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SDGs誰ひとり取り残さない小論文んコンテスト優秀作品、奨励作品

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【 優秀作品 / 奨励作品 全作品 】

 

 

 

匿名 青山学院大学

 

私は人と話すことが好きですが、人と話すことが苦手です。そのことに気づいたのは高校生になってからでした。私は生まれつき難聴であり、未就学児の時から補聴器を持っていましたが補聴器を着用している人は周りにおらず、周りと違うのが恥ずかしくて着用していませんでした。しかし、高校生になると環境が大きく変わり、多くの人と交流を持つ機会が増えました。人と話す機会が増えるにつれ自分の聞こえなさを痛感したため、高校1年生の後半から補聴器を毎日着用することにしました。補聴器を着用してから世の中には音が溢れていることに気付きました。足音、自動車の走行音、風の音など、私が生きてきた16年間の生活の中にはこんなにも音が存在していたことにその時初めて気付きました。

 しかし、生活の音はある程度聞こえても人との会話を聞き取れないことが問題として出てきました。そのことに気付かされたのは友人と会話している時でした。友人と高校から駅に向かって歩いている時、友人が私に何か話しかけてきました。けれども私は全く聞き取れず、何度も友人に聞き返してしまいました。友人が再度伝えてくれている間、私の耳には「ブゥーン」という自動車やバイクの走行音、電車の「ガタンゴトン」という音がしきりに入ってきていました。そのため、何度も伝えてもらうのが申し訳ないという思いと、もう聞き取れないのではという半ば諦めの思いから愛想笑いで「うん、そうだね」と適当な返事で誤魔化してしまいました。

 ある時は大学のグループディスカッションです。コロナ禍でのグループディスカッションは間隔を空けてメンバーが座るため、必然的に周りの声は聞き取りづらくなります。さらに、感染予防のためのマスク着用により、発言者の口元が見えないため、誰が何を話しているのかも分からない時がほとんどです。また、自分の補聴器の音量を大きく調節したとしても、周りにいる他の班の会話がガヤガヤと雑音として入ってくるだけで、本当に聞き取りたいグループの会話はそれらの音に掻き消されてしまいます。そのような状況が続くため、聞きたいのに聞き取れない、グループで何の話をしているのかさえ見失ってしまうというジレンマに陥ります。

 私は、初めてお会いする方などに積極的に自分が難聴者であり、大きい声の方が聞き取りやすく、会話で無反応だった時は聞こえていないだけで、よく誤解されるけれどもけして無視しているわけではないため理解して頂けると有難いと伝えるようにしています。

 こうして自分の聴力を自分自身が理解して他者に伝えることができるようになったことは大きな前進でした。思い返してみると、まだ自分の聴力に関心や理解がなかった小学生、中学生の頃は周りの大人から叱られることが多かったように思います。「あれほど言ったのに」、「なんで聞いてないの」と言われる度に、何について叱られているのも分からず居た堪れない気持ちになりました。補聴器を着用していなかった時は自分の声の大きさも調節ができず、周りから「うるさい」と言われることがありました。今は補聴器を着用していますが声の大きさについては「小さい」と言われることが増えました。補聴器の有無によって自分の声の聞こえ方も変わるため、難聴と生きていく上でそこは非常に難しい課題だと思っています。

 最後になりましたが、ひとつだけ皆さんに知って頂きたいのは、補聴器を着用していても完璧に聞き取れるわけではないということです。本当は人と話すのが好きだけれども聞き取れないから話すことが苦手で会話から取り残される人がいることを理解して頂けたら嬉しいです。

 

 

川嶋健太 静岡福祉大学 2年生

情報に取り残される人たち

インターネットが普及して何年になるでしょうか。
それからというもの人間が受け取る情報量は格段に増えました。それ以前はテレビやラジオ、雑誌といった情報源が主流でした。それだけではありません。味や匂いといったものも立派な情報源です。いつの時代も人間は五感をつかって多くの情報を得てきたのです。
しかし本当にすべての人がそうでしょうか。私はそうは思いません。外国人や障害者といったいわゆる「情報弱者」と言われる人たちがいるからです。今回はそれぞれの立場に立って考えてみたいと思います。
 まずは障害者と情報についてです。
 突然ですが私は視覚障害者です。未熟児で生まれその影響で網膜薄利となり1歳前に視力をほぼ失いました。手術のおかげでそれ以降わずかですが光を感じることができています。小さいころは両親や周りの先生などから、また多くの物に触れたりして、年齢が上がってからは点字の本やラジオなどで。視覚以外のかんかくをつかい情報をえてきました。人との会話にも困りませんし日常生活もそれなりにおくっていますので情報はあまり不足していないと思っていました。
しかし大学に入ってみると目が見えている周りの友達は私より情報量が格段に違ったのです。見えている分知識が豊富で、そのジャンルも周りの景色、アニメのこと、ファッションのことなど実に様々です。  視覚からの情報は全体の9割以言われています。
友達と会話しているとその幅の広さから私も含め多くの視覚障害者がいかに情報から取り残されているかがわかります。
 では視覚障害者はどの程度の情報量になるのでしょうか。視覚障害と言っても見え方は人によって違いますが今回は全盲の場合です。今作文をお読みのみなさん、周囲をぐるりと見渡してみてください。静かな部屋であれば壁紙や机、床の色、時計……。外であれば行き交う人の流れ、お店の看板、空を飛ぶ飛行機も見えるかも
しれません。では、目を閉じて同じように周りを見渡してみてください。

どうでしょうか。上に記したような情報は得られないのではないでしょうか。逆にエアコンの音や人の話し声、車の音、飲食店からの匂いなど嗅覚や聴覚から情報が入ってくるのではないでしょうか。目が見えないと本当にわずかな情報しか得られないことをご理解いただけると思います。
 次は外国人と情報について考えてみます。近年日本に住み働く外国人は多くなってきました。 日本語に不自由がなければいいですが、そうでなければ言語が壁となって情報が届きにくくなります。
ではどのようなときに情報から取り残されるのでしょうか。 例えば、災害時です。どんな災害が起きているのか、どこに逃げたらよいのかなど伝わるべき情報はたくさんあります。しかし慌ただしく復興に向けて動いているとき外国人には状況がわかりにくいのです。炊きだしの情報が入らず苦労したと聞いたこともあります。
 また、電車に乗っていても外国人と日本人の情報格差を感じます。日本語ではコロナウイルスへの予防を呼び掛ける放送がされているのに英語では、どこまで行く電車なのか、次はどこに停車するかという情報しか伝わっていません。私が知る限り緊急停車した際もそのことは伝わっ いないと思います。
このようにいざと言うときの情報保証があまりされていないように感じています。
 コロナウイルスが流行しだしてから日々様々なメディアでその情報が伝えられています。しかし外国人に各地の感染状況などが伝わっているでしょうか。翻訳されたサイトなどを活用することもできますが、テレビをつけてすぐに情報が入ってくる日本人よりは苦労するのです。
 視覚障害者はどうでしょうか。外出先ではアルコール消毒が必須となっています。そのことはわかっていてもアルコールボトルの位置が店によってまちまちです。自分でアルコールを持ち歩いて対処している人も多いですが、これはとても困ることです。また、送られてきたワクチン接種券に期がつかずワクチン接種に時間がかかったという事例も聞きました。

 ここまでいかに取り残されている課などを書いてきましたが、それを主張してもなにも変わりません。我々情報弱者たちが自ら情報を得ようとする子ともとても大切です。視覚障害者であればスマートフォンが音声読み上げや文字拡大によって活用できます。外国人も翻訳されたサイトなど活用できると思います。しかしそれらから得られる情報は限りがあります。私たちももっとたくさんのことを知りたいのです。そんな時皆さんのほんの少しの声かけが本当にありがたいです。
 時間はかかるかもしれませんが互いに協力し合って情報弱者だけでなく誰もが情報から取り残されない社会を作っていくことが大切だと思います。そして暮らしやすい社会となることを願っています。

 

Y・H 高校3年生

 

「僕の頭は、ざる以下だ!」そう思って、自分の頭を何度も何度も両手の握りこぶしで
たたいた。
中学3年生の美術のテスト前夜のことだった。
仏像の名前を何度確認しても、次の瞬間には、紙に書けなくなっている。
たった漢字4.5文字の言葉を、数個覚えるのに1時間以上もかけた。
絶対忘れないようにと思ってベットに入ってからも何度も何度も繰り返した。
そのことで頭が一杯になったのに、次の日のテスト用紙には、言葉が思い浮かばず
書くことができなかった。
他のテスト科目も同様だった。覚えたはずの、数式、特に漢字の語句、テストの時間
になると思い出すことができなくなった。
また、今でも、忘れられない出来事がある。
眼科の病院の待合室で、返却されたテスト用紙をみて、母に叱られたことを。
覚えたはずの漢字の語句が、テストになって書けなかった。
どうして勉強してもできないの?やり方に問題があるんじゃないの?と言われて、
自分でもわからなくて苦しかった。
学校の検診で視力低下といわれ、眼科に検査しに来ている時のことだった。
そこからのことは、あまり覚えていない。いろいろな検査をして
書字障害、心因性視神経症という診断を受けた。高校一年生の初夏の出来事だ。
当時、私は、目の奥が痛くなって、目がチカチカして、見えなくなるという症状と、
激しい頭痛に襲われた。
教科書の字が、ゆがんで見えたりするようになり、それはストレスによる視力低下、
心因性視神経症のせいだったようだ。
高校一年生になるまで、自分に、障害があることは、わからなかった。
私の書字障害の症状は、(原因や症状は人によって異なると考えられているが、)
視覚情報処理の不全が原因で、字が汚い、書けない、漢字を覚えるのにとても苦労する。
というものだ。字は、書けるけれども汚くて
小さいますに文字を納められなかった。「字が汚くて読めない。ていねいに!」
という先生からのコメントは、いくつになっても変わらなかった。
漢字は、覚えてもすぐに忘れてしまうことが多かった。合格点をとるまで漢字テストを
受け続けなければならない、という小学生時代のチャレンジテストには、苦労した。
また、テスト前に、口頭でテストを友達と行うと、答えられるのに、用紙に書くとなると
言葉を思い出せなくなることもあった。
美術では、形を、上手にとらえられず、筆圧が弱く、もっと丁寧に描きなさいと言われることも多かった。高校になって
部活をやめることにした。速く走ることには、自信があり、陸上部に所属していたけれど
もノートを書き写す授業を何時間もうけたら、それだけで疲労が蓄積して、部活まで体力がもたなかった。
こんな風にひどい頭痛で視力低下になるまで、書字障害がわからなかったのは、認知度が低いことが原因の一つだ。小学校一年生の時に、
担任の先生に、「学習障害ではないか?」と疑われ、今回診断を受けた病院
で診てもらったことがあるのだが、その時は、許容範囲だといわれ診断名がつかなかった。
病院の先生にも、「8年前は、そこまで、この障害のことが、知られていなかったので、
診断名がつかなかったが、当時を振り返ってみると確かに書字障害の症状があります。」
と言われた。
通っている高校には、母が事情を話し、テストの際には、別室で受けさせてもらい、文字も大きく印刷してもらえるようになった。また、時間延長もしてもらえることとなった。
学校の先生は、今までに、そのような診断を受けた生徒は、聞いたことがなく、どのような配慮が必要なのかわからない。と戸惑っているようだった。
認知度が低いことで、問題となるのは、書字障害がある生徒さんの自己肯定感が
下がることだ。
私自身そうだったのだが、自分は、努力が足りないせいだと 自分をいつも攻め続けていた。どれほど努力したら
先生に指摘されなくなるのか?漢字を覚えられるのかと悩み、自分を追い詰めていた。
きっと、私のように自己肯定感を下げながら、勉強する意味を見失ってしまっている生徒さんも、大勢いるのではないかと思う。
そんな生徒さんがいたら、自分の努力不足と決めつける前に、この障害を疑ってほしい。
自分の障害を受け入れることにも時間がかかるかもしれない。私自身、突然、障害があるといわれ、特別な配慮を受けることに抵抗があった。
目に見えて視覚や聴覚に困難があるわけでもないので、クラスの友人
からもどのように思われるだろうと心配した。でも、声を上げれば、きっと周囲の人は、理解してくれる。
そして助けてくれる。その勇気が、今度は、同じように困っている誰かを助けることにつながり、誰一人取り残さない社会の現実に近づいていけると私は信じている。

 

松尾香奈 京都大学修士課程1回生

 

 医療技術の進歩が、マイノリティの「生」を脅かす時代となった。聴覚障害を人工内耳という科学技術によって「治す」ことが最良な治療手段とされようとしているのだ。
人工内耳とは、補聴器を装用してもまだ聞き取りが不十分なほどに重度な難聴者の補聴をサポートする人工臓器だ。なるべく低年齢な段階で埋め込み手術をおこなうことが推奨されている。人工内耳は、重度難聴者に音やことばの入力をもたらす画期的な医療技術として迎えられた。しかし、人工内耳は本当に聞こえない人々にとって画期的な医療技術なのだろうか。
 ところで、聴者の身近なところには、日本手話で考え、日本手話で話す「ろう者」が暮らしている。日本手話とは、日本語とは異なる文法を持つ自然言語だ。ジェスチャーとは異なり、言語としての体系が存在する。そして、この言語を第一言語として話す人々や後天的に習得した人々、習得しようとしている人々、CODAと呼ばれる「ろう者」の親を持つ子どもなど、多様な背景を持つ人々の集うコミュニティは、「ろう者コミュニティ」と呼ばれている。「ろう者コミュニティ」に足を踏み入れると、あちらこちらで手話が飛び交う賑やかな空間に誘われる。そこには、音のない世界で「生」が紡がれる、聴世界とは別の世界が広がっているのだ。
 人工内耳を推奨する人々にみえている世界は、おそらく聴世界だけだ。「ろう者」の世界を知らない。存在は知っていても、聴覚障害者が集まっているコミュニティ程度の認識で止まっており、実態は知らないままだ。それにもかかわらず、聞こえないなんて不幸だ、聞こえた方が幸せだというのは、一面的な価値観の押しつけ以外の何ものでもない。あたかもマジョリティの価値観が普遍的なものであるかのように振る舞っているだけなのだ。
 人工内耳の推奨は、優生思想だと私は思う。「ろう者」をマジョリティである聴者と同化させる、科学技術を介したろう者に対する差別だ。第一、どんなに科学技術が進歩しようと、「ろう者」が100%理解できる言語は手話であって、音声日本語ではない。そもそも、人工内耳を装用しても、聴者と同じように聞き取れるようになるわけではないといわれているからだ。同化させたに見えて、実はまったく同化していない。人工内耳は、聴者の世界から置いてけぼりにされるリスクを消失させるものではなく、会話をすべて聞き取れないジレンマを抱えるリスクを増大させるものである。
 たしかに、聴の親にとっては、子どもが自分と同じ言語を話す未来を描きやすくなる意味において、人工内耳は希望なのかもしれない。親には、子どもに人工内耳手術を受けさせる権利がある。それを奪う権利は誰にもないし、私もその権利を奪いたいとは思っていない。私が問題としているのは、手話で子育てをする選択肢があまり浸透していないこと、そしてその選択肢がきちんと親に提示されていないことだ。
 生まれたこどもが聞こえないとわかったとき、はじめて「ろう」の人間を目の当たりにする親もいる。「ろう者」を知らなかった親は、当然「ろう者」の世界のことも知らない。手話で生きる選択をした大人のろう者やその家族を知らないままに、人工内耳の手術を決断する親もいるくらいだ。
 聴者にとって最善の医療技術の提供を目指すのではなく、ろう児を取り巻く環境まで考え、ろう児にとって最善のケアとは何かについて考えて欲しい。人工内耳という選択肢しか提示しない偏りは、ろう児やその親から子育てする上での選択権を暗に剥奪していると考えられる。聴者にとっての最善は、必ずしも「ろう者」にとって最善ではない可能性がある。
 「誰ひとり取り残さない」——この誓いは、<マイノリティをあたかもマジョリティであるかのように扱いながら社会に包摂すること>として解釈されてしまう危うさも抱えている。マイノリティが社会参入するとき、マジョリティと異なる部分をわざわざ同化させなければならないのは、なぜだろう。ろう児が音声日本語の獲得を強要されなければならないのは、なぜだろう。聴者は、「ろう者」に対してなんの権限があるのだろう。
 どうか、ろう児から「ろう者」として生きる可能性、手話で育ち、手話で考え手話で話す「ろう者」になる未来を奪わないでほしい。
 NOTHING ABOUT US WITHOUT US!(私たちのことを私たち抜きにして決めないで!)
 これは、「障害者の権利に関する条約」が掲げている合言葉だ。ろう当事者たち抜きにして、ろう者の未来を決められる社会から脱却しなければいけない。人工内耳の普及が目指される現在において、心に留めておかないといけない大切な合言葉だ。

 

 

山口稔由 長崎大学多文化社会学部多文化社会学科国際公共政策コース 3年生

気づいたらみんないなかった。そんな学生生活だった。

 私は小中学校を通して、何度も転校を経験した。入学した学校で卒業できたのは、高校が初めてだった。繰り返す転校の中で、私は人付き合いが苦手になり、友達との関わり方がわからなくなった。中学生のある日、理科の実験で教室の移動があった。ふと周りを見渡すと、クラスメイトはすでに移動を終えた後だった。私だけが取り残された自教室。疎外感だけが強く残った。当時の私には、自分から話しかけられる人もいなかったし、そもそも話しかける勇気もなかった。
 また、その時の私は、転校先の教科書の違いから、未履修の分野も多くあった。テストでもこれまでにないほど低い点数を取ってしまい、置いていかれる、取り残されてしまう、という焦りがあった。私が人生で初めて塾に通い出したのは、まさにこの時期だった。その時の私は、焦りや不安でいっぱいだった。ちゃんと高校に行けるだろうか。友達はできるだろうか。そうした負の感情ばかりが募っていた。
 こうした経験は、私に限ったことではないだろう。転校していなくても、移動教室で取り残されている人はいるかもしれないし、一緒に過ごしていても、取り残されていると感じている人もいるかもしれない。
高校生になった私は、1年生の時、同じクラスに中国人の生徒がいた。彼女は親の仕事の都合で1年前に日本に来たばかりであり、日本語をほとんど話せず、また、聞き取ることも難しいようだった。私には中国語は全く分からず、意思疎通も英語や身振り手振りを使ってしか行うことができなかった。日本語話者の学校で、周りに日本人であふれているそのクラスにとって、こうしたコミュニケーションは、もちろん苦労することであっただろう。実際に何度も、難しさを感じることがあった。時間割の変更がうまく伝わっておらず、彼女だけ教科書を忘れてきてしまう、そんな日もあった。しかし、ここでだれも、彼女を取り残さず、一緒に頑張ったからこそ、私達は一緒に卒業の日を迎えることができたのではないかと思っている。「言葉が通じなくて大変だから」「自分には関係ないから」そうした考えではなく、皆が彼女のために、親身になって行動したからこその結果であると思う。
 「誰ひとり取り残さない」、これを実現するには、まずは「取り残されている人がいないかどうか」ということに気付くことが必要だと私は考える。そもそも取り残されている人に気付かなければ、誰も取り残されないように、と状況を改善する必要性を感じることもできない。取り残されている人に気付くこと、そして、手を差し伸べ、一緒に歩むことの必要性を認識してはじめて、「取り残さない」ことに繋がるのではないかと思う。「誰ひとり取り残さない」と聞くと、とても大きな話で、実現するのは難しいことのように聞こえるかもしれない。たしかに、自分一人が、世界中の誰しもを取り残さないことは難しいかもしれない。しかし、自分のクラスではどうだろうか。少し、周りを見渡してみてほしい。取り残されている人はいないだろうか。自分はその人と、手を取り合うことはできないだろうか。あなたの周りの、10人でも、5人でも、1人でもいい。あなたがあなたの周りを取り残さない、その積み重ねこそが、「誰ひとり取り残さない」社会に繋がるのだ。
 私は、中学生時代に「取り残された」記憶が、今でも鮮明に残っている。そして、誰にもあんな思いをしてほしくない、と思っている。私は、自分が得た経験を、これから取り残される人を少しずつでも減らしていけるように役立てていきたい。
中学生のあの時、取り残されていた過去の私には、今の私が取り残さずに、一緒に前を向いている。

 

 

前田幸汰 東京都市大学付属高等学校 3年生

 

 「てんかん」という病気のことをどのくらいの人が知っているのだろか。世界人口の0.5~1.0%にあたる約5000万人が罹患している病気で、日本においても約100万人の患者がいると予想されている。誰でもなりうる病気ではあるが、周囲からの正しい理解がないと偏見や差別を助長してしまう可能性がある。たとえば、アフリカのケニアではこの病気を「悪霊の仕業」と信じている人もおり、てんかん患者は社会や家族から差別や偏見を受けることが多く、なかにはうつ病になるほど追い込まれてしまう人もいる。偏った印象を抱かれやすい病気とされているぶん、「誰一人取り残さない」社会の実現に向けた市民社会の実践として、誤った情報による差別や偏見をなくさなくてはいけない。そのためにも、私を含め大多数の人が使用しているSNS等の媒体を通じて、情報を受け手側に正しく伝達すること、反対に受け手側は自身の思い込みによって情報を落とし込み、誤情報として他者に伝えてしまうと、社会全体で見たときに差別や偏見に晒される「取り残される人」が出てきてしまうことを認識すべきだ。まず、この情報化社会の現実に向き合うことが解決への一歩だと言え、法律制定などの具体的解決策以前に、私たちの社会を取り巻く誤情報により「取り残される人」が存在する現実を真摯に受け止めなくてはならない。
 2018年2月5日早朝、私は小児てんかんに罹患した。その日から日常は一変することになる。一ヶ月おきにある脳波検査と血液検査、毎食後の薬服用、薬の常時携帯など、こんな煩雑な日々をおくることになった自分の運命を憎んだ。別に誰が悪いわけでもない。なのに、その怒りを誰かにぶつけようとし、またその自分の情けない姿に怒りを覚える感情をなかば諦めている自分がいた。負のスパイラルが続き、私はすっかり笑うことが無くなってしまったほどだ。そんな時、周囲は他人が患う病気にどのくらいの関心を持ち、積極的に正しい知識を身につけようとする人がはたして何人いるのだろう、と疑問に思うことがあった。最も恐れるべきは、自分の内側に客観的な情報が乏しくなると、人々は自己判断で物事を簡潔に理解しようとするため、その口から「主観的な情報」が流布されやすくなることだ。これは私のように病気や障害を持つ者からすると辛いと同時に恐ろしい側面である。思い込みによって作り上げられた巨大な壁がいつの間にか健常者と障害者の間に出来ている、といったことも想定される。以下は、障害者が法的に区別されていた事例である。
 法律上、資格や免許の適性がないことを「欠格」というが、かつてのてんかん患者はこれに該当するため取得できない資格や免許が多くあったそうだ。現在では差別や偏見をなくすという観点から、航空機関連の免許や狩猟免許などに絞られ、かなり少なくなっているようだが、今から二十年ほど前までは美容師や理容師の免許取得も認められていなかった。てんかんという病気は一般的に薬を服用すれば、8割ぐらいの人が抑制できる。また決められた期間服用を続ければ、7~8割のひとが治癒する。こうした医学的事実があるにも関わらず、これまで挙げたような差別があったとされているのだ。
 自分とは何かが異なる他者を見たとき、罪悪感なく無意識的に「区別」する傾向は誰にでもある。もともと人は自分と他者は異なる存在だと認識しているので、このような「区別」は自然なことだと言える。しかし、この「区別」が徐々に「差別」に変化していくと、それが結果として偏見を生みだす。差別や偏見によって「取り残される人」が出てきてしまう。自分と違っていてもいい、という感覚を根付かせようとするにはかなりの時間を要するであろうし、寛大になるという点からすれば人生観を変える必要も出てくるだろう。実際、私が学校でてんかんを発症し、クラスメイトはその姿を目の当たりにして、この病気に対するイメージが一人歩きしていたこともあった。しかし、クラスメイトはその区別を自然と受け流し、私が何事も無い日常に戻ることができたのは、心の底から嬉しいことだった。
 情報自体は泣きも笑いもしない。ただ、それが人間によって扱われるときにさまざまな表情に変化する。情報の交信がしやすい現代だからこそ、悪意無く誤った情報とは知らずに発信と受信を繰り返すことがある。それが「取り残される人」を生んでしまっているという現実を頭の片隅に置いてもらいたい。スマホ画面の送信ボタンをタップする前に「本当にこの情報は正しいのか。これによって誤った認識が広まり、社会に新たな壁を作りはしまいか」と少しだけ考えてみてほしい。その情報の受け手側も安易に理解した気にならず、それを一度でも疑ってほしい。「取り残される人」をこれ以上生まないために、情報の向き合い方を再考することが問題解決の一歩になると私は考える。

 

 

若尾瑠美 都立新宿山吹高校 3年生

 

私はいつも疎外感を感じていた。普通に生きているということはどういうことなのかも、はっきり理解していなかった。周りの人から疎まれているというわけではないのに、なぜだか、自分は周りとちがうのではないかと思い続けていたのだ。
私は昔から言われたことをやるだけの子だったが、すべてはスムーズに進まなかった。すべてをこなすには、心も体も脆かった。でも、自主性がない自覚があったから、そんな意識でいたらダメだと言われるのが怖くて、助けを求めることができなくて、中学生のころには疲れ切って、もうどうでもよくなって、学校に行かなくなった。いろいろ教えてくれる人たちから離れた結果、こころが楽になり、はじめて「やれ」と言われたことをはっきりと拒否したくなった。拒否を覚えた私は、ずいぶんと生きやすくなったものの、自分のことを認めることが難しくなっていた。みんなが当たり前のように扱っていた「否定」を、どうしてか、自分は使ってはいけないような気がして悩むことになっていた。
だけど、私は日常生活が辛かったのだ。普通の人が当たり前にすることが辛く思えて、具体的になにが辛いのかを言葉にしても、誰にも伝わらない。人からしたら、そんなことは辛くもなんともないし、私は甘えているだけのものだとずっと頭の中で自分に言われ続けた。声に怯えて、ずっと家で横になり続けていた。私はなにも病名がない。ただの怠け者だと自分を責めながら。
結果的に、私は良い子であることをやめ、怠け者という汚名を背負っていく覚悟をすることで、進学直前に立ち直ることができた。普通にできなくても、他のことで努力できるならいいということにした。これで本当に良かったのかと思うところもあるけれど、人生はとっても楽しくなった。
普通の生活にどうにか適応しようとしているうちに、私は、昔の私のような、「あたりまえ」なことを辛く感じてしまうような人をすべて救いたいと思った。それは、どんな場面においても、普通から外れてしまう人が楽しく生きてほしいということだ。人間関係では、変わった言動、珍しい趣味、進んだ考え方、常識知らずといった理由で、人が嫌われたり遠巻きにされたりすることがよくある。それを人に言っても今は認めてもらえないということにすら気づけていないかもしれない。そんな人が悲しい目に会うのを見るのは、仕方ないことかもしれないけど、私にとっては辛いことだった。
SDGsをはじめて知ったのは、高校での授業だった。世界をよりよくするための目標を、どんな弱い者も例外なく実現しようという理念をうけて、私は驚いた。社会にとって迷惑であろう私のような人すらも輪に入れて改善していこうというのだ。こういう目標は、普通の人のためにあるものだとばかり思っていた。私だけでは普通ではないところがあるみんなを救うなんて到底無理だけど、国連のようなグローバルで大きな組織がこうして目標を掲げてくれていたことは、とても心強いことだった。
だれかにひとつ取り柄があるというわけではない。天が一物も与えないことだって、いくらでもあるだろう。「あたりまえ」ができることすら、幸せなことだと思う。私は私のできる範囲で、苦しんでいる人の力になりたい。「あたりまえ」という言葉で人を殴りたくない。一度、これはできて当然という考えを捨てて、人に対する期待値を下げてみてはどうか。できる人がすごい、そう考えていてくれるだけで、認められる人がいる。できない人を、できる人がサポートすればいいだろう。完璧な人などいないという言葉を信じるならば、どんな人同士であっても、片方ができて片方ができないことは絶対にあるはずだ。誰かだけが犠牲になることはない。
「誰ひとり取り残さない」ためには、「あたりまえ」からできない、わからないような、もっとも困難を覚えている人に焦点をあてていくことが必要だろう。私はそう考えてから、人により優しく接するようにしている。自分ができて相手ができないことがあれば自分から進んで、代わりにやったり、相手が望むなら教えたり、生活面や勉強問わず、仲の良さも立場も問わず、できるだけたくさんの人の役に立とうとしている。空回りだってするし、ありがた迷惑になってしまったこともある。でも、もし少しでも誰かの役に立てているならばそれでいいと思う。どんな些細なことも積もっていけば、人の生きやすさに繋がると信じているから。

 

 

塚田優也 埼玉大学大学院

 

個人的な話をする。

今、俺はiQOSと紙巻きの併用をしている。
iQOSはレギュラーのやつ、紙巻きはセブンスターかラークのクラシックマイルド、ごく偶にハイライト。
かつてはiQOS特有の豆を焼いたような匂い——この表現は思いのほか共感を得にくいのだが——が苦手だったが、今はもう慣れてしまった。
他の人の話では聞いたことがないのだが、俺の場合、夏場にiQOSを吸うと原因不明の眩暈がするので、その時期は紙巻きオンリーにしている。
一日に吸う本数に多少の波はあるが、ざっと均して、三日に二箱くらいのペース。

ふと思えば、大学に入ってからできた友達は、ほとんど全員喫煙者だ。それもみんな大抵俺と違う学部で、喫煙所でしゃべることがきっかけで仲が深まったりすることが多かった。彼らとの出会いも、喫煙(所?)がもたらす身体的密度、あるいはそれとは別の、ある種の「非-身体的なもの」とでも呼ぶべきもののおかげなのかもしれない。

俺は、小学生の頃からゲームセンターに通い詰めていた。
そこには大きく分けて二つのゾーンがあった。一方には子供向けのカードゲーム、そしてUFOキャッチャーとメダルゲームが置かれた区画、もう一方には、格ゲーやレーシングのゲーム、あとはなんか麻雀のアーケード筐体とかが並んでいる区画があった。つまり、それぞれ利用者の年齢層が異なっていた。なので、前者のゾーンは基本的に禁煙だったが、後者の方はいつもタバコの匂いが充満していた。
子供向けカードゲームに熱狂していたのは低〜中学年の途中くらい?までだったと思う。それに飽きてから、俺は煙たい方の区画にあるゲームにハマっていった。高学年くらいの時はロボットアニメのゲーム、中学に上がってからはサッカーのゲーム。これらもやはりカードゲームの部類なのだが、どちらも1プレイのクレジットが300円とかだった。そんな金のかかるゲームを手放しでやりこませてくれるほど、うちの保護者——そのゲームセンターは小学生が家から自転車で行くにはやや遠く、日中働きに出ていた母の代わりに、主に祖母が連れて行ってくれていた——の財布の紐はゆるくなかった。なので、テストの成績などで稼いだなけなしの小遣いをなんとかかき集め、友達と一緒に週末に注ぎ込みに行ったりした。

あのゲーセンで嗅いだ副流煙は、特別に憧れるような「オトナの匂い」ではなかったし、そこで喫煙していた人たちも、特段カッコよかったわけでもなかった。単純に、そういう環境があって、そこは楽しいところだったのだ。加えて、母も喫煙者だ。助手席に座って嗅いだ、ハンドルを握っていない方の母の手から漂う匂いは、至極当たり前のものだった。俺が喫煙を始めてから、数えてまだ2、3年くらいしか経っていないが、あの初めて吸った時を節目に、何かがガラッと変わった、みたいな感じは、あまりしていない。だから、タバコやめなよ、臭いよ、健康に悪いよ、と言われることが最近になって増えてきたのだが、そんなことをいわれても、なんというか、仕方がないんだよなぁ、と、力なく思うのだ。

最近ちょっとショックだったのは、そのようなことを教授に言われた時だった。俺が「2年か3年くらいです」と言ったら、先生は「まだ間に合うわね」と言われた。一瞬「何が?」と思ったが、すぐに「今ならまだ、タバコで健康を損ねることなく生きる道に戻れるね」という意味だと理解した。

当然、先生には先生の事情があって、そして俺への真心から、「間に合うわね」と仰ったのだ。というのも、俺に語ってくれた話では、先生もかつてはヘビースモーカーだったそうだ。——若いころ、憧れのようなものから喫煙を始めた、子供を産んでからも、しばらくはベランダで隠れて吸っていた、と。そして今、おそらくそれが原因で、先生は呼吸器系に不調をかかえていらっしゃる。将来ながく健康に生きていく、ということを考えるなら、先生のこのお気遣いは決して安易に無碍にすべきではない。

——しかし、俺がタバコをやめたら、あの煙たいゲーセンや、運転席の母の手から現在までずっと続いている、俺が大好きな、あの当たり前の何かが、ひょっとするとあっさり死んでしまうのではないか?俺にはそんな気がしてならない。もしそうなったら、と考えると、俺はどうしようもなく、そっちの方が怖い。今の俺は、いや、おそらくこれからもずっと、俺はそう思わずにはいられないだろう。

 

 

土肥美桜 KTCおおぞら高等学院 2年生

 

私は、摂食障害と醜形恐怖症を患っている。これを聞いて、皆さんはどう思っただろうか。生活が大変そうだな、可哀想、と思った方も多いかもしれない。確かに、日常生活の中で病気の症状そのものに悩まされることはとても多い。しかしながら、私としては、周囲からの理解が得られないことや助けてもらえる手段が少ないこと、差別されることなどに苦しむほうが圧倒的に多いと感じている。
ある日、摂食障害についてインターネットで検索をしていた時のことだ。とあるサイトで「摂食障害」という題名のついている掲示板を見つけ、きっと当事者が症状について語り合っている自助グループのような場所だ、と推測した私は、そのページをクリックしてみた。するとそこには、あろうことか摂食障害患者についての罵倒や悪口が書き連ねられていた。「摂食障害は単なる甘え」「自己管理のできない馬鹿がなる病気」「発達障害患者の温床」など、酷い文言が所狭しと並んでいる有様だった。これらの悪口は、大多数が摂食障害の当事者ではない人間によって書かれたものだと推測できた。なぜ病に苦しんでいる人が全く関係のない人に罵られたり、傷つけられたりしなければいけないのだろう、と非常に虚しい気持ちになったのを覚えている。
また、醜形恐怖症についても、やはりなかなか理解を得られない。鏡を見て泣いてしまうことや、化粧の出来映えによって気持ちの浮き沈みが激しいことに関して、「頭がおかしいのでは」「気持ち悪い」「容姿に固執して中身を磨こうとしない、短絡的思考だ」など、心無い言葉を浴びせられることもある。
このように、精神疾患に対して偏見を持たれてしまうことは往々にしてある。そのため人々は、周囲への相談や精神科・心療内科の受診を避ける傾向にある。世間から「異常者」のレッテルを張られるのが怖いのだ。例えば、子ども自身が精神疾患にかかっているかもしれないことに気づいたとき、病院に行きたいと親に頼んでも、世間体を気にして連れて行ってもらえない場合がある。事実私の友人はそんな状況に長い間苦しめられていた。また、自分が精神疾患を持っていることが友達にばれたら虐められるかもしれないという恐怖心から、誰かに相談するという選択肢を自ら消してしまう場合もある。大人でも、仕事への影響や組織からの評価を懸念し、自分をだましだまし生きている場合が少なくない。そして、周りの人に助けを求めることができないまま日々追い詰められていき、自傷行為がエスカレートしたり、最悪の場合自死を選んでしまったりする。
これこそが、精神疾患の闇である。私は、社会福祉の体制より、世の中の人々がかけている色眼鏡にこそ大きな問題があると考えている。きちんと周囲からサポートを受けられる・病院と繋がれる人ばかりではない。身体の病気とは違い、外からはわからないことがほとんどであるため、自ら声を上げなければ支援を受けることができない。けれども偏見の目が怖いがゆえに相談できないまま、独りで抱え込んで孤独に苦しんでいる人は予想以上に多い。それは日本人の自殺率が他の先進国に比べて高いことからもうかがえるだろう。そういった社会から取り残された人々がいなくなるためには、一番に偏見や差別をなくす必要がある。精神病だから、という理由で差別するのは絶対に間違っていると思う。最近では新型コロナウイルス感染者に対する差別や誹謗中傷が問題になっているが、それと同じことだ。患者が悪いわけではないのに、理由もなく差別する人、区別と排斥を混同している人があまりに多すぎる。そんなことがまかり通る世の中では病気を隠したくなるのも当然であり、助けを求められない人の置かれる状況は深刻化していくと思う。
現代人の五大疾病に鬱病が入っているように、今や誰もがメンタルを病んでしまう可能性のある時代だ。決して奇異な話ではないのである。もし、自分が患者の立場で理不尽な差別を受けたら。肩身の狭い思いをして生きることを想像し、怖くなって誰にも相談できずに独りで苦しむことになったら。どうだろうか。当事者の立場になって考えてみれば、飛び交う言葉がどれほど鋭く痛いものか、おのずとわかってくるのではないか。
病気のあるなしにかかわらず、皆同じ人間なのだ。誰に対しても、フェアな態度で対応するべきである。そうして世の中の意識を変化させることが、精神疾患を打ち明けられずに苦しむ、いわば取り残された人々を救うと思う。まずは私自身が、人に先入観を持つのをやめて、公平に思いやりを持って生きていきたい。近い将来、差別や偏見がなく誰一人として取り残されない社会になることを信じて。

 

 

佐藤 力 ウェンデル 加古川マリンガ外国語センター・マリンガ日本語学校

 

 「誰一人取り残さない」。貴方は人を愛してますか?
 僕は日系ブラジル人四世である。日本人でもブラジル人でもない、二つの国の文化や言語と一緒に育って来た。ブラジルで生まれたのに鏡を見るとどこからどう見ても日本人。同然な事である。なぜなら自分の曽祖父母達は皆日本から移民して来た日本人だから。だが自分が日本人だと言うとピンとこない、「ブラジルで生まれた日本人」と言えば正しいのだろうか。ブラジル人の目から見ると日本人、日本人から見ると外国人。僕はどちらでもない日系ブラジル人だ。
 母国ではない国で育つと言うのは差別を知ることだろうか。母が心込めて作った梅干入りのり巻きおにぎりと甘い卵焼きの日本式弁当を学校に持っていくと生徒達から変な目で見られる。あの気持悪目線、まるで見たこともない物を見る目。自分だけが違うと感じるとは孤独だと知った。世界のどこかでも僕が体験した似たような差別は有るだろう、人種、文化、障害など。「何かが違う」の前に、皆人間である。人と言うのは「どこか似ててどこか違う」。残念ながらこの広い世の中では人間としての基本ができていない人が沢山いる。「他人と自分の違いを受け入れる」と言った単純なことを知らずに差別を行ってしまう人がそこら中にいる。だが大事なのは他人が何を行動する事では無く自分がどう行動することである。
 この世界で全員が差別しなくなると言うのは難しいだろう。だが不可能ではない。もっと良い未来を望んでいる人々が必ずいる。少しずつ一人一人が新しい考えと思いを乗せた運動が世界を変えるだろう。それは人間性を取り戻す革命だ。どこかの西方の人が言う「神を愛し、自分を愛し、人に愛を持ち」を実現実行に移すことだ。人を人間として愛し、違い問わず愛すること。世界が愛で包まれる革命だ。「唯の理想を語る少年」と思われるかもしれないが誰しも願うことではないだろうか。今まで散々と争い、貶し、互いに憎みあった歴史の上で平和な未来を願ってはいけないだろうか。世界で様々な運動が起こっている中でこれもその一つである。だが勘違いしてはいけないことが一つある。それは皆同じではない事、一人一人は違う性格、考え、思い、道徳や倫理を持っていると云う事だ。「違いを受け入れる」は「全員が同じ」ではない。
 きっと遠い未来の世界は明るいだろう。基本精神「誰一人取り残さない」は昔も今も変わらず未来でも変わらない。だがどの時代でも社会の中に反対を訴える思想を持つ者が現れて声を上げるだろう。そこで世界は罪人に罰を与えて終るだろうか。それとも思想自体を消すだろうか。選択肢を選ぶのは世界だろうか自分だろうか。未来を作るのは貴方ではないだろうか?

 

邢(しん)依嫻( いーしゃん) 都立国際高校(卒業)→進学準備中

 

 電車のドア側に、制服を着ている少女は、誰にも理解されていない悩みを抱えている。私は、中2の時に来日し、日本語が全くわからない状態で公立中学校に入学した。入学してから中学校を卒業するまで学校での疎外感で生まれた心の傷は今でも癒えていない。私と同様に外国人であったクラスメイト二人は中学校を中退し、一層孤独な日々を送ることになった。夜は悩みを聞いてくれる家族がいたが、朝になると憂鬱な学校が始まる。「在日外国人」という埋められない溝を感じる毎日だった。明るい性格だった私は、高校に入り、当時の新鮮感が消えてしまい、残ったのは日本人への恐怖心だけだった。一見して外国人差別防止や日本語支援の取り組みが充実している。しかし残念なことに、「誰ひとりも取り残さない社会」という理想を掲げる中で、学校で無意識に外国人の子どもを「よそ者」として捉えられがちのことが私たちの生活空間に至るところにあふれている。
 データから見ると、全国の小・中学生における不登校生徒割合は1.7%であるのに対して、不就学と推定される外国人子どもの割合は11.3%、約日本人の6.7倍である。原因はマイノリティの彼らが学校で生じる疎外感や日本語の不自由で生じた日本語への抵抗感、進学意欲の低下につながる。そこで昨年、私が参加している外国人子ども支援ボランティアの現場では、コロナ感染拡大防止のために授業形態を対面とオンラインを選択できるようにしたところ、全ての児童がオンラインを選択した上に、参加率も上がった。子どもたちの立場で考えるという一貫して続けてきた私のこだわりに基づいてこの現象を捉えたとき、コロナへの不安とは別の要因が隠れているような気がした。日本語を第二言語として学習者である外国人子どもの不安は外国語学習環境と相関関係にあるため、対面からオンラインへ変化させることで、環境から受ける影響は大きく軽減されるだろう。したがって、つらい経験をしていて、一度「不登校」になりそうな私は、外国人子ども向けの日本語支援をオンライン化することを提案する。
 別の教室で指導を行う「取り出し授業」と授業中に支援者が入って、日本語支援を行う「入り込み授業」は、現在学校で行われている外国人子どもを対象とする日本語支援である。しかし、実際にこの「特別扱い」は、外国人子どもの学校での疎外感を感じさせる要因の一つとなるのだ。そのため、まず第一歩として、この日本語支援を廃除し、その分を土日や放課後の時間を利用して、オンラインで行うべきだと考える。なぜかというと、日本人生徒と同じ空間や時間を授業を受けることを確保することによって、外国人子どもの学校での特別扱いで生じた疎外感の取除きに有効だからだ。それ以外にも、現状として日本語教室の通いにくさによる日本語教室の出席率の悪さや、外国人散在地域の充分な日本語指導されていないことも、時間や場所の制約がないという特徴をもつオンラインツールで経験のある支援員による、支援の行き届いていない外国人散在地域の子どもにまで届くことができるだろう。
 また、日本語支援に関しては、日本語指導者から間違えを指摘されるかという不安による、日本語への抵抗感が生じてしまうことのみならず、反対に幼児に対して話すように過度に優しく接されたりすることも外国人子どもが日本語への抵抗感につながる。このように、相手や周囲の反応に敏感になり、うまく話せていないのではないかと不安が増大し、その負担による日本語学習にも集中できなくなるのだ。そのため、外国人子ども向けのオンライン学習システムでは、生徒と教師対等的な授業仕組みを重視すべきだ。具体的には、教師による授業を行うオンライン「教室」という既成概念を打破する必要がある。従来のインプットを中心にする日本語指導法のではなく、教師と生徒の相互関係から脱却し、互いに楽しく会話をする「トークルーム」という形の日本語指導法を提案したい。加えて、会話によるつながりを促すような設計で、居場所感も生み出すことができる。このように、すべての外国人子どもに最適の日本語教育を届き、彼らを誰ひとり取り残さない社会に進めたい。
 私は、世の中、理不尽な事がたくさんあると思う。しかし、それだからこそ、本当の意味のSDGsの基本精神の「誰ひとり取り残さない」社会に一歩でも近づくために、私たちがそれを変えていく使命感が生まれて、行動をするのだ。

 

 

煙山実穂 横浜国立大学1年生

 

 今日の朝食は、1/5合の米とベーコンエッグ。昼食はもやしと卵の炒め物とトマト半分。夕食はトマト半分。この食生活は、関東に住む大学生の「普通」なのだろうか。
 私は奨学金を受給し、その範囲内で食品や日用品を購入している。私の通っていた高校では奨学金を借りて大学に進学する人は多くいたため、最初こそ借金への不安はあったもののそれも薄れていった。一人暮らしを始め、私は節約をすることに楽しみすら感じていた。特に食費は抑えられるように努力している。しかししばらくして、周囲との少しのずれに違和感をおぼえるようになった。学生食堂でご飯を食べる人たちは、トレーいっぱいに料理を並べている。私はなるべく安い品を2,3品。サークルの仲間は、毎回自動販売機から飲み物を買っている。私にはそんなことはできない。必ず水筒を持参し、忘れた場合は我慢する。他人の生活レベルの詳細はわからない。私は、大学生は節約して生活をするのが当たり前だと思っていたし、今の生活に不満はない。しかし、私の生活は周りと比べてずれているのかもしれないという不安が生まれた。周りは豊かな生活を享受しているなか、取り残されているのかもしれないと思った。他人の生活レベルがわからないからこそ生まれた不安かもしれない。この不安は私一人では解消し難いものである。友達であっても、毎日の食生活について詳細に尋ねるのは気がひける。相対的貧困は、本人が自覚しづらいということの意味がよくわかった。周りの生活のことは本当に不透明であり、わざわざ知ろうともしないのだ。もし多少周りとのずれに勘づいていたとしても、それを確認する勇気はない。
 「誰ひとり取り残さない」という言葉は、どこからの視点の言葉なのだろうか。周囲に奨学金を受給する人が大勢いた私は、「取り残されて」いなかったと思う。環境の変化、土地の変化によって、どのような生活レベルや幸福度の人が取り残されることになるのかの基準も変化する。例えば、戸建ての物件を購入することの重大さは、都心地域と田舎では大きく異なる。先進国の基準で考えれば、途上国の人々は取り残されているのかもしれない。一方で、我々が当事者と想定する人々は、その対象になるとは思いもしないかもしれない。しかし、本人が不自由を感じていなければよいという問題でもない。はじめは感じていた不自由が、日常の中でかき消された可能性もある。そこで私は、世界で望まれる環境を広く提示し、当事者との話し合いを十分に設けて、どう生活していきたいのかの見通しを立てる必要があると考える。これは金銭面に限った話ではない。宗教、性別、思想などにおいて、当事者になり得る人に現状について周知することから始める必要がある。自分が周りから取り残されている事実を知ってショックを受ける人もいることだろう。私もその可能性に気付いてショックを受けた。ショックを受けた人へのケアも含めて、責任ある活動が求められる。
 ひとりでは「格差」も「取り残される」こともあり得ない。人との関係があって初めて生じるものである。多くの人との関係から成り立つ社会で生きていくためには、みんなが社会を、生活を「知っている」ことから始めよう。周囲の人々に取り残されているかもしれない私の不安は、彼らの生活をもっと知れば、解消される部分が大きいだろう。今後どのように行動すればよいかの検討ができるからである。さらにショックを受けることもあるかもしれないが、もしそのケアをしてもらえるのであれば、知ることへの勇気も生まれる。みんなが互いの世界を知ったら、みんなで未来について考えていけるはずだ。その勇気を与えあえる世界を私は望む。

 

 

渡邉光砂 常葉大学 4年生

 

「そんな性格じゃこの先、生きていけないよ。」これは私が21年間の人生で1番苦しかった言葉です。HSPという言葉を聞いて、何人の人が知っていると答えるでしょうか。私の周りでは片手で足りる人数しかいませんでした。ここではHSPの日常生活や抱える問題を、自分の体験も踏まえてお話します。
私は幼い頃から、自分の性格を好きになれませんでした。何故なら、周りの大人に「性格を変えていかなきゃ」と言われて育ってきたからです。そしてその期待に応えようとしても変わらない自分が嫌いで、同時に変わってしまう自分も嫌いでした。どうやって生きていけばいいのか分からないまま20歳になり、偶然本屋さんで武田友紀先生の『「繊細さん」の本』に出会いました。私はそこで初めて自分のHSP気質を知り、それは変えることのできない、変える必要のないものだと知りました。その時スッと気持ちは晴れやかになり、自分の性格を受け入れようと思えました。しかし、周りの人々には説明が必須であり、実際には届かないことが多いのです。
私たちが直面する問題の1つに、「認知度の低さ」があります。HSPとは「感受性が強くて敏感な気質を持った人」という意味で、全人口の15~20%がHSPと考えられています。日本では芸能人がSNSで告白したことで広く知られるきっかけとなりましたが、用語としての定着率はかなり低いと言えます。私は以前アルバイト先で店長にHSPだと告白したことがあります。その時返ってきた返事は「それは病気なの?病気じゃないならただの思い込みだよね。」「気持ちの持ちようでどうにでもなるでしょ。」です。自分達はまだ分かってもらえないんだ、と深く傷つきました。そしてHSPの説明もできず、「そうですよね、頑張ります。」と、その場を苦笑いで終わらせました。このような体験はHSPの人達では珍しくないと思います。時にはHSPのことを知らなくても、詳しく話を聞いてくれる人もいます。しかし、大半の場合はHSPの気質を「思い込み」だと言われてしまい、私たちは「思い込み」だと信じてしまいます。その結果、理解されない苦しみを背負い、自分を責め続ける生活を送ります。自分が間違っているんだと認識せざるを得ない環境で生きる私たちは、正しく「社会に取り残されている人」であると言えます。
更に、私たちは社会から自信を奪われています。それは、一般的に気にしないことが社会の普通になっているからです。世の中にはHSPと非HSPが存在し、それぞれの感覚を完全に理解することは困難です。例えば、HSPの「気にしてしまう感覚」と非HSPの「気にしない感覚」は互いに理解できないのです。しかし、社会の中で良しとされる感覚は非HSPの「気にしない感覚」です。それは単純に非HSP人口の割合もありますが、より楽観的な思考が求められやすい社会であり、私たちが自分を押し出せない性格であるからだと私は思います。仕事の仕方や技術面において求められることは様々ですが、考え方を半強制的に非HSPよりに教育されているように感じます。お互いに理解できないからこそ、尊重し合う言葉かけが重要であり、自分や社会の普通を押し付けることはしてはいけません。私たちが「社会に取り残されている人」から脱出するための一歩として、社会の共通概念を取り払うべきではないでしょうか。個人の個性や気質といった変える必要のないものを変えてまで、私は社会の求める人材になりたくないです。
HSPは障がいでも病気でもありません。だからと言って軽い考えで見捨てないでください。HSPは生まれ持った気質であり、変える必要のない個性です。まず私たち自身がHSPであると自覚すること、そしてそれを受け入れる環境があることが理想です。しかし、私たちが安心できる環境があるとはまだ言えません。非HSP の人達の何気ない一言が、HSP の普通を欠点に変えてしまうこともあるのです。私たちは人に気づかれにくい場所で取り残されていています。この文章を読んで、非HSPの人達が自分の周りにいるHSPの人達を意識して、「社会の普通」を考え直す機会になったら嬉しいです。

 

 

福水実歩 日本たばこ産業株式会社

 

あなたが今、見えている範囲は、どこからどこまでの間ですか。いったい何の質問だろう、そう思う方もいるかもしれません。しかし、SDGsにおける「誰ひとり取り残さない」ということを考える上で、自分の視野や視座について正しく知ることはとても大切なことであると考えます。「取り残される人」の視点でものごとを考えるためには、まず自分の視点について、私たちみんなで知っていく努力をしなければなりません。
私も、マイノリティとしてたくさん「取り残されている」と感じてきた身です。障害者手帳を持っていて、中学校・高校にはまともに通えず、無意識の偏見に日々晒され続け、今も苦しい思いをしています。また、家父長制によるジェンダーロールの押し付けに苦しむ女性であり、最近では自分がセクシュアリティにおいてもマイノリティであるということに自覚的になりました。しかしその一方で、「取り残してしまった」と感じる瞬間もたくさんあります。自分自身についてよくよく考えてみると、大卒で、首都圏に在住し、正規雇用者であり、文化的・経済的なマジョリティです。また、日本に住む日本人という意味において、この国における民族的マジョリティです。もちろん、今挙げたものの他にももっとたくさんあるでしょう。
私は言ってしまえば、マイノリティとして社会全体の視野から外れている存在です。世間一般のあらゆるものは健常者向けにできていますし、意志決定層にいるのは今もほとんどが男性です。また、結婚して子供を持てることは当たり前だとされていますし、他にも社会のあらゆるものが私に息苦しさを与えています。その一方で、私自身が視野から外してしまっている存在もたくさんいるはずです。食べ物に困らなくて当たり前、住む家があって当たり前、大学に行けて当たり前、就活できて当たり前、電車に乗って移動できて当たり前……何より、私は今このような場で文章を書けるだけの様々な「当たり前」を持っています。このような長い文章を書くために必要な最低限の文章力を学校で身につけることができていて、それをパソコンで打ち込み、応募することができます。そもそもこのコンテストを知ることができたのはインターネットにアクセスできる環境があったからです。また、生活にある程度の余裕がないと条件がそろっていても応募する気になれないでしょう。これらは、本来は全く当たり前のことではありません。よく「隣の芝生は青く見える」と言いますが、自分の家の芝生はどれくらい青いのかということについては誰も意識しません。自分の家の芝生の青さを正しく認識した上で、他人の家の芝生を眼差す必要があります。
話を冒頭の視野の話に戻します。同じ範囲を見るのでも、視点が違えば見え方も変わります。例えば、同じ町を見るのでも、丘の上から見た景色とふもとから見る景色では違うでしょう。また、視点だけでなく自分がどのような存在として周りと関わっているのかということも重要です。鳥になって空から街を眺めるのと、地べたを這うアリになって雑草の隙間から街を見上げるのでは意味が全く異なってくると思います。自分は、どこの場所から、どのように見ているのでしょうか。その視野に入れていない人は誰でしょうか。
自分ばかり見ていても、自分のことはわかりません。そして、一人の人間の見える範囲は限られている、というのは動かしようのない事実だと思います。そこで視野を無理やり広げようとするのではなく、まずは今自分がどこの視点に立ち、どのような景色を見ているのか。逆に、どこが見えていないのか。そこを正確に把握する必要があります。無理やりわかり合おうとして、わかった気になるのではなく、むしろ「分かり合えなさ」を共有する。そして、自分の見えない部分である「死角」を認めた上で、そこについては想像力を働かせ、補う必要があります。
では、その「想像力」はどのようにして働かせればよいのでしょうか。以前、英語が得意な友人が教えてくれた言葉にempathyという単語があります。empathyは単なる共感であるsympathyと違い、相手を想い、相手に自分を重ねあわせ、相手のシチュエーションを理解することで「気持ちを分かちあう」ことだそうです。今、私たちに求められているのはまさにempathyをする力だと思います。取り残された人に対し他人事として「かわいそう」と共感して終わるのではなく、これが自分だったら、と相手の置かれたシチュエーションを自分事として捉え、一緒に解決の方法を探る。
現在は、マイノリティ側が助けを求め、マジョリティ側が共感の度合いに応じてそれに応えるという図式になってしまっていると思います。しかし、もう従来のやり方では通用しません。自分の視点をきちんと把握した上で、他者の視点に「なり込む」。これは、取り残された側が頑張ることではなく、取り残してしまっている側の責任なのではないでしょうか。

 

 

廣瀬日乃 東京高等学校 2年生

 

「毎日つまらない」「生きるのだるい」

 私は日本で16年間生きてきて、こういった言葉を何回聞いたのだろう。その中には、過去に自分が発した言葉もある。しかし最近、このような言葉を耳にするとなんとも表現し難い気持ちになる。自分が特段に恵まれていることに気が付いたからだ。といっても私は大富豪でも、頭脳明晰でも、容姿端麗でもない。しかし、自分の「生存」に不安なく日々を過ごすことができることは本当に、本当に幸せなことだと分かったのだ。今この瞬間も何人の人が貧困に苦しみ、銃撃に怯え、自分の「生存」を強く願っていることか。理不尽に国際社会から取り残されて亡くなった人々は、何を思いながら死んでいったのか。こんなことを考えていると、毎日が退屈だとか、生きるのが面倒だとか、口が裂けても言えない。心に浮かびもしなくなった。ただ彼らの心のうちを想像して肩を落とし、自分は幸せだとぼんやりと思うことしかできなかった。

 では、人々を苦しめている原因は何か。苦しんでいる人を「取り残している」原因は何か。私はいくつかの国際問題とその原因を見ていく中で、自分自身も加害者になりうる、既になっているかもしれないということに気が付いた。この気付きを説明する上で、「無知」というキーワードを挙げたい。私は、無知は人々を無意識的に加害者に変貌させてしまうと考える。無知は恐ろしい凶器だ。時に、ナイフよりも鋭利な刃となって人々に襲いかかる。もちろん直接ではない。自分の無知、またはそれに伴う行動によって、地球の裏側の誰かを苦しめているかもしれないということだ。

 貧困問題における支援を例にする。豊かな人々はしばしば貧しい人々に対して衣類などの物資を寄付する。それらが届けられる先が難民キャンプなどの臨時の住居地であったなら、この寄付は有用なものだろう。しかし物資が届けられる先が現地の人々が各々の生活を営む地域だったらどうだろうか。もしも衣類の支援物資が届く地域に衣類を手で編み売ることで生活している人々がいたならば、間違いなく彼らのビジネスは衰退するだろう。無料の支援物資、または安価に再販される商品に対抗することは難しいからだ。すると、今まで生活ができていた人々までを貧困に追いやることになる。もちろん寄付した側(個人)は自分の寄付が現地の生産者を苦しめるなど夢にも思わないだろう。むしろ「貧しい人たちの助けになれば」と思って寄付をしたはずだ。この”善意”が人々を苦しめる”凶器”に変貌した理由は「無知」であると言える。豊かな人々の「無知の支援」は、時に貧しい人々の問題を悪化させるのだ。善意が凶器になるというのは、あまりにも悲しい。私は自分もそれに加担し得るということに気が付き、ゾッとした。こういった例は、実際にはもう少し複雑な過程があるのかもしれない。だが、問題は寄付をする人々の中にここまで考え、知ろうとする人はどのくらいいるのかということだ。他にも無知が招く問題はたくさんある。こういった事態を避けるためには、「知ろうとする姿勢」が重要だと思う。「無関心」が無知につながる一番の原因だ。「遠い国の問題や紛争は自分には関係ない」と何も知ろうとしないことは大問題だ。また、何も知らず、知ろうとせず、寄付だけするのも無責任だと私は主張したい。自分が寄付をするときは、その寄付が具体的にどういった形で届けられるのか調べてみて欲しい。

 日本は、たくさんの国との繋がり、国際社会の上で成り立っている。遠い国の石油や天然資源、農産物を使わず、食べずに生きている人はほとんどいないだろう。国際社会からの恩恵を受け、授け生きている私たちには、国際社会の問題を知り、どうしたら解決できるか考え続ける責任がある。問題の根源は何か社会に問いかける権利がある。自分たちの豊かさと国際問題は表裏一体だということを理解する必要がある。

 私は、人間という括りに国家も宗教も民族もなんら関係し得ないと信じている。肌の色が違っても、住んでいる国が違っても、考え方が違っても、たとえ一生出会うことがなくても、私とあなた、私と彼らの間に違いなんてないと強く信じたい。私たちは私たちだ。これは言語や文化、価値観の話ではない。誰もが必死に今日を生きようとしているという事実、自分の「生存」を強く願っているということに違いはないということだ。平和ボケした考えだと思われるかもしれない。そう思ったならば、試しに地球儀を眺めてみてほしい。そこには「世界はひとつだ」という紛れもない事実があるはずだ。

 冒頭で、「ただ彼らの心のうちを想像して肩を落とし、自分は幸せだとぼんやりと思うことしかできなかった。」と言った。でもそんなことはなかった。私たちが「知ろうとすること」そして「世界はひとつだということ」を意識すれば、必ずより良い未来がやってくる。これをもって、「誰一人取り残さない」ための日本社会への提言とする。

 

 

菊地智代 横浜国立大学1年生

 

取り残される人、この言葉を聞いて私は小学生の頃のことを思い出した。私はよく取り残される子だった。体育の授業の時や理科の実験の時、先生に二人組やグループを作ってと言われた時によく取り残されていた。だから先生の「好きな人と組んでいいよ」の言葉が怖かった。私は何かわかりやすくハンデを持っているわけではない。ただ人よりも少しコミュニケーションが下手で少し引っ込み思案な子だったのだ。学校という小さな社会の中で取り残されるということは苦痛に値する。周りからの視線、場の空気、気まずさ、なんだかそこにいてはいけないような気分になる。いわゆる思春期を迎えつつあるころで何よりも周りを気にしがちな時期だろう。それに耐えきれずに学校に来なくなってしまう子もいるのではないだろうか。私も何度も学校に行きたくないと思い、悩み、口に出したこともある。しかし、これは何かわかりやすく人と違うのではなくて、ただ自分の気持ちや性格の問題だと考えてしまいがちである。私もそうだった。人に言えずに抱え込んで一人になって取り残される。この状態は果たしてSDGsの目標を達成しているといえるのだろうか。もしこの思いを抱えて学校に来られなくなってしまったら教育をみんなにという目標は達成されなくなる。さらにこの状態は心の健康という面でもよくはないだろう。SDGsの目標は貧困や障がいなどの人と違うところがあったり、それによって満足な生活が送れない人のために作られていると思いがちだが、みんなが何かしら他人と違うところを持っていてそれを補っていくことも達成には必要不可欠なのではないだろうか。
 では私のような性格などの気持ちの問題によって取り残されてしまう人にはどのような支援が必要なのだろうか。私は友達など周りの人のやさしさと気づきだと思う。私が小学生の時は自分から声をかけることができなくても人から声をかけてもらえるのはすごくうれしかった。物理的な問題ではなく感情的な問題だからこそ周りの人のやさしさという気持ちの支えがこの問題の解決につながって、取り残される人を一人でも減らすことができるようになると思う。さらに、声掛けという支援はだれにでもできることだ。きっと私と同じように取り残されていると感じている人は見えないだけでたくさんいるのではないかと思う。もしそう感じていなくても人からやさしさのこもった声をかけてもらって嫌な思いになる人は少ないだろう。かつて自分から声をかけることができず友達に声をかけてもらうのを待つことしかできなかった私も、このことに気づいてからは初めて会った人だとしても積極的にコミュニケーションをとろうと心がけるようになった。
 取り残される人は意外と身近にいる。その事実に気づいてほしい。目に見える違いがあるわけではなく心の中にひっそりと取り残されることの寂しさや不安を抱えて生きづらいと感じているかもしれない。それが心の健康を害したり、教育に機会を奪ってしまう前に、気づいてやさしさの声掛けができたのなら取り残される人を減らすことができるのではないだろうか。

 

ナガノヒナコ 上智大学1年生

本当の意味での「誰一人取り残されない」ってなんだろう。

 SDGsの理念に含まれている「誰一人取り残されない」という概念。この言葉を耳にするたびに私は疑問を覚える。誰の目線から、どの角度からこの言葉を発しているのか、私にはわからないからだ。SDGsには17個の目標があって、全て達成出来ればどれほど生きやすく、理想的な世界ができるのだろうか。考えるだけでわくわくするのはわたしだけではないだろう。しかし、現在のSDGsにはカバーできていないものがあると私は考える。名前をつけるとすれば、「すべての人に心のよりどころを」である。私は「だれひとり取り残されない」社会には貧困の連鎖を断ち切ることや、ジェンダー平等の実現だけではなく、心の居場所を提供することも必要だと思う。

 2021年、ジェンダー論が問題視され始めているし、オリンピックによって国同士のパートナーシップ制が高まりつつある。しかし、今現在も孤独を感じている人は少なくない。いじめ、ハラスメント、虐待、民族問題など、理由は様々だが頼れる人がおらず、居場所を探し続けている人は数えきれないほどいる。実際私の友人にも親から虐待を受けたり、バイト先でいじめを受け、退職に追い込まれたりした人がいる。そんな話を耳にするたびに心がとても痛くなる。

 では今私の文章を読んでくださっているあなたは、孤独を感じ、心のよりどころを探し求めた経験がありますか?
きっと多くの人はこの質問に首を縦に振るだろう。いじめの被害にあったことがなかったとしても理由もなく寂しくなったり、マイノリティー集団に所属する自分にひけめを感じてしまったりした経験はあるのではないか。しかし、誰もが人生のなかで経験する孤独のほとんどが解決可能なものである。例えば、家庭内暴力をうけているため、家庭に居場所がない女性は専門機関に相談することが出来れば解決の兆しは見えるし、学校に居場所がない学生は先生やカウンセラーの手を借りれば、少しは気持ちが楽になるのではないか。また、最近よくニュースで取り上げられているジェンダー問題に対して、私が学んでいる上智大学では、現在建設中の新校舎にジェンダーレスなトイレができる予定だ。このように、解決策のある問題を放っておくことは許されない。そして、この「心の孤独問題」はもっと問題視されるべきなのではないだろうか。

 では、どうすればこの課題が解決できるのであろうか。もちろん、行政機関がより活発に動き、国民がSOSを出すことができる場所を提供することも、大切であろう。だが、それよりも大切なことは、私たち国民1人1人の意識を変えていくことであると思う。

 「やさしい気持ちで手を差し伸べる」
簡単そうに聞こえて、本当に難しいことだ。実際、ヘルプマークをつけて、助けを必要としている人同士が電車で席を譲り合っていたり、会社で信頼している上司にハラスメントの相談をしても、まともに掛け合ってもらえなかったりと、空い事実は溢れかえっている。世界で生きる人々が優しい気持ちを持ち、助けを求めている人に手を差し伸べるだけで、どんなに素敵な世界が見えるだろう。

 私は高校生のための教育系学生団体を運営している。私の団体には家庭の事情で通塾が不可能だったり、家庭環境が悪く相談できる人が少なかったり、文字通り「居場所がない」学生が集う。現場に立ち初めて気がついたことは、彼らが必要としているのはお金でも制度でもないということだ。私が差し伸べる手が、彼らの原動力になっているのだと痛感する。そして、「あなたの言葉が私を救ってくれました」「居場所を作ってくれてありがとう」そう言われると、私まで居場所ができたような気になる。

 
 誰一人残されない世界の実現にはこころの孤独を感じる人を1人でも減らすことが必要だ。言ってしまえば理想は、ゼロにすることだ。そして、そのために「優しい気持ちで手を差し伸べる」ことが必要不可欠である。居場所作りは17の目標に入っていないものの、SDGs達成のために欠かせない項目であるに違いない。

 さて、皆様も「すべての人に心の拠り所を」に値する行動をとってみてはいかがだろうか。お年寄りや障がいを持つ方に公共交通機関で席を譲るだけでも、悩みを相談してきた部下や親友に優しく手を差し伸べるだけでもいい。きっとあなたも助けた相手に救われる。居場所を見出すことができる。

 今のあなたの行動が、世界を変えるのだ。誰一人取り残さない、そして、取り残されない社会を目指して。

 

加藤大智 横浜国立大学 2年生

 

 取り残される人の視点でSDGsを考えることにどのような意味があるだろう。SDGsの重要な理念が「誰一人とりのこさない」ことであるとよく説明される。「2030アジェンダ」では様々な場面で「誰一人取り残されない」で持続可能な社会を実現することが大切だとしていて、受身形で書かれている。そのため、SDGsを考える上で、自分が取り残される立場になりうることを踏まえて、「誰一人取り残されない」社会をどうやって作るかを考えることが重要であるということがわかるため、取り残される人の視点で考えることこそがSDGsを考えることである。今回は私の視点から社会からどのように取り残されるか考える。
 私は今大学2年生で、学童でバイトをしている。大学では部活動に励み、同年代の友達に囲まれ、学童では小学校低学年の子供たちやそこで働いている20代から50代の方々と時間を共にしている。このように私の生活を振り返ると年配の方々と接する機会が他の年代の人々と比べて極端に少ないと感じる。
 私が理想とする誰一人取り残されていない社会は個人個人の属性(年齢、出身、性別など)で断絶されることなく、皆が交流し共に協力しあって生活する社会である。この理想と比べたとき、今の社会は年齢、世代によって隔絶が起きている社会ではないだろうか。医療が発達し、さらに寿命が延びることが予想されている今日、年代による隔絶は、誰一人取り残されない社会の実現にとってより大きな障害になることが予想される。これから、取り残される人を全員(年配の人々とそれ以外の人々がそれぞれから取り残されている)と考えて書き進めようと思う。
 私がまだ小学生だった頃、年配の方と交流する機会は、銭湯に行った時や商店街で買い物をしているとき、祖母の家に行った時だった。小学4年生の時、家のお風呂が壊れて毎日銭湯に通っていた。そのとき常連のお爺さんと仲良くなり、その人から入り終わった後に将棋を教わったり、銭湯のテレビで一緒に野球を見たり、たまにニュースで過去を振り返るコーナーが流れるとその頃の体験を私に話してくれた。商店街の豆腐屋にお使いにいっているときはいつも声をかけてくれて、時にはおまけをしてくれたり、通りかかっただけでも「学校どうだった?」とか声をかけてくれた。祖母の家に行ったときも、家の通りの人は皆顔馴染みで挨拶したり、ときには遊びにいったりした。しかし、中学、高校、大学と歳を重ねるにつれて、銭湯にいかなくなったり、豆腐屋が無くなったり、祖母の家にいく頻度が減ったりして、年配の人が近くにいなくなった。家の回りを歩いていても、世代毎に隔絶されていると感じることが多くある。お昼には、幼稚園から子供の声が聞こえたり、近所の雀荘を覗いてみると年配の方々が集まって麻雀を打っている。
社会は全世代の人で作られている。近年、シルバー民主主義と表現され、若者が不満をもっているのも、若者の「我々」の中に年配の方々が含まれていないからだ。若者の「我々」から年配の人が排除されてしまうのは、身近にいないからだと思う。
 また、年配の方々が「最近の若者は」と言いがちなのは、最近の若者を肌感として知らず、切り取られた形でしか知らないからだろう。
 私は、年配の方々と若者が一緒になにかをするという機会を増やしたい。そして、年配の方々の考え、経験談をもっと聞きたいし、それを「老害」などと切り捨てず尊重できる社会にしたい。機会を増やすため、今の両者が場所で隔絶されていれ交流できない状態を変えたい。まずは個人レベルでの日常的な交流が活発になることが第一歩だ。そのきっかけを作りたいと思う。私は、年配の方にスマートフォンを学んでもらい、SNSを活用して、今年配の方だけで行われているサークル活動をオープンなものにしたい。ゲートボールやボーリングなどのサークル活動を一緒にして、その後一緒にご飯を食べたり、お酒を飲んだりすれば、両者にとってこれまでにない新しい学びがあるだろうし、それによってお互いが理解し合えば、若者と年配の方の両方が含まれた「我々」の意識が形成され、隔絶がなくなって行くだろう。もしかしたら、年配の方がオンラインゲームを始めてそこで新しい交流が生まれる…何てこともあるかもしれない。そのために、まずは近所の公園でやっているゲートボールサークルなどの年配の方々のサークルの出向き、実際に交流し、上記の活動を行って、自分自身もSNSを用いて情報発信することで同士を増やして交流の輪を広げていきたい。ボランティア等という形ではなくフラットな形で交流したいと望む若者は潜在的にいるはずである(身近でもおばあちゃん子、おじいちゃん子は多い)。そうやって、隔絶をなくすなどという余計な意思を持たずに、自然に交流の機会が増えていく、そのきっかけを作りたいと私は思っている。

 

稲田優美 早稲田大学

 

去年の3月、大学の入学式の中止が決まり、初めてコロナの影響力を実感した。そして、自分が思い描いていたキャンパスライフとは無縁の大学生活が始まり、パソコンに植え付けの日々が続いた。そんな中、小学校や中学校、高校、そして専門学校に通う人はみんな学校に行くことができているのに、どうして私たち大学生だけが制限されなければならないのかと思うことが多かった。私たちだけが取り残され、排除されている気がした。

去年のコロナ過で誰もが孤独を感じたと思う。一人になった時に感じる無力感、寂しさ、そして自分だけが取り残されることに対する焦燥感。しかし、私はそこで気づいた。コロナ以前も、自分が当たり前に感じていたことは、当たり前でなかった人々がいたことを。そして私は海外にいた頃ある授業で見た映像を思い出した。それは、武器を平然と持つ少年兵の映像だった。今でも世界では紛争が続いている地域が多数存在し、そこでは子どもに関わらず、人々は自分の意志を無視され、戦いを強制されている。少年兵の子どもも、多くが拉致され、武器を持たされ、戦うことに何も感じなくなるほど洗脳され、子どもとして与えられる基本的な権利を奪われている。小学生だった私は当時、衝撃を受けた。何の罪もない自分と同じ子どもたちがどうして、このような目に合わなければならないのかと。自分と同じ学校にいれば日々一緒に遊び、学ぶ仲間であった子どもたちが、環境が違うだけでどうしてこのような目に遭わなければならないのかと。まだ幼かった私、ただ友達と遊ぶことが楽しいと思っていた私は当時、そう感じた。そして今の私は思う。少年兵以外でも、多くの子供たちが学ぶ機会を与えられず、日々必死に暮らしているのだということを。小さな体では抱えきれないほどの恐怖、そして困難に立ち向かいながら生きている。目の前のことだけ考え、生きることに精一杯である。このことを考えると、孤独が寂しいと感じられるほど余裕があった自分がどれだけ恵まれているか、痛感する。

人生は選択の連続だ。何を食べるか、誰と過ごすか、そして何をするか。私たちが日々立ち向かう選択は言ってしまえば、決める権利は私たちにある。そして私たちがとった選択で人生が変わってゆく。しかし、この選択をする力は生まれるまではない。誕生する瞬間までこの選択する力は私たちには与えられていない。だから、私たちがどこの家庭に生まれるかは選択することができないのだ。紛争地域で生まれるか、豊かな街で生まれるか。これだけは私たちに決めることはできない。ニュースで見る遠く離れた国の出来事、無関係に感じてしまう出来事も私たちが経験していたかもしれない。

今までの私は紛争地域の報道を見ても、ひどいことが起きているな。かわいそうだな。そう思うことしかなかった。そして、きっと誰かが助けてあげるのだろうと、思うばかりであった。しかし、大学のある授業で講演をしてくださった方の言葉、『誰かが平和を創っているから、今平和を享受している』というのを聞いて、自分がその誰かになれること、そして、なることで少しでも多くの人が心に余裕をもち、生きていることを幸せに思ってもらえるきっかけづくりができるのだと感じた。

この広い世界の中で、不平等をなくすことは難しいかもしれない。でも、難しいからといって何もしない人にはなりたくない。自分ができることから、始めていきたいと思う。誰でも苦しんでいる人々を身近に感じることができれば、手を差し伸べたいと思う気持ちが自然と生まれるのではないだろうか。『誰一人取り残さない』世界を目指そうと思えるのではないだろうか。

 

 

鵜飼桂子 早稲田大学2年生 9月から留学

 

大学に一歩も踏み入れることなく終わった学部一年目とは異なり、友だち作りに苦戦している学部一年生の姿がメディアで取り上げられることはなくなった。しかし、学部二年生になってもなお、友だち作りに苦戦している友人の話を聞いた。「気づいたときにはもう取り残されていた。」彼女はそう教えてくれた。SNSで知り合った人と会ってはいけないという教えを守りSNSでの新歓を行っていたサークル活動に参加しなかったが、対面授業が再会されたころには既に周りで友だちの輪はできあがっていた。オンライン授業のときよりも周りに人がいるはずなのに、孤独を感じる。「けれど他の(取り残されている)人に比べたら自分はまだ良いほうだから…」と彼女は恥ずかしそうに言った。自分のコミュニケーションの能力が低かったから、自分がSNSを活用しなかったから、と責めているようだった。彼女は、友だちができないこと・できにくいことに対して声をあげても、被害者づらをしていると冷やかされる可能性を感じている。
友だち作りに苦戦している学部二年生は、彼女だけではない。私が所属している登山サークルでは、今年度の入会者の約半分が2年生という例年とは大きく異なる新歓になった。また、私自身が新歓を担当した自転車サークルでも2年生入会の問い合わせを多くいただき、新入生のように、新しいコミュニティを求めている学部二年生が多くいることを感じた。私自身、大学でできた友人のほとんどがSNSや、SNSを通じて参加したサークルで知り合った人たちであり、彼女のように「SNSで知り合った人と会ってはいけない」という教えを忠実に守っていたら、現在のような大学生活は送っていなかっただろう。大学では対面授業が徐々に再開されたことにより友だち作りへの影響も薄れてきたかと思えたが、だからこそ「取り残されている」人の存在が見えにくくなっている。彼らは世の中で「最も取り残されている人」ではないが、取り残されることを望んでいる人は誰もいない。
こうした状況のなかで、誰も取り残さないために私にできる行動は何か。今年度、二年生入会が極端に多かった登山サークルでは、「誰もがいやすい場所にする」というのがモットーである。久しぶりにサークル活動に参加した人でも違和感なく馴染める雰囲気にしたい、という想いをサークル員全員が共有している。自分自身、親しみやすい雰囲気作りをするようになり、学部二年生の入会者には積極的に「敬語で話さなくていいからね」と伝えたうえで、遊びに誘うようになった。「友だち」を提供することはできなくても、彼らが新しいコミュニティに参加したいと思ったときに、馴染める雰囲気を作っておくことは一助になると思う。
通っている大学では、2020年度入学者向けに入学式が行われた。学部長は「入学おめでとう」の代わりに「大学にようこそ」と仰っていた。小さいけれど、そのような発言や行動から、私の友人は心に余裕が生まれるのかもしれない。コロナ禍で取り残された学生とのギャップがどんどん開くことがないように、来るもの拒まずの精神でいたい。

 

熊木秀佑 東京学館浦安高校

 

黒人やアジア人に対する人種差別問題が日本で表面化し始めた。その要因として政府や社会団体による取り組みももちろんだが、実際に体験した者の生々しい声が大きく影響していると考えていいだろう。例えば、大阪なおみさんの行動に代表されるブラック・ライブズ・マター運動である。その運動の活発化とアジア人がコロナウイルスによる影響で差別され始めた結果、多くの日本人は”取り残される者”に対して浅薄な理解を示し始めた。理解しようとするだけ良いと考えるかもしれないが、差別には直接関係を持たない”第三者”のその浅い意識は、差別を他人事として捉えるため、彼らを取り残すことを助長する脅威であるのだ。もちろん、”取り残される者”の理解でさえしようとしないため差別に関心が全く無い者も脅威である。こうして、”取り残される者”は、差別に関して薄っぺらい知識を持つ”第三者”と、無知である”第三者”との二つの脅威の板ばさみに遭う。そこでの差別の理解者は少数過ぎてほぼ無力に等しい。では、どうすれば”取り残される者”を脅威から救出し、”第三者”全員が彼らを理解できるようになるだろうか。もちろん、第一の段階としてブラック・ライブズ・マター運動などの言論による訴えも必要であるが、言葉で伝えられることに限界があるため、先述の通り、不十分な理解になってしまう。大阪なおみさんに関する差別問題は、彼女の日本人ファンが多いから日本に広まったのであろう。しかし、他の人種差別問題はどうだろうか。ヘイトスピーチを受けた人の被害を彼ら自身の言葉で、翻訳なしに直接聞いたことはあるだろうか。 それはどんな差別問題も同様で、差別被害者から、「私は差別されている!」と直接の訴えをされたことはあるだろうか。このように、言葉で差別を表現することはそもそも表現がしづらい上に、表現できたとしても理解するには翻訳や時間を要することがある。そのことから直接性や緊急性に欠けてしまって、”第三者”は内容を完全に理解できず、自分には関係ないと思ってしまう。そこに、言論の限界が見えてくる。
少し話は変わるが、先日、国語の授業で長倉洋海さんの『写真の持つ力』 という文章を読んだ。「写真は事実を私たちに伝えてくれるというより、私たちが写真をみて何を感じ、何に目を向けるべきかが問われているのではないか」この一文は私にとって衝撃的だった。写真は受動的理解でなく能動的理解を必要とする。そのことは、他の芸術でも言えるのではないか。芸術作品を見る時には、そこにある事実から伝えたいことを感じ取り、それを世界に応用すべきである。そこで、差別と芸術とを結びつけてみてはどうだろう。芸術は、言論とは違い享受するものの有している言語や住んでいる国に関わらないため、”第三者”へ直接的に短時間で伝わる。”取り残される者”が被害を受けている現状やその悲惨さを、ありのままに芸術に示すことで、”第三者”が差別を理解し、それを解決しようと行動する契機になるのではないか。
芸術の意義は多岐にわたる。写真や絵、音楽などであるがどの芸術表現でも差別の被害を表すには構わない。しかし、芸術に被害を表せたとしてもどのように広めたら良いかわからないかもしれない。そこで、SNSが活躍する。SNSは、芸術と同様に言語や国籍に捉われない拡散能力を持っている。ブラック・ライブズ・マター運動の活発化の引き金となったジョージ・フロイドさんの死も、自身も黒人でマイノリティーであるというダルネラ・フレイザーさんの撮影によってSNSで広まった。要するに、取り残されている状況を言論で伝えるだけでなく、それを可視化し”第三者”に訴える行動を取ることで、彼らの理解につなげることが重要だ。
“第三者”は、意外と近くにあるが、他人の身に起こる差別を完全に把握することは難しいと思うかもしれない。だが、”取り残される者”の芸術やSNSに反応した上で、自分に何ができるのか、何に目を向けるべきなのかを考える必要がある。もちろん、差別をする者の更生も大切であるが、”取り残される者”を脅威から救出するには、その両者だけでなく、大多数の”第三者”の理解と行動が何よりも大切である。その意味で、もう”第三者”とは呼べない。全員が、”当事者”だ。私自身は、まだ高校生ということもあり、なかなか行動に移せていないが、大学に入学したら差別被害者のためのコミュニティを開いている団体に所属したい。その中で今回のような、文章で”取り残される者”に対する考えを書くコンテストだけでなく、上述の理由から、絵を主としたものも開催したい。『誰一人取り残さない社会』の実現を可能にするために。

 

屋嘉部遥菜 昭和薬科大学付属高校2年生

 

SDG’sの目標の一つである「誰ひとり取り残さない」。この目標が指す”取り残される人”とはどのような人々のことを指すのでしょうか。一般的にはLGBTQ+の人々、障害者、貧困層の人々…。これらの人々がすぐに思い浮かぶのではないかと思います。これらを見ると多くの人が「自分は該当していないから取り残されない」と考えるでしょう。しかし、実は自分でも気づかないうちに取り残されている人もいるのではないかと思います。
私には生まれつきPeters奇形という病気があります。この病気になると目の角膜という部分自体が濁ってしまうので、眼鏡やコンタクトで視力を矯正することができません。この病気のために私は弱視という障害も持っています。しかし私の症状は比較的軽い方なので、周囲の人に助けてもらいながらですが健常者と同じような日常生活を送ることができています。
例えば学校生活。黒板が見えづらいため一番前の席に固定してもらったり、字の小さいプリントを拡大コピーしてもらうなどの様々な手助けをしてもらえるので、あまり不自由さを感じることなく過ごすことが出来ています。そのため、私には自分が障害者であり、周囲と違うのだという自覚はあまりありませんでした。
ですがコロナが蔓延して以降、私も実は取り残される側なのではないかと考えさせられるような出来事がありました。
それはコロナが世間で注目を浴び始めた頃の体験です。あの日、私はいつものようにスーパーで買い物をしていました。惣菜を物色しながら歩いているとふと自分に向けられる冷たい視線に気が付きました。周りの人々が怪訝な顔で私を盗み見みしていたのです。その場にいる事が気まずくなり、買い物もそこそこに私は店から出てしまいました。
なぜ私は人々から非難の目を向けられてしまったのでしょうか。それは私が商品名や商品の値段を確認するために商品棚に顔を近づけたり商品を手にとってラベルの記載を確認していたからです。その当時は感染拡大を防ぐためになるべく商品を手に取らないようにする旨が連日のニュースで伝えられていました。近くで買い物をしていた人達には、私の行動はまるでウイルスを撒き散らしているかのように見えて不快に感じられたのでしょう。
この出来事から私は初めて社会から理解されないという疎外感と強い悲しみを感じました。眼鏡をかけているのに目が悪いという人がいる事を認知している人はほとんどいないでしょう。私の行動が受け入れられなかったのもそのことから考えると当然のことです。
このコロナによって、社会や周囲の状況次第ではいつでも取り残される側になる恐れがあるということを実感しました。そして、私は誰しもがこのような状況になる事があると考えています。「誰ひとり取り残さない」、この目標は誰にとっても他人事ではありません。一人ひとりが当事者であるという認識のもと目標達成の為に取り組まなければいけないのではと思いました。
そのために大切なことは最初からこうだと決めつけずに相手の状況を想像することだと思います。例えばマスクをつけていない人を見つけた時に、すぐに嫌な顔をしてその人をわざとらしく避けるのではなく「何かつけられない事情があるのではないか」と想像してみるなどです。そうするだけでその人はずっと過ごしやすくなると思います。
まずは相手の状況を想像する、あの日私が感じた嫌な思いをする人を一人でも減らすために私はこのことを実行していきたいと思います。

 

 

春日明日希 無所属

 

「そんなことみんなが経験することだよ。」
何度、そう言われてきただろうか。
オンライン授業で始まった大学生最後の春。早めに始めた方が良いという就職活動も始めて早4ヶ月、嫌気がさしていた。繰り返されるオンライン面接。内定が決まっていく友人。内定が決まらず、音信不通になる友人。孤立していく世の中の流れに自分も流されているのが分かっていた。
6月に内定の出た会社に就職を決めたのは、もう抜け出したかったからだ。毎日、悪夢にうなされ、目覚め、未来の自分を想像して怖くなることから単に逃げたかったのだ。しかし、内定を承諾した私には、さらに、オンライン研修が待っていた。私の心の闇はどんどん大きくなっていった。自分が何者なのかもわからなかったからだ。大学に一歩も行けていないのに、大学生なのか。アルバイトで正社員並みに働いているから、社会人なのか。私はどこに向かっているのか。永遠に負のループの中にいた。春になったら、私は、会社に捕まってしまう。そんな風に考えた頃には、自分の心はボロボロになっていた。いわゆる「就活鬱」である。「そんなことみんなが経験することだよ。」慰めるために放たれた言葉に、返って私は傷ついた。「そんなこと」のためにこんなにも胸が苦しいのか。「そんなこと」のために死にたくなるのか。「みんなが経験していること」に私はなぜ耐えられないのか。精神科に行っても、同じようなことしか言われなかった。少しでも自分が傷つかないように、多くの時間を睡眠に当てた。眠っている間は、誰にも傷つけられなくて済む。自分に嫌気が差すこともないから。そんな私の変化に気づいた姉に言われた一言が今でも心に残っている。「逃げてもいいんだよ。」その時、ずっと喉の奥に溜まっていた涙が止まらなかった。
内定を辞退した私は、今、カウンセラーの勉強をしている。まだ、身近の人の悩みを聴くくらいしかできないが、自分を苦しめないで生きていられる。洋画を見ると、ほとんどの人がジムにいく感覚でカウンセリングに通っている。「今日、昨日よりも気分が落ち込んでいる。」小さなことでも良い。自分の気持ちを自分が認めてあげられるように、カウンセリングの力を借りられる日本になってほしい。心を病むことが異常なことではなく、心が病んだ人が心を癒す環境が得られないことが異常なことだと気づく日本であってほしい。私は、気持ちが落ち込んだ人を取り残したくない。みんなに「大丈夫。」と温かい笑顔を与えられる人になると決めた。

 

 

加藤宗一郎 横浜国立大学 3年生

 

 Leave No One Behind. 「誰ひとり取り残さない」というSDGsの基本理念はSDGsの取り組みとともに知られているだろうか。両方知っていたという方はどれ程いるのだろうか。以前から当然理解していたと言いたいのだが残念ながら無理だ。最近までこの基本理念の存在を私は知らなかった。というより、目にしていたとしても気に留めなかったのかもしれない。
 SDGsといえば以前の私は、フードロスの削減や、再生可能エネルギーの推進を思い浮かべていた。大学に入りSDGsに関する講義も多く受けるようになったため、今では「飢餓をゼロに」や「ジェンダー平等を実現しよう」、「気候変動に具体的な対策を」といった17のゴールも脳裏に浮かんでいる。また丁度この頃から、日常には17のゴールが商品やサービスのアピールポイントとして出回るようになった。SDGsに配慮している商品やSDGsに貢献する企業のホームページには大抵このマークがある。就職活動を視野に入れ、企業のホームページを閲覧するようになってその実感は増していった。国内の関心は、SDGsの具体的な取り組みだ。それは社会を見る限り断言できる。そしてその具体的な取り組みが、「基本理念」とは真逆にはたらいていると感じることがある。
 世界の流れを受けて国内でも昨年の7月からレジ袋が有料化された。これは海洋プラスチック問題やごみ問題、さらには利用者のマナーを社会へ問いかけている。そういう意味でSDGsとも関わりの大きな取り組みだ。「レジ袋を断り、マイバックを持参する」この行動がSDGsに貢献すると誰もがそのように思っているだろう。その頃から多くのモノの素材がプラスチックから他の素材へと変化していった。人々はプラスチック製品を極力控えるようになったのだ。実際それらの行動には意味があるのだが、私はそこにある種の不安を覚えた。———あなたの回りでは「プラスチック=悪」とみなす動きが現れていやしないか。———考えすぎかもしれないが、私の身の回りでプラスチック製品を購入する人への冷たい視線を何度か見たことがある。断っておくが別にプラスチックを大量生産・大量消費して良いと私が思っているわけではない。ただ何らかの事情でプラスチック製品を購入せざるをえない状況に立たされているのかもしれないと考えてあげて欲しいと思う。プラスチック製品を購入する人へある種の差別的な目を向けるのは、「誰ひとり取り残されない」社会の実現にはならないはずだ。
 プラスチックは安価で丈夫で軽い。そのような性質から世界中で利用されてきた。しかし一度、海洋ゴミの影響を受けた海の生物が注目されると、身の回りのプラスチック製品が消えていった。移り行く時代の中でも、お金に余裕のある人ならば十分に対応できるだろう。しかしお金に余裕がない人はどうすれば良いのだ。冷たい視線を受けながらプラスチックを購入しなければならないのか。世間体を考え、家計を切り詰めて環境に配慮された製品を購入しなければならないのか。「プラスチック=悪」という世間のイメージが彼らを苦しめているのは間違いないだろう。つまり何が問題かといえば、環境志向がお金に余裕のない人々を苦しめているという現状だ。環境志向の世界から彼らは取り残されていく。それでもなおSDGsの目標達成のための行動と胸を張って断言できるだろうか。
 SDGsは大きく分けて2種類の目標からなる。MDGsを引き継ぐ開発アジェンダと、新たに加わった持続可能アジェンダだ。上記の例では持続可能アジェンダに関わる人々の行動が、SDGs全体の基本理念や開発アジェンダの足を引っ張る形となっている。プラスチック製品を購入する際の冷たい視線が私の思い過ごしであれば問題ないのだが、可能性として上記のような問題が起こりうる原因を考えてみたい。なぜSDGsのためを思った行動が、他の目標や基本理念と相反する結果を招くのだろうか。
 その返答として私が思うのは、SDGsの目標達成のために「個別の活動」へ注目が集まり過ぎていたのではないかという点だ。強く言うなら、SDGsの具体的な活動にばかり目が向いているから、お金に余裕のない人々を苦しめる結果を招くのだ。一つひとつの活動に酔いしれて、全体の基本理念を理解していないからこのようなことになってしまうのだ。SDGsは個別の対策で何とかなるようなものではない。互いが複雑に絡み合っているからこそ1つの共通した指標なのだ。その反省を踏まえれば、私たちがしなければならないことは自ずと見えてくる。そうSDGsの基本理念を広めることだ。まずは「誰ひとり取り残さない」という基本理念を、あなたの隣にいる人が知っているかどうか聞いてみよう。今日も1人へ、明日は2人と。そしてその輪が広がれば、SDGsの具体的な活動に注目してしまっている社会の風潮を変えることができるはずだ。決して難しいことではない。ただ聞いてみるだけだ。———あなたはSDGsの基本理念を知っていますか。具体的な取り組みだけで満足していませんか。———

 

杉山恵里奈 名古屋大学大学院 博士前期課程

 

喩えるならば,カメレオン。10代の頃の私は,自分のことを「必死で周りの人間の真似をしている“なにか”」であるような気がしていました。私は,小学校に上がる前から,自分と周りとの間に,漠然とした「違い」を感じていました。周りの友達が興味を持っているものや楽しんでいることが,自分にとってはそれほど面白いものに思えず,常にぼんやりとした違和感を覚えていたからです。
小学校に入ると,その「違い」は顕著に現れました。授業中,周りのみんなが簡単に理解できる理論や概念に対して,自分だけが首をひねることが多々あったのです。特に「向き」や「空間」の概念は理解が難しく,東西南北はおろか,上下左右や裏表すら怪しい始末でした。しかし,クラスのほとんどができていることを自分だけができないと言い出すことなど,当時の私には恥ずかしくて到底できませんでした。
また,反対に,得意なことでかえって恥ずかしい思いをすることもありました。授業中,得意な科目の問題を解くスピードが速すぎて,クラスメイトから気味悪がられたり中傷されたりしたこと。先生からも,もう演習問題のストックがないので残った時間は自習でもしていてくれと,いつも苦笑いされていたこと。こうした経験から,私は,周りと極端に違っていることは恥ずべきことだと思い込むようになっていきました。そして,中高時代は,周りと「同じ」ように振る舞うことにこだわり,全力を注いでいました。授業中にはクラスメイトのペースから極端に遅れたり早まったりしないように自分の授業態度を調整し,休み時間には周りの友達の好きなものやことを頻繁にチェックし,家でこっそり予習していました。みんなが好きなのは「カメレオン」の私であって,本当の私ではないのだと,時々やりきれないほどの疎外感に包まれていました。その苦しみは,時に登校することを拒絶するほどのものでした。

専門機関で検査を受け,自分の知能発達が「普通」と違う,いわゆる「非定型発達」だとわかったのは,20代になってからでした。端的に言うと,得意な能力と苦手な能力の差が極端に大きく,それが原因で「周りと同じようにできない」という生きにくさを抱えていたようなのです。例えるのであれば,前輪と後輪の大きさが極端に違っている自転車に乗って走っているような感覚です。大きい方の車輪に合わせて走ろうとすると,小さい車輪が「障害」となって転んでしまいます。一方で,小さい方の車輪に合わせようとすると,せっかくの大きい車輪を持て余してしまいます。つまり,非定型発達者が自身の能力を最大限に発揮するには,いわば「補助輪」のようなものが必要なのです。 しかしながら,非定型発達者を適切にサポートするような社会の土壌は,まだ十分ではないように思います。これは,「誰ひとり取り残さない」社会を目指す上で,大きな課題です。

人間が一人ひとり違う顔をしているように,脳の発達にも個性があります。そうした個性を考慮しないことは,教育現場や仕事現場などの様々な場面における「取り残し」につながる危険性があるように思います。もちろん,口で言うことは簡単ですが,実際に社会を変えるのは難しいことです。一体私には何ができるだろうかと自問を続け,出した答えは,発達に関する研究の世界へと身を投じることでした。今年の春,私は大学院に進学し,発達の個性に着目した研究を始めたばかりです。今の私はまだ,明らかに未熟者で,先生や先輩の助けをお借りしてようやく研究を進めています。しかし,いつか一人前になった時,「ニューロ・ダイバーシティ(脳の多様性)」の考え方が社会に広がるような発見ができたら,この上ない幸いだと考えています。人と違うことを恥ずかしいと感じるのではなく,むしろポジティブに捉えることができるような社会になることを,かつての私が心から望んだような社会になることを,私は願って動き続けます。

 

 

相川健太(仮名) 三田国際学園高等学校3年生

 

私は他人に比べ裕福な生活を送ってきた。私は特別障害を持っているわけでもなく、小中高と学校に楽しく通えている。アレルギーなどは無く好きなものが食べたければコンビニで買い、欲を満たす。手足に何らかの不自由さはなく、幼い頃から大好きだったサッカーを10年続けることもできた。高校生になると留学にも行かせてもらった。とりわけ人種差別をされることもなく、人並み以上の幸せな日々を送ってきた。そんな中、インターネットで小論文コンテストを探していると「誰ひとり取り残さない」をテーマにした小論文コンテストに出会った。そして、取り残されている人の視点で考えるこのコンテストは、他人と比べ裕福な生活を送る私には関係ないものだと思いそっとタブを閉じた。しかしその数秒後、自分にも他人と比べ取り残されていることを見つけ、このコンテストに参加を決めた。私にはなく周りにはあるもの、それは「行動力」だ。
この世では、金銭的に生活が苦しい人、何らかの障害を持つ人、人種差別など精神的ダメージを受けてる人に対し、「誰一人取り残さない」という強い思いを持ちながら行動する人たちが沢山いる。私はその強い意志を持ち行動する人たちから取り残されている気がした。何も不便がないからこそ、何かしらの不便を持つ人に対し、自分のできる最大限のアプローチをすること。一人じゃ何もできないし、何も変わらないという思いを捨て、自ら行動することの大切さを身を持って感じた。そんな中、私が過去にボランティアをしたことがあった。それは私がカナダに留学中の出来事であり、外国人の学生に日本語を教えている授業のアシスタントとして参加したことだった。世界中には数多くの言語が存在している中、日本のアニメ、伝統、着物などの文化に憧れ日本語を第二言語として学ぶ姿に、私の気持ちが大きく揺らいだ。私は日本語の授業にアシスタントとして入ったが、もちろん日本人なので沢山の質問がくる。ほとんどの質問には答えれたものの、「それ」と「あれ」の違いが何か?と問われた時、正確な答えが出せなかった。私たちが常日頃、感覚的に使っている日本語を説明できなかった時とても悔しかったのだ。その後不幸なことに新型コロナウイルスが世界中で蔓延し、カナダでも緊急事態宣言が発令された。結局、日本語の授業には3回ほどしかアシスタントとして参加できず、日本語を楽しそうに学ぶ学生の笑顔を見ることはなくそのまま帰国した。この留学経験から。このSDGs「誰一人取り残さない」コンテストから。私はいつの日か、日本語を他国在籍の学生に無償で教えるプロジェクトを始動、または支えていきたい。日本は他国に比べSDGゴール4の「質の高い教育をみんなに」が進んでおり、教育を受けれない状況下にある学生はほとんど存在しない。しかし、海外ではそうだろうか?まず留学に行くことも金銭面的に困難であろう。学校の制服を買ったり、地域によればノートや鉛筆を買うこともできない子も沢山いる。そんな子供たちに対し、私ができるアプローチ。それこそが、過去に苦い思いを味わった日本語を教えることであると考えた。もちろん資金面、活動期間、準備期間など様々な障壁が存在するだろうが、このSDGs「誰一人取り残さない」を通し、行動していくことの大切さを改めて実感できる機会になった。過去の私と同じような考えを持っている人に対し、行動することの大切さを理解してほしいと感じ、このコンテストの参加を決意した。
考えを発信すること。「誰一人取り残さない」世界へとつながる、大きな第一歩だ。自らが主体的に活動し、考えや行動をしていくことが何よりもSDGsのゴールにつながっていくと私は思う。

 

 

加藤あおい 広島大学大学院 博士課程前期1年生

 

 「誰ひとり取り残さない」社会を考えたとき、取り残してはいけない人としてどんな人をイメージするだろうか。私たちがいつも考えるのはいわゆる「普通」の人とすごく困っている人なのではないかと思う。例えば障害がある人を取り残さないと考えたとき、イメージされるのはろう者や全盲者、車いすユーザーや難病者、知的障害者など想像しやすい障害のある人々なのではないだろうか。
 私が今まで出会ってきた人のなかにはいわゆる「健常者」といわゆる「障害者」のどちらに所属していいのかわからないという人がいる。発達障害や弱視、喘息などそれぞれ状況は様々であるが、私が出会った中で印象的な友人たちの話をしたいと思う。
私の友人のなかの2人に片目が義眼の人がいる。どちらも障害者手帳を持たずいわゆる「普通」の女子大生だ。幼少期に眼球を摘出し、片目には義眼が入っている。パット見た感じでは他の学生と何ら変わらない女の子たちである。普段は大学生として「普通」に生活している彼女たちではあるが、片目が見えないが故の困難さはもちろんある。例えば、彼女たちは視野が狭いし、距離の把握は難しい。体育でも球技なんかは難しいそうだ。さらに、義眼というものは定期的にこうかんがからメンテナンス費用だってかかってしまう。
 そんな彼女たちが義眼であることに気付いている人はどれくらいいるのだろうか。彼女たちのような人が存在することをどれくらいの人が知っているのだろうか。たまたま私は義眼であることを教えてもらえたし、「その辺見えなくてちょっと分かんない。」とか「球技は距離感わかんなくてちょっと怖いんだよね。」なんて伝えてくれたから私は彼女たちのような存在を知って、困難さに気付くことも出来た。
 もし彼女たちに出会えていなかったら私はそんな「あいまいな人」の存在に気付けていただろうか。
 「誰ひとり取り残さない」社会、健常者も障害者も取り残さない社会。いろんな人がたくさんのことを考え実践している中で、果たして彼女たちのような「あいまいな人」たちは検討の段階ですでに忘れられ、気づかれず、取り残されてはいないだろうか。そもそも健常者や障害者などと分類などなく、みな等しく人間であると考えている。しかし、そのどこかで障害者のイメージがあって、そこにあてはまらない「あいまいな人」に気づけていないのではないだろうか。
 「誰ひとり取り残さない」社会をつくるために、「あいまいな人」にこそいまスポットが当たるべきなのかもしれない。

 

鈴木知世 国際教養大学 2年生

私達人類は、本当に実現できるのだろうか。

“No One Left Behind / 誰ひとり取り残さない” そんな社会を。

 

私は大学生だ。

経済的に発展を遂げた日本に生まれ、看護師として働く両親のもと、田畑に囲まれる家で育った。生まれつきの障がいなどはなく、日々の衣食住に困ることもなく、「女だから」という性のレッテルを貼られて挑戦の機会が奪われることもなかった。そんな環境にたまたま生まれ、たまたま出会った人々との関わり合いの中で、大学に進学することを決断し、今も勉強を続けられている。一方、私が偶然出会ったウガンダ人の友達は、両親を亡くした後、大学での教育を続けることを諦めた。勉強したい気持ちとは裏腹に、教育を受ける機会が一時を境に奪われてしまった。

沢山の偶然が重なって今の自分があるわけだが、やはり自分にとってはこの暮らしがノーマルだ。大学で多様性に触れながら勉強していたとしても、やはり自分が実際に目で見ることができる世界・関わることができる社会コミュニティが、自分にとっての全てとなる。教職の授業で障がいを持つ生徒との接し方を学ぶとき、国際協力の団体でフィリピンのスラム街の人々と向き合うとき、LGBTQ+やボディポジティブなどを通してセクシュアリティや身体性の多様さを考え直すとき、環境問題について話し合ったり実際に保全活動を行ったりするとき。どんなに多くの多様性に触れ、社会的に自分よりも「弱い」立場の人を理解し手を差し伸べようと試みたとしても、いつも考え方や行動を行う主体は「自分」であり、たまたま得た環境や暮らしを基にした「自分」の軸から完全に逃れることはできない。私が常に一緒にいるのは、特に大きな不自由なく生活してきた者としての視点。意思決定の自由があり、行動に移せる機会があり、後押しをしてくれる周りの環境があった者としての視点である。

同じような境遇で育った他の人の目にも、私の育ってきた環境が「平凡」として映るかもしれない。私より経済的に裕福な暮らしを送ってきた人にとっては、田舎での私の暮らしがかわいそうに思えるかもしれない。そして、私よりも経済的に貧しい暮らしをしてきた人や、自由な意思決定・行動をすることが困難な環境に育った人には、私にとっての「普通」である暮らしが、羨望の対象で会ったり、掴みたくても掴めない生活であったりするかもしれない。

こうやって、収入額や識字率、人間開発指数やジェンダーギャップ指数など、様々な指標を用いれば、いくらでも生活の豊かさや機会の均等性を測ることはできる。データを分析・分類し、SDGsをはじめとする国際機関・政府・民間事業・個々人の政策や行動を実行していくことで、「かわいそう」「恵まれない」と思われるような環境や人を「取り残さない」ための、エンパワメントができる。

しかし、よくよく考えてみると、全く同じ環境で生まれ育ち、同じ価値観や伝統・文化のもと、同じ将来への希望や想いを抱いて生きている人は、私のほかに誰ひとりとしていないのではないか。そう、この地球上に生きているすべての人は、みんな違うのである。当たり前のことかもしれないが、私は声を大にして言いたい。誰もがたまたま生まれ育った環境の中で、それぞれの人生を歩んでいる。それぞれの価値観がある。それぞれに長所や短所をもっている。もちろん私にも、あなたにも、この世界中の誰かと比べて恵まれない部分や弱さが必ずあるのだ。恵まれている部分や強さがあるのだ。

だからこそ私は、「誰ひとり取り残さない」という社会を、世界中の誰もが均一化された「みんな同じ」社会だとは思わない。私にとってのNo One Left Behindとは、地球上の全ての人がお互いの価値観や文化を尊重し、かつ、自分の強みや可能性を最大限に発揮する機会を持っている社会である。そして、社会構造の中で人それぞれの「弱い」とされる部分を、他の人とフラットな関係性から補い活力を与え合える社会である。

 

ここで、冒頭の問いに戻る。そんな「誰ひとり取り残さない」社会は、これから本当に実現できるのだろうか。

 

そもそも、SDGsの理念であるこの「誰ひとり取り残さない」は、強い立場の者の視点に立って、弱い立場の者をみた考え方である。「先進国」「途上国」という言葉を使って国際協力・開発の文脈にあてはめれば、先進国の視点に立った価値観だ。このような上下関係は、資本主義社会のあらゆるところに存在している。看護師の両親のもとに育った私にとって、「誰かを助けたい」というのが昔からの将来の夢だった。しかし、助けるとはどういうことか。自分が上の立場になって弱い立場の人を引っ張り上げるということなのか。

 

私は、そのような上下関係を「誰ひとり取り残さない」社会に取り込みたくない。経済的に、文化的に、裕福さの違いはあるとしても、上下関係を基にした支援ではなく、人と人とがフラットに向き合い背中を押し合う・活気付け会える関係性を構築したいと思う。

そのために必要なこと、それは、自分が見ることのできる、関わることのできる範囲の世界を越えて、世界の様々な文化や伝統の中で生きる人と友達になることだ。友達になって、お互いを観察・理解し合えれば、自然と助け合いが生まれるのではないだろうか。

グローバル化が進み、強い勢力や文化・価値観が台頭している現代においても、グローバリゼーションを味方に、世界の様々な人、これまでの生活様式では出会うことなどなかったような人とも、友達になることで、フラットな関係性の上での助け合いができるだろう。それは、自然との関係でも同じだ。人間が決して優位に立つのではなく、地球上の様々な生き物と同じ立場として関わることができれば、自分事として、自然と環境に優しい選択ができるのではないか。

 

「誰ひとり取り残さない」ために、地球上に共に生きる多様な生物と、友達になってみませんか。

 

 

蛭間蘭   県立多摩高校3年生

 

ベトナム戦争。1955年に起きた、アメリカが初めて負けた戦争。学校で習ったとき、それしか言われなかったことに私は衝撃を受けた。
 小学2年生の夏から5年間、私は父の仕事の都合でベトナムのホーチミンに住んでいた。空港から降りると、夜なのにとにかく暑くて、知らない言語しか聞こえず、当時の私は驚きしかなかったことを覚えている。父が運転する車に揺られて夜の街を眺めていると、周りにはバイクしか見えなかったが、それが「車は高くて買えないから」と気付くには幼かった。次の日、街を見ると衝撃の嵐だった。歩道らしき場所はガタガタで歩きづらく、道端にたくさん店が並んでおり、移動式の店を持つ人のほうが多かった。映画館なんてものは存在せず、日本の番組はNHKしか流れないテレビで初めてディズニーの新作が出ていたことを知るような生活。当時外国に憧れを抱いていた私は、「こんなはずじゃ……」と思った。私の知っていた外国なんてアメリカとフランスくらいで、外国は日本よりももっと発展していておしゃれな場所なんだとイメージしていたからだ。
 しかし「発展途上国」と呼ばれるだけあって町並みはあっという間に変わっていった。「建物」のお店が増え、ショッピングモールや高層ビルが並び建ち、念願の映画館ができ、マクドナルドなど他国の会社のチェーン店ができた。街の中心部だけではあったが道や道路が舗装され、瓦礫で転ぶことも減った。その目覚ましい発展ぶりは小学生の私の目にも明らかだった。
 そんな中で、唯一変わらない風景があった。観光地のベンタイン市場の近くの道路で、物を売る親子。母親には、足がなかった。当時の私はただ、「かわいそうだなあ」としか思わなかった。無知だったのだ。私の母は、憶測でしかないが、年齢的にベトナム戦争の後遺症なのではないかと言った。ベトナム戦争。そんな戦争があったのか、とまた私は呑気に思っていた。 私が通っていた日本人学校の行事の一つで、毎年ベトナム戦争時にまかれた枯葉剤の後遺症に苦しむ子どもたちが入院している病院に行くことがある。低学年にはあまりにも衝撃が強い内容らしく、私が行けることはなかったが、当時小学6年生だった姉が行った。姉の話によると、幼稚園から小学生ぐらいの子供までおり、手や足が1本だけの子供、中にはベッドに縛り付けられている子もいたらしい。姉はショックで体調を崩してしまっていた。
 一体どれだけの人が、ベトナム戦争のことを知っているだろうか。学校で習う、「南北で分裂して戦って、北側が勝った」。それだけで理解を止めていないだろうか。戦況に焦った南側であるアメリカが、熱帯雨林に民間人もいるのを知っておきながらも人体に害を及ぼす枯葉剤をまいたことを知っている人はいるのだろうか。その後遺症で、奇形で生まれた赤ん坊がどれだけいるか知っているのだろうか。その子達が生まれてすぐ病院に閉じ込められ、今も苦しんでいるのだ。第二次世界大戦終戦から70年ほど経ち、当時の記憶を持つものがいなくなってきていると言われているが、私は違うと思う。発展していくベトナムの中で、まだ国内には戦争の後遺症に苦しまされ、社会に取り残されている人たちが確かにいるのだ。昨年、授業で冷戦に関する映像を見た時、ベトナム戦争がワンシーンしか流れず、私は驚いた。なぜ、あの枯葉剤が撒かれたという悲惨な状況を見せないのか。なぜ、忘れてはいけない歴史をほとんど映さないのか。彼らが今も感じている痛みや苦しみが、なぜ流れないのか。そんな疑問が数々頭に浮かんだ。
この間、テレビでベトナムの観光地についてホーチミンが紹介されていた。バイクだらけの道路、大きな教会、個性的な商品が並ぶ市場。レポーターが数々の観光地を紹介する中、私は道端で物を売っていた親子や、姉から聞いた子どもたちのことを思い出した。今、彼らがどうなっているか私には知る由もないが、ただひとつ、世界中にまだ戦争で苦しんでいる人がいることを絶対に忘れない、そう強く決意した。

 

 

古澤百花 渋谷教育学園幕張高等学校 高校3年生

 

札を払う瞬間、パッと振り上げられた彼女の腕に線状の傷がついているのを確認する。
勢いよく飛ばした札を拾いに行く彼女を見ながら、この子もか、と思った。
これで何度目だろう、歳が近い女の子の腕に、線状の傷を見つけたのは。
百人一首の読み上げ機から抑揚のある声が流れ、札が読み上げられる。
札を取りに行く瞬間、彼女の手が自分の手にぶつかり、激痛が走る。
競技かるたではよくあることだ。
「大丈夫?」
と聞き、彼女のぶつかった手を見ながら、彼女が自身で傷つけたと思われる腕を再び見る。
彼女の腕の線状の傷と、ぶつかった時に感じた痛みが重なって、ハッとした。
あの線状の傷は、彼女自身が加えた傷なのだ。こんなに痛い思いを、彼女が自らしようと思ったのだ。
既に知っていた事実の重大さを改めて認識する。雷に打たれた気分だった。
新しい傷なのだろうか。だとしたら、試合の後に何か言った方がいいのか。
だがそう考えている瞬間、札が読まれ、我にかえる。
今は試合だ、集中。

これは、今年、高3になったばかりのときの出来事だった。

初めて「リストカット」を知ったのは、中学生になってすぐのことだった。
傷を見せてくれたのは、同い年の女の子。女子がおしゃべりをして盛り上がっていたので、自分も輪に入ろうとすると、その子が腕の傷を見せていた。見せびらかしていはいなかったが、見せることに抵抗はないようだった。
「痛くないの?」
「うん。」
「なにを使うの?」
「カッター。」
周りの子の質問にその子は素直に答えていた。
高3になった今では、とてもそんな無神経な会話はできない。中1特有の幼さや、配慮のなさが、そんな会話を可能にしたのだろう。その子は今、元気にしているようだ。当時も、特に悩んでいるような様子はなかった。

高3になるまで、私はリストカットをしている女の子に3人ほど出会った。傷を隠している子もいれば、隠す素振りのない子もいた。隠す子には見えないふりをしたし、隠さない子には、気にせずに接した。
リストカットをする子に出会う度、リストカットが自分の中で「普通」になっていった。
ああ、この子もか。そんな感覚だった。

この間、競技かるたをしている途中、相手の腕の傷を確認した時、リストカットが身近な社会問題であると、やっと認識することができた。
確かに、リストカットを初めて知った時も、よくないことだとは思ったが、あまり気に止めることはなかった。それが自分自身に痛みを加える行為であることに改めて気付いた瞬間、私は事の重大さを知った。そして自分が今まであまりにも無知であったことを恥ずかしく思った。
1回のリストカットが命取りになることはあまりないと言う。一方で、それがリストカットの本当の怖さだと思う。簡単にできてしまうこと。中毒性があること。傷を隠しやすいこと。
10代の女の子の割合が最も高いと言われている。
ニュースでたくさん聞く問題ではない。しかし、確実に若者の間で広がっている、静かな病。リストカットを「普通」だと思っている人はどれくらいいるのだろうか。
そんな危機感を持って、私はこれを書いている。

私は今まで社会問題は、メディアが取り上げるものに限ると思っていた。ニュースで世界の半分ものサンゴがすでに失われたと知った時、高校生の仲間を集めて、自分たちがどのように環境問題に取り組んでいるのかをウェブサイトにあげた。Black Lives Matter を知った時、黒人アーティストのスピーチを和訳した動画をインスタグラムにあげた。

しかしリストカットという、メディアでは比較的タブーにされている問題に直面したとき、それは日常の中の「普通」にしか見えなかった。メディアが問題だと指摘することにしか行動を起こせない自分を恥ずかしく思った。

私たちはあまりにも自分にとっての「普通」にとらわれてしまうのと同じように、私たちはどうしても、「明らかに取り残されている人」ばかりに目を向けてしまう。カリフォルニアで山火事が広がり、多数の人が避難を余儀なくされた。イスラエルとパレスチナの間で再び戦闘が始まり、避難できなかった子供が何人も亡くなった。このような、まるで異世界から来たストーリーは、ニュースや新聞によって私たちに伝えられ、私たちに衝撃を与える。こうしてメディアによって、世界で起きている社会問題を知ることができるのは素晴らしいことだ。一方でメディアは情報過多と揶揄されるように、私たちは様々な情報を消化しようとするあまり、かえって身近な問題に目を向けなくなってしまう。

「秘かに取り残されている人」は身近にいる。
一般的に理解されている障害者の見た目ではなため、持病を抱えていても優先席に座れない人。
消毒液を使うと手が荒れてしまうのに、世の中の情勢上、消毒を断れない人。
打ち明けることができない悩みを抱え、自分の体に傷を負ってしまう人。

私たちは大きく取り上げられる社会問題には取り組もうとするように、どうして「秘かに取り残されている人」に真摯に向き合うことができないだろうか。
身近に「取り残されている人」の存在に気づくことこそが、誰一人取り残さない社会への第一歩ではないだろうか。

Think Globally, Act Locally.
今では、続々と生まれるスローガンに埋もれてしまっているこの言葉だが、改めてその意味を考えたい。

 

 

王麗莎   高崎経済大学 3年生 地域政策学部

 

今もなお猛威を奮い続けている新型コロナウイルスは私たちの生活に大きな影響を与えました。私を含めた外国人留学生は、コロナウイルスが原因で周りの環境が大きく変化しています。私は日本に留学をしてから、過去にない強い孤独感を感じました。知り合いが誰もいない、日本語がわからない、日本人の友だち一人もいないことを経験したので、私自身は孤独感を大きく実感しました。私は、まさに取り残されている人間だと一度思いました。
そこで、SDGsの「誰にも取り残さない」社会を実現するには、外国人留学生という視点から、どのように社会で取り残されるのかを考えました。そして、私は、誰一人取り残さないように、3つのことを考えました。これらの3つは「主体的に動く」、「周囲の環境への対応」、「コミュニティ活動への参加」という環境変化に関わらず、孤独感を解消し、日本社会に溶け込むために欠かせないものだと思いました。
新型コロナウイルス感染症の蔓延により、私は「学習環境」「学生生活」「経済状況」の困難な渦に巻き込まれ、今までの生活が一変しました。これまでにない孤独感や無力感を味わってきました。まず、「学習環境」で大きく変化したものは授業が完全に遠隔化したことです。ZOOMなどを使ってリアルタイム配信の授業をするライブ配信型授業、映像や資料を掲示するオンデマンド型授業が多くなりました。画面を見ながら一言も言わずに済む一日に苦しみました。一人暮らしの寂しさを加え、教授や友達とコミュニケーションを取る機会がほとんどありませんでした。続いて、「学生生活」については、サークルが中止になったことでヒトとの交流の場所がなくなりました。更に、コロナ禍前ではアルバイトをしていましたが、新型コロナウイルスの感染拡大により働いていた店は閉店となり、「経済面」の不安にも追い込ました。私以外の方々にもコロナの影響で様々な問題を抱えているでしょう。
こうした環境で、私は3つの行動をしました。1つ目は、誰にも助けられない日々には、私は主体的に動きました。私はGHKGグローバル・ハタラクぐんまプロジェクトに参加し、グループ共同作業を通じて、「持続可能な目標(SDGs)」の理念を深く理解するができました。また、異なる文化的背景を持つ学生同士と協働し、お互い理解しながら交流していくことができました。私は世の中、孤独感を感じるヒトは少なくないと思い、これを離脱するには、自分で行動を起こすしかないと思いました。なにもしないままでは、社会に取り残されるのではないか。
2つ目は、周囲の環境への対応をすることです。私が置かれている状況も困難だと意識しながら、変わった環境に直面し、こういった困難を乗り越える姿勢は大切です。そのため、コロナ時代の変化を敏感に感じ取り、変わりゆく対応を取りました。新型コロナウイルスで命を失ったヒト、仕事がなくなったヒト、自由を制限したヒトなどもう取り戻れません。それを防ぐために、社会に取り残さないように、自分の健康を保ち、自分の知識やノウハウを高めることに力を入れています。誰でも置き去りにならないため、状況に応じて、柔軟的に行動を変えていくことが大切だと考えました。
3つ目は、積極的にコミュニティ活動への参加し、社会と繋がっていくことです。日本社会へ溶け込むには人々とのつながりを大切にしたいです。私は孤独感を解消するには、学校以外の居場所を作ることが大事だと考え、小学生の学習をサポートできるボランティアを積極的に参加しました。子供の笑顔から私の心を癒やし、更に、地域の一員としての自覚が生まれ、子供たちと向き合う時間を充実することで生きがいを感じました。こういった活動によって、新しいコミュニティが形成され、幸福感を感じ、自己価値や社会とのつながりが深くになりました。
孤独感を解消することは、身体的にも、心理的にも社会的にも良い循環であり、「誰一人も取り残さない」社会と結びつける架け橋となります。たしかに、誰一人も取り残さないことは難しいです。しかしながら、困難なことだからこそ、私たち一人ひとりの社会的責任感を持ち、この社会において、自分のできることを先に考え、一歩を踏み出して行動し、貢献することは「誰も取り残さない」という社会像の実現に少しずつ近づくことができるでしょう。それが、外国人留学生は日本社会の一員として認識することは「誰一人も取り残さない」社会に繋がるだろうと考えました。

 

 

吉本萌恵 クラーク記念国際高等学校3年生

 

 お金がなければ、生きたいように生きられない。自由に選択ができない。そして、取り残されてしまう。それが最近わかってきた。私、大人になったんだろうか。
 サスティナブルな生活がしたいと強く思う。しかし、環境負荷の少ない製造方法で作られた製品、生産者が公正な利益を受け取ることが約束された海外製品、使用中・使用後にゴミがあまり出ない商品、ブラックな労働を避けた輸入品を見れば、いずれも高価である。
 たくさんお金が稼げる仕事を求める大人たちは、必要以上の娯楽と贅沢な暮らしに憧れるゆえ、そのような振る舞いをするのだと思っていた。なんて欲張りなんだ、私はお金に幸せを求める生き方はしない!と両親の面前で決意表明をしたこともあった。
  しかしそうではなかった、と最近になってわかった。
 先日、家庭科の授業の意見交換にて、収入は大事だと言い張っていた友人らが、ずいぶんと社会がわかっていて、未来が見えていたんだなと、驚いて、恥ずかしくなった。ここである種の「置いてけぼり」を食らっていた私であった。
 ともかく、世間では、最近SDGsを取り上げて、サスティナブルな取り組みをする企業を持ち上げたり、サスティナブルな生活を心がける人を褒めたりする風潮が生まれている。それ自体は、SDGsを推し進める上で素晴らしい進歩、有利な方向だ。なぜなら、誰でも「好まれること」をしたいし、大勢が認知すれば、同じ方へ、サスティナブルな世界へ進んでいくのが容易になるからだ。
 ただ、私はその波に乗れない人がいるのじゃないかと危惧する。それどころか、波に溺れる人々がいるのじゃないかと。前述した通り、サスティナブルな商品は高価なので、SDGsに貢献しようと消費者の立場で奮闘するなら、どうしたってお金に余裕がないといけないのだ。ある程度の余裕がある人は、当然の如くサスティナブルな製品を買うようになる。世の中がどんどん、サスティナブルな製品を買わない人に対し、冷たくなっていく。本当はしたくともできないのに。そんな近い将来が見えた。お金に不自由を覚える側としては、黙って見ていられない有様だ。取り残されたくない。
 でも、それは気に留めるまでもない小さな摩擦で、より良い世界へ変えるためには致し方ないことなのだろう。
 悶々としつつある日、いらない布地が勿体無くて、ポシェットに作り替えた。とても、楽しかった。完成して、あっと声が出た。ゴミは減って、リサイクルに出すよりも環境負荷は少ないはず。そして生地を買わずに済んだのでお金はむしろ浮いた。なんだ、そうだった。
 SDGsとは言ってしまえば、みんながながく幸せに暮らすための目標だ。圧力を感じて嫌な思いをするのは本末転倒と言うべきで、私は全く間違った思い込みをしていた。自由に生きることは幸せにつながっている。私が本当にSDGs達成を目指すつもりなら、周囲に流されて、お金は人生の喜びと無関係だという信念を放棄して、自由を諦めてはいけなかった。
 ここで、一つのアイディアを示したい。この作文を書いている過程でふと思いついたものだ。以前から、特にファストファッションの店舗には、もう着なくなった衣服を回収するボックスが置いてある。覗いてみたところ、可愛い服がちらと見えた。やっぱり贅沢してるな、と考えた。とったら怒られるだろうか。
 回収した服は発展途上国へ寄付したり、リサイクルしたりするそうだが、事実、現地の住民の力で生産することを妨げ、寄付先の経済成長を邪魔していることもあるし、リサイクルにもその過程で多大な環境負荷がかかるという。
 ならば、着なくなった服を、訪れた人が気に入れば貰って帰っていいというシステムを作れないだろうか。何もCO2をたくさん排出して外国に運ばずとも、日本にもその服が欲しい人はいる。サスティナビリティを考える暇がない人たちが利用して、私が先日味わった嬉しさ・達成感味わって欲しい。それに、堂々とSDGsに協力したという実感を持って欲しい。
 確かに、お金がないとできないこともあるだろう。しかしそれはお金に余裕がある人に任せるべきところだ。
 決して取り残されてはいない。それぞれに役割はある。

 

春木大空(もとたか) 都立深沢高校3年生

 

私はこのSDGsの存在を高校の授業で知った。知った当初は[綺麗事ばかりを並べ、解決する気はない無いものばかりだろう]と思っていた。しかし、日本だけではなく海外の貧困問題、差別問題を知ってゆくうちに何か自分自身が行動に移さなければならないと思いこの文を今書いている。

 私は現代社会の大きな問題として[差別問題]を取り上げたい。身近な差別の対象の一つとして[LGBT+Q]がある。私は自分自身が異性しか愛せないのかはハッキリとは分からない。まだ惹かれる同性に出会っていないだけなのかもしれない。私の母は私が幼い頃[人は性別関係なく、愛した人を愛する権利があるんだよ]と教えてくれた。今でもその言葉を信じ続けている。差別が起こる原因として様々な理由があるだろう。しかし唯一確かなのは[差別は無知からくるもの] と言うことだ。もしあなたが未知の生物に出会ったらあなたはどうするであろうか?恐らく多くの人々が逃げ回り、恐れ、理解しようとしないだろう。だから差別が生まれる。これは極端な例かもしれない。しかし差別が始まる多くの場合はこの流れだろう。[知ることを拒否する]ということは差別を生む大きな原因だ。だが一番身近な未知の生物として挙げられる異性はどうだろうか。[男と女は違う惑星から生まれた]と言われるほどに、男女の違いは明確に示されている。しかしそのような違いがあっても多くの男女は愛し合い、子供を育て幸せな家庭を気付きあげている。なぜ異性間であるなら理解ができて、尊重しあえるのだろうか。同性だと何が問題なのだろうか。

 私はあるアプリケーションをつかって恋愛のありかたについて調査をした。ここでは二つの国を例に挙げる。一つは同性婚が認められているスウェーデン。もう一つは同性婚が認められていない日本。スウェーデンの学生たちに[男性は女性を、女性は男性を愛すべきだとおもう?]という質問を30人の男女にした。すると30人中27人が[No]という答えだった。[恋愛は自由、だれがだれを愛しても良い]という考え方が国自体に染み込んでいのだろう。続いて日本の学生に同じ質問をした。30人中26人が[yes]と答えた。理由を聞くと [それな普通だから]という答えが一番多かった。普通という概念 これは誰が定めたものなのだろうか。その自分自身が持つ普通という概念に背く人間がいれば、理解しようともせず、差別をする。日本よ差別問題が解消されない背景には多くの日本人が持っている[普通と言った概念]が影響しているのだと分かった。

 正直私は差別をこの世界から無くすことは不可能だと考えている。しかし差別この世界から無くそうと考える人を増やすことはできる。もしそれができたならこの日本、いやこの世界は誰ひとり取り残されずに幸せに溢れた世界になると信じている。

愛した人を愛せる世界。男女が共に尊敬し合う世界。肌の色や外見を見るのではなく心で会話をしあう世界。そのような素晴らしい世界に住む人たちは、他の環境問題にも目を向けて解決しようとするはずだ。私は差別をこの世から無くすと共に環境問題にも目を向け私にできることこれからもし続けていく。

 

 

古井翔子 東京女子大学 3年生

「普通」は自分が作るもの

「カッコ良い女子が居てもいいんじゃない?」これはとある女性が母から言われた言葉だ。

貴方は自分の性別についてどのように考えていますか?男性、女性、その他、戸籍上の自分の性別と気持ちが異なる人も居る。では、貴方は周りから「女の子らしく」や「男の子なんだから!」などと言われたことはあるだろうか。私にはある。私は髪型や服装、話し方や振る舞いで自分を表現します。私の性別は女性であり、幼少期にはShirley Templeを着たり、ピアノやバレエという女の子らしいと言われる習い事をさせて貰った。中学生となりソフトボール部に所属した私は髪をショートにした。その際、祖母に「女の子なのに…」と言われた。当時の私はショートに憧れがあり、自分もショートにしてみたいという気持ちがあった。それだけなのに、髪の長さ一つも性別によって決められなければならないのかと当時の私は落ち込んだ。そんな時私が出会った言葉が上記の言葉「カッコイイ女性が居てもいいんじゃない?」である。髪型や服装において、男の子や女の子という生まれながらに持った性別ではなく「自分らしく!」で良いのではないか。着たい服を着て、似合う服を着て、似合う髪型をする。世間の「普通」は関係無い。「普通」は私が作るものだと思う。私は生まれ変わっても女性でありたい。男性のかっこいいではなく、女性のかっこいいでありたいし、来世でも可愛いとかっこいいも両方経験したい。

そして今の私は「彼氏は居ないの?」と言われたり、何か質問をすれば「彼氏さんがそうなんですか?」と聞かれる。私の性別は女性であり、今の世間一般における「普通」では、女性は男性と付き合うつまり異性愛が認知されている。これらの発言には、私が女性が好きという同性愛者やバイセクシュアルであるという認識が無い発言である。私は昔も現在も同性の方を応援させて頂く事が多い。それは好きという好意よりも憧れや自分の目指す目標だったりする。だが、なぜ同性を追いかけるのか?恋愛対象は女性なの?などと聞かれるが、それは応援する、追っかけをする=恋愛対象という固定概念やその人自身が普通だと思っている事の現れではないだろうか。

私は今、役者を目指している。私が歌を習う際、女性が男性ボーカルの曲を選ぶこともあったり、自由に自分の歌う曲を選んで良い。また、舞台上では男性が女性を演じたり、女性が武将になったりする。近年流行している2.5次元ミュージカルでは、女性が殺陣を行う舞台も存在している。殺陣という一見男性が行うとされている表現を女性が行う姿がとてもかっこよく私自身も殺陣やアクションを行う舞台役者になりたい。舞台上で行われる性別に捉われない表現を私はとても美しいと感じ、カッコイイな!と心惹かれる。日常生活で表現を制限される人が舞台を見て感動したり、自分自身を認めてあげられるようになって欲しい。私は、舞台上での表現を日常生活でも自由に表現出来るようになれば良いと思う。LGBTQ +やジェンダーレスという言葉がよく聞かれるこの世界の中で性別に捉われず、世間の「普通」に苦しまず、「自分らしく」生きられる世界が訪れると良いなと私は思う。

 

佐藤彩音 高知県立高知国際中学校3年生

 

私はSDGsの基本理念「誰ひとり取り残さない」の視点で様々なことを考えた結果、新聞などの メディアを使っている高齢者がSDGsについて考える事が出来ない現状を変えるためにSDGsを 知るきっかけとしてクロスワードを作成したいと考えています。
私は今、高知県に住んでいます。高知県では総人口における65歳以上の割合がすでに3割を超えていて、全国平均より6.2%も高いです。今後も高齢化率は増えていき、2045年には4割を超えると言われています。私は高齢者が増えている高知県で、SDGsの取り組みに付いて行くことが出来ていない高齢者の方が沢山いることを昨年知りました。
昨年私は、廃校再生プロジェクトに参加しました。その廃校は私の家から一番近いにもかかわらず、私が小学一年生になる春に廃校になってしまいました。なので私は統合された少し離れた小学校に通っていました。このプロジェクトはそんな小学校の校舎の活用計画を市民が考えて、 市に提案するプロジェクトです。私たちの地域は市内でも高齢者率、また人口減少率が高い地域 で地元の方で参加されたのは高齢者の方々が多かったです。地域内外から来た方々との話し合いを重ねて行くうち、私たちのグループでは、その校舎をSDGsの取り組み展示や体験、イベント などが行える地域のSDGsステーションとして活用しようという案を出しました。その案について説明をしている時、高齢者の方々にSDGsが浸透していない事に気付きました。高齢者の方々が 使っている新聞やテレビなどでもSDGsに関しての情報が流れているのですが、それらのメディアでの発信の仕方は高齢者に影響をあまり与えてないと思います。なぜなら高齢者の方は自分の 行動範囲を地域の中にする場合が多く、地域外で起きている現状や取り組みなどに対して興味を示す事がない場合が多いからです。今回の案について説明されているときも、「横文字はわからない」と言われ理解しようと頑張っている聞いてくれた人と、理解して欲しくて説明した私の両方の思いが届かなくてお互いが傷付きました。
そこでどうすれば興味を持ってくれるのだろうと考えました。そして私は高齢者が使っている新聞やテレビでの発信の仕方を工夫する事ができると思いました。新しい情報に対しての価値観をなくし、誰にでもわかりやすいような言葉と地域で起きている現状や取り組みを使って発信することが良いと思います。まずは行動よりも興味をもって情報を理解する事が大切だと考えています。それでも興味を持ってくれない方もいると思うので私はクロスワードをSDGsに関して知るきっかけとして使いたいと考えています。私と同居している祖父母は週に1度新聞に掲載されるクロスワードが大好きです。時間をかけて沢山考え楽しんで解き、時にはわからないものを友人に電話 をかけて聞いているほどです。このようにクロスワードを楽しんでいるのは私の祖父母だけではありません。沢山の人、幅広い年代の人がクロスワードを楽しんでいます。クロスワードとして高齢者の方に配布することでSDGsについて興味を持って情報を理解するきっかけができ、更にわからないところを家族に話を聞いたりなどして家族団らんの場所を作る事ができるのではないか と考えました。
私の通う中学校では国際バカロレアのカリキュラムを取り入れており、このカリキュラムの中に はSA(Service as Action)と言われる活動があります。これは行動を伴う奉仕活動で、学校内外 で個人やグループで活動をしています。私はこのアイデアを実践するために、SDGsに興味のある友人や他学年の人などを集め、SAの活動としてSDGs全ての目標に関連した17のクロスワー ドを作り新聞や市報にはさみこんで配布したいと思っています。クロスワードだけでなく、地域で行っているテーマとなっているSDGsのゴールの取り組みなども紹介することができれば良いなと思います。
これらのことから私は、「お年寄りの方々をSDGsに関する知識から取り残さない」を目指してこれから活動していきたいと思います。そして高齢者に限らず、世界中の人全員が一丸となってお互いの持続的な幸せを願えるようになりたいと思います。

 

黒松俊吾 大阪市立大学医学部医学科3年生

 

近年、発達障害、という言葉はかなりメジャーになってきた。同時に社会制度も整えられていき、より多様性が認められる世の中になってきたと感じている。しかしながら、そんな中で「取り残されている」人たちがいる。その人たちを私は「過」発達障害と呼ぶ。文字通り、年齢に比べて精神的に発達している人たちを私はそう呼んでいる。この言葉を聞いて、多くの人は贅沢な悩みだと思うのではないだろうか、きっと、さぞかし周りよりも大人で、勉強が出来て、大人とも上手く渡り合える、そんな人をイメージするのではないだろうか。しかし、現実は大きく異なっている。特にこの日本では、長年画一的な教育が推進されてきた。みんなが同じものを作り、絶対的な基準で審査してきた。その中で、出る杭は打たれるような社会が形成されてきてしまったのだ。
かく言う私も、その一人ではないかと思っている。学校という狭い空間の中では、学校が子どもたちにとっての全てであることもある。その中で周りと価値観が合わない、というのは大変苦しいものである。私が周りより成熟しているのではないか、と気づいたのは中学校に入学した時だった。確かに、今思い返してみれば、幼い頃からおとなしい子どもではあったのだと思う。しかしながら、おとなしい、とおとなっぽい、は違う、と私は思っていた。私は中学受験をして、中高一貫の男子校に入学した。最初の数ヶ月、なかなか友達ができなかった、今までこんなことはなかったのに、そう思っていたが、それは単に周りの子が私に話しかけてくれる環境が今までは続いたから、でも今回はそうじゃなかったから、だと思うようにした。そうして友達ができない中で、ふと周りにいる子たちを観察していると、どうも彼らの面白い、としていることが理解できない。とても苦しい日々だった。それでも、友達はできた、月日が経つにつれて、増えていった。そして私は自分を内に秘めるようになった。彼らの面白い、と思うことが、自分という人格を上書いていった。幸い、勉強はそれなりにできた。特に懸命に勉強をしているわけではなかったが、それなりの成績を取っていたことも、周りと上手く折り合えた一つの要因だったのだろう。それから数年が経って、高校2年生になった頃だろうか、ようやく周りの言っていることと、自分の考えていることが合うようになってきた。そのおかげか、高校最後の一年間はほとんど勉強詰めではあったものの、その合間合間で友人と話した時間は本当に楽しいものだった。そしてその頃、同じ目線だと感じた友人とは今でも本当に仲良くできている。しかし大学に入学して、また同じ壁に当たった。周りとの価値観が全く合わない。今までは自分が周りより偏差値が高いからだと半ば言い訳してきたが、同じ入試を、しかも高い倍率で突破している以上、もはや他の同級生と価値観が合わないのは偏差値の問題ではないと気づいた。そしてまた、自分を内に秘めて、みんなのイメージする「大学生」で自分を上書いた。気づいたら留年していた。それからの人生は本当に楽なものになった。もちろん今の学年にも同級生、というものは存在する。でもそれはそんなに深い関係性ではないだろう。ようやくこの学校、という社会から抜け出せたのだと、そして自分を再び外に出すことができた。小学生以来の自分との邂逅である。
こうして振り返ると、中学校に入学した当時の自分にアドバイスするなら、もっと大人と関わりなさい、ということになる。自分と近しい価値観の人と出会って初めて、自分は一人じゃないと思える、自分は周りより少しだけ、大人なだけなんだと、思える。
私はここで提案したい。もっと日本は留年及び飛び級制度を整備すべきである。確かに、おとなっぽい子、の全てが勉強が得意な訳でも、好きな訳でもない。ただ、この学年、この同級生とずっと一緒なのだと、いうことは学校という社会をより狭苦しいものにしていると私は思う。さらに、勉強ができる子がより高い学年に上がるのが優しさなら、その逆もまた優しさなのである。これは過発達障害の人に新たな目標を与え、より良い環境を与えるだけではなく、定型発達の人にもいい効果があると私は考えている。私は学習塾でアルバイトをしているが、勉強をする理由を見失っている学生が多く感じる。もちろん、なぜ勉強するのか、を伝えている学校もあるだろう、しかしそれ以上に、自分の頭でそれを考えることはもっと大事なことであると私は思う。そんな中で、留年や飛び級、という制度が整備され、より進級が困難になると同時に、自分と同い年で先を行く友人を見れば、なぜ自分はこの厳しい競走の中で、勝ち抜かなければいけないのか、はたまた、本当に勉強しないといけないのか、ということを考えるきっかけになると私は思う。
先進国の中でも、留年及び飛び級制度の有無は分かれている。日本で本格的に導入するにしても慎重な議論が必要なのは間違いないだろう。それでも、その議論が発達の遅れている子どもだけでなく、進み過ぎている子どもに注目するきっかけになればいいと思う。

 

 

樋口あおい(仮名) 高校3年生

 

私は、いつだって取り残される側の人間だ。「バレたらどうしよう」「どこにも居場所なんてない」そう感じていた。今もそう思っている。いくら「多様性」が謳われる社会になってきているとはいえ、自分は他人と違うのだと宣言することはとても怖い。友人を失ってしまうかもしれない、勘当される可能性だってある。しかし、私はこの文章を書くと決めた。たった一人だけでも、私の文章を読んで変われる人がいるなら、他人の目を気にする必要なんてない。
私が初めて「SDGs」という言葉を知ったのは、高校一年生の頃だ。私の通っている学校は、SDGs教育に力を入れていて、総合や情報の授業で、SDGsに関する動画を作成したり、プレゼンテーションなどをしている。授業内で先生が、あのカラフルなSDGsの表を見せてくれた。貧困、飢餓、教育。遠い異国の出来事で、自分には関係ないと思った。そして先生はその後、とある動画を流した。ニュージーランドの国会議員が、同性婚を認める法律が採択されたときにしたスピーチだ。その内容は素晴らしいもので、私に勇気を与えてくれた。しかし、同時に恐怖を感じた。今このスピーチを見ているクラスメイトは、どう思っているのだろう。私のような類の人間に対して、どのような感情を抱いているのだろう。そのとき、SDGsという言葉が、自分のすぐ近くにあることに気付いた。遠い異国の出来事ではなく、自分が今直面している問題なのだ。
私は女性だ。そして女性が好きだ。最近流行りのLBGTQ+というやつである。SNSの普及や芸能人の影響などにより、以前よりはその存在が一般化してきたが、「気持ち悪い」「理解できない」と偏見を抱いている人は今も大勢いる。それも当然であろう。人間は、自分が絶対に正しいと思いがちだ。そしてその固定観念を、他人にも押し付けてしまう。自分にとっての正義という領域の中で判断をしてしまう。そうやって誰でも知らず知らずのうちに、何かに対して偏見を抱いている。性的少数者、犯罪者、外国人。大事なのは、自分が偏見を抱いていると自覚することだ。偏見は無意識の中で生じるが、偏見をなくすことは意識的にできるのではないだろうか。そのためにまずは、固定観念を捨てることだ。自分が信じていることは、本当に正しいのかと自問自答するのだ。どうしてそれを正しいと思うのか、その客観的な理由を探してみると「なんとなく」「そうだと思うから」という主観的で曖昧な回答が浮かんでくることがあるだろう。それが偏見を生んでいるということに気付くことが大切である。次に、偏見の対象と真正面から向き合うことだ。当事者と直接話してみたり、SNSやブログを見るなど、その手段は自由だ。そして、その人の肩書きに囚われず、対話をする。一方的に言葉をぶつけるのではなく、その人の話を聞いてじっくりと考えてみる。疑問が湧いてきたら、質問してみたり、調べたりする。これが対話である。それでも偏見が残っているなら、それは偏見ではなくその人自身の考えだ。尊重すべきものである。肯定するだけが多様性ではない。肯定も、否定も、無関心も全て含めて多様性だ。そこで初めて、「誰ひとり取り残さない」社会が生まれるのだ。
「多様性」という言葉は、自己の中で完結するものではない。家族、友人、知り合い、遠い異国の人。自分の知らない存在も、「多様性」の中に含まれているのだ。「誰ひとり取り残さない」社会を築くために大事なのは、知らないことを知ることだ。偏見を抱いていることに気付くことだ。そして、知ろうとすることだ。異質なものをただ排除するのではなく、真正面から向き合うことが重要なのだ。一人一人がお互いを尊重する、それが「誰ひとり取り残さない」社会だと私は考える。

 

 

牧山桃与 神奈川県立多摩高等学校

 

 あなたは認知症の人をどう思いますか?こう聞かれたらきっと肯定的な返事をする人が多いだろう。例えば、根気よく向き合うべきだ、とか面倒くさがらずに対応するべきだ、など。しかしそう答えた人の中で、実際に身近に認知症の人がいる割合は案外低いのではないだろうか。そう思うのは、実際私には認知症になったおばあちゃんがいるからである。
 私の体験から述べると、最初祖母が認知症になったと聞いたときはそうなんだ、くらいにしか思わなかった。今の時代それほど珍しいことではないのかなと。しかしながら祖母と直接会って話していると、以前との違いに驚き、悲しくなった。度々私と姉の名前を間違え、同じ質問を何度もしてくる。それも本当に一分も経たないうちに。認知症の症状はテレビやネットで知っていたし、それが仕方のないことだとも分かっているつもりだったが、どうしてついさっき話したことが覚えていられないんだろうと思ってしまった。 
 しかし祖母との向き合い方について初めてしっかりと正面から考えた時、認知症になったという事実に対して本人が一番悩んでいるのではないかと気づいた。そのため私は認知症について「軽く」受け止めるようにした。これは軽視する、という意味ではなくて深く考え過ぎないようにする、ということだ。この考え方が正解かどうかは分からなかった。それでも、考えすぎて暗くなった気持ちが本人にまで伝わってしまってはいけないと思った。だから私は以前と変わらない態度で祖母に接し、祖母自身をみるようにしている。そうすることで「認知症の祖母」と接している、という考え方から「ちょっと天然なおばあちゃん」と接しているかのように感じるようになった。これは私にとってはとても大きな変化で、祖母の気持ちだけではなく私の気持ちも楽にしてくれた。
 このように私は身近に認知症になった人がいたため、認知症について深く考える機会があった。だが認知症以外にも、生まれながらに心身に障害を持っている人や、深い精神的問題・トラウマを抱えている人などこの社会には様々な人がいる。またその中にはコロナウイルスの影響を受け、普段の生活が送れなくなり社会から取り残されてしまっている人もいるだろう。そんな人たちとめぐりあったときあなたはどうだろうか?どのような行動をとるべきだろうか?きっとそれはすぐに答えられるほど簡単なことではないだろう。それでも私達がすべきことは、取り残されている人たちについて考え続けることだと思う。きっと考えた先に出る答えは人それぞれで、その答えが正解かどうかもわからなくとも、考え続けることに意味があるはずだと信じたい。考え続けていつか誰かの気持ちを少しでも楽にすることができたら、それがその人にとっての正解になるはずだ。

 

古堀伸乃輔 青山学院大学3年生

 

「誰一人残さない」というワードを聞いた時、私は最初にダウン症の子供たちの顔が浮かんだ。
今回、私が伝えたいメッセージは「人は人によって救われる」と言うことだ。
人類は、時代とともに医療技術を日々進化させ続けており、不治の病とも言われた結核は薬が開発され、近年では猛威を振るっている新型コロナウイルスに対してもワクチン接種が行われ始めた。ただ、現在も医療現場は逼迫した状態で、新型コロナウィルスに関しては多くの人が関心を向けていることだろう。
その一方、難病に戦い、小児がんで余命宣告をされている子供やダウン症の子供たちもたくさんいる。日本だけでも難病の子供患者は14万人もおり、彼らは少なからず、誰かの家族の一員であり、その家族を失う孤独を私も知っている。
私は17歳のときに病気で父親を亡くした。さらには、私も大怪我をして入院生活と2回の移植手術を余儀なくされた。当時の私は、この先の人生・将来を考える事もできず、この世界に取り残された様な絶望的な日々を過ごしたことを鮮明に覚えている。そんな時に、救ってくれたのは「人」の存在だった。学校の先生や友人が常に私を支えてくれた。毎日、10人以上の友人が見舞いに来てくれたり、車椅子を必要としていた時期も、誰かがそばにいて、同じ時間・空間を過ごしてくれた。そのおかげで、辛い時でも私は一人ではないことを実感することができ、私にとって「人」の存在が力となり、支えとなり、立ち直ることができた。
残された人生をどのように歩むのかを決めるのは「自分自身」と「取り巻く環境」だと私は思う。そして、この経験から「人は人で元気になるのだ」と心の底から感じている。
今現在、世界中で猛威を振るう、新型コロナウィルスの感染拡大により、障がい者への関心が世間的に薄まっていないだろうか。実際に政府もコロナ禍で障がい者に目を向けて欲しいと述べているが、自分自身の健康面を意識し始めている反面、他人への気配りは減ってはいないだろうか。雇用問題においても多くの障がい者が解雇されているのが現状である。
そこで、私はコロナ禍でもダウン症の患者に目を向け、共生社会に向かおうとしているNY発のバディーウォークを行ったNPO法人のアクセプションズの活動に目を向けた。そこでは、障がいがあるなし関係なく、自由に夢を思い描ける未来をひとつひとつ実現していきたい、という思いがあり、アートや作曲、工作、ダンスなどをして、生きているということや楽しさを表現し、様々な個性が共に尊重し合えることで共生社会を促進する活動を行なっている。
ダウン症の子が生まれる時、合併症を持って生まれることが多い。しかし、医療進歩により、合併症を幼児時点で手術することが可能になった。そのことで、外出することができるダウン症の方も多くなり、健常者と共に時間を過ごすことが増えてきている。しかし、世間的にはダウン症の方々がいることを知りながらも、彼らがどのように生き、過ごしているのかという認知は少ない。今でも彼らは、生活している上で差別されることが多々あるようだ。彼らは自分自身のことを認め、個性として受け取り、接して欲しいと話していた。
SNSが世間の中心になっている現在。私はSNSを用いて彼らの作品や生活を世間に発信する。そこで私は、ダウン症患者が社会、生活で苦しんでいる人々が少なからずいることと、ダウン症と言うものを個性として接してほしいという訴えを広めていきたい。少しずつでも広まることにより、障がいをもつ人々と手を取り合い共生する社会へと近づくのではないだろうか。そして、共生社会に向かう動きを、他人事の知識として終わらせるのではなく、そのことを一人一人が意識して行動することにより、一人の人生を救うことに繋がる。
だからこそ、目を背けるのではなく少しの意識と少しの勇気を持って障がい者に接して欲しい。その一つの行動が彼らにとって生きる希望に繋がるかもしれない。それが、共生社会の第一歩となる。だから皆にもう一度伝えたい。「人は人によって救われる」と言うことを。

 

能村 天喜 大阪府立園芸高等学校 2年生

 

 チョウの成虫は花の蜜を、幼虫は葉っぱを食べて大きくなります。トンボの幼虫はヤゴといい、池や川などの水の中で、小さな昆虫や魚をつかまえ、食べて大きく育ちます。これは、昆虫観察会で発表した一言です。昆虫は汚い、気持ち悪い、人に害があると考えている人が多いと思います。そんな昆虫たちでも数が減ることは地球に悪い事だと私は知っています。SDGsの「誰も置き去りにしない世界を目指して」という言葉の対象は人だけではありません。昆虫は多くの動物の主要な餌となり、水質や土壌の浄化を行います。それゆえ、昆虫も置き去りにしてはいけない!と私は強く思います。私が園芸高校に入学し、廊下に飾ってある標本をふと見てみると、標本箱の中にあるヤマトタマムシの標本があり感動しました。日本にもこのような綺麗な昆虫が生息しているという衝撃は今も忘れることができません。日本の多種多様な生物守りたいと思いました。
 私の活動は園芸高校に生息する昆虫の調査、ビオトープの保全、観察会の実施です。これらの活動はSDGsの17の目標のうち4「質の高い教育をみんなに」15「陸の豊かさを守ろう」の達成をめざしたものです。園芸高校には実習庭園という巨大ビオトープがあり、そこには100種類を超える樹木と推定300種類を超える昆虫、そのほか多くの鳥や爬虫類が生息しています。まさに、都会のオアシスです。しかし、現在生息している昆虫は数を減らし、それを食べる動物たちも次々といなくなっています。早急に環境教育を行うべきだと思い、私の挑戦が始まりました。昆虫観察会では8月と9月の計2回実施し、参加者は保護者も合わせてなんと100名以上の人が来てくれました。当日はビオトープ部が作成した観察を行う昆虫の生息場所や食性についてのポスターを使い、子供たちに説明をしました。観察会で紹介した昆虫はバッタ、チョウ、そしてカマキリです。子供たちが捕まえられるほど沢山の昆虫がいて、虫取り網を一生懸命に振り、観察会を楽しんでくれました。観察会の初めは昆虫が苦手で触ることもできなかった参加者の少年が観察会終了前には少しだけ昆虫を触ることが出来ていて驚きました。これは観察会を実施し、SDGsの4の目標「質の良い教育をみんなに」を提供した大きな成果です。
 しかし、全てが上手くいく訳ではありませんでした。新型コロナウイルスの影響で緊急事態宣言が発令されてしまい、学校内に子供たちを呼ぶということが出来なくなりました。しかし、部員達と話を進める中でタブレットやスマートフォンなどを使える次世代の若者をターゲットにしたYouTubeチャンネルを立ち上げれば活動を続けられるのではないか、と意見がまとまりました。昆虫観察会では参加者にしか教えることの出来なかったことがYouTube活動を始めたことによって全世界の少年、少女に昆虫の魅力を伝えることができます。コロナ禍でも環境教育がしたいと諦めずに活動に取り組んだことは16「平和と公正をすべての人に」17「パートナーシップで目標を達成しよう」を達成する大きなチャンスをもたらしてくれました。YouTubeではかんきつ類の樹木に糞や食痕があるところにアゲハチョウの幼虫がいるということを、畑に住む、夜こっそりと作物の葉を食害するヨトウムシは日中、ハクサイの下の土に潜んでいることなどを配信しました。YouTube活動を初めて、友達が家族にYouTubeの存在を広めてくれました。少しずつチャンネル登録者数が増え、多くの人に広まり、いつか全世界の人が見てくれたら、昆虫を含めた多くの生き物が地球にとって人と共に生きていく存在だと理解してもらえると私は思いました。今後は英語で話して、昆虫の紹介をしている動画も作成し、より多くの人に配信を行いたいと思っています。2021年5月から動画を投稿し、現在までの視聴回数は187回です。決して多いとは言えない視聴回数ですが、見てくれている人がいるということを前向きに考えます。昆虫が減少していると理解している人はまだまだ少ないです。私一人では破壊された生物の生息地を作り直すのは困難ですが、昆虫観察会やYouTubeを通して、命を大切にする仲間を増やしていきます。
 私は園芸高校内で、部活を通し、樹木やビオトープ管理をし、13「気候変動に具体的な対策を」15「陸の豊かさを守ろう」の達成をしています。さらに、昆虫観察会では4「質の良い教育をみんなに」の達成だけでなく、多くの部員と協力し、活動をつづけたことは16「平和と公正をすべての人に」17「パートナーシップで目標を達成しよう」の達成に繋がりました。昆虫観察会、YouTube、一見遠回りに思うかもしれませんが、学校での環境教育こそが高校生の私に出来るSDGs活動です。人も鳥も魚も昆虫も植物も誰も置き去りにしない世界を私はめざします。

 

 

東江萌花 神奈川県立多摩高校

 

ある企業が「美白」という表現をやめる、というニュースを見た。それを見てとてもはっとし、どうして私は気が付かなかったのだろう、と思った。私はなんの違和感もなく美白という言葉を使い、なんとなく色白になりたいと思っていたうちの一人だ。でも、このニュースによって初めてこの言葉に違和感を持てるようになった。世界には、もちろん日本の中にも色々な人がいる。性別、人種、国籍など、皆が同じであるはずがないしみんなの肌が白いわけではない。それなのに美白という白だけを美しいとするような表現を使ってもいいのだろうか。私は避けるべきだと気づいた。なぜならこの言葉によって疎外された、取り残された気持ちになる人がいるはずだからだ。色が白くないから自分は美しくないと思ってしまうことがあるかもしれない。私自身も日に焼けやすいことを若干気にしている。これはきっと肌は白いほうがきれいだと私も、世間も思っているからだ。でもこのニュースを見てそうだ、肌の色は白が美しいなんて誰が決めたんだろう?もちろん色白になりたいと思うことが悪いわけではないけれど、別に何色だっていいんだ、そう思った。
 実際に日本では以前にもこれと同じような動きがあった。2000年ごろから始まった、子どもが使うクレヨンや色鉛筆における肌色という表記をうすだいだいやペールオレンジに変える、というものだ。今ではほとんどの商品で肌色表記が廃止され、私が幼い頃に使ったものにも肌色はなかったように思う。きっと「美白」表記廃止も同じように進んでいくのではないだろうか。時間はかかるかもしれない、しかし着実に進めていくべきだ。
 最近はありのままの自分を愛そう、多様性のある社会を目指そう、といったフレーズを聞くことが増えたように思う。しかしながら実際それを実現するために何が行われたのだろうか。言うだけタダという言葉があるがそれではいけないと思う。なんとなくいい言葉、で終わらせてはいけない。ひとりひとりが自分らしく生きていけて、誰もが取り残されない世界をつくるにはまずは個人が少し周りに目を向けてみるべきだ。自分の中の「普通」のものさしで物事を測っていないだろうか。今自分が発した言葉は無意識のうちに誰かを排除していないだろうか。長いこと使っていた言葉を使うなと言われても困る、と言う人もいるだろうが肌色という名称が使用されなくなったという例にあげたように言葉は移り変わっていく生き物だ。時代や社会に合わせて変えていくべきであり、私達も意識を変えていくべきだ。若い世代の私達が誰かを取り残してしまうような言葉を無くしていくことで、これからの社会で少しでも何気なく発した言葉で傷つく人が減るのではないだろうか。誰かを傷付けよう、排除しようと意図して行動することが悪であることは明らかだが、無意識のうちに傷付けてしまうことのほうが怖いと思う。この言葉は誰かを取り残していないだろうか、話す前に、使う前に、少しだけ立ち止まって考えたい。

 

代谷優奈 兵庫県立大学 環境人間学部 宇高ゼミ 3年生

見えない人、見ようとしない人

私は何も見ようとしていないとセミナーを視聴して感じた。「SDGsの精神『誰一人取り残さない』セミナー動画」を視聴するまでは、タイトルにある「取り残される人」とはネットが苦手な人しか思いつかなかったし、盲ろう者がどのような人かもはっきりと分かっていなかった。セミナーを視聴して私は自分の無知さに気づき、今まで見てこなかった人たちや自分に初めて目を向けた。
コロナウイルスが感染拡大し、テレワークやオンライン授業がニューノーマルになり、今では多くの人がこの変化に適応している。私はこの生活の変化は新しい社会に寄り添った良い変化だと思っていた。しかしセミナーの発表者であり、全盲ろうで上肢障害・下肢障害のある福田さんの話を聞き、社会の変化はマイノリティを完全に無視したものなのだと気づかされた。「三密」は2020年の流行語大賞に選ばれたほど世間に知れ渡り、避けなければいけないものとして認識された。しかし福田さんは盲ろう者は周りの助けが必要であるため、「盲ろう者とは三密民族なのである」と表現していた。盲ろう者に世間の認識・新しい日常をそのまま強要することは、「取り残すこと」に直結するのだと知った。他にもセミナー内で、話すスピードや要約筆記、トラブルなど普段友達などと関わるときとは違う非日常さを感じた。また参加者もその非日常さにうまく適応できていないと感じた。これはコロナ前の盲ろう者の日常を知らなかったことが影響しているだろう。
私は盲ろう者の方とは実際に関わったことはないが、アルバイト先で下肢障害を持った方と関わっていたことがある。その時も、私は初めの頃その障害についてよく知らなかった。だから関わり方が分からず、初めの頃は上手く対応ができなかった。だが関わっていく中で徐々にその方について知り、上手く対応できるようになった。コロナ禍前でも、このようにハンデを持っている人について知ることは重要であった。コロナ禍になった今では、よりハンデのある人や障害について知り、自分の適応力を変えていくことが必要になるだろう。私たちにはその努力が足りていないと感じた。
次に、盲ろう者は接すると「取り残されている」と分かるが、接しても取り残されていると分かりにくい健常者について考えた。コロナの時代になってから自殺者が11年ぶりに増加していると知った。この原因の上位は「うつなどの健康問題」「経済・生活問題」「家庭問題」である。これらの原因は、虐待・DVの増加にも関係している。2020年には児童虐待の疑いの子どもは初めて10万人を超え、DVの相談件数も過去最多の約13.2万人になった。これは外出自粛によるストレスや、自宅飲酒の増加などが原因に考えられる。それに加え家族以外との関わりが減り、被害者になってしまっても相談相手がいない。さらに虐待・DV被害は家の中で起こり、外と関わるときは隠すこともできるので周りからは見えにくく、問題解決が難しい。このような人も「取り残される人」ではないだろうか。
またひょっとすると気づいていないだけで、私も取り残されているのではないかと考えた。コロナ禍になりインターンシップや説明会はオンライン化が進んだ。そうなれば当然地方の学生も様々な企業の話を聞くことができる。これはメリットのように感じる。しかし、オンライン化で参加希望人数が増加すると企業側は選考に苦労する。そこで学歴フィルターが適用され「説明会に応募できない」「エントリーシートですぐ落ちる」という事例が生じる。その他にもコロナ禍で活動が制限され自己PRの材料が無い、など就活生もコロナによる影響を受けている。
このように盲ろう者に比べれば問題の大きさは異なるかもしれないが、コロナの影響によって取り残されている人は身近にも増えているはずだ。しかし新しい生活についていくのに必死で、それに気づいていない人が大半だろう。私のように自分のことでさえ見えていないのが事実だ。それに気づき支え合えることができれば、たとえ社会制度が「取り残される人」を守り切れずとも、社会は少しずつ変化していくはずだ。
最後に、「誰一人取り残されない社会」を完璧に成し遂げることはほぼ不可能だ。だができることは確実にあるはずだ。例えばオールニッポンレノベーションの代表理事である富樫さんは、まだ大学生であるのに12歳の頃から活動を始め知識が豊富で、同じ学生として感銘を受けた。そこで私も知識を貯えたいと感じた。だから私はSDGsについての知識を増やすこと、「取り残される人」を見つけるために他者、特にマイノリティと呼ばれる人の日常を考え、自分の日常に違和感を持つことから始めようと思った。

 

春日希   フリーランス

 

話を聞いて欲しい時、いつもそばに誰かがいてくれた。その事実が、自分自身を愛することのできる私を作ったのだと思う。でも、誰も聞いてくれる人がいなかったら?
昨年秋からポッドキャストというラジオの配信を始めた。小さい頃から話すことが大好きな私にぴったりの発信方法だと思ったからだ。大きなテーマは「ありのまま生きる」。当初は一人で思いを語る形式を基本にし、時折ゲストを迎えて対話をしようと思っていたのだが、何人かのゲストを迎えていくうちに、多くの発見や学びがあった。会ったことも話したこともある相手の知らなかった過去について聞いた。相手の中に自分を見つける瞬間があったり、リモート収録ではあるものの、お互いに深いところで繋がるような感覚があった。
さらに気が付いたのは、一人一人の人生が、想像するよりも遥かにドラマチックだということである。一般的、普通、平凡といった言葉が存在する意味を本気で疑ってしまうほど、皆様々な経験をし、感情を抱き、毎日を生きている。きっと私は今まで、自分の人生を生きるのに必死で、本当の意味で他者の話を聴く機会が少なかったのだろう。
例えば私の大切な幼馴染。彼女はハーフとして生きる上での葛藤を抱えていた。これについては直接話したことはあったが、私たちの会話が不特定多数の人々に届くという状況になり、彼女はより丁寧で親切な言葉を選び、自身の心の内を語ってくれた。また、私の妹は自分がHSP(ハイリーセンシティブパーソン)であることをラジオで初めて公表し、それとどう向き合っているかを教えてくれた。
6月はプライド月間ということもあり、「もっと知りたいLGBTQ+」というテーマで4人のゲストと対談をし配信をした。ゲストたちは今の日本、世界、社会に対して思うこと、周りの人たちに伝えたいことを語ってくれた。そのうちの一人Nさんと私は一度も会ったことがなく、友人の紹介でゲストとして来てもらった。Nさんの容姿はもちろん、どんな人物であるか全く知らない状態で声だけで挨拶を交わし、Nさんの幼少期から今に至る人生について聞かせてもらった。約2時間の収録を終えた後、私はすごく不思議な気持ちになった。知らない人の人生を知って、私はその人にすごく近づいた気がしたのだ。その人を心から尊敬したし、守りたいとすら思った。そしてNさんが世界に向けて声を上げてくれたことが嬉しかった。
私が考える「誰一人取り残さない」の意味は、「誰一人ありのままの自分を愛することから取り残さない」であり、そうであってほしいと願う。コロナ禍でこれまで抱いたことのない怒りや悲しみに出会った。はじめはそれに驚き、自分の脆さや弱さを恥じたり、見えないふりをしたくなったが、そんな自分の話を聞いてくれる家族、友人、パートナーがいてくれたおかげで、嫌いだった自分の中にある部分も受け入れることができるようになった。脆さや弱さも含めて今の自分であり、自分はこの世界に一人しかいない特別な存在であると。
次は私が「取り残されている」と感じている人の声に耳を傾ける番であり、それはポッドキャストを通して着実に実行できている。そのカラフルな声たちを多くの人に届け、それを聴いてくれた人たちが他者と自分を受け入れ、愛することができるようにしたい。近くの人に話を聞いてもらえなくても、安心できる場所、心の拠り所が一つでもあればそれは実現可能であると思う。明日はどんな声を聴くことができるだろう。私はそこから何を感じとるだろう。そう考える今、私の心は希望と期待に満ちてきた。

 

 

山崎咲歌 病院勤務管理栄養士(25歳)

 

 私が、「このままだと、この人を取り残してしまう」と感じた経験について述べようと思う。私は病院で働く管理栄養士で、主な業務の一つに栄養相談がある。患者の疾患は然り、生活環境や習慣、経済的な制限に至るまで、患者の背景は十人十色だ。一人一人に適した実現性のある食生活改善について、評価や提案を行うのが栄養相談である。
 その患者は82歳の男性だった。嚥下機能の低下があり、誤嚥性肺炎を起こさないために退院後は食形態に配慮した食事の準備が必要であった。多くの高齢患者は、退院後の食事サポートを得るため栄養相談に妻または夫、子供などを同席させる。しかしその患者は一人だった。妻の認知機能が低下し、施設に入っていると。高血圧に対する減塩の工夫や、糖尿病対する甘いものを控えるなどの指導は、比較的シンプルかつ分かりやすい。一方で、嚥下機能に配慮した食事の準備というのは、普段料理をしない、ましてや高齢の男性が一人で実践するには大変困難なことが予測された。昨今では宅配食の種類が豊富になり、その中に嚥下食を扱っているような会社もある。ただそれらは一般的な宅配食と比べ費用が高い。「年金暮らしだから…」と躊躇する様子が伺えたその患者には、積極的にそれを勧めることは出来なかった。宅配食に頼らず市販で購入できる商品や食品選択の工夫について話したが、その患者だけに数時間割けるわけもなく、相談終了後は、この患者は自宅に帰ったらどうなるのだろう、と患者の孤独を痛感した。
 日本にはそのような高齢者が利用できる社会資源が比較的充実していると思うが、実際の利用者の精神面など、表面的には見えない部分まで考慮すると「取り残されている人」は想像以上に多くいるかもしれない。国、文化、年齢といった境界を越えて、個人として見たときに79億の多様性がある中で、「誰ひとり取り残さない」というのは極めてハードルの高い目標であると思う。そもそも「誰ひとり取り残さない」の言葉が持つ意味がどういったものか、自身なりの考えを展開しようと思う。
私が考える「誰ひとり取り残さない」の意味は、単に物事を平等に、標準化していくこととは少し異なる。もちろんそこに不平等があって良いと言っているわけではない。具体的な例を挙げてみるとする。
先日、日本人カメラマンが監督したドキュメンタリーを鑑賞した。中国の貧困層の実態について捉えたものだ。印象に残っているのは、貧困脱却のためにいくら政府が貧困層に向けた都市部での雇用を生み出したとしても、彼らが都市生活に慣れないために貧困地域に出戻ってしまうという実態だった。都市でも生活していける教養(言語や習慣など)を身につけるための教育こそが、貧困脱却の根本にあるとのことだった。
ワクチンの供給については近頃最も耳にするニュースである。ただ、インターネットや公共交通機関にアクセスできない高齢者が取り残されているといった点や、政府の定めた基準により中小企業のワクチン接種がなかなか進まないといった点が懸念されている。
この2つの例に対する解決策を打ち出したのは、政府や大企業などの大きな組織ではなく、個人であった。貧困脱却のためには教育が必要不可欠であると考えた若者が、教師のボランティアに行ったという。また、ワクチン接種から取り残された高齢者へは町の医者が、中小企業に対しては、同じ境遇の企業を取りまとめて集団接種を実現しようとする団体があるとのこと。「誰ひとり取り残さない」という目標を達成するには、政府を代表とする大きな組織などが、表面上の公平さを追求するだけでは十分でないことが示唆される。実際に誰かが取り残され得る課題を見つけてその解決のために寄り添えるのは、政府ではなく個人、すなわち私たちなのだ。
結局その82歳の患者に対しては、栄養相談の内容をソーシャルワーカーに引き継ぎ、より適切な社会資源が利用できるように調整してもらう運びとなった。その患者の目の奥に見えた孤独や不安のように、取り残され得る要因や存在に気づくことが「誰ひとり取り残されない」に対する第一歩である。そのために個人レベルでできることとして、周囲の人に目を向けてみるというのが挙げられる。家族や友人などの身近な存在から、職場の人、隣人、世界の見ず知らずの人まで、知ることや気づくことを広げていくのだ。自分たった一人の気づきなど、ちっぽけであると思ってしまうのはごく自然なことである。一方で例に挙げたように、気づくことが、取り残されずに済む人が増えるきっかけにつながるのは確かだから、私はこれからも自分なりの視点で取り残され得る存在に対して、アンテナを張ろうと思う。それをより多くの人ができたら、最終的には79億人誰ひとり取り残されない社会が実現されると信じて。

 

杉田怜英 学校法人ドワンゴ学園N高等学校横浜キャンパス

 

社会から取り残されるとはどういうことだろうか。それは主に教育を受ける、健康で文化的な生活を送るといった皆が平等に与えられた権利を貧困や障がいなどの理由から充分に享受することができない状態にあることを指す。
さて、sdgsの五番目の目標にあたるジェンダー平等は性的マイノリティに関する意味を含んでいないと聞く。どうやらこれはあくまで男女の生物学的な違いからくる社会的・経済的差をなくすためのもののようだ。記載出来なかったのは各国の宗教や法律の関係上らしいが、性的マイノリティについて「取り残される」要因が他の目標とは少々異なっているように感じる部分がある。先述した「取り残されてしまう」要因というのは貧困・男女間の物理的差・障がい等に阻まれるため、与えられた権利を享受することができないということだった。しかし性的マイノリティというのは性への考え方が少数派だというだけで障がいとは言い難い。社会の在り方と自身の性自認にギャップが生じてしまうことが「取り残される」要因と考えられ、性的マイノリティの人々は物理的要因に阻まれることがなく権利を「享受すること」はできるのである。だが与えられたものが自分にとって嬉しいものか求めてもいないものか、それは人によって違う。世間では性的マイノリティに対して「面倒だ」「我が儘だ」といった意見を耳にするが、それは「何かに阻まれるわけでなく社会的な権利を充分享受することができるのに、それを個人の事情で拒絶するのは自分勝手だ、我慢しろ」という考えから来ているのかもしれない。しかしこの問題を我慢の一言で済ませていい筈がない。では今後性的マイノリティの人々が「取り残されない」ためにはどうすれば良いのか。それに対して私は性的多数派も少数派も関係なく、私達の根底に根付いた「性」と人の関係について改めてよく考える必要性を感じている。
近年SNSの発達により表現の多様化が進んでいる。それにより性的マイノリティに対する関心は高まっているようだ。私自身SNSを通して性的マイノリティのことを知れたお陰で、どうしようも無い心の曇りに光が差し込んだ。そうして性的マイノリティの人々と関わる機会が生まれたが、その中で「性自認が定まらない、自分が結局何者なのか分からない」そんな話を耳にした。やっと自分の性が見つかった、苦しみから解放されたと思っていた私はそれを聞いて知らんぷりしていた心の小さな違和感に向き合わざるを得なくなった。私は「女らしい」という言葉で自分を表現されるのが嫌だった。しかしいわゆる「女らしい」と言われるファッション等が嫌いではなく、むしろ好きな方だった。では何処に「女らしい」を嫌う理由があったのか、そして男でも女でもないlgbtqにも当てはまらない自分は何者なのだろうか。なんというデジャヴ、この感覚は「女らしさ」に苦しめられていた頃と同じものだった。私は「女らしさ」の呪縛から抜け出したと思っていたら今度はlgbtqの中に「らしさ」を探しだし、自ら首を絞めていたようだった。そして同時に性別が何かは関係なく、「らしさ」という言葉が呪いとなり人々を苦しめているということに気づいた。
結局「らしさの呪縛」に気づいたものの自分が何者か、答えを出せず私は悩んでいた。そんな中最高で、しかし至極当前ともいえる、素晴らしい答えをくれた存在があった。
その存在はとある漫画に登場するキャラクターで私の推しだった。中性的な容姿で男とも女ともとれない推しにファンがネット上で性別論争を繰り広げるなんてことがあり、それを見兼ねた作者の方ははっきりと推しの性別を明言せずにいる。ふと気がついたのはそんな時だった。私は推しが男でも女でも私がその推しを好きなことに変わりはない、ネットの性別論争なんてどうでもよいと感じていた。なぜなら推しには性別程度で変わることのない確固とした個性があり、自分はそこに惹かれたのだから。よく男性の方が合理的、女性の方が感情的といわれるが全員そうではないし、「異性が好き」と言う人も異性なら全員好きなわけがなく苦手な異性もいるだろう。男か女か、生物学的な性別は同じものを持つ人が何億人もいる。しかし個性は一人一人異なるものを持ち、ある個性を持つ人は世界に一人しか存在しない。私達は唯一無二の個性をもつ一人に対して「同じ性別」という括り、「らしさ」を押し付けてしまうことがある。これは性的マイノリティにおいてのみに言えることではなく、例えば家庭における「夫は労働妻は家事」という概念もそうだ。誰かの配偶者という立場の人は数多存在する、だがある個性を持つ自分の配偶者はこの世に一人しかいない。唯一人、それもよく知る人なのに何故世の「らしさ」で相手のことを考える必要があるのだろうか。
違う個性を持つ人々に性別が同じという理由で皆同じように接すれば必ず違和感を感じる人がいる。しかし性別とは大勢の生きる「社会」を営む上ではなくならない基準の一つであり、現状社会の在り方を大きく変えることは難しい。私達は理不尽を社会のせいにして、自分が身近な大切を置き去りにしていないだろうか。せめて自分だけでも誰かを「取り残さない」ために「男・女だから〜」ではなく「貴方・あの人だから〜」そんな考えで家族や友達、身近な人を見ることで、必ず今より救われる人がいるはずだ。

 

宮口真緒 セントヨゼフ女子学園中学校

 

「最もひどい貧困とは孤独であり、愛されていないと思うことです」
 皆さんはこの言葉を知っていますか。これはマザーテレサの言葉です。皆さんは自分は愛されてない、自分は必要とされていない、いわゆる「取り残されてしまった」と感じたことはありますか。きっと誰もがそのように思ったことが一度はあるでしょう。私も何度かそう思ったことがあります。
 特に中学校に入ってから、常にだれかと比べられる環境にいるからか、自分に自信が持てなくなり、劣等感を感じるようになってしまいました。
 例えば、テストで悪い点を取ってしまった時や忘れ物をして他人に迷惑をかけてしまった時に、「みんなはできているのに何で自分だけできないのだろう」と自己嫌悪に陥ってしまい、自分自身に腹が立ち、心の中で「自分はなんて愚かな人間なんだ」と自分を責めてしまうことがたくさんあり、悩みを抱えるようになりました。
 思い切ってその悩みを周りの大人に相談したことがあります。
 すると、「甘えるんじゃない」とか、「誰にでもそういうことはあるのだからもっとしっかりしなさい」などという言葉が返ってきました。
 その言葉を聞いて、「自分は本当に愛されているのだろうか」、「だれも私のことを分かってくれない」と感じてしまい、自分の殻に閉じこもるようになってしまいました。
 なるべく前向きなことを言い、明るく振る舞うふりをし、毎日心とは裏腹な作り笑顔をするようになり、悩みがあっても、傷つけられるのを恐れて相談することもできなくなってしまいました。そして、自分は何のために生きているのだろう、と思う日々が続くようになりました。
 そんな私を変えてくれたのは、私の通う学校で年に一度行われる「修養会」でした。修養会とは、神父様やシスターの講演を聞きながら、自分自身を振り返るために設けられた時間のことです。
 去年の修養会で、一人のシスターが優しい声でこう話して下さいました。
「自分は愛されていない、必要とされていないと感じている人はたくさんいると思います。私もそうでしたから」
彼女も私と同じくらいの年齢の頃、私と同じように悩んでいたそうです。彼女の父親は気難しく、隣にいるだけで緊張するような人で、母親はあまり家にいなかったので、家族に悩みを打ち明けることができなかったそうです。そして、あまり勉強も得意ではなく、自分と友達を比べて、自分自身の価値をいつも低く感じていたそうです。
しかし、彼女は聖書を通して「私たちに命を下さった神様は私たちを愛しておられる」ということを知り、愛されている自分を見つけることができるようなった、とおっしゃっていました。そして、「あなたを愛しているお母さんがいて、お父さんがいて、家族がいたから、愛しい、かけがえのない命があなたにはあるのですよ」と素敵な言葉を下さいました。
 私はこの言葉を聞いて、自分はだれかにとってかけがえのない存在なのだということに気付かされました。
 生きていれば、「私だけが取り残されてしまった」と感じて焦ったり、落ち込んでしまうことがあるでしょう。けれども、私たちが生まれ、生きてこられたのは家族の存在や心を育んで下さった先生や友達がいたからです。決して一人ではなかったのです。
 私がそうだったように、一見明るく振る舞っているように見える人でも、心の中は孤独で、周りから取り残されているように感じている人はたくさんいるでしょう。私は、そのような人たちに救いの手を差し伸べることができるような人間になりたいです。

 

ルドラ摩耶 関西大学

 

「新型コロナウイルスの始まりは中国だから、中国の製品を買うのをやめよう。」私は、このような類似の言葉を聞くと悲しくなります。
私は神戸の国際色豊かな場所で生まれ、生活してきました。実際に私の父はインド出身で、小学生の時は周りにハーフの子や他国籍の子も多く、通っていた小学校では独自の“ふれあいフェスティバル”という企画がありました。この企画は他国籍またはハーフの子たちのお母さん、お父さんが先生として楽しく母国の国を紹介するというものでした。そのため、宗教上の規則や文化の違いによる偏見の目はなく、小学生のうちから世界の違いに”ふれる”ことが出来たのは大きかったと思います。
小学生の時からのある友人は両親ともに中国出身で2年生の時に中国から転校してきました。彼女は日本語を徐々に勉強しながら周りと仲良くなり、5年生の時には日本語を上手に喋れるようになっていました。高校からは彼女は中国に行くことになりましたが、今でも交友関係は続いています。
しかし2019年末ごろ、新型コロナウイルスの感染が始まりました。メディアの報道で中国の武漢から発生し、感染が拡大したことが大きな話題となりました。2022年現時点での世界の感染による死者数は370万人近くにのぼり、至る所でコロナウイルスの脅威を目にしたと思います。そんな中、やはり浮上してきたのは中国に対する悪いイメージです。アメリカの前大統領のトランプ氏がコロナウイルスを「Chinese virus」と表現したことが促進剤となり、アジア人への差別が世界的にも問題視されています。そんな毎日のように流れる新型コロナウイルスの関連ニュースを目にするたびに中国に住む友人のことを思い出しました。中国人もカナダ人も日本人も、みんな同じ人間なのにウイルスの発見が武漢というだけで中国に対する世間の目は冷たい、これだけ日本の社会でもグローバル化という言葉が根付いているのになぜ中国を敵対視するのか。日本は先進国である以上、グローバル化の本当の意味を考えなければいけない時にあると思います。日本に住んでいる外国人のうち中国の方の割合が最も多く、日本の経済を一緒に支えています。そんな彼らに非難の言葉を放っていいのでしょうか。言葉は時として刃物になります。相手が自分の身近にいなくても、発言・報道の仕方には注意を払うべきです。実際、大学1年生の私は授業の一環で中国からの留学生と話す機会がありました。彼女は、日本に来たばかりで友達もできないまま“大学”で学べないことに不安を抱いていました。もう2年近く本国に帰れていないということもあり、最初の方はかなり孤独を感じていたそうです。アルバイトをすることもできない、実際に大学に行って学ぶこともできない、こうした大学生の現状も彼女の話から生で知ることが出来ました。こうした留学生や若い人たちのサポートをもっと充実させるべきだと思います。日本の社会でも失業者の割合は1975年のオイルショック以来の大幅低下と大きな影響が出ています。その中には大学生も含まれています。子どもと大人の間にいる〝私たち″にも目を向ける必要がある、その声を聞き逃さないでください。

 

齋藤杏月 鎌倉市立小坂小学校 6年生

 

私は、なぜ取り残される人がいるのだろうと疑問に思いました。そのように考えたきっかけは、私の学校は、障がい者の方々に適していないからです。

 その原因は、障がいを持つ人が暮らしやすい環境ではないからではないかと考えています。なぜそのように考えたかと言うと、私の通う学校のスロープは、急すぎてブレーキがきかず、校内には、階段しかないからです。車椅子だと、校庭に入れたとしても、段差になっているので、校庭から校内に出ることが出来ません。また、校庭だけではありません。階段を登る事ができたとしても、教室へ入る時には、少しの段差があるので教室に入るのも一苦労です。特別支援学級が、二階にあるので、車椅子の方がきた時は、二階に上がる事ができず、一階にいるしかできません。しかも、視覚障がい者の方々にも適していないのです。つまり、障がい者の方には適していない学校なのです。そこで、その問題を解決するための改善点を考えました。

階段しかない場合には、広いエレベーターを設置するべきだと思います。そうすれば、大きい車椅子の方でも、一階から上の階まで行く事ができます。車椅子で校庭に行くには、少し広めでゆるやかな坂を作るべきだと思います。広めの坂なら幅の広い車椅子でも出入りできるからです。教室の出入り口の少しの段差は、ゆるやかにすればいいと思います。車椅子でも、ゆるやかにすれば、教室に入れると考えました。特別支援学級が、一階になれば、車椅子の方でも友達と遊べ

学校生活が過ごせると思います。しかも、視覚障がいを持つ子供のために学校のスロープのところに点字ブロックを設置するといいと思います。視覚障がいを持つ子供も、安心することができると思います。

 うまく発表ができない人もいます。この間、算数の授業中に分数のかけ算の勉強をしました。その時、問題が解けた人は、黒板に書いてと先生に言われて私は黒板に書きました。でも、発表が苦手な子は、問題を理解して解けているのに発表があまり得意ではないので、書くことができないと言っていました。その原因は、答えがあっているか不安だからだと思います。なので、答えがあっている自信がある問題であれば、平気だと言うことです。つまり、人それぞれ発表が得意な人、発表があまり得意ではない人、好きな科目発表などができても、嫌いな科目発表ができないなど、それぞれ個人差があっていいと思います。

 私にも苦手な事があるので不安な気持ちが分かります。私は、理科の授業が得意ではありません。実験は好きだけど、知識がないので理科の授業中発言したくないです。でも、体育、算数、図工、総合、音楽などはとても好きです。なので、教えたり、説明したりしたくなります。このことをきっかけにたくさんの知識を社会に生かしたいです。

 

 

古泉修行 

 

 理性を失うほどの口渇に耐えられず、水たまりに顔を突っ込んで泥水を飲む少年に出会ったのは、小学4年生の春だった。日本とあまりにもかけ離れた途上国の生活を知るきっかけとなったその写真に、僕は強い衝撃を受けた。
 以来、自分にできる活動を行っている。SDGs初年の2016年にニューヨーク国連本部で研修を受けてからは、SDGsの啓発活動に力を入れてきた。そして2018年、当事者の視点からしか見えない途上国の現状を自分の目でも見たいという強い思いで訪れたカンボジアでの体験が、僕に大きな影響を与えた。
 カンボジア・プレアビヒア州は、最貧地域に分類される。村には水道設備がない。生活用水は雨水を溜めるか、子どもが遠く離れた川に水汲みに行くことで得る。汚染された水は住民の健康を脅かし、水汲みの時間は子どもたちから学校に行く時間を奪っていた。
 僕が同行したのは、半永久的で衛生的な水源となる井戸を建設する取り組みの事後視察。SDGs目標6の達成を目指すものだ。井戸は、プレアビヒアの1300世帯中295世帯に日本の寄付金により建設された。
 初めて水源を与えられたとき、日本人であれば一丸となって活用法を考える。農業の普及を図り村の発展につなげるなど、支援を最大限生かす努力を行う。しかし現地では、住民間に期待された能動性は生まれなかった。水は井戸を手に入れた住民のみが使用し、その他の住民が水汲みに行く現状は変わらなかった。助け合う発想、生活向上への意欲や知恵を、現地住民は有していなかった。それらの原因は水問題以外に存在する。例えば教育の欠如が、問題を深刻にしていると感じられた。
 この様に多くの問題は単独で存在するのではなく、複雑に絡み合い、更に新たな問題をも生み出していることを実感した。一つの問題に固執しない、多方面からの支援が必要となる。
 命の危機に面し、人間らしい生活を送ることができない「取り残された人々」は、プレアビヒアにとどまらず、世界に多く存在する。しかし、地球に生まれたからには皆平等。すべての人が幸せに生きられたらいい、と僕は強く思う。当時13歳の僕は、自分にできることは何か、考えた。そして、日本で仲間を増やすこと、多方面の問題解決方法を網羅するSDGsを普及し、浸透させることを決意した。
 2020年、僕は「SDGsタグ」を開発した。SDGsに取り組んでいることを表明するSDGsバッチを、幅広い年代に合致する形に変えた。ラゲージタグの要領でリュックやバックにぶら下げる。このタグの特徴は、透明ケース内のカードに自らの手で自身の特技や取り組みを描き、その活動がSDGsのどの目標に当てはまるかを考え、目標番号も記入するというところ。つまり、新たにSDGsに対しての取り組みを考えるのではなく、今まで生活の中で行ってきた活動自体を実践項目とするのだ。節電や節水はもちろん、売り上げの一部が生産国に寄付されるチョコレートや、森林保全につながる飲料水などの商品を購入するなど、直接アクションを起こさずとも途上国支援につながる行為も日常にはたくさんある。
 また、SDGs初心者でもわかり易い説明と日常生活で取り組める事例などを載せたマニュアルも作成し、タグ裏面のQRコードから読み込めるようにした。タグ作成により、日常生活がSDGsに実は密着していることを学ぶことができ、同時にその実践項目は持続的に無理なく続けることができるのである。バックにつけて表明することで、自身の行動に責任をもつことにつながり、コミュニティも生まれるだろう。一人の力は小さくても集団の力は偉大だ。一人一人が、SDGs達成につながる価値ある行動を意識し、それを互いに共有することで協力体制もでき、多種多様の支援が生まれる。まずは、地元新潟で。その継続が、地域社会から国へ、そして世界におけるSDGs達成へと導かれる。
 SDGsタグは地元新聞に取り上げられた他、ホームページを作成したことで関心のある人が手にしてくれるようになった。そして今年度、僕は、このタグの真の意義を発揮すべく、小中学生への普及を行うことにした。子どもたちが持続可能な社会作りの担い手として自ら成長していくために、タグがきっかけとなると考えた。また、生活スタイルが確立された大人と違い、子どもは身近な暮らしの中にSDGsを柔軟に取り入れて行動することができるからだ。
 僕は、お世話になった先生方が勤務する学校を訪ね、自らの熱意をアピールした。僕に賛同し、応援するよと言ってくださる先生が増え、県内の小中学校から出前授業の依頼も来るようになった。多くの子どもたちがSDGsを理解し、積極的に取り組もうと思える授業を志し頑張っている。
 僕の活動は小さな一歩だ。今後も、持続可能な地球の未来を考えて行動する多くの仲間を作ることを目指して活動し続ける。継続が必ず世界を変えると確信するから。

 

川田千楓 中道中学校 3年生

 

「誰一人取り残されない」とは「取り残される人がいない」ということであり、子どもやお年寄りといった社会的弱者といわれる人が取り残されえる対象で、私たちはそういった人達を助ける役割をもっていると思っていました。しかし、コロナ渦で社会全体が大きく変わり、人と交流することが難しくなり、中には仕事を失う人もいます。誰もが「取り残される人」になる可能性があるのではないかと思います。「誰一人取り残されない社会」それを実現する方法の一つとして、そこで私は現在私が参加している「じ・ば・このおうち」のような活動を提案します。人間には自分の「居場所」を見つけることが大切だと考えるからです。なぜなら「居場所」は他の人たちと交流する場でもあり、自分がありのままの自分でいられるからです。

 その理由の一つは「じ・ば・このおうち」には高齢者から子供まで色々な年代な人がいることです。そして、何か意見を言ったらそれをちゃんと受け止めてくれます。そのため、私はこの「じ・ば・このおうち」のような活動に参加することでありのままの自分でいることができ、自分というものが何か分かることでいいと感じることができます。「じ・ば・このおうち」とは「じいちゃん」「ばあちゃん」「こども」のおうちをモットーとしている世代間交流を目的とした場です。「じ・ば・このおうち」は平成27年11月に活動を始めました。また、学生がより地域に密着し、福祉やまちづくりの学習ができる交流拠点施設として機能してきました。この活動に初めて私が参加したのは小学二年生のときでしたが、「じ・ば・このおうち」の活動は小学生とお年寄りの2世代にだけに向けた活動が多かったので、私も当時できたばかりの「じ・ば・このおうち」の活動に参加しました。「じ・ば・このおうち」は場所を借りることもありますが、基本的にはおうちの中で行うことになっています。そして、初めて参加して私はとても驚きました。何もかもが新鮮でした。普段見慣れない大人や大学生や、会ったことのない小学校の子供たちがとてもわくわくしていて、私にとっての「初めて」がいっぱいでした。学校とも児童館とも違うこの場所を私が好きになるのは時間がかかりませんでした。そして、「じ・ば・このおうち」が私の居場所になりました。親とうまくいかない時や友達とのずれを感じているとき、勉強が息詰まったとき「次のじばこを楽しみにしよう」と思ってがんばってきました。しかし、「じ・ば・このおうの活動が年数がたつにつれて減少していきました。理由は少子高齢化が進んだことや活動のちマンネリ化があります。また、それに加えて子どもの数も減少していきます。そして、コロナで感染者が増えていくことも追い打ちをかけて2020年度のおうちでの活動は約3~4回になっていました。そんな時にネットで野毛坂グローカルを見つけました。そして、色々な人の話を聞いていくうちにその時ふと思ったのが「自分たちの居場所を奪われたり、追われかけたりしている人がたくさんいるのではないか」ということでした。そして、私は一人一人に自分でいられる居場所があることが大事だという考えを自分の中に持ち始めました。
 また、この居場所は自分の意志で行き続けることが大切だと考えます。なぜなら、誰かに強要されていくことはありのままの自分ではいられないと考えるからです。例えば、私は親に勧められて「じ・ば・このおうち」へ一回参加してみることを決めましたが、その次の活動からは自分の意志で参加することを決めました。ありのままの自分でいることでその自分を受け入れてくれる一生の友達ができるかもしれません。そして、自分で居場所や物事を決めることができるということは後悔もないし、もし失敗したとしてもそこから学ぶことができます。このように物事を自分で決められるようになれば責任感もつくのでやりたいことをするにはどうするかよく考えられるようになります。
 私には今も社会の中には同調圧力のような空気を読むことを重要視しているような問題があるうよに見えます。この社会の中でありのままの自分をさらけ出すことはとても難しいことのように感じます。一人一人の個性を認められる居場所を作ることでようやく「だれ一人取り残されない社会」の基盤ができると考えてます。私がかつて救われた場所が次はだれかの救いの居場所になることを信じています。

 

 

淺野智博 羽島市立竹はな小学校2年生

よいところみつけて、はなをさかせよう

ぼくは、しょうがっこう一年のとき、がっこうがいやで、よくやすみました。でもいいなとおもったところをしょうかいします。ぼくのしょうがっこうでは、おともだちのよいところをみつけるようにしています。よいところがみつかったら、そのおともだちにかみに、「ありがとう」のてがみをかきます。ぼくもことしは、いっぱい、このかみをもらいました。「いつもげんきにあいさつしてくれてありがとう」「はなしかけてくれてありがとう」「もくもくそうじをしてくれてありがとう」こんなポカポカことばのてがみをもらうとぼくはとてもうれしいです。いえにかえって、おかあさんにみせると、「すごいね、いっぱいもらったね」とほめてくれます。ぼくは、このてがみに、ひとつぶのはなのたねをくっつけたいとおもいます。
ぼくは、1ねんせいのなつやすみに、おねえちゃんといっしょに、がっこうしんぶんをつくりました。テーマは、「ちきゅうのねつをさげよう!」です。まちのひとなど190にんに、ちきゅうのためにやっていることを、アンケートでとりまとめました。そのときに、おてんきキャスターのおねえさんは、「グリーンカーテンをつくっているよ」とおしえてくれました。しょくぶつや木をうえることは、ちきゅうさんのねつをさげることがわかりました。だから、ぼくはおともだちのよいところをみつけて、おはなもいっしょにさかせたいとかんがえました。よいことをしたごほうびに、たねがもらえて、いえのにわが、きれいなはなで、いっぱいにきれいなるといいなあとおもいました。そうしたら、いえのちかくにいっぱい、おはながさいていたら、さんぽするのが、たのしくなっていいなあとおもいました。

 

矢野詩   鎌倉市立小坂小学校 6年生

 

 私は物事がうまくできなくて 、取り残されることがよくあります。取り残されていると思う時は、計算の答えが他のみんなと違かったり、自分のやっていることが周りと違かったり、遅かったりすることがあります。周りと違うと心配になったり、なんで遅いのだろうか、自分が間違っているのかなと思うことがあります。また、なぜこういった事が起きるのはどうしてだろうと考えたこともあります。このように、周りと違い取り残されてしまうのは、自分だけに起こることではないと考えます。もしかしたら周りが取り残されてるかも知れません。そこで、私が考えるのは自分が取り残されてしまう理由や、自分や周りが取り残されていた時どういった行動をとるのが良いのか、どういった考え方をしたら良いのかについて考えてみました。
 では、最初にどうして自分が取り残されてしまうのかです。考えられる理由としては、自分が思い込んでいたり、決めつけているからかもしれません。「前はこれで良かったから」や違った解釈したまま、考えずに進めてしまうと取り残されてしまうと思います。そうすると、周りはちゃんと理解したその上で考えて行動しているけれど、自分は違う意味で受け取り「もしかして違うかな」と疑うことなく物事を進めてしまうことで取り残されてしまいます。なので、物事や言動に対し一度考えずに疑うことなく、思い込みで進めてしまうことが自分が取り残されてしまう理由の一つだと考えます。では、この時自分はどうしたら良いのかを考えました。取り残されないためには、思い込んだり決めつけたりしないことが必要だと考えました。なぜなら、思い込んだり決めつけてしまうことで違った解釈が生まれてしまうことがあります。また、決めつけることで新たな考えをすることができなくなってしまうかも知れません。なので、思い込んだり決めつけないことが必要と考えます。
 次に、思い込んだり決めつけていて取り残されているとは別の、スポーツや持っている物など個人差のあることをする時に、取り残されている時の自分の行動や理由について考えました。最初に、スポーツをしている時や絵を描いているなどをしている時に、取り残されている理由考えました。まず一つ考えたのは、個人差があるからではないかと考えました。なぜかと言うと、スポーツや絵を描いたりするのは得意、不得意があるので「自分はこれが得意だけど、あれは得意ではない」ということで個人差が出ているからではないかと考えたからです。では、個人差が取り残されている理由なら個人差をなくすことで取り残されないのではないかとも思いました。ですが、個人差は人によるものなので、完全になくすことはできません。そこで考えたのは、練習をすることが良いのではないかと考えました。練習をすれば、少しでも上手く物事に取り組むことができるので練習することは一つの方法だと思いました。けれど、得意不得意があり取り組むことが苦手かも知れません。なので、その時の行動を考えました。取り組もうとしていることが苦手だったら、自分は努力せずそのまま行動しないと思います。そうした時、必要なのは努力することだと考えます。前の文章にもあるように「努力せずそのまま行動しない」のなら努力して行動すれば良いと思い必要だと考えました。
 最後に、自分や周りが取り残されていたらどうするかです。自分が取り残されてたら前の事例にもある通り、物事や言動を一度考えてから取り組んだり、スポーツや個人差で取り残されていたら練習したり努力すれば良いと思いました。他に考えたのは、周りに聞いて一緒にやってもらうことも一つの解決策だと思います。ですが、自分とは違う周りが取り残されていたらどういったことをしてあげたら良いのか、相手がどうして欲しいのかは分かりません。そうした時、相手の立場だったらどうして欲しいかを考えたその上で自分の周りに取り残されている人がいたらどのような行動を取るか考えました。考えた結果、周りが取り残されていたら自分から相手に声をかけてあげることで助けてあげることができると考えました。
 これまで、三つの事例を挙げました。その内の、一つ目の事例と二つ目の事例は自分の実体験で、そこから思ったのは自分から取り残される理由をつくっていることです。これらのことから、大事なのは自らが行動することだと考えます。それは、周りが取り残されている時も同じです。周りに取り残されている人がいたら、自分から声をかけて助けてあげるのも大切です。もし、自分が取り残されていると感じたら一度考えてたり周りに聞くなどをするのが良いと考えました。なので、自分がその場面に出くわしたら前の文章にある通り一度考えたり周りに聞いたり、努力することや周りに取り残されている人がいたら声をかけて助けてあげてみたら良いと思うのでやってみてください。

 

品川七海 横浜国立大学 3年生

 

 「自身が取り残されていることに気が付いていない人」は、「取り残されている人」なのでしょうか。私はそういった人々は、「取り残されている人」であると考えています。私が関心を抱いている「取り残されている人」とは、教育の地域間格差に直面している中学生・高校生です。
 私は昨年から、教育の地域間格差に取り組む、学生団体タルトタタンのメンバーとして活動しています。学生団体タルトタタンは、「どんな環境に生まれても、自分がしたいと思う将来選択をしてほしい」という想いを込め、「自分らしく生きるための環境づくり」をミッションに活動しています。解決したい課題は、大学進学に際して地域によって生じる、大学受験の課題と将来選択の課題です。私たちは、大学に行くことが誰にとっても良い選択であるとは考えていません。大学進学に対し感じる価値は、当然個人によって異なると考えています。私たちが問題視することは、「目指そうとしても十分な環境がないこと」「進学が選択肢として十分に提示されていないこと」です。これの是正のために活動をしています。
 昨年度私たちは、たった9人で活動を開始しました。今年はメンバーが総勢23人となり、2つの企画と4つの運営を設け、各自1つ以上の企画と運営に所属し、それぞれ活動をしています。1点目の企画は地方学習塾でのオンライン学習支援、2点目の企画は地方の高校での具体的な活動案の作成です。これらの他にも、各種SNSを通じて地方の高校生や中学生の日々の学習や受験に役立つ情報の発信、教育に関心を持つ大学生やそのコミュニティとの交流などを行っています。
 私が教育格差に関心を抱いたのは、自身の大学受験に際して経済的な不利を感じたためです。私は都立の中高一貫校の出身のため、周囲の友人はほとんどみな大学受験のために通塾をすることができ、私立か国立か、都内か地方かに関わらず好きな大学を受けることができました。一方私の家庭は経済的に余裕がなかったため、通塾をすることはできず、国立大学のみしか受験することができませんでした。更に遠方の大学を志望していたため、現地までの旅費や宿泊費を、アルバイトをして稼ぐ必要がありました。当時の私は、「どうして私ばっかりこんなに苦労しないといけないんだろう……」と思い、大きな不安や悲しみと同時に、憤りすら感じていました。そして、「中高一貫校に入ったから周囲との差異を感じて、こんなに不利な想いをするんだ。地元の公立中学に入学していればこんな思いをすることはなかったかもしれない」と思うようになりました。
 しかし大学生になってから気が付いたのは、自身と同様に、あるいは自身よりも大きな格差を感じながらも大学進学をした人々の存在でした。
「そもそも中学や高校を選ぶことができない」
「予備校がない、参考書を買う本屋もない……」
「受験を意識する時期が遅くなってしまう」
 そうした困難を乗り越え、大学進学を果たしたメンバー達によると、「自身が不利だったことを大学生になってからより強く実感する」といいます。自身と異なる環境で高校以前の学生生活を送り、自身と同じ大学に通学する他者。その存在に触れることでより明確に、自身の置かれていた環境を相対化することができたといいます。
 最近では、地方の出身で国内外の有名大学に進学したり、何かの分野で卓越した成果を残したりした高校生がよく話題になるようになりました。そして彼らの口から「地域間の教育格差」について語られることも増え、「出身地域が原因で取り残されてしまう人」の存在はある程度顕在化したと言えるのではないでしょうか。そして、それ以前までは自身の置かれている環境を不利だと感じることのなかった人々の目にその情報が触れることで、新しく「自身は取り残されているのではないか」と気づく人は増加するのではないでしょうか。
 自身が「取り残されている」と気が付いた人は、声を上げたり行動を起こしたりすることができます。それの手伝いをすることも、もちろん重要です。それでは、「自身が取り残されていることに気が付いていない人」……「相対的に不利な環境にいるにも関わらず、そのことに気が付かないまま自身の可能性や選択肢を狭めてしまっている人」は「取り残された」ままで良いのでしょうか。私は良くないと考えています。そのため、「自身が取り残されていることに気が付いていない人」の存在を発見し、掬い上げることで社会に、格差の是正に貢献することができるような大人になりたいと考えています。そしてゆくゆくは社会のシステムが、「自身が取り残されていることに気が付いていない人」を無くせるような完成度の高いものにしたいと考えています。

 

 

徳久竜馬 ブラジル‐サンパウロ州 コロニアピニャール日本語モデル校

他の国から来る「仲間外れ」

 「仲間外れ」って、何なのでしょう。
 もし、自分の仲間ではない人を全員「仲間外れ」と呼ぶのであれば、それは自分の仲間でない世界の数十億人が「仲間外れ」ということになります。
 「仲間」、と一概に言っても、様々な仲間が存在します。友達仲間、親戚仲間、地域仲間や同職仲間など、様々あります。
  そして、「国民」という国の民族も、ある一つの「仲間」だと考えることができます。すなわち、アメリカ人、ブラジル人や、日本人でも、国民という民族は、大きな「仲間」ということになり、また、その「民族仲間」というのは、世界に存在する最も大きい「仲間」ということになるでしょう。
 国民や民族という「仲間」は、同じような考え、同じ常識を持ち、同じ法律に守られています。そういった「仲間」の中に、別の国からやってきた人がいるならば、その人は、その民族の「仲間外れ」となります。
 それこそが、「他の国からくる仲間外れ」です。
 日本だけにとどまらず、どの国でも、民族という仲間が、別の国からやってきた「仲間外れ」を取り残すのは、起こり得ることです。自分も、父も、そして祖父母も、その仲間はずれと呼べる境遇にいました。
 外国では「日本人だから」として見られた自分、日本では「外国人だから」として違う視点から見られた父、そしてブラジルでは「移民者だから」として国民とは別の概念で祖母は見られてきました。それでも、自分も、父も祖父母も、社会に取り残されないように尽力してきました。
 しかし、どれだけ取り残されないように頑張ってきたとしても、自分たちがブラジル国民の仲間外れであることに変わりはないと感じています。
 なぜある国に「別の国の村」ができてしまうのか。
 自分が未だにブラジル民族の仲間ではないと感じたのは、そういう外国人村の存在意義を考えた時でした。なぜ日本に「外国村」があるのか。なぜ外国に「日系村」があるのか。
 それに対する自分の考えは、「仲間外れ」同士が自分たちの「仲間」を作りたいから出来てしまった村、それが「外国人村」なのだと結論付けました。
 そして、自分がブラジル民族の仲間外れだと感じるのも、このような「仲間はずれの仲間」にいるからなのだと考えました。
 そう考えると、「誰一人取り残さない」というのは不可能に近いことなのだな、と、感じます。誰かを取り残し仲間外れができてしまうのも、起こるべくして起こってしまい、人間が作る社会に仲間というものが存在する以上、どうしても「仲間外れ」というものは出来てしまうのではないでしょうか。
 しかし、解決の糸口が無いとは思っていません。自分たちが仲間外れでなくなるというのは難しくとも、互いに「違う仲間」である概念の「壁」を壊すことは出来ると信じています。要するに、差別概念を「壊す」ことはできる、ということです。
 ある人は、ブラジルに来た時、そういった民族間の疎外感を感じることが多々あったそうです。しかしその人の子供は、そういった疎外感を感じることなく大人になったと、話していました。これは、友達の親の話で、日本人同士の子供がブラジル民族の「仲間」となれたとも言える話です。
 その親は、自分がその国の民族の「仲間外れ」であり、いわゆる日系村の「仲間」だったにも関わらず、子どもに対しては、仲間同士の壁を壊し、自分の子供をその国の民族の「仲間」にさせる事が出来たすごい人だと感じています。
 更に、この題に関してとても感銘を受けた作品があります。それは誰もが知る作品、尾田 栄一郎の「ワンピース」という作品での描写、人間と魚人の種族問題です。そこでは、何百年という歴史をかけて魚人と人間という種族は争っていました。
 作品内では、魚人が人間を恨み、人間が魚人を蔑む中で、 魚人と人間の共存を願っていた人は「(この恨みを)子供たちだけには伝えないで…」というシーンが描かれていました。ここは、「自分たちはその種族を恨んでもいいけど、自分達は種族間で争っていてもいいけど、次の世代の子供には、各々の考えを持たせて欲しい」という想いを、作者が伝えたかったシーンだと、自分は直観しました。
 そういった考えの中で、今、仲間外れというものを減らすために我々ができることは、次の世代、自分たちの子供に「自分達はあの人達と違う仲間だ」ということを、伝えないことではないかと思います。
 黒人、白人、金持ち、貧乏。性格や宗教。そういった様々な違う仲間がいる世界で、自分たちの次の世代、子どもや学生などに、
「あの人たちは仲間外れでもないし、仲間でもない。誰が仲間かは、自分たちで考えてくれ」
と、伝えるのが、未来に最も希望が持てる正しい伝え方なのではないか、と信じています。
 冒頭で「仲間外れとは何なのでしょう」と問いかけました。これについて自分の考えを述べるならば、「仲間外れ」とは、自分と他人の間に壁を作るだけの、本当はいらない概念なのではないでしょうか。

 

藤平一寿 桐蔭学園高等学校

 

家に帰ると父がいなかった。当時、社会を何も知らない私にとってなぜ居ないのか全く理解ができず、サプライズか、どこかへ出かけているのか、様々な憶測が私の頭の中を飛び交った。しかし何日経っても父が家に帰ってくることは無かった。
私は小学4年生の時に手術を有するほどの骨折を負った。それまでの私の家庭は、【父が働き母が主婦】という一般的とされているものだった。しかし私が入院してから、母も父も妹も「私の為の生活」を余儀なくされた。母は2ヶ月という長い入院に伴う高い入院費と手術費を賄うために働き始め、父は毎朝料理を作って私の病室へやってきて私があまり好きではない病院食の代わりを提供してくれた。そして妹は学校終わり疲れている中毎日病室に通いつめ、寂しい気持ちを少しでも紛らわせようと努力してくれた。これらのこともあり、自身の時間を持つことが少なくなった家族は、【自由な時間】という選択肢を制限され心に余裕を持てない日々が続いているのが見て取れた。そしてついに退院したが2ヶ月もベットに寝たきりだったためリハビリがその後半年ほど続いた。そしてリハビリ期間中に母に尋ねた。「なんでパパは居ないの?」その言葉に母の表情は一変し、一言告られた。「もうパパは帰ってこないよ。お別れしたの」当時14歳ながら全く理解が出来なかった。周りに父親がいない家庭なんて当時は聞いたことがなかったし、父と体を動かす日々が私にとってかけがえのない時間であったのは当時からずっと実感していることだ。その後私立小学校に通っていた私は、受験シーズンに差しかかるも心のーどこかで何かが欠けている感じがして勉強に身が入らず中学受験に失敗した。周りの生徒たちは次々に合格の報告を先生に伝える中、私は1人、卒業まで合格報告をすることが出来なかった。周りと環境が異なり過ぎる私は自分自身を表現することを避け、なるべく目立たないように、でも周りから遅れを取らないようにと人の目を常に気にして生きてきた。しかし高校に入学しサッカー部に入部した私は、ピッチ上で自分自身を表現しなければ試合に出ることが出来ない、自ら選択肢を経つことに繋がるということを実感した。

そのような中親の仕事の関係でカンボジア人の女性の友人ができた。彼女と様々な話を重ねる中でカンボジア人貧困者には親の経済的理由や家柄によって【選択肢】が制限されている現状を知った。私たちの当たり前が当たり前にできないことを知り、ある意味『世界から取り残された』彼女たちが私のバックグラウンドと多少なり重なる部分がありそのような【選択肢を制限された人々】を1人でも多く救いたいと思うようになった。

そして私は東南アジアへの物的支援を寄付という形で何度か行ったが、様々な文献を見るとひとつの疑問が私の中で生じた。それは何年も寄付を受けているのにもかかわらず一向に成長を感じられなかったことだ。自分たちで国を治める、国を作っていく力が明らかに足りていないカンボジアで、物的支援より教育や知識など学問や哲学的力が足りていないのではないかと考えるようになった。しかし、現在日本から学校等設立されているが経済格差が顕著に現れている現状がある。地理的問題もあり、通学に歩いて1時間以上かかる子もいれば学校に通うためのお金すらない子だって沢山存在する。ひとつの例として、学校給食が無料で食べれるから無理をしてでも子供を学校に通わせる家庭すらあるという。

このようなSDGsの①、②、④、⑥が密接に絡み合い複雑な問題を生み出している中で、私は1人でも多くの【世界から取り残された】貧困者を救うべく、現地で哲学的教育や自治ができるような力を養う知識を与える人間になりたい。

 

komaki haruna 京都大学 修士1年

 

たったこの数年で、巷の商品はSDGsを意識したものが本当に増えたと感じる。オーガニックを謳う化粧品や食材も目立つようになった。ファッション誌でも「エシカル」の文字が踊り、そうした製造過程や素材がトレンドとして取り上げられている。良いことだと思う。
それでも、掲げられ、目指す目的としてのSDGsは、少なくとも日本では、流行りの一つに思えてしまう。どんどん広まって、一般的になってほしいが、どうも上滑りしている気がする。
 余裕がある限りは、有機栽培の野菜や果物を買うようにしている、と言うと、まだまだ「意識高い系」のように見られる。偉いねだとか、考えてるねと(実際考えているのは事実だが)言われる。ひとつの選択肢として「当たり前」と反応されることはまずない。決して、金銭的にめちゃヨユウ、というわけではないのだ。袋菓子を買ったり、月に数回の外食をしたりしなければ、良い食材が買える。すべて作れば、料理は買うよりずっと安い。
 SDGsというワードが世間に流布するよりはるか昔の20年前でも、我が家に合成洗剤はなかった。香料も何も入っていない固形石鹸があるだけ。慣れてしまった人にはわからないのだろうが、今の市販の洗剤や柔軟剤の匂いは尋常ではない濃さだ。香りだけでむせてしまい、頭痛がするような私にとって、それはもはやイイ香りではなくて、苦痛なニオイになっている。あまりにきつすぎて、香料の元の化学物質が環境ホルモンや脳に影響するのではと思う。
 ワンプッシュで漂白ができるようなボトルも家の中にない。汚れ落としによく使われるアレは、塩素が主成分で、下水に流れていった塩素は有害物質のもとになると、どれくらいの人が意識しているだろうか。
 ある意味、超最先端だったのに、いつも浮いていたというか、周りとの齟齬があった。そして今も、SDGs的な生活に一般よりは近いはずなのに、いつか気付けば取り残されているのではないかと思うことがある。世界の流れからではなくて、自然とのつながりから。人間の作ったものに囲まれた、自分の口に入るものひとつ、直に自然界から得られない生活から脱出できるのだろうかと不安になる。
 自然が人間を取り残すことはないのだが。いつでも、私たち人間に水と食べ物、そして空気を与えてくれている。たとえそれらが人類の作り出した毒に汚れて、人間の体に合わなくなったとしても与えつづけるだろう。
 取り残されている、というと、自らのことや社会的弱者―例えば子供や女性、低所得者―を考えやすいのではないだろうか。しかしその根底には、上からくる流れ(に取り残される)という上意下達の意識があると思う。そして私は、その流れの源流こそ、流れの先端から取り残されているのではないかと考える。源流、即ち、「SDGsに向けて・・・・・・」と大っぴらに話す人たち。政府の人間や国際機関、会社の上層部の人々。彼ら自身は、持続可能な開発目標に適う、環境負荷の少ない生き方をしているのだろうか。高価なスーツには、石油製品を使うドライクリーニング。接待に使われる食材は、遠い国から、莫大な二酸化炭素排出を伴う航空機で輸送されてきたものもあるのではないだろうか。コンクリートの建物のなかには、不必要なまでに明るい照明。それらのぜいたくこそ、SDGsからはるか遠く、地球の恵みから「取り残された」ものだ。彼らはそのことに気づいているだろうか。そして、彼らが生み出した流れの下流にいる私たちは、上流の岩は下流の景色を見たことがないと分かっているだろうか。
 天然資源には限りがあり、自然の持つ浄化機能には限度があると、子ども時代に教育されなかった人たち。SDGsをワールド(ソサエティ)スタンダードだと声高らかに唱える人たちこそ、最も取り残された人々かもしれないということを忘れてはならない。上下のある人間社会の中で、下を救い上げるのであれば、上も巻き込んでいく必要がある。わたしもあなたも、いつでも、取り残される人にも置いてきぼりにする人にもなり得る。
 地球環境は人と切り離されたものではなく、繋がったものとして思いをはせ、人間個々人の中身への想像力を働かせ、慮ることができてこそ、人類の未来はあるのではないだろうか。

 

古賀大海 神奈川県立多摩高校3年生

 

 SDGsの「誰ひとり取り残さない」という基本理念は、社会や経済、その他様々なことにおいて排除されている人々を無くすことを目標にしている。果たして、そのことは本当に良いことなのだろうか。私は学校での教育の体験からそのことについて考えてみたい。  私の高校では、グループワークを利用した授業、例えば、英語の授業で英訳をペアで行うことや、国語の授業で物語の登場人物の心情をグループで共に考えるということが数多く行われている。もちろん、こういったグループワークをすることで良い面もある。それは、友人と話をすることで自分とは違った考え方に触れることができたり、問題を出し合ったりすることで知識の定着を図ることができるということだ。このことは、教育面において、取り残される人々を減らすことに繋がるのも確かだろう。しかし、私は全ての人にグループワークを強制させ、取り残される人数を減らすような教育をすることに反対である。  そこには2つの理由がある。まず第一に、私は知らない人と関わることが苦手である。知らない人と話したり、何かを行うことで得体のしれない圧迫感、つまりストレスを感じるのだ。また逆に、一人でいるときにはそのようなストレスを感じることはなく、思いのままに自分の学習ができる。私のように、知らない人と関わることにストレスを感じ、自分から取り残されたいと思っている人は少なからずいるはずだ。そのような人々は、「誰ひとり取り残さない」という基本理念によって苦しんでいるのである。第二に、大人数で何かを行うことが逆に一人一人の能力を阻害するということだ。私はこのことを先程述べた学校での国語のグループワークで体験したことがある。そこでは、ある一人の意見にその他の人が賛成し、その他の人は何も考えようとしなかった。一人一人が考えられる力を持っているにも関わらず、自ら考えることを放棄してしまっているのである。この事例から、グループを作り何かを行うということが集団心理を働かせてしまうということがわかる。集団心理は個々の能力を阻害してしまい、個人の成長を妨げてしまう。「誰一人取り残さない」という基本理念はこのような面でも悪い影響を及ぼしているのである。  以上述べたように、私はグループワークを強制させ、取り残されている人を救おうとする教育には反対である。また、私はSDGsの「誰一人取り残さない」という考えが必ずしも良いことだとは思わない。私は学校の教育において話を進めたが、他の様々な場面でもその理念に苦しんだり、悪影響を及ぼされたりしている人々がいるはずだ。そういった人々一人一人に配慮しながら社会を作っていくことが大事なのだと私は考える。

 

 

柴田菫 大田区立新宿小学校

 

 私は、「誰もが取り残されない社会をつくる」ということはとてもむずかしいことだと思います。
 実際に経験したこととして、四年生の時に行った社会科見学があります。その時の社会科見学では、役所の設備を見せてもらいました。一番心に残っていることは、役所の中にある点字ブロックの話です。役所の人の話によると、ふだん外にある点字ブロックは、車イスにのっている人やベビーカーを押している人にとっては、段差があるためじゃまになってしまうということでした。これまで私は考えたことがなかったけれど、たしかに言われてみると「小さな段差になっているから、通りづらいだろうな」と、思いました。でも、視覚障害者の方にとって、点字ブロックはなくてはならない存在です。「どうしたらみんなが使いやすいものになるのだろうか」と思いました。
 役所の方々の話を聞いていると、すでに役所の中には工夫がされていました。その工夫は二つあり、一つ目は点字ブロックの段差の厚みを薄くして、少しでも車イスなどが通りやすいようにする工夫でした。二つ目は、こうなるともやは「点字」ではなくなるのですが、その点字ブロックの点の部分だけをなくし、平らにした上で、素材をシリコンに変えるという工夫です。その素材の違いで、点字の代わりをはたします。とてもいいアイデアだと思ったのですが、まわりが大理石でできている役所の床にかたいシリコンだと、白杖でさわった時には、変化がわからないのではないかと思いました。そうなると、一つ目の工夫の方が視覚障害者にとっては、安心できるのではないかと私は考えました。
 このような工夫を見た私は、最近のすばらしい技術を使ってできるだけ多くの人に住みやすい社会を作るように努力し、工夫を重ねることが大切だと思いました。最初は全員でなくてもいいと思います。
 この経験をふまえて、今、私ができることは何か考えました。それは、自分の考えが正しいと思いこまずに、色々な人の目線で考えるということです。点字ブロックが、車イスに乗っている人やベビーカーをおしている人などのじゃまになっているということを、私は最初、思いもしなかったからです。
 ちょうどこれから、国語の時間に「みんなが過ごしやすい町へ」という学習をします。その学習では、「グーグルマップ」を使って私のすんでいる町のくらしの工夫を見つけます。その時には、日常で気づくこと以外にも細かい工夫などにも注意して取り組みたいです。
 また、SDGsという言葉について、私はまだあまりよく知っていません。この作文を機に、十七の目標一つ一つに目を向けていきたいです。

 

 

山崎佑奈 高校3年生

 

「私は臨床検査技師になりたい。そして自分の人生を通して誰かの力になりたい。」
私はこの言葉を見て、自分の浅はかさを思い知った。これを書いたのは、約4年間難病と闘い続けている同級生だ。中学2年生の時、私は彼女と同じクラスで、何気ない日常が流れていた。それがいきなり途切れたのは、春休み直前、先生が発した言葉だった。
「○○さんは入院することになりました。長期的なもので本人も不安だろうから、来年度同じクラスになった人は、支えてあげてください。」
私はすぐには理解できなかった。少し前まで同じクラスで過ごしていた同級生が、復帰時期が定まらない程の難病を発症するなんて、想像したこともなかったのだ。
彼女が本格的に学校に戻ってきたは、高校1年生の時だった。しかし完治したわけではなく、足には装具をはめ、両手に杖を持った状態だった。学校の行事にも参加できず、体育の授業も見学ばかり。体調を崩して学校に来られない日も多々あった。
「かわいそう。」
私はただ、そう思うしかなかった。「私たちと違ってかわいそう。」というのが、本心だったのかもしれない。みんなと彼女の間には、「普通の人」と「そうでない人」という、目に見えない壁が存在しているようだった。
そして会話もほとんど交わさないまま、同級生として過ごす最後の1年を迎え、4年ぶりに彼女と同じクラスになった。
「日直日誌に今自分が思っていることを書いて、みんなでシェアしましょう。」
先生からそう言われた私たちは、各々自分が今思っていることを書き込んでいった。私の番になり、みんなが書いたページをめくっていると、あの子のページが目に止まった。
「私は臨床検査技師になりたい。そして自分の人生を通して誰かの力になりたい。」
冒頭にも書いたこの言葉は、ずっと私の心に残っている。彼女は自分が何度も大きな手術を受けて、学校にも行けず、当たり前の生活ができなくなったと、赤裸々に書き綴っていた。しかし彼女は決して悲観的ではなかった。こんな私だからこそできることがある、自分の生き様を通して誰かに生きる希望を伝えたい。彼女の強い意志が、1文字1文字から伝わってくる文章だった。私は心のどこかで「障害を持つ人は夢や希望を持つのが難しい」と思ってしまっていた。きっとこのような偏見はまだまだ社会に存在するだろう。しかしそれは大きな間違いだと彼女は教えてくれた。障害の有無に関わらず、自分の人生に希望を持ち、全うすることはできる。生まれた瞬間から、誰にでもその権利はあるのだ。「あの人は私たちとは違うから差別されても仕方がない、取り残されても仕方がない」という考えはなくしていかなくてはならない。このような世間の考えに、夢や希望を閉ざされる人がいてはいけないのだ。
私は彼女の言葉に勇気をもらった。自分自身に誇りを持って生きようと思った。障害の有無や生活環境に関わらず、全ての人が夢や希望を持ち、人生を全うできる社会。そんな社会づくりのために、自分ができることを精一杯していきたいと思っている。

 

久須美凜 大正大学 3年生

 

 「私の勝ち」と一瞬でも頭に浮かぶことがよくあるのではないだろうか。幼い頃から、集団行動を経験し、勉強やスポーツなどで同じことを一緒にすることが当たり前になっていた。出来る子は褒められて人気者として扱われる一方で、一生懸命取り組んでも出来ない子がいる。クラス、学校、近所の地域などの限られたコミュニティしか知らない子供たちにとって、周囲からの評判が最も人間形成に影響していくのだ。集団の中で、出来る子が特別に必要とされているわけではなく、出来ない子が輪の外側に弾き出されるわけでも無い。その子を見る視点を少し変えることが大切になってくる。
中学生までの私は、成績が良く、リーダー役を務めることも多かった。先生や親からも期待され、信頼も厚く、典型的な優等生だった。だから、上の世界にいる気でいたのだ。クラスの中でも、不器用で勉強が苦手な子や不登校気味の子を気にかける優しさは持っておらず、傍観者のように周りに興味がなかった。しかし、高校生になると状況が激変した。地元の進学校の授業に追いつけなくなったのだ。1度できないと分かると、勉強に励むモチベーションが見つからず、目標を見失った。中学生の時に見下していた不器用で勉強が苦手な子になったのである。自分で自分に戸惑った。去年までの私とは正反対で、自分が嫌いになる一方だった。そんな時に、希望をくれたのはダンスだった。唯一の特技で、他の生徒ともダンスであれば自信を持って関わることができた。ダンス部に所属したことで、振り付けを任されたり、全体を確認して修正の指示を出したりと頼られる場面も多かった。私が役に立っていると分かると、安心感ややる気を持って学校生活を送ることが出来たのである。このように、中学生と高校生の6年間で、クラスの上位と底辺を経験し、人には得意不得意があって支え合い、協力し合うことが大切であると実感した。
さらに、大学生になってから上京、一人暮らし、初めてのアルバイト、サークルなど地元にはなかったもので溢れていた。そこで、人間は面白いと思った。なぜなら、なんとなく大学生になってみたり、やりたいことがあったり、とにかく親元から離れてみたかったりなど、理由は様々でも全国各地から同じ大学の同じ専攻を選んだ同世代の人間が集まった。この状況がとても新鮮だった。地元に比べて、それぞれの得意不得意の差がはるかに大きかったが、逆にそれが良いことだと気付いた。例えば、プレゼンテーションは苦手だがグループワークでは統率力を発揮する人、資料作成は苦手だが情報収集が正確で早い人、あまり頭は良くないが指示された仕事はしっかり実行できる人など1人では欠陥があっても、皆がいるからお互いを補い合って目標まで進むことが出来た。
つまり、誰かに必要とされることで自分の存在価値を見出し、自信を持って生活する力に変わるのだ。集団の中で成長すると、無意識のうちに自分の地位を決め、この地位であればこれくらいの存在感で過ごそうという思考になる。それは、ネガティブな人も同じで、ポジティブな人に対して苦手意識を持つ傾向がある。相手に対する「尊敬」と「嫉妬」の感情は紙一重で、どちらも「羨ましい」から生まれるのではないだろうか。もし、この瞬間にもネガティブで孤独だと思っている人がいるならば、安心してもらいたい。人間は、誰かの得意分野に憧れて、自分の苦手分野を無くしたくなるように、他人を「羨ましい」と思う生き物なのだ。皆が皆に「嫉妬」していて、魅力を見て「尊敬」する。誰もがその対象となり、集団は成り立つ。上にいると思っている人は一旦振り返り、下にいると思っている人は周囲に目を向け、自分が今いる状況を見直して欲しい。いつの間にか、ずれが生じ、実際にはそれほど周りとの差が無いかもしれない。皆が足並みを揃えて歩いて行けるようにお互いに「尊敬」してみるのはどうだろうか。

 

甘道音羽 鎌倉市立小坂小学校 6年生

 

 私は、「何故取り残されてしまっている人がいるのだろう」と疑問に思いました。取り残されてしまっている人は、きっとみんなついていけていない人や、いじめられている人、人とのコミュニケーションが苦手な人、障がいがある人、などが取り残されてしまっているのでは無いのだろうかと思いました。このような理由で取り残されてしまっている人は沢山居るでしょう。だから、障がいのある人はどうしても一人になってしまう。なので取り残されてしまう人がいなくなるということは出来ないと思いました。
 いじめというのはやってはいけないと言われてもやっている人は沢山います。あの人が嫌いだから虐めてしまおう。私達の話についてこれないから省いてしまおう。そういう考えをしてしまうとどんどんその人との距離がでてしまうと思いました。みんなと仲良くするのはとても難しい事だけど、いじめというのはどんどん人を追いつめて自殺にまで発展してしまったというケースもあります。私はそのような内容の記事をニュースで見たことがあり、見てて凄く悲しい気持ちになった事がありました。いじめは絶対にしてはいけない。いじめをしてしまったことがある、もしくは虐めているという方は少し考えてみてほしいです。
 障がいのある方、は朝起きるだけで苦労してしまいます。それは私達にも、わからないほどの苦労が沢山あります。障がいのある方を馬鹿にしたり、からかったりする人は少なからずいると思いました。障がいのある方とどういう接し方をすればいいか分からないという人も沢山いると思います。なので、私は、障がいのある方達にどういう接し方をすればいいのか少し考えてみました。そこで私は思いつきました。みんなに接しているように普通に接するということが大切です。みんなみたいに遊びに誘ったり、話に参加してほしいと声を掛けたりなど少しでも「一緒に話さない?」や「一緒に遊ばない?」と声をかけることは、とても大切なことです。なので、皆さんの周りに知り合いじゃなかったとしても障害者じゃなかったとしても「困っている人がいれば助け親切にする」。という行動はとても大切な事なのではないかなと思いました。
 コミュニケーションが苦手な人は皆さんの周りに沢山いるでしょう。私の周りにも「人が怖い」と言って学校に来れていない子がいます。私は、それを聞いた時に思ったことがありました。それは「何故人が怖いんだろう?」「自分も人間なのに」と思ってしまいました。ですが、人が怖くない人もいれば人が怖い人もいる。なので私は人それぞれの感じ方なんだなと考えました。その子が何故人が怖いのかはわからないけれど、どうやったらその子も楽しく学校に来れるようになるのだろう、と少し考えてみました。私が考えたことはもし、その子が久しぶりに学校に来たからと言って話しかけたりするとその子は「びっくりしちゃうのではないかな。」と考えました。なので、沢山話しかけたりしないで「普通に接する事が大切なのかな。」思いました。
 人が怖い子には過剰に声をかけず普通に接することも大切です。
やはり取り残されてしまっている人はあなたの周りにも沢山いるのではないでしょうか。皆さんは人とのコミュニケーションが苦手な人、障がいがある人にどの様な接し方をしていますか?もし周りに皆さんも仲の良い子に接しているように優しく声をかけてあげませんか。

 

齋藤いほり フリーランス

 

 昨今よく耳にするようになったSDGs。関心がない人でも、その言葉を聞いたことがない人はいないだろう。わたしがSDGsについて知るきっかけとなったのは、ラジオやテレビの特集だ。「最も脆弱な人々の…」「最も貧困な人々の…」というように、多くの発展途上国が目に浮かぶ。では、わたしたちには関係がないことなのかというと、それもまた違う。若者たちは日本についてどう感じ、どう考えているのだろうか。わたしは不安と絶望が大きい。それは、わたしが女性性を持っているということもあるが、25歳という若者だからでもある。わたしたちは、日本の政治を動かす男性や大人たちに、そして国際社会に、取り残されてしまう存在ではないだろうか。
 現在、日本のトップの年齢は70歳を超えている。国会議員の平均年齢は50歳以上、8割以上が男性だ。男女比は世界で166位と、とても先進国とは思えない数字である。
 あの頃は当たり前だった高校入試の男女の点数差、何もおかしいこととは思えなかった。あまりにも普通な顔をしてそこに存在していたから。今は露骨で不当な性差別だと分かるし、その差別を前に夢を諦めた女性を思って、怒りが沸々と湧き上がってくる。「差別ではなく、女性の能力が劣っているからだ」と言う人がいるが、同じスタートラインにすら立たせてもらえないことを知っているだろうか。
 結婚するとき、なぜほとんどの女性が自分の姓を失うのか。女性が結婚して子供を産んだら、個人としての色が少しずつ褪せていくように感じるのはわたしだけだろうか。妊娠を機に仕事を辞めさせられ、ひとりで家事育児をしていた母親を見て、わたしはそう感じた。母の、1人の人間としての人生はどこにあったのだろう。女性は自分で選択することすらできないのか、と悔しくてやるせなくなる。わたしは、わたしの頭で考えて、わたしの言葉で伝えて、わたしのこの手で選び取りたい。だから人生を共にしたい人と暮らしていても、制度的な結婚を避け続けている。好きな職業を選べる社会を目指すならば、まずは自分の姓を自分で選ばせてほしい。同様に、大切な人にも自分で選んでもらいたい。
 また、最近では、性的マイノリティや女性に対する差別発言が頻繁に話題になる。染み付いて消えることのない差別意識に、怒りを通り越して呆れすらある。このような発言が多くの人に批判されると「不適切な発言だったので撤回する」などと言って、発言自体をなかったことにしようとする。わたしは繰り返されるこの流れに違和感を覚える。ただその場を取り繕っただけではないか。問題なのは発言ではなく、その人の根本にある差別意識なのだ。発言の非を認めるのであれば、自己の意識を改めるべきだと思う。
 わたしたちが生きる世界には様々な人が存在する。まさに多様性だ。それは最近になって増えてきたのではなく、ようやく声をあげて存在を示すことができるようになっただけだ。その存在を断固として認めない人たちがいるが、その人が存在することに誰かの承認は必要ない。すでに存在しているのだから。わたしは女性であり、男性に恋愛感情を抱くので性的指向ではマジョリティにあたる。なぜこんなにも性的マイノリティに対する差別発言に怒りが湧いてくるのか。それは「自分だけ良ければいい」とは到底思えないからだ。ある統計では10人に1人、という割合が算出されているように、わたしの周りにもこの差別に苦しんでいる人が多くいるはずだ。苦しんで傷ついている当事者だけに闘わせるのではなく、当事者以外の人が率先して声をあげて、共に闘うべきだと思う。わたしが「女性だから」という理由で傷つけられたとき「あなたの問題だから、自分でなんとかして」なんて言われたり、そんな空気を感じたりしたら「こんな逆境でボロボロの心を抱えては闘えない」と思うだろう。諦めてしまうかもしれない。
 マイノリティが生きやすい社会は、誰しもが生きやすい社会だ。自分のことをマジョリティに属すると思っている人も、それすら意識したことがない人も、いつ、何が起きるか分からない。事故に遭って障害を背負うかもしれないし、突然難病を発症するかもしれないし、職を失って路上生活や車上生活を余儀無くされるかもしれない。民主主義は多数の意見が尊重されるが、少数の意見を蔑ろにせず、丁寧に汲み取っていくべきだと思う。
 誰ひとり取り残さない。なんてやさしい言葉だろう、と嬉しくなる。そんなやさしい世界になったら、ここに暮らす今のみんなやこれからのあの子が、遥かに生きやすくなるはずだ。そして将来や国に対する絶望は、希望へと変えていけるはずだ。そのために、小さくても、まずできることを。知って、発信して、参加すること。わたしはここから始める。

 

高砂優羽 福井県立高志高等学校 2年生

 

 「誰ひとり取り残さない社会」という言葉を聞いて、真っ先に思い付いたのは、性的マイノリティについてのことである。私の知人にも当事者は何人もいるし、私自身も中学の時に女性に恋をしてから自分は両性愛者であると自認した当事者の1人だ。近年、日本では「LGBT」という言葉をはじめとして、性的マイノリティへの理解が進んでいるように感じる。さらに、私は現在高校生なので、性的マイノリティについてテレビやインターネットで知ることができるような時代しか知らない。それでも「社会から取り残された」と感じることがある。一番それを強く感じたのは学校での授業でのことだ。
 高校2年生のとき、保健の授業で、思春期の心・体についてや結婚・妊娠・出産についての話があった。そこでは毎回のように先生からの「高校生にでもなれば一度くらい異性を好きになったことがあるだろう」「将来は結婚して子どもを産み育てるだろう」といったイメージに基づいた発言がなされていた。さらに、保健体育の教科書にも「思春期になると異性への関心が高まる」と書いてある。私は性的マイノリティに属することを自認してから周りにある程度カミングアウトしてきたのだが、批判的なことを言われたことはほとんどなかった。しかし、この授業のなかで初めて「自分は社会の中では普通ではない」と宣告されたような気がした。学校の授業を通して初めて社会からの疎外感を感じたのである。これにはかなり悩んでしまった。
 だが、よく思い返してみると、小学校や中学校でも同じような教科書で同じような授業を受けている。それなのに、高校での授業で初めて違和感を覚えたのは、自分が当事者であると気づいたことが深く関係しているだろう。当事者であると自覚する前は、私も前述の先生と同じような考え方をしていた。おそらく、マイノリティに見えている小さな違和感は、マジョリティにはなかなか見えないのだと思う。マジョリティにはそのことについて意識する必要性も機会もないからだ。
 そのことに気づいてから、どのように私の気づきを表現し、性的マイノリティも含めたより多くの人が生きやすい社会にしていけるのか考えるようになった。そこで、その1つとして、性的マイノリティがより過ごしやすい社会にする方法を、私が違和感を覚えるきっかけとなった学校教育を中心として、学校の課題探究活動の一環として研究している。
 現在考えている方法は、「性の多様性に関して学校で教える」ということだ。これには2つの狙いがある。1つは、性的マイノリティの生徒が私のように授業がきっかけで悩まないようにしたいというものだ。実際、社会では異性愛者がマジョリティなので、現在の授業の内容を大きく変えることはできない。しかし、「当てはまらない人もいる」といったように、性的マイノリティについても伝えることで、当事者の生徒の悩みや不安を今より減らすことができると考えている。もう1つは、当事者以外の理解をより深められるというものだ。学校教育のなかで性的マイノリティについて知る機会を作ることで、今までそういった情報に触れる機会がなかった人も含め、多くの人が正しい知識を得ることができる。また、マジョリティゆえに意識して来なかったことについて考えるきっかけにもなる。そうすることで、社会全体として理解が深まり、より性的マイノリティが生きやすい社会になるだろう。
 この案には不完全なところも多くあり、改善も必要であるが、このように自分の気づきを少しでも伝えていくのは続けていきたいと思う。そして、自分事として考えることができた問題に関してだけでも行動を起こすことで、同じような人が少しでも社会から取り残されたように感じることなく生きられるようにしていきたいと思っている。

 

 

山﨑春菜 長野日本大学高等学校 2年生

 

人間が生きていく上で大切なことと聞いて何を思い描くだろうか。確かに住むところ、着る物、人、お金、知恵知識など思い思いの大切なことがあると思う。しかし、やはり人間の生活に深くなじみ、必要不可欠なものは食ではないだろうか。人間は植物のように土に根を張って栄養を得たり、太陽からエネルギーを得ることができず、一食一食から自分に必要なエネルギーを摂取して生活している。しかし、満足するまで食事を取れることは果たして当たり前のことなのだろうか。私が17年間生きてきた中で学んだことは、自分の当たり前であることは決して周りの人の当たり前ではないこと。当たり前であることに疑問を持たなくてはならないことだ。私は食べること、料理することが好きだ。もっと知識を深めたいと食に関して調べていたところ、食に関する社会問題という記事を見つけた。その中から私が気になった社会問題は、フードロス、6つのこ食、健康格差の3つだ。
まずはフードロスに関して。日本は食品自給率が低いにも関わらず、フードロスがかなり多い。また世界的に見てもフードロスは国際的な問題である。ある記事では世界的に見たフードロスは世界の生産量の1/3であるという記事を見つけた。どうしてフードロスは生まれてしまうのだろうか。私は捨てることが当たり前と考えている人が多いのでは無いかと考える。その当たり前という考えが根付いていることはかなり恐ろしいことだと思う。
次は6つのこ食に関して。私は6つのこ食の内容を見て、今の日本、世界の家庭の食卓に対して的確な表し方だと感じた。その中でも健康問題、生活習慣病に対しても深く関わっていると感じたのは「孤食」だ。孤食の意味は寂しい食事である。孤食は他のこ食にも深く影響を与えている。
最後に健康格差に関して。健康格差と深く関わっているものが所得である。お金に余裕がある時、人々は贅沢をしたいと思う。お金に余裕がない時、人々は切り詰めることを惜しまないのでは無いだろうか。そんな時切り詰めやすいのは食事である。栄養を十分に取ることを考えずに節約を考えるため所得が多い者、少ない者の格差が生まれるのである。そのため健康習慣にもそれらはかなりの影響を与えるのである。
これらの問題に対して社会が行なうべき対策を私は考えてみた。
まずはフードロス削減に向けて行うべきこと。それは外見を気にしないこと。主に野菜が多いと思うが、大きさ、形を神経質に揃えるあまり、除外されたものは加工されるケースも多いが捨てられるケースも少なからずある。私は野菜が綺麗なものであるという考えを払拭したい。それらを安く売るという考えではなく、全て同じ商品として扱って欲しいのだ。同じ味であるにも関わらず優劣をつけることがロスを生む。まずはその当たり前を変えていきたい。
次に6つのこ食に関して。1番問題とされている孤食をなくしていくために、朝食だけでもみんなで一緒に食べることが大切だと思う。たとえ1日のうち1食分だけでも一緒に食べようという意識を作ること。朝お父さんお母さんがどうしようもなくみんなより早く出てしまう時は、置き手紙を残していくなど、毎日家族とコミュニケーションをとることをゆっくりと頑張りすぎないペースで十分なので、続けていこう。
最後に健康格差に関して。健康格差の主な原因の所得格差、仕事の職場やストレスへの対策はなんだろうか。それは社会が健康を守るための社会環境を整備する必要があるということだ。社会環境整備とは、健康へのアクセスの改善と公平社会を作ること、そして社会活動への参加の機会を増加させることが環境の質を向上させることになる。食をはじめとした環境を整備することで人々の生活のしやすさは大きく変わると考える。
私は学校で私たちの代からSDGsを広めていくグループを発足させ、定期的に活動報告を行なっている。また文化祭でさらに全校の関心を集めるために、目標を達成している国の郷土料理を長野県の郷土料理であるおやきの中に入れての販売を予定している。誰かに任せるだけでなく、まずは自分たちが動くこと。周りのみんなに広めたい、一緒に頑張っていきたいという気持ちが芽生えた時こそ、本気で取り組むべき時だと考える。
私は将来、人と社会との関わりを常に持ち、そして社会、人々のために働きたいと思ってる。見捨てない、自分たちが良ければいいわけではない、手を差し伸べること、共に作っていくこと、補い合うこと、助け合うことを当たり前にしていくこと。近所の方々とですら会話がない、そんな状態を当たり前だと思わないで欲しい。自ら人との関係を絶った瞬間、社会と人を繋ぐ糸は解けていく。
一緒に動こう。考えよう。誰ひとり取り残さない。私たちが動くことは未来の子供達の社会を守ることに繋がっていくのだから。

 

 

松本侑里花 兵庫県立大学1年生

コウノトリが気づかせてくれた私の存在

私は地域から取り残されていた。今までずっと兵庫県で暮らしてきたが、私は地域のことを
知らなかった。このことを強く感じたのは、兵庫県の豊岡市にある兵庫県立コウノトリの郷
公園を訪問し、講義を聞いたときである。
兵庫県豊岡市では、日本の空から姿を消したと言われていたコウノトリが今では 200 羽も空を飛んでいる。コウノトリは兵庫県の県鳥に指定されていて、絶滅が危惧されている動物でもある。コウノトリは 1971 年に日本内で一度絶滅しており、ロシアからコウノトリの幼鳥を譲り受け、ここまで個体数を伸ばしてきた。コウノトリの活動が始まったのは、1955 年であり今年で 65 年ほど経つ。この 65 年間は地域の人が一体となって活動を続けてきたということが私は素晴らしいと感じた。私は講義を受けるまでコウノトリが絶滅したことも、コウノトリが県鳥であることも知らなかった。
このことは私以外にも言えると考える。自分の住んでいる地域の一員だと言える人は少な
いのではないか、地域間の交流がなく、地域から取り残されている人が多いのではないかと
考えた。今の現代社会では、地域間のつながりが希薄化していると感じる。少し古いデータ
だが、厚生労働省によると、内閣府行った世論調査では近所付き合いの度合いは、年々低下
しており、2004 年調査において「よく付き合っている」と回答している者の数は、1997 年
調査において「親しく付き合っている」と回答した者の半数近くとなっている。しかし、移
住する地域をよくする活動ができる時間・機会が重要だと回答する者は、1978 年と 2002 年で 2%ほどの減少しか見られず、値は大幅に変化していない。そのため、地域間で親しくする必要がないと考えている者は少なくなっていないのに、地域間での交流は減少しているということだ。
ここで SDGs の「誰一人残さない」という目標を私は、「地域から取り残されている人」に焦点を当てたいと思う。地域から「誰一人残さない」ということを考えた時、やはり重要になってくるのは地域間の交流や、行事であると私は考える。私はコウノトリについての講義を受けたあと、JA たじまが主催した稲刈り体験に参加した。稲刈り体験の中では、お米を通じて地域の次世代の教育をしていること、コウノトリが生息しやすい環境を地域一体となって活動していることを学んだ。このような行事から地域の繋がりを作り、次の世代へと交流をつなげていくことはこれからの社会で必要だと考える。
私はまだ大学一年生で、経済のことも、環境のことも、貧困のことも、持続可能な社会の仕組みのことも詳しくわからない。「誰一人残さない」という目標も過去の受賞作品を読み、様々な視点から課題があるということが分かり、私には大きくて難しいと感じた。それでも、私は問題を解決することはできないが、問題を発見することはできる。問題を解決するには、問題を発見することが一番大きな一歩だと考える。今回、私のように地域のことをよく知らない、「地域から取り残されている」と感じる人は多いことが分かった。SDGs の「誰一人残さない」という目標を達成するためには、地域という大きなコミュニティの中で、誰が取り残されているのかという問題を見つけるために、地域での交流が増えていくことが重要だ。私は地域の行事を増やすことはできないが、地域の行事に参加することはできる。まず、私ができることである地域の行事に参加し地域の輪を広げようと考える。その輪が広がり、日本に住んでいる人すべてが、自信をもって地域の一員だと言える社会を私は楽しみにしている。

 

 

渡邊彩花 県立多摩高等学校

 

私には将来、助産師になりたいという夢がある。なぜなら、命の誕生に立ち会えるだけでなく、女性の生涯に寄り添うことが出来る職業でもあるからだ。最近では男性が育児休暇を取得しやすくなる取り組みや、産後に女性が職場に戻りやすくなる取り組みも行われるようになってきた。しかし、それらはいまだ不十分で、出産や子育ての中心となることの多い女性は取り残されやすい社会になってしまっているのではないかと思う。
例えば、女性の社会進出の面から見てみるとどうだろうか。2018年、世界の女性の管理職率は平均約27%だったのに対し、日本は約12%という結果だった。主要7カ国の中でも最下位の成績である。また、出産後の女性の職場復帰率も世界と比べると、日本はとても低い水準となっている。私はこの原因が職場の子育てへの理解が足りないことにあると思う。働きたいという意志はあっても、仕事と家事や育児との両立が困難なために、女性が重要な役職に就かせてもらうことができなかったり、諦めてしまったりするという現状があるようだ。また、女性だけでなく、男性が育児休暇を取ることが認められているのにも関わらず、周囲の目は厳しく、制度が改善されても、それらを十分に利用できない。そこで私は、職場に「子育てに優しい環境」を作るといいと考えている。具体的には、職場に子どもを連れてきていいように、託児所や授乳室を設けることを義務付けたり、男性社員も子育てに参加しやすいように、子育てに関するセミナーを開くなどといったことだ。そうすることで、女性が出産や子育てを心配することなく働くことができる環境になる。
しかし、職場の環境を整えるだけでは女性の社会進出を完全にサポートすることはできない。加えて、女性の心のケアも重視するべきだと思う。男女共同参画社会を目指しているのにも関わらず、まだ女性に対する支援がままならない状況で、将来のことを不安に思う人は多いだろう。また、妊娠中や産後の女性はマタニティーブルーズやうつ病になることがあり、心身のバランスを保つのが難しいと言われている。職場に理解があっても、女性自身の心に問題があっては、根本的な解決にはならない。そこで、社会に相談できる場や女性の声を発信できる場をもっと増やす必要があると思う。例えば、会社で様々な立場で働く女性同士の交流会を開催したり、これまで子育てをしてきた先輩に話を聞いてもらう場を設けること、そういった場で出た意見をSNSなどをうまく利用して発信できるようにすることなどができると思う。
これからの私にできることは、助産師になって女性に寄り添い、誰もが取り残されず充実した人生を送れるようにサポートすることだ。子育てに優しい環境を作るためには、社会全体としてさらなる努力が必要になるだろう。

 

駒井佑作 横浜国立大学

流行に置いてきぼりの子供達
 
 SDGsが重要視されている現在において、地球温暖を防ぐことや男女平等の促進など比較的規模の大きな話が多くされているなかで、自分なりに身近な内容で誰一人取り残されない社会を目指すとはどういうことかを考えた。
 自分の考える現代における若者同士の「置いてきぼり」という問題が起きる原因の一つは周りの人が持つ情報を持たない人がその情報を持つ大多数の人々となじめないことが多いという点がある。また、ここでいう情報は新聞やテレビの情報というよりは、スマートフォンに日々大量に流れている消費的な流行りの映像や、音楽などのコンテンツである。
 このような流行りコンテンツを知らない子は、周りの話題についていけないことが多く、もしかしたらそれが原因で友達ができにくくなったり、最悪いじめにつながってしまうこともある。逆に流行の話題を知っていると新たな交流関係を築くことに有利に働く。自分の例でいうと自分はDSというゲーム機を持っていなかったために、大学生になった今でも周りが話す当時流行っていたゲームの話についていけず、何とも言えない気持ちになることは多い。また今ではDSやその他のゲーム機と同じくらい携帯電話を通したコンテンツというものが、子供たちの間の話題の中心になっていることは間違いない。
 ここで自分が特に注目したいのは、親が厳しくゲーム機や携帯電話を持たせてもらえない子供である。今の自分がいくらDSを持てたとしても今更話についていくために流行っていたゲームをやろうとは思はないように、流行を知ることができる機材は持っているがシンプルに興味がないのでやらないという場合は、その人の好みの話なので特に問題はない。しかし、親が子供にゲーム機や携帯を持つことを許可しておらず、学校ではうまく流行についていけず、友達にはなんで携帯を買わないのかと聞かれてしまうというような板挟みになっている状態の子が一番どうしようもなくつらいと考える。
 もちろん親側の意見として、携帯に時間を取られて勉強の時間が減る可能性や犯罪に巻きこまれる可能性、視力低下の恐れなど様々なマイナスなことを避けたいという理由で子供にスマホやゲーム機を与えないというのももっともである。実際に自分の周りでもこのようなマイナスな影響を受けた友達も多い。
 だが、その携帯を持った時の悪い点だけに強く注目することはよくない。たいてい親は携帯を持った時の悪い点と持った時の良い点とを天秤にかけて考えがちであるが、ここに加えて携帯を持たない際の悪影響、つまり子供が友達に取り残される可能性があるということを知っておく必要がある。学校というコミュニティで生活する子供にとって取り残されることほどつらいことはない。仲間外れはもちろん、仲の良いグループで話しているときに自分でだけ知らない流行りの情報で盛り上がっていて自分は黙っているしかないという状況も子供にとっては大きなストレスとなる。特にそれが自分の意志ではなく親などの他人の影響である場合は非常にストレスを感じてしまうだろう。
 解決策としては親御さんたちに向けて、先生などの大人の口からしっかりと携帯の有無によって子供たちに起きうる良い影響、悪い影響を伝える機会が必要である。そこでの子供への影響というのは一般的に言われているものに加え、その学校でアンケートなどをして実際に生徒の携帯関連の苦労などを元にした話もするとなお良い。
 また、子供たちのほうがインターネットに慣れ親しんで、使いこなしているのに親があまりインターネットについて詳しくないゆえに、頭ごなしにネットは危険だ、携帯は持つなということもおかしい。近年ではネットの使い方からネットとの付き合い方、ネットリテラシーなどを習う授業を行う小学校も増えている。子供がこのように学んでいるのだから親世代にもインターネット関連のレクチャーを行い、ネットの便利さや怖さ、オンラインでの流行というものを親も知り、そのうえで親は子供とどのようにゲームや携帯と付き合っていくべきかを一緒に考えるべきである。
 このように現代の学生特有の置いてきぼりに悩んでいる人は多いと思う。特に今後、携帯等の電子機器をより幼い子供が持つことは当たり前になっていくと思うので、今後はさらにそのような機を持たず、流行に疎い子供たちの肩身は狭くなるだろう。そんな中での親の役目はただ子供を制限するのではなく、自分も子供のために学ぶことを辞めずに、子供と一緒に様々なことを予想して話し合って決めていくことが必要である。
 

池田優   横浜国立大学都市科学部都市社会共生学科

 

「誰ひとり取り残さない」ためにできることを考えるにはまず、「誰ひとり取り残さない」状態がどのような状態であるかを考える必要があります。全員が貧困から抜け出せればいいのか、全員が教育を受けられる状態を指すのか、それとも全員が適切な医療を受けられる状態を指すのか。様々な指標があると思います。しかし、SDGsがゴールとしている指標はこれ全部です。貧困をなくし、教育も医療も受けられるようにした上で、経済を発展させ、自然環境を守っていく。取捨選択をしないで願いを全て詰め込んだものがSDGsです。なので、ここでは「誰ひとり取り残さない」状態を「誰もがSDGsの到達目標を達成する」ことと定義したいと思います。
「取り残された側」の人たちを SDGs では見放さないことを謳っていて、もちろん世界中の人たちがそれを願ってこの目標を作りました。ですが、私たちには身近にSDGsを感じるようで、歴史の授業のように、どこか遠い世界の話をただ聞いているだけという印象をどうしても抱いてしまうこともあるかもしれません。私は少なくともそう感じてしまうことがあります。それは、「取り残された側」の生活が想像の域を超えないからです。私は今大学生で、私も周りも当たり前のように大学に通っている人がほとんどで、医療保険だってしっかりしているし、不自由を感じることはあまりありません。そのような環境からいくら頭の良い人が知恵を絞っても「SDGsって必要だよね」という考えが字面以上の意味を持つことはありません。SDGsの目標達成に最も難しいところはこの「認識の違い」だと思います。なので、まず世界中でやるべきなのは各目標を達成するために必要なデータや作戦ではなく、「取り残された側」の価値観を世界中で共有することだと思います。いくら頭でわかっているつもりでいても、それらは結局言葉上の理解でしかなく、そこに留まっていては世界中で協力することは難しいです。例えば、友達や恋人、家族と話をしていたとして、私たちはその会話の内容や視線、会話の間などから相手が何を考えているのか予測しようとしますが、確実に全て読み取れることなんてあり得ません。同じような価値観を共有しているはずの自分の近しい人間にだってそのように全てを知ることは無理なのだから、世界のどこかで今日も誰かの助けを求めているような人がいたとして、こちらが想像を膨らませて「この人はこういう助けを求めているだろう」で援助してもそれはただのお節介で終わってしまう可能性もあるのです。
そうならないためにできることは二つあると思います。まずは、しっかりと対話すること。同じ地球に生きている以上助け合っていくことは当然のことですが、何を必要としているのかは必要なものがある側にしか分からないことです。国家間レベルであれば話し合いの場が設けられており、ある程度意見を交わし合うことが可能かもしれませんが、個人レベルではどうでしょうか。そもそも通信手段がないなど、考えられる要因はたくさんありますが、そういった場はあまりないような気もします。せっかくSNSが発達し、世界中の人と繋がれるようになった現代なのですから、誰が、どこで、どのように困っているのかについてわかりやすくまとめてくれるSNSがあっても良いような気もします。
二つ目は「取り残された側」の現状を理解することです。これは資料などを読み込んで得る知識形態のものではなく、自らが経験することで得ることができる理解というものが重要になってくると思います。例えば、教育の場面で実際に日常生活を営むことさえ困難な状況というものを体験する授業を作ってみる。そうしたら実際にどのようなことが辛くて、何が不足していたのか、資料やデータから学ぶより遥かに自身の記憶に残るだろうし、より効率的な援助の方法の確立につながると思います。また、教育の場面で取り入れる事によって30年、40年と長期的な目で見た時に、その効果はとてつもなく大きなものとなっているはずです。そのような教育を受けた世代が大人になり、世界を引っ張っていく中心となる。そのような時代がくれば、この問題は解決に大きく近づくことだと思います。「誰ひとり取り残さない」ためにできることは「取り残された側」の気持ちにどれだけ世界中が寄り添うことができるか、他人事ではなく自身の問題でもあると認識できるか、にかかっていると思います。

 

服部翠   高知県香美市立大宮小学校5年生

「皆同じだけど同じじゃない」

 理想の地球。それは、誰もが幸せで悲しむことのない平和な地球。しかし、現在の地球はその理想からは程遠い。その理由は何なのだろう。例として挙げられるのは、いじめや人種差別、独裁主義などがあたる。なぜ人類はこんなにも他人と自分を比べたがるのだろう。皆、同じ地球に暮らしているのに。地位や身分をつくり、苦しむ人をつくる。それは人類の本能としてはおかしいはずだ。「皆、仲良く平和に」。このような想いはないのだろうか。結局、人を苦しませておいて、いったい何が楽しいのだろうか。自分と違うからと言っても、人には個性や外見の違いはいくらでもある。もしも、自分と全く同じ人ばかりになったらどうだろうか。個性があるからこそ、自分として自分を認められるのに、ほかの人に自分とは違うから、と言われたら、その人は、自分のことに自信を持てなくなってしまう。
しかし、一方でわたしはこのようにも思う。他人と自分を比べる人ほど、自分に自信がないのではないか、と。自分に自信がないから、自分や自分の周りを基準にして自分自身を安心させているのではないだろうか。結局は自分に返ってくることも知らずに。ただ、ひたすら自分を守り通すために、他人を傷つける。それがその人達のやり方なのだ。
自分の事しか考えない。そういう人によっ苦しんでいる人がたくさんいるのに。
 では、私たちには何ができるのだろうか。
それは、「どこにすんでいても、みんなみんな、おなじ『ひと』なんだ」という事を忘れないこと。そして、自分の周りの人、家族や友達、知人などにもそう思ってもらえるようにすること。そうすることによって、少しずつ、自分の身の周りから誰もが安心できるような社会をつくっていくことできる。皆の安心への一歩が、自分自身を支える一歩にもなる。自分がする行動に自信をもって、やり通す。それが自己評価にもつながってゆく。
みんなで助け合い、守り合う。あたりまえのことだけど、とても大切なこと。みんなでしあわせな社会への一歩をふみだそう
ちいさなこどもからご老人まで幸せで安心な社会を求めているのは一緒。一人でも、たくさんの人でもいい。なにかしら自分にできることを見つけ、それを次の人へつなげてゆこう。そうしたら、その人がまた、次の人へとつなげていってくれるはず。少しずつ、少しずつ幸せな社会をつくろう。

「幸せな未来に向けて、がんばろう!」

 

佐藤さくら 横浜国立大学 1年生

 

 SDGsの達成目標年の2030年まで残り約10年となり、東京オリンピックの開催が決定している現在、私は特に都市と地方の「格差」がさらに開いているのではないかと感じている。ここでいう「格差」というのは、経済活動などの社会に関係するものだけにいえることではない。インターネットやSNSの普及に伴い、それ以外の娯楽や食事、衣服などの何気ない日常生活の面でも大きく差が開いてきている。私は、SDGsの基本理念である「誰ひとり取り残さない」の視点から都市と地方の生活について見ていきたいと思った。
ではなぜ、このような格差について考え始めたのかというと、今年の春に横浜国立大学へ入学し、地元の宮崎から横浜に引っ越して以来「周囲の人と違う」と感じることや「このままだと取り残されそうだ」と感じることが増えたからである。

横浜に来て最初に驚いたのは、公共交通機関の充実度だ。電車は分刻みで時刻表のとおりに到着し、バス停が至る所にあり、駅には人が溢れている。一方で、私の地元は典型的な車社会であり、高校を卒業するのと同時に車の免許を取ることが当たり前のようになっている。そのため、電車やバスを利用する機会はほとんどない。この大きなギャップは、買い物等の生活以外に同級生との会話などにも支障をきたしている。例えば、「一駅分の距離」というお互いの認識の違いから話がかみ合わなかったり、駅の規模や改札の形式が全く違うために電車の乗り換えの方法がよく理解できておらず、待ち合わせが上手くいかないという事態が発生してしまう。確かに、これらのようなことは慣れてしまえばいいと思うかもしれない。しかし、慣れるまでは、取り残されてしまうかもしれないという孤独を味わい続けることに変わりはなく、慣れた後も、地元に帰省した際に劣等感を感じてしまうこともまた事実である。実際に上京した私の友人の多くが交通の面で地元との常識の差異に悩み、孤立感を味わっていると私に相談してきたこともあり、その地域の需要の関係もあるがインフラ整備の差は改善すべき大きな課題だと感じた。それに加えて、その孤独感から抜け出せずに家に引きこもってしまうことも想定される。

また、都心ではアパレル店や美容院、レストランなど様々な店舗が充実しており、地元では見たことも食べたこともないようなものが沢山あることにも衝撃を受けた。流行の発信源は都心であることが多いため、田舎へのトレンド情報は遅れて届く場合がほとんどだ。同じサークルのほとんどの友人が持っているものを持っていない、もしくは地元にまだ情報があまり届いていないために知らないということも何度かあった。そして、その話をすると大抵の場合返ってくる反応は「えっ、信じられない!」である。特に、初めてこの会話をしたときは、大げさかもしれないが、周りのみんなにとっては当たり前の生活が、自分だけ享受できないという状態にあったのだと痛感した。地元から出ることによって、今まで感じたことのない格差に気づくというは、幸福度の低下や豊かに生活できるようになる中で見過ごされてきた相対的貧困にも関係してくる問題になるのではないかと考えた。

現在、上京してきた人の就職をサポートする紹介サイトや地方出身者限定で住まいを紹介する不動産屋などは数多く存在する。しかし、日常の些細なことを相談することのできるサポートシステムというのはほとんどないに等しい。そこで私は、地方から都市に引っ越してきた人をサポートする新たなコミュニティをつくれたらよいと思った。同じ状況に立ち、同じような悩みを抱えている人とならば気軽に相談しあうこともでき、「取り残されている」と感じる人もいなくなるだろうと考えられる。さらに、面と向かって話すのが苦手な人にはLINEやZoom、SNSのチャット機能を活用して相談を受けられるようにすれば「誰ひとり取り残さない」ことも可能になるといえる。
そして、このコミュニティの重要な部分は、その地域に住む高齢者の方にも参加してもらうという点だ。その土地の特徴や生活に役立つ知識などを話してもらえる機会を設けることができれば、より充実した地域づくりになると思う。これは一見すると、今のコミュニティとほとんど変化がないように思えるかもしれないが、以前とは大きく違う点がある。それは、すでに高齢者の方々が作り上げたものに若者が参加するのではなく、若者が作り上げたものに高齢者の方々が参加する点である。自主的に若い世代が動かす、この支援体制を整えることによって、若者の地域コミュニティへの不参加が地域活性化における課題となっているなかで新しい繋がりを生み出すだけではなく、急激な高齢化の抑制や引きこもってしまう若者の減少にも貢献できるのではないかと思った。

 

 

喜元陽   横浜国立大学 1年生

 

突然だが、皆さんはSDGsと聞いて何を思い浮かべるだろうか。恥ずかしながら私は、なんとなく「持続可能な社会を目指す目標」のことだと認識していた。これも間違いではない。重要なことは、環境保護に関するものだけだと勘違いしていたことだ。実は、SDGsの基本理念は「誰ひとり取り残さない」である。ただ環境破壊を止めよう、地球温暖化防止に向けて取り組もうという目標ではないのだ。理念を念頭に置いて考えると、環境保護に関する目標は「未来の人々の存在」を考慮して現在を生きようというもののようだ。大学の講義で、横浜市の政策を4つの世界観―近代化論、従属論、持続可能な開発論、開発とアイデンティティ論―に照らし合わせて考える時間があった。さらに、SDGsもこれらの世界観で考えた。世界では見えにくい生きづらさを抱えている人が様々なところで生きている。そういった人々が長い間戦い続けたおかげで、今日の人々の生きづらさに少しずつ目が向けられているのではないだろうか。
 私の生きづらさはLGBTQ+に関するものだ。日本はLGBTQ+に対する理解が他の先進国と比べてもまだ浸透していないように思う。多様な生き方がだんだんと認められてきている今、「+」という表記は欠かせないのではないだろうか。私自身、LGBTまでは理解していたものの、きちんと調べるまでは他の分類について知ることがなかった。ここで説明するにはあまりにも広い範囲であるし、私がまだ知らないこと、世界的にも知られていないことがたくさんある。その一部の人が声をあげ、存在を主張し、生きているからこそ当事者ではない私も知ることができたのだ。私には家族を除き、大切な人が二人いる。一人は女性だ。悩みを共有したり、嬉しいことは自分に関係なくても喜んだり、祝福したりした。他の友達ももちろん大切だが、私にとってその人の存在は、この短い人生の中でとても大きいものなのだ。もう一人の大切な人とは違って、その女性に愛欲を抱くことはない。しかし、もう一人と同じくらい、もしくはそれ以上に私に必要な人だ。生涯を通じて付き合っていきたい。こういった感情はなかなか理解されないかもしれない。こういう人間が明確な名称で分類されていることもない。少し調べてみると、性的対象と恋愛対象が別である人が存在しているようだ。私は性別の違いで、この二つの対象が分かれていることはない。あくまでも、その人個人が”そう”であるのだ。もちろん性別だけで人を判断する人はいないと思う。あくまでも、相手の人間性などに惹かれ、その人の性別がどうだったのかという話なのだ。そして、この話は自分の生き方・心の持ち方としてはとても共感できるものだった。私はこの自分の思いを大切にしていきたい。SNSの発信力が強くなっている今だからこそ、一人ではないという心強さにもつながっている。
当事者にならないと苦しみはわからない、と言う人もいるだろう。別に当事者になって苦しみを味わい、分かち合わなくても良いのではないかと私は考える。ただ、それこそSNS等を活用して、そういった人たちの存在を理解し、ほんの少しだけでもその感情を知って欲しい。許してほしいなどとは言わない。それは異質さを認め、線引きすることにつながると思うからだ。みんな、自分の人生を生きているだけの話である。分類して配慮するのではなく、相手をその人自身として受け入れることが普通になった世界の訪れを心から願っている。その世界のために、私も自分で調べ、考え、声をあげていきたい。

 

 

横尾優和 鎌倉女子大学高等部2年生

 

「誰ひとり取り残さない」。これはSDGsの基本理念であるが、「取り残されている人」とはどのような人々のことを指すのだろうか。よく考えられるのは、障害者、LGBTQ+、貧困の人々などである。私も数ヶ月前までは、そうだと考えていた。しかし、ある時「本当にそうだろうか」と疑問に思った。それは、今年の二月頃に野毛坂グローカルのオンラインイベントに参加し、そこで「誰ひとり取り残さない」ということが話題になった時だ。色々な意見を聞いたり、自分のことも少し話した。私たちも、何かにおいて取り残されているのではないか。全員が何かにおいて取り残されていると言っても過言ではないのではないか、と考えた。
 その例を一つ挙げてみる。例えば私は、運動が人一倍苦手である。小学生の頃からずっと、50メートル走ではクラスで最もタイムが遅く、球技も器械運動も水泳も、どれも苦手だ。小学生の頃は、リレーで同じチームになった仲間に冷たい視線を向けられることもあった。おそらく、この時私は「仲間から取り残されている」ということを痛感しただろう。
 このように、私たちはそれぞれ苦手なことがあり、それにおいて取り残されていると考える。では、「取り残されないようにする」にはどうしたら良いか。私は正直、「完全に」取り残されない、つまり、苦手なことが一つもないという状態になるのは不可能だと考える。だが、自分が取り残されているという意識、つまり「取り残されている感」を減らすことは可能ではないか。世の中には何か苦手なことで取り残されていると感じ、それにより自分に自信を持てなくなるという人も、私を含め多くいるだろう。しかし、何らかの方法で自分に自信を持つことはできると考える。方法は人により様々であり、例えば、苦手なことを克服できるように努力する、逆に得意なことで自信を補う、もしくは苦手だということを自分で受け入れる、などが考えられる。私はどれも正解だと考える。私の場合は、運動が苦手だと先述したが、中学生になってから、苦手ということを自分で受け入れたり、自分なりに少しでもできることを増やそうと努力することで、以前より自分に自信を持てるようになった。
 さて、ここで話をSDGsに戻す。最近はこれがよく話題になり、一人一人が自分のできることから行動するということが重要視されている。そこで自分にできることを考える時、もし自分に自信がなかったら「こんな私に何ができるのか」「どうせ私には何もできない」と考え、行動できないだろう。しかし、自分に自信があれば、「これなら私にもできるかも」「私はこれをやってSDGsに貢献したい」と前向きに考えることができるのではないか。このような意味でも、自分に自信を持つことは大事だと私は考える。
 話が少しそれるが、私は現在二つの地域活動をしている。一つ目は、私の地元である横浜市栄区で行われている、中高生など若者世代の文化祭のようなイベント「ティーンズクリエイション」のメンバーとしての活動、二つ目は、栄区の小菅ヶ谷春日神社の清掃「オミヤクリーン」への参加である。ティーンズクリエイションではイベントに参加したり、仲間やサポートしてくださる大人の方々と共にイベントを企画したりすることで、オミヤクリーンでは自分にできることから取り組んでやりがいを感じることで、私は自分にさらに自信を持つことができるようになった。これをきっかけに、将来やりたいことが一つ増えた。それは、私がしてもらったように、中高生が自分に自信を持つきっかけを作り、少しでも「自分は取り残されているから何もできない」という気持ちを減らし、「自分にもできることがある」という気持ちを持たせることだ。私の将来就きたい職業は、現時点では高校教師か塾講師であり、そこで生徒が自信を持つ機会を作りたいと考えている。また、地域活動も続けたい。そこで何か中高生対象のイベントを企画し、一人一人の「取り残されている感」を減らすきっかけを作りたいと考えている。
「誰ひとり取り残さない」。これを達成できるのが理想ではあるが、私はまず「誰もが自分に自信を持ち、行動できる社会を作る」ことに自分のできることから取り組むことを始めようと思う。

 

 

奥井ひらり 神戸大学一回生

 

 高校3年生の秋、私のSDGs、誰一人残さないための取り組みは始まった。それも知らないうちに。
 ある日の休み時間、友達が献血に行った話をしてくれた。人の命を救う協力ができることは大前提として、献血ルームではジュースが飲めたり、雑誌を読めたりすることを紹介してくれて、私は一度行ってみたいと思った。その子を中心にクラス数人で「受験が終わったらみんなで献血に行こう!」という約束をした。私は、約束したものの、貧血持ちで、心の中で「自分だけできないな」と少し悲しくなった。しかし、献血に行った友達は、私が貧血持ちであることを知っていて、「春休みまで時間はあるし、成分献血や200mlの献血もあるよ」と代替案を教えてくれた。その日から私は、みんなと献血に行きたい一心で鉄分の多い食事を意識したり、貧血の薬を飲んだりした。正直、その時は誰かのためにというより、自分のための努力だった。
 それから数ヶ月が過ぎ、受験を終えたものの日本は緊急事態宣言下にあった。私は何もできない自分の無力さとみんなと会えない孤独感の中家に引きこもっていた。そんな時、私を動かしたのは、「献血は不要不急でない」というニュースの記事だった。私は約束通り、みんなと初めての献血に行くことにした。私は無事、200mlの献血ができた。その瞬間、この私の少ない血でも誰かを救えるのだという充実感でいっぱいになり、家族や他の友達に献血の自慢をした。
 ここに私のSDGsがある。私のスタートはSDGsに貢献しようという意思ではなく、友達と献血に行ってみたいという好奇心だった。しかし、結果的に、私はSDGs目標3「すべての人に健康と福祉を」の取り組みに協力する喜びを知れた。その時から、今度は、献血を、自分のためではなく他人のために、すなわち「私がひとり残らないため」ではなく「誰一人残さないため」に利用したいと思うようになった。そこで今回、私は以下のような献血を利用したSDGsへの取り組み案を提唱したい。
 その名も「献血マルチ商法」である。この方法は、加入者が他の者を次々と組織に加入させることで販売組織を拡大させていくマルチ商法を利用した、献血者が献血の良さを伝え、他のものを次々と献血に誘い、献血のシェアを拡大させていく、というものだ。
 私が献血マルチ商法を提唱する理由は2つである。1つ目は、あえて善事である「献血」に、悪事である「マルチ商法」という言葉を持ってくることで、みんなの意表をつくキャッチーなスローガンにすることだ。まずはこの言葉が一人歩きしてでも、献血を広める大切さを多くの人に知ってもらうきっかけを作っていかなければならないのだ。2つ目は、マルチ商法という具体的方法を取り入れたことだ。大学の授業でSDGsについて意見が求められた時、抽象的で何をしたら良いのかわからない、という意見が圧倒的多数だった。だから、私は人々をSDGsの実践に仕向けるには具体的でわかりやすい案が必要だと考えたのだ。マルチ商法というと、悪く聞こえるかもしれないが、私は逆にマルチ商法の拡散力は、献血にはプラスに働くと考えている。私は、貧血だから無縁だと自ら献血と距離を置く者と、献血で人を救う達成感を初めて得て誰かに共感したいハングリー精神を抑えられない者、両者を経験した。そんな私が、両者の凹凸の感情をうまく利用することはできないかと考えて思いついたのが、この献血マルチ商法であった。輸血を求める人は1日あたり3000人いて、そのためには輸血協力者が13000人必要と言われている。個々の健康事情もあるため、押し付けてはいけないが、これだけ多くの献血が求められる事実がある限り、献血を広める取り組みは欠かせない。より多くの人が献血マルチ商法に協力した時、それは、すべての人に健康や福祉を守る「献血マルチ勝法」と化す。
 さあ、私たちのSDGs、誰一人残さないための取り組みを始めよう。それも自分の意志で。

 

丹野ちさき 早稲田大学大学院アジア太平洋研究科 1年生

 

「私を忘れていませんか?」
 あなたには、誰からそんな声が聞こえるだろうか。それとも、聞こえないふりをしているだろうか。私には、はっきりとそんな声が聞こえた経験がある。児童労働を強いられている子どもからの声だった。
 スタディツアーでインドに訪れた際、児童労働に従事している女の子と出会った。女の子は学校に行かずに、畑仕事をしていた。訪問した村では、児童労働を解決するプロジェクトが実施されていた。プロジェクトのスタッフとともに、女の子や両親から事情を聞くと、女の子は「学校に行きたい」と言った。そして私は、「一緒に学校に行こう」と手を繋いだ。女の子は学校に着くと、すぐに他の子どもたちと仲良くなり、笑顔でみんなと遊んでいた。児童労働から解放されるきっかけを掴んだのだ。
 私は、心の底から喜びたかった。しかし、何かが引っかかってモヤモヤした。「私を忘れていませんか?」はっきりと聞こえた。児童労働を強いられているにも関わらず、何の対策も行われずに取り残されている子どもたちからの声だった。
 世界では、1億6,000万人もの子どもが児童労働に従事しており、さらに増加すると推測されている。女の子との出会いを通して、児童労働に従事しているか否かという格差だけではなく、対策が行われているか否かという格差の存在を思い知った。対策が行われている地域では、子どもたちは児童労働から解放されるきっかけを掴んでいる。しかし、何も行われていない地域では、多くの子どもが取り残されている。置き去りにされた子どもたちの人生に対して、誰が責任を取るのだろう。
 「世界はすぐには変わらない。優先順位があるから今は何もできない」と、取り残されている子どもたちの目を見て言えるだろうか。対策を行う地域を選ぶということは、対策を行わない地域を選ぶという残酷さを伴うのだと痛感した。多くの人が解決に貢献すればするほど、残酷な選択は不要となる。そして、取り残されている多くの子どもたちがきっかけを掴み、児童労働は早急に解決される。児童労働の解決方法はある。やればできるのに、やらないだけだ。
 私たちは、生まれた場所が違うだけで、大きな格差が生じる不公平な世界に存在している。そして、この世界は、解決できるのに解決しようとしない問題ばかりだ。問題の解決は早い方がいい。そんな当たり前のことを、なぜ忘れたのか。私は、世界への違和感を持ち続ける。
 「私を忘れていませんか?」
 聞こえないふりをしている多くの人に伝えたい。
 無視しないで。世界を良くする活動から、どうか取り残されないで。

 

石川さと 一般社団法人 ありがとうの種(日本社会事業大学卒業)

 

「誰ひとり取り残さない社会」に必要不可欠なものは何であろうか?日本国憲法25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定められている。すなわち、人間が生きていく上で必要となる生存権が保障されるべきであり、そのために福祉の法律や制度、サービスがある。しかし、その狭間で苦しむ人々、つまり、社会に取り残されている方々がいるということも忘れてはならない。
近年、「ダイバーシティ」や「インクルーシブ」、そして、「共生社会」という言葉をよく目にするようになった。互いの違いを認め、尊重し、ともに生きていくーその概念は素晴らしく、広めていくことには賛成である。しかし、それらの言葉のみが独り歩きしてしまい、かえってそれが人々の無関心を生み出してしまう可能性も否めない。
そこで、ろう難聴当事者の立場から一般社会に訴えかけたい。まず、「ろう者」とは、日本手話という日本語とは異なる文法をもち、ろうコミュニティのなかで生きている少数民族、いわゆる、マイノリティだ。そして、補聴器や人工内耳を用いてコミュニケーションをとる難聴者も一般社会のなかでは数少なく、日常生活のなかで多くのバリアに遭遇している。
例えば、「外見では気づかれにくい」、「情報入手が困難である」、そして、その結果、「聴者のコミュニティに参入しにくい」というバリアだ。特に、「情報入手が困難である」という壁に関しては、多くの当事者が経験している。私たちは、耳から入る情報よりも目から入る情報に頼って生活している。そのため、手話通訳やパソコンテイクなどを活用している。このような情報保障は、まだ十分ではなかった時代に比べれば、多くの先人たちのおかげで私たち若者の当事者が得られるようになった制度やサービスもある。
また、電話ができないことで多くの不便を抱えていた私たち当事者も電話リレーサービスによって聴者と同じように手話や文字によって電話ができる世の中になっている。しかも電話リレーサービスは、7月から総務省による公的運用が始まり、今後ますます欠かせない重要なインフラとなりつつある。
だが一方で、先程述べた憲法25条が保障された上で、私たち当事者を取り巻く生活は、情報保障が100%整った環境で生活できているとはいえない。例えば、勉強会やセミナー、イベント、映画や舞台、講演会などいわゆる、「自己啓発」や「余暇活動」には情報保障がないのが現状である。
また、障害者差別解消法が施行されている現在でも多くの差別や偏見が残されている。それは、当事者が働く場においても例外ではない。障害を理由に断られたり、必要な配慮をしてもらえなかったりという話はよく聞く。
それに加え、このコロナ禍でマスク社会となり、人々の顔の表情や口元が見えにくくなっている。例えば、コンビニでは「袋はいりますか?」、「あたためますか?」という会話が交わされるが、それが聞き取れず、あるいは、口元が読み取れず、困るということがある。
このように情報入手が困難というバリアから聴者と対等に生きていけないというのが現状となっている。では、どのようにしたらそういった状況が改善されるのだろうか?そして、誰ひとり取り残さない社会を築いていけるのだろうか?
私としては、そこに人々の意識をマイノリティやダイバーシティに向け、社会改革していくことが良い影響を与え、そして、インクルーシブ教育の可能性を広げてくれると考える。要するに、障害者、女性、LGBT、外国籍の子どもたちなど社会的弱者(マイノリティ)が「珍しい」というレッテルが貼られることなく、ひとりの人間として接し、そして、お互いが生きやすくなるための環境を整備していくこと、それがインクルーシブ教育であり、共生社会を築いていく第一歩となるだろう。
最後に、誰ひとり取り残されない社会を目指すには、私たちにとって最低限度の生活を保障したうえで、必要な情報保障の配置と環境整備がなされ、そして、私たち当事者が平等に選べる選択肢の幅広さが欠かせない。現在のわが国における政府、教育機関、企業、団体など私たちにとって身近なところからマイノリティの存在に目を向け、真の共生社会への第一歩を踏み始めることを願ってやまない。

 

F.T 横浜市立大学国際教養学部2年生

 

 今の形のSDGsは、果たして本当に誰ひとり取り残さないのだろうか。巷でSDGsの話題に触れるとき、私は常にこのようなことを考えてしまう。
 SDGsが始まった2015年、当時中2の私はSDGsの存在さえ知らなかったが、高校に進学し学年が上がるにつれて、総合の時間で扱われる機会が多くなっていき、認知するようになった。そして2021年の今、インターネットを利用していると自然とSDGsという言葉を見かけるようになった。様々な企業が「SDGsを意識しています!」と自らが取り組んでいるターゲットの番号とアイコンを掲げ、社会への貢献をアピールしているのをよく見かける。すれ違うスーツ姿の人の中には、SDGsのバッジをつけている人もちらほらと見かける。広報面でも盛り上がっており、テレビ局においてもSDGsキャンペーンを展開し、各ターゲットの解説を行っているのを見かけた。身近なところで言えば、私の大学でもほとんどの授業のシラバスに、それぞれの授業に関連しているSDGsのターゲットが番号で示されている。
 このように、世間におけるSDGsの認知度や関心は高まっており、名前や17のターゲットなど、なんとなくこのようなものと知っている人はとても多いと考える。しかし、それは誰ひとり取り残さないことに本当に繋がっているのだろうか。
 今のSDGs関連のアピールを見ていると、私は正直「SDGsと書いていれば印象が上がる」といったり、「SDGsに関連付けて様々なことを行なえば良い」といったりする印象を持ってしまう。例えば、先述した大学のシラバスに関連した番号を載せることは、授業の内容や社会貢献のレベルに影響を与えているとあまり考えられない。意識づけはできるかもしれないが、そこで止まってしまうのではないかと考えてしまう。
 またSDGsに掲げられたターゲットは関連しあうようなものだが、それぞれのターゲットに関連したり解決したりすることに重点を置きすぎたために、最終的なゴールである「誰一人取り残さない」から離れて行ってしまうこともあるのではないかと考える。例えば、住み続けられるまちづくりのために、様々な人や会社が努力して取り組んでいます、とアピールしている中、実際の現場では重労働や残業などの負担が強いられており、それはそれで働く人々が取り残されていると考えることができるのではないか。SNS上においてこのように指摘している人を少し前に見かけた。
 さらに、SDGsの語が用いられた活動は、果たして本当に困っている、実際に取り残されている当事者にとって良い活動なのかと疑問に思ってしまう。「活動しました!」というような取り組む側からの報告はよく見かけるが、当事者からの直接的なコメントは、単に私のアンテナが足りていないだけかもしれないが、あまり見かけないように感じる。もしかしたら本当に困っている人は、我々のように問題解決をしようと意識している人々の目に留まっていないからこそ、困っているのかもしれないと考えることもある。
 このようなことから、私はSDGsについて、取り組むべき目標は明確になり、社会貢献の風潮を作るという良い効果があると同時に、現在起きている社会課題の本質や、その原因というような、本来の改善したい目的を見失ってしまうリスクを孕んでいると考える。さらに、今やSDGsは社会貢献をしているアピールのための道具の一つとして、良くも悪くも成立していると考える。それでは今後、本質的な目標である「誰ひとり取り残さない」を達成するには、社会に何が求められるのだろうか。
 私は、「誰ひとり取り残さない」の「誰」とは何かを、何を目指すかのSDGs以上に議論したり、考えるきっかけが少しでも生まれたりする風潮を形成することが重要と考える。まさにこの小論文・作文コンテストは「誰」を考えるきっかけに位置するが、敷居の高いものだけでなく、今のSDGs並みに広くきっかけを仕組むことが求められると考える。また、誰ひとり取り残さない活動をしようとする人は、自分が認知していない社会問題があることや、一見良い取り組みでも弊害が生まれるかもしれないといった、活動のマイナスの側面を考えることも必要と考える。私も様々な社会課題の解決手法に興味を持っているが、本当に困っている「誰」を知ったり、その人は実際には何を求めているのかを知ったりする能力を有していないと考える。災害時に千羽鶴を送られて迷惑になった、という話も聞くことがあり、送っている側は満足でも困る側はより困るのではないかと思うことも多々ある。
 このように、シンボル的な立ち位置と考えられるSDGsの本来の目標である「誰ひとり取り残さない」の実現を目指すのであれば、「まずSDGs」ではなく、その一歩前、根本的な問題から、もう一度考え直すべきではないだろうか。社会全体がゴールへ走る中、スタートや走る足元を、本当に誰ひとり取り残されない社会へ近づくために見直す、つまりSDGsの功罪を改めて社会全体で考えるべきであると、私は考える。

 

 

青木望愛 東京都市大学等々力高等学校 3年生

 

コロナ禍により学校生活は大きく変化した。部活動は中止され、対面授業も本来の半分程度しか行われず、様々な問題が生じた。「教育の不平等」コロナ以前から存在していた問題だが、このような状況下ではさらに可視化され、より緊急度が増してくると思う。
私は都内の私立中高一貫校に通っている高校3年生だ。私の学校は高1の時点で生徒には1人1台のiPadが支給され、各教室には電子黒板が設置されており、それなりにICT化が進んでいる。だが、そのような学校でもコロナ禍での授業は普段の授業に比べると劣り、オンライン授業を開始するのにもかなりの時間がかかった。ニュース番組で、同じ私立高校なのに自分の所よりも高品質なオンライン授業が行われているのを見ると羨ましいと感じたし、逆に公立高校では授業のオンライン化がうまくいかず分散登校が行われているのを見ると大変そうだなと感じた。
教育というものはそもそも平等ではない。私立と公立が存在している時点で金銭的な裕福さである程度進路を絞られてしまうし、安定した収入を得るためには高校・大学を卒業する事が好ましい。そうなってくると金銭的余裕がない人とそうではない人には大きな「教育の差」が生じてしまう。学ぶ意欲があるのに学ぶ事ができない、多額の借金を背負って大学に行かねばならない。「教育」から取り残されるという事は、私はあってはならないと思う。
もちろん全員に同じ教育をすべきだとは考えていないし、専門的な教育を受けるよりも社会人として活動したいという人もいる。私が言いたいのは「教育の平等化」ではなく、「教育の公平化」である。
例えば都市部と地方の学校教育を比較してみよう。三大都市圏とそれ以外の地域での男性の大学卒業割合は、前者は約60%であるのに対し後者は約45%である。このように大学進学率に差が生じてしまう背景には大きく分けて2つの要因がある。第一に家庭のSES(社会的経済地位)の差。第二に地域の教育機関の数の差だ。前者は先ほども述べた通り金銭面による問題、また家庭状況はその子供の進路と密接な関係にあるという事だ。高SESの家庭は都市部に住む傾向が強く、また子供に高水準な教育を受けさせようとする。都市部には数多くの学校が存在し、様々な選択肢の中から自分の能力・希望に適した学校を選ぶ事が可能である。だが、地方は相対的に低SES家庭が多く都市部とは反対のプロセスを踏みやすい。また学校の数も少なく、教育の選択肢が狭くなり子供の可能性を潰してしまうリスクもある。高SESの家庭で育った子供は将来高SESの家庭を持ち、低SESの家庭は逆に…というループができつつある。生まれなどの自力ではどうしようも無い要素で、人の学びが制限されていいのだろうか?いや、そんな事はあってはならない。教育のせいで取り残される人が出ないように、私達は声を上げなければならないのだ。
 義務教育の拡張、および学歴重視社会の改革。私が提案したいのはこの2つである。現在は中学までが義務教育であり最終学歴が中卒の割合は約2割だ。だが中卒だと安定した収入は望めず、多くの人がそれ以降の学歴を望む。日々進化していく現代社会において中学レベルの知識では対応しきれない事柄が多い。そのため大学までの教育を義務化し、社会全体の教養レベルを引き上げる事が必要だと思う。そうすれば進学を家庭の事情で諦めざるを得ない人もある程度の専門的な知識を得る事が可能になる。また、今の社会は学歴を過度に重要視する風潮が存在している。「学歴フィルター」と呼ばれる、企業が採用する学生を学歴によって選別する用語が存在する程に、学歴は多大な影響力をもつ。だが本当に重要視されるべきなのは個々の能力なのではないだろうか。確かに学歴はその人の能力を表す一種の指標ではあるが、それだけで測れない能力は数多く存在する。コミュニケーション能力や行動力、柔軟な発想力などもこの社会には必要なのではないだろうか。学歴ばかりで判断していては金銭的な問題により進学を諦めた有能な人間が、社会で活躍できない。真に重要なのは学歴ではなく、その人自身の能力なのだ。
取り残される人の出ない教育、それを達成していくのは簡単な事ではない。だがコロナ禍で教育の問題点が明確になった今だからこそ、私たちにできる事はあるのではないだろうか。

 

 

徳冨雅人 明治学院大学大学院国際学研究科博士前期課程2年生

 

 僕は、SDGsの活動には興味がない。社会貢献活動にも興味がない。だから、「誰一人取り残さない」という理念を聞いても、前向きな感情はわかない。むしろ、後ろ向きの感情が湧いているように思う。2015年、SDGsを知った時からそうだった。それは何故なのだろうか。
 いずれの活動も体験しているが、どうしても身が入らない。その活動を通して、野毛坂グローカルがいう「取り残される人」や「最も取り残されがちな人」にも出会った。彼らと話した。とても気の毒に思うことばかりだった。
 僕の周りの人には、「取り残される人」や「最も取り残されがちな人」への支援活動に励む仲間が少なくない。その活動に参加することを決意する瞬間を見たこともある。それでも、彼らのように活動に精力的になれない自分に対しては、嫌悪感を抱くばかりである。恐らく、僕の中では、それらの活動は人間としてとても素晴らしいことであるという意識があるのだろう。だから、それができない自分が嫌になる。
 話は変わるが、日本人の人生目的は変わり続けているらしい。農耕社会の頃のように、まだ今のように人々が生まれた土地を簡単に移動しなかった時代には、人々は自身の血筋を守るために生きたという。その目的は、やがて「国家のため」となり、次に「会社のため」となり、今では「自分のため」になっているらしい。血筋を気にしては厄介だし、国家や会社は、最後は自分を守ってくれない、そう思った帰結だろう。
 自分のために生きていれば、一度きりの人生を過ごす間は、なるべく楽しい時間にしたい、と強く思う。楽しみ方は人によって異なる。たくさんお金を稼ぐ。恋に落ちた人が少しでも笑っていてくれれば、それで満足。自分の心のアンテナが感知した面白そうなことを可能な限りやってみる、など。
 「取り残される人」が取り残されないようにするにはどうすればいいか、活動に励むことで、自分が素敵だなと思う世界に一歩でも近づけようとすること。語弊があるかもしれないが、SDGsの活動もその楽しみ方の一つなのだと思う。
 それから、楽しい時間を過ごそうとすると、なるべく相手を傷つけないように工夫する癖がつくらしい。それは、傷つけてしまうことが致命的で、取り返しのつかない、謝ってもどうにもならないことであるとも思い込んでしまう。
 「取り残される人」の立場は、弱い立場だ。なぜ彼らが弱い立場にあるのか。それは、強い立場がそこへ追いやったからだろう。その事実は、少し勉強すれば溢れ出てくる。しかも、一見強い立場がその窮地を救っているように見えて、実は負担を他の地域や技術、あるいは未来に転嫁している例が多い。それにもかかわらず、強い立場が「誰一人取り残さない」と意気込んで弱い立場の人たちを支援しようとしている。
 僕はその様子をみて、一度傷つけてしまった相手に対してどんな償いをしても無駄だと思っているのだろう。あるいは、「傷つけておいて何様のつもりだ」とも思っているかもしれない。もしくは、「誰一人」とは強引だと思っているのかもしれない。または、素晴らしい活動をしているようで、実際は他の問題を引き起こしているではないかと批判している。そして、自分自身もまたその強い立場にいるのではないかと自認しているから、SDGsのことを考えると苦しい。
 なるほど、僕は、自分の人生を楽しむための方法をSDGsや社会貢献活動以外に見出しているのかもしれない。また、それらの活動を、償う術のない行為、またはむしろやってはいけないことと思っている。「償っても仕方がないのに、彼らを西洋的価値観に引きずりこもうとして、しかもどこかでまた見捨てるのかい?」と。または、辛いから考えることをやめている。こういう考え方は、よくないのだろうか。
 時々、「君たちはかわいそうな世代だ」と言われる。西洋的豊かさが一応は「善し」とされているのに「失われた20年(30年)」の中を生きている。原発が希望のエネルギー、人のグローバルな移動がより豊かな生活をつくりだす、そう思っていたが、今ではどちらにも疑問を抱く。何についても、何がいいのか、はじめからわからない。加えて「多様性を尊重しよう」と言われ、とんでもない数の選択肢や価値観に囲まれて、どこにも拠り所がない。
 ならば、頼るとすれば、本心なのだと思う。その本心を聞くというのも、ノイズがかかっていて、意外と難しい。それに、本心で「なんとなくそう思う」とわかっても、「「なんとなく」は理由にならない」と否定されがちだ。
 でも、言語の限界が人間の表現力の限界と言ってもいい。つまり、本心をうまいこと言語化できていなくて「理由にならない」としても、本心がそう囁いているように聞こえるのなら、それは立派な理由のはずだ。そして「本心」は、誰一人として欠けていない価値判断方法だ。
 僕の今の本心は、冒頭一文目の通り。この僕の本心が「国際問題」、あるいはその原因なのだろうか。そう思うと、僕はたいへん生きづらい。

 

佐々木ゆうた ピラール・ド・スール日本語学校

変えたい事 

        
 ぼくは自分を変えたいところが二つあります。
一つ目にはたいだなところです。いつも午前6時におきるのに「もうちょっとねたいな」と思ってもう一回ねます。以前はそれは時々起こったけれど、最近はいつも起こります。それは一つのれいです。他にも、勉強をするのを最後の日にすることが何回もあります。
 もう一つ変えたいところは、集中力がないからもっと集中できるようになりたいです。ある日、ぼくはブラジル学校でテスト中に、全然関係ない事を考え出して、気がついたらもう時間が過ぎて、テストを終える事ができませんでした。
 ブラジルで変えたい事はたくさんあります。
最初は犯罪とまやくです。ブラジルの法律はとても軽いです。特に未成年者にはもっと軽いです。犯罪を起こして少年院に行っても二ヶ月や三ヶ月で出られます。それでまたすぐもう一回犯罪を起こしたりまやくを売りに行ったりします。だから法律を変えてもっときびしくしたいです。
 ブラジルではあまり仕事がないからそれも一つの原因です。仕事をもっと増やして、新しい会社などをたくさんブラジルに持って来て、皆に仕事があると犯罪も少なくなると思います。ブラジルではお金がない、または少ない人達が大勢います。その人達は住む所がなくて食べる物もないです。子供たちは学校にも通えないです。それで大人になっても仕事がなくて貧ぼうから出られません。そんな子供達は学校に行かず、信号がある所でおやつやあめなどを売っています。いなかの町ではあまりないけれど大きい町ではそんな子供達がたくさん見られます。それを変えたいと思うけどどうしたらいいか分かりません。
 ブラジルで変えたい事がもう一つあります。それは差別の事です。それも前の話と関係があります。差別される人達はほとんど黒人です。黒人達ははだの色だけで差別されます。仕事もあまり見つかりません。それでお金もありません。
 人も世界もかんぺきではありません。まだまだ変えないといけないことがたくさんあります。

 

横田陸   横浜国立大学

 

1)はじめに・SDGsと「格差」の概念
私がSDGsについて始めて知ったのは中学生の頃である。当時SDGsとは「持続可能な目標」であり、これからの発展のために必要な指標であるという説明を聞いてそれなりに納得した記憶がある。それ以降、高校のさまざまな教科で、そして大学でも国際開発学や社会学、まちづくりなどさまざまな文脈でこの指標は登場し続けている。
 今回のエッセイのテーマは「誰ひとり取り残さない」ために「私たちに何ができるのか」である。ここからそれについて書いていこうと思ったのだが、私の中で1つ疑問に思っていることがある。それは、「Sustainable Development Goals=持続可能な開発」という概念と、「誰ひとり取り残さない」という基本理念の間に、一見しても関連性があまり感じられないところである。「持続可能な開発」に対して、基本理念が「環境に優しい資源」とかならわかるのだが、実際のSDGsにおいては「開発」という概念に対する基本理念が「包摂」の話になっている。私はこの疑問に対し、少しでもわかりやすい方法はないかと自分なりに考えてみて、「開発」と「包摂」をつなぐ指標を設定すると良いことに気づいた。それは、相対的貧困の概念に基づいた「格差」という指標である。
 持続可能な開発を進めるとき、開発を一斉にすることはできないという関係上必ず「開発された場所」と「まだ開発されていない場所」という二極化が進み、2つの間の格差が広がる。これは国際開発学における従属論的アプローチであるが、SDGsの指標は「誰ひとり取り残さない」である。従って格差によって社会的弱者が生まれてしまうことはなんとしてでも阻止すべきことであり、私たちは格差を極力是正する方向に動かなければならないと思われる。ここからの文章は、SDGsにおいて「誰ひとり取り残さない」ために、つまり「相対的貧困の文脈における格差を減らすためにどのようにしたら良いか」ということを焦点に置く。

2)相対的貧困と格差―自らの経験をもとにして―
 阿部(2012) によると、相対的貧困とは「人がある社会の中で生活する際に、その社会の殆どの人々が享受している「普通」の習慣や行為を行うことができないことを指す」という。従ってSDGsにおける「格差」とは、「大多数の人々が享受している習慣や行為をできる人とできない人の間に存在するギャップ」ということができるだろう。そう考えると、私たちにできることは、この格差、ギャップを埋める努力をすることではないか?
 ここで私の経験を記し、それを題材にして私が考える「誰ひとり取り残さない」ためにできることを述べていく。私は以前家庭教師の体験授業スタッフをしていたことがあるのだが、その中で中国からつい最近引っ越してきた家族のご家庭を訪ねる機会があった。彼らは日本語がそれほど上手ではなく、漢字などの難しい言葉は書くことができないという状況(自分の名前が精一杯であった)。結局家庭教師の契約も「契約書が書けないのでお断り」という対応を取らざるを得なかったのだが、これはまさしく「相対的貧困」による「格差」の文脈で論じるべきことではないか?つまり、「日本語がそこまで堪能ではない」という理由だけで、「多くの人=日本に住んでいる人々」が享受しているサービスを受けられず、社会から取り残されているのである。
 このような問題は無数に存在する。今述べたような外国につながる人々の問題もそうだが、男女による格差、性的マイノリティ、障碍を持つ人々、見えない貧困の問題など…。正直私は政府がこれらの問題に全て対応することは不可能に近いと思う。だからこそ、周りにそのような「困っている」人々がいた場合、私たちが率先してフォローして「普通」の人々との間の格差をなんとかして縮めることが必要なのではないか。また、先ほど不可能と言ったものの、政府にはそのような「相対的貧困」を抱えた人々へのケアを求めたい。ケアと言ってもそれは事例ごとに違う。例えば外国につながる人々には日本語教育を、性的マイノリティの人々には法による支援を…という具合で、問題ごと(もしくは事例ごと)の検討を求めたい。

3)終わりに―包摂とSDGsとの関連―
 今回は、「誰ひとり取り残さない」ために私たちが何をできるか、というテーマで私の意見を書いてきた。最後の方は完全に社会的な包摂について論じていて、SDGsとの関連が見えにくくなってしまったので最後に補足する。SDGsの指標には、「絶対的貧困」「相対的貧困」「人間開発指標」「幸福度」など様々な指標が関連するが、
その最大の目的は「世界の環境・政治・経済に取り組むこと」である。世界全体の課題を解決するという意味で、世界の格差を解消することは重要なのだと思う。

 

 

宮本穂菜実 大阪大学4年生

 

私は就職活動を経験する中で、自身の考えが、世間や企業が作り出す一般常識から取り残されていると感じることがありました。それは大きく分けて3つあります。
一つ目は、学業ややりたいこととの両立について。就職活動には様々なやり方があると思いますが、当初何もわからなかった私はとにかく就活サイトに登録し、そこで案内されるセミナーに参加し続けました。そうすると、3年生の夏段階ですでに、「今から動き始めないと遅い」や「夏のインターンシップは絶対に参加するべき」など、不安を煽られるような情報を多く耳にしました。そして私は、片端からインターンシップに応募し、空いた時間があれば不安を払拭するかのように就活セミナーに何度も顔を出しました。そしてそれを約一年繰り返し、最終的には納得のいく企業から内定を得ることができました。結果としては良かったと思っていますし、後悔は何一つありません。しかし、就職活動が終わった今、大事な学生生活のうちほぼ丸一年を“就活”に費やしていたことに気が付きました。果たして、1年間もやる必要があったのでしょうか。就活中、プログラミングやデザインの勉強、それから様々な職種のアルバイトなど、やりたいことが多く出てきました。しかし常に何かに追いかけられているかのような不安があり、就活が疎かになるのが怖くてほとんどチャレンジできませんでした。それがたった1年の期間ならまだましです。私の周りでは、1・2年生の頃からすでに就活に不安を感じ動き出そうとしている人もいます。学生の間にしかできないこと、挑戦したいこと。それらを差し置いて、就活をしなければという気持ちになるのです。もちろんそれでも就活を優先する選択をしたのは本人であり、私自身です。ですが、不安を煽るような情報を多く目にしなければ、もう少し違った考え方もできたかもしれません。皆がそれぞれのペースで就活を進められるような社会になれば、と強く思います。ポテンシャル採用の日本では新卒一括採用が主流ですが、海外のように卒業後にゆっくり自分の将来やキャリアについて考える、という方法も取り入れた柔軟な社会になってほしいです。
二つ目は、黒髪リクルートスーツの統一。もちろん見た目や第一印象、相手への敬意はとても大事なことです。ですが、皆同じ髪色・髪型・リクルートスーツにする必要があるのでしょうか。疑問には思いつつも、実際に就活生になると、焦りや不安からとりあえず髪を黒に染めよう、外見はせめて決められたとおりに従おう、と徐々に集団に馴染むように変わってしまいました。選考では個性が求められ、“あなたらしさ”を何度も聞かれるのに、見た目は全員統一。少し違和感がありました。
三つ目は、面接での建前・テクニックについて。「弊社は第何志望ですか?」そう聞かれると、「御社が第一志望です」と言わなければならない。言わざるを得ない。そんな場面が面接で何度かありました。そして、そんな時にはこう言うべき、といったテクニックがYouTubeを開けば溢れていました。面接に限らずエントリーシートも、皆が同じテクニックを使えば、個性も何もなくなってしまう気がします。しかしそれに従わなければ受からないのではないか、という不安と葛藤が私にはありました。
以上3点が、私が就職活動をする上で、“当たり前”とされている常識と自身の考えとの乖離に苦しみ、世間から取り残されていると感じた点です。本当に意義のある本質的な部分だけが残り、なんのため?と疑問を抱いてしまうような規則や風習がない社会をこれから作っていきたいです。

 

 

笹森遥   横浜国立大学 1年生

 

「大人の発達障害」という言葉が近年よく口にされるようになった。発達障害とは先天的な障害であり、大人になってから後天的に発症することはない。発達障害の多くは幼少期に気づかれる。しかし、症状に幅があるため程度が軽い人は大人になるまで障害に気づかず、就職や結婚などの過程で他人と比べた自分に対する違和感を感じ、発達障害と診断される人が増えている。また、発達障害の傾向は見られるものの、診断が下りない「グレーゾーン」と呼ばれる人も多い。彼らの多くは困りごとを感じながらも周りからの支援を受けられず、生きづらさを感じている。生活上で何かミスをすると自分を責めるようになり、うつ病などを発症することもある。このような人たちの特性を理解するとともに適切に対処し、「取り残さない」ことがもっと必要なのではないか。
斯く言う私も小さいころから大人の発達障害の一つ、ADHDの症状に悩まされてきた。忘れ物が多く、宿題は期日に間に合わない。常にきょろきょろソワソワし、警察によく声を掛けられる。財布や定期券、スマホなど大切なものも何回も落とし警察にお世話になった。バイトではケアレスミスを繰り返し店長に毎日怒られている。しかし本当につらいのはそういったミスなどに対して「お前の努力が足りないせいだ」「やる気がないからだ」「そんなことは心の問題で、気持ち次第でどうにかなる」と言われることだ。本人の性格・個性と受け止められ、自己肯定感が失われていく。本人を激励する言葉のつもりなのだろう。
また、心療内科で診察を受けたいこと、発達障害であると診断を受けたことを伝えると「それは逃げでは?」「免罪符を手にしたつもりか」と言われた人もいるという。
本人の能力に限界があり、苦労をしている人間がいるのにもかかわらず、このような言葉を投げかける人が多くいるのはなぜだろうか。私はシンプルに多くの人が「大人の発達障害」そのものに関して、また障害を持つ人にどのように対処すればいいか知らないためだと考える。当人は診断されたならそれを足掛かり、きっかけとして自分を知り、何ができて何ができないのか、自分にはどんな潜在能力があるのかを知る。そして周囲の人は症状の特性を知り、その人の特徴をできるだけそのまま受け入れていけるようにすることが大事なのではないか。
「大人の発達障害」を持つ多くの人は学校や会社など、自分が所属する組織などで「取り残されている」ことが少なくない。そのような人たちにも平等に、誰一人取り残さないように多くの機会が与えられればいいなと思う。

 

 

木下瑛羽 横浜市立戸塚中学校1年生

 

 SDGs。今では、誰もが知っていること。学校でも、SDGsのポスターが掲示板に貼ってあるし、たびたびSDGsの話も取り上げられる。17の目標とか、環境問題、貧困問題など、よく耳にする話。でも、実際に何かしよう、と動こうとする人は、ほとんどいない。どうせ、自分が何かやったところで何も変わらない、自分の力では何もできない、専門家やお偉いさんに任せておけば何とかなると思っている人が大半だと思う。これを読んで、「あ、自分だ」と心当たりがある人も少なくないはずだ。しかし、そう上手くはいかない。現実は、甘くない。これは一人ひとりが、「だれ一人取り残さない」社会にするという目標に向かって努力する必要がある。一人ひとりが努力する必要があるくらい、大きな問題なのだ。皆が何かをしてから、やっと解決するのだ。いや、100%解決するかと言われたらそれは無理かもしれない。世界全員の人が平等に生活できるようにするのは、不可能だ。ただ、今の現状が少しでも改善するのは確かだ。
 これは別に、自分が考えたというよりかは、みんなが言ってきたことだ。「少しでも、努力しよう」、と。では、先程「実際に動こうとする人は、ほとんどいない。」と言ったが、それはなぜなのか。僕が思うのは、皆がそもそも何をすればいいのか分からないからだと思う。僕は、SDGsの「だれ一人取り残さない」という考え方には賛成だ。でも、発信の仕方が間違っていると思う。学校などでもそうだが、「SDGsについて、自分たちにできることを考えよう」などと問われる。確かに、何をしたらいいのか考えることは重要だと思う。でも、何をしたらいいのかと考えるよりも先に、今の現状のことを知ることの方を優先するべきだと思う。「SDGs] と言われると、「環境問題」という言葉が頭に浮かぶという人が多い。でも、それ以外にも、「貧困問題」「差別問題」などといった分かりやすい例だけでなく、世界中に沢山の困っている人がいる。それに、困っている人がいると知っていても、本人以外にはその苦しみが分からない。だからこそ、今の現状を知る必要がある。今はコロナでそういった人がより一層増える中、コロナの騒ぎで忘れられている人たちがたくさんいる。休校やらテレワークやらオリンピックやらと騒いでいる中で、世界には、コロナ以前に、学校に行けない、働けない人や、ご飯も食べられずに布団に向かう人、コロナやそれ以外の病気にかかっても治療できない、してもらえない人がいる。僕たちは、そういった問題を抱えないで生きていけるだけ、幸せなのだ。
 そして、世界だけではない。皆が忘れている人は、まだまだ沢山いる。例えば、震災で被害を受けた人々だ。特に、コロナもあり、気にしなくなってしまった人が多い。「え、もう復興したんじゃないの?」と思うかもしれない。もう10年も経って、復興したと思われがちだが、実際そうではない。まだ仮設住宅に住んでいる人も多いし、壊れたままの建物などもまだ残っている。そして、物理的な問題だけではない。津波に遭って、トラウマになったり、家族を失って悲しんでいる人たちも沢山いる。それでも、一日一日頑張って乗り越えて生きている。しかし、時が経つにつれて皆忘れていく。もちろん、日本にも、世界にも、このように忘れられている人達が他にもいる。沢山いる。困っていることをそもそも知ってもらえない、気づいてもらえない人もいる。だから、取り残されていく。「だれ一人取り残さない」社会にするには、まだまだ努力が必要だということが分かる。
 僕が言いたかったことは、つまりは「自分に何ができるか」よりも、先に「今の現状を知る」ことが大切だ、ということ。「だれ一人取り残さない」社会にするには、まず「取り残されている人」を知らなければならない。例えば、みんなでポケモンを集めようとしていて、ある強いポケモンが捕まえられないとする。強すぎて自分には捕まえられないと思って諦めるより、まず「ポケモンの種類」を知る。それから、何か捕まえられないか考える。それと同じ話で、「だれ一人取り残さない」社会にするために、自分に何もできないなら、まず「取り残されている人」を知る。それから、何かできないか考える。そうしたら、何か、自分にできることが見つかるかもしれない。
 「だれ一人取り残さない」社会に一歩近づこう。その道が、どれだけ難しくても。どれだけ、遠くても。

 

 

中村ゆかり ピラール・ド・スール日本語学校

世界をかえる

この世界にはたくさん悪いことがあります。みんなは地球の未来を本当に心配していると思います。みんなはこのままでもいいですか?この世界でみんなは何を変えたいですか?私はたくさん変えたいことがあります。 
例えば、森のかじとか木を切ることとかです。それによって大変なことになるのは人間だけではありません。動物もです。たくさんの動物が死んだり生き残った動物は町に来たりします。
他に私が変えたいところは、人がごみをすてることについてです。道に捨てられたごみは川に行ってそれから海に流れていきます。そして、そのごみを食べた魚とかイルカとかかめとかを殺してしまいす。このごみは他にも悪いことをしています。
他に私が変えたいことはお金のことです。例えば、この世界には大金持ちがいます。
でもお金がない人もいます。家がない人や食べる物がない人もいます。うまくバランスがとれたらいいけど、それはすごく難しいことです。ただ私はそう願います。
そして、他に変えたいことはみんなが仲良くできるようにすることです。例えば、皮膚の色とかどこの国から来たとか肥満の人とか、そんなことは関係なくみんな仲良くできるようになってほしいです。また、戦争のない世界。どこの国とも仲良くできる世界になれば、軍隊もいないし、死ぬかずも少なくなります。それは私が考える理想の世界です。
でもこんな世界が実現する日が来るのでしょうか。それは簡単なことではありません。星を見て願うだけではかないません。この世界を残すために、またもっといい世界にするためには、みんなの考えが変わることが必要だと思います。でもそれはすごくむずかしいことです。それに、人間がかいけつしなければならない問題はこれらだけではありません。他にもたくさんあります。これを書いている今そう思いました。 
でも、もし、「貧富の差」と「差別のない平和な世界」の問題を少しでも変えることができたら、他の色々な問題を変えていくいい始まりになると思います。

 

甲斐陽菜 岩田高等学校2年生

 

線引きをすることは、必ずしも不必要ではない。たとえば、国が取り残されがちな人を取り残されないようにするために支援を行うとき、適切な額が届くようにしなければ、軽度の障がいを持った人は国の援助によって助けられ、重度の障がいを持った人はより取り残されるということが発生しうる。しかし、私たちが関わる生活において、線引きは不必要である。
孟子の「梁恵王上」で、『王が高殿から牽かれていく牛を見てどこへ連れていくのか聞いたところ、儀式の生贄になると言われ、王は「それは中止しろ。目の前で罪なく殺される生き物を見てしまった以上、見過ごすのは忍びない。」と答えた。』という話がある。
この話を今から私がする話に当てはめて、さらに要約すると、「私たちが人を助けるのは、苦しんでいる、または困っている人が目の前にいるからだ。」ということになる。つまり、その人の持っている障がいが軽度だろうが、重度だろうが、あるいは障がいを持っていない人だろうが、関係ないのである。
このことから、私は、私たちが線引きをするべきときを見誤っているから、取り残される人が発生するのではないかと考えた。要は、金銭的・物質的援助を行う場合、その生活への影響は大きいものであり、客観的に適切な基準で届けなければ、より孤独な取り残しが発生しかねない。だが、私たちのような対人的援助を行う場合、主観的に困っている人を助けるという方法で良く、仮にその主観が誤っていて相手は援助が不必要であったとしても、相手から断られるだけで、それ以上の問題は発生しないのである。
しかし、そういった対人的援助を行うためには、ある程度の基本的な知識や、根本的な理解が必要なのだ。たとえば目の不自由な人に道案内をするとき、どうするべきかすぐに言えるだろうか。私は小学校の授業の一環で、目隠しをして友だちに誘導してもらいながら校内を歩いたことを覚えているが、それ以降、そういった授業を受けた覚えがない。あったのかもしれないが、記憶に残らない程度だったのは確かだろう。正直、主人公が目の不自由な人に試行錯誤しながら道案内をするという漫画を読んで学んだことの方が、実践的で鮮明に覚えている。
よって私は、特に高校などの学校で、そういった授業をもっと行うべきだと感じた。高校生になった今、小学生の頃に比べて、困っている人へ声をかけることに勇気が要るようになった。私に限らずそういった人は多いと思う。そこで、授業によって手の差し伸べ方をしっかり身につけることができると、手を差し伸べるための自信にもつながり、大きなきっかけになると考えたのだ。
何から何まで線引きを取り除こうと言う人、客観的なことを言って困っている人に手を差し伸べない人、気持ちはあっても手を差し伸べる勇気が出ない人は、まだたくさんいる。まず基本的な知識と根本的な理解による土台を確立させたうえで、今、なぜ線引きを必要だと思ったのか、またはなぜ不必要と思ったのかを考えたとき、私たちは誰一人取り残さない世界に近づくと思う。

 

 

横濱祐雅 横浜国立大学4年生

 

私は体育会サッカー部副主将として、絶対に曲げない信念が一つある。それは「誰ひとり取り残さない」ということだ。まず、私が副主将を務めるサッカー部について少し触れておきたい。部員は80名ほど、そのうち主将1人、副主将3人が幹部陣という組織体制の中、スポーツ推薦の無い国立大学ではあるが強豪私立大学に勝利し上位リーグへ昇格することを目標に邁進している。至って普通の体育会サッカー部である。しかし、最大かつ難題な特徴が一つある。それは「大人の監督がいない」ということ、つまり運営を全て学生主体で行っているということだ。公式戦への申し込み、他大学・OBへの連絡、スポンサー契約、会計管理やメンバー選考など多岐に渡る活動を部員のみで行っている。こういった環境だからこそ部員の主体性を育むことができ、試合に出るだけではない組織への関わり方を模索することができる。私はこの組織の副主将として、監督のような立ち位置を取りながらも選手として活動をしている。一見すると、一人一人が生き生きと活動できているように見える。しかし、試合に出られない60名ほどの部員がモチベーションを落とすことなく組織に貢献し続けることは非常に難しい。私自身、1年生の時に試合に関わることができなかったからこそ、モチベーション維持の難しさを知っている。そのため、副主将になり誰ひとりとして取り残さずにチーム作りをしようと決意した。前述の通り、監督のような立場であることで、トップダウンで部員に接することがこれまでの幹部の在り方だった。私はその接し方に疑問を抱き、「対話」を通してよりボトムアップの風土を醸成しようと考えた。まず全員と個別面談を実施し一人一人と対話をした。個別面談では、入部に至った経緯や、理想の将来像など、一人一人の想いと向き合った上で、中長期的な目標、具体的なアクションを一緒に言語化することで、主に試合に出られない部員の主体的な行動を促した。その中でモチベーションが下がってしまう原因が、短期的な目標を立てにくいことだとわかった。その原因に対して、短期的な目標を立てる機会を設ける必要があると考えた。そこで、月に1度上級生と下級生の1on1ミーティング制度を導入した。経験豊富な上級生と「対話」を通して、目標を言語化し具体的なアクションを考える機会を定期的に設けることで、試合に出られない部員のモチベーションが飛躍的に上がるとわかった。サッカー以外の活動にも積極的に取り組む部員が増え、組織体制の変革やスポンサーの獲得など、大学生の域を超えた活動が増えた。これらは無論、私の成果ではなく部員一人一人の成果である。しかし、「誰ひとり取り残さない」ということを心がけてチーム作りをしたことで圧倒的に部員のモチベーションが向上したことは確かだ。私は無事に大学を卒業することができれば、来年から社会に出る。取引先、上司、同僚、部下、家族や友人など、まずは身近で大切な人を取り残すことなく幸せにできる人になりたい。その幸せにできる範囲を広げていけるように成長していくことができれば、SDGsを体現できるようになると確信している。小さい頃からの生きがいであったサッカーを通して、「誰ひとり取り残さない」ということの大切さを学んだ。私はそんなサッカーというスポーツが大好きだ。

 

 

安野エナ(仮名) 横浜隼人高校

 

「誰一人取り残さない」この一見当たり前のように見えて解決することが難しい課題を達成するために私たちに求められることは、「おかしいと思ったことに対してNo!」を言えるようになることだと思います。
今この瞬間も、世の中にある様々な問題によって「取り残されている人」たちが多くいるのです。そんな人たちの存在に気付き、関心を持ち、おかしいと思ったことに対して皆で声をあげることが、私は一番大切であると私は思います。
私も中学生になるまでは問題に気がつかない無関心なうちの一人でしたが
中学校の平和学習を通して目を背けないで関心を持つことの大切さを知りました。
その平和学習では、1945年の広島長崎への原爆投下について学習しました。原爆や核兵器の恐ろしさ、残された家族の悲しみ、これらは今まで原爆投下の存在を知らなかった私には、思わず目を瞑りたくなるようなものばかりで、とても衝撃的でした。また実際に、広島に行き被爆者の方にお話を聞く機会もありました。その方は原爆が投下された後も後遺症に苦しんだといいます。しかし何よりも辛かったのは、火傷やケロイドによって差別を受けたことだと話していました。私は今まで人種差別、性別による差別などについては知っていましたが、まさか何十年も前に起こった原爆投下による差別で、苦しんでいる人がいる。という事実を全く知りませんでした。ですが、この問題に関心を持ったことで「誰も取り残さない」という課題に向けて小さな小さな一歩を踏み出せたような気がします。
どんなに小さくてもこの一歩が大切なのです。「私が関心を持ったところで何になるの。」そう思う人も多くいると思います。ですが皆がまず様々な問題について知り、苦しんでいる人や声をあげたい人に寄り添っていくことで、確実にそれは「誰も取り残さない」という目標に向かって大きく進んでいっているのです。そして被爆者の方々が少なくなっている今、二度と同じ過ちを繰り返さないために、私たちは原爆の体験をした方々の思いを受け継ぎ、後世に伝える役目と責任があると思います。
私はこの問題を、伝えてくれた先生にとっても感謝しています。SDGSについて学んでいく上で私の今後の課題は、もっと深く知ることそして、平和学習をしてくれた先生のようにそれを広めていく、シェアすることだと考えています。

 

谷本リリアン 兵庫県立大学 1回生

 

食肉を食べると喉がかゆくなり、その代わりに野菜が美味しいと感じるようになった私が、週に1日以上、意識的に動物性食品を減らす食生活を送るフレキシタリアンという菜食主義者の仲間に入ることは簡単でした。日本のベジタリアン率はベジウェルよると2019年の時点で5.7パーセントとなっています。環境保護を目的として菜食主義者になる人がこの数年で増加傾向にありますが、日本ではやはり少数派です。食事スタイルがひとつに定まらない今の世の中で、食事スタイルの多数派と少数派に関係なく「誰一人取り残さない」社会をつくるためにはどうすればいいのでしょうか。
 自分に合った倫理で消費活動をするという前提で、2つ案があります。1つ目は多様性を受け入れることです。私がまだ実家暮らしをしていた頃、フレキシタリアンは肉好きな家族の中で一人だけでした。急に始めたこともあって、最初のうちは「お肉を食べないのは体に良くないよ」「野菜ばっかり食べていて楽しいの?」などと言われていました。私はフレキシタリアンの食事スタイルが一番体に合っていると実感していたのであまり気にせずに、肉類の代わりに豆腐を食べたり、季節ごとに変わる近くの畑の野菜を買って料理をしたりしていました。家族というものは長い時間を共に過ごすので、この光景に慣れたのか、なにも口出しをしなくなり、さらにKALDIなどの店に寄ったときにヴィーガン用の食べ物を買ってきてくれるようにもなりました。この時に私は、親に自分の考え方をちゃんと受け入れてもらえたことを感じました。「多様性を受け入れることが大事」だと過去にたくさん言われてきましたが、実際に自分が少数派になったときの認められた瞬間というのはとても嬉しいものです。自分の考えを持ったうえで、他人の考え方も肯定的に受け入れることが大事だと考えています。2つ目は、共通の目的を持ってエシカル消費をすることです。「菜食主義者は環境にやさしい」ということをよく耳にしますが、だからといって嫌々菜食主義者になってもSDGsが目指している、すべての人が「幸せ」を感じることができる世界にはなりません。自分の体質や生活に合わせた食事スタイルをとる中でエシカル消費をすることが必要です。菜食主義者であっても、そうでなくても「排気ガスを削減する」や「貧困と飢餓をなくす」という共通の目標は持っているはずです。エシカル消費の例として、私はロッカー型自動販売機や近所の八百屋で野菜や果物を買うことを意識しています。自分が住んでいる地域の食物を買うことで地産地消の推進や、納品をするまでに発生する排気ガスの削減につながります。菜食主義者でなくても、最近はオーガニックの食べ物を買う人が増加していたり、自粛のこともあり家庭栽培を始めた方もいたりします。環境問題の解決のためにしている行動ではないかもしれませんが、このように食事スタイルが違っても最終的に世界中の人々が持っている共通の目標の達成に進むことはできます。もちろん消費する側も倫理的に考える必要がありますが、商品を提供する側も私たちに多くの選択肢を与えることが重要です。スーパーやレストラン、食堂に行ってもヴィーガンやベジタリアンの方も食べることができる商品やメニューがなかなか無く、日本は海外ほど菜食主義者の食事が浸透していないことに気付かされます。消費する側は自分に合った消費活動を通して問題解決に向かい、提供する側は消費者の消費活動を可能にするために選択肢を多く設けることが必要だと考えています。世界中の食事スタイルの多様性を肯定的に受け入れ、そのうえでエシカル消費を通して共通の目標を達成するように行動することで「誰一人取り残さない」社会につながると思っています。私たちにはできるはずです。多様性を活かすことが重要とされている時代に生きているのですから。

 

mumu 介護職員(20歳)

 

私はFSGS(巣状分節性糸球体硬化症)という腎臓病を持っている20才です。
病気が判明してからは4年目です。
私の病気は一般的に指定難病であるネフローゼ症候群という病状を来す疾患です。
しかし私は、指定難病であるネフローゼ症候群を来していない&低形成腎による生まれつき腎臓の働きが良く無い為に起こる2次性FSGSという状態で今の難病法では”難病”とはなっていません。
私の様に国としては難病に入る疾患でも、基準の厳しさで難病と認定されずに治療費の自己負担や、同じ疾患でも症状の違いで治療、対処方法に違いがある為に同じ疾患の人とのコミュニケーションが取れないという方と何人か出会いました。
〜そんな「制度の格差」について〜
【私の願い】
①指定難病とされる方は軽い、重い等の症状、現存の難病とされる基準関係なく、「難病です!」と診断された全ての人が「指定難病受給者証」を受け取れ医療格差を生じさせない。
②今の難病法では”原因不明”の方で尚且つ基準に当てはまる方しか認められていないのは”格差”だと思う。
①の制度が難しい場合には最低限この様になって欲しいです。
【難病法に含まれて欲しい!今は難病とされない2次性疾患】
原因不明、先天性の体の失われた機能がある、遺伝子疾患等は、そもそも治療法も確定されていない状態で現在の医学では治りません!
そんな中、
「先天性の体の失われた機能」、「遺伝子疾患」は今は原因が分かっているから”難病”ではないとされていますが、その人も難病法として”難病”と認定されて欲しい。
生まれつきの体の機能が、服薬とかで普通の人と同じ働きに戻りますか?って言われてもそんな事は現在の技術では出来なく悪いなりの機能を悪化しない様にするしかありません。
〜例えば、1例〜
私は、20才。
同年代の人は腎機能90〜100%だそうです。
しかし、自分の腎臓は慢性腎臓病に当たる6割という同年代の人から見ても腎臓が働いていません。
◎その原因は?
「低形成腎」という生まれつき腎臓の体の要らない物を処理する事が上手く出来ず…腎機能低下へとなっていく疾患の疑いがとても高いです。
検尿にて異常が始まったのは中学3年。
病名が分かったのは高校3年の時。
低形成腎とハッキリ診断されたのは社会人だった為に私はありませんでしたが、「低形成腎」自体も”小児慢性特定疾患”は、あるそうですが、”指定難病”としては大人になると無く、一気に社会から健康ですねという扱いなります。

また、他に私には先天性の感音性難聴で手帳4級があり両耳に補聴器付けて生活してます。
ここ数年には片耳難聴という方の事を知る様になりました。私は手帳がある聴覚障がいですが、片耳難聴の方はコロナ禍の今、現在は特にもマスク社会の為に片耳が聞こえにくいだけでも日常生活に困難があります。しかし、手帳が取れない片耳難聴や軽・中度難聴の方は高額な補聴器の購入に躊躇われる状態だそうです。
そんな「制度の狭間」に残されているその様な人を1人でも減らして公平な制度を受けられる環境が受けられる世の中になって欲しいです。

 

 

岸田真幸 長岡技術科学大学大学院5年一貫性3年

 

誰ひとり取り残されないために、今何が必要なのであろうか。私は、自由なき孤独をなくすことが必要である。皆さんは、マッチ売りの少女の話をどこかで聞いたことがあるだろう。本によっては内容が少し違うかもしれないが、マッチ売りの少女は、少女がマッチを売りに出たが、誰一人として買わず売り物のマッチを燃やして明るい夢を見て、最後に少女が天国へ昇っていく悲しい話である。ここの話から2つ論点として挙げる。1つ目に、なぜ少女がマッチを売らないといけなくなったのか。2つ目に、マッチを売っている時の描写である。1つ目の理由は、妻と親を亡くした父親が辛さゆえにお酒に逃げ、幼い少女を毎日こき使っていたからである。人類にとって家族は一番信頼できる集まりであり、身近に話ができる中である。しかし、幼い少女は唯一の家族である父親にも見放され辛く苦しい中でも父のためにと思い、堪えてきたのであろう。一方、父親は少女の自由を無くし孤独にさせてしまった。もし、父親が少女に目を向けていたらと考えると話が変わっていたかもしれない。2つ目の売っている時の描写についてであるが、悪い点と良い点が描かれている。悪い点は、勢いよく走って来る馬車に引かれそうになり、怒号を浴びせられる点と、履いていた靴を男の子に盗まれる点である。これらの点から、少女が住んでいた街はかなり貧しいことが想像できる。一方、良い点は一人の紳士が心配して声をかけた描写が描かれていることである。その紳士は、靴を盗まれ困って座り込んでいる少女に対して声をかけ心配してくれた。作中に少女を心配してくれたのが、この紳士のみである。私は、作中では注目されないこの紳士の対応こそ、人として当たり前ではないかと感じる。
 ここで、現代社会に置き換えて考えてみる。2020年初めからコロナウイルスの影響により、多くの自治体が外出自粛や学校閉鎖等を促していた。しかし今現在2021年には第4波や変異種といったコロナウイルスのニュースが飛び交い、未だ猛威を振るっている。ここで注目したいのが、新生活で別の地域に住む学生や社会人である。在宅授業や在宅ワークにより平日過ごすと、1Kのアパートが自分の生活環境であり、それ以上外に出ないことが大半となるだろう。たまに買い物のために外出したとしても、感染防止のためや新生活で友達ができず、一人で行動することが多いだろう。以上の生活を考えると、他者とコミュニケーションする場がないことが分かる。また、生活の大半が液晶と睨めっこをする人が多いかもしれない。もしくは、液晶とお話をする人もいるかもしれない。現代社会では、皆が障がい者であり、取り残されていると感じる。この問題点は誰一人として、その人のことを気にかけていない点にある。もしその人がいなくなっても、気にする人はいないかもしれない。それが冒頭で述べた自由なき孤独に位置するものである。コロナウイルスの影響により自由が失われるのは仕方がないことかもしれないが、孤独はいくらでも回避することはできると考える。例えば、ごみ捨ての際に地域の人に挨拶や、スーパーやコンビニで買い物した後にお礼の一言を言うだけでも違うだろう。これは、孤独にならないための自己防衛でもあり、他者を孤独にさせないための措置でもある。ある意味では、昔の生活では普通のことが、栄えた都市では普通でなくなったのかもしれない。
 今後、コロナウイルスにより生活の自由が奪われるかもしれないが、『自由なき孤独』の孤独を無くすためにも身の回りの人たちに声をかけてみるのもいいかもしれない。物語は物語の中だけにしなけらばならない。そして、私たち学生が老若男女・障がい者問わず協力し新しい自由を創造していく必要がある。

 

 

岡田彩花 名城大学薬学部4年生

 

私は、社会から取り残されたくないと思う。
そして、誰一人取り残してはならないとも思う。
けれども、私は「誰も取り残さない」為に平等や公平性の大切さを述べるわけではない。

意味が分からないと思われるかもしれないが、それは”取り残さない”という言葉をどう解釈し捉えるかが鍵になると考えている。
当たり前だが、地球人がみな同じ生活水準になって、子供からお年寄りまでが全て同じ扱いを受けたとしても、SDGsの真の目的は達成されないだろう。
私は、みんなと同じでいる必要なんてないと考えている。
これまで生きてきた中で何度も”ふつうが良いよね。”とか”みんなそうだからあなたもそうしなさい。”ということを言われたり、学力に関しても平均点を目指す人が多くいたりすることに違和感を持ってきた。

均一や同一を理想とする世の中であれば、取り残されない為に本人が無理をしたり必死になったりしなければならない。
取り残されないことよりも、取り残されないために自分を偽ったり他人と競い合うほうが問題だと私は感じる。
取り残さないことは、大多数の意見や先進国の普通、今の当たり前を押し付けることではないと思う。
私が必要だと考えるのは、取り残されそうなその存在を「忘れないこと」及び「気づくこと」であり、つまりは”切り離さないこと”だ。
全てを一律にすれば良いわけではない。
文化だって、国によって違うから面白いし、
男女・年齢の違いによって考え方が違うからこそ社会が多様化する。
不登校のように一見取り残されているように見えるようなこともあっても、行かないのも選択肢として勇気あることとして認めることも必要だと思う。

そもそも、なぜ長く続いてきた人類史の中でSDGsが推進されるようになったのだろうか。
それは人間が他の種とはかけ離れた知恵と技術を授けられた故の責任であり、同時に他の種と同じように地球という星に存在していることに対する必然であるからだろう。
弱い人々だけでなく、人間が気が付かないうちにふちへ追いやってしまった動植物こそ取り残してはならないと私は思う。
進化や発展は便利や効率を求めることではなく止まることのない変化であり、私達は地球が永久に発展し未来を迎えられるようにしなければならない。

その前提でSDGsの17項目を私なりに見てみると、項目3の健康と福祉や項目4の教育、項目14の海の豊かさや項目15の陸の豊かさ、そして項目16の平和などについては、絶対的で普遍的に達成されるべき目標であると思える。

人間も動物も植物も、お互いが助け合うことで世界は回り続けている。
何も特別なことをする必要はない。
環境に優しいことは人間にとっても優しいことであり、例えば農薬の使われていないオーガニックの食材を買ったり、早寝早起きをして少し節電したりといった簡単なことでも実践できるだろう。
私は更に、健康と福祉、教育においては子ども向けに食育のイベントを企画運営したり、
自然の豊かさにおいては、植物園のボランティアに登録したり、
平和においては戦争の語り継ぎのボランティア活動や戦争をテーマとした朗読会に参加したり、などの形でも実践している。
自主的にこれらの活動をして、私は自分で感じて・考えて・動くことの重要性を学んだ。

きっかけはそこら中に散らばっている。
隠れて見えないことや雑音に紛れて聞こえないものに気がつき、自らの頭で判断し、何か行動に移すことで、今までとは違う世界を知ることができるのだ。
問題があると分かっていても、自分には関係ないとか自分ではどうしようもないと決めつけず、
一歩踏み出してみることは必ず意味があると思う。
私の行っていることも、すぐに社会を変えることはできないけれど、私の目の前の人の笑顔が、巡っていったら世界の人々を笑顔にできるかもしれないと信じている。
私がした親切が、繋がっていったら地球が平和になったら良いなと願っている。
私は私にできることを探し、続けることで輪を広げていきたい。

このグローバル化が進み様々な情報が溢れている世の中で、取り残しとは何なのか、あるいは進化や発展とはどういうことなのかを改めて議論する必要があると思う。
特に今日を生きる我々は、コロナ禍という状況を活かして当たり前を見直し、本当の自分自身、本当の自分の生活を身つめ直し、自分らしさを取り戻す機会だと捉えるべきだろう。

世界は一つになって一人一人の幸せを守らなければならない。

 

 

喜田和希 横浜国立大学3年生 都市科学部

 

私はあまり人と関わることやコミュニケーションが上手ではないということから、しばしば社会から取り残されているという感覚に陥ることがあります。この感覚に陥る理由として、人と関わるということを考えるときはいつも心が締め付けられるため外に出て買い物をする際に人と関わることを考えてしまい楽しいという感覚が得られなかったり、ほとんどの大学生が行っているアルバイトを始める勇気がなかったりということが考えられます。社会から取り残されるという感覚に陥る例としてあげたものは、恐怖に打ち勝って行うことができている人も多く存在していることから、他人から私を見るとただただ自分に甘えていると感じられても仕方が無いと思います。また、私は人とコミュニケーションを取る前に他人が自分のことをどう思ってしまうのかということを強く考えてしまい、特に社会から取り残されていると感じている私は自分のことをネガティブに考えてしまうため他人からの評価は常に低いものなのだと考えていまいより人と関わることができなくなってしまっているということが現状です。社会から取り残されている原因の大部分が自分の行動によって変えていくことができるということは承知の上なのですが、このような気持ちを押し殺して生活をしていて社会からだけではなく自分自身から心が取り残されているという人々もいると思うので、少しでも社会に近づくことができる間接的な手助けがあればいいなと考えています。  間接的な手助けとして私のようにコミュニケーションが苦手な人たちが少しでも自信を持つことができるような情報をその人たちだけではなく多くの人たちに届くように発信していくことが大切だと考えます。ここで最も大切なのは多くの人たちに届けるということだと考えています。その理由としてはこのような人たちがいるということが大きく取りあげられることで今まで閉じ込めていた自分たちの気持ちを意見しやすい世界となり、その意見を見て自分だけが人と違うのではないことやこのような人がいることが認知されたことで自分への嫌悪感を少し和らげ社会へと溶け込む大きな一歩へとなるのではないかと考えているからです。  ここまでで私が人との関わりやコミュニケーションが苦手な自分を含む人たちについての意見を述べてきました。このような人たちの中には社会から取り残されていることに疑問を感じていない人もいると思いますが、やはり社会へと溶け込みたいまたは自分らしさを出したいがこれらのせいで諦めてしまうというような人が大多数だと思います。このような人たちが少しでも不安を減らして社会で生活していくことのできる世界になっていければいいなと感じます。

 

 

呉紀鴻   京都外国語大学

 

私は2017年の夏休みに、中国にいる家族と共に世界遺産である広西省桂林市を再度訪ねた。幼少時、一度訪問したが、その頃は透明度が高く川の水が澄んでいたが、もうその透明度はなくなり衝撃を受けたことを覚えている。中途半端な整備計画、利益を優先する旅行社などによる環境問題、教育の遅れなど問題がある街となってしまっていた。このような問題は、中国にとって氷山の一角に過ぎない。社会主義国家にあって経済発展を何よりも優先する中国は、多くの国内問題を置き去りにしてきたといえる。なかでも、発展著しい臨海部とまだまだ経済発展の恩恵が行き渡ってなく、教育が遅れている農村部との格差は、非常に大きな国内問題である。中国国内だけでなく、アジアそして世界に目を移せばさらに問題は大きい。
私は、日本留学を決意し高校1年時より留学した。日本に留学すると母国・中国やアジアについて冷静に考える良い機会となった。日本に来て驚いたことは、小学校から環境問題や貧困問題を考える授業があり、SDGsを実現するための取組みが小学生から大学の講義まであること、学校のみならず地域社会やボランティア団体まで官民あげて協働で行っていることに驚いた。
「持続可能な開発目標」は今のための今でなく、未来のための今と捉えて単なるスローガンではなく、1人ひとりが、どのように実践していくかが大きな課題であろう。2030年の世界はどうなるのか、なかなか予測できない。しかし、「Leave no one behind」を達成するために、教育を誰にも平等に受けられるのは不可欠だ。この数年間、あらゆるレベルで教育を受けられる機会が改善されている。しかし、正解中で学校に通ってない子どもは約2~3億ともいうデータがある。また子どもの権利条約を批准している国でも、児童労働・人身売買など目を覆いたくなるような厳しい現実も直視しなければならない。このようなことを考えるとSDGsの目標の中でも4の「質の高い教育をみんなに」というテーマは、最も重要な課題であろう。「教育」を受けなければ、職業を選択することができず「貧困の再生産」に繋がり、貧困から脱却できなくなる可能性が高くなる。人間は、生まれてくる国や境遇を選ぶことができない。新型コロナウイルスの蔓延も、文明や文化が発達した現代において人類に大きな課題を呈した。このようなパンデミックが起こるとワクチンを含めて、途上国に大きな影響が出ることになる。先に豊かになった先進国が、途上国を含め世界の中の課題を人類の共通の課題として検討すべきであろう。
2021年5月12日に、アメリカのバイデン大統領は「アメリカ・ファミリー・プラン」提案を再度推進し、米国での無料の公的教育を12年から16年に延長することを発表した。これには、2年間の公立就学前教育と卒業後の職業教育がこれに含まれる。教育を受けることにより、人は知識だけではなく、しっかりとした倫理観を持つようになるのである。学ぶことは大切なことである。そのため、教育をどの国にも浸透させることは、地球の未来のためにも不可欠なことであろう。人間は教育を受け知識を得られれば、自由や多くの権利を手に入れることが可能になると考える。人権問題にも解決の第一歩ではあり、そして貧困削減や紛争、自然災害などから人々を守ることにつながるのではないだろうか。
日本も大きく近代化させた明治維新以降、教育改革があった。教育力で格差が縮まり、急速な近代化、経済成長を遂げたのである。つまり、教育は人間を成長させるだけはなく、経済成長にも重要な役割を果たすのである。逆に、アジアやアフリカの諸国の中には、教育が行き渡っておらず、生活に困窮しているところも多い。
 私は高校から日本に留学生するという好機に恵まれ、高校時代も多くボランティアを経験した。インドネシアへの支援活動にも微力ながら参加した。日本の高校で、アジアを中心にした多くの留学生とも出逢うことができた。生まれた国や文化の違いを乗り越えて3年間を過ごした。今春、京都の大学に進学し、教育の力を信じ日本語教育を学んでいる。ここでもまた世界各国から集まった留学生とも国際交流を通して国際理解を深めたいと考えている。4年間の中で、環境問題も貧困削減などの国際協力もできることから挑戦したい。その中でもSDGsの中で最も重要と自らが考えている教育による支援活動をしていきたい。コロナ終息後は、大学院に進学し、留学生として学んだ経験を活かし、国際協力を実践すべくまだ教育が行き届かないアジアやアフリカの国を訪ねて活動していきたいと決意している。

 

小笠原寛太 民間企業

 

2021年東京にてオリンピック・パラリンピック2020がまもなくはじまる。

とくにパラリンピックだと障がいをもった方が参加することができる。
パラリンピックとは、国際パラリンピック委員会が主催するもので、身体障がい者(肢体不自由など)、脳性麻痺、視覚障がい、知的障がい)を対象とした世界最高峰の障がい者スポーツの総合競技大会とされている。
起源としては、1948年、ロンドンオリンピック開会式と同日に、イギリスのストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会より、戦争で負傷した兵士たちのリハビリテーションとして「手術よりスポーツ」の理念で始められたとされている。

パラリンピックの目的として、そのゴールとして「パラリンピックムーブメントの推進を通じてインクルーシブな社会を創出すること」と示し、すべての人が共生する社会の構築を目指す、としている。

また、パラリンピックの価値として、勇気(マイナスな感情に向き合い、乗り越えようと思う精神力)、強い意志(困難があっても、諦めず限界を突破しようとする力)、インスピレーション(人の心を揺さぶり、駆り立てる力)、公平(多様性を認め、創意工夫をすれば、誰もが同じスタートラインに立てることを気づかせる力)があると言われる。

しかしながら、オリンピックとパラリンピックと区別した表現により、「障がい」と「非障がい」と区別していることが目に見えてくることもあるといえるのかもしれない。

障がいは損失を伴い、障がい者が非障がい者に依存している。さらには「障がい」というワードが恐怖心、偏見、誤解を招くとも言われている。障がい者への偏見や差別は研究でも明らかであり、また障がい者への虐待も世界各国で存在しており問題視されている。

私たちも実際に街中で障がいをもった方を目にすると無意識に避けてしまうところもある。
「偏見やステレオタイプをもたないようにしようとしても解消することができない」と言っている方もいた。

他方、ある番組にて私は障がいをもっている方が、最近はテクノロジーや技術の発展から「障がい」と「非障がい」の差が縮まってきていると話していることを目にした。
例えば、例を挙げると目の悪い人がメガネをかけることにより日常生活の支障を軽減させるなど、技術により障壁を減らすことができるようになったともいえる。

「障がい」と聞くと私たちは偏見やステレオタイプをもち、ネガティブな感情や劣っているとも捉えてしまう傾向にある。
それもオリンピックと比較してパラリンピックが人気がない一因なのかもしれないし、オリンピック、パラリンピックに限らず選手はプロ意識をもってチャレンジしているのだから精一杯応援したいものであると私は思う。

せっかくコロナ禍ではあるが、オリンピック・パラリンピック2020が東京で行われるのであるからにはオリンピック・パラリンピックへの考え方、とくにパラリンピックへの考え方、「障がい」とは何かについてせっかくの機会なので、みんなで考え直すきっかけになったらいいと思う。

そして、パラリンピックの目的とされている、「インクルーシブな社会を創出すること」が推進されたらいいと考えている。
さらには人種や障がいの有無にかかわらず、あらゆる面での違いを肯定し、受け入れてお互いに認め合える社会であることを願うばかりである。

謝辞:今回の論文を執筆するにあたり友人である名古屋大学大学院の近藤裕基にアイデアをいただいたことで書き上げることができ、改めて感謝申し上げます

 

淺野智恵 羽島市立竹鼻小学校3年生

だれ一人とりのこさないは、羽島から

 

私は小1から、エコを考え、SDGsの17の目標のために、自分は何ができるかを考えてきました。小1では、「青いほしをまもろう」というタイトルで、40人にインタビューして、地球のためにできることを考えて、答えてもらい新聞にまとめました。小2では、未来の夢として、「世界中の子供達で地球エコサミット」を描き、子供でも何かチャレンジしたいと考えました。JICA中部に学びのために訪れた時、世界には、水道から水が出ない国があることを知り、世界の水はどうなっているのか話し合ってみたいと考えたからです。また、小2の時、1年間子供食堂に通い、40人の利用者にアンケートをとり、利用者の思いや子供食堂の将来を探り、統計新聞にまとめました。小3になり、7月に熊本や下呂の水害の写真を新聞で見て、衝撃を受け、弟と一緒に何かできないかと話し合い、夏休みには、「防げ水害!ごう雨による水害とダムの関係」のタイトルで、木曽三川おける水害ハザードマップとダムマップをまとめることにチャレンジしました。その作品で、徳山ダムの取材をしている中、最近の水害は地球温暖化によるものだと教えてもらい、地球温暖化をくい止めるめるために何かしたいと思い、「地球の熱を下げよう」をテーマに、弟と同級生の仲間や、地元の高校生や町の人、200人ほどの意見をアンケートにまとめ、統計新聞を作りました。お母さんからは、「ハチドリのひとしずく」の話を教えてもらい、自分たちも自然と生きていくために、できることをやって、全国の皆さんにも発信することにチャレンジしました。全国の皆さんにも、一緒に考えて行動できる仲間ができたらいいなと考えたからです。  今はコロナ禍で、外出することも、友達と思いっきり笑ったり、歌ったりすることが十分にできません。でも、マスクをしていても笑顔だと分かります。私は、2045年の未来を想像したとき、みんなが笑顔だとうれしいです。 私の両親は共働きで、父の帰宅は深夜のために、家族全員で晩御飯を食べることができません。そんなとき、子供食堂を知り、地域のおばさんやおばあさんたちと一緒にご飯を食べる楽しさを知りました。 そこで、一つ目の夢です。将来は、統計の調べで分かったように、学校などに、地域の人が集まり、交流できる場所としたいです。  二つ目の夢は、水害などで命を落とすことがないような安全で安心な羽島になることです。羽島の竹鼻で生まれた円空のお母さんも長良川の洪水で亡くなっています。木や森をもっと多くして、自然災害の少ない羽島になっていてほしいです。自然のことをもっと勉強し、自然いっぱいの羽島であってほしいです。私の暮らしている羽島はダムがあるおかげで、水害の少ない地域となっています。しかし、徳山ダムを取材している中、自然を壊しているのではないかという疑問も生まれました。もっと緑を増やして、私の子供達と緑の中、笑顔でご飯が食べたいです。  3つ目の夢は、羽島市で、楽しく生活ができることです。私の父は、通勤で90分かけて愛知県に通っています。働ける場所、学校、病院、スーパー、図書館、映画館など歩いて1時間以内で行くことができる羽島になっていてほしいです。時間をもっと大事に使って、家族の時間を大切にしたいからです。  4つ目の夢は、羽島のレンコンと円空仏を未来の子供達にも残したいです。小二では手作り絵本「円空・やさしいひまわり」を作り、羽島を元気にしようと考えました。今年は、手作り絵本で「ハスヒメとレンコンたろう」。を作り羽島産で私の大好きなレンコンチップスをアピールしました。円空ロードとレンコンのある笑顔の羽島にしたいです。

白水秀   早稲田大学人間科学部 4年生

「誰ひとり取り残さない」と云う基本精神を目にして正直、ホッとした。何故なら私は常日頃(自分は社会や世間から取り残されている)と感じているから。大学受験の際の受験勉強が原因で精神を病んでしまった。高校の時も難関大学進学コースを選び勉強第1の生活だったのでストレスを抱えていた。高校の時も過呼吸気味で高校を辞めたいと思った事も一度や二度とでは無い。実際、不登校になった時期も有った。初めは自転車で通っていたが段々、登校出来なくなり母の車で毎日、送迎してもらって、ようやく通学出来た。心が辛くなる時が有るので高校の時から心療内科に通っている。大学生になって初めて病名が明らかになった。統合失調症で障害者手帳も持つ様になった。前々から音や光に敏感で音を聞こえにくくするイヤーマフや耳栓をして高校に通っていた。しかし高校の時の担任の先生は、あまり理解を深めてくれず「授業中に耳栓をするとは、どういう事だ!僕の授業を聞きたくないのか?」と注意された事も有る。「耳栓をすると生徒のザワザワとした話し声が殆ど聞こえなくて先生の声だけを集中して聞ける」と答えたが、なかなか解ってもらえず数人に相談して、やっと解決した。世間から取り残されている感じは日常的に感じる。悲しくて死のうと思った事も何度も有る。カッターナイフでリストカットもした。騒ぎを起こして警察の世話にもなった。でも死んでしまったら家事で忙しいのに送迎してくれた母に申し訳ない。そして婆ちゃんにも申し訳ない。一人暮らしの婆ちゃんの家に高3の時に居候させてもらった。80歳の婆ちゃんは肩が痛いのに僕の下着や高校の制服を洗濯してくれたり弁当や、ご飯を作ってくれた。荒んで夜遊びして夜中に帰っても黙って見守ってくれた。ただ余っ程、酷い事をした時は叱ってくれた。婆ちゃんの家に転がり込んだのは父と派手な喧嘩をした事が主な原因だ。不器用な僕は上手く生きられない。しかし世話になった婆ちゃんや母の為に前を向いて生きたい。もうすぐ大学を卒業する。世間から取り残されていると云う考えを少しずつ棄てて、これからは人に優しく接したい。何故、自分は生きているのか?生かされているのか?人に優しくすれば生き甲斐になり生きている意味が見つかる様な気がする!

匿名車の「ガタンゴトン」という音がしきりに入ってきていました。そのため、何度も伝えてもらうのが申し訳ないという思いと、もう聞き取れないのではという半ば諦めの思いから愛想笑いで「うん、そうだね」と適当な返事で誤魔化してしまいました。

 

 ある時は大学のグループディスカッションです。コロナ禍でのグループディスカッションは間隔を空けてメンバーが座るため、必然的に周りの声は聞き取りづらくなります。さらに、感染予防のためのマスク着用により、発言者の口元が見えないため、誰が何を話しているのかも分からない時がほとんどです。また、自分の補聴器の音量を大きく調節したとしても、周りにいる他の班の会話がガヤガヤと雑音として入ってくるだけで、本当に聞き取りたいグループの会話はそれらの音に掻き消されてしまいます。そのような状況が続くため、聞きたいのに聞き取れない、グループで何の話をしているのかさえ見失ってしまうというジレンマに陥ります。

 

 私は、初めてお会いする方などに積極的に自分が難聴者であり、大きい声の方が聞き取りやすく、会話で無反応だった時は聞こえていないだけで、よく誤解されるけれどもけして無視しているわけではないため理解して頂けると有難いと伝えるようにしています。

 

 こうして自分の聴力を自分自身が理解して他者に伝えることができるようになったことは大きな前進でした。思い返してみると、まだ自分の聴力に関心や理解がなかった小学生、中学生の頃は周りの大人から叱られることが多かったように思います。「あれほど言ったのに」、「なんで聞いてないの」と言われる度に、何について叱られているのも分からず居た堪れない気持ちになりました。補聴器を着用していなかった時は自分の声の大きさも調節ができず、周りから「うるさい」と言われることがありました。今は補聴器を着用していますが声の大きさについては「小さい」と言われることが増えました。補聴器の有無によって自分の声の聞こえ方も変わるため、難聴と生きていく上でそこは非常に難しい課題だと思っています。

 

 最後になりましたが、ひとつだけ皆さんに知って頂きたいのは、補聴器を着用していても完璧に聞き取れるわけではないということです。本当は人と話すのが好きだけれども聞き取れないから話すことが苦手で会話から取り残される人がいることを理解して頂けたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

川嶋健太 静岡福祉大学 2年生

 

情報に取り残される人たち

 

インターネットが普及して何年になるでしょうか。

それからというもの人間が受け取る情報量は格段に増えました。それ以前はテレビやラジオ、雑誌といった情報源が主流でした。それだけではありません。味や匂いといったものも立派な情報源です。いつの時代も人間は五感をつかって多くの情報を得てきたのです。

しかし本当にすべての人がそうでしょうか。私はそうは思いません。外国人や障害者といったいわゆる「情報弱者」と言われる人たちがいるからです。今回はそれぞれの立場に立って考えてみたいと思います。

 まずは障害者と情報についてです。

 突然ですが私は視覚障害者です。未熟児で生まれその影響で網膜薄利となり1歳前に視力をほぼ失いました。手術のおかげでそれ以降わずかですが光を感じることができています。小さいころは両親や周りの先生などから、また多くの物に触れたりして、年齢が上がってからは点字の本やラジオなどで。視覚以外のかんかくをつかい情報をえてきました。人との会話にも困りませんし日常生活もそれなりにおくっていますので情報はあまり不足していないと思っていました。

しかし大学に入ってみると目が見えている周りの友達は私より情報量が格段に違ったのです。見えている分知識が豊富で、そのジャンルも周りの景色、アニメのこと、ファッションのことなど実に様々です。  視覚からの情報は全体の9割以言われています。

友達と会話しているとその幅の広さから私も含め多くの視覚障害者がいかに情報から取り残されているかがわかります。

 では視覚障害者はどの程度の情報量になるのでしょうか。視覚障害と言っても見え方は人によって違いますが今回は全盲の場合です。今作文をお読みのみなさん、周囲をぐるりと見渡してみてください。静かな部屋であれば壁紙や机、床の色、時計……。外であれば行き交う人の流れ、お店の看板、空を飛ぶ飛行機も見えるかも

しれません。では、目を閉じて同じように周りを見渡してみてください。

 

どうでしょうか。上に記したような情報は得られないのではないでしょうか。逆にエアコンの音や人の話し声、車の音、飲食店からの匂いなど嗅覚や聴覚から情報が入ってくるのではないでしょうか。目が見えないと本当にわずかな情報しか得られないことをご理解いただけると思います。

 次は外国人と情報について考えてみます。近年日本に住み働く外国人は多くなってきました。 日本語に不自由がなければいいですが、そうでなければ言語が壁となって情報が届きにくくなります。

ではどのようなときに情報から取り残されるのでしょうか。 例えば、災害時です。どんな災害が起きているのか、どこに逃げたらよいのかなど伝わるべき情報はたくさんあります。しかし慌ただしく復興に向けて動いているとき外国人には状況がわかりにくいのです。炊きだしの情報が入らず苦労したと聞いたこともあります。

 また、電車に乗っていても外国人と日本人の情報格差を感じます。日本語ではコロナウイルスへの予防を呼び掛ける放送がされているのに英語では、どこまで行く電車なのか、次はどこに停車するかという情報しか伝わっていません。私が知る限り緊急停車した際もそのことは伝わっ いないと思います。

このようにいざと言うときの情報保証があまりされていないように感じています。

 コロナウイルスが流行しだしてから日々様々なメディアでその情報が伝えられています。しかし外国人に各地の感染状況などが伝わっているでしょうか。翻訳されたサイトなどを活用することもできますが、テレビをつけてすぐに情報が入ってくる日本人よりは苦労するのです。

 視覚障害者はどうでしょうか。外出先ではアルコール消毒が必須となっています。そのことはわかっていてもアルコールボトルの位置が店によってまちまちです。自分でアルコールを持ち歩いて対処している人も多いですが、これはとても困ることです。また、送られてきたワクチン接種券に期がつかずワクチン接種に時間がかかったという事例も聞きました。

 

 ここまでいかに取り残されている課などを書いてきましたが、それを主張してもなにも変わりません。我々情報弱者たちが自ら情報を得ようとする子ともとても大切です。視覚障害者であればスマートフォンが音声読み上げや文字拡大によって活用できます。外国人も翻訳されたサイトなど活用できると思います。しかしそれらから得られる情報は限りがあります。私たちももっとたくさんのことを知りたいのです。そんな時皆さんのほんの少しの声かけが本当にありがたいです。

 時間はかかるかもしれませんが互いに協力し合って情報弱者だけでなく誰もが情報から取り残されない社会を作っていくことが大切だと思います。そして暮らしやすい社会となることを願っています。

 

 

 

Y・H 高校3年生

 

 

 

「僕の頭は、ざる以下だ!」そう思って、自分の頭を何度も何度も両手の握りこぶしで

たたいた。

中学3年生の美術のテスト前夜のことだった。

仏像の名前を何度確認しても、次の瞬間には、紙に書けなくなっている。

たった漢字4.5文字の言葉を、数個覚えるのに1時間以上もかけた。

絶対忘れないようにと思ってベットに入ってからも何度も何度も繰り返した。

そのことで頭が一杯になったのに、次の日のテスト用紙には、言葉が思い浮かばず

書くことができなかった。

他のテスト科目も同様だった。覚えたはずの、数式、特に漢字の語句、テストの時間

になると思い出すことができなくなった。

また、今でも、忘れられない出来事がある。

眼科の病院の待合室で、返却されたテスト用紙をみて、母に叱られたことを。

覚えたはずの漢字の語句が、テストになって書けなかった。

どうして勉強してもできないの?やり方に問題があるんじゃないの?と言われて、

自分でもわからなくて苦しかった。

学校の検診で視力低下といわれ、眼科に検査しに来ている時のことだった。

そこからのことは、あまり覚えていない。いろいろな検査をして

書字障害、心因性視神経症という診断を受けた。高校一年生の初夏の出来事だ。

当時、私は、目の奥が痛くなって、目がチカチカして、見えなくなるという症状と、

激しい頭痛に襲われた。

教科書の字が、ゆがんで見えたりするようになり、それはストレスによる視力低下、

心因性視神経症のせいだったようだ。

高校一年生になるまで、自分に、障害があることは、わからなかった。

私の書字障害の症状は、(原因や症状は人によって異なると考えられているが、)

視覚情報処理の不全が原因で、字が汚い、書けない、漢字を覚えるのにとても苦労する。

というものだ。字は、書けるけれども汚くて

小さいますに文字を納められなかった。「字が汚くて読めない。ていねいに!」

という先生からのコメントは、いくつになっても変わらなかった。

漢字は、覚えてもすぐに忘れてしまうことが多かった。合格点をとるまで漢字テストを

受け続けなければならない、という小学生時代のチャレンジテストには、苦労した。

また、テスト前に、口頭でテストを友達と行うと、答えられるのに、用紙に書くとなると

言葉を思い出せなくなることもあった。

美術では、形を、上手にとらえられず、筆圧が弱く、もっと丁寧に描きなさいと言われることも多かった。高校になって

部活をやめることにした。速く走ることには、自信があり、陸上部に所属していたけれど

もノートを書き写す授業を何時間もうけたら、それだけで疲労が蓄積して、部活まで体力がもたなかった。

こんな風にひどい頭痛で視力低下になるまで、書字障害がわからなかったのは、認知度が低いことが原因の一つだ。小学校一年生の時に、

担任の先生に、「学習障害ではないか?」と疑われ、今回診断を受けた病院

で診てもらったことがあるのだが、その時は、許容範囲だといわれ診断名がつかなかった。

病院の先生にも、「8年前は、そこまで、この障害のことが、知られていなかったので、

診断名がつかなかったが、当時を振り返ってみると確かに書字障害の症状があります。」

と言われた。

通っている高校には、母が事情を話し、テストの際には、別室で受けさせてもらい、文字も大きく印刷してもらえるようになった。また、時間延長もしてもらえることとなった。

学校の先生は、今までに、そのような診断を受けた生徒は、聞いたことがなく、どのような配慮が必要なのかわからない。と戸惑っているようだった。

認知度が低いことで、問題となるのは、書字障害がある生徒さんの自己肯定感が

下がることだ。

私自身そうだったのだが、自分は、努力が足りないせいだと 自分をいつも攻め続けていた。どれほど努力したら

先生に指摘されなくなるのか?漢字を覚えられるのかと悩み、自分を追い詰めていた。

きっと、私のように自己肯定感を下げながら、勉強する意味を見失ってしまっている生徒さんも、大勢いるのではないかと思う。

そんな生徒さんがいたら、自分の努力不足と決めつける前に、この障害を疑ってほしい。

自分の障害を受け入れることにも時間がかかるかもしれない。私自身、突然、障害があるといわれ、特別な配慮を受けることに抵抗があった。

目に見えて視覚や聴覚に困難があるわけでもないので、クラスの友人

からもどのように思われるだろうと心配した。でも、声を上げれば、きっと周囲の人は、理解してくれる。

そして助けてくれる。その勇気が、今度は、同じように困っている誰かを助けることにつながり、誰一人取り残さない社会の現実に近づいていけると私は信じている。

 

 

 

松尾香奈 京都大学修士課程1回生

 

 

 

 医療技術の進歩が、マイノリティの「生」を脅かす時代となった。聴覚障害を人工内耳という科学技術によって「治す」ことが最良な治療手段とされようとしているのだ。

人工内耳とは、補聴器を装用してもまだ聞き取りが不十分なほどに重度な難聴者の補聴をサポートする人工臓器だ。なるべく低年齢な段階で埋め込み手術をおこなうことが推奨されている。人工内耳は、重度難聴者に音やことばの入力をもたらす画期的な医療技術として迎えられた。しかし、人工内耳は本当に聞こえない人々にとって画期的な医療技術なのだろうか。

 ところで、聴者の身近なところには、日本手話で考え、日本手話で話す「ろう者」が暮らしている。日本手話とは、日本語とは異なる文法を持つ自然言語だ。ジェスチャーとは異なり、言語としての体系が存在する。そして、この言語を第一言語として話す人々や後天的に習得した人々、習得しようとしている人々、CODAと呼ばれる「ろう者」の親を持つ子どもなど、多様な背景を持つ人々の集うコミュニティは、「ろう者コミュニティ」と呼ばれている。「ろう者コミュニティ」に足を踏み入れると、あちらこちらで手話が飛び交う賑やかな空間に誘われる。そこには、音のない世界で「生」が紡がれる、聴世界とは別の世界が広がっているのだ。

 人工内耳を推奨する人々にみえている世界は、おそらく聴世界だけだ。「ろう者」の世界を知らない。存在は知っていても、聴覚障害者が集まっているコミュニティ程度の認識で止まっており、実態は知らないままだ。それにもかかわらず、聞こえないなんて不幸だ、聞こえた方が幸せだというのは、一面的な価値観の押しつけ以外の何ものでもない。あたかもマジョリティの価値観が普遍的なものであるかのように振る舞っているだけなのだ。

 人工内耳の推奨は、優生思想だと私は思う。「ろう者」をマジョリティである聴者と同化させる、科学技術を介したろう者に対する差別だ。第一、どんなに科学技術が進歩しようと、「ろう者」が100%理解できる言語は手話であって、音声日本語ではない。そもそも、人工内耳を装用しても、聴者と同じように聞き取れるようになるわけではないといわれているからだ。同化させたに見えて、実はまったく同化していない。人工内耳は、聴者の世界から置いてけぼりにされるリスクを消失させるものではなく、会話をすべて聞き取れないジレンマを抱えるリスクを増大させるものである。

 たしかに、聴の親にとっては、子どもが自分と同じ言語を話す未来を描きやすくなる意味において、人工内耳は希望なのかもしれない。親には、子どもに人工内耳手術を受けさせる権利がある。それを奪う権利は誰にもないし、私もその権利を奪いたいとは思っていない。私が問題としているのは、手話で子育てをする選択肢があまり浸透していないこと、そしてその選択肢がきちんと親に提示されていないことだ。

 生まれたこどもが聞こえないとわかったとき、はじめて「ろう」の人間を目の当たりにする親もいる。「ろう者」を知らなかった親は、当然「ろう者」の世界のことも知らない。手話で生きる選択をした大人のろう者やその家族を知らないままに、人工内耳の手術を決断する親もいるくらいだ。

 聴者にとって最善の医療技術の提供を目指すのではなく、ろう児を取り巻く環境まで考え、ろう児にとって最善のケアとは何かについて考えて欲しい。人工内耳という選択肢しか提示しない偏りは、ろう児やその親から子育てする上での選択権を暗に剥奪していると考えられる。聴者にとっての最善は、必ずしも「ろう者」にとって最善ではない可能性がある。

 「誰ひとり取り残さない」——この誓いは、<マイノリティをあたかもマジョリティであるかのように扱いながら社会に包摂すること>として解釈されてしまう危うさも抱えている。マイノリティが社会参入するとき、マジョリティと異なる部分をわざわざ同化させなければならないのは、なぜだろう。ろう児が音声日本語の獲得を強要されなければならないのは、なぜだろう。聴者は、「ろう者」に対してなんの権限があるのだろう。

 どうか、ろう児から「ろう者」として生きる可能性、手話で育ち、手話で考え手話で話す「ろう者」になる未来を奪わないでほしい。

 NOTHING ABOUT US WITHOUT US!(私たちのことを私たち抜きにして決めないで!)

 これは、「障害者の権利に関する条約」が掲げている合言葉だ。ろう当事者たち抜きにして、ろう者の未来を決められる社会から脱却しなければいけない。人工内耳の普及が目指される現在において、心に留めておかないといけない大切な合言葉だ。

 

 

 

 

 

山口稔由 長崎大学多文化社会学部多文化社会学科国際公共政策コース 3年生

 

気づいたらみんないなかった。そんな学生生活だった。

 

 私は小中学校を通して、何度も転校を経験した。入学した学校で卒業できたのは、高校が初めてだった。繰り返す転校の中で、私は人付き合いが苦手になり、友達との関わり方がわからなくなった。中学生のある日、理科の実験で教室の移動があった。ふと周りを見渡すと、クラスメイトはすでに移動を終えた後だった。私だけが取り残された自教室。疎外感だけが強く残った。当時の私には、自分から話しかけられる人もいなかったし、そもそも話しかける勇気もなかった。

 また、その時の私は、転校先の教科書の違いから、未履修の分野も多くあった。テストでもこれまでにないほど低い点数を取ってしまい、置いていかれる、取り残されてしまう、という焦りがあった。私が人生で初めて塾に通い出したのは、まさにこの時期だった。その時の私は、焦りや不安でいっぱいだった。ちゃんと高校に行けるだろうか。友達はできるだろうか。そうした負の感情ばかりが募っていた。

 こうした経験は、私に限ったことではないだろう。転校していなくても、移動教室で取り残されている人はいるかもしれないし、一緒に過ごしていても、取り残されていると感じている人もいるかもしれない。

高校生になった私は、1年生の時、同じクラスに中国人の生徒がいた。彼女は親の仕事の都合で1年前に日本に来たばかりであり、日本語をほとんど話せず、また、聞き取ることも難しいようだった。私には中国語は全く分からず、意思疎通も英語や身振り手振りを使ってしか行うことができなかった。日本語話者の学校で、周りに日本人であふれているそのクラスにとって、こうしたコミュニケーションは、もちろん苦労することであっただろう。実際に何度も、難しさを感じることがあった。時間割の変更がうまく伝わっておらず、彼女だけ教科書を忘れてきてしまう、そんな日もあった。しかし、ここでだれも、彼女を取り残さず、一緒に頑張ったからこそ、私達は一緒に卒業の日を迎えることができたのではないかと思っている。「言葉が通じなくて大変だから」「自分には関係ないから」そうした考えではなく、皆が彼女のために、親身になって行動したからこその結果であると思う。

 「誰ひとり取り残さない」、これを実現するには、まずは「取り残されている人がいないかどうか」ということに気付くことが必要だと私は考える。そもそも取り残されている人に気付かなければ、誰も取り残されないように、と状況を改善する必要性を感じることもできない。取り残されている人に気付くこと、そして、手を差し伸べ、一緒に歩むことの必要性を認識してはじめて、「取り残さない」ことに繋がるのではないかと思う。「誰ひとり取り残さない」と聞くと、とても大きな話で、実現するのは難しいことのように聞こえるかもしれない。たしかに、自分一人が、世界中の誰しもを取り残さないことは難しいかもしれない。しかし、自分のクラスではどうだろうか。少し、周りを見渡してみてほしい。取り残されている人はいないだろうか。自分はその人と、手を取り合うことはできないだろうか。あなたの周りの、10人でも、5人でも、1人でもいい。あなたがあなたの周りを取り残さない、その積み重ねこそが、「誰ひとり取り残さない」社会に繋がるのだ。

 私は、中学生時代に「取り残された」記憶が、今でも鮮明に残っている。そして、誰にもあんな思いをしてほしくない、と思っている。私は、自分が得た経験を、これから取り残される人を少しずつでも減らしていけるように役立てていきたい。

中学生のあの時、取り残されていた過去の私には、今の私が取り残さずに、一緒に前を向いている。

 

 

 

 

 

前田幸汰 東京都市大学付属高等学校 3年生

 

 

 

 「てんかん」という病気のことをどのくらいの人が知っているのだろか。世界人口の0.5~1.0%にあたる約5000万人が罹患している病気で、日本においても約100万人の患者がいると予想されている。誰でもなりうる病気ではあるが、周囲からの正しい理解がないと偏見や差別を助長してしまう可能性がある。たとえば、アフリカのケニアではこの病気を「悪霊の仕業」と信じている人もおり、てんかん患者は社会や家族から差別や偏見を受けることが多く、なかにはうつ病になるほど追い込まれてしまう人もいる。偏った印象を抱かれやすい病気とされているぶん、「誰一人取り残さない」社会の実現に向けた市民社会の実践として、誤った情報による差別や偏見をなくさなくてはいけない。そのためにも、私を含め大多数の人が使用しているSNS等の媒体を通じて、情報を受け手側に正しく伝達すること、反対に受け手側は自身の思い込みによって情報を落とし込み、誤情報として他者に伝えてしまうと、社会全体で見たときに差別や偏見に晒される「取り残される人」が出てきてしまうことを認識すべきだ。まず、この情報化社会の現実に向き合うことが解決への一歩だと言え、法律制定などの具体的解決策以前に、私たちの社会を取り巻く誤情報により「取り残される人」が存在する現実を真摯に受け止めなくてはならない。

 2018年2月5日早朝、私は小児てんかんに罹患した。その日から日常は一変することになる。一ヶ月おきにある脳波検査と血液検査、毎食後の薬服用、薬の常時携帯など、こんな煩雑な日々をおくることになった自分の運命を憎んだ。別に誰が悪いわけでもない。なのに、その怒りを誰かにぶつけようとし、またその自分の情けない姿に怒りを覚える感情をなかば諦めている自分がいた。負のスパイラルが続き、私はすっかり笑うことが無くなってしまったほどだ。そんな時、周囲は他人が患う病気にどのくらいの関心を持ち、積極的に正しい知識を身につけようとする人がはたして何人いるのだろう、と疑問に思うことがあった。最も恐れるべきは、自分の内側に客観的な情報が乏しくなると、人々は自己判断で物事を簡潔に理解しようとするため、その口から「主観的な情報」が流布されやすくなることだ。これは私のように病気や障害を持つ者からすると辛いと同時に恐ろしい側面である。思い込みによって作り上げられた巨大な壁がいつの間にか健常者と障害者の間に出来ている、といったことも想定される。以下は、障害者が法的に区別されていた事例である。

 法律上、資格や免許の適性がないことを「欠格」というが、かつてのてんかん患者はこれに該当するため取得できない資格や免許が多くあったそうだ。現在では差別や偏見をなくすという観点から、航空機関連の免許や狩猟免許などに絞られ、かなり少なくなっているようだが、今から二十年ほど前までは美容師や理容師の免許取得も認められていなかった。てんかんという病気は一般的に薬を服用すれば、8割ぐらいの人が抑制できる。また決められた期間服用を続ければ、7~8割のひとが治癒する。こうした医学的事実があるにも関わらず、これまで挙げたような差別があったとされているのだ。

 自分とは何かが異なる他者を見たとき、罪悪感なく無意識的に「区別」する傾向は誰にでもある。もともと人は自分と他者は異なる存在だと認識しているので、このような「区別」は自然なことだと言える。しかし、この「区別」が徐々に「差別」に変化していくと、それが結果として偏見を生みだす。差別や偏見によって「取り残される人」が出てきてしまう。自分と違っていてもいい、という感覚を根付かせようとするにはかなりの時間を要するであろうし、寛大になるという点からすれば人生観を変える必要も出てくるだろう。実際、私が学校でてんかんを発症し、クラスメイトはその姿を目の当たりにして、この病気に対するイメージが一人歩きしていたこともあった。しかし、クラスメイトはその区別を自然と受け流し、私が何事も無い日常に戻ることができたのは、心の底から嬉しいことだった。

 情報自体は泣きも笑いもしない。ただ、それが人間によって扱われるときにさまざまな表情に変化する。情報の交信がしやすい現代だからこそ、悪意無く誤った情報とは知らずに発信と受信を繰り返すことがある。それが「取り残される人」を生んでしまっているという現実を頭の片隅に置いてもらいたい。スマホ画面の送信ボタンをタップする前に「本当にこの情報は正しいのか。これによって誤った認識が広まり、社会に新たな壁を作りはしまいか」と少しだけ考えてみてほしい。その情報の受け手側も安易に理解した気にならず、それを一度でも疑ってほしい。「取り残される人」をこれ以上生まないために、情報の向き合い方を再考することが問題解決の一歩になると私は考える。

 

 

 

 

 

若尾瑠美 都立新宿山吹高校 3年生

 

 

 

私はいつも疎外感を感じていた。普通に生きているということはどういうことなのかも、はっきり理解していなかった。周りの人から疎まれているというわけではないのに、なぜだか、自分は周りとちがうのではないかと思い続けていたのだ。

私は昔から言われたことをやるだけの子だったが、すべてはスムーズに進まなかった。すべてをこなすには、心も体も脆かった。でも、自主性がない自覚があったから、そんな意識でいたらダメだと言われるのが怖くて、助けを求めることができなくて、中学生のころには疲れ切って、もうどうでもよくなって、学校に行かなくなった。いろいろ教えてくれる人たちから離れた結果、こころが楽になり、はじめて「やれ」と言われたことをはっきりと拒否したくなった。拒否を覚えた私は、ずいぶんと生きやすくなったものの、自分のことを認めることが難しくなっていた。みんなが当たり前のように扱っていた「否定」を、どうしてか、自分は使ってはいけないような気がして悩むことになっていた。

だけど、私は日常生活が辛かったのだ。普通の人が当たり前にすることが辛く思えて、具体的になにが辛いのかを言葉にしても、誰にも伝わらない。人からしたら、そんなことは辛くもなんともないし、私は甘えているだけのものだとずっと頭の中で自分に言われ続けた。声に怯えて、ずっと家で横になり続けていた。私はなにも病名がない。ただの怠け者だと自分を責めながら。

結果的に、私は良い子であることをやめ、怠け者という汚名を背負っていく覚悟をすることで、進学直前に立ち直ることができた。普通にできなくても、他のことで努力できるならいいということにした。これで本当に良かったのかと思うところもあるけれど、人生はとっても楽しくなった。

普通の生活にどうにか適応しようとしているうちに、私は、昔の私のような、「あたりまえ」なことを辛く感じてしまうような人をすべて救いたいと思った。それは、どんな場面においても、普通から外れてしまう人が楽しく生きてほしいということだ。人間関係では、変わった言動、珍しい趣味、進んだ考え方、常識知らずといった理由で、人が嫌われたり遠巻きにされたりすることがよくある。それを人に言っても今は認めてもらえないということにすら気づけていないかもしれない。そんな人が悲しい目に会うのを見るのは、仕方ないことかもしれないけど、私にとっては辛いことだった。

SDGsをはじめて知ったのは、高校での授業だった。世界をよりよくするための目標を、どんな弱い者も例外なく実現しようという理念をうけて、私は驚いた。社会にとって迷惑であろう私のような人すらも輪に入れて改善していこうというのだ。こういう目標は、普通の人のためにあるものだとばかり思っていた。私だけでは普通ではないところがあるみんなを救うなんて到底無理だけど、国連のようなグローバルで大きな組織がこうして目標を掲げてくれていたことは、とても心強いことだった。

だれかにひとつ取り柄があるというわけではない。天が一物も与えないことだって、いくらでもあるだろう。「あたりまえ」ができることすら、幸せなことだと思う。私は私のできる範囲で、苦しんでいる人の力になりたい。「あたりまえ」という言葉で人を殴りたくない。一度、これはできて当然という考えを捨てて、人に対する期待値を下げてみてはどうか。できる人がすごい、そう考えていてくれるだけで、認められる人がいる。できない人を、できる人がサポートすればいいだろう。完璧な人などいないという言葉を信じるならば、どんな人同士であっても、片方ができて片方ができないことは絶対にあるはずだ。誰かだけが犠牲になることはない。

「誰ひとり取り残さない」ためには、「あたりまえ」からできない、わからないような、もっとも困難を覚えている人に焦点をあてていくことが必要だろう。私はそう考えてから、人により優しく接するようにしている。自分ができて相手ができないことがあれば自分から進んで、代わりにやったり、相手が望むなら教えたり、生活面や勉強問わず、仲の良さも立場も問わず、できるだけたくさんの人の役に立とうとしている。空回りだってするし、ありがた迷惑になってしまったこともある。でも、もし少しでも誰かの役に立てているならばそれでいいと思う。どんな些細なことも積もっていけば、人の生きやすさに繋がると信じているから。

 

 

 

 

 

塚田優也 埼玉大学大学院

 

 

 

個人的な話をする。

 

今、俺はiQOSと紙巻きの併用をしている。

iQOSはレギュラーのやつ、紙巻きはセブンスターかラークのクラシックマイルド、ごく偶にハイライト。

かつてはiQOS特有の豆を焼いたような匂い——この表現は思いのほか共感を得にくいのだが——が苦手だったが、今はもう慣れてしまった。

他の人の話では聞いたことがないのだが、俺の場合、夏場にiQOSを吸うと原因不明の眩暈がするので、その時期は紙巻きオンリーにしている。

一日に吸う本数に多少の波はあるが、ざっと均して、三日に二箱くらいのペース。

 

ふと思えば、大学に入ってからできた友達は、ほとんど全員喫煙者だ。それもみんな大抵俺と違う学部で、喫煙所でしゃべることがきっかけで仲が深まったりすることが多かった。彼らとの出会いも、喫煙(所?)がもたらす身体的密度、あるいはそれとは別の、ある種の「非-身体的なもの」とでも呼ぶべきもののおかげなのかもしれない。

 

俺は、小学生の頃からゲームセンターに通い詰めていた。

そこには大きく分けて二つのゾーンがあった。一方には子供向けのカードゲーム、そしてUFOキャッチャーとメダルゲームが置かれた区画、もう一方には、格ゲーやレーシングのゲーム、あとはなんか麻雀のアーケード筐体とかが並んでいる区画があった。つまり、それぞれ利用者の年齢層が異なっていた。なので、前者のゾーンは基本的に禁煙だったが、後者の方はいつもタバコの匂いが充満していた。

子供向けカードゲームに熱狂していたのは低〜中学年の途中くらい?までだったと思う。それに飽きてから、俺は煙たい方の区画にあるゲームにハマっていった。高学年くらいの時はロボットアニメのゲーム、中学に上がってからはサッカーのゲーム。これらもやはりカードゲームの部類なのだが、どちらも1プレイのクレジットが300円とかだった。そんな金のかかるゲームを手放しでやりこませてくれるほど、うちの保護者——そのゲームセンターは小学生が家から自転車で行くにはやや遠く、日中働きに出ていた母の代わりに、主に祖母が連れて行ってくれていた——の財布の紐はゆるくなかった。なので、テストの成績などで稼いだなけなしの小遣いをなんとかかき集め、友達と一緒に週末に注ぎ込みに行ったりした。

 

あのゲーセンで嗅いだ副流煙は、特別に憧れるような「オトナの匂い」ではなかったし、そこで喫煙していた人たちも、特段カッコよかったわけでもなかった。単純に、そういう環境があって、そこは楽しいところだったのだ。加えて、母も喫煙者だ。助手席に座って嗅いだ、ハンドルを握っていない方の母の手から漂う匂いは、至極当たり前のものだった。俺が喫煙を始めてから、数えてまだ2、3年くらいしか経っていないが、あの初めて吸った時を節目に、何かがガラッと変わった、みたいな感じは、あまりしていない。だから、タバコやめなよ、臭いよ、健康に悪いよ、と言われることが最近になって増えてきたのだが、そんなことをいわれても、なんというか、仕方がないんだよなぁ、と、力なく思うのだ。

 

最近ちょっとショックだったのは、そのようなことを教授に言われた時だった。俺が「2年か3年くらいです」と言ったら、先生は「まだ間に合うわね」と言われた。一瞬「何が?」と思ったが、すぐに「今ならまだ、タバコで健康を損ねることなく生きる道に戻れるね」という意味だと理解した。

 

当然、先生には先生の事情があって、そして俺への真心から、「間に合うわね」と仰ったのだ。というのも、俺に語ってくれた話では、先生もかつてはヘビースモーカーだったそうだ。——若いころ、憧れのようなものから喫煙を始めた、子供を産んでからも、しばらくはベランダで隠れて吸っていた、と。そして今、おそらくそれが原因で、先生は呼吸器系に不調をかかえていらっしゃる。将来ながく健康に生きていく、ということを考えるなら、先生のこのお気遣いは決して安易に無碍にすべきではない。

 

——しかし、俺がタバコをやめたら、あの煙たいゲーセンや、運転席の母の手から現在までずっと続いている、俺が大好きな、あの当たり前の何かが、ひょっとするとあっさり死んでしまうのではないか?俺にはそんな気がしてならない。もしそうなったら、と考えると、俺はどうしようもなく、そっちの方が怖い。今の俺は、いや、おそらくこれからもずっと、俺はそう思わずにはいられないだろう。

 

 

 

 

 

土肥美桜 KTCおおぞら高等学院 2年生

 

 

 

私は、摂食障害と醜形恐怖症を患っている。これを聞いて、皆さんはどう思っただろうか。生活が大変そうだな、可哀想、と思った方も多いかもしれない。確かに、日常生活の中で病気の症状そのものに悩まされることはとても多い。しかしながら、私としては、周囲からの理解が得られないことや助けてもらえる手段が少ないこと、差別されることなどに苦しむほうが圧倒的に多いと感じている。

ある日、摂食障害についてインターネットで検索をしていた時のことだ。とあるサイトで「摂食障害」という題名のついている掲示板を見つけ、きっと当事者が症状について語り合っている自助グループのような場所だ、と推測した私は、そのページをクリックしてみた。するとそこには、あろうことか摂食障害患者についての罵倒や悪口が書き連ねられていた。「摂食障害は単なる甘え」「自己管理のできない馬鹿がなる病気」「発達障害患者の温床」など、酷い文言が所狭しと並んでいる有様だった。これらの悪口は、大多数が摂食障害の当事者ではない人間によって書かれたものだと推測できた。なぜ病に苦しんでいる人が全く関係のない人に罵られたり、傷つけられたりしなければいけないのだろう、と非常に虚しい気持ちになったのを覚えている。

また、醜形恐怖症についても、やはりなかなか理解を得られない。鏡を見て泣いてしまうことや、化粧の出来映えによって気持ちの浮き沈みが激しいことに関して、「頭がおかしいのでは」「気持ち悪い」「容姿に固執して中身を磨こうとしない、短絡的思考だ」など、心無い言葉を浴びせられることもある。

このように、精神疾患に対して偏見を持たれてしまうことは往々にしてある。そのため人々は、周囲への相談や精神科・心療内科の受診を避ける傾向にある。世間から「異常者」のレッテルを張られるのが怖いのだ。例えば、子ども自身が精神疾患にかかっているかもしれないことに気づいたとき、病院に行きたいと親に頼んでも、世間体を気にして連れて行ってもらえない場合がある。事実私の友人はそんな状況に長い間苦しめられていた。また、自分が精神疾患を持っていることが友達にばれたら虐められるかもしれないという恐怖心から、誰かに相談するという選択肢を自ら消してしまう場合もある。大人でも、仕事への影響や組織からの評価を懸念し、自分をだましだまし生きている場合が少なくない。そして、周りの人に助けを求めることができないまま日々追い詰められていき、自傷行為がエスカレートしたり、最悪の場合自死を選んでしまったりする。

これこそが、精神疾患の闇である。私は、社会福祉の体制より、世の中の人々がかけている色眼鏡にこそ大きな問題があると考えている。きちんと周囲からサポートを受けられる・病院と繋がれる人ばかりではない。身体の病気とは違い、外からはわからないことがほとんどであるため、自ら声を上げなければ支援を受けることができない。けれども偏見の目が怖いがゆえに相談できないまま、独りで抱え込んで孤独に苦しんでいる人は予想以上に多い。それは日本人の自殺率が他の先進国に比べて高いことからもうかがえるだろう。そういった社会から取り残された人々がいなくなるためには、一番に偏見や差別をなくす必要がある。精神病だから、という理由で差別するのは絶対に間違っていると思う。最近では新型コロナウイルス感染者に対する差別や誹謗中傷が問題になっているが、それと同じことだ。患者が悪いわけではないのに、理由もなく差別する人、区別と排斥を混同している人があまりに多すぎる。そんなことがまかり通る世の中では病気を隠したくなるのも当然であり、助けを求められない人の置かれる状況は深刻化していくと思う。

現代人の五大疾病に鬱病が入っているように、今や誰もがメンタルを病んでしまう可能性のある時代だ。決して奇異な話ではないのである。もし、自分が患者の立場で理不尽な差別を受けたら。肩身の狭い思いをして生きることを想像し、怖くなって誰にも相談できずに独りで苦しむことになったら。どうだろうか。当事者の立場になって考えてみれば、飛び交う言葉がどれほど鋭く痛いものか、おのずとわかってくるのではないか。

病気のあるなしにかかわらず、皆同じ人間なのだ。誰に対しても、フェアな態度で対応するべきである。そうして世の中の意識を変化させることが、精神疾患を打ち明けられずに苦しむ、いわば取り残された人々を救うと思う。まずは私自身が、人に先入観を持つのをやめて、公平に思いやりを持って生きていきたい。近い将来、差別や偏見がなく誰一人として取り残されない社会になることを信じて。

 

 

 

 

 

佐藤 力 ウェンデル 加古川マリンガ外国語センター・マリンガ日本語学校

 

 

 

 「誰一人取り残さない」。貴方は人を愛してますか?

 僕は日系ブラジル人四世である。日本人でもブラジル人でもない、二つの国の文化や言語と一緒に育って来た。ブラジルで生まれたのに鏡を見るとどこからどう見ても日本人。同然な事である。なぜなら自分の曽祖父母達は皆日本から移民して来た日本人だから。だが自分が日本人だと言うとピンとこない、「ブラジルで生まれた日本人」と言えば正しいのだろうか。ブラジル人の目から見ると日本人、日本人から見ると外国人。僕はどちらでもない日系ブラジル人だ。

 母国ではない国で育つと言うのは差別を知ることだろうか。母が心込めて作った梅干入りのり巻きおにぎりと甘い卵焼きの日本式弁当を学校に持っていくと生徒達から変な目で見られる。あの気持悪目線、まるで見たこともない物を見る目。自分だけが違うと感じるとは孤独だと知った。世界のどこかでも僕が体験した似たような差別は有るだろう、人種、文化、障害など。「何かが違う」の前に、皆人間である。人と言うのは「どこか似ててどこか違う」。残念ながらこの広い世の中では人間としての基本ができていない人が沢山いる。「他人と自分の違いを受け入れる」と言った単純なことを知らずに差別を行ってしまう人がそこら中にいる。だが大事なのは他人が何を行動する事では無く自分がどう行動することである。

 この世界で全員が差別しなくなると言うのは難しいだろう。だが不可能ではない。もっと良い未来を望んでいる人々が必ずいる。少しずつ一人一人が新しい考えと思いを乗せた運動が世界を変えるだろう。それは人間性を取り戻す革命だ。どこかの西方の人が言う「神を愛し、自分を愛し、人に愛を持ち」を実現実行に移すことだ。人を人間として愛し、違い問わず愛すること。世界が愛で包まれる革命だ。「唯の理想を語る少年」と思われるかもしれないが誰しも願うことではないだろうか。今まで散々と争い、貶し、互いに憎みあった歴史の上で平和な未来を願ってはいけないだろうか。世界で様々な運動が起こっている中でこれもその一つである。だが勘違いしてはいけないことが一つある。それは皆同じではない事、一人一人は違う性格、考え、思い、道徳や倫理を持っていると云う事だ。「違いを受け入れる」は「全員が同じ」ではない。

 きっと遠い未来の世界は明るいだろう。基本精神「誰一人取り残さない」は昔も今も変わらず未来でも変わらない。だがどの時代でも社会の中に反対を訴える思想を持つ者が現れて声を上げるだろう。そこで世界は罪人に罰を与えて終るだろうか。それとも思想自体を消すだろうか。選択肢を選ぶのは世界だろうか自分だろうか。未来を作るのは貴方ではないだろうか?

 

 

 

邢(しん)依嫻( いーしゃん) 都立国際高校(卒業)→進学準備中

 

 

 

 電車のドア側に、制服を着ている少女は、誰にも理解されていない悩みを抱えている。私は、中2の時に来日し、日本語が全くわからない状態で公立中学校に入学した。入学してから中学校を卒業するまで学校での疎外感で生まれた心の傷は今でも癒えていない。私と同様に外国人であったクラスメイト二人は中学校を中退し、一層孤独な日々を送ることになった。夜は悩みを聞いてくれる家族がいたが、朝になると憂鬱な学校が始まる。「在日外国人」という埋められない溝を感じる毎日だった。明るい性格だった私は、高校に入り、当時の新鮮感が消えてしまい、残ったのは日本人への恐怖心だけだった。一見して外国人差別防止や日本語支援の取り組みが充実している。しかし残念なことに、「誰ひとりも取り残さない社会」という理想を掲げる中で、学校で無意識に外国人の子どもを「よそ者」として捉えられがちのことが私たちの生活空間に至るところにあふれている。

 データから見ると、全国の小・中学生における不登校生徒割合は1.7%であるのに対して、不就学と推定される外国人子どもの割合は11.3%、約日本人の6.7倍である。原因はマイノリティの彼らが学校で生じる疎外感や日本語の不自由で生じた日本語への抵抗感、進学意欲の低下につながる。そこで昨年、私が参加している外国人子ども支援ボランティアの現場では、コロナ感染拡大防止のために授業形態を対面とオンラインを選択できるようにしたところ、全ての児童がオンラインを選択した上に、参加率も上がった。子どもたちの立場で考えるという一貫して続けてきた私のこだわりに基づいてこの現象を捉えたとき、コロナへの不安とは別の要因が隠れているような気がした。日本語を第二言語として学習者である外国人子どもの不安は外国語学習環境と相関関係にあるため、対面からオンラインへ変化させることで、環境から受ける影響は大きく軽減されるだろう。したがって、つらい経験をしていて、一度「不登校」になりそうな私は、外国人子ども向けの日本語支援をオンライン化することを提案する。

 別の教室で指導を行う「取り出し授業」と授業中に支援者が入って、日本語支援を行う「入り込み授業」は、現在学校で行われている外国人子どもを対象とする日本語支援である。しかし、実際にこの「特別扱い」は、外国人子どもの学校での疎外感を感じさせる要因の一つとなるのだ。そのため、まず第一歩として、この日本語支援を廃除し、その分を土日や放課後の時間を利用して、オンラインで行うべきだと考える。なぜかというと、日本人生徒と同じ空間や時間を授業を受けることを確保することによって、外国人子どもの学校での特別扱いで生じた疎外感の取除きに有効だからだ。それ以外にも、現状として日本語教室の通いにくさによる日本語教室の出席率の悪さや、外国人散在地域の充分な日本語指導されていないことも、時間や場所の制約がないという特徴をもつオンラインツールで経験のある支援員による、支援の行き届いていない外国人散在地域の子どもにまで届くことができるだろう。

 また、日本語支援に関しては、日本語指導者から間違えを指摘されるかという不安による、日本語への抵抗感が生じてしまうことのみならず、反対に幼児に対して話すように過度に優しく接されたりすることも外国人子どもが日本語への抵抗感につながる。このように、相手や周囲の反応に敏感になり、うまく話せていないのではないかと不安が増大し、その負担による日本語学習にも集中できなくなるのだ。そのため、外国人子ども向けのオンライン学習システムでは、生徒と教師対等的な授業仕組みを重視すべきだ。具体的には、教師による授業を行うオンライン「教室」という既成概念を打破する必要がある。従来のインプットを中心にする日本語指導法のではなく、教師と生徒の相互関係から脱却し、互いに楽しく会話をする「トークルーム」という形の日本語指導法を提案したい。加えて、会話によるつながりを促すような設計で、居場所感も生み出すことができる。このように、すべての外国人子どもに最適の日本語教育を届き、彼らを誰ひとり取り残さない社会に進めたい。

 私は、世の中、理不尽な事がたくさんあると思う。しかし、それだからこそ、本当の意味のSDGsの基本精神の「誰ひとり取り残さない」社会に一歩でも近づくために、私たちがそれを変えていく使命感が生まれて、行動をするのだ。

 

 

 

 

 

煙山実穂 横浜国立大学1年生

 

 

 

 今日の朝食は、1/5合の米とベーコンエッグ。昼食はもやしと卵の炒め物とトマト半分。夕食はトマト半分。この食生活は、関東に住む大学生の「普通」なのだろうか。

 私は奨学金を受給し、その範囲内で食品や日用品を購入している。私の通っていた高校では奨学金を借りて大学に進学する人は多くいたため、最初こそ借金への不安はあったもののそれも薄れていった。一人暮らしを始め、私は節約をすることに楽しみすら感じていた。特に食費は抑えられるように努力している。しかししばらくして、周囲との少しのずれに違和感をおぼえるようになった。学生食堂でご飯を食べる人たちは、トレーいっぱいに料理を並べている。私はなるべく安い品を2,3品。サークルの仲間は、毎回自動販売機から飲み物を買っている。私にはそんなことはできない。必ず水筒を持参し、忘れた場合は我慢する。他人の生活レベルの詳細はわからない。私は、大学生は節約して生活をするのが当たり前だと思っていたし、今の生活に不満はない。しかし、私の生活は周りと比べてずれているのかもしれないという不安が生まれた。周りは豊かな生活を享受しているなか、取り残されているのかもしれないと思った。他人の生活レベルがわからないからこそ生まれた不安かもしれない。この不安は私一人では解消し難いものである。友達であっても、毎日の食生活について詳細に尋ねるのは気がひける。相対的貧困は、本人が自覚しづらいということの意味がよくわかった。周りの生活のことは本当に不透明であり、わざわざ知ろうともしないのだ。もし多少周りとのずれに勘づいていたとしても、それを確認する勇気はない。

 「誰ひとり取り残さない」という言葉は、どこからの視点の言葉なのだろうか。周囲に奨学金を受給する人が大勢いた私は、「取り残されて」いなかったと思う。環境の変化、土地の変化によって、どのような生活レベルや幸福度の人が取り残されることになるのかの基準も変化する。例えば、戸建ての物件を購入することの重大さは、都心地域と田舎では大きく異なる。先進国の基準で考えれば、途上国の人々は取り残されているのかもしれない。一方で、我々が当事者と想定する人々は、その対象になるとは思いもしないかもしれない。しかし、本人が不自由を感じていなければよいという問題でもない。はじめは感じていた不自由が、日常の中でかき消された可能性もある。そこで私は、世界で望まれる環境を広く提示し、当事者との話し合いを十分に設けて、どう生活していきたいのかの見通しを立てる必要があると考える。これは金銭面に限った話ではない。宗教、性別、思想などにおいて、当事者になり得る人に現状について周知することから始める必要がある。自分が周りから取り残されている事実を知ってショックを受ける人もいることだろう。私もその可能性に気付いてショックを受けた。ショックを受けた人へのケアも含めて、責任ある活動が求められる。

 ひとりでは「格差」も「取り残される」こともあり得ない。人との関係があって初めて生じるものである。多くの人との関係から成り立つ社会で生きていくためには、みんなが社会を、生活を「知っている」ことから始めよう。周囲の人々に取り残されているかもしれない私の不安は、彼らの生活をもっと知れば、解消される部分が大きいだろう。今後どのように行動すればよいかの検討ができるからである。さらにショックを受けることもあるかもしれないが、もしそのケアをしてもらえるのであれば、知ることへの勇気も生まれる。みんなが互いの世界を知ったら、みんなで未来について考えていけるはずだ。その勇気を与えあえる世界を私は望む。

 

 

 

 

 

渡邉光砂 常葉大学 4年生

 

 

 

「そんな性格じゃこの先、生きていけないよ。」これは私が21年間の人生で1番苦しかった言葉です。HSPという言葉を聞いて、何人の人が知っていると答えるでしょうか。私の周りでは片手で足りる人数しかいませんでした。ここではHSPの日常生活や抱える問題を、自分の体験も踏まえてお話します。

私は幼い頃から、自分の性格を好きになれませんでした。何故なら、周りの大人に「性格を変えていかなきゃ」と言われて育ってきたからです。そしてその期待に応えようとしても変わらない自分が嫌いで、同時に変わってしまう自分も嫌いでした。どうやって生きていけばいいのか分からないまま20歳になり、偶然本屋さんで武田友紀先生の『「繊細さん」の本』に出会いました。私はそこで初めて自分のHSP気質を知り、それは変えることのできない、変える必要のないものだと知りました。その時スッと気持ちは晴れやかになり、自分の性格を受け入れようと思えました。しかし、周りの人々には説明が必須であり、実際には届かないことが多いのです。

私たちが直面する問題の1つに、「認知度の低さ」があります。HSPとは「感受性が強くて敏感な気質を持った人」という意味で、全人口の15~20%がHSPと考えられています。日本では芸能人がSNSで告白したことで広く知られるきっかけとなりましたが、用語としての定着率はかなり低いと言えます。私は以前アルバイト先で店長にHSPだと告白したことがあります。その時返ってきた返事は「それは病気なの?病気じゃないならただの思い込みだよね。」「気持ちの持ちようでどうにでもなるでしょ。」です。自分達はまだ分かってもらえないんだ、と深く傷つきました。そしてHSPの説明もできず、「そうですよね、頑張ります。」と、その場を苦笑いで終わらせました。このような体験はHSPの人達では珍しくないと思います。時にはHSPのことを知らなくても、詳しく話を聞いてくれる人もいます。しかし、大半の場合はHSPの気質を「思い込み」だと言われてしまい、私たちは「思い込み」だと信じてしまいます。その結果、理解されない苦しみを背負い、自分を責め続ける生活を送ります。自分が間違っているんだと認識せざるを得ない環境で生きる私たちは、正しく「社会に取り残されている人」であると言えます。

更に、私たちは社会から自信を奪われています。それは、一般的に気にしないことが社会の普通になっているからです。世の中にはHSPと非HSPが存在し、それぞれの感覚を完全に理解することは困難です。例えば、HSPの「気にしてしまう感覚」と非HSPの「気にしない感覚」は互いに理解できないのです。しかし、社会の中で良しとされる感覚は非HSPの「気にしない感覚」です。それは単純に非HSP人口の割合もありますが、より楽観的な思考が求められやすい社会であり、私たちが自分を押し出せない性格であるからだと私は思います。仕事の仕方や技術面において求められることは様々ですが、考え方を半強制的に非HSPよりに教育されているように感じます。お互いに理解できないからこそ、尊重し合う言葉かけが重要であり、自分や社会の普通を押し付けることはしてはいけません。私たちが「社会に取り残されている人」から脱出するための一歩として、社会の共通概念を取り払うべきではないでしょうか。個人の個性や気質といった変える必要のないものを変えてまで、私は社会の求める人材になりたくないです。

HSPは障がいでも病気でもありません。だからと言って軽い考えで見捨てないでください。HSPは生まれ持った気質であり、変える必要のない個性です。まず私たち自身がHSPであると自覚すること、そしてそれを受け入れる環境があることが理想です。しかし、私たちが安心できる環境があるとはまだ言えません。非HSP の人達の何気ない一言が、HSP の普通を欠点に変えてしまうこともあるのです。私たちは人に気づかれにくい場所で取り残されていています。この文章を読んで、非HSPの人達が自分の周りにいるHSPの人達を意識して、「社会の普通」を考え直す機会になったら嬉しいです。

 

 

 

 

 

福水実歩 日本たばこ産業株式会社

 

 

 

あなたが今、見えている範囲は、どこからどこまでの間ですか。いったい何の質問だろう、そう思う方もいるかもしれません。しかし、SDGsにおける「誰ひとり取り残さない」ということを考える上で、自分の視野や視座について正しく知ることはとても大切なことであると考えます。「取り残される人」の視点でものごとを考えるためには、まず自分の視点について、私たちみんなで知っていく努力をしなければなりません。

私も、マイノリティとしてたくさん「取り残されている」と感じてきた身です。障害者手帳を持っていて、中学校・高校にはまともに通えず、無意識の偏見に日々晒され続け、今も苦しい思いをしています。また、家父長制によるジェンダーロールの押し付けに苦しむ女性であり、最近では自分がセクシュアリティにおいてもマイノリティであるということに自覚的になりました。しかしその一方で、「取り残してしまった」と感じる瞬間もたくさんあります。自分自身についてよくよく考えてみると、大卒で、首都圏に在住し、正規雇用者であり、文化的・経済的なマジョリティです。また、日本に住む日本人という意味において、この国における民族的マジョリティです。もちろん、今挙げたものの他にももっとたくさんあるでしょう。

私は言ってしまえば、マイノリティとして社会全体の視野から外れている存在です。世間一般のあらゆるものは健常者向けにできていますし、意志決定層にいるのは今もほとんどが男性です。また、結婚して子供を持てることは当たり前だとされていますし、他にも社会のあらゆるものが私に息苦しさを与えています。その一方で、私自身が視野から外してしまっている存在もたくさんいるはずです。食べ物に困らなくて当たり前、住む家があって当たり前、大学に行けて当たり前、就活できて当たり前、電車に乗って移動できて当たり前……何より、私は今このような場で文章を書けるだけの様々な「当たり前」を持っています。このような長い文章を書くために必要な最低限の文章力を学校で身につけることができていて、それをパソコンで打ち込み、応募することができます。そもそもこのコンテストを知ることができたのはインターネットにアクセスできる環境があったからです。また、生活にある程度の余裕がないと条件がそろっていても応募する気になれないでしょう。これらは、本来は全く当たり前のことではありません。よく「隣の芝生は青く見える」と言いますが、自分の家の芝生はどれくらい青いのかということについては誰も意識しません。自分の家の芝生の青さを正しく認識した上で、他人の家の芝生を眼差す必要があります。

話を冒頭の視野の話に戻します。同じ範囲を見るのでも、視点が違えば見え方も変わります。例えば、同じ町を見るのでも、丘の上から見た景色とふもとから見る景色では違うでしょう。また、視点だけでなく自分がどのような存在として周りと関わっているのかということも重要です。鳥になって空から街を眺めるのと、地べたを這うアリになって雑草の隙間から街を見上げるのでは意味が全く異なってくると思います。自分は、どこの場所から、どのように見ているのでしょうか。その視野に入れていない人は誰でしょうか。

自分ばかり見ていても、自分のことはわかりません。そして、一人の人間の見える範囲は限られている、というのは動かしようのない事実だと思います。そこで視野を無理やり広げようとするのではなく、まずは今自分がどこの視点に立ち、どのような景色を見ているのか。逆に、どこが見えていないのか。そこを正確に把握する必要があります。無理やりわかり合おうとして、わかった気になるのではなく、むしろ「分かり合えなさ」を共有する。そして、自分の見えない部分である「死角」を認めた上で、そこについては想像力を働かせ、補う必要があります。

では、その「想像力」はどのようにして働かせればよいのでしょうか。以前、英語が得意な友人が教えてくれた言葉にempathyという単語があります。empathyは単なる共感であるsympathyと違い、相手を想い、相手に自分を重ねあわせ、相手のシチュエーションを理解することで「気持ちを分かちあう」ことだそうです。今、私たちに求められているのはまさにempathyをする力だと思います。取り残された人に対し他人事として「かわいそう」と共感して終わるのではなく、これが自分だったら、と相手の置かれたシチュエーションを自分事として捉え、一緒に解決の方法を探る。

現在は、マイノリティ側が助けを求め、マジョリティ側が共感の度合いに応じてそれに応えるという図式になってしまっていると思います。しかし、もう従来のやり方では通用しません。自分の視点をきちんと把握した上で、他者の視点に「なり込む」。これは、取り残された側が頑張ることではなく、取り残してしまっている側の責任なのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

廣瀬日乃 東京高等学校 2年生

 

 

 

「毎日つまらない」「生きるのだるい」

 

 私は日本で16年間生きてきて、こういった言葉を何回聞いたのだろう。その中には、過去に自分が発した言葉もある。しかし最近、このような言葉を耳にするとなんとも表現し難い気持ちになる。自分が特段に恵まれていることに気が付いたからだ。といっても私は大富豪でも、頭脳明晰でも、容姿端麗でもない。しかし、自分の「生存」に不安なく日々を過ごすことができることは本当に、本当に幸せなことだと分かったのだ。今この瞬間も何人の人が貧困に苦しみ、銃撃に怯え、自分の「生存」を強く願っていることか。理不尽に国際社会から取り残されて亡くなった人々は、何を思いながら死んでいったのか。こんなことを考えていると、毎日が退屈だとか、生きるのが面倒だとか、口が裂けても言えない。心に浮かびもしなくなった。ただ彼らの心のうちを想像して肩を落とし、自分は幸せだとぼんやりと思うことしかできなかった。

 

 では、人々を苦しめている原因は何か。苦しんでいる人を「取り残している」原因は何か。私はいくつかの国際問題とその原因を見ていく中で、自分自身も加害者になりうる、既になっているかもしれないということに気が付いた。この気付きを説明する上で、「無知」というキーワードを挙げたい。私は、無知は人々を無意識的に加害者に変貌させてしまうと考える。無知は恐ろしい凶器だ。時に、ナイフよりも鋭利な刃となって人々に襲いかかる。もちろん直接ではない。自分の無知、またはそれに伴う行動によって、地球の裏側の誰かを苦しめているかもしれないということだ。

 

 貧困問題における支援を例にする。豊かな人々はしばしば貧しい人々に対して衣類などの物資を寄付する。それらが届けられる先が難民キャンプなどの臨時の住居地であったなら、この寄付は有用なものだろう。しかし物資が届けられる先が現地の人々が各々の生活を営む地域だったらどうだろうか。もしも衣類の支援物資が届く地域に衣類を手で編み売ることで生活している人々がいたならば、間違いなく彼らのビジネスは衰退するだろう。無料の支援物資、または安価に再販される商品に対抗することは難しいからだ。すると、今まで生活ができていた人々までを貧困に追いやることになる。もちろん寄付した側(個人)は自分の寄付が現地の生産者を苦しめるなど夢にも思わないだろう。むしろ「貧しい人たちの助けになれば」と思って寄付をしたはずだ。この”善意”が人々を苦しめる”凶器”に変貌した理由は「無知」であると言える。豊かな人々の「無知の支援」は、時に貧しい人々の問題を悪化させるのだ。善意が凶器になるというのは、あまりにも悲しい。私は自分もそれに加担し得るということに気が付き、ゾッとした。こういった例は、実際にはもう少し複雑な過程があるのかもしれない。だが、問題は寄付をする人々の中にここまで考え、知ろうとする人はどのくらいいるのかということだ。他にも無知が招く問題はたくさんある。こういった事態を避けるためには、「知ろうとする姿勢」が重要だと思う。「無関心」が無知につながる一番の原因だ。「遠い国の問題や紛争は自分には関係ない」と何も知ろうとしないことは大問題だ。また、何も知らず、知ろうとせず、寄付だけするのも無責任だと私は主張したい。自分が寄付をするときは、その寄付が具体的にどういった形で届けられるのか調べてみて欲しい。

 

 日本は、たくさんの国との繋がり、国際社会の上で成り立っている。遠い国の石油や天然資源、農産物を使わず、食べずに生きている人はほとんどいないだろう。国際社会からの恩恵を受け、授け生きている私たちには、国際社会の問題を知り、どうしたら解決できるか考え続ける責任がある。問題の根源は何か社会に問いかける権利がある。自分たちの豊かさと国際問題は表裏一体だということを理解する必要がある。

 

 私は、人間という括りに国家も宗教も民族もなんら関係し得ないと信じている。肌の色が違っても、住んでいる国が違っても、考え方が違っても、たとえ一生出会うことがなくても、私とあなた、私と彼らの間に違いなんてないと強く信じたい。私たちは私たちだ。これは言語や文化、価値観の話ではない。誰もが必死に今日を生きようとしているという事実、自分の「生存」を強く願っているということに違いはないということだ。平和ボケした考えだと思われるかもしれない。そう思ったならば、試しに地球儀を眺めてみてほしい。そこには「世界はひとつだ」という紛れもない事実があるはずだ。

 

 冒頭で、「ただ彼らの心のうちを想像して肩を落とし、自分は幸せだとぼんやりと思うことしかできなかった。」と言った。でもそんなことはなかった。私たちが「知ろうとすること」そして「世界はひとつだということ」を意識すれば、必ずより良い未来がやってくる。これをもって、「誰一人取り残さない」ための日本社会への提言とする。

 

 

 

 

 

菊地智代 横浜国立大学1年生

 

 

 

取り残される人、この言葉を聞いて私は小学生の頃のことを思い出した。私はよく取り残される子だった。体育の授業の時や理科の実験の時、先生に二人組やグループを作ってと言われた時によく取り残されていた。だから先生の「好きな人と組んでいいよ」の言葉が怖かった。私は何かわかりやすくハンデを持っているわけではない。ただ人よりも少しコミュニケーションが下手で少し引っ込み思案な子だったのだ。学校という小さな社会の中で取り残されるということは苦痛に値する。周りからの視線、場の空気、気まずさ、なんだかそこにいてはいけないような気分になる。いわゆる思春期を迎えつつあるころで何よりも周りを気にしがちな時期だろう。それに耐えきれずに学校に来なくなってしまう子もいるのではないだろうか。私も何度も学校に行きたくないと思い、悩み、口に出したこともある。しかし、これは何かわかりやすく人と違うのではなくて、ただ自分の気持ちや性格の問題だと考えてしまいがちである。私もそうだった。人に言えずに抱え込んで一人になって取り残される。この状態は果たしてSDGsの目標を達成しているといえるのだろうか。もしこの思いを抱えて学校に来られなくなってしまったら教育をみんなにという目標は達成されなくなる。さらにこの状態は心の健康という面でもよくはないだろう。SDGsの目標は貧困や障がいなどの人と違うところがあったり、それによって満足な生活が送れない人のために作られていると思いがちだが、みんなが何かしら他人と違うところを持っていてそれを補っていくことも達成には必要不可欠なのではないだろうか。

 では私のような性格などの気持ちの問題によって取り残されてしまう人にはどのような支援が必要なのだろうか。私は友達など周りの人のやさしさと気づきだと思う。私が小学生の時は自分から声をかけることができなくても人から声をかけてもらえるのはすごくうれしかった。物理的な問題ではなく感情的な問題だからこそ周りの人のやさしさという気持ちの支えがこの問題の解決につながって、取り残される人を一人でも減らすことができるようになると思う。さらに、声掛けという支援はだれにでもできることだ。きっと私と同じように取り残されていると感じている人は見えないだけでたくさんいるのではないかと思う。もしそう感じていなくても人からやさしさのこもった声をかけてもらって嫌な思いになる人は少ないだろう。かつて自分から声をかけることができず友達に声をかけてもらうのを待つことしかできなかった私も、このことに気づいてからは初めて会った人だとしても積極的にコミュニケーションをとろうと心がけるようになった。

 取り残される人は意外と身近にいる。その事実に気づいてほしい。目に見える違いがあるわけではなく心の中にひっそりと取り残されることの寂しさや不安を抱えて生きづらいと感じているかもしれない。それが心の健康を害したり、教育に機会を奪ってしまう前に、気づいてやさしさの声掛けができたのなら取り残される人を減らすことができるのではないだろうか。

 

 

 

ナガノヒナコ 上智大学1年生

 

本当の意味での「誰一人取り残されない」ってなんだろう。

 

 SDGsの理念に含まれている「誰一人取り残されない」という概念。この言葉を耳にするたびに私は疑問を覚える。誰の目線から、どの角度からこの言葉を発しているのか、私にはわからないからだ。SDGsには17個の目標があって、全て達成出来ればどれほど生きやすく、理想的な世界ができるのだろうか。考えるだけでわくわくするのはわたしだけではないだろう。しかし、現在のSDGsにはカバーできていないものがあると私は考える。名前をつけるとすれば、「すべての人に心のよりどころを」である。私は「だれひとり取り残されない」社会には貧困の連鎖を断ち切ることや、ジェンダー平等の実現だけではなく、心の居場所を提供することも必要だと思う。

 

 2021年、ジェンダー論が問題視され始めているし、オリンピックによって国同士のパートナーシップ制が高まりつつある。しかし、今現在も孤独を感じている人は少なくない。いじめ、ハラスメント、虐待、民族問題など、理由は様々だが頼れる人がおらず、居場所を探し続けている人は数えきれないほどいる。実際私の友人にも親から虐待を受けたり、バイト先でいじめを受け、退職に追い込まれたりした人がいる。そんな話を耳にするたびに心がとても痛くなる。

 

 では今私の文章を読んでくださっているあなたは、孤独を感じ、心のよりどころを探し求めた経験がありますか?

きっと多くの人はこの質問に首を縦に振るだろう。いじめの被害にあったことがなかったとしても理由もなく寂しくなったり、マイノリティー集団に所属する自分にひけめを感じてしまったりした経験はあるのではないか。しかし、誰もが人生のなかで経験する孤独のほとんどが解決可能なものである。例えば、家庭内暴力をうけているため、家庭に居場所がない女性は専門機関に相談することが出来れば解決の兆しは見えるし、学校に居場所がない学生は先生やカウンセラーの手を借りれば、少しは気持ちが楽になるのではないか。また、最近よくニュースで取り上げられているジェンダー問題に対して、私が学んでいる上智大学では、現在建設中の新校舎にジェンダーレスなトイレができる予定だ。このように、解決策のある問題を放っておくことは許されない。そして、この「心の孤独問題」はもっと問題視されるべきなのではないだろうか。

 

 では、どうすればこの課題が解決できるのであろうか。もちろん、行政機関がより活発に動き、国民がSOSを出すことができる場所を提供することも、大切であろう。だが、それよりも大切なことは、私たち国民1人1人の意識を変えていくことであると思う。

 

 「やさしい気持ちで手を差し伸べる」

簡単そうに聞こえて、本当に難しいことだ。実際、ヘルプマークをつけて、助けを必要としている人同士が電車で席を譲り合っていたり、会社で信頼している上司にハラスメントの相談をしても、まともに掛け合ってもらえなかったりと、空い事実は溢れかえっている。世界で生きる人々が優しい気持ちを持ち、助けを求めている人に手を差し伸べるだけで、どんなに素敵な世界が見えるだろう。

 

 私は高校生のための教育系学生団体を運営している。私の団体には家庭の事情で通塾が不可能だったり、家庭環境が悪く相談できる人が少なかったり、文字通り「居場所がない」学生が集う。現場に立ち初めて気がついたことは、彼らが必要としているのはお金でも制度でもないということだ。私が差し伸べる手が、彼らの原動力になっているのだと痛感する。そして、「あなたの言葉が私を救ってくれました」「居場所を作ってくれてありがとう」そう言われると、私まで居場所ができたような気になる。

 

 

 誰一人残されない世界の実現にはこころの孤独を感じる人を1人でも減らすことが必要だ。言ってしまえば理想は、ゼロにすることだ。そして、そのために「優しい気持ちで手を差し伸べる」ことが必要不可欠である。居場所作りは17の目標に入っていないものの、SDGs達成のために欠かせない項目であるに違いない。

 

 さて、皆様も「すべての人に心の拠り所を」に値する行動をとってみてはいかがだろうか。お年寄りや障がいを持つ方に公共交通機関で席を譲るだけでも、悩みを相談してきた部下や親友に優しく手を差し伸べるだけでもいい。きっとあなたも助けた相手に救われる。居場所を見出すことができる。

 

 今のあなたの行動が、世界を変えるのだ。誰一人取り残さない、そして、取り残されない社会を目指して。

 

 

 

加藤大智 横浜国立大学 2年生

 

 

 

 取り残される人の視点でSDGsを考えることにどのような意味があるだろう。SDGsの重要な理念が「誰一人とりのこさない」ことであるとよく説明される。「2030アジェンダ」では様々な場面で「誰一人取り残されない」で持続可能な社会を実現することが大切だとしていて、受身形で書かれている。そのため、SDGsを考える上で、自分が取り残される立場になりうることを踏まえて、「誰一人取り残されない」社会をどうやって作るかを考えることが重要であるということがわかるため、取り残される人の視点で考えることこそがSDGsを考えることである。今回は私の視点から社会からどのように取り残されるか考える。

 私は今大学2年生で、学童でバイトをしている。大学では部活動に励み、同年代の友達に囲まれ、学童では小学校低学年の子供たちやそこで働いている20代から50代の方々と時間を共にしている。このように私の生活を振り返ると年配の方々と接する機会が他の年代の人々と比べて極端に少ないと感じる。

 私が理想とする誰一人取り残されていない社会は個人個人の属性(年齢、出身、性別など)で断絶されることなく、皆が交流し共に協力しあって生活する社会である。この理想と比べたとき、今の社会は年齢、世代によって隔絶が起きている社会ではないだろうか。医療が発達し、さらに寿命が延びることが予想されている今日、年代による隔絶は、誰一人取り残されない社会の実現にとってより大きな障害になることが予想される。これから、取り残される人を全員(年配の人々とそれ以外の人々がそれぞれから取り残されている)と考えて書き進めようと思う。

 私がまだ小学生だった頃、年配の方と交流する機会は、銭湯に行った時や商店街で買い物をしているとき、祖母の家に行った時だった。小学4年生の時、家のお風呂が壊れて毎日銭湯に通っていた。そのとき常連のお爺さんと仲良くなり、その人から入り終わった後に将棋を教わったり、銭湯のテレビで一緒に野球を見たり、たまにニュースで過去を振り返るコーナーが流れるとその頃の体験を私に話してくれた。商店街の豆腐屋にお使いにいっているときはいつも声をかけてくれて、時にはおまけをしてくれたり、通りかかっただけでも「学校どうだった?」とか声をかけてくれた。祖母の家に行ったときも、家の通りの人は皆顔馴染みで挨拶したり、ときには遊びにいったりした。しかし、中学、高校、大学と歳を重ねるにつれて、銭湯にいかなくなったり、豆腐屋が無くなったり、祖母の家にいく頻度が減ったりして、年配の人が近くにいなくなった。家の回りを歩いていても、世代毎に隔絶されていると感じることが多くある。お昼には、幼稚園から子供の声が聞こえたり、近所の雀荘を覗いてみると年配の方々が集まって麻雀を打っている。

社会は全世代の人で作られている。近年、シルバー民主主義と表現され、若者が不満をもっているのも、若者の「我々」の中に年配の方々が含まれていないからだ。若者の「我々」から年配の人が排除されてしまうのは、身近にいないからだと思う。

 また、年配の方々が「最近の若者は」と言いがちなのは、最近の若者を肌感として知らず、切り取られた形でしか知らないからだろう。

 私は、年配の方々と若者が一緒になにかをするという機会を増やしたい。そして、年配の方々の考え、経験談をもっと聞きたいし、それを「老害」などと切り捨てず尊重できる社会にしたい。機会を増やすため、今の両者が場所で隔絶されていれ交流できない状態を変えたい。まずは個人レベルでの日常的な交流が活発になることが第一歩だ。そのきっかけを作りたいと思う。私は、年配の方にスマートフォンを学んでもらい、SNSを活用して、今年配の方だけで行われているサークル活動をオープンなものにしたい。ゲートボールやボーリングなどのサークル活動を一緒にして、その後一緒にご飯を食べたり、お酒を飲んだりすれば、両者にとってこれまでにない新しい学びがあるだろうし、それによってお互いが理解し合えば、若者と年配の方の両方が含まれた「我々」の意識が形成され、隔絶がなくなって行くだろう。もしかしたら、年配の方がオンラインゲームを始めてそこで新しい交流が生まれる…何てこともあるかもしれない。そのために、まずは近所の公園でやっているゲートボールサークルなどの年配の方々のサークルの出向き、実際に交流し、上記の活動を行って、自分自身もSNSを用いて情報発信することで同士を増やして交流の輪を広げていきたい。ボランティア等という形ではなくフラットな形で交流したいと望む若者は潜在的にいるはずである(身近でもおばあちゃん子、おじいちゃん子は多い)。そうやって、隔絶をなくすなどという余計な意思を持たずに、自然に交流の機会が増えていく、そのきっかけを作りたいと私は思っている。

 

 

 

稲田優美 早稲田大学

 

 

 

去年の3月、大学の入学式の中止が決まり、初めてコロナの影響力を実感した。そして、自分が思い描いていたキャンパスライフとは無縁の大学生活が始まり、パソコンに植え付けの日々が続いた。そんな中、小学校や中学校、高校、そして専門学校に通う人はみんな学校に行くことができているのに、どうして私たち大学生だけが制限されなければならないのかと思うことが多かった。私たちだけが取り残され、排除されている気がした。

 

去年のコロナ過で誰もが孤独を感じたと思う。一人になった時に感じる無力感、寂しさ、そして自分だけが取り残されることに対する焦燥感。しかし、私はそこで気づいた。コロナ以前も、自分が当たり前に感じていたことは、当たり前でなかった人々がいたことを。そして私は海外にいた頃ある授業で見た映像を思い出した。それは、武器を平然と持つ少年兵の映像だった。今でも世界では紛争が続いている地域が多数存在し、そこでは子どもに関わらず、人々は自分の意志を無視され、戦いを強制されている。少年兵の子どもも、多くが拉致され、武器を持たされ、戦うことに何も感じなくなるほど洗脳され、子どもとして与えられる基本的な権利を奪われている。小学生だった私は当時、衝撃を受けた。何の罪もない自分と同じ子どもたちがどうして、このような目に合わなければならないのかと。自分と同じ学校にいれば日々一緒に遊び、学ぶ仲間であった子どもたちが、環境が違うだけでどうしてこのような目に遭わなければならないのかと。まだ幼かった私、ただ友達と遊ぶことが楽しいと思っていた私は当時、そう感じた。そして今の私は思う。少年兵以外でも、多くの子供たちが学ぶ機会を与えられず、日々必死に暮らしているのだということを。小さな体では抱えきれないほどの恐怖、そして困難に立ち向かいながら生きている。目の前のことだけ考え、生きることに精一杯である。このことを考えると、孤独が寂しいと感じられるほど余裕があった自分がどれだけ恵まれているか、痛感する。

 

人生は選択の連続だ。何を食べるか、誰と過ごすか、そして何をするか。私たちが日々立ち向かう選択は言ってしまえば、決める権利は私たちにある。そして私たちがとった選択で人生が変わってゆく。しかし、この選択をする力は生まれるまではない。誕生する瞬間までこの選択する力は私たちには与えられていない。だから、私たちがどこの家庭に生まれるかは選択することができないのだ。紛争地域で生まれるか、豊かな街で生まれるか。これだけは私たちに決めることはできない。ニュースで見る遠く離れた国の出来事、無関係に感じてしまう出来事も私たちが経験していたかもしれない。

 

今までの私は紛争地域の報道を見ても、ひどいことが起きているな。かわいそうだな。そう思うことしかなかった。そして、きっと誰かが助けてあげるのだろうと、思うばかりであった。しかし、大学のある授業で講演をしてくださった方の言葉、『誰かが平和を創っているから、今平和を享受している』というのを聞いて、自分がその誰かになれること、そして、なることで少しでも多くの人が心に余裕をもち、生きていることを幸せに思ってもらえるきっかけづくりができるのだと感じた。

 

この広い世界の中で、不平等をなくすことは難しいかもしれない。でも、難しいからといって何もしない人にはなりたくない。自分ができることから、始めていきたいと思う。誰でも苦しんでいる人々を身近に感じることができれば、手を差し伸べたいと思う気持ちが自然と生まれるのではないだろうか。『誰一人取り残さない』世界を目指そうと思えるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

鵜飼桂子 早稲田大学2年生 9月から留学

 

 

 

大学に一歩も踏み入れることなく終わった学部一年目とは異なり、友だち作りに苦戦している学部一年生の姿がメディアで取り上げられることはなくなった。しかし、学部二年生になってもなお、友だち作りに苦戦している友人の話を聞いた。「気づいたときにはもう取り残されていた。」彼女はそう教えてくれた。SNSで知り合った人と会ってはいけないという教えを守りSNSでの新歓を行っていたサークル活動に参加しなかったが、対面授業が再会されたころには既に周りで友だちの輪はできあがっていた。オンライン授業のときよりも周りに人がいるはずなのに、孤独を感じる。「けれど他の(取り残されている)人に比べたら自分はまだ良いほうだから…」と彼女は恥ずかしそうに言った。自分のコミュニケーションの能力が低かったから、自分がSNSを活用しなかったから、と責めているようだった。彼女は、友だちができないこと・できにくいことに対して声をあげても、被害者づらをしていると冷やかされる可能性を感じている。

友だち作りに苦戦している学部二年生は、彼女だけではない。私が所属している登山サークルでは、今年度の入会者の約半分が2年生という例年とは大きく異なる新歓になった。また、私自身が新歓を担当した自転車サークルでも2年生入会の問い合わせを多くいただき、新入生のように、新しいコミュニティを求めている学部二年生が多くいることを感じた。私自身、大学でできた友人のほとんどがSNSや、SNSを通じて参加したサークルで知り合った人たちであり、彼女のように「SNSで知り合った人と会ってはいけない」という教えを忠実に守っていたら、現在のような大学生活は送っていなかっただろう。大学では対面授業が徐々に再開されたことにより友だち作りへの影響も薄れてきたかと思えたが、だからこそ「取り残されている」人の存在が見えにくくなっている。彼らは世の中で「最も取り残されている人」ではないが、取り残されることを望んでいる人は誰もいない。

こうした状況のなかで、誰も取り残さないために私にできる行動は何か。今年度、二年生入会が極端に多かった登山サークルでは、「誰もがいやすい場所にする」というのがモットーである。久しぶりにサークル活動に参加した人でも違和感なく馴染める雰囲気にしたい、という想いをサークル員全員が共有している。自分自身、親しみやすい雰囲気作りをするようになり、学部二年生の入会者には積極的に「敬語で話さなくていいからね」と伝えたうえで、遊びに誘うようになった。「友だち」を提供することはできなくても、彼らが新しいコミュニティに参加したいと思ったときに、馴染める雰囲気を作っておくことは一助になると思う。

通っている大学では、2020年度入学者向けに入学式が行われた。学部長は「入学おめでとう」の代わりに「大学にようこそ」と仰っていた。小さいけれど、そのような発言や行動から、私の友人は心に余裕が生まれるのかもしれない。コロナ禍で取り残された学生とのギャップがどんどん開くことがないように、来るもの拒まずの精神でいたい。

 

 

 

熊木秀佑 東京学館浦安高校

 

 

 

黒人やアジア人に対する人種差別問題が日本で表面化し始めた。その要因として政府や社会団体による取り組みももちろんだが、実際に体験した者の生々しい声が大きく影響していると考えていいだろう。例えば、大阪なおみさんの行動に代表されるブラック・ライブズ・マター運動である。その運動の活発化とアジア人がコロナウイルスによる影響で差別され始めた結果、多くの日本人は”取り残される者”に対して浅薄な理解を示し始めた。理解しようとするだけ良いと考えるかもしれないが、差別には直接関係を持たない”第三者”のその浅い意識は、差別を他人事として捉えるため、彼らを取り残すことを助長する脅威であるのだ。もちろん、”取り残される者”の理解でさえしようとしないため差別に関心が全く無い者も脅威である。こうして、”取り残される者”は、差別に関して薄っぺらい知識を持つ”第三者”と、無知である”第三者”との二つの脅威の板ばさみに遭う。そこでの差別の理解者は少数過ぎてほぼ無力に等しい。では、どうすれば”取り残される者”を脅威から救出し、”第三者”全員が彼らを理解できるようになるだろうか。もちろん、第一の段階としてブラック・ライブズ・マター運動などの言論による訴えも必要であるが、言葉で伝えられることに限界があるため、先述の通り、不十分な理解になってしまう。大阪なおみさんに関する差別問題は、彼女の日本人ファンが多いから日本に広まったのであろう。しかし、他の人種差別問題はどうだろうか。ヘイトスピーチを受けた人の被害を彼ら自身の言葉で、翻訳なしに直接聞いたことはあるだろうか。 それはどんな差別問題も同様で、差別被害者から、「私は差別されている!」と直接の訴えをされたことはあるだろうか。このように、言葉で差別を表現することはそもそも表現がしづらい上に、表現できたとしても理解するには翻訳や時間を要することがある。そのことから直接性や緊急性に欠けてしまって、”第三者”は内容を完全に理解できず、自分には関係ないと思ってしまう。そこに、言論の限界が見えてくる。

少し話は変わるが、先日、国語の授業で長倉洋海さんの『写真の持つ力』 という文章を読んだ。「写真は事実を私たちに伝えてくれるというより、私たちが写真をみて何を感じ、何に目を向けるべきかが問われているのではないか」この一文は私にとって衝撃的だった。写真は受動的理解でなく能動的理解を必要とする。そのことは、他の芸術でも言えるのではないか。芸術作品を見る時には、そこにある事実から伝えたいことを感じ取り、それを世界に応用すべきである。そこで、差別と芸術とを結びつけてみてはどうだろう。芸術は、言論とは違い享受するものの有している言語や住んでいる国に関わらないため、”第三者”へ直接的に短時間で伝わる。”取り残される者”が被害を受けている現状やその悲惨さを、ありのままに芸術に示すことで、”第三者”が差別を理解し、それを解決しようと行動する契機になるのではないか。

芸術の意義は多岐にわたる。写真や絵、音楽などであるがどの芸術表現でも差別の被害を表すには構わない。しかし、芸術に被害を表せたとしてもどのように広めたら良いかわからないかもしれない。そこで、SNSが活躍する。SNSは、芸術と同様に言語や国籍に捉われない拡散能力を持っている。ブラック・ライブズ・マター運動の活発化の引き金となったジョージ・フロイドさんの死も、自身も黒人でマイノリティーであるというダルネラ・フレイザーさんの撮影によってSNSで広まった。要するに、取り残されている状況を言論で伝えるだけでなく、それを可視化し”第三者”に訴える行動を取ることで、彼らの理解につなげることが重要だ。

“第三者”は、意外と近くにあるが、他人の身に起こる差別を完全に把握することは難しいと思うかもしれない。だが、”取り残される者”の芸術やSNSに反応した上で、自分に何ができるのか、何に目を向けるべきなのかを考える必要がある。もちろん、差別をする者の更生も大切であるが、”取り残される者”を脅威から救出するには、その両者だけでなく、大多数の”第三者”の理解と行動が何よりも大切である。その意味で、もう”第三者”とは呼べない。全員が、”当事者”だ。私自身は、まだ高校生ということもあり、なかなか行動に移せていないが、大学に入学したら差別被害者のためのコミュニティを開いている団体に所属したい。その中で今回のような、文章で”取り残される者”に対する考えを書くコンテストだけでなく、上述の理由から、絵を主としたものも開催したい。『誰一人取り残さない社会』の実現を可能にするために。

 

 

 

屋嘉部遥菜 昭和薬科大学付属高校2年生

 

 

 

SDG’sの目標の一つである「誰ひとり取り残さない」。この目標が指す”取り残される人”とはどのような人々のことを指すのでしょうか。一般的にはLGBTQ+の人々、障害者、貧困層の人々…。これらの人々がすぐに思い浮かぶのではないかと思います。これらを見ると多くの人が「自分は該当していないから取り残されない」と考えるでしょう。しかし、実は自分でも気づかないうちに取り残されている人もいるのではないかと思います。

私には生まれつきPeters奇形という病気があります。この病気になると目の角膜という部分自体が濁ってしまうので、眼鏡やコンタクトで視力を矯正することができません。この病気のために私は弱視という障害も持っています。しかし私の症状は比較的軽い方なので、周囲の人に助けてもらいながらですが健常者と同じような日常生活を送ることができています。

例えば学校生活。黒板が見えづらいため一番前の席に固定してもらったり、字の小さいプリントを拡大コピーしてもらうなどの様々な手助けをしてもらえるので、あまり不自由さを感じることなく過ごすことが出来ています。そのため、私には自分が障害者であり、周囲と違うのだという自覚はあまりありませんでした。

ですがコロナが蔓延して以降、私も実は取り残される側なのではないかと考えさせられるような出来事がありました。

それはコロナが世間で注目を浴び始めた頃の体験です。あの日、私はいつものようにスーパーで買い物をしていました。惣菜を物色しながら歩いているとふと自分に向けられる冷たい視線に気が付きました。周りの人々が怪訝な顔で私を盗み見みしていたのです。その場にいる事が気まずくなり、買い物もそこそこに私は店から出てしまいました。

なぜ私は人々から非難の目を向けられてしまったのでしょうか。それは私が商品名や商品の値段を確認するために商品棚に顔を近づけたり商品を手にとってラベルの記載を確認していたからです。その当時は感染拡大を防ぐためになるべく商品を手に取らないようにする旨が連日のニュースで伝えられていました。近くで買い物をしていた人達には、私の行動はまるでウイルスを撒き散らしているかのように見えて不快に感じられたのでしょう。

この出来事から私は初めて社会から理解されないという疎外感と強い悲しみを感じました。眼鏡をかけているのに目が悪いという人がいる事を認知している人はほとんどいないでしょう。私の行動が受け入れられなかったのもそのことから考えると当然のことです。

このコロナによって、社会や周囲の状況次第ではいつでも取り残される側になる恐れがあるということを実感しました。そして、私は誰しもがこのような状況になる事があると考えています。「誰ひとり取り残さない」、この目標は誰にとっても他人事ではありません。一人ひとりが当事者であるという認識のもと目標達成の為に取り組まなければいけないのではと思いました。

そのために大切なことは最初からこうだと決めつけずに相手の状況を想像することだと思います。例えばマスクをつけていない人を見つけた時に、すぐに嫌な顔をしてその人をわざとらしく避けるのではなく「何かつけられない事情があるのではないか」と想像してみるなどです。そうするだけでその人はずっと過ごしやすくなると思います。

まずは相手の状況を想像する、あの日私が感じた嫌な思いをする人を一人でも減らすために私はこのことを実行していきたいと思います。

 

 

 

 

 

春日明日希 無所属

 

 

 

「そんなことみんなが経験することだよ。」

何度、そう言われてきただろうか。

オンライン授業で始まった大学生最後の春。早めに始めた方が良いという就職活動も始めて早4ヶ月、嫌気がさしていた。繰り返されるオンライン面接。内定が決まっていく友人。内定が決まらず、音信不通になる友人。孤立していく世の中の流れに自分も流されているのが分かっていた。

6月に内定の出た会社に就職を決めたのは、もう抜け出したかったからだ。毎日、悪夢にうなされ、目覚め、未来の自分を想像して怖くなることから単に逃げたかったのだ。しかし、内定を承諾した私には、さらに、オンライン研修が待っていた。私の心の闇はどんどん大きくなっていった。自分が何者なのかもわからなかったからだ。大学に一歩も行けていないのに、大学生なのか。アルバイトで正社員並みに働いているから、社会人なのか。私はどこに向かっているのか。永遠に負のループの中にいた。春になったら、私は、会社に捕まってしまう。そんな風に考えた頃には、自分の心はボロボロになっていた。いわゆる「就活鬱」である。「そんなことみんなが経験することだよ。」慰めるために放たれた言葉に、返って私は傷ついた。「そんなこと」のためにこんなにも胸が苦しいのか。「そんなこと」のために死にたくなるのか。「みんなが経験していること」に私はなぜ耐えられないのか。精神科に行っても、同じようなことしか言われなかった。少しでも自分が傷つかないように、多くの時間を睡眠に当てた。眠っている間は、誰にも傷つけられなくて済む。自分に嫌気が差すこともないから。そんな私の変化に気づいた姉に言われた一言が今でも心に残っている。「逃げてもいいんだよ。」その時、ずっと喉の奥に溜まっていた涙が止まらなかった。

内定を辞退した私は、今、カウンセラーの勉強をしている。まだ、身近の人の悩みを聴くくらいしかできないが、自分を苦しめないで生きていられる。洋画を見ると、ほとんどの人がジムにいく感覚でカウンセリングに通っている。「今日、昨日よりも気分が落ち込んでいる。」小さなことでも良い。自分の気持ちを自分が認めてあげられるように、カウンセリングの力を借りられる日本になってほしい。心を病むことが異常なことではなく、心が病んだ人が心を癒す環境が得られないことが異常なことだと気づく日本であってほしい。私は、気持ちが落ち込んだ人を取り残したくない。みんなに「大丈夫。」と温かい笑顔を与えられる人になると決めた。

 

 

 

 

 

加藤宗一郎 横浜国立大学 3年生

 

 

 

 Leave No One Behind. 「誰ひとり取り残さない」というSDGsの基本理念はSDGsの取り組みとともに知られているだろうか。両方知っていたという方はどれ程いるのだろうか。以前から当然理解していたと言いたいのだが残念ながら無理だ。最近までこの基本理念の存在を私は知らなかった。というより、目にしていたとしても気に留めなかったのかもしれない。

 SDGsといえば以前の私は、フードロスの削減や、再生可能エネルギーの推進を思い浮かべていた。大学に入りSDGsに関する講義も多く受けるようになったため、今では「飢餓をゼロに」や「ジェンダー平等を実現しよう」、「気候変動に具体的な対策を」といった17のゴールも脳裏に浮かんでいる。また丁度この頃から、日常には17のゴールが商品やサービスのアピールポイントとして出回るようになった。SDGsに配慮している商品やSDGsに貢献する企業のホームページには大抵このマークがある。就職活動を視野に入れ、企業のホームページを閲覧するようになってその実感は増していった。国内の関心は、SDGsの具体的な取り組みだ。それは社会を見る限り断言できる。そしてその具体的な取り組みが、「基本理念」とは真逆にはたらいていると感じることがある。

 世界の流れを受けて国内でも昨年の7月からレジ袋が有料化された。これは海洋プラスチック問題やごみ問題、さらには利用者のマナーを社会へ問いかけている。そういう意味でSDGsとも関わりの大きな取り組みだ。「レジ袋を断り、マイバックを持参する」この行動がSDGsに貢献すると誰もがそのように思っているだろう。その頃から多くのモノの素材がプラスチックから他の素材へと変化していった。人々はプラスチック製品を極力控えるようになったのだ。実際それらの行動には意味があるのだが、私はそこにある種の不安を覚えた。———あなたの回りでは「プラスチック=悪」とみなす動きが現れていやしないか。———考えすぎかもしれないが、私の身の回りでプラスチック製品を購入する人への冷たい視線を何度か見たことがある。断っておくが別にプラスチックを大量生産・大量消費して良いと私が思っているわけではない。ただ何らかの事情でプラスチック製品を購入せざるをえない状況に立たされているのかもしれないと考えてあげて欲しいと思う。プラスチック製品を購入する人へある種の差別的な目を向けるのは、「誰ひとり取り残されない」社会の実現にはならないはずだ。

 プラスチックは安価で丈夫で軽い。そのような性質から世界中で利用されてきた。しかし一度、海洋ゴミの影響を受けた海の生物が注目されると、身の回りのプラスチック製品が消えていった。移り行く時代の中でも、お金に余裕のある人ならば十分に対応できるだろう。しかしお金に余裕がない人はどうすれば良いのだ。冷たい視線を受けながらプラスチックを購入しなければならないのか。世間体を考え、家計を切り詰めて環境に配慮された製品を購入しなければならないのか。「プラスチック=悪」という世間のイメージが彼らを苦しめているのは間違いないだろう。つまり何が問題かといえば、環境志向がお金に余裕のない人々を苦しめているという現状だ。環境志向の世界から彼らは取り残されていく。それでもなおSDGsの目標達成のための行動と胸を張って断言できるだろうか。

 SDGsは大きく分けて2種類の目標からなる。MDGsを引き継ぐ開発アジェンダと、新たに加わった持続可能アジェンダだ。上記の例では持続可能アジェンダに関わる人々の行動が、SDGs全体の基本理念や開発アジェンダの足を引っ張る形となっている。プラスチック製品を購入する際の冷たい視線が私の思い過ごしであれば問題ないのだが、可能性として上記のような問題が起こりうる原因を考えてみたい。なぜSDGsのためを思った行動が、他の目標や基本理念と相反する結果を招くのだろうか。

 その返答として私が思うのは、SDGsの目標達成のために「個別の活動」へ注目が集まり過ぎていたのではないかという点だ。強く言うなら、SDGsの具体的な活動にばかり目が向いているから、お金に余裕のない人々を苦しめる結果を招くのだ。一つひとつの活動に酔いしれて、全体の基本理念を理解していないからこのようなことになってしまうのだ。SDGsは個別の対策で何とかなるようなものではない。互いが複雑に絡み合っているからこそ1つの共通した指標なのだ。その反省を踏まえれば、私たちがしなければならないことは自ずと見えてくる。そうSDGsの基本理念を広めることだ。まずは「誰ひとり取り残さない」という基本理念を、あなたの隣にいる人が知っているかどうか聞いてみよう。今日も1人へ、明日は2人と。そしてその輪が広がれば、SDGsの具体的な活動に注目してしまっている社会の風潮を変えることができるはずだ。決して難しいことではない。ただ聞いてみるだけだ。———あなたはSDGsの基本理念を知っていますか。具体的な取り組みだけで満足していませんか。———

 

 

 

杉山恵里奈 名古屋大学大学院 博士前期課程

 

 

 

喩えるならば,カメレオン。10代の頃の私は,自分のことを「必死で周りの人間の真似をしている“なにか”」であるような気がしていました。私は,小学校に上がる前から,自分と周りとの間に,漠然とした「違い」を感じていました。周りの友達が興味を持っているものや楽しんでいることが,自分にとってはそれほど面白いものに思えず,常にぼんやりとした違和感を覚えていたからです。

小学校に入ると,その「違い」は顕著に現れました。授業中,周りのみんなが簡単に理解できる理論や概念に対して,自分だけが首をひねることが多々あったのです。特に「向き」や「空間」の概念は理解が難しく,東西南北はおろか,上下左右や裏表すら怪しい始末でした。しかし,クラスのほとんどができていることを自分だけができないと言い出すことなど,当時の私には恥ずかしくて到底できませんでした。

また,反対に,得意なことでかえって恥ずかしい思いをすることもありました。授業中,得意な科目の問題を解くスピードが速すぎて,クラスメイトから気味悪がられたり中傷されたりしたこと。先生からも,もう演習問題のストックがないので残った時間は自習でもしていてくれと,いつも苦笑いされていたこと。こうした経験から,私は,周りと極端に違っていることは恥ずべきことだと思い込むようになっていきました。そして,中高時代は,周りと「同じ」ように振る舞うことにこだわり,全力を注いでいました。授業中にはクラスメイトのペースから極端に遅れたり早まったりしないように自分の授業態度を調整し,休み時間には周りの友達の好きなものやことを頻繁にチェックし,家でこっそり予習していました。みんなが好きなのは「カメレオン」の私であって,本当の私ではないのだと,時々やりきれないほどの疎外感に包まれていました。その苦しみは,時に登校することを拒絶するほどのものでした。

 

専門機関で検査を受け,自分の知能発達が「普通」と違う,いわゆる「非定型発達」だとわかったのは,20代になってからでした。端的に言うと,得意な能力と苦手な能力の差が極端に大きく,それが原因で「周りと同じようにできない」という生きにくさを抱えていたようなのです。例えるのであれば,前輪と後輪の大きさが極端に違っている自転車に乗って走っているような感覚です。大きい方の車輪に合わせて走ろうとすると,小さい車輪が「障害」となって転んでしまいます。一方で,小さい方の車輪に合わせようとすると,せっかくの大きい車輪を持て余してしまいます。つまり,非定型発達者が自身の能力を最大限に発揮するには,いわば「補助輪」のようなものが必要なのです。 しかしながら,非定型発達者を適切にサポートするような社会の土壌は,まだ十分ではないように思います。これは,「誰ひとり取り残さない」社会を目指す上で,大きな課題です。

 

人間が一人ひとり違う顔をしているように,脳の発達にも個性があります。そうした個性を考慮しないことは,教育現場や仕事現場などの様々な場面における「取り残し」につながる危険性があるように思います。もちろん,口で言うことは簡単ですが,実際に社会を変えるのは難しいことです。一体私には何ができるだろうかと自問を続け,出した答えは,発達に関する研究の世界へと身を投じることでした。今年の春,私は大学院に進学し,発達の個性に着目した研究を始めたばかりです。今の私はまだ,明らかに未熟者で,先生や先輩の助けをお借りしてようやく研究を進めています。しかし,いつか一人前になった時,「ニューロ・ダイバーシティ(脳の多様性)」の考え方が社会に広がるような発見ができたら,この上ない幸いだと考えています。人と違うことを恥ずかしいと感じるのではなく,むしろポジティブに捉えることができるような社会になることを,かつての私が心から望んだような社会になることを,私は願って動き続けます。

 

 

 

 

 

相川健太(仮名) 三田国際学園高等学校3年生

 

 

 

私は他人に比べ裕福な生活を送ってきた。私は特別障害を持っているわけでもなく、小中高と学校に楽しく通えている。アレルギーなどは無く好きなものが食べたければコンビニで買い、欲を満たす。手足に何らかの不自由さはなく、幼い頃から大好きだったサッカーを10年続けることもできた。高校生になると留学にも行かせてもらった。とりわけ人種差別をされることもなく、人並み以上の幸せな日々を送ってきた。そんな中、インターネットで小論文コンテストを探していると「誰ひとり取り残さない」をテーマにした小論文コンテストに出会った。そして、取り残されている人の視点で考えるこのコンテストは、他人と比べ裕福な生活を送る私には関係ないものだと思いそっとタブを閉じた。しかしその数秒後、自分にも他人と比べ取り残されていることを見つけ、このコンテストに参加を決めた。私にはなく周りにはあるもの、それは「行動力」だ。

この世では、金銭的に生活が苦しい人、何らかの障害を持つ人、人種差別など精神的ダメージを受けてる人に対し、「誰一人取り残さない」という強い思いを持ちながら行動する人たちが沢山いる。私はその強い意志を持ち行動する人たちから取り残されている気がした。何も不便がないからこそ、何かしらの不便を持つ人に対し、自分のできる最大限のアプローチをすること。一人じゃ何もできないし、何も変わらないという思いを捨て、自ら行動することの大切さを身を持って感じた。そんな中、私が過去にボランティアをしたことがあった。それは私がカナダに留学中の出来事であり、外国人の学生に日本語を教えている授業のアシスタントとして参加したことだった。世界中には数多くの言語が存在している中、日本のアニメ、伝統、着物などの文化に憧れ日本語を第二言語として学ぶ姿に、私の気持ちが大きく揺らいだ。私は日本語の授業にアシスタントとして入ったが、もちろん日本人なので沢山の質問がくる。ほとんどの質問には答えれたものの、「それ」と「あれ」の違いが何か?と問われた時、正確な答えが出せなかった。私たちが常日頃、感覚的に使っている日本語を説明できなかった時とても悔しかったのだ。その後不幸なことに新型コロナウイルスが世界中で蔓延し、カナダでも緊急事態宣言が発令された。結局、日本語の授業には3回ほどしかアシスタントとして参加できず、日本語を楽しそうに学ぶ学生の笑顔を見ることはなくそのまま帰国した。この留学経験から。このSDGs「誰一人取り残さない」コンテストから。私はいつの日か、日本語を他国在籍の学生に無償で教えるプロジェクトを始動、または支えていきたい。日本は他国に比べSDGゴール4の「質の高い教育をみんなに」が進んでおり、教育を受けれない状況下にある学生はほとんど存在しない。しかし、海外ではそうだろうか?まず留学に行くことも金銭面的に困難であろう。学校の制服を買ったり、地域によればノートや鉛筆を買うこともできない子も沢山いる。そんな子供たちに対し、私ができるアプローチ。それこそが、過去に苦い思いを味わった日本語を教えることであると考えた。もちろん資金面、活動期間、準備期間など様々な障壁が存在するだろうが、このSDGs「誰一人取り残さない」を通し、行動していくことの大切さを改めて実感できる機会になった。過去の私と同じような考えを持っている人に対し、行動することの大切さを理解してほしいと感じ、このコンテストの参加を決意した。

考えを発信すること。「誰一人取り残さない」世界へとつながる、大きな第一歩だ。自らが主体的に活動し、考えや行動をしていくことが何よりもSDGsのゴールにつながっていくと私は思う。

 

 

 

 

 

加藤あおい 広島大学大学院 博士課程前期1年生

 

 

 

 「誰ひとり取り残さない」社会を考えたとき、取り残してはいけない人としてどんな人をイメージするだろうか。私たちがいつも考えるのはいわゆる「普通」の人とすごく困っている人なのではないかと思う。例えば障害がある人を取り残さないと考えたとき、イメージされるのはろう者や全盲者、車いすユーザーや難病者、知的障害者など想像しやすい障害のある人々なのではないだろうか。

 私が今まで出会ってきた人のなかにはいわゆる「健常者」といわゆる「障害者」のどちらに所属していいのかわからないという人がいる。発達障害や弱視、喘息などそれぞれ状況は様々であるが、私が出会った中で印象的な友人たちの話をしたいと思う。

私の友人のなかの2人に片目が義眼の人がいる。どちらも障害者手帳を持たずいわゆる「普通」の女子大生だ。幼少期に眼球を摘出し、片目には義眼が入っている。パット見た感じでは他の学生と何ら変わらない女の子たちである。普段は大学生として「普通」に生活している彼女たちではあるが、片目が見えないが故の困難さはもちろんある。例えば、彼女たちは視野が狭いし、距離の把握は難しい。体育でも球技なんかは難しいそうだ。さらに、義眼というものは定期的にこうかんがからメンテナンス費用だってかかってしまう。

 そんな彼女たちが義眼であることに気付いている人はどれくらいいるのだろうか。彼女たちのような人が存在することをどれくらいの人が知っているのだろうか。たまたま私は義眼であることを教えてもらえたし、「その辺見えなくてちょっと分かんない。」とか「球技は距離感わかんなくてちょっと怖いんだよね。」なんて伝えてくれたから私は彼女たちのような存在を知って、困難さに気付くことも出来た。

 もし彼女たちに出会えていなかったら私はそんな「あいまいな人」の存在に気付けていただろうか。

 「誰ひとり取り残さない」社会、健常者も障害者も取り残さない社会。いろんな人がたくさんのことを考え実践している中で、果たして彼女たちのような「あいまいな人」たちは検討の段階ですでに忘れられ、気づかれず、取り残されてはいないだろうか。そもそも健常者や障害者などと分類などなく、みな等しく人間であると考えている。しかし、そのどこかで障害者のイメージがあって、そこにあてはまらない「あいまいな人」に気づけていないのではないだろうか。

 「誰ひとり取り残さない」社会をつくるために、「あいまいな人」にこそいまスポットが当たるべきなのかもしれない。

 

 

 

鈴木知世 国際教養大学 2年生

 

私達人類は、本当に実現できるのだろうか。

 

“No One Left Behind / 誰ひとり取り残さない” そんな社会を。

 

 

 

私は大学生だ。

 

経済的に発展を遂げた日本に生まれ、看護師として働く両親のもと、田畑に囲まれる家で育った。生まれつきの障がいなどはなく、日々の衣食住に困ることもなく、「女だから」という性のレッテルを貼られて挑戦の機会が奪われることもなかった。そんな環境にたまたま生まれ、たまたま出会った人々との関わり合いの中で、大学に進学することを決断し、今も勉強を続けられている。一方、私が偶然出会ったウガンダ人の友達は、両親を亡くした後、大学での教育を続けることを諦めた。勉強したい気持ちとは裏腹に、教育を受ける機会が一時を境に奪われてしまった。

 

沢山の偶然が重なって今の自分があるわけだが、やはり自分にとってはこの暮らしがノーマルだ。大学で多様性に触れながら勉強していたとしても、やはり自分が実際に目で見ることができる世界・関わることができる社会コミュニティが、自分にとっての全てとなる。教職の授業で障がいを持つ生徒との接し方を学ぶとき、国際協力の団体でフィリピンのスラム街の人々と向き合うとき、LGBTQ+やボディポジティブなどを通してセクシュアリティや身体性の多様さを考え直すとき、環境問題について話し合ったり実際に保全活動を行ったりするとき。どんなに多くの多様性に触れ、社会的に自分よりも「弱い」立場の人を理解し手を差し伸べようと試みたとしても、いつも考え方や行動を行う主体は「自分」であり、たまたま得た環境や暮らしを基にした「自分」の軸から完全に逃れることはできない。私が常に一緒にいるのは、特に大きな不自由なく生活してきた者としての視点。意思決定の自由があり、行動に移せる機会があり、後押しをしてくれる周りの環境があった者としての視点である。

 

同じような境遇で育った他の人の目にも、私の育ってきた環境が「平凡」として映るかもしれない。私より経済的に裕福な暮らしを送ってきた人にとっては、田舎での私の暮らしがかわいそうに思えるかもしれない。そして、私よりも経済的に貧しい暮らしをしてきた人や、自由な意思決定・行動をすることが困難な環境に育った人には、私にとっての「普通」である暮らしが、羨望の対象で会ったり、掴みたくても掴めない生活であったりするかもしれない。

 

こうやって、収入額や識字率、人間開発指数やジェンダーギャップ指数など、様々な指標を用いれば、いくらでも生活の豊かさや機会の均等性を測ることはできる。データを分析・分類し、SDGsをはじめとする国際機関・政府・民間事業・個々人の政策や行動を実行していくことで、「かわいそう」「恵まれない」と思われるような環境や人を「取り残さない」ための、エンパワメントができる。

 

しかし、よくよく考えてみると、全く同じ環境で生まれ育ち、同じ価値観や伝統・文化のもと、同じ将来への希望や想いを抱いて生きている人は、私のほかに誰ひとりとしていないのではないか。そう、この地球上に生きているすべての人は、みんな違うのである。当たり前のことかもしれないが、私は声を大にして言いたい。誰もがたまたま生まれ育った環境の中で、それぞれの人生を歩んでいる。それぞれの価値観がある。それぞれに長所や短所をもっている。もちろん私にも、あなたにも、この世界中の誰かと比べて恵まれない部分や弱さが必ずあるのだ。恵まれている部分や強さがあるのだ。

 

だからこそ私は、「誰ひとり取り残さない」という社会を、世界中の誰もが均一化された「みんな同じ」社会だとは思わない。私にとってのNo One Left Behindとは、地球上の全ての人がお互いの価値観や文化を尊重し、かつ、自分の強みや可能性を最大限に発揮する機会を持っている社会である。そして、社会構造の中で人それぞれの「弱い」とされる部分を、他の人とフラットな関係性から補い活力を与え合える社会である。

 

 

 

ここで、冒頭の問いに戻る。そんな「誰ひとり取り残さない」社会は、これから本当に実現できるのだろうか。

 

 

 

そもそも、SDGsの理念であるこの「誰ひとり取り残さない」は、強い立場の者の視点に立って、弱い立場の者をみた考え方である。「先進国」「途上国」という言葉を使って国際協力・開発の文脈にあてはめれば、先進国の視点に立った価値観だ。このような上下関係は、資本主義社会のあらゆるところに存在している。看護師の両親のもとに育った私にとって、「誰かを助けたい」というのが昔からの将来の夢だった。しかし、助けるとはどういうことか。自分が上の立場になって弱い立場の人を引っ張り上げるということなのか。

 

 

 

私は、そのような上下関係を「誰ひとり取り残さない」社会に取り込みたくない。経済的に、文化的に、裕福さの違いはあるとしても、上下関係を基にした支援ではなく、人と人とがフラットに向き合い背中を押し合う・活気付け会える関係性を構築したいと思う。

 

そのために必要なこと、それは、自分が見ることのできる、関わることのできる範囲の世界を越えて、世界の様々な文化や伝統の中で生きる人と友達になることだ。友達になって、お互いを観察・理解し合えれば、自然と助け合いが生まれるのではないだろうか。

 

グローバル化が進み、強い勢力や文化・価値観が台頭している現代においても、グローバリゼーションを味方に、世界の様々な人、これまでの生活様式では出会うことなどなかったような人とも、友達になることで、フラットな関係性の上での助け合いができるだろう。それは、自然との関係でも同じだ。人間が決して優位に立つのではなく、地球上の様々な生き物と同じ立場として関わることができれば、自分事として、自然と環境に優しい選択ができるのではないか。

 

 

 

「誰ひとり取り残さない」ために、地球上に共に生きる多様な生物と、友達になってみませんか。

 

 

 

 

 

蛭間蘭 県立多摩高校3年生

 

 

 

ベトナム戦争。1955年に起きた、アメリカが初めて負けた戦争。学校で習ったとき、それしか言われなかったことに私は衝撃を受けた。

 小学2年生の夏から5年間、私は父の仕事の都合でベトナムのホーチミンに住んでいた。空港から降りると、夜なのにとにかく暑くて、知らない言語しか聞こえず、当時の私は驚きしかなかったことを覚えている。父が運転する車に揺られて夜の街を眺めていると、周りにはバイクしか見えなかったが、それが「車は高くて買えないから」と気付くには幼かった。次の日、街を見ると衝撃の嵐だった。歩道らしき場所はガタガタで歩きづらく、道端にたくさん店が並んでおり、移動式の店を持つ人のほうが多かった。映画館なんてものは存在せず、日本の番組はNHKしか流れないテレビで初めてディズニーの新作が出ていたことを知るような生活。当時外国に憧れを抱いていた私は、「こんなはずじゃ……」と思った。私の知っていた外国なんてアメリカとフランスくらいで、外国は日本よりももっと発展していておしゃれな場所なんだとイメージしていたからだ。

 しかし「発展途上国」と呼ばれるだけあって町並みはあっという間に変わっていった。「建物」のお店が増え、ショッピングモールや高層ビルが並び建ち、念願の映画館ができ、マクドナルドなど他国の会社のチェーン店ができた。街の中心部だけではあったが道や道路が舗装され、瓦礫で転ぶことも減った。その目覚ましい発展ぶりは小学生の私の目にも明らかだった。

 そんな中で、唯一変わらない風景があった。観光地のベンタイン市場の近くの道路で、物を売る親子。母親には、足がなかった。当時の私はただ、「かわいそうだなあ」としか思わなかった。無知だったのだ。私の母は、憶測でしかないが、年齢的にベトナム戦争の後遺症なのではないかと言った。ベトナム戦争。そんな戦争があったのか、とまた私は呑気に思っていた。 私が通っていた日本人学校の行事の一つで、毎年ベトナム戦争時にまかれた枯葉剤の後遺症に苦しむ子どもたちが入院している病院に行くことがある。低学年にはあまりにも衝撃が強い内容らしく、私が行けることはなかったが、当時小学6年生だった姉が行った。姉の話によると、幼稚園から小学生ぐらいの子供までおり、手や足が1本だけの子供、中にはベッドに縛り付けられている子もいたらしい。姉はショックで体調を崩してしまっていた。

 一体どれだけの人が、ベトナム戦争のことを知っているだろうか。学校で習う、「南北で分裂して戦って、北側が勝った」。それだけで理解を止めていないだろうか。戦況に焦った南側であるアメリカが、熱帯雨林に民間人もいるのを知っておきながらも人体に害を及ぼす枯葉剤をまいたことを知っている人はいるのだろうか。その後遺症で、奇形で生まれた赤ん坊がどれだけいるか知っているのだろうか。その子達が生まれてすぐ病院に閉じ込められ、今も苦しんでいるのだ。第二次世界大戦終戦から70年ほど経ち、当時の記憶を持つものがいなくなってきていると言われているが、私は違うと思う。発展していくベトナムの中で、まだ国内には戦争の後遺症に苦しまされ、社会に取り残されている人たちが確かにいるのだ。昨年、授業で冷戦に関する映像を見た時、ベトナム戦争がワンシーンしか流れず、私は驚いた。なぜ、あの枯葉剤が撒かれたという悲惨な状況を見せないのか。なぜ、忘れてはいけない歴史をほとんど映さないのか。彼らが今も感じている痛みや苦しみが、なぜ流れないのか。そんな疑問が数々頭に浮かんだ。

この間、テレビでベトナムの観光地についてホーチミンが紹介されていた。バイクだらけの道路、大きな教会、個性的な商品が並ぶ市場。レポーターが数々の観光地を紹介する中、私は道端で物を売っていた親子や、姉から聞いた子どもたちのことを思い出した。今、彼らがどうなっているか私には知る由もないが、ただひとつ、世界中にまだ戦争で苦しんでいる人がいることを絶対に忘れない、そう強く決意した。

 

 

 

 

 

古澤百花 渋谷教育学園幕張高等学校 高校3年生

 

 

 

札を払う瞬間、パッと振り上げられた彼女の腕に線状の傷がついているのを確認する。

勢いよく飛ばした札を拾いに行く彼女を見ながら、この子もか、と思った。

これで何度目だろう、歳が近い女の子の腕に、線状の傷を見つけたのは。

百人一首の読み上げ機から抑揚のある声が流れ、札が読み上げられる。

札を取りに行く瞬間、彼女の手が自分の手にぶつかり、激痛が走る。

競技かるたではよくあることだ。

「大丈夫?」

と聞き、彼女のぶつかった手を見ながら、彼女が自身で傷つけたと思われる腕を再び見る。

彼女の腕の線状の傷と、ぶつかった時に感じた痛みが重なって、ハッとした。

あの線状の傷は、彼女自身が加えた傷なのだ。こんなに痛い思いを、彼女が自らしようと思ったのだ。

既に知っていた事実の重大さを改めて認識する。雷に打たれた気分だった。

新しい傷なのだろうか。だとしたら、試合の後に何か言った方がいいのか。

だがそう考えている瞬間、札が読まれ、我にかえる。

今は試合だ、集中。

 

これは、今年、高3になったばかりのときの出来事だった。

 

初めて「リストカット」を知ったのは、中学生になってすぐのことだった。

傷を見せてくれたのは、同い年の女の子。女子がおしゃべりをして盛り上がっていたので、自分も輪に入ろうとすると、その子が腕の傷を見せていた。見せびらかしていはいなかったが、見せることに抵抗はないようだった。

「痛くないの?」

「うん。」

「なにを使うの?」

「カッター。」

周りの子の質問にその子は素直に答えていた。

高3になった今では、とてもそんな無神経な会話はできない。中1特有の幼さや、配慮のなさが、そんな会話を可能にしたのだろう。その子は今、元気にしているようだ。当時も、特に悩んでいるような様子はなかった。

 

高3になるまで、私はリストカットをしている女の子に3人ほど出会った。傷を隠している子もいれば、隠す素振りのない子もいた。隠す子には見えないふりをしたし、隠さない子には、気にせずに接した。

リストカットをする子に出会う度、リストカットが自分の中で「普通」になっていった。

ああ、この子もか。そんな感覚だった。

 

この間、競技かるたをしている途中、相手の腕の傷を確認した時、リストカットが身近な社会問題であると、やっと認識することができた。

確かに、リストカットを初めて知った時も、よくないことだとは思ったが、あまり気に止めることはなかった。それが自分自身に痛みを加える行為であることに改めて気付いた瞬間、私は事の重大さを知った。そして自分が今まであまりにも無知であったことを恥ずかしく思った。

1回のリストカットが命取りになることはあまりないと言う。一方で、それがリストカットの本当の怖さだと思う。簡単にできてしまうこと。中毒性があること。傷を隠しやすいこと。

10代の女の子の割合が最も高いと言われている。

ニュースでたくさん聞く問題ではない。しかし、確実に若者の間で広がっている、静かな病。リストカットを「普通」だと思っている人はどれくらいいるのだろうか。

そんな危機感を持って、私はこれを書いている。

 

私は今まで社会問題は、メディアが取り上げるものに限ると思っていた。ニュースで世界の半分ものサンゴがすでに失われたと知った時、高校生の仲間を集めて、自分たちがどのように環境問題に取り組んでいるのかをウェブサイトにあげた。Black Lives Matter を知った時、黒人アーティストのスピーチを和訳した動画をインスタグラムにあげた。

 

しかしリストカットという、メディアでは比較的タブーにされている問題に直面したとき、それは日常の中の「普通」にしか見えなかった。メディアが問題だと指摘することにしか行動を起こせない自分を恥ずかしく思った。

 

私たちはあまりにも自分にとっての「普通」にとらわれてしまうのと同じように、私たちはどうしても、「明らかに取り残されている人」ばかりに目を向けてしまう。カリフォルニアで山火事が広がり、多数の人が避難を余儀なくされた。イスラエルとパレスチナの間で再び戦闘が始まり、避難できなかった子供が何人も亡くなった。このような、まるで異世界から来たストーリーは、ニュースや新聞によって私たちに伝えられ、私たちに衝撃を与える。こうしてメディアによって、世界で起きている社会問題を知ることができるのは素晴らしいことだ。一方でメディアは情報過多と揶揄されるように、私たちは様々な情報を消化しようとするあまり、かえって身近な問題に目を向けなくなってしまう。

 

「秘かに取り残されている人」は身近にいる。

一般的に理解されている障害者の見た目ではなため、持病を抱えていても優先席に座れない人。

消毒液を使うと手が荒れてしまうのに、世の中の情勢上、消毒を断れない人。

打ち明けることができない悩みを抱え、自分の体に傷を負ってしまう人。

 

私たちは大きく取り上げられる社会問題には取り組もうとするように、どうして「秘かに取り残されている人」に真摯に向き合うことができないだろうか。

身近に「取り残されている人」の存在に気づくことこそが、誰一人取り残さない社会への第一歩ではないだろうか。

 

Think Globally, Act Locally.

今では、続々と生まれるスローガンに埋もれてしまっているこの言葉だが、改めてその意味を考えたい。

 

 

 

 

 

王麗莎 高崎経済大学 3年生 地域政策学部

 

 

 

今もなお猛威を奮い続けている新型コロナウイルスは私たちの生活に大きな影響を与えました。私を含めた外国人留学生は、コロナウイルスが原因で周りの環境が大きく変化しています。私は日本に留学をしてから、過去にない強い孤独感を感じました。知り合いが誰もいない、日本語がわからない、日本人の友だち一人もいないことを経験したので、私自身は孤独感を大きく実感しました。私は、まさに取り残されている人間だと一度思いました。

そこで、SDGsの「誰にも取り残さない」社会を実現するには、外国人留学生という視点から、どのように社会で取り残されるのかを考えました。そして、私は、誰一人取り残さないように、3つのことを考えました。これらの3つは「主体的に動く」、「周囲の環境への対応」、「コミュニティ活動への参加」という環境変化に関わらず、孤独感を解消し、日本社会に溶け込むために欠かせないものだと思いました。

新型コロナウイルス感染症の蔓延により、私は「学習環境」「学生生活」「経済状況」の困難な渦に巻き込まれ、今までの生活が一変しました。これまでにない孤独感や無力感を味わってきました。まず、「学習環境」で大きく変化したものは授業が完全に遠隔化したことです。ZOOMなどを使ってリアルタイム配信の授業をするライブ配信型授業、映像や資料を掲示するオンデマンド型授業が多くなりました。画面を見ながら一言も言わずに済む一日に苦しみました。一人暮らしの寂しさを加え、教授や友達とコミュニケーションを取る機会がほとんどありませんでした。続いて、「学生生活」については、サークルが中止になったことでヒトとの交流の場所がなくなりました。更に、コロナ禍前ではアルバイトをしていましたが、新型コロナウイルスの感染拡大により働いていた店は閉店となり、「経済面」の不安にも追い込ました。私以外の方々にもコロナの影響で様々な問題を抱えているでしょう。

こうした環境で、私は3つの行動をしました。1つ目は、誰にも助けられない日々には、私は主体的に動きました。私はGHKGグローバル・ハタラクぐんまプロジェクトに参加し、グループ共同作業を通じて、「持続可能な目標(SDGs)」の理念を深く理解するができました。また、異なる文化的背景を持つ学生同士と協働し、お互い理解しながら交流していくことができました。私は世の中、孤独感を感じるヒトは少なくないと思い、これを離脱するには、自分で行動を起こすしかないと思いました。なにもしないままでは、社会に取り残されるのではないか。

2つ目は、周囲の環境への対応をすることです。私が置かれている状況も困難だと意識しながら、変わった環境に直面し、こういった困難を乗り越える姿勢は大切です。そのため、コロナ時代の変化を敏感に感じ取り、変わりゆく対応を取りました。新型コロナウイルスで命を失ったヒト、仕事がなくなったヒト、自由を制限したヒトなどもう取り戻れません。それを防ぐために、社会に取り残さないように、自分の健康を保ち、自分の知識やノウハウを高めることに力を入れています。誰でも置き去りにならないため、状況に応じて、柔軟的に行動を変えていくことが大切だと考えました。

3つ目は、積極的にコミュニティ活動への参加し、社会と繋がっていくことです。日本社会へ溶け込むには人々とのつながりを大切にしたいです。私は孤独感を解消するには、学校以外の居場所を作ることが大事だと考え、小学生の学習をサポートできるボランティアを積極的に参加しました。子供の笑顔から私の心を癒やし、更に、地域の一員としての自覚が生まれ、子供たちと向き合う時間を充実することで生きがいを感じました。こういった活動によって、新しいコミュニティが形成され、幸福感を感じ、自己価値や社会とのつながりが深くになりました。

孤独感を解消することは、身体的にも、心理的にも社会的にも良い循環であり、「誰一人も取り残さない」社会と結びつける架け橋となります。たしかに、誰一人も取り残さないことは難しいです。しかしながら、困難なことだからこそ、私たち一人ひとりの社会的責任感を持ち、この社会において、自分のできることを先に考え、一歩を踏み出して行動し、貢献することは「誰も取り残さない」という社会像の実現に少しずつ近づくことができるでしょう。それが、外国人留学生は日本社会の一員として認識することは「誰一人も取り残さない」社会に繋がるだろうと考えました。

 

 

 

 

 

吉本萌恵 クラーク記念国際高等学校3年生

 

 

 

 お金がなければ、生きたいように生きられない。自由に選択ができない。そして、取り残されてしまう。それが最近わかってきた。私、大人になったんだろうか。

 サスティナブルな生活がしたいと強く思う。しかし、環境負荷の少ない製造方法で作られた製品、生産者が公正な利益を受け取ることが約束された海外製品、使用中・使用後にゴミがあまり出ない商品、ブラックな労働を避けた輸入品を見れば、いずれも高価である。

 たくさんお金が稼げる仕事を求める大人たちは、必要以上の娯楽と贅沢な暮らしに憧れるゆえ、そのような振る舞いをするのだと思っていた。なんて欲張りなんだ、私はお金に幸せを求める生き方はしない!と両親の面前で決意表明をしたこともあった。

  しかしそうではなかった、と最近になってわかった。

 先日、家庭科の授業の意見交換にて、収入は大事だと言い張っていた友人らが、ずいぶんと社会がわかっていて、未来が見えていたんだなと、驚いて、恥ずかしくなった。ここである種の「置いてけぼり」を食らっていた私であった。

 ともかく、世間では、最近SDGsを取り上げて、サスティナブルな取り組みをする企業を持ち上げたり、サスティナブルな生活を心がける人を褒めたりする風潮が生まれている。それ自体は、SDGsを推し進める上で素晴らしい進歩、有利な方向だ。なぜなら、誰でも「好まれること」をしたいし、大勢が認知すれば、同じ方へ、サスティナブルな世界へ進んでいくのが容易になるからだ。

 ただ、私はその波に乗れない人がいるのじゃないかと危惧する。それどころか、波に溺れる人々がいるのじゃないかと。前述した通り、サスティナブルな商品は高価なので、SDGsに貢献しようと消費者の立場で奮闘するなら、どうしたってお金に余裕がないといけないのだ。ある程度の余裕がある人は、当然の如くサスティナブルな製品を買うようになる。世の中がどんどん、サスティナブルな製品を買わない人に対し、冷たくなっていく。本当はしたくともできないのに。そんな近い将来が見えた。お金に不自由を覚える側としては、黙って見ていられない有様だ。取り残されたくない。

 でも、それは気に留めるまでもない小さな摩擦で、より良い世界へ変えるためには致し方ないことなのだろう。

 悶々としつつある日、いらない布地が勿体無くて、ポシェットに作り替えた。とても、楽しかった。完成して、あっと声が出た。ゴミは減って、リサイクルに出すよりも環境負荷は少ないはず。そして生地を買わずに済んだのでお金はむしろ浮いた。なんだ、そうだった。

 SDGsとは言ってしまえば、みんながながく幸せに暮らすための目標だ。圧力を感じて嫌な思いをするのは本末転倒と言うべきで、私は全く間違った思い込みをしていた。自由に生きることは幸せにつながっている。私が本当にSDGs達成を目指すつもりなら、周囲に流されて、お金は人生の喜びと無関係だという信念を放棄して、自由を諦めてはいけなかった。

 ここで、一つのアイディアを示したい。この作文を書いている過程でふと思いついたものだ。以前から、特にファストファッションの店舗には、もう着なくなった衣服を回収するボックスが置いてある。覗いてみたところ、可愛い服がちらと見えた。やっぱり贅沢してるな、と考えた。とったら怒られるだろうか。

 回収した服は発展途上国へ寄付したり、リサイクルしたりするそうだが、事実、現地の住民の力で生産することを妨げ、寄付先の経済成長を邪魔していることもあるし、リサイクルにもその過程で多大な環境負荷がかかるという。

 ならば、着なくなった服を、訪れた人が気に入れば貰って帰っていいというシステムを作れないだろうか。何もCO2をたくさん排出して外国に運ばずとも、日本にもその服が欲しい人はいる。サスティナビリティを考える暇がない人たちが利用して、私が先日味わった嬉しさ・達成感味わって欲しい。それに、堂々とSDGsに協力したという実感を持って欲しい。

 確かに、お金がないとできないこともあるだろう。しかしそれはお金に余裕がある人に任せるべきところだ。

 決して取り残されてはいない。それぞれに役割はある。

 

 

 

春木大空(もとたか) 都立深沢高校3年生

 

 

 

私はこのSDGsの存在を高校の授業で知った。知った当初は[綺麗事ばかりを並べ、解決する気はない無いものばかりだろう]と思っていた。しかし、日本だけではなく海外の貧困問題、差別問題を知ってゆくうちに何か自分自身が行動に移さなければならないと思いこの文を今書いている。

 

 私は現代社会の大きな問題として[差別問題]を取り上げたい。身近な差別の対象の一つとして[LGBT+Q]がある。私は自分自身が異性しか愛せないのかはハッキリとは分からない。まだ惹かれる同性に出会っていないだけなのかもしれない。私の母は私が幼い頃[人は性別関係なく、愛した人を愛する権利があるんだよ]と教えてくれた。今でもその言葉を信じ続けている。差別が起こる原因として様々な理由があるだろう。しかし唯一確かなのは[差別は無知からくるもの] と言うことだ。もしあなたが未知の生物に出会ったらあなたはどうするであろうか?恐らく多くの人々が逃げ回り、恐れ、理解しようとしないだろう。だから差別が生まれる。これは極端な例かもしれない。しかし差別が始まる多くの場合はこの流れだろう。[知ることを拒否する]ということは差別を生む大きな原因だ。だが一番身近な未知の生物として挙げられる異性はどうだろうか。[男と女は違う惑星から生まれた]と言われるほどに、男女の違いは明確に示されている。しかしそのような違いがあっても多くの男女は愛し合い、子供を育て幸せな家庭を気付きあげている。なぜ異性間であるなら理解ができて、尊重しあえるのだろうか。同性だと何が問題なのだろうか。

 

 私はあるアプリケーションをつかって恋愛のありかたについて調査をした。ここでは二つの国を例に挙げる。一つは同性婚が認められているスウェーデン。もう一つは同性婚が認められていない日本。スウェーデンの学生たちに[男性は女性を、女性は男性を愛すべきだとおもう?]という質問を30人の男女にした。すると30人中27人が[No]という答えだった。[恋愛は自由、だれがだれを愛しても良い]という考え方が国自体に染み込んでいのだろう。続いて日本の学生に同じ質問をした。30人中26人が[yes]と答えた。理由を聞くと [それな普通だから]という答えが一番多かった。普通という概念 これは誰が定めたものなのだろうか。その自分自身が持つ普通という概念に背く人間がいれば、理解しようともせず、差別をする。日本よ差別問題が解消されない背景には多くの日本人が持っている[普通と言った概念]が影響しているのだと分かった。

 

 正直私は差別をこの世界から無くすことは不可能だと考えている。しかし差別この世界から無くそうと考える人を増やすことはできる。もしそれができたならこの日本、いやこの世界は誰ひとり取り残されずに幸せに溢れた世界になると信じている。

 

愛した人を愛せる世界。男女が共に尊敬し合う世界。肌の色や外見を見るのではなく心で会話をしあう世界。そのような素晴らしい世界に住む人たちは、他の環境問題にも目を向けて解決しようとするはずだ。私は差別をこの世から無くすと共に環境問題にも目を向け私にできることこれからもし続けていく。

 

 

 

 

 

古井翔子 東京女子大学 3年生

 

「普通」は自分が作るもの

 

「カッコ良い女子が居てもいいんじゃない?」これはとある女性が母から言われた言葉だ。

 

貴方は自分の性別についてどのように考えていますか?男性、女性、その他、戸籍上の自分の性別と気持ちが異なる人も居る。では、貴方は周りから「女の子らしく」や「男の子なんだから!」などと言われたことはあるだろうか。私にはある。私は髪型や服装、話し方や振る舞いで自分を表現します。私の性別は女性であり、幼少期にはShirley Templeを着たり、ピアノやバレエという女の子らしいと言われる習い事をさせて貰った。中学生となりソフトボール部に所属した私は髪をショートにした。その際、祖母に「女の子なのに…」と言われた。当時の私はショートに憧れがあり、自分もショートにしてみたいという気持ちがあった。それだけなのに、髪の長さ一つも性別によって決められなければならないのかと当時の私は落ち込んだ。そんな時私が出会った言葉が上記の言葉「カッコイイ女性が居てもいいんじゃない?」である。髪型や服装において、男の子や女の子という生まれながらに持った性別ではなく「自分らしく!」で良いのではないか。着たい服を着て、似合う服を着て、似合う髪型をする。世間の「普通」は関係無い。「普通」は私が作るものだと思う。私は生まれ変わっても女性でありたい。男性のかっこいいではなく、女性のかっこいいでありたいし、来世でも可愛いとかっこいいも両方経験したい。

 

そして今の私は「彼氏は居ないの?」と言われたり、何か質問をすれば「彼氏さんがそうなんですか?」と聞かれる。私の性別は女性であり、今の世間一般における「普通」では、女性は男性と付き合うつまり異性愛が認知されている。これらの発言には、私が女性が好きという同性愛者やバイセクシュアルであるという認識が無い発言である。私は昔も現在も同性の方を応援させて頂く事が多い。それは好きという好意よりも憧れや自分の目指す目標だったりする。だが、なぜ同性を追いかけるのか?恋愛対象は女性なの?などと聞かれるが、それは応援する、追っかけをする=恋愛対象という固定概念やその人自身が普通だと思っている事の現れではないだろうか。

 

私は今、役者を目指している。私が歌を習う際、女性が男性ボーカルの曲を選ぶこともあったり、自由に自分の歌う曲を選んで良い。また、舞台上では男性が女性を演じたり、女性が武将になったりする。近年流行している2.5次元ミュージカルでは、女性が殺陣を行う舞台も存在している。殺陣という一見男性が行うとされている表現を女性が行う姿がとてもかっこよく私自身も殺陣やアクションを行う舞台役者になりたい。舞台上で行われる性別に捉われない表現を私はとても美しいと感じ、カッコイイな!と心惹かれる。日常生活で表現を制限される人が舞台を見て感動したり、自分自身を認めてあげられるようになって欲しい。私は、舞台上での表現を日常生活でも自由に表現出来るようになれば良いと思う。LGBTQ +やジェンダーレスという言葉がよく聞かれるこの世界の中で性別に捉われず、世間の「普通」に苦しまず、「自分らしく」生きられる世界が訪れると良いなと私は思う。

 

 

 

佐藤彩音 高知県立高知国際中学校3年生

 

 

 

私はSDGsの基本理念「誰ひとり取り残さない」の視点で様々なことを考えた結果、新聞などの メディアを使っている高齢者がSDGsについて考える事が出来ない現状を変えるためにSDGsを 知るきっかけとしてクロスワードを作成したいと考えています。

私は今、高知県に住んでいます。高知県では総人口における65歳以上の割合がすでに3割を超えていて、全国平均より6.2%も高いです。今後も高齢化率は増えていき、2045年には4割を超えると言われています。私は高齢者が増えている高知県で、SDGsの取り組みに付いて行くことが出来ていない高齢者の方が沢山いることを昨年知りました。

昨年私は、廃校再生プロジェクトに参加しました。その廃校は私の家から一番近いにもかかわらず、私が小学一年生になる春に廃校になってしまいました。なので私は統合された少し離れた小学校に通っていました。このプロジェクトはそんな小学校の校舎の活用計画を市民が考えて、 市に提案するプロジェクトです。私たちの地域は市内でも高齢者率、また人口減少率が高い地域 で地元の方で参加されたのは高齢者の方々が多かったです。地域内外から来た方々との話し合いを重ねて行くうち、私たちのグループでは、その校舎をSDGsの取り組み展示や体験、イベント などが行える地域のSDGsステーションとして活用しようという案を出しました。その案について説明をしている時、高齢者の方々にSDGsが浸透していない事に気付きました。高齢者の方々が 使っている新聞やテレビなどでもSDGsに関しての情報が流れているのですが、それらのメディアでの発信の仕方は高齢者に影響をあまり与えてないと思います。なぜなら高齢者の方は自分の 行動範囲を地域の中にする場合が多く、地域外で起きている現状や取り組みなどに対して興味を示す事がない場合が多いからです。今回の案について説明されているときも、「横文字はわからない」と言われ理解しようと頑張っている聞いてくれた人と、理解して欲しくて説明した私の両方の思いが届かなくてお互いが傷付きました。

そこでどうすれば興味を持ってくれるのだろうと考えました。そして私は高齢者が使っている新聞やテレビでの発信の仕方を工夫する事ができると思いました。新しい情報に対しての価値観をなくし、誰にでもわかりやすいような言葉と地域で起きている現状や取り組みを使って発信することが良いと思います。まずは行動よりも興味をもって情報を理解する事が大切だと考えています。それでも興味を持ってくれない方もいると思うので私はクロスワードをSDGsに関して知るきっかけとして使いたいと考えています。私と同居している祖父母は週に1度新聞に掲載されるクロスワードが大好きです。時間をかけて沢山考え楽しんで解き、時にはわからないものを友人に電話 をかけて聞いているほどです。このようにクロスワードを楽しんでいるのは私の祖父母だけではありません。沢山の人、幅広い年代の人がクロスワードを楽しんでいます。クロスワードとして高齢者の方に配布することでSDGsについて興味を持って情報を理解するきっかけができ、更にわからないところを家族に話を聞いたりなどして家族団らんの場所を作る事ができるのではないか と考えました。

私の通う中学校では国際バカロレアのカリキュラムを取り入れており、このカリキュラムの中に はSA(Service as Action)と言われる活動があります。これは行動を伴う奉仕活動で、学校内外 で個人やグループで活動をしています。私はこのアイデアを実践するために、SDGsに興味のある友人や他学年の人などを集め、SAの活動としてSDGs全ての目標に関連した17のクロスワー ドを作り新聞や市報にはさみこんで配布したいと思っています。クロスワードだけでなく、地域で行っているテーマとなっているSDGsのゴールの取り組みなども紹介することができれば良いなと思います。

これらのことから私は、「お年寄りの方々をSDGsに関する知識から取り残さない」を目指してこれから活動していきたいと思います。そして高齢者に限らず、世界中の人全員が一丸となってお互いの持続的な幸せを願えるようになりたいと思います。

 

 

 

黒松俊吾 大阪市立大学医学部医学科3年生

 

 

 

近年、発達障害、という言葉はかなりメジャーになってきた。同時に社会制度も整えられていき、より多様性が認められる世の中になってきたと感じている。しかしながら、そんな中で「取り残されている」人たちがいる。その人たちを私は「過」発達障害と呼ぶ。文字通り、年齢に比べて精神的に発達している人たちを私はそう呼んでいる。この言葉を聞いて、多くの人は贅沢な悩みだと思うのではないだろうか、きっと、さぞかし周りよりも大人で、勉強が出来て、大人とも上手く渡り合える、そんな人をイメージするのではないだろうか。しかし、現実は大きく異なっている。特にこの日本では、長年画一的な教育が推進されてきた。みんなが同じものを作り、絶対的な基準で審査してきた。その中で、出る杭は打たれるような社会が形成されてきてしまったのだ。

かく言う私も、その一人ではないかと思っている。学校という狭い空間の中では、学校が子どもたちにとっての全てであることもある。その中で周りと価値観が合わない、というのは大変苦しいものである。私が周りより成熟しているのではないか、と気づいたのは中学校に入学した時だった。確かに、今思い返してみれば、幼い頃からおとなしい子どもではあったのだと思う。しかしながら、おとなしい、とおとなっぽい、は違う、と私は思っていた。私は中学受験をして、中高一貫の男子校に入学した。最初の数ヶ月、なかなか友達ができなかった、今までこんなことはなかったのに、そう思っていたが、それは単に周りの子が私に話しかけてくれる環境が今までは続いたから、でも今回はそうじゃなかったから、だと思うようにした。そうして友達ができない中で、ふと周りにいる子たちを観察していると、どうも彼らの面白い、としていることが理解できない。とても苦しい日々だった。それでも、友達はできた、月日が経つにつれて、増えていった。そして私は自分を内に秘めるようになった。彼らの面白い、と思うことが、自分という人格を上書いていった。幸い、勉強はそれなりにできた。特に懸命に勉強をしているわけではなかったが、それなりの成績を取っていたことも、周りと上手く折り合えた一つの要因だったのだろう。それから数年が経って、高校2年生になった頃だろうか、ようやく周りの言っていることと、自分の考えていることが合うようになってきた。そのおかげか、高校最後の一年間はほとんど勉強詰めではあったものの、その合間合間で友人と話した時間は本当に楽しいものだった。そしてその頃、同じ目線だと感じた友人とは今でも本当に仲良くできている。しかし大学に入学して、また同じ壁に当たった。周りとの価値観が全く合わない。今までは自分が周りより偏差値が高いからだと半ば言い訳してきたが、同じ入試を、しかも高い倍率で突破している以上、もはや他の同級生と価値観が合わないのは偏差値の問題ではないと気づいた。そしてまた、自分を内に秘めて、みんなのイメージする「大学生」で自分を上書いた。気づいたら留年していた。それからの人生は本当に楽なものになった。もちろん今の学年にも同級生、というものは存在する。でもそれはそんなに深い関係性ではないだろう。ようやくこの学校、という社会から抜け出せたのだと、そして自分を再び外に出すことができた。小学生以来の自分との邂逅である。

こうして振り返ると、中学校に入学した当時の自分にアドバイスするなら、もっと大人と関わりなさい、ということになる。自分と近しい価値観の人と出会って初めて、自分は一人じゃないと思える、自分は周りより少しだけ、大人なだけなんだと、思える。

私はここで提案したい。もっと日本は留年及び飛び級制度を整備すべきである。確かに、おとなっぽい子、の全てが勉強が得意な訳でも、好きな訳でもない。ただ、この学年、この同級生とずっと一緒なのだと、いうことは学校という社会をより狭苦しいものにしていると私は思う。さらに、勉強ができる子がより高い学年に上がるのが優しさなら、その逆もまた優しさなのである。これは過発達障害の人に新たな目標を与え、より良い環境を与えるだけではなく、定型発達の人にもいい効果があると私は考えている。私は学習塾でアルバイトをしているが、勉強をする理由を見失っている学生が多く感じる。もちろん、なぜ勉強するのか、を伝えている学校もあるだろう、しかしそれ以上に、自分の頭でそれを考えることはもっと大事なことであると私は思う。そんな中で、留年や飛び級、という制度が整備され、より進級が困難になると同時に、自分と同い年で先を行く友人を見れば、なぜ自分はこの厳しい競走の中で、勝ち抜かなければいけないのか、はたまた、本当に勉強しないといけないのか、ということを考えるきっかけになると私は思う。

先進国の中でも、留年及び飛び級制度の有無は分かれている。日本で本格的に導入するにしても慎重な議論が必要なのは間違いないだろう。それでも、その議論が発達の遅れている子どもだけでなく、進み過ぎている子どもに注目するきっかけになればいいと思う。

 

 

 

 

 

樋口あおい(仮名) 高校3年生

 

 

 

私は、いつだって取り残される側の人間だ。「バレたらどうしよう」「どこにも居場所なんてない」そう感じていた。今もそう思っている。いくら「多様性」が謳われる社会になってきているとはいえ、自分は他人と違うのだと宣言することはとても怖い。友人を失ってしまうかもしれない、勘当される可能性だってある。しかし、私はこの文章を書くと決めた。たった一人だけでも、私の文章を読んで変われる人がいるなら、他人の目を気にする必要なんてない。

私が初めて「SDGs」という言葉を知ったのは、高校一年生の頃だ。私の通っている学校は、SDGs教育に力を入れていて、総合や情報の授業で、SDGsに関する動画を作成したり、プレゼンテーションなどをしている。授業内で先生が、あのカラフルなSDGsの表を見せてくれた。貧困、飢餓、教育。遠い異国の出来事で、自分には関係ないと思った。そして先生はその後、とある動画を流した。ニュージーランドの国会議員が、同性婚を認める法律が採択されたときにしたスピーチだ。その内容は素晴らしいもので、私に勇気を与えてくれた。しかし、同時に恐怖を感じた。今このスピーチを見ているクラスメイトは、どう思っているのだろう。私のような類の人間に対して、どのような感情を抱いているのだろう。そのとき、SDGsという言葉が、自分のすぐ近くにあることに気付いた。遠い異国の出来事ではなく、自分が今直面している問題なのだ。

私は女性だ。そして女性が好きだ。最近流行りのLBGTQ+というやつである。SNSの普及や芸能人の影響などにより、以前よりはその存在が一般化してきたが、「気持ち悪い」「理解できない」と偏見を抱いている人は今も大勢いる。それも当然であろう。人間は、自分が絶対に正しいと思いがちだ。そしてその固定観念を、他人にも押し付けてしまう。自分にとっての正義という領域の中で判断をしてしまう。そうやって誰でも知らず知らずのうちに、何かに対して偏見を抱いている。性的少数者、犯罪者、外国人。大事なのは、自分が偏見を抱いていると自覚することだ。偏見は無意識の中で生じるが、偏見をなくすことは意識的にできるのではないだろうか。そのためにまずは、固定観念を捨てることだ。自分が信じていることは、本当に正しいのかと自問自答するのだ。どうしてそれを正しいと思うのか、その客観的な理由を探してみると「なんとなく」「そうだと思うから」という主観的で曖昧な回答が浮かんでくることがあるだろう。それが偏見を生んでいるということに気付くことが大切である。次に、偏見の対象と真正面から向き合うことだ。当事者と直接話してみたり、SNSやブログを見るなど、その手段は自由だ。そして、その人の肩書きに囚われず、対話をする。一方的に言葉をぶつけるのではなく、その人の話を聞いてじっくりと考えてみる。疑問が湧いてきたら、質問してみたり、調べたりする。これが対話である。それでも偏見が残っているなら、それは偏見ではなくその人自身の考えだ。尊重すべきものである。肯定するだけが多様性ではない。肯定も、否定も、無関心も全て含めて多様性だ。そこで初めて、「誰ひとり取り残さない」社会が生まれるのだ。

「多様性」という言葉は、自己の中で完結するものではない。家族、友人、知り合い、遠い異国の人。自分の知らない存在も、「多様性」の中に含まれているのだ。「誰ひとり取り残さない」社会を築くために大事なのは、知らないことを知ることだ。偏見を抱いていることに気付くことだ。そして、知ろうとすることだ。異質なものをただ排除するのではなく、真正面から向き合うことが重要なのだ。一人一人がお互いを尊重する、それが「誰ひとり取り残さない」社会だと私は考える。

 

 

 

 

 

牧山桃与 神奈川県立多摩高等学校

 

 

 

 あなたは認知症の人をどう思いますか?こう聞かれたらきっと肯定的な返事をする人が多いだろう。例えば、根気よく向き合うべきだ、とか面倒くさがらずに対応するべきだ、など。しかしそう答えた人の中で、実際に身近に認知症の人がいる割合は案外低いのではないだろうか。そう思うのは、実際私には認知症になったおばあちゃんがいるからである。

 私の体験から述べると、最初祖母が認知症になったと聞いたときはそうなんだ、くらいにしか思わなかった。今の時代それほど珍しいことではないのかなと。しかしながら祖母と直接会って話していると、以前との違いに驚き、悲しくなった。度々私と姉の名前を間違え、同じ質問を何度もしてくる。それも本当に一分も経たないうちに。認知症の症状はテレビやネットで知っていたし、それが仕方のないことだとも分かっているつもりだったが、どうしてついさっき話したことが覚えていられないんだろうと思ってしまった。 

 しかし祖母との向き合い方について初めてしっかりと正面から考えた時、認知症になったという事実に対して本人が一番悩んでいるのではないかと気づいた。そのため私は認知症について「軽く」受け止めるようにした。これは軽視する、という意味ではなくて深く考え過ぎないようにする、ということだ。この考え方が正解かどうかは分からなかった。それでも、考えすぎて暗くなった気持ちが本人にまで伝わってしまってはいけないと思った。だから私は以前と変わらない態度で祖母に接し、祖母自身をみるようにしている。そうすることで「認知症の祖母」と接している、という考え方から「ちょっと天然なおばあちゃん」と接しているかのように感じるようになった。これは私にとってはとても大きな変化で、祖母の気持ちだけではなく私の気持ちも楽にしてくれた。

 このように私は身近に認知症になった人がいたため、認知症について深く考える機会があった。だが認知症以外にも、生まれながらに心身に障害を持っている人や、深い精神的問題・トラウマを抱えている人などこの社会には様々な人がいる。またその中にはコロナウイルスの影響を受け、普段の生活が送れなくなり社会から取り残されてしまっている人もいるだろう。そんな人たちとめぐりあったときあなたはどうだろうか?どのような行動をとるべきだろうか?きっとそれはすぐに答えられるほど簡単なことではないだろう。それでも私達がすべきことは、取り残されている人たちについて考え続けることだと思う。きっと考えた先に出る答えは人それぞれで、その答えが正解かどうかもわからなくとも、考え続けることに意味があるはずだと信じたい。考え続けていつか誰かの気持ちを少しでも楽にすることができたら、それがその人にとっての正解になるはずだ。

 

 

 

古堀伸乃輔 青山学院大学3年生

 

 

 

「誰一人残さない」というワードを聞いた時、私は最初にダウン症の子供たちの顔が浮かんだ。

今回、私が伝えたいメッセージは「人は人によって救われる」と言うことだ。

人類は、時代とともに医療技術を日々進化させ続けており、不治の病とも言われた結核は薬が開発され、近年では猛威を振るっている新型コロナウイルスに対してもワクチン接種が行われ始めた。ただ、現在も医療現場は逼迫した状態で、新型コロナウィルスに関しては多くの人が関心を向けていることだろう。

その一方、難病に戦い、小児がんで余命宣告をされている子供やダウン症の子供たちもたくさんいる。日本だけでも難病の子供患者は14万人もおり、彼らは少なからず、誰かの家族の一員であり、その家族を失う孤独を私も知っている。

私は17歳のときに病気で父親を亡くした。さらには、私も大怪我をして入院生活と2回の移植手術を余儀なくされた。当時の私は、この先の人生・将来を考える事もできず、この世界に取り残された様な絶望的な日々を過ごしたことを鮮明に覚えている。そんな時に、救ってくれたのは「人」の存在だった。学校の先生や友人が常に私を支えてくれた。毎日、10人以上の友人が見舞いに来てくれたり、車椅子を必要としていた時期も、誰かがそばにいて、同じ時間・空間を過ごしてくれた。そのおかげで、辛い時でも私は一人ではないことを実感することができ、私にとって「人」の存在が力となり、支えとなり、立ち直ることができた。

残された人生をどのように歩むのかを決めるのは「自分自身」と「取り巻く環境」だと私は思う。そして、この経験から「人は人で元気になるのだ」と心の底から感じている。

今現在、世界中で猛威を振るう、新型コロナウィルスの感染拡大により、障がい者への関心が世間的に薄まっていないだろうか。実際に政府もコロナ禍で障がい者に目を向けて欲しいと述べているが、自分自身の健康面を意識し始めている反面、他人への気配りは減ってはいないだろうか。雇用問題においても多くの障がい者が解雇されているのが現状である。

そこで、私はコロナ禍でもダウン症の患者に目を向け、共生社会に向かおうとしているNY発のバディーウォークを行ったNPO法人のアクセプションズの活動に目を向けた。そこでは、障がいがあるなし関係なく、自由に夢を思い描ける未来をひとつひとつ実現していきたい、という思いがあり、アートや作曲、工作、ダンスなどをして、生きているということや楽しさを表現し、様々な個性が共に尊重し合えることで共生社会を促進する活動を行なっている。

ダウン症の子が生まれる時、合併症を持って生まれることが多い。しかし、医療進歩により、合併症を幼児時点で手術することが可能になった。そのことで、外出することができるダウン症の方も多くなり、健常者と共に時間を過ごすことが増えてきている。しかし、世間的にはダウン症の方々がいることを知りながらも、彼らがどのように生き、過ごしているのかという認知は少ない。今でも彼らは、生活している上で差別されることが多々あるようだ。彼らは自分自身のことを認め、個性として受け取り、接して欲しいと話していた。

SNSが世間の中心になっている現在。私はSNSを用いて彼らの作品や生活を世間に発信する。そこで私は、ダウン症患者が社会、生活で苦しんでいる人々が少なからずいることと、ダウン症と言うものを個性として接してほしいという訴えを広めていきたい。少しずつでも広まることにより、障がいをもつ人々と手を取り合い共生する社会へと近づくのではないだろうか。そして、共生社会に向かう動きを、他人事の知識として終わらせるのではなく、そのことを一人一人が意識して行動することにより、一人の人生を救うことに繋がる。

だからこそ、目を背けるのではなく少しの意識と少しの勇気を持って障がい者に接して欲しい。その一つの行動が彼らにとって生きる希望に繋がるかもしれない。それが、共生社会の第一歩となる。だから皆にもう一度伝えたい。「人は人によって救われる」と言うことを。

 

 

 

能村 天喜 大阪府立園芸高等学校 2年生

 

 

 

 チョウの成虫は花の蜜を、幼虫は葉っぱを食べて大きくなります。トンボの幼虫はヤゴといい、池や川などの水の中で、小さな昆虫や魚をつかまえ、食べて大きく育ちます。これは、昆虫観察会で発表した一言です。昆虫は汚い、気持ち悪い、人に害があると考えている人が多いと思います。そんな昆虫たちでも数が減ることは地球に悪い事だと私は知っています。SDGsの「誰も置き去りにしない世界を目指して」という言葉の対象は人だけではありません。昆虫は多くの動物の主要な餌となり、水質や土壌の浄化を行います。それゆえ、昆虫も置き去りにしてはいけない!と私は強く思います。私が園芸高校に入学し、廊下に飾ってある標本をふと見てみると、標本箱の中にあるヤマトタマムシの標本があり感動しました。日本にもこのような綺麗な昆虫が生息しているという衝撃は今も忘れることができません。日本の多種多様な生物守りたいと思いました。

 私の活動は園芸高校に生息する昆虫の調査、ビオトープの保全、観察会の実施です。これらの活動はSDGsの17の目標のうち4「質の高い教育をみんなに」15「陸の豊かさを守ろう」の達成をめざしたものです。園芸高校には実習庭園という巨大ビオトープがあり、そこには100種類を超える樹木と推定300種類を超える昆虫、そのほか多くの鳥や爬虫類が生息しています。まさに、都会のオアシスです。しかし、現在生息している昆虫は数を減らし、それを食べる動物たちも次々といなくなっています。早急に環境教育を行うべきだと思い、私の挑戦が始まりました。昆虫観察会では8月と9月の計2回実施し、参加者は保護者も合わせてなんと100名以上の人が来てくれました。当日はビオトープ部が作成した観察を行う昆虫の生息場所や食性についてのポスターを使い、子供たちに説明をしました。観察会で紹介した昆虫はバッタ、チョウ、そしてカマキリです。子供たちが捕まえられるほど沢山の昆虫がいて、虫取り網を一生懸命に振り、観察会を楽しんでくれました。観察会の初めは昆虫が苦手で触ることもできなかった参加者の少年が観察会終了前には少しだけ昆虫を触ることが出来ていて驚きました。これは観察会を実施し、SDGsの4の目標「質の良い教育をみんなに」を提供した大きな成果です。

 しかし、全てが上手くいく訳ではありませんでした。新型コロナウイルスの影響で緊急事態宣言が発令されてしまい、学校内に子供たちを呼ぶということが出来なくなりました。しかし、部員達と話を進める中でタブレットやスマートフォンなどを使える次世代の若者をターゲットにしたYouTubeチャンネルを立ち上げれば活動を続けられるのではないか、と意見がまとまりました。昆虫観察会では参加者にしか教えることの出来なかったことがYouTube活動を始めたことによって全世界の少年、少女に昆虫の魅力を伝えることができます。コロナ禍でも環境教育がしたいと諦めずに活動に取り組んだことは16「平和と公正をすべての人に」17「パートナーシップで目標を達成しよう」を達成する大きなチャンスをもたらしてくれました。YouTubeではかんきつ類の樹木に糞や食痕があるところにアゲハチョウの幼虫がいるということを、畑に住む、夜こっそりと作物の葉を食害するヨトウムシは日中、ハクサイの下の土に潜んでいることなどを配信しました。YouTube活動を初めて、友達が家族にYouTubeの存在を広めてくれました。少しずつチャンネル登録者数が増え、多くの人に広まり、いつか全世界の人が見てくれたら、昆虫を含めた多くの生き物が地球にとって人と共に生きていく存在だと理解してもらえると私は思いました。今後は英語で話して、昆虫の紹介をしている動画も作成し、より多くの人に配信を行いたいと思っています。2021年5月から動画を投稿し、現在までの視聴回数は187回です。決して多いとは言えない視聴回数ですが、見てくれている人がいるということを前向きに考えます。昆虫が減少していると理解している人はまだまだ少ないです。私一人では破壊された生物の生息地を作り直すのは困難ですが、昆虫観察会やYouTubeを通して、命を大切にする仲間を増やしていきます。

 私は園芸高校内で、部活を通し、樹木やビオトープ管理をし、13「気候変動に具体的な対策を」15「陸の豊かさを守ろう」の達成をしています。さらに、昆虫観察会では4「質の良い教育をみんなに」の達成だけでなく、多くの部員と協力し、活動をつづけたことは16「平和と公正をすべての人に」17「パートナーシップで目標を達成しよう」の達成に繋がりました。昆虫観察会、YouTube、一見遠回りに思うかもしれませんが、学校での環境教育こそが高校生の私に出来るSDGs活動です。人も鳥も魚も昆虫も植物も誰も置き去りにしない世界を私はめざします。

 

 

 

 

 

東江萌花 神奈川県立多摩高校

 

 

 

ある企業が「美白」という表現をやめる、というニュースを見た。それを見てとてもはっとし、どうして私は気が付かなかったのだろう、と思った。私はなんの違和感もなく美白という言葉を使い、なんとなく色白になりたいと思っていたうちの一人だ。でも、このニュースによって初めてこの言葉に違和感を持てるようになった。世界には、もちろん日本の中にも色々な人がいる。性別、人種、国籍など、皆が同じであるはずがないしみんなの肌が白いわけではない。それなのに美白という白だけを美しいとするような表現を使ってもいいのだろうか。私は避けるべきだと気づいた。なぜならこの言葉によって疎外された、取り残された気持ちになる人がいるはずだからだ。色が白くないから自分は美しくないと思ってしまうことがあるかもしれない。私自身も日に焼けやすいことを若干気にしている。これはきっと肌は白いほうがきれいだと私も、世間も思っているからだ。でもこのニュースを見てそうだ、肌の色は白が美しいなんて誰が決めたんだろう?もちろん色白になりたいと思うことが悪いわけではないけれど、別に何色だっていいんだ、そう思った。

 実際に日本では以前にもこれと同じような動きがあった。2000年ごろから始まった、子どもが使うクレヨンや色鉛筆における肌色という表記をうすだいだいやペールオレンジに変える、というものだ。今ではほとんどの商品で肌色表記が廃止され、私が幼い頃に使ったものにも肌色はなかったように思う。きっと「美白」表記廃止も同じように進んでいくのではないだろうか。時間はかかるかもしれない、しかし着実に進めていくべきだ。

 最近はありのままの自分を愛そう、多様性のある社会を目指そう、といったフレーズを聞くことが増えたように思う。しかしながら実際それを実現するために何が行われたのだろうか。言うだけタダという言葉があるがそれではいけないと思う。なんとなくいい言葉、で終わらせてはいけない。ひとりひとりが自分らしく生きていけて、誰もが取り残されない世界をつくるにはまずは個人が少し周りに目を向けてみるべきだ。自分の中の「普通」のものさしで物事を測っていないだろうか。今自分が発した言葉は無意識のうちに誰かを排除していないだろうか。長いこと使っていた言葉を使うなと言われても困る、と言う人もいるだろうが肌色という名称が使用されなくなったという例にあげたように言葉は移り変わっていく生き物だ。時代や社会に合わせて変えていくべきであり、私達も意識を変えていくべきだ。若い世代の私達が誰かを取り残してしまうような言葉を無くしていくことで、これからの社会で少しでも何気なく発した言葉で傷つく人が減るのではないだろうか。誰かを傷付けよう、排除しようと意図して行動することが悪であることは明らかだが、無意識のうちに傷付けてしまうことのほうが怖いと思う。この言葉は誰かを取り残していないだろうか、話す前に、使う前に、少しだけ立ち止まって考えたい。

 

 

 

代谷優奈 兵庫県立大学 環境人間学部 宇高ゼミ 3年生

 

見えない人、見ようとしない人

 

私は何も見ようとしていないとセミナーを視聴して感じた。「SDGsの精神『誰一人取り残さない』セミナー動画」を視聴するまでは、タイトルにある「取り残される人」とはネットが苦手な人しか思いつかなかったし、盲ろう者がどのような人かもはっきりと分かっていなかった。セミナーを視聴して私は自分の無知さに気づき、今まで見てこなかった人たちや自分に初めて目を向けた。

コロナウイルスが感染拡大し、テレワークやオンライン授業がニューノーマルになり、今では多くの人がこの変化に適応している。私はこの生活の変化は新しい社会に寄り添った良い変化だと思っていた。しかしセミナーの発表者であり、全盲ろうで上肢障害・下肢障害のある福田さんの話を聞き、社会の変化はマイノリティを完全に無視したものなのだと気づかされた。「三密」は2020年の流行語大賞に選ばれたほど世間に知れ渡り、避けなければいけないものとして認識された。しかし福田さんは盲ろう者は周りの助けが必要であるため、「盲ろう者とは三密民族なのである」と表現していた。盲ろう者に世間の認識・新しい日常をそのまま強要することは、「取り残すこと」に直結するのだと知った。他にもセミナー内で、話すスピードや要約筆記、トラブルなど普段友達などと関わるときとは違う非日常さを感じた。また参加者もその非日常さにうまく適応できていないと感じた。これはコロナ前の盲ろう者の日常を知らなかったことが影響しているだろう。

私は盲ろう者の方とは実際に関わったことはないが、アルバイト先で下肢障害を持った方と関わっていたことがある。その時も、私は初めの頃その障害についてよく知らなかった。だから関わり方が分からず、初めの頃は上手く対応ができなかった。だが関わっていく中で徐々にその方について知り、上手く対応できるようになった。コロナ禍前でも、このようにハンデを持っている人について知ることは重要であった。コロナ禍になった今では、よりハンデのある人や障害について知り、自分の適応力を変えていくことが必要になるだろう。私たちにはその努力が足りていないと感じた。

次に、盲ろう者は接すると「取り残されている」と分かるが、接しても取り残されていると分かりにくい健常者について考えた。コロナの時代になってから自殺者が11年ぶりに増加していると知った。この原因の上位は「うつなどの健康問題」「経済・生活問題」「家庭問題」である。これらの原因は、虐待・DVの増加にも関係している。2020年には児童虐待の疑いの子どもは初めて10万人を超え、DVの相談件数も過去最多の約13.2万人になった。これは外出自粛によるストレスや、自宅飲酒の増加などが原因に考えられる。それに加え家族以外との関わりが減り、被害者になってしまっても相談相手がいない。さらに虐待・DV被害は家の中で起こり、外と関わるときは隠すこともできるので周りからは見えにくく、問題解決が難しい。このような人も「取り残される人」ではないだろうか。

またひょっとすると気づいていないだけで、私も取り残されているのではないかと考えた。コロナ禍になりインターンシップや説明会はオンライン化が進んだ。そうなれば当然地方の学生も様々な企業の話を聞くことができる。これはメリットのように感じる。しかし、オンライン化で参加希望人数が増加すると企業側は選考に苦労する。そこで学歴フィルターが適用され「説明会に応募できない」「エントリーシートですぐ落ちる」という事例が生じる。その他にもコロナ禍で活動が制限され自己PRの材料が無い、など就活生もコロナによる影響を受けている。

このように盲ろう者に比べれば問題の大きさは異なるかもしれないが、コロナの影響によって取り残されている人は身近にも増えているはずだ。しかし新しい生活についていくのに必死で、それに気づいていない人が大半だろう。私のように自分のことでさえ見えていないのが事実だ。それに気づき支え合えることができれば、たとえ社会制度が「取り残される人」を守り切れずとも、社会は少しずつ変化していくはずだ。

最後に、「誰一人取り残されない社会」を完璧に成し遂げることはほぼ不可能だ。だができることは確実にあるはずだ。例えばオールニッポンレノベーションの代表理事である富樫さんは、まだ大学生であるのに12歳の頃から活動を始め知識が豊富で、同じ学生として感銘を受けた。そこで私も知識を貯えたいと感じた。だから私はSDGsについての知識を増やすこと、「取り残される人」を見つけるために他者、特にマイノリティと呼ばれる人の日常を考え、自分の日常に違和感を持つことから始めようと思った。

 

 

 

春日希 フリーランス

 

 

 

話を聞いて欲しい時、いつもそばに誰かがいてくれた。その事実が、自分自身を愛することのできる私を作ったのだと思う。でも、誰も聞いてくれる人がいなかったら?

昨年秋からポッドキャストというラジオの配信を始めた。小さい頃から話すことが大好きな私にぴったりの発信方法だと思ったからだ。大きなテーマは「ありのまま生きる」。当初は一人で思いを語る形式を基本にし、時折ゲストを迎えて対話をしようと思っていたのだが、何人かのゲストを迎えていくうちに、多くの発見や学びがあった。会ったことも話したこともある相手の知らなかった過去について聞いた。相手の中に自分を見つける瞬間があったり、リモート収録ではあるものの、お互いに深いところで繋がるような感覚があった。

さらに気が付いたのは、一人一人の人生が、想像するよりも遥かにドラマチックだということである。一般的、普通、平凡といった言葉が存在する意味を本気で疑ってしまうほど、皆様々な経験をし、感情を抱き、毎日を生きている。きっと私は今まで、自分の人生を生きるのに必死で、本当の意味で他者の話を聴く機会が少なかったのだろう。

例えば私の大切な幼馴染。彼女はハーフとして生きる上での葛藤を抱えていた。これについては直接話したことはあったが、私たちの会話が不特定多数の人々に届くという状況になり、彼女はより丁寧で親切な言葉を選び、自身の心の内を語ってくれた。また、私の妹は自分がHSP(ハイリーセンシティブパーソン)であることをラジオで初めて公表し、それとどう向き合っているかを教えてくれた。

6月はプライド月間ということもあり、「もっと知りたいLGBTQ+」というテーマで4人のゲストと対談をし配信をした。ゲストたちは今の日本、世界、社会に対して思うこと、周りの人たちに伝えたいことを語ってくれた。そのうちの一人Nさんと私は一度も会ったことがなく、友人の紹介でゲストとして来てもらった。Nさんの容姿はもちろん、どんな人物であるか全く知らない状態で声だけで挨拶を交わし、Nさんの幼少期から今に至る人生について聞かせてもらった。約2時間の収録を終えた後、私はすごく不思議な気持ちになった。知らない人の人生を知って、私はその人にすごく近づいた気がしたのだ。その人を心から尊敬したし、守りたいとすら思った。そしてNさんが世界に向けて声を上げてくれたことが嬉しかった。

私が考える「誰一人取り残さない」の意味は、「誰一人ありのままの自分を愛することから取り残さない」であり、そうであってほしいと願う。コロナ禍でこれまで抱いたことのない怒りや悲しみに出会った。はじめはそれに驚き、自分の脆さや弱さを恥じたり、見えないふりをしたくなったが、そんな自分の話を聞いてくれる家族、友人、パートナーがいてくれたおかげで、嫌いだった自分の中にある部分も受け入れることができるようになった。脆さや弱さも含めて今の自分であり、自分はこの世界に一人しかいない特別な存在であると。

次は私が「取り残されている」と感じている人の声に耳を傾ける番であり、それはポッドキャストを通して着実に実行できている。そのカラフルな声たちを多くの人に届け、それを聴いてくれた人たちが他者と自分を受け入れ、愛することができるようにしたい。近くの人に話を聞いてもらえなくても、安心できる場所、心の拠り所が一つでもあればそれは実現可能であると思う。明日はどんな声を聴くことができるだろう。私はそこから何を感じとるだろう。そう考える今、私の心は希望と期待に満ちてきた。

 

 

 

 

 

山崎咲歌 病院勤務管理栄養士(25歳)

 

 

 

 私が、「このままだと、この人を取り残してしまう」と感じた経験について述べようと思う。私は病院で働く管理栄養士で、主な業務の一つに栄養相談がある。患者の疾患は然り、生活環境や習慣、経済的な制限に至るまで、患者の背景は十人十色だ。一人一人に適した実現性のある食生活改善について、評価や提案を行うのが栄養相談である。

 その患者は82歳の男性だった。嚥下機能の低下があり、誤嚥性肺炎を起こさないために退院後は食形態に配慮した食事の準備が必要であった。多くの高齢患者は、退院後の食事サポートを得るため栄養相談に妻または夫、子供などを同席させる。しかしその患者は一人だった。妻の認知機能が低下し、施設に入っていると。高血圧に対する減塩の工夫や、糖尿病対する甘いものを控えるなどの指導は、比較的シンプルかつ分かりやすい。一方で、嚥下機能に配慮した食事の準備というのは、普段料理をしない、ましてや高齢の男性が一人で実践するには大変困難なことが予測された。昨今では宅配食の種類が豊富になり、その中に嚥下食を扱っているような会社もある。ただそれらは一般的な宅配食と比べ費用が高い。「年金暮らしだから…」と躊躇する様子が伺えたその患者には、積極的にそれを勧めることは出来なかった。宅配食に頼らず市販で購入できる商品や食品選択の工夫について話したが、その患者だけに数時間割けるわけもなく、相談終了後は、この患者は自宅に帰ったらどうなるのだろう、と患者の孤独を痛感した。

 日本にはそのような高齢者が利用できる社会資源が比較的充実していると思うが、実際の利用者の精神面など、表面的には見えない部分まで考慮すると「取り残されている人」は想像以上に多くいるかもしれない。国、文化、年齢といった境界を越えて、個人として見たときに79億の多様性がある中で、「誰ひとり取り残さない」というのは極めてハードルの高い目標であると思う。そもそも「誰ひとり取り残さない」の言葉が持つ意味がどういったものか、自身なりの考えを展開しようと思う。

私が考える「誰ひとり取り残さない」の意味は、単に物事を平等に、標準化していくこととは少し異なる。もちろんそこに不平等があって良いと言っているわけではない。具体的な例を挙げてみるとする。

先日、日本人カメラマンが監督したドキュメンタリーを鑑賞した。中国の貧困層の実態について捉えたものだ。印象に残っているのは、貧困脱却のためにいくら政府が貧困層に向けた都市部での雇用を生み出したとしても、彼らが都市生活に慣れないために貧困地域に出戻ってしまうという実態だった。都市でも生活していける教養(言語や習慣など)を身につけるための教育こそが、貧困脱却の根本にあるとのことだった。

ワクチンの供給については近頃最も耳にするニュースである。ただ、インターネットや公共交通機関にアクセスできない高齢者が取り残されているといった点や、政府の定めた基準により中小企業のワクチン接種がなかなか進まないといった点が懸念されている。

この2つの例に対する解決策を打ち出したのは、政府や大企業などの大きな組織ではなく、個人であった。貧困脱却のためには教育が必要不可欠であると考えた若者が、教師のボランティアに行ったという。また、ワクチン接種から取り残された高齢者へは町の医者が、中小企業に対しては、同じ境遇の企業を取りまとめて集団接種を実現しようとする団体があるとのこと。「誰ひとり取り残さない」という目標を達成するには、政府を代表とする大きな組織などが、表面上の公平さを追求するだけでは十分でないことが示唆される。実際に誰かが取り残され得る課題を見つけてその解決のために寄り添えるのは、政府ではなく個人、すなわち私たちなのだ。

結局その82歳の患者に対しては、栄養相談の内容をソーシャルワーカーに引き継ぎ、より適切な社会資源が利用できるように調整してもらう運びとなった。その患者の目の奥に見えた孤独や不安のように、取り残され得る要因や存在に気づくことが「誰ひとり取り残されない」に対する第一歩である。そのために個人レベルでできることとして、周囲の人に目を向けてみるというのが挙げられる。家族や友人などの身近な存在から、職場の人、隣人、世界の見ず知らずの人まで、知ることや気づくことを広げていくのだ。自分たった一人の気づきなど、ちっぽけであると思ってしまうのはごく自然なことである。一方で例に挙げたように、気づくことが、取り残されずに済む人が増えるきっかけにつながるのは確かだから、私はこれからも自分なりの視点で取り残され得る存在に対して、アンテナを張ろうと思う。それをより多くの人ができたら、最終的には79億人誰ひとり取り残されない社会が実現されると信じて。

 

 

 

杉田怜英 学校法人ドワンゴ学園N高等学校横浜キャンパス

 

 

 

社会から取り残されるとはどういうことだろうか。それは主に教育を受ける、健康で文化的な生活を送るといった皆が平等に与えられた権利を貧困や障がいなどの理由から充分に享受することができない状態にあることを指す。

さて、sdgsの五番目の目標にあたるジェンダー平等は性的マイノリティに関する意味を含んでいないと聞く。どうやらこれはあくまで男女の生物学的な違いからくる社会的・経済的差をなくすためのもののようだ。記載出来なかったのは各国の宗教や法律の関係上らしいが、性的マイノリティについて「取り残される」要因が他の目標とは少々異なっているように感じる部分がある。先述した「取り残されてしまう」要因というのは貧困・男女間の物理的差・障がい等に阻まれるため、与えられた権利を享受することができないということだった。しかし性的マイノリティというのは性への考え方が少数派だというだけで障がいとは言い難い。社会の在り方と自身の性自認にギャップが生じてしまうことが「取り残される」要因と考えられ、性的マイノリティの人々は物理的要因に阻まれることがなく権利を「享受すること」はできるのである。だが与えられたものが自分にとって嬉しいものか求めてもいないものか、それは人によって違う。世間では性的マイノリティに対して「面倒だ」「我が儘だ」といった意見を耳にするが、それは「何かに阻まれるわけでなく社会的な権利を充分享受することができるのに、それを個人の事情で拒絶するのは自分勝手だ、我慢しろ」という考えから来ているのかもしれない。しかしこの問題を我慢の一言で済ませていい筈がない。では今後性的マイノリティの人々が「取り残されない」ためにはどうすれば良いのか。それに対して私は性的多数派も少数派も関係なく、私達の根底に根付いた「性」と人の関係について改めてよく考える必要性を感じている。

近年SNSの発達により表現の多様化が進んでいる。それにより性的マイノリティに対する関心は高まっているようだ。私自身SNSを通して性的マイノリティのことを知れたお陰で、どうしようも無い心の曇りに光が差し込んだ。そうして性的マイノリティの人々と関わる機会が生まれたが、その中で「性自認が定まらない、自分が結局何者なのか分からない」そんな話を耳にした。やっと自分の性が見つかった、苦しみから解放されたと思っていた私はそれを聞いて知らんぷりしていた心の小さな違和感に向き合わざるを得なくなった。私は「女らしい」という言葉で自分を表現されるのが嫌だった。しかしいわゆる「女らしい」と言われるファッション等が嫌いではなく、むしろ好きな方だった。では何処に「女らしい」を嫌う理由があったのか、そして男でも女でもないlgbtqにも当てはまらない自分は何者なのだろうか。なんというデジャヴ、この感覚は「女らしさ」に苦しめられていた頃と同じものだった。私は「女らしさ」の呪縛から抜け出したと思っていたら今度はlgbtqの中に「らしさ」を探しだし、自ら首を絞めていたようだった。そして同時に性別が何かは関係なく、「らしさ」という言葉が呪いとなり人々を苦しめているということに気づいた。

結局「らしさの呪縛」に気づいたものの自分が何者か、答えを出せず私は悩んでいた。そんな中最高で、しかし至極当前ともいえる、素晴らしい答えをくれた存在があった。

その存在はとある漫画に登場するキャラクターで私の推しだった。中性的な容姿で男とも女ともとれない推しにファンがネット上で性別論争を繰り広げるなんてことがあり、それを見兼ねた作者の方ははっきりと推しの性別を明言せずにいる。ふと気がついたのはそんな時だった。私は推しが男でも女でも私がその推しを好きなことに変わりはない、ネットの性別論争なんてどうでもよいと感じていた。なぜなら推しには性別程度で変わることのない確固とした個性があり、自分はそこに惹かれたのだから。よく男性の方が合理的、女性の方が感情的といわれるが全員そうではないし、「異性が好き」と言う人も異性なら全員好きなわけがなく苦手な異性もいるだろう。男か女か、生物学的な性別は同じものを持つ人が何億人もいる。しかし個性は一人一人異なるものを持ち、ある個性を持つ人は世界に一人しか存在しない。私達は唯一無二の個性をもつ一人に対して「同じ性別」という括り、「らしさ」を押し付けてしまうことがある。これは性的マイノリティにおいてのみに言えることではなく、例えば家庭における「夫は労働妻は家事」という概念もそうだ。誰かの配偶者という立場の人は数多存在する、だがある個性を持つ自分の配偶者はこの世に一人しかいない。唯一人、それもよく知る人なのに何故世の「らしさ」で相手のことを考える必要があるのだろうか。

違う個性を持つ人々に性別が同じという理由で皆同じように接すれば必ず違和感を感じる人がいる。しかし性別とは大勢の生きる「社会」を営む上ではなくならない基準の一つであり、現状社会の在り方を大きく変えることは難しい。私達は理不尽を社会のせいにして、自分が身近な大切を置き去りにしていないだろうか。せめて自分だけでも誰かを「取り残さない」ために「男・女だから〜」ではなく「貴方・あの人だから〜」そんな考えで家族や友達、身近な人を見ることで、必ず今より救われる人がいるはずだ。

 

 

 

宮口真緒 セントヨゼフ女子学園中学校

 

 

 

「最もひどい貧困とは孤独であり、愛されていないと思うことです」

 皆さんはこの言葉を知っていますか。これはマザーテレサの言葉です。皆さんは自分は愛されてない、自分は必要とされていない、いわゆる「取り残されてしまった」と感じたことはありますか。きっと誰もがそのように思ったことが一度はあるでしょう。私も何度かそう思ったことがあります。

 特に中学校に入ってから、常にだれかと比べられる環境にいるからか、自分に自信が持てなくなり、劣等感を感じるようになってしまいました。

 例えば、テストで悪い点を取ってしまった時や忘れ物をして他人に迷惑をかけてしまった時に、「みんなはできているのに何で自分だけできないのだろう」と自己嫌悪に陥ってしまい、自分自身に腹が立ち、心の中で「自分はなんて愚かな人間なんだ」と自分を責めてしまうことがたくさんあり、悩みを抱えるようになりました。

 思い切ってその悩みを周りの大人に相談したことがあります。

 すると、「甘えるんじゃない」とか、「誰にでもそういうことはあるのだからもっとしっかりしなさい」などという言葉が返ってきました。

 その言葉を聞いて、「自分は本当に愛されているのだろうか」、「だれも私のことを分かってくれない」と感じてしまい、自分の殻に閉じこもるようになってしまいました。

 なるべく前向きなことを言い、明るく振る舞うふりをし、毎日心とは裏腹な作り笑顔をするようになり、悩みがあっても、傷つけられるのを恐れて相談することもできなくなってしまいました。そして、自分は何のために生きているのだろう、と思う日々が続くようになりました。

 そんな私を変えてくれたのは、私の通う学校で年に一度行われる「修養会」でした。修養会とは、神父様やシスターの講演を聞きながら、自分自身を振り返るために設けられた時間のことです。

 去年の修養会で、一人のシスターが優しい声でこう話して下さいました。

「自分は愛されていない、必要とされていないと感じている人はたくさんいると思います。私もそうでしたから」

彼女も私と同じくらいの年齢の頃、私と同じように悩んでいたそうです。彼女の父親は気難しく、隣にいるだけで緊張するような人で、母親はあまり家にいなかったので、家族に悩みを打ち明けることができなかったそうです。そして、あまり勉強も得意ではなく、自分と友達を比べて、自分自身の価値をいつも低く感じていたそうです。

しかし、彼女は聖書を通して「私たちに命を下さった神様は私たちを愛しておられる」ということを知り、愛されている自分を見つけることができるようなった、とおっしゃっていました。そして、「あなたを愛しているお母さんがいて、お父さんがいて、家族がいたから、愛しい、かけがえのない命があなたにはあるのですよ」と素敵な言葉を下さいました。

 私はこの言葉を聞いて、自分はだれかにとってかけがえのない存在なのだということに気付かされました。

 生きていれば、「私だけが取り残されてしまった」と感じて焦ったり、落ち込んでしまうことがあるでしょう。けれども、私たちが生まれ、生きてこられたのは家族の存在や心を育んで下さった先生や友達がいたからです。決して一人ではなかったのです。

 私がそうだったように、一見明るく振る舞っているように見える人でも、心の中は孤独で、周りから取り残されているように感じている人はたくさんいるでしょう。私は、そのような人たちに救いの手を差し伸べることができるような人間になりたいです。

 

 

 

ルドラ摩耶 関西大学

 

 

 

「新型コロナウイルスの始まりは中国だから、中国の製品を買うのをやめよう。」私は、このような類似の言葉を聞くと悲しくなります。

私は神戸の国際色豊かな場所で生まれ、生活してきました。実際に私の父はインド出身で、小学生の時は周りにハーフの子や他国籍の子も多く、通っていた小学校では独自の“ふれあいフェスティバル”という企画がありました。この企画は他国籍またはハーフの子たちのお母さん、お父さんが先生として楽しく母国の国を紹介するというものでした。そのため、宗教上の規則や文化の違いによる偏見の目はなく、小学生のうちから世界の違いに”ふれる”ことが出来たのは大きかったと思います。

小学生の時からのある友人は両親ともに中国出身で2年生の時に中国から転校してきました。彼女は日本語を徐々に勉強しながら周りと仲良くなり、5年生の時には日本語を上手に喋れるようになっていました。高校からは彼女は中国に行くことになりましたが、今でも交友関係は続いています。

しかし2019年末ごろ、新型コロナウイルスの感染が始まりました。メディアの報道で中国の武漢から発生し、感染が拡大したことが大きな話題となりました。2022年現時点での世界の感染による死者数は370万人近くにのぼり、至る所でコロナウイルスの脅威を目にしたと思います。そんな中、やはり浮上してきたのは中国に対する悪いイメージです。アメリカの前大統領のトランプ氏がコロナウイルスを「Chinese virus」と表現したことが促進剤となり、アジア人への差別が世界的にも問題視されています。そんな毎日のように流れる新型コロナウイルスの関連ニュースを目にするたびに中国に住む友人のことを思い出しました。中国人もカナダ人も日本人も、みんな同じ人間なのにウイルスの発見が武漢というだけで中国に対する世間の目は冷たい、これだけ日本の社会でもグローバル化という言葉が根付いているのになぜ中国を敵対視するのか。日本は先進国である以上、グローバル化の本当の意味を考えなければいけない時にあると思います。日本に住んでいる外国人のうち中国の方の割合が最も多く、日本の経済を一緒に支えています。そんな彼らに非難の言葉を放っていいのでしょうか。言葉は時として刃物になります。相手が自分の身近にいなくても、発言・報道の仕方には注意を払うべきです。実際、大学1年生の私は授業の一環で中国からの留学生と話す機会がありました。彼女は、日本に来たばかりで友達もできないまま“大学”で学べないことに不安を抱いていました。もう2年近く本国に帰れていないということもあり、最初の方はかなり孤独を感じていたそうです。アルバイトをすることもできない、実際に大学に行って学ぶこともできない、こうした大学生の現状も彼女の話から生で知ることが出来ました。こうした留学生や若い人たちのサポートをもっと充実させるべきだと思います。日本の社会でも失業者の割合は1975年のオイルショック以来の大幅低下と大きな影響が出ています。その中には大学生も含まれています。子どもと大人の間にいる〝私たち″にも目を向ける必要がある、その声を聞き逃さないでください。

 

 

 

齋藤杏月 鎌倉市立小坂小学校 6年生

 

 

 

私は、なぜ取り残される人がいるのだろうと疑問に思いました。そのように考えたきっかけは、私の学校は、障がい者の方々に適していないからです。

 

 その原因は、障がいを持つ人が暮らしやすい環境ではないからではないかと考えています。なぜそのように考えたかと言うと、私の通う学校のスロープは、急すぎてブレーキがきかず、校内には、階段しかないからです。車椅子だと、校庭に入れたとしても、段差になっているので、校庭から校内に出ることが出来ません。また、校庭だけではありません。階段を登る事ができたとしても、教室へ入る時には、少しの段差があるので教室に入るのも一苦労です。特別支援学級が、二階にあるので、車椅子の方がきた時は、二階に上がる事ができず、一階にいるしかできません。しかも、視覚障がい者の方々にも適していないのです。つまり、障がい者の方には適していない学校なのです。そこで、その問題を解決するための改善点を考えました。

 

階段しかない場合には、広いエレベーターを設置するべきだと思います。そうすれば、大きい車椅子の方でも、一階から上の階まで行く事ができます。車椅子で校庭に行くには、少し広めでゆるやかな坂を作るべきだと思います。広めの坂なら幅の広い車椅子でも出入りできるからです。教室の出入り口の少しの段差は、ゆるやかにすればいいと思います。車椅子でも、ゆるやかにすれば、教室に入れると考えました。特別支援学級が、一階になれば、車椅子の方でも友達と遊べ

 

学校生活が過ごせると思います。しかも、視覚障がいを持つ子供のために学校のスロープのところに点字ブロックを設置するといいと思います。視覚障がいを持つ子供も、安心することができると思います。

 

 うまく発表ができない人もいます。この間、算数の授業中に分数のかけ算の勉強をしました。その時、問題が解けた人は、黒板に書いてと先生に言われて私は黒板に書きました。でも、発表が苦手な子は、問題を理解して解けているのに発表があまり得意ではないので、書くことができないと言っていました。その原因は、答えがあっているか不安だからだと思います。なので、答えがあっている自信がある問題であれば、平気だと言うことです。つまり、人それぞれ発表が得意な人、発表があまり得意ではない人、好きな科目発表などができても、嫌いな科目発表ができないなど、それぞれ個人差があっていいと思います。

 

 私にも苦手な事があるので不安な気持ちが分かります。私は、理科の授業が得意ではありません。実験は好きだけど、知識がないので理科の授業中発言したくないです。でも、体育、算数、図工、総合、音楽などはとても好きです。なので、教えたり、説明したりしたくなります。このことをきっかけにたくさんの知識を社会に生かしたいです。

 

 

 

 

 

古泉修行 

 

 

 

 理性を失うほどの口渇に耐えられず、水たまりに顔を突っ込んで泥水を飲む少年に出会ったのは、小学4年生の春だった。日本とあまりにもかけ離れた途上国の生活を知るきっかけとなったその写真に、僕は強い衝撃を受けた。

 以来、自分にできる活動を行っている。SDGs初年の2016年にニューヨーク国連本部で研修を受けてからは、SDGsの啓発活動に力を入れてきた。そして2018年、当事者の視点からしか見えない途上国の現状を自分の目でも見たいという強い思いで訪れたカンボジアでの体験が、僕に大きな影響を与えた。

 カンボジア・プレアビヒア州は、最貧地域に分類される。村には水道設備がない。生活用水は雨水を溜めるか、子どもが遠く離れた川に水汲みに行くことで得る。汚染された水は住民の健康を脅かし、水汲みの時間は子どもたちから学校に行く時間を奪っていた。

 僕が同行したのは、半永久的で衛生的な水源となる井戸を建設する取り組みの事後視察。SDGs目標6の達成を目指すものだ。井戸は、プレアビヒアの1300世帯中295世帯に日本の寄付金により建設された。

 初めて水源を与えられたとき、日本人であれば一丸となって活用法を考える。農業の普及を図り村の発展につなげるなど、支援を最大限生かす努力を行う。しかし現地では、住民間に期待された能動性は生まれなかった。水は井戸を手に入れた住民のみが使用し、その他の住民が水汲みに行く現状は変わらなかった。助け合う発想、生活向上への意欲や知恵を、現地住民は有していなかった。それらの原因は水問題以外に存在する。例えば教育の欠如が、問題を深刻にしていると感じられた。

 この様に多くの問題は単独で存在するのではなく、複雑に絡み合い、更に新たな問題をも生み出していることを実感した。一つの問題に固執しない、多方面からの支援が必要となる。

 命の危機に面し、人間らしい生活を送ることができない「取り残された人々」は、プレアビヒアにとどまらず、世界に多く存在する。しかし、地球に生まれたからには皆平等。すべての人が幸せに生きられたらいい、と僕は強く思う。当時13歳の僕は、自分にできることは何か、考えた。そして、日本で仲間を増やすこと、多方面の問題解決方法を網羅するSDGsを普及し、浸透させることを決意した。

 2020年、僕は「SDGsタグ」を開発した。SDGsに取り組んでいることを表明するSDGsバッチを、幅広い年代に合致する形に変えた。ラゲージタグの要領でリュックやバックにぶら下げる。このタグの特徴は、透明ケース内のカードに自らの手で自身の特技や取り組みを描き、その活動がSDGsのどの目標に当てはまるかを考え、目標番号も記入するというところ。つまり、新たにSDGsに対しての取り組みを考えるのではなく、今まで生活の中で行ってきた活動自体を実践項目とするのだ。節電や節水はもちろん、売り上げの一部が生産国に寄付されるチョコレートや、森林保全につながる飲料水などの商品を購入するなど、直接アクションを起こさずとも途上国支援につながる行為も日常にはたくさんある。

 また、SDGs初心者でもわかり易い説明と日常生活で取り組める事例などを載せたマニュアルも作成し、タグ裏面のQRコードから読み込めるようにした。タグ作成により、日常生活がSDGsに実は密着していることを学ぶことができ、同時にその実践項目は持続的に無理なく続けることができるのである。バックにつけて表明することで、自身の行動に責任をもつことにつながり、コミュニティも生まれるだろう。一人の力は小さくても集団の力は偉大だ。一人一人が、SDGs達成につながる価値ある行動を意識し、それを互いに共有することで協力体制もでき、多種多様の支援が生まれる。まずは、地元新潟で。その継続が、地域社会から国へ、そして世界におけるSDGs達成へと導かれる。

 SDGsタグは地元新聞に取り上げられた他、ホームページを作成したことで関心のある人が手にしてくれるようになった。そして今年度、僕は、このタグの真の意義を発揮すべく、小中学生への普及を行うことにした。子どもたちが持続可能な社会作りの担い手として自ら成長していくために、タグがきっかけとなると考えた。また、生活スタイルが確立された大人と違い、子どもは身近な暮らしの中にSDGsを柔軟に取り入れて行動することができるからだ。

 僕は、お世話になった先生方が勤務する学校を訪ね、自らの熱意をアピールした。僕に賛同し、応援するよと言ってくださる先生が増え、県内の小中学校から出前授業の依頼も来るようになった。多くの子どもたちがSDGsを理解し、積極的に取り組もうと思える授業を志し頑張っている。

 僕の活動は小さな一歩だ。今後も、持続可能な地球の未来を考えて行動する多くの仲間を作ることを目指して活動し続ける。継続が必ず世界を変えると確信するから。

 

 

 

川田千楓 中道中学校 3年生

 

 

 

「誰一人取り残されない」とは「取り残される人がいない」ということであり、子どもやお年寄りといった社会的弱者といわれる人が取り残されえる対象で、私たちはそういった人達を助ける役割をもっていると思っていました。しかし、コロナ渦で社会全体が大きく変わり、人と交流することが難しくなり、中には仕事を失う人もいます。誰もが「取り残される人」になる可能性があるのではないかと思います。「誰一人取り残されない社会」それを実現する方法の一つとして、そこで私は現在私が参加している「じ・ば・このおうち」のような活動を提案します。人間には自分の「居場所」を見つけることが大切だと考えるからです。なぜなら「居場所」は他の人たちと交流する場でもあり、自分がありのままの自分でいられるからです。

 

 その理由の一つは「じ・ば・このおうち」には高齢者から子供まで色々な年代な人がいることです。そして、何か意見を言ったらそれをちゃんと受け止めてくれます。そのため、私はこの「じ・ば・このおうち」のような活動に参加することでありのままの自分でいることができ、自分というものが何か分かることでいいと感じることができます。「じ・ば・このおうち」とは「じいちゃん」「ばあちゃん」「こども」のおうちをモットーとしている世代間交流を目的とした場です。「じ・ば・このおうち」は平成27年11月に活動を始めました。また、学生がより地域に密着し、福祉やまちづくりの学習ができる交流拠点施設として機能してきました。この活動に初めて私が参加したのは小学二年生のときでしたが、「じ・ば・このおうち」の活動は小学生とお年寄りの2世代にだけに向けた活動が多かったので、私も当時できたばかりの「じ・ば・このおうち」の活動に参加しました。「じ・ば・このおうち」は場所を借りることもありますが、基本的にはおうちの中で行うことになっています。そして、初めて参加して私はとても驚きました。何もかもが新鮮でした。普段見慣れない大人や大学生や、会ったことのない小学校の子供たちがとてもわくわくしていて、私にとっての「初めて」がいっぱいでした。学校とも児童館とも違うこの場所を私が好きになるのは時間がかかりませんでした。そして、「じ・ば・このおうち」が私の居場所になりました。親とうまくいかない時や友達とのずれを感じているとき、勉強が息詰まったとき「次のじばこを楽しみにしよう」と思ってがんばってきました。しかし、「じ・ば・このおうの活動が年数がたつにつれて減少していきました。理由は少子高齢化が進んだことや活動のちマンネリ化があります。また、それに加えて子どもの数も減少していきます。そして、コロナで感染者が増えていくことも追い打ちをかけて2020年度のおうちでの活動は約3~4回になっていました。そんな時にネットで野毛坂グローカルを見つけました。そして、色々な人の話を聞いていくうちにその時ふと思ったのが「自分たちの居場所を奪われたり、追われかけたりしている人がたくさんいるのではないか」ということでした。そして、私は一人一人に自分でいられる居場所があることが大事だという考えを自分の中に持ち始めました。

 また、この居場所は自分の意志で行き続けることが大切だと考えます。なぜなら、誰かに強要されていくことはありのままの自分ではいられないと考えるからです。例えば、私は親に勧められて「じ・ば・このおうち」へ一回参加してみることを決めましたが、その次の活動からは自分の意志で参加することを決めました。ありのままの自分でいることでその自分を受け入れてくれる一生の友達ができるかもしれません。そして、自分で居場所や物事を決めることができるということは後悔もないし、もし失敗したとしてもそこから学ぶことができます。このように物事を自分で決められるようになれば責任感もつくのでやりたいことをするにはどうするかよく考えられるようになります。

 私には今も社会の中には同調圧力のような空気を読むことを重要視しているような問題があるうよに見えます。この社会の中でありのままの自分をさらけ出すことはとても難しいことのように感じます。一人一人の個性を認められる居場所を作ることでようやく「だれ一人取り残されない社会」の基盤ができると考えてます。私がかつて救われた場所が次はだれかの救いの居場所になることを信じています。

 

 

 

 

 

淺野智博 羽島市立竹はな小学校2年生

 

よいところみつけて、はなをさかせよう

 

ぼくは、しょうがっこう一年のとき、がっこうがいやで、よくやすみました。でもいいなとおもったところをしょうかいします。ぼくのしょうがっこうでは、おともだちのよいところをみつけるようにしています。よいところがみつかったら、そのおともだちにかみに、「ありがとう」のてがみをかきます。ぼくもことしは、いっぱい、このかみをもらいました。「いつもげんきにあいさつしてくれてありがとう」「はなしかけてくれてありがとう」「もくもくそうじをしてくれてありがとう」こんなポカポカことばのてがみをもらうとぼくはとてもうれしいです。いえにかえって、おかあさんにみせると、「すごいね、いっぱいもらったね」とほめてくれます。ぼくは、このてがみに、ひとつぶのはなのたねをくっつけたいとおもいます。

ぼくは、1ねんせいのなつやすみに、おねえちゃんといっしょに、がっこうしんぶんをつくりました。テーマは、「ちきゅうのねつをさげよう!」です。まちのひとなど190にんに、ちきゅうのためにやっていることを、アンケートでとりまとめました。そのときに、おてんきキャスターのおねえさんは、「グリーンカーテンをつくっているよ」とおしえてくれました。しょくぶつや木をうえることは、ちきゅうさんのねつをさげることがわかりました。だから、ぼくはおともだちのよいところをみつけて、おはなもいっしょにさかせたいとかんがえました。よいことをしたごほうびに、たねがもらえて、いえのにわが、きれいなはなで、いっぱいにきれいなるといいなあとおもいました。そうしたら、いえのちかくにいっぱい、おはながさいていたら、さんぽするのが、たのしくなっていいなあとおもいました。

 

 

 

矢野詩 鎌倉市立小坂小学校 6年生

 

 

 

 私は物事がうまくできなくて 、取り残されることがよくあります。取り残されていると思う時は、計算の答えが他のみんなと違かったり、自分のやっていることが周りと違かったり、遅かったりすることがあります。周りと違うと心配になったり、なんで遅いのだろうか、自分が間違っているのかなと思うことがあります。また、なぜこういった事が起きるのはどうしてだろうと考えたこともあります。このように、周りと違い取り残されてしまうのは、自分だけに起こることではないと考えます。もしかしたら周りが取り残されてるかも知れません。そこで、私が考えるのは自分が取り残されてしまう理由や、自分や周りが取り残されていた時どういった行動をとるのが良いのか、どういった考え方をしたら良いのかについて考えてみました。

 では、最初にどうして自分が取り残されてしまうのかです。考えられる理由としては、自分が思い込んでいたり、決めつけているからかもしれません。「前はこれで良かったから」や違った解釈したまま、考えずに進めてしまうと取り残されてしまうと思います。そうすると、周りはちゃんと理解したその上で考えて行動しているけれど、自分は違う意味で受け取り「もしかして違うかな」と疑うことなく物事を進めてしまうことで取り残されてしまいます。なので、物事や言動に対し一度考えずに疑うことなく、思い込みで進めてしまうことが自分が取り残されてしまう理由の一つだと考えます。では、この時自分はどうしたら良いのかを考えました。取り残されないためには、思い込んだり決めつけたりしないことが必要だと考えました。なぜなら、思い込んだり決めつけてしまうことで違った解釈が生まれてしまうことがあります。また、決めつけることで新たな考えをすることができなくなってしまうかも知れません。なので、思い込んだり決めつけないことが必要と考えます。

 次に、思い込んだり決めつけていて取り残されているとは別の、スポーツや持っている物など個人差のあることをする時に、取り残されている時の自分の行動や理由について考えました。最初に、スポーツをしている時や絵を描いているなどをしている時に、取り残されている理由考えました。まず一つ考えたのは、個人差があるからではないかと考えました。なぜかと言うと、スポーツや絵を描いたりするのは得意、不得意があるので「自分はこれが得意だけど、あれは得意ではない」ということで個人差が出ているからではないかと考えたからです。では、個人差が取り残されている理由なら個人差をなくすことで取り残されないのではないかとも思いました。ですが、個人差は人によるものなので、完全になくすことはできません。そこで考えたのは、練習をすることが良いのではないかと考えました。練習をすれば、少しでも上手く物事に取り組むことができるので練習することは一つの方法だと思いました。けれど、得意不得意があり取り組むことが苦手かも知れません。なので、その時の行動を考えました。取り組もうとしていることが苦手だったら、自分は努力せずそのまま行動しないと思います。そうした時、必要なのは努力することだと考えます。前の文章にもあるように「努力せずそのまま行動しない」のなら努力して行動すれば良いと思い必要だと考えました。

 最後に、自分や周りが取り残されていたらどうするかです。自分が取り残されてたら前の事例にもある通り、物事や言動を一度考えてから取り組んだり、スポーツや個人差で取り残されていたら練習したり努力すれば良いと思いました。他に考えたのは、周りに聞いて一緒にやってもらうことも一つの解決策だと思います。ですが、自分とは違う周りが取り残されていたらどういったことをしてあげたら良いのか、相手がどうして欲しいのかは分かりません。そうした時、相手の立場だったらどうして欲しいかを考えたその上で自分の周りに取り残されている人がいたらどのような行動を取るか考えました。考えた結果、周りが取り残されていたら自分から相手に声をかけてあげることで助けてあげることができると考えました。

 これまで、三つの事例を挙げました。その内の、一つ目の事例と二つ目の事例は自分の実体験で、そこから思ったのは自分から取り残される理由をつくっていることです。これらのことから、大事なのは自らが行動することだと考えます。それは、周りが取り残されている時も同じです。周りに取り残されている人がいたら、自分から声をかけて助けてあげるのも大切です。もし、自分が取り残されていると感じたら一度考えてたり周りに聞くなどをするのが良いと考えました。なので、自分がその場面に出くわしたら前の文章にある通り一度考えたり周りに聞いたり、努力することや周りに取り残されている人がいたら声をかけて助けてあげてみたら良いと思うのでやってみてください。

 

 

 

品川七海 横浜国立大学 3年生

 

 

 

 「自身が取り残されていることに気が付いていない人」は、「取り残されている人」なのでしょうか。私はそういった人々は、「取り残されている人」であると考えています。私が関心を抱いている「取り残されている人」とは、教育の地域間格差に直面している中学生・高校生です。

 私は昨年から、教育の地域間格差に取り組む、学生団体タルトタタンのメンバーとして活動しています。学生団体タルトタタンは、「どんな環境に生まれても、自分がしたいと思う将来選択をしてほしい」という想いを込め、「自分らしく生きるための環境づくり」をミッションに活動しています。解決したい課題は、大学進学に際して地域によって生じる、大学受験の課題と将来選択の課題です。私たちは、大学に行くことが誰にとっても良い選択であるとは考えていません。大学進学に対し感じる価値は、当然個人によって異なると考えています。私たちが問題視することは、「目指そうとしても十分な環境がないこと」「進学が選択肢として十分に提示されていないこと」です。これの是正のために活動をしています。

 昨年度私たちは、たった9人で活動を開始しました。今年はメンバーが総勢23人となり、2つの企画と4つの運営を設け、各自1つ以上の企画と運営に所属し、それぞれ活動をしています。1点目の企画は地方学習塾でのオンライン学習支援、2点目の企画は地方の高校での具体的な活動案の作成です。これらの他にも、各種SNSを通じて地方の高校生や中学生の日々の学習や受験に役立つ情報の発信、教育に関心を持つ大学生やそのコミュニティとの交流などを行っています。

 私が教育格差に関心を抱いたのは、自身の大学受験に際して経済的な不利を感じたためです。私は都立の中高一貫校の出身のため、周囲の友人はほとんどみな大学受験のために通塾をすることができ、私立か国立か、都内か地方かに関わらず好きな大学を受けることができました。一方私の家庭は経済的に余裕がなかったため、通塾をすることはできず、国立大学のみしか受験することができませんでした。更に遠方の大学を志望していたため、現地までの旅費や宿泊費を、アルバイトをして稼ぐ必要がありました。当時の私は、「どうして私ばっかりこんなに苦労しないといけないんだろう……」と思い、大きな不安や悲しみと同時に、憤りすら感じていました。そして、「中高一貫校に入ったから周囲との差異を感じて、こんなに不利な想いをするんだ。地元の公立中学に入学していればこんな思いをすることはなかったかもしれない」と思うようになりました。

 しかし大学生になってから気が付いたのは、自身と同様に、あるいは自身よりも大きな格差を感じながらも大学進学をした人々の存在でした。

「そもそも中学や高校を選ぶことができない」

「予備校がない、参考書を買う本屋もない……」

「受験を意識する時期が遅くなってしまう」

 そうした困難を乗り越え、大学進学を果たしたメンバー達によると、「自身が不利だったことを大学生になってからより強く実感する」といいます。自身と異なる環境で高校以前の学生生活を送り、自身と同じ大学に通学する他者。その存在に触れることでより明確に、自身の置かれていた環境を相対化することができたといいます。

 最近では、地方の出身で国内外の有名大学に進学したり、何かの分野で卓越した成果を残したりした高校生がよく話題になるようになりました。そして彼らの口から「地域間の教育格差」について語られることも増え、「出身地域が原因で取り残されてしまう人」の存在はある程度顕在化したと言えるのではないでしょうか。そして、それ以前までは自身の置かれている環境を不利だと感じることのなかった人々の目にその情報が触れることで、新しく「自身は取り残されているのではないか」と気づく人は増加するのではないでしょうか。

 自身が「取り残されている」と気が付いた人は、声を上げたり行動を起こしたりすることができます。それの手伝いをすることも、もちろん重要です。それでは、「自身が取り残されていることに気が付いていない人」……「相対的に不利な環境にいるにも関わらず、そのことに気が付かないまま自身の可能性や選択肢を狭めてしまっている人」は「取り残された」ままで良いのでしょうか。私は良くないと考えています。そのため、「自身が取り残されていることに気が付いていない人」の存在を発見し、掬い上げることで社会に、格差の是正に貢献することができるような大人になりたいと考えています。そしてゆくゆくは社会のシステムが、「自身が取り残されていることに気が付いていない人」を無くせるような完成度の高いものにしたいと考えています。

 

 

 

 

 

徳久竜馬 ブラジル‐サンパウロ州 コロニアピニャール日本語モデル校

 

他の国から来る「仲間外れ」

 

 「仲間外れ」って、何なのでしょう。

 もし、自分の仲間ではない人を全員「仲間外れ」と呼ぶのであれば、それは自分の仲間でない世界の数十億人が「仲間外れ」ということになります。

 「仲間」、と一概に言っても、様々な仲間が存在します。友達仲間、親戚仲間、地域仲間や同職仲間など、様々あります。

  そして、「国民」という国の民族も、ある一つの「仲間」だと考えることができます。すなわち、アメリカ人、ブラジル人や、日本人でも、国民という民族は、大きな「仲間」ということになり、また、その「民族仲間」というのは、世界に存在する最も大きい「仲間」ということになるでしょう。

 国民や民族という「仲間」は、同じような考え、同じ常識を持ち、同じ法律に守られています。そういった「仲間」の中に、別の国からやってきた人がいるならば、その人は、その民族の「仲間外れ」となります。

 それこそが、「他の国からくる仲間外れ」です。

 日本だけにとどまらず、どの国でも、民族という仲間が、別の国からやってきた「仲間外れ」を取り残すのは、起こり得ることです。自分も、父も、そして祖父母も、その仲間はずれと呼べる境遇にいました。

 外国では「日本人だから」として見られた自分、日本では「外国人だから」として違う視点から見られた父、そしてブラジルでは「移民者だから」として国民とは別の概念で祖母は見られてきました。それでも、自分も、父も祖父母も、社会に取り残されないように尽力してきました。

 しかし、どれだけ取り残されないように頑張ってきたとしても、自分たちがブラジル国民の仲間外れであることに変わりはないと感じています。

 なぜある国に「別の国の村」ができてしまうのか。

 自分が未だにブラジル民族の仲間ではないと感じたのは、そういう外国人村の存在意義を考えた時でした。なぜ日本に「外国村」があるのか。なぜ外国に「日系村」があるのか。

 それに対する自分の考えは、「仲間外れ」同士が自分たちの「仲間」を作りたいから出来てしまった村、それが「外国人村」なのだと結論付けました。

 そして、自分がブラジル民族の仲間外れだと感じるのも、このような「仲間はずれの仲間」にいるからなのだと考えました。

 そう考えると、「誰一人取り残さない」というのは不可能に近いことなのだな、と、感じます。誰かを取り残し仲間外れができてしまうのも、起こるべくして起こってしまい、人間が作る社会に仲間というものが存在する以上、どうしても「仲間外れ」というものは出来てしまうのではないでしょうか。

 しかし、解決の糸口が無いとは思っていません。自分たちが仲間外れでなくなるというのは難しくとも、互いに「違う仲間」である概念の「壁」を壊すことは出来ると信じています。要するに、差別概念を「壊す」ことはできる、ということです。

 ある人は、ブラジルに来た時、そういった民族間の疎外感を感じることが多々あったそうです。しかしその人の子供は、そういった疎外感を感じることなく大人になったと、話していました。これは、友達の親の話で、日本人同士の子供がブラジル民族の「仲間」となれたとも言える話です。

 その親は、自分がその国の民族の「仲間外れ」であり、いわゆる日系村の「仲間」だったにも関わらず、子どもに対しては、仲間同士の壁を壊し、自分の子供をその国の民族の「仲間」にさせる事が出来たすごい人だと感じています。

 更に、この題に関してとても感銘を受けた作品があります。それは誰もが知る作品、尾田 栄一郎の「ワンピース」という作品での描写、人間と魚人の種族問題です。そこでは、何百年という歴史をかけて魚人と人間という種族は争っていました。

 作品内では、魚人が人間を恨み、人間が魚人を蔑む中で、 魚人と人間の共存を願っていた人は「(この恨みを)子供たちだけには伝えないで…」というシーンが描かれていました。ここは、「自分たちはその種族を恨んでもいいけど、自分達は種族間で争っていてもいいけど、次の世代の子供には、各々の考えを持たせて欲しい」という想いを、作者が伝えたかったシーンだと、自分は直観しました。

 そういった考えの中で、今、仲間外れというものを減らすために我々ができることは、次の世代、自分たちの子供に「自分達はあの人達と違う仲間だ」ということを、伝えないことではないかと思います。

 黒人、白人、金持ち、貧乏。性格や宗教。そういった様々な違う仲間がいる世界で、自分たちの次の世代、子どもや学生などに、

「あの人たちは仲間外れでもないし、仲間でもない。誰が仲間かは、自分たちで考えてくれ」

と、伝えるのが、未来に最も希望が持てる正しい伝え方なのではないか、と信じています。

 冒頭で「仲間外れとは何なのでしょう」と問いかけました。これについて自分の考えを述べるならば、「仲間外れ」とは、自分と他人の間に壁を作るだけの、本当はいらない概念なのではないでしょうか。

 

 

 

藤平一寿 桐蔭学園高等学校

 

 

 

家に帰ると父がいなかった。当時、社会を何も知らない私にとってなぜ居ないのか全く理解ができず、サプライズか、どこかへ出かけているのか、様々な憶測が私の頭の中を飛び交った。しかし何日経っても父が家に帰ってくることは無かった。

私は小学4年生の時に手術を有するほどの骨折を負った。それまでの私の家庭は、【父が働き母が主婦】という一般的とされているものだった。しかし私が入院してから、母も父も妹も「私の為の生活」を余儀なくされた。母は2ヶ月という長い入院に伴う高い入院費と手術費を賄うために働き始め、父は毎朝料理を作って私の病室へやってきて私があまり好きではない病院食の代わりを提供してくれた。そして妹は学校終わり疲れている中毎日病室に通いつめ、寂しい気持ちを少しでも紛らわせようと努力してくれた。これらのこともあり、自身の時間を持つことが少なくなった家族は、【自由な時間】という選択肢を制限され心に余裕を持てない日々が続いているのが見て取れた。そしてついに退院したが2ヶ月もベットに寝たきりだったためリハビリがその後半年ほど続いた。そしてリハビリ期間中に母に尋ねた。「なんでパパは居ないの?」その言葉に母の表情は一変し、一言告られた。「もうパパは帰ってこないよ。お別れしたの」当時14歳ながら全く理解が出来なかった。周りに父親がいない家庭なんて当時は聞いたことがなかったし、父と体を動かす日々が私にとってかけがえのない時間であったのは当時からずっと実感していることだ。その後私立小学校に通っていた私は、受験シーズンに差しかかるも心のーどこかで何かが欠けている感じがして勉強に身が入らず中学受験に失敗した。周りの生徒たちは次々に合格の報告を先生に伝える中、私は1人、卒業まで合格報告をすることが出来なかった。周りと環境が異なり過ぎる私は自分自身を表現することを避け、なるべく目立たないように、でも周りから遅れを取らないようにと人の目を常に気にして生きてきた。しかし高校に入学しサッカー部に入部した私は、ピッチ上で自分自身を表現しなければ試合に出ることが出来ない、自ら選択肢を経つことに繋がるということを実感した。

 

そのような中親の仕事の関係でカンボジア人の女性の友人ができた。彼女と様々な話を重ねる中でカンボジア人貧困者には親の経済的理由や家柄によって【選択肢】が制限されている現状を知った。私たちの当たり前が当たり前にできないことを知り、ある意味『世界から取り残された』彼女たちが私のバックグラウンドと多少なり重なる部分がありそのような【選択肢を制限された人々】を1人でも多く救いたいと思うようになった。

 

そして私は東南アジアへの物的支援を寄付という形で何度か行ったが、様々な文献を見るとひとつの疑問が私の中で生じた。それは何年も寄付を受けているのにもかかわらず一向に成長を感じられなかったことだ。自分たちで国を治める、国を作っていく力が明らかに足りていないカンボジアで、物的支援より教育や知識など学問や哲学的力が足りていないのではないかと考えるようになった。しかし、現在日本から学校等設立されているが経済格差が顕著に現れている現状がある。地理的問題もあり、通学に歩いて1時間以上かかる子もいれば学校に通うためのお金すらない子だって沢山存在する。ひとつの例として、学校給食が無料で食べれるから無理をしてでも子供を学校に通わせる家庭すらあるという。

 

このようなSDGsの①、②、④、⑥が密接に絡み合い複雑な問題を生み出している中で、私は1人でも多くの【世界から取り残された】貧困者を救うべく、現地で哲学的教育や自治ができるような力を養う知識を与える人間になりたい。

 

 

 

komaki haruna 京都大学 修士1年

 

 

 

たったこの数年で、巷の商品はSDGsを意識したものが本当に増えたと感じる。オーガニックを謳う化粧品や食材も目立つようになった。ファッション誌でも「エシカル」の文字が踊り、そうした製造過程や素材がトレンドとして取り上げられている。良いことだと思う。

それでも、掲げられ、目指す目的としてのSDGsは、少なくとも日本では、流行りの一つに思えてしまう。どんどん広まって、一般的になってほしいが、どうも上滑りしている気がする。

 余裕がある限りは、有機栽培の野菜や果物を買うようにしている、と言うと、まだまだ「意識高い系」のように見られる。偉いねだとか、考えてるねと(実際考えているのは事実だが)言われる。ひとつの選択肢として「当たり前」と反応されることはまずない。決して、金銭的にめちゃヨユウ、というわけではないのだ。袋菓子を買ったり、月に数回の外食をしたりしなければ、良い食材が買える。すべて作れば、料理は買うよりずっと安い。

 SDGsというワードが世間に流布するよりはるか昔の20年前でも、我が家に合成洗剤はなかった。香料も何も入っていない固形石鹸があるだけ。慣れてしまった人にはわからないのだろうが、今の市販の洗剤や柔軟剤の匂いは尋常ではない濃さだ。香りだけでむせてしまい、頭痛がするような私にとって、それはもはやイイ香りではなくて、苦痛なニオイになっている。あまりにきつすぎて、香料の元の化学物質が環境ホルモンや脳に影響するのではと思う。

 ワンプッシュで漂白ができるようなボトルも家の中にない。汚れ落としによく使われるアレは、塩素が主成分で、下水に流れていった塩素は有害物質のもとになると、どれくらいの人が意識しているだろうか。

 ある意味、超最先端だったのに、いつも浮いていたというか、周りとの齟齬があった。そして今も、SDGs的な生活に一般よりは近いはずなのに、いつか気付けば取り残されているのではないかと思うことがある。世界の流れからではなくて、自然とのつながりから。人間の作ったものに囲まれた、自分の口に入るものひとつ、直に自然界から得られない生活から脱出できるのだろうかと不安になる。

 自然が人間を取り残すことはないのだが。いつでも、私たち人間に水と食べ物、そして空気を与えてくれている。たとえそれらが人類の作り出した毒に汚れて、人間の体に合わなくなったとしても与えつづけるだろう。

 取り残されている、というと、自らのことや社会的弱者―例えば子供や女性、低所得者―を考えやすいのではないだろうか。しかしその根底には、上からくる流れ(に取り残される)という上意下達の意識があると思う。そして私は、その流れの源流こそ、流れの先端から取り残されているのではないかと考える。源流、即ち、「SDGsに向けて・・・・・・」と大っぴらに話す人たち。政府の人間や国際機関、会社の上層部の人々。彼ら自身は、持続可能な開発目標に適う、環境負荷の少ない生き方をしているのだろうか。高価なスーツには、石油製品を使うドライクリーニング。接待に使われる食材は、遠い国から、莫大な二酸化炭素排出を伴う航空機で輸送されてきたものもあるのではないだろうか。コンクリートの建物のなかには、不必要なまでに明るい照明。それらのぜいたくこそ、SDGsからはるか遠く、地球の恵みから「取り残された」ものだ。彼らはそのことに気づいているだろうか。そして、彼らが生み出した流れの下流にいる私たちは、上流の岩は下流の景色を見たことがないと分かっているだろうか。

 天然資源には限りがあり、自然の持つ浄化機能には限度があると、子ども時代に教育されなかった人たち。SDGsをワールド(ソサエティ)スタンダードだと声高らかに唱える人たちこそ、最も取り残された人々かもしれないということを忘れてはならない。上下のある人間社会の中で、下を救い上げるのであれば、上も巻き込んでいく必要がある。わたしもあなたも、いつでも、取り残される人にも置いてきぼりにする人にもなり得る。

 地球環境は人と切り離されたものではなく、繋がったものとして思いをはせ、人間個々人の中身への想像力を働かせ、慮ることができてこそ、人類の未来はあるのではないだろうか。

 

 

 

古賀大海 神奈川県立多摩高校3年生

 

 

 

 SDGsの「誰ひとり取り残さない」という基本理念は、社会や経済、その他様々なことにおいて排除されている人々を無くすことを目標にしている。果たして、そのことは本当に良いことなのだろうか。私は学校での教育の体験からそのことについて考えてみたい。  私の高校では、グループワークを利用した授業、例えば、英語の授業で英訳をペアで行うことや、国語の授業で物語の登場人物の心情をグループで共に考えるということが数多く行われている。もちろん、こういったグループワークをすることで良い面もある。それは、友人と話をすることで自分とは違った考え方に触れることができたり、問題を出し合ったりすることで知識の定着を図ることができるということだ。このことは、教育面において、取り残される人々を減らすことに繋がるのも確かだろう。しかし、私は全ての人にグループワークを強制させ、取り残される人数を減らすような教育をすることに反対である。  そこには2つの理由がある。まず第一に、私は知らない人と関わることが苦手である。知らない人と話したり、何かを行うことで得体のしれない圧迫感、つまりストレスを感じるのだ。また逆に、一人でいるときにはそのようなストレスを感じることはなく、思いのままに自分の学習ができる。私のように、知らない人と関わることにストレスを感じ、自分から取り残されたいと思っている人は少なからずいるはずだ。そのような人々は、「誰ひとり取り残さない」という基本理念によって苦しんでいるのである。第二に、大人数で何かを行うことが逆に一人一人の能力を阻害するということだ。私はこのことを先程述べた学校での国語のグループワークで体験したことがある。そこでは、ある一人の意見にその他の人が賛成し、その他の人は何も考えようとしなかった。一人一人が考えられる力を持っているにも関わらず、自ら考えることを放棄してしまっているのである。この事例から、グループを作り何かを行うということが集団心理を働かせてしまうということがわかる。集団心理は個々の能力を阻害してしまい、個人の成長を妨げてしまう。「誰一人取り残さない」という基本理念はこのような面でも悪い影響を及ぼしているのである。  以上述べたように、私はグループワークを強制させ、取り残されている人を救おうとする教育には反対である。また、私はSDGsの「誰一人取り残さない」という考えが必ずしも良いことだとは思わない。私は学校の教育において話を進めたが、他の様々な場面でもその理念に苦しんだり、悪影響を及ぼされたりしている人々がいるはずだ。そういった人々一人一人に配慮しながら社会を作っていくことが大事なのだと私は考える。

 

 

 

 

 

柴田菫 大田区立新宿小学校

 

 

 

 私は、「誰もが取り残されない社会をつくる」ということはとてもむずかしいことだと思います。

 実際に経験したこととして、四年生の時に行った社会科見学があります。その時の社会科見学では、役所の設備を見せてもらいました。一番心に残っていることは、役所の中にある点字ブロックの話です。役所の人の話によると、ふだん外にある点字ブロックは、車イスにのっている人やベビーカーを押している人にとっては、段差があるためじゃまになってしまうということでした。これまで私は考えたことがなかったけれど、たしかに言われてみると「小さな段差になっているから、通りづらいだろうな」と、思いました。でも、視覚障害者の方にとって、点字ブロックはなくてはならない存在です。「どうしたらみんなが使いやすいものになるのだろうか」と思いました。

 役所の方々の話を聞いていると、すでに役所の中には工夫がされていました。その工夫は二つあり、一つ目は点字ブロックの段差の厚みを薄くして、少しでも車イスなどが通りやすいようにする工夫でした。二つ目は、こうなるともやは「点字」ではなくなるのですが、その点字ブロックの点の部分だけをなくし、平らにした上で、素材をシリコンに変えるという工夫です。その素材の違いで、点字の代わりをはたします。とてもいいアイデアだと思ったのですが、まわりが大理石でできている役所の床にかたいシリコンだと、白杖でさわった時には、変化がわからないのではないかと思いました。そうなると、一つ目の工夫の方が視覚障害者にとっては、安心できるのではないかと私は考えました。

 このような工夫を見た私は、最近のすばらしい技術を使ってできるだけ多くの人に住みやすい社会を作るように努力し、工夫を重ねることが大切だと思いました。最初は全員でなくてもいいと思います。

 この経験をふまえて、今、私ができることは何か考えました。それは、自分の考えが正しいと思いこまずに、色々な人の目線で考えるということです。点字ブロックが、車イスに乗っている人やベビーカーをおしている人などのじゃまになっているということを、私は最初、思いもしなかったからです。

 ちょうどこれから、国語の時間に「みんなが過ごしやすい町へ」という学習をします。その学習では、「グーグルマップ」を使って私のすんでいる町のくらしの工夫を見つけます。その時には、日常で気づくこと以外にも細かい工夫などにも注意して取り組みたいです。

 また、SDGsという言葉について、私はまだあまりよく知っていません。この作文を機に、十七の目標一つ一つに目を向けていきたいです。

 

 

 

 

 

山崎佑奈 高校3年生

 

 

 

「私は臨床検査技師になりたい。そして自分の人生を通して誰かの力になりたい。」

私はこの言葉を見て、自分の浅はかさを思い知った。これを書いたのは、約4年間難病と闘い続けている同級生だ。中学2年生の時、私は彼女と同じクラスで、何気ない日常が流れていた。それがいきなり途切れたのは、春休み直前、先生が発した言葉だった。

「○○さんは入院することになりました。長期的なもので本人も不安だろうから、来年度同じクラスになった人は、支えてあげてください。」

私はすぐには理解できなかった。少し前まで同じクラスで過ごしていた同級生が、復帰時期が定まらない程の難病を発症するなんて、想像したこともなかったのだ。

彼女が本格的に学校に戻ってきたは、高校1年生の時だった。しかし完治したわけではなく、足には装具をはめ、両手に杖を持った状態だった。学校の行事にも参加できず、体育の授業も見学ばかり。体調を崩して学校に来られない日も多々あった。

「かわいそう。」

私はただ、そう思うしかなかった。「私たちと違ってかわいそう。」というのが、本心だったのかもしれない。みんなと彼女の間には、「普通の人」と「そうでない人」という、目に見えない壁が存在しているようだった。

そして会話もほとんど交わさないまま、同級生として過ごす最後の1年を迎え、4年ぶりに彼女と同じクラスになった。

「日直日誌に今自分が思っていることを書いて、みんなでシェアしましょう。」

先生からそう言われた私たちは、各々自分が今思っていることを書き込んでいった。私の番になり、みんなが書いたページをめくっていると、あの子のページが目に止まった。

「私は臨床検査技師になりたい。そして自分の人生を通して誰かの力になりたい。」

冒頭にも書いたこの言葉は、ずっと私の心に残っている。彼女は自分が何度も大きな手術を受けて、学校にも行けず、当たり前の生活ができなくなったと、赤裸々に書き綴っていた。しかし彼女は決して悲観的ではなかった。こんな私だからこそできることがある、自分の生き様を通して誰かに生きる希望を伝えたい。彼女の強い意志が、1文字1文字から伝わってくる文章だった。私は心のどこかで「障害を持つ人は夢や希望を持つのが難しい」と思ってしまっていた。きっとこのような偏見はまだまだ社会に存在するだろう。しかしそれは大きな間違いだと彼女は教えてくれた。障害の有無に関わらず、自分の人生に希望を持ち、全うすることはできる。生まれた瞬間から、誰にでもその権利はあるのだ。「あの人は私たちとは違うから差別されても仕方がない、取り残されても仕方がない」という考えはなくしていかなくてはならない。このような世間の考えに、夢や希望を閉ざされる人がいてはいけないのだ。

私は彼女の言葉に勇気をもらった。自分自身に誇りを持って生きようと思った。障害の有無や生活環境に関わらず、全ての人が夢や希望を持ち、人生を全うできる社会。そんな社会づくりのために、自分ができることを精一杯していきたいと思っている。

 

 

 

久須美凜 大正大学 3年生

 

 

 

 「私の勝ち」と一瞬でも頭に浮かぶことがよくあるのではないだろうか。幼い頃から、集団行動を経験し、勉強やスポーツなどで同じことを一緒にすることが当たり前になっていた。出来る子は褒められて人気者として扱われる一方で、一生懸命取り組んでも出来ない子がいる。クラス、学校、近所の地域などの限られたコミュニティしか知らない子供たちにとって、周囲からの評判が最も人間形成に影響していくのだ。集団の中で、出来る子が特別に必要とされているわけではなく、出来ない子が輪の外側に弾き出されるわけでも無い。その子を見る視点を少し変えることが大切になってくる。

中学生までの私は、成績が良く、リーダー役を務めることも多かった。先生や親からも期待され、信頼も厚く、典型的な優等生だった。だから、上の世界にいる気でいたのだ。クラスの中でも、不器用で勉強が苦手な子や不登校気味の子を気にかける優しさは持っておらず、傍観者のように周りに興味がなかった。しかし、高校生になると状況が激変した。地元の進学校の授業に追いつけなくなったのだ。1度できないと分かると、勉強に励むモチベーションが見つからず、目標を見失った。中学生の時に見下していた不器用で勉強が苦手な子になったのである。自分で自分に戸惑った。去年までの私とは正反対で、自分が嫌いになる一方だった。そんな時に、希望をくれたのはダンスだった。唯一の特技で、他の生徒ともダンスであれば自信を持って関わることができた。ダンス部に所属したことで、振り付けを任されたり、全体を確認して修正の指示を出したりと頼られる場面も多かった。私が役に立っていると分かると、安心感ややる気を持って学校生活を送ることが出来たのである。このように、中学生と高校生の6年間で、クラスの上位と底辺を経験し、人には得意不得意があって支え合い、協力し合うことが大切であると実感した。

さらに、大学生になってから上京、一人暮らし、初めてのアルバイト、サークルなど地元にはなかったもので溢れていた。そこで、人間は面白いと思った。なぜなら、なんとなく大学生になってみたり、やりたいことがあったり、とにかく親元から離れてみたかったりなど、理由は様々でも全国各地から同じ大学の同じ専攻を選んだ同世代の人間が集まった。この状況がとても新鮮だった。地元に比べて、それぞれの得意不得意の差がはるかに大きかったが、逆にそれが良いことだと気付いた。例えば、プレゼンテーションは苦手だがグループワークでは統率力を発揮する人、資料作成は苦手だが情報収集が正確で早い人、あまり頭は良くないが指示された仕事はしっかり実行できる人など1人では欠陥があっても、皆がいるからお互いを補い合って目標まで進むことが出来た。

つまり、誰かに必要とされることで自分の存在価値を見出し、自信を持って生活する力に変わるのだ。集団の中で成長すると、無意識のうちに自分の地位を決め、この地位であればこれくらいの存在感で過ごそうという思考になる。それは、ネガティブな人も同じで、ポジティブな人に対して苦手意識を持つ傾向がある。相手に対する「尊敬」と「嫉妬」の感情は紙一重で、どちらも「羨ましい」から生まれるのではないだろうか。もし、この瞬間にもネガティブで孤独だと思っている人がいるならば、安心してもらいたい。人間は、誰かの得意分野に憧れて、自分の苦手分野を無くしたくなるように、他人を「羨ましい」と思う生き物なのだ。皆が皆に「嫉妬」していて、魅力を見て「尊敬」する。誰もがその対象となり、集団は成り立つ。上にいると思っている人は一旦振り返り、下にいると思っている人は周囲に目を向け、自分が今いる状況を見直して欲しい。いつの間にか、ずれが生じ、実際にはそれほど周りとの差が無いかもしれない。皆が足並みを揃えて歩いて行けるようにお互いに「尊敬」してみるのはどうだろうか。

 

 

 

甘道音羽 鎌倉市立小坂小学校 6年生

 

 

 

 私は、「何故取り残されてしまっている人がいるのだろう」と疑問に思いました。取り残されてしまっている人は、きっとみんなついていけていない人や、いじめられている人、人とのコミュニケーションが苦手な人、障がいがある人、などが取り残されてしまっているのでは無いのだろうかと思いました。このような理由で取り残されてしまっている人は沢山居るでしょう。だから、障がいのある人はどうしても一人になってしまう。なので取り残されてしまう人がいなくなるということは出来ないと思いました。

 いじめというのはやってはいけないと言われてもやっている人は沢山います。あの人が嫌いだから虐めてしまおう。私達の話についてこれないから省いてしまおう。そういう考えをしてしまうとどんどんその人との距離がでてしまうと思いました。みんなと仲良くするのはとても難しい事だけど、いじめというのはどんどん人を追いつめて自殺にまで発展してしまったというケースもあります。私はそのような内容の記事をニュースで見たことがあり、見てて凄く悲しい気持ちになった事がありました。いじめは絶対にしてはいけない。いじめをしてしまったことがある、もしくは虐めているという方は少し考えてみてほしいです。

 障がいのある方、は朝起きるだけで苦労してしまいます。それは私達にも、わからないほどの苦労が沢山あります。障がいのある方を馬鹿にしたり、からかったりする人は少なからずいると思いました。障がいのある方とどういう接し方をすればいいか分からないという人も沢山いると思います。なので、私は、障がいのある方達にどういう接し方をすればいいのか少し考えてみました。そこで私は思いつきました。みんなに接しているように普通に接するということが大切です。みんなみたいに遊びに誘ったり、話に参加してほしいと声を掛けたりなど少しでも「一緒に話さない?」や「一緒に遊ばない?」と声をかけることは、とても大切なことです。なので、皆さんの周りに知り合いじゃなかったとしても障害者じゃなかったとしても「困っている人がいれば助け親切にする」。という行動はとても大切な事なのではないかなと思いました。

 コミュニケーションが苦手な人は皆さんの周りに沢山いるでしょう。私の周りにも「人が怖い」と言って学校に来れていない子がいます。私は、それを聞いた時に思ったことがありました。それは「何故人が怖いんだろう?」「自分も人間なのに」と思ってしまいました。ですが、人が怖くない人もいれば人が怖い人もいる。なので私は人それぞれの感じ方なんだなと考えました。その子が何故人が怖いのかはわからないけれど、どうやったらその子も楽しく学校に来れるようになるのだろう、と少し考えてみました。私が考えたことはもし、その子が久しぶりに学校に来たからと言って話しかけたりするとその子は「びっくりしちゃうのではないかな。」と考えました。なので、沢山話しかけたりしないで「普通に接する事が大切なのかな。」思いました。

 人が怖い子には過剰に声をかけず普通に接することも大切です。

やはり取り残されてしまっている人はあなたの周りにも沢山いるのではないでしょうか。皆さんは人とのコミュニケーションが苦手な人、障がいがある人にどの様な接し方をしていますか?もし周りに皆さんも仲の良い子に接しているように優しく声をかけてあげませんか。

 

 

 

齋藤いほり フリーランス

 

 

 

 昨今よく耳にするようになったSDGs。関心がない人でも、その言葉を聞いたことがない人はいないだろう。わたしがSDGsについて知るきっかけとなったのは、ラジオやテレビの特集だ。「最も脆弱な人々の…」「最も貧困な人々の…」というように、多くの発展途上国が目に浮かぶ。では、わたしたちには関係がないことなのかというと、それもまた違う。若者たちは日本についてどう感じ、どう考えているのだろうか。わたしは不安と絶望が大きい。それは、わたしが女性性を持っているということもあるが、25歳という若者だからでもある。わたしたちは、日本の政治を動かす男性や大人たちに、そして国際社会に、取り残されてしまう存在ではないだろうか。

 現在、日本のトップの年齢は70歳を超えている。国会議員の平均年齢は50歳以上、8割以上が男性だ。男女比は世界で166位と、とても先進国とは思えない数字である。

 あの頃は当たり前だった高校入試の男女の点数差、何もおかしいこととは思えなかった。あまりにも普通な顔をしてそこに存在していたから。今は露骨で不当な性差別だと分かるし、その差別を前に夢を諦めた女性を思って、怒りが沸々と湧き上がってくる。「差別ではなく、女性の能力が劣っているからだ」と言う人がいるが、同じスタートラインにすら立たせてもらえないことを知っているだろうか。

 結婚するとき、なぜほとんどの女性が自分の姓を失うのか。女性が結婚して子供を産んだら、個人としての色が少しずつ褪せていくように感じるのはわたしだけだろうか。妊娠を機に仕事を辞めさせられ、ひとりで家事育児をしていた母親を見て、わたしはそう感じた。母の、1人の人間としての人生はどこにあったのだろう。女性は自分で選択することすらできないのか、と悔しくてやるせなくなる。わたしは、わたしの頭で考えて、わたしの言葉で伝えて、わたしのこの手で選び取りたい。だから人生を共にしたい人と暮らしていても、制度的な結婚を避け続けている。好きな職業を選べる社会を目指すならば、まずは自分の姓を自分で選ばせてほしい。同様に、大切な人にも自分で選んでもらいたい。

 また、最近では、性的マイノリティや女性に対する差別発言が頻繁に話題になる。染み付いて消えることのない差別意識に、怒りを通り越して呆れすらある。このような発言が多くの人に批判されると「不適切な発言だったので撤回する」などと言って、発言自体をなかったことにしようとする。わたしは繰り返されるこの流れに違和感を覚える。ただその場を取り繕っただけではないか。問題なのは発言ではなく、その人の根本にある差別意識なのだ。発言の非を認めるのであれば、自己の意識を改めるべきだと思う。

 わたしたちが生きる世界には様々な人が存在する。まさに多様性だ。それは最近になって増えてきたのではなく、ようやく声をあげて存在を示すことができるようになっただけだ。その存在を断固として認めない人たちがいるが、その人が存在することに誰かの承認は必要ない。すでに存在しているのだから。わたしは女性であり、男性に恋愛感情を抱くので性的指向ではマジョリティにあたる。なぜこんなにも性的マイノリティに対する差別発言に怒りが湧いてくるのか。それは「自分だけ良ければいい」とは到底思えないからだ。ある統計では10人に1人、という割合が算出されているように、わたしの周りにもこの差別に苦しんでいる人が多くいるはずだ。苦しんで傷ついている当事者だけに闘わせるのではなく、当事者以外の人が率先して声をあげて、共に闘うべきだと思う。わたしが「女性だから」という理由で傷つけられたとき「あなたの問題だから、自分でなんとかして」なんて言われたり、そんな空気を感じたりしたら「こんな逆境でボロボロの心を抱えては闘えない」と思うだろう。諦めてしまうかもしれない。

 マイノリティが生きやすい社会は、誰しもが生きやすい社会だ。自分のことをマジョリティに属すると思っている人も、それすら意識したことがない人も、いつ、何が起きるか分からない。事故に遭って障害を背負うかもしれないし、突然難病を発症するかもしれないし、職を失って路上生活や車上生活を余儀無くされるかもしれない。民主主義は多数の意見が尊重されるが、少数の意見を蔑ろにせず、丁寧に汲み取っていくべきだと思う。

 誰ひとり取り残さない。なんてやさしい言葉だろう、と嬉しくなる。そんなやさしい世界になったら、ここに暮らす今のみんなやこれからのあの子が、遥かに生きやすくなるはずだ。そして将来や国に対する絶望は、希望へと変えていけるはずだ。そのために、小さくても、まずできることを。知って、発信して、参加すること。わたしはここから始める。

 

 

 

高砂優羽 福井県立高志高等学校 2年生

 

 

 

 「誰ひとり取り残さない社会」という言葉を聞いて、真っ先に思い付いたのは、性的マイノリティについてのことである。私の知人にも当事者は何人もいるし、私自身も中学の時に女性に恋をしてから自分は両性愛者であると自認した当事者の1人だ。近年、日本では「LGBT」という言葉をはじめとして、性的マイノリティへの理解が進んでいるように感じる。さらに、私は現在高校生なので、性的マイノリティについてテレビやインターネットで知ることができるような時代しか知らない。それでも「社会から取り残された」と感じることがある。一番それを強く感じたのは学校での授業でのことだ。

 高校2年生のとき、保健の授業で、思春期の心・体についてや結婚・妊娠・出産についての話があった。そこでは毎回のように先生からの「高校生にでもなれば一度くらい異性を好きになったことがあるだろう」「将来は結婚して子どもを産み育てるだろう」といったイメージに基づいた発言がなされていた。さらに、保健体育の教科書にも「思春期になると異性への関心が高まる」と書いてある。私は性的マイノリティに属することを自認してから周りにある程度カミングアウトしてきたのだが、批判的なことを言われたことはほとんどなかった。しかし、この授業のなかで初めて「自分は社会の中では普通ではない」と宣告されたような気がした。学校の授業を通して初めて社会からの疎外感を感じたのである。これにはかなり悩んでしまった。

 だが、よく思い返してみると、小学校や中学校でも同じような教科書で同じような授業を受けている。それなのに、高校での授業で初めて違和感を覚えたのは、自分が当事者であると気づいたことが深く関係しているだろう。当事者であると自覚する前は、私も前述の先生と同じような考え方をしていた。おそらく、マイノリティに見えている小さな違和感は、マジョリティにはなかなか見えないのだと思う。マジョリティにはそのことについて意識する必要性も機会もないからだ。

 そのことに気づいてから、どのように私の気づきを表現し、性的マイノリティも含めたより多くの人が生きやすい社会にしていけるのか考えるようになった。そこで、その1つとして、性的マイノリティがより過ごしやすい社会にする方法を、私が違和感を覚えるきっかけとなった学校教育を中心として、学校の課題探究活動の一環として研究している。

 現在考えている方法は、「性の多様性に関して学校で教える」ということだ。これには2つの狙いがある。1つは、性的マイノリティの生徒が私のように授業がきっかけで悩まないようにしたいというものだ。実際、社会では異性愛者がマジョリティなので、現在の授業の内容を大きく変えることはできない。しかし、「当てはまらない人もいる」といったように、性的マイノリティについても伝えることで、当事者の生徒の悩みや不安を今より減らすことができると考えている。もう1つは、当事者以外の理解をより深められるというものだ。学校教育のなかで性的マイノリティについて知る機会を作ることで、今までそういった情報に触れる機会がなかった人も含め、多くの人が正しい知識を得ることができる。また、マジョリティゆえに意識して来なかったことについて考えるきっかけにもなる。そうすることで、社会全体として理解が深まり、より性的マイノリティが生きやすい社会になるだろう。

 この案には不完全なところも多くあり、改善も必要であるが、このように自分の気づきを少しでも伝えていくのは続けていきたいと思う。そして、自分事として考えることができた問題に関してだけでも行動を起こすことで、同じような人が少しでも社会から取り残されたように感じることなく生きられるようにしていきたいと思っている。

 

 

 

 

 

山﨑春菜 長野日本大学高等学校 2年生

 

 

 

人間が生きていく上で大切なことと聞いて何を思い描くだろうか。確かに住むところ、着る物、人、お金、知恵知識など思い思いの大切なことがあると思う。しかし、やはり人間の生活に深くなじみ、必要不可欠なものは食ではないだろうか。人間は植物のように土に根を張って栄養を得たり、太陽からエネルギーを得ることができず、一食一食から自分に必要なエネルギーを摂取して生活している。しかし、満足するまで食事を取れることは果たして当たり前のことなのだろうか。私が17年間生きてきた中で学んだことは、自分の当たり前であることは決して周りの人の当たり前ではないこと。当たり前であることに疑問を持たなくてはならないことだ。私は食べること、料理することが好きだ。もっと知識を深めたいと食に関して調べていたところ、食に関する社会問題という記事を見つけた。その中から私が気になった社会問題は、フードロス、6つのこ食、健康格差の3つだ。

まずはフードロスに関して。日本は食品自給率が低いにも関わらず、フードロスがかなり多い。また世界的に見てもフードロスは国際的な問題である。ある記事では世界的に見たフードロスは世界の生産量の1/3であるという記事を見つけた。どうしてフードロスは生まれてしまうのだろうか。私は捨てることが当たり前と考えている人が多いのでは無いかと考える。その当たり前という考えが根付いていることはかなり恐ろしいことだと思う。

次は6つのこ食に関して。私は6つのこ食の内容を見て、今の日本、世界の家庭の食卓に対して的確な表し方だと感じた。その中でも健康問題、生活習慣病に対しても深く関わっていると感じたのは「孤食」だ。孤食の意味は寂しい食事である。孤食は他のこ食にも深く影響を与えている。

最後に健康格差に関して。健康格差と深く関わっているものが所得である。お金に余裕がある時、人々は贅沢をしたいと思う。お金に余裕がない時、人々は切り詰めることを惜しまないのでは無いだろうか。そんな時切り詰めやすいのは食事である。栄養を十分に取ることを考えずに節約を考えるため所得が多い者、少ない者の格差が生まれるのである。そのため健康習慣にもそれらはかなりの影響を与えるのである。

これらの問題に対して社会が行なうべき対策を私は考えてみた。

まずはフードロス削減に向けて行うべきこと。それは外見を気にしないこと。主に野菜が多いと思うが、大きさ、形を神経質に揃えるあまり、除外されたものは加工されるケースも多いが捨てられるケースも少なからずある。私は野菜が綺麗なものであるという考えを払拭したい。それらを安く売るという考えではなく、全て同じ商品として扱って欲しいのだ。同じ味であるにも関わらず優劣をつけることがロスを生む。まずはその当たり前を変えていきたい。

次に6つのこ食に関して。1番問題とされている孤食をなくしていくために、朝食だけでもみんなで一緒に食べることが大切だと思う。たとえ1日のうち1食分だけでも一緒に食べようという意識を作ること。朝お父さんお母さんがどうしようもなくみんなより早く出てしまう時は、置き手紙を残していくなど、毎日家族とコミュニケーションをとることをゆっくりと頑張りすぎないペースで十分なので、続けていこう。

最後に健康格差に関して。健康格差の主な原因の所得格差、仕事の職場やストレスへの対策はなんだろうか。それは社会が健康を守るための社会環境を整備する必要があるということだ。社会環境整備とは、健康へのアクセスの改善と公平社会を作ること、そして社会活動への参加の機会を増加させることが環境の質を向上させることになる。食をはじめとした環境を整備することで人々の生活のしやすさは大きく変わると考える。

私は学校で私たちの代からSDGsを広めていくグループを発足させ、定期的に活動報告を行なっている。また文化祭でさらに全校の関心を集めるために、目標を達成している国の郷土料理を長野県の郷土料理であるおやきの中に入れての販売を予定している。誰かに任せるだけでなく、まずは自分たちが動くこと。周りのみんなに広めたい、一緒に頑張っていきたいという気持ちが芽生えた時こそ、本気で取り組むべき時だと考える。

私は将来、人と社会との関わりを常に持ち、そして社会、人々のために働きたいと思ってる。見捨てない、自分たちが良ければいいわけではない、手を差し伸べること、共に作っていくこと、補い合うこと、助け合うことを当たり前にしていくこと。近所の方々とですら会話がない、そんな状態を当たり前だと思わないで欲しい。自ら人との関係を絶った瞬間、社会と人を繋ぐ糸は解けていく。

一緒に動こう。考えよう。誰ひとり取り残さない。私たちが動くことは未来の子供達の社会を守ることに繋がっていくのだから。

 

 

 

 

 

松本侑里花 兵庫県立大学1年生

 

コウノトリが気づかせてくれた私の存在

 

私は地域から取り残されていた。今までずっと兵庫県で暮らしてきたが、私は地域のことを

知らなかった。このことを強く感じたのは、兵庫県の豊岡市にある兵庫県立コウノトリの郷

公園を訪問し、講義を聞いたときである。

兵庫県豊岡市では、日本の空から姿を消したと言われていたコウノトリが今では 200 羽も空を飛んでいる。コウノトリは兵庫県の県鳥に指定されていて、絶滅が危惧されている動物でもある。コウノトリは 1971 年に日本内で一度絶滅しており、ロシアからコウノトリの幼鳥を譲り受け、ここまで個体数を伸ばしてきた。コウノトリの活動が始まったのは、1955 年であり今年で 65 年ほど経つ。この 65 年間は地域の人が一体となって活動を続けてきたということが私は素晴らしいと感じた。私は講義を受けるまでコウノトリが絶滅したことも、コウノトリが県鳥であることも知らなかった。

このことは私以外にも言えると考える。自分の住んでいる地域の一員だと言える人は少な

いのではないか、地域間の交流がなく、地域から取り残されている人が多いのではないかと

考えた。今の現代社会では、地域間のつながりが希薄化していると感じる。少し古いデータ

だが、厚生労働省によると、内閣府行った世論調査では近所付き合いの度合いは、年々低下

しており、2004 年調査において「よく付き合っている」と回答している者の数は、1997 年

調査において「親しく付き合っている」と回答した者の半数近くとなっている。しかし、移

住する地域をよくする活動ができる時間・機会が重要だと回答する者は、1978 年と 2002 年で 2%ほどの減少しか見られず、値は大幅に変化していない。そのため、地域間で親しくする必要がないと考えている者は少なくなっていないのに、地域間での交流は減少しているということだ。

ここで SDGs の「誰一人残さない」という目標を私は、「地域から取り残されている人」に焦点を当てたいと思う。地域から「誰一人残さない」ということを考えた時、やはり重要になってくるのは地域間の交流や、行事であると私は考える。私はコウノトリについての講義を受けたあと、JA たじまが主催した稲刈り体験に参加した。稲刈り体験の中では、お米を通じて地域の次世代の教育をしていること、コウノトリが生息しやすい環境を地域一体となって活動していることを学んだ。このような行事から地域の繋がりを作り、次の世代へと交流をつなげていくことはこれからの社会で必要だと考える。

私はまだ大学一年生で、経済のことも、環境のことも、貧困のことも、持続可能な社会の仕組みのことも詳しくわからない。「誰一人残さない」という目標も過去の受賞作品を読み、様々な視点から課題があるということが分かり、私には大きくて難しいと感じた。それでも、私は問題を解決することはできないが、問題を発見することはできる。問題を解決するには、問題を発見することが一番大きな一歩だと考える。今回、私のように地域のことをよく知らない、「地域から取り残されている」と感じる人は多いことが分かった。SDGs の「誰一人残さない」という目標を達成するためには、地域という大きなコミュニティの中で、誰が取り残されているのかという問題を見つけるために、地域での交流が増えていくことが重要だ。私は地域の行事を増やすことはできないが、地域の行事に参加することはできる。まず、私ができることである地域の行事に参加し地域の輪を広げようと考える。その輪が広がり、日本に住んでいる人すべてが、自信をもって地域の一員だと言える社会を私は楽しみにしている。

 

 

 

 

 

渡邊彩花 県立多摩高等学校

 

 

 

私には将来、助産師になりたいという夢がある。なぜなら、命の誕生に立ち会えるだけでなく、女性の生涯に寄り添うことが出来る職業でもあるからだ。最近では男性が育児休暇を取得しやすくなる取り組みや、産後に女性が職場に戻りやすくなる取り組みも行われるようになってきた。しかし、それらはいまだ不十分で、出産や子育ての中心となることの多い女性は取り残されやすい社会になってしまっているのではないかと思う。

例えば、女性の社会進出の面から見てみるとどうだろうか。2018年、世界の女性の管理職率は平均約27%だったのに対し、日本は約12%という結果だった。主要7カ国の中でも最下位の成績である。また、出産後の女性の職場復帰率も世界と比べると、日本はとても低い水準となっている。私はこの原因が職場の子育てへの理解が足りないことにあると思う。働きたいという意志はあっても、仕事と家事や育児との両立が困難なために、女性が重要な役職に就かせてもらうことができなかったり、諦めてしまったりするという現状があるようだ。また、女性だけでなく、男性が育児休暇を取ることが認められているのにも関わらず、周囲の目は厳しく、制度が改善されても、それらを十分に利用できない。そこで私は、職場に「子育てに優しい環境」を作るといいと考えている。具体的には、職場に子どもを連れてきていいように、託児所や授乳室を設けることを義務付けたり、男性社員も子育てに参加しやすいように、子育てに関するセミナーを開くなどといったことだ。そうすることで、女性が出産や子育てを心配することなく働くことができる環境になる。

しかし、職場の環境を整えるだけでは女性の社会進出を完全にサポートすることはできない。加えて、女性の心のケアも重視するべきだと思う。男女共同参画社会を目指しているのにも関わらず、まだ女性に対する支援がままならない状況で、将来のことを不安に思う人は多いだろう。また、妊娠中や産後の女性はマタニティーブルーズやうつ病になることがあり、心身のバランスを保つのが難しいと言われている。職場に理解があっても、女性自身の心に問題があっては、根本的な解決にはならない。そこで、社会に相談できる場や女性の声を発信できる場をもっと増やす必要があると思う。例えば、会社で様々な立場で働く女性同士の交流会を開催したり、これまで子育てをしてきた先輩に話を聞いてもらう場を設けること、そういった場で出た意見をSNSなどをうまく利用して発信できるようにすることなどができると思う。

これからの私にできることは、助産師になって女性に寄り添い、誰もが取り残されず充実した人生を送れるようにサポートすることだ。子育てに優しい環境を作るためには、社会全体としてさらなる努力が必要になるだろう。

 

 

 

駒井佑作 横浜国立大学

 

流行に置いてきぼりの子供達

 

 SDGsが重要視されている現在において、地球温暖を防ぐことや男女平等の促進など比較的規模の大きな話が多くされているなかで、自分なりに身近な内容で誰一人取り残されない社会を目指すとはどういうことかを考えた。

 自分の考える現代における若者同士の「置いてきぼり」という問題が起きる原因の一つは周りの人が持つ情報を持たない人がその情報を持つ大多数の人々となじめないことが多いという点がある。また、ここでいう情報は新聞やテレビの情報というよりは、スマートフォンに日々大量に流れている消費的な流行りの映像や、音楽などのコンテンツである。

 このような流行りコンテンツを知らない子は、周りの話題についていけないことが多く、もしかしたらそれが原因で友達ができにくくなったり、最悪いじめにつながってしまうこともある。逆に流行の話題を知っていると新たな交流関係を築くことに有利に働く。自分の例でいうと自分はDSというゲーム機を持っていなかったために、大学生になった今でも周りが話す当時流行っていたゲームの話についていけず、何とも言えない気持ちになることは多い。また今ではDSやその他のゲーム機と同じくらい携帯電話を通したコンテンツというものが、子供たちの間の話題の中心になっていることは間違いない。

 ここで自分が特に注目したいのは、親が厳しくゲーム機や携帯電話を持たせてもらえない子供である。今の自分がいくらDSを持てたとしても今更話についていくために流行っていたゲームをやろうとは思はないように、流行を知ることができる機材は持っているがシンプルに興味がないのでやらないという場合は、その人の好みの話なので特に問題はない。しかし、親が子供にゲーム機や携帯を持つことを許可しておらず、学校ではうまく流行についていけず、友達にはなんで携帯を買わないのかと聞かれてしまうというような板挟みになっている状態の子が一番どうしようもなくつらいと考える。

 もちろん親側の意見として、携帯に時間を取られて勉強の時間が減る可能性や犯罪に巻きこまれる可能性、視力低下の恐れなど様々なマイナスなことを避けたいという理由で子供にスマホやゲーム機を与えないというのももっともである。実際に自分の周りでもこのようなマイナスな影響を受けた友達も多い。

 だが、その携帯を持った時の悪い点だけに強く注目することはよくない。たいてい親は携帯を持った時の悪い点と持った時の良い点とを天秤にかけて考えがちであるが、ここに加えて携帯を持たない際の悪影響、つまり子供が友達に取り残される可能性があるということを知っておく必要がある。学校というコミュニティで生活する子供にとって取り残されることほどつらいことはない。仲間外れはもちろん、仲の良いグループで話しているときに自分でだけ知らない流行りの情報で盛り上がっていて自分は黙っているしかないという状況も子供にとっては大きなストレスとなる。特にそれが自分の意志ではなく親などの他人の影響である場合は非常にストレスを感じてしまうだろう。

 解決策としては親御さんたちに向けて、先生などの大人の口からしっかりと携帯の有無によって子供たちに起きうる良い影響、悪い影響を伝える機会が必要である。そこでの子供への影響というのは一般的に言われているものに加え、その学校でアンケートなどをして実際に生徒の携帯関連の苦労などを元にした話もするとなお良い。

 また、子供たちのほうがインターネットに慣れ親しんで、使いこなしているのに親があまりインターネットについて詳しくないゆえに、頭ごなしにネットは危険だ、携帯は持つなということもおかしい。近年ではネットの使い方からネットとの付き合い方、ネットリテラシーなどを習う授業を行う小学校も増えている。子供がこのように学んでいるのだから親世代にもインターネット関連のレクチャーを行い、ネットの便利さや怖さ、オンラインでの流行というものを親も知り、そのうえで親は子供とどのようにゲームや携帯と付き合っていくべきかを一緒に考えるべきである。

 このように現代の学生特有の置いてきぼりに悩んでいる人は多いと思う。特に今後、携帯等の電子機器をより幼い子供が持つことは当たり前になっていくと思うので、今後はさらにそのような機を持たず、流行に疎い子供たちの肩身は狭くなるだろう。そんな中での親の役目はただ子供を制限するのではなく、自分も子供のために学ぶことを辞めずに、子供と一緒に様々なことを予想して話し合って決めていくことが必要である。

 

 

池田優 横浜国立大学都市科学部都市社会共生学科

 

 

 

「誰ひとり取り残さない」ためにできることを考えるにはまず、「誰ひとり取り残さない」状態がどのような状態であるかを考える必要があります。全員が貧困から抜け出せればいいのか、全員が教育を受けられる状態を指すのか、それとも全員が適切な医療を受けられる状態を指すのか。様々な指標があると思います。しかし、SDGsがゴールとしている指標はこれ全部です。貧困をなくし、教育も医療も受けられるようにした上で、経済を発展させ、自然環境を守っていく。取捨選択をしないで願いを全て詰め込んだものがSDGsです。なので、ここでは「誰ひとり取り残さない」状態を「誰もがSDGsの到達目標を達成する」ことと定義したいと思います。

「取り残された側」の人たちを SDGs では見放さないことを謳っていて、もちろん世界中の人たちがそれを願ってこの目標を作りました。ですが、私たちには身近にSDGsを感じるようで、歴史の授業のように、どこか遠い世界の話をただ聞いているだけという印象をどうしても抱いてしまうこともあるかもしれません。私は少なくともそう感じてしまうことがあります。それは、「取り残された側」の生活が想像の域を超えないからです。私は今大学生で、私も周りも当たり前のように大学に通っている人がほとんどで、医療保険だってしっかりしているし、不自由を感じることはあまりありません。そのような環境からいくら頭の良い人が知恵を絞っても「SDGsって必要だよね」という考えが字面以上の意味を持つことはありません。SDGsの目標達成に最も難しいところはこの「認識の違い」だと思います。なので、まず世界中でやるべきなのは各目標を達成するために必要なデータや作戦ではなく、「取り残された側」の価値観を世界中で共有することだと思います。いくら頭でわかっているつもりでいても、それらは結局言葉上の理解でしかなく、そこに留まっていては世界中で協力することは難しいです。例えば、友達や恋人、家族と話をしていたとして、私たちはその会話の内容や視線、会話の間などから相手が何を考えているのか予測しようとしますが、確実に全て読み取れることなんてあり得ません。同じような価値観を共有しているはずの自分の近しい人間にだってそのように全てを知ることは無理なのだから、世界のどこかで今日も誰かの助けを求めているような人がいたとして、こちらが想像を膨らませて「この人はこういう助けを求めているだろう」で援助してもそれはただのお節介で終わってしまう可能性もあるのです。

そうならないためにできることは二つあると思います。まずは、しっかりと対話すること。同じ地球に生きている以上助け合っていくことは当然のことですが、何を必要としているのかは必要なものがある側にしか分からないことです。国家間レベルであれば話し合いの場が設けられており、ある程度意見を交わし合うことが可能かもしれませんが、個人レベルではどうでしょうか。そもそも通信手段がないなど、考えられる要因はたくさんありますが、そういった場はあまりないような気もします。せっかくSNSが発達し、世界中の人と繋がれるようになった現代なのですから、誰が、どこで、どのように困っているのかについてわかりやすくまとめてくれるSNSがあっても良いような気もします。

二つ目は「取り残された側」の現状を理解することです。これは資料などを読み込んで得る知識形態のものではなく、自らが経験することで得ることができる理解というものが重要になってくると思います。例えば、教育の場面で実際に日常生活を営むことさえ困難な状況というものを体験する授業を作ってみる。そうしたら実際にどのようなことが辛くて、何が不足していたのか、資料やデータから学ぶより遥かに自身の記憶に残るだろうし、より効率的な援助の方法の確立につながると思います。また、教育の場面で取り入れる事によって30年、40年と長期的な目で見た時に、その効果はとてつもなく大きなものとなっているはずです。そのような教育を受けた世代が大人になり、世界を引っ張っていく中心となる。そのような時代がくれば、この問題は解決に大きく近づくことだと思います。「誰ひとり取り残さない」ためにできることは「取り残された側」の気持ちにどれだけ世界中が寄り添うことができるか、他人事ではなく自身の問題でもあると認識できるか、にかかっていると思います。

 

 

 

服部翠 高知県香美市立大宮小学校5年生

 

「皆同じだけど同じじゃない」

 

 理想の地球。それは、誰もが幸せで悲しむことのない平和な地球。しかし、現在の地球はその理想からは程遠い。その理由は何なのだろう。例として挙げられるのは、いじめや人種差別、独裁主義などがあたる。なぜ人類はこんなにも他人と自分を比べたがるのだろう。皆、同じ地球に暮らしているのに。地位や身分をつくり、苦しむ人をつくる。それは人類の本能としてはおかしいはずだ。「皆、仲良く平和に」。このような想いはないのだろうか。結局、人を苦しませておいて、いったい何が楽しいのだろうか。自分と違うからと言っても、人には個性や外見の違いはいくらでもある。もしも、自分と全く同じ人ばかりになったらどうだろうか。個性があるからこそ、自分として自分を認められるのに、ほかの人に自分とは違うから、と言われたら、その人は、自分のことに自信を持てなくなってしまう。

しかし、一方でわたしはこのようにも思う。他人と自分を比べる人ほど、自分に自信がないのではないか、と。自分に自信がないから、自分や自分の周りを基準にして自分自身を安心させているのではないだろうか。結局は自分に返ってくることも知らずに。ただ、ひたすら自分を守り通すために、他人を傷つける。それがその人達のやり方なのだ。

自分の事しか考えない。そういう人によっ苦しんでいる人がたくさんいるのに。

 では、私たちには何ができるのだろうか。

それは、「どこにすんでいても、みんなみんな、おなじ『ひと』なんだ」という事を忘れないこと。そして、自分の周りの人、家族や友達、知人などにもそう思ってもらえるようにすること。そうすることによって、少しずつ、自分の身の周りから誰もが安心できるような社会をつくっていくことできる。皆の安心への一歩が、自分自身を支える一歩にもなる。自分がする行動に自信をもって、やり通す。それが自己評価にもつながってゆく。

みんなで助け合い、守り合う。あたりまえのことだけど、とても大切なこと。みんなでしあわせな社会への一歩をふみだそう

ちいさなこどもからご老人まで幸せで安心な社会を求めているのは一緒。一人でも、たくさんの人でもいい。なにかしら自分にできることを見つけ、それを次の人へつなげてゆこう。そうしたら、その人がまた、次の人へとつなげていってくれるはず。少しずつ、少しずつ幸せな社会をつくろう。

 

「幸せな未来に向けて、がんばろう!」

 

 

 

佐藤さくら 横浜国立大学 1年生

 

 

 

 SDGsの達成目標年の2030年まで残り約10年となり、東京オリンピックの開催が決定している現在、私は特に都市と地方の「格差」がさらに開いているのではないかと感じている。ここでいう「格差」というのは、経済活動などの社会に関係するものだけにいえることではない。インターネットやSNSの普及に伴い、それ以外の娯楽や食事、衣服などの何気ない日常生活の面でも大きく差が開いてきている。私は、SDGsの基本理念である「誰ひとり取り残さない」の視点から都市と地方の生活について見ていきたいと思った。

ではなぜ、このような格差について考え始めたのかというと、今年の春に横浜国立大学へ入学し、地元の宮崎から横浜に引っ越して以来「周囲の人と違う」と感じることや「このままだと取り残されそうだ」と感じることが増えたからである。

 

横浜に来て最初に驚いたのは、公共交通機関の充実度だ。電車は分刻みで時刻表のとおりに到着し、バス停が至る所にあり、駅には人が溢れている。一方で、私の地元は典型的な車社会であり、高校を卒業するのと同時に車の免許を取ることが当たり前のようになっている。そのため、電車やバスを利用する機会はほとんどない。この大きなギャップは、買い物等の生活以外に同級生との会話などにも支障をきたしている。例えば、「一駅分の距離」というお互いの認識の違いから話がかみ合わなかったり、駅の規模や改札の形式が全く違うために電車の乗り換えの方法がよく理解できておらず、待ち合わせが上手くいかないという事態が発生してしまう。確かに、これらのようなことは慣れてしまえばいいと思うかもしれない。しかし、慣れるまでは、取り残されてしまうかもしれないという孤独を味わい続けることに変わりはなく、慣れた後も、地元に帰省した際に劣等感を感じてしまうこともまた事実である。実際に上京した私の友人の多くが交通の面で地元との常識の差異に悩み、孤立感を味わっていると私に相談してきたこともあり、その地域の需要の関係もあるがインフラ整備の差は改善すべき大きな課題だと感じた。それに加えて、その孤独感から抜け出せずに家に引きこもってしまうことも想定される。

 

また、都心ではアパレル店や美容院、レストランなど様々な店舗が充実しており、地元では見たことも食べたこともないようなものが沢山あることにも衝撃を受けた。流行の発信源は都心であることが多いため、田舎へのトレンド情報は遅れて届く場合がほとんどだ。同じサークルのほとんどの友人が持っているものを持っていない、もしくは地元にまだ情報があまり届いていないために知らないということも何度かあった。そして、その話をすると大抵の場合返ってくる反応は「えっ、信じられない!」である。特に、初めてこの会話をしたときは、大げさかもしれないが、周りのみんなにとっては当たり前の生活が、自分だけ享受できないという状態にあったのだと痛感した。地元から出ることによって、今まで感じたことのない格差に気づくというは、幸福度の低下や豊かに生活できるようになる中で見過ごされてきた相対的貧困にも関係してくる問題になるのではないかと考えた。

 

現在、上京してきた人の就職をサポートする紹介サイトや地方出身者限定で住まいを紹介する不動産屋などは数多く存在する。しかし、日常の些細なことを相談することのできるサポートシステムというのはほとんどないに等しい。そこで私は、地方から都市に引っ越してきた人をサポートする新たなコミュニティをつくれたらよいと思った。同じ状況に立ち、同じような悩みを抱えている人とならば気軽に相談しあうこともでき、「取り残されている」と感じる人もいなくなるだろうと考えられる。さらに、面と向かって話すのが苦手な人にはLINEやZoom、SNSのチャット機能を活用して相談を受けられるようにすれば「誰ひとり取り残さない」ことも可能になるといえる。

そして、このコミュニティの重要な部分は、その地域に住む高齢者の方にも参加してもらうという点だ。その土地の特徴や生活に役立つ知識などを話してもらえる機会を設けることができれば、より充実した地域づくりになると思う。これは一見すると、今のコミュニティとほとんど変化がないように思えるかもしれないが、以前とは大きく違う点がある。それは、すでに高齢者の方々が作り上げたものに若者が参加するのではなく、若者が作り上げたものに高齢者の方々が参加する点である。自主的に若い世代が動かす、この支援体制を整えることによって、若者の地域コミュニティへの不参加が地域活性化における課題となっているなかで新しい繋がりを生み出すだけではなく、急激な高齢化の抑制や引きこもってしまう若者の減少にも貢献できるのではないかと思った。

 

 

 

 

 

喜元陽 横浜国立大学 1年生

 

 

 

突然だが、皆さんはSDGsと聞いて何を思い浮かべるだろうか。恥ずかしながら私は、なんとなく「持続可能な社会を目指す目標」のことだと認識していた。これも間違いではない。重要なことは、環境保護に関するものだけだと勘違いしていたことだ。実は、SDGsの基本理念は「誰ひとり取り残さない」である。ただ環境破壊を止めよう、地球温暖化防止に向けて取り組もうという目標ではないのだ。理念を念頭に置いて考えると、環境保護に関する目標は「未来の人々の存在」を考慮して現在を生きようというもののようだ。大学の講義で、横浜市の政策を4つの世界観―近代化論、従属論、持続可能な開発論、開発とアイデンティティ論―に照らし合わせて考える時間があった。さらに、SDGsもこれらの世界観で考えた。世界では見えにくい生きづらさを抱えている人が様々なところで生きている。そういった人々が長い間戦い続けたおかげで、今日の人々の生きづらさに少しずつ目が向けられているのではないだろうか。

 私の生きづらさはLGBTQ+に関するものだ。日本はLGBTQ+に対する理解が他の先進国と比べてもまだ浸透していないように思う。多様な生き方がだんだんと認められてきている今、「+」という表記は欠かせないのではないだろうか。私自身、LGBTまでは理解していたものの、きちんと調べるまでは他の分類について知ることがなかった。ここで説明するにはあまりにも広い範囲であるし、私がまだ知らないこと、世界的にも知られていないことがたくさんある。その一部の人が声をあげ、存在を主張し、生きているからこそ当事者ではない私も知ることができたのだ。私には家族を除き、大切な人が二人いる。一人は女性だ。悩みを共有したり、嬉しいことは自分に関係なくても喜んだり、祝福したりした。他の友達ももちろん大切だが、私にとってその人の存在は、この短い人生の中でとても大きいものなのだ。もう一人の大切な人とは違って、その女性に愛欲を抱くことはない。しかし、もう一人と同じくらい、もしくはそれ以上に私に必要な人だ。生涯を通じて付き合っていきたい。こういった感情はなかなか理解されないかもしれない。こういう人間が明確な名称で分類されていることもない。少し調べてみると、性的対象と恋愛対象が別である人が存在しているようだ。私は性別の違いで、この二つの対象が分かれていることはない。あくまでも、その人個人が”そう”であるのだ。もちろん性別だけで人を判断する人はいないと思う。あくまでも、相手の人間性などに惹かれ、その人の性別がどうだったのかという話なのだ。そして、この話は自分の生き方・心の持ち方としてはとても共感できるものだった。私はこの自分の思いを大切にしていきたい。SNSの発信力が強くなっている今だからこそ、一人ではないという心強さにもつながっている。

当事者にならないと苦しみはわからない、と言う人もいるだろう。別に当事者になって苦しみを味わい、分かち合わなくても良いのではないかと私は考える。ただ、それこそSNS等を活用して、そういった人たちの存在を理解し、ほんの少しだけでもその感情を知って欲しい。許してほしいなどとは言わない。それは異質さを認め、線引きすることにつながると思うからだ。みんな、自分の人生を生きているだけの話である。分類して配慮するのではなく、相手をその人自身として受け入れることが普通になった世界の訪れを心から願っている。その世界のために、私も自分で調べ、考え、声をあげていきたい。

 

 

 

 

 

横尾優和 鎌倉女子大学高等部2年生

 

 

 

「誰ひとり取り残さない」。これはSDGsの基本理念であるが、「取り残されている人」とはどのような人々のことを指すのだろうか。よく考えられるのは、障害者、LGBTQ+、貧困の人々などである。私も数ヶ月前までは、そうだと考えていた。しかし、ある時「本当にそうだろうか」と疑問に思った。それは、今年の二月頃に野毛坂グローカルのオンラインイベントに参加し、そこで「誰ひとり取り残さない」ということが話題になった時だ。色々な意見を聞いたり、自分のことも少し話した。私たちも、何かにおいて取り残されているのではないか。全員が何かにおいて取り残されていると言っても過言ではないのではないか、と考えた。

 その例を一つ挙げてみる。例えば私は、運動が人一倍苦手である。小学生の頃からずっと、50メートル走ではクラスで最もタイムが遅く、球技も器械運動も水泳も、どれも苦手だ。小学生の頃は、リレーで同じチームになった仲間に冷たい視線を向けられることもあった。おそらく、この時私は「仲間から取り残されている」ということを痛感しただろう。

 このように、私たちはそれぞれ苦手なことがあり、それにおいて取り残されていると考える。では、「取り残されないようにする」にはどうしたら良いか。私は正直、「完全に」取り残されない、つまり、苦手なことが一つもないという状態になるのは不可能だと考える。だが、自分が取り残されているという意識、つまり「取り残されている感」を減らすことは可能ではないか。世の中には何か苦手なことで取り残されていると感じ、それにより自分に自信を持てなくなるという人も、私を含め多くいるだろう。しかし、何らかの方法で自分に自信を持つことはできると考える。方法は人により様々であり、例えば、苦手なことを克服できるように努力する、逆に得意なことで自信を補う、もしくは苦手だということを自分で受け入れる、などが考えられる。私はどれも正解だと考える。私の場合は、運動が苦手だと先述したが、中学生になってから、苦手ということを自分で受け入れたり、自分なりに少しでもできることを増やそうと努力することで、以前より自分に自信を持てるようになった。

 さて、ここで話をSDGsに戻す。最近はこれがよく話題になり、一人一人が自分のできることから行動するということが重要視されている。そこで自分にできることを考える時、もし自分に自信がなかったら「こんな私に何ができるのか」「どうせ私には何もできない」と考え、行動できないだろう。しかし、自分に自信があれば、「これなら私にもできるかも」「私はこれをやってSDGsに貢献したい」と前向きに考えることができるのではないか。このような意味でも、自分に自信を持つことは大事だと私は考える。

 話が少しそれるが、私は現在二つの地域活動をしている。一つ目は、私の地元である横浜市栄区で行われている、中高生など若者世代の文化祭のようなイベント「ティーンズクリエイション」のメンバーとしての活動、二つ目は、栄区の小菅ヶ谷春日神社の清掃「オミヤクリーン」への参加である。ティーンズクリエイションではイベントに参加したり、仲間やサポートしてくださる大人の方々と共にイベントを企画したりすることで、オミヤクリーンでは自分にできることから取り組んでやりがいを感じることで、私は自分にさらに自信を持つことができるようになった。これをきっかけに、将来やりたいことが一つ増えた。それは、私がしてもらったように、中高生が自分に自信を持つきっかけを作り、少しでも「自分は取り残されているから何もできない」という気持ちを減らし、「自分にもできることがある」という気持ちを持たせることだ。私の将来就きたい職業は、現時点では高校教師か塾講師であり、そこで生徒が自信を持つ機会を作りたいと考えている。また、地域活動も続けたい。そこで何か中高生対象のイベントを企画し、一人一人の「取り残されている感」を減らすきっかけを作りたいと考えている。

「誰ひとり取り残さない」。これを達成できるのが理想ではあるが、私はまず「誰もが自分に自信を持ち、行動できる社会を作る」ことに自分のできることから取り組むことを始めようと思う。

 

 

 

 

 

奥井ひらり 神戸大学一回生

 

 

 

 高校3年生の秋、私のSDGs、誰一人残さないための取り組みは始まった。それも知らないうちに。

 ある日の休み時間、友達が献血に行った話をしてくれた。人の命を救う協力ができることは大前提として、献血ルームではジュースが飲めたり、雑誌を読めたりすることを紹介してくれて、私は一度行ってみたいと思った。その子を中心にクラス数人で「受験が終わったらみんなで献血に行こう!」という約束をした。私は、約束したものの、貧血持ちで、心の中で「自分だけできないな」と少し悲しくなった。しかし、献血に行った友達は、私が貧血持ちであることを知っていて、「春休みまで時間はあるし、成分献血や200mlの献血もあるよ」と代替案を教えてくれた。その日から私は、みんなと献血に行きたい一心で鉄分の多い食事を意識したり、貧血の薬を飲んだりした。正直、その時は誰かのためにというより、自分のための努力だった。

 それから数ヶ月が過ぎ、受験を終えたものの日本は緊急事態宣言下にあった。私は何もできない自分の無力さとみんなと会えない孤独感の中家に引きこもっていた。そんな時、私を動かしたのは、「献血は不要不急でない」というニュースの記事だった。私は約束通り、みんなと初めての献血に行くことにした。私は無事、200mlの献血ができた。その瞬間、この私の少ない血でも誰かを救えるのだという充実感でいっぱいになり、家族や他の友達に献血の自慢をした。

 ここに私のSDGsがある。私のスタートはSDGsに貢献しようという意思ではなく、友達と献血に行ってみたいという好奇心だった。しかし、結果的に、私はSDGs目標3「すべての人に健康と福祉を」の取り組みに協力する喜びを知れた。その時から、今度は、献血を、自分のためではなく他人のために、すなわち「私がひとり残らないため」ではなく「誰一人残さないため」に利用したいと思うようになった。そこで今回、私は以下のような献血を利用したSDGsへの取り組み案を提唱したい。

 その名も「献血マルチ商法」である。この方法は、加入者が他の者を次々と組織に加入させることで販売組織を拡大させていくマルチ商法を利用した、献血者が献血の良さを伝え、他のものを次々と献血に誘い、献血のシェアを拡大させていく、というものだ。

 私が献血マルチ商法を提唱する理由は2つである。1つ目は、あえて善事である「献血」に、悪事である「マルチ商法」という言葉を持ってくることで、みんなの意表をつくキャッチーなスローガンにすることだ。まずはこの言葉が一人歩きしてでも、献血を広める大切さを多くの人に知ってもらうきっかけを作っていかなければならないのだ。2つ目は、マルチ商法という具体的方法を取り入れたことだ。大学の授業でSDGsについて意見が求められた時、抽象的で何をしたら良いのかわからない、という意見が圧倒的多数だった。だから、私は人々をSDGsの実践に仕向けるには具体的でわかりやすい案が必要だと考えたのだ。マルチ商法というと、悪く聞こえるかもしれないが、私は逆にマルチ商法の拡散力は、献血にはプラスに働くと考えている。私は、貧血だから無縁だと自ら献血と距離を置く者と、献血で人を救う達成感を初めて得て誰かに共感したいハングリー精神を抑えられない者、両者を経験した。そんな私が、両者の凹凸の感情をうまく利用することはできないかと考えて思いついたのが、この献血マルチ商法であった。輸血を求める人は1日あたり3000人いて、そのためには輸血協力者が13000人必要と言われている。個々の健康事情もあるため、押し付けてはいけないが、これだけ多くの献血が求められる事実がある限り、献血を広める取り組みは欠かせない。より多くの人が献血マルチ商法に協力した時、それは、すべての人に健康や福祉を守る「献血マルチ勝法」と化す。

 さあ、私たちのSDGs、誰一人残さないための取り組みを始めよう。それも自分の意志で。

 

 

 

丹野ちさき 早稲田大学大学院アジア太平洋研究科 1年生

 

 

 

「私を忘れていませんか?」

 あなたには、誰からそんな声が聞こえるだろうか。それとも、聞こえないふりをしているだろうか。私には、はっきりとそんな声が聞こえた経験がある。児童労働を強いられている子どもからの声だった。

 スタディツアーでインドに訪れた際、児童労働に従事している女の子と出会った。女の子は学校に行かずに、畑仕事をしていた。訪問した村では、児童労働を解決するプロジェクトが実施されていた。プロジェクトのスタッフとともに、女の子や両親から事情を聞くと、女の子は「学校に行きたい」と言った。そして私は、「一緒に学校に行こう」と手を繋いだ。女の子は学校に着くと、すぐに他の子どもたちと仲良くなり、笑顔でみんなと遊んでいた。児童労働から解放されるきっかけを掴んだのだ。

 私は、心の底から喜びたかった。しかし、何かが引っかかってモヤモヤした。「私を忘れていませんか?」はっきりと聞こえた。児童労働を強いられているにも関わらず、何の対策も行われずに取り残されている子どもたちからの声だった。

 世界では、1億6,000万人もの子どもが児童労働に従事しており、さらに増加すると推測されている。女の子との出会いを通して、児童労働に従事しているか否かという格差だけではなく、対策が行われているか否かという格差の存在を思い知った。対策が行われている地域では、子どもたちは児童労働から解放されるきっかけを掴んでいる。しかし、何も行われていない地域では、多くの子どもが取り残されている。置き去りにされた子どもたちの人生に対して、誰が責任を取るのだろう。

 「世界はすぐには変わらない。優先順位があるから今は何もできない」と、取り残されている子どもたちの目を見て言えるだろうか。対策を行う地域を選ぶということは、対策を行わない地域を選ぶという残酷さを伴うのだと痛感した。多くの人が解決に貢献すればするほど、残酷な選択は不要となる。そして、取り残されている多くの子どもたちがきっかけを掴み、児童労働は早急に解決される。児童労働の解決方法はある。やればできるのに、やらないだけだ。

 私たちは、生まれた場所が違うだけで、大きな格差が生じる不公平な世界に存在している。そして、この世界は、解決できるのに解決しようとしない問題ばかりだ。問題の解決は早い方がいい。そんな当たり前のことを、なぜ忘れたのか。私は、世界への違和感を持ち続ける。

 「私を忘れていませんか?」

 聞こえないふりをしている多くの人に伝えたい。

 無視しないで。世界を良くする活動から、どうか取り残されないで。

 

 

 

石川さと 一般社団法人 ありがとうの種(日本社会事業大学卒業)

 

 

 

「誰ひとり取り残さない社会」に必要不可欠なものは何であろうか?日本国憲法25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定められている。すなわち、人間が生きていく上で必要となる生存権が保障されるべきであり、そのために福祉の法律や制度、サービスがある。しかし、その狭間で苦しむ人々、つまり、社会に取り残されている方々がいるということも忘れてはならない。

近年、「ダイバーシティ」や「インクルーシブ」、そして、「共生社会」という言葉をよく目にするようになった。互いの違いを認め、尊重し、ともに生きていくーその概念は素晴らしく、広めていくことには賛成である。しかし、それらの言葉のみが独り歩きしてしまい、かえってそれが人々の無関心を生み出してしまう可能性も否めない。

そこで、ろう難聴当事者の立場から一般社会に訴えかけたい。まず、「ろう者」とは、日本手話という日本語とは異なる文法をもち、ろうコミュニティのなかで生きている少数民族、いわゆる、マイノリティだ。そして、補聴器や人工内耳を用いてコミュニケーションをとる難聴者も一般社会のなかでは数少なく、日常生活のなかで多くのバリアに遭遇している。

例えば、「外見では気づかれにくい」、「情報入手が困難である」、そして、その結果、「聴者のコミュニティに参入しにくい」というバリアだ。特に、「情報入手が困難である」という壁に関しては、多くの当事者が経験している。私たちは、耳から入る情報よりも目から入る情報に頼って生活している。そのため、手話通訳やパソコンテイクなどを活用している。このような情報保障は、まだ十分ではなかった時代に比べれば、多くの先人たちのおかげで私たち若者の当事者が得られるようになった制度やサービスもある。

また、電話ができないことで多くの不便を抱えていた私たち当事者も電話リレーサービスによって聴者と同じように手話や文字によって電話ができる世の中になっている。しかも電話リレーサービスは、7月から総務省による公的運用が始まり、今後ますます欠かせない重要なインフラとなりつつある。

だが一方で、先程述べた憲法25条が保障された上で、私たち当事者を取り巻く生活は、情報保障が100%整った環境で生活できているとはいえない。例えば、勉強会やセミナー、イベント、映画や舞台、講演会などいわゆる、「自己啓発」や「余暇活動」には情報保障がないのが現状である。

また、障害者差別解消法が施行されている現在でも多くの差別や偏見が残されている。それは、当事者が働く場においても例外ではない。障害を理由に断られたり、必要な配慮をしてもらえなかったりという話はよく聞く。

それに加え、このコロナ禍でマスク社会となり、人々の顔の表情や口元が見えにくくなっている。例えば、コンビニでは「袋はいりますか?」、「あたためますか?」という会話が交わされるが、それが聞き取れず、あるいは、口元が読み取れず、困るということがある。

このように情報入手が困難というバリアから聴者と対等に生きていけないというのが現状となっている。では、どのようにしたらそういった状況が改善されるのだろうか?そして、誰ひとり取り残さない社会を築いていけるのだろうか?

私としては、そこに人々の意識をマイノリティやダイバーシティに向け、社会改革していくことが良い影響を与え、そして、インクルーシブ教育の可能性を広げてくれると考える。要するに、障害者、女性、LGBT、外国籍の子どもたちなど社会的弱者(マイノリティ)が「珍しい」というレッテルが貼られることなく、ひとりの人間として接し、そして、お互いが生きやすくなるための環境を整備していくこと、それがインクルーシブ教育であり、共生社会を築いていく第一歩となるだろう。

最後に、誰ひとり取り残されない社会を目指すには、私たちにとって最低限度の生活を保障したうえで、必要な情報保障の配置と環境整備がなされ、そして、私たち当事者が平等に選べる選択肢の幅広さが欠かせない。現在のわが国における政府、教育機関、企業、団体など私たちにとって身近なところからマイノリティの存在に目を向け、真の共生社会への第一歩を踏み始めることを願ってやまない。

 

 

 

F.T 横浜市立大学国際教養学部2年生

 

 

 

 今の形のSDGsは、果たして本当に誰ひとり取り残さないのだろうか。巷でSDGsの話題に触れるとき、私は常にこのようなことを考えてしまう。

 SDGsが始まった2015年、当時中2の私はSDGsの存在さえ知らなかったが、高校に進学し学年が上がるにつれて、総合の時間で扱われる機会が多くなっていき、認知するようになった。そして2021年の今、インターネットを利用していると自然とSDGsという言葉を見かけるようになった。様々な企業が「SDGsを意識しています!」と自らが取り組んでいるターゲットの番号とアイコンを掲げ、社会への貢献をアピールしているのをよく見かける。すれ違うスーツ姿の人の中には、SDGsのバッジをつけている人もちらほらと見かける。広報面でも盛り上がっており、テレビ局においてもSDGsキャンペーンを展開し、各ターゲットの解説を行っているのを見かけた。身近なところで言えば、私の大学でもほとんどの授業のシラバスに、それぞれの授業に関連しているSDGsのターゲットが番号で示されている。

 このように、世間におけるSDGsの認知度や関心は高まっており、名前や17のターゲットなど、なんとなくこのようなものと知っている人はとても多いと考える。しかし、それは誰ひとり取り残さないことに本当に繋がっているのだろうか。

 今のSDGs関連のアピールを見ていると、私は正直「SDGsと書いていれば印象が上がる」といったり、「SDGsに関連付けて様々なことを行なえば良い」といったりする印象を持ってしまう。例えば、先述した大学のシラバスに関連した番号を載せることは、授業の内容や社会貢献のレベルに影響を与えているとあまり考えられない。意識づけはできるかもしれないが、そこで止まってしまうのではないかと考えてしまう。

 またSDGsに掲げられたターゲットは関連しあうようなものだが、それぞれのターゲットに関連したり解決したりすることに重点を置きすぎたために、最終的なゴールである「誰一人取り残さない」から離れて行ってしまうこともあるのではないかと考える。例えば、住み続けられるまちづくりのために、様々な人や会社が努力して取り組んでいます、とアピールしている中、実際の現場では重労働や残業などの負担が強いられており、それはそれで働く人々が取り残されていると考えることができるのではないか。SNS上においてこのように指摘している人を少し前に見かけた。

 さらに、SDGsの語が用いられた活動は、果たして本当に困っている、実際に取り残されている当事者にとって良い活動なのかと疑問に思ってしまう。「活動しました!」というような取り組む側からの報告はよく見かけるが、当事者からの直接的なコメントは、単に私のアンテナが足りていないだけかもしれないが、あまり見かけないように感じる。もしかしたら本当に困っている人は、我々のように問題解決をしようと意識している人々の目に留まっていないからこそ、困っているのかもしれないと考えることもある。

 このようなことから、私はSDGsについて、取り組むべき目標は明確になり、社会貢献の風潮を作るという良い効果があると同時に、現在起きている社会課題の本質や、その原因というような、本来の改善したい目的を見失ってしまうリスクを孕んでいると考える。さらに、今やSDGsは社会貢献をしているアピールのための道具の一つとして、良くも悪くも成立していると考える。それでは今後、本質的な目標である「誰ひとり取り残さない」を達成するには、社会に何が求められるのだろうか。

 私は、「誰ひとり取り残さない」の「誰」とは何かを、何を目指すかのSDGs以上に議論したり、考えるきっかけが少しでも生まれたりする風潮を形成することが重要と考える。まさにこの小論文・作文コンテストは「誰」を考えるきっかけに位置するが、敷居の高いものだけでなく、今のSDGs並みに広くきっかけを仕組むことが求められると考える。また、誰ひとり取り残さない活動をしようとする人は、自分が認知していない社会問題があることや、一見良い取り組みでも弊害が生まれるかもしれないといった、活動のマイナスの側面を考えることも必要と考える。私も様々な社会課題の解決手法に興味を持っているが、本当に困っている「誰」を知ったり、その人は実際には何を求めているのかを知ったりする能力を有していないと考える。災害時に千羽鶴を送られて迷惑になった、という話も聞くことがあり、送っている側は満足でも困る側はより困る