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2021年 受賞者発表! 第2回 SDGsの基本理念「誰一人取り残さない」小論文コンテスト

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25歳以下の若者を対象とした第2回 SDGsの基本理念「誰一人取り残さない」小論文コンテストの結果を発表します。
最近SDGsの認知度はあがっていますが、その基本理念「誰ひとり取り残さない」が「非現実的なきれいごと」とされ、あまり重要視されないSDGs活動も散見される気がします。若者の「誰ひとり取り残さない」思いを多く募り、表彰、社会に発信することで、一人でも多くの人が「誰ひとり取り残さない」を考えることを目的として実施されました。

コンテスト募集要項:
https://nogezaka-glocal.com/dh2/

ポイント!:
・ 「誰ひとり取り残さない」視点からの、若者の真摯な思いが480作品も集まりました
・ LGBTQ+、性被害者、障害者など様々な「取り残されている」と感じる多くの当事者の応募がありました
・ 共同実行委員長、事務局長を含め、学生中心の若者による実行委員により運営されました

・ 様々なサイドイベント(例:基本に立ち返って!SDGsを考えよう)が実施され多くの若者が参加しました
・ 今後、作品や応募者の発表会や応募者同士のネットワークづくりを行っていきます


障害や病気、貧困など明らかな困難と直面している若者の悲鳴にも似た声、またそのようなことに寄り添う若者の声が多く寄せられました。 その一方で、日常の小さなことに思える事象で「取り残される」と感じる繊細な課題認識、それを「それくらい我慢しなさい」とするのではなく、「誰も取り残さない」社会をめざすための参考になる若者の貴重なメッセージと感じます。
また、「家族は本当に自分の味方なのだろうか?」「プラスティック袋を使わないことで取り残される人がいるのではないだろうか?」など「常識的なこと」に対する建設的な批判意見も多くみられました。審査にあたった人からは、胸をうつ多くの作品に感動の声があがりました。 

選考・発表方法:

大賞作品(5点)、入賞作品(23点)、優秀作品(94点)を選出しました。
また、そのほか、優秀作品には野毛坂グローカル奨励作品を選出しました。

今回は入賞しなかった作品にも多くの若者の思いが詰まった応募があり、原則として全作品を順次ホームページで公開します。また、応募者の活動の紹介、発表の会などを順次今後実施していきます。


作品集 無料ダウンロード

      

大賞作品 全作品を読むには、こちらをクリック
入賞 / 特別賞 作品全作品を読むには、こちらをクリック
入賞 作品全作品を読むには、こちらをクリック
優秀作品・奨励作品 全作品を読むには、こちらをクリック

 

【大賞】 (5点:お名前あいうえお順)
大賞作品 全作品はこちら

◆上野裕太 ジェイリース株式会社勤務(25歳)
 全盲の私が取り残している人たち

◆奥望帆子 富山大学人間発達科学部附属小学校3年生
「女子だから」とか「男子だから」と決めつけていいのでしょうか

◆櫻井美咲 高校生
 もしもあなたが友人から「自分はLGBTQ+だよ。」と言われたらどう思いますか?

◆島村ひなた(仮名)、高校3年生
 性被害で悩む人を誰一人取り残さない社会を望みます

◆長澤孝侑 横浜国立大学 1年生
 特定の人々を排除する公園はあるべき姿なのだろうか

【入賞 / 特別賞】 (6 点:お名前あいうえお順)
(特別賞とは入賞作の中から、本コンテストに協力いただいた団体が選考/授与する賞です)
    入賞 / 特別賞 作品全作品はこちら

◆入賞 / 株式会社日東装備特別賞
新井馨
 中央大学 3年生
テーマ:6年前に帰化した私

◆入賞 / フランスベッド特別賞
上野いぶき
 北星学園大学 文学部4年生
テーマ:「おばあちゃん」のパワーはすごいと思う

◆入賞 / 株式会社大川印刷特別賞
尾崎れいか(仮名)
 クラーク記念国際高等学校3年生
テーマ:いじめと教育について

◆入賞 / 株式会社エイビス特別賞
野添美咲
 フリーランス(共創カフェ)
テーマ:正社員を目指さなければならないのか

◆入賞 / kakogawaRD.jp特別賞
原匠
 ICS(うつ病に関する理解を広げるための団体)代表 24歳
テーマ:うつ病を発症して気づいたこと

◆入賞 / 株式会社スリーハイ特別賞
日野鈴香
 香川大学3年生
テーマ:プラスチック袋を作る会社で働いていた経験から

入賞 / 特別賞 作品全作品はこちら

【入賞 】 (17 点:お名前あいうえお順)
入賞作品   全作品はこちら

  • 明石十三(仮名) 琉球大学 学生
    テーマ:誰ひとり取り残さない医師を目指す
  • 安藤結香子 横浜国立大学 1年生
    テーマ:子どもに安全で心理的にも抑圧されることない環境を
  • 五十嵐碧 横浜市立笹野台小学校5年生
    テーマ:一人ひとりのものさしの違いの尊重
  • 金田陽莉 福山暁の星女子高等学校 3年生
    テーマ:「悩みを抱えている人の居場所を作りたい」という夢
  • 川西満葉 高校3年生
    テーマ:マイノリティのなかのマイノリティ
  • 木村ダウダ一真 聖学院中学1年
    テーマ:私たちの夢
  • 木村美夕 東京女子大学 3年生
    テーマ:ジェンダーレスファッション
  • 小島久枝 Global Shapers Community Yokohama Hub(2021年横浜市立大学卒)
    テーマ:「家族」は本当に素晴らしいのか
  • 佐々木 優子 上智大学院博士前期課程1年
    テーマ:自分を責めないことが、支えあう社会をつくること
  • 座間耀永 青山学院中等部 3年生
    テーマ:「機会」があれば可能性が広がる
  • 重松楓 横浜市立中沢小学校 6年生
    テーマ:「なくそう、いじめで取り残される人を」
  • 杉本結香 大阪医科薬科大学 5年生
    テーマ:可哀そうと思うことによる偏見
  • 林花音 神奈川県立多摩高等学校 第3学年
    テーマ:国籍でレッテルを張らないで
  • 森山ひかる 東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校 2年生
    テーマ:取り残さないためには第三者が必要
  • 山本百恵(仮名) 専門学校 1年生
    テーマ:お金が理由で夢をあきらめた友人
  • 横内爽 鹿児島県立開陽高等学校 3年
    テーマ:取り残されてきた経験があるからわかること
  • 吉田弥生 学習院女子高等科 3年生
    テーマ:犯罪再犯者への支援

入賞作品   全作品はこちら

【優秀作品・奨励作品】
優秀作品・奨励作品 全作品はこちら


朝日新聞記者 佐藤啓介氏感想:

社会は決して一人で生きていくわけではなく、どんなことをしようがそこに人と人の関係性が生まれ、直接・間接の影響を与えあっていると思います。「取り残す」と言いますが、そもそも他者と全く無関係に何かをしていることはない。だとすると一番の問題は「その相手のことを見えていない、気づいていない」ことにあるのでしょう。5人の小論文が訴えているテーマ、状況はそれぞれ異なりますが、今回それが「一つの場所」で共有されるのは、だからこそとても大切なことだと思いました。

今回の小論文コンテストには480という文章が寄せられたとうかがいました。もちろん、そのすべてを読むのはかなりの時間がかかってしまい大変かもしれません。でもできたら、タイトルだけでも目を通しあって頂きたいと思いますし、その先にある一人一人の生き方について想像するチャンスを得られるのであれば、これ以上なく素敵なことだと思います。

普段生活している場所や立場を離れて真摯な思いが交差する、このような取り組みが行われていることにとても感動しています。実行委員を務められたみなさまにも感謝を伝えたいです。

【大賞作品(5点)全文】

【大賞】

 

◆上野裕太 ジェイリース株式会社勤務(25歳)
全盲の私が取り残している人たち
SDGsの基本理念に「誰ひとり取り残さない」というものがあるが、本当の意味でこれを実現するためには、私たちの誰もが「状況によって、取り残されている場合もあれば取り残している場合もある」ということを常に自覚する必要があるだろう。私は視覚障害(全盲)をもっているが、社会的に見ると、私たち障害者は取り残されることが多く、健常者は取り残されていないことが多いと思われるかもしれないが、それは間違えであると思う。本論文では、あくまで私個人の事柄ではあるが、あえて「他の人を取り残している場面」に焦点を当て、具体例を元に考えてみたい。  1.私が現在おかれている状況  その前にまず、現在私がおかれている状況について簡単に整理する。私は今、視覚に障害をもちながら、民間企業に勤務している。また、私は大学時代IT技術について学び、ITパスポート資格を取得したため、ITに関する基礎知識を習得している。さらに、私はいわゆる「デジタルネイティブ」と呼ばれる世代に属しており、生まれた時から各種IT機器が社会に存在していたため、幼少期から、こうした機器に多く触れてきた。以上のような状況をベースに、「他の人を取り残している場面」について考察する。  2.「他の人を取り残している場面」  結論から述べれば、上述の例全てが該当すると考える。私は先天性の全盲であり、光を認識することはできない。逆に言えば、どれだけ真っ暗であっても、普通に動くことができる。つまり、例えば夜間や停電時などの場合でも普通に動くことができるのである。こうして考えると、視覚障害者であっても、たの人を取り残している場面があることがわかる。私は、大学生の頃、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という暗闇の中で、視覚以外の感覚を使いながら、いろいろな体験(歩く、ボールで遊ぶ、お店で買い物をするなど)をする施設でアテンドスタッフのアルバイトをした経験があるが、出会ったお客様からは、「いかに今まで視覚に頼って生きてきたのかを痛感した」、「てきぱきと物事をこなす姿を拝見して、視覚障害者に対して偏見をもっていた自分がおろかに思えた」などという声が寄せられ、「当事者と少しの間接しただけで、こんなにも変わるものか」と感服したことは、今でも忘れられない。  もう一つ、別の視点で考えてみよう。すなわち、ICTの利用に関することである。先にも述べた通り、幼少期からICTに触れる機会が多かった他、先天性の全盲であったため、早期から障害補償技術(点字、画面読み上げソフトウェアなど)を用いた教育を受けてきた。また、私は、視覚障害者支援に特化した大学において、ICT技術を学んでおり、現在の勤務先においては、データ活用(集計、分析など)に関する仕事も行っている。また、学生時代から視覚障害のある高齢の方にパソコン操作をお教えするボランティア活動を行ってきた他、最近では、新型コロナウイルスにおけるワクチン接種予約(祖父の分)も行った。こうして考えると、環境さえ整っていれば、私たち視覚障害者も、誰かを取り残す存在になり得ることがわかるだろう(ここで取り残されるのは、ICT機器の操作が苦手な全ての方になる)。言い換えれば、環境さえ整っていれば、視覚障害者の活躍する場は多くある(もちろん他の障害者にも言えるが)ということができる。  以上、私個人の目線ではあるものの、「他の人を取り残している場面」について考察してきた。こうして考えると、一つの観点だけで人を評価することが、実にもったいないことであるように感じる。私は、数年前駅のエレベーターに乗っていた時に、「目が見えないなんてかわいそうね」と言われたことがあったが、大変いやな気持になった。それと同時に、その方がそのようにおっしゃるのも無理はないのではないかとも思った。なぜなら、その方は、今まで視覚障害者(あるいは障害者全般)と接したことがなかったのであろうから。障害の有無、人種、性別、国籍に関わらず、全ての人には、その人なりの価値があると私は信じている。それを顕在化させ、より良い社会を作るためには、障害者と健常者(もちろん障害者同士も含む)が交流する機会の充実は欠かせない。私自身、視覚障害以外の障害者とあまり接したことがないため、こうした機会があれば積極的に参加していきたい。

【大賞】◆奥望帆子 富山大学人間発達科学部附属小学校3年生
「女子だから」とか「男子だから」と決めつけていいのでしょうか
私の友達には、明るく元気な人、おだやかな人、運動がとくいな人、すなおな人、思いやりのある人など、たくさんの友達がいます。そんなたくさんの友達がいる学校で、ふしぎに思うことがあります。「女子なのに、わんばくだね!もう少し静かにして。」とか「男子なのに泣いているのははずかしいよね?」とか言われているのを聞いたことがあるからです。 けれども、「女子だから」とか「男子だから」と決めつけるのは、その人ひとりひとりをみていないのかなと思います。私の友達の中には、ライバルのように戦いあって、おたがいを高めていける友達もいます。その人に負けたくないと思うと、もっと、がんばることができます。何も話をしなくても、いっしょにいるだけで、心がほっこりする人もいます。男子も女子も、優しい友達も、元気な友達も、一人一人こせいがあって、だれも同じ人がいません。 ひとりひとりがちがうからこそ、クラス全員で、大きな力が出せます。わたしは、クラスの学級代表をしていますが、よろこびは「かけ算」、悲しみは「わり算」とかんがえています。楽しいことや、よろこびがあるときは、「よろこび×35」となります。だから、一人でよろこんでいるより、35倍のよろこびがあります。かなしみは、わり算なので、ひとりでかなしんでいるときよりも、「35分の1」になり、すこし安心します。 2年生のときの音楽界では、「君イロ」という歌を歌いました。歌の中では、「イロイロ とりどりのイロ。みんながイロイロな イロもって。あんなイロ こんなイロ どんなイロ。たったひとつ きみイロ。ひとりひとりは イロちがい。きみだけのイロをさがすんだ。7つよりそいあえばきらきらのにじ」という歌詞があります。やっぱり、友達がひとりひとりちがうのは、当たり前なのだと思います。だから私は、今までの経験や考えて分かったことを生かして、たくさんの人と友達になり、友達ひとりひとりの気持ちを分かって仲良くしたいです。そして、たくさんの友達のことを分かってあげたいと思うのと同じくらい、友達ひとりひとりにも私のことをよく知ってもらいたいと思います。それが、いつまでも、仲良くできる方法だと思うからです。

【大賞】◆櫻井美咲 高校生
もしもあなたが友人から「自分はLGBTQ+だよ。」と言われたらどう思いますか?
もしもあなたが友人から「自分はLGBTQ+だよ。」と言われたら、あなたはどう思いますか?そしてどう言葉を返しますか?  「自分の近くにはLGBTQ+の人はいないよ」と言う人もいるでしょう。或いは「分からない」と答える人もいるかもしれません。でもきっとあなたの近くにLGBTQ+の人はいるはずです。「見えない」だけで。「分からない」だけで。かく言う僕もLGBTQ+です。Xジェンダーです。男の子だし女の子。両性です。そんな僕には伝えたい事があります。「誰一人取り残さない」ために必要な事だと思うから。  僕はまだ家族や殆どの友人に自分がXジェンダーである事を伝えられていません。どう思われるか、どういう態度をとられるか、どういう目で見られるか分からなくてどうしようもなく不安になってしまうからです。それでもこうしてコンテストを通じて声を上げるのは、本当の自分をきちんと受け止めてくれる人がいることの嬉しさを身をもって知っているから。そしてどんな人にも誰かを認めて、誰かに認められて欲しいから。女の子の僕が「僕」と自分のことを呼ぶのをかっこいいと何かあったらいつでも相談してくれていいと言ってくれた友人がいました。自分のことをどう呼ぶかは人に許可を求めなくて大丈夫だと言ってくれた友人もいました。Xジェンダーであることを伝えたら、素敵なことだね。大丈夫、おかしなことなんてこれっぽっちもないと言ってそれ以来授業で目一杯配慮してくれている先生もいます。自分のことを認めてくれる人がいる。それはこの上なく幸せな事だと思うのです。それでもまだ、日常の中で変わって欲しいと願っている事は沢山あります。例えば教科書。例えば制服。例えば書類の性別記入欄。どれもこれも僕にとっては大きな問題です。  中学生になっても高校生になっても保険の教科書には異性同士の恋愛については書いてあっても同性同士の恋愛については何も書かれていない。結婚や子育ての話だって一般的な事ばかりで僕にとっては不十分なものです。結婚にも子育てにも、もっといろんな形があればいいのに。授業中僕はいつもそればかり考えてしまうのです。  嫌でも着なければならない制服。僕が着たいのは一般的に男子用の制服です。どうしてスカート履かなくちゃダメなの?中学生の時から僕が抱える疑問。今まで生きてきて僕が納得できる答えをくれた人はいません。自分で答えを見つける事もきっと無理でしょう。  模試でもアンケートでも記入しなければならない性別記入欄。「その他」という枠一つ増やす事ができない理由を大人に聞いてみたい。だから僕は男と女の間にある区切るための「・」に丸を付けたくてウズウズします。  他にも山のように問題はあります。完全に無くす事は難しい事です。それでもきっと取り残される人をなくす事はできると思います。もしもあなたが友人から「自分はLGBTQ+だよ」と言われたら、「話してくれてありがとう、あなたの事を知れてよかった」と答えて欲しい。誰かにありのままの自分を認めてもらえる。それだけでも随分安心できるものだと思います。僕もそうですが、当事者にとって自分の事を伝えるのはかなり勇気が必要な事です。相手を信頼しているからこそ、その事を伝えます。でもいつかLGBTQ+の人がいる事が当たり前と誰もが思う世の中になって欲しいと僕は願っています。今の僕はどんなマイノリティの人でも受け入れられるAlly(アライ)として少しずつ活動をし始めています。今までは自分の事が上手く受け入れられませんでした。でも今は僕の事を認めてくれた友人達のおかげで「Xジェンダーの僕」で良かったと思えます。もっと胸を張って「Xジェンダーの僕」として活動していく事が次の大きな目標です。LGBTQ+の人の割合は、左利きの人の割合とほとんど変わらないと言われています。左利きである事を恥ずかしく思う人はいません。だから、LGBTQ+が左利きであるのと同じくらい自然であるようになって欲しい。そうなれば「誰一人取り残さない」世界に近付くのではないか。僕はそう思います。

【大賞】◆島村ひなた(仮名)、高校3年生
性被害で悩む人を誰一人取り残さない社会を望みます
私は、高校2年生の冬に性被害に遭った。そこで、「自分の知識の無さ」と「周りの無理解」の2つを痛感した。  被害に遭ったのは塾から家に帰る間の夜遅くだった。被害に遭った時は恐怖とパニックで気が動転したが、何とか家に逃げ帰った。帰宅してからも恐怖とパニックで頭がいっぱいで1人自室に籠って悩んでいた。被害に遭った苦痛は勿論のこと、別の問題が私の身に降りかかったのだ。どうすれば、何をすれば良いか分からなかった。  普通はまず家族に相談するのだろう。でも生理についても話さない家庭だ。性被害についてなんて話したことが無かった。 「1人でどうにかするしかない。」 そう判断した私はネット検索をしたが、これというサイトがなく、状況は変わらないままだった。 「あるサイトには110番するように書いてあるが、この位の事で通報していいのだろうか。」 「他のサイトには警察署に行くように書いてあるが、こんな夜中に1人で行く事は出来ない。」 このまま泣き寝入りしようかとも悩んだ。性被害に遭ったのは初めてではなかったが、そのいずれも言ってこなかった。誰に話したら良いのか分からなかったのだ。  悩んだ末、警察署に電話しようと決めたが、隠れて電話は出来ない。どちらにしても親にはばれてしまう。帰宅してから1時間後、ようやく母親に打ち明けたが、期待していたような反応ではなかった。困ったような、少し呆れたような表情で、警察に相談するのも大げさだと言われた。  次の日、誰かに話を聞いてもらいたくて担任の先生に相談した。先生は責めずに話を聞いてくれたが、それほど重く受け止めているようではなかった。塾の先生も同様で、 「確かにここら辺は治安も悪いし、そういう事もあるよね。」 と笑って言われた。私も笑うしかなかった。自分が気にしすぎで、おかしいのかもしれないとも思った。  その日の夜、昨日そっと様子を覗いていた姉が、 「〇〇が可哀そうだ、これをあげる。」 とうさぎのポーチをくれた。 「この言葉だったんだ、私はただ被害の辛さを認めてほしかった。寄り添って欲しかった。」 その時、ようやく肩の荷が降りた気がした。  その後は、三週間の急性ストレス障害をスクールカウンセリングを通して克服した。落ち着いてしばらくした後、私はある活動を始めた。中学高校での性被害の教育を推進する活動だ。主に、生徒に対しては、養護教諭監督のもとで、性被害に関する教室を開いて、正しい知識を得られる場を作っている。教員に対しては、正しい理解や生徒が学べる機会作りをお願いしている。  活動の一環で在籍する学校の中高生にアンケートをとったところ、女子は242人中66人が、男子は187人中12人が性被害に遭ったことがあるという。これは女子の4人に1人、男子の17人に1人の割合だ。また、その内の28%が誰にも相談できなかったという。私と同じような苦しみを経験した人は少なくないのだ。  この活動を通して、無知ゆえに泣き寝入りをしてしまうなどの状態をなくし、「知らなかった」ことで中高生が苦しまない社会を作りたい。また、周囲の大人への理解も広め、セカンドレイプをなくしたい。性被害はタブー視されがちな話題だが、そこに苦しんでいる人がいるのだ。性被害で悩む人を誰一人取り残さない社会を、強く望む。

【大賞】◆長澤孝侑 横浜国立大学1年生
特定の人々を排除する公園はあるべき姿なのだろうか
私の家の前には公園がある。芝で覆われた地面に小さいながら丘があり藤棚やベンチが配置されたのどかな雰囲気の公園である。その公園は様々な人が利用している。子供が走りまわったり母親とシャボン玉を吹いていたりすることもあれば、年配のご夫婦と思われる方々がウォーキングをしていることもある。私自身も高校生の頃天気の良い日には芝で昼寝をすることもあった。このように様々な年代の人々が思い思いに楽しんでいる公園ではあるが、ある時私はこの公園がある種の人々を排除しようとしているように感じた。 かつて私の前の公園にはホームレスの男性が住んでいた。住んでいるといっても週の半分ほどギターを持ってやってきて、昼は寝たりギターを弾いたりして夜はベンチでボーっとしているような風だった。その男性の引くギターの音を耳にしながら芝に寝転がるのが私はなかなか好きだった。 台風で強い雨が降っていたある日の夜遅くのことである。私が傘を盾にしながら帰っていると、公園の中でホームレスの男性と警察官二人とが押し問答をしているのを見かけた。何やら屋根付きの日よけの下で雨宿りをしたい男性に対して、警察官は出て行ってほしいということを伝えている様だった。その日の後も男性は公園に来ていたが、だんだんと姿を見せなくなり、とうとういなくなってしまった。私は当初警察官に執拗に迫られたのだろうかと考えていた。 ホームレスの男性を見かけなくなってからしばらくして私はその理由が公園にあるであろうということに気づいた。というのも、雨上がりに濡れた芝以外の場所で寝ようとした私は寝るのに都合の良い場所を全く見つけられなかったのである。公園のベンチはいつのまにか、健康増進を謳う丸みを帯びたものか一人用のスツールか真ん中にひじ掛けがついたものかに変化していた。これでは全く寝ることができない。さらに、以前は屋根付きの日よけだった場所は雨宿りができない藤棚に変わっていた。普通の人は何も問題なく過ごせるようでありながら、ホームレスの男性は居づらい環境に公園が整備されていたのである。 調べてみると、このような真ん中にひじ掛けのついたベンチなどの構造物を排除アートと呼ぶそうである。そもそもこれはアートなのかという問題があるが、なんにせよすべての人々を受け入れるべきであるはずの公園に、特定の人々を排除することを目的とした構造物があって良いのだろうか。そして排除されたホームレスの男性はどこに行ったのだろうか。不都合な存在をほかの人々からは分からないようにひっそりと目につかないところへ追いやる排除アートは、非常に意地が悪いように感じる。それらはまるでホームレスなど元からいなかったかのように見せ、彼らを社会から取り残すことに貢献しているのではないか。 ホームレスを公園からなくすには、彼らを排除するような構造物を設置するのではなく彼らに職と住む場所を与えるべきではないだろうか。また、そもそも特定の人々を排除しようというのは公共の場である公園のあるべき姿ではないだろう。私たちも公共の場から密かに排除されようとしている人がいることを忘れないようにしなければならない。あの男性がギターを弾いている姿をいつかまた公園でみられるような世の中になるように、公共の場から排除される人がいること、そしてそれは公共の場のあるべき姿ではないことについて議論を重ねたい。

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