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優秀賞2024

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優秀作品賞 <小論文部門>

NguyenPhuong Nhi 名古屋大学 法学部 3年生
孤独の中で見つけた絆
人は目に見える物理的な差や地位の違いに気付き、それを埋める方法を考えることができる。しかし、「取り残される」という言葉は、物理的な距離だけでなく、心の中に存在する見えない隔たりも示す。私達は人生で様々な人間関係に直面するが、時にはその隔たりが深く、簡単には埋められないことがある。そのような「取り残される痛み」を体験していた友人との出会いは私にとって忘れられない経験だ。
高校入学時、アインに会った。彼女は他人と違った雰囲気があり、どこか暗い表情で奇妙に振る舞い、授業中に時々突然怒ったり、怒鳴ったりした。また、クラスの活動に参加せず、教師が促すと叫んだり泣いたりすることもあった。私はその行動を注目を集めるための演技だと思い、距離を置いていた。
しかし、1学期が終わる頃、彼女への印象は少し変わった。アインは常に試験で高得点を取り、教師から突然の質問にも論理的に答えた。その姿に私は感銘を受けたが、彼女の怒りや叫びにはまだ不快感を抱き、彼女に対して複雑な感情を持つようになった。
高校1年生の夏休みに、私は彼女と偶然同じ塾を行くことになった。そして、学校とは違い塾での冷静な彼女が気になった。ある日家を掃除している時に、幼稚園時代の写真を見つけた。驚いたことに、その写真には彼女が写っていたのだ。これは彼女と話を始めるよい機会だと思い、その写真をSNSですぐに彼女に送った。これを機会に、彼女と私は次第に親しくなった。
そして、アインは徐々に私に心を開き、自分について話すようになった。彼女は末子で、兄弟との年齢差は約20歳だ。両親の計画外で生まれた彼女は、母親から「あなたを産むつもりはなかった」と言われた。家族は本来、愛と支えの存在であるべきだが、彼女にとって家族は逆に「自分を否定する存在」だった。その環境で、彼女は自己肯定感を失った。
家族の無関心で、彼女は次第に心を守るために見えない「壁」を作り始めた。小学校では、他人を寄せ付けず同級生から「変わり者」と見られ、いじめの対象になった。給食の時間に誰も彼女と一緒に座らず、彼女の持ち物を隠したり、悪口を言ったりする日々が続いた。その孤独感は彼女の心をさらに閉ざした。
高校生になった頃、占い師に「前世での罪深い行いが原因で、現世で苦しみを背負っている」と告げられ、彼女の絶望感はさらに深まった。この話を聞き、私は彼女の行動の背景にある深い傷と孤独を初めて理解した。
しかし、人間は集団で生活するものだ。家族がひどい扱いをしたにもかかわらず、アインは家族の一員になれるように努力していた。家族に経済的な問題がある時、様々なアルバイトをした。そして、「本当に優秀になれば、注目される」と思い、彼女は睡眠や食事時間を削り、勉学に励んだ。私は彼女の行動に悲しみと同時に尊敬の念を抱いた。
私はアインを支えたい一心で、彼女の体調を気遣い、毎日話した。当時私たちはとても親しく、互いにたくさん話をした。私は思わず彼女に「いつでも何が起こったとしても、私に話していいよ」と言った。彼女が「全てを話せばあなたが耐えられなくなる」と心配したが、「いつもあなたの側にいる」と言い張った。だが、今ではその言葉に責任を持てていなかったと後悔している。
大学入試が近づくと、全てが変わった。この時、私はストレスが多く、イライラして怒りっぽくなった。この時期にアインは他の友人に裏切られた。彼女はそれを私に話し続けたが、私はその話に疲れ、彼女からの連絡を無視し、彼女が何かを話している時すぐにその話が終わるような適当な返事をした。
今思い返してみると、私はとても利己的だ。人は長い間暗闇にいると、光を見たいと願わなくなる。しかし、少しでも光が見えると、希望と期待が現れる。しかし結局、疲れたからというだけで、手放された時、奈落の底に落ちるだろう。私はそれを知っていたが、それでもアインに対してそれをしてしまった。
大学受験が終わった後、幸運なことに彼女は私を許してくれた。そして、私はアインが「誰も他人の悲しみを完全に共有することはできない」と悟っていたことを知った。それでも、信頼できる誰かに自分の思いを打ち明けることができるだけで十分だと言った。しかし、それ以来、私が聞かない限り、アインは自ら話すことはなくなった。
アインとの経験を通じ、私は「人を理解することの難しさ」と「寄り添うことの大切さ」を学んだ。誰かを助けたいと思う中で、自分の限界や不安に直面し、相手を傷つけたり、取り残したりしてしまうことがある。アインは、私に「人は孤独の中で他者と繋がりたいと願う存在だ」ということを教えてくれた。そして、傷心に必要なのは、同情ではなく共感と支えだ。誰もが持つ痛みを少しでも分かち合い、互いの距離を縮めることが私たちの社会をより温かいものにする第一歩だ。
 
 
 
安藤桃 GreenBay Highschool 高校2年
偏見を超えて
 恥ずかしい。ニュージーランドの高校に入学し、一日目に感じたことは自分の視野の狭さだった。
クラスに入った時、そこには自分が想像していた金髪に青い目のいわゆる白人は少なく、アジア人や少し濃い肌の生徒が多かった。
私はすっかりその生徒たちのことを留学生と勘違いした。
しかし彼らは、親や祖先が移民としてニュージーランドに渡ってきた背景を持ちながらも、ニュージーランドに国籍を持つ、れっきとしたニュージーランド人である。
私がこのような勘違いするほど、ニュージランドは様々な国籍や、ルーツを持つ人々で構成される多分化社会だ。
二年間その環境で過ごした私は、多文化社会のすばらしさを知った。
街には様々な国の食べ物があふれ、週末には様々な国の文化フェスティバルが開催される。そして、学校には、留学生だけでなく様々な国にルーツを持つ生徒が多く在籍している。
彼らと過ごす日々は、新しい文化や言語を学ぶ刺激的な毎日だった。ニュージーランドについてだけでなく、彼らがルーツとする国々のことにも触れることができ、私の世界観は大きく広がった。
留学前、人種差別に対し不安を抱えていた私にとって、見た目の違いを超えて多様な人々が互いを受け入れ、共存するこのようなニュージーランドの社会は、まさに「理想」の姿であり、強く心を惹きつけられた。
しかし、日本に一時帰国し、ボランティアとして参加した日本語教室で目にした光景は、私が抱いていたその「理想」とは大きくかけ離れていた。
 日本語教室に通っているフィリピン人の女性は、言語の壁で、コミュニケーションが取れず職場や社会から孤立していると感じると話してくれた。
 現在の日本には341万人以上の在留外国人が暮らしているが、日本人は彼らを「異なる存在」と捉えてしまっている。
 この背景には、言語や文化の違いだけでなく、私たち日本人が外国人と直接触れ合う機会が少ない環境があるのではないだろうか。
その結果、私のように無意識のうちに、先入観に基づいた考え方をしてしまう日本人が少なくないことも、一因と言えるだろう。
 例えば、「外国人は日本語がしゃべれない」という偏見が、私たち日本人が身の回りの在留外国人との接触を避けてしまうの要因となっており、これらの偏見の根底には無知があるのだと考える。
これらの偏見には、無知が基盤にあると思う。
しかし実際、日本の在留外国人は日本語を流暢に話す人も多い。
私たちは日本に住んでいる彼らのことを知らなさすぎるのである。
 日本社会が目指すべき社会は、見た目や言語の違いを超えて受け入れるその先、互いの理解を深め支えあうことにあると思う。
ニュージーランドでの生活を始める前は考え方に無意識に先入観などが根付いていた。
しかし、多様性が認められ共生しているニュージーランドでの生活は、先入観や固定概念を取り払った。
異なる文化や言語に触れ、視野を広げ偏見を捨てることができた。
偏見や無知を捨てるためには、様々な人々と関わる機会を持ち、互いを理解していくことが必要だと考える。
これは、日本の在留外国人に対するものだけでなく日本社会で取り残されていると感じているすべての人を、そう感じさせないためへの一歩につながると思う。
 「誰ひとり取り残さない」社会を日本に作るために、まずは私たち一人ずつ意識改革をはじめ、個人ができることをはじめることが大事だ。
留学など大きなもなのである必要はない。
異なることに対して、関心を持ち理解を深め尊重し共有することを楽しめばいい。
今後、様々な背景を持つ人とかかわっていき、誰ひとり取り残されない社会を作ることに貢献していきたい。
 
 
 
安部悠花 山形大学 1年
自分らしく生きること
「もう一緒にいるのやめてもいい?」
 私は頭が真っ白になった。高校時代、友人から告げられた一言。学校生活の中で、多くの時間をともに過ごしてきたのに。学園祭も一緒にいたし、弁当も毎日一緒に食べていた。あんなに楽しそうに見えたのに。私は、涙を堪えながら「うん。」と言うしかなかった。私と彼女は、趣味が合わないらしい。だから、もう一緒にいたくない。そう言われた。
 次の日から、本当に口をきいてくれなくなった。私はまだ、その現実を受け入れられなかった。「おはよう」と声をかけても無視。もう一度言ってみても、「さっき言ったじゃん!」とブチギレ。休み時間には、他の友人たちの輪に入り、楽しそうに談笑している。私は一人になった。
 私の心は、ボロボロだった。どこに行っても、人間関係がうまくいかない。眠れない日々が続いた。それまで順調だった勉強にも身が入らない。どうしよう、分からない。考えても、考えても、分からない。授業中に指名されると、鼓動が身体中に響き、パニック寸前になる。入学時からトップを維持してきたからこそ、周りの目が気になる。間違えたら笑われる。そんなこととは裏腹に、
「安部さんはいいよね、頭いいから。また宿題見せて。」
「悠花でも分からないなら仕方ないか。」
友人や先生から掛けられた言葉。私の心はどんどん削られていく。その集団の中で「1位」になったというだけ。私を化け物だという者さえいた。私だって間違えるし、できないことだってある。だから絶えず努力し、その欠点を補ってきたのだ。他人を頼っても、「どうせできるでしょ」と言われる。私は一人になった。取り残された。みんなには信じてもらえない、「できない自分」がいる。その事実を一人で抱え続けるのが、本当に苦しかった。
 そんなある日のこと。
「どうしよう、全然読めない。」
一人だけ手が止まっている私。クラスメイトのペンを走らせる音が響く。私はただ、文字の集合を見つめているだけであった。
 高校二年の冬。記述模試での出来事だった。集中しようとしているのに、全然頭に入ってこない。みんなの背中が、どんどん遠ざかっていくように感じた。結局、解答欄の半分も埋められず、試験終了の合図がなった。もうだめだ。大学なんて受からない。楽しそうに談笑するクラスメイトが、輝いて見えた。私だけ取り残されている。そう感じた瞬間だった。
 大学生になった今も、取り残されたと感じることがある。先日、「レポートを書き、提出し終わった人から退出してください」という指示があった。私は最後の一人になった。しかし、高校生の頃のような、焦燥感はなかった。それは、「文章を考えるのに時間がかかる」という自分の性格を受け入れることができていたからだ。時間をかけてゴールを目指す、長距離走のような取り組み方が私には向いているのだと感じている。
 今考えると、取り残されたように感じていた高校時代は、「できない自分」にスポットライトを当て続け、「できる自分」と「自分らしさ」を見失っていた。それは、過剰に周りの目を気にしていたことが原因だと思う。
 私は将来、小学校教員として地域に貢献したいと考えている。先生として、人生の先輩として、そして同じ人間として、子どもたちに伝えたいことがある。
「自分も他人も、裸眼で見るということ」
「裸眼」というのは、先入観や偏見、理想のメガネをかけないということだ。自分は偏見を持っていないと思っていても、装着感のない快適なコンタクトレンズを着けているかもしれない。まずは自分自身の目を疑ってみること。その上で、そのままの自分を素直に認めてほしい。そして、自分の目で他人のことを知る努力をしてほしい。
 昨年度、不登校の小中学生が34万人を超えた。そういった子どもたちも、一人取り残されたような気持ちを抱えているかもしれない。世界には、学校に通えない子どもたちもいる。家族を失って、孤独を感じている子どもたちもいる。私にできることはちっぽけなことかもしれないが、最大限の協力をしたいと強く思う。
 私自身、これから多様な子どもたちに出会うことになる。LGBTQ+、発達障害といったように人間を分類する目で見るのではなく、その子の得意なことや苦手なこと、個性を理解するよう心がけていきたい。同時に、自分らしく、ありのままの姿で生きていくことの素晴らしさを体現できる大人でありたい。
そうすることで、以前の私のように、心が取り残される子どもたちが減っていくと、私は信じている。
 
 
 
伊藤雅紀
本当に綺麗な人っているんですか?
世間は、美しさや綺麗さを追い求めすぎだと感じる。
例えるなら、不倫した有名人を赤の他人がとやかく罵詈雑言を浴びせたり、
不適切なことをした芸能人を所謂キャンセルさせて誹謗中傷をしたり、
正しく生きることに執着している節がある。
しかし、実際はどうだろう?
人間って一生規則正しく生きられるだろうか?
僕は、NOだと言いたい。
一人一人、自分自身が心に傷を負っていることがあるはずだ。
僕自身もそうだ。
僕は、世間では疎まれている生活保護を受給している。
そうなった理由は、親から金銭面で支援ができないと通告されて
同時に、精神面で働けない状態が続いていたからだ。
最初のうちは、嫌がっていたが、前々から受け取っていた障害者年金だけでは、生活が成り立たないため、
嫌々、生活保護を申請することにした。
本音を言うと、屈辱的だった。
仕事ができない自分自身を憎んで、哀れんでしまった。
受給したての頃は、なんでも買って暴飲暴食が増えて、月末になるとお金があまりなかった。
しかし、かかりつけ医に相談したり、担当のケースワーカーさんに打ち明けたり、
外部の人たちの協力で徐々に金銭面の管理ができて、
今は、少しだけ余裕を持てる生活になりました。
このことを通して、人間って綺麗には暮らせないんだなと体験して、
そう考える様になった。
今も、生活保護なしでは生活ができない状況ですが、
段々と体調も良くなって、外に出る機会も増えたため、
生活を整える準備をしている最中です。
綺麗に生きるのは正しいですか?
むしろ、足掻いて汚くても生きていると実感できたら、
それこそが人の人生だと思います。
執着してまで、潔白さや純真無垢を追い求めたら
自分自身を縛り、生活の中で窒息してしまう要因になります。
だけど、罪を犯すのはいけないことです。
しかし、
重箱を突く様な真似は
たぶんきっと気持ち悪い行為です。
なら、いっそのこと、そっとするのが
人間ができる最小限の優しさだと考えます。
本当に綺麗な人っているんですか?
僕は、傷ついてばかりだけど
しっかりと生きる意志があります。
これを読んでいるあなたはどうですか?
 
 
 
逸見梨緒 不二聖心女子学院高等学校2年
教育 ― 画一的教育に価値はあるのか ―
小学生の頃、何十枚も原稿用紙を無駄にしたことがある。何分も何時間もかけて指に胼胝ができるくらい強く鉛筆を握りしめ、積み重ねた原稿用紙の束。自分よりも遥かに高く感じる教卓に、少し背伸びをして問いかけた。漸く書き終えたという少しの満足感と努力の功績は先生の赤ペンで一瞬で散ってしまった。
私は、小学校中学年になるまで、平仮名もカタカナも書けず、自力で本を読むことも、九九を唱えることさえできなかった。人よりも学習のペースが遅かったのだ。無論、授業を理解することもできず、連絡簿は一ヶ月で一杯になるような、周りの子とは違う、そんな子どもだった。私は集団行動に馴染めず、学習支援員の先生が付きっきりで面倒を見てくれた。周囲の子には、皆一様にできるはずのことができない子、期限を守れない子、非常に奇異な子に映っただろう。自分がこの場にいていいのかと責め立てられる、そんな縛られた空間が窮屈で仕方がなかった。
当時返却された原稿用紙には、半分以上、文字の間違いが指摘されていた。赤く大きな字で「やり直し」と記されたそれに私は、底知れぬ恐怖を感じたのを今でも覚えている。私は「小さいつ」が書けなかった。どの場所で使うのか、どうして、た行の「つ」と同じ形をしているのに、小さくなるのだろうか。疑問を言葉にしても、それに答えてくれる人はいなかった。「そんなことを言う前に、作文を書いたほうがいい」。尤もらしい言葉を吐かれるばかりだった。「できないことは悪いこと。」、「意見が違うならそれは不正解だ。」私の思考はその二文で埋め尽くされた。
わからなければ、周りと同じでなければ、まるで、腫れ物のように扱われる。果たしてそれは「教育」と言えるのだろうか。動画配信サイトやニュースのコメント欄では毎日のように教育に関する内容が掲載され、その意見は実に毀誉褒貶だ。確かに、早いうちからの教養は将来への学びの大きな糧と成りうる。しかしながら、否定するという行為そのものがその人の教育の機会を奪っているにも関わらず、他者の領域に土足で踏み入り、同調を求め、異なる意見に難色を示す。それは教育でもなんでもない、ただのその人の利己的な意見の押し付けだ。
教育とは、何千通りもの選択肢があり、その全てに正解不正解がつけられるものではない。主体的に、そして、他の意見を受け入れ、個の学びに繋げること、それが真の教育を行う目的であるのではないのだろうか。画一性と協調性は全く違う。枠組みを定め、それを逸したものは排斥する。それは教育とは呼べないのだ。「教育において価値観に正解はない」そのような寛容な意識を持つべきであると考える。
現在の日本では、過程やその人個人の意見よりも成果や多数派意見の方が重視される。学力や教養はその人をはかるためのある種のステータスとも言えるだろう。結果を残さなければ、生産性がなければ、それまでの努力は無駄なのかもしれない。私の、あの日書いた原稿用紙のように。可か不可か、そんなレッテルを貼られるこの世の中で、近い将来、教育が格差の道具とはならず、未来を切り開くための道具となることを強く願うばかりだ。
 
 
 
稲田明日 香白梅学園高等学校清修中高一貫部 2年
摂食障害から考える自分の理想像
私は、昨年摂食障害と診断された。会食で一緒に食べる人の目を過敏に意識して緊張し、出された食事を残さずに食べなければならないと自責の念に駆られた。そのときに、食べることに抵抗感を覚え、会食に関わらず、普段の食事での食べる量が激減したのだ。
病院で診断される前から、私は会食をすることが苦手であり、家族以外の人にそのことを言い出せずにいた。会食が苦手なことは珍しく、理解されにくいだろうと思って、言いたくても心の奥にしまっていた。それが、昨年摂食障害になる引き金になった。一人で抱えこみ、勝手に自分で自分を追い詰めてしまったのだ。
家族から、常に心配される日々だった。食べられるようになれば、元の食事量に戻れば家族は安心できると思って、口にするも結局吐いてしまう。食欲も一切湧かず、食べないために体力も落ちた。誰かにとっての一口が私にとっては一食のように思えた。だんだん食べられない自分にいら立った。日を追うごとに、体重が減っていく自分に焦りを感じた。この状況が続けば、私は死んでしまうのだろうかと考え、泣いてしまうこともあった。
しかし、周囲の人にたくさん支えられた。栄養素を考慮したご飯を毎日作ってくれるお母さん、メンタルケアをしてくれた保健室の先生、食べられないつらさを忘れさせてくれる親友の存在があったのだ。改めて、人に支えられて自分は生きていられるのだと実感した。
現在は、回復して食事量も戻り、食事を楽しむことができている。会食は変わらず苦手ではあるが、少しずつだが慣れている。ふとインターネットを見ていると、会食恐怖症という言葉があることを知った。理由やきっかけは様々であるが、私と同じように会食をすることがつらいと感じる人がいるのだ。それとともに、会食恐怖症の他にも、人に共感を得ること、理解されることが難しいため、それぞれの苦手なことや恐怖対象を周囲の人に言うことができずに苦しむ人がいることを知った。どうすれば、彼らの苦しみを緩和できるだろうか。
そこで私は、マゼンタ・スターの広報活動に参加している。マゼンタ・スターとは、東京大学の学生が発案したエンパワープロジェクトの一環であり、協力者カミングアウトの意思を示すためのマークである。マークを見ると、SDGsの目標10である「人や国の不平等をなくそう」のゴールカラーであるマゼンタ・ピンクがテーマカラーだ。そして、マゼンタ・スターを囲む線は17角形で、SDGsの目標数である。
私は、市内の小学校や公民館で、マゼンタ・スターについて話したり、文化祭でマゼンタ・スター缶バッチを作るブースを開いたりとマゼンタ・スター広めるための活動を行ってきた。そして、いつもスクールバックにマゼンタ・スターを付けて、意思表示をしている。
このマゼンタ・スターの取り組みを通じて、誰かのつらさや苦しみを決して軽視せずに、分かることのできる人になりたいと強く思うようになった。実際、自分が会食恐怖症、過去には摂食障害になり、そのときに自分のことを理解してくれた家族や先生、友人の存在は非常に大きく、救われた。
見た目では分かりづらく且つ打ち明けづらい恐怖症や悩みを理解したい。理解するのが難しいのならば、せめてその人が抱えているつらさに寄り添いたい。彼らがつらい状態のまま取り残したくない。なので、高校生の今、私はマゼンタ・スターを通じて誰かの力になろうとする。今度は、自分が救う番だ。
 
 
 
永井理愛 大宮国際中等教育学校 5年(高校2年生相当)
1人1人を見て!
「中国?やばいよ、あの国」
「本当に大丈夫?無事に帰って来れるの?」
「危険だよ。やめといたら?」
これは私が中国へ行くと決まった時言われた言葉だ。高校2年次の初夏、私は友好都市交流キャンプを通して、中国の河南省を訪問した。最初は内心、不安だった。なぜなら、インターネットでは、たびたび日本在住の中国人に対する批判が行われていたり、周囲の友人たちもあまり良いイメージをもっておらず、心配されたりしていたからだ。また、私の友人のみならず、インターネットで書きこみを行っている人たちなど多くの人が中国に対して、「野蛮な国」、「危険な国」、「迷惑な国」というイメージがあり、そんな認識が中国へ行く私への不安を募らせていたのだろう。
 しかし、河南省の空港へ着いた瞬間から驚きの連続だった。もともと、私の参加していた訪問団は空港でのトランジットに失敗し、予定よりも7時間遅れていた。そんな、大幅に遅れていた私たちの訪問団を現地のスタッフさんやボランティアの方たちは空港で待っていてくれたのだ。トランジットに失敗し、予定を大きく狂わせた私たちははっきり言って、良い印象ではなかっただろう。しかし、また次の日もその次の日も現地の方々の手厚いサポートのおかげで現地の博物館やお寺を訪問したり、大学生や高校生と交流したりするなど充実した生活を送ることができた。
 特に、現地の大学生との交流が今でも心に深く刻まれている。この交流プログラムでは、現地の大学生と日本人がバディとなって少林寺拳法などの演舞を鑑賞したり食事をしたりすることになっていた。私は、全く中国語を話せないのでどうやってコミュニケーションを取ればよいか不安に感じていた。しかし、私のバディの大学生Cさんは日本に興味を持っていて日本語で自己紹介をしてくれた。さらに、知っている日本語の単語をつなげて一生懸命に質問してくれたりスマートフォンの翻訳機能を使って会話をしてくれたりした。また、彼は「プレゼント!」と言って中国の伝統的なお守りをプレゼントしてくれた。彼はとてもやさしく、私の不安は一気にはれた。また、Cさんは日本のアニメや温泉などの文化に興味を持っていてその話でとても盛り上がりとても楽しい時間を過ごすことができた。この経験を通じて、渡航前中国へ行くことに対して不安に思っていた自分や、中国に対して、「野蛮な国」、「危険な国」、「迷惑な国」というイメージを持っている周囲に腹が立ったのと同時に悲しい気持ちになった。実際に、中国を訪問してみて、冷たかったり差別してきたりする人など一人もいなかった。みんな優しく、温かい人だった。さらに、日本のアニメや温泉に興味を持ってくれていてとてもうれしく思った。
数か月後、河南省の人たちが私の通っている高校へ訪問することが決定した。私は、以前まで消極的な性格で行事などに積極的に参加したり目立つ役割を担ったりすることはほとんどなかった。委員会はもちろん、グループワークのリーダーなども立候補したことがなかった。しかし、中国で現地の人たちに親切にしてもらった分恩返しをしたいと考え、決意を固めた。そして、中国から来校される訪問団を歓迎するレセプションの司会に立候補した。そして、実際に本番の司会を務めた。レセプションで校長先生や来賓された方を前に話すことはとても緊張した。しかし、レセプション後に校長先生が「皆さんのおもてなしは素晴らしかった。今まで来校された人たちの中で一番喜んで帰って行かれました。どうもありがとう。」と絶賛してくれた。私は、少しでも中国の方へ恩返しができたと感じ、うれしく思った。
 これらの経験を通して多くのことを学んだ。まず、周りの情報や意見に惑わされず、偏見を持たずに接することの大切さを知った。メディアや友人は中国に対してあまり良いイメージを持っていなかったが、実際に現地を訪問してみて中国には優しい人が多くいると分かった。「中国人」や「日本人」といった大きな主語で分類することは簡単だ。しかし、これは偏見や差別を生む色眼鏡になりかねない。きちんと一人一人を見る必要があると思う。私は、中国に訪問し現地の人、一人一人と対話をしたことで、中国には温かい人がたくさんいることを知った。そのため、誰一人取り残さない社会をつくるには、国籍や年齢、性別や人種など大きな枠組みで判断するのではなく、一人一人と実際にかかわりあって、お互いを尊重していく必要があると思う。さらに、言語や文化が違っても「相手のために何かしたい」という思いや「異文化をもっと知りたい」という思いが異文化理解の原動力となることを学んだ。私は、将来この経験を武器にして、多くの人が異文化に対して偏見を抱かないような社会を外交官として作っていきたい。そして、異文化交流の懸け橋となれるような存在になりたい。
 
 
 
河原真瑚 東京都立桜修館中等教育学校
普通とは何かを考えること。
私は、ノンバイナリーだ。性別で分けられることが嫌いで、お手洗いや体育の授業の着替えなど、学校にいるときは特に苦痛を感じることが多い。多様性に対する理解が深まりつつある社会になってきたが、まだ完全とは言えない。性別は、人々を2つにグループ分けする最も簡単な指標と言っても過言ではない。どちらのグループにも属することのできない自分は、ある種 ”取り残されている” のかもしれない。しかし、私が今回書きたいのは、そういうことではない。
私は、高校2年生のとき、ニュージーランドに留学した。たくさんの人と出会い、今まで見えてこなかった自分の一面を垣間見ることもできた。そんな中で、私は長いこと苦しんでいた自身の性別に関する悩みの答えのようなものを得た。男でも女でもない、中間でいいのだ。そう知ったときは、喜びと安堵の気持ちがともに押し上げてきた。ところが、帰国後は、ニュージーランドより遥かに性別による区別が多い日本 (厳密には学校) で私の居場所はなくなったように思えた。しかし、1人、同じように留学を経験した友だちが精力的にLGBTQIA+コミュニティの周知に取り組み、私を助けてくれた。一度その人とALTと協力してポスターなどを作成し、学校に掲示したことがあった。想像以上の反響で、達成感を得ることのできた出来事であった。そこから、私は自身のアイデンティティをオープンにし、正直に伝えるようになった。ただ、以前から仲のいい友だちには、カミングアウトすることで関係が崩れてしまうのではないかという不安からあまり言えていなかった。この間、ひょんなことからカミングアウトをすることになり、メッセージでのやり取りだったが、非常に緊張した。その人の返答はこうだった。「ずっとずっと理解してるよ!理解というか、変わったことじゃなくて何もわざわざ区別しなくていい普通のことだから、なんにもマイナスに思わないよ!」正直拍子抜けした。私はこんな ” 普通” のことに悩んでいたのか、と。取り残されていたのは、周りにはわからないだろうという自身の頑固な固定観念であって、私自身ではなかった。私の周囲には、思っていた以上に多くのアライがいた。そのことに、私はその人のメッセージを見て初めて気がついた。あるいは、それ以前から気がついてはいたが、「もしかしたら…」という不安で見て見ぬふりをしていただけなのかもしれない。
みなさんは、何を普通だと考えますか。正解は、ひとつではないと思います。大切なのは、正解を探し周囲と共通解をもつことではなく、一人ひとりがきちんと考え、さまざまな正解があることを理解することだと思います。誰かを取り残しているのは、私たちの考え方の違いです。違うことが悪いのではなく、それを知らないことがいけないのです。私は来年度から大学生になります。日本全国から集まる向上心の高い集団と一緒に過ごすことができるのが楽しみです。その中で、何が当たり前なのか、真に多様性を認め合うとはどういうことなのか、考え続けていきたいです。そして、将来は、現在 ”取り残されている” 世界の人々が、そのように思われない社会の実現に貢献したいと考えています。
最後に、 “取り残されている” のは一体何でしょうか。今一度、目を凝らして見つめてみてください。

 
 
 
笠島和歩 北海道教育大学附属函館中学校 2年
期待、それは重い鎖
「誰ひとり取り残さない」と聞いて自分は「不登校」が一番に思いつきます。そこで質問します。あなたは「期待されている」という状態に対して「嬉しい」「もっと頑張ろう」と思うでしょうか。それとも「悲しい」「辛い」と思うでしょうか。
 現在、約34万6482人の小、中学生が不登校状態にあります。近年、社会問題として注目を浴びている「いじめ」ですが、実際にはいじめが原因で不登校になる生徒は2%ほどしかいないという結果が出ています。では、不登校の主な原因は何でしょう。それは「無気力」です。「受験で燃え尽きてしまった」や「自己肯定感の低さ」、「過去の失敗や挫折から努力が無駄に感じる」など無気力になってしまう原因は様々ありますが、自分自身一番共感したのは「期待に応えようと頑張りすぎて疲れてしまった」ことです。
 先ほど、あなたが期待されているという状態に対してどういう感情を抱くのか質問させていただきました。これは自分自身の勝手な考えですが、小学生のうちの子どもと社会人は期待されているという状態に対して「嬉しい」「もっと頑張ろう」と思い、中学生、高校生、大学生は「悲しい」「辛い」と思うことが多くなってくるでしょう。自分自身、まだ社会を知らなかった小学生のうちは、「頑張ってね」という期待の言葉を嬉しく感じ、一生懸命に取り組んでいたように思います。また、社会人になって仕事などで「期待しているよ」と上司に言われた場合、それが単なる嫌味だったとしても自分や家庭、収入のために「もっと頑張ろう」と思う人が多いでしょう。それに対し、少し社会が分かってきた中学生、高校生、大学生はどうでしょうか。
 現在中学2年の自分は期待に対して「悲しい」「辛い」という感情を持っています。小学生の頃は一生懸命に頑張っていた習い事も「時間がないから」という都合の良い言い訳を使ってやらなくなりました。一生懸命に頑張れば誰かが認めてくれると信じて疑わなかったあの頃と、努力は報われないことに気づいて変わってしまった自分を比べて嫌気がさしました。また、同時期に、入学したての頃は大好きだった部活動もまったく楽しく思えないほど嫌なことやストレスが少しずつ溜まっていき、限界を迎えかけていました。つまり、その頃の自分は無気力の状態にあったのでしょう。自分では気づかなかったけれど、心のどこかで自分を必要としてくれる人を探していたのでしょう。毎日毎日自分探しの日々を送っていました。
 そんな中、国語の授業でこの意見文を書く時間が与えられました。自分だけが期待し合い、落胆し合う社会から取り残されていると感じた私は期待というキーワードで不登校の現状について調べたり過去の受賞作を見たりしながらこの意見文を書き始めました。誰かに面と向かって伝えられないことが、どんどん溢れ出してきました。自分はこんなにも悩んでいたのかと自分でも驚いたほどでした。
 学校の先生という立場はさぞ難しいでしょう。子供が好きで先生という職についた割に子供のことを全く見ていない先生もいます。そんな自分のことを一番に考える人たちを正当化する気は全くありませんが、生徒からの相談がない限り先生という立場の人はいじめに気づかないでしょう。いざ学校に行きたくないと思ったとしても、スクールカウンセラーの先生に相談するとなると大事になりそうで嫌だ、という人が世界には私の他にもたくさんいるでしょう。だからといって、家族に相談できるようなことでもなく、自分の中にとどめてしまい、やがて自分のことをわかってくれる人はいないと思い、追い込まれて不登校、自殺に至ることがあります。その手前まで行きかけた自分だからこそ、無気力が原因で不登校になった生徒の気持ちがわかるのです。
 私達の親の世代はほとんどの人が昭和に生まれ、体罰等のある時代で暮らしていました。その人達の多くが不登校なんて甘えだと思っているでしょう。その人なりに苦しいと思うことが積み重なっただけだから、無理して学校にいかせようとするな。不登校にまで追い詰められた人をメンタルが弱い人だと嘲笑うな。これだけは言わせてください。
 どうか、あなた自身の勝手な期待で他人の人生を変えないでください。殺さないでください。苦しめてることに、気づいてください。
 勝手に期待し合い、落胆し合うこのどうしようもない理不尽な世界では、誰ひとり取り残さないなんて綺麗事を達成するのは永久に無理でしょうね。寄り添ってあげようとする家族や先生、友達のぬくもりにも気付けないほど追い詰められた子供はたくさんいます。どうかそれに気づいてあげられる人でいてください。あなたのたった一回の行動で、言葉で、文で、人生は変わります。どうか、あの頃の私のように、この意見文を読んで「もうちょっとだけ頑張って生きてみようかな」と思える人が増えることを、願っています。
 
 
 
梶西琉生琉生大分県立佐伯鶴城高等学校3年
ラベル化と多様性
最近メンズメイクという言葉をよく耳にする様になった。かく言う私もそれをしている人間の一人だ。私はただただ自分のコンプレックスをメイクをすることで隠すことで、外見に自信がもて日々のパフォーマンスを向上させる為にメイクをする。一方で「男性がメイクなどの行為をするのは気持ち悪い」と言う人が少数派ではないのも事実だ。私もその様に言われた経験がある。その時私は、なぜそのように言われるのだろうと思いネットで調べてみた。そうすると一つの共通するキーワードが浮かび上がった。それは「ラベル化」である。ラベル化とは人や物事に対して「こうだと思う」や「こうな気がする」など根拠のないラベルを相手から貼られたり自分自身で貼ったりすることである。ラベル化は一概に悪いとは言い切れない側面もある。例をあげると、教師が生徒に「あなたは優秀だ」とポジティブなラベル化を行うことで生徒が物事に対して意欲的に取り組む様になったり、成功体験を作らせてより高みを目指したりする心理学的意味がある。しかし、今日世間を騒がせているラベル化はこの様なポジティブな意味ではない。「あの地域は所謂部落と呼ばれる場所だから、そこに住んでいる人と結婚させることができない」や「あそこの学校出身の人間はよくな人間がいないので関わるべきではない」等の差別的なラベル化が現代では問題視されている。これを踏まえて私が考えたのは、「メイクといえば女性がするものだから男性がメイクをするのは気持ち悪い」と考える人が多いのではないかと言うふうに考えた。このような不用意な発言によって誰かの多様性が侵害されている事実に私は憤りを感じている。これに類似する話で今教育界を賑わせている話が制服の話だ。近年LGBTQの流れを汲み制服を男女問わずスカートでもズボンでも選べる様になっている学校が出てきている。しかしそのような悩みを抱えている生徒でもその制服を利用しない生徒がいると言う話を聞いたことがある。その理由は制服を改定する文面に「LGBTQ等に配慮し」との記載が見られることだ。側から見ると問題ない一節に思えるが、私はこの一節はとても大きな問題だと思った。何故ならこの一節により「男がスカートを履くことはLGBTQに配慮してのこと」と言うラベル化を促進しているからである。またこの一説によってLGBTQとは特定の属性であり自分とは関係ないという根本的な意識を植えつけさせている。だから結果的に男がスカートを履いたらLGBTQという普通の人とは違う属性だと思われるかもしれないと言う恐怖心から実際にこの制度を利用する生徒が少ないのであると思う。本当に配慮しているのであれば配慮しているなどと言ったわざとらしい言葉は使わずに当然のようにこの制度を使っていいという意識を持たせることが重要であると思う。しかし私はなんでもかんでも「多様化」だと主張する人間の意見には反対である。例えて言うなら心が女性で体が男性の人が女性用の風呂に入ったり、トイレを使うと言うことである。何故これに反対かというとこれを言い換えると、ある人が取り残されないためにそうでない人が取り残されるべきと同義だ。ある人が取り残されないためにそうでない人が取り残されるべきと言うのはナンセンスで短絡的な愚策である、私はこれらは多様化ではないと思う。私が思う多様化とは上記にもある「ラベル化」を取り除き差別や偏見をなくし決めつけからから解放すると言う意味だと思う。先ほどの話で言うと体は男の人が女子風呂に入ると言うのは、差別ではなく区別だと思います。なので私はファッションなどに対するLGBTQの政策には賛成であるが、それ以外の場面では今の戸籍上の性別で判断されるべきであると思う。ではどの様にしたらファッションなどの多様化が進められるのかというと、まず万人の「LGBTQは特定の人によるもの」など多様化に関する考え方を変えなければいけないと思う。そのためには私たち個人が多様化はラベル化を排除することと言う認識を持ちしっかり根本から理解することが重要だと思う。私は人々一刻も早く自分の好きな服やメイクをしてそれによって差別や迫害を受けない理解のある世界になることを切に願っている。
 
 
 
間部賢杜 大阪大学一年
「健康で文化的な最低限度の生活」
少し前、高校時代に仲の良かった三人と映画を見に行ったとき、上映開始まで少し時間が空いたので、近くの喫茶店に入った。久しぶりの再会だったので、話に花が咲いた。互いに近況を報告しているうちに、最近流行りの『Pokémon Trading Card Game Pocket』、通常ポケポケというスマホゲームの話になった。このカードは使いやすい、そのカードをデッキに入れるならこのカードも入れた方が、といった具合に盛り上がっていた中、四人の中の一人が面白くなさそうな顔をしていた。聞けば、このゲームをしていないらしい。スマホのデータ容量が満タンで新しいアプリを入れる余裕は無いとのことだった。気になってストレージを見せてもらうと、写真やLINEなど必要最低限のものしか入っていなかった。見れば最大容量が32GBだった。機種も古いものだった。新しいものに変えないのかと彼に問うと、金銭的に厳しいし、現状に不便はないと答えた。
 彼は確かに不便はないだろう。家族や友達と連絡を取れないわけではないし、スマホで提出する課題が課されても支障なくこなせる。生活を送るうえで不利益を被ることはないという点で、不便はないという彼の言葉は真実なのだろう。世の中にはスマホを持てない人もいることを考えると、彼は充分恵まれているのだろう。しかし、かれは他の三人がゲームの話題で盛り上がっている時につまらなさそうにしていた。一人でしきりに空のコップをいらっていた。
 もし仮に、彼がスマホを持てないほどだったなら、種々の公的扶助を受けることが出来るだろう。しかし彼はスマホを所有できる程度にはお金を持っているし、友人と映画を鑑賞できる程度にお金を持っている。「健康で文化的な最低限度の生活」は達成できている。達成できてはいるが友人とゲームの話題を共有出来るほど余裕があるわけではない。周りの皆が楽しんでいるゲームをプレイできていないだけと切り捨ててしまえば、たったそれまでのことではあるが、私には小さな取るに足らない問題とは思われない。彼の退屈そうな表情の中には、この話題は自分とは縁のないものだという諦念がまじっているように感じられた。もしこの先、新しいアプリが流行したとしても、このままでは、彼はそのアプリをインストールできないだろう。そして今回同様、そのアプリに関する会話を諦め交じりの退屈に過ごすことになると予想される。アプリ以外の場合でも、同じように流行りに関する会話から取り残されるかもしれない。このようにハブられることは本人はもちろん、会話を繰り広げる人たちも望んではいない。誰も望まぬうちに、彼のような人に多くのことを諦めさせてしまうかもしれない。
 この問題は周囲の人の配慮である程度は回避できる部分もある。会話の前提となる条件、今回の場合はゲームをプレイしているかどうかを最初に確認すれば、誰かを除け者にしなくてすむ。プレイしていない人がいれば話題を変えれば良い。しかし、これは問題の本質的な解決にはならないだろう。その場では穏便に過ごせても、その後話題を共有出来る人だけで集まることに繋がるかもしれない。そしてそもそも彼の気持ちとして、流行りのものを消費したい、会話に参加したいというものがあるのだとすれば、それを達成できないのならば一時凌ぎにしかならない。
 私たちは「健康で文化的な最低限度の生活」を達成できていない人たちがいなくなるような社会づくりを心掛けると同時に、それをぎりぎりクリアしている人たちがさらに幸せな生活を送ることができるような社会づくりも視野に入れなければならない。
 
 
 
関谷啓人 栄光学園高校1年
寝室をプラネタリウムに。
僕は恵まれている。体に不自由は特に無く、何事も人並みには出来る。両親は自分を尊重してくれて、学校には良き仲間や先生がいる。自分としても充実した、楽しい日々を送っていると感じていた。しかし、そんな自分にも悩みがあった。順風満帆な一日を振り返り、明日への希望を噛み締めながらベッドに入る。そうすると、寝室の暗闇に障害を持ったり、何かしらの欠陥がある人の苦悩、嘆きなどが見え、それは自らの能力、環境に向けられていて、救いを求めているように、同時に嫉妬を抱いている様にも感じさせた。その度僕は罪悪感に苛まれ、彼らを助けてあげる為にも「もっと頑張らなきゃ」と以前の怠惰な自分を責め立てた。
 「この人達はこんな苦しんでいるのに」、誰もが一度は使うか使われたことのある、誰しもの心に少なからず有りそうな言葉である。ここにおける「この人達」を僕は「取り残されている人」としていた。彼らは可哀想な人であり救いあげられるべき対象で、僕は救い上げるべき人。下から上に引っ張りあげる、そんなイメージを持っていた。しかし今となっては、この考え方は見つめ直してみるべきだと思う。そう思うようになったきっかは、僕が「可哀想」や「救うべき対象」などと言っていた「取り残されている人」がくれたものだった。
 夏、僕は世界最大規模のスポーツの祭典であるオリンピックに熱中していた。どの試合もトップレベルで、とても見応えがあった。しばらくしてオリンピックも終わりを告げ、名残惜しい気持ちと共にテレビを観ていると、次はパラリンピックというのが始まる事を知ったが、それは障害を持っている人達、僕的には「取り残されている人」が出場するものであり、観戦すると寝る時のようになり得ると思ったので観ようとは思わなかった。それからまたしばらく経った日、いつも通り漠然とした使命感を抱きながら起き上がり、リビングの椅子に座りながらテレビを付けるとパラリンピックの試合が行われていた。チャンネルを変えようと一瞬思ったが、僕はいつの間にか試合の白熱ぶりに圧倒され見入ってしまっていた。そこで試合をしていた彼らは汗で反射した光と共に輝きを放っていた。その姿を見て、可哀想なんて言葉は心の中から見つからなかった。その時僕の中で「取り残されている人」への考えが変化しているのを感じていた。それは間違いなく彼らによって起こった出来事だった。この時の感情は上手く言葉に出来ないが、今日の寝室には星々が広がる気がした。
 僕らは「取り残されている人」を救いたいと思っていて、それは決して悪い事では無いと思う。だけれど「救う、救われる」関係を今一度見つめ直し、欠けている部分に集中して目を注ぐのではなく、輝きをもっと注視してみるのはどうだろうか。
 
 
 
岩井海音 東洋大学 修士1年
生存権が欲しいだけ
私、今まで社会に適応できるように頑張ってきたんです。
運動部に入ったし、英語も頑張ったし、いい成績が取れるように頑張りました。
トラブルが起きないように学校でも、家でも、どこでも気を遣ったし、人に愛されるために努力もしました。
言われたことに納得できなくても、必死に気を紛らわせて言うことを聞きました。
私の中ではできることをすべてやっているんです。苦しいし、もう疲れました。
あとできることは、社会を変えることなんですけどね。
あるとき、「社会のせいにするな」と言われました。
「社会のせいにしてどうするの?」と聞かれました。
「まだ頑張りが足りない」のだそうです。
「未来が明るくなるかどうかは君の努力次第」なのだそうです。
「君の考え方さえ変われば、苦しくなくなる」のだそうです。
もう疲れて、気分も落ちていましたし、また努力するにもやる気が出なかったので、そのことを伝えてみました。
返ってきた言葉は、
「気合が足りない」
「体力がない」
「運動をするとストレスが解消されるよ」
「ストレッチをするとリラックスできるよ」
「睡眠時間を長くするといい」
「食生活を整えるといい」
「リフレッシュをするといい」
「朝起きたら意識的に日光に当たるといい」
「趣味を楽しむ時間をつくったら?」などでした。
励ましの意味も含まれているでしょうけど、基本、私に努力をさせる方針のようです。
あと、「それができたらとっくにやってるわ」と言い返したくなることばかりでした。
多くの人との関わりで分かったのは、どんな形であれ、私が努力をしたことを知らせなければ、「努力の足りない怠け者」として扱われることでした。
私が表現しなければ、私がこれまで頑張ってきたという想像ができないみたいです。
「苦しかったら言えばいいじゃん」、「言ってくれなきゃわからないよ」なんて言うと思いますけど、言えたらとっくに言ってますし、言ってみたら受け入れてもらえなかったのが今なんですよ。
「暗い話をするな」とか、「めんどくさい」とか云々言われて。
言えたとして返ってくるのは、現行の問題のある社会に私を適応させる前提の全く響かない説教かアドバイスです。
どのあたりに言いたくなる要素があるんでしょうか。
こんな社会のどのあたりに、生きていたいと思う要素があるんでしょうか。
生きる気力がもうないんです。
でも、死にたくないんです。
こんなところで生きていたくないだけで、死にたくはないんです。
死にたくないだけで、今の生きづらい社会に苦しんででも適応したいとは全く思えないんです。
なんか私、いない方がいいですか?
死んで欲しいんですか?
私は生きるためにずっと努力をしています。
それでもなお、ある意味死にそうなんですけど、「社会が悪い」と言う人は悪人なんですか?
生存権獲得のために「社会を変える」と言う人は、国家転覆を目論む危険人物なんですか?
社会にじわじわ殺されそうな人が見えていないんですか?
間接殺人罪に問われたいんですか?
最後に、私がみなさんに何と言って欲しいのかを書き記しておきます。
「よく頑張ってきたね。君が生きていけるように、私も努力をしたい。こんな社会だけど、一緒に生きていてもらえないか。」
 
 
 
亀井理沙 大分県立佐伯鶴城高等学校3年
暗黒の3年間
見た目では分からない病気についてどう思いますか。あなたの周りに学校や仕事を休みがちな人がいた場合、その人のことを理解して、サポートしてあげたいと思いますか?それとも、怠けている人だと思いますか?現在の日本では約15人に1人がうつ病になっている。しかし、病気に対する悪い偏見が多く、親しい相手でさえも辛い状況を報告できない人が多くいる。
 私は高校3年間を、起立性調節障害と共に過ごした。人生で1番楽しい時期と言われる高校生活は、私にとって、とても暗く辛い時間だった。なぜなら、体調が悪く、自分ではどうすることも出来ない、ということを母以外、誰にも言えなかったからだ。初めは体育の時間に自分の体力の無さを痛感するだけだったが、次第に体育の時間に過呼吸になり倒れるようになった。倒れると、普段は明るい性格であることから、先生やクラスメイトからは、笑われたり、ネタにされたりした。しかし、私にとって、本当に悩んでいることを笑われることはすごく苦痛だった。笑われるから病気であることも言えなかった。過呼吸になると回復するのに時間がかかるが、それは個人差があるため演技だと思われることもあった。そして、倒れることが怖くなり、みんなが楽しんで運動している中、私は全力で楽しめなくなった。体育は休むと補講があり、休むことさえ許されなかった。座学の授業でも、朝起きれないことが原因で遅刻や、欠席が多くなってしまった。頑張って朝登校しても、午前中はどうしても目眩が酷く、早退した。学校に行きたいし、頑張りたい気持ちはあるのに、体が気持ちに全く付いてきてくれなかった。元気に登校できたとしても、休んだ分だけ授業にはついていけなくなり、1人取り残された気持ちになった。休んでいる間に人間関係がコロコロと変わり、私は教室で孤立するようになった。そんな自分自身の姿を自分が1番受け入れられなかった。小学校から中学までずっと皆勤賞で、一度も学校を休んだことがなかったから、自分が不登校気味になることを想像もしていなかった。加入していた陸上部も一年生の夏に退部した。陸上競技を全力でするために選んだ学校だったこともあり、とても悔しかった。もし、体調が良かったら陸上競技場以外にも、女子高生にしかできない、やりたいことが沢山あった。例えば、放課後に友達とカラオケに行ったり、プリクラを撮りに行ったり、休みの日にスイーツ巡りをしたり、何も予定を立てずにショッピングをしたり、など、書ききれないほど沢山ある。でも、私はほとんど経験出来なかった。行動すればできたことも沢山あるのかもしれないが、突然体調が悪くなって、遊ぶ直前にキャンセルすることになったらどうしようと考えて、友達を遊びに誘うことも出来なかったし、誘われても断ることばかりだった。そんな時、深く休んでいる理由を話さなくても理解してくれる先生に出会えた。学校に1人、自分のことを理解して、支えてくれる人がいるだけで気持ちが軽くなった。そして、相手のことを理解することの大切さを感じた。
 骨折で松葉杖を使っている人や、耳が聞こえなくて補聴器を使っている人は一目で配慮が必要だと分かり、サポートしてもらえる。しかし、起立性調節障害は認知度は上がったが、まだ、その症状を理解できている人は少ない。また、誤った知識を持っている人もいる。社会には、私のようなに見た目では分かりづらい病気で苦しんでいる人が多くいる。しかし、日本はそのような人をサポートする制度がほとんど備わってなく、学校だけの問題だと不登校が増加している。だから、SDGsの4番目の目標に「質の高い教育をみんなに」とあるように、体調が悪くて学校に行けない子も授業に取り残されずに、みんなと同じように授業を受けられるような体制を整えてほしい。例えば、授業を毎時間録画して家で見られるようにしたり、体育の時間に運動ができない人はレポートを書いたら、評価をもらえたりできることだ。
 辛い経験をした私だから伝えられることは、少しでも理解がある人がいるだけで起立性調節障害は少しずつ改善していくことだ。苦しい時に「自分のペースでいいよ」と言ってくれて、寄り添ってくれる人がいることが1番の支えになる。あなたの周りにもきっと、痛みや苦しみを隠して生きている人がいる。そんな人が、苦しまないといけない社会になるのなら私は声を上げて変えていきたい。そして、もっと生きやすい社会になって欲しい。これからの社会が誰ひとり取り残されず、みんなが安心して生活できる社会になることを願っている。
 
 
 
吉田光 西大和学園中学校3年
取り残された「こころ」
私は中学校に入ったばかりのころ、軽いいじめを受けたことがある。はじまりは一つの他愛ない質問だった。
「ねぇ、勉強って好き?」
私はこの質問に何気なく、「ううん、あんまり好きじゃないかな」と返したのだったと思う。それで一緒だね、なんて笑って。
 そしてその会話の直後、小テストがあった。私は自分で言うのも何だが勉強は得意な方で、そのときの小テストは満点だった。
 相互採点だったので、私はそのとき席が後ろだったその子に採点してもらった。
「あ、ありがと。採点終わった?」
「なぁんだ、嘘つき。勉強できるんじゃん。そういうのマジで無理」
冷たい目線、怒った声。今でもはっきりと思い出せるくらい鋭い口調。私、何かやっちゃった?と考えたときに思い当たるのはさっきの質問。あのとき、勉強が好きじゃないって言ったから。それなのに、満点なことに怒っているんだ。好きじゃないとは言ったけど、別に苦手だとは言っていないのに。困ったなぁ、怒らせちゃったかな、と思いつつもそのときはごめんね、と小さく返して会話を終えた。
 次の日。学校に来て、その子におはよう、と声をかけた。けれど、返ってこない。もう一度声をかけてみたけれど、やっぱり返してくれない。まだ怒ってるのかな、とそのまま席について、一時間目を迎えた。1時間目はグループワークで、班を作って話し合う授業だった。一人ずつ意見を交換していくその授業。私は三番目のはずだった。……けれど、その授業で私の番が回ってくることはなかった。「いじめ」が始まったのだ。たまたま私が嫌われてしまった子が女子のリーダー格の子だったから。その日から私は周りの子から無視されることになってしまった。
 結局そのいじめは一カ月くらいで途絶えた。無視と暴言が忙しくなるにつれて減っていき、考査が終わったころには全てなかったことになって元通り。もう今はその子たちともそれなりに仲良くしているくらいだ。
 だがしかし、私はそれ以来あまりできなくなってしまったことがある。例えば、「このアイドルかっこいいよね?」なんて聞かれたとき。もしその人があまり好きじゃなかったとしても、それを言えなくなってしまった。相手の意見に反論して、嫌われたらどうしよう。また「いじめ」られたらどうしよう。そう考えると、曖昧に濁すことしかできなくなって、正直に話すことが段々苦手になっていった。他にも、何かやりたいことがあったとき。立候補するのが怖くなった。でしゃばっていると思われて、嫌われるかもしれない。それなら、辞めておこう。わざわざやらなくてもいいじゃないか。そう考えるようになっていった。まとめると、自分の本当の「きもち」をうまく外に出せなくなってしまったのだ。「きもち」が自分の中に封じ込められて、取り残されてしまうようになったのだ。
 私のような人はたくさんいると思う。「いじめ」は最中も傷つくけれど、それだけじゃなくて終わってからも心に深く残り続ける。「きもち」がうまく出せなくなる。きっとそれは、すぐには直らない。
 私はそんな人たちの心を支えられるようになりたい。
 確かに私は今も上で書いたようなことが苦手だ。いじめられるのが、嫌われるのが怖くて諦めることもたくさんある。けれどそれでも、今は少しずつできるようになってきている気がする。「大丈夫だよ、一緒にやろうよ」そう言って支えてくれる友人のおかげで、少しずつ「いじめ」られる恐怖から解き放たれて、取り残された「きもち」を少しずつ拾っていけているような気がするのだ。「いじめ」で放たれた言葉が心を凍らせるのとは逆に、彼女の「大丈夫」がそれを溶かしてくれたのだ。
 だから、私はいじめなどで「きもち」を封じ込めるようになってしまった人たちを、恐怖を感じている人たちの心を和らげることができるような人間になりたい。大丈夫だよ、と言ってくれた彼女のようにできるようになりたいのだ。
 
 
 
宮内正枝 創価大学1年
見えない人からの贈り物、地球からの贈り物
最も取り残されやすい人とは誰だろうか。
それは、誰かの都合で存在しない事にされている人たちではないだろうか。誰に向けてSOSを出したら良いのか分からずに苦しんでいる人が、この世界にどれだけいるだろう。今日もどこかで、変わらない現状を嘆いている人がいる。あなたも、その一人かもしれない。誰かの思いやりと優しさを求めている人がたくさんいる。
私は今回、グローバル化と大量消費社会の陰に隠れてしまった人について考えてみようと思う。私は毎日、世界各国から届いた美味しい作物をいただいて生きている。幸せなことだが、私はふと疑問に思う時がある。
「これは誰の物だったのだろう」
誰かの食事を奪っているかもしれない。自分の育てた物を自分は食べられずに、輸出されていく。あるいは家畜が食べる飼料となり、やがてその家畜の肉も輸出される。残念ながらそのような現状に置かれている生産者、労働者がいる。あるデータによると、家畜用に生産される食品を人間の消費に回すと40億人を養うことが可能になるという。豊かな国の肉食文化の犠牲になっている人たちがいるのだ。さらに、世界の水不足も人の命に直接関わる深刻な問題だ。日本で水不足を感じる機会は少ない。しかし、それは日本が食料と共に、大量のバーチャルウォーターを輸入しているからだ。バーチャルウォーターとは、輸入している食料を国内で生産する際に必要となる水量を推定したものである。食料を通して、私たちは貴重な水資源を他国からいただいているのだ。厳しい環境下で作物を育て、届けてくださる人々がいるから、私たちは食を楽しむ事ができている。
食料に限ったことではない。洋服やスマホや家電製品、身の回りのものはどれも世界と繋がっている。このように、「モノ」が生産、加工、保存、運搬されて、私たち消費者に届くまでに、消費者からは見えなくなってしまう人が多くいるのだ。それは、低賃金で働かされる人かもしれないし、身体的、心理的に危険にさらされながら働いている人かもしれない。
「情報」もまた同じだ。その情報は誰が発信して、いつどのように切り取られ、今、私の目に入ってきたのかを把握する事はできない。発信者も、情報がどこまで広がっているのかを知る事は難しい。もはや発信者は責任を取る事などできず、知らぬ間に不特定多数の誰かを苦しめている可能性がある。見えないところで思い詰めている人がいる。
このように、グローバル化が進んだ現代社会では「モノ」や「情報」のやりとりが国を越えて盛んに行われる。その際、互いの顔が見えていない場合が多い点が問題である。では、他人を思いやり、大切にしていくために私たちにできる事は何だろうか。サプライチェーンにおける人権問題の解決や地球環境の保全はすぐにはできない。私にできる事は、受け取った物を大切にする事だ。具体的には、買った物を簡単に捨てない、買いすぎを防ぐために事前に予定を立てる、商品の値段が安い理由を調べる、アクセスした情報を自分で調べ直す、情報発信者の目的や意図を知るといった事が考えられる。
「モノ」や「情報」を受け取る人が気づかないだけで、許容されている悪があるのなら、受け取る人が賢くなる必要がある。何も考えなくてもお金を出せば欲しい物が手に入る状況は怖い。また、情報発信者が顔の見えない相手を傷つけてしまう世界は恐ろしい。だから、正しい知識を求めて行動し、悪を許さない社会を、私たちが作っていかなければならない。
話は変わるが、私が寮生活の中で感動する場面がある。時々、寮生の家族から荷物が届く事だ。周囲の人間関係も環境も一変し、悩みもがいている大学1年生だ。家族からの荷物は、泣きそうになるほどうれしいものだ。そこには「ちゃんとご飯食べてるの?」「あまり無理しすぎないでね」「いつでも帰ってきていいんだよ」「これ食べて元気出してね」というメッセージが込められている。
私は、自分で買った物も誰かからの「贈り物」だと思って受け取ることができたら、どれほど素敵だろうと思う。きっとそう思える人は全ての物を大切に使っていくに違いない。
その上で、私はもう一度問う。
「これは誰の物だったのだろう」
本来、誰の物でもないのかもしれない。たしかに育ててくれた人はいる。しかし、太陽の光や水がなければ、微生物がいなければ作物は生長しない。全て元をたどれば「地球の物」だ。そして、地球は人間の物ではない。人間だけの物ではない。人類は全生物の0.01%にすぎない。そんな当たり前のことを、人間は忘れてしまう。だから、地球を、置き去りにされがちな人を、全ての生物を大切にする社会、世界を作り上げていくことが、今、重要なのではないだろうか。
 
 
 
玉岡穂ノ佳 甲南大学 1年生
外国人の子ども達への日本語教育の挑戦
私は、「誰一人取り残さない」という視点から、日本にいる外国人の子どもたちに対する教育について考えます。
「教育」に関わる方法はたくさんあります。先生になったり、文房具を開発したり、宿題を見てあげたり。他にも、自然学校や料理教室など、上げだしたらとまりません。
その中でも私は、日本にいる外国人の子どもたちが日本語教育に使う教材開発という分野で将来、社会に貢献できたらと思っています。
現在、私は、日本にいる外国人に子どもたちに対する日本語支援のボランティアや、学習塾で出稼ぎに来ている両親の子どもたちに日本語の授業をしています。このような活動していく中で、2つの気づきがありました。1つ目は、資格を持たない方が行う、指導の質がばらついている日本語教育の授業を受けることで、母国語も日本語も中途半端になっている子どもたちが多いことです。2つ目に、日本語教育のための教材が非常に少ないことです。
 大人用の教材、日本語でのみ解説している教材だけでなく、英語版や、スペイン語など、様々な言語で解説しており、文法に基づいたものがほとんどです。
子ども用の教材は、外国語対応のものや、文法に基づいたものは滅多になく、カードゲームや、絵を見て覚える教材がほとんどで、自然に日本語を身に着けるための教材が多いです。
このような子供用の日本語教材を有意義に使うことが出来るのは、母国語が完全に定着していないからだと考えます。私たち大人は、日本語が完全に定着しているため、外国語を学ぶときには、文法的に考えてしまいます。
では、母国語が定着しかかっている外国人の小学5、6年生の子ども達は、この教材を有意義に使うことができるでしょうか。
私は、大人が使用することが出来る教材だけでなく、母国語が定着しかかっている小学生高学年向けを対象にした、文法について分かりやすく説明がされており、一人で勉強時に使用可能である教材を開発すべきだと考えます。今後、日本は更に移民の子どもたちが増えていくと予想される中で、日本語教育の重要さも増します。
質の高い日本語教育支援が可能になれば、現在、日本では未発達ではありますが、今後取り入れられる可能性があるバイリンガル教育の実現性も増します。また、少子高齢化している日本で、日本にいる外国人も含めたすべての子どもたちに適切な教育を行うことで、素晴らしい人材になって、日本を支えてくれるでしょう。これは、持続可能な開発という意味で、社会において重要です。
私はこうした課題に向き合うために、英語もドイツ語も学ぶことが出来、多国籍国家であり、移民支援が充実しているドイツに留学に行きたいと思っています。移民、外国人のためのドイツ語支援、現地人のための日本語講座でボランティア活動をし、ボランティア活動先で語学支援の方法と使用されている教材について学び、受講生らに支援の充実度や改善点をアンケートしたいです。また、ドイツでは教育セミナーが多数開催されています。現地の教育関係のセミナーに参加し、様々な人達との繋がりを持ちたいです。留学先で、様々な言語を第一言語とした、第二言語としてドイツ語や日本語を学ぶ子どもたちに出会いを通して、様々な言語を、様々な子供たちがどのように解釈するか、どのように理解していくかを実際に感じ、自分なりに試行錯誤しながら取り組むことで、様々な子たちのニーズに適応する、教育を受ける際の支えになるような教育材料の開発ができるのではないかと思います。
社会で取り残されがちである外国人問題は、教育で解決できる問題も多いと私は考えます。外国人の子ども達に対する日本語支援は発展途上です。今後、外国人をさらに日本は受け入れると予測されます。外国人の社会的立場が低くならないように、平等で平和に過ごすために、誰ひとりとり残さないために、教育改革をすべきです。
 
 
 
荒川彩香 伊豆伊東高校 定時制一年
ユーカリに揺られて
確かにあの日、ぱちぱちと熱い火花を散らしながら私の登ったゆらゆらと揺れるユーカリの木は、小さく音を立てて崩れていった。
酷く熱い夜で、風も沢山吹いていたと思う、モフモフの毛の生えている私は余計に暑くって、生暖かい風は凄く鬱陶しく感じた。
体に張り付くような風にうんざりとしながらユーカリの葉っぱをのんびりと食べていた時の事だった。
きっと、喉がカラカラになってしまうくらいに空気が乾燥していて、そこに暑すぎる位の朝の日差しが舞い込んできたからきっとそのせいもあったのだと思う。
少し太い枝の先に着いたカラカラに乾いたユーカリの葉っぱは、どうやら火がつきやすかったみたいで、どんどん燃えていって灰になってしまった。
段々と私の方にも火花が迫ってくる。
もう、駄目だろう。
足の遅い私には逃げることなんて出来ない、ばちばちと叫ぶ大きな火花が私の目の前までやってきた時に、絶望しながらもそう思った。
暗い炎の中で大きく目を開けながら必死に逃げようとしていると、遠くの方からブルンブルンと大きな音を立てて凄いスピードで走ってくるなにか大きな生き物がいた。
その大きな生き物の中からは私よりも大きな背の高い生き物達が沢山出てきて私の方へ走ってきたから、熱い炎が近くに来て怖いのとその大きな生き物達が沢山いて怖いのと私の大切なユーカリに近付いてきたのが合わさって私は逃げようともしたし、体を大きくして沢山大きな声を出して威嚇だってした。
でも私は走るのが遅いから、直ぐに呼吸が苦しくなってしまうから逃げ切ることが出来なくって、その背の高い生き物に捕まってしまった。
きっとこのまま炎に焼かれてしまうんだろうって思っていたら、背の高い生き物は私の方に「」と叫んでいて何を言っているのかはよく分からなかったけど、強ばった私の心に温かく染み渡るような気がして少しだけ安心したような気がした。
背の高い生き物は長い葉っぱのような、なにかふわふわとしたもので私を包みこんで四角い入れ物の中に詰め込んだ。
最初は少し息が苦しくって目も喉もカラカラとしていたけど、大きな生き物の中に入れられて何処かへと走っていったらぜえぜえと苦しかった息が段々と落ち着いてきて、ぱちぱちと嫌な音を立てていたあの大きな炎の中から逃げ出すことが出来た。
生き残る事が出来た。
あの日に出会った大きな生き物達の名前は知らないけど、逃げ出すことの出来なかった私を助け出してくれたあの生き物達はあの炎の中をずっと駆けずり回っていて、私達を一人残らず助けてくれた。
炎の中、絶望していた私を。
アミアミとした硬い何かに覆われた場所の中に生えていたユーカリの葉をむしゃむしゃと食べながら独り、今ならあの時の大きな生き物が言っていた言葉の意味がわかる様な気がした。
きっと…「絶対に助けるから」って、「誰一人残さないから」って「大丈夫だからね」って、必死に伝えてくれていたんだと思う。
…きっと、そんな気がした。

 
 
 
匿名 東京科学大学 3年
健常者へ
私は言葉の綴れぬ妹に代わってこの文を書く。
 私の妹は不登校児になった。今は高校3年生の2学期で、不登校と言うよりも、正確には週に1日2日と選んで登校している。妹は健康体で、家系に由来する片頭痛持ちではあるけれど、特別な持病もなければ骨折した事すらない。よく食べ、よく笑う子だった。お喋りなものだから食卓で聞く話と言えば彼女のダンス部での活躍か、友達との馬鹿騒ぎの顛末だった。学校にも楽しんで通っていた。
 けれど、今では学校にも行かなければ家族の誰ともあまり話さなくなった。笑顔が消え、よく眠そうに瞼を擦るばかり。無気力で憂鬱。人間には何かやる気を入れるスイッチの様なものがあるとして、突然、そのスイッチが切れてしまったのかと思わされる変貌ぶりだった。
 原因は分からない。きっと沢山の要因があったのだと思うが、結局私に分かるのは、誰も妹の支えにはなれなかったし、差し伸べた手も取ってはもらえなかったという事だ。
 むしろ、一緒に元の生活を取り戻そうと声を掛けるのは妹には逆効果で、彼女の負担を増すばかりだと後になって理解した。私にできる事は何かと考え続けた。そうしてこの文を書くことに決めた。
 これまで誰ひとり取り残さないという理念は素晴らしいものだと思っていた。この世界に生まれた誰もが平等に扱われ、幸せを掴むための権利があると信じて生きてきた。けれど、今ではそれが酷く残酷な面をも持つことに気が付いた。何故なら、誰ひとり取り残さないという事は、彼らに共に歩む事を強制するという意味も持ち合わせると感じたからだ。
 勿論、SDGsの考えに基づけば、どんな場所に生まれた人でも社会活動や経済活動に参加できるように、という意味合いが強い事は確かだ。だから少し皮肉な見方をしてしまっていると自覚している。確かに、妹はこの文言の対象例として挙げられている障がい者や、貧困層、外国人などの、先天的で動かしようのない属性を持っているわけではない。けれども、今、多くの人が自分で足を止めて、むしろ自ずから取り残されようとしているようだ。鬱や自殺の件数は増加するばかりで、社会学者は自嘲気味にこれを現代社会で見られる普遍的な傾向として扱っている。彼らはむしろマイノリティですらないからこそ、誰からも顧みられる事がない。
 だが、彼らにただ手を差し伸べても意味が無い事は嫌と言うほどに学ばされた。彼らは自ら停滞を選び、その他の選択を拒んでいるのだ。それを自己責任だと言い切るのは楽だ。けれどそうでない事を皆知っているはずだ。成功も失敗も、幸も不幸も、必ず運が作用し環境が選択を狭める。平等な権利の上での選択肢が公平であるとは限らない。それを自己責任だと言い切る事ができるのなら、誰一人取り残さないなどとは口が避けても言えないはずだ。だが、彼ら本人ですらそれが自分のせいだと思い込んでいる。救われる気持ちがない人を救うのは難しい。殆ど不可能だ。それは泳ぐ意思のない人に泳げと命令する様なものだ。
 ではどうすれば良いのだろうか。私は、寄り添うことが唯一私達にできる事だと思う。誰一人取り残さないでいるには、自分が彼らの側に寄り添う他にない。私は妹とただ時間を共有して過ごした。何を言うでもなく、何をするでもなく、ただ幾らか側にいることで、彼女と社会との繋がりが絶たれないようにしたつもりだ。妹は最初こそ心を開いてくれなかったが、やがて私が無害な草木と同じだと気がつくと、ある時ふと猫が気紛れに身を寄せるように、彼女の方からも寄り添ってくれた。何が本当の意味で作用したのかは分からないけれど、今、彼女は行っていなかった学校にも少しずつ通う事ができる様になってきている。或いは時間が解決してくれたのかもしれない。だが、人の心が時間を待てるかは分からない。だからこそ私達はまず行動しなければならない。
 寄り添うという行為は本質的に難しい。時に自らも社会から取り残される事になる。ただ時間を共にすると言っても、現代において時間は果てしなく貴重だ。私と妹は多くの面で都合が良かったが、本当の問題に直面している人々は大抵救いたい姿をしていないと言われている。歯に衣着せぬ物言いをするのであれば、それは生理的な嫌悪に基づく事もあれば偏見に基づく事もある。誰も寄り添いたいと思わない人間もいるという事実を私達は認識しなければならない。それを乗り越える必要があるのだから。
 先ずは知って、彼らを見る事だ。そして手を差し伸ばし、拒絶されても寄り添う事。誰一人取り残されない社会では、手を引くだけでなく、手を引かない方法も必要になるだろう。きっと誰もがそうすべきだと知っている結論だが、実行するのはやはり難しい。
 それでも、自分たちに関わりの無い話だと耳を閉ざさず、この声を聞いて欲しい。
 
 
 
佐藤萌 熊本学園大学 4年
「健康に産んであげられなくて、ごめんね」~病気の子どもと共に歩む母親の姿~
 最近、テレビや新聞で「共生社会」や「ソーシャル・インクルージョン」という言葉をよく耳にする。「誰もが尊重される社会」「みんなで支え合う社会」、その言葉を聞くと、多くの人は障害者や高齢者といった人の姿を思い浮かべるだろう。しかし、もう少し視野を広げてみてほしい。そこには、声を上げずに悩み苦しみながら生きる人々がいる。
 母親という存在もそのひとつである。多くの母親にとって、子どもの妊娠が判明してから出産、そして成人に至るまで、子どもが障害や病気を持つことを予想することはほとんどない。社会通念上、子どもは心身ともに健康な状態で生まれてくると期待されている。その期待に反して、病気や障害があると判明したとき、母親の心には計り知れない衝撃と痛みが押し寄せる。
 私の母もそうだった。私は生まれた時から難病があり、進行していく病気だ。その病気が中学生の時に急激に悪化して、車椅子生活になってしまった。周りの友達は輝く未来に向かって歩んでいる中で、自分だけが取り残されているような気がした。そんな絶望した日々の中、ある時、私は母に向かって「なぜ、俺を産んだ、お前のせいで、俺の人生は最悪だ」
今、思えば、あの言葉は私自身の苦しみの裏返しだった。だけど、未熟な私は、母がどれだけ自分を支えるために生きていたのか、全く分かっていなかった。母はそのとき、何も言わずに、ただ静かに私の部屋から出て行った。
 母親たちは、病気や障害のある子どもを育てる中で、社会の冷たさにも晒されることが多い。通院や入院の付き添い、学校行事前の相談、保育園や学校への送迎など、日々の時間と労力をほとんどの子どものケアに費やす。また、仕事はどうしてもパートや非正規雇用になりがちで、経済的不安定が常につきまとう。さらに、社会からの評価は「それが母親の務め」「当たり前」と当然視され、誰からも「よく頑張っている」と承認されない。
 母が、その苦労を見せたことはほとんどなかったが、あるとき、ドライブ中の静かな車内で「健康に産んであげられなくて、申し訳なかった。」「何度か、〇〇を殺したいと思ったことがあった。それを姉妹に言ったら、泣きながら『そんなことを言わないで』って…」と弱音を吐いた。その声は小さく、母は自分を責めていたのだ。出産ギリギリまで働き続けたせいかもしれない、妊娠が分かる前に髪を染めたのがいけなかったのかもしれない、そんな風に悔やむ母親は少なくないと聞く。家族や親戚の何気ない言葉が母の心を傷つけたこともあったかもしれない。
 ある患者・家族会に参加した際、母親たちが語った言葉を思い出す。「妊娠中、もっと体を大事にしていればよかった」「働きすぎたのかもしれない」「神様から罰を受けたのではないか」その声には、自分を責める痛みが詰まっていた。そして、その背景には、夫や祖父母、義両親の態度が影響していることも多い。子どもの病気や障害が分かったとき、父親が育児に関与しなかったり、母親だけに責任を押し付けたりするケースは少なくない。さらには、「そういう子どもを産むなんて」といった言葉が、母親の心を追い詰めることさえある。
 しかし、現実には、こうした母親たちの「心」を支える制度やサービスは非常に限られている。医療や福祉の制度が整備されつつあるとはいえ、母親自身の精神的なケアに焦点を当てた支援はまだまだ不足している。多くの母親が、自責感や罪悪感、そして使命感だけで踏ん張り続けているのが現状だ。
私は、そんな母の姿を見て育った。そして、大人になった今、自分がいかに母に支えられてきたかを痛感している。あのときの幼い私は、母の苦労や愛情を理解するどころか、ただ感情をぶつけてしまった。それでも母は、私を守り続けてくれたのだ。
振り返れば、母が私のためにしてくれたことは数え切れない。病院への付き添い、夜中まで続く看病、学校との連携、それだけではない。母は私の心にも寄り添ってくれた。将来の不安や悩みで落ち込んでいるときも、私が自分を責めるときも、母は「大丈夫、なんとかなるよ」と何度も言ってくれた。その言葉が、どれほど私の救いになったか分からない。
母が私を支えてくれたように、私は今、同じように苦しむ家族や子どもたちを支えたいと、医療ソーシャルワーカーになった。母の姿を通して「支えること」の大切さを学んだからだ。
最後に願うのは、こうした母親たちがもっと社会から認められることだ。子どものケアに全力を尽くす母親たちが、「ありがとう」と言われる機会が増える社会であってほしい。そして、そんな母親たちを支える仕組みや制度が広がっていくことを切に願っている。
 
 
 
小川安童禮 大宮国際中等教育学校 高校2年生
「誰にでも優しく!」
「誰にでも優しく」-私はそう自分に言い続けていた。
私は日本に来てから5年が経ち、来たときはまだ小学生だった。外国人の私にとって、未知の世界に足を踏み入れているような感覚だった。日本語で話すことはできず、日本人はそもそもどういう人たちなのかも知らなかった。どのような文化があるのか、マナーの大切さ、学校への行き方すら知らなかった。当時の私にとって、友達と仲間を作ることに必死で、周りの人たちに「優しく」接することが重要だと思っていた。
このような考え方は中学校に入った後まで続いていた。いつもそばにいて、サポートをすることで、私の「優しさ」を人々に見せようとした。例えば忙しくても、他人から助けを求められたときは時間を作るようにしていた。何かしらを決めるときに「何でもいいよ」と言って周りに合わせることが多かった。このように、自分より他人の考えを重視し、それを優先することがだんだん多くなってきた。対立などを避けるために、自分の考えや欲望を抑え、「このままで良い」と自分に言い続けていた。
いつの間にか、自分以外の人のために生きているようになったのである。「優しい」人間になろうとする過程で、自分のアイデンティティと自我を失うことになった。他人のことを意識しすぎたせいか、ある時点から自分のやりたいこともわからなくなった。周りの人たちは自分の夢を持っているにも関わらず、自分は卒業後にどの進路にいくのかもまだ決まっていなかった。自分の感情を理解することもできなくなった。悲しさや虚無感、またはひとりぼっちと感じて涙がこぼれることは時々あったけれど、どう頑張って考えても原因もわからないし、説明がつかなかった。人の前では自分ではない自分を見せて、理解されていないような、社会から隔絶された存在である気持ちだった。
自分の経験を振り返ってみて、全ては結局自分の思い込みのせいなのかも知れない。あの時、周りの人に見せていたのは「優しさ」ではないかも知れない。多分、周りを優先していたのは他人のためではなく、自分のためだったかも知れない。多分、周りを優先していたのは好かれたいからではなく、嫌われたくなかったかも知れない。社会や周りの人に受け入れられないと恐れていたから本当の自分を見せることが怖かったと思う。日本について何も知らなかったから、本当の自分を見せたら嫌われると勝手に思い込み、周りに合わせることが多くなったと思う。最終的に自分ではない自分を人に見せて、誰にも理解されていない気持ちになり、自分が他人から遠ざかっていた。
私が伝えたいことは主に二つある。一つ目は、「わがまま」になることに悪いことはないこと。他人に害を与えていない限り、自分を他人より優先することは決して悪くないことである。もちろん、優しく振り舞うことは大切であるが、自分の考えや意見を抑えて、自分を犠牲にするようなことは避けた方がいいのである。二つ目は、嫌われることを恐れないこと。障害において様々な人と関わる機会は無数ある。このような機会で出会った人に必ず好かれると限らないことを受け入れることが大切である。自分に対する嫌悪感を隠さない人もいるだろう。ただし、他人が自分に対し思っていることは自分の責任ではないし、そう思われているから自分に問題があるという意味でもない。
自分らしく生きることで、本当の自分を受け入れてくれる人が見つかる。自分自身を取り残すことはもう嫌だ。
 
 
 
小平暖己 慶應義塾大学2年
インドの多文化共生に学ぶ、包摂的社会の築き方
インドは言語、社会、宗教的に多様な国だ。州ごとに異なる公用語が存在し、ヒンドゥー教やイスラム教、キリスト教、シク教など様々な宗教が混在している。一見すると、蒸し暑いインドの空気の中で多様な価値観がぶつかり合い、混沌としているようにも見える。しかし実際には、ひとり一人がコミュニティの中で互いを理解し尊重することで、それらは調和を保っている。
私は以前インドのコルカタに滞在した際、まさに多文化共生の実践を目の当たりにしたことがある。その際はムスリムの家族を訪問し、彼らの食卓に招かれて一緒に夕食を取っていた。ヒンドゥー教徒である共通の友人も同席していたが、そこはムスリムの家族だから、ヒンドゥー教徒の口にすることができない牛肉を使った料理も食卓に並んでいた。そのとき、ムスリムのお母さんは彼女の宗教的禁忌を尊重し、食事を避けるために別の部屋で過ごせるように配慮していた。彼らの姿はまるで日本の近所の同級生のおうちに遊びに来たようで、宗教上の違いを感じさせなかった。こうした互いの宗教や文化への理解を行動に移すことが、問題を防ぎ、多文化社会のバランスを保ってきたのだと感じた。
この経験は、多文化社会における共生の基本を教えてくれた。異文化に対してただ「不干渉」であるだけでは、他者の障壁を取り除くことはできず、いずれ対立が生じる可能性がある。重要なのは相手の置かれた環境を理解し、相手の立場に立って考え、必要なら自分から行動を起こし助ける姿勢だ。例えば、外国の文化や料理をテーマとした地域のイベントや外国人住民との交流会は、異文化をコンテンツとして消費するだけではなく、理解を広げ、また自分たちとの共通点を探るための場でもあるべきだ。私たち一人ひとりが日常的に多様な文化や価値観に接してこそ、それらが共存する社会の基盤が築かれるのだ。
こうした多文化共生の姿勢は、言語・文化的に一様な社会であると思われがちな日本でも重要なアドバイスを与えてくれる。異なる文化や価値観と同じように、性別、障害、経済状況といった個人の生きる状況の中の多様さにも配慮する姿勢が肝要だからだ。日本では高度成長期以降、「学校に通い、会社に勤め、結婚して家庭を築く」といった人生モデルが「普通」として広く受け入れられてきた。しかし、この「普通」の仮定が多くの生きづらさを生んでいる現実がある。例えば、子育てや介護と仕事を両立する必要があり、フルタイムで会社勤めすることが難しい人もいる。学校の集団活動で障害のある子どもが孤立する場面も珍しくない。ほかにも障害や病気、貧困、差別に直面している人々の多くは、目に見えない形で細かな支援や配慮を必要としているが、彼らが日常的に関わるコミュニティにおいてはこうした事情に対する理解や柔軟性が欠ける場合がある。「多様」な生き方は可能ではあるが個人の責任とされており、支援は福祉制度や家庭内の問題として片付けられる。
こうした状況で「誰ひとり取り残さない」を実現するには、私たち一人ひとりが相手に関心を持ち、理解し、相手の立場に立って考えることが求められる。例えば、近所で身体の不自由な人が困っている場面に遭遇した際に声をかけて助ける、高齢者に席を譲ったり荷物を持つのを手伝ったりする、学校や職場で孤立しがちな人に話しかけて輪に入れるなど、個人的で小さな行動を大勢が積み重ねることで、社会全体が包摂的なものに変わるだろう。互いに迷惑をかけないことを是とするのではなく、友人や隣人を支え合い、必要なときには公共の場で手を差し伸べあうことを躊躇しない姿勢が大切だ。このような日常的な配慮と支援こそが、政策や制度以上に、きめ細やかで効果的な支援となり「多様」な生活を支え得る。
「誰ひとり取り残さない」の理念は、私たち一人ひとりの行動によってこそ実現可能だ。他者への関心を持ち、互いを理解し、支え合うことで、誰もが生きやすい社会が生まれる。それは多文化共生の場だけでなく、身近な日常の中でも実践できることだ。この小さな一歩が、より包摂的な社会への道を切り開くだろう。
 
 
 
水村美緑 愛知淑徳大学 一年生
認めよう、それぞれのはなまるライフ
 私は小さい頃、声が出ず話せないときがありました。それが吃音だと分かるのは中学生のころ。それまでは、よく学校生活の中で取り残されていると感じることがありました。
 吃音とは、言いたい言葉がなめらかに出ない発話障害のことです。「あーりがとう」のように最初の文字を伸ばしてしまう伸発、「あ、あ、ありがとう」のように同じ音を繰り替えしてしまう連発、「、、、ありがとう」のように、最初の音がなかなか出てこない難発の三つの場合があります。
 まず、朝の会の点呼で、自分の名前が言えません。「水村美緑です、元気です。」というだけなのに、どうしても「み」の音が出てきません。「はっきり言いなさい」と注意されながら、「私はここにいるのに」と何度も悲しい気持ちになりました。授業中には、教科書を順番に一行ずつ読んでいく「まる読み」でいつも苦労していました。先生が「まる読みをします」と言ってから、自分の順番が来るまで、ずっと心臓がバクバクして、息もよくできないくらいに緊張します。そして、自分の番が来た時、どこを読むかはわかっているのに、また、最初の音が出てこないのです。最初の「そ」の音が言えないときには、先生に「ドレミファソのそだよ」と何度も言われ、周りのクラスメイトも笑っていました。「読み方は分かっているのに」と、教室に一人、笑っているみんなと違う悲しい気持ちで座っている自分をさみしく思いました。また、登場人物の名前を、「も、も、森田くん」などのように言ってしまったときには、休み時間に何度も「森田くんって言ってみて」とクラスメイトに言われたことを今でも覚えています。こんなのは氷山の一角で、吃音で困ったことは、学校生活の中で山ほどありました。言いたい言葉は頭の中にはっきりとあるのに、話そうとすると喉がきゅうっと詰まって、音が出ない。そうしてもがいているうちに、届けたかった言葉や、届けたかった思い、届けたかった人がみんななくなってしまい、私の心の中に、一人ぽつんと取り残されてしまいます。
 では、吃音に限らず、どうすれば「誰も取り残さない」ことを実現できるのでしょうか。私が経験したことを基に、二つの思いを書いてみます。
 まず、「他者を許容する心を育む」ということです。他者を許容する、とはよく耳にする言葉ですが、私の考える「許容」は、「その人のできるステップを認める」ということです。例えば、私が許容されてうれしかったと感じたことは次のような出来事です。大学で、チームに分かれて発表をする授業がありました。今まで「発表」というと、どうしても声が出せずに打ち切られてしまったり、声が出せても途切れ途切れで内容が伝わらなかったりと、悔しい思いばかりしてきたものでした。しかし、今回は先生が原稿を打ち込めば音声が出る、読み上げアプリの使用を許可してくださいました。ほかの受講生やチームメイトも私がアプリを使うことを受け入れてくれ、本番では用意してきた原稿を無事に発表することができました。一生懸命準備してきたものを、「発表」という場ですべて出し切れた達成感、聞いているみんなに伝わった喜び、私は初めて、そのままの私が「発表」という場面で認められたのだなと感じ、世界が変わったようでした。私が考える「許容」とは、その人の役割を、その人のできる形で受け入れることだと思います。
 そしてそのために必要なもう一つのこと、みんなが自分自身の心を宝物として、大切に生きるということを伝えたいです。私たちは毎日、自分の「苦手」や「苦しい」気持ちと戦いながら生きています。そしてその能力や成果などを、誰かの決めたものさしで評価されて、また悲しんだり、苦しんだり。けれど、持って生まれてきたものはひとりひとり違います。だからものさしも、自分にはなまるをあげられるそれぞれのスタイルのものであっていいと思うのです。例えば、吃音のある人とない人にとっての「話すこと」は違います。生まれつき歩くことのできない人と、そうでない人にとっての「歩くこと」は違います。今私が挙げた2つは「障害」とみなされます。けれどそれは、私たちが持って生まれた「苦手」という形に、障害という名前がついた、と考えることもできます。自分が吃音であると分かったあの日、自分は障害者なのかと急に胸が苦しくなりました。しかし、今の私ならこう言えます。障害であるかどうか、障害があるかないかに関わらず、毎日戦いながら生きている自分に、はなまるをあげる生き方をすればよいということ。自分が今日できたことを受け入れて、認める。誰もがそうして生きていれば、きっと誰ひとり取り残さない社会が実現できると思います。
 私は現在、大学で教職課程を学んでいます。誰も取り残さない授業は実現できるか。今確信を持って「はい」と言うことはできなくても、この問いに挑戦し続けられる存在でありたいです。
 
 
 
水田朱音 筑波大学 修士1年
バリアフリートイレ
 「誰ひとり人取り残さない」ためには、一体どうすればよいのだろうか。あまりにも漠然とした問いに対し、少し身近なところから考えてみようと思う。
 私の弟には知的障害がある。彼は昔からトイレに対し、並々ならぬこだわりがあった。例えば、最新のセンサー付きトイレはライトの光が気になって入れない。光ってなくても勝手に流れてしまえばダメ。ちょっとでも汚ければ行きたくない。和式トイレなんてもってのほか。綺麗だけど新しすぎず、手動のレバーで流すことのできるトイレしか使えない。なんだかよくあるトイレな気もするが、実際に探してみると、意外と、ない。
 このこだわりのせいで、私の家族はどこに行くにもトイレの呪縛にあっていた。ちょっとしたお出かけがトイレ巡りになることもしばしば。ここもダメ、あそこもダメ、やっと手動で流せる洋式トイレを見つけたと思ったら、バリアフリートイレ。広すぎてダメらしい。これじゃあおちおち出かけられない。トイレぐらいなんでもいいじゃん、体が不自由とかなんとか、そんな理由があるわけじゃないんだし。そう思うかもしれない。でも、彼の中にある条件に当てはまるトイレでなければ、彼にとってトイレではないのだ。実際、長崎の離島に住む祖父の家に泊まりに行ったとき、彼はトイレが見つからず(いや、あるはずなんだけど)丸一日、ずっとトイレに行くのを我慢していた。なぜそこまで。
 ここまで執拗にトイレの話をしてしまったが、何が言いたいかというと、万人が取り残されず、同じように参加できる社会を作るのは難しいんじゃないかな、ということである。
 例えば、バリアフリートイレは障害のある人ない人、子どもや高齢者、いろいろな特性のある人みんなが利用できるように設計されている。特に車いすユーザーは、十分な広さが確保されたバリアフリートイレでないとかなり不便さを感じるだろう。でも、このバリアフリートイレは私の弟にとってトイレとは呼べないものだ。この世にあるトイレが全部バリアフリートイレだとしたら、みんなのために設計されたトイレのせいで彼の社会での活動は大きく制限されるだろう。
 彼だけではない。視覚障害のある友人は、バリアフリートイレは広すぎて環境把握の難しいかた使いたくないと言っていた。でも、弟と違って自動で流れるタイプの方が便利らしい。トイレによってレバーの位置が違うから、手動で流すタイプは毎回毎回探すのが大変らしい。
 このように、「みんなのため」に設計されたものであっても、全ての人がそこにフィットするとは限らない。大切なのは、いろんな選択肢が等しく用意されていることだと思う。少しずつ違う選択肢がたくさんあれば、全ての人が自分にフィットするものを探すことができる。社会の中で自分にフィットするものを見つけられたら、その人はきっと、それを手がかりに自分の活動域を広げられる。
 どんな形でも構わないのであれば、選択肢を用意することはきっと私にもできる。地道な作業になるし、もしかしたら、誰かに批判されることもあるかもしれない。それでも、多様な選択肢を作り続けることによって、社会から完全に取り残されてしまう人が減らすことができると信じている。
 
 
 
星野佳奈代 早稲田大学3年
みんなと同じでなくても、誰も一人じゃない。
友達と明るく楽しそうに話している自分。
真面目に勉強している自分。
SNSで見せる自分。
ライブハウスではしゃぐ自分。
友達の前で笑顔を保とうと頑張る自分。
大手の企業を目指して就職活動をする自分。
誰も見ていないと思いながらも、身だしなみに気をつかう自分。
寝る前に1人で涙を流している自分。
不安な気持ちを抱えきれない自分に「大丈夫」と言い聞かせる自分。
友達の発言を思い出して泣いている自分。
実家に帰って家族の前で見せる自分。
友達の前で見せる自分。
先生の前で見せる自分。
自分自身で見つめる自分。
私の中には、たくさんの「自分」がいる。外では明るく元気に振る舞い、周囲の人には「明るい」「コミュニケーション能力が高い」「誰とでも友達になれる」と言われることが多い。しかし、家に帰ると「今日も頑張りすぎたな」と自分が外で取り繕っていたことに気がつく。周りの目を気にし、一つ一つの発言の意図を深く考える性格だからこそ、「嫌われないように」と相手に合った「自分」を自然と出すようになっている。外で頑張って取り繕っているからこそ、私の「暗い部分」を誰にも理解されていないように感じる。そんな時、自分だけが社会から取り残されたような感覚になる。毎日を楽しそうに過ごしている友達を羨ましく思うこともある。「自分は誰にも理解されていない」「自分の味方はいない」と感じる。しかし、外で頑張っている自分も、一人でシクシクと泣いている自分も、どれも本当の自分である。人によっては表と裏があると思うかもしれないが、全部が私なのである。どんな自分も認めてあげたい。自分のことを自分自身で認めて、少なくとも自分だけは自分の理解者であり味方でいてあげたい。さらに欲を言えば、周りの人にもわかってほしいことが三つある。一つ目は、表で見せているものだけがその人だけではなく、誰しも見せていない部分があるということ。二つ目は、傷つけようとして言った言葉ではなくとも、傷つく人がいるということ。三つ目は、外で頑張りすぎるからこそ、社会から取り残されているように感じる人は自分だけではないということ。この三つをわかってもらえれば、私のように、弱さを見せられる相手が少なく、社会から取り残されていると感じる人はいなくなるのではないだろうか。
私は、自分自身を大切にすることを心がけて生活している。まだ自分を犠牲にして無理をしてしまうこともあるが、自分自身を大切にすることで、前と比べて他人を尊重することができるようになった。私自身が他人に見せない「自分」を持っているからこそ、他人に関しても見えているものが全てではないと考えられるようになった。相手の存在を尊重しあって、一人一人が自分自身を大切にすることができる社会を強く望む。
友達と明るく楽しそうに話している自分。
真面目に勉強している自分。
SNSで見せる自分。
ライブハウスではしゃぐ自分。
友達の前で笑顔を保とうと頑張る自分。
大手の企業を目指して就職活動をする自分。
誰も見ていないと思いながらも、身だしなみに気をつかう自分。
寝る前に1人で涙を流している自分。
不安な気持ちを抱えきれない自分に「大丈夫」と言い聞かせる自分。
友達の発言を思い出して泣いている自分。
実家に帰って家族の前で見せる自分。
友達の前で見せる自分。
先生の前で見せる自分。
自分自身で見つめる自分。
どれも、世界でたった一人の大切な自分。これを読んだあなたが、自分自身を大切に、愛すことができますように。
大丈夫。みんなと同じでなくても、誰も一人じゃない。
 
 
 
石本るみ 合同会社らいと
共に歩む未来へ
私は、自身が吃音症という障害を抱えていることや仕事で障害福祉の分野に関わっていることもあり、障がい者が社会から取り残されない社会を作りたいと考えています。
私のビジョンは、障害者と健常者が分け隔てなく協力し合う社会を目指すことです。障害がハンディであっても、関わり方次第で健常者と手を取り合い、仕事やイベントを成功させることができると信じています。
 障害福祉は現代における大きな社会問題だと感じています。私自身、吃音症でこれまで多くの支援を受けてきました。
 まず、小学校4年生のとき、担任の先生の勧めで「ことばの教室」に通い始めました。その頃はまだ自分に障害があるという認識はありませんでしたが、言語聴覚士の先生とのトレーニングを通じて、話すことが楽しいと感じるようになりました。また、学校での吃音へのいじめやからかいは、周囲の大人たちのおかげで経験しませんでした。しかし、社会人になると吃音について悩むことが増えました。頭の中にある考えをうまく言葉にできず、もやもやすることが多く、結果として会社を半年で辞めざるを得ませんでした。会社を辞めた後、言友会という吃音者の交流会に参加しました。そこで、自分と同じように吃音に悩む人々がいることに勇気をもらいました。言友会には、吃音を抱えながら教師として働いている方もおり、その姿に感銘を受けました。私も人と話すことが好きなので、人と関わる仕事がしたいと強く思うようになりました。その後、「注文に時間がかかるカフェ」という、吃音を持つ若者が主体となって運営するカフェのイベントにスタッフとして参加しました。カフェのメニュー作成や吃音クイズの企画を通じて、自分たちで作り上げていく楽しさを感じました。言友会や注文に時間がかかるカフェでの活動を通じて、吃音者である自分を自然に受け入れられるようになりました。体調が安定した頃、就労移行支援に通い始め、生活リズムや体力を整えました。その結果、現在の職を見つけることができました。今の職場では、面接時に吃音があることを率直に話しましたが、社長は他の職員にもそのことを伝え、理解とサポートを求めてくれました。職場では、私が言葉に詰まるのを待ってくれたり、代わりに話してくれるなど、合理的な配慮がなされています。このため、職場で吃音に悩むことはなくなりました。また職員として、私の部署の生活介護では、利用者さんも内職の作業をしていて、職員の接し方次第で利用者さんの生産性を上げることができます。今、実務者研修の講座を受講していて、将来は介護福祉士とサービス管理責任者の資格をとります。仕事では、職員として障害の有無関係なくみんなが社会貢献できる場の提供を提供し続けます。さらに、ボランティアで参加している日中一時支援からは職員として働くように誘われました。言葉に詰まっても温かく対応してもらえる居心地の良い環境です。これからは職員として、企画を提案したり、場を回したりすることが増えると思いますが、利用者を第一に考えながら働きたいと思います。他にも、大阪マラソンのボランティア活動に参加し、自分たちで場を盛り上げる楽しさを感じました。その経験を生かし、大阪・関西万博のボランティアにも応募し、見事に通りました。面談時に障害について話しましたが、それを超えて自分にできることを最大限に発揮し、参加者にとって有意義な時間を提供したいと思います。加えて、大阪万博のまちのボランティアでリーダーにも立候補して、リーダーとしても動くことになりました。研修で、「また一緒に働きたい人を目指す」ことを求められていることを理解し、性別や国境、価値観の違う人が集まるボランティアで、自分なりのやり方で人と関わっていきます。さらに、年に一度「きっつクラブ」という小中学生の集まりの運営メンバーとして動いています。自分の経験を共有することで、同じ吃音を障害を持つ子どもたちや保護者さんの支えになれればと思っています。前回は、吃音について子供と直接話しませんでしたが、吃音者が1人ではないことを伝え、話すことへの安心できる空間の提供ができたと感じます。
私が、障害を受け入れ、仕事もプライベートも多くの人と接して協力することで、他の障害を持っている人が勇気づけることができると信じています。また、この先も相手にとって何が最善かを考え行動し、障害者の方も健常者の方と同じような充実した生活が送れるようにします。
 
 
 
石﨑誠 アルバイト
この言葉に救われた。
僕は大きな腫瘍を取る為に手術をした。初めての手術に加えて五年生存率がある手術、初めての全身麻酔全てが初めての事であった。自分には家族がいなく本当に不安な手術であった。生きたいと思う反面、家族がいない自分は僕は世の中からいなくなっても、誰も困らないと思った。そんな僕がどうしても生きたいと思った言葉があるそれは、日向坂46が言った私たちは誰もおいていかないという、言葉である。そしてその言葉が、僕を生きる力を与えてくれた。誰も置いていかないという言葉そして、日向坂46の曲が頭を流れ元気をくれた。術後まだまだ痛いが5年の生存率を生き抜きたい。手術前も術後も不安でいっぱいであとあた、僕を励ましてくれた医療従事者の人に心から感謝をしたい。手術前日寝れない僕に、目をつぶるだけでも気持ちが楽ですよと言う言葉、不安などにいつも声を傾けてくれた、医療従事者の方のおかげで無事退院ができた。再発の可能性など怖い事は沢山あるが自分らしく前を向いて歩いていきたい。病気が再発をして手術や病気不安はありますが、日向坂46のだれもおいていかないという言葉がどれだけ勇気をくれたか分かりません。そして、日向坂46のおかげで新しい夢が出来ました。それは、日向坂46の曲を作詞をしたいという事です。そんな素敵な言葉を与えたくれたグループの役に立ちたい。家族がいなく、腫瘍を取るのに勇気を与えてくれたグループそのグループの役に立ちたい。その作詞の中に誰も置いていかないという、フレーズを入れたいと思います。それが僕の大切な言葉だからです。再発など怖い事は沢山ありますが、日向坂46の作詞をするという夢を叶えるために自分なりに進んでいきたいし、僕自身も誰も置いていきたくない。誰かが立ち止まったら手を差し伸べてあげたい。そんな素敵なグループの小さくても一部になりたい。あまり思い出したくは、ないが家族がいない僕は、いつも置いていかれていた。小学校の行事などもいつもひとりであった。誰かの母親があの子は家族がいない子だから付き合うのを辞めなさいという言葉も裏で聞いていた。その時からもしかしたら自分自身の、中でも誰も置いていきなくないと思っていたのかも知れない。一人は孤独であるし、やはり一人は寂しい。やはり、僕は手術前にちょっと考えた。家族がいなく誰もいなくなっても困らないというのは言い訳だったのかも知れない。本当は置いていかれたくないし、自分も置いていきたくない。そして、大切な言葉を与えてくれた日向坂46の言葉を大切にしていきたい。
 
 
 
仙波心 北九州市立大学地域創生学群地域創生学類
5㎝の段差
 5㎝の段差。たった5㎝を私は上ることができなかった。
 20歳の夏、私は右足を手術した。かかとの骨を切ってボルトを入れ、アキレス腱を切って伸ばす全治半年の手術だった。手術を受けた3週間後、私は一人暮らしをしている自分の家に、松葉杖をつきながら戻った。いつも何気なく歩いていたマンションの入り口。段差があることも知らなかった私は、たった5cmの小さな段差に躓き、転んでしまった。それからの松葉杖生活は、私の予想以上に危険と隣り合わせだった。ある時は誰かが落としたおにぎりの包装紙を踏んで滑り、またある時は小さな水たまりを踏んでバランスを崩す。今まで感じたことのない些細なことが、私の生活に常に危険をもたらしてくる。段差もごみも水たまりも、全て消えて欲しいと切に願った。誰かが捨てたごみに攻撃されることもあった一方で、たくさんの人のやさしさに触れることもできた。
 リハビリに行くためバスに乗った際、バスの入り口を松葉杖を持って上ることができない私を見て、高校生が代わりに松葉杖を持って、自分が座っていた席を譲ってくれたのだ。最近は公共交通機関に乗っているときにスマホを見たり、音楽を聴いたりすることが当たり前になっているので、優先席すらも譲ってもらえることは多くない。SNSでは「電車の席譲る?譲らない?論争」が巻き起こっており、席を譲ることにハードルを感じる人も多くいる。そんな中で助けてくれる人がいる、という事実に私は心が暖かくなった。コロナやSNSの発達で、私たちは人との関りが希薄化している。そんな中でも、私たちは人と関わって生きている、ということを再確認することができた。
「バリアフリーなんて、自分には関係ない」と思っている人は多いと思う。特に若者にはまだまだ先の話にも思えるだろう。現に私も手術をするまでそう思っていた。しかし、自分はもちろん、家族や友人が突然バリアフリーを必要とするかもしれない。バリアフリーとは、“可哀想な誰か”のためにあるわけではなく、全ての人にとって自分や自分の大切な人を助けてくれるものであると考える。たった5㎝の段差で転ぶ人がいる。誰かが落としたごみ、こぼした水で滑る人がいる。私は、自分の境遇を可哀想だと思ってほしいわけではない。ただ、ほんの少し。ほんの少しだけ、みんなが意識を変えれば生きやすくなる人がいるということを知ってほしい。ごみが落ちていたら拾う。そうすれば、転ぶ人が減るかもしれない。水をこぼしてしまったら拭く。そうすれば、滑る人が少なくなるかもしれない。公共交通機関でスマホを見る時間を少し減らして、周りを見渡してみる。そうすれば、助けを必要としている人は案外近くにいるかもしれない。全て“かもしれない”だが、今を生きる人々がほんの少し、意識するだけで今生きづらさを感じている人を減らすことができる、と私は強く思う。人とのコミュニケーションが希薄化してしまった現在は、ひとりひとりが意識をしないと、生きづらさを感じている人のSOSに気付くことは難しい。どうか、これからの未来で、少しでも生きづらさを感じる人が減ってほしい、そう願いながら、残り1か月、リハビリに通うためにバスに乗る。
 
 
 
浅野美祐
こちとらずっと、取り残されてるんだよ
私は今現在、取り残されている。でもそれでいい。
家族もいるし恋人もいるが、それでも社会には属せていない。それは、自閉症スペクトラムを抱えているためだ。
元々摂食障害と鬱症状で18歳の頃から精神科に通院していたが、障がいが判明したのは20歳の頃だった。その時は整形依存の一歩手前でもあった。
そのため幼少期からの支援などは受けていないが、今通院している先の主治医が診てくれている。
私はいつからか他人と自分の違いや、「私は普通と違う」という感覚を胸に秘めていたが、カモフラージュして生きてきた。
言語能力だけはありがたく天から授かったため、口八丁でその場を駆け抜けてきたのだと思う。
中学は2年半不登校、高校は通信制、短大は中退のありさまである。
とっさに判断して動くのがものすごく苦手だ。
特に他人と協力してのチームプレーができなくて、アルバイトも飲食や接客の仕事は絶望的な状況だった。
あまりにも社会のシステムとウマが合わず、そのため消費者という立場に甘んじて生きている。それに、あまりにも臆病なため脳の中であることないこと不安を作り出して社会に戻ることを諦めかけてしまっている。
2020年からは、自分の体験を文にしてエッセイを書き、70本以上ウェブ上に掲載して頂いている。
エッセイサイトが私のアナザースカイと言っても過言ではないだろう。
でも、エッセイストと名乗れるのはきっと本を出版したり有名になってからの話なので今はそう名乗ることはできない。それに生計を立てているわけでもないし。
先日、初めて誌面にエッセイを載せて頂いた時は喜びで震えた。ある九州の出版社に投稿した作品だ。その雑誌は精神科医や精神疾患当事者が主に関わっている。主治医にもご恵贈頂いた雑誌を持っていって読んでもらった。
「結論が面白いね」
との反応が嬉しかった。摂食障害をお化けに見立てた内容だ。
私のような人は、きっとこの日本にも世界にもたくさんいるのだと思う。障がいを持っていようがいまいが現代は価値観も文化も多様化して、みんな時代の変化にさまよっているような気がする。
ファミリーレストランにもAIロボットが導入され、自動運転技術も進化して、町中に犯罪防止の監視カメラが設置されている。
焦らない方が難しいってもんだ。
2023年8月、将来を悲観して自殺しようとして一命を取り留めた。方法については伏せる。主治医のいる病院の閉鎖病棟に1ヶ月半入院して、退院後はB型作業所に少し通った。
知的にハンデがある人や、発達障がい、精神的に弱っている人達とドーナツを作ったり販売に出かけたりしたが、私にとっての明るい未来はそこでは見えなかった。
これをやったとして、一体何になるんだろう。福祉の人は「生きがい」とか「活動の場」とか言うけれど、全然生きがいになんてならなかった。むしろ、家にいて本を読んでいた方が私にとっては明るい未来へのステップを踏んでいるような気さえした。
だから通うことをやめた。
社会を斜めからボーッと眺めてコーヒーでも飲んで、参加しないのが気性にあっている気がする。
私は今現在、取り残されている。でもそれでいい。
 
 
 
竹原優徳島大学 5年
「留年が教えてくれた『取り残される』痛み―高齢者の孤独に何ができるのか」
 私は大学在学中に一度留年を経験した。それまで同級生と同じペースで講義を受け、同じ時期に就職活動を始めることが当たり前だと思っていたため、留年が決まったときには大きな衝撃を受けた。周りの友人が先に進んでいくのを横目に、自分だけが取り残されるような感覚を覚え、それが社会的孤立という形で心に重くのしかかったのである。もともと控えめな性格も相まって、次第に周囲に声をかけづらくなり、「なぜ自分だけがこんな思いをしなければならないのか」という後ろ向きな気持ちが増幅していった。この苦い体験を通じて、私は社会的孤立が人の心身に及ぼす影響の大きさを身をもって実感し、同じような状況に陥る人を少しでも減らしたいという思いを抱くようになった。
 こうした孤立の問題は、決して学生だけが直面するものではない。医療の現場においては、高齢者の孤独や孤立が深刻な課題として取り上げられている。たとえば、高齢者が病院で必要な治療を受けて退院したとしても、その後の自宅療養や日常生活をサポートしてくれる人がいなければ、社会とのつながりが断たれやすい。年齢や病状によっては思うように外出できなかったり、家族関係が希薄になっていたりするケースもあり、日常的な見守りがなければ体調の悪化に気づかれないまま孤立が深まる恐れがある。結果として、再入院のリスクが高まったり、介護サービスや公的支援を受けるタイミングを逃してしまったりすることが少なくない。
 このような事態を防ぐためには、まず制度面での連携が求められる。医療機関と地域包括支援センター、自治体やNPOなどが緊密に情報を共有し、退院後の訪問看護や在宅ケアを円滑に提供できる体制を整える必要がある。高齢者自身が相談しやすい場所を増やし、健康や介護、経済面など多岐にわたる不安を一か所で解決に導ける「ワンストップ相談」体制の確立も有効だろう。さらに、地域ぐるみで見守りを行う仕組みとして、郵便局員や配達員が異変を感じた場合に迅速に報告できるようなシステムを導入するなど、官民一体となった協力体制が不可欠である。
 また、私たち一人ひとりができることも少なくない。たとえば、日常の買い物や散歩中に顔なじみの高齢者を見かけたら、簡単な挨拶や声かけをしてみるだけでも孤独感の軽減につながる。ちょっとした会話のなかから困りごとを発見し、必要に応じて周囲や行政につないでいくことができれば、それが重症化や深刻な孤立化を防ぐきっかけになるだろう。また、若い世代がスマートフォンやSNSなどのデジタルツールの使い方を教えることで、高齢者がオンラインでも情報共有やコミュニケーションを取りやすくし、外出が難しい状況でも社会との接点を保てるようにする取り組みも考えられる。
 さらに、高齢者本人が役割意識をもって社会に関わり続けるための支援も重要である。地域の行事やボランティア活動に参加できるよう呼びかけを行い、定期的に交流の機会を設けることで、孤立感を和らげるだけでなく、生きがいや自己肯定感を高める効果も期待できる。実際、自治体主催のイベントやサークル活動をきっかけに、地域社会とのつながりを再構築した高齢者の例は数多く報告されている。医療従事者や福祉の専門家だけでなく、地域の大学生や町内会、企業などさまざまなアクターが連携し合えば、支援の幅は一層広がるはずだ。
 高齢者の孤独孤立問題は、社会的コストの増大だけでなく、一人ひとりの尊厳やQOL(生活の質)にも深く関わる重大なテーマである。私が留年を通して感じた「周囲から切り離される」恐怖は、形を変えて高齢者の孤立にも通じている。それが故に、制度と個人の両面からアプローチを行い、「誰もが安心して暮らせる」環境づくりを進めることが必要だと強く実感している。具体的には、医療と福祉の連携を強化し、コミュニティによる見守りの仕組みを拡充する。そして日常生活の場面で私たち一人ひとりが小さな関心を向け、声をかけ合う文化を根づかせることが重要だ。医療現場の課題は複雑であり、地域や個人の力だけでは解決しきれない部分もある。しかし、少しずつでも行動を重ねることで、高齢者が孤立することなく健やかに暮らせる社会へ近づいていけると信じている。
 
 
 
田中ゆら 神戸山手女子高等学校2年
まずはちゃんと知ること
 私は何も知らなかった。自分の見ている世界が全てだと思っていた。明日も太陽が昇るように、ずっとこの生活が続いていくんだと思っていた。
 その無意識の確信がいとも簡単に崩れたのは、高校一年生の秋だった。指定難病が発覚して、突然の入院生活が始まった。その日、変化をうまく処理できなかった私は、薄暗い夜の病室で当たり前のように、明日締切の課題を進めようとしていた。左腕に点滴を繋がれて、体もだるいのに、まだ日常が続いているような感覚でいた。けれどその感覚は、日を重ねるごとに薄れていき、退院が決まった頃には、その日常に戻ることが怖くなっていた。いわゆる進学校に通っていた私は、その高校で過ごしたハードな日常と、ベッドの上で一日を過ごすだけで精一杯な今の自分を、どう頑張っても重ね合わすことができなかった。その選択が吉と出たのか凶と出たのかは今でもわからないが、私は転校することを決めた。
 新しい学校に通い始めてからも、しばらくは母親の送迎が必須で、ドクターストップがかかって半年間運動ができなかった。運動が大好きな私にとっては、たとえ正当な理由があろうとも、納得できる話ではなかった。新しい学校での自分は、どれも本当の自分に思えなかった。体育館の隅で体育を見学している自分、休み時間に話す友人がいない自分、部活もせずに母親と車で帰る自分、体力がなくて休み休みでしか学校に通えない自分。部活動でも結果を残しながら、進学校で充実した日々を送っていた自分とは、かけ離れていた。朝起きたら全部が夢でしたなんて展開を期待した夜もあった。
 さてここで、第三者は何を思うだろう。
 可哀想に。残念だね。とても辛いよね。
 病気で転校するという報告をするたびに、そんな言葉が私に降りかかった。みんな私のことをわかっていないと思った。この出来事ひとつで、私はみんなにとって不幸な子になってしまったように感じた。辛くて、悲しくて、苦しいけど、私はそれだけじゃない。でも、そういう言葉をかけてしまうのもよくわかる。それに、その言葉をどう受け取るかは人にもよるし、同じ人でも時と場合によっては変わってくる。でもその言葉は、その時の私が求めていた言葉ではなかった。
 ありがたいことに、私の大親友はそのことをわかってくれていた。可哀想な私を慰める言葉ではなく、前を向いて頑張る私を応援する言葉をくれた。入院が決まった時から、私が彼女によく連絡をしていたことと、彼女の元々の性格がそういう言葉を導いたのだと思う。彼女は物事を深刻に考えない達観した視点を持っていて、私が入院すると報告した時も、過剰に心配することもなく、いつも通りのままでいてくれた。自分が自分じゃなくなっていく感覚の中で、そんな大親友の存在は、唯一変わらない私の一部だった。何の偏見もなく、ちゃんと私を知っている彼女だから、私は救われた。病室や学校で取り残されても、彼女がいるから強く在れた。私は第三者から見ると、取り残されていたのかもしれない。けれど、私も、私を支えてくれた大切な人たちも、そんなふうには思っていなかったはずだ。信頼できる人間関係は、私を私のままでいさせてくれる。全てから取り残されそうになった時に、あと一歩を踏み出す力をくれる。
 私は何も知らなかった。入院生活の孤独も、転校することの不安も、頑張ろうと思っても頑張れない苦しさも、運動ができない悔しさも、本当に何も知らなかった。そして今も知らないことばかりだ。でも、自分が無知であることを知った。知ることの大切さを知った。知ることが全てにおける第一歩になる。
 誰ひとり取り残さないためには、まずその現状と実際に取り残されている人を、ちゃんと知らなければならない。どれほどの善意があっても、間違った方法では届かない。取り残されているように見える人も、本人はそう思っていないかもしれない。それぞれに事情があって、私たちが見えている一部でさえ、主観のフィルターを通したものだ。社会制度の改善は多くの人が生きやすい世の中を作っていくのに欠かせないことであるが、明日朝起きたら世界が全て理想の形になっているということなどない。地道な過程を経て、時間をかけて変わっていくものだと思う。そして、その期間を何とかして繋いでいかなければ、目標の達成は望めないだろう。そのために今私たちにできることは、身近な誰かときちんと向き合うという意識を持つことだ。大きく掲げられた目標の達成は、小さな力の積み重ねによって実現する。
 私は今、部活動や体育で思う存分走り回れるほど回復した。友人にも恵まれて、ごく普通の幸せな高校生活を送っている。ここまで挫けずに歩んでこられたのは、私をそばで支えてくれた存在があったからだ。私も大切な人たちのそんな存在であれるように、ありのままの自分で、ちゃんと知りたいと思う。
 
 
 
梅村聖太 慶応義塾大学 2年生
社会の片隅で見捨てられた人は、あなたの未来を映す鏡かもしれない
あなたは、あなただけが幸せであればいいと思うだろうか? そう答える人もいれば、みんなが幸せであってほしいと願う人もいるだろう。しかし、どちらであれ、あなた自身が幸せになりたいという気持ちは共通しているのではないだろうか。 
では、自分の幸せを実現するには何が必要だろうか? 実は、それは自分だけで完結するものではない。他者とのつながりが、あなたの幸せに深く関わっているからだ。
なぜ、あなたの幸せは他者の幸せと関わっているのだろうか?
それは、あなたが幸せになる為には、できるだけ多くの人が幸せである必要があるからだ。その理由は、社会が人々の相互依存によって成り立っているからだ。人一人では生きられず、社会の中で他者と関わりながら生きている。
例えば、あなたがコンビニでパンを買うという行為ひとつをとっても、そのパンの開発者、製造工場の労働者、流通業者など、多くの人が関わっている。
そのような社会で、誰かが取り残されてしまうと、その人が抱える苦しみや問題が、あたかも無いものとされてしまう。そして、無視された人達とその人達の苦しみがその後もそのまま放置されると、やがて社会全体に影響を与えることになる。
たとえば、教育を受けられない子どもが無視されれば、将来的に社会を支える人材が不足し、経済の発展が滞るだろう。また、貧困や差別に喘ぐ人が取り残されれば、犯罪や不安定な社会情勢に繋がるだろう。さらには、今までは苦しんでいなかったあなたが何が問題を抱えたとき、その社会では、あなたの苦しみを誰も気にしなくなるだろう。あなたがその時まで、他者の苦しみを無視してきたように、あなたの苦しみも無視される。
一方、誰か抱える苦しみが無視されないなら、苦しみを誰かに気づいて貰い、協力し、苦しみを和らげられる為、人々の間に信頼と協力が生まれる。
つまり、あなただけではなく、他人も自分らしくあれて、軋轢が緩和されると、結果的に社会全体の豊かさや安定が高まり、あなたの幸せに繋がる。これは、「誰かの幸せが自分の幸せにもつながる」という、いわば共鳴のようなものだ。
しかし、誰ひとり取り残さないという願望は、理想主義的すぎるかもしれない。誰ひとり取り残さない理想を求めた結果、誰もが自分の苦しみを主張して、何にどう対処するか意見がまとまらずに、結局全て失うかもしれない。
例えば、貧困対策に予算を集中すれば、バリアフリー化など他の分野が後回しになるかもしれない。
確かにこの理念は理想主義的かもしれない。実際、すべての人が平等に幸福を享受し、完全に取り残されない社会を作るのは極めて困難だ。
だが、「誰ひとり取り残さない」というSDGsの理念は、誰かの幸せや自己実現が、他の誰かの犠牲の上に成り立たない社会を目指すことを意味する。
そして、「誰ひとり取り残さない」という理念は、「今すぐすべての問題を解決する」という約束ではなく、社会が向かうべき方向を示す指針である。
向かうべき方向を示す指針は、その実現可能性よりも、その方向性が正しいかどうかの方が重要である。例えば、医療の究極の目標は、病気で苦しむ人をゼロにすることだろうが、これも「誰ひとり取り残さない」と同じく、実現可能性よりも方向性に価値のある理念である。
誰かの幸せが、他の誰かの苦しみの上に成り立つ状態は、必ず誰かが取り残される。その社会を容認することは正しいだろうか?そうではない社会の方が正しい。なぜなら、そちらの方が苦しみも問題も少ないからだ。
従って、「誰ひとり取り残さない」という理念は、実現が難しいかもしれないが、目指す方向が正しいので、理念として適切である。もし「誰ひとり取り残さない」という指針がなければ、社会は特定の人々を犠牲にし続けるだろう。
あなたが今、何も困難を感じていなくても、未来のどこかで助けを必要とする時がくるかもしれない。「誰ひとり取り残さない」社会は、その時あなた自身を支える力になるだろう。だからこそ、この理念を他人事ではなく自分事として捉えてみてほしい.
 
 
 
畑岡美代 お茶の水女子大学 修士一年
公衆トイレから考える「誰ひとり残さない」社会
私は昨年度、大学の卒業論文で自治体が屋外に設置する公衆トイレを扱った。渋谷区ではthe Tokyo Toiletという企画に建築家やデザイナーがトイレのデザインに取り組み、話題を呼んだ。性の多様性の観点からも、トイレのあり方が再検討されている。
 私は、社会包摂の観点から研究に取り組んだ。高校生頃にSDGsの「誰ひとり残さない」というアイデアに感銘を受け、今の自分の関心に近いことの中で、公衆トイレという対象を見つけた。公衆トイレを選択した理由は、日本においては、行政によって提供されており、誰もが何時も無料で使用できる点で、他のものとは異なるからである。一方で、民間が運営するトイレは、民間側が使用を断る権利を持ち、24時間使用可能ではない。誰もがいつでも使うことができない可能性がある点があるという点で異なる。
初めは、性の多様性の受け入れる公衆トイレのあり方を見つけたいという思いで始めた研究であったが、調査や分析を進めていく中で、シス男性、シス女性のトイレの利用できる範囲にも差があることが明らかになった。たとえば、私が対象とした自治区では、共用トイレ(車椅子で使用できる広さはないが、男女ともに使用することが想定される和式便器ないしは大便器を備えたトイレ)と男性トイレのみが設置された場所、共用トイレのみの場所、多目的トイレ(車椅子で使える広さを備えたトイレ)と男性トイレが設置され、女性専用トイレがない場合も見受けられた。もちろん、女性も共用トイレや多目的トイレを使用することができるが、既往研究において女性の方が男性と共に使うことができるトイレに対する忌避感を覚えている率が高いことが明らかになっている。また、アメニティの観点では、女性トイレには子ども用の椅子や、乳幼児のおむつ替え代がある例が見られる一方で、男性用トイレでそれらが見られるものは圧倒的に少なく、子育ては女性がすることを前提としている可能性が指摘できる。
 この背景には、長い歴史の中で、都市計画の分野も例によらず、男性優位だったことが大きな理由として挙げられる。近年になって、ダーガーシティーやインクルージョンという言葉が認知され、定着しつつある。このトイレの事例からも、その重要性が再認識させられる。シス男性しか、都市計画に携わっていなかったから、必ずしも故意ではないが、そのほかの視点が蔑ろされ、女性のトイレの方が少ない、子連れ用の機能が男性トイレにはあまりない、といった状況が生じているといっても過言ではないだろう。
 また、いうまでもないが、日本では高齢化が進んでおり、異性介助が行われている例も多々ある。彼彼女らが外出した際に困るのが、トイレの利用であることが想定される。男性用トイレにも、女性用トイレにも一緒に入ることができない。多目的トイレに様々な利用者が集中した結果、利用したい時に利用しできない事例も多く報告されている。また、高齢になるとトイレの頻度が高くなることが多い。十分なトイレのアクセスが保証されていないことがきっかけで、高齢者が家にこもってしまう事例も、既往研究で明らかになっている。トイレが全く設置されていないわけではないので、「取り残されている」と高齢者自体が感じることはあまりないだろうが、彼彼女らが想定されていない結果、高齢者が公共空間にアクセスを拒む状況を招いてしまっている。
さて、2024年は外国人観光客数が過去最多となった。海外では、日本のように、便器が暖かくなる、お尻を洗うための水が出てくるなどの様々な機能を備えたトイレは稀である。女性用トイレには、あげた機能に加え、人工流水音を流すものや、緊急時に警備の人を呼ぶボタンなどもある。つまり、ボタンがたくさんあり、どれが流すボタンはわからないのである。そして、英語で説明があればいいものの、日本語だけ、日本語とイラストだけというものも少なくない。ある日、私が商業施設のトイレを使用するために待っていたところ、出てきた外国人女性は悲しそうな顔をしていた。私は、トイレを済ました後はスッキリするから悲しそうな顔をしていた理由が気になった。中に入ってみて、推測ができた。便器がびしょびしょになっていたのだ。思い出してみると、女性が濡れていたような気もしなくもない。おそらく、トイレを流すボタンがわからず、間違えてお尻洗い用がビデを押してしまったのだろう。私は、トイレ空間ではあるが、トイレを研究するものとして申し訳ない気持ちになった。必ずしも、インバウンドの方フレンドリーのトイレにはなっていない。使い慣れたものにとっては、トイレの使用感を上げるはずの装置であるが、使い慣れないものにとっては、大惨事を巻き起こしうるものでしかない。
 性の多様性、子連れ、子ども、高齢者、外国人観光客などの日本語がわかならない人など、トイレを考える上で想定すべき対象は上げればキリがないし、すべての人が100%満足する公衆トイレを設置することはなかなか難しいかもしれない。しかし、私は、国内国外の公衆トイレに関する研究を進め、より良いあり方を検討することで、多くの人にとって問題なく使用される十分なトイレを整備するための指針を示していきたい。そして、公衆トイレについて明らかにする中で、計画の段階で多様なバックグラウンドを持つ人が関わることの重要性について訴えていきたい。「誰ひとり残さない」意気込みで、「より多くの人にとって」積極的に受け入れられる都市空間の計画、実施に取り組む重要性を主張する。
 

 
 
 

奨励作品賞 <小論文部門>

阿部知明 北海道教育大学附属函館中学校2年
望まない孤独
元旦、久々に家族や従兄弟などが集まり何の変哲もない会話を交わす。
その中で、不登校になってしまった子どもがいる。自分は親に言われるまで気づく事ができなかった。気にかける人もいれば、何もなかったように平然と接する人もいる。声をかけてあげたいがどうすればいいか分からず、結果として何もできなかった。何かしたい気持ちはあったが、自分はその立場にあるわけではないし相手がどのような気持ちでどのような苦しみを抱えているのかを理解することはできない。あの子のように誰にも見えないところで「望まない孤独」を抱える人は少なくないのではないか。
 文部科学省の「2024年度児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」によると2024の不登校者の人数は過去最多で34万6千人。データでみると年々増えていることがわかる。自分も含め、一般的に不登校の原因としてイメージされるのは学校でのいじめや勉強面、友人関係や男女関係など家庭外での原因があげられるだろう。しかし、実際は不登校の原因として学校生活面が36%なのに対して家庭生活関連が19%という結果になっている。イメージの通り学校生活関連が多く占めている者の、約2割は体や心が最も休まるはずの家庭生活における問題が不登校の原因となっている。実際に自分の従兄弟も家族の関係などで悩んでいたという。「社会的孤独」という言葉があるが、これは客観的に見て家族やコミュニティとの接触がほとんどないことを意味しており、孤立しても孤独を感じない人もいる。対して「孤独」は主観的概念で、家族やコミュニティに接触しても本音が言えないなど本人が孤独感を感じていれば「孤独」であるという。誰にも言えない誰にも自分の悩みを打ち明けることのできない孤独。この孤独という感情は、タバコを1日15本吸うのと同じくらいの健康リスクがあるという研究があったり、うつ病発生のリスクもあったりと精神的にも肉体的にもリスクがあると言われている。このデータを見たときにあの子はこんなにつらい状況だったんだと初めて知った。どうにかしてあげたい気持ちはあるがどうにもできないというもどかしさだけが残ってしまった。
 自分は小学生の時に学校に行きたくない時があり、その時、親から「休めばいい」と言われたことがあった。自分はその言葉に違和感を感じた。とりあえず全肯定で真綿で包まれたような気がし、ぞわぞわした。このようになんで休みたいのかなどの理由を理解せずにただただ一概に「休めばいい」「行かなくていい」などと言うのは良くないと思う。もしかしたらその「休みたい」「行きたくない」背景にはなにか大きな問題を抱えているかもしれない。あの子は自ら望んでこの生活をしているだろうか。一方で、誰かに自分の悩みを打ち明けるのも簡単ではない。周りの身近な家族や親戚などがその人の立場になって考え、一概に「行く」「行かない」ではなくその人の意見を尊重することが大切だと感じた。
 従兄弟のことを聞き、誰にも相談できずに一人で悩んでしまい、孤独状態になってしまっている人がいるということに改めて気付かされ、身近なことであり、誰もがなりかねないことなんだと再確認した。自分のクラスにも不登校の生徒がいる。学校には来ているが教室には入ってこない。その人がなぜ何を悩んでいるかを全て理解することはできないが、その人と同じ立場になって考えること。それが相手のためにもなるし思いやりにもなる。「誰一人取り残さない」「誰一人取り残されない」社会をこれからみんなで作り上げていくことが大切だと思う。そうすることで「望まない孤独」を持つ子どもたちが減っていくのではないか。
 
 
 
井手南  創価女子短期大学 2年
あの日々があったから
「なんて不公平な世の中なのだろう。見たくもない闇に溢れた社会を見るのは飽きてしまった。この大空のように、澄み切った世界はないのだろうか。」
そんなことを考えるうちに一日一日が過ぎる日々である。
あの日は今よりもっと寒く、温もりが恋しく感じる時期であった。
私は、高校入学とともに心の病を発症していた。私は、病気というハンデで置いていかれるのが怖く、遅れないように必死でついていった。どんなに辛くても気丈に振る舞い、みんなの輪に入ることだけを考える毎日を過ごしていた。しかし、だんだん学校に通うことが難しくなり、不登校になってしまった。それでも、支えてくれたクラスメイトのおかげで、勉強にもなんとかついていくことができた。ある時、授業のノートを借りていた友人から、「もうかしたくない」と言われた。私はその瞬間から、今まで何にも思わなかった周りの言動に敏感に感じるようになっていった。
「あ、来てたんだ。いないかと思った」
私の知らないうちに、周りは徐々に私とみんなの間に見えない線を描き始めた。私は、勉強できない、学校にも通えない、と劣等感ばかりが募り、まるで真っ暗なトンネルに取り残されたように感じた。心の病でも悩むことが多くなり、人と比べては、嫌悪感で溢れていた。そんな時、暗闇に一筋の光が見えた。それは、「絶対に卒業したい」という自身の強い夢ができたことだった。きっかけは、クラスメイトの退学であった。それほど仲がいい関係ではなかったが、その友人の退学は私の心にぽっかり穴が空いたような感覚であった。私はとても悔しかった。ハンデを抱えた人たちがいつも追いやられ、感情に蓋をしなければならない。似た辛さを持った唯一のクラスメイト。あの子の分まで私が卒業という夢を叶えよう、そう胸に誓った。それはきっと私の卒業が、同時に友人を励ますことができると悟ったからであった。またこの時、誰一人取り残さないためには、手を差し伸べ・手を取り合っていくことで実現できることを痛感した。
 私は心の病で苦しみ、もがき、悩んできた。話しても理解されない感情、私を自分の「普通」というものさしではかり比べられる関係性、いくら薬を服用してもすぐには治らないというもどかしさ。自身の病は、周りに悲しみの連鎖を生んでしまう罪悪感。私はただ、大きな愛で包み込んで欲しかった。何かをして欲しかったわけではない、ただ心の声を理解して欲しかっただけなのだ。
心の病というハンデは、少数派と括られるのかもしれない。しかし、皆が何かを抱え悩み、苦しみながら生活をしていることに変わりはない。今は多様性が訴えられる時代である。私が、理解されない苦しみで生きづらかったように、多くの人が様々な事情で生きづらさを感じているのではないだろうか。退学をした友人と話をする中で、彼女自身の環境でも悩みは尽きないと話をしてくれた。それに加え、「悩みを話せる相手がいることで頑張れる」とも話してくれた。それらを踏まえ、皆が抱える生きづらさが亀裂を生み、取り残されるといった状況ができてしまうのではないだろうか。
私は、この病気と生きてきてわかったのは、「ありのまま」を大事にすることだ。体調が悪くても学校では気丈に振る舞う「ありのまま」の私、家族にだけ弱いとこを見せるのも「ありのまま」の私。そして、できないことも「まぁいっか」と割り切り、できた自分を褒めること。これもどれも「ありのまま」の私なのだ。
もう一つ、それはただ真っ向から助けようとしてもお互いが苦しむことになるということだ。じゃあどのように手を差し伸べていくのか。それは、心に耳を傾けた「対話」だと思う。相手の声なき声に想いを馳せることで、きっとお互いに救われるだろう。
「誰ひとり取り残さない」―それは皆が「生きたい」と思える世界ではないだろうか。私は、大学生活の中でその本意を痛いほど実感している。目には見えないが確かに落っこちてしまいそうな私を、支えてくださっている。私は一年の休学を経て、今年復学をした。大学では孤独を感じる日々であった。しかし、「おはよう」と声をかけてくれる同期や先生方。私はそんな何気ない挨拶にいつも救われている。私は、こんな環境だから今も頑張れているのだろう。皆の生きづらさはそれぞれ違う。しかしその一つ一つを取り除いた世界とは、すべてのSDGs の達成と等しいことにつながるだろう。また、互いの関係を築いていくためには、やはり「対話」が必要不可欠だと思う。何かすごいことをする必要はない。ただ「おはよう」と挨拶をしたり、「ありがとう」と感謝を伝える。自身の思いを伝え合う、言葉を交わし合う。これほど大切なことはない。私はこの先、こんな日常が当たり前になっていくと信じている。
 
 
 
井上義将 中央大学附属中学校3年
猛暑に備える
 二〇二四年、日本の夏は過去最も暑かった。僕たちが暮らす東京では、七月、インドネシアのジャカルタよりも暑い日があったそうだ。
 確かに、今年の夏は暑くてきつく、今までよりも疲れやすく感じた。学校や部活には水分を多く持っていき、学校や街では、手持ち扇風機を持たない人の方が少なかった。
 全国では七月、四万件を超える熱中症の救急搬送があった。
 東京では六月から九月の間に、熱中症疑いで二四八人が亡くなった。その大半が高齢者だったという。
 そのうち、室内で亡くなったのは二三九人。エアコンを使わなかったのは二一三人。エアコンがあるのに使わなかったのは一五五人。エアコンがない部屋にいたのは五八人だったそうだ。
 命に関わる状態にも関わらず、なぜエアコンを使わなかったのだろう。
 暑さを感じにくい年齢だからだろうか。電気代がもったいないからだろうか。それとも、自然の風が体にいいと思っているからだろうか。昔は今より暑くなく、エアコンがなくても大丈夫だと昔の感覚のままでいるからだろうか。(高齢者に尋ねて答え合わせをしたところ、どれも当てはまっていた。)
 身近に高齢者がいないことから今まで気が付かなかったが、猛暑の中で、高齢者が取り残されてはいないだろうか。
 これこそ、早急に解決すべき社会問題なのではないだろうか。
 日本の平均気温は、観測が始まった一八九八年から一、七六度も上昇している。今後も猛暑が予想されることから、上昇する気温に合わせて、みんなで、暑さ対策をアップデート(更新)していく必要がある。
 高齢者にも情報を更新して、昔からの思い込みを減らして、考え方の習慣を変えてもらわなければならない。
 そのためには、日頃からの信頼やつながりが大切になってくる。誰も、知らない人や初めて会う人が伝える情報や意見などには耳を貸さないからだ。
 そこで、個人や自治体、国など、それぞれのレベルでできることを最大限に行うのはどうだろう。
 身近な家族や近隣住人が個人レベルで、今まで以上に見守りながら、新しい情報を伝えていく。自治体は、見守りサポートなどを強化していく。国はこれ以上、年金を減らさずに補助を増やし、誰もが涼むことのできる公共の場を増やすなどしていくのはどうだろう。
 また、高齢者が自ら情報を得やすくする工夫も大切だ。敷居の高いインターネットではなく、親しみのある新聞やチラシ、パンフレットやポスターなどの紙媒体を使ったアプローチはきっと有効だろう。
 その日の気温に合わせて、自治体が広報誌の号外を出すのもいいだろう。「今日は室内も暑くなる気温なので、自然の風だけでは体温を下げられずに危険」、「のどが渇かなくても脱水症状になることがある」、「今のエアコンは電気代が安い」など、伝えることはたくさんある。
 その他にも、水分補給の目安の「WUT」。 
 W(weighth)は体重の略だ。体重を量り、失われた水分を補給する。特に、起床時に減った分の水分を補うと、日中に疲れにくくなるそうだ。U(urine)は、尿の色の略で、濃くなると、脱水の兆候の可能性が高い。T(thirst)は、のどの渇きの略だ。理想は、のどが渇く前の水分補給だが、こまめにとれない場合は、飲み物の中でも体に水分を残しやすい経口補水液や牛乳を飲むといいそうだ。
 次に、効果的な朝食の摂り方。一日の始まりに、これからの運動時間や歩く距離など、それぞれの活動量に合わせたメニューを食べることが大切だそうだ。汗をかくことを考え、みそ汁やスープなどの塩分を含む水分を多めに摂っておくと、疲れにくくなる。
 そして、ラーメンも猛暑対策にはいい。水分や塩分の他に脂肪分が多く含まれるため、夕食に食べれば疲労回復の効果が期待できるという。
 さらには、汗の処理。汗をかいた時には、すぐに拭き取らず、できるだけ体の表面で蒸発させた方がいい。汗は蒸発してはじめて体の熱を逃す効果を発揮するため、体温が下がりやすくなるのだ。
 これらは最新の猛暑対策なのだが、昔からの知恵も数多く含まれている。
 長く生きている先人たちはきっと、僕たちの知らない知恵をたくさん知っているに違いない。
 世代間の交流を深めながら、新しい情報と昔からの知恵を持ち寄り、猛暑に備えていける社会が理想である。
 
 
 
 
 
 
井上功大 大分県立佐伯鶴城高等学校3年
今更だって僕は言うかな
ぜってぇに助ける。僕は初めてホームレスを見た。僕は田舎の町で育ちました。田舎には田んぼや畑がたくさんあり、いろんな野菜や米などを育てるおじいちゃんおばあちゃんがいます。学校の通学路には毎日元気な挨拶を返してくれていました。なかには少し体の悪い人は老人ホームなどで介護をしてもったりして実際訪れたりしてみんなで遊び楽しそうに暮らしていました。日本ではそんな高齢者の方々の暮らしが当たり前だと思っていました。しかし現実はそうではなかった。僕は大学の説明会に行くために愛知県に行くことになった。そこで現実を見ることになるとは想像もしていなかった。新幹線で名古屋駅まで行くとそこは田舎の駅では考えられないくらい人が多くいました。僕は人が多いところは苦手なのですぐに外に出たいと思い駅の外に出ました。季節は12月で冬の真っ只中、そこには60〜70代のほ毛布に包まったホームレスがいました。僕はホームレスという存在は知っていたけど本当には見たことがなくて今の日本にホームレスなどいるのだろうかと思うこともありました。なので初めて見た時驚きました。駅の外にも人が多くいましたがそこにいるホームレスをあまり気にしていない様子だったのでここの駅ではこれが「当たり前の光景になっているんだなぁ」と感じました。そのほかにこの人たちは普段どんな生活をしてるんだろうと思いました。そこで僕は興味が湧きいろいろなことを調べました。
 僕が読んだ記事は大阪府西成区にいたホームレスの記事を読みました。センター街のシャッターはもうすでに閉じられている。そこにダンボールや毛布で寒さをしのぎながらホームレスたちは眠っていた。季節は12月で僕がホームレスを見た季節と全く同じだった。12月の寒空に下の野宿は厳しい。体の芯から凍える。下手すると死ぬらしい。そんな中「兄ちゃん、タバコくれへんか?」と暗闇から低い声が聞こえてきた。見ると、ダンボールの上にあぐらをかいた男性がいたポケットからタバコを取り出すと、箱ごと彼に渡した。ホームレスを取材する時は、お礼を渡せるようにいつもタバコやお酒を持ち歩いているらしい。彼は「ありがとう!ありがとう!」と嬉しそうに礼を言うと「わしは松村や。松っちゃんて読んでくれてええよ」と笑顔で簡単に自己紹介した。そして自前の100円ライターでタバコの先に火をつけた。小さな炎に照らされた彼の顔も見ると50代後半、小太りで丸顔のおじさんだった。西成のホームレスの中では若い。目鼻立ちのはっきりとした、愛嬌のある顔をしている。そして左目の周りが赤く腫れて大きなアザができている。「ん、これか?昨日シノギにあったんや。飯場で稼いできた6万円を全部持っていかれた。今はスッカラカンや」としょげた顔で語る。飯場とは、宿と飯がついた労働現場、シノギとは、ホームレスから物を盗む泥棒の俗称だ。場所によってはマグロとも呼ばれる。西成のシノギは荒っぽいと以前からよく聞く。彼らは被害者が追いかけて来られなくするため暴力を振るうのだが、中に」はナタでアキレス腱をバンッと切って行くシノギもいると聞いた。「シノギのやつらは、飯場から帰ってきて現金を持ってる人間を嗅ぎ分けるんよ。それでわしが飯場から帰ってくると、いっつもおカネとられてしまうんや」という松っちゃんは続けて「それでも西成が好きなんよ。人情ある街やからね。あいさつすると、あいさつ返してくれるしな、友達もぎょうさんいる。こう見えてもええ街なんよ」と語った。僕はこの記事を読んで、胸が痛くなった。ホームレスもちゃんとした一人の人間で希望を失ってなく必死に生きようとしている。だからホームレスをそのままにせずに救ってほしいと思った。畑仕事をしていたり、元気にグラウンドでゲートボールができるような生活をしてほしいと思った。
 僕はホームレスの今後などが気になって他のことも調べてみました。今の時代インターネットですぐに調べられる環境があってとても便利だ。ホームレス状態になると、生活再建のハードルが段違いに上がります。一つは、食べるための収入を得る「仕事」の確保の問題。履歴書、身分証、連絡先、住所がなく、その日にお金が受け取れる仕事の選択肢は、多くありません。もう一つは生活の基盤となる「住まい」の確保の問題。たとえ収入があっても、まとまった初期費用の用意や保証人の確保が難しいこと、携帯電話や身分証がない事から、市場賃貸物件へのアクセスは非常に困難になります。なので僕はホームレス募金をすることにしました。
ホームレス問題に対応してくれると言うことなので少しでも力になればいいなと思いこれから毎月募金をしていこうと思います。一人で解決する問題ではないので身近にいる人にも呼びかけをしていきます。今更しても無駄だと思うかもしれないけどそれでも僕は周りの人に言い続けます。今この未来を変えるために。
 
 
 
磯野未侑 中村中学校・高等学校 高校1年
叫びたいんだ
心細い。誰にも言えなかった。 
「私ね実は…」
私とその友人は、所謂″親友″だった。普段、よく笑う優しい人で、私はそんな彼女を尊敬していた。そんなある日、学校でSDGsについて学習した。その時彼女は「SDGsって大変で、面倒くさいね。」そう言った。その時は、私もそう思っていた。しかし、後から彼女の言った言葉が自分に対するものだったと知った。
ある日、彼女は私にこんな質問をした。「同性愛ってどう思う?」私はその質問に対して軽く思っていたことから「漫画でよくあるよね。」と答えた。その時は、あまり現実味がなく私には全く関係のない事だと思っていた。次の日から、彼女は学年の男子についてよく聞いてくる様になった。いつの間にか、誰かと付き合っていて驚いたのを覚えている。しかし、彼女は付き合えた事にあまり嬉しそうではなっかた。 
その後、私は親の都合で転校してそのまま中学を卒業し、高校に入った。
その高校には、あの時のクラスメイトが偶然いた。そして、私はその子経由で彼女の秘密を知った。″彼女は同性愛者だ″それが理由で彼氏と別れたらしい。
私はそれを聞いて、あの時安易に彼女にかけた言葉が申し訳ないと思った。
今思えば、彼女の言動がおかしかったのは、同性愛者を隠すためなのか″普通″になろうとしたためなのかどちらかはわからないが、彼女が悩んでいたのは確かだった。どうして私はあの時もっと彼女を気遣う言葉をかけることが出来なかったのかずっと後悔している。 
そんな事があった日から、ジェンダー平等について積極的に考え始めた。
この世の中にこれに該当する人はどれほどいるのだろうかと疑問に思った。朝日新聞の「ジェンダーギャップ報告書」によると、まだ完全にジェンダー平等を実現できている国はなく日本は146カ国中118位だった。日本は他国と比べて、まだジェンダー平等の取り組みが進んでいない。そのため、私はこの国で彼女の様な思いをして悩んでいる人が沢山いるのだと思うとどうにかならないのかと考える様になった。しかし、私が一人で解決出来る問題ではない。それは、仕方のない事だ。
彼女が私に直接打ち明けてくれなかった理由は、おそらく私が同性愛について理解が浅く、彼女に頼れる人物と認識されなかったからだろう。 
そのため、私は理解を深めることにした。そして、個人的にできる範囲のことを考えた。私は、一人一人の価値観が違うように、百人いれば百通りの″こうしたい″があっていいのではないか、その人の″好き″を尊重することが大切だ。セクシュアリティは、本人が決めることであり、周りが判断できることではないと思う。だから、彼女のことも一人の友達として向き合い受け入れるべきだと思った。
今の日本ではまだ同性婚が認められていなかったり、国民一人一人の理解が浅いということもあり彼女の様に周りに上手く打ち明けることが出来ない人や、一人で悩みこんでしまう人もいる。そんな人達と共存し生きて行ける様になれればいいなと思う。
 
 
 

 

 
羽阪彩音 京都橘高校2年生
「あなた色」を大切に
「誰一人残さない」という言葉から、中学3年生のとき、学校に行けなくなってしまったあの孤独な日々を思い出した。元から頭痛持ちだった私は朝から学校に行くのがだんだん難しくなって体が鉛のように重く、夜もなかなか眠れず、そして学校に行っても疎外感で辛くなり、さらに学校に行きづらかった。行けたとしても6時間目とか終礼前に駆け込んで、そのたびに周りから白い目を向けられる。まるで教室は水の中で、少し居ただけでも息ができなかった。先生も親も最初は行きなさいという方針だったが、諦めと私への理解がされるようになり、そうやって言わなくなった。少し行っただけで先生は来てえらいねと声をかけてくれたり、話を聞いてくれたりなど常にとにかく温かい対応だった。その時々に私はどうしようもないくらい申し訳なかった。誰も自分の苦しさは分からないし、私も相手の苦しさなんて分からない。しかし、先生や親しい人の本音がその優しさでコーティングされてしまったようで、どこか置いて行かれたように感じた。当たり障りのない言葉ばかりで本当に向き合えていたか、向き合ってくれていたか分からなかった。また、当時、たまに先生や親、友達から不登校と言われたり聞こえてきたりした。たしかに私の状態は俗にいう「不登校」であっただろう。しかし、今でも不登校という言葉を聞いて悔しくなるし、孤独になる。なぜなら、そこに「普通」との明確な距離を感じ、学校に行けない日が多かったけれど行くのを決して諦めたことはない、と言い切れるからだ。たしかに、私は別室だったりヘッドホンをつけたりなど他の人と比べて特別な措置が必要だった。しかし、みんな同じ年の、同じ学校の人であり、それだけが共通していることでそれ以外の部分は全く違う豊かな個性でその人が彩られ、構成されている。ある意味、「普通」である人など存在しないと思う。そして、「不登校」と呼ばれる状態に誰でも急になる可能性だってある。私はそうだった。だからこそ、学校に行くことが普通で行かないことが普通ではないのではなく、どちらも「普通」ではないのだ。どちらも選択肢の一つにしか過ぎないと考える。私は周りのほとんどに「不登校の子」としてしか見られず、学校に行ってない時間の方が圧倒的に多かったが、得体の知れない「普通」と周りを比べたり、心無いことを言われたりして苦しかった。そして、「学校に行くのが正しい」ということを学校に行く度に感じた。そこで私は「取り残されている」と強く実感したのだ。もちろん、学校に行くことはとても大事なことで、社会性が身につく場所として機能しているため「学校に行く意味」は当時から認識している。ただ、学校に行くことが正しくてそれ以外が否定されることはあってはならないと思う。わたしはそれを無くす一環として不登校という言葉にあるマイナスイメージを無くしたいし何よりこの言葉自体を変えたい。「不」や「無」といった打ち消しが入っているのでとても印象がよくない言葉でマイナスなイメージを受けるからだ。私自身、学校に行っていたころは不登校という言葉に対してあまり良い印象は持っていなかったし、友達ともそのような話をしてしまったことがある。そして、この文章を読んでくれているあなたの身近にもし、学校に行けてない人がいたらどうか一度でいいから、その人を「不登校」というフィルターをかけずに向き合ってほしい。学校に行ってる人たちと変わりなく接してみてほしい。そこで初めてその子の本当の姿が見えてくるし、学校に行けてない人にとっての安心材料や居場所になり得る。学校に行けてなかった中で、私はそれで救われたことが数えきれないほどある。それが少しは学校に行けてない人に対する理解を深め、その人たちだけでなく、全ての人たちにとって生きやすくなる、「誰一人取り残さない」それぞれが輝ける学校や社会につながるのではないか。だから、私は胸を張って言いたい。学校に行っていても行けていなくても、あなただけの色は決して失わないで、と。
 
 
 
益田寛大 早稲田大学3年
汝、隣人を愛せよ。それ以上に汝を愛せよ。
誰ひとり取り残さないどころか多くのものを取り残してきた人生だった。
趣味が合わず周囲から浮いていた幼稚園のクラスメイト。
いじめられていて逃げるように転校した小学校のあの子。
わがままで嫌われていた中学校のクラスメイト。
会話を盛り上げるのが下手で友人が誰もいなかった高校の隣人。
雰囲気に馴染めずいつの間にかサークルを辞めていたあの人。
ものの数分振り返るだけでこれだけの人が思い浮かんでくる。自業自得で孤立する人もいれば、なんの罪もなく私が手を差し伸べることができる人もいた。反対に私が周囲から取り残されたことだってある。
彼らを救おうとしたこともある。話しかけてみたり、一緒に遊んだり、先生を呼んで助けて貰ったり。しかし、私が思い浮かべた人々は誰一人として救うことができなかった。話しかけても無視されたり、遊んでいても会話が続かなかったり、先生を呼べばチクり魔だと揶揄されたり。私の手出しが余計彼らの孤立を後押ししてしまったのかもしれない、私の独善的な助け船なんて不要だったのではないか、そう思ったこともある。私が介入しなければ人並みの幸せを彼らは享受できていたのかもしれない、と思うと踏み出す一歩が鉛のように重くなった。
しかし、私の行動が無駄か否かなんて、実際のところは分からないのだ。なんらかの理由で人生の中でのつながりを失ってしまった彼らと出会うことは基本的にないのだから。せいぜい、数年後に会社の取引先で偶然再会したり、同窓会で顔を並べたりすることがあれば御の字だろう。
だから、私はあの行いを無駄だと思わないようにした。なぜなら、私が一歩踏み出し手を引っ張ったあの時間だけは、彼らは取り残されず一緒に歩んでいたはずなのだから。傲慢かもしれないが、あの一時だけは彼らを救えていたのだ。その後に救えなかったことは度々あるが、救えたことだって何回もあるし、その相手との関係が今も続いていることだってある。なにもしないことは後々自分を苦しめたり何度も思い出して後悔することになったりするかもしれないが、誰かを助けることで苦しむ人はいないのだ。自分の行いは自分にいい形で返ってくるのだから。誰かを救う、誰ひとり取り残さないと聞くと責任感や手間の面倒さなどと、色々考えてしまいやらない、できないと諦めてしまうだろう。私も、誰ひとり取り残さないなんて用語だけ聞けば理想論にもほどがあると思うだろう。でも、その行動が自分の利益として還元されると考えればどうだろう。少しはやる気になるだろうか。自己満足でいい。誰かのためではなく自分のためやった行動が誰かを救うのだ。だから私は、人のためではなく自分のために、手の届く範囲で手助けするように心がけている。
日々の日常は取捨選択の上に成り立っているのだととある学者が話していたのを耳にした。確かに私たちは毎日を取捨選択して生きている。ご飯を食べるか食べないか、駅まで歩いて行くかバスに乗るか、友達に話しかけるか気づかないふりをするか、コンテストに応募するかしないか。私たち人間は複雑なように見えて、はいかいいえというコンピューターのような二進数の世界に生きている。そこでいいえを選択することは少なからずある。その中にはダイエット中だから買い食いをしない、具合が悪いから学校に行かない、そのような必要ないいえの選択がある。
しかし、そのいいえ、の選択は全て必要な選択では無いだろう。少なくとも私は、思い浮かべることができた人々もそうでない人々に対しても不必要ないいえ、の選択をしてしまったと反省している。なので、とりあえずなにか選択肢を与えられた時は、よっぽどのことが無ければはい、という選択をすればいい。イエスマンの多い日本人には最適な生き方ではないか。
ただし、誰かのために自己犠牲をする必要は全くない。自己犠牲により自分が苦しむのは勿論、誰かを苦しめ、救えた別の誰かを救えなくなるからだ。誰か一人を救うことで、身の回りの何人もが不幸になり、誰かに手を伸ばしたはずの自分が取り残されてしまうのだ。あくまで無理をせず自分のできる範囲で、というのが大原則になる。
まとめると、誰ひとり取り残さない社会のためには、個人が手の届く範囲で人を助けることが必要である。それはキリスト教の隣人愛とはまた違う。キリスト教とは違って別に隣人を愛する必要はない。憎んでいたって構わない。ただ、日常の中でできることを一歩踏み出すだけで、隣人はその一歩で間に合う範疇でいい。
そして、それらの行動は誰かのためにやるのではなく自分のためになるからやるのだ。偽善ではなく、あくまで自分のためにやることなのだから文句のつけようがない。隣人であればその成果が簡単に分かるだろう。
みんなが自分のために誰かを助ける、All for myself.それが続けば自然と誰ひとり取り残されることはない。そう断言しよう。
 
 
 
円尾幸太郎 さいたま市立大宮国際中等教育学校5年
先生が教えてくれたこと
「障がいを持つ人は害じゃない。」
これは私の小学四年生の時の担任であるI先生(現在は特別支援学校の教頭)が、私たち生徒に話した言葉だ。そして私は今でもその時のことを覚えている。
 それはある授業でのことだった。同級生の子が、悪ふざけで身体障がいを持つ人のことを馬鹿にする発言をした。当時の私たちクラスメイトはそのことを特別悪いことだとは思わず、軽く受け流した。ただ一人を除いて。それがI先生だ。いつもは温厚で笑顔が絶えない先生の顔が急に暗くなった。そして、淡々と次のようなことを話した。
 「障がいを持つ人もみんなと同じ人間なのに、なぜ彼らを馬鹿にするのだ。みんなには、絶対に人を馬鹿にする人にはなってほしくない。」
その後、I先生は黒板に“障害”という二文字を書いた。続けてこのようなことを話した。
「多くの人は障がいを持つ人のことをこうやって書く。まるで害を持っているかのように。障がいを持つ人は害じゃない。」
当時の私は意味を深く理解できなかったものの、あの時の先生の顔や口調、そして話していた内容は心に残った。そして私には、先生が私たち生徒に伝えたかったことは何だったのかという疑問が生まれた。
中学生へ、そして高校生へと成長してもなお私はこの疑問について考えた。この答えを見つけたとき、きっと障がいを持つ方への理解を深めることができ、一人の人間として大きく成長すると思ったからだ。そんな中、ある好機が訪れた。それは体育の授業でのことだ。私たちはパラスポーツに取り組んだ。私は主にブラインドサッカーを体験した。その授業ではスフィーダ世田谷BFCというブラインドサッカーチームの選手に来ていただき、ブラインドサッカーの基礎知識や視覚障がい者の生活などを教えていただいた。その時間に、実際に視覚障がいを持つKさんという方がこのような内容のことを話された。
「私たち身体障がい者は社会から偏見を持たれることが少なくない。一番悲しいのは、かわいそうだと思われることだ。もちろん日常生活で助けが必要になることもあるが、私たちは自分自身のことを決してかわいそうだとは思っていない。もはや個性の一つだと思っている。」
この話を聞いたとき、I先生のことを思い出した。あの時I先生が伝えたかったことは、Kさんが話したように障がいを持つ方に偏見を持たないで欲しいということだと思った。もし障がいを持つ人に偏見を持たなければ、彼らを馬鹿にしたり、差別をしたりはしないだろう。ましてや障害を持つ人のことを障“害”者と書くこともなくなるのではないだろうか。I先生が私たちに強く訴えかけたのは、その当時からあった障がい者への理解の欠如や差別などではないかと思った。そして、偏見や差別により障がい者が社会から取り残されている現状があることを伝えたかったのではないかと分かった。
 社会に羽ばたこうとしている今、I先生が伝えてくれたことを自分なりに解釈した私は、「私にできる取り組みはないだろうか」と考えた。先ほどのKさんは、現状として障がい者が偏見を持たれる原因は「交流の少なさ」にあると考えておられた。そこで障がいを持つ人、持たない人など関係なく気軽に交流ができる場所を作りたいと思い、同級生3人とともに「子ども食堂」を二件立ち上げた。この子ども食堂は障がいの有無や所得の多さ、年齢に関係なくあらゆる人が気軽に来て、ご飯を食べたり、遊んだりできる場所だ。このような場所が地域にあることで、多くの人が集まり、また参加者同士が気軽に会話をすることが可能となる。このような場所で障がいを持つ人と持たない人が関わることで、I先生とKさんが教えてくれた障がいを持たれる方への偏見等は改善されると考えた。
 実際に、私たちの食堂に一度片腕がない子どもが来たことがあった。私はそこで胸を打たれる経験をした。その日は30人近くの方が来てくれた。私は正直、参加してくれた他の子供がその子の腕のことを馬鹿にしてしまうのではないかと不安に思っていた。ただ、現実は違った。ほかの子供たちは馬鹿にするどころかむしろその子と遊び、初対面ながら打ち解けていた。彼らにとって腕の有無は仲良くなるのに関係ないのだろう。このような温かい気持ちを子供たちが持ち続けられるように、そして障がいを持つ人への偏見を少しでも減らすために、これからも私は子ども食堂の運営を続けようと思う。
 私は「障がいを持つ方への偏見」を解決しようと考え、地域の人々が交流できる子ども食堂を二件立ち上げた。ただ、社会課題に気づいていても実際にそれを解決するための行動に移れる人が少ないことを現状として感じている。そのため、今後は自分が活動を続けるだけでなく、友人や後輩などの周りの人にもこのような活動を普及できるような取り組みを行いたい。そうすることで誰もが傷つけられず、取り残されない世界を作れると私は信じている。
 

 
 
 
奥柚叶 中村中学校・高等学校 高校1年
外国人と話す・遊ぶ
私は、小学校のときのクラスに38人中外国人が2、3人いました。小学生の時の私は、そもそも外国人が差別されやすいということを知りませんでした。だから、私は普通のクラスメイトとして日本語で話していました。そして、話す以外にも鬼ごっこをしたり大縄跳びをしたりしていました。外国人と話したり遊んだりしている人は私含め4人ほどしかいませんでした。今思うと、私は差別という単語を知らなかったから気が付かなかったがそのときから差別されていたのだなと思いました。そして、小学生だった私が成長して中学2年生になった時の話です。この時には、差別を授業でも取り扱ったりしていたので私も少し差別について色々思ってしまうようになりました。その色々とは、授業で差別を取り扱ったときに外国人と仲良くしていると周りの目線が気になるという意見が多くて自分自身も少し気になるようになってしまいました。このような時期に、塾に外国人が入塾してきました。私は、最初話しかけようと思ったが、周りの目線が気になり話しかけることが出来ませんでした。その日から2週間ほど話しかけることが出来なかったが私以外の生徒でも外国人に話しかけた人はいませんでした。さすがに、私も申し訳なくなって同情で話しかけてみました。すると、その子は見た目が私たちと違うというだけでその他は同じだったもです。そして、以外といざ話しかけてみると思っていたより周りの目線が気にならないことに気がつきました。私は、そこでみんな偏見がすごかったり考えすぎだったのだと思いました。そして何よりも、周りの目線を気にしすぎているのだと思いました。次に、この実体験を通して私が行っていきたいことです。私が行っていきたいことは、私を使って外国人と話してもらうということです。具体的に説明をすると、最初に自分が外国人と話すからその後に続いてその他の人たちも一緒に混ざるということです。なぜこのように考えたのかというと、中には外国人と話してみたくても1人で話に行くことが緊張したり周りの目線が気になり話に行けないという人がいると思ったからです。だから、私が最初に話していれば一緒に話しやすいし何人かで話していれば周りの目線も気になりずらいと思ったからです。そして、1回話してみれば2回目は周りの目線のあまり気にならなくなって話しかけやすくなり仲良くなれると思ったから私はこの考えを行っていきたいなと思いました。次は、私のまわりだけでなく社会全体で行っていきたいことについてです。社会全体では、英語に触れる時間を増やすことを行っていきたいと考えました。なぜ差別したりとマイナスなイメージを持っている人たちの言語に触れなければいけないのかと思う人はいると思います。しかし、私はマイナスなイメージを持っている人ほど他言語に触れることで差別がなくなるのではないかと思いました。理由は、差別をしている人は外国人に対して尊敬がないのではないかと思ったからです。個人的な理由ではあるが尊敬があったら偏見なんて思わないし、話すだけで周りの目線なんて気にならないと思ったからです。だから、実際に外国人が使っている言語を自分が学んでみることで、その言語を使っている外国人のことを尊敬できるのではないかと思ったからです。そして私は、差別をしている人ほど外国人にとってはいつも使っているからなんとも思っていない言語でも普段その言語を使っていない日本人からしてみればその言語を話している人のことをすごいと思うのではないかと思いました。最後に、差別は無意識にしている人もいるからその意識を変えるのは難しいと思うが、この意識を変えることでさらに視野が広がると思うからこの作文を読んだ人から英語に触れる時間を増やしていってくれたら嬉しいです。
 
 
 
岡田菜花 岡山大学グローバル・ディスカバリー・プログラム2回生
誰一人取り残さない労働環境実現のために今できること
私は、現在岡山大学グローバル・ディスカバリー・プログラムという学部に在学しています。この学部は学部の半数以上が正規留学生で毎日外国人と関わることができます。中には日本に就職して日本で生涯を終えたいと言ってくれるほど日本が大好きな学生もいます。私はそのような志高く、日本が大好きな留学生が社会に出ても日本で働けていることを誇りにもってほしいと思っています。しかし、日本には大きな課題の一つである技能実習生や外国人の不正雇用問題に将来私の友達が脅かされるのではないかという不安があります。2024年もいくつかの都道府県で技能実習生の不正雇用が摘発されたというニュースを目にしました。そこで私は、私に今何ができるのかを考え活動することにしました。私が今までに行ってきた活動を3つご紹介します。
1つ目はThe World Kitchenというイベントの運営です。この団体は岡山大学グローバル・ディスカバリー・プログラムの学生有志で立ち上げた団体でイベント回数は4回で活動期間は3年目に突入しようとしています。イベントには外国人に関する日本の問題解決のための目標がいくつかありますが、その一つにイベントに当日来てもらった外国人留学生が活躍することによって外国人を適切に雇用できる企業に目をつけてもらうことも目標としています。実際に、このイベントによって企業の方々からお声がかかったと留学生から報告してもらえたこともあります。この活動は岡山県内でかなりの認知を得ることが現在できており、2024年に「弟9回おかやま協働のまちづくり賞」で大賞を獲得することもできました。留学生と関わる機会をなかなか得ることのできない企業の方々や、日本の企業との関わり方がわからない留学生にチャンスを与えることのできるこのイベントをさらに大きくし、岡山県外からも認知されること、存続を目標に今後も活動し続けます。
2つ目は留学生への就活の仕方や、インターンシップの提案です。就活支援に力を入れている仲間とともにインターンシップの募集や就活イベントの紹介を行っています。私は海外の留学生の知り合いが多いことを活かし、海外の留学生を中心に紹介をしています。今までにエントリーシートの書き方や岡山県の企業を紹介するイベントなどを紹介してきました。特に日本のエントリーシートの書き方がわからないという海外の留学生にニーズが高かったです。留学生がThe World Kitchenのように声をかけていただくだけでなく自分がやりたいと思える仕事に自分で応募して、自分で自分の魅力をアピールできる力を身につけられるイベントの紹介をすることによって、不正雇用問題解決と働きがいを得てほしいと思っています。
3つ目が日本への提案です。日韓みらいファクトリーアワード2024が筑波大学主催で8月に行われました。そのイベントでは最終日に「SDGsの観点から日韓のどのような問題を解決できるか」を発表しようという課題を課せられました。このアワードで発表した内容は日韓政府に若者の案として提案されます。そこで私のチームは日韓共通の問題である外国人の不正雇用の改善について発表しました。日本で就職したい外国人のコミュニティーを確立し別々の雇用先の状況を話しあえる相手をつくると同時に、日本の外国人の不正雇用を深刻にとらえている日本人学生に就職前後の相談をして、不正雇用された場合気づける環境づくり、また再就職しやすい環境づくりを専用のアプリ作成にとって行うことを提案しました。このアイデアは多くの日韓の学生に賛同してもらうことができ、優秀賞を獲得することができました。このアワードでは今まで留学生のための活動中心だった私の視野を広げることができ、留学生以外にも就職のチャンスを紹介できる活動がしたいと思いました。
私はこれら3つの活動を通じて他の方々も私と同じように外国人の不正雇用を深刻に考えていることを改めて知りました。これからは今までの活動を踏まえ、留学生が日本へ新たなアイデアを発表、交換することのできるイベントを設け、留学生や一般の外国人関係なく参加できるコミュニティーの確立とともにだれ一人取り残さない社会の実現に向けて、今後の活動についてさらに考えていきます。
 
 
 
下郡優惟乃 大分県立佐伯鶴城高等学校3年
いじめとの向き合い方
いじめはからかいから。大抵のいじめる人はいじめている相手が傷つくなどということを考えずにただうざいから、みんなやっているから、自分はいじめられる側になりたくないからなどと自分本意のことしか考えずいじめをしていると私は思います。いじめというかその人たちにとってはただのからかいくらいの気持ち。また、その人その人で「いじめ」だと感じる程度は違い、いじめている側としてはささいなことでもいじめられる側からすれば心に大きな傷を負わせるものになるものもあります。その中で現在いじめに悩まされている人は多く、死を選んでしまう人もたくさんいます。このような悲しい出来事を事前に防ぎ、みんなが安心して過ごせる世の中にするための取り組みは多く行われていますが、実際効果はあまりないと私自身思っています。私自身の経験を話すと、中学生のころの話になりますが、私は部活に対して本気で取り組んでいて優勝したいと上を目指してがんばっていました。ですが、私の通っていた中学校自体強豪校ではなく、部員自体同い年の人数は多かったのですが女子は中学校から剣道を始めた人も多く 本気でやろうという意志のある人も少なく真面目に部活をしようとする人もほとんどいませんでした。それだけならよかったのですが、その中で少数ですが自分や真面目に取り組んでいる人たちをその人たちはばかにしてきて、冷たい態度をとられていました。そんなことを言わない人もいましたが、その言葉に当時の自分はとても傷ついていて嫌な思いをすることも多かったのを今でもはっきり覚えています。このような小さなからかいからいじめは発展していくと私は思います。私の場合からかいや悪い態度など軽いものだったので良かったですが、いきすぎたからかいはいじめにつながります。また、別のいじめの原因をいうと差別から始まるいじめがあります。例えばこのようなものがあります。それは患者として国から認定された人が受け取る保証金に対するねたみからはじまったいじめです。水俣病の患者に対して、その自宅に行ってハガキを出している人は「水俣病はほんとうにひどい病気だ。気の毒な面もあるが、自分は絶対になりたくないし、患者にも近づきたくない。」という差別意識と「でも、補償金をもらえるのは羨ましい」ときうねたみと二つの感情を持っています。そこから気の毒だと思うがやっぱりずるいという気持ちになりその気の毒だと思う同情や共感の感情が消えてついには「偽患者」「仮病」という嘘が自分のなかで勝手に作られます。つまり、自分をごまかすためのデマの「ねつ造」が行われ、自分のことを「水俣患者をいじめる加害者」ではなく「補償金目当てのニセ患者に金を取られる被害者だと思うようになります。国の補償金には税金も含まれているため「あれは本来は私のお金だ。それが補償金としてニセモノの患者に渡るのは許せない」と思い、ますます怒りが大きくなりついには病で苦しんでいる人のところにわざわざひどいハガキを送るようになるといいます。つまり、相手は被害者から加害者に自分は加害者から被害者になる。その立場の逆転がおきると差別やいじめはさらにひどいものになるというものです。このようなことも日本では今でも多く行われていると思います。水俣病の患者だけでなく、部落に住んでいる人への差別などたくさんの「いじめ」が行われています。このような様々ないじめに対する対策として学校内ではアンケートがとられていたり、社会的にも差別をなくそうとする取り組みはたくさん行われています。しかし、そのほとんどがあまり意味のないものであると私はおもいます。なぜなら、ほんとうに助けが必要な人はいじめられていることを言えない人が多いと私は思うからです。「いじめられていてはずかしい」「こんな惨めなこと言えない」と我慢をする人はそのような取り組みでは助けることができません。私が考える取り組みとして学校に行きたくない。いじめられるから行きたくない。けどお家の人にいえずにいて逃げる場所もなく学校に行くしかない。などと逃げ場のない人がいつでもいけるアットホーム的な建物をたくさんつくることです。逃げ道をつくることで自分自身の居場所は限られた場所だけではなく、他にもあるんだという安心感を得ることができるのでそのような人たちにとって居心地のいい場所になると考えたからです。また、そうゆう現場にであったときの自分の対応などまずはその人たち自身に寄り添うことが大切になると私は思います。安心できる場所をつくることやひとりひとりの勇気をもった行動から「いじめ」をなくし、この世界からいつか「いじめ」それ自体がなくなればいいなと私は思います。
 
 
 
河田真桜 中村中学校・高等学校 高校1年
世界からも、自分からも取り残されないために
「誰ひとり取り残さない」というのは、今大変な思いをしている人たちを救う側の目線であるが、では大変な思いをしている本人たちはどのような面持ちでいればよいのか。取り残されないために、どうしていけばよいのか。
私は人前で話すことが苦手だ。人前で話す時はいつも極度に緊張するし、何よりこちらを見ているという目がとても怖く感じてしまう。けれど、別に人と関わるのが嫌なわけでも、聞いている相手が苦手な人というわけではない。むしろ厳しい目で見てくる人も、もしかしたら心の中で応援してくれているかもしれない、とポジティブに考える時もある。しかし、人前に立った瞬間にどうしても生きている心地がしなくなって、呼吸ができなくて、心臓が握り潰されているような感覚になる。何か言わないと、噛んだらどうしよう、顔が赤くなってきたらどうしようといったことが0.数秒の間に頭の中に流れ込んできて、とうとう何も考えられなってしまう。そのあとは立っていることしかできないのが度々である。
それが起きてしまうことの怖さは本人にしかわからない。周りには心配をしてくれる人もいるが、何が起きたのかわからないといったような顔をしている。もちろん私自身が「発表することが怖くて」と説明すれば大概の人は理解してくれるだろう。でもどうしてか、「わかる!私も苦手」といった共感の言葉がいつも軽々しく聞こえてしまって、複雑な気持ちになる。もしかしたらその子も私と同じくらいか、それ以上に苦手なのかもしれない。けれど、その子が前で堂々と発表している姿を見て、同じ苦手なのにどうしてここまで違うのか、あの子も苦手である中頑張っているのに、とまた複雑な気持ちになる。そうすると、あの子と同じ立場である私が失敗した時はどうすればよいのか。そう考えてしまって、何か発表がある授業はいつのまにか休むようになっていた。辛かったのは、発表することが怖いと打ち明けていた親友に「さぼんなよ」とクラスの真ん中で笑われたことだ。私が辛いことを知っている人でさえそんな心ないことを言うのだから、もうわかってくれる人はいないのかもしれないと考えてしまった。
その出来事があってからはとうとう誰にもこのことを言えなくなっていた。それには、私は私なりに苦手なことと向き合っていたのに悔しいという気持ちもあったが、1番はみんなが当たり前のようにできていることを私も早く当たり前にできなくてはいけない。そうでないと色々な場面で遅れをとって、取り残されてしまうかもという気持ちがあったからだった。
それからしばらくは無理をして発表に参加するようになったのだが、ある授業の途中で、私が1番経験したくないと思っていたことが起きてしまった。
発表が始まった直後にいつも通り呼吸ができなくなってしまい、焦って何か言おうとしたとき、「早くしろよ」と言わんばかりの、冷たく、厳しい目が自分に向けられているのを真正面から感じてしまった。結局3分間で1言も話すことはできなかった。ただ茫然としながら自分の席に戻った瞬間、いきなり過呼吸になってしまって、そのあと保健室に向かう途中で倒れてしまった。さらに、学校にきてその日の発表を思い出すたびに倒れてしまうようになっていた。私はそこで、自分が思っていた以上に自分を追い込んでしまっていたということにやっと気がついた。そして、苦手だということを周りに話していなかったせいで、私が苦しんでいたことに誰1人気がついてくれていなかったが、大変なことが起きた後にやっと、真剣に私の話を聞いてくれる人が増えた。
それから私は、些細なことでも自分が助けてほしいこと・辛いことがあったらしっかり周りに伝える、ということがとても大切だということに気がつくことができた。周りから取り残されたくなくてしたことが、むしろ自分を追い詰めて、苦しんでいる自分を取り残してしまった。これは私や私の周りだけでなく、苦しいことに向き合って生きている人たち全員に言えることで、誰にでも起こる可能性があると思う。誰かが助けてくれるのを待っているだけだったり、もっと今より状況を良くできると、今の自分に向き合わずに無理矢理解決させようとしたりすることは、結局どの問題も解決できないまま終わってしまう。環境問題や政治的な問題は状況が分かりやすかったり、解決のために何をしていけばよいのかすぐに理解できたりすることは多い。けれど、その問題によって精神的に苦しめられてきた人がいるような問題は、自分たちが実際に経験をしていないとわからないこともたくさんあるため、よく考えて行動する必要がある。そして、苦しめられてきた本人たちは、周りにどれだけ深刻かをわかってもらえるように自分から声をあげて伝えるということが、世界からも、自分からも取り残されないために最重要である。
 
 
 
河野凪紗 大分県立佐伯鶴城高等学校3年
何のために働くのか
 「私らしさとは一体何なのだろうか」という疑問が頭の中に潜みつつも、それに気づいていないふりをしていた。
昔は、たくさんの夢を持っていた。プリキュアになりたいとか、ヒーローになりたいとか。しかし、大人になって行くうちにその夢を持たなくなった。ファンタジーなものにはなれないと悟ったという訳ではなく、現実にあるものにその夢を打ち消されたようだった。そういった意味では、持てなくなったという言葉の方が近いのかも知れない。
 高校生になり、自分の将来の夢を医療関係の仕事にしていた。給料もよく、安定しているからだ。何より、家族の大半が医療関係だったから、彼らに流されていたという理由が1番強かった。しかし、「本当にそれで良いのか」という問いが頭の中にいた。起床・労働・就寝の繰り返しは少しずつ自分の個性を失っていく。少子高齢化が進み、医療が重視されているこの社会。子供を支える職業や食に関する職業が軽視されている。朝早くから働いて重労働をしたあとは、残業をして、サラリーマンよりも少ない給料を貰う。もちろん、医療関係の職もとても大変な仕事である。それぞれの患者さんに合わせた治療方法を見つけて、日々切磋琢磨している。だが、少子高齢化が進んでいると問題視されているのであれば、子供達が過ごしやすい環境を整えることが必要だろう。そのためには、子供達を支える従業員が必要となってくる。しかし、子供を支える仕事が不安定な職種だと考えている若者が多い。だから、教師や保育士が少なくなる。子供を産んでも支えられる人が少ないと思い、子供を産む人も減る。いわゆる悪循環だ。
 いつかAIに仕事を取られるという話を聞いたことがある。AIにまで自分の行きたい道を奪われてたまるかと少し腹立たしく感じた。数十年後、自分がついた職種がAIに取られてしまっては、今まで培ってきたものたちがほぼ無意味なものになるだろう。だからこそ、AIに取られないような仕事を探して、その仕事の専門知識や資格を取り、給料が安定していてやりがいがある仕事に就く。そういった事を考えると、自分に合った職業は少しずつ限られてしまう。
 また、ニュースや学校などで年金の支給開始年齢が引き上げになり、貰えるお金も少なくなるという議論を見かける。高齢になってもまだなお、生きるために働く。生まれてから社会に出て、死ぬまで働く。納得ができない。でも納得しなければならないのが社会だ。上司が合わなかろうが、お客さんに嫌な態度を取られようが、私たちは働く。生きにくい社会の中で、どうにか生きるために労働をする。
 社会と科学技術の両方に自分の将来の夢を狭められている。その中でみんながみんな、それぞれの行きたい道に進んでいるとは思わない。全ての若者が各々の好きなことを職にしていないということではなく、やりたいことや目標を持った上で、やりがいを持ちながら働いていない人が何人かいるのかもしれないのではないかということだ。なぜ働くのか、何のために働くのかということを今一度、振り返って考えることが大事だと考える。AIに取られないからこの職業にした、給料が良いからとりあえずこの職業に決めた。社会に圧倒されたそういった考えで働いていては、いつか、折角就いた職業を辞めてしまう人もいるだろう。やってみなければ分からない。私たちは学生だ。今できることを今行わないでいつ行うのだろうか。自分のやりたいことを尊重してはいけない理由なんて1つもない。
 私は大人ではないので、社会の辛さや苦しさを分かっていない。機嫌を取り、自分を隠すのが社会かもしれない。たくさんのプレッシャーやストレスに耐え続けるのが社会かもしれない。大人が今の社会や仕事にどれだけ満足しているのか全くわからない。だから、わからないなりに大きな夢を見ても良い。息苦しいこの社会に抗っても良い。AIには負けない。社会に圧倒されない。私は私なりに生きる。そういった気持ちを持ち続けることが、何よりも重要なのである。
 
 
 
釜田林華 北海道教育大学附属函館中学校2年
個を縛る
世間には、「障害」という括りで縛られている人たちがいる。その人たちは普通の人と違う特別な支援が必要な人たちだと言われている。
 私の身の回りにもまた、そういう人が何人かいる。しかし、私はその人が障害者だったなんて知らなかった。本人に言われて初めて気づくこともあった。また、私は普段市内を運行しているバスで学校に通っているのだが、そのバスにも時々、「あぁ、きっと障害者なんだな。」と思うような人が乗って来ることもある。個人的には、障害者だって人の括りに入っているのだし、病気の有る無しで人を差別する必要は無いと思っているので特に気にするわけでは無いのだが、たまにそれを気にして席を離れる人もいる。
 そんなふうに、「障害者」を差別しているように見える人がいるのだが、果たしてそれは人としてやってよい行いなのだろうか。なぜ病気が有るだけで人に差別されなければいけないのか。私はそれがとても不思議だった。
 私は生まれつき、「アトピー性皮膚炎」という皮膚の免疫が低下する病気にかかっている。これは障害ではないのだが、周りの視線が痛いときもしばしばある。アトピー性皮膚炎は、現在の医療では完全に治すことはできない難治性疾患で、成長と共に症状が収まっていく人もいれば、成人しても治らない人もいる。私も実際、小さい頃に比べたら症状は良くなっている傾向にあると思うが、季節の変わり目や乾燥しやすい時期は特にあれやすくなっている。また、掻いてしまうので皮膚に傷がついたり皮が剥けてしまい、同年代の子からはそれを少々馬鹿にされていた。周りの友達はみんな肌が綺麗で羨ましいと思うときも正直有る。みんなは、夏場に堂々と半袖を着ることができる生活を当たり前のように送っている。
 また、「肌やばくない?やったー!私のほうが肌綺麗だー!自慢できるところ増えて嬉しいー!」と、友達に言われたこともある。これは流石に言い過ぎだと思ったが、返す言葉がなかった。なぜならその友達は肌が荒れているわけでもないので堂々と半袖を着ることができるから。
 別に自分がアトピーなのに怒っているわけでも悲しんでいるわけでも、同情してほしいわけでもない。けれど、そういう差別化を図るような言葉は正直やめてほしい。私はそんな言葉を言われても気にする訳では無いけれど、アトピーで苦しんでいる子は他にもいるからそんなふうに言わないでほしい。障害者じゃなくても、言われて悲しいことはある。
 障害者でも障害者じゃなくても、人を決めつけて価値観を押し付け、人を罵ることは絶対にしてはならないと私は思う。
 また、障害者だからって「何もできなくて可哀想」と思う必要は無いと、私は思う。私は音楽を聞くのがとても好きで、家ではほぼずっとスマホで音楽を流している。ストレートに想いを伝える歌詞よりも、抽象的に色々解釈ができる歌詞のほうが好きな私は、よくボーカロイドの曲を聞いている。そして、私の好きなアーティストさんは精神疾患を患っているのだが、だからこそ独特の世界が広がっていてとても素晴らしいと思っている。普通の人とは違う経験や思考を持つことで、普通の人には考えられないような歌詞をかける部分も素晴らしいと私は思う。
 確かに、病気がある分、他の人と違って生きづらかったり、叶わない部分もあるかもしれない。けれど、こんなふうにそれを活かせるように受け入れて生きている人もいる。
 その人は、やっぱり作曲を続けていくうえで苦しんだり不安になったりする部分もあるらしい。しかし、それでも自分の曲をたくさんの人に聞いてもらえるように頑張っている。
 こんなふうに、障害者は何もできない訳では無い。必ず活かせる長所がある。障害者と聞いて、「少しおかしな人なんでしょ。」という偏見を持つ人も少なからずいると思う。けれど、彼らだって立派な人間で、普通の人以上に努力をしている。自分の病気と戦いながらそれを受け入れて生きている。
 だから私は、障害者に対して価値観を押し付けること、罵ること、可哀想だと決めつけないことが大切だと思う。「みんな違ってみんないい」人と違う部分が有るからこそ個は輝くものであり、それを否定することは絶対に良くないと思う。
 
 
 
岸明日翔 国立音楽大学2年
「地球に生きる者たちよ」
ああ、私ってこの場所から取り残されている、と思う時、ほんの少し、暗い雲に太陽が隠れるような寂しさが襲う。
「君の考え方は面白くて、他の人とは違う」それを世は個性的と言うが、
私はあまり良い顔ができない。
世の中を歩いている人の、何が「普通」で何が「個性的」というのか。私にはその基準がわからない。
ただ、自分が感じたこの世への憎悪と生まれてきた後悔だけは、脳の端にじっと座ったまま、20歳を迎えた今でも、あの他人の口角と、妙な目をふと思い出したりしてしまうと、絶望の淵に追いやられそうになる。
―そんな世の中でいいのか。様々な物を抱えて生きる全ての子供達は、周りの大人なしでは生きられない。大人が認めぬ個性は、ノーカラーにしてしまっていいのか。誰かを愛することも、何かに興味を示すのも、一定の基準というものを設けていいのか。
また、この上記の話と関連付けられるのが「SDGs」である。
そもそも、SDGsの目標は大雑把に言うと、「持続可能な社会を作る」「平和」が鍵であるが、これは意見が分かれてはいけない。何故なら地球全員が協力しなければならないからだ。
昭和の考えがやっと廃れてきて、多様性やジェンダーについての理解が広まってきた。とは言っても、誰1人取り残さない社会を作るのは、正直簡単ではないと私は思う。
何故なら多様性とSNSで検索をかけた時、1番初めに「恥ずかしい」「どこで道を迷ったのか」という呟きがあり、最初に頭を悩ませることがあったからである。また、地域によっては肌の色が分かれる、それすらも差別するような発言も垣間見える、そして次に心を悩ませた。
人間が持つ「特色」「メリット」…。挙げていけばキリがないが、こう、世の中という箱を爆破させる第一人者がいれば、今回の様に、
逆に「心を悩ませる原因」が少し減ると思った。
一言で述べれば、発信は大事である。その勇気は、勿論日本人だけな訳はない。
言ってしまえば、アメリカやフランス。海外の方がジェンダーに対して寛容な思考を持っている。いつか、日本も堂々と胸を張り、私達はパートナーシップを結びました!ではなく、正式に結婚します!といえれば、持続可能な社会に1マス、駒を進められるのでは、と思う。
個性は絶対に味方になる。貴方の勇気は、私達がバトンを前者から受けた時、これからの世の中を変える走者となれる。
誰1人として、取り残さない。皆、それぞれの価値観が素敵である。
貴方の感性で、心が揺れ動く物を好きになるのは可笑しいことではない。全ての感情が突き動かすものは、必ず漢字に「心」というものが付く。あなたは、そのままで。社会はより良く。
それが私達の生きる糧であることを。
皆と手を繋げる社会がきますように。
当たり前と、決めつけぬように。
地球に生きるあなたの、素敵なところを愛していきたい。
 
 
 
宮寺彩衣 中村中学校・高等学校 高校1年
SDGsとコーヒーの関係
私は「誰ひとり取り残さない」という目標を聞いて、SDGs目標1「貧困をなくそう」
と、目標5「ジェンダー平等を実現しよう」が頭に浮かんだ。調べてみると、世界人口のうち、7億人以上が極度の貧困の中で暮らしていて、根強い差別や不平等が残っている国や地域が存在していたり、発展途上国に限らず日本のような先進国でも、女性に対する差別や暴力が問題になっていたりしているらしい。世界規模の人数ではそれを見て私は、不平等や差別が原因で、立場の弱い人や国が生まれてしまうという事実を知り、対策へ動くことが必要だと思った。
そんな中、学校で「コーヒー」についての授業があった。私はコーヒーを苦いことを理由に飲まず嫌いしていたので、この授業を受けるのは気が重かった。しかし、その授業でコーヒーへの印象が変わった。それは、エチオピアで作られるコーヒーがSDGs達成に深く関わっているという内容出会ったからだ。エチオピアのコーヒーは、世界で最も古く、品質が高いとされている。
ではそのコーヒーは、どのSDGsに、また、どのように達成へ導くのか。まず、最初に述べた「貧困をなくそう」に関して。コーヒーはエチオピアの重要な輸出品である。したがってコーヒーによって生活費を得ている農家たくさんいる。しかし、現在のコーヒー生産農家の取り分は、私たちが普段飲む、一般的なコーヒー1杯分の値段の1パーセント以下である。そのほかの99パーセントは輸出・輸入業者やカフェの従業員の取り分となってしまう。そこで、立場の弱い生産者の取り分を増やすために作られた貿易システム、「フェアトレード」の存在が注目された。それによって商品を適正な価格で買い、エチオピアの生活の支援につながった。ところが、フェアトレードは認証ラベルを取得する必要があり、費用がかかること、補助金分も含まれていて販売価格が上がりやすいといったことなどがデメリットとして挙げられ、多くの人に普及させるのが難しかったみたいだ。そこで登場した森林コーヒーは、コーヒー農家が売り上げをそのまま得ることができる。森林コーヒーとは、自然な森林環境の中で育てられるコーヒーである。さらに、それは日本とエチオピアが共同し、協議・決定・実行を行なってできたものである。そのおかげで、コーヒー生産に適した場所を、日本からの的確な指示でより、有効に使用できるようになった。そうして作られたコーヒーは良質なものとして買われるようになり、「貧困」に関する目標達成に近づいたのだ。
次に、「ジェンダー平等を実現しよう」に関してである。世界では、いまだに「男は仕事、女は家事」という価値観が抜けていない。コーヒー産業でも女性は家庭での作業を担当することが多かったため、女性の経済的地位が低かった。しかし、フェアトレード認証を受けたコーヒーが増えることで、女性農民にも平等な賃金が支払われることが求められるようになり、女性の経済的自立が進んだ。またフェアトレードは女性の労働条件を改善し、教育や健康管理などの支援が行われることもある。これらによって「ジェンダー平等」を達成する大きな一歩となった。
調べていくうちにエチオピアの森林コーヒーは、「貧困をなくそう」と、「ジェンダー平等を実現しよう」以外にもSDGsに関係していることがわかった。森林コーヒーは、自然の森林環境で栽培されるため、環境に与える影響が少ないという特徴がある。コーヒーの森林は二酸化炭素を吸収し、地球温暖化を緩和する役割も果たす。また、森林は土壌を守っている。これにより森林コーヒー産業は、目標13「気候変動に具体的な対策を」および目標15「陸の豊かさも守ろう」にもつながっている。
エチオピアの森林コーヒーは、環境保護、不平等をなくすこと、社会的な利益を生み出す重要な役割を果たしていることがわかった。今回調べてみて、飲まず嫌いしていた、コーヒーに興味と魅力を感じることができた。これからは、フェアトレードの商品も、森林コーヒーも、存在を気にして買い物をしようと思う。
 
 
 
金子幸生 春日部共栄高校2年
取り残されてるのは人間だけなのか?
「誰ひとりも取り残さない」で私が思いついたのは、私は人間以外に動物や植物など今この世に生きている生き物すべて含まれている、もしくは含まれるべきなのではないのかという考えを思いつきました。例えば、家で飼いきれなくなった熱帯の魚が川や水路に話されたとします。夏場に放流されたら冬場になると水温が下がって本来その魚に適した温度ではなくなってしまい死んでしまいます。また、その魚が大型の魚ならば日本原産の小さな魚たちが捕食対象になり、食べられてしまいます。もちろん、その魚には非はなく悪いのは逃がした人間です。そして、逃された魚は捨て猫や捨て犬のように扱われるべきで、保護されるべきです。だが現状、犬や猫などの哺乳類のペットを引き受ける機関があるのは多くの人に知られていると思うが、魚や爬虫類を引き受ける機関があることはあまり知られていない。その結果、人々は自然に逃がしてしまうのだ、その後の動物たちのことを考えずに。ここで、私が行いたいことを提示します。それは、自然に逃されずに動物を保護する。すなわち、保護してくれる機関の認知度を上げる、ということです。自然に逃がせれる前に保護するならば、まず保護してくれる機関を知らないと自然に逃されてしまいます。さて、どうやって世間に認知させるのかを考えたところ、一番いいのが生き物販売店で生き物を購入する前に説明することによって未然に防げるのではないかと思いました。特に、成長すると大きくなってしまう生き物を買う人に釘を打つと効果が出るかもしれません。また、大きくなって飼いきれなくなった生き物が法律上まだ販売できる対象ならば、ネットオークションなどで出店できます。買い手が見つかるまで飼育しなければならないが、誰かに買ってもらって保護してもらうというのも一つの手なのではないのかと思います。だが、その場合でも自然に放してしまう人は出てくると思います。その場合、地道ではあるが人間が自ら川に行って保護するという方法を取るしかないです。これでは、放された生き物の生存率が下がってしまい、たとえ保護できたとしてもその後死んでしまう可能性があります。そのため、自然に放してはいけないという心と生き物を最後まで飼育するという心構えが人間に必要です。これまで魚や爬虫類系のペットの話でしたが、これは犬や猫などの哺乳類系のペットにも当てはまることです。「誰ひとりも取り残さない」、これの対象は人間かもしれないが動物も人間同様生きている命であり、死なせてしまう状況、環境を作るわけにはいかないのです。私はそんな状況に置かれている生き物をどうにかしたいそういう気持ちでいっぱいです。そんな生き物たちが減ることを願っています。
 
 
 
金田真依 大分県立佐伯鶴城高校3年
今、将来のことを考えて
 気象予報士になりたい。気象を通して多くの人の生活材料の一つになりたい。そう考えている。
 SDGsの13の目標「気候変動に具体的な対策を」。近年地球温暖化が進み、気候変動、異常気象が頻繁に起こるようになっている。特に今年は異常な台風や記録的な豪雨に関するニュースを目にする機会が多く感じた。このような問題は私たちの生活水準が向上したことによりエネルギー消費が増え、より多くの温室効果ガスを排出するようになったことが大きな原因の一つと考えられる。これは気象庁が発表しているデータを見るとわかる。実際2013年の大気中二酸化炭素の世界平均濃度は前年と比べると2.3ppm増えている。そのためSDGsでは地球温暖化がこれ以上進行しないように二酸化炭素の排出量を削減し、カーボンニュートラルを目指している。そこで今回は気候という気象よりも少し大きな規模で考えてみようと思う。
 今気候変動への対策として温室効果ガス削減のための取り組みが行われている。まず温室効果ガスの排出を減らすためには個人と社会といった二つの観点から考えることが必要だ。まず目標に対しての取り組みとして個人でできることと社会全体でできることの二つに分ける。個人での取り組みは節電やビニールや紙資源の節約、公共交通機関の積極的な利用などが挙げられる。個人で取り組むことは社会全体の取り組みにつなげることができる。些細な生活の一節から変えていくことが大切だ。社会全体での取り組みは化石燃料の使用を減らすことや一定の期間で二酸化炭素の排出量などを調べ、発信することなどが挙げられる。これは個人ではできない大きな規模での対策となるとともに社会全体の意識を上げることにもつながる。
 しかしこれはSDGsの「誰も取り残さない」に当てはまるだろうか。地球温暖化によりこの数年の熱中症患者数は右肩上がりとなっている。と聞いてもエアコンを使えば涼しいから問題ではないと思う人もいることだろう。このままでは一生解決しない。熱中症から身を守るために私たちは水分補給やエアコンの使用をする。しかし、私たちの周りには様々な理由でエアコンを使用できない人がいる。そのことに目を向けると「地球温暖化」に対する意識が変わるのではないだろうか。エアコンを使えない原因として最も多いものは経済的なものだ。日本には貧困ライン以下の収入で生活を送る人が約15%、6人に1人の割合でいる。これによりエアコンを使えるほどのお金がなく我慢していまい、熱中症になるというケースもあるようだ。これを考えれば、気候変動により取り残されることを身近に感じる。
 また、気候変動による人権侵害が問題視されていることは知っているだろうか。これは海外を中心に気候変動による人権侵害を訴える訴訟が増えているというものである。国連気候変動に関する政府間パネルは地球温暖化が進むことで猛暑や豪雨が強まると示している。それによって命を落としてしまう人もいる。そういった場合を人権侵害であると考えているのだ。この場合はどこにいる人も気候変動の被害を受けないことが人権侵害の解決になり、誰も取り残していないことに繋げることができるかもしれない。
 以上のことからSDGsの13の目標を解決するためには個人の取り組みの積み重ねと社会的な取り組みの両方を意識して行くことが大切だと考える。さらに誰も取り残さないを実現するためには経済的な面で取り残される人、実際の被害に遭ってしまう人そういった人々の視点で考えることが大切だと考える。自分にもあるかもしれないと思うことができるとより対策を意識することができるのではないだろうか。将来の今に向けた対策は誰もがすることができる。小さなことでもできることをしたい。私は身近な気象という面からこのような問題に関わっていきたい。小さな規模でも多くの人が取り組むことで大きな規模へと繋げられる。そのような活動が最も大きな利益になるかもしれない。私は身近な問題と対策について発信していくことができる気象予報士になることを目指そうと思う。
 

 
 
 
櫛引桃歌 北海道教育大学附属函館中学校2年
違いを理解することの大切さ
私はバレーボール部のキャプテンをしています。チームを引っ張る立場になったとき、さいしょは「みんな同じように頑張れば強くなれる」と思っていました。ですが、練習を重ねるうちにうまくいかなくなっていることに気がつきました。例えば、同じ練習メニューを全員で行ったとしても、うまくいく人と苦労する人がいます。私は、基礎練習を何度も繰り返したり、筋力トレーニングをすることで上達しましたが、他の人は、ゲーム形式の練習や、応用練習をすることで上達していました。こうした違いを無視して、全員に同じ練習方法を押し付けてしまうと、誰かがついていけなくなりチーム全体での成長ができなくなってしまいます。そのため、一人ひとりに合った練習方法を取り入れることが大切です。この考え方は、スポーツに限らず社会全体にも言えることだと思います、なぜなら、社会にもさまざまな考え方、能力の人がいるからです。
 バレーボール部では、みんなの違いを尊重することで、全員が練習に集中しやすくなりました。チームメイトには大きな声を出すことが苦手な人がいるので、周りがより大きく声を出すことで声を出しやすい雰囲気をつくり、工夫しました。他にも、前に落ちたボールや極端に後ろにとんだボールを取るのが苦手な人と、スプリットステップというボールを取る直前に足を動かして、次の行動を取りやすくするという方法を実践し、習慣にすることで、どんなボールでも取れるようになりました。
 社会にも様々な人がいます。例えば、病気や障がいを抱えている人には、移動しやすいスロープやエレベーター、手すりが必要です。こうした設備が整っていると、車椅子を使う人だけでなく、ベビーカーを押す親や、重い荷物を運ぶ人にとっても助けになります。また、視覚や聴覚に障害がある人には、点字、点字ブロックや音声ガイドが役立ちます。このような工夫があれば、様々な状態の人でも生活することができます。さらに、外国から来た人にとっては、わかりやすい日本語で案内することが必要です。駅では、多言語対応の案内板や音声アナウンスがあると、言語の壁を感じることなく、移動することができます。また、働く環境でも工夫が必要です。育児や介護で忙しい人が働きやすいように、在宅勤務や短時間勤務の制度を導入する会社が増えています。これにより、家庭の事情を抱える人でも無理なく仕事を続けることができます。このような取り組みは、すべての人が持っている力を無駄なく活かすために大切なものです。
 私は、バレーボール部での経験を通じて、「一人ひとりの違いを尊重することが全体の成長につながる」ということを学びました。そして、社会でも同じように多様性を受け入れることでよりよい未来を作ることができると感じています。誰もが違う環境や事情を抱えている中で、それぞれが安心して生活でき、自分の力を最大限発揮できるような社会を作るために、これからも工夫していかなければいけないと思います。
 そのために、まず自分自身が「相手の立場を理解しようとする気持ち」を持つことが大切だと思います。例えば、困っている人がいたら声をかけること、相手の意見を聞いて考えること、そしてその意見をもとに行動を起こすことです。小さな事から始めても、こうした小さな積み重ねを沢山の人が長い期間行うことで、大きな変化が生まれると思います。
 みんながそれぞれの違いを理解し、助け合うことができればどんな人でも取り残されることのない、互いのことを理解し合える社会ができると思います、私も、自分のことを理解してもらい、相手のことを理解するために、日頃から他の人に気を配り、小さな積み重ねをしていきたいと思います。
 
 
 
黒澤柚月 京都市立美術工芸高校 2年
配慮する人と責任を取る人、どちらも加害者
 誰ひとり取り残さない。確かにSDGSの基本理念として提示されているからには、非常に重要な概念だろう。私の経験から文章を書くには、私には周りから取り残されるという経験が少ないのではと感じた。取り残される側の視点から書くには私の経験は実に希薄なものに感じる。しかし誰ひとり取り残さない、の誰ひとりの中には私も入っているのだろうとふと考えた。ならば、私の経験がいかに少なく、いかに些細なことだとしても私という個人が取り残されないように考えることは決して無駄ではないだろう。
 まず私が周りから取り残されていると一番感じる瞬間は、体調不良などで学校を休んだ次の日だ。自分が見た覚えがない授業プリントを周りの生徒たちは当たり前のように出して、先生は全員がプリントを持っていると思って授業を始めようとする。私は困るのである。私は授業プリントを持っていなくて、皆は持っている。そのとき私は取り残されたように感じるのだ。言い方は悪いが、先生や周りの生徒のことを””加害者””と呼ぼう。そして、このような状況について考えたとき、私は一つ気がついた。主観的に見ると、私は取り残されていて、加害者は私を取り残しているのだが、その加害者は、私を取り残している自覚は全くないし、そして何より取り残している事実はあったとしても加害者自身は全く悪くないのだ。そして体調不良で仕方なく学校を休んだ私も悪くない。強いて言うならば学校を休んだ私の方に非があると言えるだろう。もし取り残す側に悪意があって、故意に誰かを取り残しているのならば、それは取り残す側が完全なる加害者であって、悪者になるだろう。そんな分かりやすい正義と悪があれば話は簡単なのだ。しかし私の経験のように、加害者は悪くない。そんな状況になると、責任は誰へも寄りつかない。この状況がやっかいなのだ。しかも、おそらくこれからSDGSを達成していく過程において加害者は悪くないという状況は何度も訪れるだろう。
 極端な例を出すと災害だ。ある地域で災害が起こって、そこに住む場所も食べるものもなく、孤立している人びとが生まれるとしよう。そして住む場所も食べるものもある私は、災害の被害者を取り残していることになる。そういった場合に何が必要かというと、大きな配慮だ。私の経験の例でいうと、先生は「プリントが無い人はいませんか」と声をかける。周りの生徒は「私のプリントを見せようか?」と声をかける。加害者は悪くない。でも被害者を取り残さないように配慮し行動する。それが重要なのだ。
 災害が起こったのは私のせいではないし、私が被害者に対して責任をとる必要は無い。でも配慮するのだ。例えば募金をするのだ。
 誰かが取り残されるという状況にはいくつかパターンがあり、まずは私が先ほど述べたとおり加害者も被害者も悪くない。その状況に必要な考え方が配慮だ。ならば、別のパターン。加害者が悪くて、被害者は悪くないという状況だ。これは例えば日本で言うと経済格差や公害がある。日本は資本主義という形態をとっている以上、雇用主と労働者という関係ができてしまう。雇用主は利潤を追求するあまり、労働者に適切な給料を渡さない。これは雇用主が悪とされる。そして公害、ここでは水俣病を公害の一例としてあげる。水俣病はチッソ株式会社が汚染水を湾に放流したことで広がった病気である。高度経済成長のさなかであったためチッソは利潤を最重視し、汚染水を流すことを止めなかったのだ。そして大勢の水俣病患者や死者が出た。このような状況で加害者が取るべき行動は、謝罪と責任をとる、ということである。被害者が取り残される原因を作った加害者は、速やかにその原因を取り除き、そして被害者が元に戻れるようにする。それが責任をとる、だ。
 「誰ひとり取り残さない」という理念が基盤にあるなかで、取り残された人を救うには配慮、そして責任をとる。これが必要だと私は考えた。
 
 
 
原直実 専修学校クラーク高等学院名古屋校2年
自分で壁を作らないで
まず「取り残される」とはなんだろう。自分の経験に当てはめて考えてみた。それはチャンスを取り逃すことだと私は思う。私は中学時代、不登校だった。学校に行くのはごくたまにで、修学旅行や文化祭などの行事の際もいつも学校を休んでいた。そのせいで私は高校に入学するまで修学旅行、文化祭、学校行事の楽しさを知らなかった。学校行事に参加しないのは自分の選択だったけれど、それがどれほど大きな意味を持つのか、当時は全く分かっていなかった。何かを共にやり遂げるという体験は思っている以上に仲を深めるらしい。仲の良かった友人たちは学校行事を経てさらに仲良くなっていった。私はそれを横目で見ているだけで、自然と友人たちとの距離が離れていくのを感じていた。久しぶりに登校すると友人たちは話してはくれる。けれどどこかよそよそしくて、気を遣ってくれているのが伝わってきた。この場所に私は必要ないのに気を遣って私を仲間に入れようとしてくれている。その時私はクラス全員に無視されるよりも居心地が悪くて、なんとも言えない苦い気持ちになった。この状況を作り出してしまったのは他でもない私自身だとわかってはいたけれど、それでも苦しかった。私は友人たちと仲良くなるチャンスを逃してしまった。その時から私はずっと心のどこかで「取り残されている」と感じていた。高校生になった私は、親の勧めもあり、通信制高校の週5日通学コースに進んだ。正直なところ、私は毎日学校に行ける自信がなく、何よりも怖かった。けれど両親に勧められるがまま全日コースを選んだ。今思うと、それが私にとって大きな転機になった。意外なことに入学してからはほぼほぼ毎日学校へ通えるようになった。もちろん、最初は少しずつ慣れるまでに時間がかかったけれど、次第に「行ける」という自信が生まれてきた。その後、少しずついろいろな挑戦を重ねて、今まで逃してきた文化祭や修学旅行も経験することができた。放課後友達とカラオケに行く、文化祭後打ち上げに行く、今まで憧れていた学校生活を送ることができている。今なら中学の友人たちの気持ちがわかる。一緒に遅くまで居残って作業をしたり、深夜みんなでたわいもない話をしたり、こうしてみると一見小さなことに見える。けれどこれらの時間が1番今いる友人たちとの仲を深めてくれたと感じる。友人との仲を深められたことはもちろん、何よりも学校行事の楽しさに気づくことができたのが嬉しかった。最近私の「取り残されている」感覚が払拭されていってるのを感じる。そして、新たな気がつきもあった。挑戦する前は怖くてもいざ挑戦してみると案外どうってことないということだ。あの時、思い切って週5日通学コースを選んでいなかったら、今の私はいなかったと思う。少しの勇気が、私を理想の自分に近づけてくれたのだ。不登校だった頃の私は自分の可能性の芽を「友達とご飯を食べにいく」「カラオケに行く」可能性を自ら摘んでしまっていた。今振り返ると、とても勿体無いことをしていた。中学生の時私は「もう少し練習してから」とか完璧な状態で挑もうとしていた。学校に行くにももう少し勉強してから、もう少し待てば何かが変わるかもと期待して真剣に挑無事から逃げていた。「完璧な環境が整うまで待たなくてもいいのです。完璧な瞬間など存在しません。どんな瞬間にも、障害物はつきものです。だからこそ、いま始めましょう。やればやるほど力もつき、スキルも身につくはずです。そうして少しずつ、成功に近づいていくのです」演説家のマーク・ビクター・ハンセンの言葉だ。この言葉を聞いた時まさにその通りだと思った。いくら待っていても完璧な状態なんでずっと来ない。私のように消極的になってる人がいたら思い切って行動してみてほしい。取り残されて、弱い立場にある人が自ら行動するのは難しいかもしれない。私もそうだったからこそ分かる。でも、いきなり大きな一歩を踏み出す必要はない。たとえば、いつもと少し違う道を通ってみたり、空を観察してみたり。小さいことからでいい。それを繰り返すうちに、少しずつ「進んでいる」と感じられるようになるはずだ。一歩進んでまた一歩進んで、疲れたら少し休んで、次は二歩進んでみる。この小さな積み重ねが、きっと理想の自分に近づけてくれる。私はそう信じている。
 
 
 
原優野華 大分県立佐伯鶴城高等学校3年
全ての人が幸せな世界へ
なぜ制服は女子用スラックスはあるのに男子用スカートはないのか。私の高校にトランスジェンダーの方が講演をしに来てくたことがある。その時にとても印象に残った言葉だ。
幼い頃から性別のことで悩むことが多く、孤独を感じていたそうだ。私は実際に性別のことで悩んでいる人の話を聞いたことがなく、体験談を聞いて驚くことが多かった。トランスジェンダーであることで、学校に行くのも、着たくない制服のせいで毎日苦しいということや、家族や周りの人の意見や目にとても悩み、また先生に相談しても酷い言葉を浴びせられることを聞き、幼い頃からとても苦労をして生きてきたことが伝わった。講演中は学生時代の教師に「恥を知れ」という言葉や、ジェンダーについて理解してない人を軽蔑するような発言があった。講演がおわり、教室に戻るとクラスメイトが講演についてのことを話しており、その中には批判的な声もたくさんあった。わたしは講演を聞いてたくさんの学びがあり、自分なりに素直に受け止めこれから生かしていきたいと思った。しかし「自分が辛かった話をしただけ。」や、「怒りをこちらにぶつけられた気がして気分がわるい。」と言う人もいた。
私はトランスジェンダーの方の辛さや気持ちを良く考えた日だったが、やはり、批判的な意見も多く、このような人達がトランスジェンダーの孤独を生み出しているのではないかと思った。しかし、もし講演に来てくれた方が言葉使いや言い回しを気をつけてより生徒が納得しやすい話をしていたらどうだろう。私の高校の中でももっと理解してくれる人が増えたがしれない、敵を作るような言い方を避けることはもっと出来たのではないかと思った。調べてみると、女子用スラックスは、トランスジェンダーへの配慮のためではなく、自転車通学時や、冬場の寒さ対策のために取り入れられている学校が多い。それに加えてLGBTQの観点もあると言うことだ。講演に来てくれた方はLGBTQの観点しか考えておらず、男子用スカートだけないことに不満を持っていた。様々な意見を聞き、私はこの講演を通して、私たちが多様性を理解することは前提として必要だが、過度な配慮をする必要はあるのか?と言う疑問が生まれた。まず、トランスジェンダーを批判することは良くないし、認めるべきだ。トランスジェンダーの方が周りから認めてもらえないことはとても苦しいことを全ての人が理解する必要がある。例えば、性別記入欄では、「男、女」の2択だけではなく、「その他」という項目を作ることや、名前の呼び方を統一することなど、少しの気遣いで変えられることは行うべきだと思う。しかし、少数派のトランスジェンダーの人のために社会全体のルールを変える必要はないと思う。トランスジェンダーでない人が不快な気持ちになったり生活しづらくなる場面を作らないと言うことだ。よく問題になっているのは、女性専用車両だ。女性が安心して移動するための制度だが、男性が「トランスジェンダーだから」といって乗車していたら不快な気持ちになる人も出てくる。これを悪用してトランスジェンダーでない人でもさトランスジェンダーだと言えば乗車できるようになってしまう。
じこのようにLGBTQ配慮することでルールが曖昧になったり生活しにくい人が出ることはよくない。とても難しい問題だが、何に対してでも多様性と言うことができてしまうこの時代で、生きづらいとい感じる人が一人でも減るように、LGBTQの人自身もそうでない人に配慮することは必要だ。多様性を理解するには、実際に沢山の人と関わることがなによりも効果的だと思う。私の知り合いに、ゲイバーに行ったことでそこで働く人ととても仲良くなり、LGBTQに対しての偏見がなくなり、様々な多様性を理解するようになった人がいる。ゲイバーに限らず、もっと多様な人と関わる機会や場所が増えたらより認め合える世の中になると思う。SNSが普及しているのでより気軽に関わることができる。SNSの中では批判的な声も多くあるし、気軽に批判しやすい場でもある。SNSを誰かを傷つけるためでなく、お互いを理解し合うために使う人が増えたらより良いと思う。特徴や個性を認め合い、みんなが幸せに過ごせるようになる日が来ることを願っている。
 

 
 
 
戸川愛子 中村中学校・高等学校 高校1年
日本在住外国人をとり残さないために
私は、日本で暮らす上で日本在住の外国人に対する、政治面や生活面での支援が充実していないと考え、これは「誰ひとり取り残さない」という理念に反していると考える。
このように考える理由は二つある。
一つ目に、日本で生活する外国籍住民は、日本の住民として日本人と同じように納税義務を果たしているのにも関わらず、地方参政権を認められていないということがある。この現状に対して、私は、不公平であり、外国人が政治面で「取り残されている」状態であると考える。
また、なぜこのように日本人住民と外国籍住民で地方参政権の有無があるのかと理由を考えたが、私は特に理由は思いつかなかった。そこで、理由を知るためにインターネットで調べたところ、もし外国籍住民に地方参政権を与えた場合、外国人が選挙に参加することで、外国人に都合のいいように政治の状態を変えられてしまうからとあった。しかし、この理由に対して私は異議を唱えたい。なぜなら、私は日本在住の外国人全員が自分のいいように政治の状態を変えたいとは思っていないと考えるからだ。
まず、「都合のいいように政治の状態を変える」ということの具体的な例として、「日本と外国間での領土問題を外国の領土として扱う」というような政治の状態に変えられてしまうという懸念があるとあった。しかし、現在日本との領土問題がある国は日本の近隣諸国である韓国とロシアのみであり、これらの国に籍を置く、日本在住住民は全体の日本在住外国籍住民の中の17.6%にしか満たない。また、これらの17.6%全員が日本と韓国またはロシアと領土問題で揉めている島を自国の領土にしたいとは考えていないということも理解しておくことが大切だ。
よって、私は日本で生活する外国籍住民の地方参政権を認めるべきだと考える。
二つ目に、外国人であるというだけで賃貸住宅への入居を断られるという問題がある。この問題は、外国人が生活面で「取り残されている」状態であり、不公平であると考える。
また、なぜこのように外国人であるというだけで賃貸住宅への入居を断られることがあるのかと理由を考えたが、私は特に理由は思いつかなかった。そこで、入居拒否の理由をインターネットで調べたところ、コミュニケーションの不安、文化や生活習慣の違いといった点で日本人の入居者よりも信用度が低くリスクが高い傾向にあるからとあった。しかし、この理由に対して私は異議を唱えたい。なぜなら、これらの理由は改善する余地があるからだ。たしかに、日本語が未熟であるために日本語でのコミュニケーションがしずらかったり、文化や生活習慣の違いのために、賃貸住宅に住む日本人が寝静まる夜中にパーティを開き、大きな音で音楽を流して踊ったり、騒音問題を引き起こすこともあるだろう。しかし、日本語でのコミュニケーションに問題があるならば、私たち日本人がスマートフォンの翻訳アプリを使用し、相手の言語に合わせてコミュニケーションを取ればいいし、文化や生活習慣の違いに問題があるならば、できるだけ大きな音楽を流さないように口頭で注意すれば良いだけである。
また、私は、外国人が日本の賃貸住宅に入居することによって引き起こされる問題よりもメリットの方が多いと考える。なぜなら、日本在住の日本人の私たちにとって外国人と関わり、コミュニケーションを取る機会は滅多にないからだ。たしかに、私たちがオンライン英会話を受講したり、外国人と関わることのできる地域のコミュニティセンターに行ってコミュニケーションを取ることもできる。しかし、これらのことは自主的にしないとできないことであり、面倒くさいと考える人も多く、実行に移すことのできない人々の方が多いのではなかろうか。また、外国人に駅やバス停で電車やバスの行き先を聞かれたり、道で観光地への行き方を聞かれたりすることもある。しかし、これらのことは近くにいた日本人に聞いてみただけという事務的なものであり、深いコミュニケーションを取ることができる可能性はとても低い。だから、これらのことは日本の賃貸住宅に入居する外国人とのコミュニケーションのしやすさに劣っていると考える。
よって、私は外国人が日本の賃貸住宅に入居することをむしろ推進するべきだと考える。
せっかく自分と同じ住宅に住む外国人がいるならば、コミュニケーションの不安、文化や生活習慣の違いがあるからといって差別するのではなく、外国人と話すことのできる良い機会だと考え、積極的にコミュニケーションを取るべきではなかろうか。また、私はそのような些細な行動が賃貸住宅に住む外国人への支援になると考える。
よって、二つの理由より、私は、「誰ひとり取り残さない」社会を作るために日本で暮らす上で日本在住の外国人に対する、生活面や政治面での支援を押し進めるべきだと考える。
 

 
 
 
後藤日向子 クラーク記念国際高等学校名古屋校2年
学校という社会から取り残されて得られるチャンス
 私は中学三年の時不登校を経験した。私は成績も良い方で、友達も沢山いて、学校が大好きだった。しかし女子校に通っていた私は女社会特有の表面的な付き合いに嫌気がさし、徐々に学校が嫌いになっていった。ある日、登校途中にバスの中で、同じ制服を着た生徒が、私ではない誰かの悪口を言っているのを耳にした。その瞬間から私は自分が他人からどう見られているのか、そしてその人たちが私のことをどう思っているのかに対して不安を抱くようになった。その日から私は同じ制服を着ている生徒を見ると不安で胸が苦しくなったり、自然と涙が出てきたりと、学校に通えるような状態ではなくなってしまった。最初は遅刻して別室登校をしていたが、それも難しくなった。そして最終的に学校に行くことができなくなり、私は「不登校」という状態に陥ったのだ。
 現在、日本では小中学校の不登校の生徒数が過去最多の三十四万人に達している。不登校の原因として、無気力や不安などのメンタル面が多く挙げられ、その数は十一年連続で増加している。これを見ても分かるよう、不登校は決して珍しい問題ではなく社会全体で解決していく必要がある。
 不登校の生徒が直面する最大の問題は、「社会からの孤立」である。学校生活とは社会生活の縮図であり、そこでの経験が将来に大きな影響を与える。しかし、不登校になると学校という社会から切り離されることで、学びや社会経験が不足し、社会から取り残されることになりかねない。
 私自身も不登校になったことで「取り残されている」と感じることが多かったが、不登校支援センターでカウンセリングを受けて不安な気持ちが少し軽くなった。そして進路についても、今よりも自分に合う学校があると前向きに考えるようになった。私はもともと学校生活が大好きだったため、新しい学校で人間関係を築くことができれば、再び通学できると確信していた。そのため、エスカレーター式の高校推薦を断り、他の全日制に高校に進学しようと勉学に励んだが、内申点が悪かったため受けられる学校は限られていた。この経験を通じて私は、不登校の生徒の教育機会の格差や進路選択の難しさを痛感した。
 不登校の生徒が社会から取り残されないためには、学校内外の支援が必要不可欠である。そこで私は、不登校の生徒でも社会経験を積むことができる機会を提供することが必要だと考える。例えば、入試における内申点の評価基準の引き下げだ。不登校の生徒でも学力で評価することで、成績だけでなく個々の才能や努力が評価され、より公平な機会が提供される。また、社会経験も非常に重要だ。私は現在、通信制高校に通いながら専修学校で様々な経験をしている。学校でのプロジェクト型学習では、企業と連携して広報活動や営業活動を行ったり、広報委員では学校説明会を開催したりしている。さらに、学校外でも喫茶店のアルバイトをしている。そこでは幅広い年代の方とコミュニケーションを取ることで、社会経験を積んでいる。私はこれらの活動を通じて、自分の可能性を広げている。他にも、不登支援の心理カウンセリングの保険適用だ。私は自身の経験を通じて不登校生徒の不安を軽減し、前向きな気持ちに導くためにカウンセリングを受ける機会を増やすべきだと考える。そして、私が行っているような学校内外での社会活動の場を提供して、不登校の生徒と社会が接点を多く持つことで彼ら自身の可能性を広げることができる。
 SDGsの基本理念である「誰一人取り残さない」という目標は、不登校の生徒に対しても適用されるべきだと考える。彼らが学校という社会から孤立し、将来に向けての不安を感じることなく、社会経験を積みながら成長できる環境を提供することが必要である。また、そのためには、学校や地域社会が協力して支援体制を整備し、実社会でに経験を評価する仕組みを作ることが必要だ。そうすることで、不登校の生徒も社会の一員として活躍できる機会を得ることができるようになる。
 不登校という問題は、単に教育現場だけで解決すべき課題ではなく、社会全体で取り組むべき問題である。私の経験から学んだことは、不登校になったことが必ずしも悪いことではないということだ。なぜなら新しい学びや経験を得るチャンスにもなるからである。しかし、社会から孤立し、取り残されることのないよう、教育機関や地域社会が協力して、不登校の生徒に対して多様な支援を行う必要がある。SDGsの理念である「誰一人取り残さない」社会を実現するために、私は社会全体であらゆる立場から不登校の生徒を支援し、誰もが自分らしく生きることができる社会を目指していくべきだと考える。
 
 
 
後藤翔太 東海学園高校3年生
未来を失いそうな子供達への社会の責任
 私は今秋、経済的に豊かでない1人親家庭の学生たちと学校終わりにある事業で一緒に遊んだり日常の雑談や生活のネックを聞かせてもらうという形で交流する機会に恵まれた。そこでは、普段の生活では考えることない事実や当事者ならではの感情多々見受けられた。例えば、学校で疲れ切っている中で、家に帰っても親の手助けがなく、誰とも話すことのできない静かな空間で過ごし、親が仕事から帰ってくると疲れ果てていて親と話したいという自分の気持ちを押し潰す心をいつも持ち続けなければならないのだ。感情表現が難しい年齢の彼らが涙を流しながら、自分の普段の生活を語る姿を目の当たりにし想像すると彼らの孤独や感情を無くす辛さに心が痛み、無力さを痛感した。おそらく彼らと過ごす中自分の普段何も考えない生活と彼らが送っている生活の間にある差の大きさに驚き、それが何もできないという自己嫌悪に変わってしまっているのだろう.
 中でも私が最も胸を動かされたのは,とても傷心しやすく、自尊心が低い子が多く見られ、十代前半の子が“人生なんて”という言葉を多用していたことだ。詳しく聞くと、教材不足による学習の遅れや親との会話がない分会話能力が未発達で相手への感情表現ができない状況にあるということだった。小・中学生は勉強、人間関係が自己確立に大きな役割を果たすが、その二つが欠落しているならば“人生なんて”という言葉の意味を少し理解できる気がした。しかし、私はただ話を聞いて想像するしかできないのかと葛藤し、この葛藤を絶対に忘れてはならないと強く感じた。同時に主な要因である”1人親支援”の重要性を考える機が生まれた。
 具体的な支援策を考える上でまず、1人親家庭は収入源が1人に依存しており,仕事と育児を両立させることが非常に困難で、貧困や社会的な孤立に置かれることが多くなりやすく、日本の一人親家庭の貧困率は全体の約5割にまで達しているのが現状である。今回はそれらの状況に対して就労面、育児面、メンタル面を中心にサポートを考えた。
 まず就労面では、シングルペアレントにはフルタイム労働が難しいことを考慮し、パートタイムの仕事や、在宅ワーク、柔軟な職場環境の仕事を優先的に斡旋するために、地域の自治体と企業とが連携した雇用事業を実施することが求められる。
 次に、育児面では、子どもを仕事中に安心して預けられる施設を充実させることで、子どもの人との関わりが少ないという問題を解決し親の育児と教育の大きい負担を少なくすることが可能になるだろう。
 三つ目にメンタル面ではシングルペアレントのコミュニティを作ることで互いの悩み相談を相談し、情報を交換することができれば、社会的孤立感の払拭を図れるのではないか。またこのコミュニティを作るにあたって金銭、時間面からオンラインの可能性に目を当てると良いと考える。
 支援が未だ十分でない要因は一人親家庭への“離婚する親なんて”、などのネガティブな偏見が存在し、その偏見が、支援への、社会的優先度を低くするのだと思う。
 この補償が社会に与える利益は多く、子どもたちへの教育の提供で子どもたちの将来の選択肢が広がり、社会全体の貧困の連鎖を緩めることや多様な意見が市場に現れることが可能になる事だ。つまり、一人親家庭への支援は,その家庭を救うためだけではなく、次世代への教育、就労などの社会的な公平を実現するためにも必要であり、私が想像する“誰一人残さない”を実現するためには、シングルペアレントが直面する多面的な障壁を取り除き,親身的で柔軟的な支援をする必要があると考える。
 最後に、この文章を通して読者が経済的、家庭的にしたいことが全くできない人もいる中で今の自分がどれだけ幸せなのかや一人親家庭の人たちに寄り添うことを考える契機を持つことを願う。それは、マニフェストに1人親家庭ことを入れている政治家への投票、周りへの一人親家庭についての周知など形はさまざまであり、自分でも行動できると理解して欲しい。私は”笑いながら普通に生活したい”という当たり前に実現されるべきことがされず日々もがきながら生きている子どもたちをこれ以上増やしたくない。なので来年から“居場所と信頼関係の提供”を基本理念として掲げ、一人親家庭を対象としている事業にサポーターとして参加し、そこにいる子どもたちや保護者と向き合い現場での現実的課題を知りたいと思う。今私がやれることは最初に述べたような1人親家庭の人たちと交流できる機会を大切にし、そこで今ボランティアをしている方との人間関係の構築だろう。ここで、改めて当たり前の幸せを子どもの時から制限される世界は社会の責任として変えるべきだと強く述べたい。
 

 
 
 
高塩桜季 大妻多摩高等学校2年
「誰もが使えるトイレは夢か現実か?歌舞伎町ジェンダーレストイレが突きつけた課題」
 近年、多様性への配慮が世界的に意識されるようになっている。
日本でも2023年4月14日にオープンした新宿東急歌舞伎町タワーにジェンダーレストイレが設置され、SDGsの理念である「誰一人取り残さない」ことを目指し、多様性を認める街づくりの一環として導入された。
2階飲食店フロアーにあるトイレは、独立した男性小便器トイレの他に、ジェンダーレストイレ、男性用・女性用トイレ、バリアフリートイレから成る13の個室が設置され、手洗いスペースや鏡も共用であった。
その後の経緯として、わずか5日で入口に24時間、警備員が配置された。
さらに、1か月後には女性用とその他の個室の間にパーティションが設置された。
最終的には、同年8月ジェンダーレストイレは廃止され、壁を設けて共スペースをなくし、男女それぞれの個室に分けたうえで多目的室を設けた。
報道やSNSなどで大きな注目を集めたジェンダーレストイレは、わずか4カ月でその役目を終えることとなった。
ジェンダーレストイレが設置されてすぐに利用者(特に女性)から多くの批判を受けた。
それは女性専用トイレがなく、公式があげた「性別に関係なく利用できる」という点だ。
無防備で使用するトイレの同じ空間に男性がいる”ということがプライバシーに対する不安や安全に関する恐怖心を生んだのであろう。
男性にとってトイレはただ用を足すためだけの場所かもしれないが、女性にとってトイレは様々な理由で使われている場所だ。
女性にとってトイレという空間が安心・安全であることは、とても大切なことなのだ。
また、ジェンダーレストイレのピクトグラムが分かりにくいという批判の声も上がっていた。トイレの設置当初は白地のピクトグラムだけで、取り組みの意図がわかるものがない状態のため、個室の周辺で右往左往する人が見られた。
ピクトグラムができた経緯として、女性用・男性用トイレのピクトグラムは1964年の東京オリンピックの際に考案・採用されたことで、世界に大きく広まった。
しかし、現在ではこのピクトグラムそのものの在り方が議論されている。スカートをはくのは女性、ズボンをはくのは男性、赤色は女性、青色は男性と固定概念で性的配慮に欠けているのではないかと言われているのだ。
かと言って、男女それぞれの専用トイレを示すためにもズボンやスカートのピクトグラムを無くすことは難しいが、多様性に配慮するという意味でピクトグラムではなく文字を使ったり、ピクトグラムの色を黒や白、虹色にする取り組みが増えている。
日本では、自治体がそれぞれ作っているためピクトグラムの形が統一・浸透していないことが課題である。
題材とした東急歌舞伎町タワーに関しては、ジェンダーレストイレを多く設置し、一つの空間に様々なトイレがあったことで混乱が生まれた。
ジェンダーの人たちを取り巻く多くの問題を考えることは大切であるが、当事者の意見を聞かずに行うことが配慮になるとは思えない。当事者たちが何を求めているのか、どういったところで困っているのかを知り、偏見や意識を変える必要がある。
一方で、今回のようにトランスジェンダーという少数派を重視しすぎたことにより、女性の安全への配慮が欠けてしまうという問題も起きてしまった。
2023年男女共同参画局が発表した日本のジェンダーギャップ指数は世界146か国中125位で過去最低、先進国の中でも最低レベルであった。
このことからわかるように今の日本では男女格差が依然として存在している。
SDGsが目指す5つ目の目標「ジェンダー平等推進と女性の地位向上」に基づき男女平等を限りなく実現させたうえで、ジェンダーでの平等にも取組むことが求められる。
最終的には、少数派も含めた全体の平等を目指すことが、これからの日本未来にとって重要な課題になる。
トイレに関する問題については、多様性に配慮しつつ、全ての人が安全で快適に安心して利用できる環境を作ることが必要である。具体的には、ピクトグラムの統一やトイレの構造改善が求められるが、まずは、ピクトグラムの表現方法や、設置個数を見直し、実行しやすい改善から始めることが問題解決への一歩である。
 最後に、
ジェンダーレストイレの問題から学べることは多くある。
自分では知ったつもりになっていたが、まだまだ知らない事が多く理解も足りていなかった。自身のジェンダーに悩み自ら命を絶ってしまう人も多いと知り、このような悲しい事がなくなって欲しいと心から願っている。
実体験として通学途中の電車で、外見は男性ながらも女性らしい話し方をする人が、女性の同僚たちと楽しそうに話している様子を見かけ、とても温かい気持ちになった。
私たち一人ひとりがジェンダーについて理解を深め、周囲に広めることで、誰一人取り残すことなく、多様なジェンダーと共に暮らす未来を目指しましょう。
 
 
 
高崎未央 富山大学4年
思いがつなぐ生理用ナプキンのギフト
 昼下がりの台北市内で、私は生理用ナプキンを黙々と梱包していた。月経の血をイメージした鮮烈な赤色の壁に沿って、梱包した何百個ものボックスが整然と積み上がっていく。これらはやがて台湾全土の月経の貧困に苦しむ少女に届けられるのだ。作業中に小窓から見えるのは、市場で野菜を選ぶおばさんの姿、いつも白いタンクトップのおじさんの姿、そして鮮やかなジャージ姿の中高生。ここ「小紅厝月經博物館」は、そんな台湾の日常の中に、力強い使命を帯びた場所として存在している。
 私は1セメスターという短期間ではあるが、交換留学で台湾を訪れていた。日本における女性の地位向上というテーマについて学ぶため、東アジアの中でもジェンダー平等が進んでいる台湾で、大学の授業だけではなく、対話やボランティア活動を通じて女性の権利向上や福祉政策を学びたいと考えていた。2022年に、月経に関する教育や支援を行う非営利組織「小紅帽 With Red」がオープンさせた世界で唯一の月経をテーマとする博物館、「小紅厝月經博物館」は、訪台前からそんな私の興味を惹きつける存在だった。
 初めてこの博物館を訪れたのは台湾到着から1週間後のこと。留学先の大学では英語で学んでいた私にとって、ほとんどが中国語で書かれている展示を完全に理解することは難しかったが、翻訳機を使いながらも、月経の痛みや不便さに関する説明文やイラスト、体験談からは同じ女性として普遍的な共感を抱いた。もっと内部からこの活動を支える人々を知りたいと思うようになり、中国語もまだまだながら生理用品梱包ボランティアに申し込みをしたのはそれからすぐのことだった。申し込みフォームに日本人であることを記入したためか、事前に追加説明が必要だという連絡があり、ボランティアの前日、個別の説明会を受けることになった。
 出迎えてくれたのはOPENと名乗る、私より一回り年上の女性だった。(彼女の誕生日は7月11日で、ニックネームのOPENは台湾のセブンイレブンのオリジナルキャラクターに由来している。)外国人の私に対して、彼女は全ての作業や活動理念について、私の理解を都度確認しながら英語で説明してくれた。手順書やタイムテーブルに書かれている中国語の下には、後から付け加えてくれたであろう英語が添えられている。夕方から始まった私一人のために用意された説明会が終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。どうしてここまでしてくれるのかがわからず、申し訳なさから最後にそのことを彼女に伝えると、「あなたが申し込んでくれたことで、私たちの活動が国を超えて価値あることだと再認識できました。同時に、中国語にしか対応していない今の活動をアップデートする必要があるとも感じたんです」と話をしてくれた。彼女たちの活動、その根幹にある理念や文化背景を「知りたい」と伝えた小さな行動が、彼女たちにとっても大きな前進になったことが何よりも嬉しかった。
 翌日のボランティアに集まったのは、20-50代の約10人の女性たち。「Red Box」と呼ばれる袋に、1人が3ヶ月に使用する量のナプキンを入れ封をする。経血量とナプキンの使用量には個人差が大きい。ニーズに合わせて「一般用」「少量用」「多量用」などと区別し、それに応じたナプキンを入れる。一見単純な作業に思えるが、私の横で作業をしていたベテランボランティアの女性は、「這是一份禮物(これはギフトだから)」と言いながら、ナプキンの向きを揃えたり、潰れないようにテープで丁寧に止めることを教えてくれた。これは生理用ナプキンという物資である以上に、受け取り手である女の子たちにとって、重要なギフトや希望になりうるのだと思った。ボランティアの中でマイノリティである私に対する支援や、ナプキンを受け取る女の子を思った行動。このような姿勢こそが、彼女たちの活動の本質であると強く感じた。
 このような活動は日本においても必要だと実感している。実際、日本における月経がある人口の約8%が生理の貧困を経験していると言われており、台湾の約9%とほとんど同じ状況だ。ボランティア活動のプロセスは汎用性が高く、日本でも実践可能だと感じた。この活動をきっかけに、まずは日本の現状を深く知るための調査や、具体的な活動を今後進めていきたい。異文化や言語が異なる中で、相互理解を深めるために尽力してくれたOPENさんやボランティアの方々のように、誰ひとり取り残さない社会の実現に向けた活動を私自身が担っていきたいと思う。
 
 
 
黒田恋子 鷗友学園女子高等学校 1年
拝啓、「好き」に袖を通せない貴方へ
おしゃれは誰もが平等に与えられる権利だ、というのが今の私の持論だ。私を含め多数派と称される人も、国籍が違う人も、貧しい人も、性的指向や性自認が他と違う人も、体に不自由を抱えている人も、世界中の全ての人がその人自身のおしゃれを楽しむ(もしくはおしゃれをしない)権利があり、その権利を妨げられるのはあるまじきことだ。しかし多様なおしゃれに寛容ではないのが現代社会である。これを読んでいる貴方もルッキズムという言葉をよく耳にしたことがあるだろう。今の社会は外見の良し悪しや求められる理想像を絶対とし、それに適さないとされる人は白い目で見られる風潮がある。そんな社会で過ごしている我々にとって、おしゃれは最早権利ではなく義務に、武器ではなく鎧になってしまったように感じる。
私の話をしたい。七月の終盤、Ⅹでとある写真を見た。当時の私にとって、おしゃれは世間から取り残されないために行うものと化していた。己の顔の美醜を気にし、対して興味のない流行りの服やコスメを調べ、大衆と同じでありたいとだけ望み、淡々と人の目だけを気にして街を出歩く。そんな生活が続いていたときに見たその写真は、あまりにも劇薬だった。フリルたっぷりでシックなゴスロリを着て、こちらを笑顔で見る男性。彼がゴスロリを着てみたいと長年思い続け、そして諦めてきたことは前から知っていた。ずっと憧れを抱いていた服に袖を通した彼の、歓喜とも不敵とも見える笑みが画面越しでもやけに眩しかったのを、半年近く経った今でも覚えている。
自分はこのままで良いのか?と思ったのはこの日からだ。今まで怪訝な目で見てきた、例えば新宿駅のホームにいた地雷系ファッションで自身を彩る少女、人々から奇抜で理解できないと言われてきたファッショニスタ、原宿の街を闊歩するピンクや水色や黄色たち。その全てが輝いている。自分の好きな服を着て満面の笑みで堂々と立っている人々の、おしゃれを心から楽しみ、誰に何を言われても自分の好きを貫いている姿勢に羨望が止まない。人の目を気にせず好きな服を着られる日が来るなら、どれ程心躍る一日になるだろう。今のままではそんな日は一生来ないことに、当時の私は薄々気づいていたのだと思う。
さて、先程述べた通り現代社会は「男は、女はこうあるべき」という理想像に当てはまることが絶対視され、その枠に当てはまらないとされる人にとって生きづらい世の中になっているのは間違いない。メディアでは「こんな服はダメ」「このメイクが正解」という記事が乱立し、男性がスカートを履くことを是とせず、人の容姿に対し心無い言葉を浴びせ、理想像に当てはまらない人に冷笑を浮かべる。貴方もそんな場面を見たことがあるのではないか。そんな社会に揉まれた結果、自分の好きを諦め、自身の容姿や外見に不安を抱き、コンプレックスから健康面にも害を及ぼす場合がある。本来はTPOさえ守ればどんな形で楽しんでも良いのがおしゃれだというのに、社会はそれを認めてはくれないのが現状だ。そんな社会は間違っている、そんな考えは今すぐ捨てるべきだと、世間に向かって声を大にして言いたい。何年も前から世界に根付いているルッキズムを変えるというのは難しいことだが、それでも声を上げることで変わっていくものもあると信じている。
また私事になるが、ゴスロリの写真を見てから数日後、久々に自分が好きな服を買った。自分のおしゃれを楽しむための第一歩のつもりだ。袖を通して姿見に目をやると己の不格好さに嫌気がさしたが、胸の奥に生じた喜びは何物にも代えられないものだった。夏服のため今は着ることは無いが、クローゼットで存在を確認するだけで少しの笑顔と勇気を与えてくれる。自分のおしゃれを楽しむために、多様なおしゃれを認めてくれない社会へのささやかな反抗の意も込めて、夏になったら積極的に着てみようと思う。
もしこれを読んでいる貴方が人の目を気にして自分のおしゃれを楽しむことができないのであれば、二つ言いたいことがある。一つ目は、自分を責めるのを止めてほしいということ。貴方の容姿については勿論、おしゃれを楽しむことができなかった過去に対しても。コンプレックスや葛藤に悩んできた貴方自身のことを蔑ろにしてほしくない。二つ目は、気になった服やコスメに出会えたらまずは一着、もしくは一個買ってみてはどうだろうかということ。それで自分を彩り街を闊歩しても良いし、そのままクローゼットや引き出しにしまっても良い。貴方が買ったそれは間違いなく勇気を与えてくれる武器になる。社会が各々のおしゃれを認めてくれるまで、いつか皆が堂々と「これが自分の好きなファッションだ!」と笑える日が来るまで、その武器で戦ってくれないだろうか。私は貴方を、皆を、おしゃれの楽しみから取り残したくないのだ。
 
 
 
黒柳俊之介 武蔵野大学附属千代田高等学院2年
障害=個性?
障がい=個性?
 僕の姉は発達障がいだ。多くの苦手がある。例えば、忘れ物やうっかりミスが多い。マルチタスクも苦手だ。感覚過敏で身に着けるものは限定され、聴覚過敏によって何でもない音が大きく聞こえたり雑音が邪魔をして目的の音を聞き取れなかったりする。また、定型の人が当たり前にこなしていることに多くの努力を要するため短時間でとても疲労する。
 これらの様々な特性は、ときに無神経や自分勝手、変わり者だと捉われがちだ。姉は「アイディアと努力で多くのことは乗り越えられる。でもずっと頑張り続けるのは疲れる」と言う。たしかにマラソンでもフルで走り続けるのは不可能だ。給水やペースをコントロールすることで勝負どころで力を発揮できる。発達障がいについても、社会の理解が少し進むことで、適度な心の休息がとれるようになるのではないかと感じる。またADHDやASDは、マイナス面だけでなく創造性と集中力に長けていて、才能や努力を生かし突き抜ける人にはこの傾向を有す人が非常に多いとも言われている。元マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツやアップルの創業者スティーブジョブズも発達障害の傾向があるといわれている。姉も目標を持ったときは信じられない程の集中力を発揮する。自分が納得するまで学び、行動に移し、自分の定めた目標をしっかりと結果として出すことができる姉を僕は尊敬している。努力や才能の機会損失を避けるため、その傾向や度合いの理解を深めていける社会になってほしいと心から願う。
 近年、多様性を大切にしようとする価値観の変化等で、発達障がいについても広く知られるようになってきた。しかし、本当の意味で理解している人はどれ程いるだろうか。「発達障がいなんて個性でしょ」「今流行ってるよね」など、受け入れてくれているようで、実は正しく理解してもらえてない気もするのだ。たしかに発達障がいは病気ではなく特性だ。その意味では個性という表現は間違いではないだろう。そして、定型の人も個人差こそあれ不得意や苦手がある。しかし、病院の検査を通しはっきりと診断された場合、日常生活で感じている生きづらさは「個性」と言ってしまうにはあまりにも重いものだ。生活をしていく上で発生する様々な不都合を理解し、共存していくために自身の特性と向き合い、受け入れ、ときに薬の力を借りながら改善する努力を常に続けていく必要がある。自身の目標や夢に向かって努力することと平行して、これらを常に意識し続ける。つまり、周りは無意識にできる多くのことは当人にとっては無意識ではないのだ。
 文部科学省の調査によると、小中学校の通常学級1クラスに3人いると言われている発達障がい。見えにくいところで生きづらさを感じている人々を、正しく理解し正しく手を差し伸べらる、そんな世の中になればどれ程生きやすいだろう。「no one will be left behind」誰一人取り残さない。全ての人が自分らしく豊かに生きられるような社会の実現に向けて、僕個人にできる事はなんだろうかと考える。身近な人に寄り添い、話を聞き、気持ちを考えてみる。そこから気付けることも多いのかもしれない。また、将来はサイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムいわゆるSociety 5.0に向けて、新しい形のコミュニティを作りたいと考えている。 現在存在している発達障がい当事者の会やOpenchat等のコミュニティは様々な理由で敷居が高く、実際参加するまでには至らない人が多くいるように感じる。音楽等も取り入れ明るく楽しい空間をつくりその中で同じ境遇の人々が自由に語り合う。入り口を広げられればもっと気軽に楽しんで多くの人とコミュニケーションをとることができる。課題やアイディアを共有共感することにより生きていくための目標が見つけやすくなるかもしれない。
 SDGsに関するコンテストをはじめ、当事者や身近な人のリアルな声を発信する活動を広めると共に、未来の課題に向けて僕自身に出来ることから始めていきたい。そして、様々な生きづらさを抱えている人の存在を多くの人に知ってもらうため、広報委員としてこれからも活動を続けていきたい。
 
 
 
佐桑恵子 創価高等学校3年
翼を折られた子どもたち、傍観している大人たち
「私のお父さんがいつもうざいのー」
休み時間に友達と話す何気ない会話。もう一人の友達も、
「それ分かるわー」
と共感している。
私は何気なさそうに、
「そうなんだね」
と返す。軽く返した言葉の裏には複雑な感情がこもっていた。
私は母親と妹、祖父母と暮らしている。あれ?父親はどうしたの?
…もしかしてお父さんは離婚していないのかな、それとも単身赴任…?死別…?
こども家庭庁が令和3年度に実施した全国ひとり親世帯等調査によると、母子家庭になった原因は離婚が79.8%、死別が5.3%である。
しかし、実はどれも違う。
中学1年生のときだった。いつもと変わりない平日。学校から帰ってきて家でくつろいでいた。夕方、母親が帰ってくるやいなや一言。
「この家から出るよ、早く!」
わけも分からず家から飛び出した。これ以降、私は父親と別居することになったが、両親は離婚はしていない。だから離婚や単身赴任、死別には当てはまらない。厚生労働省によると、平成26年に父親と別居している児童の割合は3.1%である。このことから、私の家庭は少数派であることがわかる。
経済的困窮であったこと、そして私の妹が父親の多動な性格に耐えきれず、体の調子が悪くなり不登校になってしまったことが原因だった。
子どもたちにとって、両親の間に問題があるというのはつらい出来事ではあるが、離婚や単身赴任、死別であったら、はっきりとした関係、という事実があるため、割り切りやすいというケースが多いと思う。しかし、私の家のようにそれらのケースとはまた違った、さらに少数派の場合、身近に同じような環境にある人がいない。人は、相手と同じような状況にならなければその人の心情や何に苦しんでいるかを適切に理解することができない。
そのため私は、友達と家族の話になるといつも自分の家族と見比べてしまう。
他人と比べてしまうのは家族のことだけではない。経済的な面においても他人と比べてしまう。元々両親は経済的な余裕がないが、別居をしてしまうことで稼いでこれるのが母親だけになってしまった。私の喫緊の課題は、来年から通う大学の学費である。一年の学費は奨学金や学資保険から払うことができるが、二年以降の学費は家族に払ってもらうことは難しいため、奨学金に依存していかなければならないということがおおよそ決まっている。もちろん私もバイトをするつもりではあるが、学業との両立を考えると補えるのはほんの少しである。
両親に学費を四年間分払ってもらえると言う友達は私の周りには多い。友達と比較すると、私は苦学生という位置づけになるのだろう。
家族の問題、そして経済的困窮というように複数の要因が相互に関係し起こる抑圧のことをインターセクショナリティという。ただでさえマイノリティな状況を抱えている人がさらに別の問題も抱えていることでより複雑な状況になってしまう。一つのマイノリティのみであればすぐに補える救済制度などが存在しても、それが組み合わさることでそこから抜け落ちてしまうことが世の中には存在する。
両親が仲が良く、経済的にもある程度余裕があって一緒に暮らすことができ、そして学業も自分の思う存分できるというのが世の中の理想であろう。しかし、皆がそのような家庭になることは現実的にはありえない。私は苦しい状況でも小さな幸せを探し、見つけることで一日一日を明るく生きていこうと思っている。しかし、残念ながら私のような家庭は個人の努力だけでは改善や解決ができないことがほとんどである。幸せになろうと本人が努力をしても、妨げる何かによって実現が不可能になってしまう。
誰ひとり取り残さない世の中を作るには、主に特権階級と呼ばれるマジョリティの人々が、その状況にまだ名前すらついていないようなインターセクショナリティで苦しむマイノリティの人々に目を向け、真剣に向き合い、理解や支援をしていくことが必要不可欠である。
 
 
 
佐野陽花里 滋賀県立石山高等学校3年生
ひとりでも欠けるとピラミッドは崩れる
取り残された経験のなかった私は、無意識にどれだけの人を傷つけていただろう。
コロナ禍でのクラス替え。自粛期間という長い春休みを終え、一学期が始まった。ソーシャルディスタンスを保つために、出席番号が偶数の人と奇数の人で、午前と午後に別れて授業を受けていた。私は奇数組だった。
梅雨が明け、クラス全員が一緒に授業を受けるようになった頃、奇数組でニコイチだった友達が私の隣から消えた。偶数組にその子の親友がいたらしかった。私はあっさりと捨てられてしまった。それでもしばらくは、そのニ人に付き纏っていた。いつも並んで歩く二人の後ろを私はひとりで歩いた。移動教室の時は、気が付くと二人が教室からいなくなっていることもあった。二人に悪意があっての行動なのか、無意識にとった行動なのか分からなかった。嫌われているような気もしたが、マスクで表情を読み取れず、いまひとつ分からなかった。それが更に私の恐怖を膨らませた。
そのうち彼女たちに付き纏うのもやめた。二人といても、ひとりでいてもどうせ辛いのだから、二人が望む形を取ろうと思った。クラスメイトの数が奇数で、女子生徒も奇数という、必ず誰かひとりが余るクラス編成だったため、誰かの席を奪ってまで、今更どこかのグループに入れてもらおうとも思わなかった。
一応クラスにも優しい人は居て、個人として好きだと思える人も居たが、全体として窮屈なそのクラスが大嫌いだった。ひとり余ると分かっていながら、二人一組になれと指示を出す先生も嫌いになった。一人でいると浮いてしまう体育の授業も大嫌いだった。
学校に行きたくないと親に伝えても、大抵無視されるか反対されるかの二択だった。家にも学校にも居場所が無くなった。世界からとりのこされたように感じた。少々大袈裟だと思われるかもしれないが、この頃の私の生活圏は家と学校だけだった。なにしろコロナ禍だったので、生活圏は最小限に抑えなくてはならなかった。ただでさえ狭い世界の端っこに追いやられ、崖っぷちで辛い日々を送った。
「この世にはあなたよりもっと辛い人がいる」初めてこの言葉を聞いた時は耳を疑った。誰がどういうつもりでこんな言葉を生み出してしまったのか。それも励ましの言葉として使うらしい。たしかに私には、帰る家があって家族も居た。怪我や病気どころか、アレルギーや花粉症も無かった。ものすごく恵まれているのだと頭では理解出来た。それなのに私は、毎日生きることだけで精一杯だった。明日食べるご飯がないかもしれない人と、窮屈な社会に閉じ込められた私、どちらがより辛いかなんてどうやって決めるのだろうか。
パンデミックも落ち着いてきた頃、公共の授業で「マズローの欲求5段階説」を知った。この理論は、欲求がピラミッド状の五つの階層に分けられ、最下層の生理的欲求から満たされるという説である。数年間で私を取り巻く環境は大きく変わり、フィクションかと疑うほど温かい社会の中で生活を送るようになった。欲求ピラミッドの四段目、承認欲求までもが満たされていた。コロナ禍のときの私はピラミッドの三段目、所属と愛の欲求が満たされていない状態だった。そして明日食べるご飯がないというのは、最下層の生理的欲求が満たされていない状態。欲求ピラミッドは大きく分けると、下二段の物質的欲求と、三段目以上の精神的欲求の二つに分類できる。先程の 「この世にはあなたよりもっと辛い人がいる」を意訳すると、物質的欲求が満たされているのだからあなたはマシな方だよとなるのではないか。それならば、この言葉を聞いて励まされるというのは、人の不幸を見て笑ってるのと何ら変わりはない。自分の欲求が満たされないことと、他人の欲求が満たされていないことは、切り離して考えるべきだ。
それぞれの辛さを比べるとき「マズローの欲求5段階説」を基準とするならば、地球上で生活する全ての人の物質的欲求が満たされたときに初めて、「誰ひとり取り残さない」に、一歩前進したことになる。つまり、現段階でSDGsの基本理念である「誰ひとり取り残さない」を達成した人はいない。
仮に私が、取り残されたと感じる機会を逃していたとすれば、今でも無神経に人を傷つけ、取り残されている人に焦点を当てる機会も逃していただろう。
SDGsが2023年にゴールしても、欲求の格差は無くならないだろう。そもそも全ての人の精神的欲求が、同じ階層まで達成しているなんて状況はありえない。しかし全ての人が、誰ひとり取り残したくないと望むことができれば、SDGsも99%達成したようなものだ。ひとりでも多くの人がSDGsの基本理念を心に留め、取り残されている人の存在に気づいてあげてほしい。そしてくれぐれも、あなたがあなた自身を取り残さないであげて欲しい。
 
 
 
斎藤輝昌 春日部共栄高等学校2年
生まれた順番
 私は、三人兄弟の真ん中に生まれてきた。
私はよく、真ん中に生まれてよかった、と感じている。
 私には、2歳違いの姉と3歳違いの妹がいる。
なので、小中学生のときは、姉が先に入っている影響ですでに教師は親と知り合いになっているので、学校での困りごとの相談等は楽で、なおかつ窮屈な思いをせずにすんでいた。
また、姉がいるおかげで姉が生まれる前より物が揃っているので、ゲームでも本でも姉より我慢することが少なかった。
これは一般に妹にも同じように言えるが、私の家庭では私と妹とで言われることは少しちがっていた。 
 私は、学校のテストでそれなりの点数を取れる実力があったため、親からは多少は叱られるが、叱られる数自体は少なく、姉と比較されることはあまり無かった。それに、成績が落ちない程度だったら欲しいものもある程度買ってもらえていた。
だが、妹はテストで点数が伸び悩んでいると、親から
「上二人はもっと点数を取れていた、なんで取れないのか」
「二人の時より物がたくさんあるから、誘惑が多くて伸びないんでしょ、我慢を覚えなさい。」
と、上二人と比べられ、叱られ、ものが欲しくても、買ってもらえる割合は2割くらいで低かった。その理由は、
「ものが十分あるんだから必要あるの?」
「上二人がいる分、ゲームも物もたくさんあるんだから我慢しなさい。」
というものだった。  
また、姉も違ったことを親から言われていた。
それは、
「一番上なんだから我慢しなさい。」や、
「下二人の模範となれる様に頑張りなさい。」
などの、よく兄弟姉妹がいると言われる「お姉ちゃんなんだから〜」「お兄ちゃんなんだから〜」という言葉たちだ。
それを言われるたび姉はうっとおしそうにしていたのを覚えている。
上記のような言われることの違いから、姉や妹とのけんかでは
「あなたは私と違って親から言われることが少なくて良いね。」
「気楽で良いね」
と言われることがたまにあった。
このような経験から、誰ひとり取り残さないというテーマの中で私は、「兄・姉だから、弟・妹だから、」という観点での兄弟間の対応の差で苦しむ人がいなくなるようにしたい。兄弟・姉妹間の絆やつながりは、簡単には切ることができないものだ。親や周りが、「兄・姉なんだから〜。」「お姉ちゃんはもっとできていた。」などという個人を見ず、周りと比較するようなことを言って関係が悪化したとしても、つながりは消すことはできないのだ。
なので、この文章を読んだ人は、ぜひ兄弟間の切れない繋がりが呪縛とならないように気をつけてほしい。

 
 
 
三村咲綾 新潟医療福祉大学2年
合理的配慮は誰のもの?
2024年春に合理的配慮が義務化された。
 今までは努力義務だった事業者など学校でいえば私立で義務化がされた。4月頃ニュースで紹介していたことを皆さんはご存知でしたか?私は、公立学校などの行政機関が8年前から既に義務化されていたことを今回初めて知りました。
 合理的配慮は、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活または社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの全てが対象であり、対象者は障害がある人だけではない。
 私は難病があり長時間歩いたり、ずっと立っているのが辛い。実習先での合理的配慮をお願いするなら考えるように言われた時、車椅子で移動するほどではないので何をお願いしたらいいかと考えた。
 今までは、できなくても無理して頑張るか諦めていたけれど、配慮を得ることでみんなと一緒に過ごすのが当たり前になることは、取り残されないためのスタート地点だ。病気や障害だから仕方がないで終わらせなくていいのだ。
 しかし、みんなと同じように長時間立ち歩くのは辛いから時々座りたいと配慮をお願いしたら、怠けていると思われるのではないか、特別扱いはズルいと思われないか、今までの経験から周囲の視線がとても気になってしまう。
 体を動かすのが好きな私は、本当は一緒にやりたいけれど無理はできない。「走ることもできるのになんで休むの?」同級生によく言われた。やらなくて「ズルい」と言われ、集団でやることに参加すると足手纏いだと邪魔者扱いをされると感じる。
 中学の体育祭で全員参加でのクラス対抗大縄跳びでのルールが、連続で跳べた最高回数から時間内に跳べた合計回数へ変更されたのは、みんなと同じように運動するのが難しい私も参加できるようにする配慮だったのかもしれいと今になって思う。
 見て分かること、見ただけでは分からないこと。見ただけで分からなかったとしても配慮してもらいたいことを伝えられる人、うまく伝えられない人。中には、自分のことを知られたくない人もいる。配慮を必要とする側もそれぞれで、みんな同じじゃない。考え方はみんな違う。
 本人に確認なく良かれと変えられたルールは配慮と呼べるのだろうか?ハンデは、ズルいことではない筈だが、ハンデや配慮は、うまくやらないと傷つく人がいるかもしれない。配慮は時に残酷だ。
 共生社会を目指すには、公平な配慮が必要になるのだ。
 医療的ケア児の災害対策講演会で「我慢するのをやめて、自分勝手になりなさい」と聞いた時、腑に落ちなかった。私は、病気や障害のある私たちも相手を気遣っていかなければいけないと考えているからだ。私は今、歩けるし考えることもできるので、できるだけ人の迷惑にならないように動いていたつもりなのだが、先日、「自分勝手」と言われた時、ショックでその要因を家族と考えてみた。
 私が公平を求めるだけでワガママとか自分勝手と感じる人がいるのなら、世の中は平等でも公平でもなく公正な環境が取り残されないために必要なようだ。
 人間はイメージしていないことは行動できないそうだ。自分とは違う人になることはできないけれど、少し意識したり想像してみると、見えてくることがあるだろう。実際に見たり、経験することができなくても、本を読んだり、話を聞くだけでもいい。私の話を聞くことで考えたり、行動を起こすキッカケになったら嬉しい。
 それでも例えば私が、髪の色を大胆に変えた時にすぐに気づく人もいれば全く気づかない人もいる。公平や公正な配慮を望むには、いつか誰かが気づいてくれるという曖昧な意識では不十分だから、合理的配慮を適切に伝える必要があるのだろう。
 私は今、言語聴覚士を目指して支援する側に立とうとしている。その時、相手としっかり向き合っていくことの重要性を感じている。
「あなたのお陰で勉強になりました」「障害は個性」など私が嫌な言葉は、使わないようにと思っても、支援者として学んでいくと思わず使ってしまうことがあると感じる。
 私は当事者の立場から共感して理解できることが多くあるかもしれないが、辛さも悩みも違うので勝手な決めつけをせず相手を理解するために対話を重ねて、発する言葉を気をつけていきたい。
「合理的配慮の義務化」という響きは、当事者としてはあまり気分がよくないと思っていたが、対話を重ねることでお互いに無意識の偏見や思い込みをなくせると考えると素敵なことだなと思う。
 進学で福島を出て私は、東日本大震災を経験した当事者であると再認識した。渦中にいるからこそ感じることと離れたことで分かることがあることに気付かされた。
 みんなの為に考えていても、人それぞれにたくさんの想いや気持ちがあることでうまくいかないこともある。当事者にならないと分からない思いもあるが、当事者同士でも同じではない。我慢したり諦めたり、頑張りすぎないように対話を重ねて考え学び続けていきたい。
 
 
 
三地きらら 兵庫教育大学大学院3年
救いの手を差し伸べて~悪いのは誰?~
ある日、私の中の全てが崩れた。私の守ってきた自分という存在が消えた。グラグラはしていたがそれがガタガタと大きな音を立てて壊れてしまった。「もう何年も前のことなのにどうして?」私は自分を恨むことしかできなかった。
9年前、高校生だった私はいつも通り朝を迎えた。記憶が欠落しているところもあるが特に変わりない朝だった。学校への支度を済ませ登校した。事が発生したのは学校から帰宅するときだった。偶然、駅で「目撃」してしまったのだ。
「目撃」したのは米国人男性、私の通っていた英語塾の講師。小学4年生から6年生までの間私を苦しめた相手である。そう、私は英語塾の講師から3年間に渡って性被害を受けたのだ。当時は何が起こっていたのか自分でも理解できていなかった。そのため被害を打ち明けるのに3年間かかった。長い年月もの間苦しみに耐え続け、ようやく助けを求めることができた。だが打ち明けたことで全てが解決したわけではなかった。待ち受けていたのは当時思いもしなかった被害体験のフラッシュバックと闘う日々であった。
 決して忘れることのなかった13年間。毎日毎日必死に生き抜いてきた。その我慢がもう限界だった。一度しかない私の人生は「性被害」という魔の犯罪によって真っ黒にされた。
この被害により私はいろんなものを失った。大切だった学校生活も台無しになった。高校生になれば恋愛をし、異性関係をもちたくなる年頃をむかえる人も多いのではないだろうか。私は異性関係をもつことがとても怖かった。理由は過去のトラウマから「男性に恐怖心を抱いてしまうから」。だが私は性被害にあったことはもちろん周囲に言えるはずもなく隠し通すしかなかった。異性と付き合うことは怖かったが、私に好意を寄せてくれた子の強いアタックを断れず高校1年生の時一度だけ異性関係をもつという経験をした。だが周りの友達から変な目で見られたり、悪口を言われることも多かった。「なんで付き合ってるのに、あいつら2人きりならんのやろ。」「なんで手繋ないだりしないんやろな。」だが私はただにこにこして偽りの笑顔を作り「だってまだ早いやん~」としか言えなかった。表では必死に涙を堪え、夜になると自室で堪えた涙を思いっきり流していた。時には大好きなはずのくまのプーさんのぬいぐるみにまで八つ当たりしていた。「なんでこうなるの?どうして?なにが悪いの?」誰に聞いても、どこを探してもいつまでも見つからない答え、自分を責めるしかなかった。
わが国では増えていく性被害の被害者。一向に減ることのない被害者数。「性被害」という犯罪に巻き込まれ私は人生を大きく狂わされた。被害について思い出してしんどくなってしまうことだけがしんどさの全てではない。何事にも対する無価値観、絶望感などがある。そして私が被害のフラッシュバックと同様に苦しんでいるのが他者との適切な距離を保てないということ、すぐに自責感でいっぱいになってしまうことである。人に対する不信感が生まれてしまっていたり、すぐに自分が悪いという考えに至ってしまうのだ。心のどこかで「またあの人は私に危害を加えてくるのではないか」「自分が悪かったから責任をとらなければならない」そう思ってしまう。簡単にこの思考は消えず、おそらく私だけが感じていることではなく性被害に遭ってしまった人の中にも同じように苦しんでいる人もいるのではないだろうか。
私は社会全体にこのような思いと日々闘い苦しんでいることが数多くいるということを理解してもらいたい。また時にはサポートが欲しい。例えば心身の回復のために医療に繋がるにはどれくらい医療費がかかっているか知っているだろうか。相談機関が非常に少ないことを知っているだろうか。誰にも打ち明けることができず一人で抱え込んでしまっている人がどれほど多く存在しているのか知っているだろうか。私は声をあげて発信していきたい。「被害者」になってしまったからこそ、同じように苦しんでいる方々と気持ちを共有したり、時には助けあい、前を向いていきたい。小さなことから始めるにはブログなどを書いていくことなのだろうか。私にでもできることは私自身で考えたい。だが社会全体はより多くの被害者に耳を傾けてほしい。そしてそっと寄り添い、救いの手を差し伸べてほしい。
 
 
 
山室優結 駒澤大学3年
孤独は人を選ばない。
「誰ひとり取り残さない」この言葉を聞いたとき、私は泣きそうになった。本当にそんな世界になってほしいと心の底から思った。きっとこの言葉を見て、そう思う人は私だけではないはずだ。それぞれ人は、いろいろな事情を背負って、やらなくてはいけないことが目の前にあって、楽しいことばかりではない人生をそれぞれの足で歩んでいると思う。中には、つらくて毎日どうしようもない感情に襲われながら生活している人もいるだろう。
 人が,自分が取り残されたと感じるときはどんな場合が考えられるだろうか。これは味方がいないと感じ、自分は一人だと思うことと言い換えることができるだろう。それは、もしかしたら、周囲の人からの無視だったり、いじめだったり、家族内での不和など、いろいろな可能性がある。たとえ、その人が傍からは順風満帆に見えてもそれは起こるかもしれない。
 人が人を救うというのはとても困難で、悲しくも深刻な状況にいる人ほど助けることがより難しくなる。そして残念ながら、この世は理不尽だ。必ず、救いがある世界ではない。だから、せめて、自分が一人だと思って、世界から取り残されたと思っている人をこれ以上傷つけないでほしい。これは、私の願いである。
 「自分は取り残された」とその人が結論づけるまでは、そこにはつらかった苦しかった経験があったはずだ。しかもそれは1回ではないはずだ。そして、最初はきっと何かに期待していたと思う。「自分がつらい経験をした」ではなく、「自分は取り残された」という言葉を使用する方が適しているという考えに至るのは相当苦しかっただろう。例えば、このような人が、SOSを誰かに出したとしよう。そのSOSを受け取った人の発言、行動が重要になってくるのは誰でもわかるはずだ。しかし、具体的にどうすればいいのかわかる人がどれだけいるのだろうか。人が落ち込んでいるときは、その人がいつもより繊細で、言葉に過敏であると考えた方が良い。それ故、救出が難しいのだ。ここで、間違えるとSOSを出した人物は孤独感を深める可能性が高い。「自分の気持ちを受け取ってもらえなかった。」と。
 私がこれから詳しく書きたいのは上記の場合である。それほどまでに追い詰められた人のSOSに対して追い打ちをかけないようにするにはどうしたら良いか。
 少し、角が立つようなことを書いてしまうが、人が人を理解するのは不可能に近い。それぞれ、違う環境で生きてきて、先天的な個性があったり、性別や身体的特徴が違ければ、考えも違うのは当然だろう。これがあるからこそ、人は人を求め、人は孤独なのである。そして、それぞれが自分の考えが正しいと思って生きている。そして、自分が持っている知識や経験の中で、外界からの情報を完結しようとする。さらに、自分と他人は違うということを常に意識しているわけではない。話を戻すと、このまま他人の苦悩や悩みを聞いたら、なんと言ってしまうだろうか。その人の考えを否定してしまったり、自分にそんな経験がないのにも関わらず、わかった気になって的外れな発言をしてしまうかもしれない。
 これを阻止するのは、本当に難しい。きっと私もこのような過ちを犯してしまっているのかもしれない。
 私が他者にそして私自身に言いたいことは、自分と他者は違うことを意識し、その人の考えを理解できなくても受容すること。自分にはわからない感情や考えがあると認めること。自分の外部に答えがある場合を視野にいれること。相談は自分の考えを披露する機会ではなく、相手の力になるにはどうしたらいいか考える時間。
 以下のことを頭に入れて、SOSを出してくれた人の話に耳を傾ければ、理解者にはなれなくても味方と思ってくれるかもしれない。
 平凡な大学生である私のこの言葉に、目を通してくれる人が何人にいるのか想像できないが、孤独を感じながら生きている人にそっと寄り添える言葉を記せたらと考えた。最後は、私から僭越ながらメッセージを残そうと思う。世の中には、自分がこれを発言したら良いように見られると好感度が優先されて生まれた言葉や、ただただ他者を攻撃したくて吐かれた言葉がたくさんあるでしょう。そんな言葉に傷つけられたり、そういう風に思えない自分が悪いのかと思ってしまうかもしれません。しかし、あなたに響くような、あなたの支えになるような言葉が絶対にあるはずです。つらくて苦しかった人は、自分がどれだけ壁にぶつかって、どれほど耐えてきたかを自分が一番よく見てきたでしょう。だから自分の感性を信じて、心地の悪い言葉は遠くに置いて、あなたを思っている言葉だけ周りに並べてほしいです。少しでも楽に生きてほしいです。一人じゃありません。
 
 
 
山田桜來 中央国際高等学校 中央高等学院2年
生きていて良かったと思える日まで
私はこの5年間、取り残される気持ちを何度も何度も味わってきた。それは、中学1年生の頃に発症した起立性調節障害が始まりだ。この病気は、自律神経の失調により頭痛や目眩、吐き気や腹痛などを起こすものである。特に朝から午前中にかけて血圧が上がらないことで身を起こすことが難しく、あっという間に朝から登校できる日がなくなってしまった。やがて、朝からはおろか授業時間に間に合うように身支度を整えることができなくなった。学校に行きたくても行かれない。たまに少しだけ調子が良くて登校できても、休んでしまった分の授業が頭に入っていないので全く理解できないし、実施されることすら知らなかった小テストは1問も解けない。どんどん私は取り残されていった。
 この状況をどうにかしたい、その一心でふらふらする体に鞭を打ち、必死でなるべく学校に行こうと無理に無理を重ねた。しかし、その積み重ねた無理が、気が付かないうちに私を蝕んでいた。心身にこんなに負担をかけるべきではなかったと今となっては思う。ある時期を境に、私は自分の髪の毛を抜いてしまったり、死にたいという気持ちになったりして、ただただ抑うつ状態で何もできない日々を過ごすようになった。そんな何もできない自分を持て余しているうちに、「まだ起きてるの?何で生きてるの?死ねよ。」といった罵られるような幻聴も聞こえるようになった。自分の体を大切にしなくてはいけないと分かっていたが、自分の手首や足を傷つけることで辛さが紛れることに気づき、自傷も繰り返していた。精神科を受診することには少し抵抗があったが、この状況をどうにかしたくて、縋るような気持ちで病院にも行った。しかし、処方された薬を飲んでも改善するどころか悪化の一途をたどった。このままでは本当に死んでしまうと思った。限界だった。
 2022年の大晦日、精神科救急経由で医療保護入院が決まった。私はひとまず安全な環境に行かれることがわかってホッとして、「保護室という部屋に入ります」という意味もよく分からないまま病院に向かった。自殺防止のために万策がとられたその部屋で着ることが許されるのは半袖半ズボンのみで、部屋の中にあるのは布団とトイレだけ。窓はフィルムのようなもので隠されて外の景色が見えなくなっている。その上、何も持ち込めない。1日中私を罵る幻聴が聞こえる中、本当に何一つやることがない状況で、頭がおかしくなりそうだった。「あけましておめでとう」と世の中が祝福モードになるお正月に、私はこんな部屋でひとりぼっちで年を越し、三箇日を過ごした。その時の取り残されている感覚は今でも忘れない。
 病院の年末年始休暇が終わると保護室から出ることができ、一般の病棟に移った。血液検査や心理検査など様々な検査を経て、私に統合失調症という診断がついた。希死念慮や幻聴の原因がわかったのは良かったが、精神疾患を負ってしまったことがショックだった。統合失調症とは脳の機能に原因があるとされる病気で、幻聴や幻覚や妄想などがある陽性症状、希死念慮や気分の落ち込みなどの陰性症状、やる気や判断力の低下などの認知機能障害が起きる疾病である。発症率も100人に1人とそれほど珍しい病気ではない。そう説明はされても、辛い時に看護師さんがいつもそばに居てくれるわけではないし、何かをやる元気もなく、いつ退院できるのかも分からない。そんな状況で、私が救われたのが学校の先生との電話だった。週に2~3回、私が唯一学校と繋がっていると安心できる時間だった。「ちゃんとご飯食べられてる?夜は寝られてる?」と私のことを親身に心配してくださった先生には今でも本当に感謝している。
 私は自分が病気になる前まで、病気をはじめとする様々な事情で学校に来られなかったり、入院生活を余儀なくされていたりする人のことに想いを馳せたことが、正直なところなかった。私にとって先生との電話が救いになったように、私も誰かの心の支えになれるような存在でありたいと強く思った。
 長かった半年間の入院生活を終え、中学校を卒業し、私は今は通信制高校に籍を置いている。「目に見えて良くならないから辛いと思うけど、良くなっているよ。大丈夫だよ。さくらさんには生きていてほしいです。」と声をかけてくださる先生のおかげで私は今日も生きている。死にたい気持ちや幻聴が消えたわけではないが、少しずつ症状も軽減し、自傷をしなくても生きていけるようになった。真っ暗だった日々にわずかに光が見え始めた気がする。私は、自分自身にも、みんなにも伝えたい。今は学校に行かれなくても、世界には色々な生きる道がある。今は真っ暗かもしれないけど、必ず良くなる日が来る。やまない雨なんてない。生きていて良かったと思える日が来る。だから死ななくて大丈夫。一緒に生きよう。
 
 
 
山本沙織 専修学校クラーク高等学院名古屋校
取り残された経験から伝えたいこと
SDGsの基本理念「誰一人取り残さない」について私は自分の不登校時代の経験を思い出した。私は不登校時代、社会から取り残されている気がしていた。
中学生に上がるまで何事もなく楽しい毎日を過ごしていた。私は学校が好きだった。学校に毎日通い、とても充実した日々を送っていた。友達も多く、勉強も楽しかった。しかしある日、突然その日々がなくなった。私は不登校になった。突然のことで私はどうすれば良いのかわからなかった。不登校にはマイナスなイメージをもっていた。まさか自分がなるなんて思ってもいなかったのだ。友達が家に来たり、声をかけてくれたが私は応えることができなかった。不登校になった自分も、友達が手を差し伸べてくれたのに答えれない自分も嫌いだった。そこで初めて私は周りとは違う、みんなにとっての普通が私にはできないと思うようになった。不登校になってからは、周りの目を気にするようになった。外に出る機会も減り、引きこもりの状態が続いた。不登校になったことが恥ずかしく、誰とも会いたくなかった。自分と同じくらいの子を見ると心がとても痛んだ。私にはどうしてできないんだと思うからだ。私だけ社会から、みんなから取り残されている感じがした。そんな日々が毎日続いた。社会から取り残されていると実感しながら、ゆっくりと何もせず時間が過ぎていくのはとても辛かった。それから親と話し合い私は転校した。転校してすぐには、あまり学校に通えなかったが、自分なりのペースで頑張った。私はそこで初めて自分のペースでいいのだと思った。少し心が軽くなった。それから少しずつ学校に通えるようになった。友達もでき、毎日辛かった日々から解放された。しかし、自分が不登校だったという事実は消えない。不登校に対する社会のイメージは、多くの場合ネガティブだ。「怠けているだけ」や「社会に適応できてない」など。偏見は時に、不登校の子供達に精神的ダメージを与える。正しい理解と支援が求められているのだ。私自身も当時は不登校に対してマイナスなイメージをもっていた。社会からどう見られているのか怖かった。だが今の私は、不登校に対してあまりマイナスなイメージをもっていない。不登校時代を経験して学びを得たことはたくさんある。一つ目は、自分を理解する力が身についた。不登校をきっかけに自分の感情や考え方に向き合い、「なぜ学校に行けなかったのか」「何が辛かったのか」を振り返ることで自己理解が深まった。また自分にとっての「快適な環境」や「苦手な状況」を知るきっかけになった。二つ目は、多様な価値観の発見だ。「学校に行くのが当たり前」という固定概念から離れることで、学校以外の学び方や生き方があることに気づけるのだ。また、自分に合ったペースや方法で成長できる環境を探し、新しい価値観を受け入れる力が養われた。考え方が広がった気がする。三つ目は、挫折から立ち直る力だ。不登校という経験は一種の挫折だが、それを乗り越えた経験は今後の困難にも対応できる。周囲のサポートや自分自身の努力を通じて「乗り越えられる」という実感を得れたのだ。これからも沢山の困難があると思うが、不登校時代がとても辛かったからこそ、それを乗り越えたという経験は私の中でとても大きい。だが、社会の偏見は消えない。乗り越えたにもかかわらず、不登校だったという事実がこれからの人生の重りにはなってはいけないなと感じた。
私は不登校になったことで、心の悩みや孤独、プレッシャーを実感した。不登校になって良かったかはわからないが、沢山のことを学べて私には必要な経験だったなと思う。「一人一人異なるペースで生きて良い」と思うことができ、以前の私より生きやすくなった。不登校にはマイナスなイメージをもっていたが、私自身不登校になってみてそれは違うと感じた。不登校であることは、決して未来を諦めなければいけない理由ではない。むしろ自分を深く知る機会だなと思った。私はこの経験をもとに不登校への偏見をなくしたい。実際不登校になった人にしか経験できないことや不登校になったことで身についた力や考え方がある。社会でも必要な力だ。不登校に対する偏見をなくすためには、社会全体での努力が必要である。これには教育や活動、当事者の声を聞くことが重要だ。それにより、間違った情報や誤解を減らすことができる。不登校に対する偏見によって次の一歩を踏み出すことをためらう人がいない世の中にしていく必要がある。「誰一人取り残さない」という基本理念に近づくためにも。
 
 
 
山野麻椰 中村中学校・高等学校 高校1年
マイノリティを重く捉えすぎないことの大切さ
皆さんは性的マイノリティの人々に対してどのような印象を抱くだろうか。
「良いと思う」?「気持ち悪い」?、それとも「特に何も思わない」?
私は、特に何も思わないと考えている人が増えることが真の多様性のあり方だと考える。
世間では「認めてあげる方がいい」とされているが、私はこの考えに対して常々疑問に思っている。私の考えを拙い日本語でうまく言葉にできるかわからないし、正解かどうかもわからないけど、最後まで読んでほしい。
例えば、あなたが知人の男性に「彼女が欲しい」と言われたとする。きっとあなたは特に何も思わないはずだ。これと同じようにLGBTQの当事者の方にカミングアウトされた時も「そうなんだ」くらいで終わらせれば良いと私は思っている。
LGBTQ当事者の方に対して「特別」扱いする必要はないし、当事者の方も「特別」扱いされたいわけではないだろう。
私がこのように思い始めたのは、高校1年生の夏だ。自分の興味あることとジェンダー問題の関係について考える授業で私はメイクとジェンダーについて考えた。そこで、周りの人に「女性のメイク」と「男性のメイク」についてどう思うかを聞いた時、私と同世代の人は女性のメイクには特に何も思わないのに対して、男性のメイクについては「美意識が高くて良い」だとか「良いと思う」などの肯定的な意見が多かった。この回答に対して、同世代のジェンダー問題についての理解は深まっているのだと思った。しかし、衝撃を受けたのは私の友人の回答だ。男性のメイクをどう思うか聞いたところ「特に何も思わない」と答えたのだ。その時、他の人が回答した「男性がメイクしていることは良いと思う」=「男性”なのに”メイクしていて良いと思う」と感じられたのだ。今の社会は平等ではなく、少数派を優遇しようとしているのではないだろうか。このことをきっかけに、私は性的マイノリティの人に対して特に何も思わないことこそが本当の意味での平等であり、多様性なのだと考え始めた。
私が中学生の頃から、授業やLGBTQについて取り扱うことが多くなった。例えば社会科でのパートナーシップ制度や同性婚、特別授業での体の性と心の性など。授業では、先生も生徒も否定的なことを言わないが、私にはその状況がみんなで認めないといけないという風潮があるように感じている。それに、LGBTQ問題といったら誰しもが差別問題や世間の理解不足などの問題を想像するだろう。確かに、まだまだ差別があるのは事実だし差別により苦しんでいる人がいることは事実だ。しかし、そのような問題以外にも、LGBTQについてを理解はできても受け入れることができない人や、ジェンダー問題に気を配りすぎて生活がしづらくなってしまっている人がいることも事実だ。そのような人々が悪目立ちしてしまっているが、私はそれも含めて多様性だと考える。もちろん、性的マイノリティの人々に「気持ち悪い」などの批判をすることは絶対に許されることではない。だが、無理に「良いと思う」と肯定する必要もない。だから、受け入れられない人のためにもまずは性的マイノリティを認めようという風潮をなくす必要があると思う。そうすることにより、LGBTQに良い意味で無関心な人が増えると考える。
最近はLGBTQ問題に関わらず、障がい者や貧困層の人々の理解を深めようという動きがよく見られるが、それと同時に、当事者の人が「特別」な状態のなってしまっている。今の社会では、性的マイノリティの人々が「取り残されている人」として挙げられてしまっていることが問題なのではないだろうか?性的マイノリティの人々は取り残されているわけではない。他の人と何も変わらず、人を好きになったり、自分が思う性で生きたりしているだけだ。性的マイノリティ以外の人々も、「取り残されている」と表現されることにより更に苦しくなってしまうのではないだろうか。今まで「取り残されている」と感じたことはなかった人が、自分は取り残されていないだろうかと必要以上に心配してしまう状況が生まれていないだろうか。
だからあえて「取り残されている人」や「普通とは違う存在」と括る必要はない。認めるのではなく、ただ共存するだけでいい。
私は、マジョリティの人もマイノリティの人も全ての人が、本当の意味で平等になる世界を願っている。
 
 
 
山嵜茉白 都留文科大学1年
「しょうがない」で終わらせない
 誰一人取り残さない。そんなの無理に決まっている。この世界にはいつだって、誰かを見捨てなければ前に進めない時があり、その時皆は口を揃えてこう言うだろう、「しょうがないことだ」と。「しょうがない」と言う言葉で、今までどれだけの人が取り残され、居場所を失い、悲しい思いをしてきたことだろうか。しかし、過去を振り返っているだけでは、いつになっても前に進めない。SDGsを理念に掲げて、「皆さん、この目標達成に向けて一人一人が頑張っていきましょう!」という漠然とした呼びかけから、SDGsに対する国民の認知度は上がってきたものの、実際に貢献できる活動を行えているのか問われると、はっきり回答できる人は少ないだろう。そこで、今回のSDGsにおける「誰一人取り残さない」について考え、文章にし、自分なりの回答を記すことで、私にとってのSDGsへの取り組みとすることに決めた。
 まず、「誰一人取り残さない」という言葉について、自分なりの解釈でまとめてみることにした。「誰一人」という漠然としたワードを、自分に置き換えて考えてみた。
 私は小学生の頃、体が弱かったため、インフルエンザによく感染し、1週間以上学校を休まなければいけない日があった。熱が高く、体がだるくて重く感じ、寝ていることしかできない日々が続いた。小学生の頃はスマホなどの連絡手段を持っていなかったため、友達と連絡を取ることもできなかった。具合が悪いうえに、家では一人という孤独感から、この世界に取り残されているような感覚を覚えた。そしてこのような思いになる時はいつも、大好きなアニメやお笑い芸人たちのテレビ番組を見ることで、気を紛らわせていた。不思議なことに、このときはいつも、自分はひとりぼっちで取り残されていると感じないほど、夢中になっていた。
 学校に復帰できるようになった初日の足取りはとても重い。どんな顔で友達と話せばいいのかわからない。そんな不安を抱えながらも、学校に行く勇気をくれたのは、大好きな洋服だった。新品のかわいい洋服は、自信がない自分の最高の武器であり、自分に自信をくれた。学校に行ってみると、友達はいつも通り「おはよう!」と言って話しかけてくれる。多少、話が弾むまでに時間はかかるが、帰る頃にはいつも通りの調子を取り戻している。しかし、取り残されていると感じてしまう瞬間があった。それは、私が休んでいた時間も気にせずに進む授業だった。1週間分の遅れは大きく、引き出しの中はプリントでいっぱい。休んでた分の授業内容は、個別で先生から教えてもらえるわけでもなく、自分で解決しなければならない。復帰してから数日間の授業は特に憂鬱で、自分だけ取り残されながら進んでいく時間の流れを実感できるものであった。
 「誰一人取り残さない」。これはとても難しいことで、不可能に近いと考える。なぜなら、取り残さないというのは、前に進まず、みんなの足並みが揃うまで待たないといけないことだからだ。そして、取り残さないという状況は実際に作り出せたとしても、一人ひとりの感情は考慮できていることにはならない。孤独感や焦燥感は感じ方が様々だし、そこまで考えた政策が必要かと言われると、そこまでする必要はないと思う。
 SDGsを通して、貧困層の国々の子どもたちに十分な水や学習環境を整備したり、飢餓をゼロにしたり、健康福祉を整えることなどの具体的な目標が細かく示された。それに伴い、「誰一人取り残さない」というサブタイトルも設定された。確かに、地球という運命共同体の中にいる私たちは、国内だけでなく、世界規模の問題に対して地球全体のことと捉え、すべての国で協力しあう必要がある。しかし、取り残さないというワードに引っ張られすぎて、すべての国で足並みを揃えることに注目したり、自分の身の回りの取り残されている人たちに気づかず、世界に視点を一気に広げて考えたりしていないだろうか。
 私は、誰一人取り残さないという目標はとても素敵なことだし、世界規模問題を考える上で、最も必要なことだと考える。しかし、それを達成するために、本目的である、SDGsの個々の課題に対して、貧困層だけが対象になっていたり、自分は他人事のようで、とりあえず募金や、エコバックの持参、リサイクルなどしてればいいだろうという考えに至るのはいいことではないと考える。一人ひとりができることを実行するのも大切だが、一つの企業がSDGsについて協力することの方が成果は莫大だし、それが広がればどんどん成果が現れるだろう。私たちが今考えるべきなのは、一人ひとりのできる小さなことも大切だが、企業や組合といった、もう少し大きな力のあるものに影響を与えることだと思った。
 誰一人取り残さない。これを達成するのは莫大な時間と、世界中の人々の協力が必要不可欠だ。達成することはとてつもなく難しいことだろう。しかし、世界中のSDGsに対する意識は日々高まっている。みんなが同じ思いになり、協力すれば、不可能なことではないと思った。誰一人取り残さないという、莫大なテーマを達成することで、この地球に生きる一人の人間として、この言葉を証明したい。そう思った。
 
 
 
山邊雛乃 東京農業大学4年
聴く力
「誰ひとり取り残さない」という言葉を読んだ時、取り残された状態とはなんだろうかと考えた。私が考えた取り残された状態とは、少数派に属してしまったということである。
現代社会において、採用される意見や一般的とされる意見は、多数決で決まったものだ。社会とはそういうものだと言われてしまえばそれまでだが、本当にそれでいいのだろうか。採用されなかった少数派の意見は劣っているから採用されなかった訳では無い。ただその意見に賛同する人が少なかったり、同じ発想を持った人が少なかったから採用されなかったのだ。
多くの人は「自分は周囲の人と同じである。」ということに安心感を覚える。またそれと同時に、周囲の人や社会の一般的と言われる考え方や価値観にそぐわない意見を持った時、不安感を覚えることが多い。だからこそ、多数派の意見と同じ意見であった場合は胸を張って、自分の考えを主張できる。一方で少数派だった場合は声を上げることも難しい。そのような状況になったら、少数派の意見は淘汰され、多数派の意見に飲み込まれてしまう。当然少数派の意見を持った人達は多数派の意見が充満する社会の中に馴染んでいるふりをしなければならない。そうしないと好奇な目に晒される恐れがあるからだ。
以上のことを踏まえて、誰ひとり取り残されない社会を築くために社会が考えなければならないのは、少数派の人たちをどのようにして黙らせるかでは無い。多数派に属した人達が少数派の意見を社会に取り入れるためにはどうしたら良いかを考えることだ。少数派を淘汰することは簡単だ。なぜなら意見してくる数が少ないのだから、それを相手にしなければいいのだから。しかしそれでは誰ひとり取り残されない社会というものは到底目指すことは出来ない。少数意見を取り入れるためには、まず少数派の意見をもった人達に声を上げてもらわなければならない。そのためには社会全体がどんなに小さな声でも聞き、受け入れる聴く力を持たなければならない。聴いてくれる人がいるということは、それだけで心強く、1歩を踏み出す力になるはずだ。これを現代に生きる私たち一人一人が意識することで。社会を変えていけるのではないだろうか。多くの人は、私1人が言ったって社会は変わらないというあきらめに近い気持ちを無意識に持っている。政治家でもない私が言ったって社会は変えられないと思ってしまっている。しかし社会を変えることは、今すぐには難しくても、親から子へこの聴く力をもって人と接することの大切さを伝えて行けば2世代、3世代後には当たり前に持つ力になっているかもしれない。だから、私は理想の社会を作り上げるのはほんのひと握りの政治家や国のトップではなく、私たち一人一人の意識であると考える。
誰ひとり取り残されない社会、つまり少数派の人たちを見捨てない社会を目指す時に、自分の行動や考え方を見直し、偏見や固定観念に囚われることなく目の前の1人の人間と向き合うだけの力量を持つことをひとつの解決策として提案したい。
 
 
 
出岡仁奈 かえつ有明高等学校2年生
消えゆく孤独、灯る未来
 “誰ひとり取り残さない”。その言葉を初めて聞いたとき、私はそれがどれほど深い意味を持つのか、正直なところよくわからなかった。けれども、時間が経つにつれ、その言葉の重みが心に染み込むようになった。誰もが平等であるべきだという理想は、言葉にすれば簡単だけれど、実際の社会ではその理想から遠い現実がある。貧しさ、偏見、孤立 。これらは目に見えにくい形で、私たちの日常の中に溶け込んでいる。私自身、いくつかの経験を通じてその現実を目の当たりにし、そして自分自身も取り残される側に立たされたことがある。それが、この言葉の本当の意味を考え始めるきっかけになった。
 小学4年生のとき、父の仕事の都合でマレーシアに引っ越した。期待と不安を抱えての新生活。けれども、現実はそう甘くなかった。学校では英語がほとんど話せない私にとって、授業は何を言っているのかさっぱりわからない。そして、休み時間には友達の輪に入れず、一人で過ごすことが多かった。周りが楽しそうに笑い合う中、自分だけが違う場所にいるような感覚が続いた。私にとって、この孤独な時間が“取り残される”という感覚そのものだった。
 そんな日々の中で救いになったのは、ある韓国人のクラスメートとの出会いだった。彼女もまた、私と同じように英語に苦しみ、孤立していた。ある日、授業でペアを組むことになり、そこから自然と話すようになった。お互いの英語力は拙かったが、一緒に少しずつ勉強を重ねる中で、言葉の壁を越えて友情が育まれた。この経験は、SDGsの目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」をまさに体現していると思う。孤独から抜け出すためには、一人で頑張るだけではなく、誰かと手を取り合うことが必要だと気づかされた。
 高校生になってから訪れたフィリピン・セブ島での経験も、私の考えをさらに広げてくれた。学校の活動で、経済的に困難な状況にある子どもたちにスニーカーを届けるプロジェクトに参加した。スニーカーを受け取った子どもたちは、とても嬉しそうな笑顔を見せてくれた。その瞬間、自分がしていることが少しでも彼らの助けになっているのだと実感した。けれども、ふと周りを見渡すと、古びた家や壊れかけた道が目に入り、この地域の厳しい現実を突きつけられた。貧困は一人ひとりの努力だけでは解決できない。目標1「貧困をなくそう」や目標10「人や国の不平等をなくそう」の実現には、社会全体での取り組みが必要だと強く感じた。
 また、子どもたちの笑顔から学んだのは、物質的な支援以上に「自分たちを気にかけてくれる人がいる」ということが、彼らにとって大きな希望になるということだった。スニーカーを届けたのは単なる行動の一つに過ぎないかもしれない。しかし、その裏にある「気にかける」という気持ちは、目標16「平和と公正をすべての人に」に通じるものだと思う。人と人とのつながりが、社会を変える力になるのだ。
 そして、日本に戻ってからの生活でも、取り残されそうな人々の存在を意識するようになった。たとえば、障害を持つ友人が学校行事で感じた制約や、LGBTQ+の友人が日常的に直面する偏見の話を聞いたとき、私たちが気づいていないだけで、身近なところにも「取り残される人」がいることを知った。このような課題を解決するためには、教育現場での多様性理解の推進や、職場での包括的な制度作りが不可欠だ。目標5「ジェンダー平等を実現しよう」や目標11「住み続けられるまちづくりを」を達成するためには、一人ひとりの意識改革が鍵になる。
 私たちができることは小さいかもしれない。それでも、困っている人に手を差し伸べたり、友達の話を聞いたりすることは、誰でもできることだ。それらの小さな行動が積み重なり、やがて大きな変化を生む。マレーシアやフィリピンでの経験を通じて学んだことを生かし、私はこれからも「誰ひとり取り残さない」社会を目指して行動していきたい。そして、この理念がより多くの人に共感を呼び、誰もが安心して暮らせる世界が実現することを願っている。
 
 
 
小口真悠子 晃華学園高等学校 高校1年
「嫌悪感」の境界線と私たち
どうして人は、「自分とは違う、何かしらのショウガイを持った存在」を見つけた時、埋められない嫌悪感から手を差し伸べようともせず、見て見ぬフリをしてしまうのか?勿論、私もこの問いの例外ではない。事実として、自分とは少しかけ離れた生活を送る人と出会った時、少しの驚きと不信感を感じることがある。では、どうしたら歩み寄れるのか?私はこの問いの答えを、とあるボランティア活動から学んだ。
今年の夏、私はある子ども食堂ボランティアに参加した。元々、お手伝いの報酬として貰える感謝と笑顔を見るのが好きだった私は、子供食堂に長年興味と憧れを持っていた。そうして初めてのボランティアに参加した私は、フードパントリー(予約していた方に食品等を配布する仕事)を行った。本来は、子ども食堂という場の中で、来られた方と一緒に食事を食べたりする、というスタイルだったようだが、コロナ禍の影響により、フードパントリーという形で、予約された方にお弁当と焼き芋を配っていた。私は、予約した方が食品を取りに来ると共に、その方の名前を聞き、個数確認をした後、個数分のお弁当・焼き芋を渡すという仕事を行った。個数を間違えないようにするので精一杯だった私は、あまり来てくれた方の表情を伺うことは出来なかったのだが、とある親子2人を、私は忘れはしないだろう。
慣れているのか、落ち着いた表情の母親と、5〜7歳くらいの男の子。まだお客さんとの距離感が掴めずモヤモヤしていた私は、気持ちが晴れないままその親子の対応をする事になった。
男の子は初めて此処に来たからなのか、ずっと怯えたような、落ち着かないような表情をしていた。気になって男の子の方を見ていると、子ども食堂のスタッフさんに「大丈夫?」と言われ、そこで自分の作業が止まっている事に気がついた。慌てて個数確認をし、お弁当と焼き芋をそれぞれ個数分袋に入れ、その母親に渡すと、母親は焼き芋の入った袋を取り出し、男の子に「〇〇の好きな焼き芋だよ。お母さんの分も食べて良いからね。」と言いながら袋を渡した。男の子は、「焼き芋」という言葉を聞いた時、少し表情が和らいでいた。そして、袋から焼き芋を取り出そうとした時、男の子は少し困惑した表情で「お母さん、焼き芋って3つも貰って良いの?」と言った。恐らく、私が焦って袋に入れたせいで、個数を間違えてしまったのだ。母親に「あれ、本当だね。スタッフさんこれは……?」と聞かれ、対応に困っていると、他のスタッフさんが「すみません、手違いで一つ多く入ってしまったようです。なので、今回は『オマケ』としてそのまま持って帰って頂いて大丈夫ですよ。」と言い、私がお礼を言う間もなく、そのスタッフさんは他の方の対応に向かわれてしまった。
母親は少し驚いたような表情をした後、「ありがとうございます。」と一言だけ言い、男の子に微笑みかけた。そして「よかったね、いつもより多く焼き芋食べれるね。」
と言い、固い表情だった男の子も嬉しそうに笑いながら焼き芋を頬張っていた。
その幸せそうな2人を見ていると、私は少し安心した。と共に、ずっと忘れていた「些細なものでも素直に喜べる心」を久しぶりに思い出した気がした。
大人になってゆくに連れて、いつかは「子供」という概念に線引きをしなければいけなくなる。そしてその線引きをするに従って、私たちの手荷物は、常に少なくしていかなければならない。学んでゆかなければならないことは沢山あって、溢れ返らないよう、その都度整理をしていく必要があるから。だから、たとえ本当に大切なことでも、それがずっと奥底に眠っていると、大切なものという事を忘れて、よく確認もせずに捨ててしまったりする。
捨てられた記憶は、暗い心の隅で転がっている。本当に大切なものは、一度捨てたら「なんとなく」でしか思い出せなくなるのだ。
私の中での「素直に喜べる心」がまさにこの状況だった。「贅沢」を知ってしまった私は、些細なことで純粋に喜ぶ、ということをずっと忘れていたのだ。
さらに、私は幸せそうな表情をするその親子に対して、全く嫌悪感を感じることはなかった。
つまり、自分と自分とは違う生活をする人との境界線を無くすものは、笑顔なんだと、私はその時初めて気がついた。そして、「一つのオマケ」という些細な事で、その境を取り消してくれる「笑顔」を、2つも生み出すことが出来たのだ。すなわち、些細な幸せを人々が積み上げていくことで、人と人との境目が無くなるきっかけとなる笑顔が生まれ、より過ごしやすい社会になっていくと、私は考えるのだ。
 
 
 
小坂桃香 慶應義塾大学4年
「憎む」ことは命綱
 「憎む」権利まで奪わないで。心の拠り所も人並みの希望も、「自分は生きる価値がある」と信じる気持ちも奪われた人にとって、「憎む」ことは、「自分をこれ以上壊さないための最終手段」なのだ。「憎しみは何も生まない」と諭されるのは、いきなりナイフで刺されても「ひたすら耐えろ」「それくらいで泣くな」「不幸アピールするな」と、高みの見物をしている人から言われるに等しい。痛いのは刺されるせいだ、と言えなくなったらもう、自分を呪うしかない。こんなタイミングで外に出たせいだ、刺したくなる顔だったせいだ、いやそもそも、自分が生まれてきたせいだ、と。人に突き立てられたナイフを、さらに自分の体へ押し込むようになる。
 私は何度か、無邪気な悪意や呪いの言葉を吸い込んできた。保育園で私だけケイドロに混ぜてもらえなかったこと、音読カードを学校近くの川に捨てられたこと、学童の上級生達に「あの子可愛くないよね」と聞こえる距離で言われたこと……。
 最初はちゃんと、憎いと思っていた。ひどいことをするあの子なんて大っ嫌いだ!という怒りの感情があった。
 だが周りに助けを求めても「気にしなければいいでしょ」「あなたがすぐ泣くからいじめたくなるんだよ」と苦笑されるだけ。悪いのはあの子だ、怒って当然だなんて、誰も教えてくれなかった。
 そのうち私は、酷いことをされるのは自分のせいだ、と思うようになった。自分の何かが相手を不快にさせるから、いじめたくなるのだと。
 憎む先を奪われた人の感情が向く先は、自分自身だ。私は自分を傷つけた人間に憎しみを向けきれなかった。だからナイフのような憎悪は自分に向けられ、私は切っ先を喉に押し込むしか無くなった。私が人間の失敗作だからこうなったんだ、私は生きているだけで誰かを不幸にする、生まれてきてごめんなさい、と。
 そんなある日、私は放送委員長として、文化祭のイベント企画をするため、集会を開いた。去年の委員長、副委員長も来ていたのだが、集会後、「え?なんで今これやるの?」「私だったら絶対こんなことしないけどなあ…」と、バカにしたように笑われた。確かに準備不足だった。結局何を決めたいのか、委員に明確に伝えられる段階ではなかった。だから二人の言葉が真っ直ぐ入り込んできた。ああ、今年の副委員長とか書記の子、私が何したいのか分からなくて絶対困ってただろうな。委員のみんなも、私の言うこと意味不明だっただろうな。そっか、やっぱり私は、リーダーになんかなっちゃいけないんだ。身の程知らずなことをして、ごめんなさい。
 その翌朝、私は学校の廊下の真ん中で、親友の顔を見た瞬間に泣いてしまった。いきなり泣いてごめんね、私は大丈夫だから、それが言葉になる前に彼女は「桃ちゃん、どうしたの?」と優しく抱きしめてくれた。安心して涙が止まらなくなった私の口からは、昨日の出来事が嗚咽とともに溢れ出した。「あなたの準備不足だよ」と言われる覚悟をしていた。だが彼女は「桃ちゃんにそんなこと言うなんて酷い!」「桃ちゃんはすごく頑張ってるよ、えらいえらい」と頭を撫でてくれたのだ。先輩にも非があると言ってくれた。先輩を憎むことを、彼女は許してくれた。そのことに私は、これ以上ないほど救われた。帰り道の途中、橋から下を覗き込んで「もう無理になったら飛び降りてしまおう」と考えていた私が、この子がいるなら生きていけると思えたのだった。
 とはいえ、幼い頃から積み上げてきた価値観が、そう簡単に変わるはずもない。今だって私は傷つけられた時真っ先に、悪いのは自分だと思ってしまう。私さえいなければ、あの人も加害者にならなくて済んだのに、と。そんな時はなんとか、親友の言葉を思い出して踏みとどまっている。だが、もし自責の念が重荷になったら、私の貧弱な足ではその重荷を抱えきれず、今度こそ橋の下へ落ちてしまうかもしれない。
 だから、「憎んでも何も解決しない」と言う人に伝えたい。どうか、どうか、「憎む」権利まで奪わないで。あなたのそばにも、私のような人がいるかもしれないから。そしてあなたのそばにいる人もいつか、「憎む」ことが命綱になるかもしれないのだから。橋から体が投げ出されても、川に落ちないよう繋ぎ止めてくれる、命綱に。
 
 
 
小松崎陽菜 春日部共栄高等学校2学年
なにも変わらないよ
最近、私の耳に衝撃的なニュースが飛び込んできた。それは、父から言われたことだった。
「俺、左耳一切聞こえないんだよね…」
今思えば、確かに何回も聞き返したりしてくることがあったし、話す声がいつも大きめだな、と感じることはたくさんあった。しかし、今まで17年間も一緒に過ごしてきたはずなのに、一度もそんなふうに考えたことはなかった。小さい頃に患ったおたふくかぜが耳にまで広がり、聞こえなくなってしまったのだそう。父に言われて、よくよく考えてみればそうだな、と思ったのが、イヤホンはいつも右にしかつけていなかったし、ご飯を食べるときの座席や外出時のお店の座席なども、右耳を内側にして座っていた。でも、それ以外は他の人と全く変わらない様子で仕事もしているし、日常生活も送っている。このまま父から告げられなければ、死ぬまで気づくことはなかっただろう。
 父はこのことを知っているのは、今は父の両親と母だけだと言っていた。それは昔、左耳が聞こえなくなりたての頃、学校に相談したり、クラスメイトや友人に打ち明けたりしたら、変に心配されたり、気を使われたりしたのがすごく嫌だったし、申し訳なかったからだそうだ。だから、それ以降は会社の人にも、友人などにも誰にも打ち明けていないということだった。本当は私にも言うつもりはなく、そのまま墓場まで持って行くつもりだったそうだ。今の時代、目に見えない障害を持っていたり、私の父のように少し人と違ったりする部分があるということだけで、採用試験などで落とされてしまったり、差別されてしまったりすることがある。私は、それはおかしいと思う。なぜなら、障害を持っている人や少し人と違う部分があったりする人自身もそうなりたくてなったわけではないし、本当は打ち明けるのもすごく怖いことだと思うのに、もしなにかあったときに重要なことだと思うから勇気を出して覚悟を決めて言ってくれているのだと私は思うからだ。言わなければわからないし、他の人と全く変わらないようになんでもできる。それなのに、なぜ活動や行動を制限されなくてはいけないのだろう。だから、私はそのような人たちがいない社会を作りたい、そういう社会になってほしい。そのためには、一般の人が持っている障害者などに対する固定概念や偏見などをなくすことが大切であると思う。また、そのような人たちが働きやすい、暮らしやすい環境や空間を作ることも大切であると思う。そして、そのような固定概念や偏見がなくなって、今よりも受け入れられる人や会社が増え、障害を持っている人や少し人と違う部分がある人でもその人が働きたいように働ける、好きな職業につける、生きたいように生きれる、そんな社会が理想的であると思う。目に見えない障害を持っている人や、少し人と違う部分がある人を「誰ひとり取り残さない」素敵な社会になることを願って。
 
 
 
小川こすも札幌第一高等学校3年
カラフルな世界を楽しく生きるための私の言葉。
紡ぐ私の言葉。
私は持病がある訳でも、いじめられた経験がある訳でも、親しい人を亡くした訳でも、沢山の人達の前で語れるような特別な経験がある訳でもない。毎日毎日辛くて、早く解放されたいと光に手を伸ばす事だって。
でも、人よりちょっと繊細で、好奇心旺盛で、毎日を明るく楽しく生きていて、言葉を紡ぐことが好きな、そんなどこにでもいるようでどこにもいない私だからこそ、真っ直ぐに自分らしく飾らず語ることができると思う。
そんな私がこれから語るのは単純化されやすいこの窮屈で燻んだ色の世の中について。
あるニュースを見てとても驚いた。それはタイには18種類もの性があるという記事。タイは一人ひとりの個性を尊重していて、多様性に理解がある国だと言われているそう。男は男らしく、女は女らしくという風潮がまだまだ根に残っている国から見れば、非常に魅力的な国に思えるだろう。自分らしく生活ができる。それってとても素敵なこと。
皆さんはどう思うだろうか。
しかし、冷静に考えてみると、タイでは18種類の性を認めているのは確かに他の国よりも進んでいるかもしれないが、まだ取りこぼされている人達がいるということ。
では、どうしたら良いのだろうか。答え自体はとても簡単。分類しなければ良いだけだ。しかしこれには、大きな落とし穴がある。
ある日、私は男女兼用のセパレーツ型水着があるという記事を見た。出来るだけ肌の露出を減らす等、性の悩みをカバーできるアイデアが盛り込まれている水着。性を意識することなく、傷つく人を一切出さないというコンセプトから開発された物。つまり、性を隠せば解決するという考えが前提である。これが落とし穴の正体だと私は考える。私はこの考えには共感出来ない。好きな水着を着ても誰も傷つかないことが理想だと考えているから。かっこいい水着、可愛い水着、いや、自分が着たいものを着ても良い世の中が理想なのだ。
スカートを履きたい人男の子は女の子になりたい訳ではないし、ズボンの制服を着る女の子は女の子をやめたい訳ではない。『好き』と『性』は関連させられるものではないはずだろう。
以前、私が部活で大会のために制作したテレビドラマにて、スカートや可愛らしい物が好きなのを他の人には秘密にしている男の子の登場人物がいた。
沢山の感想をいただいた。予想以上に高校生達からは共感の声が多かった。
好きなものを曝け出すことは良い意味でも悪い意味でもその人のイメージを作ってしまう。私達はこのもの寂しさをどうする事もできず目を逸らしていると。
私がふと目を止めたのは、審査員からの講評シート。
作品のテーマをメモする枠の中に『ジェンダー』と書かれていた。
その時、私は溜め息と共に希望を口から溢した。
男の子がスカートを履いていたら、「『そういう』人なんだ」と自分の中でその人をわかった気になって、受け入れると言いながら関わらないように目を逸らす。「服飾系の人なのだろうか」と普通の人なら好きにならない、業界の人や専門的な人なら納得できるとなんとか納得しようと枠に押し付ける。そのような人達は実際多いのではないか?
それらの行動は多様性を認めている気になっているが、より偏見を固めているだけのようにしか思えない。なんて凝り固まった根なのだろう。
現代の世の中は良い意味でも悪い意味でも人に干渉されやすいししやすい。
だからこそ、あえて他人に対して『無関心』になる必要があるはずだ。
枠に当てはめたがるのも、誹謗中傷も、他人に関与したがりすぎてはいないか?
自分のコメントで相手が変わって欲しいだとか。そんな心の奥にある考えは捨てて、相手は相手で自分は自分と考える。自分の思い通りに相手を変えたいなんてそんな考え烏滸がましい。
今までの話から私が伝えたいのは誰ひとり取り残さない社会にするためには、カテゴリーや分類を壊すことが必要であるということと、人に干渉しやすくされやすい時代だからこそ他人に対して『あえて無関心』になることが大事であるということ。
LGBTQ+などの括りや名称自体ナンセンスなんだと常々感じる。
高齢者だから席を譲る?障がいのある人だから助ける?
そんなの本当のバリアを無くす方法??
私はそうは思わない。本当の心のバリアは無くなっていないからだ。
誰にでも困ってそうな人には声をかける。どんな人でも助けられる世の中が1番の平和な世界だと思う。
今すぐ誰もが多様性を認め合う平和な未来を作られる訳ではないし、こんな私の言葉で他人を変えられるなんて思えないけれど。
でも、この私の価値観が誰ひとり取り残さない社会に繋がるのではないか?この言葉を受け取った誰かがカラフルな世界を楽しく生きられるのなら。そのための小さな小さな欠片になってくれたらいいな、なんて小さな希望を抱いて。
 
 
 
小田島杏樹宮城大学2年
私の中にあなたの価値があり、あなたの中に私の価値がある
 私は彼女の病名を知りません。私が彼女について知っていることは、彼女は体を動かすことが難しく言葉もうまく出せず、でもちょっといたずら好きで年頃の、おしゃれが好きな女の子だということです。
 私は現在大学2年生、もうすぐ20歳になります。この彼女というのは私がボランティアをしているNPO法人UBUNTUと呼ばれる福祉事業所を利用する21歳の女の子のことです。UBUNTUは重症心身障害児と呼ばれる重い障害を持った子がケアを受けながら学校帰りや休日に過ごす施設です。それまでは放課後デイサービスという施設の特性もあり小学生や中学生の子といった自分より年下の子と関わってきました。いい意味でも悪い意味でもそれまでは「遊んであげていた」という気持ちが大きかったように感じます。そんな気持ちでボランティアをしていた今年の春、彼女と初めて出会いました。彼女は休日に移動支援という形でこの施設を利用しています。21歳の彼女は私と年が1つしか変わらないどころか年上です。前述したとおりそれまで年下の子としか関わってこなかったため、初対面は緊張しつつも非常に背筋が伸びる思いでした。初めはお互いに緊張もあり手探りでしたが関わるうちに彼女のやりたいこと、したいことが分かるようになってきました。
ある日、私たちが外を散歩していると、公園にブランコがあるのを見つけました。彼女は声を上げ、「乗りたい」という気持ちを一生懸命にアピールしていましたが、私は「彼女には難しいだろう」と思い、「また今度ね」と軽く返してしまいました。私のその言葉で、彼女がしたいことに対する機会を奪っていたのです。しかし、私の様子に気づいた他のスタッフの方が「ブランコしたいならすればいい」と言い、彼女がどうすれば安全にブランコを楽しめるかを一緒に考えてくれました。そして、私の膝の上に彼女を乗せ、支えながらブランコを漕ぐ方法を取ることにしたのです。彼女が嬉しそうに揺れるブランコを楽しんでいる姿を見て、私は偏見が無意識のうちに彼女の可能性を狭めていたことに気づき、ぞっとしました。「できないだろう」という勝手な決めつけが、彼女の望みや挑戦の機会を制限してしまっていたのです。この経験を通じて、どんな人も「やりたいこと」を追求するチャンスがあり、それを支えることが私の役目だと痛感しました。それ以来、私たちはプールに行ったり、誕生日プレゼントを一緒に選んだり、食べたいご飯をシェアしたりと、まるで同世代の友人のように時間を共有するようになりました。彼女が持つ個性や楽しみ方を大切にすることで、障害の有無や年齢に関わらず「一人の人間」として互いに尊重し合える関係が築けると実感しています。確かに彼女は体をうまく動かすことが出来ませんが、わずかに動く腕で絵を描いたり蕎麦を打ったりしたことだってあります。おしゃれが好きで服屋の前を通ると中に入ってみたいと声を使って教えてくれます。彼女が一人の人間として持っている個性や好み、魅力に気づき、病名や障害を超えた人間性を認識しました。そして彼女との交流を通してそれまでの「遊んであげていた」という気持ちが、「一緒に過ごす」という対等な関係に変わっていきました。
 このボランティアは親の反対も受けました。障害者は何が起こるかわからない、危険だからそんなことわざわざするんじゃないと言われたこともあります。それでも私は彼女たちと関わりたい。一人の人間として関わりたいのです。人が病名やレッテルに捉われず、ありのままで認められる社会には、多くの挑戦が必要だということは自分の経験からも十分理解しています。しかし、それぞれの価値が繋がり支え合うことで、一歩ずつ理想に近づけると信じています。
 私は誰一人取り残さず同じ暮らしが出来る社会を作りたいと強く思います。障害のあるなしに関わらず誰もが自分のライフデザイナーであってほしいのです。今大学で専攻している建築学を通じてわたしのできる範囲で、誰もが快適に暮らせる、だれも取り残さない環境を作ることに貢献したいと思っています。
 最後にタイトルについて、このタイトルはUBUNTUの意味からきています。UBUNTUとは南アフリカで使われるズールー語で、日本語に訳すと「私の中にあなたの価値があり、あなたの中に私の価値がある」となります。この言葉が示すように、誰もが持つ独自の価値を尊重し合うことが、真に「誰も取り残さない」社会を築く第一歩なのではないでしょうか。私は、彼女との関わりを通じて障害の有無に関わらず一人ひとりが豊かな生活を送れる社会の実現が、SDGsの目指す未来と同じであることを実感しました。私自身も小さな一歩を踏み出し、一人ひとりの価値を大切にできる社会の実現に貢献していきたいと思います。
 
 
 
小野美侑里
社会不適合者
 「誰ひとり取り残さない」と考えている人が取り残しやすい人いうのはどういった人であろうかと考えたときに、私はわかりやすくカテゴライズされない人なのではないかと思った。「誰ひとり取り残さない」と宣言する人は決まって、本人は取り残される側になったことがない、そうなる可能性があるとも考えない人ばかりだからだ。取り残される人というのがどういった人間であるか実感しないため、「○○な人に配慮しよう」といったカテゴリーを増やしていく形を取る。
 私は自分が社会不適合者であると考えている。小学生、中学生の頃には、自分の住んでいる地域や通っている学校が合わないだけだと信じようとしていたが、進学したりアルバイトをしたりすることによって、私の希望は打ち砕かれることとなった。とうとう他人と面と向かうだけで涙が止まらなく、過呼吸になるようになり、私は社会から完全にドロップアウトした。精神科には通えているが、私は明確な病名や障害名といったものを持っていない。とはいえ私は何度も病院を変えながらも通院することができているからまだましで、受診しようという考えに至れていない人や、一度は病院に行ったもののそこで更なる絶望を味わった人も少なくないだろう。もちろん、病院に行けていなければ病気や障害のような肩書きがないので「誰一人」に引っかかりづらくなる。例えば私は女性であり、現在は若者という要素も持っているから「誰一人」になる可能性が少しは高いかもしれないが、何の診断も受けていない無職の中年男性だったらどうだろうか。
 そもそも社会はどこにも所属していない人を存在しているとも捉えない。実際このコンテストも、確認した限り応募資格は年齢のみであるにもかかわらず、必須の質問として所属先を問われた。性別は「回答しない」という選択肢があり「選考に影響しません」という注意書きまであったことを考えれば、やはり配慮の差を感じずにはいられない。ショックを受けながらも、私には「なし」と答えることしかできなかった。そしてこれは、私が配慮を得られたところで、今度は別のところで別の人が同じものを見るだけである。私はそれを望まない。私はただ「○○な人に配慮しよう」ということの無益さを訴えたい。
 すべての人に幸あれ。
 
 
 
松岡芽歩 郁文館中学校 2年
1とはなにか。
今、全員で手は繋げていますか?全員で手を繋ぎながら1歩踏みだして見ればきっと勇気もつくはず。
小さい時手を繋いだことはありますか。手を繋げば、みんながいれば、勇気を持って新しいことに挑戦できたのでは無いでしょうか。
相手からの心の中での応援や、その場での支え合う行動があって挑戦出来たこともあると思います。
そこの場で何か1つ欠けていませんでしたか。1人欠けていませんでしたか。
そこにいる仲間を集めて輪を作る時も、グループを作る時も1人欠けていませんでしたか?
挑戦するには本当に勇気が必要だと思います。その勇気は仲間から貰うこともあると思います。仲間全員から応援されると強い勇気が出ます。
全員から。そう、1人残していたら強い勇気は出ないのです。1つ、1人、1パーセントなどの1というのを絶対に忘れずに。1というのは重要なものでもあるのです。
 
 
 
森本翔大 岡山大学3回生
「この世の中は興味を持たれない人が取り残される」
私が今回提言させていただくのは、この世の中で最も取り残されているのは「興味を持たれない人」である、ということです。
皆様は日々さまざまなSDGs活動やボランティア活動に取り組まれているかもしれません。しかし、皆様の中で「文字の読み書きができない人」がどれほどいると考えるでしょうか?日本の識字率はほぼ100%とされていますが、果たしてそれは本当でしょうか?
少なくとも私が知る限り、文字の読み書きができない方は確実に存在します。例えば、利き手を怪我して書けない方が他者に代筆を依頼したり、書類を塗りつぶして対処しているケースもあります。また、文部科学省の統計では、令和3年度に長期欠席(通算30日以上)している小学生は約18万人に上ります。全員が十分な学習機会を得られているとは言えません。
さらに、ユニセフの「世界子ども白書2021」によれば、日本の識字率は具体的に調査されていません。にもかかわらず、「日本の識字率はほぼ100%」と信じられています。ですが、実際には文字の読み書きができない方々は、その事実を隠し、外に出ることを避けたり、他者に助けを求めることが難しい状況に置かれています。
同様に、精神疾患や生活保護受給者もまた、社会の関心を十分に受けられていない人々です。日本の精神疾患患者数は約615万人とされ、これは岡山県の人口の約3倍に相当します。さらに、精神疾患による経済損失は約11.2兆円(順天堂大学調査)に上ります。興味を持たれているのであれば、少しでも増加に歯止めがかかっていたり、SNS上で多くの議論がされているはずです。
では、なぜ「興味を持たれない人」が増え続けるのでしょうか?
これらの問題の共通点は、その人たちが「声を上げられない」こと、そして「社会の多くの人が興味を持たない」ことです。声が届かない、知られていない人々は、自然と社会の中で取り残されてしまいます。
であるならば、どうすれば「取り残される人」を減らせるのでしょうか?
声をあげてもらうことはすごく難しくて、その人のプライドを傷つけてしまう可能性が非常に高いです。なので、解決策の一つは、今まで興味を持たなかった多くの人をボランティア活動に巻き込み、こちら側から声を上げることです。ボランティア活動に参加する人が増えることで、その周囲の人々にも活動が広がり、支援を必要としている人々へのアプローチが可能になります。一人一人の小さな行動が、大きな力となるのです。
しかし、ここには課題もあります。ボランティアへの参加ハードルの高さです。特に学生の場合、「ボランティアをしたいが、アルバイトをして生活費を稼がなければならない」という声をよく耳にします。この課題に対し、私が開催するボランティアでは、参加者に金銭や食料を提供するなど、負担を軽減する取り組みを行っています。「ボランティアに金銭が絡むのは良くない」との意見もありますが、それだけでは解決できない現実もあります。
声を上げられずに取り残されている人が、この世の中には多く存在します。その人々と関わるためには、私たちが率先して多くのボランティアを巻き込み、支援の輪を広げることが必要です。そのために、興味を持ち、行動し、周りを巻き込んでいくことで、「人助けをする・人に助けてもらうのが恥ずかしくない世の中」を作り、一緒にこの問題に立ち向かいませんか?
 
 
 
須藤榮美 クラーク記念国際高等学校2年
セーフティをぜんいんに
身体と頭脳をガリガリと削りながら駆け抜けた高校受験が終わり、高校一年生の夏にうつ病を発症した。動くことすら出来なかったし、お風呂なんて入れなかった。食事も睡眠も全てができなくなり、大好きだった音楽や読書さえ受け付けることができなくなった。完全に人間としての大切なものを失ってしまったような気がした。睡眠薬で眠り効かない抗うつ剤で精神をコントロールすることの必要性や、自分自身が何かに蝕まれていったのか、自分自身がすべてを蝕んでいったのかさえ区別できなかった。思考は停止し、夜明けが来るたびに号泣した。世界に溢れるちょっとした物事にさえもひどく打ちのめされたし、“女子高校生”という世間では“人生の最盛期”というレッテルを貼られる時期に自分は何をしているのだろうと、ただでさえなかった自尊心や自己肯定感はマイナスになった。失ったものを嘆くことは前進しないよ!と言われようと、周りとの比較ですべてが極端に決まるこの時期に普通のレールを外れてしまったわたしは、社会で“とりのこされた“側になった。義務教育を過ぎた以上は誰かに救って欲しいと思っても無条件にされる救済は存在しないし、自分の窮状から救ってくれるなにかがいないかと無意識に期待してはそんなものはないという事実に打ちのめされてまた苦しくなる。『重いうつ病になってますね』緑色の病室で言われたあの言葉から早くも一年半が経った。毎週精神病院に通い投薬治療を続けてきたからか、周りからは“そろそろなおるかもね” “よくなってきたね” と言われる。そりゃそうだ、世間一般がかかる身体的な病気であれば一年半治療を続けていたら治るんだから。だけれどーごめんなさい。これは周りに対してでもあり将来の自分に対する謝罪でもあるけれど、全く治る気配はないんだ。診断初期のように衝動的な症状は減った-というよりも、単純に周りに“みせなくなった”だけなのかもしれない。衣服で隠れるところに増えていく傷や、涙が自然に出てくる生活の積み重なりの上、精神疾患を抱えたことでうまれたものは人生に対する諦観であり、それは重なって絶望として今日も私のハートを虫歯の悪魔みたいな見た目をしてかりかりと削っている。
『誰1人取り残さない』そんな社会はそもそも社会として成り立たないのかもしれない。だけれど、ひとりひとりに寄り添えるような社会は目指せるものなんじゃないかと思うし、そんな社会はあってほしいなと私も望んでいる。寄り添えることができるやさしさをみんなが持てるような社会―SDGsの3つめには『すべてのひとに健康と福祉を』とあるが、まさにそれは取り残された私がいちばん大事なものなんじゃないかと身をもって実感した。実際にあのときに精神科にかかれずに薬が貰えなかったらどうなっていたんだろうと今でも思うし、簡単に絶望がやってくる世界でそのようにセーフティネットとなるものがあることは何よりも大切なんじゃないかと思う。助けを自分で求めることができないことだってあるのだから、もちろん病院だけでなくひとびとも互いに助け合えるようになったらよいと思うし、それが叶えられるためには全員がある程度の心の余裕を持っていなくてはいけない。誰1人取り残さない社会を、助け合える社会とイコールで結びつけるのならば、みんなが手をすくいあえるような余裕を持てる土台を築き上げることがまずわたしたちにできることなのではないだろうか。
 
 
 
西森志帆 関西大学高等部 3年
「孤独」に響く「聞こえないうた」
 目覚めたその瞬間に、「取り残されている」と感じる朝がある。友人はいるし、家族内にも確かな愛を感じるのに、なぜか気分は重い。そんな日は、大抵雨が降っている。友人同士で遊びに行ったという写真付きのSNSや、通知の一切来ていない連絡ツールを見て寂しいから?雨で普段の自転車通学ではなくバス通学になって面倒だから?雨の中、バス停に向かう私の足取りは、気分と共に重くなる。
 バスの車内で、イヤホンをしながら必ず聞く曲がある。「青春の光と影」、健聴者である私の、聴覚障がいへの意識を大きく変えてくれた映画の挿入歌だ。映画のためにアレンジされており、サビ部分の抑揚がたまらなく好きで、天気の良い晴れやかな日や雨上がりにぴったりの曲だと感じるのだが、私は雨の日のバスの中で登校中に聞くことが多い。それは、今感じている孤独と、「映画を見た日に強く感じた孤独」を重ねるため、という意味合いが強い。この曲を聴いていると、自分とは違うベクトルで孤独を感じる障がい者に寄り添う思いやりを育むことができる気がする。自転車を押していることや断られることへの恐怖心を理由に、困っている様子の障がい者を看過し後悔しがちな私は、「手ぶらで歩く雨の日にこそ」とバスの中でひとり、自分に勇気を注入している。すると少し孤独が紛れ、人に優しくなれる。
 先述の映画体験は、高校の卒業研究で、テーマパークにおける聴覚障がい者に向けたアシスタントグッズの開発及び導入を提案したことに起因する。研究を通して聴覚障がいという言葉に敏感になっていた私は、自宅で録画していた、件の映画を視聴した。CODA(聴覚障がいをもつ親と暮らす、健聴者の子ども)の主人公が歌に出会い、家業の漁と音楽の両立、家族との関わり方に葛藤しながら音大受験を目指す物語は、主人公と私の年齢が近いこともありとても感情移入しやすく、側にいる親友のような気持ちで、夢に向かう主人公を応援していた。漁と音大受験対策の両立が厳しくなり、家族に、音大受験を諦めて、健聴者の同乗が必須となる漁を手伝って欲しいと言われる場面や、お母さんが主人公に「(主人公の)耳が聞こえないことを願っていた」と伝える場面では、CODAに課せられた、親と健聴者の間に立つ通訳という宿命のやるせなさや、聴覚障がい者の感じる健聴者との間の大きな隔たりを痛感した。両親が主人公の歌の発表会を聴きに来る場面では、お父さん目線のカメラワークと共に映画が無音になる。周りの人は主人公の歌声に微笑んだり頷いたりしているのに、一番娘の歌声を聞きたい親の自分たちは聞くことができず、周りに合わせて拍手を送ることしかできない。その孤独と確かな諦念が顔に表れていた。のちにお父さんは娘の夢を理解及び応援するため、主人公の喉に手を当て、振動で音楽を感じようとする。最後に、主人公は音大受験の歌唱の場で、応援に来た家族に音楽を届けるために歌いながら歌詞を手話に訳す。旋律は聞こえなくとも歌詞を理解する家族の笑顔が、主人公を合格に導いた。それまで保守的で健聴者との関わりを最低限にしていた家族も、主人公の音大進学による寮生活への移行を契機として健聴者のコミュニティへ一歩踏み出すことに成功する。
 私は、自分自身の孤独と映画の登場人物の孤独を意識してみて、「取り残さない」ということは「取り残しをなくす」ことではないと考えた。孤独を感じる私が友人の大切さを謳う歌を聞いても心に刺さらないように、障がい者の抱えるディスアビリティを克服するアイテムの導入提案というのは一時的な解決に過ぎず、根本的な「取り残された」事実は拭いきれない。本当に「取り残さない」を実現したいなら、最初からそのサービスを導入すべきなのだから。私が卒業研究で訴えたことは当事者たちの思いを考慮できていなかった。自分も孤独を感じるくせに。そんな自責の念と同時に、「取り残し」を「生じさせない」環境づくりが必要になることを強く感じた。「障がいがあって可哀想、助けてあげよう」ではなく、「困っている人がいる、助けよう」という障がいの有無を問わない能動的な動きが求められる。今の私はバスの中で音楽を聴くことで勇気を出しているが、近い将来は、音楽を聞かずとも、自転車を押していようがお構いなしに手を差し伸べられる人間になっていたいと願う。しかしそれは健常者だけが努力するべき事案ではない。映画の最後のように、「孤独を感じている人」側も受け入れて欲しい他者に積極的に接近していくことが重要である。健常者と障がい者がこれまでに築いてしまった心理的な大きな隔たりは絶対的なものと思われがちだが、どちらかが一方的に近づくのではなく、お互いが歩み寄っていくことにより打破できる。こうして、「取り残さない」は手と手を繋いだ障がい者と健常者の笑顔と共に実現すると考える。
 
 
 
西村心優 都立深川高校2年
人は見た目が0割
 私は「誰ひとり取り残さない」社会をつくるためには、人を見た目で判断するこの固定的な考え方を変えていく必要があると考える。私たちは髪型や顔、体格、声、仕草など様々な『第一印象』をその人の性格に落とし込んでいく傾向がある。現代の若年層は特に、SNSの使い方や流れてくる情報などからその人に対して勝手に好意や嫌悪を持っている。実際に私もそうである。初対面の人に固定的な印象を当てはめ、話してもないのにその人はこうだと決めつけてしまう。例えば、眼鏡をつけている生徒は真面目だ、金髪で制服を着崩す生徒は不真面目だ、などと見た目だけで判断された印象付けがされがちである。
 小学二年生の頃から視力が低下し眼鏡を日常的に着用していた私は、小学生の頃からきついイメージを持たれがちだった。仲が深まった子には必ずと言っていいほど『意外と』話しやすいねと言われていた。どうしてこんなに『意外と』という言葉がつくのか、小学生の頃の私は疑問だった。本当の私は、話したり遊んだりすることが大好きで、年度初めにある自己紹介でも、明るく元気な印象を持ってもらえるように話しているつもりだった。この違和感に気付いたのは中学生の時で、この頃一番仲が良かったのは温厚で優しい女の子だった。彼女の家に遊びに行った時、小学校の卒業アルバムを見せてもらって私は驚いた。今とは大きく印象の違う、短い髪で元気いっぱいのスポーティな女の子がいた。私が彼女に対してもっていた『温厚で優しい女の子』という印象は、現在の彼女の長い髪や、教室でよく本を読んでいる彼女の姿をよく見かけることから持ったものだった。私は無意識のうちに見た目で彼女のことを判断してしまっていた。
また、私は高校生になってコンタクトを着用しはじめたが、アルバイトで接客する際に、以前よりも声を掛けられることが多くなった。仲のいい友人にも眼鏡をかけていたときは『真面目』という印象が強かったと言われたことがある。
私が小学生の頃に気付いた違和感を感じたことがある人は、そう少なくないのではないだろうか。『人は見た目が九割』という言葉があるように、その人を自分の持つ型に当てはめ、好き嫌いを判断してしまう。このような現状を変える努力が、誰ひとり取り残さない未来には必要であると考える。逆に、見た目がわからない状態で同性愛者だと言われたら、どんな見た目を想像するだろうか。私たちは見た目では判断できないその人の中身があるということを忘れている。多様性が認められる社会で、私も私以外の人も勝手に疎外されないために固定的な概念をなくし、『人は見た目が0割、中身が十割』の社会への移行が求められていると私は考える。
 
 
 
西尾真央  大阪女学院高校2年
取り残される前に、声をあげよう
「テストだるっ」
「まじで鬱」
テスト週間の朝、私の前を歩く同じ学校の生徒がそう言っていた。
私たち高校生は、これからたくさんの未来が広がっていて、「取り残される」ということとは無縁に見える。しかし、実際には私含む高校生たちは、「取り残される」ことのないように毎日必死に戦っている。SNSにはキラキラした写真を載せて、自分はかわいそうじゃないんだということを認めてもらわないといけない。中学、高校、大学のルートから零れ落ちないように、とくに学びたいことがあるわけじゃないけど、とりあえず勉強して、受験する。少しでも目立った行動をすると、すぐに非難されるから、気を付けないといけない。
私たちは、少し気が緩むとすぐに落ちてしまう崖の上に立って生きている。
このエッセイコンテストを知った時、取り残されるのは、どんな人だろうかと思った。高齢者、障がいのある人、外国人労働者、LGBTQの方々、戦争に巻き込まれた人々。反対に、高校生の私は「取り残さない」ようにしなければいけない側だと思った。学校でそうした人々がいるんだよと教えられた時も、「大変やなぁ」と思っただけだった。私も周りの友達も、そうした人たちを取り残そうなんて思っていない。それなのに、なぜ私たちはこうした人々を取り残してしまうのだろうかと考えた。私がたどり着いた答えは、私たちは自分自身が取り残されないことに精いっぱいだということだ。それで他の人たちのことを考えられない。誰かが取り残されていることに気づかない。気づけない。
崖の上にいる人は他の崖の上にいる人を助けられない。
むしろ、高校生の私たちは「取り残されている」ことに気づかれにくい分、厄介だと思う。
高校1年生の時の私は、毎日学校に通うことができて、友達もいて、楽しく暮らしているように見えていたと思う。でも、実際は、友達の輪から外れてしまうことをとても恐れていた。友達と3人で帰る時に、2人で話が盛り上がっていると、心の中で「どうしよう、」と焦ったり。インスタグラムで友達が私抜きで遊んでいる写真を投稿しているのを見て、はぶかれているように感じた。実際にいじめを受けてはいないけど、いじめを受けないように自分を守ることで毎日大変だ。障がいを持っている人やLGBTQの人たちに比べたら規模は小さいかもしれない。でも、このつらさは何よりも恐ろしい。
幸せなことに、私のそばには相談できる人がいて、本があった。本には多彩な人がいた。本の登場人物には、私と同じように感じている人がいて、「省かれているように感じているのは私だけじゃないんだ」と思わせてくれた。本に救われた私も、文章で誰かの心を少しでも温めてあげたくてこのコンテストに応募した。
取り残される人を作らないために何ができるのか。それは、 独りだと感じているのはあなただけじゃないことを伝えることだ。そして、私が本を読んで共感したように、私たちはもっと辛いこと悲しいことを共感していいということ。もっと辛いって言っていいということ。私はこのエッセイを通して、1人でも多くの人に伝えたい。あなたはひとりじゃないと。
 
 
 
匿名 神奈川県立保健福祉大学 ヘルスイノベーション研究科 博士前期課程1年
「誰ひとり取り残さない」ために私が考えること
「誰ひとり取り残さない」私はいまいちこの意味がわかっていなかった。なんというかイメージがつきにくかったからだ。「取り残されるって、何に?」「例えば誰が取り残されるんだろう」そんな疑問が浮かんだ。インターネットで調べてみると「弱い立場の人間」が「社会」に取り残されることがあるとわかった。では、弱い立場とは具体的にどのような人を指すのか。コトバンクによると高齢者、障がい者、児童、女性、失業者、少数民族、難民、貧困層などが社会的弱者になりうるらしい。ふとそこで思ったことがある。私は社会的弱者になりうるため社会に取り残されるかもしれないということだ。
私はエーラスダンロス症候群という指定難病を患っている。エーラスダンロス症候群とは、遺伝子異常により身体の結合組織が脆くなるという疾患である。結合組織とは全身に存在するため、合併症も多く存在し、私の場合は関節が緩いために脱臼や靭帯損傷などを常に起こしている。私は22歳であるが、すでに脱臼を繰り返したことによる膝痛などに悩まされており、長距離を歩いたり走ったりすることは関節に負担がかかってしまうため避けている。
もしかしたら障がいがある私は社会から取り残されるかもしれない。例えば災害が起こった時。地震や豪雨、土砂崩れなどが起きた時、私の身体では早く走れないから逃げ遅れるかもしれない。実際に、日本財団ジャーナルによればNHKの調査では障がい者の死亡率は健常者の約2倍だという。取り残されるのは非常時だけのことではなく、普段の生活でも存在しうる。例えば私の場合は駅などで多くの人が階段を使う中でエレベーターは「若者なのに」と思われそうで使いづらいし、就職活動では通院に配慮のある会社でないと働くことは難しい。しかし最近ではノーマライゼーションやインクルージョンといった言葉が定着してきており、さまざまな配慮をしていただけるようになった。例えば災害時に関しては、防災介助士の資格が存在したり国は避難行動要支援者名簿の作成を行っている。また私は使用していないがヘルプマークの認識も進んでおり、目に見えない障がいを持つ若年者でもエレベーターの使用や優先席の使用などの理解をしていただけるようになってきている。就職活動においてもほとんどの企業で合理的配慮をしていただけるようになっていたり、障がい者雇用の場合通院休暇が存在する企業も多くなっている。まさに周りの助けによって取り残されずに生活できているのである。
社会的弱者の定義に戻ると、取り残されうる人は障がい者だけでなく、高齢者や児童、女性、失業者、少数民族、難民、貧困層など多岐にわたる。そこで女性に関して考えると人類の半分を占めるため世界の半分は社会的弱者になりうると考えられる。また、高齢化社会が進むなかで世界の高齢者人口はかなりの割合を示す。それに加えて児童や失業者などその他もろもろ考えると、多くの人々が「社会」に「取り残される」可能性があるということになる。むしろ「取り残される」可能性がない人の方が少ない。しかしほとんどの人々が自身が社会に「取り残される」可能性があるという認識は持っていないだろう。現に、私も「児童」や「女性」に該当しても認識はなかったし、「障がい者」に関しても病気が進行するまではあまり考えていなかった。ただ、社会に取り残される可能性のある私も、どこかで誰かに何かできることがあると思う。誰かとは、私と同じように社会に取り残される可能性のある人だけではなく、すべての人に対してだ。私はいま、さまざまな配慮や支援のおかげで生活できている。それをどこかで誰かに還元したい。つまり誰かに私が支えてもらっている分、誰かを支えたい。「誰ひとり取り残さない」ために。
参考文献
日本財団ジャーナル「みんなが大変なとき、より「助けて」と言えない障害者。誰も取り残さないための防災」https://www.nippon-foundation.or.jp/journal/2022/71241
コトバンク「社会的弱者」https://kotobank.jp/word/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E5%BC%B1%E8%80%85-671656#:~:text=%E3%81%97%E3%82%83%E3%81%8B%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%8D%25E2%2580%2590%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%8F,%E3%81%AA%E7%AB%8B%E5%A0%B4%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E4%BA%BA%25E3%2580%2582
 
 
 
石毛久瑠美 北海道教育大学附属函館中学校2年
私達の行動で「取り残している」のではないですか?
私の父は一型糖尿病です。一型糖尿病は、膵臓のインスリンを出す細胞が壊されてしまい、インスリンがほとんど出なくなることが多い病気です。血糖のコントロールによっては、合併症で失明したり、透析になったり、足を切断することになるかもしれない病気です。毎日インスリン注射やブドウ糖で血糖が高すぎたり、低すぎたりしないようにコントロールします。
 私は、一型糖尿病は社会が「取り残している」病気ではないかと思います。
 理由としてまず、一型糖尿病に対する誤解や偏見があります。糖尿病は、生活習慣が原因であるものもありますが、一型糖尿病は遺伝的要因やウイルス感染が引き金となって自己免疫異常が起こり発病すると考えられていて、本人の不摂生や生活習慣が原因ではありません。しかし、実際には「糖尿病=生活習慣病」というイメージで括られ、言葉にされているように感じます。そして、私は実体験としてそのような誤解を感じた、忘れられない出来事があります。
 小学校の給食で揚げパンが出たときのことでした。給食当番だった私は揚げパンを袋に入れ、お盆の上に乗せていきました。すると、ある子が突然、「こんなの食べたら糖尿病になっちゃう!」と言い、揚げパンを私に戻しました。意味がわからず私が呆然としていると、それに賛同するように「たしかに!糖尿病ってあれでしょ?なんか・・・甘いものとかいっぱい食べたらなるやつでしょ?」「俺、あげぱんあまり食べないよ。糖尿病になりたくないから。」「私もいらない」とみんなが言い始めたのです。その後、給食で揚げパンが出るたびに「糖尿病になるやつだから食べない」と言って、多くの人が残していました。私はこの時、友達が生活習慣が原因で発病したイメージで話していて悪気はないと分かっていましたが、家族が「甘いものをたくさん食べたせいで糖尿病になった」と言われているように感じてしまい、かなりショックを受けました。「それは違うんじゃない?」と言う勇気もありませんでした。また、糖尿病になった理由は一型でも二型でも人それぞれで、決して本人が悪いわけではない場合がたくさんあるので、時間が経っても何かが引っかかったような、心がもやもやしたままでした。 
 もう一つ、一型糖尿病は社会が「取り残している」と感じる理由があります。それは、一型糖尿病の治療費の公的助成を受けることができるのは20歳未満までで、以降は通常の保険診療になることです。
一型糖尿病は血糖測定器やインスリン注射など、お金がかかります。また、根本治療法がないため、生涯にわたって医療費を払う必要があります。しかし、20歳になると医療費の公的な支援制度が打ち切られます。経済的理由によって治療を控えることで、合併症のリスクも高まります。私は、この現状では負担を抱える患者や家族が我慢をしなくてはならないと思います。負担を軽減するための経済的な医療費の公的支援はもっと年齢の上限をのばすべきだと思います。
 一型糖尿病は外見では分からない人が多いです。しかし、病気は見える、見えないで辛さが変わるものではないと思います。公に見えなくても、生活の中で多くの負担がかかっています。
 このようなことから私は一型糖尿病は「取り残されている」のではなく、社会が「取り残している」のだと思います。「糖尿病は生活習慣病」というイメージだけで知ろうとしない、周りの情報を鵜呑みにする。それが連鎖して社会全体で繋がっていくことで、偏見や誤解が生まれるのではないですか。必要なのは「かわいそう」と哀れに思う気持ちではなく、協力してより良くしていこうという気持ちだと思います。私はまだ中学生で、社会に対する影響力はとても小さいかもしれませんが、自分の持つイメージや情報が正しいのかを疑うことをこれからも続けていきたいです。
  一型糖尿病に限らず、誰かの病気やプライベートなことを言葉にする時、あなたの言っている情報は、表現は本当に正しいですか。なんとなく見聞きしたことを話していませんか。その言葉で誰かを、誰かの大切な人を傷つけていませんか。
 一人の気持ちの変化が積み重なって社会が変わっていきます。一度、立ち止まって考えてみてください。
 
 
 
川口小夏 大分県立佐伯鶴城高等学校3年
これまでとこれからの私
 コンプレックスはありますか?現在では多くの人がコンプレックスを抱えているのではないかと思います。例えば自分の容姿や学歴に対するコンプレックス、自分と周りの人を比較したときに感じる劣等感など、どんな問題を抱えているのかは人それぞれです。
 私にはコンプレックスがあります。それは私自身が患っている病気のことです。
 私は生まれつきアトピー性皮膚炎を患っています。年齢とともに少しずつ改善している傾向にありますが、毎晩薬を塗ることや朝と夜に保湿をすることは欠かせません。もし薬を塗らなかったら全身に湿疹が広がってしまいます。小学生の頃は症状が今よりももっと酷く、「汚い」「気持ち悪い」「うつるからあっち行って」と言われることもありました。幸い私の家族や友人にそのような人はいませんでしたが投げかけられた心無い言葉は今でも胸に突き刺さり、トラウマになっています。中学生になってからは小学生の頃の経験もあったので肌を出さないように徹底し、体操服に着替えなければならない時は夏でもできるだけ長袖のジャージを着ていました。肌を見られなければ暑さを我慢することが苦ではなかったのです。またこの頃になると人からの視線がとても気になるようになり、私がアトピー患者であることにみんなが気づいたら馬鹿にされるのではないかという恐怖で学校に行くことが出来なくなってしまいました。私は塩素や直射日光で肌が痒くなり、蕁麻疹が発症することもあります。体育の授業でプールに入ったり、グラウンドで運動したりする時は休むことが多く、運動会では学校の許可を得て長袖のジャージを着ていたため、「羨ましい」「特別扱い」と陰で言われていたのを覚えています。しかし授業を休みたくて休んでいる訳でも、日焼けしたくないという理由でジャージを着ている訳でもありません。私にとっては好きな服を好きなタイミングで好きなように着ることの出来るみんなの方がよっぽど羨ましかったです。
 そもそもアトピー性皮膚炎という言葉を聞いたことがありますか?略されて言われることが多いため「アトピー」と言う方が耳馴染みがいいかもしれません。では、それが何かを知っていますか?ただ痒いだけじゃないの?と思っている人もいるかもしれませんがこれも歴とした「病気」です。アトピー性皮膚炎は、痒みのある湿疹を主な症状とした、良くなったり悪くなったりを繰り返す病気のことです。薬で炎症をしずめることで皮膚のバリア機能のさらなる低下を防ぐことはできますが完治させる治療法は今のところありません。厚生労働省の「患者調査」によると国内のアトピー性皮膚炎患者数は2020年時点で125万3000人に上ると報告されています。さらに中等症、重症のアトピー性皮膚炎患者2002人を対象にしたアンケートでは湿疹により自信を失い、生き方を制限されると答えた方が全体の36%、患者自身の生活の質を改善するための唯一の方法は症状を制御できる治療だと答えた方は全体の75%、湿疹が出ている間は日常的な活動を自粛していると答えた方は全体の86%という結果が出ています。
 私はアトピー性皮膚炎患者として生まれて18年が経ちましたが、未だにこの病気を受け入れることは出来ていません。この病気さえなければと思うことは数えきれないほどあります。だけれど私はこの身体で生きていくしかないのです。だから存在自体は否定しないでほしい。これが私の願いです。湿疹を見て「気持ち悪い」と思うのも、夏の暑い日に日陰でじっとしているのを見て「あの人だけ羨ましい」と思うのも、考え方や感じ方は人それぞれですからどんなふうに思ってもらっても構いませんし、病状を理解してくれとも、一緒になって悩んでくれとも言いません。ただ「そういう人もいるんだ」と一度受け止め、存在を認めてあげてください。そしてこれはアトピー性皮膚炎患者だけに言えることではありません。どんな人であってもその人のことを知ろうともせずに否定する行為は間違っています。私はこの病気を患ってよかったと思うことが1つだけあります。それは「自分がされて嫌なことは他の人にはしない」を身をもって感じることが出来たことです。幼い頃の私のように指をさされて冷たい言葉を言われ、陰で笑われている子がいたら、あなたならどうしますか。相手が喜んでくれる言葉を言ったり、安心させてあげられる言葉を選んだりすることは難しいですが、自分が相手の立場だったら何を言われ、何をされるのが嫌なのかはきっと想像できるはずです。
 これからの社会を担っていく私たちは、偏見や勝手な想像に囚われず、相手を受け止めることが最も重要だと私は考えます。今一度自分の言動を見直してみてください。全ての人が公平に生きられる社会のために。
 
 
 
前田結愛 神奈川大学2年
誰だって可能性にあふれている
私の夢は、ユニバーサルデザインの普及に携わることだ。ユニバーサルデザインとは、年齢や性別、障がいの有無、国籍、文化、言語などの違いにかかわらず、誰もが使いやすいものを作ることを目指すデザインである。私は、誰かが使えるものではなく、すべての人が使えるもの、誰かが使いやすいものではなく、すべての人が使いやすいものが増える社会を実現したいと考えている。そのきっかけとなったのは、私の弟の経験だ。
私の弟は知的障がいを持っており、小学校時代は特別支援学級で学んでいた。特別支援学級では一人ひとりに合わせた学習が行われ、弟は学校が楽しいと感じていたようだ。しかし、私は弟が普通学級の生徒からいじめられている場面を目撃した。ある日、「自分のことかっこいいと思ってる?」とからかわれた弟は、「かっこいいよ」と答えていたが、その言い方は仲良くするためのものではなく、明らかに馬鹿にした言い回しであった。弟自身はそれがいじめであることに気づいていなかったものの、私はそれを見て非常に胸が痛んだ。その時感じたのは、障がい者=変な人・自分たちとは違う人だと思っている人がいるということだ。この経験が、障がい者と健常者が同じ空間で同じものを使える環境づくりに対する関心を高め、ユニバーサルデザインの重要性に気づくきっかけとなった。
大学に進学後、私はNPOで親子支援のボランティア活動を始めた。ボランティアを行っている施設は、障がいの有無に関わらず、地域の中で共に育ち、共に生きることを目指しており、妊婦や就学前の子ども、その家族が自由に過ごせる場を提供している。子どもたちと触れ合う中で、私はいくつかの重要なことを学んだ。まず、子どもたちには性別に対する固定概念がないことに気づいた。男の子も女の子もおままごとや戦いごっこを楽しみ、お互いに無邪気に遊んでいる。私が思っていた「おままごとは女の子、戦いごっこは男の子」といった性別に基づく遊びの枠が、子どもたちの中ではすでに壊れていることを実感した。また、国籍に関係なく、子どもたちはすぐに仲良くなれることも学んだ。ある日、ナイジェリアから来た男の子が日本語をほとんど話せず、最初はコミュニケーションが取れなかった。バスケットボールを通じて一緒に遊ぶことで、言葉の壁を越えて心を通わせることができた。この経験から、言語や国籍の違いがあっても、共通の目的で一緒に楽しむことができるということを実感した。さらに、私は施設でのイベント企画にも関わり、障がいを持つ子どもたちを含む、誰でも参加できるイベントを考えた。当初、「誰でも参加できるイベント」を開くことは、年齢に差があり危険、また障がいがあると参加しづらいと考えてしまう親御さんもいるのではないかという懸念点があったが、工夫を凝らしてイベントを実現することができた。例えば、風船を使って遊ぶイベントでは、年齢別に風船の壁でスペースを区切るなどの配慮をし、障がいのある子どもたちも安心して参加できるようにした。このイベントは大成功を収め、子どもたちが性別や国籍に関係なく楽しく遊ぶ姿を見て、私は強く実感した。障がいがあるから、国籍が違うから、性別が異なるからといった理由で、楽しむ機会を奪われるべきではないということを。
私は、このボランティア活動を通じて、障がいを持つ子どもたちや異なる背景を持つ子どもたちが共に過ごすことの重要性を深く理解した。私たちは、子どもたちができること、できないことを勝手に決めつけてしまっているのかもしれない。子どもたちが自由に遊び、学び、共に過ごすことで、違いを受け入れ合い、理解し合う力が育まれるのだと感じた。そのために、ユニバーサルデザインの普及を行い、共に過ごせる機会を増やす必要がある。
私の就職活動が間もなく始まる。私はこれからもユニバーサルデザインを推進し、すべての人が平等に過ごせる社会を作るためにできることを見つけていきたいと考える。子どもたちが抱える可能性を広げ、すべての人が暮らしやすい社会を実現するために、私の経験と知識と子供たちに教えてもらったことを活かしていきたい。
 
 
 
太良優花 クラーク記念国際高等学校 高校2年生
孤独を受け入れる勇気
私には取り残された経験がある。それは、自身の不登校経験だ。学校という、社会の縮図ともいえる場を失うことで、自分は社会という枠組みから外れた人間なのだと感じていた。学校に行けない自分が大嫌いで堪らなくて、将来に対する希望も持てず、こんなにも苦しんでいるのはきっと自分だけではないかと孤独を感じる日々を過ごしていた。今回論じたいのは、この「孤独」についてである。
現代社会では、孤独は一般的に否定的なものとして捉えられ、解消すべき課題として扱われることが多い。孤独感を抱くことが個人の欠点や劣等性として見なされる。しかし、「孤独」は本当に解消すべき問題なのだろうか。私は、孤独は必ずしも否定的なものではないと考えている。 私たちは孤独を完全に克服することを目指すのではなく、孤独と向き合い、肯定的に受け入れる社会を目指していくべきなのではないだろうか。
不登校という経験を通じて、私は孤独と向き合う時間が多くあった。当初、孤独を否定的に捉え、自分の現状を責めるばかりだった。周囲に対しても、「こんなに辛いのにどうして周りはわかってくれないのだろう」と苛立ちすら覚えていたように思う。このような考え方のもとで、私はさらに自分の殻に閉じこもるようになり、孤独を深めていった。しかし、その後、私は孤独との向き合い方を大きく変える衝撃的な出会いをした。哲学者フリードリヒ・ニーチェの思想との出会いだ。不登校の期間、無気力な日々を過ごす中で偶然出会ったニーチェの言葉、「孤独を味わうことで、人は自分に厳しく、他人に優しくなれる。いずれにせよ、人格が磨かれる。」に深い衝撃を受けた。それまで孤独を単なる苦しみとしてしか捉えていなかった私の視点は、大きく変わった。この言葉を契機に、孤独を恐れるのではなく、むしろ主体的に味わうことが成長に繋がると考え、実践するようになった。その一環として、自らの抱える感情や行動を記録するための日記を始めた。最初は、漠然とした不満や焦燥感ばかりが記されていたが、次第に小さな成功体験や他者への気遣いの瞬間に意識を向けるようになった。現状の自分を受け入れ、理解を深めていくことで、内省の質も変化していった。
この経験から、孤独は克服すべき問題ではなく、受け入れ、自己を見つめ直すための大切な時間であると気づいた。そもそも、自分は他人にわかってもらえるという思い込み自体が傲慢であり苛立ちやすれ違いを引き起こし、さらなる孤独に繋がっていたのかもしれない。孤独を受け入れた先に成長があることを、私は自分の経験を持って実感した。
冒頭にも述べた通り現代社会では孤独は解消すべき問題として扱われている。つながりやコミュニティを重視する社会的価値観のもとで、孤独は何らかの問題を抱えているとみなされ、孤独を感じること自体が個人やその周囲の人々にとって恥ずかしいことだとされてきた。このような価値観のもとでは孤独を感じる人に対して「孤独は克服すべきもの」「孤独であることは問題である」というプレッシャーを与えてしまう。こういった社会の在り方は、孤独を抱える人にさらに大きな負担をかけているのではないだろうか。前述の通り私は、孤独と向き合い肯定的に受け入れる社会を実現していくことが今後この問題に対して重要であると考えている。孤独は、他者とのつながりを断つ「断絶」ではなく、自分自身と向き合い、新たな視点を得ることができる貴重な時間である。また、孤独を受け入れることで、他者と繋がる力や、自分をより深く理解する力が養われるのではないだろうか。こうした価値観を広めるためには、孤独に対する否定的なイメージを転換していく必要がある。
今回の小論文を通じて、孤独に対する新たな視点を提示し、孤独について改めて考えるきっかけを与えることができていたら嬉しい。孤独は人間にとって避けられない経験であると同時に、成長や変化をもたらす重要な要素でもある。この考えが広がることで、包摂的で理解ある社会の実現に繋がることを願っている。「孤独と向き合い前向きに受け入れる社会」は、すべての人が自分らしく生きることを可能にする、「誰ひとり取り残さない社会」の実現に向けた重要な一歩となるはずだ。
 
 
 
大阪美夏子長岡造形大学3年
ひとり、わたし。
「誰ひとり取り残さない」。わたしが目を向けることのできるひとり、はいるだろうか。
そしてふと、思う。
わたしだ。と。
日々、考えている。嫌われないように生きなければ。
たった21年の人生、この考え方のせいで何度不利益を被っている、と感じただろうか。不利益などと勝手で傲慢な考え方はよせ、とも思うのだが。それでも、それがよぎってもなお、この考えはわたしの頭をついて離れない。毎日、毎時間、毎秒。
都合の良い人間になるな、でも嫌われたくない。
この相反するふたりのわたしと生きているわたしが、わたしのいちばんよく知る、取り残されているひとり。
だから少し、わたしの話を綴る。
活発な子どもだった。それも女の子ながら、給食の余った揚げパンをじゃんけんで取り合うような。
しかし、この頃から何か周囲と違う、といった感覚を持っていたように思う。どこか話が合わない、周りの子たちと同じような遊び方を好んでできない。合わないと思いつつ、つつがない友人関係を続けた。同じようにたのしみ、盛り上がっているという気持ちで。
今でも連絡をとる、この頃からの大切な友人も多い。それでも、こんなに恵まれた環境でも、なにか言われぬ孤独感を感じていた。
中学に上がり、人の目を気にしはじめた。見知らぬ人から、姉と見目や能力を比較するような言葉を直接かけられる。
わたしは活発な自分に、疑問を持つようになった。目立ってしまえば、悪意や非難の対象となることが増えていくのではないだろうか。目立ちたくない、目立ってはいけない。
こう悲観的になってしまうと、全てに良い目が向けられなくなった。集団に自分が馴染んでいるという感覚が、薄れていく。この場にわたしがいなくとも惜しむ人は愚か、思い出してくれる人さえ限られるだろう。ああ、きっとわたしのことを好きな人なんて。
慎ましやかにせねば。そう思い高校に入学した。友人がたくさんできたことで、コミュニケーション能力を自分の良いところとして認めてあげることができた。
良い意味で特筆することがないような毎日が、穏やかでたのしかった。高校生活が人生でいちばんの宝物だ。ずっと付き合っていくのだろうという、だいすきな友人ができた。活発さから得たコミュニケーション能力は、わたしの強みだった。
実家を離れ、遠い地で一人暮らしをしながら大学に通っている。自分の武器のコミュニケーション能力で、多くの友人を作った。
周囲に偏見を、可笑しく吹聴された。嫌われないようにと声を上げない本当のわたしは届かず、その偏見が世間にとっての真実として確定していた。知らないところで飛び交う好奇の目、うわさ話。人生で初めて、防ぎようのない悪意に触れた。だが結局その場で盛り上がった話題に過ぎず、今でも覚えている人は少ないだろう。
だが、しかし。偏見がある人かもしれない、当時知らぬふりをしていた人かもしれない、というわたしの偏見の目は全ての人に向けられ、今でも怖いのだ。
まぁ。暗いことばかり考えていても意味はないし、本来はさっぱりした性格のわたしである。今では多くの日々をあっけらかんと、事なかれ主義で過ごしている。
友人も多く、成績も悪くない、日々が充実している。友人から言われることの多い、わたしの一面。もちろん、これもわたし。
でも、でもわたしは。トラウマになるほどの嫌なことの全てをこの身ひとつに抱えて、飲み込んで。嫌われたくないと、それでもたのしそうに暮らすことのできる、強くてがんばっているのがわたしなのだ。
「誰ひとり取り残さない」。結局誰も誰のことも知らなくて。わたしの話の全てに共感してもらえることも、わたしもしてあげることもできなくて。
きっと誰もが取り残されている。結局、誰も、誰のこともわからないのだ。
だからわたしは、わたしを取り残させないために、自分で自分を守る。理解して、共感して、優しくしてあげる。わたしだけはわたしにとっての、いちばんの良き理解者に。
わたしはわたしがだいすきで、それはがんばってきたことを知っているから。努力していることを知っているから。
たとえ取り残されていたとしても、わたしは伴走しているからね。
他の誰でもない、自分がだいすき。その思いといっしょに、これからもずっと。
誰ひとり取り残さないような社会、そんな理想的な社会ができたら願ってもいないけれど。
その一歩として世界中が、自分を愛おしく思えますように。
 
 
 
大川琉聖 慶應義塾大学法学部法律学科卒業 APパートナーズ勤務
どっちかを強めに踏んでごらん
人生には正解がないから人は迷う。
取り残される人がいる原因としては、世の中にあるこうあるべきだという考え方が取り残されている感覚を生むのだろう。しかし、こうあるべきだというだけなら、人はそれに近いか遠いかの話であって本当の意味で取り残されているわけではない。
そうではなく、その中でもまた別のこうあるべきだがあって、どちらにも行けない状況、アクセルとブレーキが同時にかかっているから本当の意味で「取り残され」、辛くなるのだと感じた。自分は高校の時の経験と就職活動の時の経験があったからそのアクセルとブレーキに気づけた。
自分が思い当たる「取り残され」の初めの経験は小学校だと思う。日常的によくある些細な瞬間である。話の話題についていけなかったのだ。それはよくあることだが、特に自分は普通よりそれが多いように感じた。それは、一人っ子や内向的な性格が大きかったと思う。
周りについていけないことはつらかったし、それはコンプレックスでもあった。でも、周りに無理して合わせるために流行りの話題に詳しくなろうとはしなかった。家では家でやりたいことがあったからだ。
ただその状態がピークに達して、高校生で、完全に周りについていけなくなった。しゃべりのレベルや興味を持つこと、頭の回転の速さに差が生じた。「完全についていけてない」と思ったのを覚えている。おそらく一般的に見ればたいしたことのないほんとに微々たる差だが、高校生ではその違和感がとても気持ち悪かった。そして、それは自分のせいだと感じ勝手に自己嫌悪に陥っていった。そして周りに合わせるようになった。ただ全くうまくいかなかったばかりか、さらにそんな周りに合わせることが嫌になり自己嫌悪が増していった。
どうしようか悩んだ後、振り切って自分が面白いと思うことや、自分が楽しいと思うことに正直になってみた。これは思いのほかうまくいったのである。これがアクセルを踏んでみた良い経験だった。
そして、ブレーキの原因が大学生の時の就職活動でわかった。自分は面白いことが好きになり、何か面白いことを発信できるような人になりたいと思った。ただ就職でももちろん流行りはある。自分は高校の経験もあったので、流行りには乗らないようにしようという感覚はあったのに、どうしても自分の就職先を決めあぐねた。どうして進まないのか考えて、苦しい中で、一つの結論にたどり着いた。
それは、就職をどうしたいかという結論は出でいたのに、親の目がとても気になっていたことで、自分が就職先を決めるのを先延ばしにしてことであった。親の目がブレーキになっていたのである。
その後、もちろん反対されることはわかっていたので色々な策を講じ納得してもらえるようにした。しかし、結局反対され続け、最終的には無理やり押し切って自分の生きたいところを押し通して就職した。
おそらく、高校時代につらかったのもついていけないことでなく、ついていかなくてはいけないこととなりそれでも、自分の好きな部分や大事にした部分は捨てられずに動けなくなってしまった。それは、きっと親に昔から、周りを見て行動しなさい、周りに合わせなさいということを言われ続けたからだろう。
自分の場合は、好きなことに正直になることがアクセルであり、親の目がブレーキだったが、人が悩む者にはいろんなアクセルとブレーキがあると思う。自分の場合、学生時代にそれに気づけたのはとても運が良かったと思っている。しかし、その一方でそれは問題でもある。大人になってもそのブレーキとアクセルに気づかないまま苦しんでいる人が多いであろうからである。
もちろん、学生時代はそのアクセルとブレーキがあることで、迷いが生じそこで考え抜いたからこそ今の自分があるともいえる。それでも、もっと早く気づけていたら高校生のときあそこまで自分を追い込まなくて済んだのではないかと思い、また、もっと自分の可能性に敏感になれたのではないかと思っている。
だから少しでもアクセルとブレーキどちらかを少し強めに踏ませてあげた、ブレーキの原因に気づかせたりしてくれる仕組みがあればいいと思う。一瞬だけでいいから何かを忘れて没頭できる環境を提供する、もしくは、一歩ブレーキをかけて立ち止まれる環境があることが大事だ。
それによって、アクセルとブレーキを同時に踏み続けて、体が引き裂かれるような苦しい思いをしている本当に取り残された人が少しでも減ればいいと思う。
 
 
 
大内陸豊 大分県立佐伯鶴城高等学校3年
地元の水を綺麗に
 「キャップ一杯でこんなに」私は、そう思った。私たちは近所の川の水質調査を行っていた。私の地元の川はとても綺麗で一級河川というものに指定されているらしい。それもあって、夏には多くの家族連れや中高生が遊びに来る。そのたびに思う、「ゴミがおおいなぁ」と。水質調査で分かったことは、川の綺麗さを表す指標のなかで1番綺麗だったということだ。私は少し嬉しくなった。地元の川がこんなにも綺麗なんだと。授業の最後に水の汚れやすさというのを知った。それはペットボトルキャップ一杯の清涼飲料水で多くの水が指標の最低まで綺麗さが落ちるものだった。「キャップ一杯でこんなに水が汚されるんだと」私は思った。時間が経ってから私はこの川がとても長く、市内までつながっていることを知った。市内まで出るのに自転車では遠く、あまり出ることがなかった。しかし、また別の日に市内の川の水質調査をするようになった。私はワクワクした。私の地元は上流の方だからきっと下の方も綺麗だと思ったからだ。しかし、結果は違った。1番下とまではいかなかったが、私の地元との綺麗さと比べると遥かに汚いものだった。なんでこんなにか差があるのか私は疑問に思った。講師の人に原因を聞いてみると「下流に行くほど人がま生活しているから生活排水などで汚れるんだ。」その時私はあまり何も思わなかった。私は水質汚染について調べた。高校に入ってからSDGSというものも詳しく習い始め、その関連を調べた。まず水質汚染を学ぶとどうSDGsに繋がっていくのかというのを調べた。水質汚染のことを調べると14番の海の豊かさを守ろうというのに繋がることがわかった。この14番は海の綺麗さや生態系を守ろうというものだ。今、水が汚れている原因の9割が生活排水だそうだ。それを調べることによりSDGsにつながっていくことがわかった。
 まず世界の水質汚染の原因はし3つある。一つ目は産業排水だ。産業排水とは、工場や農場などから排出される水であり、有害物質が含まれた産業排水が河川や湖沼に流れ出ることによって、水質汚染がおこるものだ。かつてのイタイイタイ病や水俣病が大きな話題となったが、すべて産業排水が原因だ。二つ目は生活排水。生活排水とは、台所やお風呂、トイレ、洗濯など日常生活ででる排水のことをさす。水の汚れの度合を表す指標に「BOD」というものがありるが、それは微生物が水の汚れを分解する際に使う酸素の量だ。これが高いと川や海の水に大きな負担がかかってしまうことになる。三つ目は地球温暖化である。水温が上昇することによって、植物プランクトンのと増殖や生態系の悪化などが起き、水質汚染の原因と考えられている。その他にも、海面上昇による地下水の塩水化や河川取水障害など、さまざまな要因が水質を変えてしまっている。世界ではいま、水質汚染によって毎年2億5000万人さ以上が水質汚染によって苦しんでいる。今1番苦しんでいるのはと発展途上国である。日本ではどうなのかというと、日本では高度経済成長期に産業排水が垂れ流しになり、イタイイタイ病や水俣病などの公害病が起こりました。しかし、その後の改善などで産業排水などの被害は大幅に減少し、いまや産業排水による被害はゼロに等しい。しかし、日本の水質汚染が止まらないのはあなぜなのか。それは生活排水にある。1990年から2015年まで国際社会共通の目標として掲げられていた「国連ミレニアム開発目標(MDGs)」では、安全な飲料水の継続的利用など、飲水に関する目標については概ね達成することができた。しかし、このMDGsでは排水処理・再利用に関する項目はなく、し尿や生活排水の大半は、現在も未処理のまま水域へ放流されていてこれにより、経済的損失も生じており、大きな社会問題となっている。伊勢湾を汚染する水の49.1%は生活排水である。
 今の日本の対策として、2つ挙げられる。1つ目として下水道の整備があげられる。意外にも、日本全国の下水道普及率は79.3%であり、残り20.7%の未整備地域では何も処理されないまま、生活排水が河川や海に垂れ流されている現状がある。下水道の普及している地域では、下水管の排水を綺麗にしてから河川や海に流す水再生センターも設置されている。これらを整備した下水道の普及率を1%でも押し上げることが、求めらる。2つ目は河川の水質浄化対策だ。例えば、水量が少なく汚濁した河川では、清浄な河川水や高度処理水を導入する浄化導水、や河床に堆積した底泥を除去する浚渫などが実施されてきた。これらにより、現在は河川の水質が改善傾向にある。今すぐにでも私たちができることは、揚げ物を調理した後に排水口に油を流さないことやシャンプーやリンスを適量使うなどの日常生活で気をつければすべて解決するものばかりだ。私たちは目では見えにくい環境というものを考え、感じながら生活をしていかなければならない。誰一人として見捨てては行けないのだ。
 
 
 
大北隼矢  中央大学附属中学校 2年
合言葉は「だいふく」
「おいふざけんな、地震のせいで、うちの近くの動物園からライオン放たれたんだが」
 二〇一六年の熊本地震直後、ツイッター上で、道路に立ちはだかるライオンの画像とともにこの投稿が二万人の手により瞬く間に拡散されていった。
 熊本の動物園には問い合わせが殺到したが、これは全くのウソで、デマを流した人はその後、逮捕された。
 また、二〇二四年の能登半島地震直後には、SNS上で救助を求めるデマが投稿され、四人に一人が拡散していったそうだ。
 被災者を装いデマを流した人はその後、逮捕されたが、この時、海外のずるい人までもが日本人のふりをして、他人の救助要請や過去の災害時の画像を拡散しては、閲覧数を伸ばし、荒稼ぎをしたという。
 人は、繰り返し接する情報を正しいと感じてしまう傾向がある。これを「真実性の錯覚」というそうだ。
 そして、うわさの研究によると、他者に伝達されやすいうわさは、「あいまいさ」と「不安」が大きいものだという。不安をかきたてる情報がうわさとして伝えられやすく、さらには、不安を感じやすい人や、不安を引きおこすような社会状況下でも広がりやすいそうだ。
 本来なら情報収集や安否確認の手段として役に立つはずのSNSだが、特に災害時には、いつも以上にデマが流れてくることを肝に銘じておかなければならない。
 災害時に情報取集をする場合は、地域の情報ならケーブルテレビやコミュニティーFMなど、広域の情報なら全国放送のテレビやラジオなどを使い、インターネットでは、行政や市町村の公式アカウントなど、信頼できる発信源の情報を中心に確認していこう。
 ある日の新聞に、とてもいいことが書いてあった。
 『そんな時は、「だいふく」と唱えよう』  
 だいふくとは、「だ……だれが行っているの?」、「い……いつ言ったの?」、「ふく……複数の情報を確かめよう」の頭文字でできた合言葉だ。
 インターネット上には、僕たちが想像している以上に、ウソがはびこっている。誰もが情報発信をできるようになった今だからこそ、普段から「だいふく」で発信源をしっかりと確認して、ウソを見抜き、正しい情報だけを選び取って、デマに惑わされないように心がけたい。
 最後に、自分が発信する場合は、たった一人がついた小さなウソが多くの人の運命を左右する可能性すらあることを、想像しながら言葉を選んでいきたい。
 僕たちがしっかりと自分たちで考えて、想像力や見る目を養っていかなければ、いつだって、誰だって取り残す側、取り残される側になりえることを肝に銘じよう。
 
 
 
但馬芽吹 私立日本航空高等学校3年
無知の知により築く包摂的社会
 「誰ひとり取り残さない社会」は、「他者の苦しみに心を寄せる包摂的な社会」と言い換えることができる。また、この社会を実現させるためには「無知の知」が必要だと考える。
 私は約17年前に、24週0日760gで出生した。現在は、超低出生体重児であるという個性を生かし、自身が代表を務める早産児サークルや、全国各地に存在するリトルベビーサークル、障がい児と医療的ケア児を支援する団体でのボランティア活動を行っている。日本では、毎年約10%の赤ちゃんが低出生体重児として生まれている。それにも関わらず、早産に対する社会的認知度が低いことや、重要な課題が周知されていない事実を目の当たりにした。
 自身の経験上の問題として、早産ゆえの不器用さを努力不足だと捉えられてしまう点が挙げられる。私は、小学校低学年の頃、微細運動能力の発達が遅れており、はさみや鉛筆をうまく使えないことがあった。その際、本来なら信頼できるはずの教師から、「やる気がないせいだ」「努力が足りない」と言われた。これにより、大きなショックを受け、自信を喪失してしまったのだ。このように、罪のない子どもを自らの無知により傷つけることがないよう、細心の注意を払うべきだと感じる。
 また、より多くの方が困難を抱える課題の一例として、超低出生体重児の母親の授乳と搾乳に関するものが挙げられる。この問題は、NPO法人penaの代表である坂上彩氏の提案により、参議院議員の佐々木さやか氏が2024年12月16日の予算委員会で取り上げたものである。搾乳とは、新生児が入院している場合に授乳を行うための手段だ。母乳には赤ちゃんを守るための免疫細胞や抗体が含まれるため、壊死性腸炎などの疾患を防ぐ上で重要とされる。搾乳時には、器具を置く机や電源が必要だが、通常の授乳室には存在しない。また、搾乳のために授乳室に入ると、赤ちゃんがいないのに何をするのかと不審に思われることもある。このような細かく、かつ重要な問題は、深い背景知識がないと気づくことすらできないのだ。
 社会に山積するさまざまな課題について、完璧な知識を手に入れることは不可能である。しかし、1つの問題について探求を続けることにより、探求を続ける上で重要な不知の自覚を持てるようになることも事実だ。また、不知の自覚の有無により、他者の苦しみに心を寄せる際の解像度が大きく異なる。つまり、真の意味で多様性を認めるためには、全ての人々が無知を知る必要があるのだ。
 今一度、「誰ひとり取り残さない」とはどういうことなのか、そのためには何をするべきなのか、社会全体で考える必要がある。
 
 
 
竹本彩紗 埼玉大学 教育学部1年
伝わらないことへの取り組み
 私たちは、知らないところで偏見を持っています。私も偏見を持っていると思います。逆に、私が偏見の目に晒されることもあったのかもしれません。
「人には偏見を理解し、受容し、変えていく力がある。偏見がない人はいない。」
 私は偏見に晒され、新たな壁を作る世の中に疑問を持ちます。お互いに違う痛みを持つのに、それをなぜ新たな痛みとして人に与えてしまうのでしょうか。そのことが何か解決につながるのでしょうか?
 私は教員になるための勉強をしています。小学生の時からずっと、学校の先生になることが目標でした。先生になることは一つの目標ですが、一番の夢は、誰もが自分らしく生きられる世界にすることです。
 学校はよく批判されます。厳しい、努力を否定されるような言葉であることも多いです。とても悔しいです。でも、私ができることから変えて見せます。非難を批判だと捉えて。
「非難がなければ、気づきは与えられないのか。」
 持続可能という前に、人は人をも攻撃します。生存するために社会を形成したのに、その社会は今、取り壊されそうになっています。「誰一人取り残さない」ことは、大きな行動、社会的な枠組みで達成されるものではありません。あなた自身が声なき声に耳を傾けてほしい。実は、本当はずっと声を上げていることに気づいてほしい。
 言葉がなければ、取り残されるかもしれない。文才のある、饒舌な、影響力のある人が言うことは聞くのに、わかりにくいことには目を向けない。
それって、誰も取り残していないと言えるのでしょうか。子どもの声に耳を傾けることはできても、話さない人には耳を傾けられないのでしょうか。
障害があり、コミュニケーションが取れない人がいます。私がバイトしている介護施設にも、コミュニケーションが取れない人がいます。でもそれって実は、コミュニケーションを取ろうとしていないだけかもしれません。
 世界は意外と、自分の思いをお互いに伝えられないものです。それでも、それぞれの考えや気持ちがあります。どうか、一面的な損益で片付けないでください。
 私の拙い文章の行間を、考えられるあなた。とても優しいのですね。正しく理解することよりも、あなたと分かり合えるように努力していく営みこそが「誰一人取り残さない」のかもしれません。あなたはどう考えますか?私は文章を書くことが苦手です。思考がとても散らかります。考えがシャボン玉のように、浮かんでは消えます。それでも、文章にしました。あなたに伝えたいからです。私一人ではまとまらないことも、あなたがいれば新たな結果を生み出すことができると信じています。
 
 
 
中村華 同志社大学 2年
取り残された子どもたちとの願い。
 大学2年生の時、週1回朝6時に起床し、小学校へ通う生活が始まった。生徒は6人。生徒の登校の有無に関わらず私は登校する。教職を担当する先生から学生ボランティアとして不登校の生徒と関わる機会をいただき、その中で喜びがあれば不安や困難もあった。初めは全く姿を表さなかった生徒が徐々に登校してくれたり、「先生がいる時だけ学校行く」と言ってくれたりした感動を日常の中でふと思い出すことがある。関われば関わるほど愛着は芽生えるもので、学業に追われていても朝が弱くても「絶対行こう」と思わせてくれるエネルギーをたくさん与えてくれる。
 しかし、彼ら彼女たちは「誰も残さない」がモットーのこの社会で、まさにとり残されてきた子どもたちである。AとBは発達障害を抱えている。Cは家族問題を抱えている。Dは性別問題を抱えている。Eは学習面に問題を抱えている。Fはいじめ問題を抱えている。様々な当たり前が乱雑する現代で取り残されていく子供たちが存在する事実を目の当たりにし衝撃を受けたとともに、子供達を紹介されて間もない頃は未知への恐怖から、正しい関わりができる自信がなかった。
 実際、学生ボランティアでの活動が始まってからの日々は想像を絶するほど悩みに悩まされた日々だった。生徒同士の喧嘩に対して校長と頭を下げに行ったことも、生きたくないと叫びながら小学校から生徒が飛び出して行った生徒を大泣きで抱きしめたこともあった。その度に自分と生徒を責め、数え切れないほど「ボランティアだし、もうやめよう」と思ったことがある。でも共感できる場面もたくさんあり、生徒を見放すことができなかった。
 小学生時代私自身も先天性障害(ADHDと学習障害)を抱えていて、生き続けたくないと何度も思ったことがある。癇癪で人を傷つけ暴れ出し、謝る両親を横で見ながら育ってきた。何時間残って勉強しても一切理解できず、自分は普通ではないと苦しんできた。そんな中で自分を支えてくれたのは「人の温かさ」だった。どれだけ自分が迷惑をかけて、手のかかる子供だったとしても周りの人は関わりを諦めようとはしなかった。だからこそ、子供達の気持ちは理解できるし無責任な「やめる」が疎外感を助長させてしまうとわかっていた。私は、困難はあれど向き合わなければならない、と使命感に燃えていた。問題は起きるものだと言い聞かせ、諦めないことをゴールに精進した。
 すると2学期を過ごした頃には、黒板に向いて座る6人のクラスがあった。生きづらさを抱える6人クラスの仮担任を発達障害を持つ大学生が行う。時々ぽろっと悩みを声にしてくれる子が増え、子供達に課された様々な「社会の当たり前」に阻害され苦しむ辛さを痛感した。「ねぇ先生、私・僕って邪魔なのかな」と話す生徒が2人いた。「邪魔じゃないよ」と子供達と関わる前は言っていただろう。でもそうではない。大人になると忘れてしまうが、子どもの頃はもっとセンシティブなはずである。だから邪魔ではない何かへネガティブな想像を膨らませてしまうよりはむしろ「大切だよ」と伝える方が適切だろう。些細なことでも、20年間の生涯を学生ボランティアを通して振り返ることができ、異なる生活環境で生きる人と関わりを諦めることは決してあってはいけないと再認識できた。未知は恐ろしい。でも、未知を脱却すればきっと見えなかった笑顔が見られると思う。
 私自身も確かに生きづらかった。でも、周りは暖かかった。障がいを忘れて生きれるほどに。今の私がいるのは紛れも無く社会の一員として周りの人々が受け入れてくれたからである。後ろを振り返って感じた時、どっと込み上げてくるものがあった。
 知らないものを諦めない、そんな人にあなたもなってほしい。
 それが私たち7人からの願いだ。
 
 
 
中村美空  法政大学国際高等学校3年
誰かを支える、誰にも支えられない私
「誰一人取り残さない」と聞いて世間が注目するのは障害のある人やジェンダー、貧困などだろう。しかし、私は本人だけでなくその家族も決して取り残されてはいけないと感じている。近年、障害や持病のある両親の介護をする「ヤングケアラー」が急激に増えている。放課後も友達と遊べない、学校から帰ったらすぐに介護、家計を支えるために空いた時間はアルバイト。中には学校に行かずに働いている学生もいれば、最初から友達をつくろうとしない学生もいる。これは社会からの孤独に繋がってしまう。SDGsの基本理念によると、誰もが社会活動や経済活動に参加する権利を持っているべきである。学校で学んだり遊んだりせずに、毎日介護をしているヤングケアラーは社会から取り残されてしまっているのではないだろうか。
 ヤングケアラーは珍しいというイメージを持っている人も少なくないだろう。しかし、厚生労働統計協会の調査によると、ヤングケアラーは約166,000人いるとされている。自分と同じ年の学生が今この瞬間も家族の世話をしていると考えると、とても胸が痛くなる。そして多くのヤングケアラーはその生活が当たり前になってしまい、自分がヤングケアラーだという自覚がない。気づかないうちに自分の人生よりも家族のことを優先するようになってしまう。自分がヤングケアラーだと自覚しないうちは、支援を求めることもなく、孤独に世話をする日々を過ごすことになる。
 私はヤングケアラーの人が自覚できるように交流と情報交換の場を設けることが重要だと思う。障害のある人への支援は政府も積極的に行なっているが、影で支えている家族の負担を減らすことも同じくらい大切である。一度、「もし自分がヤングケアラーの立場になったら」と考えてみてほしい。自分がいないと生活が難しいという人がそばにいたら、当然介護するだろうし、それは避けられないことだと思う。だからといって、それが宿命なんだ、とその現状を無視することもできない。自分しかいないという責任で、ヤングケアラーの人はこの生活が“普通”になってしまっているのだ。家族同士の交流の場を作って、少しでも自分がヤングケアラーだと自覚することができれば、そこから支援を求めることもできる。第一に支援のサービスを提供しても、自覚がなければそれを利用することもない。
 勉強、スポーツ、趣味。たとえヤングケアラーでも、自分の人生を自由に生きる権利はある。障害のある人へはバリアフリーの施設や政府の支援で国民全体の理解が深まっている。しかし、その周囲の人々にまで目を向けることはできていただろうか。私たちの知らないところで、障害のある家族や親戚が暮らしやすいように支えている人たちがいる。それも未成年で。彼らへの支援も必要である。障害のある人の家族だけに限らず、影で支えている人たちを決して見逃してはならない。彼らの苦しみあっての「誰一人取り残さない」社会では意味がない。改めて、本当にこの社会に「誰一人取り残されていないか」を考え直すべきである。(1251)
 
 
 
丁子奏花 東大谷高等学校3年
誰のための「取り残さない」か
 ふと、なんのために受験を頑張っているのだろうと考えた。自分は様々な知識の吸収は好きだが、別に特段学校の勉強が好きな訳では無い。というか、結果が伴って、それが他人と比較されるような、自分の劣等感を刺激するようなテストは嫌いだ。勉強とは本来自分の知識欲の思うがまま、やりたいことをやるものなのに、いつからかテストだの受験だので、はっきりと位付けをされるようになっていった。
 それなのに受験に固執して勉強を頑張る理由とはなんだろう。大学に行きたいからだろうか。独り立ちしたいからだろうか。でもそれはその場しのぎの、浅い理由だと思った。もっと根本の願いが、自分を受験に向かわせていると思った。そうして考えた結果、たどり着いた答えはというと、ただ単純に、「自分らしく、幸せでありたい」という、生きとし生けるものみんなが抱くようなそんな願いだと気がついたのだ。
  社会の、いわゆる「常識」の範囲外の存在。自分もそのうちの一人だと思うし、それに対して嫌悪感もない。それが「自分らしさ」だと思っているし、自分が自分であることは、自分を構成する重要なファクターで、自分が幸せであるための、譲れないものだからだ。だから、周りと違うからと言って、それを社会の「常識」に「矯正」しないでほしい。もちろん、自分の思想が誰かに理解されるとは思ってないし、別に共感を強制したいわけでもない。ただ、自分が自分であることを、自分自身が選んだ選択を否定する権利は、誰にもないと思っているだけだ。
 世界で生きる人が、同じ世界で生きる人達のために、幸せを願って、「誰ひとり取り残さない」を掲げるなら、なんて傲慢なんだと思った。「誰ひとり取り残さない」とは、なんて上から目線な発言だと思った。恵まれている人、取り残されてない人のわがままみたいな、エゴみたいなものだと思った。
 今を生きる自分が幸せに感じているなら、取り残されててもいいと思う。というのは自分個人の意見だが。でも実際、「社会から取り残されない」=「幸せ」なのだろうか。自分にはそうは思えない。幸せの基準は人それぞれだし、取り残されないために常識に「矯正」された人生は、本当に幸せと言えるのだろうか。自分は社会に取り残されないために、常識に「矯正」された人生は歩みたくない。そうしてまで生きるなんて、「自分」という存在は死んだも同然になってしまう。自分の人生において、自分が幸せになれない道を選びたいと思う人なんていないだろう。
 そもそも「誰ひとり取り残さない」なんて綺麗事だ。社会とは共同体でできている。人は大なり小なり共同体に属して生きている。
 自分が今いるこの学校だって共同体の一つだ。この強大な共同体を、クラスという単位で振り分け、その中、あるいは学年単位でいわゆる仲良しグループという共同体を形成する。学校によって教育された「常識」は、無知という白紙を彩っていく。「常識」に彩られた人間は、「常識」の基準から外れた人を排斥し、矯正し、自分たちにとって都合のいい共同体を形成していく。対価をなくして、何かを得られることはない。誰かにとって都合のいいユートピアは、誰かの幸せを対価にしたディストピアの上に成り立っている。そのような排斥の動きが、いじめにつながったり、不登校につながったり、最悪の場合、自殺などにつながっていく。
 自分にとって都合の悪い世界はどうしたって存在するものだ。共同体があるなら、それに参入できない人もいるし、共同体に属していても、幸せを享受できてない人はいるし、「自己」をとって「取り残される」ことを選んだ人もいる。
 どうか、そんな人達を社会が絶対とする「常識」に「矯正」しないでほしいと、そんな人たちのうちの一人である自分は思う。何をもって幸せかは自分で決めるし、そもそも、誰かの人生に対してあれこれ口出しする権利なんて、誰にだってないのだから。
 
 
 
長野怜香 大阪大学 / Toulouse Capitole University
日本が生きづらかった、日本人の私
小さい頃から、私はとにかく海外に憧れていた。身近に海外で働く日本人がいたこと、ヨーロッパ好きの母が私を海外旅行に連れて行ってくれたことが、「外国」に触れたはじめての経験だった。どんなところに魅了されていたかをうまく言語化できないほど、小学生だった私はとても幼く、ただあの頃漠然と抱いた胸の高鳴りだけを、今でも覚えている。あの時の感情が、その後の私の人生の大きな原動力になるなんて、当時の私が知ったらきっと驚くだろう。
毎年国内で家族旅行をしたり、頻繁に東京ディズニーランドに行く人はたくさんいるのに、数年に一度海外旅行をする友だちは、公立小学校に通っていた私の周りにはほとんどいなかった。小学生ながらませていた私は、世界のニュースに興味を持ちはじめ、自分を取り巻く日本の現状に違和感を覚えはじめた。ある日の給食時、「世界にはこんなことをしている国もあるのに、なんで日本はこうなのだろう」とクラスメイトに向かって言ったことがある。するとクラスの男の子に「じゃあ総理大臣になって変えたらいいよ」と返された。誰かから共感されるわけでもなく、他の意見が聞けるわけでもなく、不完全燃焼な気持ちを抱いていた。あの時の自分の感情を今の私が説明するなら「私が国を変える立場にならなければ、今感じている気持ちを我慢し続けなければならないということなのか。なぜ大人たちは私の抱えるモヤモヤを解決しようとしてくれないのか。」という気持ちだったのだと思う。最近ふとこの思い出を振り返ったとき、「まだなんにもとらわれていなかった小学生の頃はみな、女の私が日本の総理大臣になれる可能性があると心から思っていた」という別の事実にも気が付いた。今の日本社会で女性が総理大臣になるにはまだまだ時間がかかるという現実を、恐らくほとんどの日本国民が知っている。
 ひとり親家庭への支援が不十分なこと、女性の前に存在する見えない壁が明らかに男性よりも多いこと、プラスチックに囲まれすぎていること、世界に全く関心がないこと。この国の抱える現状を実体験だけでなく知識としても理解し始めた高校生のとき、私はある報道カメラマンの戦争孤児に関する講演を学校で聞いた。将来の夢をあたりまえに描くことができない子どもたちが、世界にはたくさんいることを目の当たりにした経験だった。
コロナが収束し始めた大学3年生のとき、昔からの夢であった留学をした。ヨーロッパに親しみがあったこと、フランス語が国連言語の一つであることから選んだ交換留学先がフランスだった。今思うと、私はこの国に引き寄せられる運命だったのだと思っている。人生で初めての外国での生活は、私が今まで想像したこともなかった世界をたくさん見せてくれた。友人や家族と日常的に政治や社会について議論し、みなが自分の意見を言えるくらいの知識を持っている。けれどそんな彼らの中には「自分は政治に興味があるわけではない」と言う人もいる。フランスという世界では、政治に興味があるかどうかにかかわらず、みなが社会にアンテナを張り、自らの権利を自分たちで守っているのだ。日本ではたとえ話したくても、口にする機会も話す相手もいなかった。しかし一歩海の外に出ると、今まで躊躇してきたことを、様々な人と堂々と話せる場所が存在したことは、私にとって本当に衝撃的だった。
日本で自分の意見を口にすると「あなたは日本が嫌いなんだね」と何度も言われてきた。「自分の国の全てが好きでない私はおかしいのだろうか」そう思いながら生きてきた。そんなはずはないと、私をただ日本が嫌いな人間とみなす人の何倍も、日本について世界について向き合い、勉強し、知る努力をした。「好き」の反対は、「嫌い」ではなく「無関心」という言葉があるように、私は日本に対しても世界に対しても人一倍「関心」がある。私にとって日本は「好き」でもあり「嫌い」でもある。日本を離れて生活したことで、今まで見えていなかった日本の良さにもたくさん気づくことができた。日本とは異なる形で多様性を尊重するフランスに魅了され、何カ国語も流暢に話せるフランス人の同級生たちを近くで見てうらやましくは思う気持ちはあるものの、日本以外の国に生まれてみたかったと思ったことは、今まで一度もない。だって日本は、私の大切なアイデンティティの一つだから。
マイノリティとして一人異国で生きる留学は楽しかったことばかりではない。むしろその逆だ。私がフランス人であれば、フランス語が流暢であれば、絶対に経験しなかったであろう出来事も、たった半年の中でたくさん経験した。それでも「私たちのことだけを思い出して」と、私に無償の愛を注いでくれたフランス人たちのおかげで、私はフランスを大好きなままでいることができた。うまく言えないけれど、どうしてだか息がしやすく感じたフランスという場所で、私を肯定してくれた彼らと、もっと深く関わりたいと思った私は、大学卒業後再びフランスに戻ることを決意した。現在はフランスの大学院に通い、将来は国際機関で最前線の人道支援に携わりたいと考えている。一人でも多くの子どもたちに将来の夢を描いてほしい。あの時から変わらない私の夢だ。
「そんなに外国が好きなら、日本から出て行けばいい」と私に対して感じる人もいるだろう。
生きる場所はフランス、帰る場所は日本。
少し距離をとるからこそ、好きなままでいたい存在を好きでいることができる。
これが私のたどり着いた、私らしくいられる生き方だ。
日本でなんだか取り残されているような気がしていた私が、時を経て取り残されている世界の人々の助けになりたいと思うようになった。
「誰ひとり取り残さない」とは、途上国や社会的に弱い人たちのためだけの言葉ではない。
「持続可能な社会」とは、この世界全員にとっての「共生社会」だ。
今いる場所になんだかモヤモヤする人がいたら、こう言いたい。
あなたの居場所は必ずこの世界のどこかに存在すると。
来るべき時に、来るべき場所へ、誰だってみなきっとたどり着くことができる。
だって、世界はこんなにも広くて、近いのだから。
 
 
 
田中葵 岡山大学1回生
自分にとって。クラスメイトにとって。
難関大学に合格することが、優秀なのだろうか?
―――そんな小さな疑問から、いろいろと考えを巡らせた夜があった。
その夜考えたことを、この機会に文章にしたいと思う。
ふと、家庭の事情から大学進学をせず就職をし、働き始めた友達のことを思い出した。
大学に行きたくても、働く道を選ばざるを得ない人がいる。
このことを知ってはいても、常に忘れずにいれているだろうか。
学校の先生は、生徒に向かって「今頑張れば、楽しい大学生活が待っているよ。」と言う。
わたしにとってはその言葉が受験期の心の支えだった。
きっと先生にとっても、生徒を励ますためのやさしさだった。
けれどその時、その子はどのような気持ちでいただろうか。
―――そう考えると、なんだか体がすっと冷える感じがした。
当時その子の苦悩に気づけなかった自分に嫌気がさした。
これをきっかけに、このような静かな心の暴力がほかにも案外身近に隠れているのではないかと思うようになった。
学校の先生は、夏休みが明けると「家族とどんなところに行った?」と尋ねる。
わたしはみんなでおばあちゃんの家に行ったことを話せてうれしかった。
でも、片親が朝から晩まで必死に働いてくれて、ひとりで過ごした子どもにとってはどうだろう。
家族を支えるために毎日家事ばかりをこなしていた子どもにとってはどうだろう。
少し前の出来事を思い出した。
みんなでテレビを見ていた時のこと、
テレビに映ったきっちりとメイクをした綺麗なひとを見て、
「こんなにメイクをした男の子、嫌だ。」と、ひとりの大人が言った。
もしその場にいた男の子が、本当はメイクをしたいと思っていたら、その子はその勇気を奪われたかもしれない。
相手の見えている部分は、その人の一部に過ぎない。
その人はもしかすると世間体を気にして何かをためらっているかもしれない。
もし、そうだとしたら、その人が勇気を出したいと思った時に、その勇気を奪うのではなく、背中を押してあげられるようなひとでいたい。
「この人になら言える。」
そういう信じられる人を、私たちは気づかないうちに探しているような気がする。
そんなことを考えながら、わたしは眠りに落ちた。
翌朝、目が覚めるとどこか少しだけ自分に自信がついた感じがした。
これまで気づけなかった私が誇りに思っていいのかわからないが、わたしはこのことに気づけたことが妙にうれしかった。
ほんとうに、ほんとうの意味で、傷つけていないか。
―――そういうことを、すぐに考えられる人になりたいと思った。
一人の大人が話した言葉を、子どもたちにはそれぞれ別の意味にとらえる。
これから教員を目指していくなかで、この夜学んだこと、そして日々の学びを大事に胸にしまいながら、ほんとうの意味で優秀で、ほんとうの意味で思いやりのある大人になりたい。
(まだまだ未熟なので、この文章にも配慮が足りていない部分があると思います。そちらはどうかご了承ください。)
 
 
 
渡邊彬 千葉大学教育学部附属中学校中学1年
不登校を防ぐために、そして支えるために
日本でも、質の高い教育を受けられず、取り残されている子供たちがいます。身近な例として、不登校の子たちが挙げられると思います。この文章では、不登校の原因となるものの中で、集団生活が苦手、無気力、友人や教職員との関係の悪化の3つについて、私の経験をもとに対策を考えたいと思います。
私はサポート校に通い、同じように学校に行けてない子たちと、コミュニケーションをとりながら過ごしています。今から書くのは、不登校の子たちと話していた中で聞いた話です。
ある1人の私の同級生の友達は、自由に過ごすのが好きだそうです。一方で、型にはめられた集団生活がとても苦手だと話していました。しかし、サポート校はとても自由で、何をしててもいいから、とても快適だと言っていました。集団生活が苦手というのは、これは個人的な問題です。だから、その問題を抱えている子が不登校になるのを防ぐのは無理があります。そのため、不登校になった後の対応が大事だと私は考えました。そのとき思い浮かんだのがorihimeです。これは、自分の分身となってくれるロボットで、2011年に開発されました。orihimeには、カメラ・マイク・スピーカーが搭載されています。そのため、これがあれば自分が学校に行ってなくても、orihimeを学校の自分の椅子に置いておくことで、インターネットを通し、授業を受けられるのではないかと考えました。そこで必要なのは、orihimeの一般化です。そうすることで、不登校になってしまった人も、学校の授業を受けられるようになり、他の子と同じように、質の高い教育を受けられるようになると思います。
次に無気力になってしまい不登校になる人についてです。また違う高校生の友達は、学校が面倒くさいから行っていないと話していました。これが無気力の一例です。詳しい話はわかりませんが、その子は人間関係に恵まれていたと自分で話していたため、もしかすると中学校時代、誰かの期待に答えようと頑張りすぎたために、いま反動が来ているのかもしれません。 無気力になってしまうのは先程も記したように、例えば大人などの誰かの期待に答えようと頑張りすぎたが故に、後から疲れがきている場合や、その他にも、受験で燃え尽きてしまった場合、学校生活が理想と違った場合など、人によって様々な理由があります。ここで大事なのが、親の手助けです。その子の親が、物事は1か100かではないことを子供に教える、これが1番の解決策です。そうすることで、子供が大きくなったときに100でやりすぎて1になってしまうということがなくなると思います。これは、無気力になってしまった後も同じです。一緒にちょうどいいがんばりの加減を親と一緒にみつけていくことで、無気力にならないし、なっても無気力から抜け出せると思います。
そして最後、友人や教職員との関係の悪化についてです。私の場合は、友人関係でトラブルがおき、教室に行かずに保健室にいたら、担任の先生が来て、明日から教室行かない?と言われました。それで先生に怒られるのが怖くて教室にいったことで、予想通り悪口を言われ、学校に行かなくなりました。友人関係に関しては、合わない人がいるのは仕方ないことです。また、自分が周りの人を操作できるわけでもないし、自分が変わるのは、生徒にはハードルが高すぎます。そして、もちろん例外はいますが、ほとんどの教職員は、不登校の人の気持ちを考えることなく、自分の視点で物事を考えます。しかし世の中の学校の先生に、不登校の人の気持ちを考えろと言っても難しいです。このことから、友人や教職員との関係の悪化で不登校になってしまうのはどうしようもできないことが分かります。そのため、集団生活が苦手な人と同じで、不登校になったあとの対応が大事です。ここからは既述した通りです。orihimeを活用し、他の子と同じように授業を受け、質の高い教育を受けることが大切です。
このように、不登校になる前でも、なってしまった後でも、質の高い教育を受けるための対策は色々考えられます。その中で大切なことは、その子に合った対策と対応をすることだと思います。
 
 
 
渡邊美紀 創価高校3年
アイデンティティクライシス
高校に入って親友ができた。彼女はアメリカ人だが、見た目は「日本人」だった。
彼女に会う前までは「アメリカ人」と聞くと金髪で青い目の人を想像していた。彼女は違った。私は「〇〇人」を血筋や人種で決まるものだと思っていたが、彼女に出会いその考えが変わった。
彼女と会ったとき、初めて私は「〇〇人」という言葉に違和感を覚えたのだ。なぜそう感じたのだろうか。
彼女は日本人の両親のもとにアメリカで生まれ、13歳まで現地で過ごした。
彼女は英語が母国語だ。家で日本語を使っていても学校では使わない。日本語や日本文化の知識は、日本で生まれ育つ人に比べればやはり劣る。彼女は「私もみんなと同じように日本の小学校に通ったり、日本の小学生として過ごしたかった」と言っていた。
私は驚いた。「アメリカに住んで英語も話せて羨ましい」と思っていたが、違った。
彼女にとってアメリカでの13年間は、楽しいことばかりではなく、辛い経験も多かった。周りにアジア人は少なく、マイノリティとして苦しんでいたという。
「日本ではアメリカと違い、見た目でも文化でも自分はマジョリティになる。日本人でいることが自然な環境にいることが羨ましかった。」と彼女は言った。こんな意見は、過去の自分に持つことは決してできなかった。
私は「アイデンティティクライシス」という言葉について、海外系のポッドキャストで知った。
アイデンティティクライシスとは、自己の価値観や存在意義が揺らぐ状態を指す。
異文化への移住や人生の転機が原因で引き起こされることがあると理解した。
海外に住む人のアイデンティティクライシスは、故郷や文化の違いからくる心理的な混乱だ。留学や海外生活で価値観が変わると、日本に居場所を感じられなくなることがあるが、かといって現地人にもなりきれず、アイデンティティに悩むことがある。
自分も留学や海外での生活を経験すれば、その悩みを抱えるかもしれない。その時初めて見える世界があるのかもしれない。
アイデンティティクライシスについて考えると、親友の顔が浮かんだ。
彼女に「アイデンティティクライシスを経験したことがある?」と聞くと、彼女は「もちろんある!」と答えた。
アメリカと日本の文化や価値観の両方を持つ彼女は、その違いに悩んでいたという。
アメリカで培った価値観が日本社会で通用せず、反対に日本での常識もアメリカでは通じない。アメリカでは周囲との違いに悩み、日本に来てからも違和感を抱えていた。アメリカでは自分は「外国人」で、日本にいても自分は「外国人」だ。アメリカでの行動が日本社会で望ましくないと感じ、人格を変えなければならないと悩んだ。その悩みは一度きりではなく、日本に住み続ける中で続く問題である。
アイデンティティクライシスに陥る人は決して少なくない。彼女のような帰国子女や多国籍の両親を持つ人もその一例だ。日本の「当たり前」と異なる行動をする人を「常識を分かっていない人」と判断する前に、彼らの背景や過去を理解する必要がある。
アイデンティティクライシスは誰にでも起こり得るものであり、それを乗り越えるために自分らしさを失う必要はない。自分の枠を探そうとしなくていい。人間は一人ひとり異なり、それぞれの形を持っている。ありのままの自分に自信を持ち、多様な価値観を持つ自分を誇りに思っていい。さまざまな文化や価値観に触れ、多くの経験を重ねて、自分だけの形や色を創造していけばいい。
むしろ、彼女の高校三年間をまじかで見て、アイデンティティクライシスを乗り越える経験でしかできない学びがあることを知った。アイデンティティクライシスを経験した人しかわからない世界があることも知った。
私は、多様な文化や価値観を持つ人々に寄り添い、互いに理解を深めながら成長できる人間でありたい。アイデンティティクライシスを経験することは世界市民に成長するための通過儀礼でもある。自分がアイデンティティクライシスに直面した時、自分らしくいれる自分でありたい。前は、ただ友達から衝撃を受けたアイデンティティクライシスという経験。今は、自分の番が楽しみでもある。
 
 
 
匿名 早稲田大学1年
マジョリティーは本当にマジョリティーか?
日本在住の純日本人。肉体的、精神的性別ともに男性。恋愛対象は女性。身長は平均的。やせ型だが健康体。右腕があり、満足に動かせる。左腕、両脚、その他の身体についても以下同文。視力が悪いがコンタクトレンズをつければ問題ない。聴力も正常。日本語を満足に話せる。経済的にも極端に困窮しているわけではない。不登校の経験はない。いじめられた経験もない。家族にハンディキャップを持つ人はいない。
上記は私である。このような人間は、取り残されている人を救う、あるいはそのような人を生み出さないようにしなければならない側の人間として分類されているように思う。なぜならそれは取り残されている人ではないからだと思われているからである。
自分はそうは思わない。良い(とされる)進路に進み、良い(とされる)仕事に就き、良い(とされる)家庭を築き、幸せ(とされる)人生を送るよう無言の圧力を受け、周りの人々がそれに従っているのを見ると、とてつもない疎外感、あるいは「取り残されている感」を感じる。
現在のSDGsや人権関連の風潮は、目に見えていたり医学的またはその他の根拠があったりする人、つまり「確実にマイノリティである人」を救うことに全力を挙げているように思う。もちろん、それによって障害を持つ方やLGBTQ+の方などが笑顔になることは喜ばしいことだし、私もこの風潮を完全に否定しようとは思わない。でも、これですべての人が幸せになるかと言ったらそれは大きな間違いであると思う。
現在の風潮の基準ではマジョリティとされる人の中でも私のような「取り残されている感」を持つ人を無視し、時にはそれどころか「君たちは五体満足なのだからいいじゃないか」という「取り残されている感」を無理やり否定してくるような同調圧力を感じずにはいられない。
私は時にその同調圧力に押しつぶされそうになってしまう。マイノリティだと明確に認定されている人を羨ましいとさえ思ってしまう。ひねくれているだけだと言われてしまえばそうなのかもしれない。ただ、私のように一般的にはマジョリティであると判断されるような人も取り残されている人になりうるし、実際なっている。定義されないマイノリティは確実に存在する。それはもしかしたら身体や言語などの明確な要素のあるマイノリティよりも多い人数いるかもしれない。このことはどうか今後の「誰一人取り残さない」ために知っておいてほしいと思う。それこそが全員が幸せに、そして平等に生きることのできる社会をつくるために間違いなく必要である。

 

 
 
 
嶋原陽太 大分県立佐伯鶴城高等学校3年
人間関係の盲目
「本当に関わりたくない人とは関わらなくてもいい。」
こんな言葉が私の胸に刺さった。そんなことを言う人は今まで生きてきた中で初めてだった。そのため私は強く衝撃を受け、深くこの記事について考えた。今まで誰とでも仲良くすることが何より大切だと親からも学校の先生からも教えてもらっていたため関わらなくてもいいと言う教えは新鮮だった。なぜ関わらなくていいかと記事を読み進めていくと「趣味も特技も目指すものも何もかもが違った人と人が心から打ち明けることなどとても難しい。だから自分の考えと合わない人がこの世界にいないはずがない。無理をして人付き合いをするのではなく自分が仲良くなりたいと思った人との関係を築いていけばいいのではないか。」と言うものだった。
その記事を読み終わった後に私は考え方がすごく楽になったのを覚えている。堅苦しく全員と仲良くするのではなく本当に信頼できる人が1人でもいればいいなと言う考え方になったことによっていい生活を送れるような気がした。ただ、その考えは全員と仲良くするなとは決して言ってはいない。もしも仲良くない人や関係が悪くなってしまった人がいてそのことの悩みで永遠に考え込むよりかは新しい人との関係を築いていけばいいと言うものである。つまり、自分の中に逃げ道を作ると言うことなのだと思う。この広い世界で小さな人間関係に悩んで自分がダメだと思ってしまう。そんなことは不必要であり、それなら新しい場所へと自分から変化をしていけばいいと思う。私は、この世界で起きる全てのや悩みは人と人とのことであると思う。もしもこの世界にたった1人で生きていたら悩みなんて存在しないと考える。自分の好きなことをして、好きなものを食べ、自由に暮らすだろう。誰の目を気にすることもない。しかし、自分の周囲に人がいることによって人間関係が発生し、誰からどう見られているかを気にしてしまう。自分の感情だけで生きることは難しいのだ。
現在、日本では若者を中心とした自殺率の高さが問題視されている。その中でも多い割合を占めているのが人間関係によるものだ。家庭環境の親や兄弟、家族との関係を含めて学校でのいじめ、職場でのいじめ、人間関係の悪化。これらの要因が多くの人を自分で死ぬことを選択することにまで追い詰めてしまう。追い詰められた人たちは逃げ道を作ることを知らないため一つの環境でうまくいかなかった時に死にたいという気持ちになるのだろう。そんな時にこの記事の考え方であれば関わりたくないと思った人とは関わらなくてもいいと考えることで気持ちが楽になり少しでも自殺をする人は減っていくのではないかと考える。もしも職場でうまくいかないのならその仕事を辞めてしまえばいいと思う。そんな簡単に言える話ではないかといえば、そうかもしれないが仕事を辞めることと自分が死ぬこと、どちらがいいかと問えば答えは一つしかない。死ぬことは全てを失うことであって何も残らない。その選択をする前に一歩踏み止まってまだうまくいく方法はないかと考えて欲しい。私がこれからの人生でどんな事が待ち受けているのか想像することはできない。職場で本当に人間関係がうまくいかず悩んでいることだってあるかもしれない。そんな時にどうするのかをゆっくりと落ち着いて考える時間を自分で作る。すぐにダメだ死にたいと考えるのではなく、もう一回上手くいく方法を探してその職場で働き続けるのか。それともそこをやめて新しい場所での生活に切り替えるのか。どちらの選択をしたにしても生きているのだから素晴らしいと思う。生きてさえいればどんな幸せを感じるかはわからない。
私は良くこう思う。美味しいご飯が食べられて、よく寝ることができて、サウナに入れてさいえれば、もうこれ以上のことを求めることはないなと。趣味はサウナだ。お風呂とご飯と睡眠。それだけで幸せで十分充実した日々が送れることを知った。だからこの先どんな事が起きてもこの世界で起きる全てのことは本の小さな悩みだと心に落とし生き続けて欲しいと願うばかりだ。
 
 
 
藤崎詩央  中央大学附属横浜高等学校高校1年
SNSで踏み出す一歩 ~他人の靴を履いてみる~
私は、野澤和弘氏著の「弱さを愛せる社会へ」を読んで、統計には表れない虐待があることを知った。これまで虐待とは縁のないと思われていた平穏で豊かな層の家庭にも暴力が広がっているというのだ。虐待に苦しんでいるが誰にも気づかれず、社会から取り残されている人がいる。その事実にショックを受けた。ある学生は父親に暴力を受けていたが、母親や妹のことを思い、自分の手で「家族」を壊すことができず、通報をすることはなかったそうだ。児童相談所に通報することも、誰かに相談することもできず、相談していいのかも分からない。そんな状況で、虐待を受ける子どもたちはじわじわと、だが着実に社会から取り残されていくだろう。他にも、様々な悩みを一人で抱え、苦しんでいる人がたくさんいるはずだ。では、彼らを取り残さないためにはどうすれば良いのだろうか?
私は、SNSに注目する。悩みを抱える人が集う新たなSNSを実現できないだろうか。虐待に耐える子どもたちに着目すると、大人に相談して大事になり、家族が壊れるのが怖い、自分さえ我慢すれば、とそんなことを思っているのではないだろうか。彼らが学校に行って、他の恵まれた子どもたちと交流をすれば、家庭での話を聞くこともある。自分の家庭との違いに引け目を感じて気が塞ぐ。肩を落とし、家に帰れば親に罵倒されたり、暴力を振るわれたりする。自己肯定感が下がるのは言うまでもない。この繰り返しだ。そんな負のスパイラルの中で、自分の感情を吐き出せず、溜め込まなければならない事がどれだけ苦しいかは計り知れない。だからこそ、誰の目も気にせず、匿名で自由に発信することが出来るSNSが必要なのだ。
なぜ私が「新しい」SNSを創りたいかというと、SNSで自分の思いを吐き出しても、誰かに否定されたり、罵られたりすると意味が無いからだ。既存のSNSで日々の悩みを発信している人もいるが、それに対し、心無いコメントをしている人をよく見かける。そんなコメントをする彼らは、SNSで気分転換をしようとしていたにも関わらず、暗い気持ちになる投稿、つまり悩みや不安を見て、現実に引き戻された不快感をコメントにしてぶつけてしまうのではないだろうか。この論拠として、東京大学大学院教授の大野志郎氏の「SNS依存および諸問題と利用動機との関係」という論文が挙げられる。SNSの利用動機とSNS依存の関係性について、逃避/共感の獲得/優越感・評価の中で、逃避のオッズ比が一番高い数値であった。つまり、逃避を目的としてSNSを利用する人ほどSNS依存との関連性が高いということだ。SNSに依存している人ほど、たくさんの投稿を見るだろう。逃避のためにSNSを使っていても、時には現実に引き戻されるような投稿が目に入るはずだ。そしてそれを不愉快に思い、相手を否定するようなコメントをしてしまうと考えられる。匿名だからこそ、現実では言えない日々の悩みを吐き出すためにSNSに書き込む人もいれば、現実を忘れるための逃避を目的として利用する人もいる。ゆえに、利用目的の違いが、不必要な軋轢を生んでしまうと考察する。
そこで、「他人の靴を履いてみること」を理念とする新たな相談・呟き用のSNSを提案する。他人の靴を履くというのはイギリスのことわざで、人の身になる、他者の立場になって考えるという意味だ。自分の悩みを完全に理解してくれる人はおらず、自分も他者の悩みを全く同じように感じることは出来ない。人によって考え方も、育った環境も、全てが違うからだ。だが、理解は出来なくとも、他者が何を思うか想像する「努力」はすることが出来、それが大事だと考える。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の著者の、ブレイディみかこ氏は作中でエンパシーの大切さに触れていた。人それぞれの違う悩みを自由に発信し、互いに支え合う。相手を認め、否定しない。それぞれ違う価値観を持つことを理解し、相手の立場を想像する努力をし、無自覚・不必要に傷つけ合わない。私は、そんなコミュニティを創りたい。孤独に闘っている人達を、まずはこの共同体に引き込むことで、彼らが社会に参加する第一歩にしたい。最終的には、悩みを解決する勇気を持ち、行動を起こして欲しい。そして、いずれ自分と同じように何かに悩む人の後押しをしたり、励ましたりして欲しい。かつての負の連鎖を抜け、今度は自ら正の連鎖を築く。そんな勇気と思いやりのリレーをSNSで生み出したい。
 
 
 
藤堂瑠海 都立砂川高校 2年
相対的貧困の現実
私は生活保護世帯で育ち、現在高校2年生として大学進学を目指しています。この環境での経験から、貧困と教育の関係について考える機会が多くありました。特に、経済的困難が学びの機会を制限する現実に直面し、「誰ひとり取り残さない」という目標の実現がいかに難しいかを痛感しています。貧困が教育に与える影響、その解決に向けた提案について述べたいと思います。生活保護世帯での生活は、物質的にも精神的にも余裕がない環境です。受験や進学に必要な費用を捻出する余裕がなく、塾や予備校などの学外教育を受けることが難しいです。さらに、家計を支えるためにアルバイトをする必要があると、学業に集中する時間が少なくなってしまいます。また生活保護に対する偏見など心理的な負担は、教育への意欲を削ぎ、夢を諦めざるを得ない状況を生む要因ともなっています。「誰ひとり取り残さない」社会を実現するためには、まず、教育の機会を平等にするための制度の充実が必要です。具体的には、返済不要の奨学金の拡充や、教材費や受験費用を支援する制度の整備などです。現在は給付型奨学金が普及してきたものの、情報を得ることが難しい状況にあります。そのため、こうした支援制度の情報を学校や自治体が積極的に提供し、支援が必要な家庭に届くようにすることが必要だと思います。大学進学への道のりは決して楽ではないです。それでも、将来は社会的弱者が「取り残されない」社会を作りたいと思っています。
難波来未 大分県立佐伯鶴城高等学校3年
父を救う
 「あなたの身近に取り残されている人はいませんか?」
 このポスターを見たとき、私は父のことが思い浮かんだ。私の父は、認知症を患う祖母の介護をしている。祖母は歩行困難で、ご飯もあまり食べずにビールとタバコ中心の生活だ。そんな祖母に、父は仕事終わりご飯を届け、週に2回は祖母の家に泊まっている。自分の家に帰ってきたときは、「疲れた、もう嫌。」と言っているのをよく見かけるが、台風や地震が起こったときは、いちばんに祖母のことを気にかけ、心配そうにする。仕事もしながら介護をしている父を救うために、私にできることはないか考えるようにもなった。
 父のように、介護疲れしている人は日本に多くいる。厚生労働省の国民生活基礎調査では、介護者のうち介護に関する悩みやストレスがあると回答した人は70%だ。そして、2023年度末の要介護認定者数は約708万人となっており、2000年度の認定者数約256万人と比べると約2.8倍増加している。そして、現代になるにつれて要介護認定者数の数が増えているため、これから介護の悩みを持つ人々も増えると推測できる。「介護に疲れた」「ひとりで抱えきれなくなった」というような理由で、殺人や無理心中にまでつながることもある。そのような事件は、2019年から2022年までの3年間で50件起きており、そのほとんどが介護施設ではなく、「在宅介護」の結果発生するのである。介護疲れは、そういった恐ろしさも含んでいるのだ。自分の愛する家族を殺してしまうというのは、どれほど辛いだろうか。介護疲れは、介護をしている誰にでも起こりうるものであり、個人だけの問題でなく、社会的にも大きな問題だ。
 どうすればそのような窮地にいる人を救うことができるのか。私は、経済面だけではなく、精神面でのケアが必要だと考える。介護をしている人は、孤独を感じやすい傾向にあるため、周囲の人が温かくサポートしたり、介護者の相談を受けるだけでも、介護疲れが少し緩和されるだろう。そして、お互い思いやりをもったコミュニーケーションが大切だ。また、介護施設を利用するのも一つの手である。現在は、様々なタイプの施設があり、利用者に適したケア体制や費用を選ぶことができる。介護施設を利用すれば、介護者は介護から離れ、リラックスして過ごせるのだ。私も、父とのコミュニケーションを大切にし、父一人きりに介護を任せないなど、自分にできることから始めたい。私の言動で父を救うのだ。身の回りで介護に悩んで孤独を感じている人はいないだろうか。家族だけでなく、同じクラスメイト、先輩、後輩、恋人もそうかもしれない。自分が差し伸べた手で人の命を救いたい。
 
 
 
日下綾乃 立教大学1年
お金を動かすのはポジティブであれ
私は、現在の日本社会で消費者の立ち位置は不当なものであると考えている。前提として、社会の中の消費者とは労働者でもある。そして消費者とは全世界の人間が該当する分類である。厚生労働省が二○二二年に発表した国民生活基礎調査の結果を表す図表データによると,所得金額の階級別世帯数の分布では百万円以上四百万円未満が四十・三パーセントでボリュームゾーンとなっており、中央値が四百二十三万円となっている。また,総務省統計局が発表した一般労働者の所定内給与額及び対前年増減率の推移を参照すると二○一九年から二○二三年では約四・○二パーセントの上昇がみられる。e-Statより消費者物価指数を参照すると二○一九年から二○二三年では100.1から106.3に変化していることがわかり、賃金の上昇が物価の上昇に追いついていないことが伺える。私はこの現状が働き甲斐をそぐのではないかと危惧する。これは購買品の質の低下はQOLの低下に直結するという考えのもとである。労働に費やす時間と労力が変わっていないのにもかかわらず、私生活でのストレスが発生すればさらに労働に自らを投資しようとは考えない。また、この事実は経済成長の停滞も引き起こすと考えている。技術革新等は労働者一個人単位の力で行われてきたものであり、労働者に対するケアが不十分であれば目標到達までにかかる月日は延び続ける。こうして進歩が遅れた分、労働者に賃金として還元される日も遠くなるのだ。また、消費者という視点では労働に起因するストレスが引き金となって不必要な購買を繰り返すリスクも考えられる。その商品が欲しいという直感的な考えを満たした瞬間、消費者が得られるのは自己決定を遂行できたという絶大な達成感である。この達成感はストレスから目を背けるのに効果的なのだ。また、顧客として扱われている時間は納得のいかない労働では得られない自己肯定感が与えられる。つまり、わたしには現代社会の中で、労働者として満たされない部分を消費者として満たそうという心理が見て取れる。この心理が自分の所得で耐えられる範囲で収まっていれば、消費を刺激することになり統括的にみるといい面が上回る。しかし、少しでもバランスを誤れば、働き甲斐がない労働でさらにストレスをためて手取りを増やし、増えた分だけまた不必要な購買にはしる循環が形成される。これを経済成長と呼称するにはあまりに不健全である。よって誰も取り残さないという目標を掲げるにはまず労働者、消費者問題に着手するべきであると考え、強く提言する。
 
 

 
 
 
梅谷一稀 立命館高等学校2年
「かわいいが好きなだけ」
 「お前、男なのになんでそんなことしてんの?」。思えばこれが最初のきっかけだったのだろう。私は生物学的には男だ。自分でも男だと思っているし、否定もしない。昨今はLGBTQ+などで性別の多様性もできているだろう。人がどのような性を選択しようが、その人個人の自由なのでいいと思う。しかし、性別が日々の生活にどれだけ影響を与えるのか私は気づくまで考えもしなかった。小さいころからぬいぐるみが大好きだった。それはもうベッドにうんといっぱい並べるほどに。両親は特に何も言わず「かわいいね」と言ってくれていた。ぬいぐるみが僕のかわいいもののはじまりだったのだろう。成長するにつれて、一時期そういうものから離れた。   
しかし、もう一度「かわいい」に熱中するようになった。それは、中学生になってから始めたメイクだった。はじめは何となく興味本位で始めたメイクだったが、種類やコスメのかわいさに気づき私の生活の切り離せない一部となった。幸い周りの友達も「メイクしてるの?すごいね」「最近メンズメイク流行ってるもんね」と言ってくれていた。特に何も疑問を持たず楽しいと感じていた。しかしある一人の友人の言葉に考え方に悩まされるとは思わなかった。それが冒頭で述べた一言だった。よく考えれば今までもなぜ疑問に持たなかったのだろう。「女子力高いね」と言われて、なぜ「女子力」なのか。周囲は自分のことを男として認識したうえで「女子のやること」すなわち、「女子力が高い」と発言していたことに過ぎなかったのでは、と考えるようになった。これはメイクだけで終わることではなかった。私が無意識にやってしまっている萌え袖や大好きな料理をすること、これも女子力として考えられているのだろう。近年、「料理男子」などという言葉があるが、これもある意味差別用語なのではないかと考える。なぜなら「料理女子」なんて言葉は全くと言っていい程、聞いたことがない。これは料理は女性がするものと考えられていたからだと思う。メンズメイクも同様にレディースメイクなどという人は少ないだろう。固定概念とは恐ろしい。それが当たり前、それが正しいという風に世間が思っているという考え方の同調圧力が知らず知らずのうちに浸透しているということだ。少し女子のことが好きというだけでここまで区別されてしまう社会なのだなと感じた。「SDGsだから」「ジェンダー平等」なんてものはまやかしに過ぎない。周囲の考え方や多様性を尊重という言葉で言うのは簡単だろう。トランスジェンダーの人がテレビなどで取り上げられていて「別の性別で生きたい」と言って時代の変化などと人々は思うだろう。そんな人もいるのだと感じて終わるのがせいぜいいいところだと思う。しかし、私みたいに性別を選択して生きたいとまではいかないが、好きなことを自由に選択することが難しい人もいると思う。私はこのような点から、周囲がその人のことを理解するだけではなく、性別による固定概念「アンコンシャス・バイアス」の認知度を高めていくべきだと思う。
でもやっぱり私はかわいいものが好きで、今でも学校の女子とコスメの話をしたりすることがある。好きなものは好きでいていいと思う。それこそが真の多様性なのではないかと考える。現代社会で性差別の改善が求められており、LGBTQ+も認知度が高まっているが私のような人もいることを忘れないでほしい。性別による問題は「多様性」の言葉で片づけられるほど簡単なものではないのだ。私はかわいいものが好きということだったが、他のことが好きだけど言えないという人はたくさんいると思う。そのような人たちが社会から取り残され弾圧のような形で生きにくいのではないか。私の周囲はそれを認めてくれているが、これはとても恵まれていることだと思う。今後の社会でジェンダー平等がどのように扱われるかわからないが、私たちのような「好きなことが言い出しにくい」そんな社会が変わればいいなと思う。
 
 
 
白鳥珠羽 北海道教育大学附属函館中学校2年
我慢と尊重
私はアトピー性皮膚炎で、さらに卵アレルギーという2つのアレルギー疾患を持っています。皮膚が乾燥していたり、卵が食べられなかったりします。これは幼少期から続いており、今でも薬を飲んだりしています。
 私は小学校、中学校と生きてきて、何度かこのような言葉を言われました。「肌カサカサだね。」や「卵食べられないんだね、可哀想。」など、他にも様々なことを言われてきました。そして、そのせいで避けられたりしたこともありました。
 実際、私は肌は常に乾燥しているし、卵は食べられません。ですが、アレルギー疾患にかかりたくてかかったわけでもないし、人に移したりしたくて学校に行っているわけでもありません。そのような言葉を言われて、私は「自分でも気にしているのに、わざわざ言わなくても……」と深く刺さりました。
 皆さんはこのように、自分の気持ちも知らずに他人から評価や勝手な偏見などを言われたり、もしくは言ったりしたことがあるはずです。「僕(私)はそんな事思っていないのに……」と誤解をされてしまって、傷ついている人も少なからずいるでしょう。
 皆さんは人の気持ちをよく考え、尊重することができているでしょうか?多分「はい。できています。」と言える人の大半は、自分はできていると思っているだけで、実際には何もできていないという人が多いと思います。
 その人が今何をしたいかや、何をしてほしいかなどを考え、行動することができる人はクラスにもほんの数人しかいません。人の気持ちを考えるのはとても難しいです。ですが、心と心を持っている人同士がいたら、困っている人はその人のお陰で救われるかもしれません。
 人はAIのようにほとんどのことをすぐに教えてくれ、賢いわけではありませんが、心というものがあります。心は実際に触れたりするものではありませんが、人間の中にあるとされています。
 そして、人間は喋ったりしてコミュニケーションを取ることができますが、それができるがゆえにトラブルなども発生することが多々あります。お互いの意思を理解できていなかったり、自分の思いを相手にぶつけてしまったりして、自分ではそう思っていないかもしれないが、相手を傷つけてしまうこともあります。
 自分の気持ちを優先する前に相手のことも考えながら言葉を発するのがいいのではないでしょうか。
 そして、皆さんにも悩みや困り事などはそれぞれお持ちだと思います。ですが、すぐに解決できるものというのは少ないと思います。その中で、我慢をしなければならない場面というものが必ず出てきます。
 我慢というのはその物事の大きさによっては難しいものとなるかもしれませんが、しなければならないときもあると思います。ただし、溜め込んでしまうと精神が病んでしまったり、鬱などにもなりかねません。その時は人にぶつける以外の方法で解消しましょう。
 相手のことを考えることも人と付き合う中では必要ですが、自分のメンタルなども考えていかないと苦しくなっていきます。自分のことだけを考えるのも良くないですが、相手のことだけ考えるのも良くないです。
 皆さんは相手の気持ちを考え、尊重して、相手の外見だけで判断せずに、もし自分がそうなったらどうされたいかなどを考え、我慢を続けて辛くなったときは人にぶつける以外の方法でストレスなどを解消していくのがいいのではないでしょうか。そして、困っている人がいたら手を差し伸べて助けてあげることも必要です。
 これらをみんなでやっていくことで、私のようにアレルギー疾患で困っている人や、病気やそれ以外のことなどにも困っている人たちを救うことができます。そうすることで影で困っている人も悩みがなくなり、より良い社会にできると考えています。
 
 
 
品川宇志 日本航空高等学校2年生
世界に嫌われないための代価、馴染めやすい社会へ
 環境を変えることは、誰にとっても大きな挑戦です。ましてや言語や文化が異なる今までとは全く違う環境では、予想しない未知な困難と出会う。帰国子女としてのこの経験は、幼い頃の私にとっては大きな試練でありました。本来なら友達と楽しんで笑い合って過ごせる小学校時代をぼくは体験できませんでした。
 小学校四年生の時、元々いた国のお友達と別れを告げる間も無く日本に来ました。小学校の初日は忘れもしません。短パンが非常に寒い時期でした。その小学校の制服は短パンで、校則として着なければなりませんでした。そして、日本で通う学校は家から電車で一時間ぐらいかかります。学校へ行くのに朝6時起きなんて、初めて経験する自分にとってはかなり厳しいものでした。確かに、初めての日本の学校は新鮮ではありましたが、それはすぐに困惑へと変わりました。初めての授業で片言の日本語で自己紹介してみました。みんなは慣れているかのように一斉に拍手してくれます。「何とかいけるかなぁ」と少し自信を持ったのも束の間、期待はすぐに潰されました。「あー、あー」「烏の鳴き声だ」先生の声よりも烏の鳴き声の方が頭にはいってきます。日本語を一言も理解できない自分にとっては、烏の鳴き声の方がずっと親しみやすいのです。自分が一所懸命理解しようとしても全く意思疎通はできません。こちらの困っている状況に誰も手を差し伸べてはくれませんでした。
 世界から嫌われたかのような日々が2年ぐらい続きました。自分は日本の幼稚園や小学校に通ったことがなく、日本語の基礎や日本で生活していくスキルが全くありませんでした。言葉が分からないから交流もできない、ルールが分からないから馴染む事もできない、理解するチャンスですら何もできなかったのです。
 そんな中、ある日突然、転機が訪れます。ある広告に興味を持ったのです。その広告にはあるアニメキャラが載っていました。スマホでそのアニメについて検索をしてみた。それから、アニメを通じて少しずつ日本語を理解し始めて行きました。アニメのお陰で日常生活で使う言葉を些細でもやっと理解できるようになったのです。ようやくこの世界に嫌われなくなったと思えたことは大きな喜びでした。
 しかし、それは決して本来の小学生の姿、自分が理想とする姿ではありませんでした。みんなと一緒に外へ抜け出してサッカーや鬼ごっこをしたり、一緒にゲームやお泊りをしたりするという楽しい小学生の日常を送ることよりも、どうやったら世界に嫌われないか、このことばかりを必死に考えていたのです。もし小学校時代で一番楽しかったことは何でしょうと質問されたら、苦笑いをして新たな話題に変えるのに必死になるでしょう。なぜなら、あの頃の記憶の多くは空白でしかないのです。
 成長した今は、あの頃必死に努力したからこそ現在の自分があると言えます。辛い体験があった私だからこそ、帰国子女や外国人学生への教育サポートは、グローバル社会に必要不可欠であると確信持って伝えることができます。子どもは、大切に養育するべきです。なぜなら、些細なことでも子供の心身へ大きな影響を与える事があるからです。一つ一つのライフイベントの過ごし方により、自信や自己肯定感など精神面で大きな差が出ることがあります。ましてや言語や文化の壁がある帰国子女や外国人学生にとっては大きな試練になってしまうこともあるのです。環境への適応の是か否は、もちろん自分自身の選択ではありますが、社会がその判断ができるベースを作ってあげることが大事です。言わば、できるだけこの日本社会に馴染めるようにサポートをしてあげることが肝要です。子どもだから環境に馴染むのは早いはずだ、大変だけど時間が経てば解決できると、問題を軽視してはいけません。一生忘れられない悪記憶になってしまうことは避けるべきです。
 これを生で体験してきた自分は同じく帰国子女、また外国人学生さんにはこのような事にあって欲しくない。なので帰国子女サポートを提案したいと思います。
 帰国子女サポートとは、みんなが学校を終わってから1、2時間程度の時間を設けて少人数制で翻訳また外国人講師を通じてより帰国子女または外国人学生に理解できるように工夫をして、少しでも日本社会に馴染めるように帰国子女また外国人学生をサポートしていく。これをすることによって帰国子女、また外国人学生は辛い思いをせずに、柔らかく日本の社会に馴染める事ができるでしょう。
 新たな環境や挑戦は本来ドキドキして楽しむべきものではあるが、生で体験した身からしてはそう簡単にはいけない。しかし、少しでも楽しんで新たな環境に挑めるように、僕は言語や文化の壁を越えるためのサポートを大事にしていきたいです。いかなる年齢でも、いかなる国籍でも、誰もが馴染めやすい社会を作っていくにはきっと役に立つと思います。
 
 
 
堀川菜々子  大分県立佐伯鶴城高校3年
夢の誕生日
「大海の底に住む盲目の亀が、百年に一度海面に浮き上がった時、漂うたった一本の浮木にぶつかり、浮木に開いている穴に頭がすっぽり入る」これは私たち人間が生まれてくることの奇跡を表した比喩表現です。妊娠、出産は奇跡の連続です。現代の日本の出産の現状は、晩婚化や晩産化などによるハイリスク妊産婦が増加していることに比例せず、妊娠や出産、人口中絶による女性の死亡率を表す妊産婦死亡率は年々減少しています。これらの影響の大半は、医療体制の変化や、分娩場所の変化によるものです。実際に1950年代頃までほぼ100%の妊産婦が自宅分娩をしていました。しかし、1960年代ごろから自宅分娩と施設分娩が五分五分となり、現在ではほとんど100%の妊産婦が施設出産を選択しています。その中でも、半数以上の妊産婦が最も医療体制の充実している病院での分娩を選択しており、妊産婦死亡率の減少につながっています。これらの現状より日本での出産の死亡リスクは、低下しており、より安全なお産が可能となっています。
しかし、これらはあくまで日本の現状です。妊娠、出産は世界中で行われます。全ての国で日本のように安心安全を第一に考えたお産が行われているわけではありません。
発展途上国で出産をする女性、生まれてくる子供には大きなリスクが伴います。さらに、現在、地球上の人口の約8割が発展途上国に生まれていると言われており、大きなリスクを抱えて出産をする人は多く存在します。例としてアフリカを挙げると、アフリカの出産の現状は、自宅出産が多いことによる緊急時の医療に関する対応能力の低さや、紛争、女性の権力の弱さ、医療施設やスタッフの不足、衛生上の問題、児童婚など、妊産婦死亡率を上げる課題を多く抱えています。実態として、WHOの統計より、1日あたり、世界で亡くなるとされる妊産婦約800人のうち、約3分の2がサハラ以南のアフリカで発生しており、16人に1人の割合で妊娠、出産により死亡する可能性があると言われています。これらのことよりアフリカの妊産婦の死亡率は日本の130倍以上にも及びます。アフリカだけでなく、世界中の13の発展途上国は全世界の妊産婦死亡率の70%を占めています。
妊産婦の死亡率を低下させるためには、医学的知識を持つ、専門技能者の付き添いの中で行われる出産をし、その後、産後ケアを受けることが重要と考えます。しかし、アフリカ諸国では女性が分娩時及び、分娩後、ケアを受けることができない文化や伝統的習慣が存在する地域が存在したり、女性の権力が弱く、それらのケアを受けることができないという現状があります。このような現状の中で私たちにできることはなんでしょうか。
まず、私たちができる第一歩として挙げられるのが、なんと言っても募金活動です。発展途上国での出産の際、医学的知識を持った専門技能者が付き添うことができないほとんどの理由が、貧困によるものです。周産期医療そのものが医療資源を大量に使う贅沢な医療であるということもあり、多くの妊産婦がその医療の提供を受けることができません。
しかし、それらの現状はあまり広く知られておらず、募金を行うにはこれらの現状を多くの人に知ってもらうことからはじめる必要があると考えます。私たち日本人は、あらゆるところに募金箱などを設け、発展途上国などに向けて、多くの支援をおこなっています。しかし、その目にする募金活動の多くは、ワクチンや、学習道具など、無事に生まれてきた子供たちの生活を支援するもので溢れ、周産期医療に関する募金活動は目にすることが少ないように思われます。周産期医療をメインとした募金活動をそれらの募金活動に加えて行うことは発展途上国の女性と子供を救う大きな力になるのではないかと思います。
全ての女性、子供は無事に出産し、無事に生まれてくる権利があります。1日に行われるお産の数は数えきれないほどありますが、国や社会から取り残されていいお産などひとつもありません。しかし。現状として、妊娠や出産の恐怖を一人で抱え込み怯える女性は多く存在します。これらの現状を打破するためには、世界中の人々が地球上で起こるすべての解決すべき問題を自らの抱えている問題であるという価値観を持つことが問題を解決する大きな一歩になるのではないかと思います。このような価値観を広げ、世界中で行われる全てのお産が喜びに包まれて行われることを実現させたいです。
 
 
 
堀篭瑠奈 国際医療福祉大学1年
誰ひとり取り残されない社会に近づく方法
「誰ひとり取り残さない」と聞くと自分が誰かに対して働きかけることを想像してしまいがちである。もちろんそれも重要なことであるが、自分自身に対してできることをすることも自分が取り残されないために大切であると考える。今回は自分が誰かに対してできることと自分のためにできることの2つの面から「誰ひとり取り残さない社会」について考える。 
私は現在大学生だ。大学生に対するイメージはどのようなものであるだろうか。世間一般的には大学生というと勉強もサークルもバイトも遊びも充実しているイメージがあるかもしれない。私の理想もそうであったが、実際は違う。中学生のときから教室で授業を受けることが憧れであるほどに理想と現実の差は大きい。持病等による体調不良が続き中学生のときも高校生のときも大学生の今でも学校に通えない期間、家や病院から出られない期間があった。そんな私のできないことに目を向けると「学校に行けない」「外にも出られない」「朝起きられない」「体力もない」・・・今は思っていないが、生きている価値があるのかくらいに思っていたときもある。こんな私にも「誰ひとり取り残さない」ことに貢献できるのだろうか。そこで私にでもできることを探した。 
1つ目は自身の経験を生かした活動をすることだ。 私が感じていた「取り残されていた感覚」は社会や人々から離れていたことや自身の自信のなさにあったと考える。そこで今年の秋、SNSで病気関連の情報や闘病中の自身暮らしやマインドを共有したり、私と同じように病気と闘っている方と繋がって関わったりする活動を始めた。この活動を通じて得られたことがたくさんある。同じような境遇の方に出会えたことや私には想像もしなかった他の人の生活や悩みを知れたこと、辛かった経験を含むどんな経験も自分や他の人のためになっていると感じることなどだ。私らしい生き方を発信することが「自分も他の人も取り残さない」ことに繋がった。まだ小さなアカウントであるかもしれないが、見てくださる方が1人でもいる限りこの活動は続けたい。 
2つ目は様々なことに興味関心を持ち幅広い知識をつけることだ。ニュースで報道されていたこと、周りの人と話したこと、どんなに小さなことでもいいから気になったことを調べると新たな発見に繋がる。SDGsの17の目標と169のターゲットもそうであるが、自身にはあまり関係のないものでも誰かにとっては身近な話題である。 私は先日大学での授業で衝撃を受けたことがあった。宗教を信仰している方と医療についてだ。宗教上の理由で輸血ができない、点滴や内服薬を摂取できない状況を想像したことがなかった。私はその授業を受けるまで何よりも命のほうが大事であるべきと考えていたため、改めて視野を広くして物事を考えるべきだなと感じた。多くの知識をつけることが相手を理解することや「誰ひとり取り残さない社会」に繋がると考える。 
3つ目は自分や他の人に向き合い寄り添うことだ。 最初から多くの人に対して行動するのは難しい。また、家族や友人など身近な人との関わりを大事にすることも重要だ。まずは目の前にいる相手を理解しようとする姿勢でいること、認めることを意識すると良い。 そして、自分自身に向き合うことも大切である。私は以前学生としての「普通」の像になりたく、なれない自分を受け入れられなかった。しかし、私が思い浮かべていた像はただ自身の理想像にすぎなく、皆違っても良かったのだ。そこで、自分が過ごしやすい環境や考え方を模索するようになり、自分のペースでやりたいことをできるようになった。 皆それぞれ違うことが当たり前で意見や価値観が違ってもおかしくない。自分に対しても他の人に対しても向き合うときは「私は私、相手は相手」ということを忘れず、尊重するべきだ。自分の中での普通に縛られず、自身や他の人に寄り添うことが「自分自身を含む誰ひとり取り残さない」ことに繋がるのだと考える。 
今回は「誰ひとり取り残さない」ために私にでもできることを述べた。「誰ひとり取り残さない社会」をつくるには誰か一人が多くのことをするよりも、簡単なものでも良いから自分にできることを一人一人が考えることの方が重要であると考える。私がこのテーマについて考えることも書くことも「誰ひとり取り残さない社会」に繋がっているのかもしれない。 
「あなたができることは何ですか?」
 
 
 
木下佑月 北海道教育大学附属函館中学校2年
みんな違う。それが当たり前。ー自分の個性と生きていくー
 「私は、みんなと違うんだ。」そう思うようになったのは、中学に入学してからだ。小学校までは、周りと同じように毎日を過ごしていた。クラスメイトとたくさん話し、一緒に遊ぶ。何も特別なことはなかった。だが、中学に入学してから何かが変わり始めた。周りの子達は次々と友達を作り、仲良く話している。自分はその輪に入ることができなかった。自分の異変に気づいたのは、授業中だった。グループ活動の際に、みんなが一斉に話し出すと誰が何を言っているのかさっぱり聞き取れず、その時何をしてたのか全くわからなかった。最初は、それがただの不安や緊張だと思っていた。しかし、月日が経つにつれて、私はそれが人とは違うことに気づき始めた。このときはまだ、こうおもっていた。「聞き取りにくい。それが当たり前。」
 ある日、家で「聞こえているけど、聞き取れない」というタイトルの動画を見つけた。この動画を見ると私は共感する部分がたくさんあることに気づいた。そして、親に相談し、病院でもその可能性が高いと言われた。私の症状は、「聞き取り困難症」通称APD/LIDである。これは、聞こえているのに、聞き取れない。音声を言葉として認識することが難しく音として認識してしまうという聴覚情報処理障害だ。通常の聴力検査では、異常を発見することが難しく、音声を脳で処理して理解する際に、なんらかの障害が生じている。私は、医師からこの言葉を聞いた時、まっ先に「障害」という言葉が頭に浮かんだ。自分には障害があるのか。みんなとは違うのか。色々と考えているうちに頭が真っ白になった。自分に障害があるということをクラスメイトや知人が知ったら、みんな自分から離れていってしまうのではないかと思ったからだ。私は、聞き取りにくさを少しでも解決するために色々なことを行った。今年の夏、耳に補聴器のような器具をつけていた。担任の先生が少しだけ私の耳の状態について話してくれた。私は後からなにか言われると思い、心臓がバクバクした。だが、クラスメイトの反応は私の想像を大きく裏切るものだった。みんな冷静に落ち着いて話を聞いてくれた。先生の話が終わっても何も言わず、普段通りに話しかけてくれた。私は、なんだかクラスメイトに心を救われた気がした。それと同時に、「障害」という言葉だけで決めつけてしまった私が恥ずかしくなった。障害もその人の個性であり、自分そのものだ。
 この出来事の後、私は「障害」ってなんだろうと改めて考えるようになった。そもそも「障害」と呼ぶ事はあっているのだろうか。確かに呼び方は人それぞれだ。その人にとっては、違和感のない呼び方だとしても、他の人にとっては、心に傷がついてしまうこともあるだろう。
 違和感のない世界。すべての人の個性が尊重される世界。「自分と違う・みんな違う」が当たり前になる世界。これらの世界はいつになれば来るのだろうか。私が持っている聴覚情報処理障害も最近になってわかってきた障害であり、あまり耳にしない障害だ。それに、症例も少なく、見た目ではわからない。周りの人は、自分が伝えるまでわからない。このような障害や症例が多く、取り残されてしまっている人が多い。自分のことを一生懸命発信している人、あまり自分の状態を知られたくない人。いろんな人がいる。世界の人々には、共通していることが一つだけある。それは、人間だということだ。一人の人間として生きているということだ。障害があるからではなく、一人の人間としてサポートしてほしい。私は、障害のすべてを理解してほしいわけではない。世の中にはこういう人もいるんだ。一人一人いろんな個性を持っているんだな。ということを頭の片隅にでも入れておいてほしい。
 「誰ひとり取り残さない」これは誰もが実現したいと思っている世界像だろう。だが、これを簡単に解決することは難しい。あなたが私の意見を目にしたなら考えてみてほしい。今、自分にできることを。
 
 
 
木許一花 大分県立佐伯鶴城高等学校3年
「みんな違ってみんないい」を思い出して。
「目見えにくくないん?」目の上の線が一本あるかないかで容姿を気にし始めたのは小学3年生の時だった。私は一重で、二重の人と比べて「一重って目見えにくそうでかわいそう」「ううん、そんなことないよ」と私は返事をした。その日から自分に自信がなくなった。なぜ、二重じゃないといけないのか、私は疑問に思った。これをSDGsの10番の「人や国の不平等をなくそう」と16番の「平和と公正を全ての人に」について考えた。
「二重になる方法」これまでに何回検索してきたか数えきれない。SNSを見るたび二重で目のぱっちりとした人ばかりみることが多くなった。それに比例してコメント欄では目ぱっちりしてて可愛い、やっぱり二重の人が可愛い。こんなコメントがあった。逆に一重の人でSNSにあげている人のコメント欄には勝ち組一重、一重には人権ないという書き込みもあった。私はそれを直接言われたわけではないけれど傷ついた。他にも「あんたは二重やったら顔可愛かったのになパパに似たんか」と祖父から言われ傷つき、本当に悔しい気持ちと同時に怒りが湧いた。もっと一重である自分って恥ずかしいんだという気持ちになった。何で目の上の線がたった一本あるかないかの違いで区別されないといけないのだろうか。私の周りの子は、ほとんどの人が二重で目ぱっちりで可愛いなと言われていた。でも私は、一重だから言われたことはもちろんない。現在も顔採用の職が残っている。採用担当者や人事を対象にしたアンケートでは「顔採用をしたことがある」と答えた人が7割いたという結果から、顔採用は現在の日本で行われている。これは、SDGsの目標に反していないだろうか。産まれてくる誰しもが自分の顔はこれがいい目は二重がいい、顔は小さくて、鼻は高くて…というような要望は言えない。それなのになぜ美人・イケメンのような基準を勝手に作り顔採用をしているのだろうか。どこでそのような基準を作ったのだろうか。それと、まずは顔が美人またはイケメンを大前提としてその後についてくるのが清潔感、発言という優先順位になっている。これでは、自分がな就きたい職業も顔採用だからと諦めて好きなことができなくなってしまう。顔採用の基準や人々の可愛い・かっこいいの基準はSNSに影響されていると考える。例えばインフルエンサーや有名人だけでなく、身近な同年代の人たちがSNSに投稿した写真や動画によって、誰もが容易に他人と比較できるようになった。「いいね」の数やフォロワーの数・リポストなどの見える形での評価が重視される風潮が生まれ、自分への評価がどんなものか自分をもっとよく見せようとする人が増えている。しかし、自分磨きや可愛くなるために頑張ることは決して悪いことではないと思う。人の判断基準が顔で自由をなくすような行為が悪いということだ。顔審査やSNSでよくわからないようなステレオタイプを持った人が人々の自由を奪うだけではなく、健康に過ごせる日々も奪ってしまっていることが現状である。摂食障害や醜形恐怖症メンタルヘルス不調者の増加が起こっている。SNSに投稿されている可愛い基準の人に囚われ、痩せたいという願望から食事を取れない、食後に嘔吐する、下痢を誘発する行為を意図的に行い必死になって誰もが思うかわいいに近づいたりしている。他にも自分の外見状の欠点にとらわれ、人目につかないように外出を拒むなど、日常生活に支障をきたししまうこともある。私もそれを経験した。散々目が小さいと言われてきてコンプレックスになった。私は、一重で周りの人は二重の人が多い。整形して二重を手に入れた人もいる。この時私は、取り残されていると感じた。
初めて会う人とはあまり目を合わせて話すことはできない。
なぜなら、一重だから。
写真をとることもあまり好きではない。
なぜなら、一重だから。
キャビンアテンダントの夢を諦めたことがある。
なぜなら、一重だから。
なぜ選択できないことを、責められ、判断され、諦めたり、自由が奪われる世界なのだろうか。
可愛いまたは、かっこいいの意見を持つのは人それぞれだ。しかしそのような個人的な意見を押し付け、人々の平等を守らず無意識のうちに差別している人が多くいる。だから容姿についての差別、顔審査、このようなことが起こってしまうのだ。一人一人の価値は必ずあるから優劣で判断する社会は終わらせないといけない。自ら選択できないことで自由を失わせ、人を苦しめているということを自覚してほしい。そして、今現在多様性が進んでいる中この問題についても考える時間を作り一人一人が自信を持って生活し自由を手に入れ、好きなことができる社会になってほしい。私はずっと願っています。「これから皆が生きやすく自己を自由に表現でき、好きな職業につき、楽しい生活を送ることができる世界になりますように。」
 
 
 
木村留奈 京都薬科大学3年
カラフルになった世界をもっと
 私は茶道体験のホストの仕事をしている。外国人観光客らに、一期一会についてや茶道具の説明をし、お点前を披露するのだ。ただ、その日は偶然、着付けの手伝いをしていた。そのゲストは、真剣な面持ちで帯を選んでいた。彼がこれはどうかなと私に見せたのは、黄色地に青い花の模様が入った鮮やかな帯だった。それはLGBTQ+に対応するために置かれていたものだった。着物に不慣れな海外の方は勘違いすることも多いので、念のため、これはかわいい帯で女性が使うことが多いから、もし格好いいのがよければ別の黄色の帯もありますが、どちらがいいですかと聞いた。彼は日本の“kawaii”が好きだからこれがいいと言った。着付け中、彼は何度も“kawaii”と言って嬉しそうだった。
  茶道体験の後、彼の着替えを手伝ったのも私だった。体験の感想を聞いた私に、彼はこう答えた。
「スタッフ達は親切でたくさん写真を撮ってくれたよ。色んな人にこの帯は女性用だけど大丈夫かって聞かれてしまったけどね。」
 彼がもし、女性とではなく、男性と2人で来ていたなら、スタッフ達はそんなことを彼に言ったりはしなかっただろう。他のスタッフたちが、ゲスト達に喜んでもらいたいという気持ちを強く持っているのを私は知っている。自分と違う人達がいることを知り、受け入れている。それでも、彼女らの優しさや親切心は空回りしてしまった。きっと誰も悪くはない。彼に帯のことを確認した人達は本当に親切心から聞いたのだろうし、彼はただ“kawaii”が好きなだけだった。だからこそ、いかに自分とは違う人を思い遣ることが難しいかを思い知らされた。悪意がないからこそ、優しさに傷つけられたり、疎外感を感じさせられたりすることもあると理解せざるを得なかった。
 多様性が謳われる時代になった。だが、それは世界が綺麗に混じり合って単色になるという意味ではない。違うことが当たり前で、個性という全ての色がそこにあるということだ。絵の具なら全て混ぜてしまえば黒だが、個性が混ざりきることはない。お互いが干渉し合って一部の色が混ざり変わっていくことはあっても、本質的には赤は赤なのだ。今、多くの人は混ざらなくてもいいことを受け入れているように感じる。みんなで黒にならなくていい、自分の色のままでいようというのがマジョリティの考えだろう。それは大きな前進だと捉える。だから、私が経験したような問題は、ある意味進歩の賜物と言えるかもしれない。
 けれど、ここからもう一歩、前進しなければならない。このカラフルになった社会は、複雑で共生するのは難しい。せっかくの優しさが押し売りになってしまったり、ましてや相手を傷つけてしまったりするなどという、今回のようなやるせない事態も珍しくはない。それに、今も尚、黒一色に侵食しようとする人もゼロではない。それも多様性だと開き直るわけではないが、どれだけ啓蒙や教育を重ねようとも、そのような人がいなくなることはおそらくない。現代社会は良くも悪くもカラフルなのだ。だから、私がここで述べたいのは、個を受け入れ、グローバル化も進む今の社会では尚さら、私達が見ているものは全て、個人の主観というフィルターを通した物語だと理解し、割り切る必要性は高いはずだということだ。さらに言うならば、私達は相手の意見を尊重するスタンスでいるだけでなく、そもそも、相手の価値観や意見がどのようなものであるかは自分の主観で理解したものであって、実際の相手のそれとは異なるかもしれないことを念頭に置くべきではないだろうか。
 今回、私を始めスタッフ達にはそれが足りなかった。私は、一期一会が戻ることはない今この瞬間を大切にするという意味だと、知識として知っている。知っているから精一杯のおもてなしをしてきたつもりだった。でも、必ずしもその全てがゲスト達に喜ばれるわけではないと分かった。だから、これからはジェンダー問題に限らず、私はこう思う、私がやってあげたいからただやっただけと念頭に置くことで、優しさの押し売りを防ぎたい。それは簡単ではないだろうし、いつか、これだけでは足りないと気付く時がおそらくやってくる。それでも、これからも段階を踏みながら、相手がどんな色かを決めつけない、そんな誰も取り残さない社会を目指していけばいい。少なくとも今の私は、それぞれが相手のための優しさを押し付けるのではなく、自分が考える相手への優しさを持てる社会こそ、今より豊かな社会だと考えている。
 だから私は今日も釜の前に座る。言語も文化も異なるゲスト達に、こちらをご覧くださいと軸を指し示す。そこに力強く書かれた一期一会の意味を英語で説明する。その解釈を、本当の優しさとは何かを、私はずっと考え続けている。
 
 
 
野本翔生 大宮国際中等教育学校 高校2年
未来をつなぐ4K子ども食堂 ~誰一人取り残さない社会を目指して~
SDGsの基本理念である「誰ひとり取り残さない」という考え方は、すべての人々が平等に社会や経済活動に参加できることを目指している。この理念は単なる理想論ではなく、現代社会の課題を解決するために必要不可欠な指針である。しかし、この理念を実現するためには、社会全体がその実現に向けて努力し続けなければならない。特に、障害者、LGBTQ+の人々、貧困層、外国人など、社会的に弱い立場にある人々が取り残されることなく、共に生きていける社会を作ることが求められている。
私は高校生として、「4K子ども食堂」という地域活動を運営している。食堂名の由来は、活動する他の2人のメンバーのイニシャルに「K」が入っており、子どもたちの「Kids」のKを合計して「4K」になっている。この活動は、経済的に困難な家庭の子どもたちに無料で食事を提供するものであり、単なる食事支援にとどまらず、教育的なサポートや地域社会とのつながりを深めることを目的としている。子ども食堂を通じて、SDGsの目標達成に貢献することができると確信している。
4K子ども食堂は、埼玉県さいたま市で運営されており、貧困に苦しむ家庭の子どもたちに温かい食事を提供することを目的としている。この活動は毎月一回開催されており、地元の農家から提供される規格外の野菜を使うことで食品ロスの削減にも貢献している。これらの野菜は通常市場に出回らないものであるが、食堂で活用することで無駄を減らし、地域社会の資源を有効活用する取り組みの一環となっている。また、地元のボランティアや高校生が調理を担当し、食事の提供を通じて地域のつながりを深めている。この活動は、SDGsのGoal 1「貧困をなくそう」やGoal 2「飢餓をゼロに」の達成を目指している。
子ども食堂の開催において、私たちは単に食事を提供するだけでなく、その後の時間を使って学習支援も行っている。私たち高校生が宿題を手伝うことで、子どもたちに質の高い教育の機会を提供している。この取り組みは、SDGsのGoal 4「質の高い教育をみんなに」にも寄与しており、教育格差を減らすことを目指している。特に、学校での勉強についていけない子どもたちに対して、一人ひとりのペースに合わせたサポートを行うことが重要であると考えている。このような支援が子どもたちの学力向上や自己肯定感の向上に大きく寄与している。
さらに、私たちは地域の農家と密接に連携している。農家が提供してくれる規格外の野菜は、通常廃棄されることが多いが、それを食堂で活用することで、食品ロスを減らすだけでなく、環境への負荷も軽減している。これにより、Goal 12「つくる責任、つかう責任」を達成するための一歩を踏み出している。農家との協力は、互いに利益を生む仕組みを作り、持続可能な社会づくりに貢献している。さらに、地元の農産物を活用することで、地域経済の活性化にも寄与しているといえる。
私たちの活動が特に重要であるのは、子どもたちが未来に対して希望を持てるような環境を作り出すことにある。食事を提供するだけでなく、地域社会とのつながりを深めることが、子どもたちにとって大きな励みとなり、社会に対する信頼や希望を育むことができると考えている。また、高校生として私たちが運営に関わることで、子どもたちが身近に感じる存在として接することができ、より本音を引き出しやすくなる。これが子どもたちの成長に対して大きな影響を与えると信じている。
私たちの活動は、社会課題を解決するための持続可能な方法を提供している。私たちは一時的な支援ではなく、定期的な活動を通じて地域に密着した支援を行っている。今後も継続的に活動を行うことで、地域の認知度が高まり、協力団体が増え、より多くの子どもたちや家族に支援を届けることができると信じている。この活動を通じて、社会の中で取り残されがちな人々に対して支援を行い、誰もが取り残されることなく、共に成長できる社会を実現するために努力を続けていきたい。
また、私たちの取り組みが示しているのは、SDGsが単なる政府や企業の目標ではなく、地域や個人が積極的に関わるべき課題であるということである。子ども食堂という身近な活動を通じて、多くの人がこの理念に気づき、行動を起こすきっかけになることを願っている。未来を担う子どもたちが健やかに成長し、希望を抱きながら社会に参加できるよう、私たちは行動し続けるべきである。
 
 
 
匿名 札幌市立みどり小学校 4年生
やさしい発表の場をつくる みんなのぶたい
私は、人前に出ることや話すこと、集団が苦手です。特に学校行事が苦手です。
運動会は発表会の日には学校に行きますが、先生が手伝ってくれても不安で前に出ることができません。
学校に行けない日もあります。
私は、発表が苦手な人やとくべつな対おうが必要な人でも自分の考えを伝えられ、安心して参加できる仕組みや方法を作りたいと思い、このアイデアを考えました。
そこで私が考えたのは、みんなのステージです。
例えば、うらかた発表システムです。
発表者がぶたいにでなくても、事前に動画を作成して、ぶたい裏から自分の発表をえんかくでそうさします。
当日のそうだができない場合もあるので、事前に先生にお願いすることで、参加できなかったというくやしさがなくなります。
発表者が大勢の人の前にでることはないので、せっきょくてきに参加できる環境をつくれます。
次に、私だけの安心ルームシステムです。
発表者が直接ぶたいにでなくても、ほかの部屋からマイクで話す仕組みです。
発表者が大勢の人の前にでることはないので、きんちょうを大はばに軽げんでき、発表することができます。
次に、役わりぶんたんシステムです。
私の小学校のやり方だと、運動会も発表会も全員前に出て参加しないといけません。そのため、不安が大きい人や人前にでることが苦手な人にとっては、参加が難しいです。
そこで、ぶたいにでるのが難しい人は、音きょうやスライド作成担当になります。裏方として参加することでプレッシャーにもならず、しっかりと役割もあるので達成感をえることができます。
私は、人前にできることが苦手な人や発表が苦手な人でも、参加できる方法を考えました。
このようなやり方や仕組みが広がれば、学校だけでなく、世界中の困っている人が色々な方法で自分の考えを伝えたり、参加できるチャンスがつくれると思います。
発表はみんなが主役で、方法は一つじゃないと思いました。
私は、困っている人が、安心して自分の考えを伝えられ、参加できる方法が増えたら、とても素てきだと思います。このアイデアが、少しでもみんなの役に立てばいいなと願っています。
これが、私が考えた みんなのステージです。
 
 
 
矢野由菜 松戸市立河原塚中学校3年
A smile for you
母が私に言葉をかけてくれました。
「ゆなは笑ってる方が似合う」
この言葉を言われるまで私は色んな挫折を乗り越えてきました。
私は中学一年生の夏休み明けから学校に行けなくなりました。人と会いたくなくて外に出ず、家で過ごす日が続いていました。
しばらく経ってから私は父の一言にとても傷つきました。
「学校行かない人に生きる価値なんてない」
私はこの時自分の部屋でずっと泣いていました。
学校に行かなかったらまた父に怒られるという恐怖で中学二年生まで行ったり行かなかったりを繰り返していました。
そして中学二年生の夏休み、部活をやっていた私に友達が直接話してきました。
「部活にいると邪魔、もう来ないで。」
居場所だった部活が友達の一言でなくなりました。
この一言で私は完全に学校に行かなくなり、誰かに話したいけど話せないということが続いていたので辛かったです。
でも、ずっと理解してもらえなかった父と母の言葉で私は救われました。
「もう学校はいかなくていいよ。」
「新しい居場所を一緒に考えよう。」
誰にも相談することができなかったけど、父と母が言ってくれてホッとしました。
そして私の新しい居場所は今通っているトライ式高等学院の中等部です。中学二年生の秋頃から所属していて、学校では出せていなかった自分の力が発揮できました。
この時私は久しぶりに笑顔が出せたなと思います。
中学三年生の春私はもう1回中学校に戻ったけれどすぐに仲のいいグループが作られていて学校に居づらくなりました。少し経ってから通っているトライから電話が来ました。その電話で言われた言葉に私はまた立ち直れました。
「学校いけてないの?」
と聞かれた私は「行けてないです。」と言いました。何か言われるかなと不安だったけどこの言葉がとても嬉しかったです。
「戻っておいで、いつでも待ってるよ。」
私はフリースクールに戻ることを躊躇っていたけど電話で話して、自分の居場所に戻ることをきめました。
私は今自分の大好きな居場所があって、大好きな人たちと一緒に入れて凄く嬉しいです。
この経験を活かして、私と同じ子がいたら力になってあげたいと思いました。
居場所が分からない子がいたら一緒に作って、みんなが笑う事が増えるといいなと思います。
その時私は母がくれた「ゆなは笑ってる方が似合う」ということを自分自身も大切にしてその子にも「笑ってる方が似合うね」という言葉をかけたいです。
そのために私は誰も取り残されることなくみんなの笑顔が絶えない居場所を作りたいです。
 
 
 
有村日和 鹿児島県霧島市国分高校1年
多数派が正解か
「僕は、朝食でパンを食べ、牛乳を飲んだ。」
これは大多数の人が、納得する典型的な朝ごはんだと私は考える。
「私は、朝食でご飯を食べ、味噌汁を飲んだ。」
これもまた、多数派が納得する朝ごはんだろう。
なぜ、大多数の人が、納得する朝ごはんなのか。それは、
「多数派であるから。」と私は考えた。
ここで私は考えた。
「多数派が正解なのか。」ということを。
日本ではまだまだ、多数派が正しい。という固定概念が抜けきれていない。それによる偏見。差別が取り残されている。
このような問題を解決するために私は、「普通」「一般的」この、2つの言葉に焦点をあてていこうと思う。
まず初めに、「普通」を解いていこう。
今現在わたしは思う「普通」とは。
それは主観視であること。
どういうことかというと、「自分で決めてること」だと考える。具体的には、1つの物事に対し、自分の基準、キャパがあり、それに伴った、「個人の可能範囲であること」
次に「一般的」それは
客観視であること。
どういうことか。それは周りが決める、多数派に過ぎないということ。
具体的には、人間にはある程度、元々生まれながらに携わっている、一定能力、「多数派」の人が持ち合わせている能力がある。それが、「一般的」なのではないだろうか。
現代日本では、この「普通」と「一般的」の区別ができていないことによる、差別や偏見が残っているのではないか。
私は考える。
普通=一般的
では一切ないのだ。
「一般的」ここでいう、「多数派」が「普通」である。と考えないでほしい。
今日本では、「一般的」が「普通」だという考えが、多い。
あなたにとっては「一般的」であり自分が元々持ち合わせている、能力であり、それが「普通」なのかもしれない。しかし、世の中には、あなたのその基準が、誰かにとってはすごく高いハードルであるかもしれないことを忘れないでほしい。
誰かにとっては、「普通」ではないのだ。
日本人は、周りに合わせようとする。暗黙の了解のような風習がある。周りと同じステータスを持ち合わせたい。いわゆる「一般的でいたい。」という考え。
このような考えは消すべきだ。
「一般的」でなくていいのだ。「普通」を貫こう。
自分のなかでの「普通」を、沢山多くの年を重ね、向き合い気づく。そして、その基準のもとで生きていけばいいのだ。
一般的になんてなる必要はない。
多数派でない人間が、なぜ胸を張れないのだ。
一般的=普通ではない。
もしあなたのなかで、「一般的=普通」という固定概念があるのなら。
そしてこの文章を読み、少しでも、心が動いたのであれば、今日からその固定概念を壊して欲しい。
そのあなたの1つの考えの変化が多くの人を救うことになるだろう。
 
 
 
有馬大貴 横浜国立大学1年
今の社会には解決しようとする「ふり」が多すぎる
 「誰ひとり取り残さない」ということを考える上では2つのアプローチがあるように思える。「(心理的に)異質であることを受け入れる」と「(制度や援助により)異質をなくす」の2つだ。しかし現在の社会は誰か偉い人や政治家がこれをやってくれるという、人任せな風潮があるように感じている。本来ならば先の2つは常に実行、反省してこそ機能するものなのに、多くの人は本当の意味で実行しているとは私には思えない。いわば解決しようとする「ふり」である。
 以前アルバイトから帰る際に、デモ行進とでくわしたことがあった。私は政治や経済に関心を持っているので、基本的にそのようなイベントは耳を傾けようとしている。その時も、同じように聞いていたのだが、デモというよりかはけんかをしているようであった。話を聞いてみると「外国人労働者への反対運動」と「ヘイトスピーチへの反対運動」という2つの団体がかなり激しい言葉や行動でぶつかっているということだった。あまりいい気持ちはしなかったので私は帰ってしまったが、おそらくあの後も続いていたのだと思う。
 私がここで言いたいことは「外国人を排除するのはよくない」ということではない。お互いが自分の主張を強烈に主張し続けたところで、どちらかが取り残される結果にしかならないということだ。この例で言えば「外国人労働者への反対運動」を行っている人も「ヘイトスピーチへの反対運動」を行っている人、どちらも取り残さない策が必要なのだ。つまりある程度のラインで互いに妥協し、「まあ、これならいいだろう。」と言えるところに持っていくことが必要なのではないか。
 矛盾した考えの間で妥協などできないと言う人もいるだろうが、だからこそ、「誰ひとり取り残さない」ことへのアプローチを常に実行、反省する必要があると私は考える。偏った主張、考えでは誰かが取り残されるのは当然である。ある固定化した解決策は取り残された人ができた場合に助けをさしのべられないのも当然である。だからこのようなことを避けるべく関係者が試行錯誤を繰り返して、互いの間を取れるような妥協点を探さなくてはいけない。このアプローチは多くの人にとって面倒である。何か1つの解決策を実行すれば終わるという話ではない。しかし、「誰ひとり取り残さない」という人権に関わる問題に対して、向き合わないといけないだろう。
 このような視点で現在の社会を見つめると、この目標から離れてしまっている出来事が多いように感じてしまう。外国人やLGBTQなどの少数派を排除しようとすることは確かに目標から遠ざかる考えである。だからといってそのような考えを聞かずに共生することが真理だと主張することが解決につながるわけではない。この間に立って妥協点を見出すことが目標へ近づくことになるはずだ。
 私の考えを「差別主義」や「少数派の排除」だと誤解する人もいるがそうではない。「少数派を排除しようとしている人」を排除してはいけないということだ。共生を前面に押し出し、排除する人は前近代的だと言っているだけでは、単なる意見の衝突、けんか別れに終わってしまい、その間にでも追いやられている人、苦しんでいる人を助けられない。一回で完全な解決策を作るのではなく、何かしら意見が一致できる助けを差し伸べた上で、足りない所を補うように試行錯誤する方が、助けは届けやすいと考える。
 「勧善懲悪」という言葉があるように日本人は0か100かで物を考えがちだが、もはやそれでは「誰ひとり取り残さない」という問題は解決できなくなっている。いや、そもそも完全な解決という物が存在しない問題である。しかしそのことに気づいている人があまりにも少ないのではないか。学校のテストのように何か決まった答えを求めるのではなく、常に考え続ける、行動し続けることこそが真の解決に近づくのだと私は信じたい。
 
 
 
鈴木葵依 日本赤十字看護大学1年
いいところ探しを始めてみませんか
「誰一人取り残さない」なんて不可能だと思います。
この小論文を書くにあたって、私はまず「なぜ取り残されるのか」について考えました。答えはすぐに浮かびます。「みんなが進むから」です。車なんてものを開発するから、運転のできない人が取り残されるのです。みんなが勉強するから、勉強の苦手な人が取り残されるのです。つまり、誰一人として取り残したくないのなら、進化を止めれば良いのではないでしょうか。車を没収しましょう、勉強を禁止しましょう。
 でも、今皆さんが考えたように、これは現実的ではありません。なぜなら全員が「幸せになりたい」と思っているからです。車で気軽に旅行へ行きたい、勉強して夢を叶えたい、そういった思いがある限り、進化を止めることは不可能だと思います。つまり、「誰一人」取り残さないことなど不可能です。
 次に、今度は視点を「周りにいる人」に絞って考えてみました。取り残されていた人がたくさんいたことを覚えています。テストの点が低かった人、走るのが遅かった人、他にも様々な点で取り残されていた人が思い浮かびます。ですが、本当にそうでしょうか。彼らは本当に取り残されていたのでしょうか。勉強の苦手だったあの子はノリが良くて、周りには常にたくさん友達がいました。走るのが苦手だったあの子は絵がとても上手で、私はその子の描く絵が好きでした。そう考えると、取り残されていると思えた人が、一方では先陣を切る存在だったことに気がつきます。私は無意識のうちに「できないこと」「苦手なこと」ばかりに注目していたのです。このようなバイアスに支配されているのは、私だけではないのではないでしょうか。苦手を見つけ、克服していくのは素敵なことです。それと同じくらい、強みを活かすという視点も素敵ではないでしょうか。
 私は看護師になるために日々勉強をしています。その中で「強みを活かす」という視点はとても重要になってきます。対象者の安楽を考えた時、無意識に私たちは「できないことをできるように」という方向で支援を考えがちです。そこには、「障害があって可哀想」「病気を患っていて辛そう」といった先入観が潜んでいます。「走れないなら、走る練習をしましょう」。このようなサポートを考えがちですが、必ずしもそれが対象者の安楽に繋がるわけではないことを知りました。「走れないなら、一緒に歩きませんか」。このような支援を、私はしていきたいと考えます。
 話はそれましたが、つまり私が言いたいのは、「強みに着目してみませんか」ということです。これは相手に対してだけではなく、自分に対しても心がけて欲しいです。私には、いつも遊びに誘ってくれる幼馴染がいます。近所の回転寿司に行こうと言ってくれたり、旅行に誘ってくれたりします。恵まれた毎日です。ですが私は人一倍メンタルが弱く、考え込みすぎる傾向があります。学校生活も思うようにいかず、卒業がどんどん遠のいていきました。ある日、いつものように幼馴染たちとご飯を食べていると、話題が卒業の話になりました。恐る恐る、私は事実を打ち明けます。すると一人が「卒業旅行、また行けるじゃん」と言い、他の幼馴染たちも「確かに!ここ行って、あそこも行こう!」と、予想とは裏腹に明るいムードが続きました。それまで私は学校に通えない自分が許せなくて、大嫌いで、憎い存在でした。ですが見方を変えれば、私は親友たちをもう一度「卒業旅行」に連れていくことができる。もっと言えば、学校に通えない自分は嫌いだけど、こんな素敵な友がいる自分は好きかもしれない。なかなかやるなあと思います。
嫌いな部分はたくさんあります。自分に対しても、他人に対しても同じです。では今度は、好きな部分、素敵だと思う部分を考えてみませんか。メンタルの弱い私も、勉強の苦手なあの子も、足の遅いあの子だって、素敵な部分があります。取り残されたと感じないように、感じさせないように、見方を変えてみてはいかがでしょうか。まずは周りから、いいところ探しを始めてみませんか。
 
 
 
國枝芽奈 中村中学校・高等学校 高校1年
1人だと感じることがない社会
この小論文を書くにあたって、誰も一人にさせないということについて家族と話すきっかけとなりました。
まず最初は私の母が小学校の広報の活動をしていた時の話です。
年に数回発行される広報誌は、その時々の行事の児童の感想や写真などがたっぷりと掲載されているので見応えがあり、保護者も児童もとても楽しみにしているものでした。
3月に発行される卒業特集では、6年生のご両親から我が子への一言メッセージが載せられるコーナーがありました。その時に問題となったのがご両親がいない児童の対応だそうです。先生方と相談して、おばあさんかおじいさん、それとも親戚の方になど意見はありましたが、一人の児童だけ親からのメッセージではないのは本人の気持ちを考えると複雑であるということ、今後のことも考えてそのコーナーは違うものに変更されたそうです。書いてもらう人を限定してしまったせいで、自分の家庭はおかしいのかな?と思ってしまった子がいました。
このことから無意識な差別も、誰かを「取り残された人」にさせて1人だと感じさせてしまう原因になっていると思いました。
次は私が中学生の時の話です。
私は中学校一年生の時、起立性調節障害なりました。朝起きられないけどお昼になると元気になってくるので「怠け者」と勘違いし理解してもらえず、辛い思いをする人が多い病気です。
ですが嬉しいことに、私の周りには理解のある人が多く、取り残されることはありませんでした。家族は私のことをたくさん気遣い、心配してくれて元気付けようとしてくれたり、担任の先生は自宅までプリントや手紙を届けてくださったりしました。友人の多くも私がいつ来れるようになってもいいように時間割りを送ってくれたり、学校に行くことができたときには「無理しないでね」や「会えて嬉しい!」など優しい言葉をたくさんかけてくれました。
けど、もし私がこの時周りに理解のない人たちしかいない状況だったらと考えると、今も病気のせいで色々なことに悩んでいたのかなと思います。SNSなどを見ていると、家族や先生、友達からも理解してもらえず苦しんでいる人をよく見ます。私は理解してもらえない人が「取り残された人」だと思いました。私と同じ病気になり「取り残された人」を減らすには、身近なひとに、この病気の辛さを理解してもらい、広めていくことが大事だと思います。この病気にかかるのは思春期の中学生、高校生が多く、相談のしやすい環境をつくることも必要です。私は当時、相談した時に母にかけられた「できるところまでやってみよう」という言葉にとても救われました。この経験から、家族でなくても1番身近な人に相談して、もしかしたら救われたりする人がいるかもしれないと思いました。この病気のことを知っている先生も増えてきていますが、まだ理解のない方がいると思います。いつも遅刻や欠席をしていて不真面目な生徒だ、と思うときがあったら、すぐに決めつけるのではなくその生徒ひとりひとりの事情や悩みがあるかもしれないと考え、寄り添ってあげて欲しいです。学校では友人の存在も大切だと思います。先生よりも過ごす時間が長いからこそ、よく理解してもらう必要があります。相談されると負担に感じる人もいると思いますが、聞いてくれるだけですっきりするという人もいます。
周りの理解や、理解しようという姿勢があることで「取り残された人」を減らすことにつながると思います。この病気の人だけではなく、いじめや差別など「取り残された人」がうまれる原因はたくさんあります。1人だと感じる人がいなくなるようにできることを考え、それをしっかり行動にうつしていくことが大切だと思います。”
齋藤奏 愛知県立春日井南高等学校1年
目指すは理想郷ではない
小学生の頃、クラスで一人の男子がいじめの標的になった。きっかけは些細なことだった。彼が発表の場で言葉を噛んだ瞬間、数人がクスクスと笑い、それが次第にクラス全体に広がった。無視、物を隠す、あだ名を付ける──彼への嫌がらせはエスカレートしていった。そして、誰もそれを咎める声を上げなかった。いや、声を上げられなかった。私自身もその一人だった。
日本の社会では、「空気を読む」ことが美徳とされる場面が多い。かつて、空気の読めない人を「KY」と揶揄することが流行したのも、その価値観からくるものだろう。たとえその人の意見に妥当性があったとしても、周囲と意見が違うというだけで「KY」と烙印を押される。
特に長期的な集団生活の中では、波風を立てないというルールが暗黙の了解として存在する。そのルールを破ることは、自分が標的になるリスクを伴う。僕もまた、その暗黙のルールに従ってしまった。そして、彼の孤独を見て見ぬふりをしていた。
日本の社会の「同調圧力」は日本人の礼儀正しさに大きく影響を与えているが、それは非常に脆弱なものでもある。
「空気を読む」文化は、表向きは秩序や礼儀を支えているように見える。しかし、その内実は非常に脆いものだ。例えば、災害時の日本人の整然とした行動が世界で称賛される一方で、もし一人が規律を破り始めれば、周囲もそれに追随する可能性が高い。これは、「礼儀正しさ」が信念ではなく、周囲に合わせた行動に過ぎないことを物語っている。こうした社会構造によって、日本人は少しでも「普通」から外れる人を排除し、孤立させる側面を持つようになった。「空気を読む」ことを強要する文化は、多様性を受け入れる柔軟性を奪い、孤独や疎外感を生み出している。
私は学校を例に出したが、このような「孤立」はいろいろな場所で起こっているはずだ。職場、地域、家庭──どこにいても「多数派」に合わせることが求められる場面は少なくない。
人は孤独を抱えるとき、自分自身が世界から切り離されている感覚に苛まれる。それは、一人でいる時間が長いということではない。たとえ周囲に人がいても、透明な壁で隔てられているような、自分の存在が無視されているような感覚を覚えるとき、深い孤独が心を蝕む。孤独は、人と人との間に見えない壁を作り出し、その壁の向こう側には「声を上げない人々」ではなく「声を上げることを諦めた人々」がいる。
そんな孤独をその人自身の責任だと片付ける空気が、日本社会にはあるように思う。「努力不足」「適応できない」「要領が悪い」そういった言葉が、孤独の責任を個人に押し付ける。そして孤独に陥った人たちは、自らの価値を疑い始める。自分はここにいていいのだろうか。自分がいなくても、この世界は何一つ変わらないのではないか、と。
孤独を解消するために最も大切なのは、その痛みを理解しようとする姿勢だ。孤独を語る人に対して「頑張れ」や「前を向け」と言うのは簡単だが、それでは孤独を深めるばかりだ。
心の怪我と身体の怪我も本質的には同じものではないだろうか。腕にできた擦り傷に「頑張れ」といっても傷口は塞がらない。怪我には必ず、適切な対処と治癒のための時間が必要なのである。
孤独な人が本当に必要としているのは、「痛みをわかろうとしてくれる存在」だ。誰かが自分の声に耳を傾け、痛みを共有しようとする。それだけで、孤独は少しずつ解けていく。
「痛いからどうするか」ではなく、「なぜ痛いのか、どう痛むのか」を聞くことが先ではないだろうか。
社会が本当に「誰一人取り残さない」姿を目指すなら、孤独を個人の問題ではなく社会全体の課題として捉えるべきだ。孤独にある人が「自分はここにいていい」と思える瞬間を増やすこと。それは社会が一方的に支援を与えるのではなく、孤独の中にいる人々との「対話」を重ねる中でしか生まれない。
孤独は痛みだが、同時に「つながりたい」という願いの裏返しでもある。その声を拾い上げる努力を、社会全体が惜しむべきではない。
誰一人取り残されない社会とは、全員が手をつなぐ理想郷ではない。孤独そのものをなくすことはおそらく不可能だ。だが、孤独を抱える人が「自分はこの社会の一部だ」と感じられる希望の灯りを持つこと。それが、誰一人取り残さない社会の本質ではないかと思う。
その灯りを灯すのは、特別な力を持った誰かではない。私だ。そして、あなたでもある。
私たち一人ひとりのささやかな行動の積み重ねこそが、痛みを希望に変える原動力になると信じている。
 
 
 
籠田芙佳  浪人
私の普通は理解されにくいけど、それだけじゃない
 私は、動物が好きだ。私が、動物たちを傷つけようとせず、少しずつ仲良くなれれば、種類の違いを超えて、たくさんの愛を教えてくれる。鳥は、私の手のひらで、私を眩しそうに見つめて眠るし、うさぎは、私が五日間の旅行から帰っても、私のことを覚えていて、一目散に走ってきてくれる。そこには、音声言語がほぼ通じないことなんて関係ない。動物たちは、自分には分かりにくい言葉を使う人間に対しても、表情や目線、声色や仕草を観察することで、コミュニケーションを取ってくれる。
 私は、自分の気持ちを声にすることが苦手だ。考えながら話すことができない。事前に頭の中で何度考えても、人に向かって声にしようとすると、何を言っているのか分からなくなる。話しているうちに、考えていなかったことが横から入ってきて、それが私の言葉に寄生してしまう。なので、文字は私の気持ちを外に出す方法として優秀だ。書いた文字は、読み返すことができるから、繋がった文章を作りやすい。声をひねり出すことに集中しすぎて、何の話だったか忘れてしまっても、出したあとの声は、透明で読めない。どんどん焦って、違う言葉が出てくる。時間と心に余裕がないと、ちゃんとした話ができないのは、結構不便だ。
 私は、音を聞き分けることが得意だ。絶対音感があるし、私の耳はいろんな音を拾うので、パソコンが充電されている音や、隣のお家の窓を閉めた音も分かる。弟が、ヘッドホンをしてピアノを弾いていても、鍵盤を叩くリズムや、ヘッドホンの隙間から微かに聞こえる音程で、何の曲を弾いているのか予測ができる。トムとジェリーに夢中だったときは、セリフのないお話でも音楽で判別できたし、大好きだったお話は、今も歌って思い出せる。
 私は、数学が嫌いだ。小学五年生で、分数同士の割り算を習ったときから、確実に嫌いになった。分数で割るってどういうことだろう。今も、数字とは仲良くなれない。苦手意識はそのまま、公式が表す意味を理解できる解き方で解くことを意識して、どうにか頑張ってきた。まだ、繰り上がる足し算も、筆算でないと自信がない。
 今の私は、こういう要素で成り立っている。読んでいる人の中には、あまり共感できない人もいるだろうし、逆に、どれか一つは共感してくれる人もいるだろう。
 では、これはどうだろう。
 私は、高校一年生まで、学校で話すことができなかった。場面緘黙という不安障害だ。私の記憶がないうちからそれは始まって、小学生になる頃には、話せないことに慣れっこだった。どんなに仲が良い友達相手だとしても、私の頭は不安から身を守るために私の声を封じた。無理に声を出そうとしても、喉が震えない。みぞおち辺りを拳で掴まれている感じだ。年齢が上がってくると、私の動きまでが封じられることもあった。動こうと思うほど体に力が入って、そのままの姿勢でいようとする。それでも、私の手を引いたり背中を押したりして、教室や体育館に連れて行ってくれる子がたくさんいた。中学生のときは、同じ部活の男子に馬鹿にされていて、学校や部活を何度も休むほど辛かったけど、完全に毎日休むことはなかった。私がどうして話せないのか、ほとんどの子が知らなかったはずだけど、その中で慎重に関わってくれた。私はとても運がよかったし、恵まれていた。だから、今はだいたいの場面で話すことができる。
 それでも私はまだ、学校にいる夢を頻繁に見る。話せない私が、みんなから放置されて一人佇んでいる夢と、体育館の真ん中で動かないことを責められる夢はお馴染みだ。いつも私は一人だった。自分の普通が理解されない私は、自分はおかしいと思っていた。どんなときでも最善を尽くしてきたと思うけど、私だけが最善を尽くしたって、ほとんどのことには手が届かなかった。できないと決めつけられるか、できないことを「なんでできないの?」と責められることが多かった。
 私も、他の全員と同じで人間だ。場面緘黙が大きく見られると、自分でも忘れがちだけど、他にも要素はたくさんある。それは、最初に書いた四つ以外にも、播州弁話者なこと、人と関わるのが好きなこと、卓球部だったこと、英語が得意なこと、人混みが苦手なこと、疲れやすいこと、目がいいことなど、小さなことが全て集まって初めて、私ができている。私は、みんなとは違う「普通」で生きているかもしれないけど、不安で声が出ないことや、体が動かないことは、私の日常であり、普通だった。場面緘黙の人は、五百人に一人いるとされている。しかし、場面緘黙の全員が、同じ普通で生きているわけがない。私は、私の「普通」の外側にも人が生きていることを知っている。そして、初めての世界を知ったら、理解しようと努める。「自分とは違うから」という理由で、誰かを排除したくない。そんな世界が、たくさんの人にとって幸せな世界であると信じているから。
 
 
 
髙橋ゆき奈 中村中学校・高等学校 高校1年
いろんないろ
最近よく聞く「多様性」 
多様性とは、ある集団の中に異なる特徴・特性をもつ人がともに存在するということだ。SDGsにおいて多様性とは?と聞かれたら私はいちばん最初に障がい者の人々やや性的マイノリティの人々を思い浮かぶ。このことから、私から見た「取り残されている人」は障がい者の人々や性的マイノリティの人々だと思った。今回は私の周りにもいる性的マイノリティの人々について考えていきたい。まず、性的マイノリティの人々は一般的にLGBTQ+と言われていることが多い。「LGBTQ+」のLはレズビアン、Gはゲイ、Bはバイセクシュアル、Tはトランスジェンダー、Qはクエスチョニング、+はLGBTQ以外のさまざまな性 を意味している。私の周りにも性的マイノリティの人がいて、気持ち悪いなどのマイナスな思いを抱くことはなかったため私は性的マイノリティの人を受け入れているし、性的マイノリティの人が傷つくような行為をすることはないだろうと思っていた。 
私には中学からの仲の良い女の子の先輩がいる。その先輩とは、中学校を卒業してからも連絡を取ることが多くいつも通りメッセージでやり取りをしていた。先輩と恋愛の話をしていた時、先輩にいい感じの人がいるようだったから、私は何も考えずに 
「もしかして、彼氏ができたんですか?!」というメッセージを送った。先輩の返信は入力中になっては消えてを繰り返していた。数分経ってから来た先輩からの返信の内容は
「彼氏はいないよー。相手は女の子だよ笑笑」ということだった。私はその時、メッセージを送ってしまったことに後悔をした。先輩は私が気にしないようにと「ごめんね、びっくりしちゃうよね笑笑気にしないでね!!」とメッセージを送ってくれたが、私は先輩は何も悪くないのに謝らせてしまい、自分が許せなかった。あの時、「彼氏」ではなく「恋人」と言っていたら先輩はもっと気軽に話せていたかもしれないと思うと今でも後悔している。私は自分が知らないうちに人を傷つけていたのだ。 
私たちがもっている「恋愛は異性同士ですること」という思い込みは性的マイノリティの人々の自由を奪い、傷つけている。周りに何も迷惑をかけていないのに私たちがもっている思い込みによって性的マイノリティの人々は声を出せず、生きづらいと思う。だから、私たちはLGBTQ+を理解し、性的マイノリティの人々が自由に生きづらいと思わない社会をつくっていくべきだ。 
ここまで、LGBTQ+を中心に書いてきたが、「多様性」は性的マイノリティの人ではない人にも言える。たとえば「男の子なんだから。」「女の子なんだから。」という言葉だ。男の子だからかわいいものを好きになっちゃだめ。女の子だからスカートの方がいい。誰が決めたのかわからないが、そんなの違う。この言葉によって性的マイノリティではない人も傷ついているし、自分の好きなものや趣味を否定されたような悲しい気持ちになる。もちろん、そう思うことは自由だ。無理に認めようとしなくてもいい。それも多様性だ。しかし、そう思っても口には出さず心の奥にとどめておいてほしい。自分が何気なく言った言葉が誰かの自由を奪い、傷つける可能性があるからだ。 
世界には80億人の人がいる。ひとりひとり見た目や思っていること、好きなことが異なるからこそ楽しい。逆にみんな見た目も思っていることも、好きなことも同じだったら怖い。世界中の人々が、自分の色に自信をもって生きていける社会になってほしい。
 
 
 
髙木結徠 大阪大学1学年
辛い時に素直に「辛い」ということの大切さ
周りに「大丈夫?」と声をかけてくれる人がいること。自分のことを考えてくれる人がいること。それは幸せなことだ。しかし、辛い時、苦しい時、自分から言葉にして助けを求めなければ、取り残されてしまう。取り返しのつかなくなる前に、周りの人を頼ることは大切である。
私は、高校最後の学校祭の花火を、病院の窓から眺めた。高校最後の部活の全国大会も、病院の中でスマホ片手に、泣きながら見ていた。私は、高校三年生の夏、身長157㎝体重32kgで、拒食障害と診断された。私は、自分からSOSを出すことができなかった。だから入院するまで周りの友達に平気を装い続けてしまった。
 私は、中学三年生の冬くらいから生理が来なくなった。原因は明らかではなかったが、ちょうどコロナウイルスが流行り始めた時期だったため、生活習慣の変化や高校受験勉強でのちょっとしたストレスが原因だと思った。その影響は自分自身の体にも出てきて、食欲はだんだんとなくなった。体重はみるみるうちに減っていった。そのほかにも、疲れが溜まりやすくなったり、体がふらついたりすることが多くなっていった。しかし、私は友達や家族みんなに心配をかけたくはなかったため、「最近元気ないね、大丈夫?」などとみんなから声をかけられても「全然、大丈夫」と平気を装っていた。
それから、私はチアリーディングがやりたかったことと学力の高い高校を目指していたため、地元を離れて都市部の高校に進学した。私の進学した高校は毎年チアリーディングで全国大会に出場している高校で、毎日ひたすら練習していた。高校生活が始まっても、あまり多くのご飯を食べることはできず、毎日部活の練習や勉強に追われていた。そのせいもあって、体重の減少は続いていた。体重が35kgを下回った頃から、貧血がひどくなり階段の前でふらつくことが多くなった。そんな状態になっても私は、みんなに「辛い」の一言を発することができなかった。なぜなら「まだ大丈夫」という思いがあったからだ。チアリーディングではトップを任されていたが、「練習がきついのはみんな同じだ」と思った。だから体重が減少している中でも、本音を打ち明けることができずに、自分を追い込んでしまっていた。そんな日々が続いて、病院の先生からはついにドクターストップを出され、「もう運動ができるような体じゃない」と言われた。先生はこれほどまでに体重が減ったのはご飯が食べられなくなったことだけでなく、体を動かしすぎたり、頑張りすぎたことによるストレスも大きな原因としてあると言った。病院に通っていることを知っていた友達には「体休めて、部活休んでもいいんだよ」と声をかけられた。部活の友達も何回も「ご飯食べれてる?」「最近また体重減った?大丈夫?」と声をかけてくれた。私は「心配しなくていいから」とずっと言い続けた。私は、「トップがいなくなったら練習にならない」という気持ちがあって部活を休むことに抵抗があり、自分に「まだ大丈夫。」と言い聞かせた。そんな生活を送っていた私は、高校三年生の夏、病院の先生からついに入院しなさいと言われた。今すぐにでも入院しないと命が危ないと言われた。1日3食、バランスの取れた食事をすること。しっかり休養を取ることを意識し、体重を増加させることが目的だった。
私は入院中にもしあの時、「辛い」と周りの人を頼ることができていたら。自分の体のことについて本音で伝えられていたら。入院するまでに自分を追い込むことはなかっただろう。高校最後の学祭も大会もできていただろう。私の友人はいつも私のことを心配してくれていた。私を取り残すことがないように気遣ってくれていた。しかし、私は自分からその機会を逃してしまった。そして自分だけで辛さを背負いこみ、自分を追い込んでいった。
 私は入院期間を経て今では、大阪大学に進学をしてしっかりと食事をとり、毎日健康に生きている。薬を飲まなければ生理が来ない状況に変わりはないが、体重も元に戻りつつある。
 私はこの経験を通して、「辛い」ということの大事さを伝えたい。あなたは、「誰一人取り残されない社会」を築き上げることを自分自身で自ら閉ざしてしまっていないですか。周りの人に「助けてほしい」とSOSを出すことができていますか。今も日本中、そして世界中には何かを一人で抱え込んでいる人。辛いのにそれを本音でいうことができていない人がたくさんいるでしょう。あなたの友達が見せた「大丈夫だよ」という笑顔は本心ではないかもしれない。世界中の人が心からの笑顔で生活できる日々を築き上げるために、誰一人取り残さないために、周りからの助けももちろん必要ですが、まずは自分から辛い時には「辛い」という。それが大切だと、私は考える。

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