで、辛い思いをする人が少なくなるはずです。個性を尊重できる人が増えていけば、もっと暮らしやすい世の中になっていくと思います。私のように、辛いことを経験している人はたくさん悩んで考えた分、人の気持ちに寄り添うことができる人が多いはずです。そんな人こそ勇気を出して、悩んでいる人に声をかけてみてはどうでしょうか。自分は人と違う、そう思って悩んできた人こそ、社会の違和感に気づき、変えられる可能性を秘めていると思います。こんな辛いことがあった、自分はこういう人なんだと心置きなく発信できる世の中になっていくことを願っています。

・宇都宮愛唯    近畿大学附属豊岡高等学校3年    好きになってよかった。 

「どうして好きになってしまったんだろう」。

私はこの言葉をドラマでよく見かけます。日本ではまだあまり主流となっていない、同性愛を題材としたドラマ。

周りに認められない、自分自身が自分を認められない。そんな、男女の恋愛とはまた違う ”障害” や ”葛藤” が描かれていることが多いのが同性愛のドラマ。私はそこに心動かされ、積極的に見るようになりました。

作中で、一度は主人公たちが取り残されている。そのように私は感じるのです。

現実でもみんなそうなのではないだろうか、、

日本でも、同性愛者を受け入れようとする活動や、ジャニーズなども同性愛を題材としたドラマに出ているのも見かけるようになりました。その度にファンが増え、同性愛への理解者が増える。そうだと私は思っていましたし、そう感じていました。

私の周りにも、愛の形に関係なく、好きなものとして推している人が沢山います。同時に、理解者が沢山います。三次元や二次元の世界で、同性愛が普及している現代。そのような空間で生きている学生たちは今では少なくないでしょう。

でも、本当に理解者なのか。

そう思わされた出来事が私に起こりました。

ある時、私は友達から同性愛であることをカミングアウトされました。

そう、私が理解しているはずの同性愛。理解してるはずの、、

その場で笑顔を取り繕い、受け入れた、「つもり」だったのですが、

私はしばらくの間その子を自然と避けてしまい、ふつうに話すことができませんでした。

愛は自由でいいじゃないか!なにがいけないのか。そんなの個人の自由じゃないか。

周りの意識がつくりあげた環境によって、取り残されたように感じている人が沢山いる。

そして自分は、その「取り残されている」という感覚を与えてしまっている人達の一人にすぎなかった。その事実に気付かされてしまいました。そんな自分も嫌で、受け入れることができず、しばらく悩み自問自答の日々が続きました。

私も差別していた、、、?平等だと思っていなかった、、?

すごく悔しかった。悲しかった。

ほんとうの理解者。

この輪が広がっていかないと、この差別を抱えた世の中は変わっていかない。

テレビで「ほんとうは手を繋いで堂々と過ごしたい」「隠して生きていたくない」。そう語り、同性愛者であることで悩みを抱える姿を見る度に、まだまだ生きづらさを感じている人達がいる。多様性がほんとうに認められる世界にしていかなくてはならない。この人達がふつうに暮らせる世の中をつくりたい。

そう思うようになりました。

現在私は大学進学後、誰もが過ごしやすく穏やかになれる空間をつくるホスピタルアートを軸として企画・イベントなどで社会をプロデュースしていけるような人材となるため、学びを深めていくつもりです。

ほんとうの理解者を増やすため、社会を変えていくために大切な、リアルな気づきを一人一人に与えられるような、そんな機会を私は生み出していきたいです。

私は高校では、SDGsの「環境」に目を向けた活動に主に取り組んできました。そこで私は活動を通して、「繋がり」というものを深く感じるようになりました。SDGsの17の項目はひとつひとつが個々にはたらいているのではなく、ロゴの輪のようにすべてが繋がっている。と。実体験を通して、確信をもちました。

どんなに小さな活動だと思われる行動であっても、必ず大きな目標への一歩になっています。この一歩が、「誰一人取り残されない」世界への一歩。

私はその気持ちを大事に、一人の理解者として、

「どうして好きになってしまったんだろう」から「好きになってよかった」へ。心からのそんな声が広がってゆく世界を夢見て、私は日々生きていきます。

・稲垣未蘭      白鴎大学1年    見えない貧困   

私は現在、大学に通っています。高校受験、大学受験の時には塾にも通っていました。今年の夏には自動車免許を取得しました。毎日3食しっかりと食べて、お風呂に入って、綺麗な服を着て、大学やアルバイトに行くことができています。しかし、我が家は決して裕福ではありません。小さい頃に両親が離婚して以来ずっと、母と2人でアパートで暮らしてきました。私が小学校低学年の頃は児童扶養手当を受け取ることができていましたが、その手当だけではお金が足りず、母は働きに出る日を増やしました。夜勤の仕事に加え、また別のアルバイトに行くようになりました。結果的に、収入は増えましたが手当は減額、減額されるからその分が足りなくなりまた働く、収入が増えて最終的には全額不支給となりもっと働く。そのような調子で1番お金がかかる中学、高校と母は働き詰めの毎日で、毎月の電気代やガス代をいつもギリギリでどうにか払う日々でした。

学校では、アパート暮らしを知っているクラスメイトに「こいつと遊ぶと貧乏がうつるから遊ばないほうがいい」と言いふらされたり、クリスマスや誕生日が近づくと祖母から「お前の家は貧乏なんだから我慢しろ、物をねだるな」と言われました。夏休みに母が海に連れていってくれた時も「よく遊びに行く金があるな」と嫌味を言われることもありました。

離婚した父からの経済的な援助は一切なく、祖母も頼れない状況で何とかやってきました。

 市町村の手当の区分で言えば、我が家は貧困ではありません。しかし、母が体調を崩してしまえば我が家は一瞬で生活ができなくなります。

最近は、貧困に対する多くの問題が取り上げられています。子どもの貧困という言葉もよく聞くようになりました。ですが、私は貧困は目に見えているものだけではないと感じています。目に見えている明日の生活が苦しいような貧困はもちろん解決すべき問題です。しかし、我が家のように親が無理をして働くことでどうにか成り立っている場合はどうでしょう。社会から見たら働けているから貧困ではない、生活できてるんだからと思われるでしょう。ですが、このような家庭は日本中見渡せば、きっとたくさんあります。国や市町村の補助を受けられないから、無理にでも働いて生活している家庭はきっとたくさんあります。

 SDGsの1番目は「貧困をなくそう」という目標です。貧困と聞くと、どうしても教育、仕事、食料、住居などの生きるために必要な基本的な物やサービスを受けられない人だと思いがちですが、世の中にはそういった目に見えやすい貧困以外にも見えにくい貧困がたくさんあると思ってます。

「誰ひとり取り残さない」のなら、見えにくい部分にも焦点を当てる必要があるのではないでしょうか。

・野元志唯      洗足学園中学校2年      強い子と弱い子 

「取り残されている」その定義は、何なのだろうか。

 私の学校は、平和だ。いじめもないし、みんなから省かれている人もいない。でも、私の友達は、学校をよく休んでいる。その子はクラスのムードメーカーで、いつも明るくみんなを楽しませる。一見ストレスなんか微塵もないように見えるが、何故か学校をよく休む。

 「なんで最近休んでいるの?」

 私は思い切って聞いてみた。すると、私には理解できない答えが返ってきた。

 「なんか、みんなはすごく仲良くしてくれるけど、どこか取り残されているような気がするの。みんなの会話の輪に入れないと不安になるし、1人になると一気に怖くなるの。上手く言えないけど、疎外感っていうか。」

 私は返答に戸惑った。どう慰めていいのかも分からないし、なんと言えばいいのか分からない。結局私は「そっか」とだけ言った。

 あんなにクラスの中心にいるのに、まだ満足いかないのだろうか。私たちはどうしたらいいと言うのだろうか。その子以外の子とは話さずずっとその子と一緒にいてほしいということなのだろうか。

 私は、それはその子が甘えているだけだと思って、しばらく冷たく接してしまった。誰だって辛いことはあって、皆それを我慢しているのに、自分だけ辛いみたいに言うその子に、むかついてしまっていたのだ。

 するとある時、私は、別の友だちに言われた。

 「あの子のこと、避けてるの?あの子だって頑張っているんだし、そんなに冷たい態度取らなくても良いんじゃないかな。」

 私は、ただただ甘えているだけの子をかばう友だちの気がしれず、少し苛立ってしまった。

 「そんなの甘えじゃん。みんなだって頑張ってるのに、学校を休めばみんなに心配してもらえるの?そんなの不公平だよ。」

 その友だちは何も悪くないのに、ついつい私はそう言ってしまった。すると友だちは、怪訝そうな顔をして言った。

 「強い子だから、そういうことが言えるんだよ。」

 私はその言葉に驚いた。私は今まで、人には人の個性があってそれを受け入れるべきだと思っていた。しかし、心ではそう思っていても、実際にそれができていなかった。強い子、弱い子というのは、どれだけ頑張っても簡単に変えられるものでは無い。どんな環境でも、生まれつき弱い子が強くなるのは難しい。

 あの子もそれと同じように、環境は恵まれていたのかもしれないけれど、どれだけ頑張っても、強くなれなかったのかもしれない。私には分からないけど、あの子はあの子なりに頑張っているのかもしれない。でも、それになかなか結果がついてこないだけなのかもしれない。それなのに、そんな悩みをしたことがない私は、あの子の気持ちも考えずに安易な考えをして、傷付けてしまっていた。結果が出ないのを、頑張っていないと判断して、怠けていると思っていた。

 私はそれがわかった途端、とてつもない後悔に駆られた。人には、どれだけ頑張っても、本人にはどうにもできないことがある。なのに私は、それを理解せず、頑張っている人に、無神経なことを言ってしまった。

 私はそれから、その友達に、無視をしてしまっていたことを謝った。すると友達は、すぐに許してくれた。あんなに酷いことをしていたのに、許してくれた。

 この世界には、強い子と弱い子がいる。強い子、弱い子という分類だけでなく、本当に色々な人がいる。そして、怠けているだけの人なんて、絶対にいない。みんな、それぞれの生まれつきに与えられた能力に悩みながらも、精一杯頑張って生きている。

 「取り残されている」その定義は、本人がどう考えるかだと思う。傍から見ると幸せそうな子でも、その子が取り残されていると思うなら、それは取り残されている。自分が取り残されているかどうかは、本人が決めることだ。たとえ理由が上手く言えなかったとしても、本人の気持ちを知らない周りの人が、とやかく言えることではない。

 でも、それをわかっていない人は、この世界にたくさんいる。今までの私のように。私は、そんな世界を変えたい。当たり前だけど、人には一人一人人生があって、その人にしか分からない考えがある。でも、その考えを、周りの何も知らない人たちが否定するのは絶対に違う。相手の考えがどれだけ自分と違っても、どれだけ理解できなくても、それでも理解しようとして、歩み寄るだけで、取り残されていると感じる人は減ると思う。それだけで、世界はもっと、豊かになれる。私はそんな世界を、強く望む。

・三木綾華      創価大学 1年  好きなものを好きと言える世界に 

私は、幼い頃から仮面ライダーが好きだ。スーパー戦隊も好き。年の離れた弟がいるから、周りからはその影響だと言われることもあるが、実際は弟が生まれるずっと前から好きだ。でも、小学校六年生ぐらいまでは、そのことは学校の友達や家族以外の人にはずっと隠していた。低学年のときに一度、大好きなスーパー戦隊のシールを自由帳に貼っていたら、クラスメイトに馬鹿にされたことがある。「女なのに、変なの」「仮面ライダーとかスーパー戦隊って男用だよ」それを聞いて頭が真っ白になって、家に帰ってすぐにそのシールを剥がしたことをよく覚えている。なんだかとても悲しい気持ちになって、これ以上同じようなことを言われたくなかった。だから一生懸命剥がした。そして、それ以来、仮面ライダーやスーパー戦隊を観ていることは、自分の中だけに留めておくことにした。それを周りに言うことは、恥ずかしいことだと思うようになっていた。それに、家族も私の趣味にはあまり賛成していなかったようだった。保育園のときも、プリキュアのおもちゃは買ってもらえても、仮面ライダーのベルトは買ってもらえなかった。弟が生まれるまでは、ずっとそれが続いた。それから何年か経った小学六年のある日、教室掃除のときにたまたま昔観ていた仮面ライダーの話になって、私は思わず勢いよくしゃべり出してしまった。「やってしまった」と慌ててごまかそうとした私を、同じ班の友達は意外にもすんなり受け入れてくれた。やっと言えた。やっと認められた。仮面ライダーが好きってみんなに言っても良いんだと大いに喜んで、私はそこからクラスメイトと特撮の話題で盛り上がるようになった。みんなで好きなフォームの話をしたり、好きな怪人の話をしたり、毎週月曜日に前日の放送についてみんなで議論したり、展開を予想したりして本当に楽しかった。好きなものを好きと言えるって素敵だと思った。するとある日、クラスの女の子から「男に好かれたいからわざわざ仮面ライダーの話とかするんでしょ」と言われた。その子が何を言っているのかすぐに理解できなくて、その場で言い返せなかった。でも、ここで折れたらまた自分の好きを閉じ込めることになると思って、絶対に今後も隠さないで行こうと強く決めた。そういう性別による好きの規制への反骨心が燃えてきて、その発言をした子にも視聴を勧めた。「仮面ライダー好きに性別とか関係ない」と伝えたかった。絶対に揺らがない軸ができた。高校生になって、ジェンダー学に興味を持って、自分の経験や日々感じる理不尽をエッセイに書くようになった。今も大学でジェンダーの社会学を学んでいる。ここまでジェンダー関連の話題が取り沙汰される現在でも、未だ性別による差別は無くなっていない。三年前もSNSで、『女の子がライダーや戦隊を見ていたら、男の子はその子が泣くまで馬鹿にするべき』『男の子向けのコンテンツに間借りさせてもらってると認識を持ってもらう必要があるから。』というツイートが波紋を呼んだ。なぜ女であるという理由で、自分の好きなものを隠さなければならないのか。なぜ純粋に好きという気持ちを誰かに傷つけられなければならないのか。仮面ライダーが好きなことの何が悪いのか。考えてほしい。そして気づいてほしい。幼いころから無意識に差別意識を刷り込まれていること、それによって悲しんでいる人がいることを。私はもうこれ以上自分の好きを制限されないし、制限させない。性別に関わらず、みんながそれぞれの好きなものを好きと言える世界を創りたいと思う。

・惠木莉菜      聖心女子学院 高校1年  学業とはどうあるべきか 

SDGsの目標の中に「質の高い教育をみんなに」という項目がある。その点において日本の小学校は、義務教育という制度がある。しかし、学校に通えない子供たちがいる。これが、SDGsの取り残されている問題だと思う。私の友達にも学校に通う事の出来ない友達がいる。その友達はコロナ禍が始まり、半年ほど学校が休校になったのが原因で昼夜逆転し、心の乱れが原因だという説明を聞いた。そして世の中にも、コロナ禍になって子供たちが学校に来られなくなった人は、約8万人増えたといわれている。コロナ以外にも例えば、大人数でいる環境が苦手・学校のルールにあわない・いじめ(友達関係)・学業不振など様々な問題があげられる。この中で先日、ニュースで取り上げられていたものがある。その内容とは、大人数の前だと話すことができなくなってしまい、殻にこもってしまう。しかし、この子達に学校以外に用意された少人数の部屋に通うと友達と話をし、意見を言うことができる子どもが多い。そのため日本にはそのような環境が増えつつある。しかし、このような環境は一時的には使用できるものの根本的な解決にはならない。なぜなら、この環境は学校ではないため小学校・中学校「卒業」とはならないためである。日本の法律は、学校以外を教育の場と認めていない現状がある。日本の中では解決できないと思い、私は他国との違いを調べてみた。すると、世界でランキング付けされている表にたどり着き1位はフィンランド、日本は14位だった。主に、日本とフィンランドの大きな違いは、考え方にあった。日本には「不登校」という言葉があるように子供が学校に通わない。あるいは、通えないのが悪いという考えではなく、学校に通えない子供たちのために学校側がそういった環境を整えるという考え方だ。日本は、学校に通えないはよくない事だと思いがちだ。そして、学校に通えないと将来、職業に就けないという考えがあり、学校に行かないと、と学校に執着してしまう傾向がある。なので、学校と親と子供がしっかり話をし、その子にとって通いやすい学びの場を作っていけるように社会が変わっていってほしいと思う。

・唄野陽芽      立命館大学2年  SDGsの諸問題  

SDGsと聞くと「なんか最近よく聞くもの」「最近言われはじめたもの」という認識の人がほとんどだろう。しかしSDGsは採択以前から多くの持続可能な開発が実施されており決して新しい概念ではない。

 最近私のアルバイト先の塾の保護者の方が「SDGsについての子どもの学校で宿題が出たのですが、何のことか分かりません」と言っているのを耳にした。このことから未だ日本ではあまり浸透している概念ではないということが改めて分かる。

 SDGsに関しては、2015年、国連でSDGsが採択された後、その翌年5月には一般社団法人イマコココラボによるカードゲームイベントや、2019年9月にはニューヨークでグレタ・トゥーンベリによる国連気候行動サミットスピーチ、雑誌『Pen』によるSDGs の特集、体験型自然共生施設と持続可能な町づくり、有機野菜中心の持続可能な食への取り組みなど観光との関わり事例もある。

 「持続開発な開発目標」と訳されるSDGsは大半の人が、未来の地球環境や私たちのためになると感じ、良いイメージを持っているかもしれない。しかし、この概念には数々のマイナス面を含んでいるのではないだろうか。それは大きく分けて2つある。まず1つ目は達成過重視による各国の人権改善の取り組みの緩慢さを覆い隠すことだ。これは具体的に、人権問題・社会的不平等への取り組みが熱心でないこと、貧困層への富の再配分が不十分なまま放置されていることがあげられると考える。2つ目は、プログラム内での役割分担がはっきりしていないことだ。これは言い換えれば、目標不達成時の責任の所在が不明瞭であるということだ。以上2つの例から、社会的弱者にしわ寄せがきてしまうおそれがあると私は思う。

 近年では、SDGsを掲げるレストランや観光施設が増加傾向にあるが、決してすべての人に開かれていないというのが現状である。これらの施設は安価でなく、所得者層はアクセスしにくいことのあらわれであり、本当の意味で「誰も取り残さない」ではないと感じた。

 今や、持続可能な開発という概念を社会から取り除くことはできないなかで、私たちは持続可能な開発に頼り切るのではなく、その概念がもつ社会性を吟味し続けることが求められるのではないだろうか。また、国連に加盟しているすべての国が当事者であることから、「誰も取り残さない」ではなく「誰も取り残されない」という受け身にすることで、誰一人として他人事ではないことが印象づくと私は思う。国が動いたら、企業が動き、地方公共団体が動く。それにより経済活動が活発になり、国が潤い、雇用が生まれ、福祉が潤い、人が潤い、貧困がなくなり、人々に精神的に豊かさという良い循環が生み出せる。これは決して資源的豊かさや、誰かが誰かを救う・助けるという話ではない。

 SDGsについて日本では、特に企業、地方創生、次世代・女性のエンパワーメント分野に分けられ、主として人にフォーカスして推進されている。今後は「頼るのでなく創造する」というそれぞれの国自体がそれぞれのやり方でSDGsの輪を広げていくことが大切なのではないだろうか。

・鈴木怜奈      日本大学1年生  周りの普通と違う自分   

SDGsとは、2030年までに達成するという目標のもとに掲げられた持続可能な開発目標である。2030年まで約8年。「誰ひとり取り残さない」という基本理念は達成できるのか、達成するためにいま何ができるのか。そして、いまどのくらいの人々が取り残されているのか。

 現在どのくらいの人々が取り残されているのか、そしてその人達は何から取り残されているのかを一人一人明確に知ることはできない。貧困、LGBTQ+、国籍、肌の色、ルックスなど、この世にあふれる悩みの種は数えきれないほどある。そして、多くの人が自分の抱えている悩みを家族や友人にさえ話すことができないでいる。自分だけで悩みを抱え、苦しみながら生きていく。正直言って、そんな世界は生きていて面白くない。だから社会を変える必要がある。少しでも楽しく幸せに生きるために。

 私自身、社会から取り残されていると感じることがある。それはLGBTQ+について。自分はバイセクシャルだと思う。でも、男性に恋愛感情を抱くことがほとんどないため、レズビアンなのではないかと感じることもある。高校生の時、友人に彼氏ができた。彼氏とはどういう経緯で付き合ったのか、どういう人なのか。それをみんなで聞いて話して場は盛り上がる。一通り話して盛り上がった後、飛んでくるのはこの質問。「彼氏いないの?」「好きな人は?」きたよこの質問、、、と正直思う。この問いについてまた一人ずつ答えて話して盛り上がるのだが、私はどうしてもこの質問は苦手なのだ。なぜなら、彼氏なんていないし好きな男の人もいない。だってきっと自分は女の人のことが好きだから。好きな人がいないならいないと言えばいいのだが、場の盛り上がり具合を下げてしまうようで胸が痛い。いないんだよね~なんて言ってさりげなくかわすが次に出てくるのはこの質問。「どんな人が好きなの?」年上で一緒にいて楽しくてかわいくて、なんて言葉は言えるはずもなく、「波長が合う人かな」とでも言っておく。が、しかし、この時私のハートは獣に三本指で引っかかれたようにえぐられる。ああ、やっぱり自分って人と違うんだ。

 インスタグラムで海外の女性同士のカップルや女性同士の夫婦、子供がいる家庭などの映像を見ていいねを押す。強い羨望と共に心からのお幸せにの気持ちを込めて。

 日本では同性婚が認められていない。日本の政治のトップに立っている人の大半が高齢者だからと言われたり憲法上の問題だと言われたりすることもあるが、真相は何なのか。なぜ日本では同性婚を認めることができないのか、実行しないのか。政治家に強く問いたい。そして、同性婚が認められないままでLGBTQ+の当事者は幸せでいられると思うかと問う。だれもが自由な恋愛ができるように、自由な人生の選択ができるように。誰ひとり取り残されないために。私たちは考え、訴え、行動しなければならない。

 私はLGBTQ+について取り残されていると感じるが、貧困や教育、人種など、他にも多くの人々がそれぞれの事柄について取り残されていると感じていると考える。経済的な理由によって十分な食事ができなかったり教育が受けられなかったり、安全な水でさえも飲むことができない国も多くある。世界に目を向け、誰ひとり取り残すことなく子どもからお年寄りまで安心して生活できる地球を、自分らしく生きられる社会を、私たちは作っていかなければならない。

・木村智瑛      北海道大学4年  誰ひとり取り残さない社会に取り残される人たち

以前、あるLGBTQ+の支援団体に所属する知人が、SNSアカウントで発信をしていた。内容は性的マイノリティ支援のイベントの情報と、同性婚を認めない議員への「○○議員まだ辞めないの?」という批判であった。前置きしておくと、私は同性婚は認められるべきであると考えるし、SDGsにある「誰ひとり取り残されない社会」は作られるべきであると思う。また、社会活動や啓発を行っている方々にはとても感服している。しかし、気になるのは「○○議員まだ辞めないの?」という部分である。このような主張はネット上、街頭での演説などでも散見されるが、果たして、「誰ひとり取り残さない社会」を目指すにあたって、特定の思想を排斥して良いのだろうか。特定の思想を「正しくない」として排斥した先にあるものはまた、マイノリティが生まれる可能性の繰り返しであり、排斥された彼らは様々な社会活動を行う団体が掲げる「誰ひとり取り残さない社会」の実現の先に取り残されてしまうのではないか。どうしてもこの疑問が頭から離れないのである。私はこの問題に対して解決策は大きく二つあると考えている。一つは相手の考えを変えさせること。性的マイノリティのことを受け入れられない人々と対話し、性的マイノリティとは自然な存在なのであると認めさせることができれば解決したと言えるだろう。ただ、これは非常に難しい。思想の対立は冷静な議論になりづらく、両者感情的な批判の応酬が予想される。実際に冒頭の主張は、多様な思想を持った人がいるべきである国会議員という職から、同性婚を認めないという特定思想を持つ人を排除しようとしているのであり、「正しさ」のために周りを見失っているように思える。また、そもそも人の思想を変えさせるというのはとても暴力的であり、実現可能であったとしても時間がかかるだろう。そこで、私が提案したい解決策は、両者とも存在を容認することである。すなわち、「誰ひとり取り残さない社会」を目指す者としては、「性的マイノリティの存在を感情的に受け入れられない人」がいることを理解し、容認する。「性的マイノリティのことを感情的に受け入れられない人」たちも、性的マイノリティを抱えている人たちも同じ人間なのだから、排斥するようなことはしない。これが現実的な落としどころなのではないだろうか。例えば、私は動物が苦手である。犬や猫にはできれば近づきたくないし、前からペットを散歩させている人が通りかかれば、遠回りしてでもすれ違わないように回避する。僕からすれば、ペットが前から近づいてくるのは、泥酔して今にも襲い掛かってきそうな人が目の前にいるのと同じくらい怖いのだが、別に犬を散歩させるなとは思わない。犬が好きな人もいることを理解しているからである。その代わり、犬が好きな人たちは僕が犬や猫が嫌いであることを公表したときに冷たい人間だと思わないで欲しいとは思っている。このくらいの話ならば多くの人が受け入れられるはずである。なぜ、性的マイノリティの話になると、全員が同じ思想でなければならないとなるのだろうか。「誰ひとり取り残さない社会」と聞くと、みんなが手を取り合って笑いあっているような社会を想像する人もいるかもしれないが、そうではなく、全員に平等にチャンスが与えられる社会と定義するのがふさわしいだろう。学校の30人のクラスですら全員仲良くは難しい。お互いにお互いの存在を排斥しないことが肝要であり、なおかつ本物の「誰ひとり取り残さない社会」の実現への近道なのではないかと私は考える。

・東和佳奈      神戸大学3回生  「言葉の壁は、心の壁か」       

私は、現在ドイツに留学している。ドイツでの生活にもやっと慣れ、はや3カ月が過ぎようとしている。私は、今まで「母国とは違う国で暮らすこと」についてぼんやりと、慣れない土地で暮らすことは大変だろうと考えていた。言葉や習慣をはじめ、何もかもが自分の慣れ親しんだものでないのだから、外国人として暮らすことは非常に難しいことで、あらゆる制度的なサポートも必要であろうことも理解したつもりでいた。

 しかし、ドイツに来た時、私は絶句した。こんなにも言葉が通じないとは不安なものか、こんなにも「言葉の壁」は厚いのか、と。私は、英語はある程度話せるが、ドイツ語はあまり話せない状態で渡独した。そこでは、自分の理解できない言葉であらゆるものが表示され、自分に理解できない言葉が聞こえてくる。店に入っても店員の言っていることがわからない。役所手続きの書類も読めない。何をするにも一人ではできず、誰かの助けを借りなければならない。自分の無力さや、肩身の狭さを感じた。そのような環境は、私を不安にさせ、私を孤独にさせた。私はまさに「取り残された人」になったのだと痛感した。今まで、日本で暮らす外国人を見て、大変な暮らしをしているだろうから自分にできることは何だろうと考えたり、大学でセミナーを受けたりしてきた。しかし、自分がいざ「よそ者」として暮らすようになって初めて、私は自分がわかったつもりでしかなかったのだと気づいた。私はどこまでも受け入れる側でしか、彼らを見ていなかったのだと感じた。その時彼らが感じる視線や、言葉の通じない不安や、意思疎通できないくやしさを表面的にしか知れていなかった。

 そして3か月たち、ドイツ語も少しずつ分かってきた今、私は新たに気づいたことがあった。私が感じたあの不安や孤独感は、本当に「言葉の壁」からきていたのだろうか。この3か月を振り返って、私はドイツで新しい発見や学びを得ながら、少しずつ生活になじんでいったと思う。それは、常に私の住む街にどこかある種の解放感や温かみがあったからであろう。よくよく考えてみると、私が言葉に詰まったとき、店員に言われていることがわからないとき、それは自分のふがいなさに苛立ったり、伝わらないもどかしさや不安を生んだりすることはあっても、相手から拒絶されていると感じさせることはなかった。彼らは常に、私の言っていることを何とか理解しよう、わかろうとしていた。言葉は通じなくても、懸命に耳を傾けてくれる彼らの態度に、私も必死に伝えようと努力していたのだと思う。もちろん、私が出会った人はみな親切な人であっただけかもしれないし、私が幸運であっただけかもしれない。だが、街の中に漂うその空気感は、私の閉そく感や孤独感を少しずつ溶かしてくれていたように思う。最初に環境の変化に心の壁を作ったのは自分ではなかろうか。

 よく「外国人支援」というと、制度的な問題が指摘されがちだし、事実私も渡独する前はまずは制度をもっと整備するべきだと考えていた。言語的な支援も必要で、現地語の習得は生活するうえで欠かせないものなのだから、言語教育は必須であるとも思っていた。制度はもちろん考慮されていくべきことであろうし、なくてはならないものである。また、言語も生活するうえで話せるに越したことはない。しかし、今ドイツでの経験を通して私が言えるのは、外国人支援で必要なものは、あの開放的で温かな空気感だということだ。外国人差別の原因は、文化的な差異であるといわれることがある。だが、一番初めに「外国人」と「私たち」を隔てるものは「言語」ではないと考える。相手をどれだけ知ろうと心掛けているか、相手にどれだけ伝えようと心掛けているかが、あの空気感を作り出すのだ。「誰ひとり取り残さない」ためには、はじめから言葉や習慣の違いをもって心に壁を作ってしまわないことが必要だ。言語の壁は、心の壁ではない。双方による歩み寄りや理解しようという不断の努力が、取り残されている人をエンパワメントするのである。

 現在私は、若者世代を対象にした対話をテーマとしたイベントに携わっている。ドイツでの経験を活かし、文化や世代、国籍を超えて、自分の心の中に壁を作りだすことなく、相手に歩み寄れる、寄り添える、そんな空気感を作り出せる社会を創っていきたい。そして、まず初めの一歩として、イベントを通して、簡単ではないかもしれないけれど、それができるということを知ってもらいたい。

・宮本紗有      つくば開成高等学校2年  痩せ姫を取り残さない社会を作りたい     

「痩せ姫」の存在を知っているだろうか?

それは、摂食障害により医学的に見て痩せすぎている女性のことである。

彼女達は時に蔑まれ、時に哀れまれながら生きている。私は、そんな彼女達の生きづらさを少しでも軽くできればと願って、これを書いている。

彼女達がなぜ批難の対象になるのかというと、痩せ姫は病気だからである。摂食障害である彼女達を「美しい」として肯定的に捉える痩せ姫という言葉が、健常者を摂食障害にさせる引き金になったり、克服を志す患者の治療を妨げると言った意見があるのだ。

摂食障害とは主に拒食症、過食症、過食嘔吐から成る精神疾患である。多くの場合、まず最初に拒食症になり、その反動で過食になり、太ってゆくことに耐えられなくなって過食嘔吐になる。そのうち痩せ姫にあたるのは拒食症と過食嘔吐であるが、痩せ姫には体重の定義がないため、痩せ姫と自ら名乗るかどうか、あるいは他人を痩せ姫と呼ぶかどうかは各々の価値基準に委ねられている。

そもそも、摂食障害の人が際限なく痩せたがるのはボディイメージの歪みが原因であると言われている。健常者から見たら痩せすぎているにも関わらず太っているように感じるということである。

しかし私は、痩せ姫が持つ外見、そして精神の美しさは多くの健常者も感じ得る、万古不易のものであると考えており、私自身が一番強く惹かれるのも痩せ姫の精神性である。内面的な苦しみが外見にまで滲み出ていることに美を感じるのだ。これは私の主観にとどまる話ではない。痩せ姫という言葉が生まれるよりずっと昔から、女性のやつれる物語は評価されてきた。例えば、「源氏物語」の「紫の上の死」の一節には

『こよなう痩せ細り給へれど、かくてこそ、あてになまめかしきことの限りなさもまさりてめでたかりけれ』

現代語訳にすると、

『非常に痩せ細っていらっしゃるけれども、こうであってこそ、上品で優雅なことの限りない様子もまさってすばらしいこと』

と書かれている。

このように古くから表現され、評価され続けてきた痩せ姫的な物語は今を生きる痩せ姫の心の支えになるのではないかと私は考えている。

痩せ姫はその言葉の生みの親であるエフ・宝泉薫さんが執筆された、「痩せ姫〜生きづらさの果てに〜」が出版されたことで世に広まり、今もエフ・宝泉薫さんを中心として、ブログやTwitterなどインターネット上で、痩せ姫を含む摂食障害者同士の交流が盛んに行われている。そこは、細すぎる体型故に実社会で後ろ指を指されながら生きている人々にとって自分を「美しい」と認め、全肯定してもらえる楽園なのだ。痩せ姫という言葉が心の拠り所となったり、痩せ姫という言葉で繋がったインターネット上のコミュニティを居場所のように感じる人は少なくない。

しかし、インターネット内には、そんな痩せ姫に目も当てられないような攻撃的な言葉を投げる人がたくさんいる。「税金泥棒」「すねかじり」「我儘病」…

家族と、医者と、心の中の自分と、日々戦い続ける彼女達が社会に受け入れられていないことを感じて悲しくなる。

私は一時期、痩せ姫についての自分の考えをブログに書いていた。その頃摂食障害の当事者だった自分のもやもやした気持ちを消化するためでもあり、日々批難され続けている痩せ姫を守りたいと思ったからでもあった。

毎日1000を超えるアクセスがあり、摂食障害に悩む人々からのコメントもたくさん届いた。「涙が出た」「心が救われた」というメッセージを目にして、痩せ姫という逃げ場にいながらも日々傷ついている人々の存在を改めて実感すると共に、自分にも救える人がいると思えたことが自信になった。

痩せ姫を取り残さない社会を作りたい。

摂食障害は苦しい病だ。精神的苦痛と身体的苦痛の両方に見舞われ、時間やお金、場合によっては周囲からの信頼や、就職や進学などの選択肢も失ってしまう。痩せ姫にとって、多くの人が人生の中で当たり前に享受している様々な物を犠牲にし、ようやく手に入れた、唯一にして最大の宝物である痩せを否定されるということは、人格の否定だ。

確かに痩せ姫の考えが全ての人にとっての救いとはならないだろう。痩せ姫という言葉の美しい響きに惑わされて、その苦しみを知らずに摂食障害になってしまう人もいるかもしれない。それでも、痩せ姫という言葉に救われ、生かされている人がいる。私は、痩せ姫も痩せ姫を美しいと思う心も、なかったことにされたくない。

痩せ姫は、病気である前にひとりの人間だ。彼女達の感性や理想が、偏見や差別心によって踏みにじられることがあってはならない。

痩せ姫が正しい理解の元で広まり、受け入れられる社会になることを強く願っている。

・谷岡奈央      熊本県立大学2年 「見えない」ところに「気づき」を       

私のお父さんは、高次脳機能障害を患っている。それは、「目に見えない障害」である。父は、自分の気持ちを表現するのが難しい。父は、忘れっぽい。父は、感情をコントロールするのが難しいときがある。このような父の障害に気がつく人は、家族以外にどのくらいいるのだろうか。あなたの周りにいる人が、突然怒り出したり約束を守らなかったりすることが続いた時、あなたはどのように感じるだろうか。私は、父とコミュニケーションが上手くとれないことに、ストレスや不安、怒りを感じることがある。しかし、当の本人である父も、自分でコントロールできない言動に、戸惑いや不安を感じているのだ。

 誰ひとり取り残さないためには、「気づき」が必要ではないだろうか。気がつかないと、行動できない。見えない部分に気がつかず、知らぬ間に誰かを取り残している。そして、取り残していることにも気がつかないままである。ひとりでも多くの人が、ひとつでも多くの「気づき」を得ることができたならば、「誰ひとり取り残さない」社会になっていくのではないだろうか。

 そこで、「気づき」を得るために必要なことについて考えた。それは、当事者と周囲の人々がお互いに相手を思いやり、コミュニケーションをとることである。コミュニケーションは必ずしも会話である必要はない。例えば、日本では「ヘルプマーク」が普及してきた。これは、当事者が「支援を必要としている」ことを周囲の人へ知らせる役目を持つ。バスや電車には、ヘルプマークを紹介するポスターを見かけるし、実際にマークを付けている人も見かける。当事者にとって、周りの人に気がついてもらえるような工夫を行うことは、自分の心身を保護するために大切である。私の父は、外出時に「支援を必要としています」と書かれたカードを首から下げている。1人でバスに乗ったり、お店で買い物をしたりするとき、何か困ることがあれば、すぐに助けてもらうことができるだろう。このようなコミュニケーションツールは、私たち家族の安心にも繋がっている。

 しかし、ヘルプマークをつけることに引け目を感じている人がいることは、知っておかなければならない。私の知り合いは、病気のため足腰が弱く、長い間立っていることができない。しかし、彼女はまだ私と同じ大学生であり、見た目もいたって普通の大学生である。自分から言わなければ、彼女の事情に気がつく人はいないだろう。「私はまだ大学生なのに、ヘルプマークをつけて席を譲ってもらうのが申し訳ない。」彼女はそんな葛藤をかかえながらも、ヘルプマークを通して温かな支援を得ている。そして、「ヘルプマークが広まってきていると感じている」と嬉しそうに話す。

 コミュニケーションをとるためのツールは、当事者と周囲の人々を繋ぐ。そして、相手に「気づき」を与え、支援の輪を広げる。そんな「気づき」の積み重ねが、「誰ひとり取り残さない」社会の実現への道を開いていくのだと思う。

・神倉伊吹      関西学院大学 1回生    “19歳の私にできること”

大学からの帰り道の出来事である。私はSDGsトレインと称した阪急電車が目の前を通り過ぎるのを踏切の前でぼんやりと眺めていた。電車が通り過ぎ、遮断機が上がると同時に、自転車の後ろに子どもを乗せた母親がこちらの方に渡ってくる。子どもは母親に必死に問いかけていた。「ねぇ、お母さん!SDGsってなに?SDGsって長いからSDって略せばいいのにね。」お母さんは笑いながら答えた。「SDGsってもう略されているのよ。SDじゃ意味がわからなくなるの。それからSDGsは”みんなが生きやすい街を作ること”よ。」私はその言葉に振り返り固まった。持続可能とかそんな難しい言葉ではなく、生きやすい街か、そうかSDGsは我々が生きやすくなるための社会的目標なのか、と納得し歩きはじめようとした。が、もう一度足を止めた。生きやすい、、とは何か?

 私はSDGs という考えが当たり前になっている社会に生きにくさを感じている。今、思えば私の高校生活はSDGsに染まっていた。毎月の公演会には必ずジェンダーに違和感を覚えた人が自分自身を理解してもらえなかった過去をひしひしと私たちに伝えた。そして私たちの感想文の結びは大抵、”性の区別はよくないと思います”なのである。英語のディベート大会のテーマは毎度毎度『コンビニやスーパーのビニール袋の廃止に賛成か反対か』だった。こんなディベートは最初から賛成派が勝つに決まっている。だって賛成派でなければSDGsを推奨する今の時代に合っていないと私たちが非難されるでないか。私たちはディベートを聴く前から紙に賛成派が良かったと書いて、投票ボックスにつっこんだ。異文化理解の授業で学んだこと、、あぁ、またSDGsか。フェアトレードについて何度も映像を観た記憶がある。今週はチョコレート、来週はレアメタル、再来週はUNIQLOの服について、その次は、、はいはい。わかったわかったと私は隣の席の友人に目配せした。友人は笑いながら目を伏せた。仕方ないよと言わんばかりに。映像を観終わった後の口頭発表では必ず皆口を揃えて、”これから買う商品がフェアトレード商品か確認しようと思います”だった。果たしてそれを実行した人間がどれだけいたかは知らないが。私はSDGsについて他の人間よりは詳しいのかもしれない。ただSDGsに対して持つ感想はありきたりなものでしかないのだ。そしてきっとそれは私と同じ歳の人間ならそう考えるしかないのだ。今の私たちにできることはSDGsを当たり前にしようとする社会に順応することでしかなく、それ以外には何もできないのだから。そう考えると、あの子どもの母親が考えている”SDGs=生きやすい街づくり”という方程式は間違っていて、”SDGs=今ある社会に順応すること”が正しいよな、どれだけ生きにくいと感じても、と捻くれた回答を出した。

 いや、違う。SDGsとは何か?と質問したのはこれからの未来を担う我々の若き青い芽ではないか。今を生きる我々が生きやすいか生きにくいかではない。これからの未来が明るくなるための礎を我々は築いているにすぎないのだ。説教くさいSDGsの授業に対して持つ感想がどれだけありきたりでも良い。それが何度も繰り返されて、本当の意味で当たり前になったとき、きっとこれからを生きる子どもたちは生きやすいと感じるだろう。19歳の私ができること。それは今を生きる私とこれからを生きる活き活きとした未来を繋ぐ架け橋となることだ。

・井川令那      聖マリア女学院高等学校3年生    外国人労働者を救いたい 

多くの日本人は気づいているのだろうか。私たちの普段身近にある、洋服やコンビニ弁当や野菜は外国人技能実習生や特定技能の人たちによって支えられていることを。さらに、私たちが普段暮らしている家や近年終の住処となっている老人ホームでも多くの外国人が支えてくれている。もはや、私たちの生活は生まれてから死ぬまで、彼らの支えなくして私たち日本人の生活は成り立たない。

 しかし、彼らの労働環境は劣悪でありながらも、私たち日本人のほとんどは見過ごしてきた。私はこの作文で多くの人に外国人の労働環境について関心を持ってもらうとともに、将来、私は多くの苦しむ外国人労働者を救いたいと考えている。

 私には外国人労働者の問題を身近に感じたある一つの事件があった。それは私が中学生の時に、私の家の近所にある縫製工場で賃金未払い事件が起きたことであった。実は、毎朝、すれ違うと「ニーハオ」や「おはようございます」と挨拶してくれる外国人労働者たちが実はその事件の被害者だったのだ。彼女たちは過労死ラインを超えながら働くが、毎月の賃金は10万円ほどだったという。私はこのことが衝撃的だった。これほど身近に苦しむ人がいながらも気づくことも、興味を持つこともなかったのだ。思い返せば、塾からの帰りが遅くなり22時ごろに事件の起きた会社の前を通った時、電気がまだついていること。さらに、毎日中学生が登校するような朝早くに出勤していること。なぜ一つも疑問に思わなかったのだろうか。私はこの事件が起こるまで、外国人労働者について興味すら持ったことがなかった。ただ、出稼ぎに来ているだけという浅はかな認識だった。それを恥ずかしく思うと共に、解決しなければならない問題であると痛感した。

 この時の私のように「何も知らない」日本人は多くいるのではないかと考えている。それがよくわかる例が存在する。日本人の労働問題についてはテレビや新聞といったマスメディアが大きく取り上げている。しかし、外国人労働者についての労働問題についてのニュースはほとんど見かけることはない。あったとしても、日本人の事件のように深刻さを熱心にアピールするような場面が見られることはない。

 このような状態では、外国人労働者の労働問題が改善されることはないだろう。近年、日本人の労働問題については官公庁がモデルとなり、改善の方向に向かっているが、外国人労働者については取り残されているといえるだろう。確かに、政府が外国人技能実習制度などの改善をするために有識者会議を始めた。しかし、現在苦しむ外国人労働者の救済支援は民間のNPO法人に丸投げの状態であり、政府は何もしていないといっても過言ではない。そして、いつ制度改正が行われるかわからない状況の今日では、しばらくこの状況は続いていくだろう。

 だから、この状況を変えていくためにもまずは、多くの人に関心を持ってもらいたいと考えている。私たちの生活は外国人労働者によって支えられている。それは衣食住の全てにおいてであると。このことを知っているだけでも、外国人労働者の問題は身近に感じられ、このままではいけないと行動したくなるはずだ。そうすれば、今のような外国人労働者の労働問題が取り残されることは無くなるだろう。そして、多くの関心が集まれば、社会問題として多くのメディアに取り上げられ、さらに多くの関心が集まると言った連鎖が起こる。この状態にまで広めることができれば、政府や現在不法労働行為を行なっている事業者に対して意識変容を起こせるのではないかと確信している。

 しかし、多くの人の関心を集めることは極めて難解である。だが、私は声を上げ、この問題と向き合い続ける。そして、将来は外国人労働者が平等な存在として、日本人労働者と共に安心して働き、暮らせる社会づくりをするのだ。

・髙嶋美海      高校2年 無意識の区別   

私は、人(特に外国人)と話す際、意識していることがある。肌の色や顔の特徴など差別的に捉えられる事は決して言わないこと。「そんなこと当たり前だ」と思う方もいるかもしれない。しかし、そうは思っていても無意識のうちに「日本人」と「外国人」と区別して接してしまうことがある。

東京で開催された、ワールドフェスティバル。そこで私は様々な国から来た、多くの外国人に出会った。日本人はほとんど居なく、留学に似たような気分で彼らとの会話を楽しんだ。彼らはカタコトの日本語でもコミュニケーションを取り、出身地の話や日本での生活のことを話してくれた。

そんな中私は一人の男性に出会った。私は彼の見た目で、周りの人と同じように、純日本人ではないことがわかった。挨拶をして話をする。

彼に対する第一印象は、日本語がとても上手。私は思わず、「日本語上手ですね!」と言った。すると彼は、「ずっと日本に住んでるから日本語が母国語だよ」と言い、「日本人っぽくないでしょ〜」と笑っていた。

彼の言葉を聞いてハッとした。私は見た目で彼を外国人だと判断したが、彼は日本で生まれ日本で育った。彼は日本人によるこのような「無意識の区別」をたくさん経験してきたのだと思う。日本には多くの外国人がいるが、彼のように「日本人であるのに外国人に見られる」人はどれだけいるのだろう。彼らが日本以外の国に行ったとしても、日本語のように流暢に話すことは出来ず、外国人だと思われてしまうのだろうか。

実際、私がこの問題について調べていた時、似たような経験をした外国人の記事を見つけた。特に印象に残った「どこへ行っても外国人で、居場所がない」という言葉は、忘れることができない。居場所がないと感じることは、どんな気持ちだろうか。

私たちは、彼らの居場所を作る必要がある。現在、在日外国人を対象にした日本語教室やコミュニティが作られている。しかし、このような支援を行っていても、居場所がないと感じてしまう人がいる。それを解決する為には、ひとりひとりがグローバル化を受け入れていく必要があると考える。これから日本には今以上にたくさんの人が外国からやって来るだろう。その際に、彼らを差別的な目で見るのではなく歓迎し受け入れることで彼らの居場所は作られるだろう。

私は、日本にいる外国人、或いは日本人であっても、すべての人に平等に区別なく接することが一番大切なことだと考える。それをして初めて、居場所を再確認し

「日本人」であっても「外国人」であっても共生することができる。

・谷川実那      横浜市立大学3年 わたしにとってのSDGs  

何気なく見ていたインスタのストーリーでこのコンテストを知った。その時なんとなく「あ、書きたい」と思った。その直感を信じ、想いを綴ってみようと思う。自身の大学の至る所にSDGsに関するポスターが貼られている。SDGsと言われても正直自分事には感じられない。それだけ聞くと規模が大きすぎるし、あまりに抽象的であるから。だが「誰一人取り残さない」と言われると、パッと思いつくものがある。エンターテインメントである。小1から続けているダンス、幼少期から好きな音楽、アイドル、アニメ。私の人生はエンタメに包まれている。むしろエンタメしかないと言っても過言ではないほど。現在もダンスでの活動を続け、ダンスで友達を作り、ダンスにお金と時間を費やし、ダンスに励まされて生きている。そんなエンタメをより多くの人に届けたいという想いからエンタメ企業を志望し、就活をスタートさせている。その際、軸としているのは「エンタメを通してすべての人に居場所を作りたい」という想い。エンタメが作る居場所は物理的な居場所とは異なるあたたかさがある。その居場所は自由に行き来することができる。気分でなければ、そのエンタメのもとへ行かなくていい。その音楽が好きな気分なら聴けばいい。今は響かないなら遠ざけてもいい。気持ちの変化で自由に変えられる。いつでもどこでもそばにいる愛と優しさの居場所。音楽もアニメもいつだってそこにある。思うように歌えば、それがエンタメになるし、街中に流れる音楽に乗せて身体を揺らせば、いつだってエンタメが生まれる。お金持ちであろうと、貧しかろうと、友達が少なくて、家族とうまくいってなくて、周りに居場所が感じられなくてもいつだってそこにいてくれるもの。誰にも何にも排除されない、取り残されない広大な、でも身近な居場所。

こんな考え方になったのには、きっかけがあった、のだと思う。今思えば。そのひとつにダンスチームs**t kingzの「独裁者―最後の演説―」という映像作品を見たことが挙げられるだろう。この作品はSNSを中心にBlack Lives Matterの運動が拡散された2020年に公開されたものである。音楽ではなく、チャップリンの映画The Great Dictatorの最後のスピーチに振付をし、パフォーマンスしている作品だ。自由と平等を訴えるこのスピーチと、彼らの言葉のない、質素な衣装と簡素な空間での、ただ想いが込められたパフォーマンスに衝撃を受けた。差別を受け、苦しんでいる世界に彼らの表現で寄り添った。言葉の伝わらない異国の地へも、言葉がないからこそ伝わるのがエンタメの持つ力である。どんな人も取り残さず、居場所を生み出したいと訴えたのだ。エンタメの素晴らしさとそれが提供する居場所のあたたかさと強さを感じたこの瞬間は絶対に忘れないだろう。

もうひとつきっかけがある。それは日本のダンスのプロリーグであるDリーグの一番始めのシーズン中にavex ROYALBRATSというチームが披露したBeautiful Rainbowという作品を見た時である。この作品には「性別なんて関係ない 誰も私の色なんて決められないでしょ? だって私たちはみんなBeautiful Rainbowだから」という想いが込められている。日本では友人に赤ちゃんが生まれたとき、女の子であればピンク、男の子なら青、どちらかわからなければ黄色のものをプレゼントするという習慣があるというチームディレクターだったRIEHATAさんの経験から作られた作品である。この作品で主役を務めたMacotoさんは自身も性に対する感覚で悩んだ経験があるという。なんてそばにある居場所なのだと身にしみて感じた作品であった。物理的に周りの環境に居場所がないと感じていても、エンタメは誰にだって寄り添ってくれる。また当事者でないと思っている人に考えてもらうきっかけを提供することができる。そう、あのときの私みたいに。もしその人がエンタメを通して新たな価値観を得ることができたら、より多様な価値観・文化を受け入れられるようになるかもしれない。ほら、また別の誰かの居場所ができた。

最後に伝えたい。私はエンタメには世界中の人に居場所をくれる存在であると信じている。居場所がないと感じ、何かから排除され、取り残されているような感覚に陥ったときはあたたかく寛容なエンタメに助けを求めてほしい。日々新たなエンタメが世界中で生まれ、人の数ほどエンタメがある。必ずあなたに寄り添ってくれるエンタメがきっとそこにある。凄まじいパワーであなたを救ってくれる。誰かを排除する武器や言葉の刃を捨て、小さな価値観の違いによる仲たがいを辞めよう。その空いた心は音楽やダンス、エンタメが潤してくれる。エンタメと共に生きてきた私がその証明となれるように世界のあらゆる人へ居場所を届けることのできるエンタメを創りたい。

これが私にとってのSDGs。エンタメが創り出す、こころも持続可能な社会。

私に、その時々の居場所をくれた全てのアーティスト・クリエイターに敬意と感謝を表して。

・森島菜月      和歌山大学 3年  「普通」とは 

 『「普通」とは何か。』永遠の疑問である。彼氏と話す時、友達と話す時、バイトの先輩と話す時、就活で人事の方と話す時、私は相手に合わせて相手によく思ってもらうように、相手に嫌な気をさせないように気を遣って話している。相手の尺度を話しながら自分なりにはかりとって、それに加えて相手の年齢、性別、住んでいる地域、経歴、趣味それらを加味して、相手に最適な言葉を選んで、会話を進める。今この文章を読んでいる人は、「そんな面倒くさいことしてないぞ。」と思っているかもしれないが、ゆっくりと過去の会話を考えてみるときっと私と同じだろう。人に気を遣いながら肩身狭く生きる自分嫌になる。だけど、こいつ変だ。と思われたく無い。だから人間はみな相手に合わせ、自分を隠しながら生きている。私はいつしか、そんな世間に強い違和感を持つようになった。自分をめいいっぱい表現したいのにできない、そのことにモヤモヤしづけるようなしつこくて、常にまとわりついているような厄介極まりない違和感だ。今私は大学3年生で、就活が始まっている。自分を隠して、企業の方針に自分を無理やり重ねて、大学時代のエピソードを美化する。そして、さもこの企業は私と運命です。私はこの会社で貢献して、会社をより良くできます。とありもしない自信をエントリーシートにしたため、面接に臨む。おかしい。就活のトリセツ?スーツ?綺麗な身だしなみ?みんな同じような格好をして、同じような原稿を心の中に忍ばせ、就活をする。なんとも奇妙な光景だ。受験とは違い、努力がそのまま結果につながるでもない。就活は人事の人に好かれたもの勝ちという言葉をよく耳にする。人事も人間だから仕方ない、仕方ないのだろうけど私はずっと「これじゃ無い感」がある。

 私は自分を作りたく無い。ありのままの自分でいたい。自分の性別も、性格も、病気や体調全てが個性であり、「普通」はなんてものはないと思う。「普通」なんて言葉は無くなればいいのに。人の可能性を狭めて、生きづらくする最悪の言葉だ。この言葉があるから、人は相手に合わせ、自分を隠し、好かれようとして生きている。自分を変えたいという言葉をよく聞く。私的には自分を変えたい=普通の枠から外れたいということだと思う。私は2022年の1月にモデルとしてランウェイを歩いた。小さい頃から雑誌のモデルに憧れてはいたけど、身長が低いという理由で挑戦をあきらめてきた。初めて自分でオーディションに申し込み、自分の実力で合格し、何日も練習をして本番の日にランウェイを歩いた。本番は何とも言えない、清々しい気分だった。ランウェイの高い位置から客席の方を見ると、周りからの目線を気にしてモデルに挑戦しない自分が目も合わせられないぐらい恥ずかしそうな顔をして肩身狭く座っているようであった。私はその後ミスコンや撮影モデル、様々なことにチャレンジしていった。周りの目を気にしたり、普通に囚われる自分はもういなかった。友達に何で言われようとインスタで自分の発信をし、自分の写真を載せ、自分の意見をしっかりと人に伝えるようになった。「普通」の裏側に「挑戦」はある。だから、もっともっとみんな自分を隠さず生きてほしい。自分のしたいことをしてほしい。やりたいこと、小さい頃からの夢をめいいっぱいいますぐに叶えてほしい。「普通」にとらわれずに生きる人が一人でも多くなることを強く願う。

・野村洸貴      南山大学法学部4年      取り残さない社会を作る温かい視点       

「取り残される人」の視点でsdgsを改めて考えたとき、自分は何で取り残されているのかを洗い出してみることにしました。自分が取り残されているなと気になっていることとしては、軽いadhdの症状があることです。Adhdの症状の例としては、細やかな注意が出来ずケアレスミスをしやすい、注意を持続することが困難、外部からの刺激で注意散漫になりやすい、日々の活動をわすれがちであるなどが挙げられます。

自分は大学生でアルバイトをしているのですが、マルチタスクがなかなか難しく、何個も物事を頼まれると結局自分が何をすべきなのか忘れてしまうということが頻繁にあります。そこで紙にやることをリストを書いたりなどして、一つ一つ仕事を終わらせるという方法にするなど工夫はしていますがなかなか症状そのものを治すことが出来ず、難しさを感じています。そんな僕でも温かく受け入れてくれているアルバイト先があります。人と話すのが得意という点や、Adhdの良い面である、色々なところに興味を持てるという点をすごく評価してくれていて、自分の上で挙げたような悪い点を見るのではなくて、よい点をもっと伸ばそうという視点を普段のアルバイトでもすごく感じています。

私はこのように不得意やできないことがあったとしてもその人の得意なところ評価できるところは必ずあって、それをもっと大事にしていこうという温かい姿勢が「誰一人取り残さないようにしよう」ということに繋がってくるのではないかと思います。自分もアルバイトにおいてそれを感じて以降、他の人の苦手な部分を見たときに、この人はこういう得意なところがあるからと思えるようになってきました。分業制が昔に比べて格段に進んでいる今の世の中で、人の不得意な部分より得意な部分に目を向けてあげることが、大きな意味での「誰一人取り残さない社会」につながるのではないかと私は考えます

・松下奈央 日本写真映像専門学校写真コミュニケーション学科1年 

眼差し続けること、「あ」と思うことへの覚書。  

あなたがたは、私は、どれほどあなた「自身」の、わたし「自身」の眼差しを元に物事をみているでしょうか。あなたがたは、私は、どれほど「実際の経験」に基づき物事へ眼差しを向けているでしょうか。

私は写真を学んでいます。

ある先生が言いました。

「人間は、色々考え創作をし、言葉を尽くして表現を紡ぐが、ナショナルジオグラフィックには勝てない」と。

ナショナルジオグラフィックとは、アメリカの非営利の科学・教育団体であるナショナル・ジオグラフィック協会により1888年に創刊された雑誌で、「事実に基づき、エンターテイメント性を兼ね備えた創造で人々の知的好奇心を刺激し続けあらゆる領域の“未知”へ挑み、次世代の“知”へと変えていく」との理念に基づき、ドキュメンタリーを扱っています。地球が丸いことを証明した写真や海中・空中撮影の写真を最初に掲載し、私達が住むこの星の本当の姿、確かな事実を掲載した雑誌です。

先生は「目前に壮大な確固たる事実があるのに、それを真っ向から捉えずあれこれ脚色してしまうことが悔しい。エゴでなく、光を写す写真の力をもち、見た人に何か気づいてもらう、ただ事実を伝えるための脚色がしたい。自然を民族を人間を慣習を。私達からしたら異質でも、地の果ての彼らには当たり前のことを、ただ写して伝えたい」と言いました。

「この単純な願いを実行することが本当に難しい。」とも言いました。

ペンギンについて話をします。

多くの人は、水族館や動物園で肉眼でペンギンをみたことがあるでしょう。水槽の中、檻の中、過ごす姿をみたことがあるでしょう。

しかし、殆どの人は野生のペンギンを、本当にペンギンがペンギンの人生を純粋に成している姿は見たことがない。『ダーウィンが来た!』などの番組、写真家セバスチャン・サルガドの『Genesis(起源)』に収録された写真など媒体を通してしか知ることができない。

群れで生きるおびただしい数のペンギン。弱肉強食に晒されるペンギン。本当のペンギンを見たことがある人ってどれくらいいるんでしょうか。

話が飛躍しましたので本題に戻ります。人は、どれほど「実際の経験」に基づいた眼差しを持っているでしょうか。

私は、あなたは、日々生活する中できっと何かしらを抱えています。知らないだけで、きっと事情を抱えています。体の不調、心の不調、うまれつきの障害、後天性で現れた障害、対人ストレス、セクシュアリティ、老化衰退、生きるための仕事、ちいさな悩み、大きな悩み。

普通の人っていないと思います。でも、私は言葉を交えない限り、人が抱えた何がで苦しむ瞬間を、動揺やサインを目撃しない限り、気づかない限り、私があなたを知らない限り、他人や、共同体や目前の人が何を抱えているのか私自身がどう在るのかもわかりません。

周囲についていけないことってありませんか。

多くの創作作品では、子供が男女の仲を簡単に囃し立てる姿、見かけの特徴を簡単に揶揄する姿が描かれます。実経験として覚えはありませんか。

哲学者ソクラテスは「知らないことは罪ではない。知ろうとしないことが罪なのだ。」と言葉を残しました。子供は生きた年数が少なく、人や物事との出会いも少なく、事象や病気や特性の存在も知りません。わからないことがわからないのが当たり前で、子供同士で、家庭で、周囲の大人の姿を見て、本を読み、物事を眼差し、話をし、少しずつ経験し判断材料を増やして思考を養うのがちいさいこ。

では、少なくとも20年は生きて、何かを見てきた世間の多くを占める大人たちはどうでしょう。

義務教育のように、定期的に試験や学ぶ場所を強制的に与えられなくなった、自ら思わなければ学ぶ機会を得られない、機会を知ることすらできない大人達はどうでしょう。「実際の経験」をどれほど増やしていけるでしょうか。

開放されている場に行けるか行けないか。図書館や何かに通うこと、人を頼ることを恥で無いと思えるか。目前の人をしかと見つめ対峙できるか。他人や自身に「あ、」と思った気付きをないがしろにせず受け止められるかどうか。

わからないことは不安です。怖いです。足元が崩れ落ちていく感覚がする。

不安は人を単調にし、防衛は時に暴力と化す。

わからないを取り除くために、目を背け決めつけて、有耶無耶にすることは簡単です。でも、勇気を出して、わからないことを、何が不安なのか目前のひとは、わたしは、どういう状態なんだろうということを考えてほしい。

知ることは理解に繋がります。諸問題の解決の糸口は、まず、営みの最中の物事、人間の状態を知ることです。

どうか、眼差すことをやめないで「実際の経験」を獲得してほしいと願います。経験を手放さず対峙してほしいと願います。あなたにもわたしも不安がなくなれば、容易く、歩み寄ることができると思うから。

・島田草太朗    京都大学理学部3回生    メタレベルの暴力       

「誰一人取残さない」なる類の言葉は随分流行であり、誰であれ「多数派に脅かされる少数派」なるを措定して彼等の庇護者を自称する。「誰一人取残さない」なる言葉を自画自賛して、措定された「少数の声」を疎外する者の人格を否定する者は既に多数派である。

 「多様性」は根本に於いて、何を「偏り」と見做すかに関わる言葉である。「極端な思想」等イデオロギーに関して我々は「偏り」を測り「平衡」を重視するが、「偏り」「平衡」を定める物差し自体一イデオロギーであり、それこそが我々の棲むイデオロギーである。測られる側も測る側も共にイデオロギーであるという意味に於いて「多様性」は本質的に「偏り」と同一である。統計を駆使し恰も定量的かの風であるが、特定の量的基準を所与とする言葉でなく、その行き先は結局特定の価値観への帰属である。実際「多様性」という標語に推進されていることは「凡ゆる性や人種の普遍的社会進出」とかであるが、本当に「性」や「人種」の区分無く考えられれば、つまり「性」「人種」という語が無意味と成れば、我々が推進していたのは何であると振り返るのか。他の多くの標語同様、「多様性」も又、意味の曖昧さ故に都合良く人々の心象に訴え掛け頭を垂らさせるだけのものではないか。我々の自称「多文化主義」は、文化に束縛されぬ人々を是とする、即ち文化から解放され自己決定権を文化を超越して持つ個人を是とするが、文化に束縛された人々、即ち自己の行為の一切を帰属文化を因にする人々は是とせず、彼等が自己の行為一切が帰属文化への服従であると公にするならば「原理主義者」として脅威と見做す。逆説的ではあるが、「多文化主義」は帰属文化を真には持たぬことを原則とするそれ自体特定の文化である。

 「政治的公正は、語る主体のよって立つポジションを変えるかわりに、語る内容に関するルールを押しつけるのである」(*1)。「脅かされた人々の救済」を叫ぶ者は、何を「救済」とするか、延いては溺愛の倫理を、「脅かされた人々」という札を授けた人々に刷り込む。「弱者の味方」「私達もいつ貴方の立場になろうと不思議でない」等反復し「味方」の持つ倫理や「弱者」という立場を立派に信じ込ませる。手段目的の邪悪さを捨象した活動形式自体はナチスの群衆洗脳に合致する。例えば、或文脈に於ける「時代に着いて行けない人々」なる語の反復は「時流を理解出来ぬは嘆くべし」なる感覚を刷り込み群衆の大部分を落ち込ませる。庇護者に見せ掛けて自らの社会に着いて来ることに躍起に成らせ、自らの社会を暗に正当化する。大きなお世話だ。原理主義テロリストは自己中、自己のみが関心故に攻撃的であるのではなく、他者への嫉妬故に自己を犠牲に攻撃する。唯利己というのみなら他者を理想郷に含むことに無関心で我々のみの理念で十分で如何でも良い他者の排除は馬鹿馬鹿しい。頻りに翼賛される他者への関心関与は、「低次元の、粗野な、下品な、金銭ずくの、卑屈な、一言でいえば自然な喜びを否認」し「文化的神聖物を聖なるものとして構成する行為であり、昇華され、洗練され、無私無欲で、無償で、上品で、単なる俗人には永遠に禁じられている快楽で満足することの出来る人々の優越性を肯定すること」(*2)に過ぎぬのではないか。そもそも他者という認知自体の根本が鬱陶しいものとして為され、関心は警戒、関与は懐柔という気もする。利己と利他は対立ではなく、例えば我々溺愛の「平等」が指すのは禁欲主義に拠る嫉妬の解消であり利己でも利他でもない。利己は目的論的であるから疎外と言い換えては如何か。我々は疎外と聞けば反射的に問題視するが、疎外が他者との平和を生みはしないか。実際、仏教の言う「俗を断つ」は、他者への自己没入の解消、無関心であり、疎外ではないか。

 本小論は、各集団を俯瞰した心算で「誰一人…」と言われるが、それも又、各集団がその内部に於ける真実を集団相互間の客観関係の真実として錯覚したりさせたりする一つに過ぎぬ、なる考を基点に持つ。本小論含め、異なる思想相互の批判は共に恰も互いの客観化の様であるが、その相互の客観化自体が思想相互の関係の部分、象徴的攻撃であり、故にそれ自体決して客観化され得ない社会構造である。メタレベル自体社会構造の部分でその社会構造に対するメタレベルが存在して…、ということである。そして先に述べた本小論の基礎の考えは、社会の部分としてのメタレベルの暴力性と要約される。社会構造を批判して寛容や暴力を議論するメタレベルそれ自体の、それ故不可視の、暴力が有る。この種の暴力性を批判する為に、「今直ぐ行動」という直接関与の誘惑に抗して、唯只管に批判の為の批判をし、全く希望を齎さぬ所に敢えて留まり続けたい。これも一つの疎外か。

*1 スラヴォイ・ジジェク著、中山徹訳『暴力ー6つの斜めからの省察』青土社、2010。

*2 ピエール・ブルデュー著、石井洋二郎訳『〈普及版〉ディスタンクシオン ー 社会的判断力批判 I』藤原書店、2020。

・柳原愛        梅光学院大学3年 言葉の壁を解消するための様々な方法

「言語の壁を解消するための様々な方法」 

SDGsの「誰ひとり取り残さないようにする」という理念について考えたときに、まず私の頭の中に浮かんだのは海外の子どもが日本にやってきたときに言語の違いから孤立してしまう問題のことだ。この問題を解決するために、まずはその国について知ることが必要だと思う。なぜなら国について知らないと、思っていたのとは違ったり、新たな一面を知ることができるからである。例えば、ウクライナの首都キーウから、日本に暮らす家族を頼って3月に大阪に避難をしてきた親子の話だ。親子は日本に初めてきたため、日本語が話せなくて困っていた。そこで親子は日本語の勉強をした。子どもは、市立小学校に通い、母親は専門学校に通うことにした。このような問題を解決するために京都教育大学の教授は子ども達の学習をサポートするプロジェクトを立ち上げた。

 それに加えて私だったら、まずは色々な言語に対応できる翻訳アプリを普及させる。スマートフォンを開発している各会社に、このアプリを初期からインストールするように呼び掛ける。次に財産を日本に持って来れなかった人の為に、世界中から支援を募る。支援内容としては、お金だけではなく自分がいらなくなったスマートフォンなどを支援として送るという方法がある。まずこの方法の良い点としては勉強するのが習得に時間がかかるのに対して、その国にやってきた最初期から言語の壁に対してすぐに対応することができる。このようなメリットから学ぶという手段よりも早くに支援ができる。しかしこの方法の問題点として、勉学の場でスマートフォンを持ち込むわけにもいかない。また、持ち込む許可を特例でとっても、教員の一言一言に合わせて毎回翻訳をするわけにもいかない。

 そこで次の解決策として、あらかじめ言語の壁に対応した教材をつくることだ。具体的にはあらかじめ授業の内容を録画したものに対象の母国語の副音声や字幕をつけることだ。他には、学校だけでなく家で日本語を学べるようにあらゆる言語に対応した通信教育をすることがあげられる。他にも、誰でも気軽に学べるように本屋さんなどで色々な言語で日本語を学べる本を置くことで対応する。このように教材や学ぶ機会を用意するというだけでも、様々な方法がある。

 これらの方法のメリットとして、まず一つ目の授業内容に副音声や字幕をつける試みは、対象がすぐに授業の内容を理解することができる。また、日本語の勉強をできるだけではなく、同時の数学などの通常の教科を勉強することができる。次にあげた方法、あらゆる言語に対応した通信教育のメリットとして、いつどこでいかなる状況でも日本語の勉強をすることができる。また、親など日中仕事で忙しい人も日本語の勉強をすることができる。またもう一つあげた方法である、本屋さんにあらゆる言語に対応した本を置くことのメリットとして、通信教育よりも必要な教材が少ない為、金銭的に比較的安く日本語を勉強することができる。

 しかしこれらのデメリットとして、沢山支援があるのに対して対象がこれらの支援を知る為のきっかけとなる物がないことがあげられる。翻訳アプリは最初から入っていることから誰でもしることができるだろう。しかし、このような勉学の方法に関してはいくら支援の数があったところでどのように知ればいいのか国にきたばかりの対象が分からないし、逆に支援が多すぎて対象は混乱してしまうだろう。

 これらに対応するために、言語の壁を解決する委員会を作り、支援をする対象に対して、どのような支援があるのかをお知らせする方法があげられる。お知らせをする方法として、冊子やポスター、テレビやインターネットなどで周知する方法がある。

 このように、SDGsの言語の壁の解決策と言うだけで様々な方法がある。しかし、これらの方法を全て試すのは現実的に難しい。だからこそ、部分的に導入していくことが必要である。一つの方法にこだわるのはなく様々な方向から支援対象をサポートしていくことで言語の壁は解消できるのではないかと、私は思う。

・今凜子        立花学園高等学校2学年  取り残されない環境を作っていくために   

日常生活を過ごす中で取り残される経験をしたことがあるかと聞かれて、ピンとくる人は少ないだろう。では、取り残される経験という言葉を疎外感という言葉に置き換えてみるとどうだろうか。日常生活を過ごす中で疎外感を感じたことはあるかと聞かれたら大抵の人に思い当たる節があるはずである。

例えば、学校を一日だけ病気で休んだとする。その次の日、微妙に友人と距離ができた、なんてことや、今現在とても流行っているゲームを自分だけしていない、など様々な場面疎外感を感じる要因は隠れている。

取り残されるという言葉には、こうした疎外感という意味も含まれると私は考える。

では何故取り残されてしまうのか。それを考えるにあたり、私はなぜ取り残されてしまうのかではなく、なぜ取り残される状況がうまれてしまうのかに目を向けるべきだと考えた。

取り残される状況の要因の一つに「知らない、理解がない」ことがあるのでは無いだろうか。

実際先程の例で言うと、身内間の出来事を丸々一日分知らないことや、流行りを知らないことが疎外感を感じる原因になっていた。

次に、知らないことで起こる弊害として例にあげやすいのが病気だ。病気というものはたくさんの数がある上に、同じ病気でも人によっても症状が違うことがほとんどで、尚且つ見た目でわかるものの方が少ないため、一発で理解を得るのが難しい。

もちろん目に見える形の病気も多く存在するし、点字ブロックの認知度や、音の出る信号機などはそうした人達が社会生活を送る上での支えになっているが、バリアフリー化が唱えられている現代においてまだまだ知られていないものは多い。

私が起立性調節障害になった時も、病気自体の知名度の低さと理解の得られにくさがとても大きな課題だった。そもそも起立性調節障害という病気は、朝起きることが困難だということが病気そのものの特性であることを知らない人から見ると怠けやサボりに見えてしまう。理解を得られにくいからこそ私自身、ただ学校に来たくないだけなのではないか、朝起きれないのは夜更かしをしているだけ、努力が足りないのでは?といったことを言われることも多かった。

他にも、朝に居ることが出来ないために朝伝わるべき情報が伝わっておらず一日の生活を上手く送れなかったり、病気の説明が難しいが故に身の回りの人間関係が上手くいかなかったりと、様々な面で苦労をすることが多かった。

私たちが思っているよりもずっと、見えない病気や物事に悩まされている人は沢山いるが、その大半はまだまだ知られていない。それらを知られているものにするには、知っている人、経験したことがある人が伝えていかなければ伝わらず、分からないままになってしまう。

だからこそ私は、人がそういった病気であったり個性であったりを知ること、知られるものにしていきたい。それらを知ってもらう、分からないままにしないためにも伝えていきやすい環境づくりを整えていくことは重要なのだ。

だが今の日本社会では、そういった発信する、伝えていくということに対してのハードルがとても高い。SNSの普及によって昔よりもずっと楽に不特定多数に情報を届けられる現代だが、それには批評などがつきもので、そういったことを恐れてしまう人も少なくは無い。なにより少しでも人と違うこと、一般的では無いものを公表するのはとても勇気がいることだと私は考えている。

今のままの現代の特有の伝えにくさを乗り越えなければ、知らないことを知っていける、伝えて助け合える社会、環境というのは作れない。

私は自分の起立性調節障害にかかったからこそわかる経験を、身近な人や、これから起立性調節障害と向き合っていかなければならない家庭の方に伝え、お話をさせていただいている。私一人にできることは決して多くは無いが、手の届く範囲から一歩ずつ向き合い伝える努力を重ねていくことで少しづつでも助けになれたらと考えるばかりだ。 

・佐藤花恋      明治大学農学部1年      SNS、情報と生きていく  

「SNS、情報と生きていく」

私は平和な日本でそこそこな家庭に生まれた平凡な大学生。客観的に見たらこんなに恵まれた環境は無いかもしれない。そんな私にも「取り残されている」と感じることが度々ある。それは情報、特にSNSにおいてだ。

毎日朝起きた瞬間から眠りにつくまで、スマホを手から離せない。少しでも目を離している隙に大事な情報を受け取り損ねないか心配になってしまう。

SNSが発達した現代社会では24時間365日、とめどなく情報が流れ出ている。それが正しいかどうかなんてお構い無しに。

私たちZ世代と呼ばれる今の10代は幼い頃からSNSとともに生きている。LINEで何時間もトークを楽しんだり、インスタ映えをめざして東京の街を練り歩いてきた。もちろん、楽しい事ばかりではなくて、何気ないLINEの既読無視、グループハブ問題、インスタの親友リスト、、、など今日までSNSを通じたトラブルとともに青春時代をすごしてきた。大学生になるまでにこうしたトラブルは減ったが、SNSを利用する中でまたいつ起こるかも分からないSNSトラブルは誰にとっても身近なものだ。

また、SNSは情報そのものにも問題がある。日頃からチェックしているニュースがすごく厄介だ。AIによるおすすめ機能により、選別された情報が目につく。本来なら自分でするべき取捨選択の機会がすっかりなくなってしまった。スマホを通じて世界と繋がっているつもりが、スマホの小さな画面の中に世界を閉じ込めてしまっている。そこに私は社会との疎外感を感じる。私が今見ている世界は現実とは全く異なっているのかもしれない。連日報道されているニュースの見方もズレている可能性がある。たかだか10年ちょっとの経験では情報を正しく理解出来するのは難しい。1度偏った記事をクリックすると関連した情報がどんどん表示される。世間でそれがマイノリティだとしてもなかなか気づくことが出来ない。今はまだ情報を受け取るので精一杯で、どこまで正しいのか調べることもできていない。気付かぬうちに過激な思想に近づいてしまう。そして社会の現状から遠ざかっていく、社会から取り残されてしまう。

SDGs目標の12番「つくる責任つかう責任」。私はSNSの課題がここにあるように感じる。SNSによって気軽に情報を受け取れるようになった。それはいい事も沢山ある。しかし私のように取り残されたと感じる層も一定数存在する。便利さの裏に様々な問題があることを理解し、発達した情報社会を生き抜く力を身につけていきたい。そのためには受動的にSNSを利用するのではなく、自ら主体的に活用して行けるようにしたい。

SNS、情報に取り残されている、こんな感覚が現代社会から無くなるよう、情報の正しい受け取り方、発信の仕方を学ぶ場が必要だと思う。急激な技術の発展で倫理観や道徳が後回しにされている気がする。自己判断だけでは済まされない、「SNS、情報と生きていく」今だからこそ、大人も含めSNS、情報リテラシーについて考える時だと思う。

・野原みき      玉川大学 3年   すべての人に心の休息を 

助けを求めること、救いの手を差し伸べることができる人は一体どのくらいいるのだろうか。

 私は中学2年生のとき、学校生活に馴染めなくなった。私は、内向的な性格で人間関係を築くのが苦手だ。だから当時何でも話せるような友人は一人だけだった。それでもその友人さえいれば十分だった。友人とは1年生のとき同じクラスだったが、2年生のクラス替えで離れてしまった。新しいクラスが不安で、友人に「新しいクラス馴染めないかも」と相談すると「いつでもいくらでも話聞くよ」と言ってくれた。とても心強かった。私はその言葉に甘えて休み時間は友人のいる隣のクラスへ遊びに行った。しかし、ある日いつもと同じように隣のクラスへ行こうと教室を覗くと、その子がクラス内の友達と仲良く話している姿が目に入った。そのとき私は「入っちゃいけない」と思った。違うクラスの人間が輪を乱してはいけないと。そして中学校がすべてだと思っていた私は「独りになった」と感じた。そこから、決して仲が悪くなったわけではないが私が一方的に物理的にも心理的にも少しずつ距離を置くようになった。

 二学期に入ると毎日がなんだか息苦しくて、夜は漠然とした不安で眠れなくなった。それまでは朝型の人間だったのに太陽の光が鬱陶しくなった。でも、この気持ちを誰にどう説明すれば良いか分からなかった。私はいじめられていたわけでも、いじられキャラだったわけでもない。クラスの人は優しい人ばかりだった。しかし、私は内向的な性格であるが故に距離を置いてしまった。友人とは話はするが核心である学校が辛い、行きたくないという言葉は言えなかった。当時の私は、相談をすることは相手の時間を奪う上に負の感情を背負わせることだと考えていた。この考えがより孤立を深めていったのだと思う。そして、ただクラスに馴染めないだけで苦しくなってしまう自分が、信頼していた友人に本音を言えない自分が嫌いになった。

 さらには大好きな部活動さえ億劫になった。部活動をズル休みして帰ろうとしたある日、理由は覚えていないが衝動的に顧問の先生に「もう学校行きたくないです」と話した。反応が怖かったが、先生は部活動の指導中だったにもかかわらず、時間をとってくださり上手くまとまらない私の気持ちを聞いてくださった。いろいろと話をした中で先生に「いままで気づかなくてごめんね」と言われたことを覚えている。このとき、そんな言葉を先生に言わせてしまったことに申し訳なさを覚えた。同時に、身近に親身になって話を聞いてくれる人がいることを知り、救われた。私は中学校生活のことはあまり思い出したくない。けれど、先生との会話はずっと忘れていたくないとも思う。

 それから時が経ち、大学生の私が思うことは「助けてほしい」「助けたい」という気持ちを行動に移すことは決して容易ではないということだ。私たちは思っているよりも「取り残されている」し「取り残している」のだろう。本当は助けが必要なのに弱っていると「こんな些細なことで」「分かってもらえないのではないか」などと考えてしまう。どんな些細なことでも心の安寧が保たれていなければそれは取り残されているし、SOSを受け取る側も助けたいと思っていても手が届かなかったり、解決方法が分からなかったりということがいまの世界には蔓延しているのではないだろうか。では、「助けてほしい」と「助けたい」というそれぞれの想いはどうすれば通じ合えるのだろうか。日本にはいのちの電話があるが人手不足などで電話をしても繋がらないという事例もある。孤独感を抱く、その気持ちの大きさも助ける手段もそれぞれ違う中で、今の私には何が正解か分からない。だが、社会とのつながりを絶たないことが大切なのではないかと思う。直接会う場合でも、顔も名前も知らないインターネット上の場合でも社会とのつながりがある限り希望はある。社会に絶望して苦しんでいるのにそれでも社会とつながりを持たなければならないのはとても苦しいことだ。それでも、そのコミュニティが助けになるかもしれない。どのような方法であろうと、少しでも気持ちが休めるのなら私はそれを活用し、手を差し伸べたい。

・岸田悠人      立教大学4年    世界の理想を思い描く

何から取り残されないのか、という問いには大きな意味では明確な答えがあるように思います。それは、SDGsで掲げる17の目標を達成する過程から、ということです。

 しかし問題は、SDGs達成後の理想の世界がどのようなものか誰も実感できていないことにあると思います。つまり、それが多くの人にとって何のためにやるのか、何をもって達成したことになるのか、全く明確ではないのです。

例えば4番の「質の高い教育をみんなに」一つを取ってみても、私たちが実際受けた受験に勝つための教育は、持続可能な社会を作るうえで本当に質の高い教育といえるのか判断できませんし、学校に通えずに苦しむ国がある一方で、日本では学校に行きたくなくて苦しむ子どもがたくさんいるという矛盾があります。

貧困や飢餓がなくなるのは確かにいいことですが、生活が豊かになれば必ずしも幸せになれるわけではないことは、私たちの社会が証明しているようにも見えます。

自分の生活に精一杯で生きづらさを抱えている人が大勢いる社会で、ほとんど機能しない政治を前に、全ての人が公正に社会活動に参加できるようになったとして、そんなことが自分にとって何の得になるのか、考える余裕のある人はどれほどいるのでしょう。

誰一人取り残さないと声高に宣言する前に、私たちの社会は本当に前へ進めているのでしょうか。

そういった元も子もない現実を明らかにしたうえで議論しなければ、窮屈な世の中ではあるけど生活に特に困ったことはない、と感じている大多数の「普通の人」は、SDGsを弱者を救うための理想論だと決めつけて、真面目に扱おうとしないことがあっても仕方がありません。私は思うのですが、社会を構成する一人一人がその社会を真剣に考えようとする前提があって初めて、「誰を取り残さないか」について語ることができるのではないでしょうか。

私は大学でサステナビリティビジネスの観点からSDGsについて考える機会が多くありました。今回は自分の実感というより、そういったメタ的な視点から私の考えを共有できたらと思います。

去年の夏に滋賀へ帰省したときのことです。地域のコミュニティで長を務める祖母に聞かれました、SDGsってなんかいいことあるんか。町を上げてSDGs的な取り組みを行うために、祖母はそれを町民に興味をもたせるように説明したいらしく、とても困っていました。私は、経済性重視の資本主義社会が有効に機能しなくなり始めた現代で、人間性を重視した持続可能な次の社会を模索するための指標みたいなものがSDGsだ、と授業や本で勉強したことをとってつけたような説明を用意して、ふと思いました。こんなことが、この小さな町でどんな役に立つのだろう?この説明は果たして、町の人の興味を少しでも引くことなんかできるのだろうか?

 私にはこの疑問が、社会に取り残されているように感じてしまう原因の一つを捉えているように思えます。つまりこういうことです。巷では何やら頭のよさそうな人たちが多様性とか持続可能な社会だとかを謳っているけどよくわからない。確かにみんなが公正に暮らせる社会はいいと思うけど、それが自分にとって何の助けになるのか分からない。ということです。SDGsの論理だけが先走ってしまい、誰も自分やその周りの人の生活に引き付けて考えることができていないのではないでしょうか。そしてその頭でっかちな空気感が世の中の暗さと相まって、強い孤独感を引き起こすのだと考えます。

では考え方の次元で何かできることはあるのでしょうか。最後に、それを踏まえてどんな姿勢が今必要なのか、自分なりの考えを書いてこの文章を終わりたいと思います。

そもそも、「誰を取り残さないか」について考えるのは不毛であり、傲慢な態度です。それよりも、みんなが自分の理想を考えそれを実現するよう行動し、その多様なアクションを受け入れる社会体制を作ることこそが必要だと思うのです。助ける人、助けられる人で分けるのではなく、自分で助かることができる仕組みをみんなで作る、その視点が必要なのではないでしょうか。あくまで自分の問題として何ができるかを考え、声を上げるべきだと思います。誰かのためではなく自分のため、社会のためではなく自分と周りの人たちのために。そしてそういう行動すべてが、SDGs的な取り組みなのだと思います。

今は、自分の力で新しい価値を作れる時代です。あらゆることに自分で意味を与えられる時代です。行動を起こせば必ず何かを変えられる、これは正解のない変化の激しい時代にあって、私たちを支えることができる一つのテーマだと考えます。

何かと閉塞感があって暗い世の中ですが、それでも私はこんなに面白い時代に生まれたことに感謝しています。世の中に思いを馳せ、一緒に傷つくことができる優しい人たちが数多くいることに希望を持ちながら、連帯してよりよい世の中を作っていけることを、その一員として心から願っています。

・久保姫乃 クラーク記念国際高等学校 横浜キャンパス 総合進学コースインターナショナル専攻1年

あなたは「取り残されている」と感じたことはありますか?

特にいじめられている訳でもない。毎日学校にも通っている。友達もいる。勉強も運動も好きだ。それなのにどうしてこの世から切り離されていると思ってしまうのだろう。私は中学校2年生の時に漠然とそう思った。誰かのせいではないと分かっていても次第に人が怖くなっていき、楽しかった学校にも、全力で打ち込んでいた部活にも行かなくなった。

中学校を卒業し、高校生になって半年過ぎ、友人たちが目に見えない孤独を打ち明けてくれた。私はとても驚いた。同じ悩みを持って生活しているのは私だけではなくて、本当にすぐ近くにいたのだと。私たちの周りで孤独を抱える人は3人に1人いるそうだ。そんな中で、こうして目に見えない孤独を抱えているのは子供だから、思春期だからではない。大人や老人だってそうだ。私たちが今を生きている社会でそう感じている人は少なくない、逆に多い方だ。その悩みの種は人それぞれ違う。例えば自分はお金が無いから、本当は男の子、女の子になりたい、勉強が出来ないから、病気があるから。だから仕方ないと思ってこの世界から”切り離されている”と悲観的に捉えてしまうのだ。

誰のせいでもない。誰も悪くないのに。しかし、私はこう考える。切り離しているのは私たちの方ではないか。「自分はここに居ていいのだろうか」と考えてしまう人に「ここに居ていいんだよ」と手を繋いで寄り添ってくれる人は数少ない。スカート、スラックスを履いているから「普通と違う」と決めつけているのは私たちの方なのだ。学校やクラスにいるだけで男装女子、女装男子と言われてしまう。私たちは同じ人間として共通しているものがあるが、心まで共通している訳では無い。未来の自分を決めるのも、過去の自分を否定することができるのも全てその決定権を持っているのは自分なのである。

私は今でも「取り残されている」と感じる時がある。それと同時に「普通とは違うんだ」と悩み、葛藤している人も多くいる。あなたのすぐ近くにもいるかもしれない。よく話す友達、家族、もしかしたら今日電車が同じだった人、道ですれ違った人、あの芸能人だって。他人事ではないのだ。自分がそう感じてしまう時が来るかもしれない。

私は決めつけの固定概念を外し、心の中で手を繋ぎ合えるような社会を望みます。誰一人取り残さないために。

・山下夏葉      関西学院千里国際中等部2年     

学校という社会から毎日は登校できない生徒を取り残さないようにするには 

僕は朝起きることができません。起立性調節障害といって血圧の調整がうまくできません。朝は血圧がとても低く起きることができても動きだすことができないのです。他にも体がだるくなったり頭痛になったりします。

そのせいで学校の授業に全てでるのは難しく、少ししか授業を受けることができません。そのため、勉強面では同じ学年の友達からは後れを取っている状況です。友達と話す機会もどんどん減っていき、「学校という小さな社会から取り残されている」と強く感じています。僕は今自分でネットから動画やサイトを探してきて好きなことを勉強していて、普通に学校に行くよりは今の生活の方が良い気がしています。でも僕の思う普通の、1年前にいた中学校という社会から僕は取り残されています。だからこそ少しでも学校へ行きたいと思って午後から登校できるときは登校します。ですが、普通に学校に毎日通えていたときから考えたら圧倒的に少ない友達と話す回数から自分がもうクラスから学年から浮いた存在になってしまっていることを実感します。

そして、僕のような人が世の中には他にも沢山います。なぜならTwitterやいろんな動画のコメント欄に僕と同じかそれ以上に大変な生活をしている人をよく見かけるからです。それに起立性調節障害に関しての情報を自分がそうだったからと発信してくださっている方もいます。

今の僕のようにならないために、僕は学校にあまり行けなくなったタイミングから学校に行くということへの壁を低くすることができるなにかがあったらいいなと思いました。

そこで僕が考えたのがVR技術を使って学校に家からでも布団の中にいる状態でも授業にまずは参加するというアイデアです。毎日登校できるひとはMR(Mixed Reality)でリアルで学校の教室にいながらも仮想空間の中で授業を受けます。実際に登校した方が体育や美術でリアルに授業を受けることができますが、家から仮想空間に入っていてもその中で授業に参加できます。また実際に友達に会えて現実での会話をすることが出来るというメリットがあります。音楽の授業で実際に楽器を使うとなると仮想空間では難しい部分もありますが、仮想空間のなかでも新しい楽器を一から作ってみることや音源から楽曲をつくることもできます。友達とリアルで会うことができなくても、仮想空間の中であれば隣にいることを感じられるし近くにいる感覚で話すことができます。仮想空間上で授業をすることで、起立性調節障害以外の問題で直接学校に行くことができないという人にも対応できるのではないかと思っています。例えば身体的な障害がある人や受けたい授業があるが家から遠くて受けることができないというひとにも対応できます。

しかし、このアイデアには課題があります。授業の内容を仮想空間上に落とし込むという大変な作業に対してや、器具をそれぞれに準備しなければいけないので沢山のお金がかるという金銭面でのことです。まずは教科書のデータをスキャンして読みこみ仮想空間上で生徒が使う机のようなものに張り付けるということだけでもいいと思います。そこからAR(Augmented Reality)技術で授業に必要なものをつくっていけばいいと思っています。金銭面に関してはVR技術に関連している会社に協力してもらったり、クラウドファンディングしたりして資金を国や学校が集めたらよいのではないかなと考えました。

仮想空間上で授業をしたら便利なことも多いし一度に受けられる人数も増えますし、個人授業もしやすいと思います。これからもっとVR技術は発達していくと思うのでそこにいち早く触れてそこから発展するできることの可能性を肌で感じることはすごく大切です

僕のように起立性調節障害で朝起きられないという人でも朝方は動けないだけなので、家から体が起きていなくても、準備ができていなくてもとりあえずは授業に参加するということが出来ます。

毎日同じ時間に登校することが出来ないという人が学校という社会から取り残されないようにするための仕組みとして、中学校だけとは限らず社会全体で今からできる現実的な部分から授業を仮想空間、オンライン上に移していってほしいなと思います。

・戸澤愛美 創価大学法学部3年  人間が取り残しているノン・ヒューマンという存在

はじめに

 「誰ひとり取り残さない」というテーマ、「あなたも取り残されそうだと感じることはありませんか?」との問いを読んだ時、真っ先に思い浮かんだのはノン・ヒューマンを思う自分だ(ここでのノン・ヒューマンは動植物や、大地・風・水などの自然のことを示す)。「誰ひとり」という言葉に含まれるのは人間だけなのだろうかという疑問が頭の中を占めた。人間だけを見て誰ひとり取り残さない社会を実現しようと様々な声を聴いた先に、私たちが望む共生の世界は本当にあるのだろうか。「最も取り残されがちな人」を最もケアしてくれるのはノン・ヒューマンである動植物や大地ではないのか。そして私が日常の中で生きづらさを感じる時を思い浮かべ、なぜそう思うのかを考えた結果一つの前提が作られた。それは、「ノン・ヒューマンと私は一体である」ということだ。これを踏まえ本論文では、取り残されるかどうかの対象が人間だけである現状から脱却することを促したい。

ノン・ヒューマンと私達の繋がり

 まず、普段の生活を振り返り、自然との繋がりを考えてみてほしい。例えば食だ。食べ物はどこから生まれるのだろう。土である。野菜も土があるから生長でき、お肉として食べている動物も、土に生える草や穀物を食べることで生長している。さらに、太陽の光、水、受粉を促す風や虫、土壌中の微生物や菌類、空気中の窒素・二酸化炭素など地球に存在するあらゆるエネルギーのお陰ではじめて食物は生長していく。そして彼ら自然は、食物を育てるためだけに存在しているのではない。それぞれの生き方をする中で、その特徴の一部が食物に反映されているのだ。土であれば、植物の生息場所、動物や虫の住みか、人間が住むための土台、雨を貯蔵し森を育て、海や川と繋がることで栄養の運搬・水循環を支え、炭素や窒素とやり取りを行うことで大気を保っている。土一つとっても多様な自然の世界と、繋がりを覗くことができ、人間の目に見える利益だけでは捉えられないほど多くの役割を担っている。そして人もこのプロセスの中に入れてもらうことで共に生きているのだ。私達を生かすものがノン・ヒューマンから始まっているからこそ、彼らを搾取し、単なる資源として扱うことで傷つければ、巡り巡って私たちの生活も傷ついていく。人間はあまりにも多くの命に生かされている。だからこそノン・ヒューマンと私たちは一体なのである。

自然の声を聴いて

 これを踏まえ、私は「誰ひとり」の対象にノン・ヒューマンを入れたい。それは、命あるもの・生きているものだからである。彼らも生きているから痛いこと嫌なことをされたら私たちと同じように辛く苦しく悲しいのではないか。そして、ノン・ヒューマンを痛めつけることは、彼らを愛する人を痛めつけることにもなる。その人が大切にしているものが自然である時、自然をいじめないでくれという声はどれほどの人が理解し、同苦し、寄り添ってくれるのだろうか。どんな思いで自然を守りたいと言っているのか理解できるだろうか。こう思った時、私は心までもノンヒューマンと一体なのだと認識した。そこから、もっと多くの人に「自然の声を聴こう」という意識を持ってほしいと感じるようになった。同じ生命として捉え、それぞれの生を尊重し、自分を生かしてくれることへの感謝を感じることから、誰も見捨てない心を育ててほしいと思う。

おわりに

 「誰ひとり取り残さない」を考えるために、私達は何によって生かされているかを振り返り、ノン・ヒューマンを含めた全ての声を聴いてほしいことを述べた。自然は複雑である。個々が組み合わさることで多様な変化を生み出し、この世界を創っている。自分が関与していないと思う面でも命の繋がりが働いているからこそ自分が生きているのだと分かれば、目に見えていないものへの感謝が生まれる。この世に無駄なことは一つもない。普段気にも止めないものであっても、全て大事で、そういうものこそ私たちを生かす一つ一つである。誰かの「大事」を自分のことのように大切にできるような心、大切にしたいと思う心から生まれる行動があれば、もっとあたたかな世界が広がるだろう。ノン・ヒューマンは、地球に生きる仲間であり先輩だ。彼らを無視して共生の星を作ることはできない。明日も来年も100年後も生き続けるためにはノン・ヒューマンも大切にするべきことは明白である。彼らの声を聴こうと自然に寄り添うことは命の尊さを学ぶことになり、人間中心視点を脱却すると同時に、自分視点を脱却して他者の視点で物事を理解しようとすることにもつながるため、必然的に人間も含んだすべての命や生き方を大切にできるようになる。そうなれば、誰ひとり取り残さない自他共の幸福を実現できる世界になるのではないか。ノン・ヒューマンの声を聴き、一体である感覚を持つことはそれほど重要なことなのだ。

・横尾洋昌      立命館大学2年  あなたの街は住みやすいですか。 

あなたの街は住みやすいですか。

自分の街の住みやすさに満足している人が多いだろう。また、不満を抱く人もいるであろう。ただ今すぐ引っ越したいと思うほど、住んでいる街に不満を抱いている人はほぼいないであろう。では、このような状況に自分自身が置かれたら、どう思うであろうか。自分の住む街が外的要因で急激に変化を遂げ、以前から住んでいる自分たち地域住民にとって、住みやすい街が住みにくい街になったら。地域住民以外の人によって、自分たち住民の意見を聞き入れられずに、自分たちの住んでいる街を作り変えられたら。私なら今すぐにでも引越ししたいと思うほど居心地の悪さと強い憤りを感じる。そこで本作文では、このような状況にいる、変わりゆく街に対応できずに取り残されていく人々に焦点を当てる。

 皆さんは大阪西成区にある、あいりん地区をご存じだろうか。かつては、覚せい剤の密売や路上での闇市、ごみの不法投棄などの問題が山積し、治安が悪かったものの、現在は改善された地域である。この大きな要因として、ジェントリフィケーションが挙げられる。ジェントリフィケーションとは、再開発や再建を通じて街が生まれ変わることである。人気のない地域が地域一体の再開発や再建プロジェクトを通じて、住環境、利便性、景観等を改善し、地域外の多くの人が移住してくる。天王寺や関西国際空港へのアクセスが良い街であり、ジェントリフィケーションにより治安が良くなると、あいりん地区は多くの人にとって住みやすい街ができる。

では、以前から住む、あいりん地区住民にとってどうであろうか。町の景観改善や活性化に伴い、物価、賃料の高騰、彼らの多くは低所得者であり再開発と共に転出せざるを得ない。自分のライフスタイルに合い、居心地が良く住んでいた街が、勝手に外部者に作り変えられ、居心地が悪くなる。これは大阪市の方針である、西成特区構想でジェントリフィケーションがおこなわれたことにより、もともとのあいりん地区住民は苦労を強いられている。あいりん地区住民にとって不快である一方で、移住者は居心地よく感じているのが現状であろう。この構造は存在してよいのであろうか。あいりん地区住民への支援は行われていない。彼らは、あいりん地区に居座ろうと転出しようと、彼らには何かしらの負担を強いられることになり、一定期間は居心地が悪い街で過ごすことになる。支援がない限り、彼らはどの道を選ぶぼうと社会から取り残され、負担を強いられるのである。

あいりん地区、その街ならではの雰囲気やカルチャーがあるにもかかわらず、このようにジェントリフィケーションによって街の価値が失われていく。それに応じて、取り残される人が大量に発生するものの、日本全体においてはマイノリティーであるがために見て見ぬ振りをされることが多い。個性を尊重し、一人一人の個性を多面的に見ることが要求される時代において、街の個性を一掃するのではなく、その街ならではの風景や価値を尊重し活かし歩み寄ることも必要ではないのか。街の価値を尊重し寄り添うこと、それはもともとの地域住民にとって住みやすく、移住してきた人にとっても住みやすい社会をつくること。現段階では、移住してきた人にしか寄り添っていないのは、明らかであり、もともとの住民にも歩み寄り彼らの意見を尊重することも重要である。そうすることで、あいりん地区から取り残される人がいなくなり、街の価値も失わないで済む。経済発展や社会発展を進める際には、誰一人取り残されないために、弱者に寄り添う歩み寄ることが大切である。私は自分の目先の利益ではなく、弱者に寄り添える多面的な視点を持ち、彼らのために問題を解決できるように尽力できる人でありたい。私のような人が、一人でも増えることによって、あなたの街が住みやすくなるのだから。

・片山ありす    梅光学院大学    ウクライナの子どもたち 

2022年2月24日、ロシアとウクライナの戦争が始まった。なぜ今なのか、どうして戦争を行うのか、本当に死傷者が出る戦争がこの世界で起こっているのかと誰もが驚き、信じられない状況が今起きている。実際にロシアはウクライナへの本格的な軍事侵攻を開始し、多くの死者や負傷者、行方不明者が出ている。その中には、生まれたばかりの赤ちゃんや遊びや学びを通して元気に成長している幼児児童、誰かに救いの手を伸ばしている患者さんやお年寄りなど、様々な人が犠牲となっている。

 ある朝、私が学校の準備をしているとき耳を疑うニュースがテレビから聞こえてきた。

 「ロシア軍のミサイルがキーウ中心部シェフチェンコ地区にある幼稚園に着弾しました。」

私は準備する手を止めテレビに視線を向けた。そこには直径7メートルほどの巨大な穴ができ、建造物の破片があちこちに飛び散っていた。なぜ子どもたちの成長の場を攻撃するのか、罪のない子どもたちにどうして被害を与えるのかという怒りと、もし子どもたちがいたら、と考えたときの恐怖の気持ちが体中に広がった。その後もロシア軍の侵攻は続き、時間の経過とともにウクライナの街は姿を変えた。ウクライナの人々は命を守るために日本や別の安全な国に避難し始めた。避難せざるを得ないウクライナの人々の中で、比較教育学でも紹介されたウクライナの子どもたちの教育に着目し、『誰ひとり取り残されない』という視点で論じることとする。

 比較教育学では、世界各地に避難しているウクライナの子どもたちは200万人以上であるということ、避難してきたウクライナの子どもたちの学習が止まらないように、ウクライナ語版の算数・数学動画コンテンツがYouTubeにアップロードされているということを、動画を通して学習した。しかし、私は疑問に感じた。避難してきたウクライナの子どもたちは日本の学校に通うことはできないのか、という点である。

 新型コロナウイルスの感染や進行が少しずつ落ち着きはじめ、今では留学の許可が下りている。それと同様に、ウクライナの子どもたちも日本の学校に通うことが可能ではないだろうか。しかし、ここには言語という大きな壁が存在する。留学は、あらかじめ留学先の言語や文化の知識を習得し、現地の雰囲気を体験したりその国の文化に触れたりしながらより濃く知識を習得する。その一方で、ウクライナの子どもたちを日本の学校に招くということは、真っ新な状態で学びに行くということ。つまり、日本語がわからない状態で学習するということである。実際に、日本に避難してきたウクライナの子どもたちは戦争が終わるまでの間学習が止まらないように、日本語を一から勉強し少しずつ理解しながら算数の勉強をしている。言語という大きな壁から、YouTubeにアップロードされているウクライナ語版の算数・数学動画コンテンツを使って学習しているということに納得した。しかし、ここでも疑問に感じる点が生まれた。YouTubeを通して学習をするということは、学校の雰囲気を味わうことができず、協調性や責任感、協力して取り組む力等の人間性を伸ばすことが難しいのではないだろうか。そこで私が実施したいことは、特別支援学級と同様に、ウクライナの子どもたちが集まった学級を提供することである。

私が教員の立場として考えたとき、もっとも子どもたちに身に付けてほしいことは教材内容ではなく主体性である。しかし、言語の壁から日本の学校に通えずYouTubeを通して学習に取り組むという形では、子どもたちの発問は生かされない。また、解けない問題や難しい問題は友達とコミュニケーションを取りながら取り組めば、いとも簡単に解けたという経験が誰しもあるだろう。そのように、画面と一対一ではなく友達同士で意見を交わしながら間違いや失敗を経験し、様々な道を歩いて正解にたどり着いてほしいと考えている。一人で黙々と画面越しの教材と向き合うより、同じ国の子どもたちがいる学級に登校し、友達とコミュニケーションを取りながら学習と向き合う方が、子どもたちの学習や個性が止まることを防ぐことが可能なのではないだろうか。

『誰ひとり取り残さない』とは、言い換えれば『個人の尊重』ということである。「私は戦争とは関係ない」「ウクライナの人は大変だな」などと他人事に思わず、誰もが自分のことのように考え、現状を受け止め積極的に手を差し伸べることで、ウクライナの人々だけでなくSDGsの点で多くの人々を救えるだろう。~One for all All for one~今という世界を生きている人は皆家族なのだから。

・佐久間駿 中央大学国際経営学部2年 個人と集団の狭間で-取り残される側の視点とは-   

取り残される側の視点とは具体的に何を表しているのか。性的マイノリティーの視点だろうか、日本にいる移民の視点だろうか。私はそのどれでもないと思う。取り残される側の視点とは、すべての個人的な視点のことだと思う。集団の視点というものはそもそも存在しない。貧困だとか、性的指向だとか、外国人だとか、そういった特定のグループの視点というものは社会的に構築されたものだ。議論をする時や、何か一般的なものを導くときはそういった集団的視点というようなものが使われる。それはもちろん、その方が効率的で、手っ取り早いからである。しかし、実際に行動しているのは1人の人間であって集合体ではない。よって、何かの政策を決定したり、ルールを策定したりする時、取り残されているのは反対派の意見でもなければ、マイノリティでもない。すべての個人が取り残されているのだ。

取り残されるという表現は、何か本来的なものの存在を連想させる。前提として、一般的にこうあるべきだという「正解」がなければ取り残されるという表現にはならない。簡潔に言い換えるなら、疎外という言葉が当てはまるだろう。この本来性を軸にした「誰ひとり取り残さない」というSDGsの基本理念はどれほどその目標と合致しているのだろうか。SDGs は人権、経済・社会問題、環境問題といった世界的な課題を解決し、持続可能な社会を実現しようとするものである。個別の目標を見てみると、貧困をなくそう、すべての人に健康と福祉を、ジェンダー平等を実現しようなど、やはり何かあるべき姿を目指したものである。こうした健康やジェンダー平等というあるべき姿は、現代の社会で一般的に良いとされている姿であり、全ての人がこれを共有しているわけではない。こう考えると「誰ひとり取り残さない」というSDGsの基本理念とその目標は本来性という共通項を共有しているといるだろう。この場合、取り残される人というのはその本来性を享受できない、もしくはそれを共通認識として共有できない人のことを指す。

以上、取り残される側に関して2つのことを確認した。1つは取り残される側の視点とはすべての個人的な視点であること。もう1つは、本来性を享受できない、または共有できないと取り残されてしまうということ。これらを踏まえるとどんなことが導けるだろうか。それは、絶対的な存在としての「あるべき姿」というものは存在せず、1つの正解は、複数の不正解を内包しているということだ。社会的な問題を解決しようとする時、もし何か最適解を見つけたとしても、それは一定の人々にとって望ましい状態であって全ての人が満足できる状態ではない。仮に全ての人が満足できる世界があったらそれは人間の個性が失われたディストピアだと思う。結局のところ、全ての人が満足することはできないのだ。理想は抱くべきだし、それを追い求めるのも許容されるべきだろう。しかし、現実は目の前にある。社会を良くするということは、集合体としての人間と、個人としての人間との違いを意識しつつ、「あるべき姿」と「なれる姿」との間に妥協点を探すことだ。

・宮川亮        私立山手学院高等学校3年 「新・環境教育」をつくる 〜 SDGs 13 〜  

私は、激甚化の一途を辿る環境問題を改善すべく、日本の学校教育現場において、環境に“イイ”意識・行動が自然と促される仕組みを開発したい。

 私は高校2年次に、2018年にスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリから始まった世界的な環境保護運動「Fridays For Future」 (以下FFF)の支部を横浜に設立した。現在、FFF  Yokohama は国内最大級の人数規模となり、メンバーの年代は最も若い。

 設立からほどなくして、私はSNS上で“炎上”を喫した。その発端は、新宿にて催された世界気候アクションである。産業革命以降の人間活動が現状の環境破壊を招いたのは否めないゆえ、地球環境を破壊しない成長の在り方を模索すべきだという趣旨の発言が、コンテクストから切り離された形で報じられた。経済成長を全否定しているとみなされ、多くの批判を浴びた。私はこの経験を通して、日本社会に気候変動への危機感がいかに浸透していないかを痛感した。なぜなのか。それは気候変動という問題の規模があまりに大きく、当事者意識を見出せないことによると推考した。

 私は以前、平田仁子氏に単独インタビューを敢行した。2021年に環境分野のノーベル賞とも称されるゴールドマン環境賞を受賞した環境NGOの第一人者だ。彼女も「日本人は社会的なことに自分との関連性を持てない人も多い。社会問題と自分との繋がりが理解できないのだろうか」と、私と同様、気候変動に対する危機感が浸透していないことを憂いていた。

 環境に配慮した行動を推進するには、私が携わる社会運動のほか法規制や金銭的インセンティブ等が考えられるが、今までの活動を経て、私はこれらのアプローチだけでは不十分だと感じている。現に、自身の活動のなかで、白い目を浴びること、俎上に載せられることもままある。SDGsのイメージとして「優等生」「綺麗事」「胡散臭い」といった面が先行していることもまた是だ。「日本社会に受容されやすいムーブメント」は未だ見出せず模索中であり、もどかしさは拭いきれずにいる。

 そこで、特に無関心層へのアプローチとして、ナッジ理論を取り入れたい。ナッジ(nudge)理論とは、ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー氏が提唱する「行動経済学的手段で、選択の自由を与えつつも金銭的インセンティブを用いずに、行動変容を起こす」理論だ。既に、デパートや駅をはじめとした商業分野のほか公共分野でも応用されている。しかし私は、気候変動の影響を最も受ける将来世代の誰もが通う学校を舞台にナッジを展開したい。

 そこで実際に、私自身の高校で、ナッジが行動変容を起こすのに有効か確かめる効果測定を行った。ペットボトルの分別廃棄を促すため、ペットボトルのゴミ箱にラベル専用の透明の袋を併置し、ラベルが溜まる様子が見えるようにすると同時に、分別廃棄がSDGsに繋がることを示すポスターを掲示した。その結果、ラベルを剥がさない人の割合はナッジを仕込む前後で79.1%から35.0%にまで減少した。意識的に分別廃棄をした生徒ももちろんいるが、多くは無意識による行動であった。意識変容を経なくても行動変容は生まれる。学校におけるナッジ理論の有用性を垣間見た瞬間だった。

 現在、日本の学校教育における環境教育は、環境省の調査によると、教材は教科書が中心で、半数近くが、地域・NPO・企業等との協力・連携はなされていない。受動的な教育形態もまた、環境問題を身近な存在、つまり、“ジブンゴト”として捉えづらい傾向にある一因と言えよう。

 事実、気候変動への取組みに「最も関心がある」と答えたのは、ベビーブーマー世代で29%、ミレニアル世代で33%、そして私たちZ世代さえも37% (Pew Research Center,2021) と決して高くはない。

 そこで、クラスや学校単位で参加する教育用プログラムを地域・NPO・官民企業等が連携して開発し、能動的な環境教育が実践できる仕組みづくりを提案したい。

 例えば、考案された環境に“イイ”行動を促すナッジのアイデアを、プラットフォーム上で「見える化」し発信する。有用なナッジは他校にも取り入れられ、意識の介在の有無はあるだろうが、行動変容を起こし、「気付いたら環境にイイコトしてた」の輪が拡がる。地域社会の将来を担う人材を育てる中核的な場所である学校が環境配慮行動で溢れるだろう。

 環境問題は地球規模レベルの多くの要因が複雑に絡み合い、当然、一方向からのアプローチで解決できる課題ではない。SDGsの理念の礎である「誰ひとり取り残さない」社会を環境問題という視座から考えるうえで、やはり環境教育は不可欠なアプローチである。

 私は、能動的な環境教育を学校教育の現場で実践するというビジョンを「環境教育×ナッジ理論×見える化」を通して実現したい。

・飯山粋衣      日本大学1年生  みんなが選ぶことのできる社会へ 

私は、誰一人取り残されない社会ではなく、みんなが選ぶことのできる社会を作っていくべきだと考えます。もちろん発展途上国やウクライナなどの選挙権がない、自由がない、人権がない、病院がない、学ぶ場所がない人たちにとっては、違います。しかし、今の日本において、誰一人取り残さないという言葉は、取り残されていない人すなわち優位な立場にある人が自分より下の立場にある人に使う言葉だと思います。SDG’sはより良い社会を作るために他人事ではなく自分事として解決していく必要があります。みんなが同じ舞台の上に立って考えるべきです。また、取り残されていないという基準はなんなのでしょうか。普通という枠組みからはみだしていないということなのでしょうか。高校時代、ソーシャルメディア部に所属していた私は、様々な立場の方にお話を伺う機会が多々ありました。その中で「普通」という言葉についてドラエグクイーンの方は、何も考えていないこと、自分の考えがない人が使う言葉。写真家の方は、当たり前が崩れた時に気づくもの。起業家の方は、一つの#、一つに個性として捉えるべきもの。と語っていました。普通になれなくて親に申し訳ない、普通という言葉に縛られて辛いと感じる人もいれば、普通という言葉の檻から飛び出し人生を楽しんでいる人、生まれ変わっても普通の人生を歩むのではなく、人と違う人生を生きたいと考える人もいました。「普通」という言葉は、他の人と違うことをする際の足枷になってしまっていると思います。「普通」という言葉の檻から飛び立つことで、今までは、見ることのできなかった素晴らしい景色を見ることができるのではないのでしょうか。なので、私は、誰一人取り残されない社会を作るのではなく、みんなが選ぶことのできる社会を作っていきたいと考えます。そのためには、常に考え続ける・学び続けることが大切だと思います。自分にとってみんなにとって一番似合う衣装は何か一番輝くことができる演出はなんなのかを考え、またその選択肢を増やすことができるように学び続けることで、日本また世界という舞台で胸を張って自分らしく輝くことができるのではないでしょうか。その舞台は、きっととても幸せなものになるはずです。

・与座万里花    関西創価高校3年 うち、島人ぬ宝やねん! 

みなさんには、周りから取り残された経験があるだろうか。誰しも一度はあると思う。私も例外ではない。そうしたとき、私は母に救われた。

私の名前は与座万里花。沖縄から来て大阪で寮生活をしている高校生だ。大阪での暮らしは沖縄とは大きく異なり、慣れるのに苦しむ事が多い。例えばパジャマ一つとっても、大阪では12月は長袖を着るのが普通だが、沖縄なら半袖でも一晩過ごせるほどには暖かい。言葉に関しても、沖縄の方言は「沖縄弁」ではなく「うちなーぐち」と言われるほど独特である。ことさら関西弁と比べると、「めんそーれ」と「おいでやす」、「ヤナー」と「あかん」など、別の言語ではないかと思うほどである。

私が大阪の高校に通っているということは、出会う生徒の殆どは関西生まれである。彼らは関西弁を喋るし、沖縄の言葉や文化を知らない。つまり私は、この学校の中では文化的に「マイノリティ」となったのである。それがゆえに、高校の中で疎外感を感じることが多々あった。いつも通りのつもりで話していても、言葉が伝わらないことが頻繁にある。言葉は通じても意図が伝わらないこともあった。訛りをばかにされたこともあった。生まれて初めてのカルチャーショックだった。

何度も私は、自分の出身を恨んだ。沖縄に生まれていなかったら、関西の友人ともっとよくコミュニケーションとれたのではないか?これを乗り越えた先に、いったい何があるというのだろう?何もないのではないか?私が大阪まで来て体験したいことはこれだったのか?・・・そんなことを考えても誰にも話すことができなかった。一人で枕を濡らした夜は数えきれない。

心も体も限界になったある日、母と電話した。「頑張れなくてごめんなさい」と謝った私に、母は「それだけ苦しんでいるということは、それだけ挑戦しているということなんだよ。何があっても胸を張っていなさい。お母さんたちはいつでも万里花の味方だよ。」そう励ましてくれた。

母の言葉に、私はもう一度立ち上がった。母がいつでも私の味方と言ってくれたことで、私は諦めずにここまでこられた。私は家族の宝であり、沖縄の宝であるとの誇りが、私を支えてくれた。

私は知っている。沖縄県民の強さを。私も強く優しく、そして誰よりもたくましい沖縄県民でありたいと思う。私はこのような経験を通して、身にしみて感じたことがある。それはつまり、人はマイノリティに属する人を前にした時、無意識に差別してしまう生き物であるということ。私の周りの人たちだって、きっと、私を取り残そうとして取り残していたわけではない。それでも私が感じた疎外感は本物だ。確実に私の心に残っている。

私はこの取り残された体験を糧に、他の誰か取り残された人を守ることに繋げていく。例えば、私の高校には沖縄出身の後輩がいるが、その子たちが私と同じような思いをしなくてすむように、私の経験をできる限り伝えてきた。

私は東京の大学に進学する予定であるため、沖縄出身であることはマイノリティでありつづける。しかし私はそれを弱みと捉えずに、強みにしていきたい。私は決意している。自分だけではなく、世界中のマイノリティに属する人々が疎外感や差別を克服できるよう、そういった人たちの太陽になろう。母になろう。

・鶴岡寛己      国立障害者リハビリテーションセンター学院 義肢装具学科3年      「考える」

この世の中には、様々な偏見が存在している。世界には男と女しかいない。男は力が強く、女は力が弱い。障害のある人は可哀そうだ。…

そのような偏見という色メガネを通して周りの人々を見回しても、常にかけている色メガネの色にしか見えない。人々は色メガネをかけることで、自分にとって都合の良いように、他人を解釈し、他人を知った気になる。しかし、それでは他人の本質は見えてこない。そこから脱するために、どうしたら良いか。それは、「考える」ということだ。色メガネを通して他人を見たとしても、見えたものだけを信じるのではなく、多角的にあらゆる視点から考え、結論を出す。そして、それが習慣となれば、どんな色メガネを掛けていたとしても、物事の本質をとらえ、その人が何に困り、何に悩んでいるのかが見えてくる。

街中で親子が障害のある人を見た時に、子供は興味を示し、親は「見てはいけない」と言う。そんな場面を皆さんも今までに見たことがあるだろう。そのような時に親は、障害のある人には同情をするべきだ、可哀そうだ、そのような人には腫れ物扱いが良いなどという色メガネを通してその人を見て、それを基に子供に見るなと言う。子供は「なぜ。」と聞くのに。しかし、それで良いのだろうか。私には考えることから逃げているようにも思える。では、どうすれば良いのか。それは、自分がもっている偏見を子供に伝えるのではなく、考える道筋を教えるということだ。障害のある人を見て、その子供がどう思うかは、その子供が決めること。純真無垢な心で物事を見て何を思うのか、そこに、親が持っている偏見など必要となるわけがない。偏見は物事の本質をぼやかすためにしか存在していないのだから。もし、その子供が「可哀そう」と言ったのならば、親は「なぜ、可哀そうなの」と問うてみれば良い。そして、目には見えない様々な事実を踏まえて、子供とともに考えれば良い。物事を見たままにとらえるのではなく、様々な面から考え、結論を出すための道しるべとなれば良い。それが人を育て、教え、導く人間のあるべき姿だと思う。そのような人が増えていけば、これからを生きる人々は、考えることが習慣となり、今の世の中では気づかずに目も向けられてこなかった人々に手を差し伸べることができるようになっていくだろう。

クラスの中をみまわしたときに、世の中の人々を見回したときに、「なんで、あの子は笑っていないんだろう」、「何故、あの人は苦しんでいるのだろう」、「何で、あの人は悲しそうなのだろう」、「なんで、あの人はいつも我慢しているのだろう」って、子供みたいにふとしたことすべてに疑問を抱いて、とことん考えて、その人に寄り添って、共に生きていけば、この世の中から取り残される人は少なくなっていく。一人では小さくても、一人ひとりが自分の頭でとことん考えて、一歩をふみだす勇気を持てば、あなたのまわりにいる誰かが笑顔になれる。でも、ただ考えれば良いというわけではない。誰かを思い、考えるときに大切なこと、それは、自分本位にならず、常に他人本位であること。今を生きる皆さんに、これからを生きる皆さんに私の考えが真に伝わり、変わっていくことを心から願います。

大事なのは考えること。あなたが考えた先に、より良い世界が待っている。だから、考えよう。「なんで、あの人は○○なのだろう。」って。

・鈴木  未来    創価大学1年    「誰も置き去りにしない社会」に対して私が思う事 

私は普通だ。マイノリティには属していない。しかし皆と同じではない、個性を持っている。

私は人と比べて落ち込む期間とやる気の出る期間に差がある。元気でいる期間とふさぎこむ期間がはっきりとわかれている。やる気のある期間は様々なことに対して臆せずに挑戦できる。しかし、落ち込む期間は「なんで生きているのだろう」「何やっても駄目だ」と常に考えている。ひどい時には電車内で涙を流すこともある。しかし元気な時は元気なので、私の個性について周りから理解を得ることは簡単ではない。

私は人から言われる言葉や他人の表情から影響を受けやすい人間でもある。からかい半分で言われた言葉や他者がほかの人に発する言葉、態度に傷つく時がある。敏感に感じ取ってしまう性格であるため、誰かがいらいらした空間にいることも苦手だ。約20年間生きてきて「自分は人間には向いていないのではないか」と何度も考えてきた。これも個性なのだろうか。

私は普通の人間で、世間で言うマジョリティである。差別をされ苦しんできた事もなければ、アイデンティティを無いものにされたという感覚に陥ったこともない。それでも社会や周りから「置き去りにされている」と感じることが多々ある。この気持ちは顕著に表れているものでもない上に、個人の問題である。ただ毎月不定期にある自己への嫌悪と周囲の声に耐えなければならない。これも自分の個性であるため、仕方がないとも思う。

私は大学に入学して、少し変わることができた。看護学科に入学して、講義を受ける中で本当の意味での「多様性」や「誰も置き去りにしない」ことを学び深めることができた。精神疾患やHSPに関する知識を身につけ、理解することができた。例えば、人間の中には、いい環境に対しても悪い環境に対しても高い感受性を持つ人がいるということ。うつ状態に陥る前兆、メンタルケアの重要性、コミュニケーションの大切さ。相手の意見も尊重しながら、自己の意見を伝える技術。そうした学びを経て、私はSDGsや「誰も置き去りにしない」ためには教育という観点に力を入れることが必要不可欠であると考えている。個性は理解されて初めて尊重される。

私は思う。“偏見を持たない社会に”、“多様性を認める社会に”と訴えられている半面、肝心な多様性に関する理解は促進されていない。例えば中学や高校の授業で行われるのは多様性に関する「知識の定着」だけである。そこでは差別やその行動への警告と卑劣さや排除されてきた背景は伝えられない。。それはLGBTやジェンダーの問題、精神疾患なども同じである。もしも本当に多様性を理解して得られた知識であるならば、それは差別やからかい、笑いの道具のひとつには決してならない。本当の意味で多様性を認めるとは、外見や内面、表情、動作からその人の個性や個別性を見つめ関係性を築き、お互いに尊重しあう姿勢を崩さないことだと私は思う。少しの気遣いと優しさ、受け入れられなくても理解しようとする心を持つことが「誰も置き去りにしない社会」に必要な要素であると私は考える。そうした社会で、個性は自由に安全に輝くことができる。

そして私は「目の前の人」に目を向け、生きていきたい。勿論置き去りにされている人たちに目を向けることは重要である。無いものとされてきた歴史を変え、マイノリティの人達が生きやすい社会を作ることがマジョリティの役割で、責務でもある。しかし、重要視されないけれども置き去りにされていると感じる人たちがいることも決して忘れないでほしい。普通人という扱いから置き去りにされていないと思われがちな人たち。私は目の前の大切な人への感謝と尊敬という、偏見と差異のない態度が置き去りにしない社会を形成すると考える。本当の意味で「誰も」置き去りにしない個性の輝く社会になるよう、私は一人ひとりを人間として大切にしていきたい。

・稲田蓮        滋賀医科大学2年        「取り残される」の見えづらさ   

例えば、飲み会でアルコールを勧められる。自分はお酒に非常に弱いとか、健康上の理由でアルコールの摂取を控えているとする。その人が理性に従って飲酒をしなければ、ノリが悪いと思われる。自分の意思に反して飲酒を強要される場面も考えられる。以前からこの風潮はあるが、飲み会で楽しめず、本人が嫌がって取り残されているかもしれない。そこで近年はハラスメントに分類され、なくすべきだと言われている。しかし、それで問題は解決するのだろうか。

社会全体の風潮が改善されたとして、個人の「取り残されたような感じ」は完全には払拭されない。お酒を飲んでいる人は、気分が良くなり調子が上がる。ふざけ出す人もいる。一方、アルコールを摂取していない人はそれを冷静に見たり、楽しそうだから自分も酔いたいと考えたりするかもしれない。周りがお酒でテンションの上がっている状態で、自分だけ普段同様に冷静なとき、どんな気持ちだろうか。小さなことかもしれないが、取り残されていないとは言い難い。

近年は人権問題や社会問題がよく取り上げられるから、社会全体として取り残されている人が減少する方向に向かおうとしている。そう見えているのは自分だけではないと思う。しかし、「そう見える」という見た目は確かとして、私は実態が気になる。

仮に、あるところでいじめが起きたとする。誰かがそれに気付き、保護者や教職員の仲介で当事者を含む話し合いを行い、納得の上で問題が解決する。これで全て問題は解決するのか。いじめの事実や当事者の心の傷は残る。自分では癒せない傷も多い。新たな生活を始めても、過去のトラウマから勇気を持って行動することが難しいという話もよく聞く。引っ込み思案と言われ、また取り残されることもある。

一つのいじめがなくなった事実だけが社会に知れ渡り、社会が満足しているとは勿論言わない。最近はアフターフォローも真摯に取り組まれている。しかし、例として文部科学省が「学校におけるいじめ問題に関する基本的認識と取組のポイント」に掲げる方針では、「校長、教頭、生徒指導主事等は、(中略)その解決に至るまで適切にフォローすること」とある。あくまでも「解決に至るまで」が重要視される。確かに、そもそも周囲に悩みを真剣に聴いてもらえないことも多く、解決できるだけ素晴らしい。だが、取り残された人がいなくなるわけではないと再確認したい。

今回の例は、障がい者やLGBT、貧困や外国人など、社会で取り上げられやすい人々とは少し異なる。表に現れないから見えにくいと言いたいのではなく、むしろその見えにくさは同等であるとも言えると思う。見えにくさ故に「取り残されたような感じ」を持ち続けることもある。私が伝えたいのは、取り残されている人は、見えづらいということだ。

また一方で、贅沢な悩みだと言われるかもしれない。期待値を下げれば解決するという人もいる。自分に合った方法で楽しめという人もいる。お酒という娯楽を享受できないだけという人もいるだろう。だが、何によって取り残されているか、何に傷ついているかは個人による。傷ついているなら、少しでも救われたいと思わないはずはない。

自分が取り残されているかどうかに関わらず、何ができるか。先のように、社会からの呼びかけで表面上解決しても、実際にその問題は残存する。いじめをなくすための実態調査に現れないところを深く追求している余裕が、学校にはないことも多い。つまり、社会や共同体全体への呼びかけのみでは、各個人に隠れた「取り残されたような感じ」を拭いきれない。だから個人一人ひとりに寄り添える人が必要だ。

自分の周りの人に、気になる点はないか。自分以外に本音を聞くことのできる人がいるか考え、もしも自分が聴くべきだとか、その人が楽になるならすすんで聴きたいとかと思うなら、その思いに従うことが望まれる。社会が第一にすべきことは、「取り残された感」を親身に聞き出せる周りの人を増やしていくことだ。

根本的な解決策ではない。社会において、各個人のできること、できないことは異なる。だからこそ、できる人に焦点当てれば「長所」として高く評価されるという相対的な構図が生まれる。社会が分断を取り去ったと考えても尚、できない人は自分のできない部分に焦点を当て、「取り残されたような感じ」になる。できることやできないことは人によって違うから、できることを揃えるのは、最近の技術の発達や、社会生活上の工夫などの解決策でしか補完されない。

これら根本的な解決策を考え行動に移している間に、どんどん取り残される人は増加している。根本的な解決策が整うまで、社会の対症療法として、近くの人や目の前の人に寄り添えるようにしたい。現在様々な取り組みが行われており、私が主張する、近くで話を聞く人を増やす取り組みも同様に行いたい。今この瞬間に、そういう人が増えればいい。

・稲橋瑚春      桐蔭学園高等学校3年    無意識の飢餓で自分を取り残す人々       

あなたは自分で自分を飢餓で苦しめていないだろうか。よほど生活に困窮していない限り、自分が飢餓状態であるとは思いもしないだろう。 しかしながら、日本は痩せすぎの人が世界に比べて多い。私はこの 「無意識の飢餓」 を無くしていきたい。

私は小学生のころからアイドルが好きだ。 美容室でメンバ ーと同じ髪型にし、衣装を母に作ってもらい、ダンスを覚 えて踊っていた。だが、受験を機に体重が増えてしまっ た。とはいえ、その時の私は161cm52kg。今思えばダイエ ットする必要なんて全くないのだが、当時の私は「女の子 は40kg台が当たり前」と思っていた。だから毎日米や肉 を抜いてサラダしか食べなかった。ずっと数字に囚われていた。7kgくらい痩せた。そして骨折してダイエットを辞めた。辞めたらすぐリバウンドした。むしろ痩せる前より太った。でも痩せる前より幸せだった。 好きなものを自由に食べることができて幸せだった。どんな体型でも私のことを愛してくれる人が近くにいて幸せだった。

これは今となっては自慢なのだが、私は生きて18年間で7回骨折した。もっと言えば、中学入学から毎年欠かさず骨折している。おかげでいい自己紹介ネタができたが、骨折で 部活や学校行事を諦める度、過去を思い出して 「もしこれがなかったら」、「もしあれがなかったら」と思う。だから、主食をグミで済ましている同級生をみると切ない気持ちになる。サツマイモダイエット、キャベツダイエット、一日一食ダイエットなど栄養が偏るようなダイエットが流行ると切ない気持ちになる。十分に食べることができる環境があるはずの人が自らを特定の栄養素の飢餓にしてしまうから。そして自分で自分の人生の大切な瞬間を壊してし まっているから。それも無意識のうちに。

私の将来の目標は新しいタンパク質源を開拓することだ。 これは、近年問題になりつつあるタンパク質危機を知って 大好きな肉や魚が食べられなくなる未来を想像できなかっ たから…というよりしたくなかったからだ。世の中にはさまざまな形で飢餓が存在する。私はそれらの飢餓を無くしたい。食から遠ざかってしまっている人々に食を提供できる人になりたい。

飢餓を無くすにはもちろん十分な食料が必要だ。だが、その他に愛も必要だと私は考える。身長が何cmだろうと体重が何kgだろうと性別がなんであろうと肌の色が何色だろうとあなたはあなたというかけがえのない存在なのだと伝えてくれる人がいてくれたから過去の私は救われた。だからこの世界が周りの人を愛せる人であふれてほしい。自分を愛せる人であふれてほしい。不健康なダイエットや食生活をする人が少しでも減ることを願っている。誰かが幸せの飢餓にならないように。

・滝澤尚太      私立武蔵高等学校2年    反SDGsは善か悪か

ここ数年間で、SDGsという考え方は一気に世界に浸透した。それは勿論今後の社会問題に警笛を鳴らす上で重要な側面もあったが、同時にあまりにも早すぎるSDGsという考え方の広まりは、このSDGsという考え方に乗り遅れる人をつくるという悪影響もあった。

 私もその内のひとりだ。

 私はこのSDGsという考え方に乗り遅れて、SDGsは果たして本当に良いものなのかと首を傾げている。

 だが、それを口に出すことは決して許されない。反SDGsの意見を僅かにでも口に出せば世間から向けられるのは冷たい視線であるからだ。

 たとえばSDGsの目標のひとつである「人や国の不平等をなくそう」。これは一見正しそうな意見ではあるが、改めて考えてみるとどうだろう。我々日本の経済システムは資本主義ではなかったのか? 資本主義は悪く言えば、人や国の不平等をつくりだすシステムだ。それなのに、この「人や国の不平等をなくそう」という意見。矛盾しているように思えないだろうか。

 だが、こういった意見を発言することすら許されないのが、今の世界の現実だ。意見の良し悪しを述べる議論をすることすらできない。我々はあまりにも盲目的だと言わざるを得ない。資本主義経済の恩恵を受けている国が、先導に立ってこういった取組みを進めているというのは何という皮肉な巡り合わせだろう、そんなことを私は考えてしまうのだ。

 しかし、SDGsが今後の世界の課題を解決する大事な指針になっているのもまた事実だ。つまり私が言いたいのは、SDGsを今後良いものにしていくにはさらなる議論が必要だということだ。SDGsは急速的なスピードでその知名度を上げていった。そのために、不十分な状態で世に出てしまったと、私は考えているのだ。これは情報化社会がもたらしたひとつの弊害だろう。インターネットで祭り上げられて一瞬で有名になったYoutuberが炎上を起こしてしまう事例と重なるようにもみえる。

 つまりもっと議論を重ねてSDGsの練度をもっと高めていけば、私のようなSDGsに懐疑的な視線を向けている人を救える可能性があるということを私は言いたいのだ。もちろん、その議論の過程の中でさらにSDGsに不信感を抱いてしまうこともあるだろう。だが、議論不足による不信感よりは、ずっといい。

 ここで我々が大事にしなければならないのは、SDGsとは近代的な考え方から大きな脱却を試みていることなのだとしっかり意識することだ。この大きな変化は、そんな数年間で片付くような小さな問題ではない。だから、我々は急ぎすぎず、冷静に物事をみながらSDGsという考え方を改めて見直していくことが今後のSDGsに求められており、それはSDGsという考え方に疑問を抱いている人を救うひとつの手段になりえるのだ。

・早川良美      創価大学5年    ありのままを認めるー精神的居場所の確保ー       

誰ひとり取り残さないためには、その人のありのままの存在を認めることが重要であると考えます。ありのままの存在の認識があるところに、その人の居場所が生まれ、誰ひとり取り残さない社会の土台となるのではないかと思います。このように考えたきっかけは、私がうつと睡眠障害で苦しかったときに友達がくれた言葉にありました。

 私が大学1年生の春は、留学に行くための勉強に力を入れていました。余暇や睡眠時間を削って勉強するのは当然のことであり、気持ち次第で結果を出すことができると信じていました。

 当時は、自分の勉強事以外に興味を持つ余白がなく、さまざまな悩みを持つ方々のことは、他人事として捉えており、そもそも自身の視野にはありませんでした。

 しかし、大学1年の春にうつと睡眠障害を発症し、自身にとって大きなターニングポイントになりました。

 うつ等を発症してから、大学に通うことが困難になり休学をしました。留学に向けて打ち込んでいた英語の勉強がストレスの元であったことから、医師から英語を勉強しないようにと言われました。語学力がマストの力であると、先生、先輩、卒業生などから頻繁に聞いていた私は、医師からの言葉を聞いた瞬間、グローバルな世界で社会貢献する道が断たれたと深く落ち込み、留学のみならず、人生を諦めようとしました。語学力がないために、きっと社会貢献できないだろう私は、大学からも社会からも取り残された気分でした。

 うつ等の治療中、はじめは気持ち次第で、うつも回復できると考えていましたが、病状は良くなるどころか日に日に悪くなり、気付けば、自分はこの世に存在しない方が良い人間なのだと思う呪いに縛られていました。

 存在すべきではない(と当時考えていた)私がそれでも生きている現実を受け止めるのは大変苦痛でした。

 死にたいという言葉が人前で溢れたことがあります。ある人は「死ぬなんて軽々しく言うな。それが1番迷惑だ」という言葉を私にくれました。またある人は「死なないで」と言いました。どちらの言葉も、当時の私も今の私も理解できます。

 しかし、当時は「そんなこと言われなくても、私が1番それを考えているんだ」という強い思いでいっぱいでした。私が強い思いでいっぱいいっぱいになった理由は、死にたい私を自分でも受け入れなかったとき、頼りにした相手にも、死にたい私を受け入れてもらえず、自分の居場所がこの世にないと感じてしまったからだと思います。

 死にたいという私の呟きに、別の友達は、「なるほどなあ。うちは良美ちゃんが死んじゃうの辛いけど…死にたいって思うのなら死にたいって思うんだよね。良美ちゃんのこと好きだよ」という言葉をかけてくれました。この言葉を受けたとき、初めて私は、死にたい私もこの世に存在してもいいんだと思えました。初めて、誰のためにも生きれない自分の居場所をこの世に発見することができました。こう思えたのは、死にたい私を否定せずに丸ごと受け入れてくれたからだと考えます。

 以上の経験から、その人のありのままを丸ごと認めることがとても大切なことだと気付きました。私は、友達にありのままの自分を認めてもらえたことで、生きることに執着できました。

 また、何があっても受け入れてくれる人がいるという居場所の実感が新しい挑戦の土台となり、回復後はNPOでのインターンや学内の学習相談のアルバイトをして、自分の可能性を僅かに実感することができました。

 ありのままの存在を認めてくれるという精神的居場所は、個人に生きる選択を促し、挑戦を後押しすることができるのではないかと考えています。すなわち、ありのままの個人を認めるという精神的居場所の確保によって、社会活動に参加する機会から取り残される人々を減らしていくことができると考えています。

 インターンやアルバイトの経験から、苦しい状況に直面するのは、自分だけではないということを知りました。そして、うつ等を経験するまで、他人の悩みを他人事に捉えていた私から人の悩みに強い関心を持つ私に変わりました。

 以上の経験を踏まえて、強い思いが湧きました。個人の思考や感情等を社会的な善悪や自身の価値基準に照らし合わせることなく、あるがまま認めることで、地道に周りの人の精神的居場所の確保に寄与したいと決意しています。そのためには、社会から取り残したくない対象を主語にして考えることが重要だと思います。

 自分も含め全ての人が、最後まで生を諦めず、自分の可能性を信じ、あらゆる機会を獲得できるよう、自分にできることに地道に挑戦していきます。

・山口大輝 私立梅光学院大学2年 加速する人類の進歩に、全ての人間はついていけるか

「世界の人口が80億人に達しました」、2022年11月15日に国連が発表した。私にとって「80億人」という数字はあまりにも膨大で、実感ができない。一方で、「私」という存在が、世界に生きている80億人の中の一人と考えると、「ちっぽけ」という感想が浮かぶ。だが私は、一人だけで生きているわけではない。私を含め、世界の80億人は一人ひとりの「ちっぽけ」な存在が繋がり合うことで生きている。二人の繋がりが四人の繋がりに、四人の繋がりは八人に繋がる。その繋がりは地域を超え、国を超え大きな繋がりとなり、人間は「人類」としての歩みを進める。しかし、ここで繋がりを形成できる人間は、その機会を得ることができる人間だけだということに気づきたい。80億人の中には、様々な理由で人類の繋がりから漏れ出る人たちがいる。私たちは、人類として歩みを進めることに夢中になり、取り残された人たちの存在に気づけていないのではないだろうか。また気づかない振りをしていないだろうか。

 人類の進歩は日々加速している。技術の発達は次なる発達を助長するからだ。それは希望の言葉と捉える一方で、歩みについていけない人々への拒絶の言葉だ。私は、この日本という国を「先進国」として考えている。その立場を明確にした上で述べるが、私たちは無意識のうちに、人類の規準を私たちへと設定していないだろうか。もう一度「人類の進歩」の意味を問いたい。「人類」という枠組の先端が高見に達することを「進歩」と言うのか。「人類」という枠組の全てがある一定の水準を超えることを「進歩」と言うのか。そのどちらを「進歩」とするのか、私一人では決めかねない。だが、どちらが多くの人間の幸福になるのかと問えば、恐らくほとんどの人が後者を選ぶだろうと期待する。

 私たちが幸福について考えるとき、誰を規準にするだろうか。多くの場合は、恐らく今の自分自身を規準にするだろう。今の自分は幸福であるか考え、幸福であればその持続を、でなければ幸福を掴み取るための手段を模索するだろう。中には現状の幸福にさえ不満を持ち、更なる幸福を追求する人もいるかもしれない。それは悪いことではない。むしろ、人類はそのような欲から進歩してきた。だが、ここで他人の幸福を考えてみてはどうだろうか。例えば、今この瞬間に爆撃や銃声に怯える人々。今にも飢え死にしそうなほど貧しい生活を強いられている人々。改めて、今の自分とそのような人々を比較しながら「幸福」について考えたい。

 そもそも、「幸福」とは、「心が満ち足りていること」だそうだ。「心」と聞くと、とても曖昧な存在だと感じる。目で見えるものでもなく、自分自身でさえ自分の心の所在を明確にできる人は少ない。であれば尚更、自分と全く異なる境遇の人間の心が満ち足りているかなど想像するのは難しい。私たちは、世界の80億人の幸福が全て満たされるには、あまりにも差が大きくなりすぎてしまったのかもしれない。

 私たちが人類として進歩する大きな原動力となり、人々の間の差を拡げる元凶となったのは、繋がりの間で生まれる「競争心」だった。競争心は国や地域がお互いに「比較」し合うことで発生する優越感と劣等感から生まる。思えば、現在私たちが目にする多くの比較データは、能力や資質、成果の優劣を付けるために存在してはいないだろうか。「比較」は「繋がり」そのものだ。二つ以上の事柄を繋げ、それぞれのデータを打ち込み分析すること。本来、比較上の事柄に優劣は存在しない。優劣があるのは、あくまで打ち込んだデータの中身に過ぎない。そして、データはいくらでも向上を見込める。その差を埋めるために、お互いの分析から得た情報を同じ目線で活用し合う。比較で繋がる全ての対象が規準となるのだ。

 世界で生きる80億人は、「人間」という事柄では全員が同じ存在だ。「一人の人間にとっては小さな一歩だが…」という言葉は、過酷な技術競争の末に生まれた言葉であるが、一人の人間が1歩前進することで、繋がりを通し人類の進歩となる。競争を追いかける側の立場で言えば、距離を詰める、差を埋めることだ。逆に、先を行く側は振り返り、手を差し伸べることができる。折角の歩みを止めることに抵抗があるかもしれない。だが、少し待てば隣にもう一つの繋がりが生まれ、新たな歩みを再開できる。80億人の力が並び立つ世界を想像して欲しい。偉大なる一歩を歩めそうではないだろうか。

・竹内万尋      東京都立昭和高等学校3年 思いもしなかった要因で苦しんでいる人がいる

存在を知らないものを見つけることは困難である。あるかもしれないものを探すことは途方もなく、実際にはないものを探し続けてしまうかもしれない。しかし、「誰もが取り残されない世界」を作るということはそういうことなのだと思う。

 「誰も取り残されない世界」。こうしたテーマについて考えるとき、私たちは具体的な「取り残される要因」をいくつか連想する。例えば、LGBTQやADHD、ギフテッドなどだ。しかし、私たちが思いもしなかったような要因で苦しんでいる人がこの世界には沢山いる。

 数十年前までは、LGBTQもADHDもギフテッドも「普通」ではなかった。確実に「取り残されていた」。しかしそれらは今では社会に浸透し、「普通」になりつつある。冒頭で、存在を知らないものを見つけることは困難だと述べたが、LGBTQの存在もその他の性質の存在も以前は知られていなかった。

 ではどうやってこれらは世間に見つけられたのか。

 それは、「取り残される要因」になりうる性質を持った人たちが自分たちの生きづらさを主張したからである。LGBTQやADHD、ギフテッドといった性質の存在を知らなくても、自分の中に確実に存在する苦しみを頼りに、そういった性質の存在を確立していったのだ。人とは違う自分に不安を感じ、理解されない苦しみと戦いながら、自分の気持ちを訴え続けるには、いったいどれだけの勇気が必要で、どれくらい辛い思いをしたのだろう。そのような人たちの努力の上に今の「普通」があり、今の社会がある。

 残念ながら、存在を知らないものは見つけづらいので、「取り残されていない」人は、「取り残される要因」が何なのか、その存在自体を知らず、「取り残される要因」や「取り残されている人」を見つけられない。だからこそ、「取り残されている」人の主張は必要不可欠だし、「取り残されていない」人は、「取り残されている」人の主張を一言も聞き逃してはいけない。生きづらく感じている人が訴えやすいような環境を作り、自分の考えが及ぶ範囲はちっぽけだと理解しなければならない。そして、自分が思いもよらないような苦しみを知ったとき、それを受け入れ、支えられる広い心を持つ必要がある。また、「取り残されている」人は、理解してくれる人がいることを知らなければならない。受け入れてくれる人は確実にいるし、もしかしたら同じ悩みをかかえている人がいるかもしれない。それは家族かもしれないし、まだ知らない誰かかもしれないが、そういう時にこそ、SNSを有効活用して、自分を理解してくれる誰かと繋がるべきだ。そうした小さな繋がりが、やがて大きくなり、社会全体へと広がっていく。

 世界はここ数年で大きく変わっていったが、ここで終わりではない。昔の「普通」が壊されていったように、今の「普通」も変化していかなければならない。LGBTQが知られていなかったのと同じように、私たちが知らない苦しみが世界にはまだ沢山あるはずだ。

  気軽に自分の苦しみを打ち明けられて、気軽に人の苦しみを受け入れられる世界ができたら良い。世界は絶えず変わっていき、自分も日々変わっていくのだから、いつか自分が生きずらいと感じた時のために、今世界を変えたい。

・峯村真翔      千葉日本大学第一高校 3年生     平等な一歩を踏み出すために

何か行動を起こそうとした時に、最初の一歩は重要な役割を果たす。最初の一歩がうまく行くと、その後の行動に勢いが生まれる。一方で、最初の一歩でつまずいてしまうと、気が落ち込んでしまい、その後の行動への気力がなくなってしまう事もある。

   歌手を目指している私の友人が、初めてボイストレーニングの指導を受けた時、彼のボイストレーナーから直す点を多く指摘され、落ち込んでいた。彼はそこからめげずに練習をしているが、やはり最初の一歩が上手くいかないと、その後気が入りにくくなってしまう。場合によってはその行動事態を止めてしまうだろう。

   さて、2015年国連総会で採択されたSDGsでは、「誰一人取り残さない」ということを原則としている。私はこの「誰一人取り残さない」という原則を、「全ての人が平等な一歩を踏み出せる」と解釈をしたい。

   では、「平等な一歩」とはどういうことだろうか。それは、全ての人が最初の一歩を同じだけのリスクで歩む事ができるということである。

   先ほど述べたように、最初の一歩が成功するか失敗するかはとても大きな役割を果たすだろう。しかし、世界にはその一歩すら踏み出すことの出来ない人がいることを忘れてはいけない。さらに言えば、そのような人は先進国である日本にも多くいるし、そのような体験をしたことがある人も多くいるだろう。

   例えば、結構を強いられる若い女性や金銭的な余裕がなく学校に行かせてもらえない子供たち、私たちに身近な例で言えば、今は少なくなってきてはいるが、女性の社会への進出が遅れていていること等があげられる。

   このような状況に置かれている人達は結婚相手を自分で見つけようとする一歩、学門を学ぼうとする一歩がなく、女性であるだけで社会での失敗のリスクが高いのである。

   これこそが、「不平等な一歩」と言えるのでは無いだろうか。

   では、SDGsの原則である「誰一人取り残されない」を達成するにはどのような事が大切なのだろうか。

   私は”歴史的価値観の改変”が最も大切であると考える。

  先ほどあげた例のほとんどは、歴史的価値観が入っていると考えられる。発展途上国は歴史的に、発展が遅れてしまった背景があるし、女性は家で家事をして男性は外で働くという価値観は昔から続いていた。

   だからこそ私はこのような歴史的価値観を、変えていく必要があると考える。私たちは、歴史的な背景に囚われることなく、同じ人間であることを改めて考えていくことが必要である。確かに、性別・文化・宗教・国籍、等人間には様々な違いがある。その違いは個性として認めていくべきであるだろう。しかし、それよりも前提として、私たちは同じ人間なのである。

   人類が誕生してから長い歴史の中で、その前提が薄れていると考える。だからこそ、人々の良し悪しを決めてしまうような歴史的な価値観を変えていき、全ての人々が平等な人間であり、全ての行動・活動が制限なく行えるような平等な一歩を踏み出せる世界を目指すべきである。

    周りの人々や、遠い地域の人々、裕福な人から貧困地域の人、男性や女性、そういう周りの人々は一見あなたと全く違うように見える、しかし、その人達はあなたと同じ人間である。そう考えてれば、きっと周りの見え方は変わり、最初の一歩を踏み出すことの出来ない人や不平等な一歩を減らす第一歩となるのである。

・渡邊春菜      神奈川県横浜緑ケ丘高等学校3年  日本の若者の「生きづらさ」を解消するには

私は、日本の若者の生きづらさを解消したい。なぜなら、日本における雇用の不安定化によって、私を含めた多くの若者が自身の進路や将来に対して苦痛や困難といった生きづらさを感じているためである。その背景には、親の教育への関心と教育支援によって子供の生育環境や教育、文化資本や関係資本に格差が生じ、それがその後の雇用や進路を左右していることが関係すると考える。

 「株式会社マクロミル・認定NPO法人カタリバ協働調査 2018年思春期の実態把握調査」によると、思春期の約9割が悩みを抱えており、特に自分の能力や将来に関する問題が約7割で最も多い。また、思春期は高い理想を抱いて自らを他者よりも劣位とみなす傾向があり、自己嫌悪感を持ちやすいという研究結果もある。その事実を知った私は、多くの若者が感じる「生きづらさ」を、雇用やキャリアに関連した理想と現実の乖離から感じる心理的苦痛と定義した。

 そもそも、この生きづらさには若者の雇用に対する不安の高まりが関連しており、その背景には日本型雇用の崩壊とライフスタイル・ライフコースの多様化がある。高度経済成長期の日本社会では、安定した雇用を前提に豊かさの恩恵に与る過程が成り立っていたが、景気後退と柔軟な雇用の需要の高まりによって、大量の若者が正規社員の枠からはみ出た。加えて、消費の考え方の広まりによって社会は個人を基本に物事を捉えるようになり、子育てや介護、失業といった個人化したリスクが生じた。そうして、社会保険による豊かな生活からはみ出た人への現金給付による支援だけでは解決できない、様々な要因が複雑に絡み合った新しい社会的リスクが生じたのである。

 さらに、個人の自由が重視されることで、人とのつながりが軽視されて孤独感が高まり、人々は心理的苦痛を感じやすくなったと考えられる。連帯の中心は1950年代以前は地域共同体、高度経済成長期ではカイシャが担っていたが、消費社会化によって人間関係さえも自由と責任が重視されるようになり、そうしたコミュニティは弱体化した。雨宮(2008)が言うように、人とのつながりが希薄化している現代においては、自己責任の考え方がより強く内面化させられ、それが自己嫌悪感や生きづらさにつながるのである。

 私自身は、周りの期待と自らの現状との乖離から生きづらさを感じていたが、様々な活動の中で多様な人と対話し、自己理解を深め、自分自身の価値に気づけた。しかし、これまでに友人や家族からも「生きていたくない」という声を聞き、ある程度の所得と教育を有している人でさえも生きづらさを抱えていると実感した。そして、生きづらさを自らが感じ、それを乗り越えられた自分だからこそ、この問題の解決に向けて自らが他者とのかかわりの大切さを広める必要があると考えた。

 私は生きづらさを、失敗に直面した際にそのこと自体を主観的に重く捉えて自らのせいと考え、苦痛や困難が深刻化したものだと考える。しかし、自分とは異なる状況、世界、境遇にある人とのかかわりがある中で失敗体験をすれば、状況を客観視して解決策を考え、生きづらさを乗り越えられるのではないか。そして、人とかかわりながら生きづらさを克服できれば、自己理解を深めて短所の改善や長所の活用ができ、自己肯定感の向上にもつながるだろう。

 現在、子どもや若者に人とのかかわりを届けるべく、政府や民間団体が居場所づくり事業を全国各地で行っているが、それらは子どもや若者に行き届いていない。私の住む横浜市での「中高生の放課後の過ごし方や体験活動に関するアンケート」によると、横浜にある県立・市立高校に通う高校生の認知度は16.5%であった。その要因は、幼い頃からの生活環境において社会問題や政治、課外活動に触れる機会が少なく、それらが若者にとって身近でなく、関心が持てないからなのではないかと考えた。

 そのため私は、より多くの若者に様々な人とのかかわりを届けるには学校と行政、地域、民間団体が連携して様々な体験を提供し、多くの人とのつながりを持てるようにする必要があると考える。現在、神奈川県内の高校12校では校内カフェが展開されており、学校と民間団体が共同で料理の提供を通じた学校外の人とのつながりを形成している。普段はかかわらない人とのつながりが身近な場で得られれば、多様なものに関心を持った人とのかかわりができ、自身の興味関心を広げられる。そして、より多くの若者が自分のやりたいことを発見し、自らの進路や将来に希望を持てるようになるだろう。さらに、この取り組みを通じて多世代間のつながりを形成できれば、様々な人が助け合って幸せに暮らせる社会の構築も夢ではないかもしれない。人と人との持ちつ持たれつの関係性、新たなコミュニティの創造こそが、様々なリスクが存在する今の社会を生き抜くためには必要不可欠なのである。

・十川賛        新番丁小学校1年        食物連鎖のバランス     

ぼくは小さいころから動物が好きです。

特に好きな動物は、水牛、バッファロー、ワニ、トカゲ、ヤモリ、イグアナ、ヌー、ワシ、トビ、ヒクイドリです。 動物はぜんぶ守りたいです。

最近、テレビ番組で動物が困っている姿を見て悲しくなりました。

たとえば、雨が降りすぎて洪水が起き、ワニの赤ちゃんや鳥の巣が流されていったり、シマウマやヌーが川渡りをはじめて、川の真ん中で動けなくなっていたり、川から陸に上がれなったりして、最後には何万頭もいた群れが数頭になっているのを見ました。 心がつらくなりました。

僕は海の近くに住んでいます。

家を出ると目の前に瀬戸内海がみえます。

綺麗な海の日もあればゴミがいっぱい浮いている日もあります。

ゴミの多い海を見ると心が沈みます。

最近は海の生き物を守るために海ゴミ拾いをしています。

人間が出したゴミのマイクロプラスチックは波で流されて魚がそれを食べるからです。

その魚を僕たち人間が食べるので、自分たちを守ることにもつながります。

お姉ちゃんも友達を誘ってイベントに参加したり、イベントがなくっても家族で海でゴミ拾いをしています。

海の食物連鎖のバランスが崩れると、魚がいなくなり、人間やウミドリなどの魚を食べる動物も魚が食べられなくなって、海だけじゃなく陸の動物たちにも影響を与えます。海を綺麗にすることは、動物や生き物を守るつながっています。自然からみれば人間も動物も同じです。 海を綺麗にすることは、食糧危機を守る活動にもつながります。

だからいましている活動を続けていって、自分の学んだことをほかの人にも教えていきたいです。

・三井心葵      鹿児島市立河頭中学校1年        一人一人に役割を

ある人がこう言った。

「これからは、できない人は取り残されていく時代だよ。だから成績の悪い人は置いていかれるんだ。僕は出来るからよかった。」

帰ってきてこのことを母に話すと

「そうかな。いとこに障害を持っている人がいるでしょ、その人は取り残されていくのかな。障害を持っていても、できることはあるんじゃないのかな。」

と言った。確かに、成績の悪い人や障害を持っている人は、健常者や成績の良い人と比べると、できないことがあるかもしれない。だが、その人にも、得意なことやその人にしかできないことなど、きっとあるはずだ。

 私の学級には、支援学級の人がいる。その人たちは勉強がうまくできなくても、大きな声で応援することができたり、プログラミングがみんなに教えられるほど上手だったりする人もいる。いとこも、時間通りに行動することが得意だ。

 私はYouTubeを見なかったりTikTokの存在すら知らなかったりして、周りの人に驚かれたことがある。TikTokを知っていれば、みんなとその話ができるのにと思ったこともあった。けれど、取り残されるかもしれないと不安に思ったことはない。それは、自分と違うところだけを見るのではなく、私のいいところを分かろうとしてくれたからなのではないだろうか。自分と違うところがある人がいても、おかしくないよね、という気持ちを友達が持っていてくれたからなのだと思う。これは、私が理解してくれるように頼んでいるのではない。みんなが当たり前のようにしてくれたのだ。

 出来ない人を置いていく社会には、絶対ならないはずだ。一人一人の個性やできることを生かしていける社会になることを願う。そのためにまずは、私は学級にもし取り残されそうな人がいたら、声をかける。できないことをできるようにするのは、なかなか難しいと思う。だから、その人のできることを生かして、みんなの役に立つことをしてもらえるように、その人に役割を与えてあげたい。パズルに例えると、みんなで協力して学級全員でピースをはめていく。みんなには、うまくできない人をサポートして、パズルが簡単には崩れないように、接着剤の役割をしてほしい。一人一人ができることを続けることで、どんどんピースがはまっていき、いつか世界中できれいな絵の大きなパズルを作りたい。その頃には、世界中が笑顔であふれているはずだ。

・Reinhardt Celine Vivian      横浜国立大学   

「Invisible Visible」- 目に見えないハンディキャップのある生活

1. はじめに

 21世紀、我々は前より誰も取り残されない包括的な社会を目指そうとしているという世紀である。しかし、気づきやすいものにしかしばしば集中しない。それ故に、メンタルヘルスと精神障害という目に見えないものに無視してしまうのである。本レポートの問題を説明するために、車いす使用者を例えになる。社会の皆さんは「歩けない人」という目に見える障害ものに気づき、共感し、その人に手伝うと思う。ところが、多数の人は普通障害以外に様々な障害が存在することを知らない。精神症状という目に見えない特別障害に関して、理解も忍耐も足りないかもしれない。従って、その人は、うつ病の人が怠け者、自閉スペクトラム症は無作法者、ADHD(注意欠如・多動性障害)の人が無鉄砲な人と本当の理由を知らず決めつける。

2. 本論

 現在、我々は「定型発達・ニューロウティピカル」神経が標準的、神経学的機能が正常という人々に合わせるしゃかいに住んでいる。ところが、「発達障害・ニューロダイバージェント」精神障害がある人々は世界人口の約4割を占めている。簡単に言うと、ニューロダイバシティとは、自閉症やADHDなど、行動や考え方に非定型的なパターンを持つすべての人のことを指します。彼らが日常生活で直面する最大の問題は、光や音、騒音に対する過敏性、社会的な合図やプレッシャー、身体感覚の理解、食料品の買い物などの単純な作業でさえも非常に困難であること。

 そこで、SDG3とSDG10に基づいて本レポートのプロジェクト「Invisible Visible」はSNSを手段として活用し、「ニューロウティピカル」と「ニューロダイバージェント」の方々のオンラインつながりを作ることを目指している。このプロジェクトの主要な部分は、出会い系アプリのスタイルに似たソーシャルメディアプラットフォームで、手助けやサポートを必要としているニューロダイバージェントとこのサポートを貸したいニューロタイプの人々をつなぎ、さらなる協力の方法として、一緒に働くことで妥協点を見出し、両者が等しく見られ、快適に感じられるよう、よりバランスのとれた公正な世界を作るために2タイプの間のギャップを埋めるものである。これは、「ニューロウティピカル」と「ニューロダイバージェント」の人々が、人前で話すことや食料品の買い物など、圧倒されるような状況で後者をサポートするためのパートナーシップの基礎を築くものだ。出会い系アプリでスワイプするのと同じように、各ユーザーはプロフィールを作成する。ニューロウティピカルユーザーは、具体的なニューロダイバージェントや精神疾患の開示は任意であるのに対し、神経質なユーザーはどのようなサポートを提供したいか(例えば、食料品の買い物)を述べてプロフィールを作成する(例:騒音や明るい光に過敏になりやすい、食料品の買い物に協力が必要)。位置情報へのアクセスは、地域の支援体制を作りやすくするために、お互いの近くにいる人々をつなぐために使われる。ここで、双方のユーザーは、自分のニーズや提供するサポートに合うユーザーを見つけたら右にスワイプし、検索を続ける場合は左にスワイプすることができる。双方が右にスワイプした場合はマッチングとなり、プライベートチャットで詳細について話し始めることができる。なお、ユーザー保護の観点から、出会い系アプリのような本人確認プロセスを採用する予定だ。サポートシステムを作るという主な使い方のほかに、ユーザーは自分の人生や苦悩、ニューロダイバージェントとしての経験について投稿し、他の人がそこから学んだり、誤解を解いたりできるようにすることができる。さらに、ポッドキャストやウェブサイト、資格を持った医療専門家による信頼できるソースがリンクされ、このトピックに関するさらなる教育ソースとなる。

3. 結論

 「Invisible Visible」アプリは誰もが見られている、聞かれている、受けられている社会、つまり新しい「普通」を作成を目指す。そのおかげで、見えないものが見えるようになる。その結果、精神障害に関しての理解を深め、認識を広める。一人一人の協力で、誰もが取り残されない未来を作れる。

・匿名     中央大学 1年   曖昧故の生きづらさ

発達障害のグレーゾーンと呼ばれる人々の存在を、皆さんは聞いたことがあるでしょうか。自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠陥・多動症(ADHD)、学習障害(限局性学習症、LD)の特性や傾向はあるものの、発達障害との診断を受けるまでには至らない場合、グレーゾーンと呼ばれることがあります。そして、グレーゾーンの人々は障害者手帳を取得できません。つまり、障害者手帳を取得することで得られる権利は無い上に、自分の曖昧な症状と上手に向き合いながら、所謂「普通」と呼ばれる人々の中に溶け込んで生活しなければならないというプレッシャーの中で生きている可能性が高いのです。こういった曖昧な立場故に生きづらさを抱える人々は、社会的にも、精神的にも取り残されていると感じやすいのではないかと私は考えます。

  実は私自身幼い頃からADHDの傾向にあり、2022年の1月頃から定期的に精神科に通い、コンサータというADHDの薬を処方されています。今でこそ自分自身と向き合うことができるようになった私ですが、診断される前は人と同じことができない自分への苛立ちから、激しい自己嫌悪に陥る毎日でした。私は受験前に親の勧めで精神科へ行くことができましたが、この「精神科に行く」という判断すら、発達障害の症状が日常生活に大きな支障を及ぼすほどではない人たちにとっては大きな障壁です。そして診断を受けた後も、そのグレーゾーンという曖昧さ故、明確な診断がない中で皆ができていることができない自分が情けなく思える人も多いでしょう。1人で抱え込んだ苦しみはなかなか周りに共有しづらく、ましてや普通の人(ここでは特性を持っていない人)に混じって社会人になった時、会社というコミュニティの中で弾かれてしまうことが多くあるのです。

  私は、このような状況に置かれている人々を1人でも取り残したくない、言い換えれば、取り残されたような感覚にしたくない、と思っています。しかしこの問題は、「自己責任」という言葉で片付けてしまえばそれまでのことかもしれません。実際、病院に行く勇気を出すのは自分であり、障害があるからこそ、それを言い訳にしたり、何かの免罪符にしたり行為はあってはならないことです。カミングアウトをしにくいことに関しても、そもそも打ち明けるか否かは個人の判断であるべきで、わざわざ打ち明けずとも、自分に折り合いをつけながら少しずつ改善策を考えるというのも、賢明な判断と言えます。しかし私が問題視しているのはそんな個人に依拠した問題ではありません。発達障害のグレーゾーンの人々の慢性的な生きづらさは、その特性に留まらず、今の日本のメディアやネット社会によって作られる風潮によって増殖されているのだと、警鐘を鳴らしたいのです。近年発達障害に纏わる単語が一般的に広まり、日常生活やインターネット上で用いられることが多くなりました。そしてそれらの病名を安易に使用する人が増えすぎたと感じています。この傾向こそが、前述したような発達障害のグレーゾーンにいる人々に居心地の悪さを与えているように思います。例えば、発達障害の症状を免罪符にする発信者がいることで、本当に苦しんでいる当事者がカミングアウトしづらくなってしまうことが考えられます。更に言えば、何かミスをした時にすぐにADHDという単語を使い、少しテストの点数が悪かっただけで学習障害などの言葉を面白半分で使う人がネットやリアルに蔓延る現代の傾向は、こうしたグレーゾーンという曖昧さの中で生きている人々の肩身を狭くしているように思います。これは、一人一人の小さな意識で変えられる問題です。発達障害を持っていない人であれば、安易に自分や他人をADHD、アスペ、学習障害などと冗談めかしに言わないように気をつけるだけでも十分に意味があります。発達障害を持っている人は、誤った発信の仕方をしてしまったり、言い訳や免罪符に障害を持ち出したりしないように気をつけるべきです。

  ところで現在大学生の私は、塾講師のアルバイトをしています。講師と言う立場で様々な生徒を教える中で、LDなのではないかと感じる生徒がいます。個人のことなのであまり詳しいことは記述しませんが、テストの点数で評価が下される学校という場で、本人なりの努力がなかなか評価されない現状が少し辛く思えてしまいます。いくら仲の良い友達や親でも、似た人ではない限り理解し合えない悩みや苦しみは時にやり場が無くなるものです。特に、発達障害及びそのグレーゾーンにいる人々にとって、理解されないことに諦めをつけて1人抱える辛さは意外に多いのではないでしょうか。

  最後になりますが、今回私は敢えて、制度的な言及も、周りに配慮を求めるような呼びかけはしていません。それよりも、発達障害の扱い方、発信の仕方を一人一人が気を付けようという最も基礎的な意識の部分を問題視しています。今後、社会制度が発達し、本当に誰1人取り残さない仕組みづくりができる未来は十分にありえます。しかしそんな社会のど真ん中に広がるインターネットという無法地帯や、日常生活で築かれる関係性、コミュニケーションにおいては、制度だけでは折り合いが付けられません。こういった世の中で、精神的にも取り残されてしまう人が少しでも減るよう、私たちが今できることを考えたいと思っています。未熟で拙い文章ですが、発達障害に纏わる言葉の扱い方、グレーゾーンと呼ばれる人々の存在について、少しでも考えるきっかけになれば幸いです。

・廣田菜々美    梅光学院大学2年 自分ができることは何か 

私は「取り残された」と感じながら、全く勉強に集中できない中学生活を送った。小学生の時は勉強が大好きで、テストは満点ばかり。先生からも褒められ、委員会活動では委員長を任されるほどだった。自分の力をもっと伸ばしたいと思い、努力して挑んだ中学受験。私は志望校に合格し、夢の中学生活が始まると思っていた。しかし、私の想像とは違い周囲の勉強に対するモチベーションが高く、私は徐々に落ちこぼれてしまった。その時の私の気持ちは、「周りから諦められている、頑張っても無駄だ。」などのマイナスの気持ちばかりで向上心もなく、頑張る気になれなかった。そんな私が唯一、中学生活で頑張ることができたのが部活だ。部活の顧問の先生が、親身になって支えてくださったおかげで、私は高校と大学に進学することができた。私をどん底から救ってくださった先生に憧れ、今は小学校の先生になる夢を叶えるために大学で教育学を学んでいる。

 大学に入学し、中学や高校生活とは気持ちを改め、部活やサークル以外にも全力を注ぐことを決意した。そこで、私がまず始めたことが委員会活動だ。私は、貧しい地域に住んでいる子どもたちを支援するという活動に引かれ、ボランティア班に所属することを決めた。班の活動内容は、アジアを中心に貧困家庭で生活している子どもたちの支援をするための献金活動や、英語でチャイルドの事を考えた手紙を送る、支援チャイルドの紹介を大学内で行うなどだ。私はその活動をしているうちに、過去の自分に対しての怒りが込み上げて来た。

 なぜなら、両親に応援してもらい、志望校に行かせてもらったにも関わらず、自分は勉強を全力でしなかった。私は学校で先生や友達から、疎外感を感じ、諦めて頑張ることをしなかった。自分は頑張っても無駄だと思い、宿題を真面目に解くことすら忘れていた。今思えば、あの時の私は支えてくれる家族と学びに熱心な学校や友達、全ての環境が整っていた。大学生になり、知った現実は世界には私と真逆の子どもたちが多くいること。教育を満足に受けることの出来ていない子どもたちには、様々な理由がある。学校に通うお金がない、親が教育の重要性を認識していない、子どもにも働いてもらわなければ生きていけないなど、日本では考えることができないような理由ばかりだ。学校に行けたとしても、雨風をしのげないようなボロボロの学校や、人数分の机や椅子がない環境、勉強道具を買えないなどの様々な問題を抱えながら、勉強に励んでいる子どもたちがいる。私はこの現実を知り、様々な感情が込み上げてきた。しかし、感情だけで終わらせては何も進まない。何をしたらみんなが学校に行って、教育を受けることができるのか、自分にできることは何か、この子どもたちやこの国の未来はどうなるのか、なぜ過去の自分はあんなに勉強をしなかったのか。いくら後悔しても考えても、私が必死に勉強しなかった過去は変わらない。今私がするべきことは、本当に「取り残された」環境にいる人々のために行動することだ。

 私の通う大学では昼休みに、礼拝の時間がある。礼拝では先生や生徒が自分の考えや伝えたい内容を話し、お祈りするのだ。先日、私は礼拝でお話しをさせていただく機会をいただいた。そこで私が話した内容は、委員会活動を通して支援している海外に住んでいるチャイルドの紹介や支援内容、その国の現状などについてだった。少しでも多くの人に知ってもらい、自分にできることや支援について考えてほしいと願いながら話した。今の私には、まだ現地に行って何か行動できるほどの力は無い。そんな私だが、今できることを考えた。それは、世界には教育を満足に受けることのできていない子どもたちが多くいることをみんなに伝えることだ。将来、夢を叶えて小学校の先生になった時、私は子どもたちにも分かりやすく、その事を伝えたいと思っている。

 生まれた国や地域、家庭が違うだけで誰が悪いわけでもない。私は恵まれた環境に生まれた。しかし、自分の行動が原因で「取り残された」と感じながら過ごした経験がある。今は本当に「取り残された」環境にいる人々のために、できることを小さなことでも良いから、何かしたいと考えている。人や国の不平等、貧困がなくなり、みんなが質の高い教育を受けることができるようになれば、子どもたちの夢や未来の選択肢が増えるだろう。みんなが出来ることを一生懸命し、夢を叶えることができれば、世界はもっと豊かになるはずだ。

・高山結愛      鹿島学園高等学校 2年生 隔たりのない情報社会へ

インターネットの普及により、私たちは簡単に情報を得られるようになった。スマホを開けば、最新ニュースや国際情勢をいつでもどこでも見られる。また、SNSを通してよりリアルな声を知れる。つまり、従来よりも得られる情報の量と幅が大きくなり、取り残されていた人の存在に気付ける機会が増えたということだ。そう聞くと、情報社会は誰ひとり取り残さない社会の実現に繋がると考えるかもしれない。しかし、私たちの意識を変えなければ、情報社会は取り残されている人と取り残している人との分断を深めると私は考える。以下、そのように考えた理由と情報社会において大切だと考えることを述べる。

 まず、情報社会が分断を深めると考える理由を2つ挙げる。

 第1に、情報をスマホの画面越しに見ると、当事者意識が低下してしまうからだ。私はある時、動画サイトで発展途上国に関するニュースを目にした。貧困に苦しんでいる人々が感染症の危険に脅かされながら必死に生きている様子が報じられていた。私はその生活に衝撃を受けた。それと同時に、そのニュースのコメント欄に散在していたある言葉にひっかかりを感じた。それは「日本に生まれて良かった」という言葉だ。悪気はなく、ただ自分が恵まれた環境にいるということへの感謝を意味して発せられた言葉かもしれない。しかし、私はその言葉のどこかに他人事のような冷たさを感じた。もしその国に自分の家族が住んでいたとしても、もし実際にその現場を目の当たりにしたとしても、同じことが言えるのだろうか。スマホの画面は、「日本」と「その国」あるいは「自分」と「他人」を隔てるものとなってしまっている。そのため、画面を通して見ることで、その国が別世界であるかのように感じてしまうのかもしれない。また、そう思うことによって苦しい状況に置かれている人がいるという現実から目を背けたいのかもしれない。しかし、このままでは画面の奥で取り残されている人たちの悲痛な叫びが届かなくなってしまう。

 第2に、情報が多すぎるために受動的になってしまうからだ。この世の中は情報に溢れている。そして、私たちが得る情報は、テレビでたまたま流れていた情報、ネットニュースでふと目についた情報等、受動的なものが多い。その何が問題なのかというと、「慣れ」が生じてしまうことだ。ある情報を受動的に得た場合と、自分で関心を持って調べて得た場合とを比べてみてほしい。受け取り方が大きく違うだろう。受け身の状態で居続けると、徐々に慣れが生じ、問題意識が低くなってしまう。今日の世界には戦争、貧困、環境等、様々な問題が山積している。この状況は当たり前ではない。異常なのだ。また、ニュースには「報じられるもの」と「報じられないもの」があることも忘れてはならない。実際、ロシアのウクライナ侵攻は大々的に報じられている一方、それ以前から起こっていたアフリカの紛争に関してはめったに報じられていない。ウクライナ侵攻が始まった当初、「自分が生きているうちに戦争が起こるなんて」という声をよく耳にした。しかし、私たちが知らないだけでこの地球のどこかで争いが起こり、多くの命が犠牲となっていたのだ。このように、受け身の状態でいると、目の前にある情報が全てだと思い込み、視野が狭くなってしまう。いくら私たちに届く情報が増えたとしても、私たちの向き合い方によっては取り残されている人を増やしてしまう恐れがある。

 続いて、情報社会において、誰ひとり取り残さない社会の実現のために大切であると考えることを3つ挙げる。それは、「共同体意識」、「自発性」、「多角的視点」である。

 1つ目の共同体意識について言うと、私たち人間はたとえ国籍が違くても、同じ地球に生きる共同体であるという意識を持つことが大切である。画面の奥にいるのは他人ではなく仲間であり、同じ人間として自分には何ができるのかを考えるべきだ。

 2つ目の自発性に関しては、自ら関心を持って情報を集めること、そしてそれを継続することが大切だと考える。様々な問題があるこの現状を当たり前と認めてしまえば、何も変えられない。自ら情報を集め、問題意識を持ち続けることが必要だ。

 最後に、3つ目の多角的視点について述べる。報道されるかされないか、また報道のされ方によって、私たちは偏った見方をしてしまう恐れがある。そうならないためには、目の前の情報を鵜呑みにせず、想像力を働かせて多角的な視点から情報を吟味するべきだ。時には、悪とされている立場に立って考えることも重要である。

 このように、情報社会には取り残されている人と取り残している人との分断を深めるという側面がある。そのため、私たち一人ひとりが共同体感覚、自発性、多角的視点を意識して情報と付き合っていく必要がある。そして、情報社会が誰ひとり取り残さない社会の実現に繋がることを私は願う。

・新野心羽      港北高校、2年  取り残されるのではなく特別扱いされない世界へ   

SDGsは貧困、障害、LGBTQなど取り残される人を取り残さないというのが主な信念として掲げられています。

しかし、私は正直この目標に違和感を感じることもあります。なぜその人たちを取り残される人と決めつけているのか、なぜそう呼ばれてしまうのか、本人たちは本当に取り残されている人と思っているのか、と。

私の友人にレズビアンであることを隠している人がいます。また、私の友人にバイセクシュアルを隠していない人がいます。2人ともSDGsの信念から見ると取り残されている、とされる人です。しかし、私から見ると取り残されているがいないかでみるとするならば後者は取り残されていないと思っています。なぜそう思うのかというとLGBTQであることを周りが受け止めて認めているからです。

昔から人は男は女と、女は男と結ばれるべきだと小さい頃から認識しています。そうそう教育されているから、そう思い込まされているから、それが当たり前だから。だからLGBTQを差別的な目でみる人が一概に悪いとも思えないのです。でも、可哀想だなとも思います。

あるネットでバイセクシュアルの方が「LGBTQでない人は40億人の人しか愛せないけれど、私は80億人の人を愛することができる」と言っていたのがとても印象に残っています。よくバイセクシュアルの方はよく、性別関係なくその人自身を愛している。と言います。それはLGBTQでもそうではなくても同じことだと思います。違いは男女に拘っているかいないかだけ。男女の壁は大きく感じてしまうけれど意外とそうではないこと、思っているよりも彼らは普通であること、私たちにできることはまず認識を変えていくことや彼らを良くも悪くも特別扱いをしないことではないでしょうか。

また日本はSDGsの一つである教育を達成しつつあります。人間の根元は教育であると思っているのですごく誇らしくあります。だからこそ教育の根元を少しだけ変えていくことも必要だと思いました。私は将来小学校教論になりたいです。LGBTQが特別ではないことや隠すような恥ずかしいことではないことを発信することが私がSDGsに貢献するためにすることだと強く思います。

誰一人残さないということは誰一人特別にならないこと。私たちに足りていないことはもっと自分よがりな考えにとらわれず沢山の人に出会うことです。今世界にはネットが多く普及しています。顔が見えないからこそ発信できることもあるし、顔が世界中に知られるからこそ発信できることもあります。実際ネット上で私たちは毎日沢山の人と出会っています。LGBTQを告白している人、それに悩んでいる人、助けてあげたい人、知らん顔でスクロールしてしまう人、それに対して誹謗中傷をする人。それもいいんです。みんな間違ってはいないから。考えの多様性が認められる世の中だからこそ性別の多様性を認めていくべきです。私ができることは限られています。この文を通してLGBTQがおかしくないことやSDGsは達成するべきことやそのためにみんなが認識を変えることを伝えられたらいいなと思いました。

・小野日向汰 岡山県立倉敷青陵高等学校2年 私たちは、同級生を誰ひとりとして取り残しはしない

私は、現在、県南部に住み、電車を利用して通学している。私が利用している時間帯の電車は、来年(2023年)春からのダイヤ改正により減便される。それであってもそのことは私自身の生活に大きな影響が出るというわけではない。しかしながら、同じ県内の高校生の中にはそうでない人もいる。ある日、私の目にあるニュースが飛び込んできた。JR西日本が公表した利用者が特に少ない「赤字路線」17路線30区間の内、3路線5区間は私が住んでいる県の北部を走る路線であった。当然ながらこれらの路線の沿線にも多くの人が住んでおり、私と同じようにたくさんの高校生が当たり前の生活を送っている。その沿線の高校には全校生徒の半数がその路線を利用している高校があり、廃線の危機を知ったその学校の生徒会が中心となって生徒・教員やその家族からその路線の存続と利便性向上を求めて約1200人分の署名を集め、市長と市議会議長に手渡した。今後は全校生徒の2割が通学にその路線を利用している高校など、沿線の他の高校とも協力して活動していくという記事であった。後日の記事によると、仮に廃線となれば沿線にある高校の多くの生徒の通学が困難になるとして、2か月間、県北部にある11の高校に呼びかけるなど署名を集め続け、最終的に4865人分の署名をJR西日本支社に提出したそうだ。両記事によると、署名を受け取った市長やJR西日本は県、沿線自治体、JR西日本が連携して取り組みを行っていきたいということであった。地元の路線がなくなると、生徒の通学が困難になり、学校教育に支障をきたすだけではなく、その地域の過疎化がより一層深刻化してしまうなど多くの問題を引き起こす可能性がある。私と彼らは同じ県に生まれ、住んでいる同級生である。一方は、自分たちの当たり前の学校生活が危機的状況におかれ、授業や部活動、課外活動などを含めた高質な学校生活、すなわち、質の高い教育が受けられる環境を守るために多くの人々と協力して奔走している。もし、廃線になれば通学が困難になり、質の高い教育が受けられない状況に取り残されてしまうからだ。しかしながら、もう一方は、今ある当たり前の生活を当たり前のまま過ごしている。私たちの生活の中では海外の貧困や子供の教育、人種差別問題、LGBTQ+など世界中で注目されている問題については、ニュースや授業などで知る機会や考える機会が多くある。しかし、世界教育水準ランキングで41ヶ国中14位(2022年6月現在)とされている日本の教育はSDGs「4.質の高い教育をみんなに」が達成に近づいている目標とされているように国民が平等に質の高い教育が受けられているという印象が強く、地方の赤字路線の沿線の人たちが質の高い教育が受けられる環境が危機的であるという現実を知ったり、考えたりすることは少ない。ある地域の高校生の人生に大きく関わる問題が他の地域の人たち(特に高校生)にあまり知られていないというこの状況は非常に深刻な問題である。確かに、他の地域に住む人たちが実際に乗りに行って路線の収支状況を改善することは難しい。しかし、そのような人たちにもできることはある。利用者を増やすための工夫やイベントを考えたり、今、地方の高校生にこのような危機が迫っているという現実をより多くの人に知ってもらったりすることだ。今、高校生の私たちが質の高い教育が受けられる環境を守るために奔走している同級生のためにできることは、まず、知ることである。今の高校の教育環境では、リモートで高校生同士が交流することも容易である。同じ国の同じ県内でも質の高い教育をみんなが受けられるよう環境を整え、維持することが危機的な状況に直面している現代、今すぐに世界中の子どもたちに質の高い教育を届けることは難しいかもしれない。しかし、私は同じ県に住んでいる子供の間で教育格差が生まれ、それがその人の人生に大きな影響を与えてしまう現状、質の高い教育を受けたくても受けられない現状は、あってはならないことであると考える。もちろん、地域単位、国単位、世界単位でも同じだ。私は、一刻も早く世界中のみんなが質の高い教育を受け、自由な人生が送られる世界になるように、なにか行動をせずにはいられない。この文章を読んでくださったあなたにもなにか行動を起こしてほしいと心の底から思う。まずは、知ることから。

・多田伊織      関西外国語大学 2年     受け入れる≠理解       

今のジェンダー平等や多様性の教育は、果たして誰もが受け入れられる世の中に向けての教育なのでしょうか。恋愛対象が同性であったり、心と体の性別が一致していなかったりといった人たちが受け入れられるようになってきた。高校生の頃からLGBTQが注目され始め、大学では多様性を学び、受け入れましょうというポジティブな教育を受けてきた。私は少しもやもやしながら学んでいた。私の性別は女性、心も女性、恋愛対象は異性である男性。俗にいうマジョリティー。自分の考えを巡らせ、徐々に明確になってきたときに、そのもやもやは疎外感からくるものであると確信した。

 私の恋愛観や価値観は過去から作られた。小学校と中学校の体験から私のこのもやもやは生まれたのだと思う。小学生の時、放課後、学童でいつも遊んでいる同級生の女の子達と体育館前でその時ハマっていた家族ごっこをしていました。その日は、家族の他になぜかイケメン俳優役の子がいて、そのイケメン俳優と話せるイベントが開催されている設定だった。みんな上着を車いすが通るスロープの手すりにかけてテントのようなものを作った。その密室でイケメン俳優役の子と順番に話す。いつも犬役をしていた私もファン役に回されてしまった。私の番となり潜って入った。何をするのか全く分からなかったのでその子に「これなにするん?」と聞くと「ちゅーする?」と返ってきた。とんでもなく驚いた。冗談だろうと思い、少し笑って「え?」と言うと、次の言葉を待たずして本当にしようとしてきた。普通のことなのかもしれないと思ったが瞬時に無理だと思い必死に抵抗した。何とか免れたが気まずい空気が流れた。自分の中で笑い話にしているが、実際私はこの時とても恐怖を感じた。この出来事があって、恋愛対象が女性ではないことを確信したと同時に、怖くなってしまった。中学生の時は、女子テニス部に所属していました。練習後、ボール拾い中に横に来て毎回恋人つなぎをする子がいるほど部員は距離が近くて、恋愛対象になっているとなんて思っていなかったが、中学2年生の時に好意を告白してくれた部員が一人いた。私の恋愛対象ではないことを伝えた。正直に伝えてどのような行動を取られてしまうだろうと少し警戒した。誰でも同じだろう。その子はとても優しくて、私に迫ったりすることはなく、これまで通り友達として接してくれた。この子が女性への警戒心を少し和らげてくれたのだが、小学生の頃のトラウマはあの頃からずっと消えてくれない。

このような過去があって、私は同性、女性からの好意を受け入れることができないことを認識している。いろんな愛のカタチを差別せずに受け入れましょうという今の時代の流れにどうしても乗ることができない。こんなことを言うと差別する人だと思われてしまうのではないか、意地になって時代に逆行している人だと思われてしまうのではないかと考えてしまい、言えない。受け入れることが難しい人も受け入れなければいけないのだろうか。今の言う多様性に私のような人は入っていないような気がしてしまう。単に私は好きではない人からの好意を受け取らなかっただけなのに、相手が同性だったというだけで多様性を受け入れることができない人になってしまった。性別で人を差別しないことには賛成で、いろんな形の幸せを様々な形で障害なく受け取ってほしいと切に願う。同じ人間、分類する必要なんてなかった。受け入れる人の幸せ、受け入れられない人の幸せ、そもそも関心のない人の幸せ。すべての人が受け入れられることこそが本当の多様性だと思う。多種多様な人がいて、その分たくさんの考え方があることを理解することは重要、そのあとにそれを受け入れるかどうかは個人の自由。人の好意は自由であるべきで、受け取る側も自由であるべきだ。好意受け取りを強制させてはいけない。それと同じように受け入れも強制させてはいけないと思う。

受け入れることができなくなった過去を持ち、ここ数年で疎外感を感じるようになった。私以外にもたくさんの人が様々な形で疎外感を感じているだろう。大きな活動を始めるとき、仲間外れにされてしまう人は出てくる。誰もが疎外感を感じないようになって欲しい。性別や性的趣向で人間を分けずに、同じ人間として、人が嫌がることはしてはいけない、人の考えを否定したり、変えようとしたりしてはいけないなどといった基本的なことだけを守ってすべての人が生きやすい世界にしていきたい。今の私の疎外感もすべての人が受け入れられるようになるための大切な違和感の一つなのだと思う。色んな人と関わり、いろんな考え、価値観、暮らしを知ることがすべての人が受け入れられる世界に向けての第一歩。

・山崎祐佳 四国学院大学社会福祉学院精神保健と福祉メジャー2年 虐待や犯罪の取り組みについて

昔に比べて虐待や犯罪が増えてきました。何故虐待や犯罪が無くならないのか?と考えた時に日本の被害者、加害者、家族の支援、社会の理解が遅れている事が大きな原因だと思いました。現在の被害者支援は、国から支給される給付金が少ない、親族間の犯罪には原則支払われない、トラウマの専門的なカウンセリング治療の保障などがなく、また加害者支援も同様に刑務所・少年院の中でトラウマの治療環境が整っていない、警察との連携がない、更生の支え手となりえる家族の支援がないなどの問題があります。人権や社会の理解もない現状です。虐待や犯罪がおきると事件の背景も考えずSNSに個人情報を晒す、家族が勤務している職場に脅迫電話をかけ、退職やくびに追い詰めるなどの加害者非難がおきます。今の現状は、被害者側と加害者側を分断し、虐待や犯罪の悲しい事件が繰り返えされている世の中になっています。加害者を非難し、罰するだけでは解決しません。また加害者も虐待、いじめなどの酷い生い立ちで育っている人が多く、被害者の側面もあります。被害者と加害者はどちらも取り残された人達です。誰一人取り残さない世の中の実現のために大切なのは、被害者、加害者、家族の支援、二度と同じような事件が起きないようにする事、社会の理解です。

加害者支援は、次の被害者をださないという被害者支援になるという事に私は気づいたので将来は保護観察所の社会復帰調整官(司法福祉のソーシャルワーカー)になり、加害者支援、加害者支援者の立場から被害者支援、仕組み作りにも携わっていきたいです。私は、アメリカの虐待脳科学研究、ノルウェーの福祉政策に注目しています。虐待の脳科学研究により、DV目撃と暴言による組み合わせの精神的虐待が一番ダメージを受ける、虐待を受けるとPTSD、解離性障害、反社会性パーソナリティー障害などの精神疾患になりやすく、自殺、犯罪、非行などの行動に繋がりやすいことが研究で分かっている、ノルウェーでは犯罪被害者庁という専門の官庁がある、厳罰化ではなく、更生と社会復帰を重視する取り組みなどが進んでおり、被害者支援も加害者支援も手厚く、再犯防止にも成功しています。また世間には知られていませんが虐待は、お金持ち家庭と貧困家庭の両極端の層に多いです。だから虐待は、経済的な面だけを解決しても減りません。日本は、経済や就職の面ばかりに力を入れている印象です。もちろん経済や就職の支援も重要です。しかし社会の理解がない、トラウマの治療がされていない状態では、仕事が長続きしない、差別や偏見により生きづらくなって再犯、自殺などの深刻な状態に逆戻りになってしまいます。そういう日本の現状を改善するためにアメリカやノルウェーに学びにいき、脳科学の視点・理論、福祉政策を参考にし、逮捕された時から刑務所・少年院を出た後の一貫したサポートの仕組み、加害者、家族支援を警察と連携、被害者・加害者・家族庁の設立(給付金、メディア報道対応、トラウマ治療のカウンセリングの助成などの総合的な支援を行う)、経済的に困っていない家庭の虐待、通告、保護、介入されていない潜在的な虐待被害者の支援の仕組み、医療従事者のサポートや救急医療現場での被害者、加害者などの社会問題の人のサポートの仕組みを作りたいと考えています。これは、京都アニメーション放火事件の加害者を治療した医師の上田敬博先生が「今も主治医チームと連絡を取り合っていますけれども、運よく、メンタルが壊れた子は出てきていない。ただそれは運がいいだけ。加害者や被疑者を治療するにあたって、医療従事者を物理的に守る危害から守るというのも必要ですし、誹謗中傷とか精神的な被害から守るのも必要だと思うのですけれども、そういうのは何も整備されていないわけですよね」という声や社会問題を抱える患者さんのサポートの仕組みを作ってほしいという声を聞き、サポートが必要だと感じました。いきなり社会に理解を求めるのは無理があります。まずは医療従事者の方から被害者・加害者支援の理解を広めていき、最終的に社会に理解が広がっていくのではないかと思ったからです。苦しんでいる当事者、当事者ではない人、未来の産まれてくる全ての人のためにこの先色々な困難があろうとも世の中を変えるために諦めないで突き進んで頑張ります。誰一人取り残さない世の中の実現にむけて。

・下馬場一毅    学習院大学法学部法学科1年 「誰ひとり取り残さない」を実現するための仕組み

企業やNPOなどによるSDGs活動において「取り残される人」が生まれる一つの要因として「社会へのアピールがしづらい」ということがあると思う。企業やNPOは持続的な活動を行うために利益を出したり、寄付を集めたりする必要がある。そのため企業やNPOがSDGs活動を行うにあたってはその活動の認知や、それを通した売上げや寄付額の増加が求められる。きちんとしたSDGs活動を行えばその活動は認知され、結果としてその活動をした企業の商品が売れたり多くの寄付が集まったりすると考える人もいるがそれは正しくない。具体的な例としてACジャパンの例を見てみる。ACジャパンは広告を通して社会にメッセージを発信し続けており、その成果については多くの人が認めるだろう。しかし2021年(令和3年)度事業報告によればメインの収入源である正会員受取会費は2000年をピークに減少し続けており、個人会員については年会費6000円と他団体と比べて高いとは言えないのに85人しかいない。ACジャパンという活動の認知がうまくいっている組織ですら寄付集めに苦労しているのだから、ほかの団体についてはさらに厳しい状況といえるだろう。大規模なNPOや企業は、そのようなことを避けるために、広告を用いて自分たちのSDGs活動を認知させている。実際、SNSを見てみると大企業による自身のSDGs活動に関する広告を多く目にするし、検索エンジンで「寄付」と検索すると多くのNPOが自分たちの活動をアピールする広告を配信していることが確認できる。こうしたことは、広告料という札束の殴り合いを引き起こしたり、広告に使いづらいSDGs活動は社会的意義が高くてもあまりやってくれなくなり、結果として社会の関心が薄い人たちを「取り残される人」にしてしまう。

そのような現状を打開するために、NPOや企業が自分たちのSDGs活動をアピールする広告を出稿する際、その広告スペースの一部を寄託し、そこに「社会へのアピールがしづらいSDGs活動」の紹介記事を掲載することを提案する。具体的には、例えば企業がキャリア教育に関するCSR広告を出す際、紹介サイトに「他社やNPOが行う社会へのアピールがしづらいSDGs活動」のバナーを無償で掲載するといったものだ。どのようなコンテンツを掲載するのかに関してはユーザー投票、すなわち、まずランダムにバナーを配信した後、その紹介記事について読んだ人に評価してもらい、その評価に応じてバナー配信の優先度を決めるといったものを採用するのがいいだろう。評価といってもただ「いいね」をつけるようなものだと「理解がされやすいSDGs活動」に偏ってしまうので様々な評価方法を模索する必要がある。将来多くの人に評価される記事にいち早く高い評価をするとランクが上がり、自分の評価の影響力が高くなる仕組みを導入するのもいいだろう。ただその場合、手当たり次第評価をする人や美人投票、すなわち自分がよいと思った活動ではなくほかの人が良いと思うであろう活動に評価する人が出てくる可能性があるので、これについても同様に最適な評価制度を模索する必要がある。資金力がある企業やNPOは現状の仕組みが自分たちにとって有利だからこのような仕組みを導入するメリットがないといえるだろう。しかし現状の札束の殴り合いの問題を啓発すれば、この仕組みに限らず「誰ひとり取り残さないSDGs活動をする人」が評価される社会が実現できると信じている。

・開原弓喜      立命館大学3年  外国人の子供たちの現状の改善を 

私が今回伝えたい・提言したいことは一つです。私が今回伝えたいことは、「外国にルーツを持つ子供に対して日本人と同等の教育をということ」です。また提言したいことは「全国一斉オンライン日本語教室」の開催です。そのためにまずは、外国人の子供たちの小学校教育を義務教育にした上で、母国語そして日本語の教育をきちんと公立・私立関係なく同等に無償で行って欲しいと思っています。これは、SDGsの中の1の「貧困をなくす」、4の「質の高い教育をみんなに」、また10の「人や国の不平等を無くそう」に当たると考えます。このように考える理由について詳しく以下述べます。

 まず初めに現状として、1990年に「改正出入国管理法」により、外国人労働者の増加を促しました。これにより、日本はグローバル化が促進され、国際結婚の増加や移民の増加につながりました。これにより、日本に移住する外国籍の子どもや両親のうち一方が海外籍である子ども、また国際結婚、家族の呼び寄せなどによって海外で生まれ育った後に日本国籍を取得した子供が増加しました。この外国人の子供たちは、宮島の2010の研究によると現在外国人の子供たちは、現在外国人の子供たちは、家族の不安定な収入から学業挫折を起こし、社会的孤立に陥っているという状況があります。そして、この現状は子供の貧困に繋がり、少年非行や犯罪を起こす要因につながっています。現に、法務省の報告によると日本語能力に問題があることに加え、外国人であることからいじめに遭い、学校に通学できず、非行に走ってしまうことがわかっているほか、不良集団についての報告では、日本社会への不適応が非行に走らせる原因となっているとされています。さらに、少年非行と知能指数の関係について調べた報告書によると、調査対象者と日本の入院者との間で知能指数について有意差が見られたほか、知能指数が90未満である者の構成比が外国人少年の方が高い数値が現れています。この様な現状は、来日外国人全体のイメージの悪化にもつながっています。この様な現状が現在日本にはあるのです。また、外国人の子供には就学の義務がありません。この現状は、日本人の子供の場合義務教育という法の下で子供の教育が中学校まで守られています。しかしこの保護が外国人にはないのです。さらに、現在外国人の子どもに対する小学校における日本語教育は地域によって差があります。例えば大阪のように、外国人の子供が多い地域では支援の方法が様々に取られており、府を挙げて外国人の子供のための教育の方針がしっかりと整備されています。しかし、外国人の子供が少ない地域では、日本語教室が外国人の子供が来た時のみ開催され、いなくなればその制度が途切れまたは行ってきた際にもう一度1から作り直しという効率の悪い方法が取られています。また、外国人の子供が多い地域では先ほど日本語教室の体制が整っていると述べましたが、母国語教育にはまだ課題が多いとされています。しかし、これは外国にルーツを持つ子どもにとって大きな問題点となります。これは、先行研究においても、外国人の子供が成長していく段階で母語と日本語の間に挟まれ自己形成がうまくできないという課題になるとされています。

 この様な課題がある中で、私が提言するのが「全国一斉オンライン日本語教室」です。これは、全国の日本語教育を必要とする生徒と日本語指導教員と担任の先生をオンライン上でつなげ情報交換を行うことができる制度を作るというものです。この提案は、日本語教育を必要とする子供たちが外国人の子供が多い地域も外国人の子供が少ない地域も関係なく同等の質の学びを放課後に行うことができる環境を整えるものです。また、この政策は教員が全国的につながり自分自身の学校での課題点を共有するだけでなく、日本語教師ともオンライン上で連携をとることが可能となるようにするための支援制度になるのではないかと考えます。この様にオンラインというコロナ禍があったからこそ進歩したオンライン教育を利用して外国人の子供の教育を今一度見直し、改善することで日本における外国にルーツを持つ子供を日本の教育から取り残されることがなくなるのではないかと考えます。さらにこの教育方法によって外国人の子供たちの教育が安定すれば、子供の学業挫折をなくし非行や犯罪を減少させることが可能となります。これは、労働者の家庭を安定させることに繋がり、移民に対するイメージの改善を行うことができるのではないでしょうか。さらに、このことによって移民の受け入れがより行いやすくなり、日本の景気回復につながるのではないかと考えます。また、最終的には、グローバル人材の創出につながり、日本のグローバル化にもつながるのではないでしょうか。これらのことによって、外国にルーツを持つ子供たちを取り残さない教育が実現させたいです。

・川端依愛      大阪女学院高等学校2年  見せかけの”多様性”

最近になって”多様性”という言葉を頻繁に耳にするようになった。その”多様性”の中にはLGBTQ+、人種など様々なものが含まれている。SNSでは名だたるセレブ達がそろって『Black lives matter』や『Love is love』と発信する様子に私はどこか疑問を抱いていた。 SNS上の影響力を持つ人々に限らず、社会の共通認識とされている”多様性”や”差別のない世界”という考えが私には見せかけだけの多様性にしか見えず、本当の意味での多様性からはかけ離れているように感じた。

 私はアジア人に分類される日本人であり、LGBTQ+コミュニティに分類されるアセクシャルだ。つまり私は2種類のマイノリティコミュニティに属している。

 しかし、日本に住んでいる限り”アジア人差別”を実感することは少なく、私は中学生になり外国からのニュースを知るまではっきりと考えたことはなかった。『Black lives matter』運動が活発になってきた頃の私はとても素敵な社会運動だと思っていた。『Black lives matter』運動が活発になっているということは、人種差別全体に社会の関心が向けられていると思ったからだ。しかし、これだけ人種問題が盛り上がっているというのに、一向にアジア人差別は注目されていない。「今必死に人種差別を無くそうと叫んでいる人々の頭にアジア人のことはないのだろうか。」と思ってしまった。私が見かけたアジア人差別について声を上げている著名なセレブは、アジア系イギリス人の女性ただ一人だ。叫ばれている言葉は『Black lives matter』かもしれないが、他の人種が取り残されている状況はその理念に背いているのではないかと疑問視せざるを得ない。最近になってハリウッド映画などでもアジア人の俳優や女優が起用されるようになったが、アジア人のステレオタイプなキャラクター設定や欧米人が思い描く”アジア人”な顔つきの人たちばかりである。アジア人差別について社会が動いたと思ったが、結局はビジネスのための道具にすぎず、その描かれ方から分かるように表面上だけのものであり、実際には実際に人種差別を経験している特定の人種以外の人々は気にかけていないのだ。差別をしないだけでなく、差別されている人種の人々が直面している現実について声を上げるべきではないか。

 LGBTQ+についても同じことが言える。アセクシャルとは恋愛感情の有無に関わらず他人に性的欲求を抱かない性のことである。LGBTQ+についてよく耳にするのは同性愛やトランスジェンダーの話題が多い。もちろん、そのような人の権利について声が上げられているのは素晴らしいことだ。しかし、私はそのコミュニティの中ですら取り残されているように感じてしまう。高校生になってそのような言葉を知るまで自分を”アセクシャル”と自覚したことはなかったし、「自分はこうだから」と特に疑問視してこなかった。だが、”アセクシャル”という言葉を知って、自分が”普通”ではないという事実を突きつけられた気がした。「アセクシャルあるある」と調べると、知人に話すと「本当の恋愛をしたことがないだけ」や「運命の人に出会っていないだけ」と言われた経験がある人が多くいることが分かる。私は、誰にも話していないので実際にそのような経験はしていないが、自分がアセクシャルであることがとても悲しく、惨めな事なのではないかと思ってしまった。そのため、無理に自分の事をカテゴライズする必要はないのかもしれない。けれど、自分と同じ人がいると実感することで安心することもできるため救われている人もいる。ここで思うのがLGBTQ+の権利を主張するのであれば全てのLGBTQ+に目を向けてほしい、ということだ。アセクシャルは人口の1%に満たないほどしかいないとされているため、認知度が低く、多くの人から誤解されることが多い。またアセクシャル以外にも、外見からは分からない性的マイノリティは数えきれないほど存在する。私たちは、マイノリティの中に埋もれていて常に取り残されている。LGBTQ+アクティビストの多くは”pride”や”love is love”という言葉をよく使う。しかし、そのプライドには本当に全ての人が含まれているのだろうか。”+”という一文字で片づけられるだけで軽く扱ってはいないだろうか。愛は全て同じと考えるなら、対象の性についてだけではなく、その愛の形についても同じことがいえるのではないか。

 自分が感じることをもとに2の例を挙げたが、これら以外にもマイノリティの中にもマイノリティが存在することを多くの人に理解してほしい。また、”多様性”という言葉を使う以上は中途半端にせず偽善的な多様性にならないように誰一人の存在も忘れてはならない。

・小樋健汰      三重大学4年    誰でも適切な裁判を受けられる未来を創る 

グローバル化が進む中で、訪日外国人観光客や訪日外国人の数が増加傾向にある。それに伴い、日本において外国人が関係する裁判も増加している。日本の裁判は、裁判所法74条に基づき、日本語で行われるため、日本語能力が十分ではない外国人の場合、憲法32条が保障する「裁判を受ける権利」を適切に行使できず、取り残されてしまうことが考えられる。そこで重要になるのが裁判と日本語能力が十分ではない人の架け橋となる「法廷通訳人」である。しかし、法廷通訳の需要が増加している一方で、外国人が通訳を受ける環境が十分に整備されていないという課題がある。法廷通訳を受ける環境に関する課題にはいくつかあるが、本論文においては、2つの課題を考える。

 一つ目に、権利保障が不十分だということである。日本語能力が十分でない外国人が日本において裁判を受けるには、法廷通訳が不可欠であるが、日本の訴訟法上では権利として認められていない。刑事訴訟法175条は「国語に通じない者に陳述をさせる場合には、通訳人に通訳をさせなければならない。」と規定しているが、外国人にも裁判を受ける権利が保障されている以上、裁判を受ける機会は与えなければならず、日本語が通じない者が参加する裁判を進めるために、法廷通訳人を介在させているにすぎない規定のように考えられる。つまり、通訳を受ける権利を保障したのではなく、裁判の円滑な進行のための規定であるということである。これでは、恣意的な裁判を防止することや罪刑法定主義の厳正な適用の確保という性質を持つ「裁判を受ける権利」を軽視していると言わざるを得ない。

 二つ目に、法廷通訳人の数が減少してしまっているという課題がある。法廷通訳の需要が高まっている一方で、その担い手である法廷通訳人候補者は、毎年50人ペースで減少してしまっている。法廷通訳の担い手である法廷通訳人が減少することによって、捜査段階と公判段階で同じ法廷通訳人が選任されてしまうという課題が生じる。この点について、法廷通訳人が必携とされる「法廷通訳ハンドブック」は、捜査段階で話された事実によって法廷通訳人が先入観を持ってしまい、中立な通訳ができなくなってしまう可能性などが懸念されるため、捜査段階と公判段階では異なる法廷通訳人が望ましいとしている。しかし、実際には、特に少数言語で、捜査段階と公判段階で同じ法廷通訳人が付く事例が存在し、適切な通訳が行われないことがあった。これでは、通訳人を選任したとしても、それが無意味になってしまう。この捜査と公判段階で同じ通訳人が選任される課題は、法廷通訳を受ける権利が軽視されていることが一つの要因であると考えられる。

 そこでこれら2つの課題を解決する対策を提案したいと考える。

 第一に、法廷における通訳を受けることを権利として規定する必要があると考えられる。法廷通訳人制度の目的は、通訳を必要とする者の裁判を受ける権利を保障することであるはずである。しかし日本の現行法上では、そのような規定ではなく、裁判の円滑な進行のための制度であるかのような規定になっている。そのため、法廷通訳を受けることを権利として規定すべきである。さらに、基本的には母国語での通訳を保障することを基本とするべきである。なぜなら、たとえば第二言語での通訳では、裁判で用いられる専門用語などを理解できるレベルにはない可能性があるからである。

 第二に、適切な裁判を行うために、十分な法廷通訳人の数をこれまで以上に確保すべきである。しかし、能力がある通訳人をすぐに確保することは難しいため、現状活躍する法廷通訳人を活用することが考えられる。その一つが、通訳を必要とする言語の通訳人を、必要とする裁判所に呼ぶことなく、通訳人の最寄りの裁判所で通訳をさせる「遠隔通訳」である。遠隔通訳が実施されることによって、希少言語通訳者の確保が容易になることや法廷通訳人の移動や時間的な負担が軽減されるというメリットがある。実際に入管難民法違反罪に問われたフィリピン人被告の2019年12月に行われた山形地裁での第1審では、他の地裁にいる法廷通訳人による遠隔通訳が行われた。この遠隔通訳は、様々なメリットがあり、裁判所や法廷通訳人などから歓迎されると考えられる。しかし法廷通訳を必要とする人々が、遠隔通訳を用いない場合と同様のレベルの通訳を受けられるように、遠隔通訳の環境を整備することに留意する必要がある。

 以上のように、裁判において通訳を受けることが、日本においては、あまり重視されていないと言わざるを得ない状況である。しかし、今後も増加する外国人観光客や在日外国人が、裁判を受ける権利を行使できず、取り残されてしまうという事態にならないために、法廷通訳に関する環境を十分に整備しなければならないと考える。今後もこれらの課題について検討を続けていきたいと考える。

・松井音明      大阪大学(休学中) すべての人が自分の人生を自分で選択することができる社会

高校生の頃、国際協力に携わっている方々からお話を聞く機会があり、その中でもある方がおっしゃっていた「人生に選択肢を持つことができるのは幸せなこと」という言葉が今でも私の中で印象に残っている。そこで、「自分の人生を自分で選択すること」から取り残される人々、そして「誰一人取り残さない」社会について考えてみた。

私は今年の12月まで1年間、タイの大学に留学していた。留学中、野毛坂グローカルのタイ出張に同行したのだが、その中でカンボジア人コミュニティを訪問する機会があった。そこには、タイ語ができないために入学が遅くなる子どもや、授業についていけず退学した子ども、中学校に進学したいけれど親の収入の関係で難しい子どもなど、様々な子どもたちがいた。それまで、十分な教育を受けられない子どもについての話は何度も聞いたことがあったが、そのどの経験よりも、実際にそのような状況にいる子どもたちやその家族から聞く話にはずっしりと来るものがあった。十分な教育を受けるという選択肢を持つことができていないだけでなく、十分な教育を受けられていたら生まれるかもしれない選択肢も持つことができなくなっているのではないかと感じた。

そして、自分の環境が恵まれていることにも改めて気づかされた。これまで私には、習い事や塾に通える環境、進学ができる環境があり、行きたいと思える学校があった。選択肢があったから、さらに選択肢を広げることができた。周りにも同じように塾に通ったり進学していったりした友人が多かったため、そのような環境を自然と当たり前のように感じていたと思う。

しかし、この社会の中には、環境のせいで自分のやりたいことを諦めなければならなくなる人々もいて、それは日本も例外ではない。教育格差について考えることが多くなってから、日本における教育格差にも目を向けるようになった。日本でも、家庭の経済的な問題や家庭環境などによって、または家庭環境以外でも、いじめなど学校での環境によって、学校に行けない子どもたちや、苦労しながら学校に通っている子どもたちがいる。タイのカンボジア人コミュニティで出会った子どもたちとはまた違う部分もあるが、環境のせいで十分な教育を受けられず、それによって選択肢が狭まってしまっているという点では共通していると思う。そして、私は周りの友人たちにも自分と同じような環境があると思っていたが、もしかしたら、その環境がない人に気付いていなかっただけなのかもしれない、その環境を失っていまいそうな人もいたかもしれない、といったように、自分が目を向けられていなかったことも沢山あったかもしれない、そういったことも考えるようになった。

最後に、「誰一人取り残さない」という言葉について考えたことを書こうと思う。私は、それぞれの人にはそれぞれの考えや、理想とする生き方、社会があり、誰かを取り残さないようにしようとすれば他の誰かを取り残してしまうこともあると思うので、「誰一人取り残さない」社会の実現は、とても難しいことだと思う。しかし、お互いを知って理解しようとする姿勢や、それぞれが持っているもので補い合おうとする姿勢、そして、取り残されている人はいないか、自分が誰かを取り残していないか、取り残していたならばそれを改善することはできないか、そういったことを常に考える姿勢を持つ人が増えていけば、少しずつ思いやりのある社会にしていけるのではないかと思う。そして、「誰一人取り残さない」社会と聞いて私が実現したいと思うのは、「すべての人が自分の人生を自分で選択することができる」社会である。自分のやりたいことを環境のせいで諦めなければならなかったり、自分の可能性を環境に狭められてしまったりする人々がいる社会から、すべての人が自分の人生を自分で選択することができるような社会にするために、自分に何ができるのかを考え、できることから始めていきたい。

・黒丸拓磨      秋田大学 2年次 取り残してはならない「老い」と「知恵」   

「SDGsって、どういう意味だ?」

 大学入学後に母の実家に住み始めてから、祖母からこのような質問を何度も受けた。聞かれた際には「持続可能な社会に向けた目標のことだよ。」、「環境に優しい世界や、いろんな個性を持った人がお互い分かり合えるような世界を実現するための目標のことだよ。」というような答えを返していた。しかし質問に答えても、祖母はSDGsが何であるのかをよく理解できず、忘れてしまっていた。老後に「SDGs」という概念が誕生したために、この概念に触れてしっかりと学び、理解するような機会が、今までに無かったからだ。

 今回この小論文コンテストがあることを知ったとき、祖母がよく発するこの質問を思い出した。そして私はそのとき、「お年寄りの方々」こそが、最も取り残される人々なのではないかと思った。

 子どもへのSDGs教育は盛んに行われている。近年では、ESDとよばれる、持続可能な社会の担い手を育てるための教育も行なわれている。義務教育を受ける15歳までの子どもたちは、SDGsについて学ぶ機会は多い。またSDGsが推進されていることから、企業の社会的責任を果たすために、SDGsに対して積極的な取り組みを行う会社も増加している。労働者の方々、すなわち15歳以上65歳未満である生産年齢人口の人々も、SDGsについて学ぶ機会はあるだろう。

 では、それよりも上の年齢の方々は?学校での学びを終え、企業での労働も終えた方々が、SDGsについて学ぶ機会はあるのだろうか?おそらく、無い。テレビで「エスディージーズ」という言葉を耳にすることはあっても、それについてしっかりと理解するチャンスは持たない。SDGs達成に向けた活動が世界中で行われているにもかかわらず、高齢者の方々は、その活動から取り残されている。

 誤解を招く言い方であるが、お年寄りの方々はある意味では「持続不能な人々」であるだろう。持続可能な社会が実現したとき、彼らの多くはすでにいなくなっているかもしれない。

 しかし、彼らが持つ暮らしの知恵を「持続可能な社会」へと引き継いでいくことは出来るのではないか。お年寄りの中には、我々のような年代の人間とは違い、電気があまり使えないような時代を生きてきた方もいる。戦時中を生き、食事を満足に得ることが出来なかった人もいる。今よりも暮らしが不便な時代に生きたからこそ得ることが出来た、現在のお年寄りの方々が持つ節約術などは、今も役に立つのではないか。たとえ彼ら自身の持続性がなく、近い将来彼らがいなくなったとしても、彼らの「知恵」を持続させることはできるのではないか。

 「旧約聖書」・『創世記』にて、ノアの箱舟という物語がある。地上にいる人々が堕落してしまったことに心を痛めた神は、人間を造ったことを悔やみ、地上で生きる一切のものを洪水により根絶やしにすることを決めた。その際神は、その時代の人間の中で最も素晴らしい人間であったノアに、方舟を造るように命じた。人間であるノアは箱舟を造り、地上を埋め尽くすほどの大洪水を生き抜いた。ノアは、大洪水という試練を乗り越えたのである。

 これはまさしく、今の私たちに当てはまる。私たちも現在様々な社会的課題を持ち、それらの課題を「SDGsの達成」によって解決しようとしている。不平等の解消、人々の健康などの様々な試練を、SDGsを通じて乗り越えようとしている。

 SDGsとは、持続可能な世界へ向けた「方舟」ではないだろうか。

 ノアと私たちで最も異なる点は、ノアが方舟を一人で造るしかなかったのに対し、私たちは、このSDGsという方舟を、全人類で造ることが出来るという点だ。全人類で造ることができるのならば、私たちは誰ひとりとして取り残すべきではない。だからこそ、お年寄りの方々が取り残されているという現状を、放っておいてはいけない。私たちはお年寄りの方々、及び彼らの知恵と共に、この方舟を造るべきである。

 わたしたちが今、お年寄りの方々を取り残してしまってはいけない。私たちが今、現在のお年寄りの方々を取り残してしまえば、将来高齢者となる私たちも、未来では取り残されてしまう。障害、ジェンダー、貧困、それらの問題の程度は人により異なる。それらのことに関して他人と大きな差異を持つ人もいれば、何一つ異なる点がなく「一般的な人」もいるだろう。障害やLGBTQ+のような課題は、人により異なる。しかし、「老い」は違う。老いは誰にでも訪れる。人は必ず老いる。だからこそ、私たちは今から、お年寄りとともに行動を取るべきだ。

 子どもや労働者だけでなく、お年寄りの方々に対してもSDGsについて学ぶ機会を設け、彼らとともに考えることは、社会にとってより良い結果をもたらすに違いないということを、私は伝えたい。

・林原伊吹      上越教育大学学部1年    産みたい人も学びたい人も誰ひとり取り残さない

私が「誰一人取り残さない」という基本理念から考えることは、権利が十分に保証されていない若者です。私は、高校生の時、住んでいた市の高校生会議で若年妊娠について研究していました。日本は、学生や若いうちに妊娠した人が自分の望む選択をすることがしやすい社会ではないと思うし、逆に海外、特に発展途上国では児童婚や若年妊娠が頻発していて、子どもの学ぶ権利等が保証されていません。

 私が、若年妊娠に関心を持つようになったのは、ある携帯小説がきっかけでした。主人公の女の子が14歳で妊娠し、家族やパートナーからも出産したい気持ちを理解してもらえず、強制的に中絶させられるという話でした。この話を読んだ時に、感じたことは、確かにこの状況は日本でも起こりえるシチュエーションであろうという事と、若いから、学生だからという理由で、本人の望んでいない中絶を大人が強要した事への違和感でした。今の日本には、不妊症など身体的な理由で子どもを産みたくても産めない人がたくさんいます。一方で、産めない体ではないのに、経済的な理由や周りからの圧力で、子どもを産めない人がいるのだ、ということを感じました。そして、一人でも多くの子どもを望む女性が出産できる社会にしたいと思いました。一個人の意見や感情の域を出ないかもしれませんが、そもそも若いというだけでは子どもを育てられないという理由にはならないし、適齢期で出産した人であればきちんと子どもを育てられるということもありません。それなのに、なぜ、適齢期であれば出産するかどうかを自分で選択することができて、若ければ十分な情報も与えないまま中絶や出産するのであれば退学しろと進めるのでしょうか。実際に、実母からの虐待で多い年齢層は、30代が全体のおよそ半数を占めるというデータもあります。

 若くして妊娠することの1番大きいのは経済的格差でしょう。このハンデに対して、社会として若いからだ、と否定するのではなく、必要な知識を与えたり、より若い妊婦を支えられる経済制度を整えるべきではないでしょうか。適齢期の妊娠に対してなら多くの人がそうするはずです。同じように子どもを望んでいるのに、なぜ若いという理由だけでその権利を否定するのでしょうか。

 私は、どんな年齢でも妊娠すれば子どもを産むべきだと思っているのではありません。ただ、どの年齢の女性でも出産と中絶のそれぞれのリスクを知り、自分で選択する権利を与えられるべきだと思うのです。

 そんな日本と比較して、発展途上国の中には、児童婚や若年妊娠が当たり前のように起こっている国があります。誰かも分からない人との結婚を勝手に決められ、学校に行きたくても行けません。産みたくない子どもを産むこともあるかもしれません。その事によって起こる弊害の一つが学習の機会が失われることです。発展途上国では、経済的な理由から若者が自分の意志とは関係なく結婚させられて、避妊法が普及していないために望まない妊娠出産をすることになったり、女性の地位が低く、学校に通うことを認められないことがあります。しかし、子ども達は、学校で勉強したり、夢を叶えることを望んでいます。また、今では学校教育が不十分な国でも、教育制度が整い、子ども達が十分学ぶことができれば、大人が干渉することなく、将来を見据えた行動ができるようになるのではないでしょうか。

 日本では、望む出産が否定され、発展途上国では望まない妊娠によって学びやその他の権利が奪われているのです。これも、私の偏見かもしれませんが多くの大人が、自分たちは長く生きているから、その期間の短い子どもの意見より自分たちの考えが正しいに決まっている、と思っているように感じます。日本と発展途上国とに共通する課題は、子どもを一人の人として尊重し、年齢や立場関係なく様々な人の意見を聞くということだと思います。子どもと同じ目線に立って子どもの意見を自分と同じ対等な人間の意見として聞くことができる大人が世の中にどれだけいるでしょうか。そんな大人が増えれば社会はよりよくなるのではないかと思います。

・若林蘭子      学習院女子高等科2年    『相互に取り残されない社会の実現を目指して』   

誰しもが国境という壁を超えて世界中の貧困児童を支える一員となれる社会の実現、これこそが私の理想である。「誰ひとり取り残さない」その真の定義とは何か。支援の対象となる人々が誰ひとりとして取り残されない事はもちろん、これからの社会では支援する側が誰ひとりとして取り残されてはならない事を目標に掲げる必要がある。一方的でなく双方において誰も置き去りをしない。つまり、この問題を認識し携わる人の分母を広げることを提案した上で私の主張は冒頭へと戻る。キーワードは「誰しもが世界を支える一員となれる社会の創造」である。

私は高校一年時にニューヨークのインターナショナルボーティングスクールに1年間の留学を経験し、世界85カ国から集まった同世代の仲間たちと勉強や生活を共にした。生まれた国も環境も違う生徒たちが同じ場で学び合った。10代で肌で「国際的繋がり」を実感する貴重な機会を得たと共に宗教や人種、国籍の壁を超えて育まれた友情は私の価値観に大きな影響を及ぼした。ボランティアや環境開発支援など様々な活動に参加し取り組んだ留学生活であったが、とりわけ私を大きく突き動かしたプロジェクトが人種差別問題であった。1月15日、マーティンルーサーキング牧師の誕生を祝い私は人種差別についてのプレゼンテーションを授業で行った。留学中は日本の高校ではあまり扱うことがない人種差別の歴史や現状など数多くの題材に直面し自分なりに向き合う機会となった。また差別が歴史的背景に大きく影響している事を踏まえ、『アフリカのナポレオンと呼ばれたセシルローズは英雄か、それとも悪か』というテーマでレポートを作成した折、アフリカの実態について興味を抱くようになった。

帰国後、NPOで活動する宮田久也さんのもとでチャイルドドクターボランティアに参加し現在その一員として喜びを感じている。そのシステムは、経済的医療支援を行い、その支援を受けた子供とメールを通じで交流し、またスラム街に住む子供達とオンラインで対話するといった内容である。宮田さんは現地に行けなくても国際的交友を深めることができる、いわば「支援の見える化」に重きを置くことで貧困の重大性を訴えかけている。オンラインで私が「何をしている時間が好きなの?」という問いに対して「勉強!」と無邪気に答えてくれた子供に何かしてあげたいという衝動にかられた。

そしてある一枚の写真が私の目に留まった。それは青空の下、スラムの路上の一角で教科書を広げて勉強する子供の姿だった。長家のような家は狭く、しかも明るい日中のうちに勉強をしないといけないのだという。そこで私が思いついたのがベルマークである。たまたま我が家にあった“未回収のベルマーク”を見つけたことがきっかけである。誰しもが馴染みのあるベルマーク。しかしその回収率は全国の高校では24%に過ぎない。本来ベルマーク財団が掲げている「すべての子どもに等しく、豊かな環境のなかで教育を受けさせる」という理念を達成できないかと考えた。子供は刻一刻と成長する。新しくシステムを作り上げるのでは時間がかかる。ならば既存のシステムをもっと効率的に活用すれば貧困の根源を改善できるかもしれない“未来の担い手を育てる”ことができ、それは必要不可欠なのではないかと思ったのである。1960年から始まったベルマークは60年たった今も切って集めて持ち寄るといったアナログのままである。その手間を惜しまない人たちの思いと、それを受けた団体との間に絆が生まれるというところはとても大切な事だと思う。しかし困窮した地域にとっては少しでも早く支援を望んでいる。そこで生活の中で対象商品を購入すれば自然と社会に貢献できる仕組みがあれば良いのではないかと考えた。レジでピッとバーコードを読み取ると同時にベルマークポイントが勝手に貯まるという仕組みで、例えばアプリを使い支援したい団体や国、地域を選択できるようにするなどだ。

今、切ったり、貼ったりなどの労力でベルマーク離れにつながっているならばとても勿体無い。私はベルマークの掲げる理念に賛同すると同時にその既存するシステムをもっと生かして次の世界を作る子供に教育という機会を増やし貧困を救いたい。そう、本気で思う。それはパソコンを通じで身近に触れ合ったあの子たちをこのままスラムという場に取り残す事なく、立派な社会の一員として世に活躍していってほしいと考えるからだ。

こう思うと私は初めて本当の意味における“世界中の同世代”を知った気がした。私含め留学で出会った人たちも同様に教育を受ける事は当たり前ではなく、世界中の子供は教育を受ける権利を持っており、得た知識を次の世に生かしていく義務がある。その権利を少しでも多くの子供に与えるためにベルマークの回収率を確実にあげる方法を考えている。

・福谷実和      新潟県立大学4年 私が取り残されるのかもしれない 

「誰ひとり取り残さない」というSDGsの基本精神を目にしたとき、わたしはある場面を思い出した。それは友人の一人が夜ごはんに誘ってくれた時のことだ。6,7人が集まっていて、彼の作ってくれたタコスを食べた。手作りのタコスはとてもおいしくて、私は食べ進める手をとめられなかった。集まったメンバーはメキシコから来た友人、現地カナダの友人、アメリカから、ドイツから、そして日本から来た私。まさにグローバル、という面々。私は今カナダに大学留学をしている。本当にカナダにはいろんな国、地域から来た人がいるのだとテンションが上がっていた。みんなでタコスを食べつつ、会話はどんどん進む。自分がどこ出身なのか、家族、ドラマの話、映画、カナダ、大学の授業のこと、自分の国の歴史、政治…。いろいろな話題が飛び交う中で、英語の力がまだまだ足りない、頑張ろう!というモチベーションが上がると同時に、強く目の当たりにしたことがあった。意見がない、もしくはあってもそれを言語化することが周りのみんなと比べてできなかったのだ。

もちろんそこに言語の壁は存在していた、でもそれがなかったとして、私はこうだ!と胸を張って言えていたのか?と思うと正直そうでもない。そしてもうひとつ、彼らは自分のこと、自分の国のことについて少なくとも私よりは知っていた。私よりも年下の高校を卒業したばかりの友人もいた。そしてそれは政治や歴史の話になったときより強く感じた。ちゃんと勉強していなかったからわからないや、というもはや言い訳にもならないことをいうのが恥ずかしかった。私はあの時の会話のなかで、取り残されていた。

自分の国はこうだ、私の意見はこれだ!と発することがうまくできないのには、ある二つのことが関係しているのではないかと私は思う。一つは日本の教育、社会の在り方である。同調主義が強いのが日本の国民性だと思う。私が小学生のころ授業の中で、他人がどう思うかを考える授業をした記憶はあるが、自分のことを大切にしよう、こうやって意見を持とう、ということを学んだ記憶はあまりない。それがだめだというのではなくて、その経験が意見を持てないことのひとつに繋がっていると感じる。相手のことを考えることができるのは素晴らしいことだけど、ではあなたの意見は?と振られたら、きっと私たちはうまく言葉にすることができない。

そしてもう一つ、知らないことが多い。繰り返すが、彼らは自分の国のことを知っていて、どこか自分のことと切り離して考えがちな政治や歴史のことが彼らの中ではまさに自分のことだった。日本を離れ、違う視点で自分の国を見ている今でこそそれらについて自発的に情報を得ることをし始めたが、日本にいたままだったらどうだっただろう。今は日本でも選挙のたびに様々な人が発信をするようになったと思う。その時は興味を持って調べても私の場合それきりになってしまっていた。生活にかかわることなのに、トレンド、のような。いつのまにか私たちに不利なことが決まったら、私たちは取り残されてしまうかもしれないのに。

「誰ひとり取り残さない」ようにするには、自分がまず取り残されてはならない。なにかニュースを見たら、自分はどう思うか、どう感じたか、何か知りたいと感じることはないか?一瞬でよいから考えてみることにしようと決めた。5分でも1分でもそんな風に考えることが、結果としてその基本精神をかなえてくれると思う。そして、少しだけでいいから、次の日友達や家族にその話をしてみてほしい。多分、とても楽しい。

・八島幸穂      静岡県富士高等学校1年  言葉のひとつひとつを、意識したことはありますか?

中学の総合学習で、恋愛観について話し合う時間があった。ふざけて仲の良い友達とのエピソードを話す生徒がいたため、教師が生徒に釘を刺した。

「同性の話をするんじゃないからな」

その言葉を聞いてから、私は授業の続きを素直な気持ちで聞くことが出来なくなってしまった。先生に同性愛者を否定する意図はなかったろうし、LGBTsについて授業で扱うなどむしろマイノリティへの理解がある人だとも知っている。その分、異性愛者以外を無視するような言葉が当たり前のように出たことに衝撃を受けた。日本のLGBTsの割合は左利きの人数と同程度であると知っていても、”恋愛は異性同士でするもの”という固定概念から、当事者を傷つけるような発言をしてしまう。このような、本人も気づいていない物事の捉え方の偏り、歪みのことをアンコンシャス・バイアス(無意識バイアス)という。心理学的には200種類以上もあるといわれており、過去の経験や知識によって身につけてしまうものだ。その中でも典型的な例であるステレオタイプバイアスは、ジェンダーや出身国、皮膚の色や職業、血液型などによる先入観や固定観念による共通のイメージを指す。ゲイ、トランスジェンダーに対する差別は、テレビのバライティ番組の影響が大きいだろう。オネエタレントがパフォーマンスとして男性らしさを見せて笑いを取る、芸人がホモという体で出演者にセクハラ紛いのドッキリを仕掛ける。今はオネエもホモも差別用語とされているし、実際のLGBTsが皆そういう人ではないとほとんどの人は理解している。しかし、一部の人の差別意識はまだ抜け切っていない。固定観念の刷り込みは、一般にマジョリティと呼ばれる人にも関係がある。SNSでショートアニメのような過激な広告動画を見たことはないだろうか。薄毛、体毛、体型、肌質などのせいで他人にバカにされたり、浮気されたりした人がその商品を使う事で人生が好転していく、というストーリーが多く、コンプレック商材と呼ばれる。コンプレックス商材はそれぞれの個性を欠点と捉えさせ、偏見を助長していると問題視されている。多様性を認められない人へは過剰な誹謗中傷をされてしまいがちだが、無意識の偏見は必ずしも本人のせいとはいえないのかもしれない。アンコンシャス・バイアスを引き起こす原因に、マイノリティとマジョリティ、被差別者と差別者、相手と自分の間にすぐに線を引いてしまう、ということがある。レインボーフラッグは性の多様性を表し、LGBTsの象徴とされている。しかし、本来性はグラデーションで、世の中の全ての人が虹の上に立っているはずなのだ。肩書きだけでなく、相手本人のことを見る。アンコンシャス・バイアス解消のためには、自分の偏見を自覚して変える努力をすることが大切だ。世界各国で差別に対する活動が行われているのに、自分の無意識の言葉で身近な人を傷つけてしまっていてはやるせない。目に見える物を作り変えるより、考え方を変える方が難しく、時間もかかるだろう。何十年後かに、次の時代を担う人が「今どきそんなこと言っているの」と私達の失言を笑ってくれたら、SDGsの基本理念、「誰ひとり取り残さない」に近づいたと言えると思う。

・寺田陽香      津田塾大学2年  「誰ひとり取り残さない」の二つ目の意味

「誰ひとり取り残さない」。SDGsの基本理念であるこの言葉は、「社会活動における様々な機会から、国籍や人種、年齢、ジェンダーに関わらず誰もが排除されない」ことを意味している。言い換えれば、「SDGsを達成したあとの理想的な社会像」を表しているのだ。しかし、私は、この言葉にはもう一つの意味が込められていると考える。それは、「SDGs達成に向けた社会的活動の波に誰もが乗り遅れない」という意味だ。そう、この二つ目の解釈では、SDGs達成後の社会ではなく、「SDGs達成までの過程」に焦点を置いている。このエッセイでは、自分自身が見つけたこの二つ目の解釈について議論する。

 この二つ目の意味を見つけ出したきっかけは、フィリピンを拠点としている国際NGOでの長期インターンシップであった。フェアトレード商品のマーケティングやSDGsディスカッションプログラムのファシリテートなどの活動を通し、ありがたいことに日本とフィリピン双方の学生と交流を多く経験させていただいた。しかし、そんな実りある楽しい活動が多くある中で目についたのは、日比間での明らかな当事者意識の差であった。SDGs達成に向けて企業や政府が取り組んでいることを議論した際に、フィリピンの学生は「私たちも彼ら大きな権力に負けず行動を起こさなければならない」と言っていたのに対し、日本の学生は「自分たちにできることなんて何もない」とくちを揃えて言っていたのだ。この瞬間、自分は、SDGs達成に向けた社会の動きに私たち日本人は取り残されているかもしれないと強い危機感を抱き、SDGsの基本理念の二つ目の解釈を考えついた。

 このSDGsに対して消極的な風潮は、決して自分の身の回りにだけ起きていることではなかった。朝日新聞社が昨年の12月に行った調査によると、SDGsを意識して行動していると回答した人はわずか10.7%。それも、その認知度は76.3%という高数値を叩き出したにも関わらず、だ。「知っているけど行動しない」。この風潮が日本中に広まっているのである。

 もちろん、一個人の小さな行動が社会を大きく変えてSDGsを達成することはないだろう。しかし、SDGsのアジェンダにあるWe wish to see the Goals and targets met for all nations and peoples and for all segments of society.” という文にある通り、SDGsは私たち市民一人一人とその未来のために創られたものである。私たち当事者が行動しないでどう達成に結びつくのであろうか。今こそ、この当事者意識を変えていかなければならないと私は考える。

 「誰ひとり取り残さない」。SDGsの基本理念であるこの言葉には、二つの意味が込められていると私は考える。一つ目は、SDGs達成後の理想的な社会を表した、社会活動における様々な機会から誰もが排除されないという意味だ。そしてもう一つは、SDGs達成までの過程を表した、達成に向けた社会的活動の波に乗り遅れないという意味だ。2030年12月31日まで残り3000日を切った今日、政府や企業、NGOなどの大きな組織だけでなく、私たち市民一人一人の意識と行動が必要なのではないだろうか。「誰ひとり取り残さない」いまの社会の波とともに、「誰ひとり取り残さない」未来の社会を。

・磯崎純平      東洋大学2年    入院していました

私は遺伝する難病を持って生まれ、高校生の時に約一年間入院生活をおくり移植治療を受けた。移植前は小学生の頃から始めた柔道を高校生まで続け、柔道生活をおくっていた。

入院中は無菌室に居たため医者や看護師そして両親など限られた人のみとの交流。

ネットから外の情報を得ることはできたが、外の空気を感じることもできず友達や周りの人が実際に何をしているのかなどの情報は少なかった。

大学への進学が近かったため周りと比べ遅れていないか、勉強についていけるかなど外部とのつながりが無くなったため、日が経つごとに不安と焦りがうまれた。期待していた退院もその不安故に恐怖になっていた。長い入院生活で筋力と体力が落ち、今まで出来ていた事ができない喪失感。治療で変わった容姿。これらが重なり「入院していました」が言い訳にしかならない環境に放り出され、移植治療で抗がん剤や副作用を経験している過去を知らない人と会ったり会話することに恐怖を感じ対人恐怖症になっていた。退院後もステロイドの服用が続き入退院を繰り返している。大学である程度の知識がある事を前提に質問され回答に困った時、「入院していたので経験も知識も周りと比べ少ないです。」と伝えたかったが、そのことを伝えて残るのは入院ではなく「経験も知識もない人間」という評価だと思い言えなかった。「何も出来ず、今の私には何もありません」では社会にとってそんな人間は必要ない、入院経験の有無に関わらず何もない人間なんて必要がないと思っていた。退院してから「自分は社会から取り残されている」と痛感することが多い。言い訳にしかならないと理解しているからこそ入院中や退院後はいろんなことに挑戦しようと試みるが、コロナ禍というのもありそれ以前に免疫が低いことなどで体調を崩して自分は良くても他人に迷惑を掛けてしまうなどの理由で諦めてしまう。意欲はあるが諦めざるを得ないもどかしさ、こんな生活が続いている。

 そこで私は自分の悩みを共有できる存在が欲しいと何度も思った。肺炎や帯状疱疹などを経験していない人に話してもなかなか理解してもらえない。「同じ病ではなくても同じ境遇にある人と共有したい」その思いから入院中・退院を問わず対面やネットを使って悩みや思いを共有できるコミュニティの場を作りたいと考えている。病や怪我、副作用などの症状は人それぞれで入院のみならず退院後も治療を続け辛い思いをしている人は多くいる。そんな人たちの思いや声に寄り添うコミュニティの場を作りたい。

 私は小児科で入院していた為、必死に生きようと頑張る子供たちの将来の夢を病や怪我で諦めて欲しくないと思い、社会に出て役に立つ勉強や学びなどを教える取り組みで入院生活を充実させようと考えていたが、小児患者の親の立場で考えれば、子供の生活をサポートできる期間には限りがある。そのため退院して職業選択の際に幅広い職の中から自由に選択ができる環境を作ることが悩みや不安を取り除けるのではないかと考えた。コミュニティの場で集めた思いや声を基に企業へ提供しその利益でコミュニティを運営し、いずれはコミュニティ独自で飲食店やアパレルショップなどを展開していきたい。企業がコミュニティでの悩みや意見を取り入れることで病や怪我に対しての理解が深まり商品開発では新たな客層の獲得になり、雇用の拡大にもつながるのではないかと考える。

少子化の進む日本で働き手の増加は今後も重要課題となるため、特に波及効果の高い観光業ではヘルス・ツーリズムなどで潜在的顧客の獲得や働き手の増加など経済波及効果は高いと考える。コミュニティの場をつくり思いや声を多く集め、多くの企業に理解を深めてもらい小児患者や急な病や怪我で悩む人の雇用環境を整え持続可能な社会環境作りをしたい。”

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