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2021年 第2回SDGs誰一人取り残さない小論文コンテスト 「特別賞」作品全文

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【 入賞 / 特別賞作品(6点)全文 】
(大賞・特別賞以外の作品全文は追って掲載していきます)

【 入賞 / 株式会社日東装備特別賞 】
新井馨
 中央大学 3年生
6年前に帰化した私
「あなたの母語,日本語?」—— 来日10年目の今でも言われる言葉。6年前に帰化した私と“純・日本人”との違いを意識させられる言葉。
来日10年目の私にとって,日本語やルーツに自信を持ってない時間が長かった。名前と見た目は,“普通の日本人”と同じ。話さえしなければ,“日本人”ではないことはバレない。そんな私の日本での中高時代は,自分から誰かに声掛けることも,自分のルーツを公表することも,ずっと遠慮していた。話すと「かおるちゃんの母語,日本語?」と言われるのが怖かった。そして,私のルーツを知った途端に,私に対する態度が変わることが怖かった。そのため,私は中高時代ではずっと,ただ日本人らしく振る舞うことに集中していた。
一人ひとりが自分のバックグラウンドに自信を持って,自分らしく生きられる社会はどんなことが必要なのか。それを探るために,私はNPO団体カタリバのルーツ事業にジョインし,定時制高校に通う外国ルーツ高校生を中心に支援を行なってきた。
そこで出会った子どもたちは,流暢に日本語を話せても,日本語に自信がない人が多く, 日本社会に疎外感を感じる子が多いように感じた。日本語よりも,母語で話しかけた時の方が,圧倒的に笑顔でたくさん話してくれている。その根源には,同質化を求める日本社会に対し,彼や彼女たちは日本人らしく振る舞っても,日本語やその他の慣習などにおいて,日本人になりきれない葛藤がある。
彼や彼女たちにのしかかる“日本人らしさ”というのは,日本人らしさ(固定観念)に価値を見出す人の“なぜそんなこともできないのか”という目線から生まれたものだと感じた。「在留資格が定住なのに,なんでこん何も日本語話せていないの?」などなど。
そして,これは外国ルーツに限った話ではない。自分ができて当たり前と思っていることは,他者からしてみると必ずしも当たり前とは限らない。そんな時には,冷たい目線を向けるのではなく,他者が自分とは違う存在であることを肝に銘じる必要がある。“できない”他者に向けられた冷たい視線こそ,ヘルプを言い出せないまま取り残されてしまう人が生まれる根本的な理由だ。
全ての人間が生きやすい社会の前提となるのは,私たちは他者と共通した部分があり,また違う部分があることを知り,それを認めること。「みんなちがって、みんないい」,これがスローガンではなく,日本で暮らす一人ひとりの意識の中にあること。これこそ,全ての人間が平等に,全ての人間が取り残されない社会への第一歩ではないだろうか。

【 入賞 / フランスベッド特別賞 】
上野いぶき
 北星学園大学 文学部4年生
「おばあちゃん」のパワーはすごいと思う
「おばあちゃん」のパワーはすごいと思う。このコロナ禍、その思いは更に強くなった。
 私は大学4年生だ。大学3年の時、大学がオンライン授業になり、周りの皆さん同様将来が不安で不安で仕方なかった。人と会えないのはもちろん、3年かけて準備した留学も行けなくなり、夜もなかなか眠れない日が続いた。
 そして気づいた。人はさも簡単に不安や鬱に支配されることに気づいた。笑いたいのに笑えなかったり、何に不安なのかも説明できなかったり、何にも楽しさを見出せなくなっていた。大学1年生の妹も、同じような状態になり病院で不安症と診断された。
 緊急事態宣言が解除され、私は田舎に1人で住む祖母の元へ訪れた。祖母は今までと顔つきや雰囲気が異なり、小さなことにイライラしやすくなった孫に対して、普段通りの優しい態度で接し続けてくれた。何日か経ち、祖母の家に滞在する最後の日、いつにも増して気持ちが落ち込んでいた私に祖母は、大丈夫かい。と声をかけ黙って隣に座り続けた。私は自分でもよく分からない不安な心境を吐露し、祖母はずっと聞いてくれた。
 私はこの時、なぜこんなにも「おばあちゃん」という存在は話しやすいのだろうと考えた。話をするなら、家族や兄弟、友達、カウンセラーでもいいし、けれどなんで「おばあちゃん」はこんなにも安心するんだろう、と。
 そう1人考えている私に祖母は笑って言った。「おばあちゃんも、言ってなかったけど、昔辛い経験いっぱいしたんだよ〜。」と。 
 これだ!と思った。当たり前のことだが、多くの面で経験者であるのだ。共感してくれる、ただ聞いてるだけだけれど安心するのは、私自身意識せずとも「おばあちゃん」は経験してると分かっていたからなのではないか。これ程までの良いリスナーはいないのではないかとと思った。私は、同じように不安の中にいて誰にも相談できない人、辛い経験をした人、どうしたらいいか混乱の中にいる人に、「おばあちゃん」と話してほしい、そう考えこのコンテストに応募しようと決めた。
 私と同い年の人たち、私より若い人、社会で働いてる人が、自ら命を絶つ事例が今増えている。私の妹、私の姉も不安や絶望感を味わい、生きるのがしんどくなっていた時期もあった。姉は、病院にかかったこともあったが、その時の医師が冷たく薬を渡されただけで、全く助けにならなかったという。人にはそれぞれ合う合わないがあるし、その医師にも事情やその人なりの方法がある。けれど、もしそれでもっと辛い思いをした人には知って欲しい、他にも道があることを?
 大切な人を守りたい、大切な人の大切な人を守りたい、そんな思いで私はおばあちゃんたちに協力を仰ぎたい、そう考える。
 私が行いたいこと、それは上にも書かれている通り日本にいるおばあちゃんたちと、辛い思いを抱えている人を繋げる、ということだ。
 することは、協力をしてくれるおばあちゃんたちに、ある程度の心理学的メソッドや話を聞く上での大切なことを学んでもらう。辛い思いを抱えていたり、助けを必要とする若い人たち、社会人、どんな人でも会いたい時に近くに住み協力をしてくれるおばあちゃんに会いに行く。公園のベンチでも、近くの木の下でも2人がリラックスして話せるならどこでもいい。
 両者の出会い方は、アプリにおばあちゃんのよく外に出て行く時間帯や曜日を記入し、相談者がそれを見て尋ねるという方法だ。
 相談者の命を守るという目的の他に、この取り組みをしたいと考える理由が、高齢の方々にも素晴らしい役割があり、社会に必要な存在であることを認識してもらい、地域のコミュニティを活性化させ、結果として孤独死をも防ぎたいと思っているからだ。
 もし相談者がおばあちゃんによって救われたり、定期的に会えるようになり、繋がりが増えることで、救える命がまたさらに増えるとも思う。
 おばあちゃんのパワーを信じて、1人でも多くの不安を抱えた人に最高のリスナーを。経験者にしか生み出せない安心感を。命を絶つ選択肢をなくし、高齢の方々の孤独死を防ぐ。異なる世代の地域間での繋がりを。そんな思いを込めて、私はこのおばあちゃんプログラムを行いたいと考えている。

【 入賞 / 株式会社大川印刷特別賞 】
尾崎れいか(仮名)
 クラーク記念国際高等学校3年生
いじめと教育について
誰一人取り残されない社会を作る必要がある、そして、今、取り残されてしまっている人々がいることを知らなければならない。
「取り残される人々」という言葉を目にした時、私はすぐに一つの言葉が浮かんだ。それは、いじめだ。
私は、高校一年生の初めに、現在の学校に転入した。もちろん、前籍校でも、入学してすぐの頃は、ワクワクしていたが、ある出来事によって、クラスの中でとり残されて、その気持ちは、一瞬で消えてしまった。
私は、積極的に話したり、活動したりするのが苦手なので、前の学校では、クラスの中で特定のグループに所属できず、一人でいることが多かった。それだけであれば良かったが、その後、クラスの子から避けられるようになった。どこのグループにも所属せず、一人でいることで、異質だとして、避けるべき存在となってしまったのだ。また、一方で、避けることはしないが、一人でいる私を可哀想だと思い、同情してくる人もいた。だが、私は一人でいることに対して、抵抗はなかった。もちろん、明確な理由もなく、避けられるのは辛かったが、それ以上に、一人でいることや、意地悪をされていることに対して、「可哀想」と同情されるのが嫌だったのだ。そして、ついに私の心は折れてしまい、学校に行けなくなり、学校を辞め、現在通っている高校に転入することを決めた。
現在通っている高校には、様々な子がいる。例えば、知的障害を持っている子、夢に向かって芸能活動をしている子、体の弱い子などだ。一人一人、個性を持っていて、それを発揮できる空間が、この学校にはある。人の個性を潰さず、自分の個性も潰さないでいられる、そんな空間を保つ学校は日本には少ないように思う。そして、それは日本の学校の仕組みの問題点である。
私は、現在通っている高校で、先生に勧められ、10日間、ハワイに留学した。その時、現地の学校で現地の高校生と、授業を一緒に受ける機会があった。そこで私は、とても刺激を受けた。
私が普遍的だと考えられていた日本の学校の仕組みが、この学校では違ったのだ。まず、生徒たちは皆、自分の意見を自由に言える空間が整えられていた。それには、机に並べ方が関係していると思う。日本では、全ての机が教壇に向けて並べるのが一般的だが、この学校では、先生を取り囲むように机が並べられており、授業中も、生徒同士、互いに顔を見ることができるようになっていた。そうすることで、日本の学校で授業中に顕著に見られる、先生の質問に答える、という単調なやりとりだけではなく、生徒と生徒の意見の交換が促されるようになっていた。そして、この学校には、クラスというものがなく、集団行動も重視されていなかった。一人一人で動き、それが当たり前とされていたのだ。だから、一人でいても、同情されたり、憐れみの目で見られたりすることはなかった。
私は、冒頭で、「クラスの中でとり残されて」という表現をした。「取り残される」と「取り残されてしまった」という表現には違いがあると思う。後者の表現には、可哀想だという気持ちが含まれているように思う。だが、私にとっては、取り残されたからといって、可哀想なのではなく、そのように周りから思われることが、悲しいのだ。そして、取り残されることを哀れみの対象とするように促しているのは、現在の日本の教育であると思う。日本の多くの学校では、集団行動を重視している。もちろん、このことには、団結力、コミュニケーション力が高まるなどの良い点があるが、一方で、集団でいることをいいこととみなし、一人でいることを悪いことだと考える風潮が生まれてしまっているように思う。
教育は、とても大切である。先生が生徒に教える内容だけでなく、そこで教える仕組みが、人々の関係、考え方を、構成するからだ。
日本の学校には、改善すべき点があるし、改善しなければならない。これは、日本だけで解決できる問題ではなく、他国の学校の良い点、悪い点を共に理解し、取り入れていく必要があると思う。そのために、世界で協力していく必要がある。sdgsの16に含まれる、いじめという問題を改善するために、私は、学び、教育そのものを変えることを目指して、大学で教育について学びたいと思っている。

【 入賞 / 株式会社エイビス特別賞 】
野添美咲
 フリーランス(共創カフェ)
正社員を目指さなければならないのか
「人生の時間をここで過ごしていいのだろうか・・・」「でも正社員だし環境はいいしな」「明日も同じ仕事の繰り返しか」これが1年前の私です。社会人1年目の私は、毎日が苦痛でした。
 遡ること2年、大学4年生だった私は就職活動真っ最中でした。初めは、やりたい仕事、興味がある職種で就職先を探していました。ここで壁にぶつかります。それは「希望と合う会社が見つからない」という壁です。こうしている間にも、周りの友達は次々と就職活動を終えて、残りの大学生活を楽しそうに過ごしていました。「同級生から取り残されたくない」という焦り、羨ましさ、自己嫌悪やあきらめが重なり、いつの間にか就職先の的を広げて探していました。ようやく決まった就職先は、やりたいこと、興味とはかけ離れていましたが、「名の知れている企業」は家族にも安心感を与え、自慢できるような就職先でした。私はこのように次々と言い訳をし、知らぬ間に私自身を納得させ、企業の名前にすがり就職先を決めてしまいました。
 就職してからは、仕事は定時終わり、土日完全休み、給料も良い。上司との関係も良好で、働きやすい環境でした。しかし、この仕事を楽しむには苦労しました。納得できないことが多かったのです。特に納得できなかったことは2つあります。1つは、自分が好きになれていない商品を売り続けていること。売る側が自信を持って良い!と思っていないにも関わらず、相手には買ってと勧める。嘘をついている気分になり心苦しかったです。2つ目は、何を目的として働いているのかわからない状態でいること。毎日「野添美咲」としての存在価値を考えていました。目的を持たずに生活することが、自分の中身が無くなってしまうような感覚に陥り、私にとって苦しいことだと知りました。
 このような気持ちがあったため、仕事に対して目を輝かせている同期とも距離を置いてしまいました。周りと仕事の話をすることも嫌でした。その結果、私の知らないところで同期会が開かれ、研修では隙間時間に1人になってしまうこともあり気まずい思いをしました。
そして、2年目に向けての研修の日。目標を発表する機会で、前向きに話せない自分がいました。この日に、会社を辞める決意をしました。私は就職活動に「取り残されない」ようにしたら、会社の風潮から「取り残されてしまった」のです。 
 就職活動をしているときは、「新卒正社員」という言葉がとても重いものだと感じ、「新卒正社員」になることが決まった同級生から、取り残されないように必死でした。しかし、自分の進みたい道が既存の会社にないのならば、起業やフリーランスという道があり、お金が不安ならば、アルバイトをしながらでもできます。必ずしも新卒正社員で就職しなければならないわけでははないのです。周りの人や肩書だけに囚われ、自身の本当の気持ちを優先しなければ、心から日常を楽しめなくなってしまいます。また、「とりあえず3年働く」という言葉を耳にすることがあります。もしそこに納得できない日々があるのならば、「とりあえず」で3年間を過ごすのはもったいないです。人生の時間は無限にあるわけではないです。もしかしたら、次はその人が「会社の風潮から取り残される人」なのかもしれない。もしくは「楽しい日々から取り残される人」なのかもしれないです。
 現在私は、起業という道を選びました。知識もなく、会社を辞めてゼロから始めるには勇気が必要でしたが、協力や応援してくださる方と出会うことができ、前に進めています。もし私1人でしたら、路頭に迷っていたことでしょう。
 私はこのような経験から、何かを始めたくても前に踏み出せずにいる人が「私でも一歩踏み出せるかも」と思ってもらえるようなコミュニティを作っています。「地域で”挑戦する”を応援する」コミュニティです。所属メンバーは何かに挑戦している人、これから挑戦したいと考えている人、その人たちを応援したい人達です。このコンテストを知ったのも、町をSDGsで埋めつくす目標を持つメンバーがいたのがきっかけです。躓いてしまった人や新たな道を探している人への選択肢を増やす場、自身の活動に協力や応援してくれる仲間を見つける場になることで、どこかから取り残されそうなときに取り残されないようにするための新たな道を作りたいのです。
 私はここでの活動を通して「一秒でも長く楽しい人生を送ってほしい」という想いが強くなりました。そのためにはコミュニティを円滑に回せるようになることが重要だと感じています。そうすれば、「私でも挑戦できるかも!」と思ってもらえるし、その想いが周りの人にも伝わる、良い循環が生まれます。その循環は、個人に合った生活を送ることができる1つの選択肢となります。このように、「誰1人取り残されない」ように「選択肢という道」を作る活動に今後も取り組んで参ります。

【 入賞 / kakogawaRD.jp 特別賞 】
原匠
 ICS(うつ病に関する理解を広げるための団体)代表 24歳
うつ病を発症して気づいたこと

「人々が前を向いて人生を歩める社会に」
私は今、自転車で日本一周の旅をしながら情報発信活動を行っています。理由は「うつ病に対する社会的な空気感を変えたい」という想いがあるからです。なぜ、このような活動を始めたのかと言うと、過去に2度うつ病を患い、自殺を試みた過去があるということが挙げられます。
そんな私は小学3年生の頃からバスケットボールをし始め、中学生時代には大阪府代表チームのキャプテンを務めさせていただき、高校生の時にはインターハイに出場、名門私立大学へ進学した後も文武共に一心不乱に励んでいました。側から見れば順風満帆な人生であっただろうと思います。
ただ、気がつけば私は病院のベッドの上にいました。知らず知らずの内に自身の中に溜め込んでいた葛藤や不安など様々なものに耐えきれず、生きることさえも苦になってしまった結果です。
点滴のみの生活が続いたことにより、これまで必死に鍛え上げてきた身体はものの数日で痩せ細り、精神科病棟へも入院。目の前で起きていることが整理できず、文字通り「社会から取り残されていく」というような感覚でした。
その後、当時のチームメイトや家族の献身的な支えにより何とか社会復帰を果たし大学を卒業。就職先も見つかり、無事に社会人となりました。
当時のあの地獄のような時間がまるで幻だったかのように平凡な日常を送っていた私でしたが、現実はそう甘くありませんでした。自身の問題に向き合いきれていなかった私は社会人2年目にうつ病を再発。休職を余儀されなくなりました。
再び、出口の見えない真っ暗闇の中に迷い込んでしまった私は間違いなく混乱状態にありました。風の噂を聞いた社内の友人から心配の連絡が来るも、どのように返事をすればいいのかもわからず、返答について考える時間でさえ負担に感じたりもしていました。
そんな時、とある出来事が暗闇を抜け出す大きな転機になったのです。
その出来事が、「学生時代からの友人と同じ苦しみを共有できた」というものでした。その友人に自身の現状を伝えた後に彼は、「実は自分にもそういった時期があった。」と想像もしていなかった事実を打ち明けてくれたのです。そういった気質の人間ではないと思っていただけに本当に衝撃的な事実でした。
そこからは休職中に自身の頭を過ぎる数々の悩みや不安について話し合いっていましたが、それらがどれも共感できる内容ばかりでありました。そして、いくつもの共感を感じられたことは私にとって大きな安心感を得られる時間にもなり、自分の恐れていた得体の知れない不安や恐怖から救われていくような感覚がありました。
その後、わかりやすく以前よりも前向きな思考に転換できた私が諸々の出来事について整理をした結果、自身が最も恐れていたものは「友人との人間関係や社会的な視線」だったのだろうという答えに辿り着いたのです。
「これまでの交友関係に影響が出てしまうのではないか?」、「社会的にもうつ病になった人というレッテルを貼られて、次の就職先を探すことも難しい状況になるのではないか?」など、うつ病と診断された後の弊害があまりにも多く、過度な恐怖心を抱いていたのではないかと考えました。
そして、「うつ病と診断された後の生き辛さ」と「現在の生き辛さ」を天秤にかけた結果、後者の方がまだマシだろうという結論に至り、現状に縋るために「今の状況を打開できていないのは自分が頑張ってないからだ。」と会社員時代の私は自分を責めていました。
よく言われている「うつ病の人は真面目で自分を責めてしまう」という部分の背景にはこういった要素があるのではないかと今では思います。また、こういった状況を生んでしまう要因こそが「うつ病に対する社会的な空気感」に他ならないとも思っています。
このような「うつ病と診断されると今後の人生が苦しくなる」という思考や空気感がある以上、この部分への過度な恐怖心は消えず、うつ病という沼に沈んでいってしまう人が増え、「社会から取り残される人」が生まれ続けてしまうのではないかと私は考えています。
そんな状況を何とか打開できないかという想いと、今一度自身の問題に真正面から向き合い、0から再出発する覚悟を決め、発信活動を始めることを決意しました。
その上で、大きな発信力を持たない私が届けたい人たちの所へ自身の発信内容を届けるためにはどうすればいいかと考えた結果、私は自転車日本一周の旅に出発していました。
情報が溢れる社会でSNS発信のみに力を入れるよりも、全国各地の精神保健福祉センター等の施設に直接お伺いして認知を得ることが、何者でもない私にできる最善の方法であると考えたからです。
曲がりなりにも「取り残される人」の気持ちを味わった私だからこそ伝えられることがあると信じ、「人々が前を向いて人生を歩める社会の実現」のため、今後も地道に前進していきたいと思います。

【 入賞 / 株式会社スリーハイ特別賞 】
日野鈴香
 香川大学3年生
プラスチック袋を作る会社で働いていた経験から
つくる責任、つかう責任。SDGsの目標の一つを見たとき、「ふざけるな」と思った。私はプラスチック袋を作る会社で働いていた。コロナに加えて2020年7月に施行されたレジ袋の有料化が会社に直撃し、大幅な売り上げ減により給料やボーナスのカットが行われ、生活が立ち行かなくなった。経済産業省は環境のためにレジ袋の有料化は必要なのだと言う。では、そのレジ袋を生産する私たちの生活はどうなるのか。環境のために生活を犠牲にしなければならないのか。プラスチック製品の環境問題だって、捨てる人間が悪いのだ。袋を生産する私たちに、何の責任があるのだと言うのだろう。
 袋を作るのが好きだった。自分が作った袋を街中で見たとき「あのとき作ったものが世に届いているんだ」と実感し、本当に嬉しかった。今街を歩けば、ほとんどの人がマイバックを持っている。買い物で「マイバックはお持ちですか?」と聞かれる度に寂しさが募る。
 レジ袋有料化の元となるのは容器包装リサイクル法である。レジ袋有料化について深く知るために、会社を退職して大学の法学部に入学した。しかし、大学で私は自分の作っていた袋が地球に害を与えていることを知ったのである。大きな衝撃だった。
工場では1日に何十万枚ものプラスチック袋を生産していたが、その1枚1枚はやがてごみになる。焼却すれば有毒ガスを排出し、焼却されなければ分解されることもなく海や地表を埋め尽くす。つくる責任。私が作っていた1枚10gにも満たないレジ袋。製袋機から離れて初めて、自分が生み出した袋の重さを感じた。
環境問題へ本格的に取り組もうとすれば仕事が奪われ、そこで従事する人々が取り残される。しかし今行動しなければ、未来の人々が取り残される。私は何が正しいのか分からなくなった。レジ袋を作っていたかつての同僚の顔が浮かぶ。新婚の人がいた。障害を持ちながら働く人がいた。高齢の親を介護する人がいた。プラスチックごみは世界で取り組むべき大きな問題だ。しかし環境問題を解決するために、働く彼らを切り捨てて良いとは思わない。
答えの出ない問いに一筋の道を示してくれたのが、大学の授業で学んだガンディー思想だった。
「私は、自分の家に垣をめぐらし、窓を閉めることを望みはしない。私は、すべての国々 の文化の息吹ができるだけ自由に家の中を流れることを願う。しかし私は、その風に足をさらわれることを拒む」
1921年に起こったガンディー=タゴール論争にてチャルカ―運動に反対の立場を取ったタゴールに対し、ガンディーが述べた一文である。私はこのガンディーの言葉こそがSDGsの答えであると考える。環境を破壊し、貧富の格差に目を向けないままに豊かさを享受している現代はまさに、文化の息吹に足をさらわれているのではないだろうか。非暴力を貫いたガンディー思想から、私は「選択を変える」ことの重要性を学んだ。
 工場で働いていたとき、石灰石を主原料とするLIMEX素材を混ぜ込んだ袋を作ったことがある。レジ袋はポリエチレンフィルムからできているが、LIMEXを使った袋はポリエチレンよりも重く、強度も落ちた。
レジ袋有料化の対象にならない、バイオマス素材を25%以上配合した袋も作った。バイオマス素材配合率を高くすると印刷の色が上手く乗らない。製袋も難しく、強度に問題はないものの、ブツと呼ばれる小さな凹凸が袋の表面に出て、見た目が美しくならなかった。
 「どうしてこんなものを欲しがるのか」と、作っていた当時は思った。ポリエチレンの袋は薄く丈夫で、どんな色やデザインも美しく刷ることができる。環境に優しいLIMEX素材やバイオマス素材を使った袋は、全てにおいてポリエチレンで作られた袋に劣っていた。

 不便を愛する。
ガンディー思想を通して私が行きついた答えだ。環境に優しい袋は不便だ。しかし、物を包むために美しい袋が必要だろうか。数百グラムの物を持ち運ぶのに丈夫な袋が必要だろうか。私はもうLIMEX素材やバイオマス素材を使った袋が劣っているとは思わない。不便を買うことはすなわち未来を買うことだ。持続可能な社会を実現するために、まずは私たち自身が不便を愛し、未来を買う選択をしなければならない。需要が変われば供給も変わる。SGDsを達成するためには、つくる側とつかう側、両方からのアプローチが必要だ。今あるものを減らすことも大切だが、同時に求めるものを変える努力を行うべきなのではないだろうか。
LIMEXやバイオマス素材を使った袋以外にも、環境を考えた商品は多く存在する。ある物を削減しようとすると、そこで働く人が取り残されてしまうが、消費者が選択を変えることで環境と働く人のどちらも取り残さずに未来を紡ぐことができるのではないだろうか。誰も取り残さないために、未来のために、選択を変えよう。

ガンディーの言葉を借りて、「未来は今日の行動によって変えられる」と私は伝えたい。

 

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